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2023-02-09

[]数学を最大限日常に活かす

Q: 真実情報の希少性が高まっている。数学理解することが重要だという意見もありますが、なぜでしょうか?

数学は、情報評価と伝達に厳密かつ客観的方法提供することができるため、しばしば真実理解するための鍵と見なされる。数学では、厳密な論理法則定義に基づいて、文が真か偽かが証明されるため、曖昧さや混乱、誤解の可能性が低くなる。また、数学証明独立検証することができるため、複数の人が結果の妥当性を確認し、同じ結論に到達することができる。

情報簡単に手に入るようになった現代では、真実と誤った情報を切り分けることがますます難しくなってきている。数理的手法を用いることで、何が真実で何が真実でないかという共通認識確立し、情報の正確さを評価する根拠とすることができる。

しかし、注意しなければならないのは、数学誤報問題解決する魔法のようなものではないということだ。他の分野と同様に、数学人為的な誤りや偏見操作の影響を受ける可能性があり、他のタイプ情報と同様に、数学情報評価には警戒心と危機感を持ち続けることが肝要である

 

Q: では、数学的な情報ヒューマンエラーバイアス操作にはどのようなものがあるのですか?

数学的な情報には、ヒューマンエラーバイアス操作など、いくつか挙げられる。

数学情報評価する際には、このような誤り、偏り、操作潜在的な原因を認識することが重要である。これは、数学モデル仮定方法、結果を批判的に検討し、複数ソースから独立した検証を求めることによって行うことができる。さらに、基礎となるデータ方法を透明化し、オープンにすることで、より正確で信頼できる数学情報表現が促進される。

 

Q: AMSからよく本を買いますが、AMSは信頼できるのでしょうか?他に信頼できる出版社はありますか?

AMS(アメリカ数学会)は、数学および関連分野の質の高い研究出版していることで知られる、評判の高い数学出版社である。その書籍ジャーナルは、数学者やその他の研究者に広く利用・引用されており、品質と厳密性の面で高い水準を維持しているという評判を得ている。

しかし、最終的には個々の著者の仕事依存するため、どの出版社も、作成するすべての出版物の正確さと信頼性保証することはできないことは知っておく必要がある。しかし、AMSのような出版社は、査読編集監視など、出版物の品質妥当性を保証するための手順やプロセス確立している。

その他、評判の高い数学出版社には、シュプリンガーエルゼビアケンブリッジ大学出版などがある。これらの出版社も、出版する資料品質信頼性を確保するための手続き確立しており、その書籍ジャーナル数学界で広く利用され、尊敬を集めている。

特定出版物を評価する際には、著者、出版社ジャーナル書籍シリーズの評判、作品自体性質制作に使われた方法などの要素を見ることが有効であるさらに、査読済みの論文専門家意見など、独立した情報源を探すことで、提示された情報信頼性妥当性をより包括的かつ正確に理解することができる。

 

Q: 私は個人的に、人間意思決定、すなわち、人間いか合理的に行動するかに興味があります。そのようなことを分析するために必要数学の分野にはどのようなものがあるのでしょうか?

数学人間意思決定研究重要役割を果たし、この現象分析するために数学のいくつかの分野が使われている。重要な分野としては、以下のようなものがある。

これらは、人間意思決定研究に関連する数学の分野のほんの一部に過ぎない。使用する数学ツールは、研究対象特定問題分析対象意思決定状況の種類によって異なる。

 

Q: 因果推論はどうでしょうか?

因果推論もまた、人間意思決定研究に一役買う数学重要な分野なのである因果関係の推論は、変数間の因果関係を決定するプロセスであり、介入や政策変更が特定の結果に及ぼす影響を研究するためによく使用される。

人間意思決定という文脈では、経済成長健康上の成果、政治的成果などの結果に対するさまざまな意思決定や行動の因果関係理解するために、因果推論を用いることができる。これにより、研究者は、異なる意思決定潜在的な結果を理解し、証拠に基づいてより多くの情報を得た上で意思決定を行うことができる。

観察研究ランダム比較試験、道具変数法などの手法がある。各手法にはそれぞれ長所短所があり、どの方法選択するかは、質問される特定事柄と利用可能データの種類によって決まる。

線形回帰モデル構造方程式モデルベイジアンネットワークなどの数理モデルは、変数間の関係を表し、データに基づいて予測を行うために、因果推論でよく使用されるものである。これらのモデルにより、研究者は因果関係の強さと方向を定量化し、介入や政策変更の効果について推論を行うことができる。

 

Q: 想像力を高めるために、量子力学勉強した方がいいという話もあります。一方で、いろいろなことをやろうとすると時間が足りません。効率よく数学勉強するコツはありますか?

数学勉強は、確かに視野を広げ、想像力を高めることができ、効率的にアプローチする方法もたくさんある。ここでは、役に立つかもしれないいくつかのヒントを紹介する。

これらのヒントを参考にすることで、数学勉強している間の時間と労力を最大限に活用し、より深く理解することができる。

 

Q: 数学知識を使いたいのですが、一部の人大学卒業していないので、自分能力証明する形で数学を使うことはできません。社会的弱者数学武器に生き抜くとしたら、どのような方向性提案しますか?

数学は、伝統的な大学学位を持っていない人にとっても、個人的・職業的な成長のための貴重なツールとなりえる。

学歴関係なく、人生キャリアを向上させるために数学知識活用する方法はたくさんある。重要なのは自分数学スキル実用的かつ有意義方法で応用する方法を見つけることである。また、データ分析ファイナンシャルプランニングなど、興味のある分野のオンラインコースを受講したり、資格を取得したりして、スキルさらに伸ばし、雇用可能性を高めることも検討できる。

 

Q: ギャンブルで勝つ、Youtuberになる、など、変わったキャリアを目指す人たちがいます。この人たちはどうやって数学を活かせるでしょうか?

数学の強い理解が役立つ型破りなキャリアはたくさんある。以下はその例。

重要なのは数学スキル有意義実用的な方法で応用する方法を見つけ、時間をかけてスキルを向上させ続けること。

2022-10-10

anond:20221010185256

この本読んだことないけど、ちょっとさすがに幅広過ぎて、これ読んだからグラフィックデザインお約束が分かるタイプの本ではないと思う

ただ読んで損はなさそうなくらい面白そうだけどね

自分は欧文タイポグラフィ専攻してたから、そこについては

文書体―その背景と使い方

文書体 2 定番書体演出

欧文組版: タイポグラフィの基礎とマナー

この小林章の三冊が入門編としてかなり読みやすくて勉強になる。

座学じゃない部分については課題を出されてデザインして講評されてって形で学んだから、独学での基礎構築をどうすればいいのかわからんすまん

ただゆるパクするときに、そのデザインがどうしてこうなってるのか考えながらやるのが大事だと思う。

あと普段街中の広告とか雑誌とか商品デザインを見ながら、それを分析するのめっちゃ大事

色はどうだろう、ネットカラーパレットとか調べてみたら使えそうな配色がいっぱい見つかるんじゃないか

色彩構成感覚もあるけど数学的なところもあるから、色を選ぶときちゃんCMYKの%を確認して、その色にどんな要素が含まれてるのかを脳に学習させた方がいい

結局ゆるパクしながら身体で覚えていくしかないんじゃないかなぁ

デザイナーになった人って結局みんな自分の好きなデザイナーの真似しまくりながら身につけてるのよ

2022-03-16

プレステ4を譲ってもらった

Nintendo Switchファミリー向けゲームばかりやってたからなんのゲームしようか迷う!

ストアをチラ見したけど、Nintendo Switchゲームジャンルとかグラフィックデザイン全然違うんだな!?

なんか大人っぽいしゲームガチって感じする

とりあえずスパイダーマンアンチャーテッドコレクションはやったことあるからその続編を買おうかな

ちょっと流行りに遅れてるけど、デトロイトカムヒューマンも実況動画で見て面白そうだったか自分プレイしてみたいし

ニーアオートマタ友達ん家で見たとき面白そうだったからやってみたい

ゲームやる時間頑張って作るぞ〜!



追記:

おすすめブラッドボーンだよ

ジャッジアイズ面白いよ


どっちもプレステ譲ってくれた兄貴プレイしてたやつだ!

購入候補に入れとくわ!ありがとな!

2021-08-02

これぞ広告人

五輪開会式日本デザインの恥。

何となく東京五輪開会式の、あのやり場のない恥ずかしさは、きっと実際の試合の感動で薄れると思っていた。

でも、それは希望だけであって、そう単純ではなかった。

しろ、あの恥ずかしすぎる開会式の事が頭から離れなくなってしまっている。

今更だけど、あの語る事と言うか、批評さえも不毛で、虚しくなる、あの脱力感の正体って、一体何なんだろう。

心の中で、日本世界の裏側だから海外では見ている人が少なくありますように!とか、願っていたwww

あの虚無というか、ほとんどの誰もが感じていただろう「なかった事にしたい!」という感情は、●●●●を代表とする、現在の若手の東京グラフィックデザインの現状とそっくりだ。

作っている本人や周辺のお仲間ちゃんけが、絶好調に喜んでいる感じがする事や、仕事を依頼するスポンサー意識の低さや、アホさ加減もそっくりだ。

恥を知らない自家中毒

情けない。

さらにまるやその周辺の人間は、『あの開会式自分が行っている事が、相似形である』ことを分かっちゃいないだろう。

さらに、恥じらいもなく自信満々なところまで、そっくりだし。

羞恥心というものを持っていないのだろうし、自分達がキワモノであるとかも自覚していないのだ。

あぁ、嫌だ嫌だ。

本当に無かった事にしたいけど、グラフィックは、まだ現在進行形だから、本当に恥ずかしい。

フランスの友人から耳にすると、やはりあの開会式は、最悪だったとの事。現在のアホな日本グラフィックデザインが目に触れないように、願う。)

僕だったら、自殺ちゃうけどな。。。

いやぁ〜笑えない。。。

ほとんど、犯罪だよな。

その汚い手で、俺の神聖デザインに触れるな!って、正直に思う。



・・・

批判で終わればいいものを、実名出して「僕だったら、自殺ちゃうけどな。。。」だって

権力のある立場から死ねと言っている」自覚がないんだろうなあ。

仕事評価責任を命で取らせようとする感じ、まさにオールスタイル広告人だなあ。

挙げられている方の名前は気の毒なので伏せ字にしました。

2021-04-27

anond:20210426225258

別に小説家をゴールにしなくてもいいのでは?

俺は漫画家になりたくて結果今グラフィックデザイン生活してるけどたまに描くイラストとかすごく楽しい

2021-01-15

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いま、私たち情報の多くを文字から受け取っていますメディアの中心が印刷物からスクリーンに変わってもなお、文字コミュニケーションひとつの要であることは変わりません。

「My MORISAWA PASSPORT わたしの“推しフォント」では、さまざまなジャンルデザイン、その第一線で活躍するデザイナーに、文字フォントデザインワークのなかでどのように位置づけ、どのような意図・考えで書体選択しているのかをインタビュー。あわせて、「MORISAWA PASSPORT」“推しフォントを紹介いただきます

第1回は、グラフィックデザインベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開する色部義昭さんにお話を伺いました。

画像1

色部義昭

グラフィックデザイナー株式会社日本デザインセンター取締役

東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了後、株式会社日本デザインセンター入社2011年より色部デザイン研究所主宰

主な仕事Osaka MetroCI国立公園ブランディング市原湖畔美術館須賀川市交流センターtetteなどのVIサイン計画からパッケージ展覧会デザインまで、グラフィックデザインベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開。

目次

1.デザインにおける書体位置づけ

2.ブランディングという仕事書体の選定

3.色部さんのデザイン書体実例

4.MORISAWA PASSPORT推しフォント

1.デザインにおける書体位置づけ

ブランディングサイン計画を中心にデザインを手がける色部さん。

個性も違えば役割も異なる、多種多様仕事のなかで、文字書体はどういった働きをするものと捉えて取り組んでいるのでしょうか。 web

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いま、私たち情報の多くを文字から受け取っていますメディアの中心が印刷物からスクリーンに変わってもなお、文字コミュニケーションひとつの要であることは変わりません。

「My MORISAWA PASSPORT わたしの“推しフォント」では、さまざまなジャンルデザイン、その第一線で活躍するデザイナーに、文字フォントデザインワークのなかでどのように位置づけ、どのような意図・考えで書体選択しているのかをインタビュー。あわせて、「MORISAWA PASSPORT」“推しフォントを紹介いただきます

第1回は、グラフィックデザインベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開する色部義昭さんにお話を伺いました。

画像1

色部義昭

グラフィックデザイナー株式会社日本デザインセンター取締役

東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了後、株式会社日本デザインセンター入社2011年より色部デザイン研究所主宰

主な仕事Osaka MetroCI国立公園ブランディング市原湖畔美術館須賀川市交流センターtetteなどのVIサイン計画からパッケージ展覧会デザインまで、グラフィックデザインベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開。

目次

1.デザインにおける書体位置づけ

2.ブランディングという仕事書体の選定

3.色部さんのデザイン書体実例

4.MORISAWA PASSPORT推しフォント

1.デザインにおける書体位置づけ

ブランディングサイン計画を中心にデザインを手がける色部さん。

個性も違えば役割も異なる、多種多様仕事のなかで、文字書体はどういった働きをするものと捉えて取り組んでいるのでしょうか。

「私は文字を素材と捉えて使っています文字情報というのはあらゆるコミュニケーションに使われるものなので、あるブランドのための書体ひとつ選んだら、目に見える部分以外の情報も発信していくことができます

たとえば、ブランドが人の身体だとしたら、書体血液のようなもので、ブランドの隅々にまで意思フィロソフィーといったものを循環させていくことができる。書体はそういった要素を担っている重要な素材だと思っています

2.ブランディングという仕事書体の選定

目に見える部分以外の情報も担う書体。それはつまりブランドメッセージをより正確に、ふさわしいトーンで伝えるための役割書体に持たせているということになります

こうしたとき、色部さんはどのような視点プロセス書体を選んでいくのでしょうか。

書体を選ぶときは、ロゴなどが決まっていればそれと同調する書体にするかコントラストのつく書体にするかで考えます。先に書体から考えていくような場合は、施設や部屋の名前といった大事ワード候補になる書体で打って、イメージに近いトーのもの比較していきます

書体を選ぶ基準というのはプロジェクトごとに異なりますが、書体を選ぶことは自分デザインのなかで楽しみな部分ではありますクライアントブランドにはそれぞれの個性がありますから、それを見極めて書体を選び抜くことが大切です。理想的にはプロジェクトごとに、毎回、違う書体を使いたいと思っています

書体が決まった後は、それをターゲットイメージに合わせて、どう組むか、レイアウトするか、アレンジするかを考えていきます。ただ、このときタイプデザイナーによって作られた書体自分なりにどう活かして使っていこうか、楽しんでいる部分もありますね」

ブランド血液”としての書体。多くのメディアにそのフィロソフィーを浸透させるためにはいま、フォントとしての文字は欠かせないものになっています

ロゴは点として存在するものですが、書体は線になり面を構成するものとなるものです。

MORISAWA PASSPORTTypeSquareのように、デスクトップ用のフォントからWebフォントまで、共通フォントが使えることで、サインからWebまで同じトーンで展開できるということは大事な要素だと思っています

使いやす書体をあらかじめ決めておくとか、いい書体、悪い書体という判断自分なかには持ってはいません。ブランディングではクライアント個性プロジェクト性格に最適な素材であるかどうかが最も重要だと考えています

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2020-11-11

anond:20201111171250

本当に現在パーソナルカラー診断が正しいならアートだろうがグラフィックデザインだろうがインダストリアルデザインだろうが「すべての色はブルーベースイエローベースに大別できて…」ってところから始まっとるわな。

2020-08-08

anond:20200808171939

グラフィックデザインは100点満点中4点を目指して, 明後日を目処に完成しよう.

出たらおれが遊ぶ. 200円なら払う. 感想も400字くらいなら書く. がんばって.

2020-06-12

創英角ポップ体

創英角ポップ体を不必要disる人多すぎやしないですかい

予算で見やすく印象に残る強調をしたいときはこれが一番でしょう、印象に残るからこそ知名度高いわけで

ただ、低予算ということはまともなデザイナーに頼んでないということなので、デザイン(ここでのデザインとはグラフィックデザインだけを指すものではない)技量の無い人が作るからクソになりがちということであって

適切に使われてる創英角ポップ体だってあります

とはいえ能勢電鉄ロゴは「ええんかそれで・・・」と思う

2020-06-05

プロダクトデザイナーグラフィックデザインをさせてはいけない

逆もまたしかり。

デザイン」とひとくくりにされがちだけど、

畑が全く違うのである

佐藤ナオキ氏のサイト作品を見てもらうと分かるように、プロダクト作品10ページに渡っているのに対して、グラフィックは2ページだ。

その道のプロではないのだ。

パッケージデザイン作品もあるけれど、今回の件と同じく分かりにくいものが目につく。

佐藤ナオキ氏(というかnendo自体)はプロダクトデザインの人、という印象だったので、今回の件はちょっとびっくりした。

例が1つしか示せないのが申し訳ないけど(しかも何年も前のことを未だに言ってて二重にごめん)、セブンイレブンのクソ分かりにくいコーヒーのやつのデザインは、佐藤可士和氏。グラフィックデザイナーです。

あれはプロダクトデザイナーに発注した方がよかった。

あとなんかのブコメで「最終決定はクライアントなので氏を責めるべきではない」というのがあった。

これは一概にそうとは言えなくて、クライアントは言うてもデザイン素人なので、ようわからんが有名な人が良いというんだから良いんだろう、という判断をしてしまうことはある。

クライアントが船頭になって道を誤ってしまうことはよくあるが、今回のは違うと思う。

(だからといって本人の私邸を晒して叩くは間違ってる)

なんせ素晴らしいプロダクトをたくさん作ってる人なので、本来土俵じゃないとこでこんな結果になってしまったのはなんとなく悲しい。

2019-11-21

最近興味があってずっとYouTube心霊写真紹介動画を見てる

動画の中で、ここに顔がありますね、とかここが目でここが鼻で〜とか説明があるんだけど、

言われたらそうかなというレベルなのが多くて、特に初見では全然からないものが多い

ふだんはグラフィックデザイン仕事してて、そういうわずかな違いなどに人一倍敏感だと思ってたけど、まったくわからなくて自信なくなりつつある

2019-11-18

街中で度々、偶然に出会青年がいる。彼とは行動する時間場所たまたま近いらしい。彼は僕がその昔飲食チェーン店社員をやっていた頃アルバイトで来ていて、当時高校生だった。彼は性格の良い人物笑顔も爽やかで人気があった。

僕は現在飲食チェーンは辞め、しがない中小広告代理店グラフィックデザインをしている。もともと接客は得意では無かったので現在の職は性に合っていると思うが、給料はかつての3分の2程になり、昇給も見込めないまま10年が過ぎた。

彼とは年に数度偶然出会う。僕はいつも気がつかないのだが、彼が声をかけてくれる。連絡先も一応交換したが連絡を交わしたことはない。また会うだろうと言う事で。

彼は会うたびに変化している。最初就職したてだった。次には独立していた。次には彼女がいて、さらにその次には彼女結婚して子供がいた。

昨日会った時には白髪が混じっていた。まだ30代なのだが、おそらくもう禿げないというサインだろうから羨ましいよ、と僕は薄くなり始めた頭を触りながら言った。

僕は婚活をしているが上手くいかない。カップルになって連絡先を交換するところまでは何度か行ったが、その後がどうしても続かないのだ。

色々人に言えない問題も抱えているだろうが、僕には彼は幸せそうに見える。自分には何もない。しかし、彼の事が羨ましいというよりは、自分がこんなに何も変化がなくて恥ずかしいという思いの方が強い。

次に彼に会う時もおそらく僕は今のままだろう。ただ緩やかに歳を重ねて老いてゆくのみだ。

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-09-21

ポケモン一生懸命できるなら大丈夫

私の友人にポケモンゲームが大好きで、小学生ときから新作が出るたびに購入して、ゲームをただ殿堂入り?までやるだけではなく、ちゃんとその後もポケモンを厳選して育て続けたり、必死に貯めたお小遣いで(比較お金に厳しいお家であんまりお小遣いは貰えなかったそうだ)みなとみらいにあったポケモンセンターの大会に赴いて出場したり、通信大人と競いあってより強くなるといったようにゲームをやりきる子がいた。彼女と私は高校の1年生の時に知り合った。

彼女と私はお互いに勉強が苦手だった。お互いに運動も大の苦手だった。

お互い推薦入試特に努力せずに入学したこと、お互いに成績がずっと悪かったこともありなんとなく私は「こいつも私と同じで腑抜けダメ人間なんじゃないか?」という仲間意識をこっそり持っていた。

彼女イラストを描くのが好きで、ある時期から楽しそうに授業中ずーっとイラストを描きはじめた。

私は同胞だと思っていた彼女が、何かに一生懸命になれるようなものにハマったのが羨ましくて、なぜか嫉妬みたいな気持ちもあって、「私もやってやろう」と思って夜にコソコソ一人でノートイラスト描き始めた。それがキッカケで、勉強が嫌だったこともあり、「そうだ!私イラスト楽しく描いてるし美大行きたいかも」と思って、親に頼んで2年生から美大に行かせてもらうために美大予備校に通わせてもらった。

彼女は2年も3年も授業中ずーっとイラストを描いていた、彼女は私より大幅に遅れて3年の10月から美大受験対策を始めた。イラストを描きまくっていたおかげか1年以上予備校通ってた私よりもその時点での初めてのデッサンが上手かった。

私は倍率の高いグラフィックデザイン科に行きたかったが、難しそうなので3年に上がるタイミングであっさりとその進路を諦めて、推薦入試で入りやす空間デザインファッションデザイン系の学科に志望を変更して、その後推薦入試でそこそこの大学にあっさりと合格した。

彼女10月からという短いスパンで、且つ予備校等に通っていなかったにも関わらず、学校美術先生に面倒を見てもらって、必死デッサンや色彩構成をやりまくり名門美大グラフィックデザイン系の高倍率の学科合格した。

から知ったことだが、彼女高校を推薦入試ではなく一般で滑り止めとして合格していて、本当は公立もっと偏差値が高い進学校にに行きたかったらしい。なんとなく恥ずかしくて推薦入試で入ったことにしていたそうだ。

もともと腑抜けな私と違い、彼女第一志望に落ちたショックで一時的腑抜けになってただけで、目標をみつけたらそれに対してガツガツ努力できるポテンシャルの持ち主だった。

あれから3年くらい経つけど、彼女大学に入ってから同人作家デビューをしたり、趣味バイクに乗るためにバイト代を貯めて二輪の免許を取りに行ったりと精力的に動いている。

私はというと課題でそこそこの製作をするだけで、特に趣味活動等はできてない。土日はせいぜい展覧会に行くくらいで、大体は彼氏友達と遊んで終わりであるイラスト描くのもとっくにやめた。

時々、彼女のことを考えるたびに、彼女ポケモンが好きなこともセットで思い出す。同時に、「そういえば私小さい頃からポケモン殿堂入りしたらもう見向きもしなかったなぁ」ということも思い出す。

もし、「ウチの子ポケモンばっかりやってて、将来どうなるか心配」という親御さんがいるなら声を大にして言いたい。

ポケモンゲーム一生懸命できるなら大丈夫だ」

ポケモン一生懸命できる子は、将来的になんでも頑張れる人になるだろう。

逆にポケモンすらすぐに飽きる子供は、私みたいになるかもねー

2018-07-05

映像編集とかグラフィックデザインやったりとか絵描いたりとか文字書きしたりとかミニアニメーション作ったりとかやりたいことやってたら、知人に「(将来)なにがやりたいの?」って言われてな、え、いまやりたいことやってるんだけどってそのときは思ったのだけど、将来、将来ねぇっ~ー。えーー、てかこれ、一つを専門にして仕事を食べていかなくてはと周りからの圧がすごいのでは。すごい。

複数やってるけど、どれを中心にやるの?って圧があって、え、なにこれ、一つ選ばなきゃいけない系?複数やっちゃダメなの?って。

相談したいけどさ、相手の目が恐いか相談できない。あのこっちを探る目がほんとに苦手で、探る目的わたしを知ることじゃなくて、わたし丸め込むためにはどうすればいいかを探っている目だからむり……

2018-04-10

見た目

HTMLを書くとこからはじめたようなウェブデザイナーが見た目だけじゃないとかいってるの、その理屈ビジネス大事であるからみたいなかんじで、それはそれでわかるんだけど、最近ちゃんグラフィックデザインを学んできたデザイナーウェブに取り組み始めてる状況の中で、彼らには勝てないと思ってるんだろうななんて思ってしまった。ウェブも昔よりグラフィックデザインの力が求められるようになってきてると思うし、やっぱり見た目も大事だよ。グラフィックデザインをやってる人はやっぱり情報設計うまいと思うし。見る側の審美眼も鍛えられてきてる時代から、見た目以外が良くても見た目が良くなかったらやっぱり伝わんないよね。

2018-01-30

デザイン」という言葉

ずーっともやもやしていることなのだが、「デザイン」という言葉は、日本語だと、

グラフィックデザインなどの意味で使われることが多いが、

英語だと、設計意味で見かけることが多いため、単に「デザイン」と標記されると、

どちらのことかわかりづらく、文中での用語の使い方も含め、いつももやもやする。

例えば、今朝目についた記事では下記。

スタートアップデザイン責任者がやるべきことまとめ

https://note.mu/tsubotax/n/n8f8b8d76f575

タイトルからして、もやもや爆裂だ。

記事を開くまで、何の話が展開されるのか、私にはわからなかった。

また、少し読みはじめて、「デザインマネージャー」、「サービスデザイン責任者」、「デザイン責任者」などの用語が出て来る。

サービスデザイン責任者」はわかる。

では、「デザイン責任者」とは一体何なのか(汗

尚、上記たまたま今日目についたので挙げただけであり、それ以上の意味はないです。

(楽しく読ませていただきました)

絵を描くのを諦めきれず出戻ってきた話

1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。

絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、

最近になってまた戻ってきた話をします。

せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます

しかすると1990年生まれで2002年あたりから

ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。

しかすると、知り合いだったかもしれません。

アイデンティティが「絵を描くこと」になった幼少期

物心いたこから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に

「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。

それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、

自分=絵を描く人間だという自己イメージ自身の中で確実なものとして定着していました。

幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール

赤ずきんチャチャ折原みと先生漫画くりた陸先生漫画をこよなく愛し、

よく真似て絵を描いていた小学校低学年。

高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、

その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。

ちょうど6年生になったあたりのころから

インターネットが家庭に手軽なものとして普及してきて、

自分イラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。

あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。

そこにはたくさんの同世代イラスト趣味とする子たちが集まっていて、

同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)

ネット上の友達ができたのもふみコミュのおかげ。

ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、

本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。

上手い人が降臨するともう大人気でコメント欄は大賑わい。

私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。

そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。

劣等感が現れ始める中学校時代

中学校に上がるとドラゴンボールに大ハマりして、

ドラゴンボールファンサイト管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、

毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。

ファンサイトの中でも特に人気だったサイトがあり、

そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。

チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、

その時に人生で一番画力が上がったように思います

二次創作ドラゴンボールにどっぷりでしたが、

一方で「9091P」という1990年生まれ絵描きを集めた同盟が立ち上がり、

同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。

その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と

劣等感が湧き上がるようになってきたと思います

しかったコミュニティもいつか衰退し、

中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。

いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。

同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?

そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います

課題のための絵しか描かなくなった高校時代

絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校美術を専門とした学校へ進学。

デッサン油絵、水彩、彫刻プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。

課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生から評価も高いのだけど、

その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。

それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…

わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、

なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。

課題はいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。

同人活動で売れ始めた人。

絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。

成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。

でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。

絵の話だけするのはつまらなかった。

恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分からか?

そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか

一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。

自分は違う」。「自分は比べられる土俵そもそもいない」。

仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、

でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?

ネット上では自分リア充的な側面は一切見えないために、

気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。

物作りを職業にするため、グラフィックデザインの道へ

相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、

「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京美大デザインを学ぼう。」と思い、

頑張って受験し、一浪の末美大進学を果たします。

絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと

点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います

自主制作はもはや高校時代にはほぼしなくなっていたため、

絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。

デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。

ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。

デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。

でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。

付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、

そもそも大学研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間評価すらされない。当たり前のことですが。

そして最終的には就活で完全につまづき、希望企業には就職できず、

かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています

もうコミュニケーション手段として、絵はいらないのかもしれない

書きたい絵なんてのはもともとなかった。

誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。

誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、

コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、

劣等感けが募る毎日になってしまった。

私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか

新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。

なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?

物作りから離れることは、自分人生否定すること、アイデンティティ崩壊することという思い込みが、

未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。

やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、

これから人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。

どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。

から、一旦最後区切りとして、ちゃんと絵を描いてみよう。その取り組みを、今年は頑張りたいと思っています

2018-01-04

anond:20180104034716

アニメ専門学校へ来る奴らで本気でアニメーターになりたい奴はほんの一部

アニメに興味があるから」程度でアニメ系の学科へ進んでる

大学へ行ってまで勉強したくないけど就職もしたくない」ってのが専門学校を選んだ理由だしな

イラストがすきな奴はグラフィックデザイン系の学科へ進むけど

印刷会社オペレーターとかWebデザイナーになれれば良い方

2017-11-14

CSS設計云々言えるのは恵まれ環境いるからだろ

Web制作において持論がある。CSS設計云々で議論できるのはまともな営業が居てまともなクライアントをつかまえてきてまともに意見を言えるからだ、そうでなければCSS設計云々は話にならない、お話にならない。

OOCSSにBEMにSMACCS、そんなもんできるかよ。クソみたいな、デザイン破壊する修正が大量に来て統一性もなにもあったもんじゃないし、セマンティック? 知るかくたばれ。アニメーションすらバラバラ指定されてっからAnimate.cssすら使えねえ。そもそも統一させてもらえないかクラス意味ほとんどねえ、全部IDでも変わんねーよ。

頑張ったよ。SASSで綺麗に書こうとしたし、Smartyみてーなテンプレートエンジン効率良いってのも分かってるよ。でもヘッダーすら変えろとか言われたらどこを共通化すればいいんだよ。

俺は確信した。Bootstrapの"mt-2"とか"display-inline-block"みたいにクラスを付けてってそれにスタイル適用してくのが正解だって。ってかBootstrapクラスばっかりでスタイル作ってる。だってクラス見るだけでスタイルが分かるし、共通化は一切されてねーからな。

あいつら、グラフィックデザインと同じだと考えてやがる、くたばれ。ポスターじゃねーんだよ。

俺はもう闇のWeb製作者になり客にはバキバキに嘘をつくようになった。SEOがだとかデバイス保有率のデータだかなんかを持ち出して出来るだけ頑張らなくて良いサイトを作る。だって頑張ったってそれはカオスを作るだけの技術が上がるだけでコーディング技術が上がる訳じゃ無いからな。

かと言って外注に出したらクソみたいに思いCSSフレームワーク使ったサイトが上がってくる、くたばれ。しかグリッドシステムぐらいしか使ってねーじゃねーか、skeletonでも使っとけ、ふざけんな。

おかげで俺は毎日Web2.0的なデザインレスポンシブ対応が混合した、パラレルワールドみたいなサイトを作ってる、スチームパンクだろ、お前営業やめろよ。単価安いんだよ。俺が営業行くから。元営業からお前より喋れるから

とにかくモジュール化だとかクラス命名手法だとか議論出来るお前らは幸運だ。全部の国がそれぞれ違う大陸にいるようなもんだ、クラスいらないからな。誰かWebpackであいつらの前頭葉をパッキングしてくれよ。

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