はてなキーワード: 牛丼とは
スゴイいいこと思い付いたんだけど
パンティ丼ってなくない?
しかも染みも多少入ってるから牛丼よりセクシーというか健康に良さそうって
意外と無いよね?
自分なら食べたいし。
スゴイいいこと思い付いたんだけど
地元の特にチェーン店とかじゃない普通のうどん屋さんは岡持ちもって自転車で近所出前してるんだけど、
マクドナルドのバイクみたいなのは走ってるのは見たことあるけど、
毎回マクドナルドってのはね。
いまオペレーション人数少ないので、出前までに人員を割くのは難しいのかも知れないけど、
そこそこの街だったらチェーン店でも手間賃ぐらいはとってもいいと思うし
なりたつのでは?と思うんだよね。
ピザって分けにも行かないし。
普通にお昼出られないときに牛丼とか親子丼とかサクッと出前できたら便利だと思うんだけどなぁ。
地元のうどん屋さんは現金決済で電話して頼まないと行けないのが逆に面倒なので、
クレジットカード使えてネットでオーダー出来たら、それは都合良すぎるかw
まあとにかく大手も手前やってくれたら便利だよねって。
やればいいのに~。
みんなは貧乏にならないよ、貧富の差が広がるだけ。お金があるやつはたいしてダメージを受けずでダンマリ、お金がないやつはこの世は地獄だ、贅沢は敵だと暴れ出す。でも「たった1000円の牛丼も食べられないなんて自己責任」とか「貧しい中にも美しい生活がある」とか言って目をそらしつつ、「批判なき政治」「誰も悪くない、ただ経済的に敗北しただけ」と茹でガエルを決め込むのが我々のメンタリティ。
アンチフェミの言ってる差別とは、性欲という男性なら誰でも持ってる欲を満たせないことであって他のことはどうでもいいんですよ
自分で処理するのは「すき家の牛丼」だとしたら女は「ステーキ」。みんなステーキを食べてるのに俺は毎日牛丼しか食えない、ステーキを食えない奴ってだけで惨めなのに男も女も牛丼食べてる奴をバカにする。差別だって言ってるんです
俺にも毎日暖かい焼きたてステーキを食わせろ。生理的欲求だから仕方ないよね。お腹が空いてるのに毎日牛丼しか食べられないことが苦しい。これはもう倫理とか関係ないってことです
話は要約すれば「自分の性欲を満たせる福祉として洗脳を施してどんな男のことも必ず愛してくれる女体を用意して無料で配って、昔そうだったじゃん」だし、自分は人道的にアウトで大反対してるけど、
結婚の総和が変わらないという考えで批判はちょっと違うかなと思いますね
いまや20代の男性の60%が彼女がいたことがない人なんだけど、女性の彼氏がいたことがない率も40%あって、増えている。
少し最近の話。
ウーバーで牛丼を頼んだんだけど、頼んでから数十分後、牛丼が隣の部屋の前に置かれていた。
起き配指定だったけど間違えたのかー仕方ないなーと思いながらその牛丼を回収して食べた
のはいいんだけど、食後にコンビニ行こうとしたら、ウチの部屋の前に新しい牛丼が置かれていた。
どうやら、同じタイミングで隣の部屋の住人も牛丼を注文してたらしい。
やばい!間違えた!と思って新しい牛丼を隣の部屋の前に移動させようとしたら、
最悪のタイミングで隣の住民が外に出てきて、泥棒扱いされてギャーギャー騒がれてしまった……
一応事情を説明したんだけど、あっちも後に引けないのか顔真っ赤にして叫んでくるのよ。
勘違いで食べてしまっただけで、盗む意思はなかったので泥棒というのは違うと思うんだよね。
それから私が注文したのは卵追加したつゆだく牛丼で、向こうは普通の牛丼だったから、
値段的にも向こうが得している。
届くまでの間に自分が何を注文したか忘れたのも勘違いの一因だった。
吉野家といえば「うまい、やすい、はやい。」の三拍子揃った牛丼屋だった。
店内は街中の店でもロードサイド店でもほぼ変わらずロードサイド店にはカウンターの他に少しばかりテーブル席がある程度の差だった。
BSE騒動の時は牛丼への頑固なまでの拘りを垣間見てより吉野家のファンになった。
かの有名な2chのコピペにもなったとおり、殺伐とした雰囲気がありつつも、さっと食べてさっと帰るそれが吉野家だった。
30代も半ばを過ぎ牛丼を食べる機会はかなり減ったが、それでも私の中では牛丼=吉野家だった。
先日「生娘シャブ漬け戦略」発言で話題にあがりさらに10年かけて開発した親子丼の発売と続けて目にし、久しぶりに吉野家へ行った。
いつものロードサイド店。いつも通り、店内に入り席に座ろうとした。しかし吉野家は変わっていた。しばらく行っていない間に「黒吉野家」というものになっていた。注文は持ち帰りの場合はタブレットで、店内飲食の場合はカウンターで席に座る前に行う。注文したものが出来上がり次第、取りに行く。メニューは大きなものが1つだけでとても選びにくい。メニューも牛丼や定食が豊富すぎて迷う。これなら席でゆっくり選んでから頼みたい。席も見馴れたカウンターはなくファミレスのような席と食器返却口の前に狭い1人席がいくつかあった。とりあえず牛丼並を注文し受け取って席に座る。卓上には箸も七味も紅しょうがもない。セルフコーナーに箸や七味、紅しょうが等が置かれていた。そしてなぜかドリンクバーがある。
はじめてこんなにわかりやすいマーケティングの失敗例を見た。黒吉野家は女性客や家族連れをターゲットにしているらしいが店内はがらんとしていた。
吉野家の主要客であろう1人でさっと食べてさっと帰る人たちの姿はほぼない。暇を潰しているサラリーマンと所在無さげなおじさん。私の3人だけだった。
まず家族連れで席に座る前に注文はなかなか難しいのではないか。特に子ども連れの場合、手元にメニューがなく立ったままではとても選びにくいと思う。注文したものはセルフで取りに行き返却する。箸や紅しょうがなども席にない。もちろん水もセルフサービスだ。
女性客といっても1人で食べずらければ持ち帰りにするだろうし、カフェ風の店内というだけで吉野家に行くという選択にはならないだろう。
そもそも牛丼屋で長居しようと思う人はかなり少数派ではないだろうか。吉野家ほどドリンクバーや充電サービスとかけはなれた店はないと思う。
ほとんどがセルフサービスかつ客も少ないのに店員だけは5人もカウンター内にいた。
調べてみると黒吉野家になって1年ほど経っているらしい。徐々に客が減って店員が余っいるのか。それとも店の規模だけて店員数が決まっているのか。謎だ。
少なくとも私はこの店舗には2度と行かない。
「黒吉野家」のような誤ったマーケティングをしている吉野家だから「生娘シャブ漬け戦略」発言をするような人を役員にしてしまったのか。
それとも「生娘シャブ漬け戦略」発言をするような人が役員だから「黒吉野家」のような誤ったマーケティングをするようになったのか。
時代の流れとともに私が好きだった「うまい、やすい、はやい。」の牛丼に拘りを持つ吉野家はなくなっていくのかもしれない。