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2024-11-12

公立至上主義呪いがようやく解けた

地方自称進学校に進学し、国公立大学が1番だと教えられてきた。

でも受験は前期後期ともに失敗し、唯一合格していた都内私立大学へと進学した。(親の意向浪人はナシ)

受験に失敗した時の先生方の落胆した表情と、私立大学への進学を決めた時の冷たい態度は心が大きく抉られた。

先生が欲しいのは「国公立大学学者」であり、私立大学学者存在価値がないことを思い知らされた。

自分の進路は「その他の大学」扱いだった。

自分の3年間は無駄になったと毎日泣いていた。


上京して都内私立大学に進学したが、今まで公立学校しか通っていなかったし、地元友達国公立大学に進学しているのに自分私立大学で恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

でも大学での友達はそんなこと誰も気にしていなかった。国公立が〜とか誰も話していなかった。私立中高一貫校出身が多かったからかもしれない。他にも社会人入学の方や海外出身の方もいて沢山の人と交流したことで様々な道があることを知ることができた。

通っていた大学教授指導が手厚く資料も沢山あり、勉強研究にしっかり取り組めたと思う。国公立大学じゃないと就活に苦しむと高校先生には言われていたが、第一希望企業に無事内定をいただけた。

国公立大学でなければ人に非ず」と信じていたけど東京ではそんなこと言っている人は誰もいなかった。

4年間過ごして自分も生きていいんだって気持ちになれた。呪いが解けていく音がした。

教職の授業を取っていたため、卒業校で教育実習を行ったが先生の扱いは「国公立大学実習生私立大学実習生」で私は空気だった。元同級生東北大学実習生がいたが神のような扱いだった。何も変わっていなくて悲しかったが、逆に地元に対する諦めがついた。

ずっと地元にいたら、自分も国公立呪いに囚われていたのかと思う。大学生活は楽しかったし、国公立私立が、とかどうでもよくなった。大学がどうのこうのより勉強して自分のため人のためになれればそれが1番だ。

でも、地元国公立大学呪いで溢れている限り、地域復興とか地元貢献とかUターン就職をすることは今後ないと思う。

高校卒業まで地元税金を沢山使ってきたけど、東京幸せに生きて納税して地元還元しないのが私の呪われた地元に対する復讐

2024-08-28

anond:20240828110653

大学生の頃、教員免許とろうとしてたやつは普通に女子高生食うきまんまんだったしなー、教育実習で。

もちろん、口先だけで実行はしてなかったけど、教師普通人間っていうか下手すると普通人間以下のクズがなってたりはするよ。

2024-08-14

SideM 9thライブを見たら入学辞退したはずの大学院に入りたくなった話

ちょうどアイドルマスターSideMの9thライブ2日目から一か月たつわけですが、

一か月もたったらこ気持ちも落ち着くかな?と思っていたのにあまり落ち着かなかったので折り合いをつけたくて文字に起こしてみることにしました。

長いし、読みにくいし、自分の恥ずかしい話をする感じの日記です。

3か月ほど前のこと、わたしはせむPだったので、「2日目せむ揃ったのか!!現地はもう間に合わないので配信見るぞ!!」という気持ちで日々を過ごしていた。

そして時は流れ9th直前の金曜日仕事でどうしても納得できないことがあり、

2024年はいってからずっとバタバタしてるし、その上先輩へのモヤモヤチリ積もで無視できなくなってきたしで珍しくめちゃくちゃ落ち込んでいたわたしは、とにかくこの配信を楽しみにしていた。

なぜなら、SideMの曲ってものすごく元気になるから

ライブは本当に良かった。

当時せむの最新CDは未発売で、あえて視聴も聞かないようにしていたので、Life’s Side Menu!の衝撃はすごかった!せむってこれだよな~~~~~

そんなこんなでライブも終わった頃、自分が思っていたより元気になっていないことに気付いた。

当然、SideM摂取したはずなのになぜ……という思いがぐるぐると渦巻く。

かに子どものころアイドルになりたかたこともあるよな…なりたかった気持ちを思い出しちゃってセンチになったのかな……うーん。

もう寝ようかという頃、ある一曲が引っ掛かっていることに気付いた。

それが『Eteniteen Age!!!/S.E.M』である

特にこのフレーズ

『今になって やればよかった なんて思うこと やろうよ一緒に』

これをきいて無意識のうちに「今になってやればよかったと思うこと」がジワジワと心に染み出してきていたことに気付いた。

アイドルになりたかったとか、お笑い芸人にもなりたかったんだよなとかいろいろあったが、その最たるものがまさに大学院進学だったのだ。

最近しんどいし、やっぱり本格的に大学院戻りたいかも……

でも辞退した身で、就職して2年目となり権限付与された身、いまさら戻る決心もできず、

あと後述のとおり先輩へのモヤモヤで院進から逃げたのに職場の先輩のモヤモヤで院に戻りたいなんて、お前はまた逃げるのか???となり、

とにかく自分選択が正解であったことを確めるためにとにかく一か月間いろいろ考えた。

それはつまり、なぜ院をやめて就職を決めたのかを振り返る時間だった。

〇この日記はつまり、振り返ったことを整理したいというのが主な目的です。

大学入学したばかりのころは、当然院に進学することまでセットだと考えていた。

しかし2年のときコロナウイルスが突然猛威を振るい、外出自から映像授業で完全に家に引きこもらざるを得なくなった。

1年の頃はあんなに時間割詰め詰めで忙しかったのに、急にあまりにも時間が増え、世の中が変わりすぎて漠然とした不安を覚え、そこでふと「公務員になりたかった」ことを思い出した。

小学生のころ、響きのカッコよさで国家公務員になりたいと思ったことがあったのだ。

あらためていろいろ調べてみると、合格したら3年(今は5年らしいけど)は有効なので、「学部合格しておけば院いってから就活楽じゃん」と安直に考え、学部4年で受験することを決めた。

2年の途中から、「実験科目は対面でないとどうしようもない」ということで少しずつ家を出る機会も増えたが、このころにはわたし公務員試験受験の決意は固まっていた。

また、この2年から3年にかけての実験授業で諸事情あって手が爆荒れしたので、もともと有機に憧れていたものの「実験系はやめよう」となり、もう一方で興味のあった物理系を志すことにし、研究室計算系のところを選んだ。

さて、この研究室先生も先輩も同期もみんないい人で居心地は大変良かった。

しかし、あまりの緩さに、というか、先生はきちんとコアタイムを定めていたが、月に1~2週間程度リモートワークで研究室にいなかったり、

当時M1先輩が若干先生のことをナメていて(個人の感想)平気で「コアタイム?ないよ」と言い放って午後5時に来たり(まあPCがあれば計算できるので100歩譲ってこれは良いとしても)、

週に1回ある、英語の本の読み合わせを頻繁にぶっちしたり、予習忘れたので変わってなどなどあったりした。

もともと夜型でなまけ癖のあるわたしは、3年の3月に配属されてから数か月この環境で過ごす中で、

「このままでは、わたしもああなってしまう……それどころか、もっと完全にダメ人間になって研究どころではなくなってしまう、、、、、、どうしよう」

と考えるようになった。(シンプルめっちゃ腹立った、というのも、もちろん考えたことあります。)

4年になってから研究したり、決意に沿って公務員試験も受けたり、(ちょっと教育実習も行ったり、)して過ごして8月になった。

わたしの通っていた大学の前期の院試8月下旬なので、このころはちょっと研究スピードを落としながら試験勉強をしていた。

大学受験みたいに(まあもちろん過去問とかはありますが)問題集が充実してるわけじゃないので、手探りで不安になりながら勉強している中、

いつものように遅刻をキメる先輩を横目にみていると「このまま院に行ったところで、わたし大丈夫なのか……???」という気持ちがどんどん強まっていく。

また、院試が近付いてきたときに親からかかってきた電話で院の話をしたときに「お金は?また奨学金借りられるんだよね」という話もされた。

まあ、もちろん院でもいったら奨学金を借りるつもりだったが、本格的にお金のことを考えると、また借金が増えるのか…

そういえば高卒就職した妹はもう貯金3桁あるって言ってたな…ゔ、頭が……という気持ちにもなった。

そしていよいよ院試まであと1週間ちょっとというところで、公務員一般職合格発表があった。

と思った矢先、某省庁からいわゆるスカウト電話がかかってきた。

もともと院を卒業したら入りたい省庁だったのもあり、「運命では!?」と思い、ほいほい説明会に行った。

とはいえ、院に行くことを第一に考えていたため、院試も受けた。

このころの時系列としては、

 某省庁の説明会に行く → 院試 → 某省庁面接から内々定 → 院試合格

8月下旬という短い間に、わたしはいきなり二つの選択肢を手に入れてしまったのだ。

ここから半年間、わたしはとにかくいろいろ考えた。

(いろいろではなかったかも、前述のダメ人間になるか否か・お金問題をどうするか・わたしがやりたい仕事はなにかの3点が主です)

結果、いったん就職して、先輩から逃げ、規則正しい生活を手に入れ、お金を稼いで借金を減らすことを決意した。

10月内定式ときの人事課長の「皆さんが4月に来る準備を、我々一同進めていますからね」という言葉に、ここで辞退したら迷惑かけるなという気持ちにさせられたというのもある。)

就職した今となっては、生活リズムは整ってるし、きちんとご飯規則正しく食べるようになったので大学のころは痩せすぎて頬がめっちゃコケてたのがマシになってちょっとだけ鏡見られるようになったし、貯金ちょっとあるし、転勤族になったのでものも減らすようにしてすっきりしたし、いいことばかりではある。

でもやっぱり、今になってやればよかったって思うこともあるなって、SideM 9th ライブを見て思い出した、というところに戻る、というわけです。

2024-08-13

女でも、41歳で17歳高校球児と付き合ってるとか、教育実習先の中学生と付き合ってるとか、カジュアル犯罪してるからなー。

やってるだけじゃなくて、普通にそんなこと他人に話せるのすごい。性加害って意識無いのかな。

2024-08-11

イジメを見て見ぬふりしてしまった話

教育実習行った時に、実習生全員で職員室の前の廊下にいったら、数名の男子生徒が輪になって一人の男子生徒を蹴っていた

蹴られてる男子生徒はすでに床に背をついてる状態で、状況だけ見たら袋叩きとか、そういう光景。蹴る方も蹴られてる方も無言。

自分は「職員室の前でやってるから、遊びかな?」とか考えた。いやそうじゃない、遊びならラインを超えてるし、はよ辞めさせるか教員呼んでこいって今じゃわかるんだけど、なぜかその時はイジメ=隠れてやるという固定観念と目の前の暴力的光景堂々巡りして、パソコンで言えば処理中でパフォーマンスが停止してるみたいな状況になってた。

他の実習生も同じだったのか、皆、無言だった。

3分くらいずっとそんな感じで、男子生徒たちは蹴るのをやめて全員で教室に帰っていった。ずっと無言だった。

そのあとしばらくして、指導教員職員から出てきた。そのまま何も言わず教育実習は終わった。

あれ、イジメだったよな……と今は思う。あの蹴られてた子に、目の前の大人に助けてもらえなかったという経験をさせてしまった。

2024-07-27

二階の窓からマーキングをするのが好き

関西に住んでいる。

先日、通勤途中に漏らした~みたいな人の増田日記を見ることがあった。

それで俺も、漏らしたのとはちょっと違うけど、日記を書いてみようと思った。

人生最初にそれをやったのはいつだったか小学生の頃だったかな。5年生だった。

2階にある部屋で寝起きしていたのだが、ふいに、ここ(自室の窓)からシッコをするとどうなるのか気になった。

それで、試しにやってみたのだが……これがまた不思議な情感で、気に入った。それで、それから毎週のようにオシッコをやっていたのだが、ある時1階にいた母親に見つかり、200発くらいぶん殴られた。

原因は、樹木の葉である。それなりの樹木が庭に生えていたのだが、俺のオシッコがそれにかかってしまい、葉っぱから音が駄々洩れだった。それでバレた。

それからは一切しなくなった。中学に上がっても、高校に上がってもそうだ。もう懲りたのだ。いや、厳密に言うと、それでもたまにしていた。が、見つかる確率理論上0%の時に限られた。

しかし……大学生になってからというもの、急に何かに目覚めてしまった。あの目覚めは確か、下宿暮らしを始めた頃である

京都まれ京都育ちだったにもかかわらず、自分大学に入るにあたり、一人暮らし希望した。父母からは反対されたが、「奨学金を上乗せして借りる」という条件でOKになった。

下宿は、同志社大学(今出川キャンパス)の近くだった。

京都御所よりも御池通りの側にあるアパートだった。一応RC造りではあったが、だいぶボロボロだった。あの辺りって、お洒落ワンルームマンションが多いけど、ここはくたびれたアパートだった。学生向けなのもある。

そんなに個人情報出して大丈夫? って気にしてくれる優しい方もいるとは思うが、大丈夫だ。

俺はもう40半ばである。隠す個人情報なんてないし、第一あれから20年以上は経っている。時効だろう。ナニカがバレたって、別に職場を追われるわけじゃなし。

ある意味アル中カラカラの人(wawawa氏)である。あの人も、俺と同じ同志社大学(工学部)の出身である。※ちなみに俺は文学部

あの人は、俺と違って一流どころのメーカーに勤めてる。ニコ動を繰り返し観た感じ、労働組合に入っているようだ。

いわゆる「無敵の人」の亜種である会社(労働組合も)がしっかりしていて、会社の顔にちょっと泥を塗ったくらいで不利益を受けることはない。俺もある意味では彼の仲間である

その、ワンルームマンションの2階の角に俺の部屋はあった。いわゆる角部屋。学生向けのためか、室内がすごく狭かった。

アルミサッシの窓を開けると、向かい普通の一軒家であるベランダが見えて、物干し竿に洗濯物が干してある。遠くを見ると、京都御所が少し覗いていた。

真下を見ると、ブロック塀でアパート隣家との境界を隔ててあった。境界際には、いろんなものが捨ててあった気がする。

ペースは、隔週くらいだろうか。いろいろあって気分が高揚した日とか、逆にすごく沈んだ日などは、俺はそのアルミサッシのところによいしょっと乗って、オシッコをするのだ。

ブロック塀の境界際には植物が生い茂っていて、葉っぱに液体がかかる音がする。その音がさ、なんとも言えない情感を醸し出している――ジョバババババ、というあの音である増田ユーザーであれば詳しいだろう。

かいの家の人に気付かれないか、または同じ階の住人、下の階の住人に気付かれないか。そこがポイントだった。スリルが物凄かった。

一度、やっている最中に向かいの家のベランダに人が出てきたことがあった。あの時はさすがにビビったよ。あと数秒反応が遅れてたら危なかった。大家さんに通報されてたかもしれない。

かにも、いろんなところで立小便をした。大学構内(今交番があるあたりで十数回)でも、アルバイト先(キッチンとかではもちろんなくて、裏手のゴミ捨て場)でも、教育実習先の中学校の校舎裏でも、京都御所でも、北野天満宮その他十数か所の観光地でも、当時の俺はやってやったよ。弾けていた。

もちろん人が通るところじゃなくて、出入りしないであろう箇所でやってる。人としてのマナーだ。

なぜ、こんなことをするのか。なぜ、自分がある程度慣れ親しんだ場所でオシッコをするのか。当時は理由がわからなかった。本当に。

今ではわかる。なぜ、俺はなぜ、あらゆる場所でオシッコをするのか――支配である。此処というのは、俺がいるべき場所なのだ。俺が何度も来たことのある場所であり、これからも来るであろう場所だ。

そう、俺のテリトリーだ。それを示すための行為だった。実際、オシッコをしている時は、自分の中にそういう感情が湧いていた。自覚をするのは難しかったが。だって、それって犬みたいじゃん。

うーん、オシッコというと子どもっぽいので……以後はマーキングとしよう。



そんなマーキングだけど、「バレたことはあるのか?」と訊かれると、「一度もない」としか言いようがない(小学校の頃の1回を除く)。実際にそうである。ただ、自分からバラしたことはある。

あれは、数年前のこと。近所のすぐ向かいに越してきた人達と険悪になった。

大学卒業して、新卒肉体労働仕事に就いて、実家暮らしを始めた時点から数えると……約20年ほど経っている。

あの家族が越してきたのは、いわゆる分譲地というやつで、位置指定道路っていうのかな? ミニ道路の左右にへーベルハウスみたいな家々が並んでいた。

あの人たちが洛外から越してきた人だったのもあるけど、あまりいい感じではなかった。

自分学校などの公共施設で、営繕とか日常的な施設維持管理をする仕事に就いているのだが――出勤時に毎朝その分譲地の前を通る時、嫌な感じにさせられることがあった。原因は、新居に越してきたとある家族の中の奥さんである

あの頃は、もの珍しい新居を観てたかもしれないけどさ、あからさまに嫌な表情をするのはやめてほしい。まあ、いいよ。それはそれで。ただ、俺の生活邪魔をしてくれなければそれでいい。

でも、そんなことはなかった。

分譲地に引っ越してきた人達は、土曜になると自宅の庭先(といっても駐車場に等しいのだが……)で、BBQを始めるのだ。幅が狭い一車線ちょいの道路を挟んで、肉が焼ける臭い我が家に届く。洗濯だって臭くなる。俺の部屋も当然ながら。

それである日、苦情を伝えに赴いた。向こうは8人くらいいたが、それでも突撃した。相手は、さっきの奥さんである案の定、いろいろ話したけどダメだったよ。それで、仕方なしに警察を呼んだ。

……現場に来たお巡りさんは、初めはダルそうにしていた。ダルダルダルメシアンだった。民事不介入という雰囲気だった。

が、うちの家の歴史が長いからだろうか。町内会役員である父が出てきて話を始めると、BBQをしている家族の連中にお巡りさんが注意してくれた。

しかしbut。それからも、あいつらは土日のどちらかにBBQをしていた。

正直、イラときていた。ああい焼肉的な臭いがどうでもいい人はいるだろうし、普通臭いけど許してあげようって人もいるだろうし、嗅覚が弱い人だと気が付くこともないんだろうなぁ。

俺はそんなことはない。BBQをされると普通不愉快であるめっちゃ臭い。すごく気になる。



土曜日の朝だった。

あの向かいの新居の奥さんが、庭先(駐車場)にいるのを確かめた。この時の俺は二階の自室に居て、直線距離だと20mもなかった。

奥さんと娘さんが一緒に何かをしていた。あのBBQ事件の時は、ヤンキー風の装いだった。なので、普段からそうなのだ勝手に思ってたけど、意外なことに――奥さん普段着は清楚系だった。

今は2階の窓際にいる。あの2人と距離が近い。奥さんは、こちらに気が付きそうな感じがした。いや、もう気が付いているのだろう。

何事もなかったように俺は、2階の窓からマーキングを始めた。

俺の怒りだった。怒りの感情が詰まった黄色い液体が、怒りのオレンジとも言うべきモノが瓦の上を流れていった。存在の耐えられない軽さ、という映画を観たことがある。俺はまさに、あの分譲地の住民からそんな無碍な扱いを受けているのだ。存在自体の価値が軽い。

奥さんの、あの表情は今でも覚えてる。まあ、フツーにドン引きだったよ。逆にドン引きじゃなかったら、どう反応していいかからないけど。

娘さんの手を取って、家の中に入って行った。これでもう、BBQはできなくなるかもしれない。

この時、自分の隠れた一面に気が付いた。これまで大人しいタイプ人間だと思ってたけど、本当はSなのかもしれない。阿部公房の小説に出てくるS・カルマ氏を思い出した。ちょっとだけ。

あの奥さんのひきつった顔を見た時、俺の中に新しい感情が芽生えた。それが起き上がって、自分と一体化していた。あの、あらたしき感覚は、今でも夢に見る。

直後、自室の布団の中でオナニーをした。オカズはあの奥さんだった。新居の居間ソファで、旦那さんが見ている前で、あの奥さんを犯すというシチュエーションだった。

旦那さんだが、俺がすでに何十発もぶん殴っていて、ベッドに縛り付けてある。その間近で、俺はあの奥さんソファの上で犯していた。ありとあらゆる体位を試している最中で、その時は成城石井追記:正常位の変換ミス)だった。それで犯していた。圧倒的な爽快感だった。

旦那さんが罵詈雑言を放っていた。ムカついたから、そのまま殴るなり蹴るなりして、意識を失わせた。快感不快感もなかった。それが自然に思えた。

……あの日の夜、奥さんは、行為の真っ最中に――俺のことを「クソ野郎、クソ野郎っ!!」と涙を流して罵っていた。この女が今は自分のものだと思うと、罪悪感が快楽へと変換された。旦那さんはいなかった。

それから奥さんの中に何度も何度も流し込んだ。無理やりキスしながら舌を入れて、乳房とか、脇の下を舐めずった。

そうこうしてるうちに、だんだん従順になってきた。奥さんに、「真由美。舌を出して」と命令すると、ペットの犬がおそるおそる飼い主にお手をするみたいに、つつましげに舌先を突き出した。

それからそれからはどうしたんだっけ。もう覚えてないけど、やっぱり時間をかけて、奥さんにそういう行為をしたのは覚えている。2時間くらいはしたかな。

最後に、奥さんに挿れている最中に、そのまま小便をしたのだった。究極のマーキングであるあの日行為脳裏に焼き付いている。



今でも、自分の家ではない場所マーキングをする習慣は続いている。社会人になってもそうだ。

ほんとにどこでも、自分経験した営繕とか、修繕とか、剪定とか災害復旧の現場仕事が終わると、其処に小便をしたくなる。すると、自分がまるで其処を支配しているような、そういう感情が流れ込んできて、多幸感がやってくる。

俺はもう、何度もそうやってマーキングをしている。今これを読んでいるあなたは、俺のことを動物みたいだって思っただろう。実際そうだと思う。

ぶっちゃけ人間って動物じゃないか。理性が発達してるってだけで、一皮むけなくても動物である

毎朝、仕事に出る時にあの新居の前を通っていく。自宅の前にあるのだから、通り過ぎる以外の選択肢はないのだが。気まずい時でも、堂々とした調子で通り過ぎてやる。

たまに、奥さんと娘さんが庭先にいて、見られていることがある。俺は視界が広い、わかってる。で、そっちの方を見返すと、視線をサッとどこかに逸らすのだ。おい、今こっちのこと、チラチラ見てただろ?

そんな朝に、前に一度だけ旦那さんと目が合ったことがある。約1年前のことだ。

奥さんと娘さんの近くにいた旦那さんがこっちに近づいて来て、「ウチになんか用ですか?あなた。さっきから……」と、聞いて来たのだ。

「お前、ケンカ売っとんのけ?顔貸してもろうてえーかな。こっちきてくれる?」

と、俺は言って、お互いの額をくっつけようとした。すると、奥さんが間に入って止めてくれた。全力だった。旦那さんが引っ込むと、俺の方に会釈をした。するとまた、肩をすぼめて後ろに下がった。

あの時止めてくれなかったら、学生時代のケンカみたいにリアルファイトで決着を付けていた可能性がある。重ね重ね、真由美さんに感謝したい。

ところで、この日の奥さんの装いは、ヤンキーみたいな感じだった。やっぱり、こっちが普段なのだろうか。この日の夜は、ヤンキー姿の奥さんと性行為をした。

別に、俺を気持ち悪がってもいい。それはあなた自由だ。

ただ、俺はあなたの家庭にBBQをしてほしくない。バーベキューコンロの上で、いろいろなモノが焼ける臭いが漂ってくるのだ。それが不愉快である。本当にそれだけだ。それが叶うなら何も言うことはない。

まあ、本音を言うとさ。近所同士なんだし、仲良くしたいところではある。

しかし、あの分譲地の人たちは、地元お祭りとか、小中学校の校庭でやるサマフェスとか、もっといえば子ども会とか、そういう地元行事に参加してくれない。一世帯たりとも入ろうって気配がない。

これでは仲よくなんてしようがない。チャンスがないんだし。うーん……町内会役員の端くれとして、できればあの人達と仲良くしたいと考えている。



話が逸れたうえに、まとめようがないときている。2階の窓からシッコの話で始まったんだっけか。じゃあ、同じ流れで締めようか。

先々週の日曜日の朝、梅雨時に2階の窓からマーキングをしていた。普段は、誰もいないことを確認してからやってる。

その時の俺はさ、風をさ、浴びてさ、雨がほどよい強さだった。瓦に雨粒がぶつかり散っていた。いい雨音だった。

すぐ右側を見ると、小さい蜘蛛が巣を作っている最中だった。上の瓦に糸を作ってぶら下がっていた。鳥にやられてしま可能性が高いけど、巣作り中の蜘蛛を素直に応援したいと思えた。

視点を変えて、分譲地のあたりを見た。あの家の1階の居間の中が見えた。母娘ふたりで団らんしながらテレビを見ている。プリキュアかもしれない。あのソファの上での、真由美さんとのことが頭をもたげた。

「こういう、なんでもない時間がずっと続くといいな」

と感じたところで、この日記を書くことを思い立った。

あんまり、まとまらなくてすまんな。感想は何でも自由に書いてくれ。じゃあの。

2024-07-05

仲のいい子が昔教育実習先の中学生男子と付き合っててセックスしてた

かなり当惑している。

わりと好きだったんだけどな。

2024-05-25

教育実習にくるなら

大人コミュニケーションを取れるようにしよう。

指導教員になり、私も学ぶことが沢山ある。

だが、「自分らしく学ぶ」に寄り添い過ぎてちょっと疲れてきた。不出来な先輩で申し訳ない。

2024-05-22

外食恐怖症って社交不安症だよね?

自分も会食恐怖症だけど社交不安症の診断がついてる。

この方の場合は社交不安症とパニック症を併発してるのかな?

小林さん:大学に入った頃に、「会食恐怖症」「外食恐怖症」といわれるパニック障害の症状が出るようになりました。



出典元

外食恐怖症」公表した気象予報士小林正寿「教育実習では給食必死に飲み込んだ」ツラい過去を明かす訳

https://news.yahoo.co.jp/articles/0257bed1e61949f4f87027900a3de837748bfb83

2024-03-27

中学校教員だけど、仕事休んで旅をした

私は中学校教員だ。

どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。

その顛末を話したい。

休むことにした経緯

大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。

なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果教育実習中学校に配属された。

実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。

この感覚が忘れられず、私は中学校教員になった。


着任当初から雑用が大量に入り、忙殺される毎日だった。

これって本当に教員仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。

また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本年寄りは何でもありの価値観蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。

これらの業務事務職員仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。

授業準備をしたくても事務作業で全く手に付かず。

やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。

建前では休憩時間はあるらしいが、その時間業務が振ってきて休むこともできず。

おまけに最近アクティブラーニングICT重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。


それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。

体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。

生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。

授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。

アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ鉄道ネタ自虐ネタ淫夢ネタちょっと不謹慎ネタなどを入れるだけで笑いが取れた。

定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。

勤務時間外も、次はどんな授業をしようかと自然に考えていた。


しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。

例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つから教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。

なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。

また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。

(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)


あいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。

生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。

他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。

鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。

どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。

事情聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的からやっている」と。

今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。

大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。

管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。

その後校長教頭の2名から時間のお説教

教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。

校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言


なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。

気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。

隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。

私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなた完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。

また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。


何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。

テレビをつけると、時代劇切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。

通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。

(日本労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)

その後の数日、外出したいとも思わなかった。


ふと思いついた逃避行

そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。

しかし今回はその気持ち特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。


渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」

島村卯月「早く休まないと…大変です!」

本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」


あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。

今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。

そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。

高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。


だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。

一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。

なぜなら母親仕事を、父親世間体神聖視しているからだ。

母親祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。

まり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。

父親偉そうに上司にも独りよがりイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。

自分の思い通りにならない、またはその仕事責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。


その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。

となると、どのような手段で休もうか。

休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復絶望的だろうと思った。

じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。


ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。

利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。

ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。

日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式手続きは出勤できてから問題ないらしい。

ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。

逃避行精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。

病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。


1日目・江ノ島に行った

今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除トイレ掃除を念入りに。

教員労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。

始業後に連絡すると迷惑だろうから自分所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間制限特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。

学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。

「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?

また、始業時間直後には勤務校に電話し同様のことを伝えた。

元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。

何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。


混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。

家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。

どんなラフ恰好って?それは…

本田未央ちゃんフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツ羽織

本田未央ちゃんスポーツタオル首にかけ

本田未央ちゃん腕時計(キャラアニスーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に

本田未央ちゃんリストバンドを右腕に

本田未央ちゃんハンカチポケット

本田未央ちゃん渋谷凛ちゃん島村卯月ちゃんぬいぐるみカバンしま

・八宮めぐるちゃんライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーカバンに付けた。

どうだ、カッコイイだろ。


普段通勤時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。

まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。

ATMお金を引き出し、藤沢までの切符ロマンスカー指定券を購入(本当は特急券不要快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。

江ノ島方面ロマンスカー夕方までないとのことなので、相模大野普通電車に乗り換えることにした。

指定列車まで時間があるので新宿駅周辺を散策

横断歩道信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーかい宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。


コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。

飽きたので、Amazon大崎甜花ちゃんフルグラフィックTシャツポチっと購入。送料込みで7,321円也。

小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間代々木上原向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急緩行線走行するようになったらしい。


藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。

乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間制限されないICカードしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。

ここまでの切符を入れ、すばやくICカードタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードEX-IC不要)。

ここから神奈川ジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。

強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。

大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両棺桶じゃないぞ。

思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスかぶつかるのでは。

湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。

15分程度で終点湘南江の島に到着。テラスアイドルたちと記念撮影


そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。

雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。

1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。

岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎セリフを考えると非常に面白い

最後物販店くじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。

景品は大きなイルカぬいぐるみだった。


江ノ島にも行った。

時間が遅いので頂上を経由してその奥の海岸洞窟だけ見た。

恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影

気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。


時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。


帰りは江ノ電鎌倉を経由。

江ノ電は意外にもVISAタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。

日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州一般的QRコード付きの切符任意場所印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。

そこでVISAタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。

そんななか、また担当アイドルが話しかけてきた。

島村卯月「本当に休めましたか?もう一日休んだ方が…」

渋谷凛「ねぇ、まだ疲れてるでしょ。明日も休めば」

本田未央今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」

よし、明日箱根へ行こう。


2日目・箱根に行った

勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。

電話教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。


汗で汚れるのだから昨日と同じシャツは着れない。

そこで、今日アロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんTシャツを。


いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。

グーグルマップでその幼稚園電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。

その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間かぶっており保護者子供を預けに来ていた。

乙倉悠貴ちゃんTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツボタンを閉めて事務室へ。

対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。


暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。

昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。

昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。

今日バス電車を乗り継いで新宿へ。今日小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。

なんと小田急自動券売機クレジットカード対応していた。箱根湯本までの切符特急券を買うと、なぜか乗車券小田原箱根湯本のものしか出てこなかった。

仕方ないので隣の券売機新宿小田原切符を購入。

小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿小田原切符特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札事情を話すことにした。

今日セブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。

電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。

車内でつまみを全部食べ終わってからPermalink | 記事への反応(12) | 13:12

2024-03-15

anond:20240315100457

教育実習行った時に噛みつかれたんでひっぱたいたら大問題にされたの思い出した

2024-02-20

anond:20240220153816

俺が聞いてみたらそれなりに意味が通じる解釈が出てきたけど。GPT-4

AIの応答

この掲示板投稿レスに関して、以下の解釈提供します。

投稿の内容
レスの内容

このレスは、オンライン上での女性経験に関する一般的コメントであり、具体的に投稿者の友人の状況に直接言及しているわけではありません。しかし、友人が経験したオンラインコミュニティでのトラブルハラスメントを想起させる内容です。

感想

Chat GPTは「アタオはいらない、お金がいる」ではなくて「アタオはいらない」と「お金がいる」という独立問題として解釈して「女性がしばしば遭遇する難問」として処理してるんだなと。ただちょっと意図が違うよね。

と言うことでもうちょっとプロンプトに工夫してみた。

AIの応答2

(前半の要約はほぼ同じなので省略)

レスについては、「アタオはいらない、お金がいる」というフレーズ重要です。このレスは、友人がオタクコミュニティでのトラブル経験したこと、そして「アタオカ」と呼ばれる人物との関係について言及していますレスは、「アタオカ」という人物仕事上の付き合いであり、金銭的な理由から関係を切ることができない状況にあったことを示唆しています。これは、特に女性職場などでしばしば直面する難しい問題を指摘しており、時には「スルー」しても解決しない状況があると述べていますしかし、このような問題が法的に犯罪として扱われていないことに対する遺憾の意を表していると解釈できます

要するに、レスは友人が抱えていた問題の複雑さを指摘し、特に職場などでの人間関係の難しさと、それに伴う精神的な苦痛理解しようとしています。また、投稿自身も友人の悩みにもっと注意を払い、支援していればと後悔している様子が伝わってきます

感想2

これが穏当な解釈だとワイは思うがどう?

友達が自⚫︎未遂を起こした

友達オーバードーズしてた。大学時代からの付き合いの友達

誕生日が1日違いで毎年互いの誕生日付近に会うことにしてる。年度末で忙しい時期だから早めに会う約束を取り付けとこうと思ってLINEしたら1ヶ月返信がなかった。普段は向こうから約束の取り付けのLINEが来るんだが。

心配友達の親にLINEしたら12月に自⚫︎未遂を起こして実家にいるって分かった。

秋にTwitterオタク同士のトラブルがあってトラブル相手から「キ⚫︎ガイ」的なことを言われてオタクコミュニティ的なところから追い出されてすげー病んでるってLINEがあったんだがあくまでも大学時代の友人だからオタバレしたくなかったからフーンって感じで流した。そのLINEがあるまで友達オタクなのも知らんかったから。

感受性が豊かすぎて偶にオイオイって思う所もあったが適度に真面目で良い子で人間関係トラブルとか起こしたことがない。バイト先の経営者とか教授とか目上の人間にも自分意見を言っても言い方と接し方が上手くて最終的に気に入られるタイプ教育実習担当教員から毎日イビられて一度自⚫︎未遂を起こしかけたのは知ってるが。今回も教育実習の時みたいにアタオカに絡まれたんかなって思う。

自分オタバレとか気にせんと話聞いといたら良かった。後悔してる。

2024-01-30

anond:20240130163647

マジレスすると教育実習行くために県の教員採用試験受けるのがほぼ必須受験票提出させられる)だから

2024-01-01

被害者いじめ経験を美化するのを今すぐにやめろ

思い出す光景がふたつある

ひとつ小学1年生の時。

お昼休みマジックショーをやろうと思い立ち、図書館で借りたマジックの本を見ながら技を覚え、友達にも教え、立ち位置や発表順までを監督し、自作ポスター宣伝をしてクラスのみんなに見てもらっていた頃のこと。漫画を書いて友達に見せたり、画期的迷路を作って周りの席の子に回したり、独特の通貨を作ってそれがクラスでちょこっと流行ったりしていた頃のこと。手を挙げて合唱指揮者をしたり、習ってもないのに嘘をついてピアノ伴奏の役をもらい、泣きそうになりながら練習をしてなんとかなったりした頃のこと。

もうひとつは、中学2年生の時。

当時強く気にしていた自分容姿の一部についてを揶揄する言葉デカデカと黒板に書かれたり、何も事情を知らない教育実習中の若い男の先生を巻き込んで授業中に見た目についての悪口を全員に晒されてクスクス笑われたり、LINEグループameblo写真を回されたり、無視や仲間外れは普通にあり、とまあいわゆるイジメちゃんと受けていた頃のこと。じんわりと時間をかけながら、「目立つことややりたいことを主張するのは避けたほうがいいな」「人の目や評価を気にして上手に生きた方がいいな」と思うようになっていった頃のこと。「しゃしゃんなブス」とよく言われていた。「しゃしゃってはダメだな〜」とよく思うようになっていた。小学からの明るい自分が尾を引いて、親とか周囲に泣きつくキャラじゃなかったので(自分はそういうキャラじゃないと押し付けていたのは自分なのだけど)、自分気持ちに合う曲を歌詞で探してはそれを何度も聴きながら自分の部屋でよく泣いていた。そのような悦に浸っていたとも言えるのでちゃん中学2年生でもあったよ(ケツメイシとかサンボマスターとかSuperflyかにお世話になっていた、その節はありがとうございました)

本題に入ると、ここ数年の私は後半から人生が、つまりいじめ期後の人生が、今の自分を作っているように思っていた。人に気を遣ったり、組織や団体など周囲への奉仕行動をとることが多いのはなぜか?というようなことを就活自己分析で考えた時に思ったんだよ、

"過去いじめの辛い経験が、人の目を気にする、つまり人への想像力や立ち振る舞いを作り上げて、結果として良い経験になったんだ"とガチで思っていた。

結構マジで思っていてそれを誇らしいとすら思っていたのだけど、それが最近タンと音を立てて完全に違う考えに姿形を変えた!

いじめ経験は、本当に要らなかったと思う。だって言いたいこと、というかそんな考え方を持っているやつが言いそうなことって全部こうだ。

いじめは捉え方によっては良い経験にもなり得るので、今いじめられている人もいつかそれが経験に変わる日まで頑張ってください」だ。

馬鹿げている。イマジナリーマイベビー想像して、その子が同じ経験をした時に私は同じことを言うのだろうか?「考え方を変えてごらん」とか言うのか?そう我が子に説く時の私はどんな顔をしているんだろうか?

あの経験がなかったパラレルワールド人生自分想像してみる、想いを馳せてみる。

今の自分も一応好きなところはあるのだけど、そっちの自分はもうちょっと豪快で自信があり、面白いやつだったんじゃないかと期待なんかしてしまう。何か大胆なことをしたいと思う瞬間に必ず聞こえる「しゃしゃるとまた嫌われるよ」という声が、聞こえない人生だったんじゃないかって思うんだよ。

それはそれで困ったこともあっただろうな。うまくいかないことだって今以上にたくさんあるかもしれない。こんなふうにありもしない世界自分得体の知れない期待をしているが、それがアホらしいのもよく分かりながら書いている。

でもひとつ言えるのは、どっちの世界がどうだったなんてマジでからない以上、そんなたらればの話だけであんなクソクソクソ気持ち悪いイジメ経験意味のある経験だったんだなんて、あっても良かったなんて絶対絶対に思わなくていいってことだ。

もっと傷ついて良かった、不登校だってなってやっても良かった。大騒ぎにしてやってもよかったんだ。

別にこれで今から性格が変わるわけでもない。そして変えたいわけでもなく、いま自分自分なのはそれはそれでいいんだけど。

ただ、なんか訳もわからず立派な綺麗な箱にしまっちゃった思い出の蓋を開けて、「あれは本っ当にクソだったよなぁ?」と過去自分にひとことだけ言ってやれるようになった。いつか我が子や周囲に悪意ない言葉トドメを刺すかも知れなかった自分想像して少し胸を撫で下ろす。それだけ!

それぞれの乗り越え方を絶対否定しない。

けどいじめそれ自体マジでクソだ、クソだ、クソだって言い続けていかなきゃいけないと思うんだよ。

2023-09-27

anond:20230927155737

そもそもチャイルドレスターって概念がめちゃくちゃ曖昧だよね

和月チャイルドレスターになるの?それとも差別してはいけない守られるべき性的少数者

この前話題になってた、バイト先のごみ焼却場から許可をもらって、女児下着体操着スク水浮き輪等、たとえ細切れで生ゴミに混ぜていようと持ち帰り、ペドフィリア仲間にプレゼントしたり自慰に使っていたオタクチャイルドレスターペドフィリア

プリキュア着ぐるみでスタップTシャツ着てるスタッフまで偽造して、公式のフリして公園うろつき子供と触れ合っていたトランス女性チャイルドレスターペドフィリア

この前話題になってたペドフィリアの苦しみ漫画主人公育児ブログをズリネタに使い、女児目当てに市民プールに通って女児を視姦して強姦したい舐めたいと欲望渦巻いたり、教師目指して保育園教育実習に行き下着脱いだ女児に興奮したりのロリコンは守られるべき人?この人を保育園採用しませんって言ったら差別

何やったら差別かどこからチャイルドレスターかすら明らかでないのに差別するなって言われても。

2023-08-29

こんな社会福祉学部は嫌だ (元社会福祉学部名前がついていた学部の選び方)

2000年ごろ雨後の筍のように生まれた「社会福祉学部」を持つ大学(すでに学部から社会福祉を消した大学も多い)から脱出した教員たちの証言を集めてみました! 特定されないよう適宜改変しています

・学園の理念に「優しい」「明るい」「素直」「従順」が入っている。

学長による入学式祝辞が「全員に挨拶をしよう」

福祉専門職必要ものとして「思いやり」「やさしさ」を謳う。

入学式理事長学長が「父兄」と呼びかける。

教職員から学生から自殺者も有罪者もだしている。

学生相談室の設置案に「教員自分仕事押し付けるつもりか」と理事却下

社会福祉国家試験に準じただけの最低限のカリキュラム

心理学経営学の授業が大量にある一方、社会学系の授業がほとんどない。

・1年次から国家試験対策合格率は高め。

国家試験受験勉強のため、卒論選択科目となっているおり、ほとんどの学生が書かない。

人権労働差別エスニシティジェンダーなどのテーマの授業が皆無。

・専攻に関係なく、宗教家から宗教学教職免許を持っているか教育実習、子持ちだからから家族支援論という謎基準事務が授業担当教員を決める。

・「経済学」と「政治学」、「心理学」と「社会学」、「日本史」と「宗教学」など、異なる分野の科目を一人の教員が教えている。

図書館ではなく図書室。

雑誌コーナーに『世界』『思想』『現代思想』がなく、『正論』『WILL』『HANADA』がある。

全国紙が揃わず新聞データベースもない。

・蔵書は、試験参考書中心。

岩波新書新潮新書という謎チョイスで新書を揃えている。

障害学生はできる限り受け入れないよう画策。

多目的トイレ掃除道具入れになっている。

バリアフリー設備が後付け。

エレベーター車椅子1台分のスペースしかなく介助者が入れない。

・最終学歴学士卒の教員が多い。

施設経営者、あるいはその縁故者がゴロゴロいる。

2000年代には研究禁止の御達しがなされていたため、開学の際にいた研究志向教員が他出、残ったのは病人か「けんきゅうってなに?食べられる?」という人ばかり。

研究してる人には散々辞められているからか、募集停止からヘッド(?)ハンティングしてくる。

研究や本に対して敵対心を示す人が多い(例えば、授業公開に行ったら、教員が「著作権料で食ってる人」というのをdisっていたのを聞いた、とか)

理事が「公募では人物がわからないので絶対しない」と宣言している割に、直接、大学履歴書を送りつけて採用された人が多数いる。

学長は外から連れてくるお飾り。

学部長が社会福祉学者ではなく学園縁故者。

入試問題現代国語を併設高の教員外注しているらしいのだが、常に昭和文章

入試問題一問一答クイズのよう。

入試問題作成者が各科目に1人で、担当者が逃げ出す。

・併設校に試験問題作成を外注している(もちろん内緒)。

卒業式理事が「ジェンダーフリーが家族を滅ぼす」とか「人間にはそれぞれ分というものがある」とかネトウヨっぽい言葉を熱弁。

・式典では日の丸君が代はもちろんのこと、日の丸敬礼させられる。

東日本大地震地震兵器論者、中国脅威論、Qアノン信者など、教員陰謀論蔓延

学生シバキ主義発破をかける維新信者教員がいる。

アメリカ中絶禁止について薄ら笑いで歓迎する教員がいる。

北欧高齢者安楽死をしているから「寝たきり老人」がいないと講義解説する教員がいる。

少子化女性高学歴化が原因と講義している教員がいる。

家業保育士を雇っていることから保育士給料が高すぎると言及する教員がいる。

血縁関係教員事務員がたくさんいる。

事務女性が若く、皆美人(併設短大卒業時に声をかけ採用している)。

卒業パーティ男性理事たちが女子学生を膝の上に座らせている。

・有志で実施した教職員対象ハラスメント実態調査が握りつぶされた。

ハラスメント委員会相談握りつぶす御用委員会

・朝礼がある。

・オプキャン入試で土曜の時間外手当をつけないために週休1日制。

裁量労働制だがタイムカードがある。

部活担当で年間労働時間推定4000時間越えの教員(!)がいる。

部活顧問全国大会へのバス運転まで全部やらされており椎間板ヘルニア発症した。

・引っ張ってきた部活顧問(授業担当なしで教授)が体罰を多用し、退学、休学が相次ぐ。

福祉時代だ!」と言われて福祉マインドもないのに儲かるから学部を作って、梯子を外されたんだな。

(追記)ちなみに私(旧帝大博士号持ち)の場合就任当時は真面目で伸び代がある学生に恵まれており、そこには不服はなかったことは付け加えておく。

2023-08-22

知り合いの超可愛い子が教育実習したらしい

何十人の性癖歪ませただろう

可哀想

あれは目の毒だ

2023-06-21

教員不足だから免許持ち向けの研修やすね!

そーじゃねーんだよなー

教育実習ってよくできた仕組みで、二~三週間の短い期間で教員という職業がどれだけブラック体験できちゃう

誰もやりたくないんだよ

パパ活日記

教育実習行ってる子がしんどくて教師道諦めるとか言ってる

からキャリア形成していかないとだなあ

 

今って教育実習じゃなくてもインターンとかもあるから

新卒時点で幻想消えてる人多そうだな

良いことなんだろうけど、インターンで諦める人はそっから大変だな

2023-06-15

せんせいって大変だね

保育園幼稚園小学校中学校高校先生と呼ばれる職業の人は外出先でいつ生徒と出会すかわからいから、自分地元ではめを外せない

中学校の授業で英語先生(外国人)に向けて生徒が英語スピーチをすることになったのだが、私(生徒)の母親が「(外国人の)先生コンビニ彼女デートするところを見ちゃったの!そのことをスピーチしたら」と私にいってきて、私はそのときは素直に母親から言われた通り、「私の母親が、先生コンビニガールフレンドデートしているのを見ました」と英語スピーチをした。

外国人先生は動揺

その場にいた日本人英語先生は「なんか意外な目撃談があったね!」とはやしたてた

外国人先生は後から私の席にわざわざ来て、日本語で「ドコ?ドコノコンビニ?」と聞いてきた

今思うと先生かわいそう

大人になった今の私なら母親に「コンビニ先生彼女と一緒にいるところを見たって言ったら?」と言われてもそんなことスピーチしない

わたし同級生教師になった友達自分職場学校の生徒がおおぜい集まりそうなところでは遊ばない

先生という職業学校の外にでるとどこで誰が自分のことを見ているかからないという恐怖がある

私も教育免許を持っていて、(教師として働いてないのだが)教育実習のあとで、実習先の学校の生徒に外で話しかけられてどきっとしたことがある

先生」は周りの目を気にしてビクビクしちゃう職業なのかもしれない

2023-06-01

教育実習ヒエ〜〜になった話

私が悪いんかもしれんけども……ある程度のフェイクもあり。チラ裏だと思って書いてるから読みにくいです。

教育実習では実習日誌っていうのを書かなきゃいけなくて。

その日あったことを書いて自分であとで読み返す用のヤツ。一応公式文書として扱われるから間違えたら訂正印修正テープは厳禁。ついでに大学にも提出はして実習をした証明になるんだよね。

それを毎日見てもらって、実習校の指導教諭コメントを付けてもらうことになってた。

ある時その指導教諭ちょっと呼び出されて、何かな?と思ったら

「ここの表現ちょっと……ねぇ……」

今日は生徒が授業中に教室を立ち歩いてしまう事案が発生してしまった。その際の○○先生指導が参考になった。】

「これじゃ〇〇先生指導が悪かったみたいだから書かないでほしいんだよね、上から紙を貼り付けて書き直してくれない?大学側にも見せるやつなんでしょ?」

????悪かったみたいじゃなくて悪かったんじゃない?????実際立ち歩いてたわけだし………と思ったが、そういうこともあるか、と頷いた。


「じゃあ紙から透けて見えないように修正テープ貼ってもらって良い?見ててあげるから

???????????

こんなこと言われるんだ、社会って……

教師ってもっと誠実で真面目な人がやるものだと思っていたけど、実際はこんなものなんだなあ……

がっかりしてしまって、なんだか泣けてきてしまった。

こっそり泣いている私にその指導教諭は「添削をするためにこの間違った文章コピーしてきてあげるね」と言った。

一生懸命書いた日誌が間違い扱いされて、私はもっと泣けてきた。けど大人しく待っていた。


5分経っても印刷から戻って来ない。何かトラブルでもあったのか?私は覗きにいった。

指導教諭には日誌を他の先生に見せて、「こんなん書いてきたんだよ?やめてほしいよね〜〜ホント」とニヤニヤ陰口を叩いていた。

無理すぎて職員室に戻った。べそベそ泣きながら(マスクで隠した)添削を受けて、全然違う文章にされた日誌の文章を書かされた。

「これから毎日添削するから、下書き持ってきてね」

最悪だった。

最後に書く日誌のまとめも添削されて

「コレじゃ研究授業のことと生徒のことだけじゃん?もっと見学した先生のこととか受けた指導のこととか書いてほしかったな」と言われた。

貴方に初めて添削された時のことがトラウマになってて他の先生の話書けなかったんですけど……

そもそも表現を直すならまだしも内容を全部貴方が変えちゃったら私の日誌じゃなくて貴方理想の日誌になっちゃうんですけど……

というのを飲み込んで

「他にもまとめは出すので日誌のまとめはこのまま行きたいです…」

とか細い声でもそもそ言ってやった。

その教諭は不満そうに「じゃあ他の先生にも読んでもらってそれでOKもらったらいいよ」と言った。

そして他の先生のところに行って、何やら内緒話を始めた。なんかクソみたいなまとめ文書いてきたんだけどガツンと言ってくれない?みたいな話をしているのか?私はまた泣きそうになった。

その先生にも添削を受け、微妙そうな顔の先生に「まあ……いいんじゃない?他のところでも書くんでしょ」と言われ、不満そうな指導教諭視線を受けながらそのまま提出した。

最後職員室を出る時、みんな「お疲れ様でした」と言ってくれた。その指導教諭は私のことを無視して、背中を向けていた。

もともと教育実習資格とるためだけに行ったけど、(もしかしたら先生になりたいって思うようになるかもな)と思ってた。

実際、生徒は控えめで大人しかったけど優しくしてくれたし、先生たちも差し入れお菓子をくれたりして、頑張って実習できた。でもああい教員と一緒に働かなきゃいけないのかな、と思ったら、教職はやりたくないな〜〜になってしまった。民間大人しく働くことにします。

追記

・それなりに読まれててビビっちゃった……

・実はこの教師恩師の奥さんらしくて「この人恩師の奥さんなのにこんなひどい人なんだ」っていうショックもありました!!!

・今はそこまでショックじゃないっていうかクソ〜〜!!とは思ってるけど平気です!そういう嫌な大人もいるよね

試験受けます!頑張ります!っていう噓ついて実習受けてたしクソ実習生VSクソ教師だと思います

民間でも嫌なことあるかもしれないけどお疲れ様ってここで言ってもらえたから頑張ろう!って思いました。有り難うございました。

2023-03-29

anond:20230329203340

教育実習特別支援学校に行ったとき指導員に「彼らは成長したら教育によって状態が緩和するんですか?」と聞いてしまって、「成長につれ、本来ならその年齢で出来なければならないことが増えていき、その溝を埋めることはとても難しい。けれども、彼らに寄り添うことで、出来ることを増やすことはできる、(と、そのように信じている)」という回答を貰い、そのような残酷な回答を、こちらに気を遣わせて言わせてしまった、といったような重たい気持ちが今も拭いきれない。「彼らへの教育意味とは?」なんて、指導員の人々は、半永久的にずっと向き合わなければならない重たい命題だろうに。

2023-03-26

もう公教育は終わりです

いやー、もうちょっと持つかと思ったけど、うちの県も終わりに入ったわ。3月のこの時点で、講師が見つかっていない学校がけっこうあるみたい。

特殊な教科じゃなくて、英語とかの主要教科でも。あと家庭科とか。女性割合が高い教科はピンチ男性が多い、地歴とか数学はまだ何とかなってる。

採用試験中学高校は倍率高いけれど、最終合格からボロボロ辞退が出て、本来休職に入った分の講師転用して正規教諭の不足枠を埋めて、足りていない枠の分の講師が枯渇。4月教員足りないスタート学校が激増する。

高校でこうだから小学校なんかとんでもないんだろうなー。

良さそうなことが起きると世間を騙して、コストカット制度改革をした小泉純一郎は、この状況にも何も感じることは無いだろう。何が米百俵精神だよ。

小泉コストカット安倍免許更新制という無理やりな政策の影響が、今の現場に降り注いでる。

少子化教員必要数が減っていくから、調整弁として非正規をこき使ってしのごう、という邪悪な目論見が成り立たなくなっただけなんだけどね。

あと別に崩壊したといっても、全部の高校の全部の教科がダメになる訳じゃない。あの学校のあの教科はひたすら自習、とか、70歳オーバーの人が昔の知識何となく教える、とか増えるんだろう。

あとは学徒動員で、まだ教育実習にも行っていない大学生臨時免許を与えて、無理やりバイト講師に仕立てるか。

部活地域化はなかなか進められない、とかいってる文科省だが、現場はもうそレベルではなくなってる。時間割にある授業の担当者が埋まらない、時間割がまだ組めない、学年の教員団が決められないって、レベル4月を迎えちゃう

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