はてなキーワード: 山本五十六とは
()内は出典だが間違っている可能性もあるので注意して
1951年 貞明皇后 皇太后 大喪儀(事実上の国葬、準国葬)
初代内閣総理大臣
大日本帝国陸軍の父
第3代内閣総理大臣
伊藤博文なきあとは最大の発言力をもつ元老として軍や政界に重きをなす
第4代内閣総理大臣
日本銀行の創立、金本位制度の確立など維新後の財政指導者として功績を残す
明治天皇から「導入の是非を巡る議論は難解でよくわからぬが、これまで松方が財政に関して間違ったことをやった例はなかったから導入を裁可する」とまで言わしめた
省略
松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた
省略
省略
以上
ロシア:ロシア、欧州評議会脱退を通告 人権条約からも離脱 https://www.jiji.com/jc/article?k=2022031600358&g=int
大日本帝国:我が代表堂々退場す (東京朝日新聞』1933年2月25日付、朝刊2面)
→国際連盟を脱退したとき、日本は常任理事国だった。しかし連盟を脱退して国際的孤立を深めた。いまのロシアみたいに。
ロシア:ロシア軍将官、4人目が戦死か ウクライナが狙い撃ちとの見方も https://www.bbc.com/japanese/60775896
大日本帝国:山本五十六長官が戦死 https://www.jiji.com/jc/v2?id=20110803end_of_pacifi_war_14
→大日本帝国の通信暗号は解読されており、将官の移動が敵国に筒抜けだった。そのため、重要な将官が前線を視察した際などに急襲され戦死した。いまのロシアみたいに。
ロシア:ロシア「軍戦死者498人」 ウクライナ侵攻後初の公表―3日に停戦交渉か https://www.jiji.com/jc/article?k=2022030300088&g=int
大日本帝国:大本営発表はなぜ「ウソの宣伝」に成り果てたか https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180808-OYT8T50018/3/
→戦争中期以降の大日本帝国は、世論や兵士の士気高揚を目的として(あるいは戦果確認が稚拙で)、戦果を過大に、被害を過少に発表していた。いまのロシアみたいに。
→大日本帝国は敗色濃厚になっても勝ち目のない抵抗を続けて被害を拡大し続けた。その目的を見失った戦争継続を断念したのは、広島長崎に原爆を落とされたためだった。いまのロシアは。。。?
真珠湾攻撃をしないアメリカとの戦い方というものがあったことを指摘した点にあると思う。この腹案では、日本近海でアメリカ軍の到来を待ち、その間に西進して地中海に至り、ドイツ軍と連携すべきだとしている。
アメリカ軍の到来を待ち、西進作戦を取った場合、アメリカが参戦しない可能性もかなりあったと思われるからだ。ルーズベルトはアメリカの若者を戦争に行かせないことを公約して大統領になったのだから、真珠湾攻撃のようなことがない限り、アメリカを戦争に巻き込むことは難しかったはずだ。ルーズベルトはソ連と手を組んで、世界の共産化を目論んでいたのでやがては参戦したかもしれないが、自国への攻撃がないのにアメリカ国内で参戦の合意を得るには多くの時間を要したはずだし、そう決めた後でも、アメリカの空母が日本近海に来るのはかなり時間がかかったであろうから、
日本にとり、実際にそうであったより有利な展開があり得たのではないかと思う。(インドネシアで確保した石油をフィリピンの米軍の警戒網を掻い潜ってどうやって日本に運ぶかという課題はあったと思うが)
この説は、戦前、陸軍の中では普通に認知されていたのに、日本自らが反省するときに欠かしてはならない視点の一つを提供してくれたと思う。
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を示すことにより、帝国陸軍が科学的であり、合理的であったという事実を蘇らせ
ここはちょっと違うのではないかと思う。この腹案を書いた方々が優れていたということと、帝国陸軍全体が優れていたということは別の事柄として捉えなければいけないのではないだろうか。
本近海でアメリカの空母を待つことをしないで、何故、真珠湾に行ってしまったのか。あの戦争を反省して将来のために生かそうとするなら、先ず、ここを明らかにしなければならないはずだ。真珠湾攻撃に拘る山本五十六連合艦隊司令長官の意志を日本全体としてどうして覆すことができなかったのか、あの時に何故山本五十六を更迭できなかったのか、その原因を探ることが重要だと思う。
「陸軍、海軍、内閣等の意見がバラバラなまま戦争を始めてしまい、共同謀議などと言われるのは恥ずかしい限りだ」という旨の感想
それって山本五十六の前でも言えるの?
南京大虐殺については、なんか結局よくわかんないところがある。
中華が主張する犠牲者の数はまずあり得ない数字というのは確かで、そのせいで実情までわからなくなっている印象。
おれは「戦闘はあった」に違いないと思うし、そのなかで民間人に被害が出た可能性や、処刑のようなことがあった可能性は否定しないが「虐殺はあった」と言えるかどうかはちょっとよくわからんってのが素直な意見。軍服等じゃなく民間人の姿で交戦していた兵がいたとか、そんな大規模な虐殺が行われたような物音はなかったという記録やら、ちょっと諸々よくわかんないね。
あと、第二次大戦は、アジアの解放が名目上なだけだった可能性は否定しない。が、増田も書いているが結果論として植民地だった国々の独立機運が高まったのは間違いない。それはその国々の力で独立したんだといえばその通りだが、あの戦争がなければ数十年どころか百年は独立が遅れていても不思議はないんじゃないかなーとは思う。
ただ、これは別に戦争を正当化するつもりなどではない。まぁ日本軍の残虐行為ってのにはちょっと引っ掛かるところもあるが。
あの戦争は、アジアを解放するというよりも、日本が、自国が植民地化される可能性から脱却するために行ったもので、その副次的なものとして、西欧の植民地になっていり国々から西欧勢力を取り除こうとしたってことじゃないかなーとは思っている。自国の領土にするとかそんな単純なことだけじゃなく、日本に近い国々に西欧の手が延びている現状は、いずれ次は日本にもって危機感が浮かぶのは当然で、それの払拭。そして西欧との交渉材料にも使える。(実際戦況のいいところで和平という考えは山本五十六の発言からも、軍中枢にあったのは間違いないだろうし)そういう目的のための「大東亜共栄圏」じゃないかなーと思ってます。
理想やなんやでアジアを解放しようとした義の戦なんだ!なんて言ってるのはさすがに違うだろうなーってことですね。あくまで自国をいい条件で保ち続けること。その為に世界の中で大きな位置につけるようにすること。それが、最優先の目的だったでしょう。