はてなキーワード: 予告編とは
映画館で予告編を観て、『ウィキッド』が映画になるのを初めて知った。
タイトルに『ふたりの魔女』とか付いているるし、どうも映画はダブル主人公として描いてるっぽい…?
ミュージカルの方は『ウィキッド』(悪い)というタイトルといい、宣伝に使われているのが緑の肌の女性である点といい、
あくまで後に西の悪しき魔女とされるエルファバの単独主人公だと認識していたんだけど。
そしてフィエロのエルファバに対する愛がメインテーマの一つだと思っていたので、
予告にミュージカルではエルファバの相手役である男性フィエロが殆ど出てこないのに違和感があってしょうがない。
もしかして昨今流行りの、女同士の友情素晴らしいシスターフッド尊いをやるがために男女の恋愛をなかった事にするパターンか…!?予告とタイトルからはそうとしか思えない
しかも役者さんもエルファバが黒人、グリンダが白人でそれもアリアナ・グランデという人気者を使っている時点で
グリンダの方に人気を出したいのが見え見えなんだよなー
まるでガラスの仮面のふたりの王女で最初の予想通りにアルディスを亜弓さん、オリゲルドをマヤが演じていたバージョンみたいじゃん
何の面白味もない
タイトル見て察した人もいるだろうけど、問題はサウジアラビアの皇太子が関わってるってこと。
ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の創設したミスク財団の子会社であるサウジアラビアのマンガ・プロダクションズ社は、待望の『グレンダイザー』新作アニメ『グレンダイザーU』の予告編を公開した。『グレンダイザーU』は2024年公開予定だ。
https://www.arabnews.jp/article/arts-culture/article_96659/
https://www.bbc.com/japanese/56219354
・大前提として、正直クッソ見たい。
・でも、この件がちらついて楽しめなくても、この件を忘れて楽しめてしまっても、どちらにしても辛くなりそうな気がする。
・さらに言えば、この件含めた悪い印象を払拭するために名作アニメが利用されてる感が辛い。
・なら、見なきゃいいだろと言われたら一言もない。
・お前普段の生活サウジの石油なしに成り立たんだろ、そっちは気にせんのに、これだけ気にすんのかとか言われても、やっぱり一言もない。
・八方ふさがり過ぎて一生始まらんでいてくれたらいいという気持ちさえある。
・せめてストーリーの中で、こういう部分に冷や水ぶっかけるような展開があってくれ、それなら少しは救われると思わんでもないけど、それはそれで一ファンの純粋な期待とかいうところからは甚だしく乖離してるような気がして、それもまた辛い。
・そんなところまで気にするくらいなら見ない方がいいとは思う。
・ただ最初に言ったとおり、正直クッソ見たい。
anond:20210304122852 の後日談になる。
ここに挙げた映画の半分くらいはなんと、Amazon Primeが2024.04.30現在見放題作品にしている。
具体的には、
がAmazon Primeの見放題タイトルで見られる状態になっている。
いつまでこれがタイトルに入っているかはわからないので(実際、トッツィーズ & フェイクスターはその後日本のNETFLIXラインナップから外れた)、このGW後半にはぜひとも見てほしい。
ついでに、The Con Heartist以降のgdh映画についても短評しておこう。ついてるのは予告編URL
ゴースト・ラボ 禁断の実験 //youtu.be/RN9G-g5PhJE
ホラー映画。インターン医師たちが霊の存在、そして幽霊との会話が可能なことを証明するために、とんでもないことを思いつき、実行してしまう。NETFLIX(JP)で見られる。思いつきは怖いが内容は怖くない。お勧めではない。
モキュメンタリーホラー映画。泰韓合作。タイ東北部の巫女インタビューを通じて、彼女の周囲にある霊的に非常識な状態が明らかになっていく。日本でも公開した。NETFLIX(JP)で見られる。比較的グロい。お勧めではない。
プアン/友達と呼ばせて //youtu.be/CcZkHdfus_A
ドラマ映画。かつて友人だった白血病患者の別れの旅に付き合った結果、彼が自分の元カノの去就にも関わっていたことが明らかになる。日本でも公開した。WKWプロデュース。Amazon Prime(JP)で見られる。 おすすめ。
スピード&ラブ //youtu.be/pg_Ij-3YySM
コメディ映画。カップスタッキングに生活をかける男と彼のサポートに青春をかけてしまった女性のゴタゴタを描く。韓国映画のパロディとか第4の壁描写とかが面白いが、それだけ。NETFLIX(JP)で見られる。お勧めではない。
運命のふたり 劇場版 //youtu.be/ShD0CvB9kWM
同名のドラマ第1弾(NETFLIX(JP)でかつて公開されていたが公開終了済)とドラマ第2弾との間をつなぐストーリーで、日本でいうと江戸末期ごろのタイ、バンコクに転生とタイムスリップが交錯する。この時代近辺に興味がある人には同時代の実在の人物とか出てくるのでおすすめ。逆に言うとほとんどの人にはお勧めではない。NETFLIX(JP)で見られる。
オー・マイ・ガール なんで今なの!? //youtu.be/VKk6UvyysU8
ラブコメ映画。たぶん性格は合うのだがタイミングが絶妙に合わない2人のラブストーリー。2020年代のバンコク周辺の若者事情覗き見としては見どころがあるが、あまりスカッとしない。NETFLIX(JP)で見られる。まあまあ。
You & Me & Me //youtu.be/s7H5JV9wfdQ
青春恋愛映画。替え玉を駆使しまくる双子女子の片割れを好きになってしまった男子とその双子が自分たちの家族的愛情との間で葛藤する。監督自身が双子女子という面でたぶん実体験がいくつも入っていると思われる。日本未公開。1999年代の風俗が懐かしい。おすすめ。
Home for Rent //youtu.be/db8puvbOhQw
ホラー映画。実話に基づく映画で、引っ越した後の家を他人に貸したら、その家で怖い儀式が行われるようになるというあらすじ。おそらく「邪厄の家」という邦題でそのうちNETFLIX(JP)でみられる。未見。
青春映画。推薦入学を狙って死んだ友達の遺作をネタに短編映画を作ろうとする高校生を中心に「友情とはなにか、親友とはなにか」を考えさせる作品。大阪アジアン映画祭で公開。日本で一般公開するべき。おすすめ。
仕事が忙しいときでも週末はよく映画を観に出かける。話題作は公開日の週末のレイトショーで観るし、観たい作品が重なったときは翌週、出直して、観たりする。本当に映画が好きな人に比べれば、まだまだ少ない方だけど、自分の周囲では結構、映画館に出かけている部類に入るようだ。
映画館に着き、チケットを買い、ポップコーンと飲み物を手にして、シアターに入ったら、次にやるべき作業は携帯電話のチェック。本編前に流れる鑑賞マナーのムービーでも触れられているけど、上映中の携帯電話の操作は周囲の人の迷惑になるので、携帯電話を操作しないのはもちろん、あらかじめ利用できない状態にしておくのが基本。
つい先日、映画館に出かけたとき、予告編が始まるや、前の席に座った2人組の女がスマートフォンを取り出し、端末をスクリーンに向けたときは「おいおい、それはダメだろ!」って思ったら、暗闇でツーショット自撮りをはじめて、ちょっと驚かされたなんてこともあった。予告編の間とは言え、ちょっとねぇ……。
じゃあ、何をもってして、「利用できない状態」というのか。普通に考えると、マナーモードか、電源OFFってことになるんだろうけど、以前、どこかで見かけたアンケートではマナーモードと電源OFFが半々くらいの比率だったと記憶している。「通常のマナーモードで十分じゃないの?」っていう人が多そうだけど、着信時にバイブが振動して、映画のシーンによっては周囲に振動音が響いてしまうかもしれないし、自分の席の前の荷物フック(前の席の背中側)にカバンをかけておいたら、カバンの中に入っている端末が着信時振動して、前の席に伝わってしまった……なんていうこともありそう。
最近、自身がNTTドコモの回線で使っているAQUOS ZETA SH-03Gは、本体側面にイルミネーションが備えられていて、メール着信などを光で知らせてくれるんだけど、これも胸ポケットなどに入れておくと、上映中に煌煌と光ったりして、目立ってしまう。映画館以外でも気になることがあるので、サイレントマナーなどと連動して、イルミネーションを一時的に光らないモードも用意しておいて欲しいところだ。
また、もうひとつ気になる存在なのが最近増えてきた腕時計型のウェアラブル端末。たとえば、Apple Watchは腕を傾けると、ディスプレイに文字盤などが表示される。普段はこれが便利なんだけど、映画館などではポップコーンに手を伸ばすたびにApple Watchが光ってしまうなんていうことも……。しかたないので、最近は上映開始前に腕から外して、ジーンズのポケットにしまってます。Apple Watchに限った話ではないけど、ディスプレイが光るウェアラブル端末は一定時間、表示を簡単にOFFにできるモードがあると、便利
さて、最終的に「利用できない状態」をどうするか。本編上映前の鑑賞マナーのムービーでは「電源をOFF!」なんてアナウンスされているし、映画館によっては鑑賞マナーのWebページを用意していて、TOHOシネマズのページでは「上映中は携帯電話の電源はお切りください」と明記されているので、やっぱり、電源OFFが基本なのかな。ただ、一度、電源を切っちゃうと、「次に起動に時間がかかるからイヤだ」なんていう人も居るだろうから、そういう人は飛行機に搭乗するときなどに使う「機内モード」にしてみるの手。
しんじつはこうらしいよ。
https://benefitdmv.site/movie/honnoujihotel-makime
実は二年前から、とある映画の制作に携わっていました。原作ではなく、オリジナルの作品の脚本を担当するという話で。
準備のために、去年はシナリオ学校に通い、書き方を学び、今年になってから脚本を書き上げました。しかし、全ボツを食らいました。-18:40
監督・プロデューサーと何度も打ち合わせを重ねた内容を反映させたものだったのにダメでした。
プロデューサーの説明は最後まで要領を得ず、いまだに私は正確なボツ理由を理解していません。
ただ、一発で採用される内容を書かなかった自分の力量の低さも原因だと、自分を納得させました。-18:42
作家になって初めての全ボツだったので、かなりショックでしたが
「いつか小説というかたちで書き直したらいい」と半年くらいかけて気持ちを整え直したあたりで、
映画は進行していたわけですが、その出来上がった予告編を見て我が目を疑いました。-18:43
なぜなら、私の脚本の要素が残っていたからです。私が脚本に書いた非常に重要なフレーズが、
私が小説を書いても、「ああ、あの映画のあれね」とオリジナリティ・ゼロのものと扱われてしまう、つまり小説を書けなくなる。-18:44
即座に抗議しました。私はすでに自分の代わりに映画で本採用された脚本を読んでいました。
その際、全ボツ後のやり取りに消耗し、もう相手と関わりたくないと心底思っていたので、
新脚本に残された主人公の名前はじめ、中途半端に踏襲された私の要素は全て削除するようプロデューサーに頼んでいました。-18:46
前述の重要なフレーズについても同様です。しかし、こちらの抗議に対し、プロデューサーの回答は「聞いていません」でした。
二年もともに準備し、そのアイディアをどれだけ私が大事にしていたか知っているはずなのに、
小ネタで消化して、私の手から奪うことに何の疑問も持たない彼ら。呆然としました。-18:48
相手の会社でそれなりの騒ぎになり、偉い人たちから謝罪したいとコンタクトがありましたが全部お断りしました。
なぜなら、撮り直しはしない、公開は強行する、という部分は変わず、結局私は小説が書けないままだからです。
自分が提出したアイディアに邪魔され、小説を諦めなくてはならない間抜けさ。-18:49
私が二年かけて本気で書き上げた作品は、監督とプロデューサー含め、二、三人が読んでお蔵入りです。
本当なら、たくさんの読者を楽しませられる内容だったのに。それが何よりもくやしい。
いちばん仕事をしてはいけない相手と関わってしまったうかつさ。大失敗だった。今も毎日後悔を繰り返しています。-18:52
結論は泣き寝入りです。争うより次の作品に集中するのが大事だと考えました。
なら、ツイートもするなよ、という意見もありましょうが、ここは私のアカウント。
芦原妃名子の最後のブログに関してInstagramで「初めて聞くことばかり」と表現した相沢氏。
それでも今までの仕事歴から原作者の尊厳を踏みにじる非情な原作クラッシャーとしてばかり言及される彼女だが、果たしてそれは本当なのだろうか?
まず相沢友子の悪行としてよく取り沙汰されるのが、本能寺ホテルの件だ。
これは小説家の万城目学が書いた脚本をボツにされたのに、相沢氏が引き継いだ脚本にそのアイデアが流用されていたという事件である。
ttps://togetter.com/li/1065046
セクシー田中さん騒動に関するネット上の言説でこの件を知った人も多いのではないだろうか。
しかし、上記の事件に関して万城目氏は脚本家の責任ではないと名言しており、彼女への誹謗中傷を諫める発言をしている。
私のあとを引き継いだ脚本家の方の名誉のために補足させてください。私の原稿が全ボツになった後、次の脚本家は急遽依頼されて、新たに一から脚本を作りました。
元々万城目氏の作品は「鹿男あをによし」や「プリンセス・トヨトミ」などが相沢脚本で映像化されており、
こちらも一部の原作ファンからは内容の改変(登場人物の性別逆転など)が批判されることがあるが、作者自身は信頼を置いていた様子である。
ttps://moviewalker.jp/news/article/22127/
『鹿男あをによし』チーム(監督が鈴木雅之、脚本が相沢友子)だったので、あれこれ話す余地もなくお任せでした。
脚本がアップされた時に見ましたが、そのままやったら5時間を越える大作になってしまうので、2時間ぐらいまでカットしなければいけないんですよ。
さらにその中では監督が聞いた原作者の好きなシーンを入れるために完成した脚本が修正されたことにも触れられている。
監督から『原作のなかで好きなシーンはどこなの?』と聞かれたんです。何も考えずに好きなシーンを素直に3つ挙げたら、その時はどれも脚本に入っていなくて(笑)
~(中略)~
その後、脚本がどう変わったかは全然知らなくて、僕も試写を見て初めて監督からの答えを知りました。どこが入っているかは、皆さん、是非ご覧になって確かめてください
相沢氏が担当した作品で原作者が映像の現場に介入できなかった訳ではないのは、比較的最近の作品である「ミステリと言う勿れ」の現場の話からも伺える。
ttps://mdpr.jp/interview/detail/3072283
でも先生(原作者の田村由美)は本当に何度も足を運んでくださっていたので、その都度色々な相談ができました。
ドラマ仕様にする上で、話の順番を変えたり、ちょっとオリジナルを足したり…というのがたくさんあるので、そんな中、監督や制作陣が常に先生と会話できていることに安心感がありました
貴志祐介原作の「鍵のかかった部屋」もオリジナルキャラが追加され原作からの改変は目立つが、
原作者自身は喜んでおりカメオ出演までしている。(これは彼の映像化作品の定番であるが)
ttps://kadobun.jp/feature/interview/50.html
映像化されたわたしの作品の中でも、まんべんなく周囲の評判がよかったドラマでした。大野智さんの榎本もはまり役でしたし、わたしもちょい役で出演させていただいて、楽しい思い出になりました。
他にも大久保ヒロミ、古賀慶 といった相沢脚本による映像化を経験した原作者の本件に対する反応を見ても、彼女が強く恨まれているような印象は受けないし、
@okubohiromi
私は漫画家であり、脚本家さんとも親しくさせていただいている。
@kkoga_
ドラマ化してもらえたのは、すごく良い経験になったし、演者、スタッフの皆さんは本当にすごい!!尊敬する!
ただ、科捜研の男ってサブタイについては、私もYahooのニュースで初めて知ったのよ。サブタイが変わることは了承してたけどね。
めっちゃ笑いました!
剛力をねじ込まれたと言われるビブリア古書堂の事件手帖の三上延も冷静な反応を呼びかける趣旨のポストをRPしている。
色々と調べてみた結果として、相沢氏は原作者との間に積極的にトラブルを抱えるような脚本家ではなく、原作者と信頼関係を築くことのできる人物という印象を個人的には受けた。
改めて今回の発端となった相沢友子の投稿を見て、果たして原作者に対して激しく攻撃的な印象を受けるだろうか?
…ちなみに、上で挙げたミステリと言う勿れは今回同様小学館の作品だが、
芦原氏のブログによると、彼女が制作現場の人間と接する機会は一度も無かったという。
https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/
ただ、私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることはありませんでしたし、
監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。
これは他のドラマや映画の現場の例を見るとかなり珍しい状況に見える。
また、芦原氏は過去の作品がドラマ化された際は現場に足を運んでいたらしい。
https://web.archive.org/web/20130925074743/http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=220
小学館側も編集部から今回の事態への声明を出しているが、なぜ今回そのような機会が設けられなかったのかは触れられていない。
やたらと著作者人格権について言葉を尽くして説明しているが、制作スタッフが現に原作者が納得するまで修正を重ねた以上今回それは少なくとも結果的には尊重されていたはずで、
本当に尊重されていなかったのは原作者と制作現場との信頼関係ではないだろうか?
もし一度でも、リアルでなくリモートでも、原作者と制作スタッフが直接話す機会があったなら、芦原氏には今回のような苦しみは起きなかったのではないだろうか?
小学館と日テレは彼らとともに働いている全てのクリエイターのために、この点について今回の経緯や今後の姿勢についての説明をするべきであると考える。
成人女性が未成年の設定でSNS投稿 子どもが直面する危険を映すドキュメンタリー「SNS 少女たちの10日間」予告編
https://eiga.com/news/20210222/20/
巨大な撮影スタジオに作られた3つの子ども部屋に、幼い顔立ちの18歳以上の3人の女優が12歳の女子という設定のもと、SNSで友達募集をする。その結果、彼女たちにコンタクトをしてきたのは、2458人もの成人男性だった。精神科医、性科学者、弁護士や警備員など専門家による万全のケアのもと、撮影は10日間にわたり続けられた。撮影されているとは気付かず、何も知らずに卑劣な誘いを仕掛ける男たち。彼らの未成年に対する容赦ない欲望の行動は徐々にエスカレートしていく。
おまえらすみっコぐらしの映画が公開しているのに、すみっコぐらしの話をやらねえな。ネットのすみっこにいるんだから親和性はバッチリなのによ。
ただ、前二作にあったような思想の強さは今回はナシ。最後の方に取って付けたように「物を大事にするのは大切なこと」「なかまは大事」というメッセージを入れてくるけど、そこまで全体的なテーマとして表れているわけでもないしな。
というか、すみっコたちって結構ドライなところも多いから(今回の映画のぺんぎん(本物)に対するぞんざいな扱いなんかまさにそう)、なかまは大事と言われても、う~ん???という感じは割とする。
さてさて、今回の映画もいつものようにイントロで、すみっコたちのメインキャラクター全員の紹介から始まるので、この映画で初めてすみっコを知ったという人でも安心。
今回はすみっコたちが迷い込んだ森にある玩具工場を舞台に話が繰り広げられるわけだけど、予告編にこの工場には何か裏がある……?と、匂わせた内容になっているだけあって、中盤以降は急にホラータッチな内容になってくる。工場長の真相が明らかになるシーンや、みにっコたちが工場から脱出して街にたどり着くシーンはそこそこ怖い。
あと、ホラーを緩和するためか、ギャグシーンも多め。すみっコたちが工場から脱出するシーンは、かなりシリアスな展開にもかかわらず、妙なことやってるから変な笑いが出てくる。あのとんかつのラジコンカーはどうなってるんだよ。
そんなわけで、全体的にちょこまか動き回るすみっコたちが可愛らしく(非常に重要)、話としてもまあ綺麗にまとまっていて、ワクワクしながら見れる程度には面白かった。エンディング~エピローグの映画そのものも巻き込んだ話のまとめ方も、なかなか手の込んだ展開になってて好き。
でも、今回はメッセージ性を弱めにして単に子供が楽しめるだけの映画にしている感が強いのは確かにそうなんだけど、大人が見るとね、玩具工場のあれやこれがブラックジョークにしか見えなくなかったりする……。
玩具工場に迷い込んだすみっコたちは、工場長からのお願いもあって、玩具工場で働くことになる。
始めはみんな和気藹々と玩具作りをしていたんだけども、次第に工場の設備が改善されるにつれ、単なる流れ作業を淡々とやるだけになる。
仕舞いにはすみっコが機械に巻き込まれても、フェールセーフ機能が無かったり、その件ですみっコが大変なことになっても、持ち場を離れるなと言われたり、さらには過剰なノルマを突き付けられたり。
さすがにこんな工場で仕事なんかしてられるか!と、すみっコたちが反乱を起こして、工場を脱出しようとするけども、工場の入り口には見張りのロボットなんかもいたりして、前述の工場からの脱出の話につながるわけ。
いやもうこの辺は、大人目線で見ると、現場猫でも見ているかのようなブラックジョークの塊にしか見えない。
全くすみっコぐらしで、なんてことやろうとするんだ。
あと、そうそう今回の映画のテーマソングは「すみっコディスコ」というタイトルで、当然ながら「すみっコ」の単語が歌詞に入りまくりなので、最近のアニソンはアニメのタイトルを歌詞に入れないと嘆いている御方にはぜひお勧めしておきたい。
足して割って60点。
これが俺の結論だ。
俺は好きに点をつけた。君らも好きに点をつけるべきだ。
熱線出す前のガキョンガキョンが最高すぎた。
この感想は大体の人が共有していると思う。
(本当の本当にただALWAYS見に来ただけの人からしたら「怪獣がビーム撃つだけのシーンに時間使いすぎ。昭和まだ?」だったかもだけど)
映画の冒頭、突然出てきた肉食恐竜の紛い物に俺はガッカリしていた。
ってね。
銃に驚いて人間を丁寧に一人ずつカプカプしては吹っ飛ばすみみっちい姿。
確かにこの程度の「デカイトカゲ」だったら「機銃掃射で殺せない生き物なんて居ませんよ」の範疇かもな。
でもコイツはあくまでローカル都市伝説の「呉爾羅」でしかなかった。
とはいえ、主人公の「トラウマ」になるのには十分な力があった。
アメリカの原爆実験が、ただのデカイトカゲを、巨大なモンスターに変えた。
熊を殺すのは可愛そうだから保護しようとか言ってる場合じゃなく、単に怪物が危険だからで殺すとかでは済まない「(主人公達が)本当の戦後を始めるために乗り越えないと行けない象徴的ななにか」となっている。
思えばゴジラは初代から時間が立つに連れて段々と「デカくて強いやつ」でしかないただのデカツヨとなっていた気がする。
守護者ゴジラや破壊神ゴジラや化け物には化け物をぶつけるんだよゴジラやヒーローゴジラと様々な顔をしてきたが、それらは結局デカツヨでしかなく、「核実験が生み出してしまった化け物」としてのゴジラの延長線上からは逸れていっていたように思う。
自分は正直ゴジラ-1.0とか大層な名前をつけやがってと不満を持っていた側の人間だ。
でもそれに相応しいものがちゃんと出てきたので今はもうそういう気持ちはない。
強くてデカくて、ただそれだけじゃない恐ろしい奴で、映画的な嘘にまみれた滅茶苦茶なやり方で滅ぼすのが相応しいような、非現実的なモンスター、怪獣。
その癖、熱線を撃つ時は本当にカッコイイもんだから「やめろー!戦闘機の自爆特攻如きで倒されないでくれー!」と応援さえしてしまいそうになる。
いいゴジラだった。
ナリだけ戦後風に薄汚くしてる割には、人間の心が現代風な妙なこざっぱりさがあって、なんだか凄く嘘くさかった。
喋り方からして物凄く現代的で、突き抜けさせれば「現代語訳風味」でいけるだろうという造り手の狙いみたいのが透けてくる。
上映前の予告編でゴールデンカムイが流れていて、あっちはナリを一切汚くしておらず(マフラーなんてデパートで買って値札を外した直後みたいでビックリしたよ)、絵面の全てが「これは嘘っぱちのコスプレショーですよ」と伝えくるんだけど、こっちはなまじナリは汚くしてる分だけ喋り方の違和感がより際立っていたというか。
特攻するしない特攻しないに囚われてずっと足踏みしている主人公の時間が止まっているアピールも過剰すぎて妙に子供っぽいというか、こんなんにゴジラを倒させるなよ……とさえなってくる。
初代と比べても仕方ないんだが、どうも全体的に描かれる人間が幼く見え、日本人は幼くなったのかなあ……なんて変な老害感情さえ湧き上がってしまった。
「日本は命を大事にしなすぎた」のイデオロギーのぶっこみ方も生焼けに思えた。
でもそれを口にする人間たちは結局、死の覚悟をもって事に当たる。
そして命を守るために残された若者が命がけの任務に飛び入りで参加したことで日本は救われる。
これでは「命を大事にしよう」なんてのは口先のお題目で、実際には「事に当たっては命なんて捨てにかかるしかない」と言わんばかりだ。
この作品が主張したいのは結局どっちなの?
作中でも行われていた戦後の特別掃海任務が実行者の命に対して無責任な態度にまみれていたのは本当だと思うし、それを指して「この国は戦争の後も命を大事にしてない」と批判されるのは当たり前だと思う。
情報統制のときに「この国は変われない」と口にしてたのも、今の日本の現状を見ると確かに変われてないんだよなあと。(この「変われない」のあとに(いや……変わりたくないだけか……)を飲み込んだかのような雰囲気が出てたのは良かった。こういのがもっと欲しかったんだけどなあ)
ある種の未来予知的な演出を駆使して「結局戦後の反省とか本当にあるのか怪しいよなこの国」と自国批判をするのは上手にやれば痛快だったんだろうけど、そのテーマの重さに作品の持つ力が負けていて空回りしていたと自分は感じた。
そもそもをして全体として言葉の表現力というか、単純に語彙力そのものが乏しいようにさえ思える脚本の粗さはなんとかならなかったものか。
最終的に主人公機をゴジラの口に放り込むというプロットに誘導するためにある程度の力技はしかたなかったのだろうけど、その力技の過程の中で繊細な機微が足りてなさすぎた。
というか、もう単純にドラマの質が低かった。
手垢の尽きまくった美化版昭和ヒューマンドラマをやるなら、やり尽くされているが故の積み上げてきたテクニックの継承が必要というか、王道をやるなら自然と上がるハードルに追いつけてないというか。