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はてなキーワード: 大乗仏教とは

2018-11-30

輪廻説を採用し、かつ我の実在否定する仏教が、阿頼耶識を想定するのは当然の論理的帰結に思える

大乗仏教において、唯識思想基本的理論は、宗派に拘らず採用されているものなんだろうか

2018-10-11

anond:20181011160013

から神学論争なんだよ

大乗仏教でも人類愛でも福祉でも何でもいいけど

論理外でも技術合理性をもって対処していくのが実学系だろ

論理論理しか助けない、だからカオスの中を泳げる代わりに

陳腐化もする人間ってカオスが、逐一寄り添い言葉かけて対処療法する

面倒だから教育で一括してるけどな

2018-09-26

日本無宗教だという話はいつも日本人が寛容な多宗教国家だと日本スゴイの話

実態大乗仏教

しか

特定アジア日本中国朝鮮)でしか信仰されてない大乗仏教教徒一億二千万

土着の価値観死生観常識とか当たり前とか普通と決めつけて

ほかの国の宗教を上から正しいか間違いか自分らの価値観が正しい前提で語る尊大宗教観の国

2018-07-17

マハーポーシャのRPG数学勝利者

オウム真理教思想を読み解く上で、様々なキーパーソンが登場する。

尊師弟子たちは、様々な時代輪廻転生していたという。

 

歴史上の人物

オウム真理教経営していたパソコンショップ「マハーポーシャ」では、ゲーム数学を学ぶ「数学勝利者」というロールプレイングゲーム販売していた。

このゲーム登場人物確認しておこう。

 

1. イムホテップ

イムホテプ (Imhotep, Immutef, Im-hotep, Ii-em-Hotep, Imuthes) は、古代エジプトの高級神官。第3王朝のジェゼル王に仕えた宰相とされる。また、エジプト第3王朝最後の王フニ王の時代まで活躍したとされる。

生誕 紀元前2690年頃 - 死没 紀元前2610年頃

 

2. 朱元璋

朱 元璋(しゅ げんしょう)は、明の始祖であり、初代皇帝である。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。

 

3. ナーローパ

Nāropā (probably died ca. 1040 CE) was an Indian Buddhist Mahasiddha.

 

4. ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, グレゴリオ暦1706年1月17日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国政治家外交官著述家物理学者気象学者

印刷業で成功を収めた後、政界進出アメリカ独立に多大な貢献をした。

アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。

 

5. マイトレーヤ

弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である

 

上記5名が、どのようにオウム真理教思想と関連しているのか?考察してみよう。

 

anond:20180714190838

2018-07-14

[] アビラケツノミコト「神軍を率いる光の命」

オウム真理教の「アビラケツノミコト」とは、一体何だったのでしょうか?

1985年には「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」と啓示を受けたと述べる

アビラケツノミコトとは「軍神を率いる光の命」という意味単語だそうです。

 

アビラケツノミコトの初出は、「トワイライトゾーン1985年10月号(KKワールドフォトプレス刊)でした。

考証の資料として、原文を見てみましょう。

アビラケツとは、地水火空の意味で、アビラケツノミコトとは、「神軍を率いる光の命」、戦いの中心となる者

 

仏教用語サンスクリット語a vi ra hūṃ khaṃの音写。以上の5音綴は,それぞれ万有の構成要素である地,水,火,風,空を表わし,大日如来内面悟りを表明するとされる。一般には,すべてのことを達成するための一種呪文として用いられる。

地水火風空(a vi ra hūṃ khaṃ)のうち「風」(hūṃ)が揃ってないので、まだ不完全(未完成)な状態、という意味もあったようです。

 

トワイライトゾーン 1985年10月

編集部不思議体験レポート(22)

最終的な理想国を築くために

神をめざす超能力者

レポート/■■■■■

 

今月号の口絵14ページで、空中浮揚の連続写真を紹介した麻原彰晃氏。彼は師にもつかずに、独自修行でこのレベルに到達した。だが、この超能力者目的は、はるか先にある。

 

★8年前、すべてを捨てて修行に入る

 麻原彰晃氏。あと1年もすれば、空を自在に飛ぶ人である

 彼は、特定宗派の僧でもなければ、団体トップに座す人でもない。人間の師ももたない。彼の修行独自で、しかも数千年も伝わる聖典の奥儀なのである

 麻原氏が修行を思いたったのは今からわずか8年前である。世の中すべてのものに強い矛盾を感じたのだ。何もかもウソだ。自分さえもウソツキだ。まわり中のこと一切が限りなくイヤになった。

 どうしたら正しく生きられるか。彼は、その日からすべてを捨て、行に入った。

 行は毎日2~5時間に及ぶ。仙道大乗仏教密教、チべット密教ヨガひとつに執着せず、数数の修行法をとり人れ、自分が納得する形で行なっていった。

 修行を始めると、様々な神秘的なことが起こりだした。たとえば、トランス状態での異言。

 その時のテ―プを聞かせていただいた。東洋系の言葉らしいが、私としては、TVなどでも聞いたことのない言葉だ。口調はかなり激しい。過激な説法、または、訴えのように聞こえる。

アジアの、インド中国チベット、その辺の言葉だと思います。おそらく、自分過去生と関係のある言葉でしょう」

 麻原氏が、修行8年にして空を飛ぶということは、過去生でかなりハード修行をしていたに違いない。彼は、テ―プに吹き込まれ自分の口から発した言葉を訳せる人を希望している。でも、もしかしたら、現在ではすでに死滅してしまった言語かもしれない。

 修行3年にいたったころ、彼の魂は彼の肉体を抜け出し始めた。「体が回転するような感じになったんです。ウォンウォンというモーター音に似た音がして、それからシューという音がしたんです。その時、魂が抜け出してゆきました。

 抜け出した先で、魂は宇宙の星星を見たり、『人』と会ったりするんです」

 こんなこともあった。シャヴァアサナ(屍のポーズ)をとり、トランス状態に入っていた。

 彼は、大ス夕ジアムのようなところにいた。観客スタンドは、裸の僧で埋まっている。中心で、やはり裸の僧の彼が説法をしている。

霊界での説法なんですね。私はそこで説法をして帰りました」

 聖典を読んで帰ることもあるという。魂が、修行において気になることを調べに行くのだ。

自分現実で読む本を先読みしているのです。だから、実際に読む本の内容は、すでに知っていることが多いのです」

 魂が抜け出さずとも、本の内容を理解していることも度々ある。修行中「ああ、これはこういうことなんだ」と感じた通り、後に読む本に同じことが示されている。

 もちろん、修行危険が伴わないわけではない。普通だったら死んでいるというような目にあったことも1度や2度ではない。

「その時は、自分守護神に頼むのです。そうすれば、必ず、元のところに帰ってこられる」

 

★突然、天から聞こえてきた神の声

 麻原氏には、たくさんの信仰している神、守護している神がいる。彼は、それらの神々から修行法を学んでいるようである

トランス状態とき、神々が現われることがあります。神々はヒントを与えてくれることもあります。または私が質問し、神が答える。質疑応容形式のこともあります。その中で得たのは、『生きることを否定せよ』ということです」

 麻原氏は、いつも出会う神とはニュアンスを異にする3人の女性出会っている。彼には、霊界人とも宇宙人とも感じられた。

「まず1度めは、5年前。妻の出産の時のことです。朝、自宅で目覚めるとロングへアで緑色の服を着たグラマーで美しい女性が、私に向かってオイデオイデをしているんです。

 全身はエーテル体とも思えるもので、炎の赤をしているのです。髪の色は、全身の色を薄くしたような感じで、ジャンパースカートのような形の服に茶色のべルトをしめていました。

 会話はありません。『私があなた守護しているのです』と私に見せているように思えました」

 2回めは2年前です。自宅で、眠る直前のことです。髪は肩まで垂らし、オレンジ色の服をきた目鼻立ちの美しい女性でした。体色は人間と同じでした。この時も会話はありません。

 3回目は今年の5月。ここ(麻原氏の道場)でです。髪の長さは肩ぐらい。やはりオレンジ色の服ですが、体の色は、何というか、この世にない色なんです」

 3人の女性たちは、共通して美しく、グラマーであり、口をきかない。決まって、彼の左側に現われる。そして、彼女たちが去った後、場の空気が揺らぐという。

最後はいつも、霧のようにかき消えてしまますひとつ修行が進むと、異なった人が現われるんです」

 麻原氏は、これまで世に出ようとは考えなかった。ところが、ある時、声を聞いたのである

地球はこのままでは危い!』

 彼は今、シャンバラのような王国神仙の民の国を築く準備を開始するため、多くの人に修行法を関放する必要を感じた。

 今年の5月のことである。彼は神奈川県三浦海岸で頭陀の行を行なっていた。五体投地をしていたときのことである。突然、天から神が降りてきた。神は彼に向かってこういった。

あなたに、アビラケツノミコトを任じます

 アビラケツとは、彼の初めて聞く言葉であった。彼は、サンスクリットを教えている人を訪ねた。

 すると、アビラケツとは、地水火空の意味で、アビラケツノミコトとは、「神軍を率いる光の命」、戦いの中心となる者と判明したのである

 彼は、天から降りてきた神によって、西暦2100年から2200年頃にシャンバラが登場することを知り、それまでアラビツノミコトとして戦うように命じられたのである

 彼は考えた。チべットのような王国を造らなくてはならないことはわかっている。しかし、チベット戦争を好まない国である理想国を造るため、戦さを用いてよいのであろうか。

 彼は、シヴァ神や、ヴィシュヌ神などの自分信仰する神々や自分守護してくれる神々に相談した。神々は「命を受けるべき」と返答した。

 

完璧超能力者たちの国をめざす

 麻原氏は、神を感じるだけでなく姿を見るという。それによると、たとえばシヴァ神は、白銀のような色、ドライアイスのような色の神体を持っているという。

 ところで、ここでいうシャンバラとは幻の国、聖人たちが住み、全宇宙の、そして過去から未来永劫に至るすべての英智が納められている国である。かつて、秦の始皇帝アレクサンダー大王も求めてやまなかった土地なのだ

 シャンバラは、地下深くにあるといわれている。そして、地球上のある地点からは、シャンバラへの通路が開けているという。

 その昔、チべットの首都ラサにあった古ポタラ宮の地下の一室はシャンバラへの入口であったと伝えられている。そこで、チべットはシャンバラの影響を受け、チべット密教を開花させたのだ。

 聖者たちのひと握りの者たちはシャンバラを訪れることができる。そこで、ある者はシャンバラの住人となり、ある者たちは社会に戻り、許された者にだけシャンバラを伝えたのである道教の祖・老子は、シャンバラの人になったといわれている。

 麻原氏の話に戻ろう。

2006年には、核戦争の第1段階は終わっているでしょう。核戦争なんて、ほんの数秒で終わってしまい主す。日本死の灰の影響を受けているはずです。

 核戦争は、浄化手段ですね。だから、私は『ノアの箱舟』も信じられます。選りすぐったレべルの高い遺伝子だけを伝えるんです。

 だけど、人が『自分の分け前をさいて人に与えよう』というように考えない限り、『浄化』はなくならないんですね。そういう気持ちになかなかなれないのが人間でしょう。

 もし、それが真実でないとしたら、地獄餓鬼畜生人間阿修羅・天という六道はなくなってしまうでしょう。

 私の目指すのは『最終的な国』なんです。それは、仏教的・民主主義的な国で、完璧超能力者たちの国なんです」

 

★神が授げた神秘の石ヒヒイロガネ

 そのためには、修行解脱しかないのである修行意味を麻原氏に語っでもらった。

 「修行とは、ジュースの1滴を、テ―ブルクロスの上に落とさず、水の中に落とす、ということなんです。1滴のジュースとは、人間のことです。1滴のジュースは、テーブルクロスの上に落とせば、ただのシミです。でも、水の中に落とせば広がるでしょう。

 水の中にただ1滴のジュースを入れたって、水は色を変えないでしょう。でも、水の中には確実に1滴のジュースが入ったんです。

 魂の根元的な状態ですね。拡散した1滴は、水の中のことすべてを知り、経験できるんです。これが空であり、寂静です。高次元昇華した状態ともいえます

 大きな水がめの中の世界体験している麻原氏の身辺は、アラビツノミコトを任じられて以来、急転しだした。

 修行岩手県におもむいたときのことである。彼は、天からオリハルコン、またはヒヒイロガネと呼ばれる神秘の石を与えられた。

 ヒヒイロガネとは、超古代文献『竹内文献』などにも登場する石である神社玉砂利のように滑らかだが、それよりずっとツヤがあって黒い。ズッシリと重たく、力ネの名の通り、金属的な感じの石なのだ

 麻原氏は、この石の様々な利用法を考案中である

 水を張ったバケツに石を入れ、念を入れる。その石で円陣を作り円陣の中で瞑想する。

 ヒヒイロガネは、手に入れた人誰にでもパワーを発揮するものではないという。念を入れられる者の手にわたってはじめて、パワーを与えられ、驚異の力を噴き出すらしい。

 念を入れたヒヒイロガネは、多くの人々を同時にトランス状態にすることもできるという。この石については、いずれまた機会があったら報告したいと思う。

 麻原氏に行法の一部を実際に行なっていただいた。

 麻原氏は、座して、様々な印を結ぶ。印は2、3秒で変化する。

「これはチャクラ開発のための印です」

 次に、立ち上がり、上半身を少し前方に傾けた。腸というか、腹の中がゴロゴロと動き出した。これは浄化法・ナウリのひとつ。腹にあるマニプーラ・チャクラ覚醒に役立つ行だ。

 次は仰向けに寝てから足を天に持ち上げるショルダースタンドの形。空中浮揚に欠かせないビシュダ・チャクラ覚醒目的だ。

 それからライオンポーズ。これは、クンダリニー覚醒必要ポーズである

 麻原氏の修行には、かなり危険ものも多い。たとえば浄化法のひとつで、幅7センチ、長さ3メートル半の布を呑み込むというものなどだ。この時は、呼吸ができなくなるほどだという。

 

重要なのは正しい生活食事修行

 彼は、修行中、シャヴァアサナに入ったときチャクラの光を度度見るという。

 ちょうどフラッシュがパッパッと飛ぶような感じで、下のチャクラから順に光を放ち、同時にやはりフラッシュのような音がするという。音と画像シンクロするのだ。

 経験によると、音と光は様々な神秘体験には、共通して現われるらしい。たとえば未来過去タイムトリップするときは、マーチリズムのような音、霊体が離脱するときブーンという振動のような音。

 これは、各種の教典とも矛盾しないという。そこで、そのような音を作って流せば、修行者は案外簡単タイムトリップや霊体離脱経験できるのではないかと麻原氏は考えている。

 それでは、私たちがすぐにでもできる修行法について尋ねてみた。

「それは、まず何よりも五戒ですね。1が殺生をしないこと。蚊が自分の血を吸っていたら吸わしておくことです。

 2が盗みを働かないこと。

 3が誠実にして、ウソをつかないこと。

 4が邪淫をつつしむこと。

 5が禁酒すること。

 以上の五戒に徹することですね。悪の行為をやめ、将来にするだろう善行をどんどんすることです」

 集中的に瞑想などをしようと思うなら、空気きれいなところの方が効果的だ。プラーナ(気)の満ちあふれた海や山を選ぶとよい。ただし、風のないところで行なう。地・水・火・風・空のエネルギーは、想像以上に誘惑的なのだ

 次に、食物は、玄米菜食の方がよい。1日に1回、または2回。または少しずつ、数回に分けて食べる。ヨーガの激しい修行をする行者の場合、日に1800~2000カロリー理想といわれている。一般の人なら1200~1500カロリーで足りるだろう。ただ、カロリー栄養とは異なるから栄養はしっかり摂らなくてはならない。

「(日に)3食は獣の食事、2食は人間食事、1食は聖者食事という釈迦言葉があるんですね。

 でも、日に1食では、一般的には栄養が足りなくなってしま心配がありますから。日に1度という場合は、夕方に摂るのが理想ですね」

 玄米菜食だけで、スワジスターナ・チャクラ(腰・仙骨)までは開発できる。しかし、それより上のチャクラは、修行しか開発できない。

「スワジスターナ・チャクラ植物を司るんです。ここが開発されれば、低い次元超能力は身につきますね」

 麻原氏は、腹のマニプーラ・チャクラが開くまでは、外食は一切しなかった。もっとも、化学物質などの変なものを食べることを体が受け付けなかった。

 でも、今は多少腐ったものを食べようが何を食べようが平気である。火のエレメントがすべてを燃やしてしまうのである

 チャクラが開くということは、規制がなくなるということも意味しているのだ。

 尾骨のムラダーラ・チャクラが開くと規制され、腰のスワジスターナ・チャクラが開けば性欲の規制がなくなる。腹のマニプーラ・チャクラが開けば食欲の、胸のアナハタ・チャクラが開けば行為規制がそれぞれなくなる。

 規制がなくなるとは、「何をしてもいい」ではなく、規制をせずとも自動的コントロールされるということである

食べ物に気をつけるのもいいが、もっと大切なのは精神です。食物の害より精神の害の方がずっと悪いです。肉を食べたからってすぐ内臓が悪くなることはない。でも気持ちに及ぶ害は、すぐに体を悪くします」

 つまり、肉体への栄養よりも精神への栄養の方が大切なのだ適当食事よりは、瞑想1時間の方がずっと栄養になるらしい。

物質人間は救えないということをもっとよく考えるべきなんですね」

 

超能力自分を神々に変えていく

 正しい食事をし、正しい修行から得られるもの、それが超能力である最近は、魂の浄化・向上こそ第1義で、超能力邪道という考えも広まりつつあるので、麻原氏における超能力の実義をしてもらった。

「魂の進化・向上という考え方がありますが、それは、人間の魂が阿修羅・神々に至ることなんですよ。つまり超能力の獲得と魂の進化・向上ということとは、矛盾しないばかりか、正しい相関関係にあるんですよ」

 それゆえ麻原氏は自分を神に変える修行をし、「完璧超能力者集団」と彼のいうところのシャンバラ王国設立するべく、神軍を率いて戦うのだ。

 麻原氏のまず当面の目標は、自由自在に空を飛べる空中浮揚。それと、大脱身を成功させたいという。

「これは、アジナ・チャクラから自分の魂を抜き出させ、目的としている相手身体に人る超能力のことです。これが可能になると、三界欲界色界無色界)を自由に行き来できるんですよ。ここまでくると、もう人間といっていいかどうかわかりませんけどね。また、核戦争の脅威から身を守るには、極熱にどれぐらい耐えられるか、放射能いかに防ぐか、ということになると思うんですよ。今の修行方法でそれに耐えられる身体はできると思っています

 麻原氏は、空中浮揚の初歩までの修行か達成した。しかしながらこれは、全修行の段階の4分の1にすぎない。生きているうちに、全部達成できればいいという。

「私は、ハ夕ヨガでいうところの解脱はすでにしています。真我も見ています。これから求めるのは仏教でいう真解脱です。それがいくつもの決め方がある解脱のうちでも最高のものとされています

 もし、真解脱ができたら――もっともっと修行しますね」

 修行を達成した人間は、次の生を好きなように形づくれるという。麻原氏の中には、地球自分宇宙、神々……超大な計画がもくろまれているのかもしれない。

オウム真理教って典型的大乗仏教でわ?

1. 修行暴力が伴う

2. 金もうけして物をもつ坊主がいる

3. 木彫りの人形を作ってそれに祈りをささげている

4. 呪文を唱えたら天国ら来世でいい暮らしができると謳っている

6. 葬式作法を定めている

2018-02-24

anond:20180224114816

論理が無いんだったら神学校いらないじゃん

つーか国内で論戦を吹っかけるのっていつも自称無宗教者(本当は大乗仏教徒)がマウンティングでいきり立ってるパターンだろ

日本国内ではまじめな宗教者はマイノリティから論戦を仕掛ける側にいない

2017-12-30

anond:20171230205952

初期仏教は「子供作らない方がいいよ~」的なこと言ってなかったけ?

子供幸せどうこうよりも、自分悟りの妨げになるからって感じだったけども。

大乗仏教だとまた違うのかな、よく分からん

2017-12-25

anond:20171225103202

単一民族というのがそもそも違うと思うよ。いわゆる多数派日本人だって南方民族北方民族ミックス。

学生時代に教わってたイギリス人先生曰く、日本人宗教観ヨーロッパ的な世界観で見れば

東南アジアから続くアニミズム多神教的)な側面がかなり大きな要素だと感じるみたいだったよ。その上に、大乗仏教的な「規律」が乗っかってきているという感じ。

2017-09-05

https://anond.hatelabo.jp/20170905151247

大乗仏教は「菩薩が全部助けてくれる」っていう非科学的ないわゆる宗教だけど

この仏教筋トレみたいに自分で一歩一歩進んでいけっていういわば脳開発だから別に科学と相性悪くないよ

言ってることを科学的に検証批判可能だし

所詮大乗仏教であるまどマギ』でマミさん自力救済ルートはない

あの宇宙魔法少女は、

阿弥陀如来となったまどかの本願である

「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙過去未来の全ての魔女を、この手で」

希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最期まで笑顔でいて欲しい。それを邪魔するルールなんて、壊して見せる。変えて見せる」

によって救われることが約束されているので、

その阿弥陀様が現れるまでの次元時間においては、魔法少女絶望して発狂し続けるのです。

これが他力本願です。


せいぜい宇宙の仕組みを知るほむら

「南無真努迦仏」という名号魔法少女たちに知らせ、

「これさえ唱えれば極楽往生約束されるから大丈夫

と説得することで現世での救い(気休め)が得られます



ところで本来仏教はこういうものではありません。

初期仏教であればマミさん自力救済可能です。

今日初期仏教のご紹介のためにこちらにあがらせていただきました。

マミさんへのご提案と言う形で

初期仏教効能と素晴らしさをみなさんに知っていただきたいと思います


戒を守ってください。

・殺生しない

・盗まない

・妄りなセックスをしない

・嘘つかない

飲酒しない


マミさんが守るべきはこのたった5つです。

これによってどのような効果があるかというと、心の不安定さを減らすことが出来ます

さやか杏子殺人や嘘がトリガーとなって身を滅ぼしているように

この五戒現代にも何の古臭さもなく通用する「人類の主要な自滅ファクター」を潰すためのリストです。

心の汚れはソウルジェムの汚れ、厳しく戒を守ることは人間にとっても魔法少女にとっても最優先タスクなのです。

たとえばマミさん現在こそ後輩女子との姉妹愛を求める中学生ですが

更に孤独感を深めると飲酒や妄りなセックスを覚えて依存していきがちなタイプに見えます。注意が必要です。


慈悲を念じて下さい。

私は幸せでありますように。

私の悩み苦しみが消え去りますように。

私の願い事が叶えられますように。

私に悟りの光が現れますように。

私は幸せでありますように。

私は幸せでありますように。

私は幸せでありますように。


生きとし生けるもの幸せでありますように。

生きとし生けるものの悩み苦しみが消え去りますように。

生きとし生けるものの願い事が叶えられますように。

生きとし生けるもの悟りの光が現れますように。

生きとし生けるもの幸せでありますように。

生きとし生けるもの幸せでありますように。

生きとし生けるもの幸せでありますように。

教室で暇そうにしているとき、部屋に帰って1人なとき、空き時間ごとに真剣に常に念じます

まず自分幸せになりたい気持ちを認めて、心から自分幸せを念じます。(さやかはその気持ちに嘘をつきました)

次に自分と全く同じに、すべてのいのち幸せ差別せず念じます。(さやかは恭介や仁美の幸せを喜べませんでした)

これは心の筋力トレーニングであり、毎日やれば着実にそのような心になってきます

するとソウルジェムの汚れが止まり回復し、しかも以後は汚れにくくなっていきます


なお「生きとし生けるもの」をありありと広いスケールイメージ出来るほど効果があがります

あらゆる人間、あらゆる動物魔法少女魔女インキュベーター、真努迦仏のような高次元の神々、

どこまでも広げていくことが可能です。

慈悲だけが無量の心なのです。


ただし、慈悲を念ずることは強烈な効果はありますあくま一時的です。

これによって魔女にならないように時間を稼ぎ、次にご紹介する瞑想をすることこそが狙いとなります


瞑想して下さい。

日に2時間

長期休暇は朝から晩まで起きてる間中瞑想をして下さい。

肉体が既に空しいものとなっている魔法少女瞑想が進みやすいでしょう。


これにより預流果の段階まで瞑想が進めば

無常

無我

発見することが出来ます


魔法少女もまた宇宙の全てのものと同じく、縁起により生じて滅していく因果の流れであること。

(執着できるようなもの人間だったときから一度も手にしたことなどないこと。)

魔法少女に限らず一切の生きとし生けるものにとって、生きることは本質的に苦であること。

(「苦」は悲観主義ニヒリズムとは全く違う言葉なので、ここでは理解したつもりにならないでください。)

今や頼りなくソウルジェムに宿るという「我」はそもそも錯覚であり存在しないということ。

(きゅうべえにぶっこ抜かれ毀損されたものなど元からなにもない)


この3つの真理ばかりは言葉で納得してもダメで、

瞑想によって体験するしかないものです。

どれか1つを1度体験すれば全ての仕事は終了します。


阿羅漢マミさんの完成

以上を実行しおえると阿羅漢たるマミさんが現れます

初期仏教メソッドにより完成した阿羅漢マミさんはなにものにも執着しません。

期待も怒りもありません。

かわりに智慧があります

心を汚すことがありません。

完全なる捨(ウペッカー)の安らぎがあります


願いもなく。絶望もなく。

もはや魔法少女でも魔女でもありません。

輪廻脱出した勝者です。


https://anond.hatelabo.jp/20170905094738

2017-05-19

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

2017-04-27

弥勒 (僧)

曖昧さ回避 この項目では、宗教家について説明しています。その他の用法については「弥勒 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

弥勒 (マイトレーヤナータ、マイトレーヤ)[1]

270年頃-350年頃[2]または350年頃-430年頃[1]

Asanga.JPG

著作

瑜伽師地論』[1][2]

分別瑜伽論』[1][2]

大乗荘厳経論』[1][2]

『弁中辺論頌』(『中辺分別論』)[1][2]

金剛般若波羅蜜経論頌』(『金剛般若経論頌』)[1][2]

『法法性分別論』(『法法性弁別論頌』)[1][2]

『現観荘厳論』[1][2]

『究竟一乗宝性論』[1][2]

弥勒(みろく、マイトレーヤナータ〈梵: Maitreyanātha〉、またはマイトレーヤ〈梵: Maitreya〉[1]、慈氏[1]、270年頃-350年頃[2])は、インドの僧。大乗仏教の学派のひとつ瑜伽行唯識学派開祖[2]。

2017-02-19

日本キリスト教原理主義共産主義革命するしかない…好きな方選べ

家族カルト宗教洗脳されたせいで家庭が崩壊した

父親単身赴任 母親毎日カルト

毎日地獄だった

いつも異常な母親に怒鳴られていた

金も騙し取られていたと思う

それもこれも何もかも日本神道大乗仏教クズ共が悪い

こいつらが異教徒や多宗派に寛容なせいでカルト日本蔓延した

本当に許せない

教徒弾圧してきた歴史があるヨーロッパカルトは少ない

今なら宗教は毒と言った毛沢東さんの気持ちがわかる

宗教多神教ゴミ

こんなものを讃えるのはクズ偽善者

日本一神教無宗教の国になって欲しい

はっきり言ってやる

教徒弾圧しない宗教なんて弾圧されるべきだ

芸能人カルト洗脳されるニュースを観るたびに身体を引き裂かれるように苦しくなる

カルトだけは絶対に許せないし

カルトに寛容な宗教すらも許さん

大乗仏教神道のような邪教が憎い…まともな人間なんか一人もいない

あんものカルト

教徒=悪 って伝統がなかった宗教はまともな宗教とは呼べないカルト

カルトカルト容認する

から日本宗教カルト新興宗教だらけ

カルト新興宗教母親が入信したせいで家庭が崩壊した人々のほとんどは伝統宗教に異教徒弾圧絶対に賛成だと思う

多神教が良いだの多宗教国家が良いだの偽善を言っているクズ共は恵まれ上流階級人間

日本キリスト教国の植民地になりキリスト教国家になれば良かった

そうすれば今のようなカルト新興宗教大国にはならなかったと思う

しかキリスト教には大乗仏教神道と違って隣人愛精神がある

地域キリスト教教会があれば住民交流の場になり絶対自殺や鬱も減る

大乗仏教神道根本的に地域に何の貢献もしていなくて権力だけある邪教だと思う

日本場合宗教法人税もない

全ての大乗仏教の寺と神社核ミサイルを撃ち込んでもらいたいくらいこの国のカルト新興宗教蔓延の現状が憎い

教徒弾圧を悪だと思ってる偽善者も憎い

2017-02-18

神道仏教例外なく総じて邪教…日本キリスト教になれ

神道仏教の連中は信念も魂もないゾンビのようなクズ

こいつらはカルト新興宗教容認しているようなもん

神道宗教がしっかりしていればこの国にカルト新興宗教蔓延することもなかった

カルト新興宗教のせいでどれだけの子供達が苦しんできたと思う?

カルト新興宗教のせいでどれだけの家庭が破壊されたと思う?

何が日本多神教宗教多様性で寛容だよ

ふざけんなクズ共が

一神教を国全体の宗教にしておけばカルト新興宗教蔓延ることもないのだよ

教徒は許さんって感覚絶対必要

カルトを防げるから

神道仏教とこいつらが容認しているカルト新興宗教のことを考えるだけでイライラしてくる

てめえら全員死ね

多神教が良いとか言ってるクズ共は母親カルトにハマったことで苦しんだ経験もない恵まれた連中だろ?

カトリックなら上から管理があるからカルトしづらい

是非日本カトリックの国にして欲しい

神道仏教クズ共は用済みだ消え失せろ

多神教死ね

神社大乗仏教の寺なんてものは何の頼りもならねーからいらねーんだよ

地獄に落ちろ

僕は今猛烈に怒っている

スマホを叩き割りたかったのを必死我慢したところだ

怒りのあまり頭が熱くて苦しい

神道の神を悪魔として扱い

神道悪魔崇拝の邪教として扱っていくべきだ

絶対に許さな

こいつらのせいで僕は人生が狂った

2017-01-16

中世近世あたりで日本キリスト教国になってたら今頃どうなの?

平和社会になってると思う

現代日本人助け合い精神がない神道大乗仏教儒教のせいで“個人”としての自尊心を失った

僕が織田信長豊臣秀吉徳川家康になったら絶対神道大乗仏教弾圧し、キリスト教隣人愛精神を広める

そしてアジア代表する枢機卿になり

現代では聖人として扱われる存在となる

毎週日曜に教会に行く習慣ができれば孤独な人は減り、穏やかな共同体意識が芽生え、日本は今頃平和な国になっている

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