はてなキーワード: 差別者とは
https://x.com/Me3255723355/status/1844812847563342306
トランス活動家らが、ロンドンで開かれた AllianceLGBカンファレンスを妨害しようとしてあちこちに虫を放ったとして、会場の警備員に拘束された。
カンファレンスには、トランス思想に批判的なゲイやレズビアンの講演者が参加。共謀者とみられる数人は逃亡したようだが、4 人は拘束された。
私が壇上でスピーチする2分前に、TRAがゴキブリと虫でいっぱいのバッグを客席中に投げ捨て、走って出て行きました。
私は黙っていません。私を脅して黙らせるためにあらゆることを試みてもいい。それはうまくいかないだろう。
レズビアンやゲイの人たちの平和的な会議を妨害しようとするこのような厄介なトランスたちは、自分たちこそが本当の差別者であることを示している。
本日の仁藤は荒れている
河合は都知事選にも出馬した、ジョーカーのコスプレなど奇抜な厚塗りメイクで知られる人だ
https://video.twimg.com/amplify_video/1843491516708466693/vid/avc1/720x1248/3zQ5EVGx3Jmtdbp4.mp4
「暇空負けまくってるけどどんな気持ち?w」
と言われても反応せず無言で歩き続ける河合
「Colabo支持者から”おてもやん”って呼ばれてるの知ってますか?」
「おてもやん」とは滑稽な厚化粧をした女性を指す言葉であり、河合のジョーカーメイクなどを指したのだろう
仁藤はこの動画にブチギレた
・河合がクソとはいえ、一人を集団で追い回す動画は、仁藤が集団で暇アノンに追い回されたのを彷彿とさせる醜悪さがある
・「Colabo側」としてColaboの名前を連呼しながらそのような動画を撮る
・女性を馬鹿にする性差別的な言葉「おてもやん」をわざわざ使う
・おてもやんは元々は歌で、花柳界(夜の街)で好んで使われていた、歌の継承の背後に女性の悲哀がある
「おてもやん」は白塗りの頬を赤くした女性のこと、少なくとも女性のことだとはわかっていましたよね?
Colaboのバスカフェにコロアキが妨害に来た時、「お前にも主義主張や成し遂げたいことがあるんだろ。別のところでやろうな。それぞれの持ち場でやろう」「今度飲みに行こうな」などと語りかけるカウンターのおじさんもいて、ドン引きしました。女性差別を軽く扱っていることを実感したからです。
暇空連続敗訴はひとえに仁藤や弁護団の頑張りなのだが、勝ち馬に乗りたい人がわらわら出てきたことにムカついているらしい
ああキモい。ほんとキモいんだよね。Colaboを自分の存在意義のために利用しないで欲しい。
アンチ暇空!みたいなキモいの、カルピスと名乗っているのとかこの2年間で無数に出てきてほんときもいんだよね。新しいのに絡まれてこうして見つけたらミュートかブロックしてる
ミソなのよどいつもこいつも。
カルピスの由来は、仁藤をボロカスに中傷してセクハラしていた「カルピス」と名乗る人で、その人が暇空の弁護士の垣鍔晶だと判明したため揶揄目的で広まった
中傷セクハラおじさんの名前をコピーした謎の存在がアンチ暇空としてぽこぽこわいてくるのは、中傷被害者にはキモイだろう
暇空の問題発言をアーカイブ化したり、クソ長い配信の何分頃に問題発言しているかなどをまとめるカルピスがいるので、役に立つのかcolabo弁護士の中にはカルピスをフォローしている者もおり、神原元もそうだ
https://note.com/takahashi_shiro1/n/n50d842e6a877
駒澤大学の森田成也氏(マルクス経済学)がトランスジェンダリズムに疑問を持つに至った理由の第一は、主として海外の情報から、とりわけラディカル・フェミニストに対してひどい攻撃や脅迫と暴力を振るっていることを知ったこと。第二は、熱心なトランスジェンダー派ほど、売買春肯定、ポルノ肯定であることを知ったこと。第三に、トランスジェンダーとは性同一性障害の人のことと思っていたが、実際には後者はトランスジェンダーのごく少数の一部に過ぎないことを知ったこと。第四に、2020年6月にJ.K、ローリングさんが、トランス当事者に対して非常に配慮しつつも女性の「身体的性別に基づく権利」の重要性を訴えた声明文(https://note.com/f_overseas_info/n/nb9dee80c5f82)に対して、全世界のトランス活動家と左派が信じたいほど暴力的で誹謗中傷的な攻撃をしているのを目の当たりにしたことである。
注目すべきはアメリカのリベラル新聞『ニューヨーク・タイムズ』やイギリスの左派系新聞『がーディアン』などが相次いで、子供の拙速な性別移行措置に対する強い懸念を示す記事を掲載したことである。ローリング攻撃に加担してきた両紙が全面的擁護に一変したのは画期的といえる。
トランスジェンダリズムには、「生物学的性別」を認めつつ、それとは異なる「心の性別」ないし何等かの生得的な「性自認」が存在するとみなし、後者を前者よりも優先させようとするソフトバージョン(自治体や国際機関などの公的機関など)とハードバージョン(ジェンダー学者、トランス活動家など)がある。
ハードバージョンは「身体の性別」すなわち「生物学的性別」の存在そのものを認めず、「性自認」「性表現」等の曖昧模糊としたものが唯一絶対の性別決定要因であるとみなす。トランス活動家たちはトランスジェンダリズムへの異論を「差別者」ないし「ヘイタ―」の誘惑として、読むな、見るな、議論するなと主張する。彼らはトランス当事者のために運動しているのではなく、トランスジェンダリズムというイデオロギーのために運動しているイデオロギー優先の「カルト集団」と見做すべきである。
クビー著『グローバル性革命』によれば、2007年にインドネシアのジョグジャカルタで29の「ジョグジャカルタ原則」が作成され、それを実行するためにJGBT活動家のための200頁の『ジョグジャカルタ原則の活動家のガイド』ハンドブックが作成され、「混乱を招く方法」「LGBT問題の目標を実現するための具体的な実行方法」等を明示した。
同序文には、「どのような類型の性的嗜好や行為も、小児性愛、近親相姦、一夫多妻、不特定多数との性的関係あるいは獣姦までも排除されない」と書かれている。
(ΦωΦ)グヘヘ… (ΦωΦ)グヘヘ… ψ(`∇´)ψケケケケケ!!!! ( ゚∀゚)ウァハハ八八ノヽノヽノヽノ \ お前らシス女性が私を作ったんだぞ。バカ共!💩!🍆!🐙!(2019年1月1日)
terfをしばきまわしておるのですわ。(2019年1月23日)
TERFで虹マークの人の頭カチ割って中身見てみてぇな(2019年2月3日)
ウィメンズマーチにTERF来んの?プラカード破いたる(2019年2月27日)
terfをしばくと、そこそこに気分がいい(2019年5月27日)
東京のアンチファ系のみなさんも、もうちょっとterfをしばき回すのに労力を割いていただけると助かるんですけどねえ... (2019年7月5日)
そのterfの顔写真撮って、かつ情報収集すればいいのでは?(2019年8月27日)
レイシストやterfには、正直、どんな汚いことをしても究極的には、いいと思ってる。(2019年10月11日)
差別によってある空間から不当に排除された人間が実力でそこに乗り込むのは当然の権利。よって、トランス女性が実力で温泉・銭湯の女湯を占拠し、トランス女性も利用できる解放区を作るのは全くもって正当である。(2020年6月7日)
トランス女性がシスの人間を殺す必要がある(2020年6月23日)
トランス女性が女性専用に割り当てられているトイレ・更衣室・シャワー・銭湯・温泉を利用するのは当然の権利である。利用拒否には実力闘争をもって応えるのも全く正当。(2020年7月8日)
Twitter上でトランス女性差別言説を撒き散らすアカウントを操る差別者どもの正体を1人残らず特定し、私への差別を行なった奴ら共々拘束して処刑場に引きずり出して地獄の苦しみと共に絶命させる。そのような光景を想像しながらある種の自慰に浸らないと私の気分は落ち着かない(2020年7月9日)
トランス女性への差別には死刑を含む厳罰が課せられるべき。暴力革命を通してプロレタリア独裁の革命政府が成立し、私がそこの執行機関に入れば、トランス女性差別アカウントの中の人間をすべて特定し、特に悪質な者については公の場で石打ちの刑にでもして処刑する。(2020年7月12日)
モグラ叩き状態やめさせるの、やり方あるで。一人を吊し上げて、一罰百戒にすることや。terfについては、このレベルに来てると思うで。(2020年8月24日)
笙野頼子については、どっかでリアルな場に引っ張り出して、ど詰めする必要があると思うな。(2020年10月25日)
マジで鍵引用してくるクソトランスヘイターだけは頭カチ割ってぐっちゃぐちゃになるまで殴り続けてぶっ殺さないといけない。とにかく殴打の限りを尽くしてやりたい。殺意しか湧かない。死ね。死ね。死ね。殺す。ヘイターの分際で人間として生きてんじゃねーよ(2022年4月21日)
咥えて突っ込まれて喜ぶ側になりたかったわ 咥えて突っ込まれて喜べる事がありがたいことを知りやがれくださいってところからなんよな(2022年10月1日)
私もトランス差別をする出生女(産まれた時点で女の性を持つ人)の頭蓋を叩き割りたいけどな~マウントポジションでバコバコ殴りたい #トランス女性は女性です #性差別する寒い日本 #女の敵は女(2022年10月7日)
よろしい、ならば戦争だ。 夜道に気をつけてね💖 (...) 駅のホームも端っこには気を付けてね。(2022年10月9日)
トイレのことでしかトランスジェンダーの問題を考えられない女性を、とりあえず予防拘禁、かな。(2022年11月3日)
ターフや反売買春フェミを踏みしだいてこれからも我々は生きていくのである。(2022年11月12日)
Fuck the TERF! 何の問題もない!(2022年11月13日)
『「Fuck The TERF」というプラカードが差別的ではないのか!』といった指摘、問い合わせを頂いていますのでTransgenderJapanの見解をお話ししておきたいとおもいます。 結論から先に言えば全く問題ありません。(2022年11月13日)
最寄り駅や顔が(もしかしたら、実名も?)割れているヘイターって、マヌケでしかないけどな。 子供がいるらしいけど、子供が気の毒やね。子供には何の罪もないから。(2022年12月30日)
もし日本がフィンランドみたいに性自認だけで性別を決められるようになったら、TERFについて行って女子トイレとか更衣室に入ってやる。TERFさん発狂して暴れそう(笑)。暴れても片手でねじ伏せれるけどね(笑)。 変わりゆく社会に震えてろTERFども🤣🤣🤣 #LGBT法案(2023年2月9日)
などなど大量
完全にカルトの内紛で笑う
https://note.com/li_kotomi/n/n8826c24bc799
2022年のことです。『われらはすでに共にある: 反トランス差別ブックレット』の前身となる『反トランス差別ZINE』に、私はもともと寄稿する予定でした。原稿を提出し、編集作業も進んでいました。
しかし、編集作業の最中に、「かんぴんたん」氏の言い分を鵜呑みにした編集部の高島鈴氏と青本柚紀氏が、「李琴峰はトランス差別的な問題発言をした!」と決めつけ、私に対していきなり「差別糾弾状」と呼ぶべきものを送りつけてきました。
その「差別糾弾状」の内容は要するに「李琴峰はトランス差別的な問題発言をした! 李琴峰は謝罪し発言を撤回せよ!」という趣旨のものでした。ちなみに、高島氏と青本氏から送りつけられてきた「差別糾弾状」には、「トランス女性であると申請があったのなら、トランス女性として扱う以外の態度は選択すべきではない、たとえそれが百田尚樹だったとしても」という趣旨の、非現実的で、私には到底頷きがたい主張がありました。もしこんな極端な主張に同調しなければ差別者だというのなら、私は差別者で結構です。
高島氏と青本氏は第三者の意見を排斥し続け、あくまで私を「差別的な問題発言をした人物」だと決めつけ続けました。その際、高島氏と親交のある漫画家の山内尚氏も、私を糾弾する側に加わりました。
最終的に、私は寄稿していた原稿を取り下げざるを得ませんでした。
いくら氏がトランス当事者だからといって、そしていくら私がトランス差別に反対しているからといって、氏のあらゆる主張を鵜呑みにするつもりはありません。
長男教ならぬ長女教系の毒親の元に生まれ、普段の言動から食事、学費の有無に至るまで
ありとあらゆる所で差をつけられ差別されて育った。
恩恵を享受している事を自覚する長女(上姉)や尻馬に乗って良い思いする次女(下姉)にも散々いびられ虐げられた。
また思春期、通りすがりの見ず知らずの女に「キモっ」と何度か吐き捨てられ、それがトラウマになり生じた醜形恐怖症は今でも完治はしていない。
こうして女に攻撃され加害され傷つけられてきた人生だったので、女全体に薄っすら嫌悪感や不信感はあるし
特に「フェミニズム」を齧った女や「フェミニスト」を名乗る女には相当強い嫌悪感と警戒心を抱いてしまう。
何故なら彼女ら(と彼女らに集る珍ファンネル共)には、俺を加害してきた女達と似たような言動、目つきをしているからだ。
とは言っても表向きはまともな社会人なので、表立って差別的言動はしない。
ただ、今や人事権を持つ身として、大学で女性学(フェミニズム)やジェンダーを学んできました!と自慢気に語る志望者や
履歴書の精査で女性学またはそれに準ずるものを学んでいた事が分かると「能力不足」「適正不足」を理由に不採用とするだけ。
こういう事を書くと鬼の首を取ったように言われる事がある。
「ねぇ、なんで関係ない女性に八つ当たりするの?あなたを傷つけたのは家族や『キモイ』といったごく一部の女性であって私達ではない。
ふーん、じゃあ先にお前ら女が関係ない男に八つ当たりするのを止めろよ。
男の中でも相当下等なレベルの全く共感出来ないゴミ野郎に傷つけられた!だから私は男に対し警戒している!攻撃している!
私達は男から酷い目にあったのだから男を攻撃する権利がある!ってさ。
そんな女に同情・同意して「そうね、男を攻撃するのは仕方ないよね」ってなる女も多いじゃん。
でもそれって完全に八つ当たりですよね?
お前らの方から先に関係ない、大多数のまともな男に攻撃して加害して八つ当たりして傷つけてる訳じゃん。
まず先に傷つけた張本人をやれよ。それをやって始めて「関係ない女に八つ当たりするなー!」って主張出来るんだよ。
いや、分かるよ?男から見ても一ミリも同意出来ない屑野郎程、女性差別がどうこうとか言ってもノーダメージなんだよ。
彼らは完全に女性を見下してるからね。女から何を言われても効かないんだよ。
まともな男性程、いくらあらぬ疑いや猜疑心で攻撃されても、「もしかしたら自分に落ち度があるんじゃないだろうか?」
「これは男性という性の原罪なのだろうか?」って思って、病むんだよ。攻撃が効いちゃうんだよ。
それを分かっててやってるんでしょ?
まともな男性に八つ当たりする程、相手が傷つくから楽しいんだって。
完全に異常差別主義者の発想ですわ。
女性がどうこう言ってるフェミをキメた大多数はこれだろ。関係無い男に差別の八つ当たりして、しかもそれを開き直っている始末。
だったら女に加害されて傷ついてきた俺が、関係無い女に八つ当たりするのも自由だろ?
「そんな異常な考えだからモテないんでしょ!キモい!」ってさ。
悪いけど結婚して家族もいるんだわ。まともな女性は俺にとっては尊敬する対象であって差別すべきゴミじゃ無いからね。
つまりお前らはまともじゃないんだけど、俺への侮辱以上に、俺を選んでくれた人達への侮辱だろ。
そういう事すら想像も出来ずに男に対して加害行為を繰り返し差別するお前らだから、どう考えてもまともじゃない異常差別者って思われるんだろうが。
優勝の京都国際、8割が日本国籍 男子9割野球部 韓国語能力試験必須 前身は京都朝鮮中
いま一番人気のぶコメ
ネット民のヘイトを煽る意図を詰め込んだようなタイトル。年端もいかない高校生への脅迫や中傷を助長するどころか全力支援するような記事書いて恥ずかしくないのだろうか。「産経だから」で許される次元を超えてる。
だとさ。
あのね、当然ながらそういう沿革を持つ学校の優勝が許せないという直球の差別者はいるだろう。そういう何言っても無駄な輩にとって産経のこの記事は全くヌケないどうでもいいものでしかないよ。
そして「ちょっとめずらしい事態らしいな、なんだか知らんが、そこに何かけしからん要素があるのか?あったら許さん」という、差別にもどうにでも転びうる層もいる。
そういう人にはこうやってサクッと一通りの事実を食わせるのが何よりの薬だ。
腹減らしたまま置いとくと危ないからな。
「事実のピックアップの仕方でも差別はできる!産経は差別してる!」一般論としてそれは可能だけど、この記事はむしろ逆ベクトルだよ。
どう書いてれば満足なんだ?
もし仮に半島ルーツの選手が多くいたとしても、そのことにケチつける奴がそんなにいるとも思えないけどね。張本や金本はスターだったし。
実際はただ野球がしたい日本人選手がほとんどだが、韓国が喜ぶのもまた別に変ではない。なんかちょっとでも自分と縁を見つけて感情移入するのは高校野球観る姿勢としてごくスタンダードだし。
別に差別を容認するわけではないが、どうしても差別をしたくてたまらない人間は世界中を見渡すまでもなく視界に入ってくる。その人間がたまたまマイノリティだった場合は被差別側への同情でスルーされるが、マジョリティはそうではない。今日も差別者はキャンセルされ、その立場を失っていく。おれは昨日もフランスのことを流石は差別先進国だ、後進国の日本は及ぶべくもないと対岸の火事を決め込んでいるが、この感覚は果たして別の人種への差別と何が違うのだろうか。先天性であるかどうか?いいや、本質的に差はないだろう。結局のところ、世界には何かしらの敵がいなければ精神の平穏を保てない人間がうじゃうじゃいるのだ。フェミもミソジニーもチー牛区別も増田もなにもかも、自分以下がいなければ精神の均衡を保てないのだ。現代社会は、社会通念を逸脱せずに批判しても良い人物探しに飢えている。現代の反差別運動は結局のところ、先天性の特徴に対して差別をする人間がメタゲーム上位を占めているから、それを批判するために行っているに過ぎない。被差別層がが無垢なる善であると信じているからこそ、己の欲求を満たす道具として扱うことができるのだ。自らも無垢なる善の一員であると錯覚するから、己の手が穢れてないと信じられるのだ。しかしながら、それも結局は己の欲求のままに批判をしたいという欲望の捌け口を探しているだけだ。全てが、欲求に通ずる。真に差別をなくしたいのであれば、人々は個たるを捨て全に帰らざるを得ない。が、もうそれは不可能なのだ。我々は悪だ。生存競争を肯定する生命というシステムの上で生存競争を否定することは到底敵わない。敵だ。俺たちには敵が必要なのだ。敵がいなければ競争は成立しない。本能が敵を、振るいあげた拳の下ろす先を探している。拳とはそのようにできているからだ。時々、無垢なる善を夢想する。赤子に対して言語、社会を強いなければ、この子は無垢で居続けられたのかと後悔する。我々は元々、野生の中で敵に囲まれて生きてきた。きっと今は違う。昔ほどは敵は多くないはずだ。その全体の元で、新たな無垢なる人類が産まれないかと願ってやまない。我々は我々の夢想する理想郷に足を踏み入れることを許されていない。我々は理想ではないからだ。あるはずもない理想郷が、なぜ実現できないのかと、我々はその責任を、自分でない誰かに一生懸命被せようとしている。まったく滑稽であると言わざるを得ない。我々は死ぬべきなのだ。