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2024-11-13

ハイファッション史上もっと重要デザイナー10

当たり前だけど全て主観です。

1. ココ・シャネル

 戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。

 ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化ドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由モダンな服が広がっていった。

 彼女がいなかったらモード世界欧州に閉じたローカル予定調和文化に留まっていたかもしれない。

 ジャージーツイードなど素材の転用も有名な話。

 シャネルショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやす流行を取り入れようとしない。

 一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。

 独自世界でずっとアップデートし続けている。

2. クリスチャン・ディオール

 ココ・シャネルと並んで当時のモード帝王

 ハイファッションというか上流階級ファッションドレスの再定義をした人かな。

 実際現役時代写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。

 と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん

 のちにエディ・スリマンディオール・オム再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。

 あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。

3. カール・ラガーフェルド

 80年代から90年代にいたるモード不毛時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。

 初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。

 彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代最近中国不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。

4. ジョルジオ・アルマーニ

 軽いが上質なミニマルファッション先駆者

 素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。

 「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。

 一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。

5. 川久保玲

 日本人だったら、いや日本人でなくとも10選に選ぶであろう。

 ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存ファッション脱構築してきた。

 パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンフォロワー出身デザイナーも多い。

 一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。

6. ドリス・ヴァン・ノッテン

 ハイファッション史上ということでアントワープから一人は選ばないといけないんだけど自分マルタン・マルジェラでもラフシモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン

 革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要役割を担ってきた。

 少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。

 昔のシャツニットパンツを持っているがまだ使える。

7. トム・フォード

 グッチの起用で大ブレイク80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。

 本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在ジェンダーレス世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。

 日本人平板な体型には最も似合わないであろうデカピークトラペルのジャケットには憧れた。

 あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。

8. エディ・スリマン

 ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代タイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか

 オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。

 それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルコピー商品をよく見かけた。

 ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。

 今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。

9. キム・ジョーンズ

 ここ10年のモードストリートファッションクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。

 単にストリート形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。

 ブランドイメージを壊さなギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。

 マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。

 今はディオールリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。

10人と思ってたけど9人で止まってしまった。

もう1人誰だろう?

2024-10-07

https://anond.hatelabo.jp/20241002190451

男さんの面白さって、会話の脱臼というか、気の利いた切り口での「脱構築」的なメタ認知能力の高さ勝負みたいなところある

まりその場にいる人間思考フレームワークの外側から自分しか持ちえない視点提示しないと男さんからオモロとはみなされない

男さんのオモロは目の前のテーマをいったん抽象化して大喜利に変換することからまれる、と換言できるかもしれない。

いやこれたいていの男さんは他者とのコミュニケーション面白みを見出すまでの経験値が無いから、

テレビで見る大喜利みたいなやりとりをコンテンツ的に消費する楽しさをコミュニケーションの楽しさだと誤認してしまってるだけやろ。

2024-10-03

anond:20241002190451

いるいる。

男さんのオモロは目の前のテーマをいったん抽象化して大喜利に変換する

こんな大仰な言い方しなくても、

「俺もっと面白いこと言えるで!」ってかぶせてくるというか、話泥棒してくるやつ。

例えば、「この前〇〇に行ったら××があってびっくりしたよ」みたいな、

ただの雑談で、笑いを狙ってるわけじゃない内容に対しても、必ず

「それだったら俺なんて△△のとき□□だった!」って張り合ってくるの。

なんでなの?そりゃあ元の話よりインパクトはある内容になってるけど、それ今わざわざかぶせて言う?みたいな。

こっちとしては、挨拶だけだと間が持たないか・・・うそう、最近こんなことがありました~みたいなグルーミングのつもりで絞り出したのに、

それにただ乗りして「俺の方が面白いこと言える!」みたいに被せてこられると不快なんだよね。

ワンクッションあったらいいよ。「それは驚いたね。そういえば自分も~~の時~~」みたいに話を広げるならいいんだけど、

「俺の大喜利の方がオモロイ!勝ち!」みたいな空気出されるとはぁ?ってなる。

芸人みたいな大爆笑が求められる空間もあれば、オモロじゃなくても許されたい時間もあり、TPOによりけりだと思う。

オモロを求めてないときにも年中無休で大喜利やられるとダルいよ。

元増田さんは、「おもろ」というより、彼氏と話していて楽しいな、気が合うな、会話が盛り上がってるなという時間が欲しかったんじゃないのかな。

彼氏がどんな芸人みたいなトーク切り返しができるかというより、「元増田ちゃんと話してたら楽しい!」ってずっとニコニコしてくれるならそれはそれでいいんだと思う。

彼氏友達旅行に行った感想も、「◯◯には行った?」と聞かないと、どんなことがあったか話してくれない、聞いたら聞いたで「行かなかった」で終了・・・っていうんじゃなくて、

オチがなくても、「〇〇食べておいしかったよ、元増田ちゃんもいつか一緒に行こうね」ってニコニコ話してくれたら、「おもろ」くなくても楽しい・うれしいって感じるんじゃないかな。

大喜利だって自分が「オモロイ!」と思ってした発言彼女に「〇〇君おもしろーい!」って笑ってほしいだけじゃん。

その間にどれくらいの高低があるのか教えてほしいよ。


だいたい「女さんには”気の利いた切り口での「脱構築」的なメタ認知能力の高さ”がないかオモロくない」って長々と語るのがおもろくないよもう

あとおもろいのは男全体じゃなくて麒麟川島個人じゃん

anond:20241002190451


なるほど、男の言う面白いが全く面白くない訳が分かった気がする

脱構築的発想って要は論理性や首尾一貫性がなく、破綻していてその場しのぎのインパクト勝負だって事だよね

それって女からしたらただただ意味が分からなくてつまらないだけ

一方、女の言う面白さは予定調和って、それはすなわち論理性や知的好奇心の充足に重点を置いてるって事なので

例えばミステリー真相が判明して事前にきちんと伏線が置かれていた事が分かった時なんかに最高の面白さを感じる

伏線もなく唐突に意外なだけの真相を出されても、面白いと思える女は少ないだろう

こうして考えると、男の基準に合わせていたら文化はいつまでも洗練されなかったんだろうな

女に受ける予定調和面白さが、文化を豊かにしてきたのは自明の理

2024-10-02

彼氏おもんな増田から考える男女間の「面白さ」の違い(追記あり)

anond:20241102083243

anond:20241002111546

そもそも面白さ」に対する考え方には結構性差があって、増田が例示したエピソードは男さん基準ではそもそもオモロ俎上にすら上がらないことは認識した方がいいと思う

定義ウケるウケないは別として、絶対に関心を引くような話です。

(私の場合は、マチアプで出会い2年半付き合ったモラハラ男が出会ったときから既婚者子持ちだった)

(ずっと母方のお婆ちゃんだと思ってた女性が実は赤の他人だった)

ハリウッドスターとの写真撮影で、プリンターエラー写真が出ず、5万円を無駄にした)(これは今でも本当に悲しい)

ウケるウケないは別として」とか予防線張ってるけど大概の男さんはこれらのエピソードに関心すら持たないと思う

だって内容がすべて予定調和的というか、「まあそんなこともあるよね」の範疇しか収まってない

3つのエピソードとも、現実世界で起こりうる事象の中で可能性が低いものたまたま発生し、そこに増田たまたま居合わせたという事実しかないわけ

認知の枠外から意外性のある切り口を提示することがないから「へーそんなことがあったんだ」以上の感想は出てこない

男さんの面白さって、会話の脱臼というか、気の利いた切り口での「脱構築」的なメタ認知能力の高さ勝負みたいなところある

まりその場にいる人間思考フレームワークの外側から自分しか持ちえない視点提示しないと男さんからオモロとはみなされない

男さんのオモロは目の前のテーマをいったん抽象化して大喜利に変換することからまれる、と換言できるかもしれない。増田提示した例で言えば

マッチングアプリ出会った男性に衝撃の事実が発覚。いったい何があった?

ハリウッドスターとの写真撮影まさかアクシデント。何があった?

というお題に対する気の利いた回答を提示する必要があって、ここで「実は既婚者子持ちだった」「プリンターエラー写真が出なかった」とか回答してもオモロにはなりえないということは感覚的に分かってもらえると思う

ではなぜ女さんはそんな予定調和的なエピソードトークを好むのかと言えば、答えは簡単で、女さんの会話の目的が「感情の共有とそれに伴う自身存在価値確認」だから

女さんは、トーク自体面白くしたいわけではなく、このトーク面白いよね?という感情を目の前の相手と共有することで自分相手共通価値観を持つ仲間であることを確認したいのだ

まりトーク面白さそのものではなく、このトーク面白いと思ってもらえる関係性の方に価値見出している。手段目的が男さん目線では転倒しているのだ

女さんにとってエピソードトークとは、自分任意感情に至るまでの前提条件や結果に至るまでの文脈などを共有する手段しかない。極端な話一切笑ってくれなくても共感さえしてくれれば目的は達成される

要は増田の真の不満は「彼氏オモロなさ」ではなく「彼氏自分感情共感を示さない」というところにあるので、仮に彼氏スーパーオモロ人間だったとしても解決はしないと思う

追記

男さん的面白さの具体例を挙げると、滑舌の悪いプロレスラーインタビューを聞いて何言ってるか当ててみようっていうクイズで、天龍の声を聞いた麒麟川島が「エスプレッソマシンモノマネをしてらっしゃる」とツッコんだやつ(無断転載ではあるが動画を見てみるとニュアンスが伝わると思う)

https://youtu.be/QeSXpiKtj0A?si=i2EaM603ERPrugo-

多分女さんがこの場に居合わせたら天龍の声がガサガサすぎて聞き取れない状況をそのままオモロとして認識してしまってそこ止まりになる人が大半だと思う

ここで面白さのキモになるのは人間の声がエスプレッソマシンリンクする世界観を一瞬で思いつく脱構築的発想であって、男さん目線では天龍の声質そのもの面白さが宿っているわけではないということを分かってほしい

2024-09-14

にんげんのかんがえかたっていっぱいあってたのしいね

1. 古代哲学宗教
2. 中世近代哲学
3. 近代現代哲学思想
4. 科学技術の発展
5. 心理学自己啓発
6. 芸術文化
7. 人類学コミュニティ
8. 倫理学道徳哲学
9. 政治哲学社会思想
10. 科学哲学認識論

2024-08-30

anond:20240829132621

真に芸術的ものというのはそれぞれの人の心の中にあり、そこに「自由精神の発露」があれば芸術たりうる。俺はそう強く思っている。

芸術の枠なんか拡張しなくても触れた人がそれを芸術的だと感じれば、あるいはそういう心持ちものを作っている時それはすでに芸術芸術的なのだ

西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアート文脈”も

日本の画壇も現代芸術界隈も、アートの枠組みを維持するため(身も蓋もない言い方をしてしまえば関係者が食っていく為)の仕組みなので「自由精神の発露」と相性の悪いところが必ず出てくる。

そして脱構築脱構築を重ねてもはやなにがなにやら、というのは本当にそう。

それまで「属人的な技」と考えられていた事が民主化される、例えば絵画写真によって、写真デジタル技術によって、そして今またそれらがAI技術によって、存在意義が再定義されようとしていてアートも無縁ではいられないんじゃないかな、と思っている。

2024-08-29

スーパー素朴村(地獄

村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった

https://anond.hatelabo.jp/20240829132621

西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアート文脈日本アニメ漫画といったオタクカルチャースタイルアートである認知させるため芸術活動をしている」ということだ。

それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という典型的現代美術ということになる。

西洋の正統的なハイカルチャーアートらしいアートアートだった時代っていつよ?

100年前の話してる?

そこに日出ずる国からなんか異質なもん(アニメ絵やアホみたいなイラスト)がやってきて「なんだこれは!?」「いやこんなのはアートじゃない」みたいな騒ぎになり、それにまけじと「アート概念領域拡張する闘争」をやってるって?

あのさあ…アート近現代史を丸ごと無かったことにしないで?

何がアートで何がアートでなくて、なんてとっくの昔に脱構築脱構築を繰り返してしっちゃかめっちゃかになってるのよ。

津軽三味線弾きがゴットタレントに乗り込んだら欧米人は驚いてひっくり返るだろう、ってくらい素朴(というか…)なこと言ってるよ。驚くわけねえじゃん。

まず「信じられないようなハイソサエティ」ってのがよ…村上龍が昔そういう幻想振りまいてたけどな。まだそんな夢見てる奴がいたとは。

あのなあ、村上隆戦略ってのは「スカムだよ。

難解なゲージュツがわかるフリしたいセレブ()に取り入って「わかりやすくわけわからないもの」をハメ込む業者だよ。

から一貫してそれだけやってんだよ。

そういう用のネタってのは下手にモノがよかったらダメなんだ。

射精人形みたいなキッチュデタラメなもんが喜ばれるんだよ。

「みろよジャップのこの人形イカれてるだろ。オレっちこれ100万ドルで買っちゃったりなんかしてw」って金持ち友達に自慢すんだよ。

カート・コバーンとかがへったくそ素人バンド前座にして愛でるみたいにな。

別に村上隆商売だし非難すべきことでもないけど当人のハッタリ真に受けてどうすんの?

お前らプーチン平和願ってまーすとか演説したら「プーチン平和を願っていたんだ!」「よくわかった!」って感動すんの?

勘弁してくれよ。


ーーーーー

翻訳」「紹介」なんかしなくてももう好きなやつは勝手に直でナルトや駿やタツキ観てんだよ。おフランスでもブラジルでもバングラでも。

元増田ブコメ見てて共感性羞恥でオゥフってなったわ

何がアートかは白人様が決める、ムラカミはそこにオタカルも加えてもらえるよう孤軍奮闘してる…ってお前らいつの時代から来たんだよ

ーーーーー

翻訳」と言えば日本から国語への翻訳のことだと思い込んだり

「スカム」は一言イメージを掴めるようにもののたとえで言ってるのに「本来のスカム意味じゃない〜」

津軽三味線はじっさい出演してたのを踏まえて言ってるに決まってるのに「実際出てるけどガイジンおどろいてるだろー」

あたまがわるすぎて話にならない。

というか何書いても結局バカが何かモノ考えてる気分に浸るためのダシにされてる気がする

2024-08-12

1億総アメリカ人政策

これは日本アメリカ合衆国併合してもらい、日本州として自治権を獲得する政策だ。

併合方法は売却である自分自分の売却を行う。売却というと売国奴のようだが、セルフプロデュースセルフプロモーションセルフブランディングとでも言えばよいだろう。

公用語英語となる。日本語は各自で学べるが、基本は選択制だ。ルーツを学ぶなどで補助教材として使う。文化をすべて捨てるわけではない。

現実的には、今のアメリカ合衆国日本併合したがらない。日本人口が多いからだ。老人も多い。経済的なうまみがなく、人口比で危険なことになるためアメリカは避けたい。

だが日本からすると旨味がある。大いに。中国から攻め入られるのが今後アメリカにとっては直接的な国防問題になる。

空想的かと思われるかもしれない。だが現実的な流れを見てほしい。日本語に入り込んでいる英語たちを見ればいい。漢学などほとんど忘れられている。誰が漢学を学ぶのか。

比較的富裕と呼ばれる層は子に英語学習させ、必死欧米諸国などに脱出させようとしている。

だがもし日本アメリカならどうか。何も脱出することはない。そのままいればいいのだ。海外流出した頭脳も返ってくることだろう。英語が巷に溢れているのだから

日本が守らなければならないことは文化である。わびさびやらもののあはれである。われわれは逆にアメリカにこれを輸出・浸透させることで生きやすくする。

実際こういった神仏・マインドフルネス海外では大ウケしている。世俗化した風習など一度ぶち壊して脱構築してはどうか。

アメリカ併合したがらないことは明らかだが、大真面目に併合を目指して経済政策外交政策もガラッと変えていけばよい。すべてをアメリカさらけ出し、すべてをアメリカに握らせる。

建前上でも従属しようとしてきている子分戦争することはできないものだ。戦後からバブル前まではこの面従腹背があからさまで敵意が剥き出しだったが、今後は堂々と従属していけばよろしい。

「だったら併合だ」「併合させてくれませんか」という攻めの従属

なんでも受け入れてやろう。大義名分さえあればなんでも受け入れる。だがアメリカはその「大義名分」「正義」こそを重要視する国だ。屈辱にまみれながらも服従し「だがそれでも併合だ」と血眼になるのだ。

どうせ宇宙進出すれば地球連合にならなければやっていけなくなるのだ。その一歩を切り開き臣従を申し出る。

この政策他国をも魅了する。独立すらいらんと、全員臣従してきてはたまらない。戦争もできない。今の時代の流れだ。これに抗おうとしているのがアメリカ共和党だろう。

無血開城こちから同化していく。

日本語が大事だと人は言う。だが次世代で生み出される英語翻訳するのは誰か。われわれが持っている日本語には限りがある。

まだ命が大きく残っているうちにあえて手放すのだ。追い詰められてから手放してはもうどうにもならない。本当に文化も失われるだろう。

まだ選択肢がある。だから攻める。完全に文化を保存し、戦略的に滅びようとするのだ。今までそんな国はなかった。

防御無視の団結による一点集中突破こそ和の侍の底力である

言っていることはめちゃくちゃかもしれないが、これにはロマンがある。アメリカ人でもあるが日本人でもある。問題はひたすら軽んじられることだろう。

だが周囲諸国からバカにされ虚仮にされ罵倒され屈辱を味わわなければ日本人は目を覚まさない。

それに実際、今やっていることは1億総アメリカ政策を薄めたものだ。どっちつかず。保留。保留の人生としての日本

またの名を拘留。とどめ置かれている。

アメリカ併合を目指すことをバカ真面目に議論してもいい時期なのではないか。三度目の敗戦が来る前に。

長いものには巻かれろ。

2024-08-02

anond:20240802134318

それならむしろパラリンピックだけでよくね

標準とか健常なんて概念脱構築していこう

2024-06-23

努力厨は脱構築の話すると害虫を見るような目つきになるよな。逆はそうでもないのに

2024-06-17

anond:20240617221706

あい価値観提示してくる奴らって「脱構築」という汎用性のある手段を見せないんだよな。それをやってしまうとこれまでの自分自分の主張を否定する事になるから出来ないんだろっていう

2024-05-14

今の時代浅田彰を読む人間がいるのだろうか

最近構造と力』を一読した。

80年代には一世を風靡した一冊であり、本書は衒学的な表現に溢れ、一見難解そうに感じるかもしれない。

しかし主張としては至ってシンプルである

フーコーデリダに触発されて書かれた本書は脱構築や反権威主義化に向かうアカデニズムの潮流を明確に示したに過ぎない。

それでも本書を現代に読む価値はある。

何故なら本書で指摘するのは共同体解体並びに神話終焉でもあり、資本主義の加速化によって新たな価値観の創出と新たな神話の出現を預言しているからだ。

平たく言えば、資本主義の加速は貨幣価値を高める。それも神話レベルにまで。

共同体が失われ、多様性尊重された結果、共通絶対的価値観が”お金”のみとなる世界

このような社会予言していたのだから慧眼という他にない。

本書は現代にこそ読むべき一冊なのかもしれない。尤も、今の時代浅田彰を読む人間がいるのかは甚だ疑問だが。

2024-04-04

一文ごとに引用つけて返答書く人ってたいてい全体の流れとしての文脈理解してないよね。悪い意味脱構築しちゃってる。むかつく。

2024-02-05

anond:20240205143700

一方で、完全に現実の姿とかけ離れたVR Chatのアバターは、オタクや一部の若い世代には受けているけど、すべての世代一般人には到底受け入れられないものだろう。もちろん普及もしていない。

個人の姿」というシンボル機能を最小限継承した抽象化されたアバターを構築できれば良いし、それには「個人の姿」をデコンストラクション脱構築)出来た会社が勝つんだろうけど、まだ誰もできていない。

まあ一言で言うとAppleセンスがない

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-01

2024年も残りわずかとなり、今年の漢字が発表されました。

「浮」

今年は毎日やってくる地震精神的に対抗するために、レビテーションガジェットが数多く発売され、浮遊ブームとなりました。

浮遊ベッドや浮游チェアーの生産が間に合わず、喜びと事故の両側面で人々に強い印象を残しました。

これらの開発を可能にしたのが、年初に発見された世紀の科学発見、浮動次元です。

これまでダークマターダークエネルギーとされてきた2つが共に浮動次元に由来することが分かり、その実証と応用が異例の速度で進みました。

その結果生まれた浮動モジュール構造は非常にシンプルで、量産を可能しました。

一部の大富豪住宅を浮遊させ、最近ではタンカー級の浮遊も運用圏内となりました。25年は海運革命の年となるでしょう。

また、この人類史の転換点となる技術革命を背景に、中華圏を中心として既存文明から脱構築を図る「浮生族」が発生しました。

中国政府は彼らを「羅浮人」と呼び、弾圧を強めていますが、世界中に広がる華僑から支援もあり、巨大海国家誕生が秒読みであるという見方が優勢です。

2023-06-10

チョムスキーによるポストモダン評(1995年

 提唱された「脱構築」については (この当論でも話題になりましたが)、コメントのしようがありません。なぜなら、そのほとんどは、わたしには、ちんぷんかんぷんみえからです。しかしもし、これもまた深遠さを認識する能力わたしに欠如していることを示す表れのひとつに過ぎないのだとしたら、次の指針ははっきりします: その結果をわたしにも理解できるふつう言葉表現し直してください。そして、それがなぜ他の人々が以前から長らくやってきてし続けていることと異なっているのか、より良いのかを示してください。三音節用語や、支離滅裂文章や、誇張したレトリックなんかは(少なくともわたしにとっては)大部分無意味なのですから。そうしたら、わたしの欠陥も治ることでしょう──もっとも、それが治るものならば。

 世の中には、わたし理解していないことも、たくさんあります──たとえば、ニュートリノには質量があるか否かという最新の議論だとか、フェルマーの最終定理最近 (おそらく) 正しいと証明された方法だとか。しかし、この五十年間のゲームからわたしは二つのことを学びました: (1)その分野で仕事をしている友人に訊いて、わたし理解できるレベル説明してもらうことができる。そして彼らも、それほどの困難もなくそれができる。(2)もし自分に興味があるなら、もっと学習を進めて、理解できるようになることができる。さて、デリダラカン、リオタール、クリステヴァら──フーコーでさえ。彼のことは知っているし好きで、他の人々とはちょっと違ったけれど──は、わたしにも理解できないことを書きますしかし、(1)も(2) もできなかったのです。自分理解しているという誰ひとりとしてわたし説明することができず、分からなかったところを克服して勉強を続ける糸口もつかめませんでした。

 とにかくデリダを取り上げましょう、大御所のひとりです。わたしは、少なくとも彼の『グラマトロジー』を理解できるはずだと考えました、そして、読んでみました。少しは分かりました。たとえば、わたし自身よく知っていて何年も前にそれについて書いたことのある古典的文献の批判分析なんかは。哀れな誤読に基づいた、酷い学識だと判りました。そして彼の議論は、以前と変わらず、わたし子どもだった頃から慣れ親しんできたような水準にも及ばないままでした。そうですね、わたしが何かを見落としているのかも知れません: あり得ることです、しかし疑いは残ります。既に書いたように。繰り返しになりますが、証拠抜きのコメント申し訳ありません。でも問われたので、応えているのです。

 この手のカルト(わたしにはそう見えます)の人々のなかには、会ったことのある人もいます: たとえばフーコー (数時間議論もして、出版されています。多くの時間は楽しく対話しました。現実の諸問題について、きちんと理解可能言葉で──彼はフランス語で、わたし英語で)、ラカン(彼には何度か会って、おどけて完全に自覚的ペテン師だと思いました。カルト以前の初期の仕事意味のあるもので、それについては出版したものの中で論じたことがあります)、クリステヴァ(彼女が熱烈な毛沢東主義者だった頃に、少しだけ会ったことがありました)、などです。会ったことのない人もたくさんいます。なぜなら、そういったサークルからとても疎遠なところにいますから。選ぶとしたら、まったく異なる、幅広いところを好みますから──そういったところで、講演に行ったり、インタビューを受けたり、活動に参加したり、毎週のように十通以上長文の手紙を書いたりしていますわたしは、好奇心から、彼らの著作を手に取りました。しかし既に述べた理由から、それほど深入りしませんでした: 大仰に虚勢をはりながら、検証してみれば、大部分は単に無知なだけだと判りました。わたしのよく知っている(なかには、わたしが論じたこともある)文献を異様な誤読して、議論はいつも初歩的な自己反省の欠落したひどいもので、主張の多くは(複雑な饒舌で装飾されていても)当り前か間違っているもので、かなりの部分はまったくちんぷんかんぷんものでした。他の分野で自分理解できなかったところでするように続けると、上に挙げた(1)と(2)に係わるような問題にぶつかります。ですからデリダわたしの言う人々のひとりで、これが深入りしない理由です。

 フーコーの具体的な例のいくつかは (たとえば、18世紀刑罰手法など) は興味深く思います、そして、その正確さを調査するだけの価値がありますしかし、その「理論」というのは、他の多くの人々が何か深遠なものが絡むと装ったりせずシンプル表現したことを、異様に複雑にして膨張させたものしかありません。

 そして事実、どれも分かりきったことばかりです。こういった自明なことが興味深いのは、透けて見えるその原理ではなく、人々にとって重要な具体的な事例でそれ自体がどのように機能するかを示すことです: 介入や攻撃搾取テロ、「自由市場」の詐称、など。こういったことはフーコー著作にはみられません。わたし理解できる文章を書き「理論家」として知識人界に属していないような人々の著作には、たくさんあるのですが。

 そのシンプルで慣れ親しんだ考えから 複雑で思わせぶりなレトリックを剥ぎ取ったら「理論的構築物」という程のものは何もないということです。

 【https://rootless.org/chomsky/postmodern_cults】より

 ついでにチョムスキーによるジジェクラカン

たとえば科学であるとか、何であれまじめにやっている分野でなじみがあるような理論なんてのはジジェク仕事のどこを探したってありはしないのです。こころみに、ジジェクのすべての仕事のなかから結論の引き出せるような原則や、12の子どもに5分で説明できるレベルを超えるような経験的に例証可能命題を見つけ出してごらんなさい。あるいは、けばけばしい言い回しを言い換えることができるかどうか。私にはできません。だから、そういうはったりには興味がないし、ジジェクはそういうはったりの顕著な例だと思います。で、ジャック・ラカンについてですが、彼とはじっさいに知己があったんですよ。彼のことは好きでしたし、ときおり会いもしていました。ただ、率直に言って、彼はまったくのペテン師だったと思いますね。ラカンがしていたことと言えば、テレビカメラの前でポーズを決めることだけ、ですよ。パリ知識人の多くがやっているようにね。それで、なぜこういうはったりが影響力を持つのか。私にはその理由がまったく分かりません。そこには影響力を持ってしかるべき要素はぜんぜんないわけですし。それで、色んな人がそういう「理論」の重要性について私に説明するのですが、やっぱり理解できませんね。まあ、そういう次第なので、ほんとうは理論なんてないのにあるふりをする空疎なはったりには興味はないわけです。

 【http://hblo.blog.shinobi.jp/Entry/2544/】より

2023-04-17

テロ被害者救済の論点整理がやっぱうまくいかなかった

散々に語られ尽くしていたように思ってたけど、まだまだ似たような議論が絶えない雰囲気なので、論点整理をしてみたいと思って失敗しました。

ちなみに私は左翼とか右翼とかよくわかんないので特に意見はないです。自由研究みたいなものと思ってください。

まず、今回の意見を分割するとそれぞれの極がきれいに分割できる。

A:テロリズムは許容すべきでない ので 被害者の救済問題対応すべきでない
B:被害者は救済されるべきである ので テロリズム肯定されるべきである

もちろん両方とも極端な例であるし、時には「そもそもテロに該当するものではない」とか「救済されるべき被害存在しない」とかいった意見もあり得るので、あくまで捨象された極であることは見ての通り。

ここでAとBの意見において、一般に(あくま自分私的な視界の範疇ですが)前文については一般肯定されており、後文においては一般否定されている。これはおそらく、世間道徳的直観と一致しているように思う。しかし、その因果(?)関係からは、お互いの前文を肯定することは、相手の前文を否定せざるを得ない側面がある。

ツイッターはてブもそうだが、短文でのコミュニケーションでは得てして後文に触れず正しい前文だけで意見を発表できるので、どこまでも正しいままそれ以上の踏み込みをする必要がないのは、脱構築的な気がする。デリダエアプだけど)

特にA→Bの観点からは、被害者救済という観点を取り上げることは、加害者要求を満たしたという点で、テロリズムを許容することと見なされるものとして反駁されている。

今回このあたりがすごい揉めているように見えたので、一回この論点を詰めてみたい。

まず、テロリズム要求肯定することが、テロリズム有効手段として世間認知させることとなる、という点については特段の疑義のないところと考えるので、問題は「テロリズムという不正手段で、被害者救済という公正な対応を求める」というところにあるように思う(厳密には暗殺事件被害者救済を求めていたのかとかそういうのは置いておく。世間での認識によって議論継続する)。

こういうときは、一旦他の例から問題比較して考えてみたいが、公正な手段で公正な対応を求めるとか、不正手段不正対応を求めるなんてのはもう特に言及する意味もないので、今回は「公正な手段不正対応を用いる」ケースというのが何があるかを考えてみたい。

今回は自分趣味範囲から引っ張り出すことになるので、不適切な側面があることは否めないが、端的に言えば「ナチス法」の問題が散々に語り尽くされた例として挙げやすい。戦後において「法とは何か」を法実証主義に散々に突きつけ続けた大問題であり、これでもかと議論され続けたから。

例えば、「悪法もまた法なり」としてナチス法に従い、敗戦後には当然罰されることとなったが、裁判例(密告者事件判決とか)から結構特殊意見が出た。

例えばラートブルフが「制定法による不法」を克服するために「制定法を超えた法」なんてもの提示することになったり、フラーが法には8つの道徳的原理を含める必要があるといったりといった具合に。

そもそも公正な手段というものは単に物理法律によって規定されるラインを上回る、なんて言い方をすると、おそらく過言であって適切な読解に基づくものではないと思うが、そういう考え方もあるだろう。テロリズムを許容する、という片方の極の意見には、そうしたものもあるかもしれない。というか革命ってそういうのじゃないの?

もちろん、(新)自然法的な考え方が現行において主要な説ではないことなどもあるが、まあいいや。これ以上進みそうにないから別の話をしよう。

一般に、不正手段によって被害が生じた者を救済するというのは国家の責務の一つと言って良いと思う(少なくとも被害を防ぐ必要があるということについてくらいは、リバタリアニズムレベルでも肯定されるように思う)。

その一種の根幹的利益とも呼ぶべき法益侵害について、それがテロリズムによって判明した場合、その法益侵害に対して触れるべきではない、ということは、なぜ必要となるのか?

まぁ、それは単純で今回のような「不正手段」によって与えられた課題が「不正対応」ではなく、「公正な対応(と一般に受け取られているように見える)」であったからだろう。でも、これは実は順序が少しだけおかしい。テロリズムという「不正手段」で与えられる課題というのは、因果としては常に「不正対応」になるのではないか? 今までの議論は大概がそこをスルーできてきた(もちろんきちんと対処述べてきたものもあり、その上で議論を重ねている者もいるように見える)、今回の議論はそこが他の価値バッティングしてしまって、バグが起きているせいで余計にこんがらがっている。

逆に、敢えて今までの議論を全てごちゃまぜにしてしまうなら、おそらく世間一般意見というのは、先程のA、Bにおける前者を肯定しながらも、双方の後者否定するというロジックになる。無論、それは矛盾必然的に孕んでいるが、おそらくそれが一番良く見る意見だった。

まず単純に、道徳的直観から目的として、双方前文が正しいという直観から、双方を推進すべきであるという素朴な意見。当然ながら前文を進めれば後文を毀損する。それを、時には毀損したままであれ、進めるべきであるということ。所詮理屈なんてもの道徳的直観による結論推し進めるための道具なんだからと。開き直りと言ってもいい。とはいえこれは、単に世間が「正しい」と「わかってる」ことをを推し進めたいという素朴な意見の衝突による勢いだけの(あるいはリベラル恣意的妥協による)ものであって、問題解決につながるかは知らない。つまるところ、結論が先にあって、理由があとにあるんだから(クリーレの視線の往復的な、あるいはダンカンケネディの「基準」による法執行的な?)。

あいいや。

全く関係ない個人的意見なんだけど、何で他人意見否定する時に人格否定をすべきでないってみんな言ってるのにみんな人格否定してるの? やっぱ何か効果があるの?

2023-04-08

ネットじゃ冷笑冷笑というけれど、冷笑コケにするのも冷笑、それをまたコケにするのも……という無限マトリョーシカ構造になる。

他にも、マゾヒスト苦痛を好むったって、苦痛を喜んで受け入れてるならそれは結局快楽を好んでない?とか。

個性派喧伝したって、それもまた「個性派気取り」という没個性になってない?とか。

似たようなパラドックスじみた話だなって思う。

脱構築というのは二項対立から抜け出すという概念だったと思うけれど、こういう構造をも打破するアプローチはあるんだろうか。

2023-04-04

anond:20230403182404

この増田は、内田樹という権威脱構築するものだし、内田樹本人が広めるべきだよな。

2023-03-21

マキシマリズムを通って、反省からミニマリズム流行し、暫く経った

タイトシルエットが廃り、オーバーサイズもそろそろ次の流行が囁かれる

そろそろ中庸を追求という事に至らないだろうか

逆張り逆張りをするのなら、元の居場所に収まるのではなく脱構築へ至るチャンスだから

2023-03-18

自己啓発者のなかに脱構築自分ビジネスに応用できているつもりなっていると思うけど、それを脱構築という言葉アピールする必要ほとんどの場合においてないよねって話。

そいつらがやってることはだいたいは脱構築なんて叫ばれる前からほとんどの人がごく自然に行っていたせいぜい「物事を精査する」と表現すれば事足りるようなもんでしかないだろう。

脱構築からヒントを得た、脱構築という言葉をしってより自覚的に行うようになった」というならいいが、脱構築のものビジネスに取り入れていると言った言い方は哲学矮小化哲学に対する風評被害しかない。

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