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はてなキーワード: 入試問題とは

2021-05-13

anond:20210513133714

大学受験なので高校数学

公式は覚えられるので単元ごとならそこそこできるが、入試問題になると何を使えばいいかからなくなる

2021-05-10

anond:20210510143112

でもでもだってフェミちゃん医学部入試問題の時に「女性の方が頭がいい」って言ってたんだもん

2021-05-09

おかしい。東京って、いつからこんなにダサくなったの?

私の実年齢がばれるのでちょっと伏せるが、幼少時に思い出せる地名が「たまプラーザ」であった。なにが「プラーザ」なんだろうか?この地名家族で笑いあっていたのをいまだに思い出す。とにかく、この地名近辺にまで家族で行った。

そのあと修学旅行東京に行ったりしたが、私がよく思い出すのは1997-1999年東京である。当時はネット環境がないから、何をやるにも東京必要だったので、しぶしぶいた思い出しかないがこの時のことはよく覚えている。おかしいのである東京って超近代都市じゃないのか?私のような田舎者とは使う語彙から違うのだろうと思っていたら、東京人のほうが語彙が少なかったのである。こんなバカなことがあるかと思ったが、気のせいだと思い、シングルで寝た。

どうやら東京が停滞していると考えられだしたのは2000年代である。もう富裕層学部から留学させていたが、私にそんな金はない。2002-2003年はまだ耐えているという印象だった。

凋落が明らかになったとしか思えなくなったのは2010年代である入試問題が易しくなる、といった表面的な印象以外にも、多くの点で田舎臭くなってきた。海外の大マエストロを、金銭面で呼べなくなったのである。これが一番大きかったのではないか?どの分野だろうと、もう大物が呼べなくなる、それが2010年代だったような気がしている。震災ショックもあっただろう。

2025年以降、東京はもう羨望の対象都市ではなく、地方エリート釣り堀に過ぎなくなる。釣り堀のまままあ20年は持つだろう。しかし、2045年以降、釣り堀ですらない時がやってくる。

2021-05-01

anond:20210501172602

なんで日本大国なのかというと、「大学入学差別をしなかった」から

よその国は差別しまくり。

日本はそうせず、入試問題難易度を吊り上げることで国力を上げた。

今は難易度を下げているので、国力は下がるのかもしれない。

2021-04-28

英語入試問題には海外でのトラブルを想定した問題が出ているはずだ

英作文

このタクシーには乗っていいんですか

あなた荷物を持つことは出来ません

コーヒーが苦いことを「苦い」と言ってしまいました、お怒りはごもっともです

財布やパスポートを盗まれました

グーグル翻訳を使わせてください

料理の代金は支払いましたよ

スペイン語は分かりません

腹が痛いです、保険に入り忘れたので病院には行きたくないですが薬は手に入りますか?

ビッグベン日本語で大便と読む日本人がいるのですか!?気を悪くされたのですね、つらかったでしょう

2021-04-13

弱者男性論は、クソフェミへの意趣返し

結論弱者男性論は、クソフェミへの意趣返し


最初に、フェミによる、性犯罪とかハラスメントには該当しないような欲望や行動に対する道徳的批判があったわけ。萌え絵ポルノ批判とかマンスプ批判とかデリカシーの無さとかいろいろ。

あと、医学部入試問題のような、社会構造勤務医の過重労働に支えられた安価で高度な医療)に起因する問題を、誰もが満足できる案が無いか男性道徳性問題としてスケープゴートにした。

これに対して、少なくはない男性たちが、女性非道徳性を調べて、あげつらっているのが弱者男性論の本質

弱者男性論で、槍玉に挙げられる女性上方婚下方婚忌避)や、最近下火になったけど「負の性欲」といった批判は、「婚姻相手をあてがえ」「キモカネを受け入れろ」といったことを目指しているわけじゃない。

まり、実際に言っていることは、「お前らも我慢するか、それが嫌なら俺らに我慢を求めるな」という話。

フェミは、どうこれに回答するんだ?

私たちはわきまえない、お前らはわきまえろ」じゃ通らないだろ。

2021-04-09

anond:20210406000445

良い分類と整理だと思う。

弱者男性問題は、議論が深まり社会認識がされていくことを期待する。

だが、今、はてぶで吹き上がっているのは「弱者男性問題ではなく「強者ではない男性問題

たとえ社会成功を収め、人間関係に恵まれていても、その自意識自分弱者であるという意識があれば弱者男性になれてしまうのだ。

強者ではない男性問題当事者の不満をブコメを参考に分類した。

1.強者男性比較して金や女を得られていない不満

2.恋愛強者または高所得の女の方が社会弱者とされることへの不満

3.強者男性恋愛強者または高所得女に比べ、社会的な承認が得られていない不満

1は、自由競争を基本原理とする資本主義社会を前提にすれば、女はともかく、金は仕方がないのだ。

(女の問題は3で後述する。)

この社会で「人権」として認められるのは「健康文化的な最低限の生活」までで、俺の知っている強者男性と同じだけよこせといっても認められない。

この不満を解消したいなら、資本主義否定し新たな社会主義革命を目指すしかない。

(一方、伝統的な社会主義国でもこの不満は解決しないことは歴史証明しており、新たな社会主義でも同様だろうという私見を持ってはいる。)

2だが、そもそも特定属性」を持つ個人を、その属性理由冷遇することを差別といい、被差別属性を持つもの社会弱者である

元増田が整理したように「強者ではない男性」の属性特定不可能なので、「強者ではない男性」全体を被差別集団には認められない。

一方、女性は、女性であるという属性理由に、入試問題セクハラ問題などの冷遇を受けていることが明らかになっている。

いや、自分貧困属性があるという「強者ではない男性」には、「貧困属性は男女問わない。貧困男性貧困女性は等しく扱う」という回答になる。

恋愛については3で後述する)

男性属性強者)  ー 女性属性弱者

所得属性強者) ー 低所得属性弱者) ※男女問わず

3だが。

社会承認尊敬、周囲から愛情好意。異性から恋愛感情といった物は、社会資産として分配出来ない。

社会は各々人権を持つ個人集合体で、各個人自分幸福人生を追求する権利がある。

人権の衝突と主張をする増田もあったが、異性を女と固定して男への世話役要求するのなら、そもそも衝突ではなく一方的な女の幸福追求権の侵害だ。

金がないからといって泥棒していいわけではない。

かつ、社会でうまく他者と関われない個人はいるが、その属性は男女を問わない。また、男だから、女より社会承認や異性から愛情が多く必要だという事実はない。

対人スキルが平均より著しく低い個人に対し、社会的な支援は用意されるべきだが、それは、対人スキルトレーニングといったものになるだろう。

以上、自分の「強者ではない男性問題について理解は整理出来たが、それを記載することは控える。

2021-04-08

anond:20210408205640

だーかーら、

医学部入試で現役の男だけゲタ履かしてもらってるのと原理は一緒なんだって

女だけ最初から点数上乗せされてんの。ゲタ履かせてもらってなお落ちる現役男子学生が居るように、ゲタ履かせてもらってなお恋愛できない女も居るってだけなの。そもそも合格率が医学部と比べ物にならんくらい高いのに。


医学部入試問題で怒ってる女子学生に落ちた男子学生が「ゲタ履いたからって受かるわけじゃないの!受かる人たちは特別努力をしていたりするの!」とか言い出したらお口ポカーンしょうが

お前らそれ以下だから

2021-04-07

医学部不正入試問題、だからこそアファーマティブアクションダメ

https://news.yahoo.co.jp/articles/740b7b1cd709509060951bb641215ccec053680c

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/740b7b1cd709509060951bb641215ccec053680c

医学部不正入試被害者さん、かわいそうだと思いましたか?ならばアファーマティブアクションには強く反対しましょう。

極端に言えば医学部不正入試問題は非公開で逆アファーマティブアクションがかけられたって話です。

まりアファーマティブアクションを行えば逆にこの被害者と同じように公正な評価なら合格できた人が不合格になるのです。

平等解決するためなら仕方ない?不合理を解決するのに不合理を使っていい理由はありません。

医学部男子に点数を盛られていたのは差別するためではなく、過酷労働という不合理の解決策に体力のある男医師を増やす不合理をしてたからです。

差別を手っ取り早く解決したいか差別していいと思う人は差別主義者です。

2021-04-04

その追記はどうかと思う

anond:20210404110725

lacucaracha (※下方婚をしない)女性だけを責めないで欲しい だと思うんだけど、※の部分にみんなそれぞれの立場から自分がいいたいことを入れ込んできそうね。現代文入試問題に良さそう。

まさにおっしゃる通りで様々な方面からの突込みが入りましたね。おしゃる通り、言いたいことは”下方婚をしない女性だけを責めないでほしい”です。

それは成り立ちません。

だってあなたが書いたのは

男性下方婚してもそうは見られないでしょ。

だもん。

 

増田配偶者の稼ぎについて愚痴るとクソリプされるぴえん😢」

増田「男ならそんなこと無いでしょ😠」 

ブコメ「男でもそんな愚痴ツイートしてりゃ同じこと言われるぞ」

 

これだけのことじゃん。

そういうクソリプあるかないかなら男でもある。でしょ? 

増田が言ったことにまっすぐ答えるブクマがついてるのに「言いたいことはそこではありません」はないでしょ。

  

単なるカウンターとしてみている人が多いのかな。

単なるカウンターではないとよそおうつもりならなおさら

「男はないでしょ」は失言だったよね。

恋人配偶者についての愚痴は必ずそういうリプつく。

もし男が「嫁さんの稼ぎが少なくて辛い😢日本社会が悪い😠」ってツイートしたら

あなたが食らう以上に「自分で選んだ嫁だろ」とか「自分で稼げばいいじゃん最低夫」とか言われると思うけど。

 

 

breathemeditatethink これは増田おかしい。もし男性が「うちの妻は非正規不安定社会が悪い」みたいなコメントしたらそいつ自己責任系の人から叩かれる。でも男性は言わないから叩かれない。それだけ。

これもねえ。非正規雇用の現状を訴えただけで、夫を責めたとは言ってないのに勝手に責めたことにして増田おかしいといわれる。

これがいちばん意味がわからないんだけど

そのブコメのどこらへんが「増田は夫を責めてる」と主張してるの?

性別反転して書いたブコメだと思うけど「妻が非正規なのは社会が悪い」だよね?

妻や夫を責める話はどこにも出てないと思うんだけど。

これは純粋意味がわからないので教えてほしい。

「女が下方婚しない」に対して下方婚した女から

実際に自分下方婚してる女です。

この立場になると例えば夫が非正規雇用であることから

その非正規雇用の現状がひどいことをtweetしたりするわけですが、

返事として、

「お前の見る目がなかったから悪い」

「国の問題としてみるよりもあなた配偶者を変えるべき」

かいコメントが付くんですよ。

まりは、「下方の男を選ぶしかないお前は大したことない人間でしょ」

って目で見られるわけ。

男性下方婚してもそうは見られないでしょ。

そのあたりの違いがあるから女性だけを責めないでほしいわけよ

~~追記 16 :00

案の定ひどいコメントも付きますねえ。

本気で「下方婚を増やしたい」なら、下方婚障壁みたいな意見が出てきたときに正面から考えるべきだけど

単なるカウンターとしてみている人が多いのかな。

lacucaracha (※下方婚をしない)女性だけを責めないで欲しい だと思うんだけど、※の部分にみんなそれぞれの立場から自分がいいたいことを入れ込んできそうね。現代文入試問題に良さそう。

まさにおっしゃる通りで様々な方面からの突込みが入りましたね。おしゃる通り、言いたいことは”下方婚をしない女性だけを責めないでほしい”です。

私のツイートにそういう「見る目がない」というレスが付いているのを見た、別の結婚適齢期女性が「下方婚をやめよう」と思うような環境にあるんですよ。

mayumayu_nimolove 気にしなきゃいいのでは?例えばツイッターリプライ相手とか嫉妬に塗れた人だったりするとあなたそいつらを・・・

個人は気にしないか結婚したんですよ。

でも、私がどんな風に周りから扱われているかを見た別の女性はやめるかもしれない、ということなんですよ。

breathemeditatethink これは増田おかしい。もし男性が「うちの妻は非正規不安定社会が悪い」みたいなコメントしたらそいつ自己責任系の人から叩かれる。でも男性は言わないから叩かれない。それだけ。

これもねえ。非正規雇用の現状を訴えただけで、夫を責めたとは言ってないのに勝手に責めたことにして増田おかしいといわれる。

下方婚しなければ、非正規雇用の現状なんて知らなかったから訴える必要もなかったんですよね。

コメントの数々を見れば、女性下方婚すると背負わなくてもいい苦労を背負ってしまうという証明になるかなと思います

こういうやり取りを見ただけで、余計に女は下方婚から遠ざかろうとするんですよ。

から、女だけを責めないでほしい。

2021-03-31

anond:20210331140558

ネット日本全体は馬鹿になったんだと思う

それには理由がある。

東京クオリティが下がってきた。

ネットがない頃は全部アナログなので、東京がまず音頭をとる必要があった。地方に入ってくるのは10-20年遅れなのが当たり前で、それに従わないといけなかった。ところが、東京人だけが読める教科書がいきなりパブリックドメインになって降ってくるようになったため、東京の優位性がぐらつき始めた。逆輸入で紹介される日本人が典型例だ。

18歳までの勉強を教える教師は優秀かどうかわからない。

これが一番大きい。外れ教師を引く可能性が高い。安田先生みたく入試問題に講評までつけて出版できるような数学教師は、日本100人もいないだろう。

子供勉強の面倒を親が全く見ることができない。

言い過ぎかもしれないが、中学受験の失敗率を調べると、そういわざるを得ない。親になって子供が二人もいて、いったいこの人たちは大学で何を勉強してきたのって連中ほど滑る中学受験が高度化してしまって、親では全くわからないというのも聞いた。今一番勉強してると言い切れるのは、バスが1時間1本以下の場所に親の都合で住まわされているかわいそうな子供だけだ。いつの世も、成功する日本人はそういう人ばかりなんだけどね。

2021-03-28

anond:20210323082630

元増田追記

饅頭氏が、かつての関心は労働問題が中心だったという指摘があって、興味深い。日本ジェンダー規範の中で、安定した職も家族もない男性の居場所のなさや生きづらさという問題を追求しているうちに、フェミニストがそうした問題に冷淡で関心がない(ように見えること)へのルサンチマンが昂進していったのだろうと理解できる。

事実フェミニスト男性弱者問題に関心がない、むしろ冷淡で冷徹な傾向があることは、10数年前から赤木智弘氏が指摘していたが、今でもそんなに変わっているようには見えない。ジェンダー差別問題労働問題と一緒に論じないとかえって差別悪化させる、というのが過去フェミニズムの失敗から得られた教訓のはずだが、相変わらず意識言葉問題ばかりに焦点が当たっている。フェミニスト基本的問題意識は、「心ない言葉で傷付けられた私たち女性の怒りや悲しみにまずは共感して欲しい」というのがあるので、それを飛び越えて経済労働という社会構造問題に(とくに男から上から目線で)されると疎外された気分になるのだろう(それはそれでよくわかる)。

そしてアンチフェミの人たちも、労働問題への関心を完全に失ってしまっている。事実、「女性被害者ぶる前に男性のように重い負担を背負え」と、ネオリベブラック企業家のような論理をふりかざすようになっている。フェミニストアンチフェミも、女性差別男性の生きづらさの根っこにある、非正規低賃金労働依存して成長しているコンビニスーパーなどの大企業批判することは決してない。本田由紀先生のように労働問題軸足を置いていたはずの人も、最近発言には労働問題への言及は少ない。


呉座先生もおそらく、若手研究者の時に将来への強烈な不安があり、その不安感を共有してくれたのが不幸にも白饅頭氏のようなアンチフェミで、逆に「女性」のみを支援対象とするフェミニストから否定・疎外されたように感じたのだと推測される。

追記

ブコメで「労働問題言及しないフェミニストはいない」という批判があった。たぶん勉強している人なのだろうと思う。専門研究世界ではかなりの程度その通りだからしかし、ここは増田ということもあり、あくまテレビネット上の言論や論壇についてのみ問題にしている。その上で、SNSテレビで「炎上」している問題について、労働問題が後景に引いてしまっていることは明らかだろうと思う。医学部入試問題も、主題となるべきは普通女性には耐えられない病院勤務医の働き方や、診療報酬削減に伴う人員抑制のはずだが、残念ながら差別への非難糾弾の前に扱いが小さくなってしまった。


付言すれば、フェミニスト労働問題言及する際の、「女性差別的な雇用慣行」などの言い方にも違和感がある。本当は、経営経済上の合理性に基づく雇用システムのものジェンダーからいったん切り離して把握した上で、それが女性差別とどう関連しているのかを分析した方が説得力が増すというか、女性差別の解消に役に立つ議論になると思う。濱口桂一郎『働く女子運命』は必読。

2021-03-25

anond:20210325172512

多弁で食い下がる日本様式が、「古い」んだよ。

昭和時代はこれでよかったのかもね。あの時代女性大学に行かせてくれなかったからね。

ところが、いまや女子大学に来てください、なんだよね。大学入試問題も、2021年のショックを超える、大きな難易度の変動があると思っている。

これから主語が大きくてN=1なら勝つんだよ。

勝者とはなにか、ということを子供のころからスマホ学習するわけだからね。時代は変わるよ。

anond:20210325154732

講義格差と教材格差フラットにすれば解決するよ。

ちゃん高校に、全部の教材をそろえて、図書カードを作ること。

これもやらない高校があるんだよ。

そりゃ誰だって文句言うだろ。

文句放置していると、おそらく10年後に「ごそっ!」とレヴェルが落ちるよ。

2021年入試問題を見た限りでは、その兆候は始まっているといわざるを得ない。


田舎地方は、本も読めないし親もバカなんだから黙ってろってのが昭和宗教だったからね。

その宗教のおかげで、2022年新生児数は720000くらいだ。

滅びた時に「しまった!」ってのがおちだね。

2.8+4.2=7.0

算数テストで2.8+4.2の筆算の答として7.0を書くと不正解になることがあるらしい.7でないと×だとか.

当然「なぜ?」という疑問が生じるわけだが,SNSでついた色んなリプライを読んでいると色々な考えがあって面白かったので,まとめておく.

2.8+4.2の筆算の答として7.0と書いた場合対応である

7と7.0は違う派

「7と書いたら6.5以上7.5未満を指し,7.0と書いたら6.95以上7.05未満を指すので,そもそも指しているものが違う.だから○.」

この議論によれば,「2.8」は2.75以上2.85未満の数で,「4.2」は4.15以上4.25未満の数だから,「2.8」+「4.2」は6.9以上7.1未満の数を指す.

まり有効数字考慮した「7.0」より少しだけ広い範囲になるっぽい.たとえば「2.8」の真の値が2.84で「4.2」の真の値が4.24だとすると,その和は2.84+4.24=7.08で,「7.0」の指す範囲から外れてしまう.

「でも理科ではそうなっているから!」と言われると「これは算数(数学)だから」としか反論できない.

長岡亮介さんの『東大入試問題を楽しむ』によれば,1958年東大入試一般数学でこの辺りを考慮しないと正答が出ない問題が出題されているらしい.これも面白問題だ.

問題小数第1位まで表示されているのだから,答も小数第1位まで表示するべきだ.だから○.」

見かけの美しさを追求するとこの考えに行きつく.確かに問題小数点があれば答に小数点をつけたくなる気持ちも分かる.プログラミングで,変数の型を変更しているように見えるのかもしれない.

4.2+3は4.2+3.0であるべきであり,問題が美しくないから答えないという選択もできるわけだ.これはとても面白い考え方だけど,間違いなく×にされると思う.

7と7.0は同じ派

「たとえ7と7.0が同じでも,算数では小数点以下の末尾の0を消すのがルール.だから×.」

ある人が作った数学ルールに発展性があれば万人がそれを認める.例えば,交換法則ab=ba結合法則a(b+c)=ab+acルールとするのは納得できる.

1+1=2はよくあるルール(本当は定理らしい)だが,1+1=0をルールの一つとしてもそれはそれで面白世界が広がる.

しかし「小数点以下の末尾の0を消す」というのは発展性のなさそうなルールから数学好きな人は嫌いそうだ.

「7=7.0であるから○.」

全く同じものから○という議論は単純だが面白い.たとえば2.8+4.2の答を2.8+4.2と書いたら,全く同じものからと言って○にしてくれるだろうか?

6.999…も7と同じだが,○になるだろうか?

答はできるだけ簡単にするものだというなら,7.0も簡単にして7にすべきのような気もする.その境界はどこに設定するのがよいだろうか.

同じかどうかは問題ではない派

小学校指導要領では,小数点以下の末尾の0は消すものであると定められている.従わないから×.」

1/10の位までの小数計算小学3年生で,それより下の位までの計算は4年生で学ぶ.

文部科学省指導要領に0を消すことについての文言は見当たらなかった(探し方が悪いだけか?)が,教科書会社学習指導案には「0を消す」と書いてあった.「0.1が10個で1.0とは言わないから」らしい.

そうかもしれないけど,積は他にも意味づけることができるので,それだけを根拠にするのは弱い気がする.あと,「俺は1.0って言う」って人がいたらどうなんだろう.

それよりも問題なのは,これが罷り通ると生徒が先生議論する機会が失われてしまうことだ.言われたことに粛々と従うだけの人格形成されるのは,良くないことだと思う.

「ある世界数学者が,特別な条件がない限り○だとあるテレビ番組発言した.世界数学者は小学校先生より偉い.だから○.」

これは○にせざるを得ない!俺は権威に媚び諂う卑しい人間なんだ.定額給付金くれよ.げへへ.

…というのは冗談で,これも議論の機会が失われるので良くないことだと思う.

その世界数学者が間違っていると主張しているわけではないのでお間違えなきよう.

中学受験では7.0を7と書かないと[Resp. 書くと]×になる.だから将来のために×[Resp. ○].」

受験は良くも悪くも世間に大きな影響を与えているのだと分かる.小学生みなが受験をするわけではないと思うので,小学校先生がこのように考えることはないと思うが.

実際○か×かは採点する中学校に聞いてみないと分からない.

しかしこれも権威に諂う考え方だなあと思う.疑問から逃げているようにも思える.

「ここでは筆算技術を問うている.筆算では小数点以下末尾の0は消す[Resp. 消さない]ことになっている.だから×[Resp. ○].」

なるほどこの考えは盲点だった.計算技術の話をしているので,言われた通りにしないと×にする.同じかどうかとは無関係だ.

微積分の計算や開平計算など,技術習得理解に先立つこともある.まずは計算に習熟してからあとでその計算意味理解するという考えがあってもおかしくない.

末尾の0を消すのは意味を考えているということだろうから技術習得が優先とする考え方だと消さない方が良いような気がしてくる.

他にもあるかもしれないけど,こんなところだろうか.

私は,ちゃん計算の仕方が分かっていることが読み取れれば○にすべきだと思っていた.だから7.0でも7でも6.999…でも○にすべきだし,2.8+4.2は×にすべきだと思う.3+4とだけ書いてあったら,迷った末に,揶揄っているだけで計算の仕方は分かっていると思って,○にするだろうな.筆算技術習得観点から見たら×になるのかな.小学校先生は大変だ.

2021-03-24

anond:20210324001059

1990年ネットのない頃ならね、「うらやましいっ」って言ったと思うよ。

ほんとに東京が頂点だったからね。これは私だけの見解ではないだろう。

名作と呼ばれる入試問題も数々出現した。


2021年SAP○X→鉄○会(ただし進学先は東大ではない)という人に、何の羨望もない。

競争率は半分以下だし、中国人にすら大学生同士の競技で負かされるし、東京データ中国人LINEで盗み放題。

東京に住んでる人って、ほんとに人生の一時期に課金上げ底をしてただけで、35歳になったらただの人なんだよね。

ちっとも面白くないよねそんなの。

2021-03-23

メーカー設計開発をやってるんだが、

どの設計業務大学大学院の入試問題より簡単なんだよなあ

そもそも技術的な難しさというものが無い

強いて言えばやる気の問題

 

(追記)

もう会社辞めたい

2021-03-20

anond:20210320150046

キラキラネームはないが、

昭和生まれ

地方在住

で引っかかった話があった。

私は中学3年になると、月刊高校への数学立ち読みしに行った。なぜならお金がないかである

もちろん、首都圏入試問題が載っていて、開成なんかは「うわーこれはむずかしくて、○○県民は解けないだろうなあ」ってのがあった。

しかし、学校名は明かせないものの、「このくらいの高校なら自分でも解けるかも」というのがあった。

その学校は、東大合格者が私の母校の2倍であった。

私は、東京に生まれていたら、その高校には編入できていたのかもなあ、と思うこともあった。私の母校の成績も下から数えたほうが早いってことはまずなかったので、生まれが違えば入れていたのかもなあ、ってのはある。

各種国際メジャー(マイナーじゃないよ)の取引に加わった私からすれば笑い話だけど、そんな羨望が全くないと言えばうそになる、そんな話。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-20

anond:20210219143644

本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

2021-02-18

anond:20210217203144

大概の人間にとっては大学入試人生で一番勉強するんだからもっと負荷をかけていい

東大京大あたりの一部学部数学入試問題に大学教養レベルの内容を課してもいいだろう

全国で定員50人の枠で試験受けさせて合格者は終身テニュア大学教官在職権)を与えるとかやったら、理3以上の難関になると思うのだが

2021-02-14

入試問題 配点 26点 なぜ、御社デジタル対応すべきか? 伝わる日本語講座

オーシャントリコが1個だけ入っている

港の倉庫

オーシャントリコ 満載の倉庫である YES/NO

ただし、コロナ年末とする 12月某日調査 抜き取り

 

発注日 13月5日

納品日 12月末

 

相手企業からコメント 寄付金領収書添付

 

伊丹十三記念 作品 マルサの男 回答例 生まれ貧乏なので、未開封が入っているなんて、満載だと思った(国籍日本

 

注:そろそろ3月なので、年度末にもう1度お伺いします。せめて箱・・・から段ボール箱・・・つらい・・・

 

だってしょうが無いじゃない

 ↑

努力 せめて、空のダンボールをおいておく努力

このままだと、脱税書類をかかないといけない夢を見た

 ↑

その段ボール箱印刷がすでに人手不足・・・

 ↑

こんなときITだと 段ボール箱ではなくて

エクセル数字だけでなんとかしま

御社デジタル導入しない?

アナログ場合ダンボール箱数えるよ?

          ↑

         最強の防壁・・・でもあるいみ、無敵・・・しょせんデジタルごまかされちゃうからアナログのほうが強いよ・・・ごまかしようがない、それがアナログ

ごまかせるものなら、ごまかしてくれ、段ボール箱の数

エクセル場合は、0をまちがえて1回おおくたたきました コロナで125度熱が合って・・・

 

そろばんだとおばちゃんが間違えることはないけど

エクセルだとうっかり0を1回多く叩いてしまう。それが、デジタルの弱さ アナログ強い

 

そろばんで、おばちゃんが桁を間違える可能・・・vs なれないIT大手の人の説明がおいついていない、急速なリモート導入のため教育が追いつかなかった ←目玉商品

 

リモート対応そろばん いまつくってます初芝電気@島

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