はてなキーワード: 精神論とは
音感とリズム感だな、ここでいう音感とリズム感は感覚的なものというよりは、周波数単位でずれなく声を含む任意の楽器から指定の音が出せるかと、ミリ秒単位で特定のタイミングで指定の音が出せるかを示している。これを持続的に出来ることが、所謂演奏が上手い人が持つ最小要件 (満点)、これだけだと打ち込みで事足りるという話になってしまうが、人が演奏するだけで強弱や精度にむらが必ず出るので実はあまり心配しなくても良くて、結局は音感とリズム感に落ち着くと思う (偶に上手いけど機械的と批難される演奏者がいるが、その時点でプロなので、多くのアマチュアは気にする必要は無く、精神論のスピリチュアルな方向に傾倒するよりは演奏技術の向上に勤しんだ方が見返りは多い印象)
「児童を性的に見る」という価値観が問題、という前提が成立してないから個人的に嫌いだし悪影響な気がするから排除していいんじゃね、にしかなってないように思う。
性加害が「児童を性的にみる価値観が肯定されてるから」おこるというほど単純なものではなく、支配欲などの影響が大きいといわれたり複雑なものなのは明白だし、
そもそも「児童を性的にみる価値観が肯定されてなければ児童を性的にみない」なんてことはありえない。
影響しだいでどちらでもいいライト層、カジュアル層みたいなのはいるかもだが強い動機は持たないし、自暴自棄になった結果選択された犯罪だとしてもそうなるまでの状況や犯人が主観的に思い描く成功率などのファクターが大きい。
(児童を)性的にみない価値観が絶対的に教育されてる聖職者でも性犯罪の件数が問題になってるのだから、「ある価値観を社会全体が否定/肯定すれば解決する」というのは戦中日本の精神論のようなファンタジーでしかない。
悪いフィードバックの可能性をいうならば、良いフィードバックの可能性に言及しないのは片手落ちだし、
「実際に事件がおこってる」から価値観の肯定が悪いと結ぶのも極めて非論理的。
お餅などの死因との因果関係が明確なものですら規制されてないのに、因果関係が極めて不明瞭なものが軽々しく扱われるのは異常。
前提としてシステムの問題点の話をしてるのであって精神論とか人生哲学とか個人的利益の話はしてないです。
存在を教えればそれが出来るようになるわけではないのだからほぼ何の意味もないですね。
あとは税務署に行けば、申告書の書き方は教えてくれる。
そのような行動力のある人間前提のシステムというのもまあやはり奇妙に感じますね。
一部のマニアが使うだけならいいですがほとんどの国民が利用しなければならないシステムであることを考えるとユーザービリティに欠けてると言わざるを得ないです。
経費を計上したり控除制度を適用して納税額を減らしたいなら、自分の利のための話なんだから、それくらい自分で知識得て活用する努力せえや。
こういうのも税金に限らずシステムを有効活用するためにシステムについて学ぶ必要があるというのもシステム的にみればひどく無駄に感じますね。
PCを使うのにコンピューターサイエンスの知識が必要だとすればそれはかなり不親切で使いにくいシステムと言わざるをえないでしょう。
これは5年や10年、投資しないと、その手法の評価が不能だからです。
どんなにゴミのような手法でも、長期間検証しないと正確な評価にはなりませんからね。
投資家が1年目でおかしさに気付いても「それは、あなたが手法を理解してないだけです」とか「あなたの忍耐力が足りないんです」とか、そうやって精神論を織り交ぜて煙に巻くことができます。
これは情報商材屋レベルのコテコテの詐欺師も使えば、プロに近い人間もこの詐欺手法を使って投資家たちを飼い殺しにしてるので、みなさん注意すべきです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240724233611
私はこのブコメを見ていましたが、騙されてる人多いと思いますね。
それか、まともに投資に取り組んだことのない人が多いと思う。
はっきり言って、技術的な話をする場所で営業活動をしていて、検索も汚染されるし迷惑に思ってる
営業活動がしたいのであれば、QiitaやZennではなく、noteとか他所でやってほしい
自分は作業していて技術的に困ったこと、それをどう解決したかを具体的に書いて、自分の備忘録としても他人に共有してもらうためにも書いてる、少ないけど…
例えば、Stackoverflowで、技術的な話し合いをするのは、どんなにそれが初心者臭いことでも自分はまだ構わない、まだ許せる気がする
何度目の質問だよ、みたいなのでも、まあまだいい
だけど、こういう心構えのエンジニアは成功しない、とか、正直言うと新卒が読むべき十冊の本、みたいなタイトルで、その本も抽象論、精神論、自己啓発ばかりだったりするような記事だったりすると、
本当にこういう記事をQiitaやZennにそのまま載せていていいのか、正直疑問に思う
思想や発言は自由であるべきだけど、ここは技術について話し合う場所であって、それこそ自分の仕事へ読者を客として呼び込む、客引きをする場所じゃない
サイバー攻撃は気持ちで防げる。己を信じ、意志を鍛え、冷静に対処せよ。そうすれば、何者も汝を侵すことはできぬ。
勇者たる者、ただスキルや装備に頼るのではなく、その心、精神力こそが最強の盾であると知るべし。
まずは、自信を持て。己のネットワークを鉄壁の如く信じることから始まるのだ。何故ならば、心の隙こそが敵の侵入経路となるのだ。気持ちが弱い者は、サイバー攻撃に屈する運命を辿るであろう。
また、意志の力を鍛えよ。敵の攻撃を跳ね返すのは、単なるファイアウォールやウイルス対策ソフトだけではない。強き意志こそが、最強のセキュリティ対策となるのだ。意志の力があれば、サイバー攻撃など一片の恐れもない。
そして、冷静さを保て。パニックに陥ることなかれ。冷静な判断があれば、どんな攻撃も未然に防げる。これぞ真の勇者の道。
最後に、決してあきらめるな。サイバー攻撃に対しては、粘り強く戦う姿勢が求められる。たとえ一時的に突破されても、気持ちを強く持ち、再び立ち上がることが重要なのだ。
アベノミクスの大失敗による止まらないスタグフ状態でそのアベノミクスを推奨してた永濱利廣がトンデモな奴って事が世間にじわじわ広まってて嬉しい限りだ
昔からこいつはヤバイ奴だと思ってたがこのアベノミクスによる経済大打撃の顕在化によりとうとう隠しきれなくなりつつあるらしい
アベノミクスなんて失敗する事が目に見えてる自民党のインパール作戦を礼賛してた馬鹿エコノミスト共なんてのは当時後ろで大和魂の精神論を唱えれば戦争に勝てると思い込んでた連中と同じで全員戦犯でしかない
アベノミクスで日本が好景気になった妄想の世界に生きている自民党信者のクソニートやバカウヨやボケ老害ではなく
アベノミクスタグフの痛みを受けている現実世界に生きている人々の耳には虚しく響くだけだ
こいつらの名前は過去の戦犯と同じ様に永遠に日本の負の歴史として刻まれるべき
人の噂も七十五日というが現代社会で自らの罪が忘れられるなんてことは無いと知れ
上司が同僚に書類の不備について「これだけでは駄目だ」の指摘の根拠に精神論しか持ちだせておらず、
具体的な改善方法の説明もできずに「ちゃんとしてください」と「もっとこう他にないんですか?」を繰り返していた
「こういう気持ちはないんですか?」
「これができてないってことはこういう気持ちがないんだと思います」
みたいなループに入っていた
私はひどい会話だと思いながらも、同僚に助け船を出す方法が思いつかず、他の仕事を続けていた
上司は書類の説明補足を続ける同僚に最終的に「もっとこうどうしたらいいか自分で考えてくださいよ!」と言っていた
そのあと別の上司にその上司が「昨日も別の件でちゃんとしてくださいって言ったんですよ。○○な点をちゃんとしてほしいのに」と言っているのが聞こえてきた
「ちゃんとしてください」って共通理解を作れていない場だったら、「私に合わせてください」って意味でしかないと思うんだけどな
「私に合わせてよ!私と同じ気持ちなってよ!私に合わせてったら!」と言い換えるのは意地悪過ぎる気もするが、情報量としてはあんまり変わらない気がする
でも同僚が上司と同じ方向を目指すために「この書類の目的は何ですか?」と聞いていたらそれはそれで怒ってそうだとも思う
今まで「ちゃんと」って相手に何も伝わらないからビジネスの場で使っちゃいけないんだろうと考えていた
もしかしたら「ちゃんとしてください」と言うことで仕事をした気になるという効用を感じる人が一部いて、そっちのが周りに悪影響を与えるのかもしれん
言語化できないときに「ちゃんとしてください」を言い、それで相手が反省してその場が収まった場合は、気持ちよさえ感じるのだろう
そのうち考え方さえ「ちゃんとしてほしいだけなのに」と思考を「ちゃんとしてほしい」に乗っ取られてしまうが、
本人は「ちゃんとしてほしい」ばかり使っていて言語化能力が衰え、周囲とのコミュニケーションがうまくいかず、自分の考えをその場での共通理解に育ててルールやシステムに組み込むことができないまま、
「なんでみんなちゃんとしないんだろう。ちゃんとしているのは私だけだ」と思いつつ「ちゃんとしてください」を言い続けるのだ
「ちゃんとしてください」の上司が別の上司に当該書類を見せて、どうしたらいいのかをアドバイスもらっているのも聞こえてきた
そこまで悪い人ではないんだろうけどなと思いつつ、でも自分で依頼した書類の精査と指摘を一人で完結させることはこの人にとって「ちゃんとやる」の範囲に入ってないのかなとも思った
さて、ここまで書いたように「ちゃんと」と言う言葉は聞き手にも本人都合で如何様にも解釈できるため、「ちゃんとしてください」と言っている人をいくらでも悪しざまに書く材料にすらなりえている
「『ちゃんとしてください』って言う人は駄目だな」と言う時点で、理解が不可能なものに対し、自分なりに理解し、善悪の判断をするという悪手をとってしまっているのだ
それは「ちゃんとしてください」と発言する人と「ちゃんとしてください」を自分都合の言葉として扱うという点に置いて、あまり変わらない
「ちゃんとしてください」はただ理解不可能なものだと扱うべきだ
「ちゃんとしてください」は言うべきでないし、解釈すべきでない麻薬みたいな言葉なのだ
ただそれはそれとして、明日出社したら「ちゃんとしてください」の上司は席に座って不機嫌そうにしているのだと思う
きっつい