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はてなキーワード: 動機付けとは

2020-05-29

anond:20200528154359

これは元増田さんへの返信というより、私の抱えている「腐女子全般への偏見告白なんだけど、「夢」への抵抗感は、自己評価の低さが鍵になっているんじゃないかな、と。もっと言えば心理的安全性に関する事柄にも思える。

 

すでにブコメid:kemononekoさんがそれに類することを述べているので当該箇所を引用しておく。

(略)自分評価対象になることを無意識的に嫌がって避けてる。

私もこのブコメと同じような見解を抱いており、以下はそれに基づいて綴る。強い言い方をするなら「下衆の勘繰り」なので不快にさせかねないことをあらかじめ申し添えておく。

 

元増田さんは二次創作において主人公としてふるまうオリジナルキャラクターについて、

オリキャラは完成された物語世界に介入する異物

であるとして、ゆえに違和感を感じるという。

一見もっともな理由だ。しか腐女子向けの二次創作ではしばしば公式には明示されていない、「特定キャラクター同士の関係性」が描写される。厳密に言えば、これも完成された世界に介入する異物といえそうだ。もちろん「新しいキャラクター」と「新しい関係性」は別物だ。ここではむしろ、前者に強い抵抗感を示しつつ、後者は受容している点に注目するべきだろう。大仰に述べたが、新しいキャラクターは当然その人物自体評価対象になるが、新しい関係性の導入にはその恐れがない、ということだ。

 

つぎに、作中における主人公描写について、

外見の描写があれば自分ではないと思って楽しめる。主人公一人称視点漫画とかは苦手かもしれない。

と述べ、さら物語を受容する自身立ち位置については、

登場キャラクター自分好意を持たれるというシチュエーションに耐性がない。

自分物語の外側にいる観測者でありたい。

と述べる。

これらはすべて、自分自身評価対象となることを避けようとする傾向の表れに見える。

 

元増田さんは、腐女子と夢女子の傾向の違いを

物語を外から見る人、内から見る人。

であると述べる。その見解否定したいわけではない。むしろ同意する。これはその背景にあるものについての見解、というより偏見告白だ。

 

さらに続けると、「本題」は、元増田さんの友人の親子のエピソードであるという。これも自己評価心理的安全性にかかわる事柄みえる。小学生である子供が「オリジナルセリフ」を考えることを拒否した理由は、

友人が既に声掛けしているか自分はい

というものだった。もしこの子供の言葉課題を避けるための言い訳ではなく真に心からのそれである仮定し、その心情をやや大げさに解釈するなら、「すでに親友がなぐさめているにもかかわらずさして仲が良いわけでもないのにしゃしゃり出てわかったような口をきいて二人の間に入り込む」ことを恥じている、といえそうだ。これは「物語を外から見ている」のではなく、むしろ自分自身を「物語の中に置いている」視点だ。

 

では逆に、課題を避けるための言い訳としてみるとどうだろうか。これは親子間の心理的安全性担保されておらず、「自分の考えたセリフ評価対象になること」を恐れているように見える。親の望む答を用意できない、あるいは、自身の答えが親から評価されなかったとき、子は自尊心を傷つけられたと感じるだろう。そのリスクが不当に大きく感じられている、つまり心理的安全性が低い、とも、そのリスクを冒してでも答えようと決意する動機付けがなかったとも言えるだろう。

 

ここまで遠慮なくつらつらと書いてきたが、元増田には他者の心の中の在りようを断定できるほどの要素は含まれていないと思う。結局のところ、「腐女子には自信がないんだろう」という偏見告白であり、私の心理元増田さんやその友人の子供に投影したものだ。

2020-05-05

メイド喫茶がただのチャットレディになってた

コロナ前に通ってたメイド喫茶ビデオチャットを始めた。

最初にうちは雑談とかyoutuber的なノリで投げ銭程度で健全だった。

俺も谷間のある服とか色っぽい発言ができたら動機付けのために投げ銭する程度だったんだけど、運営側が途中から味を占めたのか個室チャットサービスも始めた。

一定金額で一対一でチャットできるようなやつ。

○○ちゃんサービスがいいとかXXは愛想だけで金払う価値ないとかがツイッター掲示板で書かれるようになった。

メイドといったって結局風俗嬢なのは理解してたけどこんなにあからさまなのはちょっとひいた。

コロナ云々以前に汚い世界に通ってたんだなってことが可視化されたのと、かわいい素直な子たちだと思ってたのを裏切られた気持ちで悔しくて仕方ない。

2020-04-30

anond:20200430030545

まずこれは生放送トークであること

リスナーからの突発的な質問に対してその場の瞬発力で今風俗に行かない動機付けを上手いこと言ったつもりの発言であること

そこをまず汲んでやってほしい

そのとっさにうまく言ったつもりの発言の中で重要な部分に思慮が足りなかったことを

人格邪悪さに結び付けないでほしい

2020-03-16

西側諸国中国ワクチン開発で先を越されてはいけない

COVID-19という嫌らしい感染症は、ワクチンを使った集団免疫に頼らないと抑え込むことは難しいようだ。関連する科学者たちは全力を挙げてワクチン開発に取り組んでいることだろう。「SARSMERSですらまだ有効ワクチンがないのにそう簡単にできるわけがない」という悲観論もあるが、CRYSPR-Cas9などの遺伝子編集技術といった、当時は確立していなかったツールもあることだし、ワクチンの近い将来の開発・実用化には楽観的見通しを私は持っている。

ただ問題は、「誰が最初に開発するか」である

SARSMERSは抑え込みに概ね成功したこともあり、ワクチン開発にリソースをつぎ込み続ける動機付けにはならなかったと想像するが、現時点でCOVID-19ワクチン開発に多くのリソースを注ぎ込む動機があり、しかも実際そのリソースがあり、対象とする検体を最も保有するところはどこかというと、言うまでもなく中国であるワクチン開発には人体への影響を調べるための多段階の試験必要となるが、武漢で不足するインフラ労働者としてウィグル人を送り込んでいるという不確定情報もあり、中国なら彼らを使った人体実験もやりかねない。そもそもCRYSPR-Cas9を世界で初めて人体実験した国であるワクチン開発加速のためのとんでもないリソースを持っているのである

さて、COVID-19ワクチン中国世界に先駆けて開発・実用化するとどうなるか。その化学構造製造方法世界各国で特許取得すれば、中国製造したワクチン(またはライセンス製造させたワクチン)を、中国意向に逆らう国に使わせないようにすることは、法治主義に則る西側諸国実施することは簡単だ。つまり中国に逆らうとワクチンが使えないのだ。想像するだけで恐ろしい未来ではないか

数日前、「オランダ科学者世界で初めてCOVID-19の抗体を分離識別した」とのニュースが流れたが、なんだか白々しいと思わないか武漢であれだけ多くの症例経験した中国科学者たちが、まだ抗体を見つけていないはずがない。発表が禁じられているだけだ。ワクチン開発も、二歩も三歩も進んでいるはずだが、中国にとっては軍事機密と同じ扱いなのだ。決して明るみに出ることはあるまい。

愚かな私は今朝になってようやくこのことに気づいたが、このことに気づいた世界の賢人たちは既にたくさんいることだろう。ビル・ゲイツマイクロソフトを放り出して自身財団業務に専念するのも、おそらくワクチン開発で中国西側特許を取らせないために違いない。

これは戦争だ。人類未来のために、中国支配される暗い未来から逃れるために、西側ワクチン開発の科学者たちには全力で頑張ってもらいたい。たとえワクチン開発では先を越されても、せめて特許だけは回避できるよう、一矢報いてほしい。

追記

もしかして人体実験で得られた知見では特許は認めないという条項があるのか?詳しい人がいたら教えてほしい。一条の光となるかも。

2020-01-21

anond:20200121015737

内発的動機付けと外発的動機付けはその後の行動が違う。

外発的動機付け道徳を教えれば、点や金がないならその行為をしなくなる。

まぁ子供舐めるなって言うのが反論かもしれないけど。

戦争でそんな外発的動機付けばかり持ったが故に、残虐行為を平気で行う人がいたって話をきくと、これじゃだめなのかなって思った。

2019-12-02

努力も才能という言葉

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20191201/1575181566


俺はこの件について最近よく考える。

きっかけは増田なんかで「努力すればちょっとこのとならできるんじゃない?」というようなことを言うと、激しい人格攻撃を受けることが数度あったことだ。

それはどう言うことなんだろう、と考えていて、全く別件の個人的かつ趣味的な勉強で、自己効力理論動機付け研究の本を読んで、ある程度「こうではないだろうか」「こうとらえ直したほうが、自己人生をやや豊かにできるのではないだろうか」という自分なりの捉え方をできたので言ってみる。


自己効力理論というのは、ある行為に当たる際に、「できるかもしれない」と漠然と思う感覚、「自己効力感」についての理論だ。

まずある行為が失敗におよんだとき、あらかじめ自己効力感が高い人と低い人では、「何に原因があったか」に対する捉え方が違いがちだという。

高い人は概ね「努力が足りなかった」「思慮が足りなかった」「状況が悪かった」など、「その時点の自己選択」や「自分の外」に結果を求める。

対して、低い人は「自分能力がなかった」「才能がなかった」と、「自分本質」や「自己の内側」に結果を求めがちだ。


大きく違うのは、高い人の理解というのは、「自己が違う選択をしたり、違う状況なら結果は変わる」と考えていることで、低い人の理解は「自己自己である限り簡単に結果は変わらない」と考えているということだ。


思わしくない結果に直面した時、自己自尊心を守るために状況に働きかけることが「一時コントロール」、自己の捉え方を変えて受け入れるのが「二時コントロール」という。

自己の内側」に結果を求め、「仕方ない」と自尊心を守るのは「二時コントロール戦略といえる。


さて、動機付け研究においては、自分が状況に働きかけて、状況を変えうるというのは「有能感」とよばれ、この「有能感」に関連して、有能さがどのようなものかの信念に個人差があるとされている。

知能に関してある信念である「暗黙の知能観」での個人差が「固定理論」と「増大理論」と呼ばれるもので、「固定理論」が「知能や有能さというのは生まれつきのもので、一生を通じて大きく変わらない」という信念で、「増大理論」が「知能や有能さというのは個人選択で変わりうる」というものだ。

大人になって人間は大きくは成長しないし性格も変わらない」と何度も何度もいうような人は「固定理論」をかなり強固に信じていると言える。


これらを振り返って「努力すればちょっとこのとならできるんじゃない?」と言ったら激しい攻撃を受けるというのはどういうことなのだろうと考える。

仮説はこうだ。

この言葉カウンターの一撃を食らわせたい人は、いつかかけられるかもしれない、この言葉自己への脅威だと感じている。

なぜ脅威なのか、自尊心を脅かすからだ、自尊心を守りたい。

なぜ自尊心が傷つくのか、かつてうまく状況をコントロールできなかったからだ。

状況をコントロールできなかったのは、自分努力できなかったという認識記憶があるからだ。

ではなぜ努力できなかったのか。

この言葉に傷つく人は、「固定理論」を信じ、「自己効力感」も低い状態にあり、失敗した原因を「遥か昔から変わらない、これからも大きく変わらない自分が故に失敗した」と思っているからだ。


そこに「努力すればちょっとこのとならできるんじゃない?」という奴が実際にあらわれる。

その言葉をかけてきた人は、自分の中にある「固定理論」に基づき、「努力がもともとできた人」「努力の才能を与えられた人」だ。

そして、「自分が勝ち取ったわけでもない与えられたギフトの結果で成功しているのに、それを無自覚で、ギフトを与えられてない自分に対して無理を強いてくる、そしていつか平気で自分尊厳を踏みつけるだろう」「与えられたものであるお前にはその資格がない」「そんな不公平な言説がはびこる世は正義に反する」と考える。

から大いなる怒りと正義感をもって攻撃する。

攻撃する正当な理由資格大義自分にはある。


ここで話を変えて、俺が「固定理論」と「増大理論」のどちらを信じているかというのをいうと、IQなんかは遺伝性質が大きいことは知っている。

性格もある程度遺伝やすく、性格の一つの「誠実性」というのは、「物事をコツコツやるのを好む性質」をさしていて、となると、ある程度「固定理論」も信じていると言える。

でも、行動を積み上げることで自己の知能や誠実性はもっと引き出せる、まだ自分の知らない自分はたくさんあると考えており、「増大理論」も信じていると言える。


でさあ、「努力」に対してどういう態度でのほうがいい気分でいられるかなんだけどさあ、「努力の才能」ってことをあんまり「間違いない世界観」として捉えるってさあ、まああると思うよ、そういうやついるもん。

でもね、それってもし状況が整わず自分努力できずに失敗した時に、「遥か昔から変わらない、これからも大きく変わらない努力できない自分が故に失敗した」「そんな自分からこれから先も努力不足故に失敗する」ってことになるじゃん。

あんま気分よくなくない?それ?

それに「努力の才能」っていう「固定理論」をあまりに強固に信じてると、失敗も怖くなんのよ。

なんでかっていうとさ、失敗しちゃった時その失敗をどう捉えるかでさ、「自分能力性質も大きく変わらない」って思うと、「失敗は自分が失敗してしまうことを知った」「自分無能証明された」ってことになんのね。

そうすると、誰でも自尊心は守りたいからさ、やんなくなんのね、いろんなこと。

そうすると、自分生活ってあんまり変わらない、外の状況が変わる以外で自分人生変わんないってなるじゃん。

状況の力は強いけど、自分が動くことどんどん少なくなっていったら、変わる可能性減るじゃん。

そこは「増大理論」だと失敗しても「今日は失敗したな、失敗するやり方がわかったか成功ちょっと近づいたかもな」ってなるのよ。


別に努力の才能」が実際あっても構わないけどさ、それはそれとして、「今日は結果が出なかったけど、まあ別の方法ならいけるかもな」って思ってさ、ちょっとの1日5分とかの努力ならしてみようぜ、ちょっとだけ明日自分生活がよくなるかもしれないじゃん。

失敗しても、そういう時もあるしさ、だいたい、隣の奴が努力の才能に恵まれてて、自分がそうじゃなかったとして、他人努力成功してもお前の人生が下がるわけじゃないじゃん、他人成功なんかどうでもいいよ、お前はお前の人生だけちょっとよくすること考えればいいじゃん。


ってね、そう思うの。

から、「努力の才能」って言葉あんま使いすぎるの自分を追い詰めるんじゃないの?

って、思うよ、俺。

2019-11-12

語学学習の基本その4

https://anond.hatelabo.jp/20190815122152

言葉を学ぶ動機

https://www.youtube.com/watch?v=VGsay2fmw50

youtube言葉を学ぶのに本当に素晴らしいツールだ。

語学学習目的としたyoutuberは山ほどいるが、ときとして彼らは本音を語る。

一体なぜ、私たちは、自分の国以外の言葉を学ぼうとするんだろうと。

このyoutuberは、イタリア語との私というテーマで熱く語っているのだが、共感してやまない。

自分のことを思い出していた。

タイ駐在時代に、タイ語の日常会話があっという間に身についたのは

彼女と話をしたかたからだ。

そして10年たち、今に至るまでタイ語を忘れずにいるのは、それが彼女との思い出の一部だからだ。

言葉を学ぶときに、もっと重要なのは動機付けだ。

その国の言葉がわかることの喜びだ。

これは間違いない。

2019-11-09

三歩進んで二歩下がる。

下がるのも能力

合意してないことを強引に進めるけがをするよ。

動機付けに失敗したら、潔くひくのも大切なこと

お互い様すぎて普通は口に出さないだけのことを平気でいってくる奴とか。

喧嘩はするな。静かに立ち去れ。

2019-11-07

anond:20191105034437

https://anond.hatelabo.jp/20191105010524 の記事を書いた増田です。

たくさんの方に読んでもらえて驚きました。ちょいと遅いですが追記です。

一度は途中投稿してしまい恥ずかしくて投稿を消そうと躍起になったのですが、編集方法を教えてくれた優しい人がいたので頑張って続きを書かねばという気持ちになれました。

恥ずかしがらずに最後まで書いてよかったです。

わりに笑わせるつもりで書いたのに泣いたとおっしゃる方がいたことに驚きました。

みんなゲーム大好きなんだな。

読んでくださった方、コメント残してくれた方に感謝

いくつか返信が必要そうなブコメがあったので追記させていただきます

ゲーム会社のことが結局どこにも書いてなかった

釣ってしまったならごめん。

目的は(トップブコメにあるように)ゲームナラティブ性について語りたかったんだ。

元増田に対して「ゲーム」がその後、業界にまで入ろうとした強い動機付けを起こさせてるんだぜっていう本文の補強のつもりだったんだけど、

入った会社クーロンズゲートコンシューマーとは関連の弱いところだったからそれを書くと主軸がぶれるし内容が個人的ものになりすぎると思ったんで省いてしまった。

そこからめくるめく是空クーロンズゲートを作ったところ)のスタッフになった話でもかけたらよかったんだけど、

私が就活をする頃には当時のスタッフはみなゲーム開発から離れてしまっていた。

とはいえクーロンズゲートが発売して1~2年くらいはスタッフ公式サイトチャットによくログインしていて、私とよく話をしてくれた。(古き良きインターネッツ

当時のハンドルを書けば誰か私を覚えていてくれる人がいるんじゃないかと期待してしまうが、きっと覚えてもらえてないだろう。

■妄人増田

シテ…コロシテ……

■「○○が信じられない」みたいな人はわかる気がないので無駄

そうだろうか?

私は元増田のものの書き方に覚えがある。

理解する気はないけど、ほんとに少しでも私を説得できるならしてみろよという気持ちを感じた。

みんなが楽しんでるもの理解できないつらさってあるとおもう。

CSゲーマーソシャゲのことを「ゲームじゃない」と思いがちな理由ひとつかもなと思った

そう思う人がいるなら残念だ。

プレイヤーアクションを起こすことで微々たることでも自分だけの世界(もしくは思い入れというもの)が構築されるのであればそれはゲームだと個人的には思う。

でもあえて言うならソシャゲ黎明期のころ、ほとんどのソシャゲ会社ゲームが好きだからではなくお金が儲かるから参入した所が多かったのが残念に思う。

ゲームのゲの字も通過してきていない、それこそ時間無駄と思ってるデザイナー

なんとなく居場所を求めてたどり着いた先のソシャゲ会社で怒鳴り散らしているを見てきたけど、とても下に就きたいとは思わなかったな。

特に、内心ユーザー馬鹿・金づるだと思ってる開発者の下にはね。

■この増田は今の香港が どう見えるのだろう?

終わりの見えない泥沼化になっており本当に残念だ。

九龍城塞をはじめ、香港歴史的にずっと領土争い自治権争いの先端にいる。気の毒だ。

香港はそこに住んでいる人たちのものだ。どうかなるべく怪我人が出ませんように……。

■兄です。

オトンの補聴器の金を出してくれ。

ウィッチャー 3、VA-11 HALL-A

オッケーありがとう。やる保証はないけどメモった。

クーロンズゲートRPG

クーロンズゲートアドベンチャーゲーム公式)だよ

あと、やはりというかクーロンズゲートを知っている人がほんとに少なくて笑いました。

そうかぁ。残念。

もはやあれをプレイできる環境にいる人も少ないと思うので、プレイ実況を探してみてください。

本当は実際にやってほしいけどね。プレイすることでアレを「構築」してしまったメタ的な絶望感を知ってほしい。

おっとこれ以上はネタバレか。

デスストをプレイしたらまたはてな感想でも投げにきますありがとう!!

2019-11-05

ヒロインが妹っての、「主人公ヒロインを大切にする自然動機付けになるが、恋愛関係には絶対にならない」と言う意味で腐に都合良い設定なんだよな

少年漫画なのにヒロイン的な存在なしは不自然、でも女との恋愛は入れたくない、ってなら身内にすると便利

・男に媚びた性格にすると女に嫌われる、かと言って女にウケる性格にすると男に人気出にくい

・弱くて足手まといになる女はウザいけど強すぎると主人公が食われる

ってのも「普段はあまり喋らずぼーっとしているけどいざとなると強い」で回避してる

いかにも女性作家作品って感じ

2019-10-31

anond:20191031035958

彼女とはお金でつながる関係でいたかった。

お互いの気持ちを曇らせるために。

3年間の赴任先から元の居場所に戻ったときに、

いろいろなものを捨てた。電話番号写真ももらった手縫いのマフラーも。

ただ彼女のためにつくったSNSアカウントだけは最後に残った。

開くまいと思いながら、数か月に一度、開いてしまう。

溢れるばかりのメッセージが目に飛び込む。

そのたびに笑顔絵文字だけ残してはそっとログアウトした。

やがて彼女メッセージの頻度は減っていった。そして返信もやめた。




あれから7年になる。

彼女からSNSメッセージは月一くらいのペースになった。

元気?

たったそれだけだ。恐らく彼女は、ときおりオンラインになっている俺をみつけては、

ひたすら返信を待ち、オフラインになって三日、一週間と経つのを眺めているんだろう。

俺が彼女にとって最後の男になってしまっているのだとすれば本当に切ないことだ。

しかし、俺にとってもまた、セックス特別ものになってしまっていることにうすうす気が付いていた。

見つめ合い、肩を抱き合うだけで浮遊する感覚になった。

彼女と長い時間かけて重ねた唇、時には激しく駅弁スタイルでしたとき滑る汗、あの日々を上回るセックスはもう人生経験することはできないだろう。

セックス一期一会だといった村西とおる言葉を思い出した。

その通りだった。

村西が愛した黒木香は今、一体どこで何をしているんだろう。

NETFLIXの「全裸監督」で描かれた黒木香は、虚実交えているだろうが、

ものすごいリアリティがあった。黒木母親役を演じた小雪存在感鳥肌ものだ。

・・せっかくしんみりとしたことを書こうと思っていたのに、だんだんズレてきた。

彼女駅弁したことを思い出したからだ。



駅弁といえば。。

全裸監督」は、今少しずつさまざなまレビューが出てきているが、

近年まれにみる傑作だ。

あの同世代を一歩遅れて歩んできた俺は、社会に出たときにはすでにバブル崩壊していた。

学生の頃に、友人が苦労して入手した流出裏ビデオがどういう経緯で世に出ていたのか、ドラマでは虚実交えて克明に描いていた。

また、ビデ倫の仕掛け、ヤクザの関わり方を生々しく描いており、80年代アダルトビデオ黎明期をここまでねちっこく映像化した作品は今まで存在しなかっただろう。

当時、やたらとモザイクが濃いものと薄消しのものがあって、なぜなのか、疑問にすら思わなかったが、「全裸監督」には、その答えが暗示されていた。

また、この作品再現された、当時の歌舞伎町舞台セットが素晴らしい。

とりわけ、村西率いる「サファイア映像」のスタッフ軍団が集うスタジオが興味深い。

スタジオの前に目に入ってくる、カレーの店タバサ看板。大量に麺類をつくっては、中華の回転円卓を囲んでスタッフ全員で豪快に食らうシーン。てんこ盛りのポテトサラダ。実にセンスがある。

昭和天皇崩御もまた印象的だ。

昭和平成のはざまの昭和63年暮れから昭和64年1月の冬の雰囲気

当時、警視庁わいせつ物の取り締まりを強化する流れに大きく動いていた。

日々の天皇の病状の深刻化が取り締まり強化の動機付けとして、象徴的に語られているのが技巧的だ。

リリー・フランキー演じる警視庁警部も味わい深い。

彼は業界の大物を通じて、すでにヤクザとズブズブになっていたが、警察幹部からは、ガサ入れの方針が打ち出される。

一方、黒木香は、こうして業界の闇が描かれながらも、後方馬群でひっそりと控えている差し馬のような存在感で、ドラマ前半で静かに描かれていた。

横浜国大に在学していた彼女は、イタリア留学を夢見ながら、母親から抑圧された存在として、じわりじわりとエネルギーをためてゆく。

そしてドラマの後半、一気にブレイクする。

この見せ方も圧巻だ。村西とおるへの思いがあって、あのパフォーマンスが生まれた、というのは、このドラマの村西と黒木に対する解釈であって、本当のところはわからない。

しかし、村西と黒木関係物語ものとして、ものすごい説得力を感じた。セックス一期一会といった村上の原点がここにあるんだろう。

ガチンコセックスに対するこだわりは、売れるからという動機を覆い隠してしまうほどに、リアリズムへの情熱であふれている。

シーズン2を撮影中のようだが、S1のこの完成度をしのげるかどうか。

そして、話題作になった今、黒木香本人はどういう思いなのか。

2019-10-01

ぼくがかんがえたさいきょうのグローバリズム社会

グローバリズムはいいことだ

"通例では、多国籍企業国境を越えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想などを表す。" wikipedia寄付金を!

これだけでは資本主義社会の拡大でしかなく、国民無視しておりグローバリズムとは言えない

人の移動が自由化され、国家が再定義されて初めてグローバリズムは実現するのだ

さいていげんひつようなもの

1 国は住む人のいろいろを保障しましょう

食べ物、住むところ、着るもの現物でも金でもいいか保障してね、主食がイモだけ?移住しよ

2 国は住む人が移動しやすいように努めましょう

移動には手間と時間がかかるので、お金くらいはタダにならないと

3 国は住む人が好きなところで過ごせるようにしましょう

国籍が選べない?変えるのが難しい?二つ三つなんてケチ臭い、100も0も可能にしよう

国家運営は、権力行使して富を集め、拡大や保全に充てるのが目的

ともすれば、国民ギリギリまで虐げて搾取することで、運営に有利になる。

そこで、国が国民資産として保全する動機付け必要になるが、司法独立しなければ憲法だけでは不十分で、市場経済概念を導入する必要がある。

まり、人々にとってより良い国への移動を自由化グローバリズムを実現することで、国家抑制し、世界中の虐げられる国民がいなくなるのだ。

EU「それな」

2019-09-24

知識だけではない何か

何気ないセルフィにも意味がある。

帰納法的なアプローチでは、

現時点のコンピテンシーで何ができるかを考える。

演繹法的なアプローチでは

目指すべきキャパティ水準とその能力強化の道筋構造化し、プログラムをつくる。

FEMA方法論が典型例。

その水準についていけない人に対しては、追加の強化プログラムとしてフォローする。

しかし、本当にこれで参加者動機付けられるのかが疑問だ。

脱落者は要件を満たさなものとして外されてしまう。

プロジェクトのコンセプトは演繹的につくられるが、それは既存戦略とほぼ完全に合致していなければ衝突してしまう。

合致したものを目指そうとすればするほど、それはすでに構想された計画ということになり、プロジェクト意味が失われる。

なによりも進捗具合や新たな事情によって、プロジェクトのコンセプトに修正必要になったときに、概念図に影響が及ぶ。

https://www.green.gifu-u.ac.jp/~bhdlab/?p=1391

今月は、古代ローマからスペイン中世までの歴史をふりかえる月間。

(ただし自分だけ)

最近ラテンアメリカ仕事をしていて気が付いたことがある。

それは、概して、彼らはいともたやすく不信感に陥って急に敵意をむき出しにし出すかと思えば、

ほんのちょっとしたこときっかけで、すっかり水に流してまた仲良くなったりする、ある種の単純さ。

コツをつかめば、コントロールやすい人たち(小馬鹿にしているわけではないが。)

上司と部下の関係日本人感覚とはかなり違う。

基本的に対等で、自分にとって契約違反となるような理不尽なことに黙って従う感覚は乏しい。

会社に対する帰属意識(うち)ではなく、契約(見返り)が重要である

これも同様で、つぼを抑えれば文句は出ない。

こういうのって、中世の封建領主文化からきているのかもしれないし

感情の起伏の在り様は、あちこち離合集散を繰り返して戦争を繰り返し、

土地支配者が目まぐるしく入れ替わった歴史にさかのぼるのかな、とふと思ったりした。

日本ロイヤルファミリーは、どこの国とも一切交わらずに千年以上も続いているが、

国家安全保障王室婚姻が密接に結びついたヨーロッパでは、過去を水に流す(アムネスティ)というのはもっと基本的作法なんだろう。

そういう感覚ラテンアメリカでもなんとなく引き継がれているのかな、と。

2019-09-09

人生そう悪くもない

世の中には目標があふれてる

金を稼げばいい 恋愛すればいい 成功すればいい

そんなのは動機付けだって気づかない馬鹿じゃない

働いて体が壊れた奴は?

振られて心が砕けた奴は?

忘れられて見向きもされない奴は?

こうして積み重なった屍の上で 今日も誰かの笑顔が輝く

世の中には笑顔があふれてる

結婚しました 出世しました これを買いました

その中のたった一つだって私は持ってない

恋人を作る道は?

上司に気に入られる道は?

お金がたくさん稼げる道は?

そうやって生まれる考えの中で 今日も私の人生は続いてく

人生そう悪くもないって思えるときはほんの僅かだけ

臆病だから死ぬ気もないけど 生きていこうとも思わないんだ

何かを手に入れることが大事なんじゃない でも失うのは嫌なんだ

私の人生には何があふれてる?

ふえない預金 かわらない日々 ひとりきりの部屋

これが私の全てだってわかっているんだ

節約する方法

注目されない方法

孤独を感じない方法

どうしようか迷う考えの下で 今日も諦めが心を満たしてく

2019-09-02

叱られすぎると反省できないよね(叱り方戦略について)

昔、そこそこ仲の良かった男子結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった

グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった

彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って

もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。

彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった

宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分省みることが出来なくなる

叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい

「叱る」とはどうあるべきなのだろう

鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう

クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う

前者の場合先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ

本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団不公平感を生む

教室のような閉じた、それでいて壁のないオープン集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい

そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える

しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う

一対一での指導、は多分ロリコン教師欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ

職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)

保健室で「厳しい担任先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う

仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう

これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう

しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ

「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか

職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか

我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ

個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。

生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。

勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンド必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラ対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。

主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟表現することで「自分真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しか演者時点が自身の演技に呑まれ可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)

社会動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。

人間感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手気持ちを思いやり、共感できるのだ。

宿題やったの!?」という言葉子供時代私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情パターン類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。

というように、人間感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化可能ではないだろうか。

「優しく諭す」というコマンド相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。

「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。

前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割キャラクターである

「叱る方と叱られる方」という絶対的上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神負担を減らし、自分省みる余裕を与える。

無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分コマンド相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易パターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。

※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解大人失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格パターン化による把握が必要かもしれない。

このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。

(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)

叱る、は上手くいけばとてもポジティブ効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教正論気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手気持ちを考える、それだけの事だ。

人材育成教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャート作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。

教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師マニュアル依存、なんてニュース流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキ装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセット人生の基本になるのだ!←楽しそう)

まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手情動予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しか実践はクソムズイ。人生手強いね

(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)

2019-08-31

かわいそうと思われたくない論

パラリンピックの「障害者でもがんばれば健常者並になれる」というお涙頂戴の筋書きが気に食わない。ハイテク義足で健常者の世界記録をなぎ倒して行くのが見たい。みたいなツイットを1か月前くらいに見かけた。

あと増田で2週間前くらいに「なんで障害者をかわいそうと思ってはいけないのですか?と大学講義質問が出たら静まり返った」ってのも見かけたんけども。

かわいそうと思われるのってそんなにイヤか?

ていうか、かわいそうと思われるおかげで補助金もらえてハンディキャップを穴埋めして健常者並に近付くことができる(合理的配慮)のであって、かわいそうと思われたほうがオトクじゃね?って思うんだが、違うのかな。

ハンディキャップがあるにも関わらず、見た目が健常者なのでかわいそうと思われないせいで穴埋めされることなく、しかも見た目のまま健常者並を求められてキツい思いをする軽度精神疾患系の障害者とか、内科系持病持ちとかなんかも、たぶんそう思うんじゃないのかなぁ。

自覚症状のない精神疾患だと「病気を疑って医者に行く」という動機付けにもならなかったりもして、治療改善されないままになり、ますます孤立する。社会的地位が高くて普段生活で注意や進言を受ける機会が無い人間とかね。

と、発達障害者の端くれから、かわいそうランキング低みの見物をする増田であった。

障害は、客観的に短時間判断が付くものばかりではないですからね。

足が無い、腕が無い、というのは分かりやすいから、すぐにかわいそうと思われやすいんですよ。

警察ですら補聴器つけて自転車に乗ってる人を「イヤホン外せ」と捕まえて、説明すると逆ギレする事件が絶えないようですが。これ何年も前から問題になってるのに全く改善しないですね。全国の都道府県警どうなってるんだ?

視覚障害で杖を持っていても全盲けが視覚障害でなく、「部分的に見えないエリアがある」「部分的エリアしか見えない」とかマチマチだそうです。杖もってて全盲イメージするのに「見えてんじゃねーか」ってキレられたりするケースがあるようです。いや、知らんがな。

「かわいそうと思われない」ならマシなほうで、むしろ「私の気分を害したお前のキモさが悪だ」と毎日disられ指さされるのがデフォというか。不随意運動チック症とか、吃音統合失調症独り言)とかは。

そら当事者疲弊して、誰かとコミュニケーションしたくなくなるし、苦手になるし、下手になる。

吃音テーマにしたマンガがありましたね。

すでにかわいそうと思われていて十分に支援を受けている人はそれが維持されて行ってほしいと思うし、かわいそうの享受が足りてない人のために、目に見えないものを知り、想定の範囲が拡大されていってほしい。


たぶんアレだよね、マズロー欲求段階そのものをなぞっているのだと思う。

補助金が出たり支援者がいる程度のかわいそうランキングの高さがある身体障害者は、埋め合わせによって健常者並の暮らしに近付くことができる。なので生存欲求の次の段階「承認欲求」を求め始めて、それが欲求不満なのかと思う。

しかし受けられる支援が少ない障害者は、承認欲求よりも根源的な生存欲求安全欲求すら満たされていない人がボリュームゾーンなのではないか

そもそも欲求の段階が違うのではないだろうか。

から「かわいそうと思われたほうがオトク」と考えるんじゃないかな。

メンタルパラリンピックって無いんですかね。

欲求段階が違うからそれどころじゃないか

障害は見た目が9割」という話なのでは

2019-08-15

語学学習の基本その2

anond:20190814072129

ネイティブ信仰についてー

日本人無意識に抱えている、ネイティブスピーカーへのあこがれは

ときには、動機付けになるが、多方、語学学習阻害要因にもなりうる。

とくに、ネイティブ並みのコミュニケーション能力を目指す考え方は

恥ずかしがり屋の日本人にとっては害悪ですらある。

恥ずかしい発音をしたくない、文法含め、間違ったことをいって恥をかきたくない、という心理

どれだけ機会損失につながっているか実践訓練を妨げているかからない。

特に日本人同士では顕著だ。日本人同士で「あのさ、お前何言ってんの?」とは絶対に思われたくない心理

なので、例えば、自分よりも会話能力が上回っていると感じた日本人とは自然と会話自体を控えるようになってしまう。

一方、留学したり海外旅行では、日本人視線を感じないことも多いため、堂々と間違えることができる。

留学時、なるべく、日本人と接しないようにした、と告白する人が語学を身に着けていくのはそれなりの理由がある。

最近フィリピン留学などが流行しているようだが、これは、非ネイティブという利点を有効活用できてよいと思う。

ネイティブ並みを目指しているひとにとって、未熟な言葉ネイティブと会話するよりも恥ずかしさは少ないはずだ。

そのうちに、経験や機会を阻害していた自分自身のネイティブ並みへのこだわりも消えていくかもしれない。

藤子不二雄Aの観察眼

忍者ハットリくんマンガ道などで知られる藤子不二雄A。そのなかに「添乗さん」という作品がある。

これは1970年代高度成長期上り詰め、一般日本人海外ツアー旅行に行き始めた時代を背景に

添乗員の悲哀を通じて、人々の海外旅行観をコミカルに映しとったた名作だ。

この作品は、個人的には同氏の最高傑作ひとつだと思っている。

見開き2ページで構成された、この小噺集のなかにとあるエピソード

ネイティブ英語を鍛えてきたと自負するおっさんハワイ行の機内でドリンクを注文する場面が登場する。

添乗員に対して「キミィ。英語のわかるスチュワーデスを呼んできてくれたまえ」といって、やってきたのは

いかにもアメリカ人女性っぽい乗務員

彼女に対しておっさんが注文を試みる。

しかし「スカッチャンドワーラー、プリーズ」と話しかけるものの、

「パードン?」と返され、理解されない。

かねた添乗員さんが、スコッチを欲しいと言っています、とコソっと耳打ちすると

「オー、スコッチ・アンド・ウォーターオーケー」といって、おっさん語をようやく理解できてスッキリした表情。

その直後におっさんがいうオチ捨て台詞が秀逸である

「全く!英語のわからないアメリカ人は困ったものだね!」

その他のエピソードでも藤子不二雄Aの観察眼はいろいろと鋭い。

当時は、「百万人の英語」のハイディ矢野などを通じて、リエゾン重要性を洗脳されていた時代である

英語を使って20年近く仕事をしてきた私の経験からいうと、

試しにネイティブ発音マネしてかっこつけて話そうとすると、通じないことが多かった。

特にネイティブ話者とは十中八九通じなかった。

恐らく、ニューヨーカー発音南部なまり西海岸英語オセアニア系、ブリティッシュ英語、これらをジョークとして使い分けられる程度の能力があれば

相手に応じて、発音コントロールができて、通じるようになるような気がしている。

えてして、ネイティブ多様性理解できず、山形弁をマネしようとして失敗しちゃってる奴が大阪で話をしているようなものである

しかし、それはあたか大阪弁と山形弁を使い分ける変なガイジンなんであって、何を目指しているのか、という自問自答になるだろう。

https://anond.hatelabo.jp/20190815122152へ続く

2019-08-09

やっぱり自立させよう、助けようとする行為が本人にはよくないのかな

[B! ひきこもり] News Up 56歳 ひきこもり衰弱死 | NHKニュース

一体何に対してかたくなになっていたのだろうか、と思うと、ね。

「助けを求める自分」を拒否していたように思えた。

から助けられて動くとか、人から自立を促されて動くというのは、

本人からすると、外部の指摘がきっかけで今何かを始めさせられるんだと認識した瞬間に、

やっぱり動機付けられなくなってしまうのだろう。

宿題やったの?今やろうと思ってたのに!!やる気なくした!」問題と少し通じるところがある。

支援者はいろいろと考えさせられる。

もうひとつ、あるべき自分に近づこうとする、いわゆる「自分探し」も問題だと思った。

これは婚活でも同じことがいえそうなんだけど、実現可能ロードマップを描けてないのに

夢に向けて頑張る自分に満足してしまう、という生活を続けてしまうことがある。

でもセルフマネジメントができないもんだから、いきなり高難度な資格に挑戦し始めたりして、

たからみると、ものすごく斜め上の努力をしていて、当然挫折する。

そうすると、空虚感がますます増幅され、これは本来自分じゃない、という思いが一層刷り込まれ

第三者から見ると、そのあたりで妥協しといたほうがいいんじゃない、と思うところでも頑なに拒否してしまう。

現実自分が、夢からほど遠い空虚存在であればあるほど、それが悲しすぎて、

ほんのちょっと現実的なところで手を打つという考えがなくなり、反動

夢が大きくなってしまうのだろう。アラフォー独身、でも、まだまだいけるはず!とかね。

そしてそれを実現することですべてが解決する!みたいな妄想

着実に一歩ずつという発想ではなく、逆転ホームラン的な発想になってしまう。

自分に、そういう傾向があるからそう思うだけかもしれないけどね。

2019-08-02

映画DQユア・ストーリー」はよくできたSO3

直接のネタバレはしていないつもりだけど、未見の方は注意!

1982生まれDQは FC3, 4, 5, 6, 1-2, 3(SFC), 4(PS), 5(PS2), 4(DS)の順にやった。7以降は全くやっていない。

6までは小説すべて読んだし、ゲームブックも5までは遊んだ攻略本モンスター物語系の関連書籍も読んだ。DQマンガ劇場も読みつぶしたし、CDシアターも聴きつぶした。J-POPより「交響組曲ドラゴンクエストシリーズCDが好きだった。モンスター大集合の下敷きも使っていた。「ロトのつるぎ」のキーホルダーも持っていた(バトルえんぴつとかは興味がなかった)。

そんな自分が、暇つぶしのつもりでこの映画を見た。前情報は嫌いなので、トレーラーなどはほとんど見ていない。

どうも5の世界感らしいが、どんな感じに映像化されるのか、少し斜に構えて見ていた。

開幕早々、いや展開はえーよ!とか、このキャラ動機付けがなぁ…とか、あの演出弱いなとか、そもそも大河の5は尺的に厳しくね?2で青春ものやったほうがよくね?とか、BGM選曲違くね?とか、ビアンカ胸でけー!とか……

実にアホな感想ばかり抱いていた。




だが、最後最後でもうそんなことどうでもよくなった。はいはいこれでハッピーエンドね、CGキレイでよかったんじゃない?とかなんとか思っていた矢先(本当に失礼)、完全に不意打ちで泣かされた。



であれば、最初に抱いていたツッコミどころにもすべて納得いくし、むしろもっと違ってたって全然かまわないのだ。

私のような世代で(昔の)DQリアルタイムでやったことのある人には、響くものがあると思う。ED選曲も最高だった。

2019-08-01

みんな簡単動機付け動機付け言ってて怖い

動機付けすればいいんだよって簡単に書いてるけど、それが1番難しい。

動機付けしてくださいとか言わないで。

2019-07-20

フィードバックこそチャンスだと考えてる

http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/10540

この記事を読んで。

このブログ自体は「なんか煽りっぽいし、浅いなー」って記事も多いんだけど、この「フィードバック」という言葉ネガティブに捉えてる若手が多い印象は持っている。

フィードバックというと「緊張します〜」とかいう子も多いし、マネージメントする後輩とかと話すと「フィードバックでしっかり言ってやりますよw」的にドヤる子もいるので、「なんかチャンスを道端に捨てて野良犬に食わすような真似してるなー」って思う。

フィードバック評価じゃないし、評価評価フィードバックフィードバック独立したものだ。

フィードバックは「帰還」だ

行為の帰還を確認する事だ。

良かれと思ってやったことが、良い事となって帰ってくる、その報せが帰還する、だからフィードバックだ。

フィードバックって、その顛末でその子が取ったいい所を指摘して、「それは正解だった」「それを選択できたのはナイスプレーだった」って言って、次もそれをやる事を動機付けてあげる機会なんだよ。

自分評価側に回るときはそうしている。

俺は「褒める教育」って言葉は雑で嫌いだ。

なんでも褒めりゃいいじゃないよ、それって言葉コントロールしようとしてるのが見え透いて気持ち悪いじゃん。

こんな言葉を有難がって受け取る奴も、過剰に反発してネガティブ言葉こそ多用すべきだと極端に走る奴も、認知能力が低いか、人にものを教えるのが始めてで手探りか、日々のタスクでいっぱいいっぱいで脳みそに常にノイズが走ってるんじゃないかと思う。

そうじゃない、その子が実際した事で、いい事を見つけて指摘してあげるのがフィードバックだよ。

からフィードバックは成長を促す数少ないチャンスなんだ。

2019-07-19

anond:20190719210714

会話を楽しんでたら無理やりにでも何かしらひねり出してくるもんだろ。

まりお前に会話を動機付けものがないからそこで思考が停止しちゃうわけよ。

2019-07-12

anond:20190712064426

マクガフィン (MacGuffin, McGuffin) とは、小説映画などのフィクション作品におけるプロットデバイス英語版)の一つであり、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる。特にスリラー映画で多用され、泥棒が狙う宝石スパイが狙う重要書類などがマクガフィン典型であるしかし物に限定されず、出来事人物などもマクガフィンに含まれる[1]。

なぜそれらを登場人物は追い求めるのか、作品内では殆どあるいは全く説明がなされないことが多い。マクガフィンあくま登場人物動機付けに用いられるため、内容そのもの重要ではないことから、他のものに置き換えてもストーリーが成立する。またマクガフィンは通常、物語の序盤で言及され、物語クライマックスで再登場するものの、その重要性が徐々に低下して最後にはその存在が忘れられることも多い。

2019-07-07

映画版『Diner』を過激派原作厨が見てみたよ

私は平山夢明さんのファンです。

15年くらいファンをやっています

今作のDiner、見てきました。

いわば『原作厨』の視点でお送りする感想であり、ハッキリと申し上げますがここから下は酷評しかありません。死ぬほど長いので暇な人しか読んではいけない。ネタバレもかなりあります












私がボンベロだったらこんなオオバカナコは3秒で殺しています

なんだこの役立たずっぷりは。お人形さんの方がまだ仕事をしてくれる気がしますね。玉城ティナ個人的に好きでも嫌いでもありませんが今作においては蜷川実花の私情1000%のキャストしかありません。心中なら2人だけでしてくださいよ、原作も他の俳優も巻き込むな。演技も下手くそ表情のパターンも少ない声の出し方もひ弱という女優自体資質もさることながら、こんなにも格を落とされた主人公は初めてです。

原作重要視されているオオバカナコの、極限状況下で研ぎ澄まされていくタフさや狡猾さが映画版からはまったく感じ取れません。最初から最後まで彼女はただの役立たずのバカしかなく、そんな彼女をダラダラと生かしておくボンベロもその程度の人でしかない、まったく凄みのない人物になってしまます

役立たずなうえ数々の失態を犯し人の命まで犠牲にしておきながら、偉そうに「最後まで面倒みろ、バカァ〜!」って、意味がわかりません。は?って感じです。ボンベロ早くそいつを殺せとばかり考えてました。

そもそも逃げ道と死を用意するあのくだりは「死」=スキンを殺したことへの償い、「逃げ道」=菊千代を救ったことへの恩、という相反する条件の中で生まれものだったはずが、菊千代を救っていないので(なぜならウォッカの隠し場所という前提条件が崩れているからです)、いやなんで裏の社会を知った女に簡単に出て行けとか言うの?目障りだ!なら殺せばいいのでは?と疑問しか湧きません。

原作での菊千代を救う、機転を効かせて危機回避するなどファインプレーの一切がカットされているため彼女への視聴者から好感度も上がりませんし成長も感じず、ボンベロがなぜ彼女を認めるのかもわかりません。全体的に動機付けが不十分で薄っぺらいです。

そもそも彼女命綱となるディーヴァウォッカは「化粧水ほどの小さなボトルであるからこそ「見つからないように隠す」ことができるのであって、映画版ちょっとした彫像くらいある代物を隠そう!と思いつくことがいささか理解不能でありますし、何よりあんな隠し方がまかり通るなら「灯台下暗し☆」なんかではなく「ボンベロがただのクソ間抜け」ということになります。「彫像じみたボトル」をただ使いたいがために登場人物知能指数を全体的に下げており、この時点で監督の「映像映え>ストーリー性」であることが見えてしまますリスペクトが何もありません。だいたい、どーんと彫像みたいなボトルを使って、すごいやつですよ!っていうのがもう。そういうのは少年ジャンプ武器とかでやってください。巨大な生クリームしか見えないし。

キャラクターなどの点でダメなのは、よくある「映画オリジナルキャラが良くない」ということなのですが、この「良くなさ」というのは「いてもいなくてもいいのにわざわざ出して、何をしたかったのか?」というところです。

具体的に言うと土屋アンナさん演じるマリアです。原作にはよく似たセクシーキャラの「炎眉」という殺し屋がいて、ちょっとアレンジ加えた感じなのかな?と思いましたがまったくの別物。ただのヒャッハーイカレ女で北斗の拳の下っ端でもここまであからさまじゃないだろうという感じです。しかもこいつがマフィアボス……???そんな器は微塵も感じません。バーサーカーじみた言動しかしないくせにすぐ後ろ取られて死ぬし。マジでなんのために出したの?東西南北の数合わせかな?本当に土屋アンナさんに謝れよと製作陣に言いたくなります。つかなんで炎眉出さないの?

小栗旬さんも斎藤工さんも無駄遣いに次ぐ無駄遣いで最悪でした。代わりに九十九九やボイルなど原作内の他の重要ポストを与えればよかったのになぜそれをしなかったのか。監督の力量が伴わなかったんでしょうね。残念です。

写真人物が動くのはハリーポッターすぎます。他の演出無かったんですか?歴代ウエイトレスのみなさん、ずいぶん小綺麗ですね。泥と糞の見分けもつかないようなジャンキーかいなさそう。なんのためにクスリはやってないな?って確認させたんだか(それだって「腕見せろ」だけでよかったよね。一から十まで説明してくれてとーっても親切ですこと)。いらない演出でしたね。

窪田正孝さんは額に入れたママ写真を持ち歩いてること以外はおおむねよかったです。それ、持ち歩きづらくない?ペンダントとかじゃダメ殺し屋だし荷物増やしたくなくない?ママ自体に関しては漫画版よりこっちの方が合ってる気がしました。木村佳乃マジで抑圧型の母親が似合いすぎるな……。窪田さんの豹変ぶりとかも鳥肌ものでしたし、彼に関しては文句ないです。

本郷奏多さん、衣装が似合っておらず多少違和感はあったものの演技は怖くてよかったです。本当に無理矢理子供になる全身整形が可能だとしたらああやって変なプロポーションになりそうですし上手い撮り方したなと思いました。口の中に爆弾をぶち込むシーンとかはかなりうまい。あれなら全年齢だけどグロ、という矛盾が解消されて良いですね。視聴者想像による補完が可能です。

原作キッドは「なぜこんな怪物が生まれたのか?」という背景ありきだったのですが、映画版最後までただのキ○ガイだったのでそこがやはり薄っぺらくて残念でした。なんのために頭食わせたんだよ……でも本郷さんの演技は良かったです。

アクションシーンもクソみたいな出来でしたね。「キッチン」という身近な凶器の宝庫という特性が生かしきれず普通に銃撃戦って……。空中では防御が難しいのでプロが2人もいてわざわざ横っ飛びなんてしねえだろって冷めてしまいました。

何重にもなった頑丈な扉で時間稼ぎして、やることがお料理教室って。今やるなよ。何やってんだよ。仕込みのシーンを通して徐々にやることが変わっていくとかそういうやり方、素人でも思いつくのになぜしないの?あの仕込みのシーンなんだったの?

酒で火炎瓶とかガス爆発は誰でも思いつくけどそれ以外の武器いっぱいあんじゃん!レンジライター爆発させるとかは真似されたら困るからしないのはいいけど、感電させたり潜り戸に包丁突き刺したりとかそういう殺戮ピタゴラスイッチ映像で見たかったんだよ!映像に起こす箇所が全体通して間違いすぎです!本当に原作読みましたか?あっ監督の力量が……(察し)

彫刻家雇ってる暇があったら物理学教授とか雇ってそういうトリッキーなシーンを充実させてほしかったです。てか菊千代殺すなよ!!!!!

キスシーンは最悪です。最悪としか言いようがありません。男女のバディもの(に近い)を安易恋愛展開にするのは本当に最悪オブ最悪。胸くそが悪すぎます陳腐まりない。恥を知れ。

しかも何よりダメなのはここまででボンベロとカナコの間に生まれる信頼や絆を示唆するシーンが全面カットされているので、余計に唐突な印象です。一瞬、あれかな?お別れの挨拶キスでする風習地域から来た人ですか?って思うレベル

原作の「楽しかったぜ!オオバカナコ」が台無しです。本当に踏み躙られた……

ここまでギリギリ耐え忍んできましたが完全に心を折られました。憎悪がすごい。

ラストもあーはいはいしか思えなかったです。色気出すんじゃねえよ。あと、カナコさん何も成長しないままお店開いてますよね。あんな壮絶な体験したとは思えないかわいらしいお店で何よりです。インスタ映え〜☆

あとこれみなさん突っ込みませんけど「いらっしゃいませダイナーへようこそ」って謎ですよね。原作では「キャンティーン」って店名があるんですけど、ダイナーそのままじゃ定食屋って意味なので、ファミレスに入って「ファミレスへようこそ」って言われるのと一緒ですよね。変なの。

映画を見ていないのにここまで憎悪の記録を読んでしまったみなさんは、是非最初映画を見て、そこから原作を読んでいただけるとイメージが壊れたり私のように余計な憎悪を抱かなくて済みます原作面白いですし、漫画オリジナル要素多めですが全体的な「解釈」としては映画より100億倍合っているので映画漫画小説の順で鑑賞するのがかなりオススメです。

吐き出してスッキリしました!蜷川実花さんは写真家だけやっていただいて、映画からはどうぞ足を洗ってくださいませ。

平山夢明という才能の盛大な宣伝に一役買っていただいたことのみ、感謝します。

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