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2021-07-20

小山田圭吾炎上と作者と作品は別という話

すげえ自分語り

小山田圭吾過去いじめ自慢が世界規模で炎上している。

元々エレクトロニカ好きな人には非常に有名な話で、「この人音楽めっちゃいいけど人間はそれ以上にカスだな…」というのはコーネリアスについて話せば一度はする話である

 

ただ、これまではコーネリアスの曲を聴いてからこの話を知るパターンが多かったので話を知った人がモヤモヤイライラして終わってはいたが、

今回は曲を知らない状態でこの話を知る人が多いのと、何より悪目立ち続きのオリンピック関連ということでもう何重にも炎上ブーストがかかっている。

正義の旗印がパチスロ演出が全部出た時ぐらい光っている。

 

さてここまで読むと、「小山田圭吾擁護か?」と思うだろう。

実はそうでもない。私は小山田圭吾という人間は心底好きではないが音楽は確実に良いと感じている。

そのため、単純に「いい作品を作るけどカスな人」という認知的不協和の塊みたいな概念について話したいだけだ。

 

この手の話のときに必ず上がるのが「作者と作品は別」という話だ。

これに関しては、私は「理想として別で考えておきたいが、現実として別けることが難しい」というスタンスである

 

なぜなら、芸術作品というのは例えばコンセプチュアルアートでもない限り作品のものを中心として捉えなければならないからだ。

その作品世界観に内包されるものけが語りうるもの作品評価として正当なものであり、

ここで「でもその人過去人殺してるんですよ」で作品単体の質が下がることはない。

人を殺している人の絵が下手に見えるというのはただのバイアスしか無く、

これがまかり通り始めると人種性別によって作品評価を上げ下げする輩が出始めるからだ。

 

しかし、人間というのはいたく不完全である

現実として「気にする」し、そういったエピソードを聞くと「良くなく見える」のだ。

これは我々が人間という生物である以上逃れられない現実である

人間である限り、感情無視した論理は全て現実無視した夢うつつ戯言しかない。

 

そこで私がどう考えたかというと、現実から正とするのではなく、

これを人間不具合として捉え現実だが正ではない出来事として捉えることで、

作品が良いのに人間カスときに感じる気持ち悪さは人間機能だが、社会が発展したこと不具合を引き起こす確率が高くなっている」

と考えることにした。

 

気持ち悪さを反射的に解消するのではなく、分析して理解することでじっくり気持ち悪さを分解して次のダメージを抑えることにしたという感じだ。

 

何故なら「悪い人が作るものは良くあってはならない」というのはそれはそれで現実逃避だからだ。

現実として、悪人にも正しいことはできるし、被害者やいい人でも間違ったことや悪いことはする。

その人の属性で行動の善悪が決定すると考えたり、気持ちいからという理由で無いことにしてしまうのははあまりにもルサンチマンをこじらせすぎている。

 

私は小山田圭吾作品メチャクチャ好きだが同時に彼という人間は全く好きではなく、

いつか本気の後悔と報いを受けてほしいな~とは思っていた。

なぜなら私はそもそもいじめ被害者であったためだ。そのため、高校ときにこのエピソードを知って大変狼狽したものである

願わくば人生に覆しようのない瑕疵がつき、その傷跡を残りの人生で眺め続ける羽目になりますようにと…。

 

しかし、改心までは願うべくもないが、今回は最大級の規模でそれが叶って多少溜飲が下がり、いつもより気持ちよくコーネリアスを聴けている。

 

まあ私も蟻塚の中から鷹が落ちるのを見て喜ぶ怠けた蟻のように、褒められた人間ではないということで一つモヤっとして欲しい。

2021-06-24

anond:20210624112558

あるっていっても遠い昔だったり極端な条件だったりする場合ほとんどだし、確率としても非常に低い。

矮小化しすぎ。似たようなことは至る所で蔓延ってるだろ。現実を見ろ。

矮小化し過ぎかどうかは基準をどこに採るか、誰のどのような認識問題にしているか次第。

それから恋愛とか結婚かに至ったとしてもその境遇を何とか受け入れようとするための認知の歪み(=認知的不協和理論である場合ほとんど。

それはその通りだけど、まるで「大半の恋愛結婚認知の歪みとは無縁」とでも言いたげだな。

そんなわけ無いだろ。

認知の歪みの程度と深刻度の相対的問題だ。

anond:20210624112054

あるっていっても遠い昔だったり極端な条件だったりする場合ほとんどだし、確率としても非常に低い。

矮小化しすぎ。似たようなことは至る所で蔓延ってるだろ。現実を見ろ。

それから恋愛とか結婚かに至ったとしてもその境遇を何とか受け入れようとするための認知の歪み(=認知的不協和理論である場合ほとんど。

それはその通りだけど、まるで「大半の恋愛結婚認知の歪みとは無縁」とでも言いたげだな。

anond:20210624104624

「あるけどダメ」の一言で終わり。

「ある」って言うと「じゃあいいのか!」って勘違いする奴がぞろそろ湧いてくるから、よほど時と場所相手を選ばないと「ある」って言うのも厳しいな。

それに、あるっていっても遠い昔だったり極端な条件だったりする場合ほとんどだし、確率としても非常に低い。それから恋愛とか結婚かに至ったとしてもその境遇を何とか受け入れようとするための認知の歪み(=認知的不協和理論である場合ほとんど。

それに比べて、そうでなかった場合にもたらされる不幸があまりにも大きすぎる。

エロコンテンツファンタジー世界にとどめておくべき。

2021-06-09

anond:20210609132959

「涙しながら中止」みたいな認知的不協和に耐えられんから

中止するべき理由があったら、中止されるものはくだらないものでなくてはならない。

そうして帳尻を合わせる。それが快楽原則で生きてる動物の在り様だから

2021-05-30

anond:20210530182308

INTPはデータが見つかるまで断定しないので「わからない」と正直に言うが、ISTJはわからないことを断定しないと認知的不協和に陥るのでこじつけたようなことを言う説

2021-05-04

格差、ぐんぐん拡大中属性について語っている場合なのかな?

これから度を増してく格差に満ち満ちた社会のなかで、リベラルはどう振る舞うんだろうな

認知的不協和から発狂するしかない気がするよ、いまの延長で物事を捉えてしまうと

その時リベラルは、はてサは何を語るのか

単に先鋭化するのが7割ほど生じるのはまあ放っておくとして、

中には、それ以外の帰着をする人が出てくるだろうから、興味と期待を持って見ている

自分ネオリベなのでね、高みの見物)

2021-04-08

弱者男性」を救うべきではない理由

弱者男性」ってサイコパスみたいなもんだよな。実際、サイコパスもいるんだろう。

共感」というもの理解できるけど自分には共感性は持ち合わせてないから、相手の哀れみとか同情をいくらでもカツアゲできる。

ちょっとでも「かわいそう」だと思ったらもうおしまい。「お前、今かわいそうだと思ったな?俺がかわいそうならお前なんで救おうとしないんだ?俺を救わないお前は偽善者だ」といくらもつけこまれる。

典型的ヤクザ手法認知的不協和に陥ったら生理的に解消しようとしてしまうから、そうなったらもう洗脳の始まりだよ。

人間はどうしても一貫性を守ろうとする心理的な働きがあるのだけれども、「あれ?なんか自分のいってることがしっくりこないな」と感じたら、その小さな矛盾とか間違いを認めないことで守れる価値と払うコストを考えるべき。

前に、アメリカリベラル主義者大統領選挙後にトランプ主義者理解しようとトランプ主義者集会に参加し続け四年間付き合った結果、「トランプ主義者理解しようとする試みは全く無駄だった。すべきではない」という結論コラムを書いていたけど、それと一緒。

リベラルの「弱者男性理解しよう」という本当に何の利益もなく損害ばかりが残る地獄。全く見ないことにして、一切を無とするべき。

2021-04-07

男女の幸福度格差の正体と、それを解消する方法

俺はもっと家事をしたい。家事労働はヒトを幸せにする。掃除洗濯や修繕や調理を通じて、また、傾聴や会話やスキンシップを通じて、妻や子どもに尽くしたい。それこそがヒト(俺に限らない)の幸せに直結することだからだ。

幸福は「与えた」愛情で決まる

ヒトは群れで生活する動物だ。他の構成員ケアし、食べ物を分け合って一緒に食べることに幸せを感じる。これは本能だ。また、ヒトは子育てする動物だ。同じ性質を持った他の生物と同様、子育てに喜びを感じるようにあらかじめプログラムされている。

ベンジャミン・フランクリン効果(助けた相手のことを好きになるという認知的不協和)も無視できない。手がかかる子ほどかわいい、という結果は、手をかけたという事実が生むものだ。家族に尽くせばつくするほど、家族への愛着は深まる。

幸せというのは、受け取った愛情で決まるのではなく、与えた愛情で決まる。愛されているか幸福なのではなく、愛しているから、愛を表現しているか幸福なのだ。実際に手をかけて、家事をし、話をし、食卓を囲むことで、そのように愛情を行動に移した者の幸福度が上がる。家事はその担い手幸福にする。

男性家事育児事実上の制限を受けている

しか現実、俺の家事負担は小さい。週にわずか6回、土曜の昼食から月曜の朝食の調理(買い出しと後片付けを含む)を担当しているのと、家や家財や車や自転車などの修繕全般担当しているほかはすべて手伝い程度で、家事らしい家事は何も担当できていない。俺が長時間の賃労働に縛り付けられているためだ。

家事だけではない。育児限定的だ。子どもの世話をしたり、子どもとともに食卓を囲んだり、さまざまな話をしたり、勉強料理スポーツを教えたり、宿題を手伝ったりといった、育児にかかわる時間の大半を賃労働に奪われている。これもまた、俺のヒトとしての幸福を大いに損なっている。

本邦の男女には世界一幸福格差女性幸福度が高く男性のそれは低い)がある。これを男性視点説明するなら、賃労働負担の大きさと、家事参加の少なさという両面が原因だ。とりわけ家事の少なさは重大だ。我が国男性世界一家事をしない。多くの男性幸せを賃労働に奪われているのだ。

男性が恒久的に時短勤務やパート勤務をする道は狭い

我が家結婚当初は、夫婦両方がフルタイムで働きつつ、平等家事を分担し、夫婦の両方が幸福を感じていた。だが子どもができて夫婦で話し合った結果、俺がフルタイム労働さら残業を増やして家計を支える中心となり、妻はパートタイム労働兼業主婦になることにした。

俺がパート主夫になる案も真剣検討したものの、却下せざるを得なかった。理由は、当時30代前半だった俺が昼間にパートまたは時短で働けて、家から近い職場がないことだった。ジェンダー平等を実感したのはこのときだ。オッサン兼業主夫になるのは非常に難しい。

結果、俺は大半の家事を妻に任せ、ごく一部しか担当できなくなってしまった。うちの場合家事全般について妻より俺のほうが得意であるあくま自己評価だが)にもかかわらず、だ。逆に、賃労働能力は俺よりも妻の方が高い(と俺は思う)にもかかわらず、彼女フルタイム労働を失った。

俺は、この国のジェンダー平等を恨んでいる。俺を賃労働に縛り付け、家事子育て(つまり俺の幸福)を奪ったからだ。

また、ほどよく分担できていれば、家事労働はそれをする者を幸福にする。だが、過分に割り当てられてしまえばそうも言えない。俺の妻はそれほど家事全般が得意でないにもかかわらず大半の家事負担しており、せっかくの家事労働の多くが単なる面倒なタスクになりがちだ。これは幸せなことではない。

ジェンダーギャップ労働問題に過ぎない

ジェンダーギャップ幸福格差不公平家事負担、結果としての男女の賃金格差などはすべて、要するに労働問題だ。男女で賃労働家事を公平に担当しにくい現行制度に原因がある。なので以下のようなことを強力に推進すれば、諸問題はすべて(少なくとも我が家が抱えているものはすべて)解決する。

意識アップデートでは男女平等は実現しない

俺は「意識アップデート」だの「意識改革」だのというものには期待していない。そんなものに期待していたら、ジェンダーギャップ永遠に解消しない。なぜならジェンダーギャップは、制度的な介入をせずに放置していれば自然に拡大していく性質を持っているからだ。

これは良い悪いの話ではない。生物としての自然本能と、適応の結果に過ぎない。

まず女性上昇婚志向がある。これは世界中のどんな社会にもあるものだそうなので、生物としての本能と言える。より多くの資源を獲得する能力を持つオスに魅力を感じることは、生物としてまったく自然だ。そして、ヒトのオスがそれに適応しようとするのもまた本能であり、生物としてまったく自然なことだ。

ただし社会全体でこの本能適応すればするほど、ジェンダーギャップは拡大する。女性上昇婚志向適応した男性たちは、すべての資源男性たちだけで独占し、資源へのアクセス権を女性から剥奪する。前世紀まで、まさにそのような社会世界中で構築された。

このようにヒトの本能ジェンダーギャップを拡大し固定化する方向に作用するため、ジェンダー平等自然に実現することはない。相手無意識下の本能だ。意識改革では解決できない。制度改革しか実現できないものだ。

クオータ制による解決

現実的な解は、強制的なクオータ制の導入だ。繰り返すが、意識本能は変えられない。だから制度を変えるのだ。クオータ制は、結果平等観点で厳格なものであればあるほどよい。

政治家企業役員はもちろん、あらゆる職種で男女比が1:1なるように枠を設け、罰則付きで厳格に運用する。外科医も、看護師も、消防士も、保育士も、研究者も、レジ係も、漁師も、助産師も、土木作業員も、歯科衛生士も、自衛官も、すべて男女同数にする。当然、仕事内容も拘束時間賃金男女平等にする。

当初は各職業における職能水準の低下が問題になるだろう。しかしそんなものは、ほんの20年か30年もすれば解消される。学齢期や新卒時を見ればわかるとおり、平均的な女性能力は平均的な男性のそれを上回っている。クオータ制の導入で一時的に起きる職能水準の低下の問題は、ほどなく時間解決するだろう。

労働家事労働も、男女がどちらか一方に押しつけることなく、平等負担し合う。夫婦のそれぞれが週に20〜30時間ほどずつ賃労働負担し、あとの時間生物として家族としての幸せを追求できる世の中になるのが理想だ。

夫は兼業主夫、妻も兼業主婦だ。

こうなるともはや、主婦主夫)という概念崩壊だ。だがそんな概念産業革命以降にでっち上げられたもので、男性を賃労働で使い倒すための便利な、そして非人道的ジェンダー・ロールだ。こんなものは徹底的に破壊し、すべてのヒトがヒトとしての幸福を追求できる社会を目指したい。

男女がともに幸福を追求できる世界を望む

最後にもう一度強調しておく。家事労働制限されることは、幸福制限されているに等しい。より多くの賃労働負担している者は、幸福度において劣後する。

しかし、現行の制度の中で各家庭が個別部分最適化を進めれば、多くの家庭では、夫は賃労働奴隷、妻は兼業主婦、という形をとることになる。これは不幸なことであり、制度のものを改めるべきである。そして、ここまで述べてきた制度改革の過半は、すでにアイスランドなど北欧諸国において実施されている。

で、こういう男女平等を目指す社会運動ってある? あったら参加したいんだけど。

2021-01-23

自分はのめりこんでいることに気づかないという話

説得は見込めない

認知的不協和の話

俺はのめりこんでいる(かもしれない)というメタ認知大事

これらこそ正解、これら以外は外れ、あっても実現の見込み無しという全か無か思考10ほどある認知のゆがみの一つ)

それ以外の選択肢は同じ人からは与えられない

妨げようとする仕組みや人間達、言葉やはったりなどはあるか確認してみよう

君のテーマは何なのか

おあつらえ向きのそれはどんなレールなのか

言葉にしてみよう

他で実現できるか、一般的にはどのような方法があるかこっそり調べてみよう

2021-01-22

東京人口が約930万人で、感染者数の累計が約9万人なので、0.97%

自分の周りに100人いたら、その中に感染者が1人いるかいないか

大阪人口が約270万人で、感染者数の累計が約4万人なので、1.48%

自分の周りに100人いたら、その中に感染者が1人はいるかも。

それくらいの割合なので、自称目覚めた人が「テレビで騒いでいる割に、自分の周りに感染者がいない。コロナ茶番」とか言っているの、ある意味仕方ないかなと思う。

報道から入ってくる情報と、自分認知ギャップがあって、

シンプル認知的不協和が起きて、自分安心できること(=コロナ茶番)を信じたい、ということだろう。

だけど、感染者は指数関数的に増えるから自称目覚めた人が「これは本当にやばいかも」と実感するくらいまで、周囲に感染者数が増えてきたら、そのときはもう手遅れになってしまうので、報道事実を言っていればいい。

2020-12-12

anond:20201211083327

ダブスタ上等みたいなブコメ散見されるけどそれでいいのか?

それって何も考えずに脊髄反射コメントしてますって言ってるようなものだと思うんだけど。

意見したいんじゃなくて誰かを叩いて優越感に浸りたいっていう自覚があるんなら構わないけど、そうじゃないなら自分のなかでどう折り合いつけてるんだろう。

認知的不協和を解消するためにダブスタって言葉を都合のいいように解釈してんのかな。

素直に矛盾を認めるなり、矛盾していないことを主張したほうがいいと思うけど。

過去から未来まで常に矛盾なく一貫性を保たなければならないなんて無理なんだし、その都度修正していけばいいだけなんだけどね。

結局勝ち負けにこだわりすぎなんだよ。全然建設的じゃない。

2020-12-03

それは好みの問題

まれた時にはヒトには快不快感情しかないわけで、その後の価値観や美意識は育った環境や、触れてきた情報で作られる。

物や他者、あるいは政治経済しろ、まず初めに好きか嫌いかという感情があって、あらゆる言説はそれを正当化するためのツールしかすぎないではないのかと最近考えている。

認知的不協和とか防衛機制とかそういうやつね。陰謀論なんてまさにそれ。

分断が問題になっているけども、それは好みの問題なんだよねって、あえて矮小化すれば平和になりそう。

どんなカレーラーメンがおいしいと思うのかってだけ。きのこの山 vs たけのこの里くらいバカバカしい話。

2020-12-01

性善説にもとづいた自助努力を期待するだけの感染症対策には限界

伊東園ホテルズのマスク未着用宿泊拒否をめぐる案件について : マスク未着用途中降機乗客の記録

ピーチ機を下ろされた男性がまた騒動を起こした。

まあ、マスク付着用は宿泊拒否理由にはならないはずだ、との主張そのものは法的に正しく、正当だ。

しかし、そのように主張する行為は、感染症対策として行政が人々にお願いしていることに反しており、不当だ。

マスク着用がコロナ予防に資するのはもはや全世界共通認識だ。

現在政策は「人々の合理的自助努力をお願いする」ものであり、その期待に反するという意味で不当だ。

不当だけど、お願いでしかないので野放しにせざるを得ない。伊東園ホテルは法的には強引でかなり微妙なことをしたと思うが、

感染症予防の観点から正当防衛といっていいかもしれない。

政府のいうことにおとなしく従う日本人国民性への期待だけで、

自粛だの要請だので、感染症対策っぽいことをやってきたかもしれないが

本来、こういう面倒な輩を法的なルールコントロールしてこそ感染症対策だ。

めんどくさがらずに、とっとと旅館業法改正して、感染症予防措置の項目を設けるべきだ。

発熱しているひとの宿泊は、保健所の承諾が必要、とか

マスク拒否理由エビデンス必要だ。

医師診断書添付で特別に認める、といった条項必要

頑なにオリンピックを強行しようとする、その姿勢

もちろん合理的対策を講じれば、開催によるコロナリスクはかなり最小化できるだろう。

しかし、日本ではそうはいかない。

なぜならば、この一年日本でやってきた対策というのは、合理性のひとかけらもないものだった。

ただひたすら恐怖に訴えて活動自粛をうながすやり方だったからだ。

人々にコロナの恐怖を植え付けて、マスコミを通じて、おびえさせ

燃え盛るような夜の真っ赤な都庁を映し出し、いずれはニューヨークイタリアと同じ地獄に向かうと国民を煽った。

それによって、何ら法的な強制力ももたない政府国民自粛を呼びかけるだけで、

人出を減らすことに成功した。

人々の視点からみれば怯えて自粛することが成功体験ともなった。一方で、飲食業界を奈落の底に突き落とした。

恐怖をあおる戦術はいまも継続中で、医療崩壊現場と人々への影響がセンセーショナル報道されている。

この一年、これによってどういう行動変容が起きたかというと、

コロナに怯える人は、ソーシャルな場に拒否反応を示し、リスクを過大に見積もる一方、

怖がったところで仕事柄、人と接触回避できず生活が成り立たない人々もいる。

そうすると認知的不協和引き起こし、受忍せざるを得ないリスクについて過小評価するようになる人が当然現れる。

そこで、怖がる人と怖がらない人にふるい分けられ、必要以上に自粛するグループと、ソーシャルディスタンスを軽視するグループ二極化していったともいえるかもしれない。

後者タイプは、恐怖に耐性ができたこともあり、恐怖作戦絶対に効かない。行動を変えようがない。

にもかかわらず、政府報道機関はさらに恐怖をあおることでなんとか変心させようとしているようだ。

その煽りの余波は、むしろ自粛を続ける人たちをさらに刺激し、ビビらせる一方で、

疲れて認知的不協和に耐えきれなくなった人から次々とリスク過小評価するようになり、ますます恐怖作戦が効きにくくなる悪循環に陥っている。

他方、運よく自粛環境に恵まれた人は、報道ますます怖いことを言ってくるようになってきたという印象でしかない。

俺がバッハ会長が怖いといっているのは、まさにその影響だ。

この一年ですっかりコロナ恐怖に煽られた俺からみれば、バッハ会長は鬼である

バッハよ、お前の目には、自宅療養を強いられた末、突然亡くなった家族の姿が目に浮かばんのか!」みたいに

なにもかもが論理的なつながりがなくても、恐ろしいものを煽るものとして合成されてしまう。

いまさら合理的対策などを説得されても、恐怖から自粛した体験しか持たない俺にとっては、

何を聞かされても鬼でしかないのだ。

思えば、この一年、本当に無駄をした。

感染症科学的に理解し、リスク回避合理的に考える絶好のチャンスだったのに、

それができなかった。

この一年、十分に科学素養を蓄え、啓もうされていれば、オリンピックに対するここまでの拒絶意識は生まれなかったような気がする。

オリンピックを開催することがもはや止められないのであれば、

からでも遅くないか

できうる対策をとったうえで開催した場合、どのような結果になるかについて

科学的なシミュレーションをしてほしい。

結果を予測する、というのは、あらゆるリスク管理の最初第一歩のはずだけど、

日本ではこの一年、それが完全に欠落していた。

緊急事態宣言の延長の可能性を記者から問われ、「仮定の話には答えられない」と答えた首相発言はそれを象徴している。

何か対策を行うにあたっては、見込まれリスクをある程度は受容せざるを得ないことは間違いないはずだ。

大事なことは、リスクを想定し、人々が受容できるようになるためのコミュニケーションをとることだ。

今の日本には、それが全然足りてない。

からバッハ会長もいつまでたっても怖いままだ。

2020-11-21

大好きなアイドルライブコロナ騒動で中止になってしま陰謀論に走ってしまったドルオタを某鳥のSNSでみつけた。

そのドルオタはしきりにコロナはただの風邪だのN浦はクズだのと騒いでいて(これは認知的不協和の解消というやつか?)、かわいそうやら滑稽やらで複雑な気持ちになった。

アイドルにハマってる時点でかなり情緒不安定であることが推察できるのだが、それはともかく当該ドルオタにとってライブ神事に等しいのだろうし、それの中止は当該ドルオタにとって自分世界観否定に等しかったのだろう。

コンテンツとの距離感やそれへの向き合い方を誤ると簡単発狂してしまうのだなと思わされた。

狂人が一刻も早く癒やされますように。

無事に癒やされて正気に戻ったら、狂っていた時期の言動を思い出して毎晩悶絶しますように。

2020-11-01

anond:20201031010338

ごめん、日本だとそこまで陰謀論が行き届いていないか

日本陰謀論まみれだ、と憤慨した時にこんなに注目を集めるとは思わなかった

そんなやつ見たことないぞ、とお叱りを受けたのはもっともで、私がわざわざそう言う人が多いところを見たのがよくなかった。

昨日書いた文章、今読み返してみると稚拙なんだけど、同じものを見ているはずなのに日本アメリカでこんなに違っていいのか、って数ヵ月もやもやした結果です。

自画自賛なっちゃうけど、「結局主要メディアトランプアンチばっかりだからトランプ信者認知的不協和を解消するために陰謀論サイトに行くしかないって重症だな」ってのは今も悪くない文章だと思ってる

トランプが大嫌いな主要メディアフェイクニュースうんざりするくらい言うのもいいけど、たまには聞いてみましょうよ

2020-10-31

アメリカ大統領選挙日本陰謀論まみれ

頭痛

ワシントンタイムズ統一教会フロント紙、epochtimesは大紀元フロント紙、どっちも新興宗教がらみで、だからといって間違いだとは言わないが、日本人アメリカで言う◯教新聞読んでるって分かってるの

いたこともない泡沫メディアツイッターアカウントソースに米民主党叩き、ネガキャン

アメリカだとトランプ信者しか信じてないような稚拙陰謀論日本だと大手を振るってあちこち通用してるのでびっくり。

ピザゲートもオバマゲートもいつまで経っても立件されないのは火のないところに煙が立ってるからでしょ

結局主要メディアトランプアンチばっかりだからトランプ信者認知的不協和を解消するために陰謀論サイトに行くしかないって重症だな

ハンターバイデンウクライナの件もロシア捏造説が濃厚、そもそも最初陰謀論元ネタ文書実在しない機関実在しない人物が書いていたってNBCスクープ出してたじゃん

主要メディア偏向しているんじゃなくて、欲しい情報陰謀論サイトの中にしかないだけです

日本でも大抵のメディア潜在的に読者に媚びてトランプに甘めです

2020-10-07

セックスレスが辛い

言葉では「嫌じゃない」って言われるんだけど、実際にしようとすると手でガードされる。

嫌じゃないことを再度確認の上で、胸とか触っても「くすぐったい」と言って嫌がる。実際に笑ってるからそれはある意味で本当なんだろう。

もちろん濡れないし、そうこうしてると、もう寝るねって言って自分の部屋に行ってしまう。

まだ結婚して一年も経ってないのに、セックスに誘うのが怖くなってきた。結婚してまだ一度しかしてない。

言葉では好きだなんだ言ってくれるけど、すごく空虚だ。普段生活ではお互いに慈しみあってる感があるんだけど、この一点だけが辛い。

「その欲がないのに誘われる」のも辛いと思うし、自分ばっかり求めてるのって恥ずかしさもある。だから、誘うときも本当はその時にしたいのに、「今度しようね」とか、逃げ腰の誘い方になっている。相手拒否やすいように、かつ、自分が今否定されないように、という欺瞞だ。しんどい

巷のセックスレス解消法は、「トキメキ要因」を作るだの、「ミステリアスな女を演じる」だの、不安感を煽るようなものばっかり。そういうの正直、嫌だと思う。そんなの恋人だったときでもう沢山だって思う。夫婦になってまでそんなことしたくないと言うのが正直な気持ちだって不貞行為はもう許されないわけだ……お互いに。そういう覚悟があるから結婚したっていう気持ちがある。

こういう鬱屈した理想現実とのギャップが行き過ぎると認知的不協和を起こして女叩きとかに走ってしまいそう。ネットでよく見る夫叩き、嫁叩きなんてくだらないって思ってたのに、そういうくだらないものになりつつある。

辛いなぁ……

2020-09-16

anond:20200916135704

ふーむ、なるほど。拙者が想像するところによりますると、女性というのはおそらく自分の行動の責任自分で負うことに慣れておらぬ。それゆえ、自分撤退判断を下した時に、それを自分の内なるものとの不一致にあると判断することができず、外部の要因に責任を負わせることで納得しようとするものではござらぬか。あるいは、そのように未練をのたまう場合自分が好いたモノや過去抱いたポジティブな内心を完全には否定きぬまま、現実的な状況判断として去るという判断を選ばざるを得なくなった事態に対する認知的不協和の解消のために、対象貶めることで離脱を図るのござろう。他を貶めることの品の無さを意に介す余裕がないほどに、おそらく不協和の解消は切迫した問題として当人の中で大きく膨らんでしまっているのでござらぬか。しらんでござるが。

2020-08-29

どうやっても話が通じない人が居る

たまにいる

親父もそうだ

何でも否定する

 

あと最近出会った人もそうだ

何を言っても自分の中に答えがもうあるようだ

「怒られるだろうな」とその人が予想していたとすると、こちらが何を言っても「怒られている」という感想になるらしい

それで言い訳が返ってくるからこちらはああ通じてないんだなとわかる

何でこれほど通じないんだろう

認知的不協和から心を逃しながら生きてきたのかもしれない

その人の生まれや育ちを考えればしょうがないことかもしれない

お姫様みたいな人だし、イエスマンに囲まれている、常に自信満々だ

 

そんな人とどう関わっていけばいいんだろうか

こちから認知を変更することはできない

既に答えはその人の中で決まっていて

そのまま落とし穴に落ちれば傷つき、うまく行けば自分の成果だと考える

そうか、これは下手くそゲーム実況者を見てるときの気分だ

こちらはどうにもできない

落とし穴にハマるのを見て笑うか、せいぜい落とし穴を塞ぐくらいか

反省もしないし、行動ルールは変わらない

そこに落とし穴があるよ、というセリフは通じない

落とし穴にハマったらハマったで抜け出そうとするだけだ

抜け出せなかったら終わるだけ、ただそれだけ

例え抜け出せても、次に「落とし穴があるよ、さっきも言ったけど」と言っても行動は変わらない

ロボット相手にしているようだ

2020-06-24

anond:20200623194658

ただの認知的不協和

まず「本当のことを言う」ことから始めてみようか。

別に実際に口に出したり書いて公開したりする必要はない。

頭の中で本当のことを言え。

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