「短大」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 短大とは

2018-01-21

勝ち組の子ども

私の両親は『勝ち組』だ。

父は有名企業課長で、母は短大卒、同企業の元事務職専業主婦だ。20代結婚し、20代第一子が産まれた。

そんな理想的夫婦の息子であるはいわゆる『弱者男性』だ。低学歴、低身長、低収入の3Kならぬ3Tで、彼女もいないオタクアラサー結婚は見込めないし、人生希望はない......

2018-01-13

anond:20180113011116

高卒で働いて20過ぎに結婚して、20代前半で子供を産んだ同級生たちの方が、よっぽど幸せなんじゃないかと思えてくる。

昔の高度成長期辺りの、女性ライフスタイルって、みんなそれで、高卒とか短大卒業して、会社事務要員で働いて、すぐに、会社の仲間と結婚して、すぐに出産育児という人生だったんだよな。

今じゃあ、男性女性も、「モーレツサラリーマン」になる人生だけど

どうでもいい話だが俺の通ってた高校では「四年制大学」とかい単語を聞いたことがなかった

大学に入ってから短大」という存在を知り、4年間ではない大学の行き方を知ったときは衝撃を受けた

夜間とか多様な学び方があり、法定大学ではない専門学校などいろいろな存在があることも大学に入ってから知った

偏差値75↑で国立医学部国立東大とか)に落ちて滑り止めの私大早慶とか)に行くっていうのが大多数を占める高校で、特に疑問を抱いたこともなかった

工学部に進んだこともあり、今は割と高専→3年次編入→院進とか、高卒メーカー就職みたいなルート理解している

anond:20180113005238

2018-01-06

コンプレックスと生きることについて

私のコンプレックスは、容姿です。

私は、見た目がよくないと思います。そんなことないって言ってくれる人もいるけど、とても信じられません。

中学生の頃、異性に「あんなブスは生きる価値がない」と言われたことがあります(面と向かってではないですが)。

そういうのって、ものすごく残るものです。今でも私は生きる価値がないくらいブスなんだって信じてます

そういうコンプレックスが私を苦しめたこと、何度あったか数えきれません。

でも、そういうコンプレックスが私を前に押し進めたことも事実です。

ブスだから、顔で生きていくことはできないから、一生懸命勉強しないとならないと思いました。

顔で生きていくことはできないから、本をたくさん読んで、人の話にあわせられるようにしなきゃと思いました。

私は、田舎に生まれて、田舎に育って、高卒短大卒で就職して、3年くらいしたら結婚するのが当たり前の社会にいました。

でも、私にそれはムリだと思いました。だってブスだから結婚なんてしてくれる人がいるはずがないから。

から、ひとりで生きていけるように、一生懸命勉強しないとならないと思いました。

その結果、私は大学院まで出て、法曹資格を得ました。

私は、コンプレックスがなければ前に進むことはできなかったと思います

ブスだっていうことが私を苦しめているのは、今も変わりません。

でも、それを力にすることもできるのではないかと思うのです。

努力してなんとかすることができないことがたくさんあることは本当によくわかります

だったら、それ以外のことで頑張ればいいって私は思います

読んでくださった方、ありがとうございました。

まあ、誰がなんと言おうと、自分自分のままで生きるしかないのですから、めげないで、なんとか生きましょう。

2018-01-02

娘の抱負

‪うちの母はスラッとしたカッコいい女性が憧れだが自分チビデブ(母の談)だからそういう格好ができないといつも口癖のように言っていた。そのせいか、娘である私にボーイッシュな格好をさせたがったし、そんな格好をさせられた3歳の私が道であった外国人に「ボーイ?」とニコニコ声をかけられたというのが、母からもう何千回と聞かされた自慢話だった。‬

‪でもその裏で、幼児だった私が欲しいと言ったお姫様ドレスも、みんなが履いていた段フリルスカートも発表会の花柄ドレスも全部罵倒対象だった。笑ってバカにして、私にさせてる男の子っぽい格好やスッキリとしたデザインの服が一番可愛いと何度も言った。うちの子が一番可愛いの子は全く可愛くないと。他の子はダサくて芋くさくてどうしようもないと。私は常に誰かへの否定を聞いて育った。‬

‪私は発達の早い子供で、文字が読めるようになるのも抜群に早かった。賢い子ってのが小さい頃からの周りの評価で、周りの多くの人達が「ご両親に似たのね」と言った。母にはそれが最高の自慢だった。でも、私は高学年になる頃には落ちこぼれて、勉強について行けなくなった。‬

勉強しろと何度も言われたけど、勉強のやり方もわかっておらず、結果は出なかった。そんな中でも自分なりに考えてテスト前に一生懸命作ったノートを母に見せたら「今更そんなことしてんの」とまたバカにされた。机に向かえば「明日は雨が降るんじゃないか」と、わざわざ私の部屋を覗いては、母は何度も笑った。‬

‪中3の頃、教室私立高校の案内本の制服特集を眺めていたら、担任が「ここの制服可愛いよな?どうや?」と私に勧めてきた。可愛い制服がウリの偏差値はお世辞にも高くない学校。今思えば私の学力にちょうどいいレベル。‬

‪でも私の答えは「制服バカっぽいから嫌」担任ものすごく驚いた顔をしたのを見て、自分がひどい事を言ったことに気づいた。二度と口にしなかった。でもこれは母からずっと言われ続けてきた事そのままだった。バカっぽい制服。そんなところには行くな、と。‬

‪結局、私は高校地元底辺校に進んだ。その程度の成績しかなかったからだ。入学説明会の日、同じ高校に進む事になった近所の小学校から同級生の子ママさんが「お互い良かったですね」と母に声をかけたんだそうだ。そのママさんは高校合格を素直におめでとうという気持ちだったんだろう。‬

入学説明会からの帰りの車の中で「なんであんな子の親に『一緒でよかった』なんていわれなくちゃいけないんだ。恥だ。」と殴られた。この件はさすがに母も後からやり過ぎたんだと思ったんだろう。数年が経った頃に「あの時は悪かった」と潤んだ目で唐突に謝られた。「別にいいよ」と私は小さな声で答えたけど、それ以外の返事が許されただろうか?‬

大学は家を出て、実家から離れたところで一人暮らしをした。相変わらず私の成績は悪く勉強も好きではなかったが、大学進学は幼い頃からずっと母に言われ続けてきた進路だった(短大、専門、就職は母の激しいdisりの対象だった)し、一人暮らしも母がそうさせたいと強く希望した事でもあった。なぜなら、母自身がそういう学生生活を送ったからだ。‬

一人暮らしを始めてからバイトをしたいと何度も言ったし、実際いくつかしたけど、その度に母は「学生のうちから働くな」「金なら全部出してやる」と繰り返し、実際私がシフトがあるから実家に帰れないといえば「そんな事より家族大事にすべき」「親不孝だ」と私がバイトを続ける事を良しとしなかった。‬

‪それに乗って「じゃあいいか」と甘えた私にも問題はあったのだろう。しかし、それからはずっと「あんたは親に全部金を出させた親不孝者」「あんたは恵まれている。親に感謝すべき」「すねかじりが偉そうに金返せ」と言われ続けている。‬

自分が認めなかった事も、自分がそうするように私にいい続けた事も、母の中では全部なかったことになって、私の希望を全部言われるままに叶えてあげた優しい親だと自分の事を思っている。そして「子供犠牲になったかわいそうな私」と繰り返しアピールするのが母のいつものパターンだった。‬

‪同じ頃、父の浮気騒動があった。母は荒れた。何度も実家に呼び戻され、家族のための時間を過ごせと言われた。当時高校生の弟と二人で、母から涙ながらに「お父さんは『エッチはしてない』と泣きながら話した」と聞かされた。何で自分の親のそんな話を聞かなくてはいけないのだろう。心底気持ち悪いし聞きたくもないと思ったが、黙っていた。弟も何も言わなかった。‬

‪泣いて喚く母の話を何度も聞き、母を否定しないように過ごした。少しでも母を否定するニュアンスのことを言えば「あんたまで私をコケにするのか」と罵られるからだ。散々罵倒されたあとは「あんなことを言って悪かったね」と泣かれる。そして「いいよ」と私は言わなければならない。おきまりパターン。そんな気持ちの悪いやりとりをできるだけ避けたかった。‬

‪両親はその後関係を修復したようで、この頃の事はなかった事のように蒸し返されることのない家族タブーになった。‬

‪母は当時はまだ少数派のフルタイムWMだった。父も一流企業研究者で、高給取りだったので、母は止むに止まれず働きたくないのに働いていた…というわけではない。母も仕事がしたかった人だった。それは別に生き方の一つの選択だと私は思う。‬

‪でも母はそうは思ってなかった。働く自分は最高で、専業主婦いか無駄無能か、そんな選択バカだ、そんなだから○○ちゃんの母親や××ちゃんの母親は…と友達の親の非難を何度も子供だった私に聞かせた。‬

‪私が学生の頃も社会人になったあとも母と同じ職を選べと何度も言われたけど、それは断った。資格を取るための金も出してやると言われたけど、その職に興味がないからと避け続けたのは、今となっては本当によかったと思う。‬

‪私は妊娠した時に、仕事も辞めて一旦専業主婦になる道を選んだ。旦那希望でもあったし、私の希望でもあったから、私たち夫婦の中ではそれで問題はなかった。‬

‪でも、母は自分が散々バカにしてきた専業主婦の道を自分の娘が選んだことが面白くなかったようで、私が悪阻が辛いと寝ていると聞けば「私は仕事をしていて悪阻なんかで倒れていられなかった」と電話をしてきては繰り返した。‬

産後、初めての育児しんどいといえば「専業主婦しんどいわけあるか」「専業主婦のくせに忙しいわけがない」とバカにして笑った。その後にはいかに自分が働きながらの育児に苦労したか辛かったか、そんな思いをさせたあんたは親不孝、感謝すべきという言葉が必ず並んだ。‬

‪産まれたうちの子供は障害児だった。たくさん本を読んでネットでもたくさんの親子に関する情報に触れた。親子で療育にも通い、子供への接し方についても多く学んだ。そんな事をしながらの第二子妊娠出産。ここまでそれなりに大変な育児だったように思う。‬

‪そして、そんな子育ての中で薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、母の私に対するあれこれはおかしかったのではないか?そういう思いが私の中で浮かんでは消えていた。‬

‪数年前に実家リフォームをした。私はインテリア住宅特集を見るのが子供の頃から好きで得意だったのでアドバイスをして欲しいと言われ、何度も実家に通った。担当営業マンと、ここはこういう風にした方が…なんて話を一生懸命していたら横で聞いていた母が「はっ。偉そうに。」と吐き捨てるように言い放ったのは今も鮮明に蘇る。‬

自分が手伝ってくれと呼びつけておいたものの、娘が自分差し置いてイキイキと一人前に話をする姿に耐えられなかったんだろう。思えば、子供の頃から私が何をするにも「偉そうに」「いっちょまえに」「でも○○はできない」という言葉が付いてきたな、と思った。この頃から違和感がはっきりしてきたように思う。‬

‪定年を迎えた母は頻繁に我が家に来るようになった。孫へと過剰なほどの物を抱えて「ここに来ると金がかかる」と口癖のように言っていたが、どこにでもいる孫に甘すぎる祖母の姿だと思っていた。‬

‪母は会うたびに、私の掃除の仕方、家事の仕方、夕飯のおかずの品数、体型、服装生活全てを笑いながら否定し、自分はいかに頑張っているかを語っていたが、私は黙って聞いていた。母にとってそれは最高に面白いジョークのつもりだったからだ。‬

‪内心では苛立つ事もあったけど、それを表に出せば、それ以上の言葉否定されるのがわかっていた。母のその性格が治る日が来るとは思えなかった。老いていく母にもうそれを指摘するのも酷だと思っていた。だから私は何も言わなかった。‬

他人からみれば、楽しそうに会話する仲のいい母娘に見えていただろう。‬

しかしついに母と揉めた。きっかけは些細な売り言葉に買い言葉だった。私の中で剥がれ落ちた薄皮は相当な量に達していたのだろう。違和感に私が我慢しきれなかったのだ。‬

‪私に反発された事で、母は発狂した。浴びせられるマシンガンのような暴言否定。今までの私の人生否定し、いかに親不孝かを叫び怒鳴り散らしながら、自分子供(私)のせいで我慢を強いられているんだと喚き散らす母に「私にだってずっと我慢してきた事はある」と初めて言った。母はその内容を聞く事なく「お前のなにが我慢だ。親不孝め」と、また暴言否定を吐き続けた。‬

‪その場に居合わせたうちの娘たちは、自分母親(私)が目の前で罵倒される姿を見て、驚いて固まっていた。そして不安がって泣いた。その間も母の暴言は止まらず、うちの娘の障害名まで母は私への罵倒言葉に使った。娘たちの前でだ。無理だと思った。もう無理だと思った。‬

‪母は自分で「どうせ私は毒親だ」と叫んでいた。そんなふうに考えた事は今まで一度もなかったが、その時初めてそうかもしれないと思った。そしてまた、もう無理だと思った。‬

‪この先、私はどうするのか。もう答えは決まっているのではないか。本当にそれができるのか。いまはまだ立ち止まっている。‬

しかし目の前の扉は開いてしまった。扉の向こうの世界は明るいだろうか。険しいだろうか。一歩を踏み出す決意をしたい。それが娘である私の今年の抱負。‬

2017-12-22

anond:20171222210250

それくらい普通な気が。むしろ新婦大学出てないとか(短大卒とか)よくあるだろうに

2017-12-14

中学生の時

国語は90点くらいで数学英語20点、理科社会は単元にもよるが60点くらい、みたいな感じだったな

数学英語なんとかしようにも

国語だって勉強で90点取れるわけじゃないし社会理科だって予習しないとまずい

全然からなくて苦痛で何時間かけても1問も解けない数学の応用問題なんかにテスト勉強時間は使えない

当時我が家には「テレビを見ながら勉強をするな」「早く寝ろ。本当は9時に寝るべきである中学生になったのでまあ10時くらいで勘弁してやろう」という掟があったので

勉強時間があまり取れず、どうしてもやりやすい教科が優先だった

数学の提出物は未提出、分からないところはほったらかし、黒板に書かれたものノートに写すけど意味はまったく理解できない

宿題やりながら夜中にボロボロ涙が出てきて、泣いてるのが親にバレて、数学ができないこと、めそめそ泣いていること、夜遅くまで起きていること、分からないのに質問しないこと等諸々が気に入らない親に詰られた

自分キチガイ馬鹿なんだ、頭がおかしいんだ、って思ってたのになまじ聞き分けがよくて国語の点数がいいか担任は「増田さんは勉強が得意で賢くて……」なんて言って

明らかに数学英語の点数がやばいのに誰も問題視しなかった。成績を知っているはずの担任ですらそうだった

そうは言っても頭が悪いのは事実なのでもう普通高校には行けないから、と底辺高校受験した

その時も先生たちは「何で増田さんがこんなところを受けるの?」「増田さんは心配しなくても余裕で合格だよw」みたいな態度だった

無事合格し、

底辺高校は荒れてたクラスもあったけど自分のところは平和で、自分より勉強が苦手な人がゴロゴロいて、相変らず数学英語は苦手だったけどテスト内容は中学の時よりだいぶヌルかったか

信じられないくらいいい成績をもらって、無名大学に進学した。クラスメイト短大専門学校に行く人が多くて、4年制の大学に進学した人は少なかった

今は本に関係する仕事に就いている

最近ちょっとした印刷物があって○種類のチラシを○人分刷るから、えーっと……、あれ?と簡単な掛け算もできなくなっていることに自分ドン引きした

また毎月予定表を作っているのだが「○月(英語表記)」と書こうとして、1月が英語でなんて言うかまったく思い出せなくてググった

勉強ができなくて困ることは多いが今更どうしようもない

よく子どもの頃に戻りたいなどと言う人がいるがあん拷問みたいな生活には絶対に戻りたくない

2017-12-12

田舎から「外」に出るのは男であるべきなのか

最近、深夜に起きているとよく流れているCMがある。それがこちら。

.

キリン 午後の紅茶』「あいたいって、あたためたいだ。17冬」篇

https://www.youtube.com/watch?v=n2ii6Vyv5ME

.

最初何気なく聞き流していて、「きれいな声だな」とか「スピッツの曲だっけな」とか、ふわっとした感想しか持っていなかったのだけど、よくよくCMを見てみると妙な違和感を覚えた。何だかこう、脳裏がざわつく感じがしたというか。

.

.

CMの流れとしては、以下の通りだ。

・夕暮れ時。田舎の駅で電車を降りた女子高生が、ホーム自販機午後の紅茶ホットミルクティー)を買う。そのまま帰り道を歩く。

・歌いながら帰り道を歩くうちに、星の見える夜になる。立ち止まって、空を見上げる。

東京のどこか。高架を走る電車を見上げる、厚着の純朴そうな青年が映る。片手にはスーツケース

・再び女子高生。星空の下のあぜ道でスピッツ「楓」のサビを歌い続ける。

女子高生が鼻をすするカットの次には、青年が「会いたい」と呟くカット

・「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーとともに、商品の大きな画像。ここでCMは終わる。

.

.

シーズン的には「大学入学きっかけに地元を出る青年と、彼を田舎から見守る女子高生」を示唆していると思う。「楓」のサビは「さよなら 君の声を 抱いて歩いていく」だが、映像からすれば「さよなら」して「抱いて歩いていく」と宣言しているのは女子高生だし、「君」のフレーズで映るのは東京に降り立った青年だ。とすれば、二人の境遇はそう考えるのが妥当だろう。

.

CMの終盤、歌声けがフェードアウトして「会いたい」と呟く青年の声に被さるくらいの勢いで「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーが続くことでノスタルジー演出したいのだと思うのだけど、私はそう受け取ることができなかった。おそらく冒頭で述べた「違和感」のせいで。

.

.

その違和感を簡潔にまとめるとすれば、「別に男だけが田舎から『外(敢えて都会とは言わない)』に出るわけじゃないじゃん?」ということになる。

※ここでは「女子高生は後輩であり、青年のほうが先に大学生になったのでは?」という単純な疑問はここでは置いておくとする。論点から逸れてややこしいから。

.

何故そう思うかって、私自身が「田舎から『外』に出た女」だからだ。「外」に出て、もうすぐ3年ほどになる。

.

.

私の出身とある田舎で、田んぼと畑と幹線道路に囲まれて育った。このCMに出てくるほどの田舎ではないが、まあたぶん「田舎」と形容して差し支えないだろう、くらいの田舎。どのあたりが田舎なのかと訊かれればいろいろと答えられそうだけど、特筆すべきは「保守的で閉鎖的」なところだと思う。

.

それを自覚したのは高校生の頃だった。元々県外への進学を希望していた私は、模試で記入する志望校欄に地元大学を頑なに書かなかった。けれど、当時の担任は「第5希望でも第6希望でもいいから『とりあえず』××大学地元国立大)か△△大学(隣県の国立大)って書いとけ」と再三念押ししてきた。

最初不思議に思っていたが、周囲の友達志望校を訊くと、決まって「『とりあえず』××大学か△△大学かなあ」と返ってきた。その答えには男女差がなく、受験期になると滑り止めの私立がどこか訊いても県内私大短大名前を返されることが多くなった。

そもそも地元国立大信仰が強い傾向があって、それもある種のムラ社会の名残のようなものなのかもしれないけれど、だからってみんながみんなして目指す必要なんてなくない? というのが私の持論だった。模試にも進路希望調査にも地元国立大名前最後まで書かなかった。

.

その後、私は第一志望ではなかったが県外の大学へ進学が決まり地元へは長期休み年末年始だけ帰省する生活が続くこと、1年と少し。「成人式出る?」「同窓会出る?」といったLINEが送られてくる季節になっていた。中学校単位で開かれる成人式と、高校同窓会。どちらにも出席はしたが、金輪際同窓会には行かないなと思った。単純に「合わない」と感じたからだ。

私が県外の大学に行くことは仲の良い友人たちくらいにしか伝えてなかったとはいえ、それ以外の「それなりに仲は良かったが連絡をしていない」人や、「元クラスメイト」ぐらいの人たちに会うたび、「いまどこにいるの?」と訊かれ続ける。「○○大学ってところ」と愛想笑いで答えるのにも骨が折れた。

久しぶりに会ったのだから普通質問だと思うかもしれないが、そうじゃない。田舎は閉鎖的だ。普通に暮らしていれば、どこかで知り合いに遭遇するのだ。ましてや大学生地元大学に通っていれば誰かしら中学高校同級生に会うだろうし、電車通学をすれば遭遇率はさら高まる。だから、この「いまどこにいるの?」は「『最近見かけないけど』いまどこにいるの?」という意味だ。何だこの怖い質問。そう訊いてくる人たちは大抵××大学か△△大学、もしくは県内私大に通っていて、「外」に出た人は一クラスでも片手で数えられるくらいだった。

それぐらい、田舎(というと主語が大きいが少なくとも私の地元場合から「外」に出る人は少ない。田舎保守的からだ。

.

.

「外」に出た人間が偉いとか、田舎から出なかった人間が偉くないとか、そんな話をしているわけではない。ある友人は県外の大学に進学して馴染めずに今期休学を選んだし、彼女母親地元から一度も出ずに働いている。そんなのは人それぞれだ。

.

感情に任せて書き殴っているせいで言葉がまとまっていないが、「『外』に出て勉学に励むのは男で、女は田舎に残るものだ」みたいな安直ジェンダー観を当該CMから受信してしまってどうにもならなくなってしまっただけだ。そんなわけない。「外」に行くのは女だっていい――――いつの時代発言みたいなこと言ってんだろう。勉学にジェンダー差なんて必要ないのに。

.

.

.

全然上手くまとまらなかった。時間時間からか頭が回ってないのかもしれない。

これだけ書いたけどCM彼女歌声は好きです。

2017-11-29

冬夜のスーパー

さっきスーパーに買い物に行って思い出したことを書く。

2、3年前の冬の日の夜、あの日も確か寒かった。冬の、呼吸をすると鼻の奥がつーんと冷たくなる感じの日。あの日と同じ。

---

 大学課題か何かで帰りが遅くなって、いつもは行かない時間帯の駅前スーパーへ。いつもより割引きになったお惣菜弁当カップ麺をカゴに突っ込みレジを待った。並んでいると、ふとレジ打ちの店員さんに目がいった。そこにいつもの背の高いおばさんはいなくて、小柄で華奢な、みじかい髪を後ろで束ねた可愛い女の子がそこに立っていた。

僕は読んで字のごとく、彼女可憐な姿に目を奪われてしまった。レジを待つ間、ずっとそのレジ打ちをする彼女を見つめていたと思う。自分の番がきた時、ふいに自分のカゴに入っている割引のお惣菜と大量のカップ麺に目がいった。僕は自堕落だと思われるのがなんだか恥ずかしくて、ただただ赤くなっていた。レジを打っている間は顔が見れず、ただただ彼女の耳についていた白い花のイヤリングを見ていたのが記憶に残っている。

会計が終わると、そんな僕の恥じらいなど知る由も無く、彼女は屈託のない笑顔で「ありがとうございました!」と言った。一瞬の出来事だったけど、目を見て微笑んだ彼女の吸い込まれそうな瞳に、僕の心は奪われてしまっていた。


 その後も週に何日かは、いつもの時間より遅めにスーパーを訪れた。彼女の姿が見たくて、彼女レジ打ちをしていたらさりげなくその列に並び、横目でレジ打ちをしている彼女の雪のように色白な横顔と耳のイヤリングを見ていた。彼女と話がしたかった。でも、見てるだけで声なんかは掛けられなかった。ただレジに並び、会計をする。それだけ。見栄を張るためにお惣菜カップ麺は買わなかったり、料理なんかしないのにニンジンじゃがいもなどの野菜をカゴに入れてレジに並んだりした。しかし、何度店を訪れても僕たちの関係は変わらず、僕はいつまで経ってもただの客で、彼女はずっと夜勤レジ打ちのバイト女性、ただそれだけの関係だった。

だけど、レジ打ちを待っている彼女の姿を見ることが自分生活の中の小さな喜びだった。


 そんな日が何週間か続き、年末になった。あんなに彼女に会うために通ったスーパーも、新年会やら忘年会飲み会正月を経た頃には彼女ことな記憶の片隅に追いやられていた。


 1月も終わりに差し掛かった頃、ふと彼女のことを思い出しスーパーへ向かった。時間帯はたぶん、合っていた。だけどレジ打ちに彼女の姿はなかった。しかし、通っていた頃も会えないことは何度かあったので、今回もシフトが入っていないのだろうと思い、気にも留めなかった。


だけど、何度か曜日を変えてスーパーへ訪れても、そこに彼女の姿があることはなかった。代わりに、短大生と思われる女の子が、『研修中』の名札をつけてレジを打っているだけだった。

---

その後、彼女の姿は見ていない。それだけの話。ドラマとか小説みたいに、ハッピーエンドとか偶然の再会みたいなものは、ない。



僕の人生の中の、冬の寒い日の夜の話。

2017-11-20

概念としての高校

今日は珍しく朝起きることができた。

私は少し統失っぽいところがあるのかもしれない。兄の独り言が頭の中に入ってくると考えていたことがかき消されてしまうから、この時は一生懸命考えた。

「将来はどの道に行くの?」

「何をやりたいの?」

ということを複数の人から聞かれるし、自分でもどの道に行きたいのだろうとこの時は自分なりに真剣に考えた。

祖母

大学に行くなら協力するよ」

と言ってくれているので行けばよいのだがプライドが高いのだろうか、もしくは評価されないことが怖いのかもしれない。

公立大学に行けるほど学力がなく、行けるとしたら私立大学で、勉強しなければ定員割れするようなところしか行けなさそうで、

勉強もしていないから、

自分大学なんかに行けるわけがない」と思ってしまう。

学校先生にもそう言われた。その言葉を言われたときは凄く傷ついて河原に転がってワンワン泣いた。

偏差値もない通信高校に嫌々通って卒業したが、嫌々通うぐらいなら通いたくなかったし、それならいっそ退学して親元を離れれば良かったのだけどそんな勇気は無かった。

高校生の間、ずっと全日普通高校に行きたいと考えていたので、将来の夢のポジションに「高校生になりたい」という気持ちが占拠してしまって、そこから動けずにいる。

「将来の夢は高校生になること!」

…な訳ないしな、それ将来やりたいことじゃなくて、今やりたいことだし(そう思ったまま人生を終えてしま可能性もなくはない)。

そもそも自分がどれぐらい勉強ができるのかも知らないので(高校特に勉強しなくても卒業できてしまった)、高校に行かないまでも勉強はしようと思って向き合ってみたこともあったが、分からない問題出会った時にどう解決すればよいのか分からず、それからやらなくなってしまった。

努力して勉強して大学に入る、では時間がかかりすぎるし、だったらすぐに専門学校短大で入りたいところを探してみようかな。

  

少しだけ前向きに考えがまとまったと同時に、スッと起き上がり布団を畳み、溜まった洗濯物を洗った。

久しぶりに部屋の掃除機をかけた。履歴書も書いて後は電話バイト面接を申し込むだけ、だったのだが特にこれといったことをそれからはせず現在に至る。

2017-11-12

anond:20171111203320

自分は数十年前に短大から四年制大学に移行したところに若い期で行ったけど、

やはり四年後に最初卒業生が出ると同時に修士課程ができて、

さらに二年後に博士課程が設置されたと記憶している

文科省事務次官が把握していないとも思えないが、

もう彼はこの方向で突き進むしかないのだろう

哀れではあるが

少し話は変わるが、1期生2期生の優秀さといったらとんでもなかった

評価不明な新設大学高卒段階で飛び込んでくるパイオニア精神を持った学生

教授陣や短大の先輩の研究を回すためってこともあり、

1年時から一般講義や実習実験に加えて研究室に配属されたそうで

必然的教育密度が高くなり、学生レベルも飛躍的に向上していた

もちろん短期間で潰れる大学もあるので

自分経験したのは相当にうまくいっていた例なのかもしれないが、

親族や知人の子供などが獣医志望でメンタルの強いタイプならば

1期生を狙う価値は十分にあると薦めると思う

2017-11-11

新設大学での大学院設置時期はいつか

前川喜平・前文部科学事務次官加計学園獣医学部博士課程が設置されていないかけしからん!と怒っているので、
近年の新設された大学において大学院はいつ設置されたか調べてみた。

「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す(毎日新聞)

博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」と加計学園教育体制に疑問を投げかけた。

新設が非常に多いので結論から言うと、非常に数が多いため一部しか調べられなかったが、
調べた限りでは大学新設と同時に大学院が設置されているところはなかった。

新設された4年後に設置されるかといったら、そうでもない大学もあるし、そもも未設置の大学も多い。
また『短期大学』が『4年生大学』に転換したところが多いため、新設大学が多いように感じる。

【参考情報新設大学等の情報:文部科学省

■21年度開設

千葉県立保健医療大学 ⇒ 未設置

新潟県立大学 ⇒ 平成27年度設置(6年後)

愛知県立大学統合学部学科の再編による新設

弘前医療福祉大学 ⇒ 未設置

日本赤十字秋田看護大学 ⇒ 平成23年度設置 ※大学院設置基準第14条特例の実施 (短大卒業者向け?)

東都医療大学 ⇒ 未設置

こども教育宝仙大学 ⇒ 未設置

東京有明医療大学 ⇒ 平成25年度設置

びわこ学院大学 ⇒ 未設置

大阪保健医大学 ⇒ 平成25年度設置

広島都市学園大学 ⇒ 平成30年度設置予定(9年後)

■22年度開設

新見公立大学 ⇒ 平成26年度設置

東北文教大学 ⇒ 未設置

日本保健医大学 ⇒ 未設置

ヤマザキ学園大学 ⇒ 平成28年度設置(6年後)

横浜美術大学 ⇒ 未設置

23年度開設

福山市立大学 ⇒ 平成27年度設置

日本映画大学 ⇒ 未設置

京都華頂大学 ⇒ 未設置

大阪物療大学 ⇒ 未設置

宝塚医療大学 ⇒ 未設置

純真学園大学 ⇒ 平成30年度設置予定(7年後)

新設時と同時に大学院設置された大学があれば教えてください。


<追記>
指摘を受けて追記。
北海道医療大学 ⇒同時に設置
 2013年 リハビリテーション科学部理学療法学科/作業療法学科)開設
 2013年 大学院リハビリテーション科学研究科リハビリテーション科学専攻修士課程開設

私立獣医学部に関しての大学院設置状況
同条件である私立大学獣医学部確認した所、基本的大学と院は同時設置されておらず、
博士課程に関しても後年に設置されている。
同時設置しなければならないと言う法律規則が無い以上、後年に大学院が設置されても問題いかと思われる

大学は届出設置制度である以上、大学設置時に大学院(修士博士)もまた設置しなければならない、
という規定が無い以上、前川氏の「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という発言には
認可してはいけないという根拠は薄いと思われる


酪農学園大学11年後設置
 http://www.rakuno.ac.jp/outline/about/development.html
 学部 1964年(昭和39年)設置
 大学院 1975年(昭和50年)設置
 ※博士課程 1981年(昭和56年)設置

北里大学 ⇒4年後設置
 https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/about/overview/history.html
 学部 1966年(昭和41年)設置
 大学院 1970年(昭和45年)設置
 ※博士課程 1972年(昭和47年)設置

麻布大学 ⇒7年後設置
 https://www.azabu-u.ac.jp/about/history.html
 学部 1950年(昭和25年)設置
 大学院 1957年(昭和32年)設置 (院設置のみ?)
 ※修士課程 1960年(昭和35年)設置
 ※博士課程 1962年(昭和37年)設置

日本獣医生命科学大学 ⇒歴史が古すぎるため参考。修士/博士同時設置
 http://www.nvlu.ac.jp/universityguidance/002.html/
 1881年(明治14年)設置 (日本最初私立獣医学校・獣医学校)
 大学 1949年(昭和24年) 設立  大学院 1962年(昭和37年)設置
 ※博士課程 1962年(昭和37年)設置

日本大学 ⇒設置時期不明
 院設置時期の記載が見当たらない

2017-11-10

彼氏元カノTwitterをチェックし続け1年が経つ

メンヘラなのはわかってる。自分でもストーカーっぽいとはわかっている

でも1年間の間チェックし続けると愛着が湧いてくる。

最初のうちは後釜なんて嫌、元カノの方が可愛いし見たくないと思っていたが、毎日変わっていく元カノ面白くなっていった。短大生になり、乗り換え先の彼氏と別れ、歌い手を目指して活動する元カノ

同じ人をどんな形にしろ愛して一緒にいたんだし、気も合うんじゃないか。ずっと見てるから他人だとも思えない。

劣等感だとか、嫉妬などの感情は一切ない。むしろ友達になってもいいかもしれない

彼氏に知らないふりして元カノの特徴を聞くのも面白いしね。

来年は逢いに行きたいな

2017-10-29

今の日本には、学歴デフレ必要

三行まとめ)

現在高校以降の教育が過剰な層がいる(小学校中学校の内容が理解できていないのに高校に行く意味がない)

・過剰な教育無駄コスト時間がかかる

中等教育もっと職業寄りにして高卒で働ける人材を増やすべき

ーーー

私は某高校数学を教えている。高校偏差値は46.この層では何が起こっているか知らない人も多いので紹介しよう。

中学の内容が理解できていない、ひどい場合分数の足し算が厳しい

・当然授業は中学の復習から入る。それでかなり時間を取られてしまうので、高校内容はさらっとだけしか触れられない。

・定期考査でもまともに点数がとれない。sin(30°)などを大量に出してなんとかしている状況。

こういう生徒に三角関数微分積分を教えるのが仕事である仕事からやってはいるけど、実際問題生徒が理解しているとはとてもじゃないけど言えない。

しかしこれでもなんと半分が四大に行くのである短大が15%、専門学校が25%、残り1割が就職と言ったところか。

明らかに高校内容を理解していないのに大学に行けてしまう。

その結果、大学でもアルファベットからとか、方程式からとかそういうわけのわからない大学ができてしまうのだ。

必要なのは、『学歴デフレ』だ。世の中のすべてみんなが大学に行く世界なんていらない。日本高校はほどんど普通科高校からこんなことが起こるんだ。

勉強ができないのなら、学校では技術を叩き込んで、腕で飯を食わせる方がよっぽどマシだ。

から普通科高校は約60%でいいだろう。約40%ぐらいの高校は全部実業科にして、高卒就職を前提にした工業商業農業などの実業科目を大幅に増やした学校にするべきじゃないか

さらに言えば大学もそうすればいい。就職前提の職業大学と、研究重視の研究大学。そうすれば、不必要一般科目を過度に叩き込まれることもないはずだ。

2017-10-26

パートより待遇の良い正社員2種があるといい

同じ正社員給料待遇も変わらないのに仕事が少ない、負担が少ない人がいたら、多い人から不満が出るのは当たり前。

なので、正社員1種、2種に分けて給料待遇を変えたらいい。社会保障生涯年収パートが嫌だけど、本気でバリバリ働きたくないという人向けに。

働きながら子育てをするのは確かに大変なことだと思う。一生懸命やっている人も一定数いると思う。

官僚とか夜中まで働いて、夜まで子供を見てくれる保育園幼稚園子供を入れているというし。

ただ、実はあまり働くのが好きじゃなくて、先のことを考えずに子供を作って産休育休とりまくって、同僚はフォローに追われて、という人もいないわけではない。

職場レベルにもよるが、こちらのタイプのほうが多い職場もあり、その場合フォローする側はかなりストレスたまる

このタイプの人はこの手の議論が出るとかなり感情的になってくるのだが、逆に自分他人私生活のためのフォローをするかと言えばするわけでもなく、口ではお互い様と言いながら実際はただ乗りという人が多い。それでさらに同僚から嫌われる。仕事に対する姿勢もいい加減で、何かと理由をつけて同僚に仕事押し付けてというのを平気でやる。そして耐えられない人がいなくなる。かつてであれば専業主婦パートだった人達なのだが、それが通らない世の中になって仕方なしに働いているという感じで制度のいいとこどりをしようとしてくる。国民活躍は本当は無理なのに、無理に働いている人達とでもいえばいいのか。

仕事は嫌い、でも給料はほしいというタイプ正社員2種として契約して、初めから仕事第一で働く人正社員1種の人たちは違う給料待遇にすれば不満も出にくいだろう。職種により可能なら、初めから2種だけ採用する職場、1種だけ採用する職場と分けてもいいと思う。独身の時は1種、子供ができたら2種、子供が手がかからなくなったら1種と変えられる職場があってもいい。

何回かこの話が出てわかってきたのは「まともに働く気がないのに育児をだしにただ乗りしようとする人たち」をどうするかというのが問題の中心にあるということだ。

かつてならば、短大などを出て腰掛OL結婚を機に専業主婦パートでいられれたのだが、今は男性給料が下がりそうもいかなくなり、やむを得ず働いている人達がいる。

仕事への意欲、能力が決して高いとは言えず、せめて性格がまともで周囲とうまくやれればいいが、それも難しい人がいる(自分を無給でフォローしてくれる人の気持ちが考えられない、配慮できないというのはまさにその問題。)

今のままだとそのタイプ人達正社員権利を主張して自分にいいように周囲を利用する。そして会社全体の士気が下がる。

なので、パートよりはよい待遇だけどバリバリ働かないという正社員の枠を作ればいいと思う。

一般職でもいいけれど、男性でこのタイプもいて、性差別と言われてしまうので、地域限定社員とか別の呼び方にしたほうがよさそう。

増田さんの場合は言いたいことはわかるけどいい方がちょっとなあ。無駄に敵を増やしてしまう言い方をして損をしているように見える。自分感情ももちろん大事なのだが、社会全体のシステムを考える方向性のほうがいろいろな人に話を聞いてもらえると思う。

https://anond.hatelabo.jp/20171026133336

2017-10-17

anond:20171017115405

マジレスすると、大卒以上の学歴を持つ人の数は女性の方が少ないけど

短大も含めた高卒時の進学率は女性の方が高い

高卒資格すら取れない(中卒&高校中退)人も男性の方が多い

まり男性の方が上と下の差が激しい、と言うよく言われてる結果となる

2017-10-12

anond:20171012141235

しろ今まで出来損ないである事に気付かなかったの?

自己愛強すぎるメンヘラだな

よっぽど親から甘やかされてるんだろうな

からしたら、クズの癖に長女というだけで両親から優遇されて

県外の大学行かせて貰った上に卒業出来なさそうな状況でも大目に見られている、

そのせいで自分地元短大しか行けずさっさと働いて稼がないといけない立場に追いやられている、

姉はさっさと死にやがれ、ってな感じだと思うが

いもうと

まれから20年経ってようやく自分が出来損ないだと自覚した。

私には1人妹がいる。小さい頃から喧嘩ばかりしていたけど、妹が私のことをあだ名で呼ぶようになった頃から喧嘩は少なくなり、今では毎日LINEをしている。

私は小学校のころ友達が居なかった。だから華々しく中学デビューを飾るため、隣市の中高一貫校受験することにした。私は私が誇らしかった。相変わらず見た目はクソキモオタク丸出しの銀縁眼鏡のボサボサ髪だったが、それでも中学受験成功したということは嬉しかった。まあそんな平和な日々も長く続かない。各地から集まったエリート小学生達がひしめきあう中で、私の成績は下から数えた方が早かった。友達も思うように作れなかった。中学から始めた剣道は辛かった。思い描いて居たスクールライフはもうめちゃくちゃ。そのあたりからリストカットを常習的に行うようになる。ストレスの捌け口としてリストカットをし、時には妹を蹴飛ばすような真似もした。最低な姉だ。しかし、ストレス解消法を見つけた私は、成績も部活動友達関係不思議なほど円滑になっていった。リストカットは私のおまじないのようになっていった。

中学3年生の頃、妹が同じ中学受験合格した。晴れて姉妹同じ学校に通うようになる。

その時期から私は妹を見下すようになった。

部活のためにベリーショートにしてモリモリご飯を食べていた横綱級の私と、原宿系のアシンメトリーにかっこよくカットされたショートヘアで痩せっぽちの妹。

「本当に△△△(私)の妹!?

などと言われるようになった。

しかった。

その上、妹は吹奏楽部のくせに足が速いし運動が出来る。陸上部スカウトされたのに、日に焼けるのが嫌だといって断った大馬鹿だ。私は近所の小学生に負けるほど足が遅いし剣道以外の運動は全くできない。可愛い話題になった妹の話を耳にするだけで不快気持ちになってくる。おまじないだったリストカットが、イライラを解消する捌け口へと逆戻りした。

でも、妹にも欠点がある。勉強が出来ないのだ。その年の志願倍率が下がり、かつ身内が先に入学しているというラッキーが重なり妹は合格した。(と思っている)

私は嫌な姉になった。上位20位内を常にキープしていた私は、成績表をこれでもかと家族に見せびらかし「〇〇(妹)は全然出来てないじゃん!ちゃんと勉強してんのぉ?」と煽り散らかすドクズになっていた。このクズ行為は私が高校を出るまで数年続けていた。それでも、妹は私に対し文句を言ったことはなかった。

時が経ち、私は本物のメンヘラになってしまった。大学進学して1年生の夏休み前に鬱病になった。軽度鬱ということで2週間に1回のカウンセリングと処方された薬を飲んで暮らしている。もう2年生も半分過ぎたが、順調に四年で卒業出来る見込みはない。進級への不安と、家族からプレッシャー、良くならない病状への苛立ちに包まれながら毎日を過ごしている。

私が薬を飲んで訳も分からない授業を死んだ顔で受けている時、妹が短大に受かったという報告を受けた。

短大で将来の夢のために学ぶらしい。オープンキャンパスに行った時も、受験の前日も、妹は「はやく卒業して勉強して働いて親に恩返ししたいな」と言っていた。

妹はメンヘラではない。(私の真似をして過食嘔吐じみたことをした時もあったが)リストカットはしてないし、常習的に薬も飲んでいない、不眠で悩まされることも、発作で学校を休むこともない。インスタを更新して、髪を明るく染めて巻いてヒールを履いて遊びに行って、休みの日は友達連中とスケボーバスケをしているらしい。彼女はよくモテるし、高校イベントがあれば後輩友達などに囲まれ幸せそうに微笑む写真SNSにあげている。

ああ、親はこういう子供に育つことを期待していたんだな、と思った。

リストカットのせいで貧血になって病院に担ぎ込まれたり、拒食と過食嘔吐を繰り返して低血糖になって病院にぶち込まれたり、朝に学校パニックを起こして夜7時までトイレから出て行けなくなったり。

親は、こんな出来損ないを作るために、汗水垂らして20年間育ててくれたわけじゃない。私は出来損ないだ。妹が大学卒業した頃、私はまだ卒業出来ていないだろう。もしかしたら中退して家に引きこもっているかもしれない。長女だから上京して大学に通っているから、そんなこと関係ない。家族が本当に期待してるのは、私ではなく妹だったようだ。

出来損ないだと気づかなかったほうが幸せだったんだろうか?

2017-10-11

強くなりたい

都内大学に通っている。

その講義キャパティ300席の講義室で行われていて、席は2/3ほど埋まっている。必修講義のそれは、2年から4年のどこかのタイミングで同学部の生徒は必ず取らなくてはならない。経済の授業。

毎回授業の流れで、その教授は今の世の中のあり方を否定する。若者公共機関で席を譲らない、モラルマナーもあったもんじゃないらしい。

たまたま、昨日はそれが「離婚したシングルマザー支援はいらない」という話だった。

日本貧困率シングルマザーの層が高いですね。DVとかでってのはわかるんですけどね。性格の不一致で別れる人もいるでしょう?そういう人たちが別れてから声高に"私たち生活が苦しいんです!国から支援されて当然です!"って言うんですよね。そして『真面目に』生きている人の税金がそこに注ぎ込まれる。真面目に生きてる人が割りを食う仕組みなんですね。なんかバカみたいでしょ?子供のためにって我慢すればいいんですよ、そんな人は。こんな人でもこの子にとってはお父さんなんだ、お母さんなんだって。もしくはもう最初から結婚しないでほしいですね」

愕然とする。2017年社会学部の授業なのに、18歳から受けられる授業で、教壇の上からこの言葉を発している人間がいることに。

ところで、私の母は今年の春に死んだ。直接的な死因は心臓発作だったが、慢性的アルコール中毒が原因だった。

死ぬまでの4年間くらいはまともに会話もしていないが、理由は15年前の父の浮気だったらしい。それがアル中理由になっていいわけも、子供に見放されていい理由にもならないが、そうだったんだな、と思った。

バブル景気恩恵を受け、寿退社前提の銀行受付嬢として短大卒後に入社結婚してからはずっと専業主婦だった母が、私と妹を連れて離婚して生きていけるほどの力があったように思えない。

それでも死ぬくらいなら、長く苦しむなら、離婚でもなんでもすればよかったのだ。そしてそういう女性はたくさんきっといて、そういう人たちが死なないための支援をやっぱりするべきだと私は思っている。そして、私が学んできた社会学はそれに力を貸すというスタンスだったんじゃなかったのか?

教授には教授の思いがあるし、生きてきた人生があり、考えを否定したいわけではなくて。けれど、教壇の上から権力を持った大人一方的言葉を話すことは、とき暴力になるように思う。少なくとも私は、あの瞬間絶望を感じたし、こうして匿名ブログお気持ちの表明などを女々しくしている。100分中30分授業に関係ない主張を浴びるのは体力を消耗する。

来週もあの講義に出なければならない。なぜなら大学の定める必修科目であるからだ。キツイ

2017-09-19

イケメンの姉

姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン性格姉妹正反対。私は人見知りで、基本的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝気持ち綴りたい。

まずは小学校入学式のこと。

うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。

そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色翡翠指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。

姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私はまだ小学校に入りたてで、そんな姉を芸能人だと思い込んでいた。そのうちテレビにも出るんだと思ってた。その予想はのちに別の形で実現するんだけど、その話はあとに回そう。

姉はふだんはあまりエルティーンを読ませてくれなかった。小学生にはふさわしくないエロい特集が多かったのだ。そんな雑誌にちょくちょく載る姉の姿に、私は幼いながら、妖しい憧れのような感情を抱いていた。

父は土建業を営んでいたが、この頃には経営が苦しくなっていた。それまではずっと絶好調で、姉は何の疑いもなく「うちは金持ちだ」と信じ切っていたらしい。でもそんな幸福時代はあっけなく終り、父は一気に萎れてしまった。母に先立たれて、経営も傾き、悲嘆にくれる日々。父がお酒に溺れ始めたのはこの頃だ。それでも父は姉を私立大学に入れた。娘の教育は疎かにしない、それは母の遺言でもあったそうだ。

二つ目感謝は、このころの話。

当時、私がまだ9才の時。姉が私をあるイベントに連れて行ってくれた。姉の大学友達の中に、ひとりだけ9才の私が混ざるという、かなり無茶な形だった。野外で開催されるテクノパーティ。でもそんな詳細はすべてあとから知ったことで、当時は右も左もわからないまま、姉に連れられて、ただついて行った。そこはまさにカオス空間だった。広大な森林のいたるところで人々が踊り狂っていた。真夜中にトランス状態で踊り狂っている大勢大人たち。あの光景が私の音楽原体験になってしまったのは、なんかちょっとまずい気もしている。

夜、私は姉と並んで芝生に寝転んだ。遠くではドンドンという無機質なテクノビートが鳴っていた。私と姉はふたりで夜空の星を眺めながら話した。その時に姉がとつぜん言ったのだ。

ママはもういないけど、私がお姉ちゃんとお母さんの両方をやるから

後年、姉にこの話をしたら「そんなくさいドラマみたいセリフ言うわけない」と全否定した。でも私は完全に覚えている。ありがとう。あの言葉にどれだけ支えられたかからない。

三つ目は、話自体がかなりぶっとんでる。

私が中2の時、父の会社が潰れた。全てを整理しなければならなくなり、家族は家も失った。私たちアパート引っ越した。父はもはやアル中の一歩手前みたいになっていた。

姉はすでに大学卒業していたが、就職はしていなかった。なんと、カリスマキャバ嬢になっていたのだ。当時の某歓楽街ではかなり有名な存在で、テレビ取材も受けていた(冒頭に書いたテレビ出演の話はこれのことだ。ちなみに姉はこの後にもまた別の形でテレビに出るのだが・・・)。姉は客に媚びないSっぽいキャバ嬢という設定で、何度か深夜番組に出ていた。それはけっこうサマになっていた。

姉は家では父にハッパをかけ、とりあえず一労働者に戻って建築現場で働くことを勧めた。父は最初経営者という立場にこだわり、かたくなに拒んでいたが、やがてしぶしぶ従った。

ここから急展開が訪れた。カリスマキャバ嬢としてのブームが一段落して、父もどうにか社会復帰できたというタイミングで、姉がいきなり海外留学してしまったのだ。なぜこのタイミング?と思ったけど、どうも男絡みのようだった。色恋沙汰なら、もう誰が何を言っても無駄だ。姉の留学先はコスタリカだった。

姉は私に銀行カードを託した。「本当にやばくなったらこお金を使いなさい」と姉は言った。さらにもう一点、「絶対に父には秘密にすること」姉はそれだけ私に言い残して、さっさと異国へ旅立ってしまった。当時、私はまだ中2だった。おいおい、母親の代わりをするって話は?

預金は600万円だった。コンビニATMで残高を見た時、足が震えた。私はこわくなって、すぐにカードを机の引き出しにしまい、鍵をかけた。それは中2の私に背負える額ではなかった。

そのまま中3になり、受験の時期を迎えた。姉がいなくなってからというもの、家の中はめっきり暗くなっていた。父は働いてはいものの、お酒の量がどんどん増えていた。親子の会話もほとんどなくなっていた。学校でも、私の家が落ちぶれたという噂がうっすらと広まっていて、なんとも言えない惨めな気分だった。姉の600万だけが心の支えだった。まだ大丈夫、うちにはこれがある、そう言い聞かせながら日々を送っていた。とかいいながら、カードからお金を引き出す勇気なんてまるでなかった。私は根っからの小心者なのだ大金を前にして、完全に怖気づいていた。どうしても心細くなって、ひとりで布団をかぶって泣く日もあった。勉強にも身が入らず、だんだん授業がちんぷんかんぷんになっていった。高校に受かる気がしなかった。この時期は私の人生いちばんしかった頃かもしれない。

そんなときに、姉が帰ってきた。まるで私の危機を察するみたいに。姉は予告もなく、いきなり家に現れた。あの時、姉を見た瞬間、私の全身にぐわーっと広がった強烈な安堵感が忘れられない。自分いかに姉を頼りにして生きているのか、骨身に染みて分かった。

姉のコスタリカでの日々は、それだけで一冊のルポルタージュが書けるぐらい強烈だった。でも私がここに書くのはちょっと無理だ。筆力が足りなすぎる。姉はコスタリカ日本人恋人暮らしていたのだが、やがてその男と別れて、現地でスペイン人と付き合うことになった。交際から数日後に、ふたりパナマに小旅行に行ったら、国境を渡るバスから彼がいきなり逃亡してしまった。理由はわからない。ともかく姉は一人にされてしまった。それから姉は執拗警察の取り調べを受けたりしつつ、どうにか事なきを得て、家に帰りついた。後日、彼が麻薬組織幹部だということが発覚した。姉はそんなこと何も知らなかった。彼がなぜ逃げたのか、どこに逃げたのか、全てが謎に包まれていた。

そういう話が他にもたくさんあるんだけど、とても書ききれない。とりあえず姉は無事に日本に帰ってきた。そしてコスタリカでのエキサイティングな日々を迫力満点に語ってくれた。私はなんだか自分の悩みがバカらしくなってきた。受験不安だとか、ほんとに小さなことって気がしてきた。姉に相談したら「勉強しろ」と言われた。2秒で話が終わってしまった。銀行カードをいちども使わなかったと言ったら「あんたらしいね」と笑った。姉が相変わらず人差し指翡翠指輪をしていたので、私は「お母さんの指輪だ」と言った。姉はそっけなく「あれウソだよ」と言った。「蛍火の墓を見て、適当でっちあげた」「マジで!?」「うん」私は脱力した。

それから受験勉強に身をいれて、私は無事に第一志望の高校に受かった。姉は父の酒浸り生活も、きびしくたしなめた。父は何だかんだ言いながら、姉には従う。酒の量を控えるようになり、少しずつ生気を取り戻していった。やがて昔の仲間と一緒に、また小さな会社を発足させた。最近土建以外にも手を広げて、高齢鞭打ちながら、建物管理資格勉強なんかをしている。

姉はコスタリカで築いた人脈を駆使して、某国大使館アルバイトをするようになり、そこで能力を見込まれて、正規職員になった。大使館について詳しく知っているわけではないけれど、私は漠然と「超エリート仕事」だと思っていた。姉のイメージとはどうしても結びつかなかった。最初に聞いた時は、女スパイ組織に潜入しているような姿が頭に浮かんでしまった。

姉の最後テレビ出演は、この大使館バラエティ番組取材を受けたときだった。姉は有名な芸人さんにおいしくいじられていた。姉は完全にキャラ変して、シャイで生真面目な妙齢職員を演じていた。「あなた、かなりの箱入り娘でしょ。男性経験も少なそうだな」芸人さんがそんなようなことを言って、姉をからかっていた。姉は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。『かわいぃ~』みたいなテロップが入った。いやいやいや、と私は全力でテレビに向かってつっこんでしまった。

そんな姉も、長く勤めた大使館をやめて、今はスペインバルオーナーマネージャーとしてバリバリ働いている。ほんとはここにお店のサイトリンクを貼って、微力ながら宣伝したいんだけど、それをするには姉の許可を得なくちゃいけない(というか、こんなの宣伝にならないか)。

ちなみに私は普通に高校を出て、短大を出て、今はOLだ。ほんとに波風のない人生。何から何まで姉とは対照的だ。そのうち私にも、めくるめく冒険の日々が訪れるのだろうか。

結局、姉への感謝はたくさんありすぎて、とてもここには書ききれない。何でこんなことを書こうと思ったかというと、このあい何気なく実家で昔のアルバムをめくっていたら、幼い頃の姉の写真を見つけたから。3才ぐらいで、まだ私が生まれる前。姉は母の腕に抱かれていた。泣き出す直前みたいな、絶妙な仏頂面。姉を抱く母の人差し指には、緑色翡翠指輪が光っていた。なんだ、やっぱり形見じゃん。本当だったんだ。きっと照れくさかったんだろう。いかにも姉らしいと思い、うれしくなってしまった。それで姉への気持ちをまとめてみようと思ったんだけど、うまくまとまらなかった。無理もない、姉自身がまとまってないんだから

2017-08-18

うわっ、、私の年収低すぎ!!サクラクエスト

サクラクエスト』(SAKURA QUEST)は、P.A.WORKS制作日本テレビアニメ田舎町の観光大使就任したヒロイン達を中心に、廃れた“ミニ独立国”を再興するために奮闘する物語(wikipedia)

主人公の「ゆきのちゃん」こと、木春由乃は、派遣会社から給料をもらっています。一体のどぐらいの年収相場から計算してみました。

サクラクエスト登場人物推定年収

木春由乃こはる よしの)(20才)

スペック 

木春の雇用条件
富山周辺の観光協会派遣される相場
福利厚生フェルミ推定
【参考】

【ケース1】貯金出来ないぐらいカツカツな状態

支出
家賃30,000円ログハウス
食費30,000円
日用品5,000円
被服費15,000円
交際費20,000円
水道光熱費15,000円(電気/ガス/水道)
携帯料金9,500円
光回線6,800円
交通費15,000円(バス,乗合のガソリン代等)
小計146,630円
健康保険8,423円協会けんぽ
厚生年金4,697円
源泉所得税4,810
雇用保険830円
小計18,760円
①+②小計165,060円
残高4,940円

更に冬に暖房費追加で、赤字になります

灯油10,000円10月3月
合計175,060円(△5,060円

【ケース2】家賃水道光熱費タダ、ネット使い放題で、月5万円貯金できるケース

家賃0円ログハウス
食費30,000円
日用品5,000円
被服費15,000円
交際費20,000円
水道光熱費0円(電気/ガス/水道)
携帯料金9,500円
光回線0円Wifi使い放題
交通費15,000円(バス,乗合のガソリン代等)
小計94,500円
健康保険8,423円協会けんぽ
厚生年金4,697円
源泉所得税4,810
雇用保険830円
小計18,760円
①+②合計110,960円
残高50,040円

更に冬に暖房費追加

灯油10,000円10月3月
合計120,960円(39,040円)黒字
1年後の貯蓄額

アニメの中では、由乃ほとんどお金に困った話は出てきていないので、順調に行けば1年後には50万円近く貯金できているはず(帰省込みで)

もしも、木春由乃格安スマホ(Freetelあたり)を使っていれば、携帯料金は月2500円程度だとして、114,000円節約。60万円近く貯金できる(帰省込みで)

他のメンバー収入は?

月収17~20万円 ボーナスあり(1か月*年2回)

月収10万円~30万円 ボーナスなし
月収0円(無職組)
月収17万円 ボーナスなし
今後の展開の妄想

-

おまけ


ウワっ、、私の年収低すぎ・・・

よしのちゃん、だんないよ〜 

アニメーターの人や、まちおこしで、タダ働きさせられている人に比べれば だんないよ


(追記)2017-08-18 19:28


(追記)2017-08-19 14:37

(追記)2017-08-22 8:50

実際に、地方創生コンサルNPO組織地域おこし協力隊では、学生社会人わず無給の労働や、低賃金労働問題になっています

人材使い捨て問題や、意図的成功事例の話を盛っていたりするので、各地の地方創生の実績は常に疑って見たほうがよさそう

中には、著名な大学教授や、公職地域活性化伝道師などの役職等についている場合もあるので、相当な注意が必要という印象

2017-08-12

変な学歴社会学歴偏重日本ダメにしている。

変な学歴社会学歴偏重日本ダメにしている。

<現状>

1.戦後日本経済発展を続け(高度経済成長)、高等学校進学は当たり前となり、さらに上位の

  高等学修機関大学短期大学専門学校等)への進学率も上昇してきた。

2.上述の高度経済成長の最終期であったバブル景気崩壊)までの約20年間(1972年~92年)

  は、女性社会進出の影響もあり、女性の進学率は上昇傾向にあったが、全体としては30%

  台で推移してきた。(それ以上は上昇しない20年だった)

  http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/

  http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html

3.バブル崩壊の影響が出始めた1993年以降、進学率は急速に上昇し続け、2000年代中期に

  は50%を超えた。(大学進学率も2009年に50%を超えた)

4.一方で、少子化の勢いは加速する中で、主に私立大学が急激に増加しており、上述の進学率の

  上昇とも相まって、近年では大学進学が当たり前という風潮が生まれた。

5.しかし、これも上述のように長引く不況非正規労働者の増加といった雇用環境の変化により、

  親の教育費への負担感は一層増大し、奨学金の乱立により、貧困状態に陥る学生が増加する

  という社会問題も出てきている。

6.また、日本大学は、「入学しにくいが卒業はしやすい」、「唯一学生らしく遊べる時期が大学生

  時代」という独特な文化もあり、企業就職面接においても、本業であったはずの学んだ事や

  研究してきた事は重視せず、「部活動リーダーを務めた」、「ボランティア活動をやった」など

  という学問とは関係ない事を重視する傾向がある。

7.上述の大学進学率の上昇の原因をしっかりと研究した者は少なく、ネット上にも諸説あるが、

  バブル崩壊後の長い不況雇用環境の変化(失われた20年)により、それまでは高等学校卒業

  で就職していた層が、「大学卒業」という資格を得るためだけに大学に進学するようになったと

  考える事ができる。

8.大学数が増加し、いわゆるフリーパス入学できる大学(Fランク語源)が増加した事も背景

  にある。

9.企業においては、採用時にも、採用後にも、学生時代学習してきた事を活かそうというシステム

  になっておらず、新入社員研修でその会社の社風に合致した人材の育成を開始する。詳細な業務

  ついては配属先に丸投げという文化が定着している。

提言

1.仕事を創出している企業経営者人事部門などの採用する側の意識から学歴に対する昔の

  イメージをなくし、高等学校卒業者、短大専門学校卒業者、大学卒業者を、それぞれの年代

  ごとに、何を学んできて、どういった成績だったのか、しっかり確認する。

2.「リーダーシップがある」、「コミュニケーション能力がある」、「ストレスに強い」などと

  いった、いわゆる人間力判断する事をやめる。

  (なぜなら、それは採用時には測定不可能から

3.上記にも言える事だが、人事は「思考停止」してはならない。そして、真の意味多様性を求

  めるべきである。即ち、高等学校卒業者、短大専門学校卒業者、大学卒業者、ひいては大学

  院卒業者も含めて、必ず一定数は採用するように努める。

  そして、新卒者に限らず、既卒者も希望によっては、新卒と同等の扱いをする事を可能とする。

  これは給与なども含めて全ての面で、という意味である

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170808175530

ウチの弟はストレート最高学府出て一流企業に入り結婚子持ち 運動神経もそこそこいい

そんな奴でも90点以上取らないといけない自動車免許の筆記2回も88点で落ちてたよ

一方ふらふら短大出の姉、運動神経人並みは筆記も実技も一発合格だけど物忘れとボケ酷くて夫にADHDとか言われてるので

元気出せ&関係ないと思う

2017-08-07

https://anond.hatelabo.jp/20170807163425

増田何歳なんだ?

私の母親@70オーバーは、短大でて大手保険会社事務員やってたらしいけど、

その給料じゃとてもじゃないが自活出来るもんじゃなかったらしいけど。

母は東京で自宅があったからよかっただけで結局23お見合いして結婚したさ。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん