はてなキーワード: 貝塚とは
コイ本来の分布
もともとはユーラシア大陸が自然分布域だったが、移植によって世界の温帯・亜熱帯域に広く分布している。日本でも全国的に分布。
日本のコイは大昔に中国から移入された(史前帰化動物)と考えられ、縄文時代の貝塚からも化石が発見されている。しかし、関東平野や琵琶湖に野生のコイが分布することや、古い地層から化石も発見されていることから、日本にももともと自然分布していたが中国からの移入がありそれが広まったとされる
つまり、外来種の可能性は高いが、外来種であるという確証もない、というのが現在の通説のようだ
少なくとも縄文時代には日本に入っているので、外来種だとしても2000年以上前に伝わっている
それを外来種だとして日本から排除するのが正解なわけがないし、日本は少なくともこの2000年はコイ込みで生態系を回している
このような生物種を、起源だけでレッテル張りして駆除を主張するのは明確な間違い
コイを駆除しても2000年前の生態系に戻ることはないし、2000年前の生態系が理想的とも言うことはできない
コイによる生態系の破壊問題
コイは都市河川などで川をきれいにする目的で河川の環境保護の一環として放流される種でもある[2]。しかし、コイの本来の生息域は大河川の下流域や大きな湖で、中小河川に放流されると他の魚の卵や稚魚を大量に捕食してしまうことがある。こうした放流について、地元の固有種との交雑が起こって何万年もかけて築かれてきた固有種の絶滅を懸念する(遺伝子汚染)声もあるが、当事者には全く意識されていないのが現状である。
大河川の下流域に放すならば遺伝子汚染やコイヘルペスの防除などのリスクを除けば、生態系としては通常は問題がなく、中流域以上に放流するなら場合によっては問題がある
ちなみに話題のニュース、三重県伊勢市の馬瀬川は海もほど近い下流域
https://hicbc.com/news/article/?id=2022031302
日本の個体群に関しては化石の発見例がない、最も古い文献でも200年前に登場し江戸時代中期以前には本種に関する確実な記録がない、江戸時代や明治時代では希少で西日本や南日本にのみ分布するという記録があることなどから、朝鮮半島から人為的に移入されたと推定されている。台湾の個体群も中華人民共和国の個体群と遺伝的差異がないため、人為的に移入されたと考えられている。
200年前、江戸時代末期には日本にいたと思われるが、それ以前に全く痕跡がないことから外来種である可能性が濃厚
しかし、江戸時代末期以降は西日本、南日本の一部では定着していた
これはもう、コイのように有史以前から、というわけではないが、それなりの歴史がある外来生物である
ではこれを本当に外来種と呼ぶべきかどうか?に関する見解のひとつはこれ
https://kobe-sumasui.jp/wp-content/uploads/2020/10/H24.12.Kiraku04_01.pdf
この法律では,海外から入ってきた生物に焦点を絞り,人間䛾移動や物流が盛んになり始めた明治時代以降に導入された生物を中心に対応する,とあります.
時々,この外来生物法における対象生物の侵入時期の指定が「明治時代以降」と記されていることから,クサガメ日本列島集団は外来起源ではあるが江戸時代には日本に生息していたため外来種とは呼ぶべきではない,と言われる方がおられます.
しかし,そのような解釈は間違っており,現行の外来生物法では明治時代より前に定着した生物を対象とすることが困難であるかもしれないが,「外来種」という言葉の意味や定義を変えることはありません.
クサガメはここ100年ほどで分布を広げ、ここ数十年ではイシガメの減少の原因としても理由があがるなど、日本の生態系がまだ固定化されていない遷移状態と言える
そこに1950年代後半以降はミシシッピアカミミガメなども遅れて移入され、逆にクサガメは減少に転じるなど、さらに生態系が変動している
このような状況の生物は、まだ在来種として保護する段階にはない、と言ってもいいかもしれない
少なくとも「日本ではクサガメ込みで生態系を回してきたんだ!」という段階に至るほど歴史は古くはない
が、差し当って外来種駆除の優先度が高い生物種は特定外来生物に指定されている
そのリストがこれ
https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/list.html
ここには当然、コイもクサガメも記載されていない(ミシシッピアカミミガメやアメリカザリガニは本来指定すべきだが、一般化しすぎて影響が大きすぎるため保留になっているのは例外的)
特定外来に指定されていない外来種は野放しでいいのか?というとそう簡単ではないが、特定外来種とクサガメを同列の優先度で語るのも、それはそれでおかしい
池の水全部抜く、では、いかに生態系が壊れているか、汚染されているかが伝わるほうがセンセーショナルなので、少しでも外来種の可能性があるものは全て外来種として放送している
でも試合は勝った。
もう一度行ったら西口が好投してた。
選手は佐藤友亮とか貝塚とか、何故かは分からないが覚えて帰った。
今思えば若手として出始めていたのだろうが、全く記憶にない。
それからしばらく浦和レッズばかり見ていて、野球から離れていた時期があった。
さすがに少しだけ日本シリーズの記憶はある気がするが、暴れ回る片岡と絶対に打ちそうなナカジくらいだろうか、はっきり覚えているのは。
派手な髪の軍団の中の一人で、片岡の後ろで地味な仕事をこなす人。
チームは大型連敗をして、ナベQ監督のコメントも息詰まっているのをスポーツニュースで見た。
昔タダ券で見た姿通りの、ずっと強いイメージであったからなのか、未だに当時の気持ちが理解不能だが、その時にこのチームは気にかけないといけない、あわよくば応援してやらないといけない気がするなどという奇妙な気分になり、ファンである自覚を初めて持った。
安いからと久々の観戦で外野席に乗り込み、応援の楽しさも知った。
栗山がやたらと出塁する選手であることもこの時初めて理解した。
俄然、野球を見るのが楽しくなった。
その日、デッドボールを受けて吠えていた栗山の状況を、ラジオを通して聴いていた気がする。
後日、多少の同様を隠せない秋山が栗山のいない状況について語っていたことで、ライオンズの大黒柱が栗山であることを初めて痛感した。
悔しいような、歯痒いような気持ちで残りのシーズンを見ていたのははっきりと覚えている。
初めて行った南郷の春季キャンプでは、選手にとってはキツい練習だろうが、ファンは無邪気にサインを貰いに駆けずり回っていた。
見事にそのファンの一員と化していた自分に、練習後の夕方、帰りのバスを待たせてまで、嫌な顔一つせずサインに応じてくれたのが、栗山だった。
初めて外野席に踏み込んだ時に持ち込んだフラッグに書いてもらったサインで、何らかの魂が入った気がした。もちろん、今も手元にある。
それから蓋を開けてみると、大雑把で惜しい、常にもう一つが遠いシーズンが二度、三度と来た。
来た上に、一人、また一人と応援していたはずの選手が居なくなった。
居なくなっただけならまだしも、一部は常の敵として、同リーグで牙を剥いて襲いかかってきた。
応援団にすら、残留したメヒアを評して「 こんなチーム に残ってくれた物好き」と言われるほどの状況で、日々先の見えないトンネルに居るような、耐え難い息苦しさを感じていた。
そんなシーズンを終えたタイミングで、栗山のFAのタイミングが来た。
日々の彼の言動を見るたびに、多分残ってはくれるんじゃないか?しかしこんなチームだから‥と思っていた時に、あの言葉が降ってきた。
───「FA権を持っているだけで、ファンの方が『もしかしたら』と、思うかもしれない。その選択肢を断つことが、『これからもライオンズで野球をやりたい』という思いの、最高の意思表示になるのかなと思いました」
こうだ。
自分の、いやファン全員の心の声を聞いた上で、これ以上はない答えを返してくれたに違いないと、彼は我々と喜怒哀楽を共にしてくれる唯一無二の存在なのだと、一言一句を噛み締めながらそう確信した。
辻監督の納得感のある指揮で理に敵った強さを手に入れ、10年振りのVの文字を見た夕べ、
ようやく胸のつかえが取れたような、じっくりと喜びを味わうような表情、コメントをしていた栗山を見て、こちらの優勝の実感もようやく湧いてきたような気がした。
ただ、CS突破に日本一と忘れ物が二つも作ってしまったが。これはまた、彼がユニフォームを着ている内に再び共に分かち合える喜びが残っていると考えることにしたい。
同期の中村と同じく、最前線で戦っている姿は記憶にある選手では半ば西口の領域に差し掛かっており、驚異的ではあるが
さすがに毎試合守備につくことはなくなった、全盛期の打力とも言えないかもしれない。
しかし、だからこそ、彼は目の前の打席に集中し、己の今出せる力を振り絞り、懸命なプレーを見せてくれている。
ひたすらに気の遠くなるような努力を惜しまず、倦まず、ただただ「やらなきゃダメなのよ」といった感じで積み重ねている。
そうしたものの結果が、
球団史上前人未踏の「生え抜きで2000本安打」という偉業にあと一歩という形で、いよいよ実を結ぼうとしている。
自分は、いや埼玉西武ライオンズのファンは、その課程を一丸となって応援し、
達成のあかつきには惜しみなく祝福し、喜びを共に分かち合うだろう。
あなたがそうしてくれたように。
進め、今こそ2000本へ!
フェミニズムが女を殺す
はてブでこのnoteが話題になりましたね。
同性としての意見を寄せようと思います。
私はフェミニストでした。noteの筆者と同様に20代の頃まではという補足が付きますが。
しかし私はフェミニズムの功績を否定することはありません。
フェミニズムは確かに日本社会へ巣食っていた男尊女卑や家父長制のような価値観を否定しました。
それらの否定が公正であると日本社会へ広め、内心は自由でありますので内心は様々でしょうが、男尊女卑や家父長制の否定へ不支持の姿勢を表立って示すことは良くないことであるという考えを現代日本社会へ確かに根付かせたのです。
それは日本国の制度として男女共同参画社会を実行へ移そうという段まで到達したのですから、これは日本の歴史へ刻むべきフェミニズムの功績であり、男女双方がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持たなければならないと私は思います。
男性がではございません、女性がではございません、男女双方が、何なら男女によらず日本全国民がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持つべきだということです。
しかし、前述のnoteで触れられている通り一部のフェミニストは暴走とも取れるような動きをしてしまっています。
私は40代の就職氷河期世代で就職に苦心した世代ですが、今の10代〜30代の方々はサブカルが非常に身近で「宇崎ちゃん騒動」はフェミニストたちへ非常にモヤモヤした感情を持ったと思います。
特に私は40代ですので「オタク」へどのような扱いを社会がしていたのか知っていますし、今の30代の方々が疎まれても折れないで熱心な創作活動を続けて「オタク」を社会へ受け入れさせた、というよりかは「オタク」を「当たり前」にまで持っていったのは驚くべきことであります。
「宮崎勤事件」は「オタクを日本社会から排除することは公正であると誤認」されてしまうほど社会へインパクトがあり、それを今の30代の方々はひっくり返したのです。
「オタク」を当たり前にした30代の後ろ姿を見て育った今の10代や20代の方々からすると「宇崎ちゃん騒動」は受け入れがたいフェミニストの暴走であるように映ったはずです。
日本社会はこれまでの反動からフェミニズムの主張を真に受けすぎている傾向が徐々に現れ始めています。
フェミニズムは日本社会へ対して大きなインパクトを示しました。だからこそ一部の過激な主張をあたかも公正であると誤認させることが増えてきているのです。
私は若い頃、田嶋陽子先生のファンであり、田嶋先生の活動や主張を多く目にし、そして支持していました。
TVタックルで男ども(田嶋節)へ食って掛かり鼻で笑われても諦めない田嶋先生は爽快で、そして田嶋先生と共になったつもりでなぜ理解しないんだ!とTVへ向かって一緒に怒っていました。
この思いは就職する時期となったとき更に強くなりました。何社にも断られ続け、同級の男性たちはどんどん就職していくのですから悔しさと情けなさで胸が一杯になったのです。
結局私の新卒入社は派遣会社へ勤めるしか無く、派遣先で正社員登用を目指しながら働きました。
そしてその2年後、晴れて私は正社員となりました。
運が味方した部分もあります。私の直属の上司はいわゆるバリキャリな女性で正社員登用を目指す私を応援してくれたのでした。
私は正社員になった後に結婚と幾度かの出産を経験しました。
出産育児休暇を取得し、一時的にであれ家事育児などを中心とした生活を行ったのです。
そこで見えてきたのは現在のフェミニズムは家事育児の現実を見ておらず、理想論しか語っていないという事実です。
フェミニズムの主張はこうです。
「夫の協力があれば家事育児は楽になる」
家事育児を経験した女性へ問いたい。本当に夫の協力があれば家事育児は楽になると思いますか?
家事育児を経験した私は楽になることはないと断言します。
そもそも夫はフルタイムで働いていて家に居ないのです。
もし育児が一段落し、フェミニズムが言うところの女性の社会進出で妻もまたフルタイムで働らけば夫婦双方が家へ居ないことになります。
夫婦双方が労働して帰宅したあとにする家事が夫婦双方の協力があると楽になると思いますか?
そんなわけないでしょう。
フェミニズムは妻へ家事育児を投げっぱなしにする夫という藁人形を用意して夫の家事育児参加が足りないと主張しますが、夫が完全無欠に家事育児へ参加したとしても、労働した後なんですから家事育児が楽だなんてことは絶対に無いんです。断言します絶対に有り得ません。
何なら私の夫は料理人で、私よりも調理に関しては圧倒的に上手く手早く美味しいので家庭内調理の8割は夫が担当してくれていますし、子煩悩な夫なので育児参加はPTA役員を率先的にやってしまうほどですが、ここまで夫が協力して居てくれても働きながらする家事育児を私は快適に行えていません。
日々の掃除や、夫の手が空いていない時にする子供の送り迎え、洗濯、買い物、町内会の催しetc...まったくもって楽になってないんですよ。
フェミニズムは家事育児の煩雑さへの回答として用意しているのは夫のみ、まるで夫が家事育児の万能薬かのように言っているのです。
私はこのことを尊敬する上司へ質問しました。
すると上司は「あれ?確かにフェミニズムは夫を家事育児の万能薬と思ってるフシがあるね。私も今まで気付かなかった。上手く言えないけどこれフェミニズム的じゃないね」と返してきました。
大先輩ですらこうです。上手く言えないんです。家事育児へ対してフェミニズムにはどうやら欠陥があるけれども、それが何なのかよくわからないんです。
私があまりにも悩んでいるかのように見えたのか上司は後日私へ「ちょっと考えてみたんだけど」と色々と考えてくれていました。
そしてこう続けます「認めがたい事実だけどフェミニズムは男性社会資本を女性が活用するための思想で、女性社会資本については活用しようとすら思っていないんじゃないかな」と。
突然出てきた小難しい言い回しに私は困ってしまいましたが上司が語ってくれたことを要約すると下記のとおりです。
上司の話を聞いて私は目から鱗が落ちる思いだった。
上司はバリキャリで結婚もせず子供ももちろん居ない。
それなのに私が悩んでいるだろうと自分には関係ないことなのにしっかりと考えてくれて、しかも今のフェミニズムの悪い部分を指摘しました。フェミニズムを体現するような方なのに私は感動しきりです。
フェミニズムが持つ家事育児への欠陥を、何なのかわからない答えを上司は言葉にしてくれたのです。
現代のフェミニズムは女を救う、ただし男性社会へ進出した女に限ると看破し、修正しようと言ってくれました。
男に負けじと働く女性も。専業主婦になりたいなと思う女性も上司の考えは全く否定しません。
フェミニズムを否定するような考えでもなく、むしろ女性社会という視点を加えてくれてフェミニズムをより発展できるような考えです。
現代のフェミニズムを修正し、男女によらずアナタの選択を尊重する次代のフェミニズムはこれであると私は確信します。私はここに真の男女共同参画社会を見ました。
私はもしかしたら現代のフェミニストから見るとフェミニストとはもう言えない思想を持ってしまっているかも知れません。
しかし私は再びフェミニストと名乗ります。新しいフェミニストだと。フェミニズムはすべての女を救う思想のはずで、私は専業主婦として家事育児を頑張る女性も救いたいですから。
答えはだいたいわかってるんだけどね。
それは核家族化によってそれまで維持できていた家事育児の集団での分担共有コミュニティ、いわば女社会が崩壊したからだ。
考古学の成果でも原始的な人間社会は「狩りや戦争を分担共有遂行するコミュニティである男社会」と、「家事や育児を分担共有遂行するコミュニティである女社会」があって、それら2つの社会が支え合って人間社会を維持していたことは明白だ。
明白な理由として共同炊事場跡や貝塚の存在がそれを裏付けており、何なら現代でも伝統を維持する一部の民族には共同炊事場文化が残っていたりするし、例えば日本の家事に関わる慣用句として井戸端会議などを挙げればイメージされるのは女性同士のコミュニティだろう。
しかし人間社会は誤った舵取りをしてしまい、経済発展のために核家族化を加速させたことにより女社会の崩壊を招いてしまった。
もちろんこの考え方は現代の人間社会でジェンダーロールの強制などの問題を孕むものだけど、別にこれは身体としての男性が男社会、女性が女社会と表現しているわけでなく、理解しやすい言葉として選択しているだけなので、そこにツッコミを入れられても困る。
この辺りへツッコミを入れる際は戦争や家事などの要素を含めて誰もが理解しやすい代替する言葉を明示すること。
男社会は狩りや戦争を担うものというステレオタイプに囚われるのが良くないみたいな考え方もあるだろう。
すばらしく高度に発展した人権思想をアナタは持っているので高度な人権思想を理解できるアナタの天才的な頭脳を持って、それを原始人に説明してきてくれ。
男社会は前述した通り原始古代の人間社会の役割がベースにあることを前提に選んでいる言葉であり、男社会は狩りや戦争を担うものというステレオタイプが良い悪いとかそういう部分の議論は別の議題の時にやってくれ。
現代では女性同士による家事や育児を分担共有遂行するコミュニティとしての女社会がほとんど崩壊してしまった。
一度に大量のメシを加工して集団へ提供することをしないし、上の世代に孫を預けることもしなくなってきている。
このような状況で女性がワンオペで家事育児を回しているのだから大変なのも当然だ。そもそもワンオペで回せるように人間の社会構造が古来からどうやらできていないようなのだから。
女性は女社会が崩壊したけれども、人間はコミュニティへ属さなければ生きていけない動物なので残ったコミュニティである男社会へ進出せざる得なくなった。
しかし男社会はそもそも家事育児を想定していなく、更には多くの女性を狩りや戦争へ参加させることも想定していなかったので女性にとってみれば生活しづらいコミュニティだ。
そこで生まれたのがフェミニズム論なのだろうと思う。
つまりフェミニズム論はそもそも女性でいながら男社会での平等公正さを求める主張であって、例えば女性が生活しやすい女社会を再構築するみたいな主張じゃないわけだ。
男性という衣食住の心身健康の品質の管理を怠ることがなければ進んで危険な環境へ飛び込んできて富を得てきてくれる存在を維持するための女社会は求めていなく、男社会という危険な環境へ飛び込むことが推奨される社会で女性も活躍できるようにしようという主張なわけだ。
俺も現代思想へ染まった人間なので女は後ろに控えていろなんて言うつもりはない。
どうぞ俺の代わりに前線で戦ってくれ。それだけ俺に弾丸が当たる確率が減るしな。
朝日朝日新聞:幼稚園が突然閉鎖、動揺する保護者「新しく探すのは…」
https://www.asahi.com/articles/ASM3W4DB4M3WULOB00P.html
ハフポスト:川崎市内の認可外“幼稚園“が破産と閉園を通告 A.L.C.貝塚学院。「この先どうすれば…」保護者に動揺広がる
https://www.huffingtonpost.jp/entry/alc-kaizuka_jp_5c9adaa7e4b072a7f6011d25
「債権」という名の高利の債権を保護者向けに預かり金として運用していたりと、経営状況は金融機関の格付けでいえば、かなり前から破たん懸念、または実質破たん先だったのだと思われる。
しかし、それよりも気になるのは、「認可外の幼稚園」という表記。
となると、
となるのかというと、そうでもない。
認可外保育施設の指導監督基準の留意事項2では、以下の表記がある。
参考URL
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000159998.pdf
幼稚園以外の幼児教育を目的とする施設(法第6条の3第 11 項の業務を目的とする施設を除く。)については、乳幼児が保育されている実態がある場合は、法の対象となる。
なお、乳幼児が保育されている実態があるか否かについては、当該施設のプログラムの内容、活動の頻度、サービス提供時間の長さ、対象となる乳幼児の年齢等その運営状況に応じ、判断すべきであるが、少なくとも1日4時間以上、週5日、年間39週以上施設で親と離れることを常態としている場合は保育されているものと考えられる。
ALC 貝塚学院のHP(http://www.doux.co.jp/)には記載がないが、あいとっと等の幼児教育・保育サイト(http://itot.jp/14131/15)では、以下の表記がある。
授業時間 : 9:00〜15:30(月〜金) ※時間外保育あり
そうなると、認可外保育施設に該当すると考えることができる。
しかし、川崎市のHPの川崎区の届け出済み認可外保育施設にはALC 貝塚学院の表記はない。
http://www.city.kawasaki.jp/kurashi/category/17-2-10-6-1-0-0-0-0-0.html
代わりに、川崎市が定める基準に該当する幼児園(無認可の幼稚園類似施設)に通園する3歳から5歳の園児の保護者の方に、保育料を補助している。http://www.city.kawasaki.jp/templates/faq/450/0000012735.html
もし、ALC 貝塚学院が幼児園(無認可の幼稚園類似施設)に該当するということであれば、HPの表記からわかるとおり、川崎市は当該園を認可外保育施設とは扱っていない可能性がある。
※正確には届け出済み認可外保育施設ではないという表記になるのだろうが、未届だから認可外保育施設の一覧に表示していないと考えるのが妥当だと思われる。
なお、認可外保育施設の指導監督基準には、認可外保育施設に該当する施設は、開所後1か月以内に、自治体への届け出が必要となっている。
届け出が無い場合も、自治体から届け出を出すように促すことが明記されている。
無償化に伴って、国会でも「幼稚園類似施設」とは何か質疑が行われている。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a197051.htm
なお、法律だけの話をすれば、幼稚園類似施設という分類は見つけられなかった。
しかし、東京都だけでなく、近隣の市町村には幼稚園に類似する施設として、就園奨励費補助金に似た補助金を利用者へ行っている自治体は多い。
今後、幼稚園に似た園(園が幼児教育を行う方針)の監督方法が問われていくものと思われる。
ま、厚労省と文科省のどちらが引き受けるかという話なんだろうけど、現状、基準を示しているのが厚労省なので、厚労省になるのだろうか。
補足
今回の園は、「幼稚園類似施設」という扱いだが、もし無償化に対応しようとしたらどうなったのかシュミレーションしてみる。
①就園補助金の対象施設である、「学校教育法上の幼稚園」になる。
②特定教育・保育施設である、「子ども子育て支援法上の認可保育所、地域型保育事業(小規模など)、認定こども園、給付型幼稚園」になる
今回の園は、①及び②に施設ハード面や職員配置などをクリアできないためにら、幼稚園類似施設になっていたと思われる。
では、③になればよかったのかというと、そうでもない。
③になってしまうと、無償化の制度では保育が必要な児童だけが無償化(上限42,000~37,000円。年齢や世帯状況による)になる。
つまり、いわゆる1日5時間程度で夏休み等があっても構わない世帯の児童は、無償化の対象外となる。
しかも、届け出済み認可外保育施設になってしまうと、川崎市の幼稚園類似施設ではなくなる可能性があるので、保育の必要性が無い児童の世帯(例:専業主婦がいる世帯の子)などは無認可の幼稚園類似施設としての補助が受けられなくなる可能性がある。
今回の園は、そういったジレンマも幼児教育・保育の無償化が始まる中で抱えていたと思われる。
もちろん、施設が昔から幼稚園類似施設であり、認可外保育施設なんかじゃない!って言い張ってた可能性はあるのかもしれない。
そんな風に言い張っていた施設は、今回の無償化の開始で、どういった対応をしていくのでしょうか。
上記でも書いたとおり、幼稚園にも認可保育所にもなれない園なのだから、今まで否定していた、認可外保育施設になるしかないんだろうけど…
例として一つの注意喚起ツイートとそのレス上げてくけど、イベントでのセクハラは本当に良くある事としてザクザク出てくるんだが。
@uzigawaitaさんのツイート: https://twitter.com/uzigawaita/status/1052441060008431616?s=09
【注意喚起】
同人即売会等で、女性作家さんや売り子さんに対してナンパやセクハラまがいの語り掛けをする輩が出没しています。イベント後にDMをしてきたりもするといった報告を数件受けています。特徴が一致する人物もおり、最近実写エロコス系イベントから流れてきたようです。ご注意ください
私自身も昨年、特殊性癖オンリー同人イベント(成人向け)で付き纏いからの強姦未遂の被害に遭っています。
こちらの注意喚起ツイートで男性の方にもそういった輩の存在が周知されると思いますので非常に感謝しております。ありがとうございます。
私ではないですが5年前とあるオンリーでお隣のサークルの女性がナンパの被害に合っていました
重機を扱える自慢をするのが特徴です
ご参考までに
スケブを頼んできて、「下半身まで描いてください。局部まで、無修正で...」って常連さんが8年くらい前までいました。毎回やんわり断るんですが、しつこかったなあ。
うちだと、音楽サークルに粘着&地下アイドルへの嫌がらせテンプレしたのと、他所のコスプレイベントで出禁くらったのが流れて来てますね。把握して徹底マークで対処、もめごと起こした人は出禁にしました(延べ10万人参加で初めて)。運営としてルール守っている人は守らないとね!
自分はオールジャンルで個人として23年半出展して来ました(ここ2年程は出展休み時々一般にて伺う事有り)。
この立合のは昔から有りましたが、この頃は相当増えてるなぁ、というのが印象です。。。
私生活落ち着いたら→続く
今も昔も変わりませんなぁ。昔女性レイヤーの更衣室覗ける位置で股間のエクスカリバー出してた奴いたし、もうそういう風俗にでも行けよと
その昔、踊り手の女の子に警告しておきながらも、出会いを求めてネットで女の子絡もうとした某貝塚勃起土竜が存在したようです。
以前、コスプレイベントで中学生くらいの女の子のスカートを地面に這いつくばって撮る→女の子が嫌がってスカートの前を押さえる→他のカメコが後ろから這いつくばって撮るという、もう強制わいせつだろって状況は見たことあります…今なら一人でもとっつかまえて運営に引き渡したのですが…