はてなキーワード: 水平線とは
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
四時から今朝けさも やって来た。
つめたい水の 声ばかり。
凍こごえた砂利じゃりに 湯ゆげを吐はき、
火花を闇やみに まきながら、
蛇紋岩サアペンテインの 崖がけに来て、
やっと東が 燃もえだした。
鳥がなきだし 木は光り、
青々川は ながれたが、
丘おかもはざまも いちめんに、
まぶしい霜しもを 載のせていた。
やっぱりかけると あったかだ、
僕ぼくはほうほう 汗あせが出る。
もう七、八里り はせたいな、
今日も一日 霜ぐもり。
軽便鉄道けいべんてつどうの東からの一番列車れっしゃが少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車きかんしゃの下からは、力のない湯ゆげが逃にげ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突えんとつからは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。
そこで軽便鉄道づきの電信柱でんしんばしらどもは、やっと安心あんしんしたように、ぶんぶんとうなり、シグナルの柱はかたんと白い腕木うできを上げました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。
シグナレスはほっと小さなため息いきをついて空を見上げました。空にはうすい雲が縞しまになっていっぱいに充みち、それはつめたい白光しろびかりを凍こおった地面じめんに降ふらせながら、しずかに東に流ながれていたのです。
シグナレスはじっとその雲の行ゆく方えをながめました。それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へ延のばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとを言いいました。
「今朝けさは伯母おばさんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ」
シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気をとられておりました。
「カタン」
うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたのでシグナレスは急いそいでそっちをふり向むきました。ずうっと積つまれた黒い枕木まくらぎの向こうに、あの立派りっぱな本線ほんせんのシグナル柱ばしらが、今はるかの南から、かがやく白けむりをあげてやって来る列車れっしゃを迎むかえるために、その上の硬かたい腕うでを下げたところでした。
「お早う今朝は暖あたたかですね」本線のシグナル柱は、キチンと兵隊へいたいのように立ちながら、いやにまじめくさってあいさつしました。
「お早うございます」シグナレスはふし目になって、声を落おとして答こたえました。
「若わかさま、いけません。これからはあんなものにやたらに声を、おかけなさらないようにねがいます」本線のシグナルに夜電気を送おくる太ふとい電信柱でんしんばしらがさももったいぶって申もうしました。
本線のシグナルはきまり悪わるそうに、もじもじしてだまってしまいました。気の弱いシグナレスはまるでもう消きえてしまうか飛とんでしまうかしたいと思いました。けれどもどうにもしかたがありませんでしたから、やっぱりじっと立っていたのです。
雲の縞しまは薄うすい琥珀こはくの板いたのようにうるみ、かすかなかすかな日光が降ふって来ましたので、本線シグナルつきの電信柱はうれしがって、向こうの野原のはらを行く小さな荷馬車にばしゃを見ながら低ひくい調子ちょうしはずれの歌をやりました。
「ゴゴン、ゴーゴー、
酒さけが降ふりだす、
酒の中から
霜しもがながれる。
ゴゴン、ゴーゴー、
ゴゴン、ゴーゴー、
霜がとければ、
つちはまっくろ。
馬はふんごみ、
人もぺちゃぺちゃ。
ゴゴン、ゴーゴー」
それからもっともっとつづけざまに、わけのわからないことを歌いました。
その間に本線ほんせんのシグナル柱ばしらが、そっと西風にたのんでこう言いいました。
「どうか気にかけないでください。こいつはもうまるで野蛮やばんなんです。礼式れいしきも何も知らないのです。実際じっさい私はいつでも困こまってるんですよ」
軽便鉄道けいべんてつどうのシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低ひくく、
「あら、そんなことございませんわ」と言いいましたがなにぶん風下かざしもでしたから本線ほんせんのシグナルまで聞こえませんでした。
「許ゆるしてくださるんですか。本当を言ったら、僕ぼくなんかあなたに怒おこられたら生きているかいもないんですからね」
「あらあら、そんなこと」軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困こまったというように肩かたをすぼめましたが、実じつはその少しうつむいた顔は、うれしさにぽっと白光しろびかりを出していました。
「シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕あなたのためなら、次つぎの十時の汽車が来る時腕うでを下げないで、じっとがんばり通してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウ言いっていた風が、この時ぴたりとやみました。
「あら、そんな事こといけませんわ」
「もちろんいけないですよ。汽車が来る時、腕を下げないでがんばるなんて、そんなことあなたのためにも僕のためにもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと言いうんです。僕あなたくらい大事だいじなものは世界中せかいじゅうないんです。どうか僕を愛あいしてください」
シグナレスは、じっと下の方を見て黙だまって立っていました。本線シグナルつきのせいの低ひくい電信柱でんしんばしらは、まだでたらめの歌をやっています。
「ゴゴンゴーゴー、
やまのいわやで、
熊くまが火をたき、
あまりけむくて、
ほらを逃にげ出す。ゴゴンゴー、
田螺にしはのろのろ。
うう、田螺はのろのろ。
本線ほんせんのシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事へんじのないのに、まるであわててしまいました。
「シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんですか。ああ僕ぼくはもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵ふちのようだ。ああ雷かみなりが落おちて来て、一ぺんに僕のからだをくだけ。足もとから噴火ふんかが起おこって、僕を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかもみんなおしまいだ。雷が落ちて来て一ぺんに僕のからだを砕くだけ。足もと……」
「いや若様わかさま、雷が参まいりました節せつは手前てまえ一身いっしんにおんわざわいをちょうだいいたします。どうかご安心あんしんをねがいとう存ぞんじます」
シグナルつきの電信柱でんしんばしらが、いつかでたらめの歌をやめて、頭の上のはりがねの槍やりをぴんと立てながら眼めをパチパチさせていました。
「えい。お前なんか何を言いうんだ。僕ぼくはそれどこじゃないんだ」
「それはまたどうしたことでござりまする。ちょっとやつがれまでお申もうし聞きけになりとう存ぞんじます」
「いいよ、お前はだまっておいで」
シグナルは高く叫さけびました。しかしシグナルも、もうだまってしまいました。雲がだんだん薄うすくなって柔やわらかな陽ひが射さして参まいりました。
五日の月が、西の山脈さんみゃくの上の黒い横雲よこぐもから、もう一ぺん顔を出して、山に沈しずむ前のほんのしばらくを、鈍にぶい鉛なまりのような光で、そこらをいっぱいにしました。冬がれの木や、つみ重かさねられた黒い枕木まくらぎはもちろんのこと、電信柱でんしんばしらまでみんな眠ねむってしまいました。遠くの遠くの風の音か水の音がごうと鳴るだけです。
「ああ、僕ぼくはもう生きてるかいもないんだ。汽車が来るたびに腕うでを下げたり、青い眼鏡めがねをかけたりいったいなんのためにこんなことをするんだ。もうなんにもおもしろくない。ああ死しのう。けれどもどうして死ぬ。やっぱり雷かみなりか噴火ふんかだ」
本線ほんせんのシグナルは、今夜も眠ねむられませんでした。非常ひじょうなはんもんでした。けれどもそれはシグナルばかりではありません。枕木の向こうに青白くしょんぼり立って、赤い火をかかげている軽便鉄道けいべんてつどうのシグナル、すなわちシグナレスとても全まったくそのとおりでした。
「ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが言いえないでお返事へんじもできないのを、すぐあんなに怒おこっておしまいになるなんて。あたしもう何もかもみんなおしまいだわ。おお神様かみさま、シグナルさんに雷かみなりを落おとす時、いっしょに私にもお落としくださいませ」
こう言いって、しきりに星空に祈いのっているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳にはいりました。シグナルはぎょっとしたように胸むねを張はって、しばらく考えていましたが、やがてガタガタふるえだしました。
ふるえながら言いました。
「あたし存ぞんじませんわ」シグナレスは声を落として答えました。
「シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉ことばでしょう。僕ぼくはもう今すぐでもお雷らいさんにつぶされて、または噴火ふんかを足もとから引っぱり出して、またはいさぎよく風に倒たおされて、またはノアの洪水こうずいをひっかぶって、死しんでしまおうと言うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情どうじょうしてくださらないんですか」
「あら、その噴火や洪水こうずいを。あたしのお祈りはそれよ」シグナレスは思い切って言いました。シグナルはもううれしくて、うれしくて、なおさらガタガタガタガタふるえました。
「シグナレスさん、なぜあなたは死ななけぁならないんですか。ね。僕ぼくへお話しください。ね。僕へお話しください。きっと、僕はそのいけないやつを追おっぱらってしまいますから、いったいどうしたんですね」
「ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。そのことならばご心配しんぱいありません。大丈夫だいじょうぶです。僕ちっとも怒ってなんかいはしませんからね。僕、もうあなたのためなら、眼鏡めがねをみんな取とられて、腕うでをみんなひっぱなされて、それから沼ぬまの底そこへたたき込こまれたって、あなたをうらみはしませんよ」
「あら、ほんとう。うれしいわ」
「だから僕を愛あいしてください。さあ僕を愛するって言いってください」
五日のお月さまは、この時雲と山の端はとのちょうどまん中にいました。シグナルはもうまるで顔色を変かえて灰色はいいろの幽霊ゆうれいみたいになって言いました。
「またあなたはだまってしまったんですね。やっぱり僕がきらいなんでしょう。もういいや、どうせ僕なんか噴火ふんかか洪水こうずいか風かにやられるにきまってるんだ」
「あら、ちがいますわ」
「そんならどうですどうです、どうです」
「あたし、もう大昔おおむかしからあなたのことばかり考えていましたわ」
「本当ですか、本当ですか、本当ですか」
「ええ」
「そんならいいでしょう。結婚けっこんの約束やくそくをしてください」
「でも」
「でもなんですか、僕ぼくたちは春になったら燕つばめにたのんで、みんなにも知らせて結婚けっこんの式しきをあげましょう。どうか約束やくそくしてください」
「わかってますよ。僕にはそのつまらないところが尊とうといんです」
すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気ゆうきを出して言いい出しました。
「でもあなたは金でできてるでしょう。新式でしょう。赤青眼鏡あかあおめがねを二組みも持もっていらっしゃるわ、夜も電燈でんとうでしょう。あたしは夜だってランプですわ、眼鏡もただ一つきり、それに木ですわ」
「え、ありがとう、うれしいなあ、僕もお約束しますよ。あなたはきっと、私の未来みらいの妻つまだ」
「ええ、そうよ、あたし決けっして変かわらないわ」
「結婚指環エンゲージリングをあげますよ、そら、ね、あすこの四つならんだ青い星ね」
「ええ」
「あのいちばん下の脚あしもとに小さな環わが見えるでしょう、環状星雲フィッシュマウスネビュラですよ。あの光の環ね、あれを受うけ取とってください。僕のまごころです」
「ワッハッハ。大笑おおわらいだ。うまくやってやがるぜ」
突然とつぜん向むこうのまっ黒な倉庫そうこが、空にもはばかるような声でどなりました。二人はまるでしんとなってしまいました。
ところが倉庫がまた言いいました。
「いや心配しんぱいしなさんな。この事ことは決けっしてほかへはもらしませんぞ。わしがしっかりのみ込こみました」
その時です、お月さまがカブンと山へおはいりになって、あたりがポカッと、うすぐらくなったのは。
今は風があんまり強いので電信柱でんしんばしらどもは、本線ほんせんの方も、軽便鉄道けいべんてつどうの方もまるで気が気でなく、ぐうん ぐうん ひゅうひゅう と独楽こまのようにうなっておりました。それでも空はまっ青さおに晴れていました。
本線シグナルつきの太ふとっちょの電信柱も、もうでたらめの歌をやるどころの話ではありません。できるだけからだをちぢめて眼めを細ほそくして、ひとなみに、ブウウ、ブウウとうなってごまかしておりました。
シグナレスはこの時、東のぐらぐらするくらい強い青びかりの中を、びっこをひくようにして走って行く雲を見ておりましたが、それからチラッとシグナルの方を見ました。シグナルは、今日は巡査じゅんさのようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太っちょの電柱でんちゅうに聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話しかけました。
「どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛いたみはしませんか。どうも僕ぼくは少しくらくらしますね。いろいろお話ししますから、あなたただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせお返事へんじをしたって僕ぼくのところへ届とどきはしませんから、それから僕の話でおもしろくないことがあったら横よこの方に頭を振ふってください。これは、本当は、ヨーロッパの方のやり方なんですよ。向むこうでは、僕たちのように仲なかのいいものがほかの人に知れないようにお話をする時は、みんなこうするんですよ。僕それを向こうの雑誌ざっしで見たんです。ね、あの倉庫そうこのやつめ、おかしなやつですね、いきなり僕たちの話してるところへ口を出して、引き受うけたのなんのって言いうんですもの、あいつはずいぶん太ふとってますね、今日も眼めをパチパチやらかしてますよ、僕のあなたに物を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風でいっこう聞こえないんですよ、けれども全体ぜんたい、あなたに聞こえてるんですか、聞こえてるなら頭を振ってください、ええそう、聞こえるでしょうね。僕たち早く結婚けっこんしたいもんですね、早く春になれぁいいんですね、僕のところのぶっきりこに少しも知らせないでおきましょう。そしておいて、いきなり、ウヘン! ああ風でのどがぜいぜいする。ああひどい。ちょっとお話をやめますよ。僕のどが痛いたくなったんです。わかりましたか、じゃちょっとさようなら」
それからシグナルは、ううううと言いながら眼をぱちぱちさせて、しばらくの間だまっていました。
シグナレスもおとなしく、シグナルののどのなおるのを待まっていました。電信柱でんしんばしらどもはブンブンゴンゴンと鳴り、風はひゅうひゅうとやりました。
シグナルはつばをのみこんだり、ええ、ええとせきばらいをしたりしていましたが、やっとのどの痛いたいのがなおったらしく、もう一ぺんシグナレスに話しかけました。けれどもこの時は、風がまるで熊くまのように吼ほえ、まわりの電信柱でんしんばしらどもは、山いっぱいの蜂はちの巣すをいっぺんにこわしでもしたように、ぐゎんぐゎんとうなっていましたので、せっかくのその声も、半分ばかりしかシグナレスに届とどきませんでした。
「ね、僕ぼくはもうあなたのためなら、次つぎの汽車の来る時、がんばって腕うでを下げないことでも、なんでもするんですからね、わかったでしょう。あなたもそのくらいの決心けっしんはあるでしょうね。あなたはほんとうに美うつくしいんです、ね、世界せかいの中うちにだっておれたちの仲間なかまはいくらもあるんでしょう。その半分はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたはいちばん美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね、きっとそうだと思うんですよ、どうです聞こえますか。僕たちのまわりにいるやつはみんなばかですね、のろまですね、僕のとこのぶっきりこが僕が何をあなたに言ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生けん命めい、目をパチパチやってますよ、こいつときたら全まったくチョークよりも形がわるいんですからね、そら、こんどはあんなに口を曲まげていますよ。あきれたばかですねえ、僕の話聞こえますか、僕の……」
「若わかさま、さっきから何をべちゃべちゃ言いっていらっしゃるのです。しかもシグナレス風情ふぜいと、いったい何をにやけていらっしゃるんです」
いきなり本線ほんせんシグナルつきの電信柱でんしんばしらが、むしゃくしゃまぎれに、ごうごうの音の中を途方とほうもない声でどなったもんですから、シグナルはもちろんシグナレスも、まっ青さおになってぴたっとこっちへ曲げていたからだを、まっすぐに直なおしました。
「若わかさま、さあおっしゃい。役目やくめとして承うけたまわらなければなりません」
シグナルは、やっと元気を取り直なおしました。そしてどうせ風のために何を言いっても同じことなのをいいことにして、
「ばか、僕ぼくはシグナレスさんと結婚けっこんして幸福こうふくになって、それからお前にチョークのお嫁よめさんをくれてやるよ」と、こうまじめな顔で言ったのでした。その声は風下かざしものシグナレスにはすぐ聞こえましたので、シグナレスはこわいながら思わず笑わらってしまいました。さあそれを見た本線ほんせんシグナルつきの電信柱の怒おこりようと言ったらありません。さっそくブルブルッとふるえあがり、青白く逆上のぼせてしまい唇くちびるをきっとかみながらすぐひどく手をまわして、すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下かざしもにいる軽便鉄道けいべんてつどうの電信柱に、シグナルとシグナレスの対話たいわがいったいなんだったか、今シグナレスが笑ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。
ああ、シグナルは一生の失策しっさくをしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信柱がいて、知らん顔をしてすまして空の方を見ながらさっきからの話をみんな聞いていたのです。そこでさっそく、それを東京を経へて本線シグナルつきの電信柱に返事へんじをしてやりました。本線ほんせんシグナルつきの電信柱でんしんばしらはキリキリ歯はがみをしながら聞いていましたが、すっかり聞いてしまうと、さあ、まるでばかのようになってどなりました。
「くそっ、えいっ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生いぬちくしょう、あんまりだ。犬畜生、ええ、若わかさま、わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまっているとお考えですか。結婚けっこんだなんてやれるならやってごらんなさい。電信柱の仲間なかまはもうみんな反対はんたいです。シグナル柱の人たちだって鉄道長てつどうちょうの命令めいれいにそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父おじですぜ。結婚なりなんなりやってごらんなさい。えい、犬畜生いぬちくしょうめ、えい」
本線シグナルつきの電信柱は、すぐ四方に電報でんぽうをかけました。それからしばらく顔色を変かえて、みんなの返事へんじをきいていました。確たしかにみんなから反対はんたいの約束やくそくをもらったらしいのでした。それからきっと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼たのんだにちがいありません。シグナルもシグナレスも、あまりのことに今さらポカンとしてあきれていました。本線シグナルつきの電信柱は、すっかり反対の準備じゅんびができると、こんどは急きゅうに泣なき声で言いいました。
「あああ、八年の間、夜ひる寝ねないでめんどうを見てやってそのお礼れいがこれか。ああ情なさけない、もう世の中はみだれてしまった。ああもうおしまいだ。なさけない、メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界せかいをお見すてなされたか。オンオンオンオン、ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー」
風はますます吹ふきつのり、西の空が変へんに白くぼんやりなって、どうもあやしいと思っているうちに、チラチラチラチラとうとう雪がやって参まいりました。
シグナルは力を落おとして青白く立ち、そっとよこ眼めでやさしいシグナレスの方を見ました。シグナレスはしくしく泣なきながら、ちょうどやって来る二時の汽車を迎むかえるためにしょんぼりと腕うでをさげ、そのいじらしいなで肩がたはかすかにかすかにふるえておりました。空では風がフイウ、涙なみだを知らない電信柱どもはゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー。
アプリで知り合ってかれこれ一年やり取りしている二十代男子が週末遊びに行っていいかと言ってきた。
宿はと聞くと泊めてもらえたら助かるという。
ファミリー向けの物件に一人で暮らしているのでいいよと答えたが飛行機の距離を本当に来るのか半信半疑だった。
本当に来た。
出会った頃から「わたしは君の親くらいの年だよ、大丈夫?」と伝えていたけど、親くらいの年齢だから泊まりでも大丈夫だと思ったのかも。
でもときどき電話をするだけの相手と二泊三日間が持つのか、逆に緊張して辛くならないのか、なったらどうするか、あれこれ考える。
自宅ではなく別に借りている仕事部屋に泊めた方がこちらに気兼ねせず観光できるかも、とか。
結果的には駅に迎えにいった瞬間から空港のゲートをくぐるところを見届けるまでずっと一緒にいた。楽しかった。
最近まで声しか知らなかった彼女いない歴年齢の二十代非童貞社会人男子はめちゃめちゃ感じがよくて、清潔感にあふれ、面白くて可愛くて、年相応にちゃんと男の人でもあってカッコよかった。
同世代ウケはどうなのかわからないけど、とにかくかわいい。こんな子が降ってわいてくるってなんのボーナスなのと人生ゲームの仕組みを疑うレベル。
せっかくなのでこれまで行ったことのないところへ行って、やったことのないことをしようと思った。
行きたかったケーキ屋さんでケーキを買ってもらって、行きたかったレストランに予約してディナーをご馳走して、帰ってパジャマでマンダロリアンを見ながら二人で食べた。
翌日は行ったことのない街までドライブして、名前だけ知っていた有名な神社に寄って、近くの海が見える寿司屋で水平線を見ながら並んで握りを食べて、砂浜で遊んだ。
免許を持ってきたというので一日保険に入ってもらって運転もしてもらった。助手席から春の山々と運転用に眼鏡をかけた二十代の横顔を眺めた。「この車、癖ない?!」としきりに言っていたけれど運転は上手でなんの不安もなかった。
そうはいっても初対面だし時間が経つにつれ距離感はかりかねてキツくなるのでは、という予想に反して二十代はうちにもうちの猫たちにも馴染みまくっていた。
うちに人がいてこんなにくつろげるのは一人暮らしになってから初めて。
翌日わたしは仕事で書斎に籠もっていたのだけれど、二十代は猫シッターをしながら男手があると助かる雑用をこなしてくれて、なんだかんだで空港まで送ることになった。
楽しすぎるし助かりすぎる二泊三日だった。美味しいものはそれなりにご馳走したけど、それとは別にいくらか包んで渡したいくらい。
お金でこんなにかわいい男の子と楽しい時間が過ごせるなら頑張って稼ぐし喜んで払う。
ていうか、これはもはやママ活なのでは?
と、思って調べてみたらママ活界隈ではお泊りありの場合一泊3万から5万が相場だそうで二泊三日に別途飛行機代がつくとかなりいいお値段になることがわかった。
ということで、ママ活で浮いたお金をコロナ禍で失業を余儀なくされ、子供を連れて故郷の島に帰るフィリピン人の友人に送った。
驚いた友人から "I can not stop crying😭"と船の中からメッセージが来た。
「新しい仕事をはじめる準備をしていたところで、どんなに助かるか言葉では言い尽くせない」と書いてあった。
ちょうどピッタリぐらいだよ!
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
就職でなんとなく日立市に流れ着いて永住することになりそうな身として、淡々と生活の感想を書いてみる。
中核市でも農村でもない、日本中に沢山ある人口20万人弱の地方都市の一生活者の記録です。
3年ほど前に建売4LDKを購入。
働き方改革が始まる数年前までは残業して帰る時間に空いている店も少なく、娯楽が少ない環境で、他に使い道もなかったので、20代で新築する夫婦は同期の中で珍しいほうはなかった。
掛け捨てのアパート代よりマシぐらいの気持ちで35年ローンを組む。
マンション…はJR駅の近くに新築分譲マンションが1棟ぐらい出ていたが、駅の近くに何もない街並みなので、価格ほどの魅力は感じなかった。
でも某H社の関係で転勤族や単身赴任の人も多いので、マンションは主にそういう方に需要があるのだと思う。
客間が在宅勤務の仕事部屋になり、将来の子ども部屋は物置部屋になっている。
もともと私は物を増やす性質で、夫は物持ちが良くあまりものを増やさないので、ほとんど私の荷物で占領しているのはいちおう申し訳なく思っている。
アパート暮らしのときは電子書籍一択だったのが、紙の本を買えるようになって嬉しい(ほとんど漫画だが)
徒歩5分圏内には、コンビニと24時間営業のチェーン系飲食店が1件。
決して充実はしていないが、孤独を感じるほど何もないわけではないのが良いなあと思っている。
10分歩くと砂浜。
生まれ育ったところは海まで2~3時間の盆地だったので、移住したての頃はどこまでも続く水平線に結構感動した。
今ではすっかり見慣れてしまい、インドア人間なので夏でもいちいち海に行ったりはしないが、それでも晴れの日は通勤中に海が見えるとちょっと爽快な気持ちになる。
オーシャンビューな感じのカフェにもたまに行く。
国道沿いにはスーパーとかホームセンターとかニトリとかチェーン系のファミレスが一通り揃っているので、日常的な買い出しはそこに車で行く。
たしかに車がないとかなり不便。
うちは夫婦ともバス通勤なので、車は1台で充分なんだけど、うちも含めて周辺の物件には3~4台の駐車スペースが確保されている。
私は元々かなり運転に苦手意識があったのだけれど、前職を辞めて1年ほど在宅パート生活をしていた期間があり、時間に余裕があって必要にも迫られていたので、生活に困らない程度には運転できるようになった。
あと、夜でも気兼ねなく出かけられるのは、特に女性にとってはかなり大きなメリットなんじゃないかと思っている。
市内に娯楽施設らしいものはないが、最近話題の公立動物園はなかなか立派なものがあり、子どもが出来たら連れて行ってあげたいと思う。
今にも逃げだしそうなゆるい囲いのカピバラと近距離で触れ合えるのと、珍しいヘビとトカゲがいっぱいいる。
週末何してるかというと、夫はゲームかラズパイ開発か資格の勉強してるし、私はネットか漫画か知り合いのサイト開発などしていて、自宅を謳歌している。
たまには30分ほど海沿いを運転して隣の市のショッピングモール(withシネコン)に行く。
あと、土曜の夜は隔週で、やっぱり30分ほど運転して絵画教室に通っている。
先生が昼は喫茶店のマスターをしている気軽な教室で、デッサンも楽しいが、半分くらいは先生と高校生たちの明るい雑談を聞きに行っている気分。
数年前、インドア人間のくせに、思い立ってSUP(スタンドアップ・パドルボード)に行ったことがあった。
独身時代に住んでいたアパートの近くに、体験プランをやっているショップがあったのだ
ちょうど今くらいの季節で、めちゃくちゃ寒かった。
そのときは海じゃなく流れが穏やかな川で、インストラクターに促されてボードの上に仰向けに寝そべってみると、川の上に寝ている感じが心地よかった。
川で獲れた(?)という鮭のイクラ載せ放題の昼食と、1日SUP体験合わせて5千円。
かなり満足度の高い体験だったが、当時は趣味に投入する色々な(主に精神的な)リソースが足りていなくて、続けるには至らなかった。
でもまあ、その気になればそういうウォータースポーツができる環境もあるし、釣り好きな人には最高の環境だと思われる。
車に乗れない人や学生は遊ぶところがなくて寂しさを感じるかもしれない。
私はこの町で青春を過ごしておらず、余計なお世話ではあるのだが、そのあたりの寂寥感は日立市出身の人気ラノベ作家ヤマグチノボル氏(ゼロの使い魔で有名)の著作からも伺えた。
若くして亡くなった氏の作品には衰退しつつある故郷への愛が込められていて、よそ者の私が後から読んでも、何というか非常にしんみりしてしまうものであった。
これも隣のひたちなか市だけど、邦楽好きとしてROCK IN JAPANに気軽に行けるのは最高。
ネモフィラとコキアも良いのだけど、最近は人気で人が多すぎてあまり行っていない。
某H社様のおかげで市内の同業種求人はいつも需要が供給を上回っている印象。
全部歩いても45分くらいなので、気が向いたら音楽を聴きながら歩いて帰る。
バスは、2005年に廃線になった日立電鉄の線路跡をバス専用道路にしたBRTというものが開通して、かなり便利になった。渋滞に巻き込まれないバスは良いものだ。
(ローカル線好きとしては、電鉄に残ってて欲しかった気もするが)
BRTは自動運転の試験運行も始まったりしていて、ちょっとワクワクしている。
雇用がある町は強いなと思う。私は地元がかなり好きだけど、就きたい仕事の枠が無くて地元を出たので。
正直最初に越してきた頃は、工業都市特有の無機質な景観と沿岸部らしい雨風の強さに冷たい印象も受けたのだけど、ここは働くための町なんだと思う。おかげで図書館とか病院とかも新しくて綺麗。
子どもの興味と合致したら将来は茨城大か茨城高専か筑波大に行ってくれたら経済的には嬉しいかな、ぐらいには思っている。
東京に出たとしても、週末気軽に行き来できる距離なのは良い。特急で片道1時間半、高速バスで片道2時間半。
ぜったいに。
https://note.com/enzen3852/n/na1fecd0ac10b
↑このブログについて。
beforeのイラストがざっと荒い線だけで描かれたものなのに対して、
afterのイラストはきっちりと色を塗って背景も描いた本気のものじゃないか。
と、書いてる連中がいるが、
というか、
絵でも手芸でも工作でも音楽でも動画でもなにかを作る作業ならなんでもいいし、
なにかを成し遂げるために努力した人なら絶対に言わない間違い。
ゆえに前述のようなコメントをしたやつらは全員怠け者。以上。
というのも不親切なので丁寧に書くと、
まず単純に、色を塗るためのソフトの購入、使い方の習得、そういった「道具を得る過程」もこの人の100日間には含まれている。
色を塗れるようになったのも努力の結果。
そして、「持てる技術で精一杯全力でかく」というのはいうほど容易いことではなく、それ自体が努力を必要とする。
嘘だと思うならやってみればいい。
どんなに下手くそでも全力で、一枚をきっちり仕上げるつもりで描いてみればいい。
断言するが、まず9割の人間は途中で手を抜くし投げ出す※。
だって下手だもん。
どんなに頑張ったって思う線を描けないし、想像通りのかたちにならないし、
手なんかわからないからとりあえず後ろに組ませるしかないし、そんなの逃げだ全力でやれと言われたって途方にくれるだけだろう。別に手とか描きたくないし。
背景まで描くなんて途方もないことだ。そもそも頭の中にそんな解像度の高いイメージもないし、よくわからんけどてきとうに雲と水平線を描くのでせいぜいだ。
細かいところまで気を配るなんてのはもっと無理。そもそも、細かいところなんて意識に上らない。線の美しさだとか、丁寧に色塗りだとか、たぶんそんなの絶対に無理。
なぜなら、「全力を出す」ためには持てる力をどこかに注ぐ必要があり、
そのためにはどこにどう力を注ぐか考える必要があり、
そのためには己の理想と現状の乖離点はどこか理解している必要があるから。
なにもやってない人は、自分に何ができないかそもそもわからない。
正確には、できないことしかなさすぎて、上手な人との間に何段くらいの階段があるかわからない。
ただ断崖絶壁があるようにかんじるだけだ。
はじめの一歩は人によって様々で、簡単なのは本や先生について与えられた課題をこなすことだろうが、
件のブログの人のすごいところは、デッサンなど知識面で補える部分からはじめて、
構図、質感、ニュアンス、効果とひとつひとつ「理想」に至るための階段を自分ですごい早さで見つけていったところだ。
はじめは断崖絶壁だっただろううまい人との差異は、当人の努力と賢さによって、一歩一歩上れる階段になった。
「持てる力で精一杯」ができるようになるのはようやくここだ。
断崖絶壁の前で全力なんか出しようがない。
次の課題が見えて、それを克服するための方策を考えて、それでようやく「自分なりに精一杯描く」ができる。
これは絵だけに限った話ではなくて、はじめにかいたように、なにかを成し遂げるために努力したことがあれば共通なのではないかと思う。
九九をすらすら言えないのはなぜか。
そういう、自分の目標と現状を埋めるための一歩目の難しさを、努力してきた人間は知っているはずなのだ。
だからもっかいいうけど、冒頭にしたようなブコメをした連中は例外なく努力の経験がない人たちです。
以上。
※残りの1割も確かに存在する。たとえば小さな子供が、拙い技術ながら好きな生き物や乗り物なんかを大人も驚くような細かさで描き表すような場合がそれだ。
好きなものを紙に表現したいという飽くなき欲求と渇望、力量不足を厭わず精一杯まで白紙にしがみつき続ける集中力。
これは誰にでもあるものではない。
それこそを「才能」と呼ぶと、私は思う。
子供時代の勉強は簡単だったし、運動も得意だった。田舎の学校だったが、小学・中学と学年上位の成績を取れた。ただ、努力しなければ結果が出ない子供だった。何もしないでいるととんでもない点数になる。努力が必須なのが自分なのだと子供心に思った。
運動は大抵の場合、見ればできた。人がやっているのを見ていれば、コツのようなものがなんとなく把握できた。細かなところはスポーツの教本を読めばやり方は理解できて体も動かせた。突出したアスリートにはなれなかったが、自分でも器用なものだと思った。先生方にもかわいがってもらえたように思う。
大学受験は、それなりに努力はしたが、旧帝大と呼ばれるところに入って大学生活を満喫することができた。
本質的に集団生活が苦手な自分であることがわかっていたので、独立してやっていける職業を、と思い公認会計士試験を受けた。これもけっこうな努力が必要だったのだが、かろうじて1回で通ることができた。
当時は就職難の時代だったが、監査法人への就職はすぐに決まった。2つの法人から内定をもらえる状態だった(内定が欲しいのなら他法人の内定を断れと言われたのでその法人は辞退した)。
ただ、社会人になってからは人間関係に苦労した。私自身の幼さに起因したものだったと思うが、今にして思えば貴重な経験ができたと思っている。
仕事つながりで知り合った女性と数年間付き合ってのち、結婚した。監査法人は数年間務めてのち退社、独立した。
独立した当時、奨学金債務を考えれば債務超過の状態だったが、人に恵まれて仕事に困ることはなかった。
40代も半ばになった今、保有する資産総額は1億を超えた。借金はない。
苦労したといえば人間関係だった。小中学校と友達はいなかった。努力はしたのだが報われなかった。そもそも周囲の子たちと話が合わなかった。変わった子供だったのかもしれない。この領域はちょっとばかしハードモードだったかなと思わないでもないが、自分に至らぬ点があったのかもしれない。友人ができたのは高校に入って以降のことだった。自分にはそういうところがあるのだと自覚して人との距離感に注意しながら生きている。
そういえば自分の場合も親がそろって穏やかだった。夫婦喧嘩は見たことがないし、父親が声を荒げたところも見たことがない。母親にはよく叱られたが、自分が悪かったのだし、叱られている間も愛情を感じられるような叱り方だったような気がする。
父母ともに世渡り上手ではなかった。要領は悪いように子供の目にも見えた。裕福ではなかった。贅沢なことはできなかったが、いろんなところに車で連れて行ってもらえた。小学生の頃、海を見に連れて行ってもらって、旅館の窓から見ていた水平線に沈む夕日の風景は今も鮮やかに思い出せる。
このスレッド(と言っていいのか?)の増田主もご両親が穏やかな方々であったようで、もしかしてその辺りが重要なところなのかもしれないと思ったので筆を加えた。
夏真っ盛りの友軍が来た!水着も着た!!予想より早い時間に。何時ものように、日付をまたぐと思ったのだけれど。
提督の皆さん、お待たせしました!夏イベ開催中実施のサーバを止めない形で行った夏真っ盛りアップデート、稼働全20サーバ群共に完了致しました!お手隙のタイミングで「艦これ」に再接続頂けますと幸いです。作戦中の提督の皆さん、「友軍艦隊」本隊と共に、今夏も暁の水平線に勝利をッ!#艦これ— 「艦これ」開発/運営 (@KanColle_STAFF) August 7, 2020
でもここは焦らず、予定通り明後日までは作戦海域への出撃を控え、粛々と、資源と情報の収集に努めるのよ、アタイ。明後日の暁の水平線に勝利をッ!!
アタイのE6-2調査兵団は、今回の出撃で…何の成果も得られませんでしたァァ!!アタイが無能なばかりに徒に基地航空隊の熟練度を剥がされ、奴らのボスを倒すことが出来ませんでしたァァ!!
提督の皆さん、お疲れさまです!
現在、期間限定海域【侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦】を展開中!いよいよ今週末には「友軍艦隊」本隊も来援、第六作戦海域最深部、最終第七作戦海域中盤及び同海域最深部に増援突入開始予定です!夏本番、暁の水平線の勝利目指して、頑張ってまいりましょう!#艦これ— 「艦これ」開発/運営 (@KanColle_STAFF) August 5, 2020
もう、友軍の到着を待ってもイイわよね?
朝の海には一度も訪れたことがない。だけどボクの脳裏には、焼き付いて離れないほどの郷愁が映る。
太陽はまだ水平線の向こうで眠っている。空は色づいていて、夜の帳を押し広げてゆく。
静寂の海岸は波音以外の音が消えている。波音を時折かき消すかのように背後の国道を車が通り過ぎ、やがて再び潮騒に紛れていった。ああ、鳥の鳴き声も目を瞑ると聞こえるし、今しがた羽音を鳴らし始めた蝉の声もかすかに響く。
水平線は霞がかっていて息は白い。空は橙から紫へと移り変わってゆく。
夏の初めを思わせる雲は、入道雲には程遠い。それは扁平で、紫立ちたる雲の細くたなびきたる――そんな一文を片隅に思い浮かべるほどには劇的じゃない。
海岸は冷たい空気にかき消されたかのように人を拒んでいる。だからきっと人は少ない。遠く小さく見える恋人たちは、この場所に招かれたみたいだ。現地のおじいさんは犬に導かれて駆け足になる。もし鴨川がとても大きいのなら、こんな風になるだろうか?
ボクは堤防の先にたどり着いた。太陽が目の前に迫ってくる。うん、いよいよ日の出が見える。そう思ったのだけれども、雲の流れがこちらに挨拶する陽の光を細く遮り、やがて太陽は見えなくなってしまった。ボクは仕方なく堤防の下を覗き込むと、退屈まぎれに小石を蹴って魚群を驚かせてみた。
魚が人懐こい顔を覗かせる頃、ボクの顔は真っ白になる。目を細めて、手のひらをかざして。
太陽と空の境目にある虹色は青い銀河のように左右両手いっぱいに広がっている。そんな風に思えた。
朝の海に行って何をすると思う?
最高ですかー。
壱弐参ダーッ!
なんにょ?
太陽はまだ水平線の向こうにあるんだけど空は色づいていて、周りも薄暗いなりに問題なく見えるくらいの明るさ
波音以外の音はあまりなくて、でもときどき後ろの国道を車が通っていく音がするし、鳥の鳴き声も意識すると聞こえる 環境音と化してるから気づいてないけど虫も鳴いてるな けっこう音あるやんけ!
水平線は霞みがかっているようであまりハッキリしない 空は何色とも言い難いが、強いて言うなら橙と紫のグラデーションか
雲もまあまあ出ている のっぺりしてるんで紫立ちたる雲の細くたなびきたる…ってほどいい感じでもないが、趣がないわけではない
人はほとんどいない 遠くにカップル然とした2人組が歩いてたり、現地民っぽい犬の散歩をする爺さんが通っていったりする 全体的にお互いにかなりの距離をとっていて、鴨川がバカでかい場合の等間隔はこんな感じなのかもしれないとなんとなく思う
堤防の先に行ったりしてるうちにだんだん太陽が昇ってきて、いよいよ日の出が見える! と思いきや肝心のタイミングで雲がかかってよくわからない 雲の流れは遅いし、けっこうデカい塊がかかってしまったから待つしかない ボンヤリする
雲が晴れるころには太陽はわりと顔を出している 眩しい 太陽の周りというか、空の水平線に沿った部分は黄色くて、もうちょっと上の辺に行くとわりと青空と言ってもいい感じの色になってくる
朝の海に行って何をするか?
1時間勉強したらタバコを1本吸うといった具合に、集中モードとリラックスの切り替えがスムーズになった気がする。
タバコを始める前は銘柄の区別がつかなかった。先輩に〇〇買ってきてとか言われても、何ミリとかハードケースorソフトケースとかロングorショートとか、下手するとキャスターとかマイルドセブン(現ウィンストンとメビウス)とか存在しない銘柄を指示されることがあって、そんなもん分かるか!と思っていた。それが自分が吸うようになり、人の銘柄を観察するようになったらたちまち違いがわかるようになった。また、銘柄によって味や香り、(大袈裟に言えば)哲学の違いがわかるようになり、自分の好みも把握できた。
4ヶ月間だけバイトをしていたのだが、上司や得意先の人間と喫煙所で仲良くなれた。好みの銘柄とその遍歴を探るだけで、その人の趣向や、生き方(※セックスまでも!)など少なくないことが把握できる。人の銘柄を覚えていて何かの際にプレゼントすると、それだけで契約が取れたりする。非喫煙者にとっては、そんなバカな話があってたまるかという感じだろうが、喫煙所ならではのコミュニケーションは確かに存在する。
※この一連のツイートは秀逸。アメスピ吸ってる男は絶対ねちっこいクンニすると思う。
偏見だけどアメスピ吸ってる男みんな性欲強い。— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
ホープを吸ってる男のセックスは淡白だけど2回戦余裕で出来る。
わかば吸ってる男は余ったラブホのゴムを持ち帰る。
赤マルすってる奴はフェラをさせるがクンニはしない。
ケントは普段冷たいのにキスが情熱的
ウィンストン(キャスター)はロマンチストだけどバックでフィニッシュする#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
セッターはヤってる時はオラオラなのに賢者モードがエグい
アークロイヤルは研修熱心でいちいち感想を聞きたがる
ラークは謎のこだわりがあって頑固。道具使うのが好き
メビウスはだいたい平均的で女の演技を見破れない
ピースは会社のストレス溜め込んでるが終わったあとの気遣いが優しい#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
タバコを吸いたくなるシチュエーションは確かに存在する。食後、運転中、勉強時、会議の後、やや重ためのアウトプットの前後、飲み会の終盤、普段話しづらいことを話す時など。それらに共通するのは、脳内あるいは身体的なリソースと食われる前後。気合を入れる時、あるいは任務を終えてリラックスしたい時、タバコは静かに寄り添ってくれる。
お菓子、特にチョコレートの消費量が減った。もともと甘党でデスクワークをしている時には欠かさず甘味を摘んでいたが、代わりにそれがタバコになった。砂糖とタバコ、身体に対する悪影響はどっちもどっちという気がする。ちょっと苦しいタバコ擁護だけど。
焚き火囲んでビール飲んで夜風を浴びながら吸うタバコは最高。今ではタバコなしのバーベキューなんて考えられない!
一年で10万円くらいはタバコ代に費やしている。嗜好品だと思えばそんなに悪い使い方ではない気はする。一日300円とすれば、自分にとってはおやつの代わり。仮にその10万円で両親に旅行をプレゼントするなりもっと有効な使い方あるだろうと言われればそれまでだけど、タバコより遥かに無意味な浪費をしている気がするので(ネトゲとかギャンブルとか)、そっちの方が節約の優先順位は高め。
もともと偏頭痛もちだったのが、朝起きて、頭痛を感じる頻度は以前より多く、わずかに痛みが強くなったきがしないでもない。起床後の空きっ腹が一番キマるのだが、強いの吸ったらその日は一日頭痛が酷かった。痛みをまぎらわせようとタバコを吸い、それがさらなら頭痛を引き起こす悪循環にハマることがあるので、体調が悪い時にはなるべく吸わないようにしている。
少し鈍くなった…かな?喫煙後は繊細な味が感じ取れなくなる。和食や薄味の料理の前には吸わない。というか食前に吸うと空腹感が紛れるので飯が美味くない。吸うのは食後にしている。食後のデザートがコーヒーとタバコになった。以前よりも甘いものを受けつけなくなった気がする。辛い料理の食後メンソールは気持ちいい。
これが最も良くなかったことだと思う。明らかに歯が汚くなった。歯が黄色いし、前歯の裏側がヤニで汚え。親や恋人には絶対に見せられない。歯医者行くなりオーラルケアで対策できるのなら、個人的にタバコによるネガティブな点はほとんど解消できるといっていい。あるいは加熱式タバコなどタールのないものなら良いのかもしれない。ちなみに家の中では吸わないので壁紙が黄色くなるとかはわからん。
以前より鼻毛の伸びが早くなった気がする。しょっちゅう抜いてる。こまめに鼻毛を切るようにすれば良いと思う。
夜に吸いすぎると寝つきが悪くなり、睡眠の質も低下する気がする。あと翌朝の頭痛が強くなる(気がする)。
運転中にタバコを吸うのが好きなのだが、明らかに車内が臭い。あと人に会う時に自分がどの程度タバコ臭いか全然わからん。もともと万年鼻炎持ちだが、以前より明らかにタバコの匂いを知覚する神経が麻痺してる。
その時は売り言葉に買い言葉でやめると言ったが、一年経っても結局やめてない。先日会ってまた同じこと言われてしまった。うん、確かにダセエと思う。何も言えないわ。
軽い依存傾向がある。体調が優れなかったので先日思い立って1日禁煙してみたが、特にイライラすることもなく穏やかに一日を過ごすことができた。健康体でないとタバコはまずい。
今のところ明らかな身体的障害は知覚できない。山に登る趣味があるのだが、特段以前より息が上がるようになったという感じもない。肺がん、脳血管障害のリスクなど将来的にはわからん。
もともとガチガチの嫌煙家。歩きタバコ野郎とすれ違う時はもれなく死ねと思っていたし、こんなに臭いものを吸う奴はガチで頭おかしいと思っていた。小学生のころ教師に、図書館で資料を集めてタバコをやめるよう進言したらしい(母に聞くまですっかり忘れていた)。嫌な小学生だ。
それが二十歳を過ぎるころ、たまたま喫煙者の多いコミュニティに属し、その後職場にも喫煙者が多かった。自分は吸わないくせに、毎回デカビタ買ってもらって、先輩らと喫煙所で駄弁っているのが好きだった。いつしかタバコ嫌いは解消し、好感すら覚えるようになっていた。勧められてタバコを咥えたこともあったが、その時は体が受けつけず、しばらくは喫煙者と飲んでいる時に、ごくたまにもらいタバコをする所謂パーティースモーカーというやつを長らく続けていた。
きっかけは30歳の夏にとある離島へひとり旅をした際、自転車で島を一周してビール飲んでタバコ吸ったらうまいかなと思い立ち、初めて自分のお金で一箱買ってみた。バニラみたいな香りのする、ウィンストンの1ミリだった。オオミズナギドリが営巣しているようなとんでもない絶壁で、水平線を見ながら缶ビール片手に吸ったタバコがちょっと笑ってしまうくらいに美味かった。それ以来、景色の良い場所を訪れるたびにちょくちょく吸っていたら、いつの間にか日常的にタバコを吸うようになっていた。
学生の頃に、モテない同性を集めて三浦半島を旅行した。そのときは良い景色に出会うたびにタバコをふかす友人たちを心底軽蔑していたが、今では彼女らの気持ちはよくわかる。あの時は悪態ついてごめんよ。
タバコは瞑想に似ている。あるいはマインドフルネス。潜水(フリーダイビング、スピアフィッシング)とも。脳内の毛細血管がきゅーっとなって、一瞬体温が下がって、それからうっすら意識が体を離れ浮遊する感覚が訪れる。気持ちいい。ダウナーな音楽でも聴きながら半目で酩酊するのが至福。
10年以上前になるだろうか、『タバコは穏やかな自殺』というコピーをどこかで見た。無論啓発のためのコピーだったと思うが、今みると、素敵な言葉だと思う。死にたいけど死ねない。自傷行為は、自意識が希薄な時に、自分の体が自分のものであるという認識を確かにしてくれるものだと思う。
先日「ハーモニー(伊藤計劃)」という近未来SF小説(ネットフリックスでアニメ版が観られる!)を読んだ。要約すると、めっちゃ強い新型コロナウィルスみたいなのが世界中で猛威を奮った結果、国家は国民の人体を『リソース』として扱い徹底的に管理する決定を下した。体に埋め込まれたデバイスが健康状態を常に把握し、自動で投薬がなされる。不健康であることが犯罪となった世界で、主人公たちは、飲酒や自殺未遂といったテロ行為を繰り返すという話だ。
自己管理のできない者が、あたかも犯罪者のように晒し上げられ、下手すると直接攻撃を受けるようになってしまった昨今において、「ハーモニー」の世界は決してフィクションだと切り捨てることはできない。ミアハの「このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、わたしのもの。そうじゃない?」という台詞は、いっそう印象を濃くしている。日増しに喫煙者の肩身が狭くなっている本国において、あえていま、タバコを吸う理由づけをするならば、そんな世界に対するささやかな抵抗だと言えなくもない。
先日、近所のホラ吹きオジサンにそんな話をしたら、「なぜコロンブスがアメリカ大陸からタバコを持ち帰ったのか。君はその意味を考えたことがあるのか?」と言われ、なに言ってんだこのジジイと思った。曰く、それは産業革命と貨幣経済が浸透したことの反作用なのだと。人が個人として選択的に生きることを強制され、生活の実感が貨幣によって奪われることで『生きている実感』が希薄になったがゆえに、タバコが必要とされたのではなかったかと。それは戦時中に薬物が乱用されたのと同じ理屈だとも。なるほど、一理あるなと思った。
ネイティブアメリカンが霊的なものと交信するために必要だったものが、本来とは全く違った用途に用いられ、スポイルされ、経済活動の一部に組み込まれていった。その意味では、今日における瞑想やマインドフルネスも同じ道を辿っていると捉えることもできる。
なにかと生きづらい世の中で、現代人には瞑想運動野菜睡眠と、少しのタバコが必要なのかもしれない。(どうみても生きづらそうな某氏には、ぜひともタバコを吸っていただきたい。某氏にタバコを吸わせて感想を聞いた!的な記事が書けたらたいそうバズるだろうに!)
一年経って、いまの私はタバコに少からぬ好感を抱いている。ネガティブな側面ばかりが強調され、積極的にタバコを吸う理由が語られていないことに対して少し残念な思いがある(コーヒーや日本酒に比べてタバコの不遇っぷりはどうだ!)。タバコには効能もあるのだし、もっとインテリがタバコを吸って、おおいに語って欲しいと思う。ほんの数十年前まではたくさん語られていたではないか。畑正憲とか伊集院静とか。健さんだって美味そうにふかしていたじゃない。もちろん嫌煙者と環境には十分配慮した上でね。だって素敵な景色見ながらタバコ吸えないなんて、そんな息苦しいことありますか。屋外で、誰にも迷惑のかからない時くらい大っぴらに吸わせて欲しい。
むかし池袋で好きになった人がいて、当時私はタバコを吸っていなかったのだけど、彼の指先がセクシーで(長髪で大きい瞳と長い睫毛が好きだった。確かキャスターの1ミリロングじゃなかったか)、軽く日本酒を飲んで要町の彼の家までの帰り道、深夜の公園で一緒にもらいタバコで一服した。その時の思い出は、昨日のことのように思い出すことができる。タバコを吸う人はセクシーだと思う。タバコを吸わない綺麗な人より吸っている綺麗な人の方が断然好きだ。
その時、彼がタバコを携帯用灰皿に捨てていて、えらいねと言ったら、自分が気持ちよくタバコを吸うためにマナーには気を使っているよ。それは自分の権利を守るためなんだよ。だからマナーの悪い喫煙者は最低なんだ、と教えてくれた。その言葉を忘れずに、これからも、この愛すべきちょっぴり退廃的な香りのする嗜好品を楽しみたいと思う。
みなさん。reiというツイッターアカウントをご存知でしょうか?
https://twitter.com/rei10830349
ツイッタラーにありがちな生き辛さや発達障害あるあるを140字に納めた秀逸なツイートが話題を呼んでいる方です。
https://note.com/beatangel/n/n32ff4498424e
rei氏が先日投稿したこちらのnoteがあまりにも杜撰で酷いにも関わらず、多くの人の共感を呼び瞬く間にシェアされ、チー牛ミームの拡散に一役買ってしまっているこの状況に警鐘を鳴らすべく、彼の文章の基本的で根本的な誤りを一つずつ指摘したいと思います。
・rei氏は「ストレス」の語を児童虐待や親からの被虐の意味で使っているが、引用論文内では新規状況に対する精神的ストレスの意味で使われており、なおかつ被虐児は実験の対象から除外されている。
・rei氏はテストステロンが低下すると男らしくない顔つきになると主張しているが、引用論文内にそのような記述は一切ない。
・rei氏は先進国全般で女性は男らしい顔つきを好む傾向があると米国の実験で確かめられたと主張しているが、引用論文内にそのような記述は一切なく、引用論文はシンガポールの大学から発行されている。
・rei氏は進化論における適者生存の概念を用いているが、正しく理解しているとは考え難い語の使用をしている。
このチー牛顔の特徴は言うまでもなく、
・男らしさの特徴が薄い
・表情筋の未発達
・眼鏡
の4点に集約されるだろう。
最初から数えて三段落目の部分です。もうさあ、この箇条書きの仕方からして気にくわないんだよな。三つ目のポッチの”上記2点の相乗効果により何処か幼く見える”の項目。項目間で参照しないでくれ。せめて箇条書きから外してまとめるか、”上記2点の相乗効果により”を省いてほしい。この程度の体裁すら整えられていない文章を書く人が本を出すんですね。校閲の人は大変そうです。おや、rei氏の固定ツイートに記載してあるamazonのリンクが存在しませんね。スクリーンネームも”rei@生きてるだけで疲労困憊発売延期"となっています。何か問題でも発生したんですかね?
チー牛顔の特徴に話を戻すと、"男らしさの特徴が薄い”は後述する論文にも確からしい記述があるので横に置いておきますが、"表情筋の未発達”という表現はどう考えても不自然で、表情筋が発達しなかったら目を開けたり閉じたりできないし、ましてや口を動かして発語して「牛丼ください」なんて言えないはずなんだよな。"幼く見える”は主観的な印象にすぎないし、眼鏡をかけていることが不細工の代名詞「チー牛」の特徴の一つとまで言うのはもはやただの罵倒だろ。眼鏡っ娘を馬鹿にするな。
百歩譲って、ここまでは話題の提示部分であって、rei氏の過失ではない点が多分にあることは認めよう。
だが、ここから先で繰り広げられる、様々な論文の結論部分やrei氏の脳内妄想を継ぎ接ぎして構成されたストーリーは断じて許せない。許してはならない。てかこんな意味わからん文章を読んでへ〜なるほど!あるあるとか俺もチー牛じゃんwwwとか言ってスキ!やリツイートした奴全員どうかしてる。反省しろ。ちゃんと読め。
さて、こうした所謂「非モテ」や「陰キャ」独特の顔つきの由来については、実は実証的な研究においてほぼ答えが出ている。結論から言えば、こうしたチー牛顔を形作るのは「低いテストステロン値」「精神障害」「虐待やイジメ経験」の3要素であるが、これらはそれぞれ相関している。
らしいです。非モテ・陰キャあるあるとかいうマジでしょうもない中学生までには卒業しておきたい話が始まる予感がプンプンしますが、とりあえず聞くだけ聞いてやりましょう。
過去においてASDの原因は「極端な男性脳」と考えられ、彼等の拘りの強さや反復傾向やコミュニケーション不全の原因は高いテストステロン値にあるとされてきたが、研究の進展により近年はそれが否定され※、むしろASD男性は物理的に両性具有であることが示され始めている。身体の性的2形(身体の男性的特徴)が乏しい傾向にあることが示唆されているのだ。その1つに自閉症の顔を調べた研究があり、それによればASD男性の顔つきは「男らしくない」特徴があるという。
https://jneurodevdisorders.biomedcentral.com/articles/10.1186/s11689-015-9109-6 (論文a)
rei氏のnoteに言及した人はここで挙げられている論文aを全員読んでいるはずなのですがもしかしたら忘れてしまっている人もいるかもしれないため改めてざっくり説明します。チー牛画像の説明でrei氏はなんの根拠も明示せずに男らしくない顔つきである、と断定していましたが、この論文aはなんと、「男らしい顔、女らしい顔とは一体どんな顔であるのか?」という大変根元的な問いについて画像解析を用いて答えを出しているんですね。ふむふむ、どうやら男性は女性に比べて額の幅が広く、鼻は飛び出てて横幅も広いらしい。 で、次の実験②で、自閉傾向の強い人と弱い人とで顔つきの特徴を比較してみたところ、自閉傾向が強い男性は弱い人と比べて額の幅が小さかったり鼻先が飛び出してなかったりしたと。なるほどこれは確かに男性的な特徴とは言い難い。逆に自閉傾向の強い女性については、より額の幅が大きかったり鼻の幅が大きかったと。ここまでデータを見せられたらさすがに自閉傾向のある男性は男性らしくなくなり、女性の場合だと女性らしくなくなると納得せざるを得ませんね。ASD男性は性的二型(生殖器以外に男性と女性を区別する特徴のこと)に乏しく両性具有の外観をもつ、ええ、rei氏の言いたいことはわかりましたよ。じゃあ次の段落へいってみましょう。
また発達障害男性の顔つきが「男らしくない」事に関して、環境の影響を示唆する研究もある。恐らくこの記事を読んでる方の半分ぐらいは心当たりがあるだろうが、発達障害男性は1般的に幼少期から仲間外れにされたり、暴行されたり、虐待や親の過干渉に晒されやすい。こうしたストレスはストレスホルモンであるコルチゾールのレベルを高くし、コルチゾールのレベルが高くなることでテストステロンが低下し、テストステロンが低下する事で性的2形が不完全に形成される可能性が示唆されている。
えー、まず、発達障害男性は幼い頃から学校や家庭で加害され、そして精神的ストレスや肉体的ストレスに晒される傾向がある、きっと読者の皆さんも身に覚えがあるでしょう?とrei氏はおっしゃるわけですが、いくらその主張が正しくても、その根拠は自分の人生で起きた主観的な事実というたったサンプル数1の寄せ集めなわけですから、読者の共感を喚起したところで、発達障害男性全体の傾向や、発達過程における諸要素間の相関や因果関係といったマクロの話には全然繋がらないでしょう。
また、この「ストレス」という単語について、引用されている論文bでは、いやそもそも彼は論文の引用のルールすら守ってないので、この論文bが本文のどこと対応してるのか全然わからないんで、マジでこのリンクはたまたま偶然横に貼られている本文との関連性が一切見当たらない論文のURLなんですけど、えっじゃあさっきまでわざわざ論文を読んでた俺バカじゃね?学術的な考察を武器に世相を舌鋒鋭く、そして時には優しく切り込んでいくインターネット論客期待の新星っぽい雰囲気にまんまと騙されてんじゃんうわ恥ずかし!えっとなんでしたっけ、そう、この横にペっとはっつけられてる論文における「stress」とは、自閉症児が苦手とする経験したことのない新しい状況や環境のめまぐるしい変化といった意味のストレスなんですよね。introductionのパラグラフ二つ目、
"Individuals with autism are commonly observed to react abnormally to environmental changes or novel situations that might not be stressful to others. “
って書いてあるじゃないですか。ところでrei氏の言う「ストレス」ってなんでしたっけ?"発達障害男性は1般的に幼少期から仲間外れにされたり、暴行されたり、虐待や親の過干渉に晒されやすい。こうしたストレスは"–––––––って、ええ!論文の「stress」と意味が全然違うじゃないですか!しかも実験の被験者のうち虐待やネグレクトの経験がある子供は除外されてるんですよね。Participantsの段落に、
"Children were excluded if they had a history of abuse or neglect."
ってちゃんと書いてあるんですよ。
本筋と関係ないので手短に実験の内容をまとめると、自閉症の小児について、コルチゾール(ストレスに応答して分泌されるホルモンの一種)の値を安静な状況、新しい環境、採血後のそれぞれで測定してみたら、発達障害の既往がない人よりずっと高い数値を示したんだってさ。
rei氏はコルチゾールが高くなると男性ホルモンのテストステロンが下がる、って書いてるけど、残念ながらこの論文bにはテストステロンのテの字も書いてないんだわ。Ctrl+Fで単語検索してもテの字も引っかからなかったんだわ。でさ、俺こんな場末のインターネットでネチョネチョしちゃってるけどさ、曲がりなりにも医学部通ってて、手元に教科書とかあったりするのよ。ギャノング生理学原書25版、CHAPTER20、副腎髄質と副腎皮質の章、433ページ。"副腎アンドロゲンの分泌は急性にACTHにより調節され,性線刺激ホルモンによって調節されない.”と書いてあります。テストステロンはアンドロゲンの一種。ACTHは副腎皮質刺激ホルモンの略称で、コルチゾールやテストステロンを分泌させるのに働くホルモンです。教科書のこの記述から類推するに、コルチゾールも糖質コルチコイドもテストステロンの分泌には関わってなくね?や、もしかしたら教科書の隅から隅まで読んだらちょろっと一行書いてあったり、コルチゾールが高くなったことでフィードバック機構が働いて副腎皮質刺激ホルモンの分泌低下が引き起こされて結果的にテストステロンが下がったりするのかもしれないけど、rei氏はどこにも出典を明記せずに本文中でいけしゃあしゃあと"コルチゾールのレベルが高くなることでテストステロンが低下し、テストステロンが低下する事で性的2形が不完全に形成される可能性が示唆されている。"なんて書いてやがるわけですよ。許せなくない?ありえんでしょ。なんでわざわざこいつのデタラメもデタラメ、エロゲで鍛え抜かれた迫真の想像力で快楽排泄した駄文に付き合っていちいちファクトチェックしないといけないんですか?そうだ、reiさん。医学部レポートコピペ学科の学生に任せてみたらどうですか?少なくともあなたよりロジカルで科学的に正しい文章を書いてくれると思いますよ。なんなら紹介しましょうか?彼らは優秀で知性溢れる優しい友人がいるおかげでいつも成績は満点みたいですしきっと心強いと思いますよ。ところでreiさんにはいるんですか?優秀で知性溢れる優しい友人。いえこれは単なる興味です。
次の段落行きましょう。まだまだありますからね。先は長いですよ。
更に上記取り上げた海外チー牛ことThe Virgin Walkに関しても、インターネット等で語られる「ぎこちない」「フラフラしてる」「リズム感がない」「つま先で歩きがち」などの特徴は発達障害の運動協調の苦手さや感覚過敏や身体感覚の不全等の特徴と1致する。
https://www.scientificamerican.com/article/autism-in-motion-could-motor-problems-trigger-social-ones/ (記事c)
なんなんですかね、この抜け字。めちゃくちゃ気になっちゃうんですが。話の流れで飛ばしちゃったけど、なんかチー牛ミームの類似品は海外にもあるらしいですね。俺は細かいところが気になる性分なので、The Virgin Walkの画像を見せられた後に”インターネットで語られる「ぎこちない」「フラフラしてる」「リズム感がない」「つま先で歩きがち」"なんて書かれるとつい画像の中の英文と対応してるのかな〜なんて思っちゃうんだけど、全然対応してなかったです。じゃあこの例にあげてる印象ってどこの誰が言ってるんですか?対応してないっていうので言えば、ここで発達障害の特徴をいくつかあげてますけど、運動協調の苦手さ、身体感覚不全、まあ上述の印象と概ね一致するとしましょうよ。でも感覚過敏はどれとも対応してないですよね?何と何が一致するか、そういう細かいところキチッキチッと詰めていきましょうよ。文章はグルーブ感が大事なんですから、この後きっとこうくるだろうなという読者の予感みたいなの丁寧に扱ってあげましょうよ。リンク先の記事cについては特にコメントないです。自閉症児の多くは運動機能の発達や社会性の発達に障害を抱えるよ、くらいのことが書かれた科学ニュース記事で、論文とかじゃないですし。あ、でも自閉症児の運動障害が社会性の発達に悪影響を及ぼすという理論に、そもそも社会性の発達より運動機能の発達の方が時系列的に先に生じるからそう見えるだけなのでは?と反駁している記述とか、自閉症患者の困難は取り入れた視覚情報と運動性・社会性とを接続させられない点にあるという指摘は面白かったですね。はい次!
またこれは研究事例を示すまでもない事であるが、人間は自分の言動を揶揄されたり叩かれると自分に自信がなくなり、表情が暗くなったり、あまり表立って活動しなくなったり、人との関わりに消極的になってしまう。その為、こうした人間は表情を使う機会が乏しくなり、表情筋が発達しなかったり、表情をノンバーバルコミュニケーションとして使う経験が蓄積されず、表情が常に無表情気味かつ幼くなってしまう。
いや、研究事例はちゃんと示そうよ!まあ書いてあることはわからんでもないよ、わからんでもない。上司や先輩に怒られたり同級生にバカにされたりインターネットで誹謗中傷されたら凹んじゃうよね、引きずっちゃうよね。ウンウンわかるわかる。それはそれとして、この段落後半、同じことの繰り返しになっちゃってません?「顔の表情を使う機会が乏しくなる」、「顔の表情筋を使わないから発達しない」、「表情を使う経験が蓄積されない」、「表情が無」。極め付けには「顔が幼い」と、今まで一度も論じられてない幼さという主観的な形容詞を持ち出しちゃってます。GooglescholarやPubmedを使いこなしありとあらゆる論文を引用して鮮やかなストーリーを提示し、英語はおろかちょっと黒々とした文字の集合体さえ読めないパンピを納得させてみせるrei氏が、こんな小学生みたいな感想文をうっかり混ぜ込んでしまうなんて、とても私には信じられません。きっと何かの間違いでしょう。
まとめれば「発達障害男性は幼少期から多大なストレスに苛まされる事によってテストステロン値が低くなり、また人間との接触を避けるようになってしまい、結果として顔は男らしくなく、表情筋が発達せず幼い印象の顔になってしまう」という事だ。尚これは傾向の話であり、チー牛顔である事イコール精神障害であったり、虐めや虐待経験があったりする事を意味しない。
ツッコミどころが満載のまとめですね。簡潔にいきましょう。
・rei氏はストレスの語を、援用した論文とは異なる意味で使用している。
・rei氏は発達障害男性のテストステロン値が低くなる根拠を示していない。
・発達障害男性の顔は男らしくない傾向にある、と解釈できる論文はあるものの、rei氏が主張するところの表情筋の発達とは関係のない目や鼻や額といった器官そのものの位置に関する論文である。
・rei氏は、発達障害男性の顔が幼い印象を与えることについて言及する記事や論文を示していない。
腹立つのがさ、あくまで傾向の話なんですよ〜私はチー牛顔は精神障害者とは一言も言ってませんよ〜って逃げ道じみた一文を付け加えてるところなんだよね。何が原因で何が結果である、みたいな因果関係ってすごくややこしいじゃん。すぐコロッと逆転させちゃったりするじゃん、人間は愚かなので。今書いてる俺も、うん?どっちが先なんだ?って立ち止まっちゃうともうダメ。あーもう、こっすいよなあ、この一文を付け加えるだけで責任逃れられるみたいに思って書いてんですよ、この人。こんだけ嘘や誤認を誘導する駄文書いといて、「いや俺はそこまで言うてませんから、ほな^^」みたいな態度、要は舐めとるんですわ。文章を書くということも、読者のことも、発達障害者のことも、生き辛さを抱えてる人たちのことも、毎日研究室でせっせとデータ取って論文読んで人類の知の水平線を広げんと奮闘してる研究者のことも。腹立たしい。論文読むならちゃんと読め、使うならちゃんと使え、筋の通ってないこと書き散らかすな、知の冒涜も甚だしい。
入りきらなかったので後半に続きます
名作傑作と言われている割には響かなかったなあという駄文
・青山作品はかつてハマってコナンは50巻近く、まじ快は3巻まで、YAIBAは全8巻のうちの真ん中の一部以外は集めた。
・劇場版コナンは全部見たわけではないが、こだま作品、銀翼、紺青が好き。確か水平線上、鎮魂歌、純黒は見た。
・相棒や科捜研の女は多分見たこと一度はあるとは思うけど、よく見てて好きだったシリーズとしては記憶してない。100の資格を持つ女や紅蓮次郎や法曹系の女主人公のが好きだった。
正直これコナンでやる必要あるかなと思った。ベイカー街の亡霊と同じくやりたい題材のために、名探偵コナンを利用した匂いがした。問題は、ベイカーはコナンファン・ホームズファンの中でも賛否わかれるところはあっても一般受けは良く対象もあくまで子供であるのに対し、執行人は対象が大人で一応コナンの推定ファンの年齢層だろう子供を捨て去っている節があった。正直良い意味で心動かされたのが、①毛利家(園子緑さんも含む)の描写、②少年探偵団がストーリー上意味があって足手まといではない、③ポアロのお姉さんの変なジェスチャー、④カーアクションで電車の側面を走るところ、⑤博士が有能(クイズだけや場所や道具提供だけではない)……くらいしか思い出せない。あと車のCGが結構目に入った。
まず、ストーリーに燃えるところがあまりない上に大人向けで暗い。公安警察が元警察官で、現有名探偵(背後のコナンという強力な協力者が目当て)とはいえ、一般人を巻き込んで拘束するようなことはどうなんだろうと思う。警視庁や地方警察所属警察官を好感の持てるキャラクターに描いてきた本シリーズにて、公安関係者にキャラクターとして好感が持てなかった。公安の歴史を考えれば好感を持てないキャラクターというのは考えられることではあるが、純黒の風見のあまりの無能さにキュンとしただけに残念に思った。すべての元凶は公安といってもいい物語であったが、燃えるところが少なく、対象を大人だけに振り切らないでほしかった。犯人の動機が協力者を失うことになった公安に復讐するためであるが、犯人も協力者もコナンも安室自身の正義の上で行動している。正直安室登場後のコナンに関してはあまり正義を問われたくないが、正義は一つではなく難しいものであるだけにコナンでやるのならストーリー自体もう少しは明るくした方がいいのではないかと思う。公安という立場をメインに出してきただけに難しいものではあるが、あまりの視覚的物語的暗さになんだかなという気分でいっぱいだった。正直自家用のテレビで見たが、夜設定とはいえ画面的にあまりにも暗いと感じた。またゲストキャラクター(いつもの芸能人枠)の弁護士の方のラストシーンで激昂するところがあるが、彼女もそれまでに公安の協力者として暗躍する中で監視していた対象に惹かれたものの、事件が起こり協力者に協力を頼んでいた中で自殺される。そのまま協力者を続けていたら実は公安によって、自殺していたとされていた恋人は生きてましたなどという自身の判断によるものであれど公安に人生を振り回されているのは、哀れみの感情をいだいてしまった。しかし彼女も暗さを増長した一因である。
次に犯人サイドの事情や処理に面白みがないなと思った。ここでは犯人の協力者は含むとする。推理モノやサスペンスで個人的に楽しみにするのは、犯人の動機が大きい。犯人が犯行を起こす動機が、同情する余地があったりカリスマ性があれば正直娯楽として好きになってしまう。犯人の処理もそうだ。ただ今回の犯人周りはつまらなかった。犯人の上司に対して火傷負わせ他のが犯人と分かったときはよくやったと思ってしまったが、協力者の生存を知らされて諭されてすぐパスワードを言ってしまったりコナンの言葉にすぐ諭されてしまったりというのは、尺の問題が大きいかもしれないがやった規模や抱えていた自身の正義に対して描写が薄いなあと思った。協力者の方は結局自分の正義感に酔いすぎて就職できなかっただけで死んだと思ったらなんだかんだのうのう生きてたし、あと正直ミスキャストで演者に対してキャラが抱えているものが大きすぎて演者が頑張っている分ちょっとなあと思った。おそらくもっと丁寧に描写されていたら協力者の生存に残念だとは思わなかっただろう。正直犯人サイドのキャラクターとしての描写があんなに有名作なのだからもう少し掘り下げしていると期待していたために残念に思った。犯人よりも公安の傍若無人さの方が印象に残り、それがクライマックスの燃え上がるはずのところでうまく自分には火が付かなかった。
またクライマックスで少年探偵団が活躍するところと安室とコナンが活躍するところがある。少年探偵団が足手まとい過ぎない(足手まといの例:水平線上)、灰原が原作のスペックから考える必要以上に出しゃばらない(一応薬学が専門のはずなのに薬学以外で博士よりも活躍している場面など)、博士が有能(ただの見守るお爺さんや道具・場所・クイズ提供者じゃない)など個人的には好きだと思った。ただ、何も知らされずに衛星探査機を子供たちが迎撃するというのはどうなんだろうかと疑問には思ったが。目暮警部をはじめとするいつもの警察関係者のポーズに近いのもあるとは言えど、子供に危ないことをさせないために止めるのに慣れているだけに、博士以外ためらう姿が絵として見られないのが少々残念に思った。まあコナン・灰原以外の事情を知る大人が公安関係者だけなことはあるために納得は行くが。今回は探偵たちの鎮魂歌のように実は危険な目にあっていたし、その状況を対処したのは少年探偵団という描写だった。彼らなら事情を知ったうえできちんと対処できる(例:天国)という期待があっただけに、実は自分たちで破壊した探査機を間近で見られなくて悲しむ姿に言ったうえで協力してもらってもよかったんじゃないかなと思った。
毛利家の描写(園子緑さん含む)は結構好きだった。近年のコナン映画は蘭にとりあえずアクションさせ、雑でも新一と叫ばせればいいという個人的な偏見がある中新一を必要とする理由(おっちゃんの逮捕)がわかりやすく、コナンから蘭への愛情もちゃんと尊重している(安室がコナンから蘭への感情に言及している)など、蘭の扱いがラブコメ中心ではない映画にしては良いと思った。純黒の蘭の存在意味が無に近いのを最近見返したので、思っていたよりはよかった。コナン映画といえば蘭に精神的デバフをかけるのが恒例ではあるし、よくそれで叩かれている(空手強いのに騒ぎすぎとか)のを考えると新しい精神的負荷のかけ方だと思った。小五郎を蘭が疑うというのは14番目の標的でもあったが、今回は異例の起訴という事態に陥っているため精神的に弱っても不自然ではないと思う。妃さんも身内には弁護できないという状況でおっちゃんのことを考えているのが伝わってきてよかった。エンディングの毛利夫妻はやっぱりこうでなくちゃと思った。園子は不安な欄に付き添ってあげているいいやつだし、緑さんも毛利家のことを思っている(正確には妃さんのことだろうけど)し、色々と手助けしてくれたりしてよかった。正直毛利家がこの映画の視覚的にも物語的にも癒しとなっていたところあった。
あと途中で車が泣き顔に見えるほどズタボロになっているのがかわいそうだけど、頑張ったねって感じで好き。カーアクションで電車と真っ向から衝突し、電車の側面走ったりと本当お疲れ様だった。最後はもう廃車確定なのかもだけど、MVPは君だったよ。
総括すると、「名探偵コナン」の傑作として持ち上げられていた割には基本的に物語が暗くてスンって気分でいた時間が多かった。ベイカーみたいに「名探偵コナン」としては異色という認識だとしても、それまでの認識していたコナン像と違ってたぶん困惑しただろう。これがコナンでなければもうちょっと先入観に踊らされることなく、楽しめたのかな。正規の駄作とまでは言わないけど、公安や警察方面に明るくもなく、コナン知識に自信があるわけでもない身としてはもうちょっと説明が欲しいなと思った。例えば、なぜ犯人が共犯者を選んだのか、共犯者は自殺した()あとどうしていたのか、コナンがスマホに盗聴アプリを仕込まれていたことを博士に調べてもらって知っていたのなら調べてもらう際にバレなかったのか、NAZUは侵入された後に犯人によってパスワード変更されるまで(された後も)何もしなかったのか、警察(公安)以外の省庁のお偉方が無能に見えたけど本当に何もしてないのか、犯人の上司(公安検察の人)が結構嫌なだけの不美人に描かれていたけど何か信念とかはあったのか、あのあと女弁護士はどうなるのか、あたりの説明は欲しいなと思った。小説を読めばいいのかもしれないけど、こだま時代の疑問点はあっても雰囲気とかでだいたい満足みたいなのに慣れすぎてて手を積極的に出す気にはなれないんだよなあ。世間評価のわりにあんまり響かなくて残念だった。安室というよりも公安の降谷を見るための映画だなと思った。だけど映像やアクションでごまかすんじゃなく、降谷という人についての描写をもうちょっと色濃くやってくれたら今よりも好みの作品になってくれたかもしれない。
それが当たり前だと言うように毎日、7時半に家を出る。駐車場に停めた車に向かうまでに深呼吸を二度して空を見上げる。
そこに意味は無いけれど、生物として朝日の温もりを自然に求めているのかもしれない。
勤務先へと車を走らせている途中、ラジオでクラシック音楽を聴く。ジャズに似た旋律のせいで後でメロディーを思い出せた事がない。
海から離れた場所にある、山に囲まれたこの街の車窓からは色褪せて錆び付いた看板と工場とコンビニと枯れた樹々と最近増えた東南アジアやブラジルからの労働者ばかりが視界に入ってくる。
子供の頃はこんなにも色の無い街だと思わなかったのに、気が付かなくて良いことばかり気がつくようになる。
ずっと住んでいる街だ。高校を卒業して専門学校を卒業するまでの二年間だけ山を越えた先にある街に住んだことがあるがそこもまた似たような景色だった。
日に日に色彩が無くなっていくこの感覚は子供には理解できないだろう。
驚いたのが社員旅行で行った、ハワイと呼ばれる島だ。初めての海外で正直期待していなかったが目に飛び込んでくる原色のエメラルドグリーンの海、白い波、風に揺れるヤシの木、青い空と少しの雲、どこまでも続く水平線に沈んでいくオレンジ色の太陽はいつまで見ていても飽きることは無かった。
住んでいる惑星が一緒なのか疑いたくなるくらいこの街とあの島はあまりにも違う。
唯一似てるのなら空の景色ぐらいだろう、だから私は色褪せようの無い日の光や霧のかかった山々、冬の夜空に惹かれてしまうんだと思う。
それが当たり前だと言うように毎日、7時半に家を出る。駐車場に停めた車に向かうまでに深呼吸を二度して空を見上げる。
そこに意味は無いけれど、生物として朝日の温もりを自然に求めているのかもしれない。
勤務先へと車を走らせている途中、ラジオでクラシック音楽を聴く。ジャズに似た旋律のせいで後でメロディーを思い出せた事がない。
海から離れた場所にある、山に囲まれたこの街の車窓からは色褪せて錆び付いた看板と工場とコンビニと枯れた樹々と最近増えた東南アジアやブラジルからの労働者ばかりが視界に入ってくる。
子供の頃はこんなにも色の無い街だと思わなかったのに、気が付かなくて良いことばかり気がつくようになる。
ずっと住んでいる街だ。高校を卒業して専門学校を卒業するまでの二年間だけ山を越えた先にある街に住んだことがあるがそこもまた似たような景色だった。
日に日に色彩が無くなっていくこの感覚は子供には理解できないだろう。
驚いたのが社員旅行で行った、ハワイと呼ばれる島だ。初めての海外で正直期待していなかったが目に飛び込んでくる原色のエメラルドグリーンの海、白い波、風に揺れるヤシの木、青い空と少しの雲、どこまでも続く水平線に沈んでいくオレンジ色の太陽はいつまで見ていても飽きることは無かった。
住んでいる惑星が一緒なのか疑いたくなるくらいこの街とあの島はあまりにも違う。
唯一似てるのなら空の景色ぐらいだろう、だから私は色褪せようの無い日の光や霧のかかった山々、冬の夜空に惹かれてしまうんだと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sino6/status/1228376583821414400
いや、しのふー先生が描いたような動きでシワが入るなら全く不自然じゃないけど件の画像は直立不動じゃん。明らかに不自然なかたちでエロネタぶっ込んでくるからなに考えてんだって話になるわけであって。
https://twitter.com/LoveLive_staff/status/1227422254998392832
https://pbs.twimg.com/media/EQiuCTsW4AEzhJJ.jpg
普通にひざが前に出てんじゃん。
直立不動なんて言葉ぶっ込んでくるからなに考えてだって話なるわけ、こっちは。
Y on skirt理論の補強もしくは反論のための妄想ストーリーが流行ってるらしいからそれに乗るけど
カメラマン(想定)が富士山、水平線、みかんの木の位置などを踏まえて「もうちょい下下!」と絵の女に要求。それ答えて中腰にした結果な。
これな
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by https://www.diodeo.jp/webzine/view/38828
「そもそもこれにオッケー出すほうが云々」な方向には乗りません。ほかをあたってください。