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はてなキーワード: アナロジーとは

2020-03-14

anond:20200314090900

この人が述べていることは

歳をとって人生経験やさまざまな思考方法が身につくと

丸暗記しただけでは「なぜそうなるのか」の筋道構造がわからないことでも

迂回した思考や他の物事とのアナロジーによって「なぜそうなるのか」が

理解・納得できるようになる

――ということではないのだろうか

そうであるとすれば

単に「何でも1度勉強を中断・放置すれば数日後にはわかる」

などという便利な話ではなく

あらかじめ物事筋道構造を考える思考を身につけていたり

勉強している内容の近接領域の別の課題にも興味を持ったり

していなければ無意味だと思う

元増田は本当に「数日おいたらわかっちゃう才能」の持ち主かも知れんけど…)

2019-11-02

anond:20191101132056

なんでそこで恋愛アナロジー持ち出すかが分からんのよな。

好きな人の親なら敬意は持つし、声優もどちらかというとキャラの持ち物よりは親だと思うが。

俺もそういう意味では好きになった作品クリエイターには敬意を払うよ。

2019-11-01

渋谷は谷

文字通り渋谷は谷だ。宇田川渋谷川に代表されるいくつかの川に削り出された地形、その底にあるのが渋谷の街なのだブラタモリ渋谷あたりの地形の断面図を見たことがある方も多いのではないだろうか。

谷というのは清流ばかりが流れ込む場所ではない。雨が降れば澱やら泥やらが流れ込み堆積する。

こと渋谷には面白いアナロジーが成立する。きらびやか若者文化ばかりでなく、時々はゴミみたいな文化若者が流れ込んできて明け方まで滞留している。

渋谷というのが時流に敏感な街であるからには、いずれ起こる革命渋谷からまらないはずがない。その時諸君青山あたりで高みの見物か、それとも我々とともに戦車を横転させるのか。今のうちに考えておいて欲しい。

2019-09-07

行動主義心理学10分で理解する

はじめに

行動主義はJ.B.Watsonが最初提唱した心理学哲学だ。この哲学は、現代では下火のように見なされてたり、あるいは棄却すべき対立仮説のように扱われることが多い。

しかし、実際には認知心理学者、あるいは認知科学者が槍玉にあげる行動主義は、誤解に基づくものか、そうでなくても「その行動主義自称している行動主義者は現代はいないよ」と言わざるをえないような藁人形論法であることが少なくない。

そこで、行動主義誕生から現代的な展開までの歴史について、ごくごく簡単にまとめてみようと思う。

Watson の行動主義

行動主義は、Watson が 1913 年に提唱した。

Watson の基本的な主張は、ご存知の通り「心理学対象客観的に観察可能な行動に限る」というものだ。

当時の心理学は Wundt の提唱した「内観法」を用いて人間の持つ「観念連合」を記述する、というものであった (余談だが、内観法は単なる主観報告ではない。これもよくある誤解である。Wundt の提案した心理学は、繰り返しの刺激に対し、同じように報告するよう徹底的に訓練することにより、人間の持つ感覚の組み合わせについて首尾一貫とした反応を得ようという研究方針である)。

Watson が反対したのは、Wundt の方法である人間自己報告」を科学データとすることである。それに代わって、刺激と反応という共に客観的に観察可能事象関係研究対象とすべきであると主張した。Watson は Pavlov の条件反射概念を用いれば刺激–反応の連関を分析可能であるし、人間の持つ複雑で知的な行動も刺激–反応の連鎖に分解できると考えた。

また、情動や愛のような内的出来事は、身体の抹消 (内臓筋肉) の微細運動から考察された。Watson の心理学が「筋肉ピクピク心理学」と揶揄される所以であるが、現代身体性を重視する心理学認知科学を考えると、(そのまま受け入れることはできないにせよ) あながちバカにできない部分もあるような気がする。

さて、認知心理学者、認知科学者が批判するのは多くの場合 Watson の行動主義である場合によっては、次に登場する Skinner と Watson を混同して批判する。

注意しなければいけないのは、Watson の行動主義立場を取っている行動主義者は、この地球上にはもはや存在しないという点である。従って、Watson 批判歴史的な批判以上の何物でもなく、現代科学議論ではない。

では、行動主義を自認する現代研究者が寄って立つ立脚点は何なのか? その鍵になるのが、Skinner の徹底的行動主義である

Skinner の徹底的行動主義

Skinnerは、Pavlov の条件反射を「レスポンデント条件づけ (いわゆる古典的条件づけ)」、Thorndike の試行錯誤学習を「オペラント条件づけ」として区別し、概念、および実験上の手続きを整備した。そのためあってか、Skinner は20世紀で最も影響力のある心理学者 1 位の座についている。

Skinner は、科学目的を「予測 (prediction)」と「制御 (control)」とした。ここでは説明しないが、そのためにの強力な武器として概念としては「随伴性 (contingency)」、方法論として「単一事例研究」などを導入した。 彼の心理学は他の心理学とは大きく異なる用語法、研究方法を持つため、「行動分析学」と呼ばれる。

徹底的行動主義では、Watson が扱ったような客観的に観察可能な「公的事象」に対し、「私的事象 (ようは「意識」のこと)」もまた、同様の行動原理によって説明できると主張した。つまり、内的出来事も「行動」として捉えられる、ということだ。文字通り「徹底的」に行動主義なのである。実際に、Skinner の著書の中には「知覚」「感じること」「思考すること」といった、内的な事象についての考察も多く、それらは行動分析学重要対象であるとはっきりと述べている。

逆に Skinner が反対したのは、「心理主義的な説明である。心的な活動実在するし、それ自体研究対象ではあるが、「心的な活動によって行動が駆動される」という因果的な心理主義に対しては、Skinner は反対であった。つまり、「原因としての心的概念」の導入に反対したのだ。この点を間違えると、Skinner を完全に誤解してしまう。

ただし個人見解としては、行動分析学ほとんど顕在的な行動以外実際には扱っていないし、扱うための具体的な方法論を発展させてもいない。そこに関しては批判を免れないとは思う。

行動分析学の他に重要な特徴として以下の 3 つが挙げられる。

(1) 「反応」を運動パターンとして定義するのではなく、「どんな結果事象を引き起こすのか」から定義する機能主義
(2) 人間の営みを超えた真理探究ではなく、行動の予測制御という現実的有効性の上昇を目指すプラグマティズム
(3) 仮説構成体・仮説群から研究演繹するのではなく、実験結果から法則抽出する帰納主義

なお、帰納主義については「え?でも科学って演繹帰納の両輪で回ってるんじゃないの?」と考える人いるかもしれない。

Skinner は「行動について我々は知っているようでまるで知らない。そのような若い科学にはまず、具体的なデータ必要なのだ」と考えた。そのため、Skinner は環境 (刺激) と反応の間の関数関係データの蓄積を重視した。

まりあくまで当時の知的状況を鑑みての方針だったということは重要な点だ。

ちなみに、Skinner は自身の徹底的行動主義区別するため、Watson の行動主義を「方法論的行動主義 (methodological behaviorism)」と呼んでいる。

また、次に述べる Skinner の同時代の行動主義も、同様に方法論的行動主義とまとめられることが多い。

Skinner と同時代の行動主義 (新行動主義)

Watson のアイデアを発展的に継承したのは Skinner だけではない。

ただし、Skinner 以外の新行動主義に与している研究者は、現代には皆無なので、あくま歴史的な展開として捉えるべきである

Guthrie

Guthrie は刺激と反応の間にできる連合は「時間的接近」によって生じることを述べた。また、Hull や Tolman と異なり、心理学研究対象客観的に観察できる行動に限定すべきであるという姿勢は堅持した。

Hull

Skinner と大きく異なる点として、Hull は「仮説構成体による演繹」を重視した。「習慣強度」という潜在変数を導入したモデルを考案し、その潜在変数挙動の変化により行動の予測に挑戦した。

Hull の研究問題点は、いたずらに潜在変数いくらでも増やせてしまい、理論肥大化する危険はらんでいるためである特に Hull や Skinner の時代は、行動に関するデータがまだまだ少なく、行動研究には強固な地盤がなかったのである。Skinner は「理論必要か?」という論文理論研究批判していているのだが、Skinner が批判たかったのは Hull の心理学だったのである

Tolman

Tolman は刺激と反応の間に「仲介変数」を導入した心理学者だ。いわゆる S-O-R の枠組みである。彼は「潜在学習」の研究によって、「学習」と「成績」は必ずしも一致しないことを見出した。そのことから、刺激と反応の間には、それを仲介する隠れた変数がある、と考えた。

Tolman からすると、「感情」「期待」といった内的な出来事も、刺激と反応の間に存在する仲介変数である

現代視点で見ると、認知心理学下地になるアイデアを提出したのが Tolmanだ。

ところで、Tolmanと地続きである認知心理学もまた、徹底的行動主義立場からすると方法論的行動主義立脚した心理学である。そう、私たち現代心理学徒のほとんどは、意識せずとも方法論的行動主義なのだ

なぜか?認知心理学でも、公的事象と内的事象を分ける。内的事象には直接アクセスできないので、公的事象の「操作」と計測を通じて内的事象研究をする。公的事象操作 (実験条件) を通じて、内的事象定義を行う。これは、Stevens-Boringの「操作主義」と呼ばれる。操作主義では、操作と計測の対象公的事象であり、内的事象については「研究者間での合意」に基づいて議論される。つまり、例えば「この条件によって反応時間に変化があったら、作業記憶に影響があったということにしようね」というのが、研究集団によって暗に共有されている、ということだ。これが、認知心理学が「方法論的行動主義」と呼ばれる所以である

Skinner 以降の展開

1980年代以降、Skinner の弟子筋の研究者たちの間で、Skinner 以降の行動主義を巡って、研究方針多様化しつつある。その中でも最も影響力のある 3 つについて、簡単に紹介したい。

Heyes の機能文脈主義

Skinner の行動分析学プラグマティック科学であると言われているが、実は Skinner 自身は表立ってプラグマティズムに述べていたわけではない。例えば、近い時代を生きたパースジェームズデューイを直接引用して主張を行なっていたわけではない。一方、Heyes の機能文脈主義の特徴は、Skinner の徹底的行動主義の持つプラグマティズムをより明示的に推し進めた点にある。

Skinner は心的概念を導入することを否定した。私的出来事 (内的過程) は外的な行動の原因ではなく、それ自体独立した行動として捉えるべきだと考えたためだ。また、心的概念による説明は、行動分析学目的である予測制御寄与しないと考えたことも一因である

Heyes の場合、そのような概念でも、予測と変容 (influence) に寄与する場合は、十分に有用であると考える。

具体的には、「態度」を測る質問研究が好例だ。質問紙で測る「態度」は Skinner であれば「質問紙に回答行動」として見なされる。しかし、Heyes の場合「そのような研究問題点は、測ったところで、実際の行動を変容させるための操作変数が同定できないことだが、最終的に行動の予測と変容を目指すという目的がぶれない限り、足がかりとしては有用である」と主張する。

このような、伝統的な行動主義比較してある意味で軟化した態度を、Heyes は「行動主義心理学自由主義化」であると述べている。

少し脇道に逸れるが、Heyes は行動の「制御 (control)」とは言わず、「変容 (influence)」と表現する。これは、「制御」だと決定論的に操作できる印象を受けるが、実際の行動には確率的な変動性が必ずついてまわるため、表現を柔らかくする意図である

また、機能文脈主義では、研究の真偽の真理基準にも明示的にプラグマティズムを導入している。

行動主義科学には必ず目的がある (多くの場合、それは現実問題解決と結びついているが、そうでないものもある)。Heyes の標榜するプラグマティズムは、目的にかなうかどうかが、研究の真偽を決める、ということだ。

これは、「うまくいけばなんでもok」という主観主義ではない。問題解決としての科学として、発見というよりは創造プロセスで知見が生まれるということだ。ただし、解決されるべき「目的」の方はどうしても恣意的にはなってしまう、と Heyes は述べている。

Baum、Rachlin の巨視的行動主義

巨視的行動主義の特徴は以下の 2 つにまとめられる。

(1) 分析単位として「随伴性」ではなく「相関性 (correlation)」

Skinner はレスポンデント条件づけは刺激−反応という 2 項随伴性、オペラント条件づけは刺激–反応–刺激という 3 項随伴性によって定式化し、随伴性こそが考察されるべき基本単位であると考えた。

巨視的行動主義は、そうは考えず、よりマクロな「強化子–反応率」の相関性行動主義心理学分析単位であると主張している。

まりミクロな刺激と反応の関係を捉えるよりも、マクロ環境と行動の関係を捉えることを重視しているのが、巨視的行動主義である

行動主義心理学目的予測制御に置くならば、結局はマクロ記述で十分であり、その方が有用であるというのが彼らの主張だ。

(2) 内的出来事の導入の拒否

Skinner は外的な行動とは別に内的な出来事もまた行動として捉えられると考えた。巨視的行動主義ではそうは考えない。

彼らは、内的な出来事を「潜在的な行動 (covert behavior)」と呼んでいるが、心理学はそれを直接対象とする必要がないと論じている。なぜなら、潜在的な行動が実際に効力を持つならば、最終的には顕在的な行動 (overt behavior) として表出されるためである

このことを彼らは「時間スケールを長くとる (temporally extended)」と表現している。瞬間瞬間に我々には豊かな精神活動 (mental life) があるが、それを相手取らなくても、長い時間観察すれば、観察可能な行動として現れる、ということである

Staddon の理論的行動主義

Staddon の主張は、他の行動主義と大きく異なる。彼の場合は、心的概念の導入を許容する。そして、それを用いた「理論」こそが心理学必要であると考えた。その点は、実験結果から法則抽出する帰納を重視した Skinner の立場とは異なる。また、「心的概念による説明」は Skinner の反対した「原因としての内的過程」でもあり、それを採用する点も Staddon の特徴である

行動主義心理学目的は、予測制御だけではなく「説明」にもあると彼は主張した。Staddon の言う「説明」とは、概念同士の関係によって、現象記述することである。わかる人にとっては、David Marr の「アルゴリズム表現」の位置心理学位置づけている、と考えればすっきり理解できるように思う。

Staddon はやや言葉遣いが独特で、概念連関による記述を「メカニズム」と呼んでいる。そのメカニズムは必ずしも生理学的基盤を前提しないで、あくま心理学レベルでの記述である

ようは、行動のアルゴリズム的な理解なのであるが、事実 Staddon は「私の言うメカニズムとは、アルゴリズムのことである」とも述べている。

Skinner は反応率 (時間あたりの反応数) を分析の基本単位としたが、Staddon はより多元的である。ただし、なにを分析単位とするかは、それ自体研究立脚点を示しているものである。それを Staddon は「The model is the behavior」という言葉表現している。

それでは認知心理学となにが違うのか?と思われるかもしれない。Staddon いわく、行動主義心理学伝統的に堅持してきた「強化履歴」は理論的行動主義でも重要であるというのが大きな違いらしい。つまり、行動や内的状態は、それまでの環境との相互作用に基づいている歴史性を有しているとういうのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、その点を強調するか否かである

また、Staddon は「動的過程 (dynamics)」を重視した点も特徴である。他の行動主義は、基本的には刻一刻と変化するような過程というよりは、安定した反応の推移を対象としてきた。ややテクニカル議論ではあるが、現代では複雑な時系列データを扱う方法もたくさん用意されているので、動的な過程を取り上げるのは科学として自然な展開であると思う。

一方、認知心理学では「コンピュータアナロジー」のように、入力–出力関係を固定して考えることが多い。動的に内的状態は推移していることを重視した点も、Staddon の理論的行動主義認知心理学を分ける特徴の 1 つであるしかし、個人的にはこの差異は徐々に埋まっていくのではないかという期待もある。

おわりに

以上、行動主義 100 年の歴史簡単に振り返ってみた。

色々なアイデアはあるものの、基本的現在「行動主義」を標榜している人がいれば、Skinner の徹底的行動主義である。Watson、Hull、Guthrie、Tolman に依拠している者はいない。従って、歴史批判ではなく、科学議論として行動主義批判したければ、Skinner を相手にするべきである

行動主義はとにかく誤解されがちである。それは行動主義心理学者サイドにも問題があるにはあるのだが、科学において、無理解責任基本的には不勉強側に帰せられるべきだろう。

個人的には、アンチ信者より詳しくあってほしい。認知心理学者も、自分たちが寄って立つフレームワーク出自はどこにあって、なにに対するアンチテーゼだったのかをきちんと理解してみたら、何か発見があるかもしれない。

2019-08-10

フーコー言葉と物、二の三「世界限界」を読んだ。

アナロジー実在するものと結びつき、別の相似が支えてそれを支えるのは別の相似、、というので、世界の別のものと結びつけるほかないという意味で別のところに究極の答えがあるわけではないという意味限界がある。多分

合理性近代人が自己特性として至上のものと考えてるけど、占卜も博識も同じ解釈学だった。シーニュと相似者があるだけ。シーニュソーニャは似てるけど関係ない。勉強哲学はやはり分かりやすくて良い本だったんだな。

2019-07-14

anond:20190714224111

あれは遺伝的な自閉症家系物語だよ

そのまま描くと生々しいから、狼のアナロジー表現しているんだ

インド狼少女伝説もつながっているね

父親療育を受けないまま育ち、水に飛び込んで死亡

母親難関大学に受かったけど衝動的な人生設計により中退するしかなくなる

長女→クローズド人間社会の中で生きていく道を選ぶ

長男個性を生かし、野生児として山で生きていく道を選ぶ

2019-07-12

anond:20190712232505

http://bluelines.hatenablog.com/entry/20110908/1315487472

  1. 君が教えようとしていることは、「とても大切でとても面白い」ことを決して忘れないようにしなさい。また、それを学生に伝えることも忘れてはいけない。
  2. 君は、君のクラスにいる学生よりも賢いわけではない。学生よりも「いいひと」なわけでもない。君は、たまたま学生がまだ持ち合わせていない情報いくらか知っているだけだ。そして学生たちは、君がまだ知らない情報を山ほど知っている。
  3. 教師として、君は情報を売ろうとしている。あらゆるセールスマンと同じように、君は客の興味を引きつけ、保たなければいけない。さもなくば売れる見込みなんかない。役に立つことなら何であろうと利用しなさい。声、ジェスチャー、黒板、ハンドアウトパワーポイント漫画アナロジーメタファー、何でも、だ。あらゆる手段を尽くして、何とかして学生と繋がりなさい。
  4. 学生たちはよい授業を受けるために大金を払っている。よい授業を彼らに与えるのは君の義務だ。授業の日、君は疲れているかもしれない。何かに腹が立っているかもしれない。気がかりなことがあるかもしれない。しかし、君のクラスの誰一人として、それに気付いてはならない。君が頭が痛いからとひどい授業をやったとしても、彼らが授業料の払い戻しを受けることはないのだ。
  5. 自分に合ったスタイルを築きあげなさい。他の先生に合っているスタイルが君に合うとは限らない。
  6. 学生にとって近付きやす存在でありなさい。物理的にも、精神的にも。学生名前を覚え、名指しなさい。教室には授業開始数分前に着き、授業終了後もしばらくそこに留まりなさい。その数分間に雑談することは、しばしば学生理解ターニングポイントになる。
  7. しかし決して授業を延長してはいけない。特に学部の授業では、チャイムが鳴った後に君が話す内容は、全く存在しないのと同じです--君がどれだけ完璧に話したとしても。
  8. どんなことであっても、それをまだ知らない者にとっては難しい。これを繰り返し思い出しなさい。君は既に何かを知ってしまっているから、それが簡単に思えるのだ。
  9. 無知」と「愚かさ」は決して混同してはいけない。何があっても。
  10. 教師の基本ルール:もし学生理解できないのであれば、それは学生のせいではない。これは当たり前に思えるが、驚くほど忘れ去られやすい。
  11. もし学生理解できず、それが学生のせいであるのならば、10を見よ。
  12. 昔、自分師匠に「悪い学生はいない、いるのは悪い教師だけだ」と聞かされたことがあります。多分これは完全に真実ではないのだろうが、しかし間違いよりは真実にずっと近い。そして、君は自分の授業において、これが真実であると心底信じているかのように行動しなければなりません。

2019-05-21

anond:20190520110027

タナカカツキさんはすごいな

こんな遠くまで飛ぶ概念を作れるって才能だわ

デジオで当時そうたがなんかやってる旨をほのめかしてたことあったしやっぱアナロジーではあるだろうね

2019-04-21

anond:20190421020319

法律用語を使いながら法学と無縁な議論を展開する人

いや、法律の側が日常用語から言葉をもってきて後から勝手に厳密な定義付けをしているのであって、別に法律的な意味合いでその用語を使ってるわけではない。

というパターンもあるでしょうよ。増田民馬鹿にしているのか。

(あるいは、何らかの比喩アナロジーとして使っているだけではないか?)

2019-04-15

anond:20190415095325

あー、女性学ってもともとそういう背景があるんだよ。もともと女性学ってのは、資本社会から労働階級解放、と、性から女性解放、のアナロジーが根強くあるんだよ。つまりマルクス主義的色彩が極めて濃いわけ。だから学問的というよりは活動的、って言われて然るべきところがある。ちなみにマルクス主義から女性学解放しようとしたのはかの田嶋陽子だった、って話もあるんだが。

2019-03-29

東大情理システム情報学専攻の放置&雑用系人気研究室で2年間過ごして

はじめに

 ブラック企業という言葉市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室ブラックだとかいった情報大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。

 今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室けが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。

研究室運営問題点

 初めに、研究室運営面について書いていきたいと思います

 第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります基本的助教研究員博士課程の方が下の修士学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事研究だけではなく、各メディア取材研究室見学など多岐にわたります自分研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思いますさらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフ教授所属している社団法人経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。

 第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子PC発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要ものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生方針で、リビングラボという生活空間研究室が融合したような形態ラボ運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士最初一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生とある巨大予算を獲得し、学生スタッフを増員するとの方針キャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)

 このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教自分所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導仕事が集中します。(本来、特任研究員助教とは違い、学生指導ではなく自分研究に専念するという名目雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分研究は進みません。

 第三に、教授講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.

 さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)

 また、学内の期限(修論題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないか懸念しています

 オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授ゴーストオーサー常連からかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)

 このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)

教授人格面との不適合

 次に、研究室の主である教授性格が合わず人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます

 初めに、衝動的な発言暴言が多く看過できないということがありました。衝動気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言学生職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。

 また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。

 内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランド言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談教育したということなのでしょうか。

 専門用語拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス電圧電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味言葉があります。この単語力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。

研究分野との不適合

 3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。

 そもそも自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。

 また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめししまったのも要因の一つです。元々内向的性格なのもあって、自我意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室選択毎日後悔しています

なぜ回避できなかったのか?

 それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?

 第一に、自分所属していた学科は、院試卒論研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分研究および研究室への適性がいまいちからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論研究室修論研究室別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。

 第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがありますサークル飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生記事ネット上で見たこともあり、先生研究科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室内定を蹴り、他の研究室ポストに就くそうです。)

 第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学OBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部勉強サークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分選択をよく考え直してほしいです。

最後

 ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境自分にとっても良いとは限りません。トルストイ著作に「幸せ家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています研究室も一つのさなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。

 文字数制限に引っかかってしまったのでコメント追記します。長文で申し訳ないです。

2019-03-18

anond:20190318164027

まあ結局はそうなんでしょうね。描く人もいれば描かない人もいる。私もただ一つの稚拙アイデアを持っているにすぎません。

ところでネズミアナロジーはあまりよくわかりませんでした。ネズミには羽はないけど、異世界転生・転移物語には現世界異世界があるので、現世界との関連がなければ「どうして?」となりえますネズミには羽がないので、羽がなくても「どうして?」とはなりません。むしろネズミはどうしてこんな色をしているの?と聞くようなものかなと思います。それを些細なことだという人もいれば、その問いはネズミを知るための一つの問いで、かつ重要であるという人もいるかもしれません。私は転移や転生が大きな舞台転換を扱わざるをえない以上、転換前後重要だと思うんです。せっかくそれほどの舞台装置を用意しているのに、それを活用しないなら、「どうして?」となってしまます

2019-03-06

anond:20190306094446

法律論よくわかってないのにイキリすぎで引くよね…。

粗雑なアナロジー振り回して混ぜっ返しすぎ。

筆頭のひろみちゅがアレだからいけない。

2019-03-05

合コンエントロピーの話したら引かれた

ふざけんななにが「難しい話だねー」だよ

エントロピーぐらい義務教育で習う範疇の内だろ

エントロピー好きだから閉じた系から開いた系を考えることで自然のさまざまなことがアナロジー化できてなんとまあ明瞭かつ美しくて、ジョブズが言っていたような点と点をつなぐ線を結べることの感動的な体験を語ったところでリアクション苦笑い首をかしげる程度で「すごいね」ってなんだそれ

2019-02-24

人と会話ができていないような気がする

最近、人と話をしているときに、リアクションが期待するものから大幅にずれていることが多いなと感じている。表層的な部分しか伝わっていないというか。似てるけどそうじゃねえんだよなあという感覚。軽んじられてるのかなと思ってしまう。

言ったことを別の文脈で捉えられてしまったりして、それは別に言いたかたことじゃないんだよなと感じてしまう。

逆にぼくが人の話を聞くとき「それはどういう意味の○○?」とか聞き返したりして、他の人は理解できているのにぼくだけ理解できてないことが多くなってきた。聞き返して意味が同定できれば理解はできるので、コンテキストの把握が普通感覚からずれてきてしまっているようだ。これのおかげで自分バカになってしまったのだろうかと感じることがとても多い。そしてなぜその把握の能力がずれてしまたかも定かではない。

ぼくが話すときは、よく言葉冗長性を持たせて、相手意思疎通ができているか明確にしている。ここでいう冗長性を持ったものというのは例示とか単純化とかアナロジーとかで、前論を補強する言葉だ。この方法を編み出してからは、とんでもない形で伝わってしまっているということはなくなった、ように思える。

ただ、それよりも困っているのは、人の話をどうやったらちゃんと聞けるかということだ。

よくよく考えてみれば、今までちゃんと人の話を聞いていたかというと、全然そんなことはなかったように思える。なんとなく聞いていてなんとなく理解していたのかなと思うとゾッとする。

たとえば映画なんかもそうで、マトリックス仮想世界の話というのは大人になってから知った話だ。子供の頃はなんかよくわからないけどカッケーという気持ちで見ていたように思う。なのでアクションシーンについてはよく覚えていた。大人になってみると、つまり人間ノード見立てニューラルネットワークかというふうにも認識できる。他にも新鮮な気持ちで観れるものがたくさんあった。

なので、ちゃんと聞くのは大事だなと思ってなるべく一言一句聞き漏らさないように聞くようにしている。ただそれが良くないのか、相手が何を言っているのかよく聞き取れないことが多い。今まで自分はどうしてたんだと思うぐらい聞き取れない。「すみません、なんて言いました?」と聞き返す頻度が明らかに上がった。完全におじいちゃん状態

から結局あんまり人の話を聞けていない。

そして不可解なことにたまにぼくは日本語おかしいと言われる。自分ではまったく日本語おかしいとは思わないけど、人に言わせるとおかしいようだ。よくわからないが「てにをはができてない」と言われることが多い。個人的には、できていないことはないと思っているので、具体的にどこがと指摘されないことには直しようもない。

そういうわけで、ぼくはなんというか、日本人コミュニティから離れた場所ふわふわとしているような状態にいる気がしてならない。どのようにすれば会話が円滑に進むだろうか。

2019-02-05

駄目人間、屑人間存在価値について

平易に考えれば、それらの人間には存在価値がないようにも思われる。

しかし実際にはそれら人間にもその存在価値がある。

此処で重要なのはアナロジーとしてDNA構造を当て嵌め鑑みる事。

DNAには「ジャンクDNA」と呼ばれる、ゲノム上の機能特定されていないようなDNA領域がある。

なぜ「ジャンクDNA」なるもの存在しているのか?

その存在理由について。

ひとつの仮説によると、『それらはそもそもジャンクDNA」が存在している事それ自体意味がある』というものある。

どういう意味かといえば「ジャンクDNA遺伝子の損傷と有害変異に対する保護的な緩衝領域としてはたらく」ために存在するのだという。

これを駄目人間、屑人間存在価値について当て嵌め考えれば結論シンプルであり、

要は、まともな人間をまともである確立させるために、駄目人間、屑人間必要だということである

同時に、ほんとうに必要な人を選別し、隔離するという意味においても

2018-11-29

分かりやすい話って誤解を生みがち

行動生態学における、「性的嫌がらせ(sexual harassment)」という用語が、生態学界隈をちょっと騒がせている。
(中国でのヒト受精卵のゲノム編集の話の方がよっぽど事件だと思うんだけどなあ)

この言葉自体には問題がなくて、「いわゆるセクハラ」とは別次元定義ちゃんと与えられているっぽい。
でも、プレスリリースなどになった時、語弊があるかもしれないと。
で、皆様、適切な意見を述べてらっしゃるのですが(皮肉でなくちゃんとした議論がなされている)、ちょっとお待ちいただきたい。

生態学自体に、ちょっとキャッチコピー多くないですか?
概念の厳密な定義用法コントロールってちゃんとできてるのかな?
学問自体見直し必要だったりしないですか?

生態学って、学会発表タイトルがかなり自由っぽい。もちろん、お堅いタイトルもたくさんあるけど、かなりキャッチータイトルが並ぶ。
http://www.esj.ne.jp/meeting/abst/index.html
個人の感想だけど、理解やすいように、人間にとって身近なものへのアナロジー使用しているものがいくつか見受けられる(証拠なし)。
まり人間以外の生き物に関すること」を「人間に関すること」に例える方法だ。

これはすごく強力で、専門分野のややこしい内容をすっ飛ばして、親しみやすい身近な内容に訴えかけられる。すごく分かりやすい。
極めて雑に例えると、動物番組で、ワンちゃんアテレコがつくあれみたいな感じ。ワンちゃん脳内の神経回路の発火から行動まで、人間のそれらとどこまで合致しているかをすっ飛ばして、とりあえずワンちゃんが人語を喋る。

たぶん、この方法や他にもある強力なキャッチコピーに乗っかって利益を受けてきた部分が結構あると思うんだ。それ自体咎められることでは決してない。
だけど、その分の対価を払う必要はきっとあるよね、とTwitterを眺めてて思いましたとさ。

2018-10-22

ビデオゲーム業界 どうしてその用語になったのか不思議言葉(追有

ビデオゲームの進行で区切りとなる単位。登場している敵をすべて倒すなどすると次の面へ進む。

(以下追記ブコメから

参考リンク

ヒットポイント

キャラクターが持つ指標。体力のアナロジーになっており、ゼロになると死んだり行動不能になったりする(プレイヤーキャラクター場合残りが1つ減ったりゲームオーバーになったりする)

TRPGではすでに「HP」の呼称が使われていたとの指摘あり。

ゲームオーバー

ゲームの進行が終了すること。アーケードゲームにおいては1クレジットで遊べる状態が終了し、さらに遊ぶにはクレジットを追加する必要がある。

(これに関しては、「なぜ『GAME IS OVER』ではないのか」という考察ウェブ上に複数あると思う…と検索せずに書く)

1up

プレイヤーキャラクターの残りが1つ増えること。「増えること」を「up」と表現した最初ビデオゲームはなんだろうね?

説明適当です

(参考:https://anond.hatelabo.jp/20181022115008

2018-10-21

言葉を持たない」「白いカラス」みたいな、文字通り解釈はできないけどある程度の常識のある人なら理解してくれる有名なアナロジー言い回しを悉く文字通りに捉えてしまい、そうかと思えば文字通り解釈できる言い換えをしても「そんな話はしていません」「話をそらすな」の一点張りで、まったく話を聞かず、二言目には「私が正しい、QED」の繰り返し。

こう言う人間インターネットだけじゃなくて現実存在してるんだよな。恐ろしいし、どうしたら良いやら。

2018-10-14

[][] (仮題)第3話

(執筆途中の作品であり、今後内容を変更する予定です)

高田

雙葉学園は、フランスサンモール修道会の会員が1875年に設立した築地語学校を祖とする、私立学校法人である

雙葉学園はその長い伝統において、「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓のもと、幼稚園から高等学校にわたる一貫したカトリック教育を行ってきたが、雙葉女学院大学設立により、さらに4年間の大学過程をふくむ一貫教育が行われることになった。

というのも、雙葉中学校・高等学校は、東京大学をはじめとするいわゆる旧帝国大学や、慶應義塾大学などの難関私立大学合格者を多数輩出し、全国有数の進学校と呼ばれるようになっていたが、多数の生徒父兄が、単なる学力の追及ではなく、カトリック教育さらなる徹底を望んでいたこと、卒業生の多くがカトリックの信仰を保持していない現実を嘆くサンモール修道会の強い推薦により、2002年に大学過程を行う教育機関の設立が決議されたのである。その後、文部科学省の認可を受け、雙葉高等女学校設立からちょうど100年となる2009年、開校に至った。

私が雙葉高校卒業したとき、もしこの大学があったら、このエスカレーターに乗っていだろうか。キーボードを叩く手が止まり、ふと自分過去を反芻した。

中学受験成功し、晴れて雙葉の門を潜ることはできたものの、入学後は成績が低迷し、人生の目的も見出せないまま、あるいは、先生がたがおっしゃっていた、神に与えられた使命を感じることもなく、特に受験勉強もせずになんとなく大学受験をした私は、願書を出した中で最も無名な、平凡な私立大学に行くこととなった。

パッとしない4年間の大学生活の間、やはり人生に意義を見出せず、大学卒業後は、飲食店塾講師などのアルバイト転々としたのち、25歳で、あるカリスマ英語学者執筆アシスタントとして雇われることになった。

受験生向けから社会人のやり直し英語のための参考書まで、様々な英語関連書籍を多数執筆し、そのほとんどすべてがベストセラー、2005年から教育テレビでレギュラー番組放送されている、クリストファー・トンプソン、その人である

誰もが認めるカリスマ英語学者アシスタントベストセラー約束された数々の出版物編集作業。やっと使命が見つかったかに思えた。

が、それもつかの間のことだった。

最初の数ヶ月で気づいたことは、クリス・トンプソン執筆作業ほとんど全てを、彼の『アシスタント』に任せているということだった。それでも、はじめのうちは、英語学者である彼の理論専門家でない一般大衆向けに落とし込むのに、アシスタントが最大限の貢献をしているのだろうと好意的に考えていた。

働き始めて半年が経った頃、主力の『アシスタント』が結婚出産を機に退職することになり、私がその立場を引き継がなければならないとなったとき彼女から真相が告げられた。カリスマ英語学者クリス・トンプソンは、自分ではなんの理論も持っておらず、彼の博士号はディプロマミルから得られたもので、彼のアイデアと言われるものはすべて、彼女作品だったのだ。

『徳においては純真に。』私は、彼が世間を欺き続けるのを手助けすることはできなかった。

代わりの職を求めた私はその後、27歳にして都内にある無名私立高校英語教師として採用された。

須藤智くんとの出会いは、私がその学校で働き始めて3年目のことだった。

高校といえば雙葉高校しか知らなかった私は、おそらく世間では平均的であろう、学習意欲のない生徒たちを前に、教師として戸惑っていた。そんなとき入学してきた須藤くんは、『教え子』と——おこがましいが——呼びたくなるような、優秀で向上心の高い、私の初めての生徒だった。

彼はすべての科目の定期試験で満点を取り、全国模試では偏差値が80を超えていたので、瞬く間に教職員あいだで評判になった。

彼の非凡な才能は、主に自然科学理解に向けられているようであったが、彼の言語に対する洞察も、単に受験勉強ができるというレベルを超えているように思われた。

それは、彼が二年次に進級し、私の授業を受けることがなくなった新学期のことである。珍しく残業もなく、夕方6時に山手線新大久保駅で帰りの電車を待っていた私の元に、彼が歩み寄ってきた。

自然言語構成する元素を見つけました」

突然そう告げた彼は、意表を突かれてうろたえる私の返事を待つことなく、ノートを広げ、彼の発見説明し始めた。

私は彼の理論を即座に理解することができた。なぜなら、中性子陽子原子核電子といった、化学アナロジーを用いているものの、それらの用語を適宜『主要部、内項、外項、句、付加部』という言語学の用語に置き換えれば、それは現代言語学の父、ノーム・チョムスキーが1970年に発表した、エックスバー理論のものだったかである

彼はきっとエックスバー理論をどこかで読んだのだろう、そしてそれを、自分の慣れ親しんでいる化学アナロジー理解したのだろう、と私は考えた。

しかし、彼は、これは紛れもなく自分でたどり着いた理論で、とっかかりになったのは、クリス・トンプソンの『60億人の英文法』にある「日本人名詞が主でそれに冠詞がくっつくと考えがちだが、冠詞がまずあって、そこに名詞がくっつくというのがネイティブ感覚だ。」という記述だと言う。

ともかく、私は彼の話を信じた。そして、彼が自分発見を教えてくれたお返しに、私も自分の『発見』を彼に打ち明けた。こうして彼は、クリス・トンプソン秘密を知る、部外者第一号となるのであった。

秘密を共有した私たちは、ときどきメールを交換する仲になった。話題は主に、言語学。彼は初め、原子力工学の話をしたがったが、私がついていけないということに気づくと、言語学を中心に、私が理解できる話題を選んでしてくれるようになったのだ。これは私にとって、10年遅れて訪れた青春の一ページだったが、彼にとってはたぶん、相手先生から、気を使って付き合ってくれていただけだったのかもしれない。

私は一度、言語学の道に進みたくはないか、と彼に尋ねたことがある。彼がチョムスキーほどの天才かどうかはともかく、才能があることは間違いない。しかし、彼は原子力工学をやるといって譲らず、ワシントンにあるベルビュー工科大学を単願し、同校に進んだ。なぜマサチューセッツ工科大学や、スタンフォード大学を目指さなかったのだろう、あるいは、ワシントンならなぜ同州トップワシントン大学に行かなかったのだろう、願書くらい出しておけばよかったのに、と当時も思ったが、きっと彼なりの理由があったのだろう。

メールのやり取りは彼が高校卒業した後もしばらく続いたが、彼が希望通りベルビュー工科大学に進学すると、須藤智という天才を失ってただの無名私立高校に戻ったその場所で、張り合いのない授業を続ける私が、なんだか取り残されたように思えて、劣等感からメールを送るのが億劫になって、やめてしまった。

須藤くんとのメールをやめた私は、高校教師仕事もやめた。また人生に迷ってしまったと思った私は、以前のように求人情報をチェックしたり、履歴書作成したりする気もなくなって、目白アパートに引きこもった。

そんな張り合いのない生活を続けるうち、あるとき新聞広告欄に、雙葉学園が、大学新設にあたり職員を求めているという求人情報が載っているのが目に留まった。行き場を失った私は、まるで蜂が巣に戻るように、こうして古巣に戻ることになった。

はいま、雙葉女学院大学国際交流課で、4年ぶりに須藤くんへのメールを書いている。雙葉女学院日本大学として初めて、ツー・プラス・ツーのダブル・ディグリー協定海外大と結ぶことになったのだが、なんの因果か、その協定第一号が、ベルビュー工科大学だったのである。そして、私が留学カウンセリング担当した学生が、第1期生として派遣されることになったのだ。

彼女聡明女性だが、単独海外に行った経験はないと言う。現地に信頼できる知人がいれば、少しくらい世話を焼いてもらってもばちは当たらないだろう。

2018-09-13

論理的思考が出来ない人に、論理的思考とは何かを別の手段説明できる人は賢い。

頭のいい人にとっては、当たり前なことなのかもしれない。

最近になって、アナロジーロジックではない。

論理的な回答とは、演繹的な回答である

類推での回答は似たものを当てはめただけである

類推での回答は、論理的ではない。

  

世間一般の人は、論理的な説得では動かない。

情緒的な部分に訴えた方が、話が早いときがある。

損得に訴えた方が、話が早く行動に移してくれることがある。

そんなことを学んだ。

  

2018-09-07

anond:20180906152113

周波数変動で停電」の雑な説明

漫画は描けないのでアナロジー説明してみる。

今回、全体として起きたことを簡単に書くと、

である

「でもなんで全部止まるの? 全部の発電所被災したわけでもないのにおかしくないの?」

という疑問が出る。

だらだらした電力網の説明

簡略化すると、

が電力網の基本。

  • 東日本発電所だと、発電機は1秒に50回、回転する。これが周波数50Hzという意味。これを交流モーターを繋ぐと1秒に50回、回転する。
    • ※本当は違うが気にするな
  • 発電機を回すのに必要な力は、家や工場で消費している電力の合計で決まる。たくさん電力を使うほど、発電機を回すのに力が必要になる
  • 逆に、あまり電力を使ってないと、発電機を回す力が弱くても回るようになる
    • ※本当は違うが気にするな
  • なので、たくさん電力を使っているのに同じ力で発電機を回そうとすると、ゆっくりしか回せなくなる。
  • 逆に、あまり電力を使ってないのに同じ力で回そうとすると、ブンブン高速で回ろうとする。
  • 1秒に50回のところが49回しか回せない、とか、51回回ってしまう、とかになると、機器がぶっ壊れたりして大変な事になる。
    • ※本当は違うが気にするな
  • そこで、どこの電力会社でも「中央給電指令所」というところが、作っている電力と使われている電力を常時監視している。
  • 電気が足りなくなりそうだったら新しく発電機を動かしたり、近所の電力会社から買ったりする。
  • 電気が余りそうだったら、発電機を止めたり、近所の電力会社に売ったりする。
    • ※ここは本当


今回起きた大規模停電は、電力が足りなくなった。つまり

が原因で起きた。この時に何が起きるかというと、

  • 発電機を回すのに必要な力がどんどん増える。発電機が1秒50回転するところが、49.9→49.8→…と段々遅くなっていく
  • これを放置するといろんな物が壊れて大変なことになるので、どの発電所も、回転が50Hzからズレすぎると、強制的に発電を止める装置が付いている
  • 全力で発電しているときに、どこか1個でも発電機が止まると、その発電機負担していた分を、他の生き残りの発電機で背負わないといけなくなる
  • 当然、そんな余裕はどこにもないので、各地の発電所で次々に「強制的に発電を止める装置」が働き、ついに全部の発電所が止まってしま
    • ※本当は違うが気にするな

ということが起きた。

対策、あるいは机上の空論

じゃあどうすれば停電を止められるかというと、一応、対策はある。電力が足りなくなりそうだったら、先手を取って一定地域停電させて、そこに送っていた電力を節約すればよい。

まり東日本大震災後の計画停電である。もちろん、あれだけ準備期間があっても大変だったのに、夜中にいきなり地震が起きて、発電所送電線もその他いろいろもダメージ受けてて、何ができるかも何が起きるかも分からない状況で対策しろって、それは無理。

また、逆に停電させた量が多すぎると、今度はさっきの逆、

  • 発電機が急に軽く回るようになって、回転が50.1→50.2、とか早い方向に行ってしまい、やっぱり「強制的に発電を止める装置」が動くことになってしま
    • ※本当は違うが気にするな

この現象は大規模停電のあと、発電所を立ち上げていくときにも大きな問題になる。

まあ立ち上げの話は長くなるので省略。点検とか点検とか点検とかとにかく大変。

2018-07-31

アメリカの対物性愛者の中でも銃性愛者は

今、愛する対象全面的社会から消え去るか(それかアンダーグラウンドに潜る)、ギリギリ表に残るかの瀬戸際だよね。

銃って異性愛者の間ですら性愛アナロジーでよく引き合いに出される存在から、銃の対物性愛者の愛は計り知れない。

愛する対象がみんなに迷惑をかけるものからという理由で奪うのは、自分自身が愛する対象危害を加えるから禁止されるよりもつらいものがあるよね。

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