はてなキーワード: 効用とは
経済を I 個の財・サービス、J 人の消費者、F 社の企業から成るとする。
各消費者 j ∈ {1, ..., J} の問題は以下のように定式化される:
max Uⱼ(xⱼ)
s.t. p · xⱼ ≤ wⱼ + Σ(f=1 to F) θⱼᶠπᶠ
ここで、
Uⱼ: 消費者 j の効用関数(強い単調性、強い凸性を仮定)
xⱼ = (x₁ⱼ, ..., xᵢⱼ): 消費ベクトル
wⱼ: 初期賦存
πᶠ: 企業 f の利潤
一階条件(Kuhn-Tucker条件):
∂Uⱼ/∂xᵢⱼ ≤ λⱼpᵢ, xᵢⱼ ≥ 0, xᵢⱼ(∂Uⱼ/∂xᵢⱼ - λⱼpᵢ) = 0 ∀i ∈ I
λⱼ(wⱼ + Σ(f=1 to F) θⱼᶠπᶠ - p · xⱼ) = 0, λⱼ ≥ 0
ここで、λⱼ はラグランジュ乗数。
max πᶠ = p · yᶠ
s.t. yᶠ ∈ Yᶠ
ここで、
yᶠ = (y₁ᶠ, ..., yᵢᶠ): 生産ベクトル(正は産出、負は投入)
一階条件(利潤最大化条件):
p · y ≤ p · yᶠ ∀y ∈ Yᶠ
Σ(j=1 to J) xᵢⱼ = Σ(f=1 to F) yᵢᶠ + Σ(j=1 to J) wᵢⱼ ∀i ∈ I
ここで、wᵢⱼ は消費者 j の財 i の初期賦存量。
p · (Σ(j=1 to J) xⱼ - Σ(f=1 to F) yᶠ - Σ(j=1 to J) wⱼ) = 0
1. 価格単体を定義:Δ = {p ∈ ℝ₊ᴵ | Σ(i=1 to I) pᵢ = 1}
4. 予算制約とワルラス法則より、p · z(p) = 0 ∀p ∈ Δ を示す
5. 境界条件:pᵢ → 0 ⇒ zᵢ(p) → +∞ を証明
6. Kakutani の不動点定理を適用し、z(p*) = 0 となる p* ∈ Δ の存在を示す
社会的厚生関数 W = W(U₁(x₁), ..., Uⱼ(xⱼ)) を最大化する問題を考える:
max W(U₁(x₁), ..., Uⱼ(xⱼ))
s.t. Σ(j=1 to J) xⱼ = Σ(f=1 to F) yᶠ + Σ(j=1 to J) wⱼ
yᶠ ∈ Yᶠ ∀f ∈ F
一階条件:
∂W/∂Uⱼ · ∂Uⱼ/∂xᵢⱼ = μpᵢ ∀i ∈ I, ∀j ∈ J
p = ∇yᶠπᶠ(yᶠ) ∀f ∈ F
ここで、μ はラグランジュ乗数、∇yᶠπᶠ(yᶠ) は利潤関数の勾配ベクトル。
これらの条件は、消費の効率性、生産の効率性、そして消費と生産の効率性を同時に表現している。
1. プレイヤー集合: N = {P₁, P₂, ..., Pₙ}
2. 行動集合: 各プレイヤー Pᵢ の行動の集合を Aᵢ とする
3. 情報集合: 各プレイヤー Pᵢ の情報集合を Hᵢ とする
4. 選好関係: 各プレイヤー Pᵢ の選好関係を ≽ᵢ とする
1. 履歴: H = ∪ Hᵢ
各プレイヤー Pᵢ に対して、効用関数 uᵢ: Z → ℝ を定義する
1. 完備性と推移性:
2. 期待効用仮説:
p ≽ᵢ q ⇔ 𝔼ₚ[uᵢ] ≥ 𝔼ᵩ[uᵢ]
σᵢ: Hᵢ → Δ(Aᵢ), ここで Δ(Aᵢ) は Aᵢ 上の確率分布の集合
μ を各情報集合 h ∈ H に対する確率測度 μₕ ∈ Δ(h) の集合と定義
(σ*, μ*) が完全ベイズ均衡であるとは、以下を満たすとき:
不毛な行為としか見られてないレスバだが、実は案外効用はある気がする
レスバから何か有用な意見が出ることは皆無だが、逆にどうしようもないほど支離滅裂なお気持ち論はボコボコにされ数年たっても蒸し返されることも結構ある
こうして素晴らしい意見に達しないレスバでも(いつものことだ)、ダメな意見を少しづつ排除されていき時間がたてば少しづつ平均意見のレベルは上がる
そしてツイッターがエコーチェンバーの温床になってしまっているのはレスバがあんまり起きないからじゃないだろうか?
ツイッターは言うほどレスバが起きてないんですよ、なぜなら面倒くさくなったらブロックして強制終了だし
割とすぐに凍るしすぐ鍵かけて逃げるし、何よりほとんどの垢は140文字以下だから罵倒とお気持ちたれ流ししかしてない、レスバじゃなくてリンチに近い
経済を表現する空間を E とし、これを局所凸位相線形空間とする。価格空間 P を E の双対空間 E* の部分集合とし、商品空間 X を E の部分集合とする。
Z: P × Ω → X を一般化された超過需要関数とする。ここで Ω は外生パラメータの空間である。Z は以下の性質を満たす:
(b) 一般化された同次性:任意の λ > 0 に対して Z(λp, ω) ≈ Z(p, ω)
(c) 一般化されたワルラスの法則:<p, Z(p, ω)> = 0
ここで <・,・> は E* と E の間の双対性を表す
(d) 境界条件:p が P の境界に近づくとき、||Z(p, ω)|| は無限大に発散
価格の動的調整を表現するために、以下の無限次元力学系を導入する:
dp/dt = F(Z(p, ω))
ここで F: X → TP は C^1 級写像であり、TP は P の接束を表す。
定理1(均衡の存在):適切な位相的条件下で、Z(p*, ω) = 0 を満たす p* ∈ P が存在する。
証明の概略:KKM(Knaster-Kuratowski-Mazurkiewicz)の定理を一般化した不動点定理を応用する。
定理2(局所安定性):p* の近傍 U が存在し、初期値 p(0) ∈ U に対して、解軌道 p(t) は t → ∞ のとき p* に収束する。
証明の概略:リャプノフ関数 V(p) = ||Z(p, ω)||^2 / 2 を構成し、V の時間微分が負定値となることを示す。
不均衡状態における経済主体の行動を記述するために、以下の最適化問題を導入する:
最大化 U_i(x_i)
制約条件 <p, x_i> ≤ w_i + Σ_j p_j min{z_ij, 0}
ここで U_i は効用汎関数、w_i は初期富、z_ij は財 j に対する主体 i の超過需要である。
確率空間 (Ω, F, P) 上で、以下の確率微分方程式を考察する:
dp(t) = F(Z(p(t), ω))dt + σ(p(t), ω)dW(t)
ここで W(t) は適切な次元のウィーナー過程、σ はボラティリティ作用素である。
ε dp/dt = F(Z(p, ω))
この解析により、短期的な価格調整と長期的な均衡の関係を明らかにする。
定理3(一般化された不動点定理):P が局所凸位相線形空間 E の非空、凸、コンパクト部分集合であり、F: P → P が連続写像であるとき、F は不動点を持つ。
この定理を用いて、より一般的な経済モデルにおける均衡の存在を証明できる。
ε → 0 のとき、特異摂動問題 ε dp/dt = F(Z(p, ω)) の解の漸近挙動は、元の動的システムの長期的均衡と一致する。
脱走とか最近はすっかり行われてないわけだから、終身刑にしてずっと閉じ込めておけば再犯は防げる。
死刑の様子が公表されるわけじゃないからエンターテイメントとしての価値は低い。
死刑にしたからといって見せしめとしての効果が高まったりは別にないし、むしろ死刑以外がヌルく見えるだけのマイナス効用さえある。
意味ある?
両義的資源(善悪両用可能な要素)の文明発展への影響を分析するにあたり、以下の経済学的概念を中心に議論を展開します:
a) 内生的成長理論(Romer, 1990; Aghion & Howitt, 1992)
b) 制度経済学(North, 1990; Acemoglu et al., 2005)
c) 情報の経済学(Stiglitz, 2000; Akerlof, 1970)
d) 行動経済学(Kahneman & Tversky, 1979; Thaler & Sunstein, 2008)
Romerの内生的成長モデルを拡張し、両義的資源(R)を組み込んだ生産関数を以下のように定式化します:
Y = A * K^α * L^β * R^γ
ここで、Y は総生産、A は技術水準、K は資本、L は労働、α, β, γ はそれぞれの生産弾力性です。
dA/dR = f(I, S)
ここで、I は制度の質、S は社会的規範です。f(I, S) > 0 の場合、R は善として機能し、f(I, S) < 0 の場合、R は悪として機能します。
Acemoglu et al. の制度経済学モデルを応用し、以下の制度の質関数を定義します:
I = g(P, E, C)
ここで、P は政治的制度、E は経済的制度、C は文化的要因です。
制度の質 I が高いほど、両義的資源 R が善として機能する確率が高まります:
ここで、h'(I) > 0 です。
Stiglitzの情報の経済学に基づき、両義的資源の利用に関する情報の非対称性を以下のように定式化します:
ここで、SW は社会的厚生、PB は私的便益、PC は私的費用、SC は社会的費用、θ は情報の完全性を表す指標(0 ≤ θ ≤ 1)です。
Kahneman & Tverskyのプロスペクト理論を拡張し、両義的資源の利用に関する意思決定を以下の効用関数で表現します:
U(x) = x^α for x ≥ 0
U(x) = -λ(-x)^β for x < 0
ここで、α, β は感応度パラメータ、λ は損失回避度です。
Thaler & Sunsteinのナッジ理論を適用し、両義的資源の善用を促進するための選択アーキテクチャを以下のように定式化します:
Pr(Good use of R) = j(N, I, θ)
ここで、N はナッジの強度を表し、∂j/∂N > 0, ∂j/∂I > 0, ∂j/∂θ > 0 です。
上記の要素を統合した動学的一般均衡モデルを以下のように定式化します:
max Σ(t=0 to ∞) β^t U(C_t)
制約条件:
K_(t+1) = (1-δ)K_t + I_t
Y_t = A_t * K_t^α * L_t^β * R_t^γ
A_(t+1) = A_t + f(I_t, S_t) * R_t
I_t = g(P_t, E_t, C_t)
この分析から、両義的資源が善または悪として機能するかは、以下の要因に大きく依存することが示されました:
1. 制度の質(I)
2. 情報の完全性(θ)
4. ナッジの強度(N)
5. 行動バイアス(α, β, λ)
これらの要因を最適化することで、両義的資源の正の影響を最大化し、負の影響を最小化することが可能となります。具体的には:
この分析は、両義的資源の管理と活用に関する政策立案に重要な示唆を与えるものであり、持続可能な文明の発展に寄与する可能性があります。
政策立案者は、これらの要因を考慮しつつ、両義的資源の善用を促進し、悪用を抑制するための包括的な戦略を策定する必要があります。
ミクロ経済学は、一般には企業と消費者という経済単位を考え、市場の相互作用を分析する。
分析方法として、1)最適化, 2)均衡分析 という方法を用いる。
企業行動のモデル化では、目的関数は利潤最大化で、制約条件は技術・市場である。消費者行動では、目的関数は効用であり、制約は予算である。
経済の均衡とは、経済単位の行動全てが相容れるものであるときの分析ということである。均衡の分析は、不均衡状態の分析よりもはるかに単純である。
均衡状態に限定し、さらに最適化問題を解くときに、実行可能領域で行動を変えて目的をさらに追求できる経済単位が存在しない状態(パレート最適性)の分析を行うことになる。
服の着回しと購入サイクルのことを考えていくと、一番良いのは「しっかりとした服を、何年にもわたって着倒していく」ことではないかと思い始める。
トレンドの服や安い服を1,2シーズン着ては捨てていくことは、コスト的にも環境的にもよろしくない。
たとえば5,000円の服を1年着るより、20,000円の服を5年着た方がコスパが良く、環境負荷も小さいということになる。
この時、問題になるのは着る服から得られる満足感・効用の違いだ。
トレンドを消費し、別の5,000円服を着ていくことで得られる効用と、しっかりとした20,000円服を着続けることで得られる効用は果たして同じになるか。
また、20,000円服が5年後に着られる保証はないというリスクとも向き合う必要がある。トレンドや自分の好みの変化、飽き、物質的な劣化に耐えられるか。
こうした考え方は、何やら投資などに近いように思えてくる。
「好きと良いは違う」に対して還元主義(?)的に考えていった結果、良いと悪いは好き嫌いの多数決でしかないのではないかという結論に至った。
この服はなぜ良いのか?
着心地が快適だから。なぜ着心地が快適だと良いのか?快適である状態は良い事だから。快不快の問題だ。
かっこいいから。なぜかっこいいと良いのか?そもそも「かっこいい」の定義は?かっこいいものを身につける事は精神的充足に繋がるから。かっこいいとは見ていて嫌悪感を抱かず、むしろ快楽や憧れの念を抱かせるような事である。快不快の問題だ。ちょっとトートロジーめいてる気もする。
安いから。なぜ安いと良いのか?可処分所得の減少が少なくなるから。なぜ可処分所得の減少が少ないと良いのか?可処分所得の消費による購買の機会を増やし、効用の追求機会が増えるから。快不快の問題だ。
高いから。なぜ高いと良いのか?高額な消費であればより大きな効用を得られるだろうという誤謬めいた判断が快楽をもたらすから。高額の消費、及びそれを誇示する服を着ることが収入の高さ、引いては社会的評価の高さを示唆し、自尊心の向上や社会的承認が得られるから。快不快の問題だ。
もっと言えばエシカルコンシャスネスだとか、造形の斬新さや精緻さ、テーマ性の反映度合いや精神性が云々だとかいくらでもあるけど、それらを測る評価軸はどこから湧いて出きたのかという事になる。
いずれの評価軸も快不快、好き嫌いの問題へと収束していくはずだ。デニムなんかで着心地が悪いからこそ「良い」みたいな美意識もあるだろうけど、それも然りだろう。
いつからかあってこれからもあり続けるであろう自然法則を所与の前提として持つ自然科学と違って、何が良いかという判断においては意図的に何かを前提として置かなければならないのだから、感覚的な部分に頼らざるを得ないのは当然に思える。
ただそれだと必ずしも多数派に支持されない「権威」の存在の説明がつかない。
ハイメゾンの攻めたコレクションを見て賞賛を送る人間は多数派だろうか?もっと定量的にいけばジャンルを変えてトマトメーターでも見れば分かるけど、権威と大衆の意見は必ずしも一致しない。それなのに権威の意見が良し悪しの評価に無影響だとは受け取られていない。
謎すぎる。
世界共通の自然法則に支配される存在であって、かつ誤差みたいな個体差はあれどほぼ構造も似たような生き物同士なんだから、何かしら共有されている本質的な感覚があるのだろうか。
それはまああるか。
様々なノイズを除去しながら、そういった本質的なものを見極めて評価の対象物と照らし合わせる技能を持った人間が伝導師として権威を握っているんだろうか。
ただ人類の共通の感覚って言ったって大枠のものに過ぎない気もする。ドブ川の水を啜って美味いと感じる人間は多分いないだろうけど、椎茸を美味いと感じる人間もいれば嫌いな人間もいる。
アレルギーでもなきゃ、食わせ続ければいつかは美味しさを「理解」して好きになるのか?
宗教規範から脱却したように思えてその実人々が未だ様々な信仰に基づいて生きている点は全く変わらないように、本質主義だとか教養主義だとかが社会の中で生き永らえているだけの話なのか?
多数派が好き(あるいは嫌い)だと思わないようなものについても、新たな価値判断の基準を提示して「言われてみれば、確かに……」という共感を呼び、考えを変えてしまうような魔力を持った主張の出来る人間が権威を握るのか?常にそれが達成される訳ではないにせよ。
論理的に分析してみた所でそれが良いか悪いかは論理ではなく基準の問題なので、共感の方が重要に思える。
基準に沿った判断は合理的にやっていけるけども、基準そのものの妥当性はより上位の基準でしか判断出来ない。好き嫌いというのは恐らく最上位の基準であって、それ以上の基準はなく共感によって一変してしまうのかもしれない。
これなら原則として良い悪いが好き嫌いの多数決によって決まるという説の中でも得意的に良い悪いへの影響力を持つ事がさほど矛盾しない気がする。一番しっくり来るかもしれない。
哲学の世界ではとうにこんな議論もグチグチと交わされてるらしいけどおれの中では前向きなニヒリズムが一番納得感があるし、それ以上の理屈を求めようという気にもあまりならない。
https://anond.hatelabo.jp/20240615223307
前々から思ってて、さらにこの対談見て確信したけど、暇空さん、地平線の向こう側に勝手に一人で行ってない?
物事の理解や議論の折衷みたいな考え方の1つとして、哲学ではガダマー『真理と方法』(1960年)という本に1つの答えがある。(まあ、人間の脳における「理解」の現代の専門分野は、脳科学や認知心理学(cognitive psychology)に取って代わった感もあるが)
これはどんな考え方かというと、「理解」とは「地平の融合 fusion of horizons」であるという考え方である。
では「地平の融合」とはどういう概念かというと、今まで持ってる知識に新しい知識が合わさってこの中間(水平)にくる、というこの作業が「理解」というシロモノであるといっている。
例えば、新しいモノをわかりやすく理解するために例え話を使ったりするが、これはまさに、新しいモノを事前に知ってる古いモノで例えて理解という作業を試みてるわけである。
さらに、確率・統計に例えるとこの概念はベイズ統計にかなり近い。ベイズ統計では事前に知ってる事前確率(事前情報)に新しい観測データとして尤度(新しい情報)を計算しそれを使って、事後確率(事前確率と尤度の間)へ更新計算をする。「地平の融合」とかなり近い。
この「地平の融合」の考え方は、議論でも重宝される。A案、B案の2案ありそれぞれの立場の議論において、地平の融合により折衷案Cを生み出せるわけある。議論において、この「地平の融合」を目指すべきなんてはこの効用があるためよく言われる(もちろん、トンデモ案は融合を目指す必要なく却下される前提だが)。
で、暇空さんの議論のやり口って、こういった「地平の融合」みたいなのは無さすぎないか?という話である。
人間誰しも多少なりとも偏見(事前情報)を持ってるわけだが、これは他の人や本、ネットなどとのコミュニケーションにより、情報交換が発生し(新しい情報を得る)、多少な偏見は均される(地平の融合)。(情報哲学において情報交換が大事なんて言われるのはこの辺だったりする。)
暇空さんの場合、地平の融合どころか持論展開だけで地平線の向こう側に勝手に一人で行ってないか?
正直、石丸氏もウォッチャーが付くレベルのトンデモなので、こんなのに丸め込まれてる場合かと言いたくるなるが、丸め込まれてる理由はここである。地平線の向こう側に勝手に一人で行っている。
死んでから与えるのは遅すぎる。
死んだ後にもらうと嬉しさが半減。価値は激減。
いつ、誰にいくら与えるのかを今すぐ考えよう。
チャリティーは待ってくれない
年齢に合わせてかね。健康時間を最適化する支出と貯蓄のバランスを最適化。
健康は金より重たい
あなたの体は間違いなく衰えていく。
金の価値は加齢とともに低下する。
今金を使うべきか迷ったら?
人生最大で最高のパーティー資産を減らすタイミングを決めよう。
資産のピークは金額ではなく時期で、決める資産を減らすポイントは45歳から60歳。
老後を待たずに金を使い始めよう。
大胆にリスクを取る
夢に挑戦するか迷ったら?
あなたは歓びを先送りしすぎている。
今まで自分は一体何をしていたのだろうか?
これ以上先延ばしをせずに、今すぐ本当にやりたいこと、大切なことをすべきだ。
だが残念なことに私たちは喜びを先送りしすぎている。手遅れになるまでやりたいことを我慢した。
ただ、金を節約する。限られた時間の中で最大限に命を燃やす方法を考えなければならない。
今しかできないことに金を使う金を無駄にするのを恐れて機会を逃すチャンスを逃すのはナンセンスです。
大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず。お金を使うことだ。
最近の本はつまらない気がする。例えば「頭が良くなる本」というテーマの本があるとして、新着の本を見てもありきたりな本しか見つからない
これはたぶん、私が30歳になるまでの間に一通り色々なテーマでどういった内容があり得るのか見てきてしまっているから
アルゴリズムの世界では「探索と活用のトレードオフ」というものがある
初期フェーズでは情報集めのために探索をするのが良しとされるが、後半ではむしろ集めた情報を活用するのが良しとされる
未熟な若者が馬鹿なことをやろうとするのは、単に探索のフェーズにいるからで、情報が足りないから
一方歳をとった人たちが保守的になるのは、探索によって学習済みだから
私は年齢的に「探索」のフェーズではないのかもしれない。この年齢になって、何か大成功しようという気は起こらないのだ
欲しい、必要、と思う量が少なければ満足は増えるし、それを超えるものを持っていても満足は増えない
ブラック企業が社員に「足るを知れ」と言った場合は注意が必要だが、個人的なレベルでは、足るを知るのは満足に生きるために良い指針だと思うわけである
本をたくさん読んでも、実践できなければ意味がないし、実践できる事柄は限られる
そう思うと、私のような負け犬を釣るための自己啓発本など、もう買う必要がないことがわかる
といっても、限度はある。必要な量は固定だし、欲しい量も人生を充実させるにはある程度は必要である
結局、私を悩ませているのは「満たされない何か」という本能であり、これが本を買ったり数学をやりたくなったりする誘因になっている
単に世の中が回っていればいいというだけなら機械などで労働力を補えば回るだろう。なんなら、少子化といっても生産年齢人口の減少率はピークでも年5%も行かないのだから何も技術革新が無くても回るだけなら回る。
でも、少子化を問題としている人が考えているのは「少子化が進むパターンとそうでないパターンでどちらの方が人々の消費可能な財が多くなるか」とか「人々の効用を最大化出来るのは人口増加率がどのくらいのときか」とかいった問題であって、回る回らないの話じゃない。労働力を補うための生産性向上技術なんてものは少子化が進もうが進まなかろうが発展していった方がよく、その上で少子化が進むよりは進まない方がいいということを言ってるわけだ。人口爆発だって同じ基準で、これも「人々の効用を最大化出来るのは人口増加率」を超えてくるから問題だと言える。技術で効率化するにも限度がある資源によって、人口増加率が高すぎたら最適にならない。
というわけで、最適人口増加率に近付けよう、そこから外れていれば対策しようという問題であって、少子化か人口爆発かという二者択一を考えることはてんで意味がないことなわけだ。