はてなキーワード: 山人とは
好きな漫画を挙げるので、適当に傾向を読み取っておすすめをしてほしい。
SFアクション、ホラー・サスペンス(又はそのパロディ)、ハーレム系ラブコメ(?)など色んな要素を持ったマンガ。
主人公に感情移入できる時もあれば、主人公を殺そうとする側に感情移入できる時もあるのがよい。
「第1話で、腹ペコ主人公が、食事をくれたコミュニティを守るため、能力を発揮して化物退治」とか、主人公が世界を救うと叫ぶとか、少女たちの問題を解決しつつ仲良くなっていくとか、どれもありがちなシーンやセリフなのだけど、それが異常な文脈に置かれているのがよい。
こんな大風呂敷畳めるのかと疑問だったけど、一応畳めていてスゴい。
逃がし屋の衣装(コスプレ)とか物語上の必然性は全くないんだけど、作者が楽しそうでよい。
ワールドトリガーやバタフライストレージもそうなんだけど、刀と銃が共存するSFアクションはよい。
戦国時代日本っぽいけど、鬼や竜がいたりするし、カタカナ語も普通に出てくる。
どのキャラも人間的に強いところも弱いところがもあり、善玉・悪玉にはっきり分かれているのでもなく、感情移入できたりできなかったりするのが良い。
日本史オマージュが多そうだけど、自分は詳しくないので拾いきれないのが残念。
遠隔焼香とか「つけもの」とか背広の裏地(?)がディスプレイになってるとか小ネタもよいし、魔女Tsueee要素もよい。
脇役のスピンオフが軒並みよい。
呪術周りの設定がよい。
続編も面白かった。
自分の好みからすると、少し主人公が善人すぎるのだけど、周りに性格に難のあるキャラもたくさんいるので、よい。
「墨を飲む者」初登場回がすごく好き。
「偽物と本物」とか「嘘と真実」みたいなのは、わりと好きなテーマ。
群像劇っぽいのも好き。
ーーー
最果てのソルテ
天国大魔境
胎界主
水は海に向かって流れる
ぼくらのよあけ
二月の勝者
彼方のアストラ
双亡邸壊すべし
ヴィンランドサガ
寿司 虚空編
タテの国
PHYREN
そのへんのアクタ
バーナード嬢いわく
死刑囚042
怪獣8号
違国日記
あかね噺
劇光仮面
堕天作戦
お茶にごす
ストラヴァガンツァ
1000円ヒーロー
シオリエクスペリエンス
懲役339年
PPPPPP
猫瞽女
キヌ六
フールナイト
ヴァンパイア十字界
並愛混の独り言 (?)
税金で買った本
虎鶫
任侠転生
裏バイト
不死身のパイセン
三丁目防衛軍
みちかとまり
パーム ☆
月に吠えらんねぇ
あやつき
殺し屋やめたい!
フールナイト ☆
クニトリ
変幻退魔夜行 カルラ舞う!
華と修羅
ピンサロスナイパー
RIDEX
セキガハラ
真夏の夜のユキオンナ
生と死のキョウカイ
令和のダラさん
せんせいのお人形
絢爛たるグランドセーヌ
星使いセレナ
Not Simple
螺旋じかけの海
シュトヘル ☆
八百森のエリー
魔女と野獣
アルテ ☆
友達として大好き
ヘルク
潮が舞い子が舞い
一変世界
果ての星通信 ☆
八百森のエリー
ブスに花束を
WOMBS ☆
ランドリオール
魔導の系譜
残機×99
白馬のお嫁様
モーメント
みあげた玉三郎
エクソシストを堕とせない
神さまがまちガえる
迷宮クソたわけ
転生貴族、鑑定スキルで成り上がる~弱小領地を受け継いだので、優秀な人材を増やしていたら、最強領地になってた~
往生際の意味を知れ!
モリミテ
鯨庭
はなしっぱなし
つれないほど青くて あざといくらいに赤い
今日仕事帰りの電車の中で、自分が好きなマイナー漫画を読んでいる男性を見掛けて
見た目も正直好みだったので声を掛けたい、知り合いになりたいと思ってしまった
SNSやマッチングアプリで探してもさっぱり見つからない、同じ漫画のファンでそれも通勤圏内という近くに存在している男性が実在するのに。
漫画の感想をあれこれ語り合ったりそれを通して親しくなったりといった夢を見てしまうのに
なんで現実にその場にいて、滅多にいないマイナー趣味が同じ(かもしれない)人を見付けられたのに、みすみす逃さなければならないんだろうか…
異性と、いや人と人が「出会う」って、なんでこんなにハードルが高いんだろう、って本当に寂しく思う
目の前に沢山人がいても、それは徹頭徹尾未来永劫他人であって、「出会う」対象にはならないんだよね
人口はとてつもなく多くて、どうやら男余りらしいと聞く都会の孤独
まあ声をかける事自体が許される社会だったとしても既婚や彼女持ちの可能性も高そうだし、そうじゃなくとも自分の容姿じゃ相手にされなそうだけどさ
これがもしも大学のキャンパスとかなら、上手くいくかどうかはともかく声をかける事自体がここまで不審がられたりはしなかっただろうか…?
いや、それでも無理かな
同じ大学の学生同士だったとしても親しくなるにはゼミやサークルといった取っ掛かりが必要そう
邪馬台国には7万の家があったとされているから、その場所には諸説ある
ひとまず邪馬台国亡きあとに、大分・宮崎の範囲にあった豊日別(トヨヒワケ)は、十分な広さがあるので、ここだと仮定する
トヨヒワケ南部は日向(ヒムカイ、ヒムカ)だが、ヒミコの名に似ている
北部大分(オオワケ)は貿易港が発達しており海神の貴船神社や住吉神社が多い
つまり邪馬台国のヒミコは、ヒムカイの祖母山(天皇の祖母の山)あたりを本貫として、オオワケの海で貿易や漁業をしていたと思われる(玄界灘の伊都国も栄えていたが)
魏人は、伊都国からオオワケの別府(別の府)に着いて、おそらく温泉や船を試していたために、ヒムカイに至るまで「水行10日陸行1月」になってしまったので、距離ではなく日数だけ書いたんだ
邪馬台国には7万の家があったとされているから、その場所には諸説ある
ひとまず邪馬台国亡きあとに、大分・宮崎の範囲にあった豊日別(トヨヒワケ)は、十分な広さがあるので、ここだと仮定する
トヨヒワケ南部は日向(ヒムカイ、ヒムカ)だが、ヒミコの名に似ている
北部大分(オオワケ)は貿易港が発達しており海神の貴船神社や住吉神社が多い
つまり邪馬台国のヒミコは、ヒムカイの祖母山(天皇の祖母の山)あたりを本貫として、オオワケの海で貿易や漁業をしていたと思われる(玄界灘の伊都国も栄えていたが)
魏人は、伊都国からオオワケの別府(別の府)に着いて、おそらく温泉や船を試していたために、ヒムカイに至るまで「水行10日陸行1月」になってしまったので、距離ではなく日数だけ書いたんだ
フジロックに対しての不信感からとてもストレスを感じているので、脳内を整理するために思ったことを書いていく。
大前提として、デルタ株が猛威を振るう状況で、屋外とはいえ大規模な集合イベントをやるべきでは無いというのは誰もが思うことだと思う。
そんな中で、政府からの休業補償も充分になく1年半まともな活動ができてないフェス業界がかなり苦しい状況ということも誰もが理解できることだ。(政府の対応が終わってるのは書くまでもなくそうだと思う)
だから今フェスをやらなければならない主催者側の理由というのは大部分が会社を維持するお金を稼ぐためだと思う。
それにも関わらず、オンライン形式を取り入れない理由が僕には分からなかった。
たしかにオンラインだけでは集まるお金の規模が違うからという言い訳はあると思うが、せめてオンライン視聴のチケットも併売するとか、投げ銭機能を活用するとか、なぜしなかったのだろう。チャットが荒れることが予想されたから?そんななりふり構ってられる余裕があるの?それらを併用して初めて、有観客でもやるか考えるという選択肢が出てくるものだと思う。
一時的なお金を集めなければならないというのなら今後のフジロックのチケット等を報酬にクラウドファウンディングをやるといったこともできるのではないかとも思う。
(苗場を神聖視するフジロック信者みたいな人がフジロックにはとても多いし、切実さを訴えればある程度お金は集まるのでは?)
そういう方法を取らずに、ただフェス業界が大変だからやるしかないんですという言葉はとても空虚に聞こえる。
配信の映像を少し見て、会場前方の人の密集具合に驚いたし、まともに見られないなと思って見るのをすぐやめた。政府のガイドラインに沿って行っているし、映像だとよけい密に見えるという意見はあるかもしれないが、少なくとも隣り合う観客の距離が充分に空いているようには見えなかったし、デルタ株はすれ違いレベルや数分の滞在で感染する可能性が指摘されている状況だ。逆にこれを見て感染対策が万全のフェスだと思いますか?(本当にデルタ株の危険性を考えるとフェスは無理という結論になるけどそれはその通りだと思う)そもそも物理的な距離の制約を作るのではなく観客の意識に任せていることが楽観的すぎる。全ての観客が(充分な距離の対策とは思えないレベルの)地面に打たれた黄色い点を常に意識して距離を常に保ち続けられると思ってるなら舐めすぎてると思う。
観客に一番問題を感じる。コロナで自粛疲れしてるのはよく分かるし、遊びたい気持ちも分かるけど、緊急事態宣言が出てて、数多くの県で病床が逼迫して、医療が崩壊してる中で、何県も超えてフェスに行くのはどんな言い訳をしたところで責任感のある行動ではないでしょ。子連れの親子とか本当にどうかしてる。医療が限界な中でコロナ以外に怪我や子供の熱中症のリスクだってある。参加者が広げるウィルスで結果的に人が死んだとしたらフジロックは人を殺したフェスになる。それこそフェス文化の終わりじゃないんですか?
東京の方がフジロックよりヤバいとか言って擁護する人も見受けられたけど、それなら余計にやるべきじゃないでしょ。そのヤバい東京から沢山人が来るんだから。
政府の補償がないことを問題にするなら、せめてフジロックに出る人や観客を巻き込む形でもいいから、休業補償の署名を集めるとか、政府に働きかけようとする姿勢ぐらい見せてくれよ。そういう提言できる人はフジロック関係者には誰も居なかったのだろうか。
アーティスト側で参加することに対して様々な意見が表明されたけど、そんな状況を間接的に作り出しておきながら、会社の現状や何故今フェスをやらなければならないのか、危険性に対する責任についてどう考えているか等の声明を出さない開催者にがっかりもした。
俺は音楽が好きだし、フェスもライブも好きだけど、このフェスが日本の代表的なフェスであることが情けなく思った。少し音楽を嫌いにもなった。
歴史的に見て、陰謀論は偏見や魔女狩り、戦争、大量虐殺などと密接に繋がっている[15][16]。陰謀論はテロの実行犯が強く信じていることが多く、ティモシー・マクベイやアンネシュ・ベーリング・ブレイビク、およびブレントン・タラントなどが顕著な例である。また同様に、ナチス・ドイツやソビエト連邦といった国家も正当化のために陰謀論を利用していた[15]。陰謀論に動機付けられた南アフリカ政府によるエイズ否認主義は、推定33万人のエイズによる死者を生み出した[17][18][19]。
あと新しいもの(科学技術や価値観など)に対しての不信感とかと相性良い。
陰謀論の流行を防ぐための対策には、開かれた社会を維持することや、一般市民の分析的思考能力を向上させることなどがある[29][30]。
開かれた社会を維持できてないってことかも。
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
何故この話を書こうと決意したのかだが、某国に属する(属していた)人に対するヘイトが随分とSNS上で話題になっているからだ。
自分は率先して嫌いになろうとも思わないし、それだけを理由に傷つけたり貶めたり不利益を与えるような行動はしない。
でも、その括りを好きにはなれない。
何故そのような考え方になったのかを綴っていく。
小説を模す。個人の特定を防ぐためのフェイクを入れる。伏字をする。一人称・敬称などは性別を判別できないようにする。
匿名だし眉唾だと思われるだろうが、その姿勢は大切だと思うので是非続けていて欲しい。インターネットの情報は煩雑すぎる。
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小学生の頃の自分は随分と積極的に他者との交流を図っていたし、いじめやいじりというような小さな「悪」ということを見過ごせない、俗にいうところの「イイ子」だった。
ただし、幼稚園時代から口から生まれただのなんだの大人達から言われるような、イイ子ではあったが一筋縄ではいかない人間だ。
同じクラスにAさんという人が居た。皆ともよく遊んでいた明るい子だったが、ある日突然いじられるようになった。
自分はそれを見過ごせずに、いじりの中心人物であるBさんに何故そのようなことをするのかと問うた。
Bさんは「Aさんは外国人だから」といった。ばかばかしいと思った。他の国の人間というだけで人の嫌がることをしていい理由にはならないだろうと大きな声で反論した。
クラスの中で発言権を持つ私の言葉はすぐに広まった。そしていじめ未満のいじりは消えた。
それからしばらくしてAさんのいじりなんてなかったかのように皆でまた遊ぶようになったころ。Aさんが私を家に呼んでくれた。
この間、助けてくれて嬉しかったから家に来て欲しい。見せたいものがある。
私はその子の言葉に応じた。家に帰った後、待ち合わせをし、Aさん宅へと向かった。
最後の曲がり角でAさんが妙なことを言い出した。「本当は誰も連れてきたらいけないと大人の人達から言われているから、声を出さないで、こっそり行かないと」
言葉の意味は理解できたが何故そのようなことを大人が言い聞かせているのかわからなかった。ただ、子供の私はそれをスパイごっこみたいで楽しいと思った。
Aさんの言葉の通り静かに角を曲がった。数軒の件の家が並ぶ場所。その中の一軒が件がAさんの家だった。
Aさんの家に入ったあと、何をして遊んだかは忘れてしまった。ただ、そんなに長い時間ではなかった。Aさんの宝物を色々と見せてもらっては、すごいすごいと二人ではしゃいでいた記憶はある。
二人で夢中になっていると、時計を見たAさんが「帰った方がいい」と切羽詰まったような様相で言った。Aさんは「見送ってあげられない、もう家から出てはいけない時間だから」と言っていたが、門限は家庭ごとに違うものだろうなと思って頷いた。
帰ろうとする私に、Aさんが宝物入れから一つのキーホルダーを取り出し「これは私の国の~~の記念のキーホルダーで、仲良しの証だから持っていて欲しい。それから、もし万が一大人の人に会ってしまったら、このキーホルダーを見せて」と手渡した。(~~は忘れてしまった)
友達の証として物を渡されるのは、物目当ての付き合いの様で好きではなかったが、Aさんが頑として譲らないので受け取り、私はAさん宅を後にした。
家を出て、曲がり角を曲がってすぐのころ。大人の人が話しかけてきた。
「あの地区から出てきたけど見ない顔だ、どこの子だ」といった内容だったが、素直に答えるべきか悩んだ。Aさんが「誰も連れてきてはいけないと大人から言われている」と告げていたからだ。あのあたりで同じ年の子が何人いるかはわからない、友人の家に行ったと言った場合、Aさんが浮上する確率が高かった。
私が沈黙していると大人の人は「ここは来ちゃいけないところだ、もう夕方だし帰りなさい。大きな道まで送ってあげよう」と言った。私は追及を免れたことに安堵し、頷いた。
大人の人は色々と話しかけてきたが、そこから[誰が私をあの場所に連れ込んだのか]を特定しようとしていると感じて、色々と本当と嘘を混ぜて話したが子供のやることだ、話しているうちに矛盾に気付いたのだろう、大人は聞き出すことを諦めたようだった。話題は変わった。
学校の勉強の話から、戦争の話になった。「日本人は戦争をして沢山人を殺した悪い人たちなんだよ」というから「私は戦争には参加していない」と言った。「でも君のおじいさんは戦争に行っただろう」と言われたから「祖父は体が弱いから徴兵されなかった」と言った。大人の人は悔しそうな顔をした。
「でもおじいさんはそうだっただけで、戦争に参加した人はいるだろう」と食い下がるので、苛立ってきた私は「それはおかしい。戦争は確かに悪いし人を殺してはいけないが、戦争が悪いと言うならアメリカもイギリスもドイツも戦争をしてきたし、なぜ日本人だからという理由だけで悪い悪いと言われなくてはいけないのか。人を殺した子孫が悪いというなら、地球に生きているほとんどの人間が先祖を辿れば人を殺しているはずだ。こういう話は日本だからとか国の括りで話すべき問題じゃない。」という旨の話をした。
祖父の体が悪かったのは本当だ。徴兵されず家族の役にもたてず、それを悔い、戦わずに生き延びた者として戦死した人たちの代わりに悲惨さを伝えたい、もう二度と起こしちゃいけないと、晩酌の度に私にいろんな話をしていた。
だから私にとってその話はセンシティブで、所属した国だけを理由に悪い悪いと言われるのは嫌だった。(当時の自分はそこまで自分の感情を理解せずにただただ嫌だとしか感じていなかったが、今の私から見るとそのように考えたのだろうと思っている)
大人の人の話の内容が、私を特定するものに変わった。流石にこのあたりで、子供の私でもおかしいと思い始めた。
「どこに住んでんでいるのか」「親はどんな仕事をしているのか」「家族構成は」「学校のクラスは」色んな事を聞かれたか、答えなかった。「仲良くなりたいから教えて欲しい」みたいなことを言っていたが「住んでる場所や名前がわからなくたって仲良くなれる」と返した。
そんなやりとりをしているうちに大きな道に出たので「もうここまでで大丈夫です、ありがとうございました」と言って大人から離れようとした。
大人の人は私の手を掴んで「教えないなら、車が来た時に突き飛ばしてやる」と言った。だから「やれるものならやってみればいい。私は学校では良い子で通っているから飛び出しをするような子じゃないって証言が出る。車の運転手だって加害者になりたくないから私の近くにどんな人が居たのか覚えるはずだ。それに、ここに来る途中の○○店の店主さんが表に出ていた(嘘)けれど、店主さんとはおつかいで何度も会う顔見知りだ。もし私が事故に遭ったと知ったら、その時にどんな人が近くにいたか教えてくれる」と答えた。
それに大きな道といっても田舎なんだから車なんてそうそう通らないし見通しも良い。いざとなったら車が見えたあたりで大暴れして運転手の目を引いて、自分から道路に飛び出してやろうとすら思っていた。そうすればよそ見運転をしていない限り、運転手は危ないと思って減速するなり避けるなりしてくれるだろうと思っていた。あわよくば、車を止めさせて「助けてくれ」と泣きついてやろうとも。
大人の人は手を離した。「恐いと思わないのか」みたいなことを聞かれた記憶がある。何と答えたかは覚えていない。
「最後に名前を」としつこく聞くので、この一帯では有名な地主(広い田畑を所有している人で、色んな所に顔のきく権力者をどう言っていいのかわからないのでそう表記する)の苗字を出した。大人の人はすぐに去っていった。
あの大人の人は一体何がしたかったんだろうと思いながらも、私は道すがら何度も振り返り、回り道をして、すれ違う人すべてに挨拶をしながら家に帰った。
翌日、Aさんに「あの後大人の人に会ったけど、もしかしたらAさんの家に行ったことに気付かれたかもしれない。Aさんは大丈夫だったか?」と聞いたがAさんは「大丈夫だった」と答えてくれた。
それ以降もAさんに何か変化がある訳でもなく、私や私の家族に何かがあった訳でもない。(一応親には報告したが)
子供のごまかしが効いたとは思えないが、地主の名前が効いたのかもしれない。
大人になって何回目かの引っ越しをする時、そのキーホルダーが出てきた。
その時の私は既に裏面に刻印された形を国の形だと認識できたし、その国の名前も知っていた。
そしてようやく、小さい頃の私に起きた事象が何だったのかを理解できた。
私は日本人というだけで悪意を向けられていたのだなと気付いた。
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誰かの話ならそこまで深く根付かなかったかもしれないけれど、当事者には十分な衝撃だった。怖いことをされたと理解したし、そのようなことを施された事実を嫌だと思った。
ああやって子供に刷り込んでいくんだなとか、大の大人が子供に向かって脅迫するんだなとか。過去の出来事で第三者の視点なのにもかかわらず、当事者としての恐怖をじんわりと感じている。
何事もなかったのは運だけだろうと、勝手に思っている。受け答えを一つでも間違っていたら、とも思っている。(いや、かなり間違っていたからこその脅しだったのだろうが、実行されなくてよかったという意味で)
SNSで話題に上がるたび、日本人から嫌がらせを受けた人もたくさんいるんだろうと心を痛めつつ、自分も日本人だからという理由でその国の人から脅されたんだけどなと思う。
(勿論、現実社会において四面楚歌の状態である前者の方が立場的に辛いのは承知しているが)ハッシュタグが使えて羨ましい。誰かに伝えられて羨ましい。大変だったね、辛かったね、怖かったね、そう言ってもらえて羨ましい。それを言える環境に居るのが羨ましい。
でもこれを自分が素直にインターネットに流したら色々と言われてしまう。ハッシュタグを使って盛り上がれるくらい数が多い人たちに所属していた(している?)人に不利益を与えられたと言ったとして、その先はと考える。
自分はそういう目に遭ったという事実を伝えるだけなのに、国をほのめかしただけでSNS上ではこちらが四面楚歌になるし、自分の意見はこうだという話に第三者が考えを押し付けてきてSNSを妙な討論の場として使われてしまう。フォロワーさんやフォローしている方に迷惑をかけてしまうのは嫌だ。
SNSとは違ったこの匿名ブログならば、傷つくこともない代わり、このような話をしても「釣り乙」で済まされてしまうだろう。
冒頭にも書いたが、それで良いと思う。自分に都合の良い情報ほど人は素直に受け入れてしまう。疑わずに読んだ人はどうか疑ってくれ。
最初から疑って読んでくれた人は、ここまで読んでくれてありがとう。
最後に。
あの国に住む人全員が、あの地区に住む人と同じ考え方だとは思わないし、親や大人の人達の言いつけを破ってでも宝物を見せてくれたAさんとの間に、確かに友情はあったと信じている。
(実はAさんが悪意を持って私を呼び寄せたのかもしれないと考えることもできるが、それならこんな中途半端にはならなかっただろう。その線は薄い)
大人になってからあの国の人と交流する機会があったが、丁寧で優しい人の比率は高かった。
(演技だと言う人もいるかもしれないが、自分だって日常の中でいけ好かない奴の顔面を殴りたいと思いながら手を出さずにいることもある。お互い様だ)
でも自分は好きにはなれない。その国というだけで身構えてしまうから、好きになるために向き合おうと努力する必要があるだろう。
他にも、普通とか嫌いではないとか、そういうカテゴリーに入れて、そこから関係を構築していくことになる。
一人一人と向き合う以上「それに属する全員を受け入れる」なんて軽々しく口になんてできないし、そんな無責任なことを言う気もない。
ただ、あの大人の人のように「嫌いだから」というただそれだけを理由に、誰かを傷つけたり貶めたり不利益を与えたりしないように生きていきたい。
極論ってのは、たとえ相手が極論を言ってる状況で正面からぶつけても対消滅して0になったりはしない。
「相手が沢山人を殺していて、放っておいたら沢山殺すので、結局死ぬ人数は減っているから殺人数的には実質マイナスだしなんの問題もねえだろ」みたいな感じのことをな……今のはてなーは平気で言うんだよ。
そしてそれにコレでもかってほどのスターが集まる。
これでスターが集まる構造ってのは、2つあって、1つは日頃抑圧されていた部分に合致するコメントが来たからスターを入れるパターン。
もう1つは、表立って自分がその意見を言いたくはないから、口の軽いやつを神輿にして自分は安全な所からその意見を実際に口にしたらどうなるか観察したいから馬鹿をおだてるためのスターを入れるパターン。
スターってのは社会的な価値としてはゴミと一緒だが本人にしたら価値がある。
そんなわけだから、承認に植えている人はスターを投げられると次々に極論を口にするようになる。
でも極論を口にするのはヤバイことだって内心では気づいているので、自分への言い訳が始まる。
それは得てして「相手のやってることと差し引きすれば、トータルではバランスが取れるだろ?」だ。
「極論が夜に広まるとヤバイから、逆方向からの極論によって、対消滅させる。俺は世の中に間違った考えが広まるのを防いだので、正しいのだ」
いいや、間違った極論が1つから2つになって、自体を悪化させただけだぜ。
こんなのは岡目八目で見れば、分からねえはずがないほどに明確なのだが、承認に酔ってしまうと全くソレが見えなくなる。
お前ら、一度落ち着け。
極論は逆張りであっても使うな。
使うにしても伝家の宝刀をチラ見せする感じで抑えろ。
ソイツを抜いたらお前の魂まで腐り果てるぞ
学校幼稚園保育所の多くは運動会を今年は中止にしたんじゃないかと思うが、うちの子供の通う幼稚園は、今年もやるのである。
今朝、子供を幼稚園に送ったとき、教室の前が何やら騒がしかった。見れば、バス通の女の子の一人の髪型が、運動会の予行練習をするのにかなり邪魔になるものだった、ということだ。女の子の髪はミッ●ーマウスの耳の位置くらいのところで大きなお団子に結われていた。忙しい朝にこんな見事なお団子結えて凄いなって感心しちゃう出来ばえだが、それじゃあ体育帽子もダンスのときの被り物も被れない。
女の子はバス通であるので、その場に保護者がいない訳で、先生から保護者にお願いしてその場でお団子をほどいて貰う訳にもいかない。だが、保護者がそこにいないので、「ダメな髪型の例」としてちょうどよくなってしまい、女の子は数名の保護者達の前に立たされた。「当日はこんな髪型にはしないようお願いします」と先生がお願いする。
この先生のやり方は、立たされた女の子に対してだいぶ無神経なのだが、取り囲む保護者達の多くは「あーなるほどね」って流していた。女の子に対する配慮だろう。それに事前にお便りで髪型の指導はされているし、年長クラスなので皆言われなくても知っていることだ。
その場に集まっていた子供の中で、ちょうど登園してきたばかりの子がいたのだが、その子は先週辺りに例のミッ●ーみたいな髪型にしてきた子と同じ髪型で幼稚園に来ていたらしいく、先生が「◯◯ちゃんは今日は大丈夫かな~?」といって、その子の園帽子を少し持ち上げて髪型チェックをした。それもまた、沢山人のいる前でやるのはどうかと思う。するとその子の母親が言った。
「大丈夫です!もう絶対あんな髪型はさせて来ません!ああいうのこの子に全っ然似合ってなかったし、ぶりっ子みたいにブリブリしててキモいから、もう絶対させないので大丈夫です!」
新宿駅西口側の、どこか栄えてる感じの商店街から、一本裏道に入ったところに、その二階建てアパートはあった。住人の方は変に記憶にこびりつくような癖のある人ではなかったが、とにかく部屋が!特殊過ぎて記憶に残った。
どんな部屋なのかというと、間取りは普通のワンルームで台所とユニットバス付な何の変哲もない部屋だったのだが、部屋全体がとにかく湿気っぽかったのだ。湿気てるというより、びしょびしょ、みたいな。
そこに呼ばれたのは1月の下旬頃。関東地方が一番乾燥しているシーズンだというのに、そのアパートは梅雨以上のジメジメだった。まずドアノブを触ると、ビッチャァ……ってする。シャワーを使うと、部屋全体が霞みがかったようになる。ガラスと金属の表面に結露がびっしり着く。そんな室内で、そこの住人は普通に洗濯物を部屋干ししていた。
と、その人は言った。いやいやいやいや、そういう問題じゃなくない?と思った。湿度の高い部屋の高い所にある本棚に、六法全書とか会社法の専門書などか並んでいた。これらも猛烈に湿気を含んでいるのだろうなあ、と思って眺めていると、「弁護士ではなくて普通の会社で法務関係の仕事をしているんだ」と教えてくれた。弁護士や裁判官検察官以外でも法律の勉強をしなければいけない人がいる、ということを、私は初めて知った。
スッパマンとDr.マシリトを足して二で割ったような容貌の人だった。まだ商店街には沢山人が歩いている時間に、部屋の明かりを消してプレイするというのは中々乙なものだった。明かりを消しても外が明るいのであまり暗くないし、外が賑やかなのだ。
ところで、ある女性エッセイストでやっぱり西新宿に住んでいた人が、部屋の湿気が凄かったとエッセイに書いてたような気がしたが、同じアパートあるいは同じ商店街に住んでいたのだろうか。
1月下旬ですでに花粉症にかなりやられている人だった。演奏中にくしゃみをする訳にはいかないので、きつめの薬を飲んでいるが、そうすると今度は眠くて仕方ないと言っていた。
弦楽器をいくつも持っていて、それらを見せてくれた。楽器の名前を当ててみてって言われたので、左からヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスですって答えたら、感心された。どこで教わったのって聞かれたので、中学の音楽の教科書に載ってましたって答えたらなんかガッカリされた。
鰻の寝床状のやたら細長ーい部屋に住んでいた。騒音をとても気にしていた。部屋の一方の端にテレビ、もう一方の端にソファー、その裏手にマットレスとお布団を敷くという、変わったレイアウトのお部屋だった。棚の横に弦の張られていないエレキギターが三本くらい飾られていたので、ギターを弾くのですか、と聞いたら、いや全然弾けないから、という答え。後に気づいたが、部屋にエレキギターを飾ってる人って大抵、エレキに言及されるのを、何故か嫌がる。
その人は喫煙者で、煙草の吸殻を円筒形の灰皿に捨てていた。その灰皿は蚊取線香の入れ物にちょっと似ていて、そして蓋の中央に黒いボタンがあって、それをポチっと推すとプロペラみたいなものがビューンと回って、吸殻を缶の中に落とす。そんな仕組み。
初めて呼ばれた時に、その人はソファーに座って煙草を一本吸い、灰皿に押し付けて揉み消し、ボタンを押した。吸殻がビューンと灰皿の中に消えたあとで、その人は言った。
「楽しい?」
「何が?」
と、私は答えた。
「日々」
と、彼は言った。
日々!?なんかよくわかんないけど凄くカッコいい!!私はこくりと頷いた。
そして、お竿があまりにも大きくて太すぎるのに苦労しているようだった。なんとか本番をしたいといって頑張っていたが、どうやっても私の中に巨大なお竿は先端数センチも入らず、最終的にはおしっこ飲ませてくれればそれでいいよ、みたいな妥協をしていた。
(どう見ても明らかに入らない巨大さなので、私はあえて本番を断らなかったのだ。どうせ無理だから)
その人はドライバーさんに女の子の尿を飲みたいとオーダーしていたらしく、その人からの指名が入ると、私はドライバーさんから、さあ沢山お茶飲んで!と急かされた。
でも、お茶を大量に飲んでもいざプレイになると緊張して一滴も排尿出来ず、プレイ後にマンションを出た途端にトイレに行きたくなって、ドライバーさんにトイレくらいお客さんのとこで済ましなよー!と文句を言われたのだった。
一体何でそんなにギターは弾けないと強調するのか謎。別に弾いてって無茶ぶりした訳でもないのに。
「ただ聞きたいってだけで他意はないのだけど、その傷って何?」
と私に聞いてきた唯一の人である。子供の頃に病気の手術をしたときの痕で、結構目立つのに、お客さん達はその人以外は誰一人としてツッコミを入れて来なかった。
私が正直に手術の痕だと答えると、
「ほー。これまたただの素朴な疑問だけど、気にしたりとか全然したことないの?」
というので、
「赤ちゃんの頃についた傷なので、あるのが当たり前で気にしたことないです。お客さんとしては気になるものですか?」
と聞き返したら、
「いや全然気にしないよ!」
とのこと。
気にしないのかぁ。
あるものを拵える職人さん。何を作る人だったかは、身バレしそうなくらい珍しいものなので、内緒。
お部屋の調度品がオリエンタルな感じだった。中国のものか韓国のものかよくわからなかったがとても良いもののように見えた。
私がお絵かきをすることが好きな癖にアートに関する知識をサッパリ持っていないと知るや、ビアズリーの版画の画集を出して見せてくれた。世の中には観るべきアートが沢山あるよ、と。
オリエンタルな家具を置いた部屋の隣の寝室にはロードバイクが突っ込まれているという謎。しかも本人は運動とは全く縁の無さそうなポヨポヨ体型だった。万引き常習犯と同じくらい腹筋がない。でも七十歳前後のお爺さんなので腹筋がなくても別におかしくはないのかもしれないが。
こうの史代の『夕凪の街、桜の国』を絶対に読むべきだといって、無理矢理押し付けるようにして貸してくれた。
「君には化粧なんか不要だ」
といって顔面にシャワーかけるのは迷惑以外の何ものでもなかった。風俗嬢が素っぴんで出勤して、誰が喜ぶんだよぉ。
その人は過去にお気に入りの嬢をドライバーのNさんに寝取られた(?)とかで、Nさんをやたら敵視していた。
私は指名されただけで、実際会ったことはない。指名をされた日、丁度私は休みだった。
当時私はその小説家の大ファンで著作の殆どを読んでいるほどだったが、かといって作家本人には会いたいと思わないので、指名された日に丁度休みだったのは、運が良かったかもしれない。
店長は、その小説家を常連客だというのに嫌っていた。一方的にライバル認定していた。
「そんなヤツより、増田ちゃん誰か他に有名人で会いたい人っていないの?」
と店長が言ったので、
「んー、強いて言えば、Gackt」
と答えたら、
と店長はぷりぷり怒り出した。何でそんなにGackt嫌われているのか謎。お笑い芸人なら結構会わせられるツテがあるよっていうから、
「じゃあレイザーラモンHG」
って答えたら、「無理。」って即答された。
https://note.mu/g_g_g/n/nd1ffa894b0cf
タイトルだけ見たら障害者差別的なものに見えるが、実情は少し異なる。まだの人はとりあえず読んでみて欲しい。
これを読んで自分は「まさに過去の自分そのものだ」と思った。この筆者の気持ちが手に取るように分かった。
自分が学生時代バイトしていた小売店。そこにこのnoteで語られる所の「アスペルガーくん」に非常に近い人物がいた。
彼がアスペルガーだったのか、それともADHDなど他のものだったのか、それともただの「無能な健常者」だったのか、専門家でない自分には判断出来ない。だが彼の挙動が明らかに他の人と異なっていた事だけはあまりにも確かだった。
彼が仕事が出来ない分、バイトリーダーだった自分にツケが回った。彼は寝るとすべてを忘れてしまうので、彼と一緒の時だけ気が付いたら2倍3倍の仕事をしていた。毎回見事に失敗してくれるのでこいつがいなければずっと早く終わるのになと思っていた。
しかもそれだけ面倒を見て泥をかぶっているにも拘らず彼と全く同じ時給なのだ。なんでだよ。
ある日休憩室でパートのマダムたちと話していると、「あの子ってホントに仕事出来ないわよね」「早く辞めないかしら」「なんであいつ首にしないの?」という彼の話題になってしまった。
そのマダムたちは大変陰湿だったので、次第に彼にだけ挨拶をしないとか、そういう事をやり始めた。自分は加担しなかったがそんな感じの軽いいじめみたいな環境になってしまった。
自分には発達障害の友人もいる。だからそういう差別をしたくはなかった。差別をしてはいけないと思っていた。
マダムたちに一言言ってやりたかった正義感もあった。でもどこかにあった「早く辞めてしまえばいいのに」「そうすれば自分も楽になれる」という気持ちに勝てなかった。最低だったと思う。
ああこれが差別なのか。絶対に差別はしちゃだめって思ってたのに。
マダムたちとの板挟み。
でも時給は同じ。
あまりのストレスに彼のシフトの時だけ胃薬を飲んで出かけるようになった。頭も痛かった。店の前に来るといつも吐き気がするようになった。
絶対にやってはいけない事だと分かっていながら「それ聞くの何回目?」という刺々しいセリフが口からでた。
彼は「僕ここの仕事向いてると思うんですよね!ここの正社員になりたい!」と言い始める。休憩室のマダムが「何も仕事出来ないのに無理に決まってんだろ」という愚痴る。
絶対暴言なのに、悪口なのに、どちらかに同意するとしたら後者になってしまう自分がいた。
彼が憎い。
言った事すらやらない彼が憎い。
自分の足を引っ張るだけの数時間で同じ時給を得ている彼が憎い。
また胃薬をもらいに行かなければ、治療費がかさむので彼が憎い。
お前のせいで。
……
で、
ここからが本題。
自分にとって幸いだったのは、ある時この彼への深い憎しみの感情の矛先を別のところへ変えることが出来たことだった。
明らかに彼の挙動がおかしいのにすべてのフォローをパートアルバイトに丸投げする態勢。
そもそもたかがバイトに荷が重すぎる仕事を押し付けるんじゃない。
憎しみの総量は変わらない。でもそう思った途端彼へに向く憎しみ自体は分散され、軽減されるのが分かった。
彼はいつもと同じようにとても遅く・ロボット的に・間違えながら仕事をして、その遅れを自分に押し付けたが、「こいつを自分に任せきりにするこの会社がクソ」という思考に切り替わったので、以前ほど憎らしくはなかった。
よし辞めよう。
辞めた。
私の日常から彼が消えた。同じ町には住んでいたはずだがそれから彼と二度と会うことはなかった。
彼と職場によってすり減った精神状態はみるみるうちに回復し、春に新卒で就職した。人事と社員が密接で、評価システムがキッチリしている所を選んだ。
旧職場については主戦力の一人だった事もあり、私が辞めた後上司に当たるチームリーダー(聖人)の負担が増えた事だけが心配だった。
辞めて半年後、久々にあの店に行くと店員は知らない顔だらけだった。こんな入れ替わりの激しい店じゃなかったはずだった。件の彼は(シフトじゃなかったのか辞めたのかは定かではないが)その時はいなかった。
「今までは全然新人探してくれなかったのに、あなたが辞めた後店長が沢山人を雇ってくれたの。楽になったけどあなたが仕切ってくれないとなんだか締まらないわね。」
チームリーダーは言った。
……
【最後に】
自分が辞めたら職場が回らなくなる・良い人たちにまで自分の分の負担が等の心配もあると思いますが、
そうしたら新人を雇うし、1人で補えないなら数を雇うようなので問題ないと思います。
そんな事より逃げた方がいいと思います。
傷つけたと思います。ごめんなさい。
でも現実実際にこうなってみて本当にしんどくて、「人として優しくするべき」という正義感だけではどうにもなりませんでした。
noteの筆者さんの事も差別主義者とどうか言ってやらないでください。
自分の場合の小売店、noteの場合の飲食店など、客商売は臨機応変さが求められるのでこういう事になりやすいんじゃないかと思います。こうなると本人も苛められるし周りも病むし、誰も幸せになりません。
なので「適材適所」にはちょっとだけ、協力してもらいたいです。
自分の所にいた彼も単純作業はやたら得意だったので、工場とかにいたらきっとスーパースターになったと思います。
勿論行政や企業がこの「適材適所」への支援をするべきだし、そもそも採用担当者が適材を見る目があればこんなことにはならないので、当事者の方に責任を押し付けるものではないのですが。
でもちょっとだけでいいので、協力してもらいたいです。