「寂寥感」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 寂寥感とは

2017-05-14

[]

夜とコンクリートを読んだ。青いサイダーで泣かされた。簡素かつ美しい線で描かれた物語から立ち昇ってくるのは、夏の寂寥感にも似た読書感だった。

恥ずかしながら中古で買ったんですけどね。棚を眺めていてひょいと手が伸ばしたら、こんな素敵な漫画出会えたわけです。運がよかった。

内容としては全体的にとってもシャープ無駄がなく、足りない箇所も見受けられない。絵柄も本当にすっきりしているから、人物たちの言葉と彼らがいる場所空気感ダイレクトに伝わってきた。

そのおかげか、はたまたAmazonでのレビューをチラ見したせいかは知らないけど、いま一度内容を思い返してみると、擬音語がなかったはずの場面から濃密に音の気配が聞こえてくる気がする。

変な言い回しになってるけど、例えば夏休みの町って話の扉絵から降り注ぐ蝉の鳴き声や、強烈な日差しが照り付けてる感じや、風の音なんかがひしひしと感じられるようになったのです。

感受性を刺激されたというか、想像力をたくましくさせられたというか。実際読みながら涙が出てしまったわけで、個人的感情を強く揺さぶられる表現が詰まっていたことは間違いないです。

どこまでも静謐で限りなく情緒的な一冊、つまりはすごい漫画だってこったな。

2017-04-30

Huluとかで気に入った動画流しっぱなしにしていないと落ち着かない

朝起きたらとりあえずテレビつけて気に入った映画とかドラマ流す

シーンとした環境音だけの状態に居ると

寂寥感というか現実感みたいなものが押し寄せてきて

ものすごく憂鬱というか無気力というか

そんな気持ちになってしま

外出しているときはなるべく耳栓をしていたい

仕事とかですごく集中しないといけないときだけはさすがに動画止めて耳栓

寝るとき耳栓ないと寝れなくなった

そのせいで外耳炎が治らない…

困るのはHuluで気に入った映画なんかが急に配信停止になっていたりすること

買った映画ドラマDLじゃなくていつでもストリーミング再生できるサービスってないのかなあ

2017-03-19

フランスでの「君の名は。

2月下旬パリ孤独出張おっさんに、冬の雨が冷たい。美術館巡りも飽きたので映画でも見るか、ということで言語がわかる「君の名は。」。調べるとミニシアター3箇所だけでしかやっていない。他に週1や月1の公開が何か所か。マジかよ、パリ都市圏1200万人に対して3か所かよ?いや、公開後2カ月経っているからこんなものか。まだやっているのが奇跡というべきか。海外XXXスクリーンで公開、というが実態毎日やっている館数は一部なのではないか、という気もする。

 

どのミニシアターもかなりのマニアック臭がする。一番近いのは10区の北東。10区か。。。パリ治安はあまりよろしくない。正確に言うと、普通場所悪い場所があるのだが、北と東は悪い。10区は悪いほうである。行くだけ行ってみるかと、これも評判の良くないRERに乗って移動。RERはパリ近郊の中距離列車である日本人観光客は、空港から市内までの移動でB線と、市内からベルサイユ宮殿までの移動でC線にお世話になるのだが、間接照明で社内は薄暗く、社内中にトイレ匂い漂っている。刃物で刻まれガラスや壁への落書きが痛々しい。日本から来た新婚さんが、最初に夢から覚めるのがこのRERである。とはい最近は新型車両へ交換が進み、新型の社内はキレイで、快適に利用できた。

目的地の映画館移民街の駅にある。地下鉄から上がってみると、何をしているのかよく分からない人たちが、歩道にわんさかいらっしゃる。手に何か持って売っていらっしゃる人、呼び込みをしていらっしゃる人、一番多いのは何もせず通り行く人を見ていらっしゃる人。東洋人はほぼいない。白人もかなり少ない。過去パリの激安ツアーではこういうところのホテルを使って安くあげていたらしいのだが、さすがにトラブルが多いので最近は減っているらしい。映画館自体は意外に普通で、ほかにもミニシアターをみかけたので映画館の街かもしれない。だが「三葉!」「瀧君!」とかそんなスイート映画を見た後に、このハードボイルドワンダーランドを通って帰るのも、おっさん寂寥感が増幅される気がして、3つのうちほかの映画館に行くことにした。

テロはあったものの、最近パリ体感治安はマシになってきている気がしており(おっさんは年に数回定期的に出張に来る)、日本大使館HPを見ると確かに日本人被害件数は減っている(観光客が減っただけの可能性もある)。一方で、こんな警戒情報も出ている。空港から市内に向かう渋滞中のタクシーの窓を割って乗客の膝の上からバッグを奪う。そんな荒っぽい強盗流行っている。日本人も1カ月の間に6件も被害に遭ったらしい。ここはリオデジャネイロか、ヨハネスブルグか、と頭がクラクラする事例である

さて、移動して来たのが南にある6区のミニシアター。6区はリュクサンブール公園など、日本人イメージするパリである。このミニシアターは面倒くさそうな意識高い系シアターの雰囲気白人フランス人しかいない。日本映画を上映しない限り日本人が来ることもないだろう。

俺「君の名はチケットくれ(英語)」店員吹き替えフランス語だけど大丈夫だよね?」俺「吹き替えマジで?」店員冗談、ごめん、字幕だよ」とのこと。フレンチジョークをかましてきやがる。100席程度の小スクリーンはいえほぼ満席。両側に客がいる状況である。両方とも可愛い20代女子であるしまった、さっき一風堂餃子とマー油(焦がしニンニク油)入りラーメン食ったばかりだ、などと緊張する。絵にかいたようなおっさんである。客層は俺以外全員が白人フランス人若者老人からファミリーまで。片側の女子が後半ボロ泣き。隣の彼氏が慰めながら、俺の隣で濃厚なキスをかましてやがる。クソが(嫉妬文化)。逆側の女子もすすり泣きだったので刺さりは良い模様。エンドロール誰も立たず。イギリスでは残る人がほとんどいなかったので、文化差なのか、満足度差なのか、たまたまなのかよく分からない。

さらに続いて南の14区、モンパルナス近くのミニシアターへ。完全に住宅地の中にポツンとあるライブハウスミニシアターで、区民会館のような立地である。ところで、どんだけ暇なんだ俺。ここも100席程度で、レイトの割に入りは良く6割くらい。またもや俺以外全員白人フランス人レイトショーなのに小学生くらいの子供がいる。ありなのか?夜更かしするこういう悪い子が、地下鉄強盗するパリ青年ギャングになっていくのか(違う)。あっという間に上映終了。終了後の会話に熱があり(フランス語なので内容はまったくわからないけど)、こちらも観客の満足度は高そうであった。

Allocineというフランス語映画サイトがある。映画館もコレで探したのだが、観客レビューで「君の名は。」はなんと歴代4位。

http://www.allocine.fr/film/meilleurs/

レビュー数が少ないから高めに出てはいるのだろうが、上から順に、フォレストガンプハクソー・リッジグリーンマイル君の名は。ジャンゴシンドラーのリストであるフランス語サイトなので、日本人アジア人投票としているとかではあるまい。興行収入はたいして上がっていないようだが、評価はかなり高いようであるサイト上このまま記録として残っていくのか、と調べてみると、100位以内におおかみこどもの雨と雪とか、かぐや姫が出てくる。このまま残っていくようである。若干大丈夫なのか、という気がしなくもない。

英語圏IMDbでもレーティング8.7であり、IMDbは最低25000レビューないと歴代ランキングに乗らないらしいので対象外だが、8.7を歴代ランキングに照らすとこれも12位-18位相である。同じ8.7はフォレストガンプロードオブザリングマトリックスなど。現在22000レビューなので今後歴代に入ってくる可能性はある(ただし歴代に乗るときレビューの重みづけアルゴリズムが発動して、レーティングが変わるようである。)。

http://www.imdb.com/title/tt5311514/?ref_=fn_al_tt_1

アニメ好きを中心とした少数レビューゆえの点数ではあるのだろうが、それにしても高評価である日本映画は、欧米展開時の配給が弱かったり、マーケティングがあまりなかったり、スクリーンミニシアターや隔日ばかりだったりと、ポケモンドラゴンボールなど確立されたキャラクターを除いては、欧米興行収入を上げるにはまだまだ厳しい条件が多いのだろうが、このように高評価作品が続いていけば、道は徐々に広がっていくのではないかと思う。

2016-12-27

凄い今さら感があるが、Deep Learningのフレームワークchainerの作者が日本人だと知って、開発者サイト覗きに行ったら、すごく珍しい苗字で良く知ってる名前で、すぐに知人だと気づいた。

いやいやいやいや、どうして彼方と此方が陸続きだと言えるのだろう?

半信半疑の目には、大人びた雰囲気が加算されてたら小さめの実写アイコンじゃ全く分からなくて、プロフィールをつい探してしまった。修士卒業2012年浪人たか一年違いで、つまり動機だ。学部。どこだったかな。さらに辿ったら、中学高校......54期生とあります自分もそうです。本当にありがとうございました

紛れもなく、一時期一緒に登校してたくらいには親しかった(と自分が思い込んでいた)元クラスメイトだった。

好きなテレビ番組のどんなSEなら今の心境にあうのか、みくりさんじゃあるまいし、俺には全く分からない。

まだ高校生だった頃、文転する前も彼がお昼休みに知人と黒板を囲んで議論していた内容はほとんど分からなくて追い付けない感じがあった。そして今、卒業から十年以上経過してニライカナイに行っちゃったんだなという自分勝手寂寥感に襲われてる。

任天堂岩田さんの同級生みたいにいつか語れる?そんな贅沢ができるほどにはまだ、自分の道は到達線には程遠い。言葉も出てこない。

2016-11-18

伝える技術について。

なぜJPOPがこうも似たものばかりになってしまったのかと言えば、抽象的で主観的歌詞しか描けなかったかである

これは例えれば、何か感動的な物事があったとき、すごい、すごいを連呼することしかできない中学生のような主観的描写と言い換えることもできる。

もちろんこれでは何がすごいのか分からないし、想いの強さがすごいとか、切なさがすごいとか「抽象的な」付け足しをしても、それは相変わらずその人の主観であるので、聞いてる側からすれば、「ふーん、へー」で終わってしま物事である

作詞家目的は売れるものを書くことであり、別に共感などいらないからこうなってしまうわけだが、では共感を呼べる真正な伝える技術はいったいどのようなものだろうか。

それは具体的に、客観的に描き、読者に想像させるという書き方である。誰も別に君の主観など見たくはないのだ。

具体例を挙げてみよう。

「古池や、蛙飛びこむ水の音」

この有名な芭蕉の句は、5,7,5のたった17文字に、恐ろしいほど怜悧テクニックが凝縮されている。

気付いただろうか。この句には主観もなく、音を表すワードしかないのに、それが逆に寒々しいまでの静寂と寂寥感を伝えているのである

もし芭蕉主観でもって、「いやーこの辺マジ静か、ちょー静かで寂しい」と言ったら、これほどの静寂は決して伝わらなかったであろう。

蛙が水に飛び込むという、普通なら聞き逃してしまうほどの小さな音以外何も聞こえない空間、つまり圧倒的に静寂で孤独空間、これを客観的描写で読者に想像させえたから、この句は不朽の名作となったのである

2016-05-31

去年の紅白ラブライブゴリ押しした結果、水樹奈々が完全に消えたんだが

NHKから姿を消した訳ではないけど、これまでアニソン枠の代表者としてナナニーが培った功績みたいなのが

一切無碍にされてしまってるのは本当に罪深いと思う。

その天罰4月にはラブライブセンターえみつんこと新田恵海AV疑惑が出てラブライブ熱が一気に冷めたのを見て

水樹奈々待望論が出ないものかとやきもきしたけど、6月を前にしてもナナニー復活という空気がなくて寂寥感が半端無い。

NHKの中では水樹奈々はもう終わったコンテンツなんだろうか。

誰かが言ってたけど、去年のナナニーはシンフォギアがあっても殆ど下火だったか紅白出れなかったのは仕方ないだろという意見があった。

確かに下火気味だったかもだけど、俺の中でシンフォギアGX主題歌を聴いた時、まだまだナナニーをイケると確信していた。

それだけに今年こそはという気持ちでいる訳だが、どうも完全に消えたっぽい。

今は男性声優宮野真守シフトしたらしく、なるほど今後はイケメン声優に舵取りをするんだろうかと思ったね。

なら、今度の紅白は当然男性声優ユニットを出してくるんだろうかね。

それとも去年一昨年の功労者としてナナニーカムバックしてくれるのかな。

もしかして今年もラブライブゴリ押しするんなら、もう紅白は見納めだね。

もう二度とチャンネルを合わせる事はないと思う。

せっかく普段アニメ見ない家族でもナナニー名前覚えてくれていて、今年は出ないの?って俺に聞いて来た位浸透していたっていうのに

ラブライブは本当に罪作りなコンテンツやでぇ・・・

2016-05-23

[]

ヨハネスブルク天使たちを読んだ。建築紛争と落下するロボット。全編通して退廃的な寂寥感が味わえたのでなんだか寂しい読後感を得られた。

人間って何なんだろう。誰しもがふと考えて、その時々で納得できる答えを見つける問を、再び抱かせるような作品だった。紛争が大きな共通項として紡がれているから、どうして人は争うのだろうとかも考えさせるんだけど、ある程度その答えが作中で描かれているか人間に対する哀れみにも似た感情を抱いてしまう。歴史は繰り返すって言うけれど、改めて無情な現実を突きつけられたような気がして呆然としちゃった。

また表題作でもあるヨハネスブルク天使たちにおいて、起動しただけのDX9に意思と呼んでいいのかわからない思考回路が生まれていることが引っかかった。この一遍以外純粋なDX9の思考は明確に表現されていないんだけど、人格を上書きされた個体とか、プログラムを上書きされた個体果たしてどうなったのか、思考存在していたのかとか彼女たちに対する生存権みたいなものを考えると、ますます人間のどうしようもなさが強調されているように感じた。

建築とか紛争については解説でも触れられていたから脇においておくけれど、度々記述されていた言語に対する思想も興味深かった。言語に関する項目は紛争にも関わる事柄ではあるんだけど、もしバベルの塔が倒壊していなかったらもう少し現状とは違う現在存在し得たんだろうと思う。

最後一遍だけ紛争から離れた日本舞台にしてたから(二編目もアメリカ舞台だけど9・11を題材にしていたから毛色が似通っていた)雰囲気が他と少し違ってたけど、この作品には最後希望が見える気がした。あんなの希望じゃなくて暇を持て余した挙句に見つけたささやかな娯楽の延長でしかないのかもしれないけど、あの光景想像すると人間の善性を信じてみたくなる。もちろんそんなのはまやかしかもしれなくて、事態を一方からしか見ていない独善的な捉え方ではあるんだけど、やっぱり生きていくのだから先は少しでも明るいほうがいいと思う。

なんかよくわかんない感想になってしまった。個人的には前作のほうがバラエティーに富んでいたし、しんみりする話ばかりじゃなかったから好みに合っていた。静な気持ちにさせてくれる一冊だったと思う。

2016-04-18

女として詰んだ

共通の友人の結婚式を機に元彼からXX年ぶりに愛の告白をされたのが、始まらずして終わった。

原因は彼の収入一般より低く、私が一般より高いということに、彼の精神が耐えられそうにないということ。

双方大人なので、円満告白はなかったことにしましょうということでファイナルアンサー(古い、年がばれる)

こちとら私の方が高収入で別れることになったのは3回目なのでもう慣れっこだよと笑ってお別れしてきました。

1回目は学生時代から付き合ってた人が、社会人になって、私の収入が高いことを気にして自爆するかのようにフリーターの後輩女子浮気

2回目は最初は気にしていない様子だったのに、付き合いが長くなるにつれ私の金を当てにしてヒモ

で、3回目の今回は告白3分後にはあ、でも俺の収入・・・で終了。

全身ユニクロで固めて、毎週末マクドナルド食べる普通生活をしているだけなのに

勤務先から収入予測できるからって、こうもモテないとちょっと考えてしまう。

結婚してATMになりたくないとか言うくせにATMになれないとわかると逃げていくって、どうなのよ。

給料多寡がどうしてそれほど恋人としての付き合いに影響するの?ほんとにわからない。


自ら進んで貧乏になるという選択肢はないので、これは女として詰んだなーという寂寥感でいっぱいです。

自分より給料もらってる人は大抵既婚か不適切な関係をご希望の方ばかりなので・・・



地震被災された方々には謹んでお見舞い申し上げます

同時刻私のメンタル震度7でした。

デートに行く服を買うこともなくなったので、x万寄付しました。

それが稼いでる女の矜持ってやつさ。

追記: すみません女医ではないです。中堅以下の建築関係大学卒業後、僻地への派遣駐在を厭わずにいたら転職成功出世してしまい、会社でも同級生の中でも変に浮いているという感じが近いかと。あと真性のだめんずうぉーかーなのも事実

2016-03-05

初春

春は理由もなく侘しさを感じる。積もった雪が道端に僅かに残る程度になり、日々を包んでいた寒さも柔らかい日差しであたたかくなってきた。学生春休みに入り朝の電車に乗る人もすっかり減ってくる。冬は雪があらゆる音を吸収して静かな日々を作り出すが春はまた別の静けさがある。生き物が目覚めて植物が芽吹く前の静かな力強さ。ここは田舎だ。昼間に家にいると子供たちの元気な声が聞こえてくる。自分子供だったころを思い出す。友達の家に電話して約束をすることが大半だった。たまに約束もせずに友達の家に行くと留守のこともあった。そのようなときも数人は集まった。それでもいつもの面子は集まら何となく寂しさを感じていた。意味もなく町内を自転車で回っても町は静かだった。鳥の鳴く声とわずかな車の音だけが響いていた。今地元で一番発達している駅前に行くと大勢の人混みに紛れることが出来る。春になると心なしかあらゆる人が笑顔を身に付けているように見える。自分もその人混みを構成してる一員なのだけど何となく場違いな気がしてくる。逃げるように家に戻るとラジオをかけて本をよんだりする。ラジオにしてもテレビにしても自分とは全く別の世界いる人間がしゃべっているような気がしてきて昔から持ってるCDをかける。そしてあのときの彼はどうしているだろうか、あのときこうしておけばよかった、この辺りも変わってしまったなあなどと思いを馳せる。いたたまれなくなった後に通帳を見たり冷蔵庫の整理や掃除をしたりする。そうなるともう夕方スーパーに夕食を買いに行く。店内にいるのは家族連れやカップル学生などでやはり自分とは異人種だなあと感じてしまうけど昼間よりは馴染んでいると思い何となく気分が落ち着いてくる。家に帰って手早く夕食を作り深酒にならない程度に飲みながらBSでやっている映画を観る。そうこうしてるともはや11時を回っている。さて風呂に入って寝るかと湯船に浸かる。リラックスしていること、寂寥感に負けてしまわないようにとふと歌を口ずさんでしまう。口ずさむのはtake on me。サビにさしかかり、テイクオンミーと歌っているとどこからか復唱する声が聞こえてくる。それはとなりの家から聞こえてくる。さっと窓を開けると隣の家の窓も開け放たれていた。そこにいるのは妻子供に逃げられた隣の親父。わざわざシャンプーボトルを口にあてて熱唱していた。負けじと声を張り上げる俺。窓枠をリズミカルに叩きながら合わせてくる隣の親父。歌い終えるとこちらにむかって静かにしかし力強く頷いてきた。そうだ、夜はまだ更けてきたばかり。この一帯には俺と隣の二軒しか家はない。観客と歌手が一体になったショーの始まりだ。マイケルジャクソン、デヴィッドボウイエアロスミス。往年の名曲を二人で歌い上げていく。どこから持ってきたのか親父の手には菜箸が握られていた。めちゃくちゃ、しかしなぜか調和を感じさせる菜箸風呂ドラム。俺はトリックスペシャル仲間由紀恵風呂の蓋を壊して息をしてしたのを思い出した。風呂のふたをぶちこわし息を吹きはじめた俺。情けない音を立てる風呂のふた。しかし隣の親父はニヤリと笑うとさらに激しく菜箸を叩きだした。負けじと強く息を吹く俺。ふたの先に手をあてわずかに音の違いを作り出す。即席のジャズセッションが始まっていた。そうだ、俺たちはどこでだってブルーノートを作ることが出来る。セッションを始めたその場所ニューオリンズだ、ステージなんだ。初春とはいえ夜の空気寒いしかし俺たちのセッションはそのような寒さなど吹き飛ばししまうほどだ。膝下の湯も俺たちの熱気をさらに上げる。隣の親父が頭を強く振り始めた。同時に肩も更に激しく揺れる。そうか物事には必ず終わりがある。この熱いセッションもいつかは終わってしまうのか。一瞬頭に淋しいが通りすぎる。だがしかしそのような感情に押し負けてこの一瞬を台無しにしてはいけないのだ。最後を美しく飾ろうと鼻から最大限の息を吸い込む。そして体を反らせながら思い切り息を吹き込んだ。窓の外に見える空には明けの明星が輝いていた。俺の息が途切れる瞬間親父の菜箸も終わりを迎えた。息を切らせながら向き合う二人。親父の顔には不思議な満足感が浮かんでいた。きっと俺も似たような顔つきなのだろう。言葉もなく、頷きもなく二人は窓を閉めた。男には無駄な装飾など必要ない。ただセッションした、という事実があればいい。携帯を取りだし会社仕事を休む旨を伝える。そうだ、俺たちは一人じゃない。一歩踏み出せば必ず心の同士と出会えるのだ。

2015-10-20

中学生の時に馬鹿みたいに聴いていたアニソンを久しぶりに聴いたらなんとも言えない寂寥感に襲われた

今(25歳)は全く見なくなってしまったが、中学生の時は寝る間も惜しんで深夜アニメを見ていた。

後にも先にも睡眠時間を削ってまで何かに没頭したのは深夜アニメ受験勉強ぐらいだ。

周りに深夜アニメを見てる奴が多くて、家も学校アキバに近かったから土日はいつも自分家や友達の家でアニメを見たり

ゲームをしてはアキバに行ってショップ巡りをしていた。しかし、その生活中学卒業と同時に終わった。

親の勧めで進学校に進学したからだ。中学友達の大半は近場の公立高校に進学してのんびり過ごしているようだったが

自分は元々あまり勉強が得意ではなかったか勉強についていくのに必死でそれまで通り中学友達アニメを見たりショップ巡りを

している余裕がなかった。夏休みも親の田舎に帰ったり、予備校の夏期講習に出るため中学友達と遊ぶことはかった。

つの間にか友達から誘われることもなくなっていた。1年また1年と過ぎてあっという間に高校3年になり頭の中は受験のことでいっぱいだった。

年が明け、程なくして入試を迎えた。友達からの遊びの誘いを断り続けて勉強に専念した所為か、無事第一志望の大学に受かって受験は終わった。

受験は終わったが、友達から連絡が来ることも自分から連絡をすることもなく完全に疎遠になっていた。

大学に入ってから勉強サークルバイト恋愛で忙しかったし、大学友達とも上手くやっていたから改めて中学友達と遊ぶこともなかった。

そうこうしている内に4年間はあっという間に過ぎた。あんまり就活にやる気が出なかったがどうにか内定を貰えて就職した。

それから1年また1年と経過して今に至る。仕事にも慣れて余裕が出来た。先日、実家にある中学生の時に買った本とかCD処分しようと思って整理を始めた。

本当は良くないんだけど、ただ捨てるだけじゃもったいないし、残しておいたほうがいい物もあるだろうと思って読みつつ、聴きつつ整理をしていた。

当たり前だがどれも10年以上前のものからどれを読んでも何を聴いても懐かしい。

聴いているうちに自分中学生の時に友達と集まってアニメを見たりゲームをしていたこと、アキバショップ巡りをしていたことを思い出した。

別に今の今まで記憶から抜け落ちていたわけではない。でも、無我夢中勉強した高校時代、いろいろなことに熱中した大学時代

仕事は大変だけど楽しい部分もあって友達彼女も居て幸せな今の自分よりも数倍、

十倍は楽しかったであろうどうあがいてももう一生戻ることも取り戻すことも出来ない過去自分がいることに気づきなんとも言えない寂寥感に襲われた。

http://anond.hatelabo.jp/20151019084635

ドーモ、信者です。

煽りじゃなく、純粋質問なのだろうと仮定してお答えします。


最終回、とても良かったと思いました。

これまでの総括として、また、これからのはじめの第一歩として非常に良い物を見させてもらったなと。

そうです。このアニメははじめの第一歩なのです。最終話を経て、我々プロデューサーバトンを託されました。

シンデレラガールズはこれからも続いていく、広がっていく、進んでいく。そのプロデュースは私達がするのだと。

そう言われた気がして、最終話によくある喪失感寂寥感ではなく、多幸感と高揚感に包まれ最終話を見届けました。


さて、全話数を語ろうとすると時間もスペースも尽きないので、25話にのみ限って簡単に語らせていただきたいと思います


25話で描かれた、シンデレラ舞踏会、これはただのライブではありませんでした。

しかし、この混沌としたイベント形式にこそシンデレラガールズらしさを感じました。

フェス形式イベントではすべてのステージを見ることは出来ません。それはつまり見ていないところでも何かが起こっているということでもあります

モバマスにおいて、すべてのアイドルプロデュースすることは時間的にも財力的にも不可能です。だから大抵は担当を決めてその子を集中的にプロデュースしていく。

では、担当ではない子は?それは見えていないだけであって、どこかの誰かの前で何かとっても魅力的なことをやっているのです。

そんなことを、このイベントから感じました。


そうこうしてると、舞台裏美城常務武内P最後ポエムバトルが始まりました。

何を第一義とするかで根本から異なる二人は終ぞ平行線のままでした。しかし、アイドルはその平行線すら越えて行くと答えます

この言葉に、アイマスというコンテンツがどうしてこんなにも強いのか、その一端を垣間見た気がします。

美城常務武内P、どちらのプロデュースが正しいのか、このアニメはその決着を付けませんでした。どちらも正しいのです。

そして、二人は和解まではしなかった。和解なんて必要ないのです。ただ必要なのはアイドルたちは凄いのだというコンセンサスのみ。

なんとも力強い宣言ではないでしょうか。


ライブシーンです。

遂にきました「生!ハムメロン!」そして、3話を踏襲した演出でありつつも、その時は見えていなかった観客の表情がしっかりと見えている。

これだけでもう十分です。泣きます

フル尺のダンス?デレステで見れる。そんなことよりも、袖から見守る美嘉や、ステージを終えて「いい笑顔です」と言われたときの3人の表情のほうがずっと大切なんです。

作画開放的意味では後半のほうが注目されてるのでしょうか。実際ものすごいカロリーかけてましたし。

さておき、新曲タイトルに@がついてるということだけで、もう感慨深い。また歌詞の中でシンデレラというワードが出てきました。

これは、最初テーマ曲であるお願いシンデレラ以来。どういう意味が込められてるかはおいおい考察していきたいところです。

カーテンに映るシルエットから始まるステージ演出は劇マスのM@STERPIECE、後半ダンスをせずに並んで歌ってるのはアニマス最終話私たちはずっと…でしょうのオマージュでしょうか。

(そういう意味では円盤修正でも体の揺れだとか細かい動きが加わってるくらいでガッツリ動いてるとか無いんじゃないかと思います。)

ライブシーンの合間合間にステージセットや照明器具、客やスタッフなどを描くのはアイマスの特徴じゃないでしょうか。

こういう描写によって、ステージ実在感(夢や幻想の類ではないのだということ)を表現してるんじゃないかと思ってたりします。

それと、指先の動きに本当に力を入れてます。「自分ますエールに変わる」のとこの智絵里の指先の動きとか、ゾクゾクするくらい良い。


そして、エピローグCPには2期生が入ってきて、ということは1期生は解散したということでしょうか。メンバープロジェクトの枠にとらわれずそれぞれの活躍をしているようです。

コレです。コレが見たかった。

平行線を越えていくアイドルの可能性、それを追求していくうえでプロジェクトの枠組みにこだわることは小さすぎる。ならば、解散しつつもCP活動で得たものを胸に進んでいくというこの美しさ。

765プロという枠組みは壊せなかったがためにアニマスでは描けなかった、ミリオンでもSideMでも描けない、346プロというもうひとつ大きな枠組があるシンデレラのみが描きえたエンディングです。

そして、このエピローグプロローグでも有ります

そのことを如実に表しているのが、最後の春ライブのシーン。

先輩から受け継いだ衣装で歌うのはお願いシンデレラ、すなわちシンデレラガールズとして最初に出たテーマ曲です。

自分たちシンデレラガールズと呼び、この曲を歌うことで、1話再帰するとともに、その先にも遥かに続く大きな流れを想起させます


こうして、アニメシンデレラガールズは終わりましたが、シンデレラガールズというコンテンツは歩みを止めません。

モバマスにて配信しているボイスドラマNO MAKE最後にて凛はプロデューサーに言います。「置いてくよ」と。

「それは、困りますね」彼女らについていくため、私達も精一杯走らねばならないのです。

2015-10-03

日清カップヌードルの当たり外れが激しい

トムヤムクンヌードルは神の食べ物かと思ったわ

近所のドラッグストアで安売りしてたら10個買ってたりしてた

んで今日、ラクサというものカップヌードル発見した、

ラクサという食い物は今まで一度も食べたことないけど、シンガポール風って書いてあったから、

多分アジアンエスニックテイストだろうと思い速攻で買って今さっき喫食したんだがな

まったく大したことなかった

まずいとは決していわんよ

だが、具の貧弱さは相当なもんだ

だってさ、目につくのがちっこくて丸っこい油揚げだぜ?

トムヤムクンはちゃんとエビが入ってたぞ

食べ終わる最後最後まで一抹の寂寥感を感じずにわいられなかった

いやこれでトムヤムクンは150円、ラクサは100円って価格差がついてるんなら納得するんだよ

でもおなじ値段だというんならどう考えたってトムヤム一択

あれほど激ウマなトムヤムクンを開発した日清が、

こんなパンチ力ゼロ商品を作っちゃうのが理解できん

最後に。

ラクサ超うめえ!!!って人、もしいたらゴメンm(_ _)m

2015-08-17

湾岸トリップ

たまに仕事豊洲に行くことがあるのだけど、たまにのことなので毎回経路を検索することになる。


たいてい、どこかで有楽町線に乗り換えるルートが最も早く到着できるが、ゆりかもめ利用の経路が最も早く豊洲着となるケースがある。

今朝がそうだった。


ゆりかもめは利用したことが無く、なんとなく乗り換えが面倒そうな印象があったので、ゆりかもめ利用の経路はずっと無視していた。

今日は「使ってみたら便利なルートだったなんてことがあるかもしれないし」と思い、ゆりかもめ利用の経路で豊洲に向かうことにした。


大井町りんかい線に乗り換える段で、早くも後悔することになる。やたら深いところにホームがある。失敗したかなと思いつつも引き返すわけにもいかないので、経路選択の失敗に気付かないフリをしてりんかい線に乗る。


国際展示場で明るいドーム型の天井を見上げながら地上に出る。今度はゆりかもめの改札がどこなのかわからない。なんとなく人の流れに乗って歩き出すが、駅から遠ざかるだけの感じがして引き返す。


駅員に尋ねると、人の流れとは完全に逆の方向にゆかもめの駅はあった。

夏らしい大粒の雨が降る中、アーケードもない国際展示場-有明を乗り換える。「こんな経路は検索結果から排除してくれよ」と経路検索アプリ悪態をつきながら、りんかい線とは対照的にやたら高いところにあるゆりかもめホームに上がる。


置き去られた未来。といった感じのこじんまりとしたホームでは自分と老人が1人、電車を待っている。

ホームの外は東京とは思えない広大な空間が広がっている。やがてたった2両の電車が滑りこんで来た。乗りこむと女性が一人だけ乗っていて、スマホで何かを見ている。


平日朝8時台の都内を走る電車が2両編成で、その車両には自分以外にはたった一人。隣の車両を覗いても3人ぐらい。

大きな窓の明るい車両から見える周囲の空間は、開放的というより寂寥感あふれると言ったほうが感覚に近いだろう。


なにかとんでもなく遠い場所に来てしまったような感覚に陥る。

さっきまでぎゅうぎゅうの大井町線で、わずかなスペースを見つけるのに必死だった自分とのギャップに頭がついていかない。金属と金属がこすれあう普通電車とは違う、ゆりかもめ牧歌的振動不思議感覚を増幅する。


ゆりかもめ豊洲に向けて進むうち、ポツポツと人が乗ってくるが席の大半は空いたままだ。

窓の外には相変わらずだだっ広い空間が広がり、その中に建設中の大きな建物がポツリポツリ。海なのか河なのかわからない水面とその周辺の雑草が生えた広い土地。雨が降っているので地面も水面も空も、灰色で塗りつぶされている。


わずか十数分の乗車なのに、何時間も前に乗った感じがする。



豊洲で地上に降りると相変わらず雨で、閑散としている。訪問先に向かううちに、あちこちから現れる人々がつくる流れの中に飲み込まれて、いつもの世界に戻ってきた感じがしてくる。



「今朝、ゆりかもめを使ってみたんですよ。」「えー。増田さんどちらにお住まいでしたっけ?。かえって時間かかるでしょ。」

訪問先でそんな会話をしながら、あの不思議時間を反芻する。


今日のこの感覚を忘れたころに、また、ゆりかもめに乗ってみようと思う。

2015-07-28

今日生きた意味を刻んだ

仕事して、資格のための勉強をしただけなんだけど。

まあ、努力はした。その努力が、何のためになるのかは分からないが。一応自分がワンランク上に行くために勉強した。

しかし、どこまで行っても別にたいしたもんでもなさそうなので、意味なんか無いと思うんだけど。

無為に一日を送ったではなく、一応将来のやらなきゃいけない負担を減らした。

今日生きた意味を刻んだ。

  

多分、あんまり良くない精神状態だし、あんまり未来も明るくないし。だけど、まあその内自分のターンも来るから職場と自宅の往復を細くてもつなげておく。

はたして、意味なんか無いんだろうけどさ。

死んでもいいとは思うけど、家族もいるし、一応寿命まで生きるっていう選択でいいと思ってるなあ、と帰り道に思った。特に暗くも無い。

この世はあとは耐えゲーで、お勤めを終えたら何もかもこの世に返して裸で死んでいくんだけど。裸で生まれたし、そんなもんだと思ってるけど。

  

とりあえず、そういう無意味なんだよな、っていう心持ちで、心にストレスをかけないように、とりあえず作業的に、今日生きる意味を刻んだ。

明日も、また生きる意味を刻むかもしれない。

週間目標や、月間目標もあるし、年間目標もあるし、だいたいそれに準じて生きている。

そういう意味を刻んでるってのは、どこの企業や個人でもあるだろうし、その歴史にはたして意味があるのかも了解できないんだけどさ。

  

まりにも自分人生無意味なんだけど、こんなもんかなって寂寥感っていうか、寂寥感から寂しさが抜けて、ただ化石ってか、植物現実を見てるみたいってか。

解離障害ではないけど、多重人格みたいな。統合失調症でもない。

つい最近、知り合いの精神科先生相談しても、なんも問題なしだった。

  

今日生きる意味を刻んだし、明日も刻むし、そこには進歩っていうか、まあ、生きてる中でのデューティーっていうかな。

やらなきゃいけないもの責任もってやるっていうそういう感覚があって。それをコツコツこなすって感覚がある。

知識が増えるので、まあ今後の人生はそういう知識を持ったまた新たな人生になるのかなって。知識があれば見える世界も違うし、優秀な成績で資格をとれば、また世界が違うのかなってのも思うし。

だけど、過去はもう取り返しがつかなし、自分たかっていうか、その限界みたいなところはもう自動的に決まっているし。

そういう中で、モルモットが檻から出られないように、一生を過ごすのかなっていう寂寥感から寂しさぬいた、そういう気持ちがいっぱい。

2015-07-06

ホムンクルスで抜けなくなったのは俺自身が穢れたせい

抜けなくなった。

見てて情けなくなったのが最初

段々寂寥感が増して、昔を思い出して

なのに抜くのは照れるようになった。

自身、穢れたせいなんだと思う。

ホムンクルスは抜けない、じゃなくて

自身問題で抜かなくなったが正解。

2015-02-05

大阪針中野の友翔って90年代一世を風靡した有名ラーメン屋、去年の暮れに閉店したみたいだ

いつだったか、初代が亡くなって二代目になってから、味が落ちたと言われ出して

それまで小さい行列が出来てた記憶だったけど、俺が去年の春くらいに入店した時には

客が殆どいなくて、これがあの友翔なのかと思った程ガランとしてた。

味は、落ちたと言う割に普通に美味かったが通はそうじゃなかったらしい。

サイドメニューに叉焼丼が新しく加わったものの、冷やし中華始めましたランチメニュー始めました同様

苦肉の策しかなかったんだろう。どうも味が落ちただけでなく、妥協をしてしまったのが敗因だったのかもしれない。

それにしても何十年か続いた老舗だった気がするけど、意外と呆気なく閉店したな。

名店だと言われて行列があった頃が懐かしいと同時にもう店はないんだと寂寥感に浸ってしまセンチメンタルな気分。

2014-11-21

しょーがねー

カルピスのおまけでついてきた生姜の粉、カルピスに入れて飲んだらおいしくてあったかくなった。でも二袋しかついてこなかったからもうない。

あと、はてな村奇譚が Nexus7 (初代) の Firefox で見ると文章の一部が隠れたきり出てこないの、自分だけだと思ってたらそうでもなかったみたいであたかくなった。

横長画面にしたら一応見られるんだけど、普段は画面の自動回転オフにしてて、ここ見る時だけ回転オンにして横向きにして、見終わったら縦向きにして回転オフに戻して、って操作するのめんどいしんどい

てな訳で、間に合わせで適用させてるユーザスタイルシートおすそ分けしとくね。

@namespace url(http://www.w3.org/1999/xhtml);

@-moz-document domain("orangestar.hatenadiary.jp") {
#content {
  width: auto;
}
#main {
  width: 90%;
	float: left;
}
#box2 {
  width: 90%;
}
}

以下はユーザスタイルじゃなくブログスタイルの話。

見た感じ、強気で横幅いじってる (具体的には #content { width: 1080px; } #main { width: 880px; } #box2 { width: 180px; }) のが原因みたい。

元の CSS修正するんじゃなく、後ろの方に同じプロパティを新しい値で書き足す形で書かれてるせいで、元の CSS記述されてるタブレット用の値が全部消し飛ばされてる。

書き足し形式をやめて元の CSS修正するか、もしくはスマホタブレット用の記述コピペして一番下に書き足せば、ひとまず文章は全部見えるようになると思う。

じんじゃーね。


追記 : 2014.11.24

アドバイス罪くさいからここに書くだけにしといたんだけど、描いてる人に伝わったみたいで直った。少なくとも我が家では直った。良かった。

あと、62話目までは画像クリックするとほとらいふのトップに飛ばされて寂寥感ひしひしだったんだけど、63話目から画像クリックするとその場で画面いっぱいにびろーんて絵が出てくれる方式になってた。良かった。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん