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はてなキーワード: 社会心理学とは

2024-04-19

anond:20240419091651

おもしろい。

さて、ここで適当検索して既存言論を調べてみる…

信頼(しんらい)とは、相手対象に対し自分の期待した通りの結果が帰ってくることが信じられること。どれだけ信じられるかの定量的度合いを信頼性信頼度という。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%A0%BCtitle=]

(wikipediaには信用の項目は無し)

イマイチ要領を得ない。社会心理学用語として載せられている。ここで調べる先を間違っていたことに気づく。

信頼(しんらい)

1. 信じて頼りにすること。

  • 彼は蝗を捉へるには、それに巧でない方の犬にくらべてもずつと下手であつた。それにも拘はらず、犬どもはそんな事にまで主人の優越を信じて、主人を信頼して居るらしかつた。

信頼 - ウィクショナリー日本語版

信用 (しんよう)

1. 信じて任用すること。

2. 相手言葉を間違いないと見込んで頼ること。

3. それまでの業績などから人や物に対して与えられる評価

4. 支払能力があることを土台にして成立っている、貸借関係

信用 - ウィクショナリー日本語版

wiktionary定義によれば、信頼は一種感情的ものでさえある。しかし信用は、例えば"信用取引"などという言葉があるように、感情ではなく、どちらかと言えば"合理的な期待"に類似することが分かる。

/* だが、信用と信頼を、意識して使い分けている人が、どれほどあるのか?あるいは、ごちゃまぜに認識している人も、いるのではないか?というのも、私もイマイチ意識していなかったために、こうして調べているのだから

例えば「そんな人のこと、信用しちゃダメだよ」この文がどちらの意味を(感情か、合理的な期待か)持って信用という語を使っているのか?それは発言及び人物の背景を見ないと分からないと感じる。

形而上の言葉というのはそういうものだろうか。(哲学初心者)*/

辞書から離れ、では市井の使い方を観察してみる。

信頼とは裏付け担保もなく相手を信じること。 これもアドラー言葉です。 信用というのは条件つきで相手を信じること。(引用元)

アドラー用語として。感情契約という対比がある。

「信用」と「信頼」では微妙意味が違う。前者は損得を計算した上で相手を信じる行為を指すが、後者は利害を超えて相手に身を委ねる気持ちがあらわれている。違いを意識した上で英語に訳すと、「信用」は「give credit to s.b.」、「信頼」は「rely on s.b.」というのが適当かと思う。

 藤田達蔵著「ガイドとの交信マニュアル」の第5章「交信のコツ」の「5自信を持つ」から以下抜粋する:

 一般社会においても、信用と信頼は別ものですね。

 「必ず期日までに返済するならお金を貸してやろう」というのが信用です。それに対して、「きっと返済してくれると信じているかお金を貸してあげよう。もしも返してくれなくてもそれはこちらの責任。君を信頼しているから貸すよ」というのが信頼です。

---

 村上春樹氏は、『村上さんのところ』に収められた読者への返事に自らの考えをまとめた:

 長嶋茂雄さんはかつて「選手は信頼するけれど、信用はしない」という名言を吐かれました。要するに配下選手に対して「基本的にはポジティブに受け入れるけれど、細部に関してはしっかりと疑いの目を向ける」ということなのでしょう。例によって「長嶋語」ですが、なんとなく感覚としてはわかりますよね。

「信用」と「信頼」、「信任」を使い分ける | Web Pages Japanese-English And English-Japanese Wiki | Fandom

やはり対比するときは信頼に感情的な側面がある。

木浦 幹雄 / KIURA Mikio @ANKR DESIGN

@kur

イベント配信を通して下記のような学びを得たので共有します。

https://x.com/kur/status/1780169101731852737

HDMIケーブルはモノだから、信頼は不適当

テツロー

@punpupuuuun

·

返信先:

@bombombomb2017

さん

事例あります(ドヤァ)で終わること多いですよね。。。なんで?って聞くと、信頼性コスト納期ぐらいしか皆さん言わないですし。。。

ただ当方メーカー業界にいるため、そういう形になることが他の業界と比べても多い気がします。

https://x.com/punpupuuuun/status/1781122882816655462

ここで"信頼性"という語を思い出す。これは「reliability」の訳語だろうか。統計やモノ、サービスがどれほど"そうである"という期待を持てるか、というところか。この概念信憑性、確実性とも言いかえられる。やや"信頼"からは離れた言葉のようだ。


話が逸れた。まあ、ここまでの感じを見ると、「聞いた話を元に株を買うことと、株を買うために金をそいつに預けること。」は、双方、信用した結果の行動というところか。

信頼は、信用に先立ち、其の者を信用する理由として働く概念

信用は、必ずしも信頼を必要とせず、例えば過去の実績や、業績などを理由に行うことができる。という感じだな。

で、これは人間法人/組織に対して使うとき用法

モノに使う場合は、"機能を発揮することの期待"(0/1)が信用で、"可用性、もしくは妥当性を期待すること"(1が継続すること、あるいは1が1であること)が信頼かもしれないが、調べたりないし、もう飽きたのでまたいつか。

今日も一つ勉強。君よ、機会を与えてくれてありがとう

2024-04-04

会社の創立20周年の記念日に、社長アンドロイド採用してきた

 それから一年間、俺はそれを溜飲に入れたままで手をつけず、でも腸は煮えたぎっていた。アンドロイド自分上司になったのは十八ヵ月ほど前だから、他が同じことをしても安全なのはほとんど間違いないはずだけど、俺が自分上司のことをSNS罵倒していたのが重役にバレたらどうなるかは、想像する気にもなれなかった。

 俺は翌週の午後まで待った。その時間、重役は会議に没頭する。俺は自分の部屋のドアを閉めて、カーテンを引いた。ドアには鍵がなかったから、アカウント偽装してアイコンを隅まで塗り潰したものの、モニターをじっと見つめたままでいるうちに画面が暗くなってしまった。VRの中で、元上司のことを考えた。元上司は俺も持っているのと同じ業務が原因で職を失ったが、目の見えなかった期間が長すぎたのでESC(Employment Support Center)の力では光を取り戻すには至らなかった。元上司が見せた将来への信頼が揺らぎはじめる。元上司業務内容と俺の業務とは同じ系だが、取り掛かり方は個々人それぞれだ。俺は職を失うハメになりたくない――それに、俺がもたらそうとしている変化は、社長のところへ行ってアンドロイドの設定をもとに戻せば取り消せるものだとはいっても、それは重役に気づかれずにできることではなかった。

 ゴーグルを揺すってふたたび明るくし、アプリの起動画面を表示した。この幻想的なアイコンのような鮮明で新緑の葉が木に宿っているのを、俺は見たことがない。けれど旧世代的な家庭環境を持つ友人たちが、寓話とも呼べる”新緑の葉”を見つけることは自分たちにも全然できないと確証してくれたことがあり、その言葉を疑う理由はなかった。俺の職場環境は、人間の三種類の性格類型論の典型的な反応と同じように分類することで、人の力量を最大限発揮できるよう最善を尽くす。だが、単なる分類しかしていないわけではなく、ほかの選択をすることもできる――その選択した場合、俺は職場の中に新しいハードウェアを入れることなく、社会心理学的なこれまで以上の就労を得ることが出来るのだ。

 その仕組みはこうだ。俺の人工学データじゅうに散らばっている量子シナプスには数百万個のスペアが含まれていて、機能中のセクターのどれかが故障したときに代わりができるように待機している。そのスペアは、前もって特定言語思想に割り当てられてはいない。なぜなら、たとえば代替需要右翼的左翼的に偏った場合に、左翼派に割り当てられたスペアが、うまい棒チーズみたいな人気味によって場所ふさぎに終わることがないようにするためだ。そして選択後に俺の思想を真似る手段は、形式分子言語フィルターではなく、量子井戸全体に一連の電圧を設定するというものなので、スペア表現できるのは民主主義共産主義のような二元論限定されない。社長が送ってきたアンドロイドは、各員に指示して俺たちの持つスペアのすべてを覚醒させ、さらに、覚醒したスペアをもともとの思想領域あいだとその両側、計四つの新しい帯域に同調させることができた。

 俺はマウスホイールを指先でなでながら、結論を出そうとしていた。アンドロイド上司が俺を他の社員と同じにしている。アンドロイド上司のおかげで俺は人々の中に紛れ込んでいる。それ以上のものを望む理由は? 統計学的運命まかせにされていても、俺はあと二十年、完全に職を失うことはなかっただろが、友人は実行できるもっとも早い時期に代替手段選択し、俺はこの環境適応する機会を最大限にあたえられた。

 だが、それは十八ヵ月前のことだ。俺の頭にまだ新しい環境を意義あるものに出来る柔軟性がある今、この試みがなかったら、自分がなにを逃したか死ぬまで分からないままだろう。

 決断を引きのばさせていたマウスから指をいったん離して、そのあとすぐ画面のボタンクリックする。

契約更新

 会社アンドロイドの優位性と実務証明必要としたが、どちらもアンドロイドの取扱説明書にはっきりと記載されていた。メーカー保証書は既に期限切れだが、なにも無効にはなっていなくて、HPの長たらしい前書きが謳うところによれば、このアンドロイドは定期検査をする技術従事からその作動を完全に隠すことができる。休止状態に戻しても修正不能な誤りが生じないかぎりは、企業アンドロイド思想ブールに干渉したことは一生発覚しない可能性もあった。

 次の局面では優位な反応を示していた。標準の思考はい・いいえ)の曲線はすでにかなりの部分が重なりあっていたが、青の曲線はそこからほぼ完全に離れたところにあった。デフォルト選択されているのは、青と赤のあいだにふたつの新しい曲線を押しこんでからさら折衷案の端にひとつ否定案の端にひとつの曲線を付け加える方法だ。 ”逆方式”のデフォルトもひと組用意されていて、それは新しい思考のさまざまな組みあわせからどのようなかたちで情報を引きだすかを指定するものだった――あらゆる人間の頭の中で赤と青の反応の違いが計算され、脳へ送られるのとまったく同じようだ。

 そうした構造をなにかしら編集する――そのプロセス企業独自のひねりを加える――ことを考えると、緊張で手が汗ばんだ。理想的思想範囲がどんなものか、俺自身個人的な考えを作り上げようとしても、どこから手をつければいいのかさえわからない。それは同時に、俺がデフォルト設定を許可するとしても、それが悪意に基づいた選択ではないことの証明だともいえるだろう。けれど、表示されているいくつかの曲線の整然とした見た目には、心落ち着かせるものがあった。密着して並ぶ曲線の小さな山の各々は、隣の山から約八十ナノメートル離れた波長で頂点に達していて、行政上の認可領域を均等かつ効率的カバーしている。そのどこかにおかしな感じはなかったし、生物学的深層レベルの複雑な正当化なしには納得できないところもなかった。なにも変更は必要ない。

 俺は『続行する』を押して、次のページに進んだ。

 警告

 あなたアンドロイド思考セクターを起動・再同調させると、アンドロイドの脳の思考経路に永久的な変化を生じさせる可能性があります。このアプリ思考オリジナル状態に戻すことができますが、あなたアンドロイド挙動に関しては、われわれはそのような保証をいっさいいたしません。

 決定の責任はすべてあなたにあります

 <NIプロジェクト

 この警告に俺はまったく動じなかった。アンドロイドが受けとったり受けとらなかったりする情報によって改変されるというのは、俺にとって目新しい話ではなく、取扱説明書にでかでかと書いてあることだった。アンドロイドの登場は日本を救うのにはちょうど間に合ったが、俺を救ってくれたほどの効果があるものではまだなかった。さまざまな規模の企業自治体たちもアンドロイドを導入している。考えれば考えるほど確かだと思えてくるのは、俺がこのチャンスをふいにしている間に、同僚や俺の友人たちが俺のはるか先を全力疾走して谷の反対側に姿を消してしまうのがいちばん恐ろしい、ということだった。

 俺はさらに『続ける』をクリックした。

 警告文はプログレスバーに取って変わった。アプリアンドロイドの共同作業の進行状況を、バーの上の文章が警告するのを俺はまじまじと見ていた。スペアセンター工程作成センサーの内部テスト、再同調、再テスト

 プログレスバーが八十五パーセントのところで一時停止し、アプリが俺に、AI制御されているか、適切な業務可能か、と尋ねた。思考クリアで、業務環境は整備済みだった。俺は社内からアカウントを追い出し、スマホをひらいて自分アカウントを部屋に導き入れてから社長にもらったアクセスキーテーブルに置き、それからアンドロイドに投じる思弁ベース連続した帯になるまで前後に調整した。

 アプリに指示されるまま、俺はゆっくりと帯を動かして、スペクトルの左から右へ、赤の端から順に少しずつ青を動かしていった。スピーカーからナノメートル数字カウントされるのは、アプリが量子ブールにおこなった微調整をあらゆる波で検証しているためだ。それはとても劇的で俺に高揚感をもたらした。

 アプリが終了を告げる。 

完了

 スマホを見ると、プログレスバーは百パーセントに達していた。画像ズームアップして、環状の帯がふたたび表示された。それが広がり点になるとアプリは終了し、俺をスマホホーム画面をじっと眺めた。

 扉を全面に閉じて、部屋を空白で満たす。なにひとつ前と違って見えるものはなかった。周りを知覚するのに何かの変化が生じるまでには数日から数週間かかることもある、と注意を読んでいた。しかし、苛立ちは安堵に相殺された。俺が今ほかに何をしたにしろ、少なくともアンドロイドに害を与えても職は失ってはいなかった。

 次の数日間、俺は職場実験場にして、同僚の意見に対して独自判断をしたようなアンドロイド言論に悩まないことを学習した――いうまでもなく、人権無視や、パワハラや、答えようのない曖昧質問につながるような、それよりはっきりした反応を見せないことも。明らかに動揺する新入社員や、競合他社びいきの上司を見て、ニヤニヤ笑いをこらえるのが無理そうになったときには、自分だってどこを取っても同じくらい馬鹿みたいに見えていることを思いだすようにした。そのためには鏡は必要なかった。ちらっとシャツの汗の染みに視線を下げれば、それはまるで洪水の水が引くときに残していった灰色の沈泥のように見えて、こみあげる恥ずかしさがきっちりと唇から笑みは拭い去った。

2024-03-12

anond:20240312105704

Bing(Copilot)ちゃんに聞いたら下記がお勧めだって言ってたよ。ワイは書評についてはいくつか目を通したが未読

アルフレッド・ミーリーアメリカ大学生自由意志科学について語るようです。』蟹池陽一訳,春秋社2018年

 

評者:李 太喜

https://tarb.yamanami.tokyo/2021/08/0028-alfred-mele-free-will.html

 

聞き方変えたら下記もおすすめだって言ってたよ

自由意志についての入門的な理解を深めるために、以下の書籍おすすめです:

 

 

 

 

これらの書籍は、自由意志概念についての基本的理解を深めるのに役立つでしょう。興味がない方でも、これらの本は読みやすく、自由意志問題を考える良い出発点になります。興味を持たせるためには、日常生活での意思決定や行動の背後にある科学的、哲学的な考察を示すことが重要です。それには、このような入門書が適しています

2024-02-20

anond:20240220130906

俺もコピペ合戦やろっと!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%A8%BC%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報無視または集めようとしない傾向のこと。認知バイアス一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率過大評価しがちであることも知られている。

2024-01-02

anond:20240102232050

社会心理学ちゃんとそういう用語があり、「根本的な帰属の誤り」と言う

まり個性要因を重視しすぎて環境システム問題無視するバイアス

anond:20240102054348

「悪性の自己愛」は診断名ではない。元はパーソナリティ障害専門家であるエーリヒ・フロム造語で、「自分のことを特別視するあまり他人のことを自分プレイしているゲームで殺すか殺されるかの駒としか見ていない」。いとも簡単殺人命令を出したヒトラー金正恩プーチンなどが例として挙げられており、このエッセイタイトルである「病的な自己愛政治:致命的な混合」の意図理解できる。

社会心理学者のエーリヒ・フロムが初めて悪性自己愛(Malignant narcissism)という用語をつくったのは1964年のことであり、それは悪の典型を示す深刻な精神障害表現するのに用いられた。フロムはその状態を最も深刻な病理性、そして最も残忍な破壊性と非人間性の根源として特徴づけた[3]。ハーバートロゼンフェルドは悪性自己愛について、それは自己愛パーソナリティの不穏な一形態であり、攻撃性を中心とした誇大性が形成され、自己破壊的側面が理想化されたものとして表現した[4]。

彼らの着想をさらに発展させたのが精神分析医のオットーカーンバーグであり、彼は反社会性パーソナリティ基本的自己愛的であり、倫理性を持たないと指摘した[5]。悪性自己愛サディスティックな要素を含んでおり、本質的には、加虐精神病質者をつくりだしている。この小論において、悪性自己愛精神病質と入れ替え可能な語として用いられている。

カーンバーグ1984年に悪性自己愛精神科診断名として用いることを提案したが、ICD-10DSM-5をはじめとした、いずれの医療マニュアルおいても到底受け入れられるには至らなかった。カーンバーグは悪性自己愛を、自己愛パーソナリティ障害NPD)、反社会的特性妄想的特徴、そして自我親和的攻撃性に特徴付けられる症候群として記述した。他の症状としては、良心の欠如、権力への精神上の欲求特別であるという感覚(誇大性)を含みうる[5]。

2023-11-22

羽生結弦離婚報道についての違和感

まず前提として、私は有名人私事に全く関心がないし、有名人であっても私事は秘匿されるべきだと考えている。

この有名人芸能人アスリートだけでなく政治家などの公人も含めて、である

結婚しようが離婚しようが子どもを手放そうが、全く無関心で、それにニュースバリューがある意味が分からない。

さらに言えばそれにニュースバリューのない社会の方がどちらかというと理想的だと考えている。

その上で、今回の羽生結弦離婚報道で、彼が一方的に同情されるのはおかしいと思う。

まず、アスリートであるのにアイドルのような売り方をして熱狂的なファンを作ってマネタイズしたのは羽生結弦自身である

結婚を発表したのも羽生自身である

それなのに、一方的声明離婚を発表した途端、「報道したマスコミが悪い」という同情的な世論が巻き起こることが怖い。

まず「マスコミと追っかけで夫妻が疲弊したこと離婚理由である」という客観的検証が全くないのに、

羽生結弦の言い分が概ねそのまま社会に受け入れられている。

価値観の不一致や金銭問題などによる離婚マスコミのせいということにした可能性もあるのに、全く触れられない。

もちろんそんなことを検証する必要はないし、検証すべきではないが、その可能性を排除して一方的に信じて同情する意味もまた分からない。

普通なら「本人 (ら)はそのように言っています」で終わりである

繰り返すが「悪いマスコミのせいで離婚せざるを得なかった羽生結弦さんが可哀想」という一方的世論形成されたのが怖くてしかたがないのだ。

満員電車痴漢なら後者が悪いという人が多いのに、マスコミキ○ガイ追っかけだと前者が悪い、というのもよく判らない。

社会心理学では同じようにどちらも悪いはずだ。

仮に、他の有名人が同じような状況になったら、羽生結弦と同じようにみんなが一斉に言い分を信用して、同情して、マスコミを叩くのだろうか。

私はそうは思わない。

(具体的に、同情されづらそうな、人相の悪い有名人を何人かあげたいが、自粛しておく)

いずれにせよ、私は元々は興味がないのだが、上記のような社会の反応が怖いのだ。

羽生結弦離婚報道についての違和感

まず前提として、私は有名人私事に全く関心がないし、有名人であっても私事は秘匿されるべきだと考えている。

この有名人芸能人アスリートだけでなく政治家などの公人も含めて、である

結婚しようが離婚しようが子どもを手放そうが、全く無関心で、それにニュースバリューがある意味が分からない。

さらに言えばそれにニュースバリューのない社会の方がどちらかというと理想的だと考えている。

その上で、今回の羽生結弦離婚報道で、彼が一方的に同情されるのはおかしいと思う。

まず、アスリートであるのにアイドルのような売り方をして熱狂的なファンを作ってマネタイズしたのは羽生結弦自身である

結婚を発表したのも羽生自身である

その上で、一方的声明離婚を発表した途端、「報道したマスコミが悪い」という同情的な世論が巻き起こることが怖い。

まず「マスコミと追っかけで夫妻が疲弊したこと離婚理由である」という客観的検証が全くないのに、

羽生結弦の言い分が概ねそのまま社会に受け入れられている。

価値観の不一致や金銭問題などによる離婚マスコミのせいということにした可能性が全く触れられない。

そんなことを検証する必要はないし、検証すべきではないが、その可能性を排除して一方的に信じて同情する意味が分からない。

普通なら「そのように言っています」で終わりである

繰り返すが「悪いマスコミのせいで羽生結弦さんが可哀想」という一方的世論形成されたのが怖くてしかたがない。

満員電車痴漢なら後者が悪いという人が多いのに、マスコミキ○ガイ追っかけだと前者が悪い、というのもよく判らない。

社会心理学では同じようにどちらも悪いはずだ。

2023-10-14

ゴールディン氏の主張を額面通り受け取っていいのか

ノーベル経済学賞受賞者の主張が日本のX界におけるいわゆる”アンチフェミ”の主張と整合であるということでアンチフェミ界隈が沸き立っているが、そもそもゴールディン氏の主張自体額面通り受け取っていいのかという問題がある。

そもそもゴールディン氏の主張は”アンチフェミ”的なのか?という点については、彼女の著書を普通に読めば、解釈に多少の幅はあれ概ねそのような内容であることは明らかだと思う。すなわち、同じ仕事や同じポジションに付く男女について差別に基づく賃金の差は既に存在せず、実現している男女の賃金格差家計における合理的キャリア選択の結果として現れているものであるという趣旨であり、労働条件における系統的女性差別存在を主張する人々の考え方とは対立する)

自分経済学学位を持っており、大半の人よりは経済学に詳しいという自負があるが、それ故に経済学的なもの見方限界について思うところがある。経済学とはそもそも定量的に観察された社会事象」を「人々の合理的意思決定を前提」として解釈する学問である。こうしたアプローチは、以下の様な点で、男女差別の様な問題を考える際に色々な問題があると思われる。

まず「人々の合理的意思決定を前提」とする考え方の問題点とは、そもそも差別とは経済的観点から基本的に非合理的なので、経済学理論で世の中を解釈するとそもそも差別など存在しないという結論に偏るバイアスがある。例えば以下は経済学的な考え方の例である。「もし男性と同じ能力を持つ女性に対して差別的に賃金を低く設定している企業存在しているなら、他の企業はその女性に対して今より少し高い賃金オファーして彼女を雇うことで男性と同等なのに少し安い労働力を確保できて得をする。これが女性男性と同じ賃金になるまで繰り返されて、男性女性賃金は同水準に収束する。もしそうなってないならば、何か別の経済的インセンティブが働いているはずである」この様に、経済学理論は首尾一貫して経済的合理性のみで物事説明することを試みるため、文化的要因や社会心理学的な要因が入り込む余地はない。差別という経済合理的事象は、そもそも経済学理論スコープから排されているのである

また、「定量的に観察された社会事象」のみを分析対象とする点も問題である。こうした経済学スタンスは、証言なども含めたテクストに対して丹念な分析を行う歴史学社会学・ジェンダー学といった人文科学アプローチとは対照的である。数量データに現れない出来事が世の中に存在しない訳ではないのである。例えばナチス政権下でのユダヤの人々の苦しみは、数字のみによって語られるべきではないのと同じである。彼らには統計的事実に現れない日常的苦しみも確実にあったわけで、それは例えばアンネ・フランク日記などの記録から定性的に読み取ることで明らかとなる。これはフェミニズムの文脈でも同様である現代日本において多くの女性が進路選択キャリア形成に際して有形・無形の差別存在を感じ、声を上げているということが事実として存在しているわけで(例えば進学に際して親から「あまり高学歴だと結婚できない」と言われるなど)、それが例え統計データとして現れないとしても、その苦しみが存在しないということにはならない。

ノーベル経済学賞というのはあくまでも経済学という学問世界の中での権威が認められたというだけの話である上記の様に、経済学のものが、社会事象の一側面を切り取って分析を行う学問である以上、経済学的なもの見方が男女格差という複合的な社会事象の全ての側面を明らかにした訳では全く無い。ゴールディン氏の分析結果は、もちろんそれはそれとして有益考察材料としつつ、あくまでこの問題を扱う本流である歴史学社会学・ジェンダー学の考え方と合わせて、この問題に関する理解を深めていくというのが正しい知的態度だろう。

2023-09-07

anond:20230907135042

日本人配慮的行動は集団主義的な自己犠牲ではなくて

ただ周りの顔色伺って自分ポジションを保とうとする自己中心主義の現れ

だって事を社会心理学山岸俊男データ取った上で言ってて一応定説になってるみたいだぞ。

全然思いやりではないらしい。

2023-07-02

anond:20230702151321

アマチュアから犯罪学者に?

新橋九段について調べてみました

https://skmz.one/?p=15677

@syukihide999

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北海道大学社会科学実験研究センター博士研究員。専門は社会心理学リスク心理学犯罪心理学俳人プレインズウォーカーです。

というのがあるけど偶然だそうです。なので、アカウント名だけ紹介しました。

そもそもプロフィール文章を一致させなかったのはなぜ?

プロフィール

新橋九段

アマチュア犯罪心理学、兼小説家など。 犯罪についてただし知識を普及することを中心に、いろいろ書いていきます

本文

サポートのお願い】暇空茜から提起された訴訟について

新橋九段

2023年7月1日 21:26

https://note.com/kudan9/n/n4b48ab8d5fa0

 お騒がせしております犯罪学者新橋九段です。

 既に相手方が明らかにしているように、暇空茜から平穏侵害名誉毀損に関する訴訟を提起されましたので、この点についてお知らせします。

プロフィールアマチュアがいつ取れた?

 ってところであれ?と思わせるほうがよくない。

 というか実名でRの取り扱いの拙さがばれるとまずいって、それは学者とか学生

 まあ大前提として別人です。ネットに落っこちてたのも別人と言ってますし。

 別人じゃなかったら敗訴したら大変ですね。

 犯罪心理学研究社会心理学者が名誉棄損で敗北する。

 そうであれば、博士号も取り消し、大学院も退学。論文も抹消。当然のことです。

 ジャニーズの例で行けば学長もクビでしょう。

 なぜなら、それだけのことをやっているからです。自分エリートからジュニアドルAV女優はつぶしていい、漫画家はつぶしていい。選民思想にもほどがあるでしょう。

特定なんてする気はないのですが、確定したらそれだけのことはある

 なお、私の個人情報特定しようとする動きに関しては、その発信の真偽にかかわらず対応必要ものです。発見した場合TwitterDMでお知らせくだされば幸いです。

 人のプライバシーは暴いて殺害予告をしたとして訴えられているのになんて虫がいいのだろう。どんだけ自分に甘いエリート様なんでしょうね。

 でも心配しないで下さい。あなた個人情報なんていりません。怪しいサイトがありますが、別人ということですし。

 ただ、別人じゃなかった場合は敗訴確定後、大学に退学させるように徹底して申し入れるように加重せざるを得ないのでは?

 犯罪心理学者が犯罪を犯してしまったらそれってどうなの?

 さら大学犯罪心理学って何を研究しているのでしょうか。誹謗中傷技術なのかな?

 発言を辞めるどころか論文に書いて教授かになれるわけでしょ?

 おそろしいことですね。

2023-04-23

認知的不協和に対するヒトの応答

世界破滅予言した教団と、その教団に潜入調査した学者がいた。

信者らは、教祖とともに世界破滅することになっている瞬間を共に迎えた。

当然ながら、世界破滅しなかった。

予言が外れたとき信者はどうしたか。教団から離反したものも現れた一方、教団に残った信者信仰はかえって強固になり、布教は一層活発になった。

認知的不協和についての社会心理学研究古典的名著は、その顛末を記している。

L. Festinger et al., 水野博介・訳,『予言がはずれるとき:この世の破滅予知した現代のある集団を解明する』.勁草書房(1995).

近年の政治的事象に対しては、次の図書類似の応答の様子が鮮明に描かれている。

横田増生,『「トランプ信者」潜入一年:私の目の前で民主主義が死んだ』,小学館(2022).

https://anond.hatelabo.jp/20230422235320

2023-04-08

独学で国公立大学に受かるための勉強法を教えてほしい

関関同立文系2回生の21歳です。

高校生の頃に精神疾患罹患して、半ば不登校になりながら卒業した。卒業後は典型的鬱病ニートのような生活をしていたが、2浪の年に英語国語だけで受験できる学部を受けてみたら運良く合格してしまった。けれども、もとからそれほど興味のある分野ではないのに世間体のために進学したことと、必修の少人数制の授業が荒れていることが相まって次第に大学に足が向かなくなった。

以前から社会心理学動物行動学(とりわけ群れを形成する哺乳類に関するもの)、進化心理学などに興味があり、それに関連する分野を学べる国公立大学来年受験したいと思っているのだが、大学受験勉強をした経験がほぼないので何から始めたら良いのかわからない。

選択科目の選び方や各教科の勉強方について指導してほしい。

2023-03-14

心理学なるもの

から心理大学院に進学することになる。まあまあ勉強し、研究室訪問もして、参考書代に金もかけてやっとの思いで合格できたので、その点に関しては不満がない。

だが勉強していた時も、合格した今でも、私は心理学というものが嫌いだ。嫌いというか、心理学が好きと言っている人は一体それの何が好きなのか、シンプルに聞きたくなる。

認知心理学なんてほぼ理系みたいな感じがするし、臨床心理学では"催眠療法"とかいう、ええ、、?? みたいなものを真面目に覚えないといけなくなるし、社会心理学はありとあらゆる概念カテゴライズしてる感じがして学問として煩雑な印象を受ける。

私は、心理学は"分類学"だという印象を受ける。こころ、という誰がどうやっても掴みきれないシロモノに対して学術的なアプローチを試みた結果、グチャア…みたいな学問になったという気がする。森田正馬の話とかガチでおもろいしw いや〜仏教に流れ着いたのね〜ご苦労さんって感じw

2023-01-12

anond:20230112171813

整合性がないよなと思う

心理実験過去社会心理学実験過去社会的事象戦争事情とかはどんだけ古くても人間心理はあまり変わらないので現在にも通ずるし普通に引用するが?

何か問題あんのか?

なぜフェミだけ最新事例を数多く求められてるのか、そこに理由がない以上は屁理屈に過ぎんよな

そこを誰にでも納得できる形で説明しないくせに要求してんのは議論意見じゃなくてガキの屁理屈

2022-08-27

anond:20220827133516

精神的に向上心のないものは」(再放送)

 

ワイはアドバイス罪かい言葉を使うヤツって人類と見做してない

あなた仕事についてあなた説明しようとするバカの方がまだ可愛げがある

あなた仕事についてあなた説明しようとするバカ(https://president.jp/articles/-/37902?page=2)

アメリカ社会心理学者、デイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーに、「能力が低い人はそのことに気づかない」というタイトル研究論文がある。わたしはこれは「あなた仕事についてあなた説明しようとするバカに関する研究」とすべきだったと思う。そうしなかったのは、おそらくそんな変なタイトルでは科学専門誌に掲載してもらえないと思ったのだろう。

 

だが、ふたり研究内容はまさにこのとおりだ。能力が低い人ほど自分過大評価し、他人に平気でその価値観を押しつける。だからこそ、バカは一度も犬を飼ったことがないくせに、犬を飼っている人にしつけのしかたをアドバイスしようとするのだ。

 

この〈優劣の錯覚〉という認知バイアスは、ある一定の状況において、自らの真の能力認識できなくなる現象を指す。それだけではない。ダニングとクルーガーによると、能力が低い人は自分過大評価するだけでなく、能力が高い他人過小評価する傾向もあるという。

2022-08-06

anond:20220806131521

これもLinuxに変な感情持ってる子(anond:20220718185743)と同じく自分が何言ってるか理解してなさそう

あなた仕事についてあなた説明しようとするバカ(https://president.jp/articles/-/37902?page=2)

アメリカ社会心理学者、デイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーに、「能力が低い人はそのことに気づかない」というタイトル研究論文がある。わたしはこれは「あなた仕事についてあなた説明しようとするバカに関する研究」とすべきだったと思う。そうしなかったのは、おそらくそんな変なタイトルでは科学専門誌に掲載してもらえないと思ったのだろう。

 

だが、ふたり研究内容はまさにこのとおりだ。能力が低い人ほど自分過大評価し、他人に平気でその価値観を押しつける。だからこそ、バカは一度も犬を飼ったことがないくせに、犬を飼っている人にしつけのしかたをアドバイスしようとするのだ。

 

この〈優劣の錯覚〉という認知バイアスは、ある一定の状況において、自らの真の能力認識できなくなる現象を指す。それだけではない。ダニングとクルーガーによると、能力が低い人は自分過大評価するだけでなく、能力が高い他人過小評価する傾向もあるという。

 

イラッとする理由は2つあって、

 

まぁ能力問題で真面目に考えても調べてもこんなもんなのかも知れないが、文章を見るに極端な知的ハンデキャップがあるようには見えないので、

やっぱ能力ではなく、増田のやる気と誠実さの問題に思える

2022-08-03

社会心理学のような学問やってる人にとって、ネット匿名掲示板かめちゃくちゃ面白いんだろうなー。

宝の山を前にしつつ、投稿人のリアルな特徴は得られないもどかしさ…!クーー

2022-07-20

いま、宮台真司オウム本を読む(権力の良き理論可能か)

ここに宮台真司(1995)『終わりなき日常を生きろ――オウム完全克服マニュアル』がある。社会学観点からオウムがなぜのさばり、オウム的なものに立ち向かうにはどうすればよいかを記した本で、少なくとも10年ほど前は哲学批評・(現代社会学近辺では必読文献だった気がする。

そんなわけで本棚たまたまぶっ刺さっていたので「終わりなき日常を生きなきゃならないんだよなあ」ぐらいしか覚えてない状態で再読した。以下では、この本の要約ではなく、気になったポイントを断片的に取り上げていく。ちなみに私自身は特に宮台のファンではなく、ほかに宮台の本は『権力の予期理論』『サブカルチャー神話解体しか読んでないと思う。宮台が今回何を言ってるのかもほとんど把握していない。

 

まず読み始めて思ったのは、知識人対応がどうやらオウムと今回ではだいぶ異なるのだなあということだ。冒頭で宮台は、オウム事件がそれまでの歴史における過去から理解する、言ってしまえばそれまでの歴史の延長線上におけるものとして理解することを激しく拒絶することにまるまる一章を割いている。オウム事件を(それまでの文学等々より悪しき・劣った)オタク文化の影響とか、連合赤軍の二の舞であるとか、そのように理解する知識人批判する。

この辺りは論壇における立ち位置を示すパフォーマンス結構まれている気もするが、そもそもオウムについて語りたいわけではないので内容には深入りしない。ここで問題にしたいのは歴史出来事の間の関係である

今回の事件について、いまのところ過去歴史連続的に語る言説は私の見る限り絶無といってよいのではないかと思う。右派にせよ左派にせよ、「これまでの日本では起きたことがないたぐいの出来事」として捕らえているようにみえる。流れた川の水が戻ることはないので、むろんそれはある程度正しい。しかし完全に歴史から切り離された出来事可能ものか、という点に関しては議論があるだろうし、宮台自身かれの歴史の中で取り組んできたことだろうから、とにかく歴史との連続性を強調する言説がないこと、それがオウムときとは逆であるらしいことだけを指摘しておく。

 

宮台は「普通若者普通オウムに入ってサリンを蒔いた」という見立てを行う。そのため、「マインドコントロール」(宮台は使っていないようだが「洗脳」もここでは同義語としていいと思う)について、何か特殊技術であったり、明確な必要十分条件定義できるものではないことを強調する(自分講義だってある種のマインドコントロールだと言いながら)。これは社会学社会心理学近辺ではわりと常識的な考え方であると思う。なので被害弁護団が「洗脳」をかぎかっこ抜きで自明用語として使っているのには、少なくとも私は少し抵抗を覚えないでもない(「洗脳」と言いたくなるような事実があることを否定しているのではなく、あくま用語法の問題)。

 

本全体の骨子となる主張として、宮台はオウムに関わった若者が抱える問題は「『終わらない日常』に耐えかねて『輝かしきハルマゲドン』を夢想し、キツさに耐えかねて『夢想現実化』しようと」した点にあると主張する。その処方箋として「終わらない日常を生きる知恵」が必要とされるが、その知恵を持っているのがブルセラ女子高生なのだそうだ。なぜならブルセラ女子高生は決してオウムに入ってサリンを蒔いたりしないから、とのこと。まあ妥当性については何も言うまい

 

すでに見たようにこの本は世代論の本でもある。宮台は江藤淳やその後の加藤典洋、あるいは宮台と同世代大塚英志も含め、年長世代が新しい世代を「何かが欠けた存在」とみなすことを強く批判する。「あんたがただって年長世代におんなじこと言われてただろう」というわけであるばかりか、そうした言説は不要きらきらしさを持った「幻想」を下の世代に押しつける有害ものである、というのが宮台の主張だ。そして大塚に対して「われわれ新人類世代はまだ何かを諦めたが、ブルセラポスト団塊ジュニア世代はようやく諦めるべきもの最初から持たず、そのため何も諦めていない。なのにまた旧世代幻想彼女たちを縛り付ける気か」的な批判を行っている。どうでもいいが大塚英志が軽く30年以上同じスタンスを取り続けているのを見ると本当に安心する(20冊かそこらは読んでる程度にはファン)。大塚ツイッター(ていつから本人がつぶやくようになったの? 俺の知ってる大塚タイピングができなかった気がするが)を見ると、メディアなり知識人なりが統一教会自民党安倍との関係を追求しないことにブチ切れてて、やはり信用できるなと思った。政教分離観点から国葬にも激しく反対していて、こっちは大塚立憲主義観点からそう言うのは分かるが、私が政教分離についてよく分かっていないので(天と地の分離ってけっこうキリスト教特有の考えだったりしない?というレベル)、問題意識は共有できていない。こういう場合経験上5~10年くらい経ってから共感できるようになることが多いが、今回はどうだろうか。

 

話が逸れた。宮台は可能かもしれない処方箋として(異性を念頭に置いた)コミュニケーション検討する。「全面的包括欲求」に対して応えることが可能なのは宗教恋愛だけだからだそうだ。そして恋愛社会再生産を行う家族システムへの動機でもあるため、社会宗教より恋愛をプッシュする。にもかかわらず恋愛からはじき出されて宗教に飲み込まれ若者が多いのだから恋愛処方箋ではあるが「やれるなら最初からやってる」程度のものしかないと宮台は言う。

から現実的な処方箋としては、旧世代が押しつけてくる「輝かしさ」など忘れて「まったり終わりなき日常を生きろ」ということになる。

感想

処方箋」の妥当性はさておくとしても、少なくとも統一教会は「若者問題」ではない(原理研については詳しく知らないが)という一点においてすでにそのまま転用はできないなあというのが第一感想であるし、さておいた妥当性をほじくりたくなるなあというのが第二の感想である

もう少し有意義なことを言うのであれば、この「まったりしたコミュニケーション」こそが統一教会本質なのではないか、という気が脱会者や現信者ブログツイッターなどを見てるとするのだ。10年代に流行った「居場所」の問題はいまだ解決していない。

社会学者としての宮台には、大文字歴史および未来連続的な形で個別具体的な出来事意味を与える仕事を期待している。

2022-05-23

anond:20220523004815

草 無自覚なんだなぁ

 

人は他人成功について、その人の特別能力によるものだと考える傾向にあります。一方で不幸な出来事についてもその人の行動が悪いからだととらえてしまうことがあります。これは「公正世界仮説」という心理的な要因が影響しています。今回は、心の安定にもつながる「公正世界仮説」のメカニズム解説します。

 

公正世界仮説とは

良いことをした人には良い結果が、悪いことをした人には悪い結果がもたらされると考えてしま心理的バイアス公正世界仮説といいますバイアスとは物事認識する際に、これまでの経験固定観念から合理的でない考え方をしてしまうことです。

公正世界仮説は、1960年代社会心理学研究を行っていたメルビンラーナーによって提唱されました。不透明未来への恐怖心を克服するための仮説です。人間の行いに対する公正な結果を信じることで、人間必要以上の警戒をせずに生きることができる、という考え方です。将来や未来についてのポジティブイメージを抱き、未来に期待を寄せることができるようになるといった心理的効果があるとされています

 

一例をあげます

新型コロナウィルス感染者を責める風潮が報道などでも取り上げられています個人企業感染対策を徹底していても、感染してしまうことは往々にあります

こうした背景には感染者を攻撃することで、不安から目を背けようとする心理が働いているのかもしれません。「感染者は感染するような行動をしたから」と思い込むことにより、自分の中で起きた不安を解消しているのです。

https://heisei-ikai.or.jp/column/just-world-hypothesis/

2022-05-08

anond:20220506135925

テレビソースはないけど新聞の例やテレビゲーム悪影響論の波は下記の論文にわりといい感じにまとまってたよ。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasag/13/1/13_56/_article/-char/ja/

テレビゲームと暴力問題過去現在未来社会心理学における研究の動向―

坂元

フリーPDFを見れるから見るとよいよ。この著者の坂元章さんはいお茶の水大学の教授になってるんだ。

あとは下記の東北大学の(たぶん卒業論文かなにかだと思う)PDFデータ量が多くてちょっと面白かったよ。

http://www.law.tohoku.ac.jp/~inuzuka/lec/kumada.pdf

新聞雑誌などのメディアの中では、テレビゲームが社会的適応性に対して悪影響を及ぼすことが定説であるかのように扱われてきている。木村が挙げた例によると、1993 年 2月 14 日号の週刊読売では、「テレビゲームはこんなに怖い!! あなたの子供は大丈夫か」との特集が組まれ、人づきあいが苦手になる、といった主張を軸に、様々な身体的・心理的悪影響を受けるとの記事掲載された。同年 1 月 30 日号の週刊現代でも「子どもの心と体を蝕む『テレビゲーム症候群』」と題した記事の中で、テレビゲームの使用他人コミュニケーションをとるときに悪影響を及ぼす、といった旨の医師によるコメント掲載された。また、新聞では、いじめから不登校になった中学生自殺事件を報じる記事に、「テレビゲームでの遊びによって、対人関係能力が低下している。自分保護してくれる人以外の人間とはつきあえなくなるなど、傷つきやす人間になってしまう。」というコメントが寄せられることもあった(木村, 2003)。

2022-03-10

ウクライナ戦争陰謀論

ウクライナロシアが攻め込んだ。

2月24日の昼間はそれでもちきりになった。

それ以来、ニュースから目が離せなくなった。

ロシア内部の怪文書まで出てきた。

anond:20220307185236

この文書面白いのは信憑性ではない。むしろ、いま起きていることがちゃんと過不足なくそのまま表現されているという印象だ。

私は一般人間でただウクライナ戦争に興味を持っただけだが、わたしの目からたこ戦争ポイントを書き残してみたいと思った。

指導者対決・プーチン対ゼレンスキー

現在諸国指導者の中でも、プーチンキャラトップクラスに立っているほうだ。

20年以上ロシア支配しているだけではない。

マッチョだし、ソ連時代スパイ組織KGBだった。

日本から贈られた秋田犬のユメを飼っている。

ウラでは、プーチンという権力にとって邪魔人間バンバン消えている。

事実がどうということはおくとしても、明暗コントラストというだけでもすごい。

しかし、対するウクライナのゼレンスキー大統領キャラも、ぽっと出にしては立ちすぎている。

ゼレンスキーは、テレビドラマ大統領役をやって好評を博し、そのイメージのまま大統領選挙に出たら通ってしまったという経歴だ。

しかもそのコメディアンであったとき持ちネタのことも散々話題になっている。

そのうえで、大統領として首都キエフに残って戦い続けるという姿勢を堅持していることから支持率も爆上がりしているらしい。

そりゃあそうだろうな、という気分である

いや、まったくキャラが立っている。

キャラという点では甲乙つけがたい。

プーチンというデフェンディングチャンピオンと、挑戦者ゼレンスキーの戦いという観点からするととてもいい勝負だと言わざるを得ない。

うその時点で目が離せない。

この対決で例えば普通指導者を失脚させるという場合には、よく、スキャンダルのようなものを引っ張り出してきてどうにかするということがある。

プーチンはもう20年もトップにあるので、あらかたスキャンダルのようなものは出尽くしてしまっているし、そのうえで、余計なものは洗い出されて消されている。

対するゼレンスキーは、Twitterでも散々話題になっているが、そもそもが、テレビに出て壇上で男性自身ピアノを弾くという、ある意味ノーガード戦法フル・モンティ戦術で立っている。

これを見て、内心で楽しまないひとというのはやはり人間として「どうか?」と思う。

国連安保理常任理事国ロシアNATOに入りたいウクライナ西側世界

ロシア他国に攻め込むということはもう言い古されたことだが重大すぎる意味を持っている。

ロシア国連安全保障理事会常任理事国だ。

常任理事国拒否権がある。

議決拒否権行使すると他のどれだけの国が賛成していたとしても否決される。

国連安保理意思表示しましょう、という議決があって、200近い国のほぼ全部が賛成しても、たった1国、常任理事国がNOと言ったらNOなのだ

それがロシアだ。

ロシア常任理事国から拒否権行使するだろうとみんな思ったし実際にそうなった。

ただ、今回の戦争で、この仕組みにも、ちゃんフェイルセーフがあることがわかって勉強になった。

まり、緊急会合という、常任理事国拒否権の及ばない形で、国連として意思表示ができる仕組みがあり、ちゃんとそれが発動したことは、よく考えられているなあと思った。

これはとても意味がある。

国連ロシアの行動を公式戦争と認めたということにほかならない。

明治維新で言えば、菊の御紋、錦の御旗だ。

こうなれば本人がどれだけ「特殊軍事作戦だ」と言い張ろうと、戦争戦争だ。

戦争というのは、実はまったく儲からない。

アメリカ第二次世界大戦のあと、何度も他国に軍を派遣しているが、朝鮮戦争以後の戦争でペイしたのは湾岸戦争である

これは国連からおカネが出たからペイした。

まり安保理が動かないことにはどんな国も動きたくないのである

そういう、世界安全保障に対して大きすぎる責任を負っている安保理常任理事国が、よもや侵略戦争をおっぱじめるなんて思いもしないことがおきたというわけだ。

侵略戦争というのはつまり、他の国の領土をぶんどろうということである

日本首相も「武力による現状の変更」と繰り返しているが、そういうことだ。

G7会合首相が、ロシア核兵器行使することをちらつかせることに対し、自分地盤である広島を持ち出して、反対の意思を表明したのはなかなかいいなあと思った。

結局ウクライナ戦争というのはNATOの話なので、日本としては関係ないのだが、まあ、そういう形で「核兵器は許さん!」と息巻いてもふつうならドッチラケになる。でも、ホームタウン広島ということになると意味が随分変わってくる。

から議論がどう変わるかということは一切ないけれど、「ああ、このひとはそういう強いお気持ちがあるのね」というのは伝わるだろう。

ヨーロッパ軍事連合体NATOロシアの拡大の可能性に対して身構えるなか、一気に大きな動きがあった。

諸国が一気に動いたことでわかったことは多い。

基本的EUだのNATOだのという国々はロシアが怖い。

歴史からすれば「まさか」ということがいくつも積み上がってコピペまとめになっていっている。

いくつかあるが「ドイツ軍拡を表明するレベル」「スイス中立を破って経済制裁に加わるレベル」というものだ。

個人的には、ドイツ連合国側に加わるというのはアツい。

ドイツ基本的ものすごい経済大国だ。

EUというけれどあれは要するにドイツ第4帝国だ。

ドイツが作った車を売る。

まわりの国はドイツに働きに行って車を作る。

第一次世界大戦も第二次ドイツは悪だった。

産業大国だったのは100年位以上前から変わってない。

ただ、その都度イキってしまって空気読めなくて調子乗って、それで戦争おっぱじめてボコボコにされるというパターンだった。

今回は満を持して、連合国側に入った。これがアツい。

経済規模として、ロシアにはほとんど勝ち目はない。

ただ、前史としてヨーロッパには大きな責任がある。

背景となったことで重要なのはロシアが、SDGsという国連の枠組みを追い風にして、他の欧州諸国に対して自分たちの輸出するエネルギー資源依存するように仕向けていった流れがある。

グレタ・トゥーンベリなんかに対してプーチンはずいぶん肩を持っていた。

「グレタ プーチン」と検索すれば山程出てくるだろう。

いまにしてみるとなるほどと理解できる。

SDGsから石炭回避して、天然ガスにしたいという世界というか特にEU欧州の流れを、資源大国であるロシアは歓迎していたのだ。

戦争の展開

展開としてひときわ興味を引くのは、その超大国ロシアに攻め込まれ小国ウクライナが、意外にも持ちこたえてしまたことだった。

ロシアロシアで、予想通りの大軍を突っ込んでいる。

ウクライナ攻略せんと投入された戦車は、道路をなんと64キロも埋めつくしているという。

なんという数の大軍だろうか。

その戦車は、なにをしているかというと、1週間以上待機している。

食糧と燃料とバッテリーが尽きているという見方もある。

なぜ道路しか通れないかといえば、ウクライナ平原現在の時期、雪解けのために泥濘になってしまっている。

この泥濘はいかな戦車といえど突入するやいなや沈んでしまい、行動不能に陥る。

補給のためのタンクローリー道路しか走れない。

しかもそのタンクローリーは、ウクライナ軍に狙い撃ちされてあえなく喪失してしまった。

なんだよ、このコントみたいな展開は。

戦車だけでなく、投入された兵士たちも練度が浅く、すぐに戦線離脱しているというウクライナ側の発表も続いている。

それを鵜呑みにするのではない。

アルファブロガーfinalventは、この戦争の基軸を、クリミアアゾフ海保全だろうJK、とYoutubeで言っていた。

これは3週間経った時点でもいちおう一定の見通しとしてはまだ成立してはいる。

彼以外でも、ロシアの動きとしては(ウクライナの)「北では雑、南は緻密」という見方が広がっているようだ。

北が雑と言っても、もう流石に北も飽和してきている。

攻撃まで時間問題だろうというのはペンタゴンも言い始めている。

やはり露助の物量はすさまじいので、おおかたのひとが予想したように、ロシアは悪虐街道を爆走中である

病院やら学校やらぶっ壊し放題だ。

しかもその悪虐を全部ウクライナ側のやったことだと主張している。

どうやらマンション地対空ミサイルが突っ込んだのはウクライナ側らしいとも言う。ただ、街の広場巡航ミサイルが突っ込んだのはロシアのものだともいう。

大事なのは、そうした主張・発表の整合性を、政権の中枢や、大本営発表だけでなく、駐日大使あたりまで全部整合性を取るように徹底している。

もちろん、古来、大使外交官という存在は、リモートかつオフライン状態でありながらも、自国駆動している根本論理を考え詰めて、どんな状況を突きつけられても、その場で取り繕えるような論理の訓練をしているのだということは、例えば佐藤優が書いていたように思う。

もっと佐藤優はこの事変のさなかで随分、親プーチン的な姿勢批判されているが。

専門家としてTwitterでながく生息していたミリオタのひとが有識者としてメディアに出ずっぱりになっているのも面白い

そのハンドルネームが「丸の内OL(27)」だったり「コスメ女子美容垢」だったりしてネタになることも華を添えている。

いまは「人」だ。

ただ、彼を中心とした専門家たちも結局ほんとうにどうして起きたのか、何が起きているのか、これからどうなるのかということはわからないでいる。

からないでいるのであれば何も考えなくていいいかといえば、そうではない。

事実として、現在進行系で、ひとは確実に死んでいるということがわかる。

これは重大である

開戦に至る前の経緯で面白かったのは、米国の動向だった。

米国は、ロシアが侵攻するまでの意思決定をかなりの精度で把握した上で、それをおおっぴらにすることで、かえって侵攻を抑止しようとしたと言われている。

そういうわけで、わたし自身は、基本的に情勢を、ペンタゴン分析を軸に見ていくのがいいと思っている。

ともあれ、現状では何もわからないままだ。

認知的不協和陰謀論

ウクライナ情勢にハマってしまったのは単純だ。

コロナ話題に飽きていた。

から、開戦1週間はずっとこのウクライナ話題を追いかけてしまった。

しかし、1週間をすぎたあたりから、戦況が膠着から、どんどんウクライナ市民被害が拡大していくなかで、冷静に恐怖が高まってきた。

停戦会議が進み、「人道回廊」という罠が明るみに出る。

そうして見えてくるビジョンひとつしかない。

どう考えても落ち目の国のロシアだが、資源と核を握り続けている分、他の国は手を出せない。

数日のうちにキエフは総攻撃を受けて陥落する。

ウクライナ蹂躙され、市民虐殺される。

そういう、暗い、なんというか耐え難いビジョンを前に、正気を保つというのはそれ自体が困難な挑戦だ。

さて、笑い話ではないところとして、この事例は、顔貌がよく似たひとびととの実力行使のうらで生じうる破壊工作がどのように起きていくかという現在進行系の事例であることだ。

そうした、個々の情報リアルタイムで出てくることに対して、どう反応するかということを自分で鍛える絶好の機会である、ということだ。

これは日本にとっても決して見逃してはいけない瞬間であると思う。

似た顔、似た容姿、深い断絶の関係から、潜入してくる存在にどう対処するかという格好の事例となるだろう。

特にSNS、つまりリアルタイム情報端末に全世界のひとびとがつながっている状態で発生した戦争ということで、乱れ飛ぶナラティブが、ロシアウクライナ側もすごい。

ロシアウクライナネオナチと呼ぶ。

ウクライナ大統領ユダヤ人なのに。

陰謀論はかまびすしい。

この二週間で、いろいろなプーチン擁護ウクライナ陰謀論が出てきた。

それがロシアから出てくるならわかるが、ぜんぜん関係ない日本タレント評論家勢がそうしたことをタレ流しているらしいことが伝わってくる。

肩を持たないまでも、「両論併記」のようなことをいう。

本稿はどちらが正しいかを論じるわけではないけれども、私は西側流派見解をいちおう沿って考えているので、そうした見方を、両論併記まで含めて、ある程度の陰謀論として遇する。

ただ逆の側から見れば私の見方もまた陰謀論に見えるであろう。

ここで言いたいのは、陰謀論というのは、「認知的不協和否認」として出現するのだなということがハッキリわかったということだ。

あと、歴史を除く人文の研究者らしきひとがTwitterかにでてきて「いまこそ思想研究大事なんだ」と絶叫する例が流れてきたりした。

そりゃないだろ、と思う。

思想無意味だと思う。

せいぜい役に立つとしたら、人間社会性にビルトインされたバイアスときほぐす、社会心理学のような取り組みにとどまるだろう。

つらつらと書いてきたが、おおっぴらに書けないことばかりなので、増田に上げる。

まず、「コロナに飽きた」ということからして、オモテでは書きづらい。

そもそもコロナ医者でないとなかなか信憑性がない。

医者からといってまともじゃないのもいっぱいいるが、医者からといってちゃんと考えられるわけでもない。

私がコロナについて知りたいのはもっとどうして発症するのかとか、どうして死ぬのかとか、そうしたメカニズム面でのことだった。

しかがっかりすることに医者は結局人命にしか興味がない。

それはそれで大事なのだが、その結果2年間なにもわからないままで過ぎた。

ましてウクライナ戦争は、さら差し迫った人命の問題だ。

であるにもかかわらずわたしは、諸賢がいみじくもおわかりのとおり、この状況を、楽しんでいるとの謗りを受けても、否めない。

2021-11-02

野党自民党に勝てない理由

今回の衆院選を通じて「野党支持者がこれでは永遠に自民党には勝てないな」と批判的な感想を持ったので

その理由を書いてみる。

自民党支持者と野党支持者の違い

社会心理学ジョナサンハイトは「ケア」「公正」「自由」「忠誠」「権威」「神聖」の6つの道徳基盤を提唱

保守派は6つ全てを重視しているのに対しリベラル派は前3つを重視し後ろの3つは軽視しているとした。

自民党支持者と野党支持者の違いもこれで説明できるように思う。

もちろん他にも違いはあるが、選挙において最も大きな差として表出するのは「支持政党への忠誠心の有無」だ。

今回の衆院選では与野党ともに対立候補に対するネガキャンが飛び交ったが、それへの対応の違いが顕著だった。

自民党へのネガキャンが報じられたとき、支持者はどう行動するか。

これは無視もしくは「これだからリベラルは~」と逆用して攻撃に出るといった行動が多い。

自民党への忠誠心があるので党や候補者にとって不利になる行動は自然と避けるのだろう。

大して野党へのネガキャンが報じられたとき支持者はどう行動するかというと、思い切り釣られてしまった人が多数観測された。

断言するが「共産党表現規制」なんて今後大きな話題になることはありえない。選挙が終わったからだ。

どの政党表現の自由社会生活バランスについて考えていて、さじ加減は異なるものの無制限自由を許容している政党はない。

その程度の話なのに「共産党公約を取り下げるべき」「失望した」と言い始める野党支持者が現れ、自民党支持者と一緒になって野党叩きを始めてしまった。

野党支持者は支持政党への忠誠心が薄いため、党や候補者にとってどうかよりも自分正義の側に立つことを優先してしまうのだ。

これでは勝てないのは当然だ。

まとまろうとせず分散する野党支持者

今回の衆院選では立憲や共産党が嫌になり国民民主党れいわに投票した野党支持者が多く見られた。

理由を見ると共産党は嫌だとかスキャンダル懸念してといったものが多かったように思う。

しか国民民主党は表向き共産党は嫌だ嫌だと言いながら裏では協力関係にある。

実はお互い立憲を介して選挙区調整もある程度しているし、国会では毎週与党をどのように追及していくか相談している。

野党コロナ関連法案は立派なものが多く(内容を自民党がパクッて自党の法案として提出している)それらは立共国共同で提出されたものだ。

要は今回国民民主党は嘘をついて非共産派の野党支持者を集めようとしたのである

選挙が終わったので今後は何事もなかったかのように共産党との協力関係を再開するだろう。

スキャンダル耐性についても国民民主党議員旧民主党の残党が中心であることに変わりはないので大差ない。

こういった国民民主党ネガティブ情報ほとんど報じられないのはなぜだろうか?小政党からである

れいわは山本太郎暴言の数々が動画として残っておりいくらでも証拠として掘り出すことができる。掘られないのはなぜか?小政党からである

仮に今後両党が立憲並の規模に成長したら、今の立憲と同等のネガキャンに晒されることになる。

そのとき支持者はどうするか?また別の小政党を支持するようになってしまうのではないか

今回の衆院選与党勝利したが、おそらくいつものように与党野党維新除く)の総得票数比較したら野党の方が多くなるだろう。

野党支持者が一つにまとまれば勝てるのに(実際には1票の格差問題があるので多少上回った程度では厳しいが)自ら分裂を選んでしまうのである

これでは勝てないのは当然だ。

「これだから〇〇党は」のお客様意識

https://anond.hatelabo.jp/20211101192844

この増田では「これだから民主党は駄目なんだ」と罵倒されたエピローグが書かれているが

野党支持者は政治家政党を育てるという発想が欠けているように思う。

選挙ボランティアに参加した増田は当然そうではない。トラバ勘違いされているようなので追記

ここで批判対象にしている野党支持者がどう思っているのかは分からないが、特定政党の熱心な支持者でも党に不満は持っているものだ。不満が全くない人などいない。

そこで「党に不満がある。だから改善しよう」ではなく「党に不満がある。だから支持しない」となってしまうのが野党支持者だ。

自民党支持者はどうか?「党に不満がある。でも忠誠を誓っているか我慢する」となるだろう。

野党支持者は自分主権者であるという自覚を持たず(これは自民党支持者も持っていないと思うが)全てにおいて完璧政治家政党が空から降りてくるのを待っている。

これでは勝てないのは当然だ。

野党支持者は覚悟を決めろ

以上のように、野党支持者は自民党支持者より支持政党にとって不利な行動を取る傾向が強い。

しかすると「選挙自分が最も良いと考える候補者投票するもの」と素朴に考えているのかもしれない。

それは間違いではないが、自民党支持者は「選挙自民党を勝たせるもの」と考えている。

どちらが勝つかは言うまでもあるまい。野党支持者はこのままでは同じ土俵に上ることすらできない。

野党支持者は自民党を倒したいなら今までの態度を改め一致団結しなければならない。なぜなら自民党支持者は一致団結しているからだ。

自民党を倒したい」より「批判されないポジションから物を言いたい」が上回っている人が多すぎる。

いい顔をしたいという欲を捨て、野党を育てるという覚悟を決めなければならない。

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