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2019-05-14

anond:20190514130822

テレビで作られたいいかげんな情報であるのに事実のように受け取られる方がいらっしゃったことについて

真実かのように紛らわしい雰囲気が誤解を招いてしまい信じた方がそれなりの損失を被ったことについて謝罪した事について

非常に適格だったでしょう

インタビューでだれも傷ついていないし出演者作成者スポンサーだれも問題が発生していない すべて同意の元にあるから

それを視聴した人間人権について考えその深い考えから傷ついてしまった場合自分気持ちを傷つけたのは勝手に思慮深く

人権について考えた最終結果が自分を傷つけるという結果でその試行は実際の問題もつ人間テレビ放送に関わるすべての

人間について傷つけるどころかなんの影響もないのに傷ついた自分自身の何かしらの気持ちをその自分気持ちを揺り動かした

事象であるテレビ番組放送人間人為による責任者の在する生産物であるからこそその人に対してなにかしらの攻撃

略奪を目的としてアプローチしたことクレームであることなのだから謝罪とその内容及び目的は適確で良好なものだろう

アパシーシリーズを追うのをやめた話

(この日記は、アパシーシリーズ及び七転び八転がりの現在の状況をある程度知っている人向けの文章です。

全く知らない、という人のため解説を挟んではいますが、分かり辛い点もいくつかあるかと思います申し訳ございません。)

1:概要

タイトルアパシーシリーズ」とは、1995年に発売されたSFCゲーム学校であった怖い話(以下SFC版)」を軸に展開された作品群の事だ。

経緯が少々特殊なのだが、このシリーズは「七転び八転がり」というサークルから今もなおゲームが出続けている。

単純に考えて24もの間、この「学校であった怖い話」という作品応援され続けてきている。また来年迎える25周年に向けての動きも出始めているようだ。


尚実際には24年ずっと絶え間なく作品が出続けたかと言うとそうではなく、パンドラボックス(SFC版の制作会社)の経営不振等により2001年以降は休止状態であった。

その後メインシナリオライターである飯島多紀哉氏(旧飯島健男氏)がゲーム制作に復帰しアパシーシリーズ制作が開始される。

同人ゲーム小説・グッズ等を数年に渡り販売するも再び休止、数年後また復活……と大まかに言えばこのような流れだ。

また正確にはSFC版及びリメイク作品であるPSゲーム学校であった怖い話S(以下PS版)」はアパシーシリーズには該当しない。


2:自分について

ここまで「学校であった怖い話」「アパシーシリーズ」は長い間応援されてきたゲームシリーズである、という事を記してきたが、実は私自体の歴はそれほど長くはない。

学校であった怖い話を好きになったのはおよそ8年ほど前である上記の流れで言うと2度目の休止時期に当たる。

最初SFC版の存在を知り、恥ずかしながら実況動画から入った。その後SFC版をバーチャルコンソールで、PS版をゲームアーカイブスでプレイした。

後々になって「アパシーシリーズ」もプレイし始めた。人によってはアパシーシリーズを苦手とする事も多いが、私は夢中になった。二次創作も多少していた。

少なくとも1995年舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。そうでない作品の中には触れていない物もあるため、その程度かと言われればその通りなのだが。


この頃既に休止状態に入ってた事もあり、アパシーシリーズはもう更新されないだろうと思っていた。

それだけに、2014年小学館から小説学校であった怖い話 月曜日」及びその作品群が発売された時には本当に驚いた。

更に2018年、他でもない七転び八転がりから同人ゲーム学校であった怖い話 新生」が発売された時には非常に期待に満ちていた。

知ったときには遅かったと思っていたのに、「ゲームが次々と発売される」という流れをリアルタイムで実感することができるのだと。


上に「少なくとも1995年舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。」と書いたが、厳密に言うとこれは僅かに誤りがある。

現在最新作に当たる「アパシー 学校であった怖い話 極(以下極)」は購入していない。その一つ前の作品であるアパシー 学校であった怖い話1995 月下美人の章 第一巻」も、購入はしたがプレイをしていない。

理由としては、極が発売される前のタイミングジャンルを離れたからだ。



3:CFについて、及びそれに関係して起きた問題

2019/5/13現在、七転び八転がりは「アプリ開発」を目的としたクラウドファウンディングを行っている。

このアプリ開発こそが、上記「25周年に向けた動き」の中で現在確認できるものである


https://camp-fire.jp/projects/view/140712


支援額1000万円到達でアプリ開発に着手する他、そこに至るまでの区切りとしてもいくつもの企画が立てられている。


このクラウドファウンディング、またその前後Twitter製作者のブログに対し、既存ファン(ここでは暫定的に「学校であった怖い話及びアパシーシリーズが好きである人」のことを指す)から疑念の声が次々と上がっていったのだ。

具体的にどういった事がありどういった声が上がったのか、明確に記す事はここでは控えさせていただきたい。その理由となる事態については以下に記載させていただく。


ファンの間で不信な声が上がり始めた頃、「問題まとめ」と題し不信だと感じられる事柄をまとめたプライベッターの記事作成された。

現在は削除されており引用はできない。私も一読はしたものの、詳細には覚えておらず申し訳ない。

またTwitter等ではサークル代表である飯島氏及びクラウドファウンディングの苦言や暴言がちらほら見かけられた。支援しない事を勧める声や、高額なプラン支援した人への暴言も見られるようになった(ただしあくまでこれらは極一部のユーザー発言であり、多くの人は疑念や不信の声に留まっていた)。

そういった動きに対し、飯島氏は最終的に以下のブログ記事を発表した。


二次創作ライン個人的見解

http://plaza.rakuten.co.jp/iijimatakiya/diary/201904120000/?scid=we_blg_tw01


読めば分かるのだが、二次創作に関する記述については全く正しい事が書いてある。二次創作違法であり、作者がそれを黙認していることが多い。

学校であった怖い話」を全く知らない人がTwitterでこの記事について言及し、そのツイートには多くの反応があった(所謂「バズった」)。

多くは「当たり前だ」「筆者の言うとおりだ」「このジャンルファンは何を考えているんだ」といった内容である

そしてこのブログの内容通り、何人かが「弁護士を介して話をした」という発言をした。その中には上記プライベッターの記事作成者も含まれている。

補足しておくが、この作成者はれっきとした学校であった怖い話ファンである。この事態の後、極を購入したという旨のツイートもしている。

どころか、苦言や暴言を吐いた人の殆ど学校であった怖い話を好きなファン達だ。

……ただし、これはあくまで上で脚注を加えた通りの意味での「ファン」、つまり作品自体ファンを指す。


この文章で具体例を明記しないのは、こういった事情があったからだ。

プライベッターの記事は、明確なネガティブキャンペーンが行われていた「極端な例」だったかもしれない。

しかし実際起こった事を列挙する際、当然ながらユーザー側の事態は把握できても、サークル側にどういった事情があったのか、どういった対策を取ったのかを全て把握することができない。

そのため「今回起こった問題」を私が書き連ねると、どうしてもユーザー側贔屓のバイアスがかかってしまい、サークル代表批判と取られかねない文章となる。

今回はあくまで私が「アパシーシリーズを追うのをやめた話」という個人的な内容の記事であるため、上記理由により詳細は省かせていただく。

またそういった経緯があるため、現在はなかなか事態が分かりやすくまとめられている文章は見当たらない。


なお、私自身はTwitter等で暴言を吐いたり、クラウドファウンディングに対してネガティブキャンペーンを行ったりはしていない。

匿名ブログでこう言っても信憑性は無いだろうが、つまり弁護士が怖くて離れた」という理由ではないことを主張しておきたい。

二次創作がやりたくてゲームプレイしていたから、その趣味が脅かされるため離れた」という理由でもない。

何故追うのをやめたかというと、「ブログ最後に『黙って去ればいい』と書いてあったから」である


4:追うのをやめた理由

今回飯島氏がブログでこのような発言に至った理由は何故だろうか。

飯島氏の言う「自称ファンだがこちらはファンだと認められない人物」が増えすぎて、個々人に対処しきれなくなった、

もしくはそういった暴言に耐えきれなくなり強い語調のブログ拡散せずにはいられなくなった、等色々考えられるが、これらはあくま憶測に過ぎない。


ただ結果として、この記事は「自称ファン」のみならず普通ファンの一部にも圧力を与えてしまったのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。

自分は正直、「学校であった怖い話」及び「アパシーシリーズ」のことは好きだが、飯島氏に対してはそれほど良い印象を持っていない。

そもそもの考え方として「作者と作品は分けて考えられるべきであり、作品が素晴らしいからといって作者まで好きになる必要は無い」と思っていた。

勿論良い印象を持っていないからといって暴言は吐いていないし、素晴らしい作品の作者であるという点に置いては尊敬の念があった。

しかし、どうにも飯島氏の諸々の発言及び行動においては懐疑的な目を持ってしまっていたのだ。

上記ブログ記事を読んで、区切りがついた。「ならば自分は黙って去ろう」と思った。発表していた二次創作作品は全て取り下げた。

純粋に怖いと感じた。こういった思いを持っている以上、私も少なからず敵意を持たれているかもしれないと思った。

……そう思うと、私みたいな人間も「自称ファン」の一部であっただけなのかもしれない。

あの記事は、二次創作はしておらず、尚且飯島氏の事も悪く思っていない人にとっては、特に疑問を持たない当然の内容なのだから


重ねて言うが、飯島氏の二次創作に関する主張は正しいだろう。私だって自分のことを嫌いな人に自分創作物を弄られたくはない。

そのため、私は深く反省した。作者に懐疑的な目を向けながら8年間、その作者の制作物で二次創作をしていたことを恥じた。

そうして私は学校であった怖い話アパシーシリーズから離れることにした。

しばらくはこの事を思い出してしまうため、SFC版含め過去ゲームプレイする気も起きないだろう。


未練が無いとは言わない。未練が無かったらこんなお気持ち表明文は書かない。

気持ちを整理するため、このような文を書かせてもらった。


最後に、この日記は決して「作者に少しでもマイナスイメージがあるなら二次創作をやめろ」という主張をする物ではない。

私の場合は今回語った事態が一番のきっかけであったが、「飽きを感じ始めていた」等他の理由も少なから存在する。

あくまで「そういう人間もいた」という自分本意の語りであって、他人強要するものではない。

たとえ同じ状況であっても、二次創作を続けるか、ファンで居続けるかを決めるのは各個人で考えるべきことであり、

またそういった人に対して対処をするかしないかも作者が決める事であると考えている。

2019-04-25

https://togetter.com/li/1341322

「ご恵贈頂きました」という類いの呟きに寄せた郡さんの「呟き」は、書物出版するという行為人脈作りのように扱うことへの反感をこめたものだ。その底流にあるのは、書物という存在に対する畏れ、敬意、尊重するという「しぐさ」であり、それが彼の出版人としてのスタンス根本に関わる問題であることが伺える。

一方で「その呟きを批判することが自由言論流通を阻害する」と批判する小林さんの意見は、これも書物を狭い公共圏所属物にしてしまうことへの嫌悪彼女なりの書物未来への希望に基づく批判だと考えられる。書物もっと自由で開かれたものであるべきだ、という思想もまた、彼女出版人としての根本に関わるテーゼなのだろう。


両者の意見を踏まえた上で、その対立について、それから、切り取られた「クッキーでも焼いて…」という言葉について意見を述べたい。

まず、両者の意見はまさに「意見表明すること」に対する価値観を異にしているため、おそらく折り合う点がない。郡さんは「世界に向けて意見を述べるとは、反論批判を受けて立つ覚悟に基づくべきものであり、それは神聖行為だ」と考えているのだろう。そういう覚悟のないおしゃべりによる人と人の繋がりを一段低いものと見て、Twitterなどの道具を使ってそれをすることを否定するほど狭量ではないものの、自分が心を込めて関わっているものをそんなことの道具に使う行為に対しては嫌悪感を覚える、というスタンスだ。たとえて言うなら、陶芸家が「いまプレゼントに最適なカップ特集とか見て、苦虫をかみつぶしているような感覚だろう。

一方の小林さんは、おそらくそういうスタンスもつ世代の「本」作りには未来がないと踏んでいる。彼女彼女なりに出版未来書物未来を憂えていて、むしろ前世代の人が気軽な交流の場に本を持ち出すことに苦言を呈すること自体が、書物未来を奪うものとして気に入らないのだろう。たとえて言うなら、その陶芸家の息子が、自ブランド社長として上手にブランディング戦略をして「プレゼントに最適なカップ特集に○○印のカップ掲載してもらっているようなものだ。

……とまとめれば分かってもらえると思うが、こんな二人の話が折れ合う地点など最初からない


私が問題だと思うのは、こんな折れ合わない二人が触れ合い対立してしまうことを、いまのTwitterの仕組みはプラスにできず(論争が深まる余地がないので)、足を引っ張り合うこと(炎上)にしか繋げられない点だ。SNSは人と人の距離をぐっと近づけたが、ブログvsブログならまだ存在した対話余地を、Twitterは残さない。そしてそれを煽るのがtogetterのようなまとめサイトで、まさに郡さんの思うような「編集」という行為恣意性や恐ろしさに気付かないまま、面白おかしく「炎上やすそうなポイント」に絞ってページ作成者対立煽り社会全体の生産性を下げている。私は、この二人はそれぞれのポジション自己お仕事に邁進していただいたい方が、なんぼか日本世界の、そして書物未来のためになると思う。


今回の対立は「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」という郡さんの売り言葉に対して「性差別的な発言感情的な口調」と小林さんが受けたところから本筋を逸脱した。郡さんの文脈でこの売り言葉を読めば、それはつまり「(書物の怖さを尊重せず交流価値だけに可能性を見出すなら、書物という作るのも受け取るのも恐ろしいものに手を出さず、安全な)クッキーを焼いてフリマで売って(好きなだけ「素敵ー」とか言い合ってぬるい交流をす)ればいい」という意味であるのは明白だしブラック気味のジョークとして受け取れる範疇揶揄であったと考えるが、小林さんはその文脈を外して「(自分女性からクッキー焼け、つまり社会に出てくるなという話になるのか、つまり性差別」でありかつ「(性差別的な発言不用意に侮辱的に投げかけるほどあなたは)感情的だ」というレッテル貼りを行って、話を泥沼化させた。あとは、Twitterに住む蝿がよってたかってブンブン言わせて、事態は無事小学校の学級会へと堕していった。


郡さんのそのブラック口調が不用意だったのか、あるいは(かねてから似たような目に遭ってきたと想像される)小林さんの受け取り方がよくなかったのか、そこは今更問うまい。両者がその間の事情をそれぞれ忖度すべきだったというほど、両者に重い責任を負わせようとも思わない。ただ、いずれにせよ、両者はTwitterなどという軽い軽い場で議論じみた交流をすべきでなく、ただお互いの仕事に努めた方がずっとよい。陶芸家とその息子、ハッキリ言えば話すだけ無駄だと思う。

これまで何度も繰り返されたこういう出来事出会うべきでない二人をお節介にも出会わせて無益対立を生み、あまつさえそれを見世物にする!)をシステム上で防ぐ仕組みができない限り、いずれTwitterは信頼も人心も失っていくだろうと思う。

2019-04-06

anond:20190406131516


 

緊急寄稿

「令和」から浮かび上がる大伴旅人メッセージ

品田悦一

 

 新しい年号が「令和」と定まりました。典拠文脈を精読すると、〈権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない〉という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。この点について私見を述べたいと思います。なお、この文章は「朝日新聞」の「私の視点」欄に投稿したものですが、まだ採否が決定しない時点で本誌編集長国兼秀二氏にもお目にかけたところ、緊急掲載のご提案をいただいて寄稿するものです。

 

 「令和」の典拠として安倍総理が挙げていたのは、『万葉集』巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。天平二年(七三〇)正月十三日、大宰府長官大宰帥)だった大伴旅人が大がかりな園遊会主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌をまとめるとともに、漢文の序を付したのです。その序に「于時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。〈折しも正月の佳い月であり、気候も快く風は穏やかだ〉というのです。これはこれでよいのですが、およそテキストというものは、全体の理解と部分の理解とが相互依存し合う性質を持ちます一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。この場合テキストは、最低限、序文の全体と上記三二首の短歌(八一五~八四六)を含むでしょう。八四六の直後には「員外思故郷歌両首」があり(八四七・八四八)、さらに「後追和梅花歌四首」も追加されていますから(八四九~八五二)、序と三八(三二+二+四)首の短歌の全体の理解が「于時初春令月、気淑風和」の理解相互に支え合わなくてはなりません。

 

 さらに、現代文芸批評でいう「間テキスト性 intertextuality」の問題がありますしかじかのテキストが他のテキスト相互に参照されて、奥行きのある意味を発生させる関係に注目する概念です。当該「梅花歌」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っていますが、もっと重要かつ明確な先行テキストとして王羲之の「蘭亭集序」の名が早くから挙がっていました。この作品書道の手本として有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、「梅花歌」序を書いた旅人知悉していただけでなく、読者にも知られていることを期待したと考えられます。「梅花歌」序の内容は、字面表現された限りでは〈良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。そしてその心境を歌に表現しよう。これこそ風流というものだ〉ということに尽きます。「蘭亭集序」の語句構成を借りてそう述べるのですが、この場合、単に個々の語句を借用したのではなく、原典文脈との相互参照が期待されている、というのが間テキスト性の考え方です。「蘭亭集序」は、前半には会稽郡山陰県なる蘭亭に賢者が集うて歓楽を尽くそうとするむねを述べており、ここまでは「梅花歌」序とよく似ていますが、後半には「梅花歌」序にない内容を述べます。人の感情は時とともに移ろい、歓楽はたちまち過去のものとなってしまう。だからこそ面白いともいえる。人は老いや死を避けがたく、だからこそその時々の感激は切なく、かついとおしい。昔の人が人生の折々の感動を綴った文章を読むと、彼らの思いがひしひしと伝わってくる。私が今書いているものも後世の人にそういう思いを起こさせるのではないか……。

 

 「梅花歌」序には、人生の奥深さへの感慨は述べられていません。続く三二首の短歌も、〈春が来たら毎年こんなふうに梅を愛でて歓を尽くしたいものだ〉(八一五)やら、梅の花は今が満開だ。気の合うものどうし髪に飾ろうではないか〉(八二〇)やらと、呑気な歌ばかりが並んでいるのですが、そしてそれは、旅人大宰府役人たちの教養の程度を考慮して、「蘭亭集序」を理解したうえで作歌することまでは要求しなかったからでしょうが旅人自身は「蘭亭集序」全体の文脈をふまえて歌群を取りまとめました。その証拠に、上記「員外思故郷歌」は

  わが盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまたをちめやも(八四七)

   ……わたしの身の盛りはとうに過ぎてしまった。空飛ぶ仙薬を服用しても若返ることなどありえない。

  雲に飛ぶ薬食むよは都見ば賤しきあが身またをちぬべし(八四八)

   ……空飛ぶ仙薬を服用するより、都を見ればまた若返るに違いない。

というのです。人は老いを避けがたいという内容を引き込んでみせている。

 しかも、ここには強烈なアイロニーが発せられてもいる。旅人にとって平城京はもう都でないのも同然で、「都見ば」という仮定自体が成り立たなかったからです。

 

 都はどうなっていたか皇親勢力の重鎮として旅人が深い信頼を寄せていた左大臣長屋王――平城京内の邸宅跡から大量の木簡発見されたことでも有名な人物――が、天平元年つまり梅花宴の前年に、藤原四子(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)の画策で濡れ衣を着せられ、聖武天皇皇太子呪い殺した廉で処刑されるという、いともショッキング事件が持ち上がったのでした。この事件は後に冤罪と判明するのですが、当時から陰謀が囁かれていたでしょう。旅人もそう強く疑ったに違いありませんが、遠い大宰府にあって切歯扼腕するよりほかなすすべがなかった。『万葉集』の巻五は作歌年月日順に歌が配列されているのですが、梅花歌群の少し前、天平元年のところには、旅人藤原房前に「梧桐日本琴」を贈ったときのやりとりが載っています事件は二月、贈答は十月から十一月ですから、明らかに事件を知ってから接触を図ったのです。〈君たちの仕業だろうと,察しはついているが、あえてその件には触れないよ〉〈黙っていてくれるつもりらしいね。贈り物。はありがたく頂戴しましょう〉と、きわどい腹の探り合いを試みている――あるいは、とても太刀打ちできないと見て膝を屈したとの見方もありえるかと思いますが、とにかく、巻五には長屋王事件痕跡が書き込まれている。

 

 巻五だけではありません。巻三所収の大宰少弐(次席次官小野老の作

  あをによし寧楽の都は咲く花のにほふが如く今盛りなり(三二八)

は、何かの用事でしばらく平城京滞在し、大宰府に帰還したときの歌でしょうが、『続日本紀』によれば老は天平元年三月、つまり長屋王事件の翌月に従五位上に昇叙されていますから、たぶんこのときは都にいて、聖武天皇から直接位を授かったのでしょう。すると、大宰府に帰った老は事件後の都の動向を旅人らに語ったと考えられる――そういうことが行間に読み取れるのです。また巻四には、長屋王の娘である賀茂女王大宰府官人だった大伴三依との交情が語られていて、三依は事件に憤慨しながら大宰府に向かったようです(五五六)。さらに巻六。歌を年月日順に配列する中で天平元年に空白を設け、直前に、長屋王嫡子事件ののさい自経した、膳王の作を配しています(九五四)。

 これらはみな、読者に長屋王事件喚起する仕掛けに相違ありません。偶然の符合にしては出来すぎている。

 

 「梅花歌」序とそれに続く一群の短歌に戻りましょう。「都見ば賤しきあが身またをちぬべし」のアイロニーは、長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。王羲之にとって私が後世の人であるように、今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。その人々に訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取って欲しい。長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。私は年を取り過ぎてしまった……。

 

 これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人メッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵床心が潜められている。断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。もう一つ断わっておきますが、「命名者にそんな意図はない」という言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。

 安倍総理政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新年号「令和」が〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージ自分たちに突き付けてくること。二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキスト新年号の典拠に選んでしまった自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、人の上に立つ資格などないということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。

 

 もう一点、総理談話に、『万葉集』には「天皇皇族貴族だけでなく、防人農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌」が収められているとの一節がありました。この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家あいだには一人もおりません。高校国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が二十年かかって批判してきたからです。安倍総理――むしろ側近の人々――は、『万葉集』を語るにはあまり不勉強だと思います。私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった一二ページですから、ぜひお目通しいただきたいものです。東京大学教養学部主催の「高校生のための金曜特別講座」で語った内容ですから高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います

 

【記】

品田悦一「万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」(東京大学教養学部編『知のフィールドガイド分断された時代を生きる』二〇一七年八月、白水社

2019-03-19

anond:20190319012407

乳首ピンクってMMDの裸ダンス動画でみかけてからぎょっとしたわ

ピンク自然じゃない

比喩としてピンクっていうけど、ピンク人間なんかいねーだろ

ピンクなのはアソコのほう

まり内蔵であって、外気にふれるところはだいたい黒ずんだ茶色してる!

それをわかってないMMD作成者がもろピンク乳首テクスチャはっててうげげげげげーーーーーってなった

自然だしエロいどころじゃない

自分ネット保守かもしれない

自分ネット保守かもしれない。

政治思想の話ではない。

 

自分インターネットに対してかなり保守寄りのスタンスなんじゃないか最近思うことがたびたびあった。

ここでいう『インターネットにたいして保守』とは何か。

明確な定義があるわけではないが、独断偏見で箇条書きしてみる。

 

ネット保守チェックリスト

☑ すべてのウェブサイト作成者阿部寛ホームページをお手本にするべきだ。

SNSの普及によってインターネットの知性と品性は低下した。

収益化によってコンテンツ純粋性は損なわれる。

時間が経つと記事を削除しリンク切れを引き起こすニュースサイトは許せない。

文章画像が主役のウェブサイトは、Javascript無効にしても閲覧できるべきである

☑ よほど重大な権利侵害がない限り、一度投稿された内容は削除されるべきではない。

リンクのない引用は許されない行為だ。

2019-03-14

anond:20190314154535

法律的な話はともかくとして、

音楽表現という観点から見ると興味深いテーマではあるね。

クラブミュージックとかヘビメタとか、

キメキメの感じの曲の中には確実に酒か薬の力借りてんじゃねーの?って曲があるものなあ。

じゃあ、コカインやって作りました、ってんなら自粛して放送禁止にするのか、

ピエール瀧問題でやってる「作成者(or俳優)に罪はあっても作品に罪はない」と考えるのか、

微妙なところだねえ。

そういう意味では、表現作成過程においてはコカインアルコールも大した差はないのかもしらんね。

2019-02-22

大学入試問題

かつて私が受験生だった頃、受けた某大学英語問題にこんなものが出た。

あなた宇宙人と会ったら何を話しますか。英語で書きなさい。

こういう問題一見難問奇問の類だと思われるかもしれないが、英作文の問題としては悪くないと思う。要するに、

というわけだ。私が現役の頃に受けた大学なんて、英語試験は長文読解と英作文しかさないので有名だったのだけど、かつて大学試験をする方に回っていた身として言うと、これだけで英語力もロジカルな力も丸裸にできる。それは間違いない。ただ採点は手間がかかるわけだが。

さて、今私は私塾経営していて、今年某国立大学を受験する生徒を抱えている。この子センターでとんでもない高スコアを叩き出し、私立受験(滑り止めだがミッション系の結構高めの大学)はセンター利用で楽勝の筈だった。私立の結果が出る日になっても連絡がないので、授業に来たときにつかまえて聞いてみると、つまらなさそうに、

「え?私立ですか。受かりましたよ」

「そうか。まああのセンターの点数だったら……」

「ああ、僕、センター利用と一般受験とどっちも出してたんですけど、どちらも受かりました」

と、ここでニヤーっとしたのだった。

「そうそう、先生、長文がですね」

「難しかった?」

「いえ、問題としては簡単でしたけど、テーマが……」

「どういうテーマだった」

彼は再びニヤーっとして、

ハゲについて、でした」

問題作成者に対して興味をそそられるテーマ設定である作成者ハゲなのか、逆にハゲ嫌いなのか、あるいは研究テーマとしてそういうことを扱っているのか(この生徒は社会科学系を志望している)。まあ、そういうところでストレスを晴らすものですよ、問題作成者ってのはね。ニヤーっとした生徒に、君のアカデミックネタ第一号だな、と話したのだった。

余談だが、私はハゲてないからな。

2019-02-15

大昔に書かれたひどいプラグラム

フラグ立てまくっておんなじフラグの値なのに場所によって動きが変わったりおんなじだったり、とにかくひどい

超出来るベテランも見たくないと口に出すほど参っていた

なんと解析を間違えてしまうほど

他の穏やかな年配のベテランは、糞プラグラムと吐き捨てた

本当にひどい

同じ年代プログラムは他にもあるが、別格

作成者は可読性を全く考えられない能天気な人だったんだろう

思いつきのつぎはぎのような構成になっている

それに加えてほとんどの項目にそれぞれどんな値が入ってくるか、資料が残っていない

こういう時はこういう数字をセットする、という処理があれど、それが何を意味するのかがわからない

んまったく

2019-02-09

anond:20190208154907

プレミアムへの差別化が「機能の追加」ではなく、一般会員への「機能制限である点。

無料体制YouTubeは「どうぞご覧ください(ただし広告は見てもらいます)」なのに対して、ニコ動は「月額料金支払わない? あなたは下級民です」であり、ときには「お帰りください」である

動画作成者の囲い込みが下手

ニコ動はいろいろな有名投稿主や生主運営に囲われ、「公式化」させられる。ニコ動の「主」という存在、その存在への感覚は「Tuber」とは異なり、そもそもニコ動の成立過程からアマチュアっぽさ」が求められる。「公式化」はそれを無価値にさせるものであり、奴隷化陳腐化に映ってしまいがち。

公式生放送TV

公式生放送テーブルに組まれて定期的に配信されるため、TVと同等の配信形式となっている。これが「生放送をオンタイムで見られる」というメリットより、「気が向いたときに見られるというネット性をわざわざ損なわされている」というデメリットに感じられる。人気の生放送では一般会員が蹴り出される「下級民扱い」とのコンボ効果的にはたらいている。

ガラパゴス化

日本独自サービスであることがメリットであると感じられるより、「日本のものしかない」というデメリットに感じられてしまう。また「動画投稿サービスとしての合理性」より、「独自性」や「サイト運営会社の存続」が主点に置かれた「ガラパゴス化」された仕様により、動画制作者が疲弊する。

バラマキ

一般会員でもニコ広告の配布など、「ニコ動の反映に貢献しろ」という本営からのお達しが定期的にあり、公式化への加担を強調される。

・金払いが悪い

ニコ動動画制作者へのサポートがなっていないため、仕事として収入を考えるとYouTubeに流れてしまう。

もともと俺はゲーム実況系の動画をメインで見てるんだけど、いわゆるeSports系のゲームタイトルに手を出すと生放送Twitchに流れがち。Twitchの「お前日本人?ふーん」感と日本コミュニティ英語ネイティブコミュニティより活発でないというデメリットより、ニコ動の「さびれ」感のデメリットのほうがずっと大きく感じられて、昔馴染みの配信者がきまぐれにニコ生するときに行くくらいになってしまった。まあ俺はおっさんなので「新しい配信者」を探す気力には乏しくなってきたが、それでもニコ生の配信者を新しく開拓しようという気概はもはやゼロと言って等しい。

ニコ生では「枠」として30分制限をずっとしてて、それを解消するのも遅かったね。

かいところでは、アプリ連携や有料アニメなどの「付加価値」に重きを置く形態が「昔は違法アニメアップロードサイトだったくせに」という意識拍車をかけるのもある。おっさんからね。

もはや「ニコ生」「ニコ動」というブランド名田舎臭さ、泥臭さが漂うようになってしまった。もちろんTuberはTuberで地獄でもあるんだろうけどさ。Googleシンプルなんだよ。そこをつらまえると「ニコニコ日本企業として判断の遅さ、付加価値への信仰を捨てられない時代遅れサービス」としてのシャッター街のような侘しさすら感じさせる。

俺はゆっくり実況も好きで、SCP解説系とかは未だに見てるけどね。専ブラで見るのが好きなので、今はMnMnってヤツ使ったり。

動画見る上で俺は「川上量生がどうこう」みたいに運営者を追ったりしないのでよくわからんが、体制変えない限り「二流感」はそうそ払拭できないだろうな、って思う。

2019-02-03

沈黙駆逐艦3」威嚇低空飛行

脅威を受けても無線受信しても応答しない。それが沈黙駆逐艦1 2

威嚇低空飛行問題韓国側英語声明も、論理が気になる。(威嚇・脅威と、低空飛行問題は別 )

韓国曰く:韓国では哨戒機不審観測を「含む」特殊任務以外では、通常「高度300m, 距離5.5km ~9km」を取る。(日本の)高度150m距離500mは不審監視活動(surveillance activity)と判断

As reference, the ROK Military‘s patrol aircraft maintains an altitude of 300m and a distance of 5500m to 9000m from the point of observation with the exception of special operations including the observation of suspicious ships. This distance is enough to identify ships using the detection equipment of the ROK Military. A 150m altitude and 500m distance indicates a threatening low-altitude flight and is deemed as surveillance activity against suspicious ships.

論理的に考えて、不審観測「以外」の特殊任務無視した事が、気になって仕方ない。あの数学論理図が頭に残る。そういう韓国人がいれば、私はすごく仲良くなれると思う。

少し考えると、「人道救助」こそ、特殊任務だと気づく。よって正しくは、「高度150m距離500mは、北朝鮮漁船不審監視活動や同船への人道救助を含む特殊任務判断する」となる。

こう正しくすると、韓国声明の作文者の立場に立つと難易度は一気に上がる。「人道救助と気づいてなかった」と日本が述べるのは、あくまで事後だから。先ほどの文章から初めて、最後韓国軍への威嚇」と非難しなければならない。この作文が難しいのだ。「人道救助の邪魔だと無線連絡したのに、無視して接近」ならましだが、事実はそうじゃない。つまり、ここでも「沈黙駆逐艦問題事実)が、重要になる。

結局、韓国声明では「日本は救助を意図的(intentional)に妨害」とする。そして、とにかく威嚇(threatening activity)と現場判断した、としてしまう。韓国名言「脅威を受けた者が、脅威と感じれば、それは脅威である」が日本声明引用されているが、まさにそれなのだ

この声明が、「不審監視や人道救助の国際的協力は全て韓国への威嚇となりうる」と、文書作成者は気づいているのか?

余談だけど、確かに海難救助現場とか事故も起こるし、ヘリの風圧とか救助される側は怖そうだ。今回も漁船素人は怖かったろ。でも、救助する側はプロから、恐怖をコントロールできる。偉いよね。で、それと比較して駆逐艦乗組員はどうか。これが韓国側声明にある。

意訳:韓国「乗員は騒音振動ビビッた!にもかかわらず、哨戒機を味方と識別できた。もし識別できてなかったら、この駆逐艦自己防衛手段使ってたとこだぜ~

韓国国民なら、「彼らは偉い」と思えるのかな。

普通報道ヘリ民間航空機安全心配する。「沈黙駆逐艦問題注視するなら、「未識別でも、やっぱり無線せず自己防衛手段なのね」となる。

しか・・・作文者の立場にたつなら、現場責任にする意図が見える。英語を読むと、判断認識主語を、乗員や駆逐艦にしてる。もし国際社会沈黙駆逐艦非難すれば、韓国政府は「政府現場判断認識を代弁しただけで、政府の考えは現場とは異なる」と出来る。

沈黙駆逐艦」の敵は、日本ではなく、韓国政府かも。

2019-01-29

anond:20180207165151

『作者の姿勢コミュニティによるツール神格化が不便さに追い討ちを掛けている』

神格化ではなく、「諦め」。

自分以外の他人に対する尊厳を傷つけないように考えあぐねいた結果が、自分勝手に不便さの文句を言いたい本能を飲み込んで諦めたという、成れの果てだと思う。

作成者にしても、誰しも必ず大なり小なり知名度を広めたり、それで金銭が稼げることを夢見ると思うが、それ以上に利権問題が面倒なので、夢を見る事を諦めてる人が作成側の陣営に揃って居るか。

または自分能力で作れる物が限られて当たり前なのだから、そこの所の問題放置したままでも、文句を言わなかったり、それなりに使ってくれる人が多い界隈に投げ込むのは、当然の流れだと思う。

MMDは「自分にとって使いにくいものでも、他人とっては使いやすもの」の考え。

それを作成者側も使い手側も同様に保ってきたから、精神的苦痛作成者が受けない分だけ、金銭求めない配布が可能だった。

二次創作関係モデル商売が出来ない場合が多い。もし金銭を取らなければならない程の負担が発生するのなら、最初からモデルすら作らない。

そしてMMDは「自分はこの分野は得意だが、あの分野は苦手」という部分を、Blender周りの環境よりも、さらに細分化して分担しているようなもの

一貫して満遍なく操作する能力が有る、又はそういったマルチ的な思考が得意な人はBlender

意不得意にバラつきがある人は、作業ごとに自分の得意な分野だけ参加、または点的な長所を発揮しやすMMDを選ぶ。

という様に、自分特性ツール特性合致する使い分けをしているだけに過ぎないと思う。

Blenderで出来る事の方が人として凄いのだから、そこまでBlenderを愛するが故にMMDに正面切って苦言を言う位なら、周りの評価などに構わずBlender布教の為の人柱として献身的活動するべき。

仕事となれば、極力工数を減らした環境で一括して行うスキルが否応なく求められるが、趣味だけでやってる人間工数指定などないのだから自由にやっていい。

それを自分がこうしたいから、そのソフトダメだという事を言う、自分本位の人間の主張は本当の「大衆」の利益でなく、自分以外の財産を楽して得たい人間の、単なる身勝手な我儘しか考えられてないのが主体だと自覚を持った方が良い。

自分以外の誰かが望むことは、人それぞれだと言うこと。

人の財産を楽して得たい人が居れば、楽はしたいけれど他人財産を奪う様な形では活動したくない人も居る。

その場合、人を傷つけない事を優先している人の主張に軍配が上がる。

意図的他人蔑ろにして誰かを傷つけに走れば、必ずそれは自分にも帰ってくる。筆者が言う人も、それで自分に返って来ただけの事。

そうならない人は、他人ちょっかいかける不名誉な行動で、自分にも傷が返って来るなんて馬鹿茶番をする時間よりも、自分がやりたいことだけに注視したいから、そっちに手間を割かないだけ。

神格化とは全くの別物。

仕事では決められた枠で納品しなければ社会的に認められないが、趣味社会的土俵に無く許されることだから操作規格が不揃いだろうとも、使い手側が文句を言えることだろうか。

本来なら文句を言われる必要の無い人間が、他人から自分の為に、又は自分と同じ考えの集団にとって利益にならない物だから自分達の利益になる様にしろ」という謂れの無い身勝手ケンカを吹っかけられては、嫌悪感を露にすることが当然の事ではないだろうか。

自分以外の世界人間や生き物は自分を楽させる為に、生を受けて生きてる訳ではない。

不便は他人に補わせるという考えの人から「物だせやオラァ、アァン?」と来られれば「ふざけんなオラァ!」と返り討ちに遭うのは当然。

迫られた側が言葉で拒絶するだけで、画面向こうから手が飛んでこないだけ有難いと思う。

ましてMMD趣味から発生して、現在進行形仕事に疲れ果て、趣味オンリーという憩いを求める人の受け皿として支持されているのだから、商用の概念を持ち込もうとして弾かれたなら、それだけ仕事に疲れている人が多かっただけ。

ブラックな世の中に疲れて来る人達の憩いの場に、ブラックよろしく使い手側の利益優先の考えを持ち込めば、人が血走った目で睨んでくるのは、想像に容易い事だと思う。

という様に、拙宅は筆者とは異なる方向でMMD側が反発する理由想像が付く。

もし仕事以外の趣味100%でやってる人間の主張なら、それは身勝手100%の不満でしか無い。

仕事もコミでやりたい人はアレコレと不満を言う事になる前に「仕事も込みで出来る環境を求める自分にとっての最適環境MMDじゃ無いな」と。諦めの心を持てば良かったと思う。

すれば不満に思う気持ちも、わざわざ抱かなくて済んだろうに。

諦める他に道が無いなんて暴論だ、と思うなら「望めばなんだって叶う」という思い込みがあるから

望めば何でも叶うのは正論。ただし、それを成す為に時間を掛けるのは自身であって、他人じゃない。


言いたいこと終わりです。存分に殴って下さい。

anond:20180207165151

『obj形式などで配布されたら、どれだけのソフトで利用できたことだろうか』

MMD側でも同じことを思っていると思う。

「これだけMMDが普及してきてるんだから、世の中の3Dデータの全部がなんでx形式やpmx形式で配布されて無いんだ…(加えて、全部が必ずMMDでも使えるような物じゃ無いんだ)」と。

しかし実際は、不完全にしか自分作品インポート出来なかったとしても、自分が使える範囲に使える状態まで持っていければ、御の字と思っている。

筆者の様に何でもかんでも「面倒な事は配布側でやってくれ」とは思っていないので、文句さえ言わなければ作成者側も気楽にポンポンデータを放り投げてくれる。データを投げてくれるだけ有難いと思う。

欲しいと望む浅ましさは同じだが、それを口にせず、あくま他人気持ちよくデータを投げてくれるように「他人他人」と弁えてる人間と、自分欲求のままに他人に何かを求める「他人自分の境を保ってない」考えの違いだと思う。

MMD問題を起さずに黙々と活動する人達は、自分が使いやすデータでなくても「作成者にとってはこれが作りやすい、又は配布しやすい形だったんだろうから仕方ないや」で文句を言わず自分の出来る範囲で、使い物になるレベルへのインポート作業を熟す。技術からも、権利から問題で出来なければ最初から諦める。いつかできる日が来ると夢見て、それが現実になる日が来れば「棚ぼた」だ。

もし筆者が言う様な事をMMD作成者側に求めれば、たちまちMMDは気軽にデータを借りれる環境を保てなくなり、やがて素材の供給が停滞し、勢いは無くなって行く。

現にそういう人間人口が増えるに連れ、MMD用のデータ配布側では配布制限が顕著になってきているのが目立ってきている。現行の作成者が物を作らなくなっても、どんどん新しい創作人口を増やせば問題無い、というのは人を人間でなく物として使い捨てにする考え。

新しく入って来た人口もそんな考えで使い潰されていけば、やがて真っ当に物を作る人口空洞化し、MMDは他の界隈と同じように違法商売の温床になる。

そうなれば、漫画村やanitubeなどのサイトと同じく国規模で害悪認定されるだけ。

それを何となく感じ取っているから、MMDの界隈は「作成者のやりたいようであるべき、周囲から何かを求めない」という姿勢を崩さない様に、原作者データ化する作成者に多くを求める考えの人間が発生したり雪崩れ込んでくる危険性に警戒し、多目的オープンさを求める外圧に対し嫌悪感を持って、独自性を死守するのだと思う。

それを、使う側の得手不得手で、悪いものだと決めつけるものでは無いと思う。

人の財産を求めるなら、その人の尊厳確立させた上で要求するものだと思う。

anond:20180207165151

3DCG作品MMDじゃないと見て貰えなくなった」と言うなら、それは元々MMDより機能的にも上に在った界隈で「Blenderで作っている」「MAYAで作っている」「C4Dで作っている」という主張が停滞しているのが要因だろう。

以下長くなるので、謝っておきます。拙宅の言及も独り善がりで、各方面から非難が上がる事を覚悟で上げます

要因の原因はMMDではなく、MAYAなどを使う様な商用系の人間3DCGの商用仕事で手一杯で、趣味自由作品を作る時間が少ない窮状なのだから自然個人出品できる作品数が限られ、人の目に付かず認識は普及しない。

再生数が欲しいのなら、その時に人気のジャンルで上げるのは、自分能力の無さを補える比較的に楽な手法というだけ。

それじゃなきゃ売れないと考える方がおかしい。

「え、これMMDじゃないの!?〇〇すげぇ」と思わせるだけの作品を作るという選択肢がある。それじゃなきゃ見て貰えない、というのは自分Blender等でそれだけの作品が作れないと自己宣言してるのだからもっと恥ずかしがって良いと思う。

そんな状況下で「アレの所為だ!」と。「自分は悪くない他所環境所為だ」と言っても、頭が可哀想しか思われない。

それが自分にとって扱いづらい分野であるなら、諦めて自分土俵で作った物を力作だと自慢して出せばいい。

他所環境から人口や作物を取って来るのでなく、周りの人間自然既存環境に集まる様にして、自分が居る場所ルール人口で長く続けて行けばいい。

MMDが出始めの頃も、3Dモデルによる動画は「AEやMAYAとかプロ御用達ソフトで作られたものなんだろ」と受け取る人が多かった。拙宅も、友人でさえもニコニコ動画MMD動画が上がり始めた当初は「どうせMAYAとか、プロ普段仕事で使ってる個人で持てないような最低ウン百万する環境が使われてるんだろ…」としか思っていなかった。

たとえMMD文字が付いて居ても、単語意味を知らなかったから、認識出来ていなかったからだ。

そこからMMDは、ニコニコ動画の持つタグ機能タグ解説による投稿動画識別の容易さ、動画画面へのコメント埋め込みなどの特性から視聴者投稿者の両側からMikuMikuDanceタグ付け作業等による普及の努力が息長く続き、MMDというジャンル認識確立性を積み上げたのだと思う。

拙宅も筆者もMMDはそれでやってこれたのを現実に目の前にしてる筈。

実例も有るってことなら実現不可能でない。

筆者が言う主張ほど強く求める意志が有るなら、やれないことはないのだろう。

そこまで強く思うなら、自身がやってやろうと立ち上がれるほどの有志をお持ちの事と思う。

MMDが人気で、そのせいで「今は」何でもかんでもMMD作品だと思われるのは、MMDが悪い。

筆者のような主張の人は大仰に「大衆の為の善悪」として記事を書きたくなるようですが。

結局の所「自分能力では儘ならない不満を、手近な物で八つ当たりしてるだけ」の話でしか無いのが、ひしひしと伝わってくる。

MMDだと無料であれだけの物を作っているのだから仕事でもこれだけの低予算で」と押し付けられる場合があるなら、そういう相手先の人間性が問題である。それを相手先に言えない時、八つ当たり先が無いかMMDが憎く思えるだけ。

そういうアホな相手先にはちゃんと「あれは仕事抜きで自分がやりたいことだけを他人からダメ出し無し、無制限時間で出来る趣味環境から可能な事であって、もしあのレベルを求めるのであれば、生活を圧迫しても納期を確保するだけの特急料金、仕様注文による期間中精神的苦痛に対する報酬に加えて、作業することに対する技術料としての基礎報酬必要です」と提示できない自身問題

自分が窮地に立たされた時に、他人の憩いの場を身勝手に壊して逃げ道にして良い理由にはならない。

私的著作物で好き勝手されてるなら、その件については言えるが、問題外の事で文句を言えることは何もない。

MMDをプッシュする人口からコメントで傷ついている点も、MMDだけしか知らないでコメントする人口あくま有象無象視聴者側であって、MMD制作者側が文句を言われる事ではない。

MMD側では作成者側が視聴者に呼びかける運動は起こっていて、馬鹿な輩の居所が分かろうものなら悲惨レベルで吊し上げられている。

リッピングなど「ぶっこ抜き」されたデータ、素材利用違反データが配布に流入していると分かれば、運営や開発側が動く前に「草の根すら残すな焼き払え」という勢いで使い手側が対処する。地道な啓蒙運動の果てに視聴者側が自主的に取りこぼしの目になってくれる事も有る。

更にMMDにやってきて場違いオープンを謳う人口の、流用改造の作成者もどき問題を起せば排除され、彼らは肩身が狭い思いをする事になる。

VRChat等は視聴者と言う利用者のみならず、データ放出している配布側すら人口が多いからと無断転載が横行し流入の歯止めが効いておらず、時にツール環境開発をする人間すら、それらの問題解決出来て居ない現状を鑑みず「MMDの蓄積をオープン解放しろ」と望む。

VRChatが海外含む人口が多いからという理由制御できない事が許されオープンを求めて居るなら、制御できない程の人口安易に招き入れた事に起因している問題であって、MMDオープンを受け入れる理由に成り得ない。

まず「〇〇の所為だ」と言い切る程の不満は、他所から流れて来たと思う視聴者文句を言う前に、自身の内部を取り締まり身綺麗にしてから、言い始めれば良いと思う。それなら、納得する人も出てくるだろう。

MMD100%身綺麗でも無いが、開発側と人目に目立つ作成者が共に自身の影響を理解して他所プラット文句を言わずに黙々とやっているので、外野文句を言いたくはならない。

視聴者コメントが付いたというなら、視聴者が悪い。作成者が悪い訳では無いだろう。

2019/1/28追記記事も読んでさえ、人口比率の多い視聴者側に文句を言えば人が離れていくのを直感的に忌避して、自分の我が身可愛さにMMD作成側に責任転嫁したくなっているだけとしか思えないな。筆者の論点を見る限り。

2019-01-28

1年前の「MMD日本3DCG破壊した」について

https://anond.hatelabo.jp/20180207165151増田だ。見覚えあるエントリタイムラインに現れ、なんで今拡散されているんだと驚いた。

色々ブコメやらツイートやらの反応があったので興味深いと思った反応に対する意見とかを落書きがてら書こうと思う。このエントリも書ききれなかったことを何度か加筆していることは許してほしい。

ブコメよりもTwitterでの反応が多いようで、以下の内容はエゴサした中から拾ってる物が多い。(https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=MMD%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE3DCG%E3%82%92%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F&src=typd)

全体的にはTwitterMMDerが多く、ブコメOSS系の開発者が多いように感じた。

また、記事を読まずにタイトルだけでMMD自体への批判である条件反射している人も多かったようだ。

明らかに煽るタイトルにしたのは増田のせいなので仕方ないのだが、MMDについて全否定しているつもりは全く無いので前のエントリ最後まで読んでほしい。いっそ記事名を「ガラパゴス化した」に書き換えるべきかもしれないがもう遅いか

逆に、あのような煽るようなタイトルの中で冷静に読んでくれてブコメなりTwitterなりで意見を書いてくれた人には本当に感謝している。

なお、ここに書いていない反応に対しても賛否わず理解を示したものもある。

「今のVRC/Blenderを中心としたモデリング技術について、まったく知らなそう」「VTuber全盛期で皆がUnity使ってる時代に何を言ってるんだ」

これは申し訳ないとしか言いようがない。1年前は一過性ブームだろと思ってたがVR ChatもVTuberも一大ジャンルになった。それにも関わらず自分VRC界隈の情報を追ってないのでその辺で認識が不足しているのは言い訳できない。

VR Chat周りのモデルに関する雰囲気自分でも調べてみるが、気が向いた人がいたら教えてほしい。

「敷居を下げたのは事実」という趣旨の反応

同じような反応が多数あったが、それには同意する。そもそも先のエントリでもそれは否定はしていない。

ただし、下がった敷居から入った人がMMDからツールに移った瞬間に見向きもされなくなるのが3DCG動画画像コミュニティにとって問題だと思っている。

Blenderを使えばもっと凄い作品が作れるような動画投稿者でも、再生数を集めるには「MikuMikuDance」というタグに縋るしかない。

MMD視聴者は「制約が多いMMDで作ることが凄い」「MMDでここまで作れて凄い」というメガデモに近い発想を持っているので、BlednerとAfterEffectsで美麗な映像を作ったところで「MMDじゃない」として一蹴されるだろう。

実際、アイマス動画でPMXデータをBlenderか何かに読み込ませた動画において「でもこれMMDじゃないじゃん」といったコメントを何度か見かけた。もちろんそれが全てのユーザスタンスではないのは承知しているが、一定数そういった声がある時点で投稿者障壁になるだろうと思う。

3DCGMMDが分断してしまっているこの状況を「MMD3DCG破壊した」と書いたつもりである

これもVRCの活発化で状況が変わるといいんだが、どうなるかわからない。いや、もしかしたら既に変わっている可能性がある中、昔の認識でこのようなことを思っている可能性があるのでそうであれば申し訳ない。

追記)「MMDerを批判してるというより、MMD作品しか伸びないからどんなにすごい技術を持ってる人でも次のステップに上がらずMMDに留まってる→この現状が『日本3d技術破壊』している。…という解釈であってるかな。」

まさにその通りで、ちゃんと読んでくれて嬉しい。

増田もこの人みたいに整然とした文章がきちんと書ければよかったなという反省があるし、書けていれば炎上はしなかったんだろうなと思う。

「いまだにIE使ってる人が多くてヤバいって話してるときにおまえ一人がChromeインスコして解決すんのか?」

まさにそうで、MMDマジョリティである時点で一人がどう動こうと変わらないのが現状。

MMDを超えるプラットフォームが作れない時点で敗者」

同意。確かに負けは負けだしBlender等が勝っているとかは思わない。

日本企業でWindows XPIEが使われ続けるのと似たようなもので、劣っているものでもそれじゃないと満たせないニーズがあるんだなと思う。

アマプロをごちゃまぜにして『3DCG』って考えるのは良くない」

昔のニコ動もそうだが、最近アマプロの境目が曖昧じゃないか

アマチュアが作成したデータプロが使うこともあるし、アマチュア投稿者商業案件を請けてプロになる機会も増えているだろう。

「じゃあオープンソースMMD互換ソフトウェア作ってよ」

文句を言うなら作れ」って子供かよ。仮にMMDOSSになればコミットするつもりはあるが、それでは不十分か?

樋口が秘匿している仕様を解析してフルスクラッチするスキルがないとMMD界隈に疑問を呈することもできないのだろうか。

追記)「MikuMikuPenguin等のOSSがあり、それにコミットせずにこういう記事を書いているのは口だけであり甘え」という指摘があった

開発が4年前に停止したこと宣言されたOSSコミットするのは難しいだろう。そもそもサードパーティOSS開発が停止してしまう状況自体に苦言を呈している。いや、元のエントリではそう書いてなかったか後出しするのは卑怯だな、すまない。まあとにかくそういう風に考えている。

本家OSSに動かない限り、「MMD」のOSS化は進まないと思っている。

追記)「これ(MMDの外部レンダラー連携ツール)すら知らなかったみたいだしOSSのこともろくにしらなそー。OSSは『自分要望を投げつけたら勝手に好みのものが出てくる打ち出の小槌』じゃねーぞ。」

そんな革新的ツールがあったのは知らなかった。偉そうなエントリ書いたわりにリサーチ不足なのは申し訳なく思っている。

しかし、MMD固有のサードパーティツールを知っているかどうかとOSS分野に詳しいかは全く別ではないだろうか。議論すり替えだろう。

増田は確かにMMDBlender関連のOSSコミットしたことはないが、某Webフレームワークコミッタである。もちろん匿名なのでこれも嘘と思われても仕方がないのだが。

そのフレームワークに限らず、Issueで提案した改善点を議論の末にwont fixにされた経験もあるので打出の小槌のようには捉えていない。特にコミッタの人数が数百に上るようなコミュニティではIssueやPull Requestの多くがwont fixになるのは知っているつもりである

MMDは他のソフトに比べて低品質からオープンソースにしてどんどんアップデートしろよという話かな(自分がするとは言ってなかった)」

これもOSS自体に馴染みがない人には分かりづらいかもしれないので補足しておきたいが、「オープンソースにしてほしい」という話は他力本願で「アップデートしろよ」というスタンスになるのではなく、「自分も開発に関わらせてほしい」という意思である

スキルドメイン知識問題コードに落とし込めない部分があってもIssueで議論に加わることはできるし、それがオープンソースの強みである

これは私のような文句を言いたがるタイプ人間だけでなく、純粋MMDファンである動画作成者たちが抱いている不満やバグ報告も反映されやすいことを意味している。

現時点でMMDerの方々もMMD完璧ツールだとは考えていないだろうし、OSS化されるとユーザにもメリットが増えると思うのだが何故これを否定するのかがわからない。

もちろん、開発者である樋口氏が「OSSにしたくない」と意見を表明するのであれば分かるのだが、何故MMDユーザまでOSS化を否定するのだろうか。

神格化とは言いますが、自分が大いに楽しませてもらってるツールしか無料)の開発者に敬意を払うのは当然では」

敬意を払う事と批判的な立場を取ることは別では。

コミュニティのためにならないことであっても盲目的に肯定するのは敬意ではないと思う。

「いわばMMD文化の外の人と意見が相容れないのは、彼らは利用していないか感謝気持ちがない」

まず増田MMDやPMX Editorの利用者だったことが伝わっていないせいもあるだろう。利用した上での弱点を述べているのだが、それは感謝が足りないということになるのだろうか。

「不備や弱点を指摘することはそのソフトウェアが好きだから行う」というのはOSS特有文化なのか?よくわかっていない。

「大多数がアニメゲーム二次創作から モデル作ってる人はあまりオープンにして欲しくないだろう」

モデルライセンス曖昧なのはこれが一番大きい理由なんじゃないかと思っている。CCライセンスなんかで二次創作モデルを配布すれば大問題だろう。

ただ、モデルではなくMMDソフトウェア自体オープンにしても問題ないんじゃないかとは思う。

「「基本的無料」で手に入る大量の『MMD用3Dモデル存在する』ってーのが妬ましいんじゃないかなぁ。勝手に羨んでて良いから、こっち来んな。」

前の記事でも上にも書いている通り、自分が主に問題だと思っているのは「MMD」と「3DCG」が分断された点である

これは個人的な話になるが、自分自身が動画を作ったときモデルデータをすべて自力作成していたので潤沢なリソースがあることに魅力は感じていなかった。

もちろんリソースを魅力に感じている人も居ると思うので「妬ましいんじゃないかな」という指摘自体否定できないが、増田が指摘している内容とはズレているのでちゃんと読んでほしかったと思う。

記事冒頭に貼ったTwitter検索リンクを見てもらえれば分かるが、このツイート以外でもMMDerからは「羨ましいんだろう」という反応がかなり多かった。少なくともこのエントリはそういう意図ではないのだが、どうしてそう解釈されたのかはわからない。

「件の記事の方はじゃあ自分ではモデルを作って配布したり作品を完成させているのか?」「書いた人MMD弄った事ないでしょw」

おそらくエントリの中身を読んでいないと思うからもう一度書くが、先のエントリではモデリングソフト〜PMX Editor〜MMDワークフローが面倒であるということを書いている。弄ったことないのに知っていたらそれはそれですごい。

増田は数は少ないがニコニコ動画、BowlRollにPMXデーはいくつか上げたことがある。その上で思った事が先のエントリである匿名日記だしID晒すつもりはないので「嘘乙w」と言われたら反論しようがないのだが。

実際、この経験からボーン入れ・リギングが大変面倒なことを痛感し、キャラクタモデリングキャラクタアニメーションをやっている人には頭が上がらないなと思うようになった。

からモデラーMMD自体貶めるつもりはないし、むしろ尊敬している。あくまで先のエントリコミュニティ雰囲気MMDのものが孕む問題についての指摘である

MMDCGに不満があるなら貴方の素晴らしい作品を見せてもらいたいなぁ。CGにはCGで殴るべきでしょう。」

CGがわからないくせに文句を言うなと言いたいのかもしれないが、素晴らしい作品を出しながらコミュニティのあり方について文句を言うのは気が狂っていると思う。それただのマウンティングゴリラだろ。

BlenderMaya作成し、レンダリングした画像を添付しながら「MMDオープンソース化すべき」と主張する人間が来た場合自分だったらキレてしまうと思う。

「変えたいのなら記事を書いた貴方が頑張ればいい。偏見しかない意見しか言えない人には無理だと思う」

現にこの記事でも「勝手に羨んでて良いから、こっち来んな」という反応を受けているし、以前はVR系の開発者がPMXを読めるようにしただけでMMDerがブチ切れている。(https://togetter.com/li/984614)

そんなコミュニティに対して「頑張ればいい」って無理だろう。北センチネル島先住民に会いに行くような真似は誰もしたくないし、したところで何も変わらない。

自動車でいけば速いのに自転車(MMD)を限界チューンして走ってるみたいなところは確かにある」

すごく的を得ていると思う。

もちろん「趣味なんだから自転車に乗りたければ乗れば良いじゃん」「お前は車でも飛行機でも使ってりゃいいだろ」っていう話は分かるのだが、前述のVRの件のように自転車乗りが車道を塞ぐような事は避けてほしいとは思う。

追記)「ただ的は射てほしかった」

増田ドヤ顔誤用をやってしまったのかと思って焦ってググったのだが、どっちでもいいらしい。(https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/412139873101807616)

勉強になった、ありがとう

のじゃおじの信者かよ

彼(彼女)には申し訳ないのだが、のじゃおじ氏はむしろ好きではない方だ。彼が批判されたことに怒りを覚えてエントリを書いたわけではない。

2019-01-05

ぼくのかんがえたスーパーマリオの裏設定

マリオ

ヒーロー

アクションや変身等のギミックを考案してコース作成者と詰める役割も担う

クッパ

悪役兼、コース建設

コース設計建設を行う

本業建設会社で、ピーチ城を作ったのもコイツ

ピーチ

キノコ王国の主。要するに地主

クッパに攫われる役もあるが、本当の役割は各コースのための土地管理提供する事である

他国との外交土地交渉等もキノコ王国が担う


彼らは敵対勢力ではなく、三位一体となってアトラクションを作っているのだ。

という妄想

2018-12-20

anond:20181220105151

後者そもそもコンテンツフィルタを潜り抜けようとする猿知恵kidsがいることが前提なので

コンテンツフィルタを潜り抜ける動画作成者がいる前提なんだが

何でkidsの方がフィルタを潜り抜けると思ってんだ?相手幼児だぞ??

2018-12-07

anond:20181207030700

ぼくの文章を見てどうして「独創的を書く必要がある」というふうに読み取ったかについて疑問を感じますが、独創的という言葉に含まれる「自分で新しいものを考え出す」という部分を捨てて「自ら考える」という部分に着目してください。頭で何も考えずにシステム開発ができますか。オリジナリティのある製品が作れますか。

コードが独創的である」とは何を持って独創的ですか。聞くところによれば人間が書いたコードは筆跡のように書き手の癖があり、かなりの確率作成者コードから同定できるということです。自分が書いたコードはいつでもある意味独創的なのだと思います別に結果的に他の人と似たようなコードになることはかまいません。

あなたソートの各種アルゴリズム自分で書いたことはありますか。考えてわからなければ答えを見ても良いですが、そこには単にsort関数を呼ぶ以上に自分理解できていない「ものごとの仕組み」というものがあります

独創的であろうがなかろうがそんなことはどうでもいいことです。頭から考えをひねり出しながらコードを書く機会ならいくらでもあることでしょう。

またあなたからは「機会がなければしなくていい」というぬるい思考が読み取れます。それは「勉強なんて何の役に立つの」という意味です。

そんなあなたには「思慮の足らずを自覚せよ」という警句を捧げたいと思います

2018-11-24

VTuberは人気商売ではない アイドルは人気商売ではある

人が集まったから仕方ない、ではなく、人が集まっても変えなかった何があるかだ。

というかYouTuber自体確固たる信念が無けりゃやってられないものなんだろう。日本YouTuberの大半が『自分達が面白いと思う映像を作ってる、それを視聴者と共有したいだけ。』みたいな感じだし。

そりゃあサムネイルをわかりやすくして視聴数を稼ぐとか、どんな相手にも敬語を使ってリアクションはわかりやすくするとか、しっかりと音質にこだわって立体音響もかくやの動画を作るとか視聴者も見やすくはなるけど、こんなもの動画作成者がこだわって編集しているだけだ。

それが結果視聴数の増加に繋がったというだけ。

本当に自分のやりたいことをやることは、視聴者否定しても規約違反しない限りは配信サイト否定されない。

そして、自分がやりたいことで視聴者が求めていたとしても規約違反していれば配信サイトはそれを削除する。

YouTuberは人気商売ではないが、善良な観測者がいるので倫理観が求められる。

VTuberなんて、それの延長線上だ。

画期的であれば好かれるし、それが非人道的であれば非難される。登録者たちを害する存在であればYouTube側がシャットアウトする。

そして、VTuber界隈全体の登録者数は、Pewdiepieの登録者の半分もいない。

PewdiepieですらYouTube登録者数の十分の一もいない。

そしてYouTube登録者数は10億人以上だ。

複垢も含めてしまうと多数消えてしまうだろうけど、それでも、そんな狭い界隈だ。

単純に登録者数を足しただけだから被りなんて含めていない。

本当は業界全体含めて東海オンエアの登録者数以下かもしれない。

そんな狭い世界を見て、絶望したとするなら、やっぱり最初からやるべきじゃない。

YouTuberなんてVTuberなんて、元からニッチ需要の為にあるものだ。

増してやアイドル礼賛のキズナアイが先導するVTuber業界だ、形式最初から違うなら俺はこういうアイドルでやりたいと理解させていくしかない。それこそ、キズナアイ必死こいて切り開いていったように、金持ちYouTuberヒカルのように。

あなたVTuberになりたいというなら、YouTuberになりたいというなら、

表現者になりたいというなら、

その上で開拓者になりたいというなら、

雑多で、軟派で、強固で、姑息で、適当で、賢しらな罵倒意見に流されずに

胸を張って確固たる表現を続けていって下さい。

その後ろ姿を、ファン達はずっと見ているので。

でも稼げないのはマジで許してくれ、業界全体の人数が少ないからほんと趣味レベルでやるしかいから。

2018-11-20

上司「チッ………使えねぇな」

昨日、上司要望資料を作った。

上司仕事を半分は受け継いだはずだけど

日常業務上司のばっかりやっているし

自分仕事ができないことに違和感があった。

私の担当事務処理と資料作成データ出しを含む)

上司担当資料作成書類確認(ハンコ押すだけ)

私の場合上司愚痴聞きまでついてくる。

上司の機嫌が悪ければ、タバコ休憩促すのも私)

資料をまとめて上司に提出しようとおもったら

つまづいて資料を床に落としてしまった。

何もせずPCゲーム(ソリティア)してる上司

ここで無性に腹が立って、資料をまとめて上司の机にを置いた。

「おぉい!汚いだろ!

 チッ……ほんと使えねぇな!!」

イラときたからそのまま自分の席へ。

「午前中に頼んだ資料出来た?」と上司が言うから

「緊急で頼まれ案件をやっていたため、まだ出来てません」っていうと

「チッ……ほんと!使えねぇな!!!チッ!!!だって

ほんと、うんざりした。

書類の所に「作成者」として上司名前書くんだよ?ほんと面倒くさい。

そもそも、「使えない」って言葉を人に対して言ったことないんだけどさ。物だと思ってないし。

どうしたら「使えない」なんて言えるの?

物だと思ってる系?

上司がずーーっとグチグチ文句うから

トイレ休憩に行った。

そして今日なんだけど、

「使えない」と言ったことをキレイさっぱり忘れてるみたい。

はぁ……将来パワハラなるかなぁ?

anond:20181120074352

2018-11-10

[][][][][][][]



最高裁判事で『死刑廃止論』を書いた団藤重光は「今まで冤罪死刑になった人の数は見当もつかない」と言っていました。

ttps://twitter.com/Holms6/status/944100288201342976



調書 (割印 OR 割り印) - Twitter検索

後日、被疑者の知らないところで勝手にページを差し替え、それがバレないように契印に細工をするー。

https://www.facebook.com/MaedaTsunehiko/posts/497301520344265

「私がサインした調書は6ページか7ページくらいで、こんな10ページをこえるものではありません。そして結論が違います。これでは私がこのメールを前町長当選依頼だといっているのと同じではありませんか。私は当選依頼ではないと言っているのですから真逆です。私のサインした供述調書は別のものです」

控訴審一回目を終えての報告

本人の調書を読んでいただいたところ「内容が違う・・・」と言われたのです!

ttps://blogs.yahoo.co.jp/toshikazu2355/28285036.html

巡査部長、調書改ざん…消せるペンで表現直す : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

問題点は次のとおりだ。

供述調書に作成年月日を明記しないこと

②文中の供述内容の訂正印やページ間の割印は、作成である警察検察しか押印せず、被疑者には捺印(指印)させないこと

http://hanbei.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_1351.html

調書の改竄(かいざん)を防ぐ方法がある。それは、契約書では当たり前の方法でありお金も掛からない。その方法とは、全頁に割り印を押させることである

http://noenzai.blog32.fc2.com/

可視化というのは、取り調べの模様だけを録音録画して

おけばよい、ということにならない。調書作成過程も全部

含めて、必要だろう。

白紙調書



調書全ページに容疑者押印、供述内容の任意性確保へ…警視庁

<最高検>供述調書に容疑者らの割り印指示 ミス相次ぎ

2018-10-24

anond:20181024083324

私文書偽造における偽造は作成者と名義人の間の同一性を偽ることを指し、名義人ではなく宛先を変えただけである以上、内容虚偽の文書作成させたというだけであって、同罪は成立しない

なお、引用された条文が私文書偽造であって、それを用いた場合は偽造私文書行使罪という別の罪となる

内容虚偽の領収書作成させるために暴行脅迫を用いていれば強要罪が成立するがそのような事情は伺われない

宛名を偽って作成させた領収書を使って経費処理すれば会社経理担当者を被欺罔者、会社被害者とする詐欺罪が成立し、ここが最も重要な点であろう

法務部の方はもう少し勉強していただきたい

2018-09-25

[]リンク集著作権があると主張がある。リンク許可を得るべし

校内ネットワーク活用ガイドブック

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/kounai/pdf/kounai.pdf

リンクについて

ホームページリンクについてはホームページ性格が万人に公開を前提としているも

のであり、ホームページリンクには著作権がないものと考える、とするのが一般的である

しかし、リンク集などには作成者がいるわけで、作成したリンク集に著作権があるとする主

張もある。従って、リンクを張る際には、該当ホームページ作成者に許諾を得ることを原

則とすることが望ましい。

(改行はそのまま)

リンク集に著作権があるとする主張もあるので、リンクを貼る際に該当ホームページ作成者に許諾を得ることを原則とすることが望ましいというのは変な記述に思います

リンク集に著作権がある場合があると、リンクを貼ることに許可を取るべきには関係が無いと思うのですが。

しろリンク集に著作権があるとする主張もあるという話をくっつけるなら、アドレスを貼った時点でリンク集の作成者権利があるため(アドレス権利存在せず)、リンク先のサイト作成者許可不要であるという記述の方がまだ自然に思えます

2010年に出版された「ised 情報社会倫理設計 倫理篇」という本でもこの文章は取り上げられており、この論理意味が分からないと書かれています

リンク集には著作権があるとする主張もあるからリンク先の許諾を得るのが望ましい」となると、もうわけがわかりません(笑)

ただしこの資料は「平成15年3月31日発行」との事なので仕方ない面はあると思います

当時はまだネット社会とそれにともなうマナー成熟していなかった事情があるのではないかなと思います

今でいうツイッターの「FFから失礼します」に事情は近かったのかもしれません。

からリンクには許諾を得ることが望ましいという記述が入ることになったのかなと思います

資料に書かれている「論理」は理解できませんが、「結論」は当時の事情が見えるようで興味深いです。

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