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はてなキーワード: 脱構築とは

2021-03-16

anond:20210315224407

そもそも正しいとかどうでもええねん

「正しい」とか言い出すと今の研究哲学だって難問やろうしな

p値出してハイ終わり〜なんて一分野だけの正しさやで

脱構築はたしか他人経験否定せず受け入れて構築していくみたいな感じやったわ

従来研究へのアンチテーゼにしても雑やんな

ちなみに一人一派もその多様性肯定から来てるねん

まぁこれが有効なんって哲学文学さらにごく狭いとこやろうけど

まりに前時代文系研究すぎるしその分野の人も気にしてへんちゃう

ただ、その研究のとこで脱構築だのなんやかんや言うのは好きにして〜って感じやけど、女性問題って現実問題フェミニズムって社会運動にこれ武器として携えたのアホちゃうかって思うわ

結局いろんなグチグチした話集めただけやんな

2021-03-15

anond:20210315224407

脱構築」を「男だらけでやってきた学問には論理破綻が見られるから女が正す」と解釈する国語力で

よく学問について何か語ろうとするよな

anond:20210315224111

この学問脱構築ってどういう意味なんだろう

男だらけでやってきた学問には論理破綻が見られるから女が正すってことかな

女の論理が正しいとされる根拠はなんだろうか

anond:20210315133310

女性学(じょせいがく、英: women's studies; 仏: études féminines)とは、第二波フェミニズムからまれた新しい学問領域であり、従来の男性中心主義的な学問客観性中立性を問い直し、これまで度外視または過小評価されてきた女性存在経験問題・関心を顕在化、言語化理論化し、これによって従来の知の体系の脱構築を目指す幅広い学際的研究である[1]。

領域としては社会学人類学法学経済学地理学倫理学文学歴史学哲学など従来の人文・社会科学の各領域個別にまたは分野横断的に関わる学問であり、女性研究音楽アート映画メディア等に関するフェミニズム批評さらにはケア倫理エコフェミニズムなど新たな概念提唱されている。

増田が言ってるのもっと雑な世界やろうけど、アカデミックの方もこんな感じやからそんな現状らしいで

2021-01-30

anond:20210130183106

なんでかというと上座部の方が今となっては教理があるから

大乗仏教って何をやるんですかっていうと、お葬式やって、ふにゃふにゃしたお説教して、いい加減なもんでしょ。

言うほど大乗仏教って教理いか

いやたしか日本仏教がふにゃふにゃなのは同意なんだが、大乗仏教歴史ざっと見ると、龍樹とか世親とかのビッグネームがいるじゃん

こいつらが説いた理屈はかなり強度がありそうに思えるから、潜在能力としてはなかなかしっかりした教理がありそうに思える

ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。

仏教はそこから空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。

ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質根拠意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。

から脱構築して宙吊り状態で生きろと。

でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。

そこがポストモダンを乗り越える一つの入り口になるんじゃないかと思ったんです。

https://technique.hateblo.jp/entry/20110602

あとついでにこの記事示唆的なんだけど

大乗仏教はプレモダンのように思えて、実はポストモダンを超克し得る可能性があるらしいんだわ

色即是空空即是色つってるからここで言及されてる「仏教」は大乗仏教のことだわな)

こんな感じで、上座部現代思想として捉えたとき、どういう視点提供できるのかについてわりと気になってるんで、詳しい人いたら教えて欲しい

2020-09-30

anond:20200929162302

横だけど。

「男をやめた」「男を降りた」←この手の表現気持ち悪さってツイフェミちんぽ騎士団気持ち悪さと同質のものなんだよな。

どうせおまえら以前は如何にもなホモ世界観で弱い男子嘲笑って蔑んで生きてきたくせに、何を今更という気分がすごい。(被害妄想)

千葉雅也氏の以下のツイートには頷き過ぎて首が千切れた。

2020-09-08

anond:20200907223020

元増田の言いたいこととブコメの内容や流れとがかけ離れてしまっているのでちょっと書きたくなった。

要点は以下の通り

元増田は「傷付いた」概念解体しようとしている

まず「傷付いた」という考え方は、多くのブコメが書くように、ある。存在している。

ただし、他の感覚全てがそうだけれども、「傷付いた」という言葉言語によって諸人が感覚を構築してきたという背景・歴史がある。

構築にはある程度共通経験少女漫画でもなんでも)があり、日本語としての「傷付いた」がこれを結びつけている。

元増田はこの「傷付いた」を一度構築し直しませんか? と言いたいのだ。

ただ、言い方が結構雑で「嘘の概念」とまで突き放してしまっているので、

ブコメでは「傷付いたことがある」「元増田感情が欠落している」などの反応が多く、建設的な議論に発展しにくい要因になってしまっている。

ところが、元増田は「傷付いた」概念解体してどのような効用があるのか明言できていない

では、元増田はどうするべきだったのか。

もっと感情を「傷付いた」カテゴライズに放り込むデメリットや、そうしないことに関してのメリットを示すべきだったと私は感じている。

元増田ブコメなどへの返信でようやくその片鱗をみせているが、確かに「傷付いた」を一度考え直してみるのは良いことなのかもしれない。

ただし「ムカついた」「ビビった」もまた「傷付いた」と等しく、感覚言語で取りまとめられているに過ぎない。絶対的指標は、ない。

元増田もまた人生の中で、他の人が「傷付いた」ような経験をして、色々「ムカついた」り「ビビった」りしているのだろう。

その感情の処理がどう効用があるのか、「傷付いた」を常用している人に訴える射程がないと、話が噛み合わないのだ。

「傷付いた」の現状

元増田がなぜ「傷付いた」概念に疑問を抱き、それを脱構築しようと考えたのかはわからない。

以下は私個人の感じていることだ。

ネットでは「繊細ヤクザ」というスラングがある。

誰しもが情報を色々なところで発信できるようになり「私はこんなに傷付いています!(だから配慮してね)」「私は傷つく恐れがあります!(だから配慮してね)」が必要以上に溢れている世の中になったことは確かだ。

誤解のないよう述べておくと、当然社会的に十分以上の(例えば違法仕打ちなど)をされた人が必死の訴えでそう述べるのは重要なことだ。そして人生の中で「傷付いた」経験は各員日々生じているだろう。

しかしたら元増田は「傷付いた」で周囲を困惑させるある少数の人々の振る舞いが気になっているのかもしれない。

終わりに

じゃーこの増田&ブコメから何を考えればいいのだろうか。せっかくの秋の近く火曜日。何かちょっとでも考えたほうがいいような気が、私はしている。

元増田が雑だけど訴えている通り、確かに「傷付いた」カテゴリになんでも放りこまず、もう少し考えるってのは大事かも、と思う。

ブコメでも、自分が「傷付いた」と感じるときはどういう時だろうか、と考察している方がいる。

「傷付いた」を一度解きほぐすことは、確かに自分生活心理面を考える上で役立つかもしれない。

同時に「ムカつく」「ビビった」も解体してみるといいだろうし、「怒り」「安楽」など当たり前にあるような言語で示される感情の、それぞれの内実を省みることは、きっと生活重要と思う。

2020-05-04

日本語圏の不自由について考える

「いつかの休日、野山を散策していたら大きな栗を抱えた一匹のリスを目撃した。」という事実があったとして、果たしてその話題は日の目を見ることがあるだろうか、という事を思案する。

「栗の実をほおばる栗鼠の姿を描いた絵画」は果たして公開されることが許されうるのか。「栗と栗鼠」という題を避けたとしても、コンテクスト批評から果たして逃れうるものなのだろうか。

リスは「栗鼠」の音読である。栗とリスはかように関連性の高い語句であって、栗とリスの語句は決して忌避されうるものである筈がないのであるしかしながら、この「陰核」なるものを想起される

事を回避する手段が完全に奪われて久しい令和の世に於いては、この栗とリスはもはや暴力であるかのように我々日本語話者の脳細胞に直接作用せしめ、思想とは無関係女陰のある一点

イメージを否応なく上書き破壊脱構築してゆく。嗚呼このおぞましき精神的DVたるや、何故に大きな栗の木の下で遊んでいるのは二匹の可愛らしい栗鼠であってはならないのか。何故に

この詩的かつ純粋空間於いて栗と栗鼠が存在すら許されず原罪を抱えたままで楽園追放されうるか

2020-04-08

anond:20200408170522

降りた先にまた新しい男性性が生まれ

 

自分適当に言ってみて思ったけど、これ脱構築だな。こりゃ今日流行らんよ

2020-03-25

anond:20200325143025

現代建築における脱構築主義代表する建築家の一人で、コンテストに優勝しても、デザインが奇抜すぎて建築されなかったことも多いことから、「アンビルト(建たず)の女王」の異名を持っていた

2020-01-12

フェミニズムさん労働と闘ってください

バカにしてるとかじゃなくてマジで闘って欲しい まずは女性解放とかLGBTQでいいし俺が生きてる間じゃなくていいけど、とにかく労働と闘ってくれ

だっておかしいだろ 「気付いたら生まれてた」としか言えない状態なのに時間経過とともに勝手に「成熟した」ことにされて、お前はもういい大人だ、お前を育ててくれた社会に報いるためにも自己責任において金を稼げ!って社会が言ってくるんだぞ

これが人権侵害じゃなかったら何が人権侵害なんだよ

「やりたいことだけやって生きようなんて甘え」みたいなのが普通に受け入れられてんのダメだろ いやこれまではそうだったのかもしれないけど、そういう規範みたいなのを壊していく 脱構築?っていうのがフェミニズムの根幹にあるらしいじゃないっすか

出番っすよ

働かなくていい社会を作るか、どうしても作れないっていうんだったら子供を作るのをやめさせる これしかない

2019-12-30

ネタばれスターウォーズの続3部作は何をやろうとしていたのか

スカイウォーカー夜明け」については、ほぼこの記事同意

ネタバレレビュー批評】『スター・ウォーズスカイウォーカー夜明け』は何を終わらせたのか

─ 『最後ジェダイ再考から読み解く完結編 | THE RIVER - Part 2

https://theriver.jp/tors-review-2/2/

では、続3部作は、何をしようとしていたのか。

そもそもスターウォーズ1983年に完結している

今回、「スカイウォーカー物語が完結」と、さかんに宣伝しているけど。

それはフェイク。

そもそもスターウォーズは、1983年エピソード6の「ジェダイの帰還」で完結している。

から、新三部作(プリクエル・トリロジー)は、前日譚を描いているわけで。

今回の続三部作は、「ジェダイの帰還」で終わっていなかったことにして始まっている。

ちょっと意匠を変えて悪の帝国を復活させて、レジスタンスは、まだレジスタンスのまま。

なぜ、あらためてスカイウォーカー物語を終わらせる必要があったのか

三部作と新三部作は、よくも悪くもスカイウォーカー家の物語ありすたからね。

スターウォーズユニバース拡張・発展させるためには、それを脱構築(?)する必要があった。

三部作作品として成功しようが失敗しようが、メッセージは明確だよね。

これからスターウォーズシリーズは、どうなるのか

スターウォーズユニバースは、これからも続く。

三部作ずつ描くというスタイルからも抜け出して、もともとの構想にあった連続活劇 - Wikipediaになったんだ。

三部作の行き当たりばったり具合は、結局そこを目指していたんだ!

もう誰にも止められないビッグビジネスだし(w

今回、スカイウォーカー物語区切りがついたので、「ハンソロ」みたいな中途半端キャラの復活は必要ない。

いっそ、フォースも忘れ去られた、さらに数百年後とか描いて欲しい。

あれだけの科学技術があるんだから、もともとの素質と厳しい修行必要フォースは、機械仕掛けで置き換えて。

科学に裏打ちされた風の、超大作スペースオペラ連続活劇になるのだ。

ファンは、必ず観に行くよ!

2019-11-09

anond:20191107140353

節子、それ社会学フェミニズムやない、文学理論フェミニズムや。フェミ違い。

何にでも「ジェンダー関係の不均衡」を見出して語る芸の一派でな。

他にも見出すべきネタによって、「階級闘争」(マルクス主義)、「統一のある経験可能性」(ニュークリティシズム)、「エディプス的葛藤」(精神分析)、「転覆的なエネルギーの封じ込め」(ニューヒストリシズム)、「テクスト自己脱構築的な性質」(ディコンストラクション)、「帝国主義の閉塞」(ポストコロニアル理論)、「ヘテロ・セクシュアルな基盤」(ゲイレズビアンスタディーズ)とかいろいろあるんや。

2019-11-02

物語喪失彼岸

中島: ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。

仏教はそこから空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。

ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質根拠意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。

から脱構築して宙吊り状態で生きろと。

でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。

そこがポストモダンを乗り越える一つの入り口になるんじゃないかと思ったんです。

http://technique.hateblo.jp/entry/20110602

色即是空というとニヒリズム的な響きがあるが、ニヒリズムといえばニーチェである

科学的知性や理性によって神を殺した我々は、もはや神によって与えられた生きる意味価値を信じることはできない。

そうして無意味になった人生に対して、彼はニヒリズムの打倒を叫び、生の肯定要求した。

大乗仏教色即是空から空即是色へという流れはこれに似ているようにも思える。

しかすると次のようなことが言えるかもしれない。

仏教とは、あらゆる物語を剥ぎ取った上で展開された思想である

色即是空的な宗教的真理に基づき、初期仏教上座部仏教は現世から解脱志向し、大乗仏教はあえてこの世界で生きようとする。

仏教物語喪失彼岸にある思想であり、神の死を乗り越えて生み出された価値である

もしこの考えが正しければ、仏教は一躍、現代思想メインストリームに躍り出ることになる。

西洋哲学ばかりでなく東洋哲学にも目を向けておくべきだな。

2019-10-30

anond:20191030184156

楽なんだよね、相手の言う言葉と反対を言えばいいわけだし。

脱構築が叫ばれて久しいわけだけど、近代において物語を生むのは二項対立、そして打破なんだよ。

夏目漱石こころも男同士の友情という一種自分他人二項対立が、一つの女性を追う事によってその壁が打破され

物語が生まれるし

ハリポタマグル人間対立物語のかなめで、最終的に協力するよね。

対立しなきゃ物語は始まらない。反対に言えば、物語を生むために安易対立するともいえるけど。

でも単なる同意ってつまらないじゃないか。その先にあるのは安定と退廃で、未来はない。

俺も何でも対立してくる人間は嫌いだが、ようはバランス大事だよね。

2019-09-13

BL要素は注意書きしてほしい

同性愛表現には注意書きをしてほしい

なるほど

別にその要望は構わない

でも、ならお前は率先してNL注意って言ってるんだよな?といつも思う

異性愛のほうがよっぽど気持ち悪いと、もし私が言ったら理解してくれるんだろうか?

苦手な人もいますよね、と注意書きをしてくれるか?腐女子百合豚がしているように?お前も?

同性愛に対する侮蔑は"正当"、

異性愛に対する侮蔑は"嫉妬"だなんて言わないだろうな

町中でイチャつくな、嫉妬乙?

うるさいよ、私は本当のことを言えば、三次元人間が異性同士でくっつこうが、同性同士でくっつこうが、特段興味はないが

絵本で、ドラマで、映画で、広告で、町中で、

異性愛は警告なしにいきなり飛び込んでくる

幼少期からそうだ、だから慣れている

私は黙ってそれを見ていられる

それをたまたま同性愛に触れてこなかった人間だけ、注意しろと喚けるなんて、なんて贅沢なんだろう?

誰が恋愛しようが構わないが、その態度にだけ腹が立つ

慣れろよ、お前も すべて許せよ、

もしくはすべて隠せ、恋愛のすべてを隠せ

異性を愛したい人間が、何故同性愛を認めないのだろうというのは疑問で仕方がない

異性を愛したいというのは、つまり異性は自分と同じ人間ではないとでも思っているのだろうか

差別対象と添い遂げようと思う意味がわからない

なんでかつて身分制度があったかって、より下を見なければ耐えられないからだろうけど

同じことだろ、結婚率を維持するために、性的分業をして、同性愛差別をして、独身を見下げて、そんなに努力しないと異性と結婚ってできないか

そんなに異性と過ごすのは苦行か

かわいそう

そうしなきゃ社会が存続しない?ふうん

不幸の上にしか成り立たない社会、滅べばいいのに

人を愛する心は素晴らしい?ふうん

「異性としか添い遂げられない社会」では、「異性同士も愛し合えない」の、わからないのか

自発権利行使イコールではないと言っている

「同性とは恋愛しない」「いい年になったら結婚する」のが「普通」なんて前提で、異性と結婚する道を"選択した"なんて、どうして言える?言えないだろうが

排反の可能性がない限りそれは選択ではない

どっちかにしろ案件、本当に不快

根拠がないからそんなことになる

偏見にしたってどっちかにしろ

差別、いいよしろ

差別だって自覚を持ってしろ

差別がいけないと思うならする

何が差別意識は無いだ

それが一番質が悪いんだよ

男性理性的」だから男性上級の職に就く」へえ

男性には本能がある」から男性痴漢強姦をしてしまう」へえ

どっち?

女性よりも高等なのですべて担います、もしくは本能も抑えられない低俗な生き物なので女性にすべて委ねますのどっちかにしろよせめて

どっちも間違ってると思うよ

思うけどせめてどっちかにしろ

ポストモダン脱構築もわからいか

それじゃ何時代に生きているつもりなんだろう?

ステータスばかり追い求めて

どうしたら本当に人を愛せるのか、

どうしたら自分自分であると言えるのか、

何を幸せと呼ぶか、より高品質幸せはって、

考えないの?なんで?

……どうして愛を求めて、幸せになりたがるのに、愛や幸せが何なのかは考えないで生きていられるのか、不思議だよ、私は

ゴールも知らないで走り続けて、

敵も知らないで刃物を振るって、

自分が傷付かないのか?それ。

私はみんなが何を考えてるか不思議しょうがないが、

「何考えてるんだ」と怒られる人間

総じて、何も考えていないんだよな

はあ 寝よ

2018-10-09

anond:20181009071921

社会学に修辞的な要素が大きく、また国ごと、分野ごとにお作法が大きく違うのは事実だと思う(だから他国ジャーナルにはその国の言語に堪能なだけでは出しにくい)。

ただ、「個人体験談感想」を書くことが論文だ、ってのはちょっと違う。

しろ、そこから出発して、それを突き放して客体化する、みたいなプロセスがあると評価される。

そのやり方で「異化効果」「否定的弁証法」「脱構築」「再帰性」みたいな表現がされる(それらが「どう違うのか」という説明も、分野や流派のお作法があると思うけど、ざっくり言えばみんな同じことを言っている)。

2016-09-16

聲の形が公開されたら出てきそうな記事

「「君の名は。」「聲の形」なぜ若者たちアニメ青春に熱中するのか」

「「聲の形」は脱構築された「日常系である

「なぜ「聲の形」は「君の名は。」になれなかったのか?」

「これぞ「京アニクオリティブランド制作会社底力を見よ!」

特別支援学校に通っていた俺から見た「聲の形」」

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