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2019-05-16

上級国民プリウスを欠陥品としたまえ」

上級国民同胞人生がかかっている」

2019-05-15

anond:20190515104607

そりゃ、女性が他害思考他罰思考であると知れ渡ってるからでしょ。

証拠もなく人を社会的に殺すのが女性だろ?

自分泥酔証拠もなく薬盛られたせいにしたりな。

痴漢もそうだ。証拠なくさばかれる例、男性側に有利な証拠無視する例が知れ渡った以上、女性痴漢と言ったら終わり。

社会的死、あるいはそれに近い大打撃を受けることになる。報道され、拘留され。

それにセクハラ扱い、metooもそうだ。「女性証拠なく人を誹謗中傷社会的に殺す」と知れ渡ったしまった。

結局、女性は信用されてない。善意に値すると思われてないってこと。

「訴えない」というなら、まずは証拠もなく人を訴えたりデマばら撒いたりする同胞を始末しろよ。

あなたは助けてほしくないらしいからどうでもいいだろうけど。

2019-05-13

ジャップ同胞判定厳しすぎるだろ

血筋は半分日本人日本語ペラペラでも「日本人選手」じゃなく「日本選手」なんだよな

2019-05-08

ペドオタクからネトウヨ卒業した

高校生のころネトウヨだった。そしてその当時も、今も、僕はペドフィリアオタクだ。

ネトウヨになったのは韓国について悪し様に書かれた文書を読んだことがきっかけだった。今にして思えば何故あんもの鵜呑みにしてしまったのか不思議なのだが、はじめてネットに触れるようになった時期で、身も蓋もない言い方をすればネットリテラシーに欠けたからだろう。

韓国卑怯卑劣寄生虫だと信じ込んでいた。韓国だけでなく、同様に糾弾されていた野党朝日新聞も当時の僕にとっては悪だった。―こう書いていて思うのが、その当時と今とで10年以上たっているのに、その間は決して平穏ではなく、寧ろ激動の時代であったと言っても良いのに、ネット上のこのような言説は変わらないということだ。変わらないからこそ、今ではもはや怨念のように凝り固まっているのだろうか

さて、高校生の時分に政治世界情勢のことなど分かるはずもなく、当時の関心は専ら自分権利が守られるかどうかだった。権利ーこの場合自分の好きな漫画アニメゲーム等だ。

今でこそ折り合うことができているが、当時は本気でオタクであることを恥じ、ペドフィリアであることに罪悪感を抱いていた。そのように自分属性に悩んでいた一方で、いや、悩んでいたからこそ、オタクでありペドフィリアであることこそが、自分の唯一のアイデンティティーであるように思われた。失笑されるかもしれないが、僕のような反社会的人格は少数派なのだ。そのことで権利を主張しようとは思わないが、自分特殊なのだと意固地にならざるをえない。

とにかくペドフィリアオタクである僕にとって、その手の作品は生きる上での友であり、それを侵害するものは敵だった。

そしてその当時敵だと思っていたのが、いわゆる「左翼」だった。

左翼」は声高に人権を守れと言う。その人権非実在存在にまで適用し、僕の権利侵害しようとしているー思い返すだけで頭が痛くなってくるので、当時の愚かな思考を正しく説明することは難しいが、確かそのようなことを考えていた。

愚かなことだ。人権があるからこそ創作作品を楽しむこともできるのに。しか保坂氏や枝野氏など、「左翼」こそが表現の自由を守ってくれていたのに。

いや、薄々とは気づいていたようにも思う。だからこそ、当時でさえ保坂枝野氏などには悪感情は持たなかった。「左翼」だが味方でもある、そう思っていたか

実際自分子供のころから千葉ロッテマリーンズファンなのだダブルスタンダードまれり。

結局自分にとっては国よりも自分の好きなものこそ重要だったのだろう。そしてそれ故にネトウヨ卒業することができた。

ネトウヨを辞めるきっかけとなったのは、浪人生のころ、2ch掲示板で、「ロリコン在日」とか、そういった類の書き込みを見たことだった。拍子抜けと感じるだろうが、僕はその程度のことでネトウヨに冷めてしまった。

自分が少数派である自覚はあった。それでも、同胞である日本人なら受け入れてくれると思っていた。なのに、結局ここでも切り捨てられるのだーそう思った。

いったん冷めてしまうと、ネトウヨの嫌なところばかり目に付くようになった。少しの瑕疵があれば昨日の仲間を今日は敵認定する。高尚な正義感を気取りながらやっていることは荒らしデマロッテスレコピペ爆撃する。とことん醜悪だと思えた。

右派は冷たくて、けしていざという時に守ってはくれないー余命騒動で明らかだろう。畢竟人間孤独で、国籍が同じだからといって無条件に受け入れられるわけではない。

僕は自分ペドフィリアからこそ、そう気づいた。だが同時にこの人格に意固地になったあまり他者への眼差しを欠いたことが、ネトウヨになる端緒ではなかったか

振り返ってみれば、ネトウヨになったのはネットの影響。ネトウヨを辞めたのもネットきっかけ。なんというか、独り相撲しかない。それまでの人生で、韓国人と会ったこともなかったのに。

韓国人や、「反日」とされる人にも良い人はいる。

近所の焼き肉屋韓国人の従業員はとても気前が良くて、色々とおまけをしてくれる。留学生の李くんも良い奴だった。

朝鮮学校無償化に賛成し、某ネトウヨサイトに「反日大学教授」と名指しされたある教授は、僕が出会った中で最高の人格者だった。先生は、僕なんかの悩みも真剣に聞いてくれ、生きているだけで偉いのだと、度々仰った。そんな先生から子供のことを、生徒のことを第一に考えているからこそ、賛成したのだ。本当の教育者から、賛成したのだ。

それもまた個別経験にすぎないと言われるかもしれない。

だが、愚かな私は、個別経験を積むことすらせず、何もかも知ったつもりになっていた。

ネット上で悪魔化された人々が、血が通い、尊重すべき人間であるーそんな当然のことすら、理解せずに。

ペドフィリアと自認しています性犯罪歴はありません

2019-04-30

anond:20190325135929

ぶっちゃけ言ってる事はとても多くの要領を得ていると言える

ほぼそうだろう

女性が主導的にネット操作ができる数が少なかった

男性に求めるところがある人間がそこに出てこなかった

そういう領域だった事は確かで今は違うことも確かだ

今になって女性側がネット利用の多さを誇るようになって

邪魔男性側を攻撃し始めているのも同じ理由を含むといえよう

モノとして金だけ出してくれる男を捕まえる同胞が出てくるのを恐れて

それが毒リンゴだと言って回るしかない

国家神道の教祖の命「令」に従って同胞融「和」する新時代の奴隷

1945年日本人アメリカ原子爆弾大量虐殺されました。天皇日本敗戦に導いた指導者でした。おめでとうございます

In 1945, the Japanese were massacred in America by the atomic bomb. The Emperor was the leader who led Japan to defeat in the war. Congratulations.

公元1945年,日本人因原子弹在美国被大量屠杀。日本战败时的领头是天皇。恭喜了。

2019-04-17

anond:20190417082807

暴力性ってか批判される要素はいくつかある。

弱者救済を言いながら、特定弱者には「緩やかに滅べ」と言い放つそのダブスタ

女性」という特定の「弱者」(実際は違う)の救済を訴え男性にも負担を求めながら、

片や別の弱者については「平和に滅べ」と言い放つ。

ここに人権意識はあるのか?これはつまり女性人権を守るため、お前らは人権を捨てて滅べ」と言い放ってるのだが。

ここに暴力性がないといえるのか?

二次元コンテンツをすら殺しに来る同胞フェミ放置して何を言っているのか

もうおなじみの件ですね。

現実から排斥された弱者男性のよりどころたる「オタクコンテンツ」をも、フェミ攻撃する。徹底的に。

全年齢ライトノベル撤去要求したり、専門店にまで踏み込んできたり。(そもそも連中のいう「ゾーニング」が噴飯ものだが。)

本邦フェミの巨魁たる上野はこうした同胞の追撃に対して何を言ったか。何も言ってはいない。

ギャルゲに逃げ込んで平和に滅べ」といいつつ、その逃げ場所すらなくそうとしている。悪辣というほかない。


③「恋愛弱者」を「性的欲求」だけだと決め付けてる浅はかさ。

「ヌキながら、性犯罪を犯さず」などといってるが、これはつまり恋愛弱者要求性的ものだけ」という決め付けに他ならないだろう。

実際には恋愛には承認欲求等のほかの要素が大きく、コレは全く浅はかで、しか恋愛弱者馬鹿にしてる発言だ。

暴力的でないといえるのか?

④「性犯罪を犯さず、平和に滅びろ」という主張の一方的

性犯罪は悪だ。殺人も悪だ。

しかし、それをするまで追い詰めることに全くの責任はないのだろうか。

上野のこの言説は、恋愛弱者飢餓状態まで追い詰めておきながら、「自らに火の粉はかからない事が絶対」だという身勝手さがある。

恋愛弱者自己責任かどうか、増田でも連日連夜議論があるが、私は明確に「違う」という立場だ。ほぼ、環境要因100%だと思っている。

特定パーソナリティを許容できない」というわれわれの未熟さが恋愛弱者KKOとして増田では通っている)を生み出してるのだ。

その彼らの復讐を、「逆恨み」だとは私は思わない。われわれが受け入れられない未熟さのツケを一身に負わされているのだから

その彼らに対し、「平和に滅びろ」と言い放つその「平和」とは何か。自分だけの「平和」ではないか

飢餓に苦しむ恋愛弱者に「平和」などあるものか。全く、暴力的で一方的物言いであると言わざるを得ない。



納得したか

2019-04-14

anond:20190414190013

いつも北韓にペコペコしている従北韓国人メンタル

外国人北韓を見て「共産化されて奴隷にされるのは悲惨」と学んでいる。

アジア各国も「優秀な奴隷を目指して競い合っている従北韓国人」を見て驚愕している。

「どんだけマゾなの?」と。

 

マゾを通り越して、奴隷こそ最高の人生と開き直っている。

もはや外国人には従北韓国人メンタル理解不能だろう。

2019-04-08

anond:20190408180028

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思いますしかけもフレ1でカフェを訪れるフレンズは別の鳥でも良かったわけで、トキ選択されたのは何らかの意図があるでしょう。以前に書いたような「テーマとして昇華していない程度の示唆」でとどめても善いのではと思います不快になるまで強調されるならドラマに絡めて決着を付けるべきだということですね。ならばイルカアシカイエイヌでそこまで不快になるということ自体製作者の想定外なのではないでしょうか。俺もグロテスクさは感じましたが話が入ってこないほどは気にならなかったです。「そこに居心地の悪さを感じるのは当たり前」とおっしゃいましたが、監督交代のいざこざ抜きでもそう言えると断言できますか。

ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからない

これまでそういう表現が主流だったというだけです。戦闘ときに技名を叫ぶのはフィクション的です。攻撃タイミングがバレてしまうし、叫びに使うエネルギーを拳の乗せろよ、です。詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。「サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、『同じ系統のパワー』に見えるんですよね。」とのことですが、同じ系統でよいと思います。常時強制的に野生部分が開放されているのがビーストだと俺は捉えてます

私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

俺はケムリクサの最終話での細かいつじつま合わせに納得していません。「盛り上がり」とはリンが赤い木に対峙するシーンからですよね。ケムリクサでは草周りが特に緻密に組んであるので引っかかっているのかもしれませんが、矛盾していてノリで処理するの範疇に入っていますけもフレ2でのキュルルちゃん葛藤は「盛り上がる」部分ということでいいですね。とすると問題はフウチョウよりむしろ吹っ切れた後にタイミングよく飛んでくるビーストのような気がしますが… ただそこに至るまでに作品評価は決してしまっていたし、葛藤をフウチョウという便利な舞台装置で処理したところで全体がファンタジーということにはならないのでは。むしろケムリクサは柔軟性のあるギミックやしがらみのないプレーン舞台を用意していることで矛盾をでなくしているように思います。まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。...(中略)...「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。批評文脈でそのようなものを論じるのは意味がないのでは。作品制作において(俺は関係ないですが)、優しい世界を目指すというのは単に売れるよう頑張る以上のものであって、今のところは曖昧ですが、これから更に研究していく必要があるほど奥の深い領域だと考えていますけもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。そこはメリットだったのですが他方優しい世界性は減じてしまったということです。スピリットは二作品継承されましたが、休日リピートして癒やされるのはやっぱり一期ですよね。

話が前後して申し訳ないのですが、作劇論について…

ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない

なるほどこれまで俺は不備を、設定の矛盾のようなものに絞っていましたが、重く捉えてらっしゃるのはプロット上の未消化や演出上の目論見の失敗、などですね。この方面は完全に素人なのですが、胸をお借りするつもりで議論に足を踏み込ませていただきます

「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。事実上その選択しかないのにそれを選ぶのを決心するのは意思ではなくて屈服ですよ。敗北したのではなく自分で選んだと言い聞かせるために自分発破をかけているわけでしょう。けもフレ2のキュルルちゃんは諦める必要がないときに諦めの決断をしているので、そこに確かに彼女自由意志があると判るはずです。響くか響かないかは決意の重さを事前に示しているかでしょう。リリの「会えないのはもっと嫌だ!」は赤い木を生み出した(観念的な)責任彼女にあるし、あそこで「好きに生きて」などいわれて逃されて、わかりました楽しく生きますは納得感が全く無いので、戦線復帰が可能だとわかった時点で行動は一択なわけです。でもワカバとの日々でお化けになることを怖がったり、ワカバが倒れるのを心配したりしていたので、彼女自身が消えることの怖ろしさは十分に示されてる。それでも積極的に行くところに決意の強さが見て取れるわけですよね。キュルルちゃんはそれまで三人でおうちを探して旅をしてきて最後に、それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので、諦めるということがそれなりに重い決定であることは判っているわけです。それで充分だとは思いますが、まあ死ぬほどの重みではない。先々週にリリの決断をみているのでそこからすると見劣るのは否定できないです。

増田さんのプロット案は面白いですね… そっちのバリエーションも観たかたかも(実はプロの人なの?)。

最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。このときのキュルルちゃんが横暴に見える、とまでは俺は思っていませんが、視聴者の多くはそう捉えたようです。おかしいと思わない人はサイコパスとまで言われていました。素人考えなんですけど、あそこでキュルルちゃんが(観点的な)非道を働いてしまうことには狙いがあったのではと思いますお話の上でキャラクターが何らかのミス悪事を働いて被害を作ってしまった場合、それに悪意がなくても、天災的な事故観念的な罰を受ける。視聴者の溜飲を下ろすためなのか、そういう処遇はよくあると思います。でないと消えざるを得なかったリリ・ワカバがただひたすら不遇ということになってしまう。キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります

キュルルちゃん疑似不老不死説は俺の自説で、そこまでの確証はないことは一応留意してください。むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。不勉強ながら俺はそれを知らなかったし、多くのファンも同じではないでしょうか。視聴者には考察班的に楽しむ人もいるし、癒やし目的カジュアルに流し見る人もいるでしょう。教科書的な表現から逸脱することで芸術進歩してきたのではないですか。

anond:20190408152438

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。

おうち探しの結論が「大好きなフレンズと一緒のここがおうち」であるなら、「人間フレンズにひどいことした」は、避けて通れないかと。

イルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える

元々の話は、人間動物ねじ曲げてしまたことの悲劇、罪悪感、グロテスクサが表現されてるか、でしたよね。それらは一つの責任の取り方かもしれませんが、そうしたニュアンスは、存在しないかと。リョコウバトの場合、「君の家族は全員死んだけど他にも仲間はいるよ。殺したの俺の仲間だけど」というのが「責任」かと言われると、ちょっと。もちろん、絶滅動物に対して人間が償うべきなのか、どう償うのかは、大きなテーマであり、けもフレ2内の1エピソードとして処理するのは限りなく無理です。しかし、だったら最初からリョコウバトを出さなければ良いかと思うわけです。そのあたりが深く考えてないという話です。

余談ですが「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います

キュルルが、イエイヌ孤独、寂しさを理解しつつも、「飼い主の責任」のために去って行く、と、取れる描写があればよかったですね。また飼い主の責任の話を強調するなら、イエイヌが「ヒトなら誰でもよい」と言ってしまってるのがダメでしょう。イヌは「ヒトなら誰でもよい」生き物ではないわけで、そっちのほうが誤解が大きいし、「イヌは人なら誰でもいいんだから、他の人に、あげればいいじゃん」という無責任に繋がりかねません。

私なら、最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。

何歳くらいを対象に考えてるのかわかりませんが、「ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからないと思います

サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。

あの時、サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、「同じ系統のパワー」に見えるんですよね。一期の野生解放と同じものか、ちょっと混乱する。

内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。

念のために確認しますが、私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

けもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います。一つの作品で、画面に映ったこと全部に完璧説明をつけようとすると、かえって面白くなくなるので。それを理解した上で「すべてに筋を通すべく没頭」するのは一つの楽しみ方ですが、作品単体にそれを要求する必要はない。わからないことがあることを含めて楽しめば良いかと。もちろん、楽しめないほど大きな矛盾があれば別ですが、私はそれは感じませんでした。

他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。

続編作品のほうが様々な制約があり、オリジナル新作ほど融通が利かないのはその通りだと思います現場の方々は整合性を取ろうとしたのだと思いますけもフレ2で、派手でない部分で、筋、整合性を通してる部分があるのも、もちろんだと思います

その上で、重要な部分で、フウチョウが出てきたりするあたりはファンタジーであるなと。「記憶ケムリクサが不自然に発動したこと」にご都合性がないとは言いませんが、「幻想だか現実だかもよくわからないフウチョウコンビが、どこにでも現れて説教する」は、後者のほうがファンタジー度が高いでしょう。

キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要がありますベタなのは、それによってセルリアンを倒す助けになるとかですね。そうでなくても構いませんが、そういうのが必要です。けもフレ1で、かばちゃんミライフレンズ化だったというのは、「セルリアンに食べられたかばんちゃんが復活した理由」というドラマと結びついてるから意味があるわけです。

ワカバ場合ワカバリン関係性、ケムリクサの赤い霧の世界がなぜ生まれたか姉妹達とはなんだったのか、という、キャラ動機起源世界の成り立ちが解かれて、それが最終決戦の盛り上がりに繋がるところに意味があるわけです。ワカバが、宇宙人なのか、天使なのかの細部は、想像に任せるで良いのです。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

合理性があろうがあるまいが、1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います

そして「”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしま」うこと自体簡単かもしれませんが、その結果、出来上がった作品面白くなるか、評価されるかというと、それはまた別問題ですよね。「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

不備について、いくつかは、これまでにも書いたと思います。この記事だと、イエイヌ周りとか、キュルルちゃんの「おうち」「正体」周りですね。

細かな不備はさておき、大きく重要なのは、おっしゃっていた「視聴者視点では行動が横暴に見える。」という点が、印象に残る点だと思います。作り手の意図として「視聴者に対して、キュルルを横暴に見せたい」と思っていたわけではないでしょう。だとするのなら、意図に対して演出脚本が失敗しているわけです。

初見ではわからいかもしれないが、よく考えるとわかる」部分があるのは作品に深みを増しますが、それは細部にやる話で、ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない、というのが普通の作劇かと。

2019-04-05

anond:20190405121858

まりさあ、

種馬の大きなチンポが、いま、まさに、まさにいま、ゲートイン、わたくしの中に、ゲートインしようとしています、さあ3億とも4億とも言われる精子が、一斉にスタートする、その歴史的な瞬間に、わたくしはいま、立ち会おうとしております、数多の精子種馬精子が、目指すゴールはこのわたくし、わたくしの卵子であります、さあすでに減数分裂を再開、まもなく極体放出となります、このたった一つの卵子受精する精子同胞の中でただ一つ、厳粛なレースが、戦いの火蓋が切って落とされようとしております、多くの女性が貫かれながらも孕むことのなかったこの大きな大きなチンポ、まさに種馬のソレが、わたくしを孕ませるのか、世界中が注目しております、さあさあ

っていう宣言だったんだよ

まあしょうがないよね、みんな羨ましいもんねしみけんのチンポ、そりゃ自慢したくなるよね

2019-03-26

今日、この日から、あたらしい日本のみ

この日記には、とても特別意味があります。なぜなら、単なる世代交代をしているわけではなく、東京から国民である皆さんへ、世代の主役を取り戻しているからです。

まりにも長い間、東京にいる一部の人たちだけが社会から利益恩恵を受けてきました。その代償を払ったのは残りの国民です。東京繁栄しましたが、国民はその富を共有できませんでした。政治家などは潤いましたが、職は失われ、会社は閉鎖されました。権力層は自分たちを守りましたが、日本国民を守りませんでした。彼らの勝利は、皆さんの勝利ではありませんでした。彼らは首都東京で祝福しましたが、日本全土で苦しんでいる家族への祝福は、ほとんどありませんでした。

すべての変革は、この場所からまります。今、ここで始まっているのです。なぜなら、この瞬間は皆さんの瞬間だからです。皆さんのものです。今日、ここに集まっている皆さん、地球のどこかでこれを見ている皆さんのものです。今日という日は、皆さんの1日なのです。これは皆さんの日記です。そして、この今の日本の国は、皆さんの国なのです。

本当に大切なことは、どの勢力実験を握るかということではなく、政府国民により統治されることです。2019年3月26日のこの記事は、国民がこの国の治める日として、これからずっと記憶に刻まれるでしょう。この国の忘れ去られた人々は、もう忘れ去られることはありません。誰もが皆さんに耳を傾けています。何千万の人々が、歴史的運動に参加しています

今まで日本の人々が見たことのない動きが起きています。この動向の中心にあるのは、とても強い信念です。それは、国は国民奉仕するために存在しているということです。日本国民は、学生子供たちのために素晴らしい学校を望んでいます。また、家族のために安全を、自分自身のために良い仕事を望んでいます。正しい人々、そして、正しい国民がそう望むのは正当で、当然のことです。

しかし、多くの市民には、異なる現実存在しています家族子供学生貧困憎悪に苦しみ、産業は錆びき、日本全国に墓石のごとく散らばっています労働低賃金かつ劣悪で、輝かしい成人たちは、社会活躍できていません。犯罪差別病気があまりにも多くの命を奪い、花開くことのない可能性をこの国から奪っています

こうしたこの国の殺戮は、今ここで終わります。今、ここでです。

私たちひとつ国家であり、彼らの痛みは、私たちの痛みです。彼らの夢は、私たちの夢です。そして、彼らの成功は、私たち成功です。私たちは、ひとつの心、ひとつ故郷ひとつの輝きに満ちた運命を共有しています今日、私がした就任の誓いは、すべての国民の忠誠の誓いです。

何十年もの間、私たち日本産業犠牲にし、他国産業を豊かにしてきました。他の国々の教育を援助してきました。一方で、日本教育は、悲しくも枯渇しています私たちは他の国の生活を守っていますが、自分たち生活を守るのを拒んでいます外国に何兆円ものお金投資しましたが、日本インフラ絶望に陥り、腐っています。他の国々を豊かにしましたが、自国の富、力、自信は、地平線のかなたへ消えて行きました。ひとりずつ、貧しい若者移民になり、あるいは自殺者となり、この国を去りました。数百万人の日本労働者が置き去りになることなど考えもしないで、そうしたのです。平均的な日本人の環境が、その家庭から奪われ、日本のあちこちないし世界のあちこちに再分配されました。

しかし、それは過去です。今、私たち未来だけを見据えています私たち今日、ここに集まり、新しい決意を発し、すべての街、すべての日本都市、すべての政党にそれを響かせます今日、この日からまります。新しいビジョン日本を治めるでしょう。今日、この日から、あたらしい日本のみになります新しい時代のはじまりです。

経済福祉政治生活についてのすべての決定は、日本労働者と家族利益のために下されます他国暴挙から国境を守らなければなりません。彼らは私たち資源産業生産し、私たち資産産業を盗み、私たち仕事破壊しています保護こそが偉大な繁栄と力に繋がるのです。

私は全力で皆さんのために戦います。決して失望させません。日本は再び勝利します。これまでにない勝利です。雇用を取り戻し、国境回復し、富を取り戻し、そして、夢を取り戻します。このすばらしい国の隅々に必要最大限のインフラを整備します。生活保護を受けている人たちに仕事を与え、日本労働者の手と力で国を再建します。貧しい学生教育を与え、日本を再び輝きのある国にします。

私たちは2つの単純なルールに従います日本国民は常に日本社会に向き合っていくことです。世界の国々と友好的な善意関係を築きますが、すべての国には自国利益を優先させる権利があることを理解した上で、そうします。私たち自分たち生き方をすべての人に押し付けることはしませんが、模範として輝やかせたいと思っています私たちはすべての人が追随するような輝きを放つでしょう。私たちは古い同盟関係を強化し、新たなものを形づくりますマフィアのような悪質なアウトローに対し国民を結束させ、日本から完全に根絶させます

私たち政治の基盤は、この国への完全な忠誠心です。国への忠誠を通し、私たちはお互いへの忠誠を再発見するでしょう。愛国心に心を開けば、偏見など持たないはずです。私たちは隠さずに思っていることを語り、相違について討論しますが、いつも団結を求めなければなりません。国民が団結すれば、誰もこの国を止めることはできません。

恐れることはありません。私たちには未来保障されています。そして、私たちはこの先の未来保障されているでしょう。私たち学術界や社会の素晴らしい人たちに未来保障されています。そして、最も大切なのは未来国民が常に追求し続けることです。

最後に、私たちは大きく考え、さらに大きな夢をみなければなりません。この日本で、私たちは分かっていると思うのですが、国家は、努力してこそ存続するのです。口ばかりで行動が伴わない人間をこれ以上受け入れることはできません。彼らは文句ばかり言って、何もしていません。意味のないお喋りは終わりを迎える時です。今、行動の時が来ています。それはできない、と言うのはやめましょう。どんな課題も、心を開き、戦うという精神を持てば、乗り越えられます。失敗することはありません。私たちの国は再び繁栄し、栄えるでしょう。

私たちは、新しい時代誕生に立ち会っています。この世界神秘を解き明かし、未来産業テクノロジーを利用する準備をしています。新しいこの国の誇りは、私たちの魂を揺さぶり、視野を高め、分断を埋めるでしょう。今こそ、思い出す時です。成人男性、成人女性未成年者、誰であろうと、同じ愛国心の赤い血が流れています私たちは同じ輝かしい社会享受しています。みんな同じ偉大なこの社会に忠誠を誓っているのです。子供ビル文化の発信地の都市部で生まれようと、緑豊かな田舎で生まれようと、同じ夜空を見上げ、同じ夢を心に抱き、同じ全知全能の創造主によって生命の息吹が吹き込まれます

ですから国民の皆さん、すべての街に住んでいる同胞の皆さん、それが近くても、遠くても、小さくても、大きくても、山から山まで、海から海まで、この言葉を聞いてください。皆さんは再び無視されることは決してありません。皆さんの声、希望、夢が、この国の歩む道を決めるのです。そして、皆さんの勇気善意、愛が、その道を永遠に照らすのです。

一致団結して、私たちはこの国を再び強い国にしましょう。この国を再び富める国にしましょう。この国を再び誇り高い国にしましょう。この国を再び輝きのある国にします。そうです。ともに力を合わせ、この国を再び偉大な国にします。ありがとうございます

2019-03-14

anond:20190314131148

さすが一人一派フェミニスト、都合の悪い同胞は全部反フェミ扱いですかー

そもそもフェミがくっだらねぇお気持ち表現狩りをしたりしなきゃ反フェミもそんなにいなかったっつーの

2019-03-04

anond:20190304122918

えええ……君が返信してる元の増田だけど

自分アメリカ人だけどそういう同胞がごめんねジャパニーズ、って思う

これ、前段から続けた比喩からね?!

自分腐女子だけどそういう同胞がごめんね非腐女子、って思う

って直接書くと元増田不愉快かなと思って比喩表現にしただけだからね?!

anond:20190304115424

日本に来ても英語ガンガンしかけてくるアメリカ人にキレる日本人みたいな構図だ

自分アメリカ人だけどそういう同胞がごめんねジャパニーズ、って思う

2019-02-28

anond:20190228161038

村上隆オタクのものなんだけどね。

ファインアートなんて所詮権威主義だということをサブカルチャーを使ってやったら、ファインアートに受け入れられて同胞オタクに恨みを買った感じ。

2019-02-24

「イヤなら出てけ」

すでに優秀な人ほど海外大学を目指すなどして本当に日本を出て行っているという事実日本に残るのは第二言語習得できないバカばかりだ。いずれ大学卒業後の進路も、まともな仕事をしたければまず真っ先に外資系企業を目指すしかなくなり、あまり仕事の出来ない奴が渋々日本企業に入る、という状況になるだろう。こういう(選択的な)人材流出が進むとどうなるか。いずれそう遠くない未来日系人は優秀だけど日本人はダメ」という状況になると思う。

アメリカイギリスなどに国籍があり、その国の環境で育てられた“日系人”がノーベル賞を受賞し、それを見た本土日本人が(完全に海外国籍であるにも関わらず)勝手同胞認定。「日本人がノーベル賞受賞の快挙!」などと連日報道し、頭の悪いリポーターが押しかけて「好きな食べ物は?」など低レベル質問を投げて閉口される…という状況が目に浮かぶカズオ・イシグロ大坂なおみを見るにつけ、そんな未来がいよいよ現実になりそうだと感じる。

2019-02-17

「イヤなら出てけ」と言うが

すでに優秀な人ほど海外大学を目指すなどして本当に日本を出て行っているという事実日本に残るのは第二言語習得できないバカばかりだ。いずれ大学卒業後の進路も、まともな仕事をしたければまず真っ先に外資系企業を目指すしかなくなり、あまり仕事の出来ない奴が渋々日本企業に入る、という状況になるだろう。こういう(選択的な)人材流出が進むとどうなるか。いずれそう遠くない未来日系人は優秀だけど日本人はダメ」という状況になると思う。

アメリカイギリスなどに国籍があり、その国の環境で育てられた“日系人”がノーベル賞を受賞し、それを見た本土日本人が(完全に海外国籍であるにも関わらず)勝手同胞認定。「日本人がノーベル賞受賞の快挙!」などと連日報道し、頭の悪いリポーターが押しかけて「好きな食べ物は?」など低レベル質問を投げて閉口される…という状況が目に浮かぶカズオ・イシグロ大坂なおみを見るにつけ、そんな未来がいよいよ現実になりそうだと感じる。

2019-02-11

日本人外国に行くと超個人主義になるよな

現地語が話せない場合は、恥ずかしいからって固まるんだが、多少できてきたら、一切日本人とは群れなくなるという不思議。いや別に群れなくていいんだけど、たとえば多国籍シェアハウスかにいて、みんなで助け合わなきゃいけないみたいなトラブル状況でも、日本人同士で母国語を使って高度な内容のコミュニケーションとるという選択肢があるにもかかわらず、外国人と拙い外国語解決したがる。

そのシェアハウスには台湾韓国タイ人がいたが、彼らは国ごとに群れて助け合い同胞ではない日本人のこともよく助けてくれた。シェアハウス外の同胞ともネットワークを築き、なんちゅうかすごいチームワークで助け合ってた。日本人はそこのところ超個人主義だなあと。母国距離が近すぎて海外では一人でいたいって感じなのかな。とかいろいろ考えてる。

2019-02-05

在日3だけど基本的に隠してるし言わないよ

言わなければ普通の日本人は気づかないし

ただし韓国料理屋とか行くと特に年寄りから同胞ですね?

って感じで目で合図される顔立ちでわかるらしい

2019-02-03

anond:20190203215029

攘夷精神大和女性大好き!

外国人は女だろうと異質で嫌い!

我が国の女は意を決して守る!

しかしこのようなネトウヨ男も哀れ。

結局は女性国籍エスニシティを超えて連帯しているので、外国人女性批判した時点で同胞女性からも敵視されるのであった。


ここでヘソを曲げたネトウヨ君。

コロンビアの男から日本人女性性的嫌がらせを受けた件では、あれだけこだわってきた国籍無視して同胞女性達の被害嘲笑った。

その後、ナショナリストの風上にもおけないとジェンダー研究者からこっぴどく叱られたとさ。

2019-02-02

anond:20190202032629

同胞よ、反応があって嬉しい。おれは野良哲学愛好家だ。知的生命体の邂逅を描いたSFが好きだ。人類学が好きだ。歴史が好きだ。地学が好きだ。知的駆け引きが好きだ。研ぎ澄まされた統制術が好きだ。肉体的限界を超えようとする挑戦が好きだ。地道な研究による技術の発展が好きだ。ユーモアが好きだ。人類の英知が好きだ。親が好きだ。兄弟が好きだ。兄弟家族も好きだ。妻が好きだ。質や量を問わない様々な情報の統制機構がおれだ。おれは公私があって、人格を持っている。特に説明のない語は、現代日本語の辞書をググってなんとなく多数派なふわっと一般的意味で捉えてほしい。誤解の可能性のある語や別の定義を仮託したい語は、云々とは、と書く。

早口っぽくて申し訳ないが、これはまもなく命を失う可能性のあるおれ個人遺書であり、遺伝子であり、知性の漣を発生させる小石であり、財産相続であり、ディープインパクトであり、ネット上の記号であり、図書館ガラクタであり、くだらない承認欲求衝動的発露なんだ。紙媒体にも書いたが近親者しか読まないだろうし、読まない可能性もある。肉体的末裔を遺せない知性的個人としては私(し)を遺しきれないと思ったんだ。悪く言えば知性的通り魔だ。すまない。

野良なので語の定義ガチャガチャだ。批評してもらえると嬉しい。

 

世界とは、場、範囲。すべての社会。ここでいうすべてとは、意識上、無意識下のみで、不可知を含まない、限定的意味社会とは、複数個人の集まり。まるで機械のようにふるまったり、大きな個人のようにふるまうこともできる。個人とは、人類のうち、外的要因を受けて認知し、内的要因を加えて表現し、社会取引する主観個人社会の主であり、友であり、子でもある。個ではなく個人とした理由は、時代的背景として保留したい。肉体的生命人間新人ほ乳類動物生物とその無生物的ふるまい、無生物生物的ふるまい、ミーム、知性体、人工主観、共有された主観などを考慮する必要性もあるが、保留したい。主観とは、客観に対する語であり、subjectや主体とは別け、現代日本語的に理解してもらいたい。機械とは、入力に応じて定まった出力を行う機構

平和とは、状態。穏やかで、かつ調和が保たれている状態。穏やかとは、①不信、不満、不可逆性、不確実性を内的要因に含まない、個人状態。②主体性をもち、共感しうる、個人状態。③肉体的闘争の無い、社会状態。不信とは、信用や信頼のないこと。不満とは、欲求権利などが満足しないこと。主体性とは、意識上の表現を実現する能力可能性。肉体的闘争とは、個人の臓器や器官の機能を減退させる、個人個人個人社会社会社会干渉現象犯人逮捕、子の虐待、直接的死傷者が出る国家間戦争などを含むガバガバ定義闘争とは、場の範囲を別ち干渉し合う現象。関連して、個人闘争とは、感知と認知表現の隙間や意識無意識の隙間や主観と肉体の隙間などの、個人の内的な場に起こりうる干渉現象教育先入観体感的獲得、気分障害倫理観などを含むガバガバ定義思考個人闘争である意識とは、感知して統制できる一部の主観調和とは、①主体性をもって個人たりうることを保証し合う社会。②内的要因と表現された自己疎外が正の関係にある、個人状態

狭い意味としては、調和の①の意味複数個人まり社会が、互いを外的要因として認知し合い、内的要因を加えて表現し合うことに合意した状態。広い意味としては、調和の①の意味に加えて、穏やかの③の意味を含める。別の意味としては、すべての個人人権が実現する世界状態世界平和観測者は個人である。おれとあなた世界平和は別だろうが不可知だ。

 

ちなみに狭義の社会現実的社会は、定義を荒く削り出すと、人権対秩序の闘争だ。

以降は省略する。訂正加筆する。最後まで駄文を読んでくれてありがとう

anond:20190202115143 anond:20190202111754 anond:20190202111612

それも妄想みたいだが?

そもそも論として海外では何々人ではなく一括りにアジアンから

ベイビー、あなたアメリカではAsianです


[元ネタ]

My Fellow Non-American Blacks: In America, You Are Black, Baby Dear Non-American Black, when you make the choice to come to America, you become black. Stop arguing. Stop saying I’m Jamaican or I’m Ghanaian. America doesn’t care. So what if you weren’t “black” in your country? You’re in America now.

https://www.goodreads.com/quotes/7697227-my-fellow-non-american-blacks-in-america-you-are-black-baby

わが同胞たる非アメリカ黒人へ : アメリカではあなた黒人なのよ、ベイビー

親愛なる非アメリカ黒人へ、アメリカに来るという選択をするなら、あなた黒人になる。議論はやめなさい。自分ジャマイカ人だとか、ガーナ人だとかいうのはやめなさい。アメリカにとってはどうでもいいことだから。では、あなた自分の国では「黒人」ではなかったら?いまあなたアメリカにいるの。

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