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はてなキーワード: 男性学とは

2021-05-16

anond:20210512184925

弱者男性「論」であれば、真っ先に男性学メンズリブを参照して、過去研究を踏まえた具体的かつ発展的内容が出てくるだろうけど、あいつらどこまでいっても「お気持ちオンリーだもんな

ツイフェミと同じ

2021-05-13

弱者男性て結局「お気持ち」だったよね(皮肉)

社会学者のことをバカにするアンチフェミの方々は、男性学のことも学問とお認めにならないと思いますが、

弱者男性男性学メンズリブアクセスしてたら、それなりに具体性や根拠のある議論になっただろうと思う。

でもそんな弱者男性は皆無かつ、自分弱者性について具体的に語ろうとする弱者男性が少なかったせいで

弱者男性定義曖昧になり、弱者男性自称する人に共通する課題とか全然見えてこなかった。

  

お気持ち」が数件出たまでで、根本的な解決に結びつかず、残念でしたね。

フェミのことさんざんお気持ちお気持ちバカにしてたけど、数が集まることで見えてくるものって絶対あるから

弱者男性に限らず男性もみんな「お気持ち」を表現すべきだし、自分語りすべきだよ。

2021-05-11

弱者男性自分の窮状を「女の高望みが男の条件を爆上げし非モテが救われない」「フェミニスト自分性別差別しか声を上げず弱者男性を救わない」とか女のせいにしまくってんのは見て見ぬ振りで、

結局何が望みなんだと問われて「女をあてがえなんて言ってない、ただ俺達の存在を認めてくれればいい」と言い出すと全力でオ〜ヨチヨチとあやし出す。

直前まで女に救いを要求していたのに、「救ってくれなんて言ってない」とかい歴史修正簡単に受け入れて、

「じゃあ女叩きやめろ」という意見には「フェミニスト偽善者行政が救えない本当の弱者には冷淡!何故ならフェミニスト差別主義者だからだ!」と大人数で非難

で、旗色が悪くなってきたら、「男性自殺率が高い」だの「性役割を担わされることへの圧力が強い」だの、「これが弱者男性現実だ!」と突然非モテ論を封印し、弱者に限らず男性全体が晒されている問題だけをピックアップした記事を持ち上げ始める。

それこそフェミニストやらジェンダー学者やらが男性学として散々論じてきたことなのに、それは無視して

フェミニスト弱者男性キモいと言った!」とどこかの誰かの発言根拠に大合唱

はてな村って本当に弱者男性に優しいよな。

いやいや、弱者が困ってんなら優しくするのは問題ない。むしろ褒められるべきことだよ。

問題はお前ら、ホッテントリに上がってるまとめ系ブログ記事の女をマンコ呼ばわりしたりバカ呼ばわりするような発言無視するよな。

それどころか、女は感情的から云々とか賢ぶって差別丸出しのブコメつける奴もいるよな。

そういう連中には何も言わない、それどころか嬉々として加担することさえあるのに、自分リベラルフェミニストに何を要求してんの?

弱者男性も救うのが真のリベラルだ!ネットフェミニストは偽物だ!」ってドヤ顔で言うのはいいけど、じゃあお前は真のリベラル・真のフェミニストとして、はてな村で野放しになってるあからさまな性差別に対して何をやって来たの?

というかそれ以前に、お前は真のリベラルなの?それともリベラルを腐したいだけなの?後者なんだったらお前は一体何者なんだよ?

女の顔色をチラチラ窺ってる暇があったら男同士で連帯して助け合うための方策を考えろよ。

そこで「男はジェンダーロールのせいで他人を頼りづらいから無理」とかのたまうならもう二度と「弱者男性ジェンダーロールから降りた存在」とか言うなよ。

2021-05-06

anond:20210506151117

弱者男性叩いてるフェミニストのことは知らんけどわたしは言ってること同じだから連帯すりゃいいと思うけど

フェミメディアもそれなりな男性学取り扱ってるし

一緒に勉強しよ?

anond:20210506145924

からフェミ連帯しようと言ってるが?

もしくはフェミ連帯したくないんだったら男性学とかメンズリブやりなよ。

先行研究があるのだから本気で弱者男性のことを救いたいなら勉強したらいいのに

フェミを叩きたいだけだからいい棒があったわーっつってこうして粘着してるんでしょ?

2021-05-05

anond:20210504193919

あぁごめんね、上の増田が枝ごと削除したから気が付くのが遅くなったわ。

やりあうっていうか、根拠もなく無知だと決めつけられて、○○を勉強しろって言って具体的にどういうものか言おうとしないってそりゃ失礼でしょ。フェミニズムとか男性学とか社会学とかそういう以前に、人間として、大人として。

anond:20210504190918

機能してないのは男性自身のせい

男性学男性に耳の痛いこと多いから耐えられない

「俺の気に入らない学問は学ばない」こういう姿勢から

2021-05-04

anond:20210504234828

弱者男性だけども

男性学が扱うところの男性男性ゆえに抱える生きづらさや葛藤を持ってるいる人たちの中で、特に経済的に困窮して、社会的孤立しているが故に、社会的ケア必要としている人が、差別意識偏見に晒されずになればいいと思ってる

から制度として何か北欧並みの福祉提供されようと、根本的な解決になってない

差別意識偏見をなくして欲しいんだよ

anond:20210504234702

横だけど、そのまま弱者男性に対する偏見だと思うけども

男性学が扱うところの男性男性ゆえに抱える生きづらさや葛藤を持ってるいる人たちの中で、特に経済的に困窮して、社会的孤立しているが故に、社会的ケア必要としている人が

差別偏見に晒されず生きていければそれでいいのだけれど

anond:20210504214707

フェミニズム一人一派であり、個々人の思想には定義付けは難しい

それでも社会は、個々人意見を聞いて出来ることは擦り合わせて、出来ないことは寄り添う

それと同じことをするスタンスを持ってみては?

何か聞いてもそれは違う問題自分には差別だと思えない

このような差別の透明化をするなら人から話を聞く意味がないし話をするがわも意味がない

寄り添った上で結論出ないなら、理解力不足だと諦めてください

もしくは、差別は無かったでいいでしょう

執着するのはそれは差別じゃないが言い足りないのかも知れないけど

本当にとことん論理性を追及するなら、男性学専門家資料まとめて新たに語られる弱者男性とは何か聞きにいくのもあり

anond:20210504220808

男性学の中で指摘されてるものとか

これとかだろうな

https://www.google.com/amp/s/forbesjapan.com/amp/30764

こういうった男性ロールを押し付けられたり、求められたり、当たり前だと見なされたりするなかで

それに答えられず、結果社会的孤立しり経済的に困窮したりすると弱者男性という自認が生まれると思う

弱者男性定義考えてみた

男性学が扱うところの男性男性ゆえに抱える生きづらさや葛藤を持ってるいる人たちの中で、

特に経済的に困窮して、社会的孤立しているが故に、社会的ケア必要としている人たち

こんなところでいいと思うのだけど、みんなどう思う?

anond:20210504190952

では聞きます日本男性学日本弱者男性についてどのような研究成果を出しているんですか?

もちろんエッセイポエムじゃなくて、学術的な議論でね。

2021-05-01

anond:20210501194852

男の弱者の辛さを知りたいなら、「弱者男性論」なんてネット論客が言ってるものじゃなくて、「男性学」やメンズリブ系の書籍でも読んだ方が参考になるぞ。

2021-04-17

男性学を語る女性全然的外れ

当事者でもないのに訳知り顔で太田啓子あたりの書籍推して、男性から降りようとかいうの、全然的外れだよね。

YouTubeのこれはちょっと面白かったのでメモ

女性から男性になったトランスジェンダーの人(FTM)が、男になってわかった男のつらさについて語る動画

https://www.youtube.com/watch?v=XgwhFFL2LIE

忙しくて動画見てる暇がないって人に箇条書き。

1. 生きてるだけで不審者

2. 仕事に対するプレッシャー半端ない

3. マジでちやほやされない

4. マウントの取り合い

5. コミュニケーションが女のことor仕事の話だけ

6. 彼女大事にしてるとちょっとバカにされる

7. (彼女が)怒っている理由がわからない

語っている本人は、女性モテる中性系女性から陽キャ男性になったので、今流行りの弱者男性視点ではないのに注意。

1は単に被差別属性であるということ。

2が異性からは見えない、生きているだけでのしかかる重圧。

3は、陽キャが言うとモテないという意味になるけど、本質自分から声を上げないと異性からも同性から社会システムから放置される、という孤独の底にいるのがデフォということ。

そして、これによって1と2の苦痛は誰からも救済されない。

4~6は、従来の男性学でいう「男性性」の悪しき習慣だから、これを降りればというのはわかる。

7は、まあ男女のコミュニケーションの話なので置いておく。

女性の方が男性よりつらいだの、男性から降りろだの女性から語る場合、最低限このあたりがスタートラインになってほしい。

2021-04-08

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともと赤木智弘氏がフリーターという就労状態をもとに立ち上げた切り口で、基本的には「属性弱者派」のうちの

経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

anond:20210408091329

男性フェミニズムを羨ましく思うのなら自分の足で動いて、汗をかいて、大学男性学講座を作るところから始めないとあかんな。

タダで欲しがる地獄餓鬼みたいな仕草が目立つ。

2021-04-07

anond:20210407145806

貧困男性であることであるがゆえの苦しみは男性学で語られてると思う

anond:20210407130033

男らしさの価値観から降りてもいいんだよって男性学()で言われても、強者男性側と女性の求める男性観が降りなければ自分ひとり降りても弱者として余計に沈むだけというね

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