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2019-01-08

コミュ障初恋片思い6年間の一部始終

コミュ障婚活マッチングアプリ出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。

前回の日記を通じて、自分経験文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります

僕が中学生高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います

僕が通っていたのは、中高一貫男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。

中学校の登校初日入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。

廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。

これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています

彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカー趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔キラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループ所属していてもおかしくなかったと思いますクラス文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。

僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまり分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由自己憐憫でした。努力放棄し、自分自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。

僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れ話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。

ある日僕は、彼と彼の友達教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女ファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。

でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強モチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています

高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せ気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。

ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。

彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。

この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています

彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。

客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神病みそうですね。

この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。

この日記を、「彼」と「彼女」に捧げます

《2019/01/10 追記

ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないか心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記遺書にならないよう精進します。

吐き気がするような恋をした

馬鹿な恋だった。恋といえるかもわからない。私はまだ高校生で、思春期ありがちな思い込みとか憧れを恋情に取り違えてるだとか人付き合いに慣れてないか感情の整理がついていないのだとか、そういう理屈付けなんていくらでもできてしまえる。

私は今すごく落ち込んでいて、突発的にツイッターで見かけた匿名ブログを思い出してここに登録してこんなものを書いてるくらい気持ちが混乱しているから、きっと文章もぐちゃぐちゃで長くなると思う。時間泥棒。ごめんなさい。

よくある話。相手は同性だった。高校一年の時、本当に最初入学式の列に並んでいるときに私からしかけた。振り向いて、その目の大きいのと日に焼けた肌とポニーテールかわいいのと、一目でころんと恋に落ちてしまった。

声が掠れてて低いこと。背が私より13センチも低いこと。誕生日もこっそり知ってる。同じ中学で絵が上手くて、メガネで華奢な幼馴染によく甘えている。好きな人にはスキンシップが激しい。ズケズケとものを言って、態度がはっきりしている。そこが、可愛くてしかたなかった。

高校一年の時の私は、正直友人がいなかった。グループには居たけれど、ギャルを気取る中間グループでなんとなく馴染めなかった。放課後バスで皆が話してる中ひとりでうつむいて携帯をいじってるのも嫌で、図書室でぼんやり過ごして、部活のある生徒以外はほぼ帰宅したであろう頃合いに帰る。なんかもうひたすら中学の頃に戻りたかった。親友と遊ぶ約束でも取り付けようかな。そう思ったとき

「あ、ばいばい!」って、バスケ部のマネージャーだったあの子が声をかけてくれた。

その一言。それだけで、泣きそうになるくらい嬉しかった。

彼女と私は同じグループじゃない。あまりしたこともない。私がただ一方的に見てるだけ。

幼馴染に甘えてる姿に嫉妬した。私があの子だったらいいのに。クラスメイト女の子にも寄りかかっていた。私があの子だったらいいのに。私と仲良くなって欲しかった。ろくに会話したこともないくせに。会話に耳をそばだてて誕生日とか好きな漫画とか把握して、本当、一歩間違えればストーカー自分でもキモいと思う。

でも女なんてこんなことよくあることで、女友達女友達嫉妬とかは私だって何回もあった。だからもう、本当にこの気持ちがなんなのかわからない。ぐちゃぐちゃ。便宜上、恋って呼んでるけど、混沌としててわけがからない。認めたくない。

高2になってクラスが離れた。それでも選択授業が一緒で、机が近かった。すこしだけ、週に二時間しかないその授業の間。私は彼女と話せた。同じ趣味を持っていたから、ちゃんと話すことはできたしそれなりに会話も弾んだと思う。

ただ私が勝手に緊張してしまって変な応答をしてしまって、どうにも上手くいかなかった。

高3。またまた選択授業がかぶった。彼女と話すのに緊張しなくなった。ううん、緊張するけど、その緊張にも慣れてきた。

このあたりから、じつは私のこの感情は恋ではないのでは?と思うようになってきた。緊張が消えたから。女が女に恋をするなんておかしいから。世間一般だと偏見はよくないって言われてるし、皆それに賛同するけど、それが身近になったら話は変わってくるでしょ?

彼女に、初めて誕生日プレゼントを贈った。賞味期限切れゴディバゴディバなんて重いけど、賞味期限が近かったのと従業員割引で500円だった。だからいかなと思って、贈った。彼女は笑いながら受け取ってくれた。

九月。文化祭は忙しくて会えなかったけど、体育祭では話しかけられた。私はこのとき初めて、ツーショもどき彼女写真嫌いなのに、私が無理やり写真撮った。光が差し込んでるしちょっとブレてる)を手に入れた。彼女と好きな漫画の話をした。幸せだった。

10、11。最高に幸せ。今までで一番よく話した。私の誕生日にくれたのはアニメのグッズを手に入れるために買ったコンビニチョコだったけど、それでもいい。嬉しい。私の受験の時には頑張れって言ってくれた。うれしい。しあわせ。

12月は特にない。飛んで今。きょう。始業式。

あけおめ。3学期もよろしく。今年もよろしくはしない。高校卒業したら縁切る。ラインブロックするから

そんな感じの内容の、笑いながらの冗談冗談。私も「薄情だなぁ」って笑った。かなしい。かなしい。悲しくてしかたなかった。

彼女発言に傷ついたのもある。ああ、高校卒業しても友人でいたいと思えるほどの仲じゃないんだなって。冗談だとしても。

ううん。冗談じゃない。本当だろうなと思った。彼女が私のラインブロックしようがしまいが、私と彼女人生が交わるのはあと一ヶ月だけだ。

そんで高校卒業して、大学生になって忙しくなっていつのまにか一年とか二年くらい経ってて、ふとあんな子いたなって思い出すだけの存在になるんだ。それも、私の方がきっと強く鮮烈に覚えているんだ。彼女はきっと、私のことを忘れる。思い出しやしない。

悔しい。悲しい。意味がわからない。泣きたくてしかたないのに、誰にも話せない。

あのときばいばいって言ってくれて嬉しかった。本当に嬉しかった。

からしかたことなかった笑顔を、真正からみれて嬉しかった。

掠れたハスキーな声が好きで、笑うと普段より高くなる声が好きで、私よりずっと低い身長がすきで、すきで、サバサバした性格もすきで、好きなのに、なんかもう怒りに似た感情すらでてきて。

私は馬鹿な恋をした。距離を三年かけて縮めて、三年後にリセットされて終わり。馬鹿だった。可能性があったら告白するのに。縁を切らせてやらないのに。忘れさせてなんてやらないのに。

でも私は彼女の好きなタイプを知っている。天然でおっとりした、声の低くて運動神経抜群の男の人。正反対くそったれ。

友情だったらよかったのに。尊敬を取り違えてるんだったらよかったのに。私が彼女の幼馴染だったらよかったのに。

私が女でよかった。

私に棒がついていたら、きっと私は世界一最低な行為をしていた。

2019-01-07

anond:20190107164202

全身脱毛と倦怠感に苦しまされた抗がん剤治療をのりこえようやく迎えた一人娘の入学式

俺は写ろうとおもわなかったが娘と妻が手を引いてくれた

 

みたいな話よくみるじゃんハナホジ

子供の集合写真で親がハゲ

子供小学校入学式とかで親も一緒に集合写真に写るときあるじゃないですか。

その時のハゲ率の低さといったらクラスに一人いたらいい方ですよ。

40歳前にハゲている奴は、だいたい30代前半からハゲている。

まり、「若ハゲ」と呼ばれる部類のやつですよ。


この集合写真をみて感じることは、

1.子供がかわいそう・・・

2.奥さんがかわいそう・・・

3.奥さんの好みを疑う・・・

4.うちの夫(父)じゃなくてよかった・・・

5.若ハゲそもそも絶対数が少ないな。

6.若ハゲでも結婚できるんだ。

7.結婚できた若ハゲは見た目のマイナスを超える何かを持っている!!

一般的にどれだと思いますか?


息子の集合写真を見て、ハゲ自分しかいなくてふと思いました。

ちなみに、私の年収250万円です。

2019-01-05

名前ホモが入っている男って生きにくいだろうな

保茂とかありそうじゃん

読み方はタモシゲとかなんだろうけどさ

入学式が終わって最初ホームルーム先生に「えーと、田中、、、ホモくん?」と間違えて読まれ

それから3年間あだ名ホモ

開き直って男と付き合うと一部の女子からめっちゃ人気が出て

「あれ?モテ期来た?」と勘違いして男と別れて女を物色するも

ホモじゃないとバレた時点で人気急降下

諦めてホモに戻るも別れた男は体育教師と付き合ってたりして寝取られ気分

2019-01-04

日本は1学年5人の超エリート大学を作るべき

偏差値120、不合格でも国公立受験可能

入学式は全国中継、成績は公式HPで全開示

学費生活費無料、ただし在学中に稼いだ利益大学寄付

全国の大学研究施設入出場可能

成績最優秀者は3年、それ以外は4年で卒業

そして彼らには日本地獄にして欲しい

2019-01-02

東大受験の思い出(文系おっさん篇)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

触発されるところがありました。増田にも、コメントにも。

家庭環境など

百姓家の倅です。3人兄弟長男比較的小さいころから「下がつかえているかあなたオール公立で。それだけの頭はあげたでしょう」と母親からいわれて育ちました。母方の母方は庄屋(糀屋)、母方の父方は漢学者家系です。父方はよく知りません。父親東京教育大の出、全共闘火炎瓶を作って安田講堂に攻め入ったことを生涯の語り種にしていました。いまはアルツハイマーで息子たちの見分けがつきません。発話も失われて久しい。

その倅たる僕はプロテスタント幼稚園に騙されて入り、地方二期校の教育学部の附属小学校に騙されて入り、そのまま持ち上がって附属中学校へ、高校東大合格者を年に15人から20人くらい出すいわゆる県立トップ校です。中学校男子90人のうち35番くらいまでにいればトップ校に入れた。塾には行かせてもらえなかった。習字水泳英会話歯医者、これはよく通わせてもらいました。中学は共学でウェイウェイしていました。藤井郁弥の影響でテクノカットに前髪が顎下までありました。高校男子校です。圧倒的な絶望です。キルケゴールに耽溺しました。

どこで勉強をしたか(中学まで)

田舎から街中まで通うのにバスで片道45分かかります。退屈なので寝るか教科書を聞くか路線図や料金表を覚えるか(後に)音楽を聞くしかありません。小1から、時折(4割程度)の自転車通学を挟んで、半分以上はバス通学です。小6までは学期の始まり教科書を配られると最初の1週間で読んで覚えてしまます

教科書本体よりも便覧や資料集が好きでした。面白かった。地図帳も、資料集も、地勢統計も。中学に入っても英会話は通わされていたので楽ちんです。中間/期末/学力試験の前1週間くらいにざっと教科書見直して500点満点で425点。リスニングは、携帯プレイヤーはなかったので、ウォークマン英会話学校の教材やNHK英会話を入れて、まあ適当に。中3で県のスピーチ大会に出させられ(て、落ち)る、そんな感じです。

部活はやりませんでした。お金時間もないし、水泳通ってたし、弟のバスケットと体操に両親は夢中になっていました。素行不良のため内申点が足りなくて合唱団に入れられました。

どこで勉強たか(高校)

うちの高校合格すると「入学式までの30日間の重要性」とかいって英数国の宿題が課されます。それと直近の大学受験結果を分析した資料ざっと見て、学年360人、2年次から文系150人理系210人の、まあ自分文系だろうから文系30番くらいにいれば、努力で入れるといわれていた東北大、東京外大に入れるかなという目算がつきました。東北大はかっこいいし、外大女性比率が高い(放っておいてもモテそう)。まあでも、適当です。それで入学式直後のテストで、学年で50番くらいに入った(いちおう、ビビって用意はしていました)。

でも生活の基本パターンは大きくは変わりません。教科書は行き帰りのバスでだいたい読んで、物理科学不要なので捨てる。家に帰ったら数学問題演習(4STEP)、英語古文単語を。同じころ僕を溺愛してくれた婆さんが脳梗塞から前後不覚に陥り、街中の病院に入ることになった。学校帰りに爺さんと待ち合わせをして立ち寄る。病院は暇ですからお茶を入れて飲んで、英単語を覚えるくらいしかやることがない。たまにノートを開いて、数学は先取り。ざっと、次の単元に目を通して(授業中に指されるのが不安から…)。そうそう、効果のあった教材は「パターン演習」でした。今はもうないのかな。「現代文 例の方法」もよかった。古文は聖文社の薄い本意識の高い友だちから、いろんな情報が入るようになってくる。それを病院に立ち寄る前に市内の書店でチェックして、合いそうなものを買います

大学受験意識する

東大意識したのは高校2年の11月です。恩師(英語先生)に、冗談で「おれ東大無理ですよね。ははは」みたいに話したら「お、ようやくやる気になったか」なんてその気にさせられて。帰りに本屋ペンギンか何かの洋書を買って、1日2ページ、英文解釈和訳です。朝持っていくと、帰りまでに真っ赤に添削してくれる。古文や、数学先生も噂を聞いて「おお、あのあいつが」みたいに様子を覗き込んでくる。ひとり、ふたりノートを見てくれる先生が増えました。でも、だれも僕がまさか東大に入るとは級友たちは思っていなかったと思います

受験戦略

受験戦略は至ってシンプルです。後期には絶対の自信がありました。読書感想文論文も出せば県予選までには行った。英語も出来ました。社会世界史日本史現代社会、どれでも満点近くとれました。参考書は「世界史Q&A」「日本史Q&A」です。資料集を見てビジュアルで頭を刺激して(例、ザビエル。毛の話ではない)大掴みし、後はひたすら反復練習です。高3初夏の時点の大手模試で文3後期はB+くらいの判定でした。前期はさすがに無理です。

ただ、「やるだけやった」ことは自分言い訳を残したくなかった。病院で婆さんが「うちの孫はいい子で」「末は大臣から」って、看護婦さんや主治医に言いふらしたらしい(後に爺さんの仕業だと判明するのですが)。それで先生方が「東大を受けるって聞きました」「がんばってね」って声をかけて下さいます。病状のことも聞きました。当たり前ですが、下り坂です。いっときは、医学部を目指そうかとも思った。でも入って出て研修医になるまで7(6+1)年です。婆さん、間に合いそうになかった。爺さんも肝硬変になって、爺さんに「どこがいい?」って聞いたら「そりゃ天下の一高がいいさ」というから「わかった」と返事をしました。

再び受験戦略の話

本戦略は4つです。

1. センターは満点をとる。二次は天下の俊英が集まってくる。勝てるわけがない。センターなら勝てる。1:4(800→110):440の圧縮傾斜とはいえ、110点とって無駄にはならない。田舎凡才がまず考えるべきは足切り回避です。足切り回避したら「二次で逆転」なんて赤本成功譚を鵜呑みにせず、センターで1点でも多くの上乗せをと考えました。

2. 後期は受かろう。英国世界史満点を目指す。論文素面でいけるはずだ。

3. もし現役で東大がだめだったら地方公立医学部に切り替えよう。そのために、生物をメインで、化学も少しはやっておこう。

4. 問題は、前期で東大を受けるか、A日程で外大を受けるかでした。こう考えました。A日程で外大に受かる(東大後期の足切りにあわなければ後は外大用の英語対策です。外大二次英語東大二次よりもやや歯ごたえがあって格好の対策になります)、そして後期で東大文3に受かる。これがベストシナリオだ。そのとき東大に行くだろう。だとしたら、A日程は無駄ではないか?

教科別の話
現代文

岩波講談社現代新書、などを、手当たり次第に読んで咀嚼しました。また、Z会添削(これだけは母親に頼んだ)を受け、「模範解答をできるだけ歯切れのいい単位自分言葉に分解して、とことん納得するまで書き換える」を行いました。添削はあまりしませんでした。毎月送られてくる薄い模範解答の本がありがたかった。小説は、ごめんなさい、蓄積があったので(うちは1950年代60年代70年代文庫季刊誌文学全集が堆くあるような家でした。数少ない父親の正の遺産です。片っ端から読んでいました)、あとは「例の方法」で、受験とはこういうものかと調整する程度。

古文

品詞分解と2,000語レベル単語暗唱です。高2の11月からセンターまで400日。1日50語。予習(N-1日)、当日(N日)、復習(N+1日)のサイクルで、ということは150語/日ペースで頭を通す計算になります。「あさきゆめみし」を読みました。明治書院(?)の作品解説集をバスの行き帰りに読みました。

漢文

ごめんなさい! 爺さん漢学者の家柄なもの(笑)。「蒙求」「戦国策」とか。「戦国策」はよかった。いまでも、なるなら刺客です。司馬遷ありがとう!

英語

単語は5,000語レベル単語集を1冊日割りで。効果的だったのは、ある単語を覚えた/引いたとき辞書の同じ見開きページに載っている重要単語はぜんぶその機に覚えてしまうやり方です。

文法桐原発音アクセント英会話教室からもらった対策本。英字新聞は読みませんでした。代わりに、前にも記した高校先生から受ける日々の添削

日本史世界史

「Q&A」です。「一問一答」ではなくQ&A。

数学

苦手にしていました。系(?)の拡張、みたいな感覚になかなか付いていけなかった。虚数単位とかです。仕方ない、というので「4STEP」を繰り返し、センター200点満点を180点とることに集中。二次は、大問4のうち、かき集めて1つ、配点で80点中15点とれれば合格には御の字。15点ならセンターの延長でとれます文系微積が苦ではなかったのが本番でも生きました。

理科生物

高校の授業です。これだけは、参考書の目利きが自分にない。熱心な先生でしたので、出されたご飯は残さず食べるの精神です。

受験結果
センター試験

国語:190点

英語:192

世界史:98点

数学:180点

生物:92

合計:752点

(あれ? 756点だった気が。)足切り回避です。よかったですね。

二次試験の結果

国88/120

英104/120

世界史40/60

日本史35/60

数学25/80

292/440点

自己採点です)250点あれば十分、220点でも年によっては受かるといわれていました。勝因は英語です。よかったですね。

合格発表の日

これでも、自分には無理という思い込みがありますから赤門をくぐってまず後期合格者の掲示板のほうを見にいきました。前期は絶対に無理、でも、後期の足切りには確実に通っている。「国語古文漢文選択肢に引っかかったのが痛かったなあ。あれがなければ前期だって」と頭を抱えていました。

そんなことを思いながら後期(追記:足切りクリア)の掲示板の前まで来ると、自分の番号がない!

「さすが東大は違う。おれはもうだめだ」と、代ゼミに向かい踵を返そうとしたとき、同行していた父母が「せっかくだから前期のほうも見てみよう。どんな人が受かるのか顔を見てみたいじゃない」「予備校それからでいい」というわけです。

ありました

ありました。

公衆電話実家にかけると、すでに電報が届いていて、いまかいまかと祖父母電話を待ち構えていました。祖母許可を得て病院から戻ってきていました。もう、東大に受かることの社会的な意味合いは、わからなかったろうと思います。でも、みんなが喜んでいるからといって、赤飯を炊く準備に、これから近くで豆を買ってくると電話口でいうわけです。「そんなのはいから」「とにかくそのまま家でお日さまに当たっていて」と僕がいうと「ご親切さま。うちのは、ほんとにいい孫でね」と僕にいう。僕は思わず「おばあちゃん、よかったね」って。

結びに代えて
英語だけは

言い古されたことですが、東大学歴というのは、かなり費用対効果のいいLadder of Success(成功の階梯)です。その中でも、ひとつたつを添えて、本記事を締めたいと思います

それは、文法的な意味での英語力の最初ピークは、大学受験直後ということです。その勢いを駆って、TOEICなり、英検なり、お受けになれば、さしたる苦もなくCertificateを取れるのではということ。僕自身大学年の初夏(だったか)に準1級、以来、TOEICが(維持のための努力だけで)だいたい945点くらいをかれこれ25年、続けています

1年くらいは

間もなくセンター試験です。もし、2019年のセンター二次に間に合わなくてもと思う現役生がいたら、1年くらい、大きな気持ちで構えていいのではないでしょうか。長い人生、1年くらい、駒場の3年目や、離婚や、放浪放蕩や、悪所通いでたちどころにトントンになってしまます

受験生のみなさんのご武運を、ねこちゃんたちと共に心よりお祈りします。長文、失礼いたしました。

2018-12-04

退職適応障害と元気になってきてからの話

内部出向2日でリタイア

私は会社Aに内定をいただいた。

会社Aは会社Bの教材とカリキュラム使用して「プログラミング教室」をしている。

いわゆるフランチャイズ。よくある話です。

しかし、「教室先生」になるためには会社Bで「講師認定テスト」を受けるか、そのテスト実施できる社員(B社に一定間内部出向していた社員)にテストしてもらわなければならない。

私は「テスト実施できる社員」になるためにB社に内部出向する予定だった。

(A社の社員だけどB社に勤務する形)

勤務先はB社からは「希望は一切受け入れられない」と言われていたが、A社からは「とは言ってもうちの社員だし山手線圏内って言ってあるから」と言われた。→それなら引っ越しはしないと言った→引っ越したら?とは言われた

A社内定承諾後、社宅引越しの案内が届くとの連絡があったが全く来ない。(勤務地も決定していないが)引っ越すつもりもなかったので後々メールしたら「他の内定者は実家暮らしのようでみなさん引っ越さないと思ったので書類送付しなかった」と来た。

ちょっと怪しいな?と思った。

労働条件通知書をくださいと言ったら労働条件はB社の方に合わせるので、と言われてB社で面接した時にもらったスライドが再度送られて来た。(採用ページに書いていた程度の内容)

怪しいな?と思った(とはいえもう2月くらいで就活できる状態じゃない。)

入社式研修のお知らせが2月3日に突然来た。3月25日から仕事が始まるらしい。入社4月1日だとばかり思っていた…

2/4に勤務地決定通知が来たが勤務地決定通知(勤務地決定とは言っていない)だった。

(結局B社の勤務地がわからないのでA社の横浜支部所属ですよ程度の通知書)

3/24 卒業式

遠方から両親が来てくれることになっていた。

両親がこっちにくるのは入学式以来なので次の日とか案内できたらなと思っていたのにほぼ直前になって希望は打ち砕かれたのであった...

3/25 研修

3/26 入社式

その後は研修...

春休みとは???と思いつつ社会人スタートした。

研修都内でもそこそこ近くの教室だったのでとりあえず通うのは大丈夫だった。

とはいえB社の偉い人(B上司とする)が癖の強い人で本当に大丈夫かな??という気持ち研修を受けていた。

子供たちにプログラミング()を教える立場になるので、B社のカリキュラム理解子供への対応、教え方などの研修があり、最終日に実技試験()とペーパー試験()を受けてどちらも合格した人だけがメイン講師になれる...みたいな説明をされたけど人手が足りてないのか研修も受けてないバイトさんが授業を普通にやってるらしい。

研修講師先生普通に優しげでいい先生だった。

A社の新卒私含めて4人、B社の新卒2人(バイト講師経験あり)、B社中途1人、B社学生バイト2人(講師担当経験あり)で研修を受けたが実技とペーパーどちらも合格したのは私だけだった。

4月2日

4月2日会議からはB社で働くことに。

会議と言っても数字報告と夏休み期間のイベント目標数発表だった。

驚いたのは少しでも予定の数字が下がろうものならB上司がその先生が何も言えなくなるまで責めたこと。

これが教育を掲げる会社か?と思うほど。

いびる、責める、無言の圧力。「もう貴方は知りません。」などなど。

社会ってすごいなあと逆に関心した。

私は研修でのテストに唯一一発合格したためかなぜかB上司に期待の新人としてお気に入り登録されたよう。

配属発表ではB上司教室山手線圏外)と、山手線圏外の教室(私メイン講師担当?)と、山手線圏内教室で、圏内教室まさかの週一シフトだった。

お気に入り自分教室に囲われるらしいと聞かされた。

配属の後はイベント会議役割決めなど。同じ内部出向組で女性が1人いたのだけどその子はすぐ役割が決まった。

私は最初、メイン担当教室先生の引き継ぎになってたのに、B上司に無理やりB上司担当イベントに入れられた。

そしてなぜかイベントバス手配とポスター作りと予約取りなど全くよくわからない役割を決められてしまった。

バスの手配方法ポスターの素材その他諸々教えてもらえなかったので大変不安だった。昨年の資料をくださいと言っても特に渡せる資料はないと言われた。周りの先生いかにB上司の期限を損ねずに会議を終わらせるかで必死で忙しそうだった。私は置いていかれていた。)

夜は歓迎会として近くのバルみたいなところで飲み会があった。

最初研修が分かりやすくて好きな先生の卓だったので良かったが席替えでB上司の真ん前にされた。

そしてB会社新卒と私ともう1人の女性と中途の男性目標を発表させる雰囲気に。

目標=◯◯を頑張りたい みたいな話かと思っていたら 「新規○人入会させて上半期で全体○人にします」って言わないといけないらしく?新人全員意味もわから担当先生が耳打ちしてくれた数字を喋る機械になった。

酔った勢いで他の先生たちが話していたのを聞いてみると結構「夜の仕事をしていて、結婚したいのでまともな職に就くために会社に拾ってもらった」という方がいて「結婚式には必ずB上司社長を呼ぶ」みたいな話もされて辛くなった。

4月3日

今日から教室普通に業務するらしい。(研修は教え方とカリキュラム研修しかなかったから突然先生やれ、教室長だと言われてポカン

先生は各先生業務で忙しすぎて私たち新人にはノータッチだった。

午前は完全に放置されていたので担当教室先生コピーの仕方とか今日の授業について教えてもらった。

担当地区の「神」のような先生上司お気に入り登録されている私を心配してありとあらゆる資料が詰まったGoogleドキュメントを共有してくださった。

午後から教室に移動して先生と一緒に授業をやって終わった。

と見せかけて、出社、退勤を社内メーリスで流さないといけなかったらしく(聞いてない)、B上司から朝顔を合わせたにも関わらず)「新卒の皆さんは本日無断欠勤ということで良いんですか?(威圧)」的なメールが全社員宛に届いていた。(嫌味は全社員に公開するらしい)

先生に聞いたところ、仕事量が多いし授業もあるし毎日残業時間は当たり前。社内でB上司への悪口グループができているようだった。

そして直後に「新卒社員+B上司」の謎の「新卒監視グループ」が作られた。

ここで私のメンタル限界になったのでA社の上司に「ここでは絶対にやっていけない、A社の別部署横浜支部で働かせてくれ」といってA社の上司(前年度B社に出向経験)もあそこは異常だからしょうがない、ということで次の出勤日から横浜勤務になりましたとさ。大感謝。(そして私の勤務時間が往復5時間になった)

往復5時間で死にかける

往復5時間毎日通った。

業務内容は午前中に入会書類の整理など、事務系の仕事をして午後から教室に移動してひたすら授業(立つ・声を張る)。または10キロ近いチラシを持ってポスティング

幸いA社の人たちは明るく優しい人たちだったので「楽しい」という感覚を持って仕事ができた。

しか筋肉痛、関節痛の毎日休みも不規則

「(完全ではない)週休2日」という話は知っていたけど6連勤1日休み3連勤、7連勤1日休み4連勤とか普通に入れられる。

なぜ長期連勤の後1日休んで連勤できるのか?というお気持ちだったが人も足りないしそれが社会なんだなぁ(多分間違ってる)と思いながら働いていました。

8時に家を出て23時に帰ってくる感じ。

5月下旬生理ながらも授業してたら今までにないくらいの血の量が出て早退した。(夜用生理用品してるのに10分経たずに漏れてくるくらい血が出て死ぬのかな?ってなった。)(出血過多)

6月下旬、家についた途端全て嫌になったのと体が痛いのとで「マジで死ぬ3日前」みたいな状態になったので急遽休みをとらせてもらって病院に行ったりした。整形外科に行って先生にとりあえず1週間休めと言われたので1週間休む。

7月下旬引っ越し決行。通勤時間は片道40分になり少し希望を持ち始める。

しかし諸々のストレス8月上旬に謎のめまいが多発、駅のトイレで吐いたり異変が起き始める。

膝も痛くなり歩けないほどの痛みがあったりもしたがとりあえず仕事していた。

だましだましやっていたが本当に限界がきて同居している婚約者相談したら「養うの余裕だしとりあえずそこから離れた方がいい」と言われ9月仕事を辞めました。大感謝。本当にこれはラッキーだった。

体調もそうだけど…

仕事内容としては特にキツくもなく楽しくやっていた。

なぜそんなにストレスが溜まったかというと、「周りの情弱がすぎる。」だと思う。

1年先輩社員Excelの行内改行ができず、十数年先輩の上司Excelで連番を入力することもできなかった。(ググるという発想があまりないらしい)

入会書類は紙で、印鑑が押されていないところがあればお客さんに電話して印鑑押しにきてもらわなければいけなかった。

新規開講の教室ほとんどなので数百枚の紙を処理。領収書的なのも全て手書き

そしてFAX至上主義

入会書類的なものは数百枚全てFAX本社に流してから郵送。

出社報告退勤報告はLINEで報告した後に月末に紙に出社日数分の判を押し、本社FAX。その後紙を郵送。交通費などの経費精算も全て手書き。それも本社に郵送。

出社の時間帯も日にちも同部署社員全然違うので休みだろうと休みじゃなかろうとLINEは鳴り続ける。(たまに自分宛のも来るし、上司休みの日も上司でないと判断できない事があると連絡しなければいけないのが心苦しかった。)

FAX初めて使った。

割と色々な情報Googleドライブで共有していたので(そういうことはできるのかと関心したけど)「(出勤簿なども)データ化してドライブで共有かメールで送ったら良いのではないか」と聞いたら「メールGmail)だとどこで盗み見られるかわからいから。」と一蹴された。

FAX番号間違えた方がえらいことになると思うんだけどなあ…と思った。

Slackとかそういうの使いませんか?と言ってみたが「貴方ができても他の社員リテラシがないので導入コスト考えてね。貴方が1人でそれを導入して他社員教育できるならやれば?」とのこと。

面倒なので流石に放置した。

そして各教室Wi-Fiはなかった。全て有線。しか個人PCはない。部署で2つの社用ノートPCを使っていた。

Wi-Fiがない理由も「セキュリティ強化」らしい。でもPCパスは至極単純なものパスワード知らなかったけど違う部署PC借りて仕事したりできていた。

その社用PCにはWordExcelは入っていたがPowerPointIllustrator存在しておらず、各イベント用のポスター掲示物をWordで作らされるという拷問を定期的に受けていた。もちろんWindowsなのでメイリオを使うしか無かったが皆さんポップ体がお好きなようだったので創英角ポップ体に一生分お世話になった。あと100行くらいのExcel開くだけで3分くらいかかる弱すぎるPCなのもストレスだった。

情報リテラシ皆無な講師陣がプログラミング()を教えるのに不安があったがとうとうそれが現実になった日があった。

先輩の担当する授業で「生徒の誰1人として作品が完成しない(動くはずのものが動かない)」ということがあり、それが原因で1人退会した。

聞いたところ、ただモーターを一旦逆回転させて位置を調整してリスタートしたらよかっただけだったらしい。

私はその「動かなかった」授業の次の授業を担当させられ、前回の授業と今回の授業を一度に終わらせるという完全な尻拭いをさせられた。(入社2ヶ月)

ここで、私がここにいて私にメリットはあるのか?という気持ちになった。

生徒募集体験会も担当したが、営業担当の先輩が、子供の父に「他のプログラミング教室との差は何か、ここでは何が学べるのか」と質問されていた。先輩は用意された営業トーク以上のことがわからなかったようで、私がそのお父さんの相手をして気に入られて「貴方のような先生にレッスンしてもらえるなら」と入会を獲得した。(結局私の担当クラスにはならなかったのでごめんなってなった)

生徒が使うPCも弱い共用PCBluetooth接続に最高30分かかったりして、せっかく早く組み立て終わったのに接続できなくて授業ギリギリになってやっと接続できる、みたいな状態になってかわいそうだった。

10人分くらいの機器を繋げた履歴があると一度繋げたことのある端末でもなかなか繋がらくなった。端末の履歴を消すと一時的に復活したりしなかったり謎だった)

ということが毎授業あるのでPCも変更してほしいと相談したら「繋がらないわけじゃないんでしょ?」とのことでそのままだった。

5月から私の直属の先輩(「動かなかった」で授業を終わらせた方)との行動が増えてこれも結構ストレスだったと思う。

来年からは直属の上司主任)が本社に行って先輩が主任になると思うから相談ごとはなんでも一旦先輩を通さなければならないというルールができた。

私より授業できないのに主任なっちゃうの?年功序列LINE個人で繋がってるんだし上司に聞かなきゃいけないことも先輩通すの二度手間では…

と思っってしまったけれど口には出さなかった。

その先輩はいわゆる「文系()」と呼ばれるタイプの方で全く情報系の話は分からない代わりに恋愛系のことをたくさん話す人だった。

一緒の時は先輩の恋愛事情を聞かされる毎日婚約中の彼氏浮気をしていたとか、でもそれは私に構ってもらえなくて寂しいからなんだなって思ったら許せてきた、私には共感できなかった。

その先輩は目先のことしか考えられないようで、「別部署と共用のプリンタ用紙の在庫がなくなった(こっちの営業の人がたくさん使っていたらしい)」時、別部署の人からこちらが責められた(その別部署もどうかと思う)のだが、今すぐ授業に向かわなければ間に合わないという時間帯なのにも関わらず「私たちA3用紙を半分に切るから」と本当に切り始めそうになったのはビビるというか呆れてしまった。

部署との関係もしんどかった。

私たち拠点がなく、学童保育をしている部署と共用で建物を借りていた。学童保育ももちろんA社の事業

こっちの部署も賃料を払っているのだがどうしても学童社員私たちに対して口調がいちいち責めるような口調だった。

そして、授業をした時に1人お休みの子がいたのだが、後からの子父親から「息子が少し遅れて行ったのだが、学童先生と目があったにも関わらず鍵を開けてもらえず、やむなく帰ってきたのだがどういうことだ」との電話がきた。

授業の部屋と玄関の間にドア一枚あるため授業が始まるとこちらのスタッフ玄関を見られない。

そのためそちら側を使っている学童スタッフ対応してもらうしかなかったのだがしてくれなかったらしい。

「あと、学童側のスタッフがあからさまに教室側の生徒に冷たい」と生徒が話していたらしい。

上司相談したが「同じ会社とはいえ会社のような関係なので協力も強く要請できないので今回は報告だけする」「あくまで悪いのは遅れてきた生徒、というスタンス対応する」とのことだった。

同じ会社で隣で仕事しているのに足の引っ張り合いをする、お客様のことを優先的に考えてサービス改善できない(ビジネスといえばそうだが切り詰める所が違うと思う)、先輩との雑談で新しい知識が増えることもなく、ただ自分たちの現状の物を(アップデートもせず)いかに良いものに見せかけられるか、ということしかできない。自分大学で得たものは全て会社社員レベルまで落とさなければならない。

ということがずっと溜まりめまいが始まり適応障害と診断され、鬱も再発してきて眠れない、家事もできない、絵も描けない、PC触れない、という症状がで始めたので辞めました。

辞めてから

会社を辞めると「職を失いました」という証明をするために会社から受け取らなければならない書類がいくつかありました。

離職票 (退職10前後会社から郵送されなければいけない)

健康保険厚生年金保険資格喪失連絡票 (退職日前にもらえるはず)

源泉徴収票 (退職の1か月以内に送られてくるはず)

この3つですがどれも会社から自動で送られてくることはありませんでした。(本当は連絡入れなくても送られてくるべきもの

いつまでたっても来ないので辞めたのに上司LINEして(LINEしか連絡手段がない)離職票保険資格喪失連絡票は手に入りました。

源泉徴収票はこの時も送られてこなかったがまぁ年度末にはくるだろうと思っていました。(こなかった)

確定申告ギリギリになってもこないので会社のお問い合わせメールから連絡したら、「給与事務課に直接電話してください」とだけメールがきて、電話かよ…と思いながら電話してみたら「辞める時に源泉徴収票必要だと言われなかったので送りませんでした(しょうがいから送ってあげます)」という感じでまじでギリギリに送られてきた。(困る)

2018-11-25

公立教師給与は見合ってない

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20181125-00105367/

で「教員給与保護者の平均給与の約2倍」と言われていた上に結構スターを貰っていて驚いたので書いている。

父が公立小学校教師をしていた。今は定年退職済みであるが、最後副校長教頭)にまでなった。

その際に自分一人暮らしをすることになり保証人として年収記載してもらったのだが、ワープア自分からしたら結構な額をもらっていた。

けれど父の労働時間などを考えるとあまり多いとは言えない額だ。

平日は勤務先が然程遠いわけではないのに夜10時に過ぎに帰ってくることが普通で、家族食卓を囲むことは滅多になかった。

土日も日直だったり地域スポーツクラブ指導に行ったりしていてほぼ家にいなかった。

たまに家にいると昼まで寝てゴロゴロとしていたけれど、それも仕方がないものであるし、父が家にいるだけで外出しなくとも嬉しかった。

近年職場男性が「子供卒業式入学式から」とおやすみをもらう機会に何度か遭遇している。

時代は変わったな、と思う反面、我が家では絶対に無理なことでもある。

まりは「普通保護者給与よりも高いかもしれないが同じ時間だけ働いた人と比較すると貰っていない方である」という結論である

公立教師給与は見合ってない

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20181125-00105367/

で「教員給与保護者の平均給与の約2倍」と言われていた上に結構スターを貰っていて驚いたので書いている。

父が公立小学校教師をしていた。今は定年退職済みであるが、最後副校長教頭)にまでなった。

その際に自分一人暮らしをすることになり保証人として年収記載してもらったのだが、ワープア自分からしたら結構な額をもらっていた。

けれど父の労働時間などを考えるとあまり多いとは言えない額だ。

平日は勤務先が然程遠いわけではないのに夜10時に過ぎに帰ってくることが普通で、家族食卓を囲むことは滅多になかった。

土日も日直だったり地域スポーツクラブ指導に行ったりしていてほぼ家にいなかった。

たまに家にいると昼まで寝てゴロゴロとしていたけれど、それも仕方がないものであるし、父が家にいるだけで外出しなくとも嬉しかった。

近年職場男性が「子供卒業式入学式から」とおやすみをもらう機会に何度か遭遇している。

時代は変わったな、と思う反面、我が家では絶対に無理なことでもある。

まりは「普通保護者給与よりも高いかもしれないが同じ時間だけ働いた人と比較すると貰っていない方である」という結論である

2018-11-03

anond:20181103225709

入学式用の服だったらもう情報が古いよ。AKB風が流行ったのは大分前で今は少ない。

それに順番が逆で、「AKBの方が子供服によくあるデザインを取り入れた」んだよ(だから幼く見えてロリコンが喜んだわけだ)。

しろAKBのせいでそういうデザインが「AKBっぽいから嫌だ」とされて流行らなくなってる。

2018-11-02

anond:20181102140226

仏教系大学にこれない講師っすな なおわが校入学式に五観の偈を唱えた模様 あと主語ひろすぎ>これが日本

2018-10-20

anond:20181020175355

高専入試首席合格したら3月中に連絡がきて、入学式で新入生代表挨拶やらされたことあったな

なおその後留年したもよう

2018-10-15

音楽の才能がないことに気づくのに4年もかかった

趣味にしていたオーケストラ演奏側)をやめた。

理由はいろいろある。

仕事が忙しい、腱鞘炎悪化した、他の趣味ができた。

しかし最大の理由は「どーにも私には音楽の才能がないぞ」ということをはっきり自覚してしまたからだ。


高校オーケストラをはじめた。友達に誘われたからで、「初心者歓迎」の文字も掲げられていたし、実際その通りだった。先輩方は優しく指導してくれたし、1年生の秋からは校内の演奏会にも出られた。すっごく楽しかった。


大学に進学(音大ではない)してもオーケストラを続けた。

全く練習についていけない。

高校の頃は、周りに初心者が多く、それこそ譜面が全く読めない(私もト音記号しか読めなかったので、ヘ音記号に苦労した)初心者が集められて譜面の読み方から教わった。

曲も1年間かけて5曲しかやらなかった(卒業式入学式用の校歌演奏会の曲3曲+アンコール)。

余裕のある人、上手い人は文化祭アンサンブル披露していたが、私は余裕がなく裏方に徹した。

ここの時点で気が付けばよかったのだけど、「初心者だし仕方ないよね」とスルーしてしまった。

大学に入って、本当についていけなかった。

演奏会は年に2回、新入生歓迎会卒業式入学式アンサンブル大会(謎)、セクションごとの演奏会(謎)、文化祭ボランティア演奏会…その他いろいろ。

ありすぎる。

まりにも譜面が多すぎる。譜読みが追い付かない。

高校ときボランティア演奏はあった。でも1~2曲だけだったし、童謡とかアニメソングとか、簡単なやつだった。

大学オーケストラ、無理。できる人にもできない人にも平等演奏機会が与えられる。無理。

演奏会年2回。多すぎる。無理。

アンサンブル、毎年違う曲やる。譜面もタダじゃない。金銭的にも追い詰められていく。

初心者ではないか初心者練習チームにも入れてもらえない。

みんなどんどんうまくなる。私はおいて行かれる。

演奏できない譜面がいくつもあるまま演奏会の日がきて、不完全なまま舞台にのった。

全力を出し切れたなんていう感覚がないまま何度も演奏会を終えた。

高校時代は、あんなに「やりきったぞ」と思えていたのに。

大学2年生の春、ああもう無理だと思った。

本当に私は、音楽に向いていない。もう「楽しむ」才能もない。一応卒業までは在籍したが、本当につらくて、つらくて、苦しい中でずっと「早く引退したい」と思い続けた日々だった。自分に買われた楽器がかわいそうだ、もっとうまい人に買われたほうが幸せだっただろうにと何度も泣いた。


社会人になった今も、多くの友達オーケストラを今も続けている。Facebook演奏会の告知を載せている。本当にすごい。ものすごく、輝いて見える。

私は使わなくなった楽器を、来年オーケストラ部に入部する(つもりらしい)親戚に無期限で貸した。彼女に、音楽演奏を楽しむ気持ちを失わせないだけの、「音楽演奏する才能」があることを、祈りながら。

2018-10-14

先輩、なんで死んじゃったんですか

先輩が死んだらしい。





らしい、というのは人伝てで聞いた話だから。けれどその人が誤った情報を出すとは思えなかった。

学校の内部の人から情報だったから誤った情報を流すとは考えにくいので、確実なのだろう。



まず先輩について話をしよう。高校が同じの1つ上の先輩だ。性別は男で、とても家庭に恵まれているんだという印象があった。

先輩と私は高校が同じだけの、ほとんど交友のない知人程度の関係だった。他の人と印象が違う点がいくつかあるくらい。

その一つとして、高校入学式在校生代表を務めていたことがある。とてもかっこよかった。何より、黒髪眼鏡で誠実そうな雰囲気で、率直に言ってしまえば顔がドタイプだった。結局、先輩はそれからちゃらちゃらした人とつるむようになって、髪を染めたことで失恋のような結果で終わった。

また、私と大学の進学先が被ったのだ。さすがに学科は被らなかったのだが、我が母校で進学したのは私と先輩の2人のみらしいので親近感に似た感情を抱いたし、少なからず話せるかなと期待していた。校内で同じボランティアに参加していたので、シフトが被ったら話してみよう、なんて考えていた矢先の出来事だった。



信じられなかった。たぶん19か、20だったんだと思う。誕生日も知らなかったからわからないけど。

学内アルバイトの当日に病気で、と聞いた。そのアルバイトには私も参加していた。寝坊した日だ。

入学したての時食堂で見かけたことがある。なんでその時に話しかけることができなかったのだろう。そういえば一度半径30m以内まで近付いたことがある。なんでその時に話しかけることができなかったのだろう――と悔やみ続ける。

しかし、結局私と先輩は知人程度の関係だったのだ。そう、私は知人の死にずっと胸を痛めている。

身近な人の死を体験したことがなかったからなのかもしれない。耐性がなかったからなのか、好きだった人の死だったからなのか、それはわからないけれどそのおかげですごく苦しい思いをしている。

そして私は、知人の死をきっかけに私は彼より頑張ろうだとか、ちゃんと生きようだとか、最低なことに「これを誰かに話したらどんな顔をするのだろう」なんて考えてしまたことすらあったことも悔い続ける。現在進行形で、そうだ。

そのたびに「死にたい」と、呟く。そして「彼が生きたかった人生無駄にするのか」と考え、また死にたくなる。本当に、糞みたいな人生だ。

なぜ先輩のことをこんなに考えているのかわからない。だって、もう関心なんてなかったから。もしかしたらなかった、は嘘かも知れないけど知人以上の感情を抱くことはなかったのだ。

それなのに、先輩に話したかたことが溢れるのはなぜだろう。先輩に、なんでいるのって笑われたりしたかった、なんて思うのはなぜだろう。

もっと、話したいことがあったのになんで死んじゃったんだろう。

今日高校友達と会った。久しぶりに昔話に花が咲いて、すごく楽しかったのだけど、先輩のことを話に出された。

Twitterでも見ないけど元気?」

全然元気じゃないけど言える雰囲気じゃない。死にたい。上手くはぐらかせたかな、ごまかせたかな。

あと、それでSNSを探したりエゴサしたりしてるのも屑の極みだ。本当に、先輩が生きればよかったのに。

そしてそういう嘘をついたことにすら、悲しみを覚える。死にたい

結局、4年間も無責任感情を先輩に押し付けている。半分あこがれだった、つくりものの恋も先輩の髪色のせいにした。そして勇気を出せず話しかけられなかったことを先輩が死んだせいにして、勝手に悲しんでいるのだ。

自惚れにもほどがある。私がしているのは、感情押し付けで彼にとっては迷惑以外の何物でもない。もちろん、彼の親族にもだ。

それがわかっているのになお、こんな感情は胸の内からまれてきて、その度に死にたくなるのだ。こんな汚い人間ならばいっそ私の方が先に死ねばよかったのに、なんて思う。それも失礼なのに。そして、その汚れを見ることすら失礼なのに。

こんな形で文字にするのも間違っているけど、こんな形でしかこの気持ちを解消できないのだ。こんな痛みを解消しようとするのも間違っているのかもしれない。そしてきっと私は明日もこう言うのだろう。


「先輩、なんで死んじゃったんですか。」と。

2018-09-28

キモイと言われる僕の友人

桜が気が早く散ってしまった頃に、電話が来た。

「暖かくなったし、飲まないか?」

「うーん、今週は予定があるから、来週はどうかな?」

いつも通りそう答えつつ、また何かあったのかなと思う。

仲間と会う時やこちから気分が乗った時でも一緒に飲んだりするが、彼から誘われる時は大抵そうだから

予定を合わせて、それじゃ、と電話を切り、付き合い長くなったなぁと思った。

彼とは高校時代からの友人だ。

入学式の時、母と少し早めのバスに乗ると彼と彼の母がいた。

同じ制服だったので、話もしやすかったのだろう。母は彼の母とすぐ打ち解けていた。

彼と僕とは、必ずしもそうではなかった。

話はしていたが、どうも上滑りしているところがある。そんな感触があった。

背は小さく、小太りで、話す度にキョロキョロする。けれども話す時は圧迫を感じる程こちらを見つめる。

話す度に身体を動かすものから距離感をどうしたものかと考えたことを覚えている。

そんな初対面だったが、クラスが同じだったこともあり、すぐに打ち解けていった。

部活などは一緒ではなかったが、昼食は弁当だったこともあり、よく一緒に食べていた。

彼は食事中よく話し、ほとんど僕が聞き役だった気がする。

正直食事マナーは余りよいものではなかった。

ただ、箸の使い方や食べる音のさせ方は育ちの良さを感じさせた。

そういう所に彼のアンバランスさを感じてはいたが、その時はさほど重要だとは思っていなかった。

彼が気持ち悪いと言われているのを聞いたのは、オリエンテーションが済んだあたりだったと思う。

女子が何の気はなしに男子評価をしている中で聞こえてきた言葉だった。

まだ当時はキモイという言葉一般的ではなかった。

それでも後から考えれば同様の感触彼女たちの言葉から感じ取っていた。

聞いた私は苦笑いしながら、話を流していた。

彼が小中といじめとまではいかなくとも、女子から嫌われていたことを聞いた。

彼はその頃から小太りで、背は女子よりも小さく、運動神経も良くはなかった。

そして出っ歯気味で、唇が厚いために、いつも唇を突き出しているように見えたのもあまり良くなかったようだ。

実際、有り体に言って、容貌としては良くはなかった。

よく心ない言葉を言われ続けたという。

そのせいで、女子に対する態度がおどおどしてしまうとも言っていた。

どうしても目を合わせられないと。

自信を持って話をすることができないと。

それがまた、気持ち悪いと言われてしまうようになっていったとも。

高校卒業し、大学になっても付き合いは変わらなかった。

ちょうど大学へいく為の路線が同じだったこともあるのだろう。

時間が空いた時、良く一緒に遊んだり話したりしたものだった。

彼は文化系サークルでそこそこ楽しくやっていたそうだ。

キモイという言葉はその頃流行り始めていたようだった。

彼は女子の先輩からキモイキモイと言われながらも、かわいがられているようだった。

ただ、彼自身はその言葉に対して思うことはたくさんあったのだろう。

時折、泣きながら愚痴を私に言っていた。

多分、大学の友人達には話せなかったのだろう。そういう対話関係性ができてしまっていたから。

から大学とは無関係の私にだけ、いつも愚痴を言っていた。

卒業して彼はそこそこの商社入社した。

それから2,3年は関係が遠ざかっていた。

お互い新人と言うこともあって、忙しかったのもあるし、会社が別方面だったと言うこともあるだろう。

ただ携帯を買った時、最初登録した友人は彼の名前だったのは覚えている。

付き合いもまた戻り始めて4,5年たち、彼から愚痴を聞いた。

セクハラ講習会で先輩としての講師をした時の愚痴だった。

後で後輩の女子が「あの先輩キモイよね、セクハラとか本当にしそう」と言っていたのを聞いたという。

その頃には彼はそれなりの貫禄も出ており、服装もそれなりのものをしていて、立ち振る舞いも商社マンとしてしっかりしていたものだった。

その分、背は小さくとも、おじさん風味が早めに来ていたのは事実だった。

彼はそれ以来、講師は断っているそうだ。

大なり小なり、彼はそういうことで愚痴を言っていて、僕はいつも聞き役だった。

やりきれなくなれば、一緒に酒を飲みにいく。

もちろん高校時代の友人ともいくが、二人きりで飲むのはもっと多かった。

彼の電話を受けて、私は最近見つけた新しいイタリアンの店に誘った。

店長一人で回している、普段使いするのにちょうど良い店だった。

開店当初から通っていることもあり、店長も店の常連も僕を仲間として扱ってくれていた。

彼と訪れた日、名前は知らない顔見知りの女性常連が酔っていた。

「あー、久し振りですー。あ、男二人ですか? キモーイ」と陽気に笑っていた。

僕は苦笑しながら、適当挨拶を交わし、店長に注文をすると「どうもすいません」と言われた。

僕は笑いながら、「よくあることですから」と答えた。

彼にワインを注ぐと、彼はじっと僕の方を見ながら、ぽつりと「だから俺、セクハラ反対なんだよ」と言った。

僕は何も言わず、ただ黙って、また愚痴を聞き始めた。

2018-09-22

小学校入学式社会階級の話をするべき

公立小学校入学した君たちは負け組の親の子供です。勝ち組の子供は私立小学校入学し質の高い教育を受けています

この資本主義社会では金が全てです。金で買えないものはありません。愛も友情も金で買えるのです。

将来、経済的に豊かな暮らしをしたいなら、学校勉強を頑張って中高一貫校に入るか良い高校に入り、いい大学に行きましょう。

年収千万下の人間を社会では負け組と呼びます。そして一度負け組になると二度と這い上がれません。

死ぬまでの数十年間を負け組人間として過ごすことになります負け組に入りたくなかったら勉強して下さい。

将来の夢?そんなもの持ってはいけません。君たちみたいな負け組遺伝子を受け継いだ人間高収入労働者になれれば十分ですよ。

サッカー選手野球選手?無理に決まってるでしょう。現実を見なさい。スポーツ選手になれるのは遺伝的に優れている金持ちの子供です。

十数年学び、数十年働いて病気になって死ぬ。これが人生です。これが社会の仕組みです。これから学生生活、頑張って下さい。応援してますよ」

こういう現実の話を小学校入学式で校長が話すべき。

2018-09-21

腐り果てた保守の皆様に我が母校の校歌を贈る

自分はどちらかといえば左寄りの思想共感するものだが、高校は共学で手頃な偏差値私立高校自分学力で受かりそうな頃合いという意味)だと云うだけの理由國學院高等学校に進んだ。

神道文化学部とかを抱える大学の附属であってガチ保守校風だ。たしか校庭に皇族の誰やらが植樹した銀杏かなんかあった気がする。大学敷地神社があって何か行事があるたびに生徒会のやつやらが参拝させられていた。入学式の翌日に新入生全員が明治神宮に参拝する行事がある。中途半端に近いから徒歩で明治神宮に向かう。海外の人ががめっちゃ写真撮ってた。そりゃあ制服着た数百人のガキが外苑前から明治神宮に向かってぶわーっと行進してたら写真も撮るわ。あんなこと今でもやってるんだろうか。しらんけど。まあ、30年ばかり前の話ではあるけども、当時はそんな感じの学校だった。

が、昭和天皇がもう崩御だ、もうあぶねー、っていう時期に全国的文化祭やら体育祭やらが自粛される中で、「祭」はちょっと具合悪いから「文化発表会」に名前をかえて開催したような、わりと「頑張ってた」校風でもあった。真っ先に自粛しろよっていうね。

なお、共学に行ったはいいが、在学中に彼女はできなかった。

國學院高校校歌大学と同じで、ちょいちょい甲子園にも出たりしていた国学院久我山國學院栃木も同じ(はず)なので聞き覚えがあるな、という人も多いかも。大学サイトから聴くこともできる。

https://www.kokugakuin.ac.jp/assets/uploads/2017/03/000007625.mp3

特別愛校心があるわけではないし、高校の頃なんてそれほどいい思い出もない。今でいうところの「ブラック校則」的な理不尽校則に悩まされたりもした。

ただ、校歌はわりといい曲だよなーって思う。「古へ今の書明らめて国の基を究むるところ」とか、「外つ国々の長きを採りて我が短きを補ふ世にもいかで忘れむもとつ教は」とか、保守ってこういうことだよねー、って思ったりする。1番2番を踏まえての「祖先の道は見よこゝにあり子孫の道は見よこゝにあり」も良いと思う。

  見はるかもの みな清らなる

  渋谷の岡に大学たてり

  古へ今の 書明らめて

  国の基を 究むるところ

  外つ国々の 長きを採りて

  我が短きを 補ふ世にも

  いかで忘れむ もとつ教は

  いよゝみがかむ もとつ心は

  学のちまた そのやちまたに

  国学院の 宣言高く

  祖先の道は 見よこゝにあり

  子孫の道は 見よこゝにあり

作詞芳賀矢一

2018-09-10

anond:20180910113104

入学式やらで静かに座って校長先生お話を聞きましょう、ってのすら

抑圧だとか言う連中いるしな

2018-09-03

5歳児は毎年80人くらい亡くなっている

9月から3月までの7ヶ月で50人

なので

早期にランドセル販売するということは

入学式を迎えられなかった毎年50組もの親子の「位牌とランドセル」という深い悲しみを生み出すことになる

業者は金儲けのためにどれだけの涙を引き換えにしているか自覚したほうがよい

2018-08-08

暑い中で部活動やるだけで体力減るんだから大会の開幕式なんて必要ないと思う

終業式や始業式もわざわざ全校生徒集めてやらなくていい

運動会は止めるのが難しいなら開会式閉会式ぐらい簡略化してほしい

これを機に無駄ものを省いて子供負担を軽くしていくべきだと思う

震災の年は、入学式卒業式を短くするために来賓紹介がなくなった

効率的で良かったのに数年後また復活していたのが残念だった

来賓紹介なんてほぼ大人面子のためにやってるだけなんだから無くなっても良いのになぁ

2018-08-03

医者になれなかった(元)女子ぼやき

はじめに

大学(※1)の医学部入試問題について、どうしてもぼやきたくなった。

あくまでも個人意見ではあるが、随分と乱暴意見だとも自覚しているので、その所予めご了承ください。

あと、これは個人の雑感なので、読み易さは期待しないで下さい(※2)。

最後に、二重括弧で脚注付くって言うからせっせとつけたけど何故か脚注付かないので、手打ち脚注を付けました。もしもミスを見付けても、この間抜けについてはどうか(鼻で)笑って許して下さい。

※1:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない

※2:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい

増田について

ごく普通田舎(※3)生まれ田舎育ち。

基本的には親戚含め概ね一般家庭であるが、父親とイトコと義大叔父とがそれぞれ医者という、何故か不思議な縁がある。(※4)

タイトルの通り、本人の性別は女で、そして医者では無い。既に女子と名乗る年齢は過ぎたので、(元)女子コメント一言

※3:七大都市圏外に生息。県庁所在地ではあるが、当県には新幹線が通っておらず、未だに女子は親元にいて当然、みたいな思考がまかり通る程度の田舎

※4:何故か世代ごとに一人医者がいる。所謂、偶然の産物

ニュース(※5)についての感想第一声)

「まぁ当然じゃない?何で叩かれてるの?」

※5:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない(二回目)

増田医者になれなかった理由

入試を受ける許可が降りなかった』ので『医学部受験が出来ず』に『医者になれなかった』『元女子である

因みに偏差値は何とか足りてた。まぁ何とか、レベルだったのでもしかしたら国試に受からずに医者になれなかった未来もあるかもしれないが、そこは今は割愛する。

入試を受ける許可が降りなかった話

ただの自慢だが、高校二年の頃までは、随分と増田の成績は良かった(※6)。

高校一年までは、まだどうなるか分から模試の結果にも志望校にも何も口を出さなかった親が、二年最初模試の結果を渡した時、初めて話し合いの場、というものを設けられた。

結論から言うと、増田はその話し合いを経て『医学部を受けない』事を確定した、という話である。(※7)

事の次第はこうだ。

その模試の結果が返って来たその週末、『模試の事で話したい事があります』と親子三者面談が行われることとなった。

滅多に家に居ない父親がわざわざ昼から家に帰って来ての三者面談であったので、非常に緊張もしたし、内心『エライコッチャ』と思った。

先の通り、まだその頃(※8)は別段叱られる様な成績を取っていたと思っていないので、何故呼び出しを受けたのか分からない、という混乱もあった。

「こないだの模試の事なんだけど」と、母親が口火を切った。

「この志望校は、どういうつもりで書いたの?」

その時まで、得点偏差値といった所について怒られるものとばかり思っていたから、返答が「へぁっ?」という間抜け極まった返事になった。この面談が何の為に行われているのか、全く理解が追いつかなかったのもある。

娘の間抜けな返答にに、両親は特に叱るでもなく、母は言葉を重ねた。

増田あなた医者になりたいの?」

母の指先が示していたのは、志望校の欄に書かれた、地元医学部の欄であった。

「いや、そういう訳では…」

それまでのほほんと『まぁ今の偏差値ならこの辺りの学部書いとけばいいだろ』と志望校を書いていた増田は、母親言葉で『自分が本当に医者になりたいのか』という事を初めて、真面目に、考える事になった(※9)。

我が家勤務医であったので『実家病院を継ぐ為に、何が何でも医者にならなければならない』という家庭の事情も無ければ、『パパみたいにおいしゃさんになるのー!』みたいな可愛らしい夢も無く、『医者になりたいのか』という問いに悶々と悩んだが、すぐに答えが降って湧いて出る訳も無い。

いつまで経っても(※10)返答をしない増田に、母は再度口を開いた。

「じゃあ先に、私達の意見を、聞きなさい」

うろうろとテーブルの片隅に置かれていたコップの辺りで彷徨っていた視線をふっと上げると、母の強い視線に当てられた。残念ながらスローモーションにならなかったが、それでも随分と怖い顔をしていると思った。

「定年まで勤める覚悟が無いならば、医学部受験は認めません」

それまでずっと黙っていた父親は、やっぱり黙っていたけど、母の言葉追従する様にうんうん、と首を縦に振っていた。

※6:大見得を切った。自慢して歩ける程良くは無かったが、教師や親から叱られる程悪くも無かった

※7:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい(二回目)

※8:何の反動か知らないが、この話し合いの後一切勉強をしなくなったので、その後当然成績は真っ逆さまに落ちた。高校二年の頃まで、と書いたのはそのせいであ

※9:人生舐め過ぎである

10:とはいえ、今考えても三分も経っていない。カップラーメンは待てても娘の返答は待てないらしい

医者になるには、という話

両親の主張は、主に二点であった。

借金と返済の問題

医学部、それも国立医学部に入る、という事は、日本国民から借金をする(≒投資を受ける)と同義である

これは防大についても同じ事が言えるが、極論、医学部学生というのは『将来的には国益になる』と信じられているから、通常よりも多く『投資を受けている身分である

原資は何か?当然、国民血税である。その投資を受けた以上は、医者になったならば、労働を通して国民へ返さねばならない。

医学部に入って6年、専門を決め、安定した独り立ちをするまで更に数年。

10年近く投資を受けるのだから、同一年数は働かないと、その投資に見合った返済が出来たとは言えない。

最低でも46歳、そこまで働く気がないなら、税金泥棒になるのだと自覚しろ、と締め括られた(※11)。

資質問題

『どこでも眠れる』『すぐに眠れる』『すぐに起きれる』『寝溜めが出来る』の何にもかすっていない増田には向いていない。増田はどれも欠落しているか資質が無い。とばっさり切られた

何を想定しているか?無論、当直時、あるいは緊急時即戦力として対応出来るか否か、という事である

尚、緊急時には『有事』も含むからな、国立大卒なんだから当然、とも言われて、己の命の使い方も本気で考える羽目になった。

11:据わった目で『国益』という単語が出た時に、九州女性の腹の括り具合怖ェ、って思いました(感想文)。尚、両親は特定の党も支持していなければ、右の話も左の話もした事が無かったので、余計ビビりった

試みた細やかなる反論と、切り捨てられた回答

・私よりも成績の悪い医者が生まれるかもしれない(※12

→最低限の国資を通った以上、四十歳半ばで辞める優秀な医者よりも、定年まで働く普通医者の方が国益に勝る

看護師女性が大半だけど回ってる

→総数比を考えろ。数が少ないという事は、医師一人に対しての負担看護師比率分だけ上がると自覚しろ

別に定時で帰れる様な小さな病院に勤めれば良くない?例えばアルバイト医師(※13)とかさぁ

→甘 え ん な 阿 呆 (※14)

12自分がドベの成績で国試に受かるかもしれない、という思考を持たない愚かな小娘の僅かばかりの抵抗

※13:その当時、我が家の父は副業で日勤のアルバイト医師もしていたのでそういう発想に至ったのだが、若い頃はアルバイト医師として当直ばっかりしていた為、余計家に帰って来れなかったそうである。そりゃ人が居ない時間を埋める為のアルバイトであるんだから当然である

※14:地雷を踏んだ

終始大半を黙っている父親と、それを取り巻く家族の話

さて、以上の話は全て母親が話をした。

父親はずーっと『そうだぞ』とか『お母さんの言う通りだ』とか、合いの手しか入れなかった。

口下手、というのもあるが、彼は『父親ではない』というのが大きな理由である

一行で起こったこ矛盾であるが、彼は『生物学上における父親であるが『家族構築関係上における父親』でない、という人なのである

私が幼い頃、まだ医局という所は随分と力があり、若手医師の勤務先は医局の鶴の一存で決まる様なレベルであった。ペーペー医師である父は一週間の大半は家にいなかったし、弟は帰ってきた父親父親だと理解出来ず、抱かれた瞬間火の点いた様に泣いた、という古典的エピソードである程、家に帰ってこなかった。

ペーペーを脱しても主流医師でない(※15)父は、時には単身赴任も交えながら、随分と家から遠いあちらこちらの病院転々としていた。

結局、父親我が家根城に出来る様になる頃(※16)には子供達は反抗期を迎え、ちっとも父親として接していなかった父親は、子供とどんな話をして良いのか分からない、という状態に陥っていた、そんな時期がこの事件の頃合いである。

所謂、『仕事人間家族と関わって来なかったお父さんが定年を迎え、家族との接し方が分からない』という状態になっていた為、結果娘に何と言えば良いのか分からなかった、というやつである

彼がそうなった原因の一つに『田舎医者が少ない』という点がある。

圧倒的に『全体数が足りて無い』が故に、『一人当たりの当直数が多く』なり、またそういう人数が少ない病院ばかり転々としていた(※17)のも相まって、父親はいだって住まい病院です』みたいな生活を送っていた(※18)。

たまに家に帰って来て『今日はお父さんが帰ってきたから、家族四人で外食に行こう!』となっても、たった二時間もしない食事最後に彼のポケベル(※19)がけたたましく鳴り、家族団らんが解散になった事は数えきれない程あった(※20)。

当然、盆暮れ正月関係無く、少なくとも我が家帰省冠婚葬祭も含め父親を交えて一泊二日以上の旅行に行った事が無い(※21)。

そういう訳で、我が家は常に『母子家庭』と同等であった。何せ基本的家族行事に、父親はいだって居ないのである入学式卒業式も発表会も、父親がいた記憶が無い。

幸いにして母親専業主婦ではあったが、代わりに田舎ならではの『旦那(=増田父親実家の面倒』を見るという仕事はあり、最近流行り(?)のワンオペを当時より当然の如く強いられてきた。

別段その事については特に思う事は無かったそう(※22)だが、そういう母を間近に見ていながら『私の仕事の穴を他の人が埋めてくれれば良くない~?』みたいなニュアンス発言を娘が行った(※23)のは、流石に看過出来なかったらしい。

という事で、此処からは若干説経と、あと当初の想定通り偏差値について幾ばくかの説経が入ったので、ここで一端幕を降ろす。

※15:と父親本人が言っていた。本当の所は知らない

※16:医局の力が弱くなってきた事と、勤務先について本人の希望を汲んで貰える程度には中流層に入った頃合い

17:「していた」のか「させられていた」のかは、今はもう分からない

※18:一度だけ父がインフルエンザに罹った時に、『入院していい?』と聞いたら、師長さんに『(いつも病院生活してるんだから、)病気先生の面倒まで見たくありません』と断られ、そのまま家にいた母親に迎えの要請電話が来た(実話)

※19:少なくとも、私が小学校を上がる頃まではポケベルが主流であった

20とある店に行くと、なぜか謀った様に毎回毎回鳴るので、仕舞いには弟と『今日ポケベルが鳴るか鳴らないか』という賭け事(掛け金:翌日のオヤツ)をやっていた(※現金の絡む賭博行為違法です)

※21:いわんや海外旅行をや

※22:父と結婚するにあたり、ワンオペ育児を行う事になると重々言い含められ、了承の上の結婚だった、と後に語る

23自分の穴埋めをしてくれる人(=他の医師)を全力でバックアップする人間(=その医師家族)に対して軽視し過ぎであり、礼を失した態度である、というお怒り

後日談

その後、別日ではあったが、もう一度話をされた。

その時に言われたのは、

増田が本当に医者になりたくて且つ子供も欲しいなら、孫(=増田の子供(※24))が一人で留守番が出来る年齢になるまでは私がフォローする。私の体力が追いつかなくなったらシッター代も出す。だからそれも踏まえた上で、自分が『医者』になりたいのか、『母親』になりたいのか考えろ

・ただし、その場合増田就職は(地元)県一択になるだろうから、そこを前提に考えろ

田舎から出ていきたいと思うなら、専業主夫になってくれる男性結婚か、或いは子供を持たない夫婦二人暮らし選択する事になるが、家事労働を金で買うかのどれかだが、そういう考えに賛同してくれる相手は数が少ないと心得よ

医者になる幸せと、(増田)の人生幸せ(※25)と、よく考えてから志望校は決めなさい

そういう話をされ、『そこまでして医者になりたいか?』と考えた結果、以降増田志望校から医学部名前を書かなくなった。

24:結果として、母親の想定年齢を超えても増田は一人身だし当然の様に孫も産んで無い為、このくだりを書きながら無駄な気苦労をさせてすまない…、という気持ちで一杯である

※25:生活力の無さを見抜かれた上での発言であり、別に子供を産むことを推奨はしていない。30歳を超えたある日、電話口で母に『孫いなくてごめん』と謝ったら『子供なんて、居たら居た形の幸せがあるし、居なきゃ居ない形の幸せがあるんだから比較も出来ないし、(母)に謝る事ではない』と叱られた。本当にすみません

第一声について

此処まで書いてこんな事を言っても信じて貰えないだろうが、別段増田は『女性医者になるな』と主張したい訳ではない。

ただ、医者になりたいのであれば『自分が誰に投資をされたのか』という事を忘れないで欲しいし、その投資に対して最低限ペイをする気が最初から無いならば、その道は他に譲ってくれないだろうか。(或いは、現場医師ではなく、研究職といったルート選択するとか、兎角ペイを出来る道筋を立てて欲しい)

そして、医者の総数が少ない以上、途中で辞めてしまう優秀な医師よりも定年まで働いてくれる平々凡々な医師の方が有難い、と思う程に、医師の少ない地域があるのだ、という事実に少しで良いから目を向けて欲しい。

産休・育休をしても尚女性医師が長く働ける職場を、と言うならば、お互い様精神で、男性医師だって同じ様に休ませて欲しい。女性医師休みは認めろと声高に叫ぶならば、同じ様に男性医師にも同じ期間だけ育休を取得する権利を声高に叫んでくれ。

女性妊娠出産するから優遇されて当然でしょ!』ではなく、女性であろうが男性であろうが同じ様に当直を行い同じ様に休みを取り同じ様に昇給して同じ様に家族との時間を持てる様にと主張して欲しいだけである

が、現状、当然比較論ではあるが妊娠出産を機に投資に見合ったペイもせぬまま医者を辞める女性は多く、その穴埋めを男性医師が当然の如く行っている以上、男性下駄を履かせたり、女性を少なく取ったりしたって『当然だよなぁ』と思うのである

少なくとも、医者になりたいし母親にもなりたいの!と思うならば、実家フォローパートナーフォロー(※26)/民間(例:シッター)のフォローなど、両立出来るだけの道筋を立てられるかどうかを、一度考えてみて欲しい。

※26:我が家場合は『奥さんに丸投げ=パートナーフォロー』なので、真面目に女医を成立させるならで自分の代わりに家庭を全て回してくれる人を探す案をおすすめしたいし、現状それで男性医師の家庭は回っているのだから女性医師が真似ても上手く回る例なのでは?と本気で思っている

当該の迫害されている女性医者(或いは医学部志願女性)では無くて、けれど『女性差別だ!』と怒れる方へ

まずは一人一人が己の健康を顧みて、医師負担を減らす事で、医師仕事量の総数が減り、結果男女共に産休・育休を取りやすくする事を目指しませんか?

具体的には

・無茶なアルコール飲酒をしない(急性アル中患者を減らす)

・無茶な運転をしない(交通事故患者を減らす)

・日々歩く、と言った最低限の健康管理を行う(成人病リスクを下げる)

・(今のシーズンだと)熱中症予防をきちんと行う(急患の数も減らし、重篤熱中症患者を出さない)

予防接種を受ける(風疹騒ぎ、よもやお忘れではあるまいな…?)(※27)

健康診断を受ける(数年に一度脳ドッグオプションを付けたり、市町村区フォローしてくれるガン検診を受けたり、早期発見早期治療を目指す)

みたいな。

少なくとも、そういうフォローの仕方もあると思うので、ご一考頂ければ幸いです(※28)。

※27:予防接種については、医学的に受ける事も出来ない人(例:妊婦風疹ワクチン)もいるのだから、少なくとも飛沫感染・蚊を媒体にした血液感染系の予防接種医学的に問題が無いなら受けて欲しい。接触型感染である子宮頸がん、みたいな類のワクチン医師家族相談の上自己判断で良いと思うけど、少なくとも不可抗力他人うつしてしま可能性があるならば、皆で予防する、というのは基本的な事ではないか

28:これ、医者に限らず例えばサービス業に対しても同じだと思うのですが。と申し添えておく。お金も払わずサービスだけを求めるのを止めて、サービスに見合った対価を払うか、或いは対価を払いたくないのであればサービス求めないとか。まずは等価交換が基本でしょう?

おわりに

この間、実家に帰ったら父親にぼそりと『(増田)を医学部にやれば良かった』とか言われた。

オメェ、あの時散々反対したじゃねーかよ。と殴ろうかと思ったけどやめた。

属性医者』をようやく辞める事が出来た彼は、ようやく『属性父親』の練習を始めたばかりであり、目下家族との対話練習中なのであり、まだまだ足りない日本語(※29)をフォローし、行間を読む日々は続きそうである

※29:我が父は日本語も下手だし自力で読解出来ない文字を書く為、転々

2018-07-02

anond:20180702011310

育てた側が正解を知るときって育てた子の節目なんだよ

本当にそれが正解かどうかも解らないのに教えたり導いたりしないといけない

その答え合わせは入学式とか運動会とか就職とか結婚とか出産とか、そういう節目でやっと解る

ただ、別に答え合わせできる節目は大きな節目じゃなくても良い

長男が"お兄ちゃん"できているとか、次女が肩たたき券くれるとか、娘に今日は私が出すよと言われたりとか、息子に酒を奢られるとか、そういう小さな節目でも答え合わせはできる

ちゃん感謝してるなら自分のペースで良いか人生を歩んで、大なり小なりの節目を見せてあげな

きっと姉ちゃんはそれが一番嬉しいはずだから

2018-07-01

anond:20180630150652

40代女医麻酔科医です。子供いないので、あまり参考になるようなことが言えないかもだけど。

かに責任は重く、労働時間は長く、突然の呼び出しもあり、私生活に対しても社会の目は厳しい。

こんな状況で出産子育てなんてできるかという気持ちはごもっともです。

でもそれって女医だけの問題でしょうか?

社会全体を見れば、共稼ぎ世帯が増加したことで、男性育児参加は当たり前、育休収得も増え始めています

男性医師も少しずつ意識が変わりつつありますメジャー科の男性医師でも「子供入学式にために休みます」という人も珍しくない。

長期の育休を取った男性医師はまだ見たことがないのですが、制度上は問題ないんだし、そのうち出てくるんじゃないでしょうか。

今までの医師ロールモデルは「(家庭を顧みる必要のない男性医師私的領域まで犠牲にして働く」という昭和的なものだったのですが、

平成も終わろうという今、これを踏襲し続けなければならないわけがありません。

陳腐な言い方であまり好きではないのですが、「女性が(家庭を顧みなくていい)男性並みに働く」ではなく「男女ともに家庭を大切にしながら働く」。

正直男性医師だって休みたいし、家庭を大事にしたい人は多いんです。メジャーだって、これから時代医局員増やしたいならここらへんちゃんと考えてます

今後老年人口が増加していく中で、これ以上医者疲弊しない労働環境づくりは結構重視されてます

主治医制を撤廃した病院もありますベテランだって皆、もっと楽に仕事が回るようにしたいんです。

あなたに「メジャーに行け」という意味じゃなくて、「『出産子育てをする女性からできない』という考え方は、次世代への呪いになるからやめときなさい」と言いたいのです。


あと新専門医制度は悪い文明。一回滅びろ。一回と言わず永遠に滅びてろ。


最後ちょっと厳しいことを。

産後復帰しようとしたら入局後2-3年は、あなたの言うようにすべてを捨てて頑張ったほうがいい。そうしないとまともな産後復帰は難しいです。

復帰しても指導者監督下で簡単なことしかさせてもらえない→やりがいもなくなって退職というコースになりやすいです。

サブスペシャリティが得られるまで頑張ったなら、よいバイト先もまわってきてやりやすくなるのですが、そこに至るまでの年数がネックですね。

まー、意地悪な言い方ですが、夫が医師でない場合経済的理由からか復帰への意気込みが違います

正直「旦那さんが医師で入局1-2年以内に出産」ってパターンの子は、まず戻ってこないだろうなーと思って見てます

どうなるにせよ、医師という職業を続けるからには一生勉強なのです。

子供いるから・育休取ってたから」は労働時間制限にはなっても、医療の質を下げていい言い訳にはなりません。

子供がいて育休たくさんとってても、時間内の仕事の質が高く、医局内でも評価が高く後輩から尊敬されているような女医さんもいます

近くに良いモデルになるような先輩がいないのかもしれないけど、産休・育休取った女医さんのこと、あんまり低く見ちゃだめだよ。

「女が女を低く見る」構図は、ますます男性有利な状況を作り出すよ?

医療崩壊なんて、あなた一人の決断ぐらいでそんなに簡単に起きないから。自分のやれることをやるだけだよ。

(つーか、お若い方だからだろうけど、私ぐらいの世代だと今は「いったん崩壊した後の焼野原になんとか芽が生えてきた」という認識なんだけどねえ。)

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