はてなキーワード: 14番とは
Bling Bang Bang Bornがバズってるのって知ってる?
Creepy Nutsの歌で、マッシュル2期の主題歌なんだけど
TikTokやってれば分かると思うんだけど、めっちゃ出るから
アイドルもかなりバズったけど、こっちは僅差で先に海外でバズった
海外のリアクション動画から日本でも火がついたと思う(僅差だけどね、どちみちこれはバズったはず)
「歌がバズってる」の指標はたくさんあると思うんだけど
今一気に1位に上がってる
アイドルがそうだった
ちなみにThe First Takeの再生数は3週間で歴代14番目くらい
面白いのが、おかげでマッシュルの評価が(サービスに寄るけど)全体で5位圏内に入ってきたこと
国によっては3位ってところもある
1期より2期の方が目立ってるというかなり珍しい例
もちろんマッシュルが普通に面白いしクオリティも高いからなんだけど
俺も見ようと思って1話見てなかったんだよね
「バズってて慌てて見始めたら思ったより面白い」って人俺だけじゃないんじゃないかな
今回みたいに、歌やOPが先に大バズリして、作品の評価が上がるっていうの
歌やOPは評価高いけど中身は別にみたいなものもたくさんあるけど
やっぱ今の時代、1話をまず見てもらうのが大変なのかもしれないな
これだけ上手くいった実例が出ちゃったら、より力を入れてくるかもね
いい歌、いいOPはたくさんあるものの、バズを狙うならやっぱりTikTok受けが必要なんだろうか?
・ノリが良く
・踊れて
・技巧的で
・キャッチーで
・海外ウケする
あたりがあるよね
ただ一個だけ個人的に許せないのが
お前らほんとに歌えてんのか?w
アイドルもしんどかったぞ、採点が反応しないんだよあれ
通りすがりのクラシック音楽ファンです。思いつくままにいくつか。
(1) 書いてある嗜好を素直に解釈すると、ブコメにもあるとおり、モーツァルトの室内楽や協奏曲を片っ端から聴くのがよさそうです。
例えば
・弦楽四重奏 第14〜19番の「ハイドン・セット」、特に副題のつく第14番「春」、第17番「狩り」、第19番「不協和音」(最初しか不協和音じゃないので安心してください)
クラリネット五重奏以外は爽やか楽しい系の選曲を心がけました。まあモーツァルトの長調の音楽ってそんな感じですよね。私はバイオリンを弾きますが、陰キャなので、憂いを知らないかのような音楽にたまに臆してしまいます。
(2) 同様に編成が大きくなりすぎず、明るい…という方向性で思いつくのはハイドンです。
ハイドンの長調もまた、底なしのネアカで私には眩しい音楽たちです。
例えば
・弦楽四重奏 第67番「ひばり」、77番「皇帝」、78番「日の出」(皇帝はドイツ国歌で有名ですね)
(3) 時代的にはバロック〜古典派、ただしお好みにはベートーヴェン以降は入らなさそう…?なように思いましたがいかがでしょうか。省略しましたがヴィヴァルディなんかもキラキラしていてハマるかもしれません。
とはいえ、ベートーヴェン以降の作曲家達も室内楽の名曲は沢山あるので余裕が出てきたらぜひ。
完全に「好きなものを訊かれて早口で消化しきれない量を勧めるオタク」そのものですね、ごめんなさい。
自覚はあるがこんな機会滅多にないので…たくさん書いてしまいました…
ちなみに、名盤については完全に個人の好みになるので私から言えることはありません。というか、片っ端から聴き比べてあーだこーだ言うのが楽しいんだと思います。多分。
元生活保護受給者でアスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。
社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。
そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力の捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから、福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。
といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元の公立小・中・高を経て地元の宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からのパワハラにより精神崩壊して退職、精神2級判定、実家に帰る、雇用保険の失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。
実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったものの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険の給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生を許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。
とはいえそう簡単に自殺できるなら何も苦労はない。役場の障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。
ひとつは「障がい者のグループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸を契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから、生活保護の申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)からの攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパートを契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫や洗濯機は家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから、引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。
生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金は収入として申告し、その分減額される(生活保護+年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額で生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときにちゃんと賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有・運転してもいいといわれたのは助かった。
『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護費支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。
刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値な人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素と排泄物しかないわけだから。テレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分ごときが選手を叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。
鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談のときに「ラジオで野球を聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅や公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護の支給額は減るのだが、勤労による収入の場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的に自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。
……とここで、レジで会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。
レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。
後日、作業所の管理者さん同行で面接になった。店長と施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。
採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理をお客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理を24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。
……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨の兼業主婦のパートさんにはこき使われたが数多のフォローや配慮をしてくれて感謝しかない。
週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神の手帳も2級から3級に見直された。生活保護は基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当のケースワーカーさんに激励していただいた。
正職員待遇とはいってもあくまで障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分だけが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。
お金だけがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌や文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。
もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護に依存しないように、備忘録として残したい。
これが最後のW杯になるかもしれないリーチ・マイケルが、日本の最終試合後に代表ジャージのまま夜の街に出て、カフェでファンとの交流を楽しんだ夜から1週間。
2023年大会は、フランスの地でに残った8チームによる決勝トーナメントが始まった。
ノックアウトステージの最初の試合は、プールC1位・ウェールズとプールD2位・アルゼンチンの対戦となった。
イギリス連邦とはいえ、日本ではあまり馴染みがないウェールズはどういうチームなのかというと、硬い守備をベースに、獲得したペナルティーからのセットプレーであったり、ハイパントで守備を崩してから、シンプルにボールを順目に送り、ランナーが個々のスキルでディフェンスを振り切ってトライを狙うチームだ。
正確な上に射程距離が長いので、ハーフウェーライン前後でペナルティを獲得しても3点を狙える。
長時間ボールを持つチームではなく、ポゼッションは相手に取られることが多いが、一瞬の切り返しで点を取る。
予選プールでも相手に攻めさせてからの一撃必殺の切り返しで対戦相手を沈めてきた。
得点源のバックスはベテラン揃いで、ダン・ビガー、SHガレス・デービス、CTBジョージ・ノース、WTBジョシュ・アダムス、FBリアム・ウィリアムズの前W杯出場組の合計キャップ数が420を超える。
もう3回もW杯に出ているダン・ビガーは今大会での代表引退を表明しており、この大会にかける気持ちは強いだろう。
注目の若手の14番ルイス・リーズ=ザミットもベテランに負けじと予選プールでトライを量産した。
対するアルゼンチンはHOフリアン・モントーヤ、LOギド・ペティ、トマス・ラバニーニなどFWに地キャップ数80を超えるベテランを揃えるが、攻撃の指揮を取るサンティアゴ・カレーラスはキャップ数34の25歳、日本戦で3トライを決めたマテオ・カレーラスはキャップ数10・23歳の新鋭。
リザーブにキャップ数97のSOニコラス・サンチェス、キャップ数100のアグスティン・クレービー(38歳!)も控えており、若手をベテランが支える。
ボールをつないで走るラグビーの代表といえるオーストラリアを前大会まで指揮していたマイケル・チェイカをHCに迎えて、今大会でも強力なフィジカルの突破力と左右への展開力で戦ってきた。
戦い方をアップグレードしている最中のチームで、大会前にテストマッチでニュージーランドを破ったりもしているが、今大会に入ってからはボールを持ちすぎて攻めが停滞する場面があったり、ハンドリングエラーが多く、調子に波があるのが気掛かりだ。
アルゼンチンはセットプレーを渡したくないし、ダン・ビガーにキックも蹴らせたくない。
日本のファンとしては、日本を破って進出を決めたアルゼンチンの戦いぶりも気になるところだろう。
どちらがペースを握って自分達の形でゲームを進めることができるだろうか。
試合に先立って紛争が激化しているイスラエル・パレスチナの人々に対する黙祷に続いて、両国の国歌斉唱が斉唱され、ウェールズのキックオフで試合がはじまった。
開幕直後、ダンビガーのキックから前進するウェールズにアルゼンチンは自陣に押し込まれる。
ゲームの入りはウェールズのペースだが、コンテストキックの処理からボールを獲得したアルゼンチンが守備良くウェールズに勝るポイントである連続の展開でフォワードのフィジカルをぶつける。
ボールを持って地面を縦横に走るアルゼンチンに対して、ウェーズルはガレス・デービスとダン・ビガーが垂直に蹴ってからシンプルに順目に送ってまっすぐ走る。
コンテストキックを蹴るのは再獲得にも相手の取られての守備にも自信があるからで、パントの多いゲームでその後の処理をどちらがうまく進めるかが前半のポイントとなる。
序盤10分までのボールポゼッション77%のアルゼンチンだが、キックから押し込んでくるウェールズに対して、なかなか相手陣の深くに侵入できない。
すると、15分、ウェールズはスクラムから必殺のセットプレーでアルゼンチンのディフェンスを崩し、ジョージ・ノース、ガレス・デービスと繋いで、ダンビガーがトライ!
これぞウェールズの得点パターンというトライからコンバージョンも決まり
とする。
ここで、レフェリーヤコ・ペイパーさんがブレイクダウン周りの攻防に巻き込まれ脚を痛めるという珍しい展開になり、レフェリーの負傷交代という激しいフィジカルバトルを象徴するような場面となった。
先制のトライを許し、早く返したいアルゼンチンが地上の展開に持ち込もうとして攻めるが、ウェールズの硬い守備にあってのエラーで攻撃も途切れてしまう。
そして突破できないうちに、ウェールズに切り返され反則、こうなるとウェールズのしたいラグビーだ。
ダン・ビガーの長距離砲で、ウェールズ 10-0 アルゼンチン
ウェールズのやっていることはほとんどワンパターンにも見えるのだが、アルゼンチンはスコアをリードされたまま、押し込まれて自陣を出ることができない。
序盤を完全に持っていかれているアルゼンチン、スコアが内容ほど離れていないのはウェールズの最後の一手でのミスに助けられている。
なんとか前半のうちに少しでもスコアして、流れを変えたい。
ハーフタイムまで5分を切ってやっとそのチャンスが来る。
相手陣深く侵入してラインアウトからペナルティを獲得してショットを選択。
この38分のスコアがアルゼンチンに勢いと幸運を呼ぶことになる。
前半最後に追加でスコアしたいアルゼンチンが攻める中、タックル後のボール処理をめぐってジョシュ・アダムズがレイトタックルを犯し、掴み合いの末、ゴール正面でPGを獲得する。
4点差なら1トライで逆転できるので、後半に望むプレッシャーが全く違う。
ここで前半のスタッツで気になる点がある。
ウェールズのラインアウト成功率の 成功 2/5 という数字。
ここまで内容で支配しているなら、6点取られようが問題ないくらい離せていてもおかしくウェールズだが、重要な得点源の一つがフルにいかせていない。
ウェールズはこの細部で顔を出す荒さが気がかりだ。
アルゼンチンのキックオフから始まった後半は前半の最後の流れがそそまま続いているように、アルゼンチンが身体を当てて攻め込む。
22mに深く侵入してゴール直前でPGを獲得、ウェールズ 10-6 アルゼンチン とする。
さらに47分、自陣からのPGでアルゼンチンはついに逆転に成功。
アルゼンチンはウェールズのミスにも助けられて前半ほど自陣に押し込められていない。
この35分から55分までの20分で、流れがアルゼンチンに行きかけてる中、ボールを上げてキックゲームに戻そうとするウェールズは56分、やっと巡ってきたセットプレーのチャンスに抜け出したトモス・ウィリアムズが乱れたアルゼンチンのディフェンスをすり抜けて中央にトライ!
流れが変わりかている中、60分の5点差は全く安心できない数字だ。
ウェールズはなんとか逃げ切りたいが、ルイス・リーズ=ザミットのミスキックはアルゼンチンにチャンスを与えてしまう。
そしてそのミスキックで押し込まれた状態から、アルゼンチンのセットプレーを耐える展開となり、最終ラインをこじあけられてトライを許してしまう。
コンバージョンも決まって ウェールズ 17-19 アルゼンチン。
残り10分の2点差はPG1本でウェールズの逆転もある数字だが、前半とは景色がすっかり変わっている。
アルゼンチンは、先立って投入したクレービーにつづいてサンチェスも入って、キャップ数197のベテランでこのクロスゲームを制しにかかる。
逆転にかけるウェールズは、22歳のルイス・リーズ=ザミットがゴールラインに迫るが、わずか10cnmほど足らずにタッチラインを割る。
ここで決まればゲームはウェールズのものだったが、76分、34歳のサンチェスがウェールズのパスを読み切ってインターセプト、勝負をほぼ決めるトライ!
ウェールズの最後の攻めを断ち切ってとどめを刺したのも38歳のクレービーのジャッカルだった。
最終スコア
終盤に機会は双方に訪れたけれど、ウェールズの期待の俊英から溢れた幸運を、アルゼンチンのベテランがしっかりと掴んだのは劇的だ。
ゲーム全体でみると、前半最後の勢いを活かせたアルゼンチンと、決めるべきところでミスをしたウェールズで明暗が分かれた。
ウェールズはもとからボールを持ちつづけるチームじゃないので、攻める時に絶対決めないといけない。
予選まではその脅威の決定力で勝ちを重ねたが、この試合の後半でエラーをたくさん出してしまった。
12年間、ウェールズのSOとしてチームを牽引し、ライオンズでも司令塔を勤めたダン・ビガーは、ここで最後のW杯、そして国際レベルのラグビーから去ることになる。
最後の旅を最高の結果で終えられなかったのは残念だろうが、その場に立った全ての人々が全力を尽くし、誰かはその真剣な望みが断ち切られることになる、それが勝負事の世界なのだ。
相対するのは、これに続くゲームでアイルランドを破ったニュージーランドだ。
アルゼンチンが優勝候補の一角とも見なされるようになったのが、オールブラックスを破ってからだった。
ここにきて勢い勢いを取り戻しつつアルゼンチンは、その勢いで再び強豪を飲み込むことができだろうか。
開幕戦から選手の入場を見守るウェブ・エリスカップ、その所有者は、あと5試合で決まる。
イチローさんの記録ね
1 通算3089安打、生涯打率3割1分1厘
イチローのメジャー通算3089安打は歴代22位の記録であり、生涯打率3割1分1厘は歴代13位、そして3000本安打を達成した32人では最高の打率だった。イチローは3000本安打を10333打席、2452試合で達成したが、これはそれぞれ13番目と14番目の早さだった。
2 日米通算安打4367本
メジャーへ来る前の日本パ・リーグでの9年間に記録した1278安打を含めると、イチローの通算安打記録は4367本となり、これはピート・ローズよりも111本多い。
3 歴史的なデビューイヤー
イチローはメジャー1年目の2001年に歴史的快挙でリーグを席巻。MLB史上初の日本人野手となったことに加え、イチローは同年、安打(242)と盗塁(56)でその年のメジャー最多を記録し、メジャー記録の116勝を達成したシアトルで主に1番打者として貢献した。
4 史上最高のルーキー
イチローは2001年にア・リーグ最多安打、新人王、そし年間MVPを獲得。MLB史上、現在に至るまで最初のシーズンでこの3タイトルを獲得したのはイチロー唯一人である(新人王と年間MVPの2タイトルを初年度で獲得したのでさえ、イチロー以外には1975年にレッドソックスで達成したフレッド・リンのみである)。
5 年間最多安打記録
両リーグの年間試合数が公式に162試合となった1962年以降、イチローは年間最多安打数のトップ2を独占しており(2004年の262本と2002年の242本)、トップ6に3回、トップ18に5回ランクインしている。イチローは2004年にジョージ・シスラーの持っていた年間最多安打記録(257本)を更新したが、シスラーが1920年に記録を達成した際の試合数は154試合だった。
6 通算7回の20試合以上連続安打
イチローは20試合以上連続安打をキャリア通算7回記録しているが、1900年以降、イチロー以外でこれを達成したのはピート・ローズ、シスラー、そしてタイ・カッブ(8回)のみである。
7 生涯打率が3割を切ったのは1度だけ
イチローはそのキャリアにおいて、一度のみ、試合後の生涯打率が3割を切ったことがあった。それはルーキーイヤーの2試合目に4打数無安打とし、通算9打数2安打の2割2分2厘としたときであり、続く3試合目を4打数2安打とすると、その後は生涯打率が3割を切ることはなかった。
8 デビューから10年連続200本安打
イチローは最初10シーズンで10年連続200本安打を達成し、その間の年間平均安打数を224本とした。200本安打を達成した年数で、イチローはローズと並んでいるが、ローズは10年連続ではこれを達成していない。
9 三塁打で3000本安打達成
イチローは2016年8月7日にクアーズフィールドで通算3000本安打を達成。この際、イチローは三塁打でこの大台に乗せた選手として、ポール・モリターに次ぐ史上2人目の選手となった。
10 27歳のデビューで3000本安打達成
イチローは日本での長く成功を収めたキャリアにより、メジャーデビューは27歳のときだった。3000本安打達成者で、ここまで遅い段階でメジャーでのキャリアをスタートさせた選手は他にいない。これまでは、1982年に24歳でキャリアをスタートさせたウェイド・ボッグスがこの記録を持っていた。
11 27歳以降の安打数は2位
27歳以上で記録した安打数として、イチローの3089本はローズの3357本に次ぐメジャー史上2位の記録である。1947年以降で見ると、イチローに次ぐ記録はスタン・ミュージアルの2635本となっている。
12 史上2番目の高齢で3000本達成
イチローは42歳9ヶ月16日で通算3000本安打を達成。これは19世紀の選手であるカップ・アンソンに次ぐ史上2番目の高齢記録である。
13 ホーム、ビジター問わず安定した成績
イチローは驚異的に安定していた。中立地の東京での2試合を迎えるにあたり、彼のホーム通算打率は3割1分2厘、ビジター通算打率は3割1分、そして各月の平均打率を最低でも2割9分5厘としていた。
14 左打者の対左腕で最高打率
実のところ、イチローは右投げ投手(打率3割4厘)よりも左投げ投手(打率3割2分9厘)を得意としていた。データのある1974年以降、イチローは左打者として対左腕の最高打率を記録。また、74年以降、対左腕で1500打席以上ある選手で、イチローを上回る右打者はカービー・パケット、マニー・ラミレス、デレク・ジーター、そしてモイゼス・アルーの4人のみ。
15 メジャー全チームから安打を記録
イチローはメジャーリーグ全チームから安打を記録し、アスレチックスに対して最も多くの安打を記録した(320本)。またホーム以外の球場では、オークランドで最も多くの安打を記録した(168本)。
16 1番打者での史上最高打率
イチローは彼の世代では間違いなく最高の1番打者であり、1番打者として2529安打を記録している。これは、トップバッターとしてリッキー・ヘンダーソン(3020安打)とローズ(2924安打)に次ぐ記録であるが、イチローの1番打者としての打率3割2分3厘は、ローズの3割8厘とヘンダーソンの2割8分を遥かに上回っている。
17 史上唯一、オールスターでのランニングHR
イチローはオールスターに通算10回出場しており、サンフランシスコで行われた2007年の試合では、史上初にして現在も唯一となるオールスターでのランニングホームランを記録した。彼はその年のオールスターでMVPを受賞している。
18 500盗塁&3000本安打を達成
イチローは塁上でも大きな脅威となってきた選手であり、キャリア通算509盗塁を記録している。彼は500盗塁と3000本安打の両方を達成した7人のうちの1人であり、ヘンダーソン以降でこれを達成したのは彼が初めてだった。イチローは42歳まで毎年2桁盗塁を記録しており、1920年以降、イチロー以外で40歳を超えて年間2桁盗塁を3回以上記録したのはヘンダーソンのみである。
19 盗塁成功率81.3%
1950年以降、通算500盗塁を達成した20人中、イチローの成功率81.3%はヘンダーソンを凌ぐ4位の記録であり、成功率で彼を上回ったのはティム・レインズ、ウィリー・ウィルソン、そしてデイビー・ロープスの3人のみである。
20 10年連続ゴールデングラブ賞
イチローはメジャー最初の10年連続でゴールデングラブ賞を受賞。イチロー以外で10年連続ゴールデングラブ賞に輝いたのは殿堂入りしたレッズの捕手ジョニー・ベンチのみである。彼によるゴールデングラブ賞10回は、外野手として(ケン・グリフィーJr.、アンドリュー・ジョーンズ、アル・ケーラインと並ぶ)歴代3位タイの記録であり、外野手歴代最多はロベルト・クレメンテとウィリー・メイズの12回となっている。
いよいよ菊花賞が近づいてきましたね
今回、G1馬は参戦していないため、実績だけで言えば皐月賞、ダービーともに掲示板に乗り、G2弥生賞を勝ったアスクビクターモアが最上位となります
しかし、ご存じの通り、前哨戦のセントライト記念で新星ガイアフォースに敗れ2着になったため、下馬評ではビクターが2番人気、ガイアフォースが1番人気となるかと思います
セントライト記念のレースそのものはガイアフォースが非常に強く、いくら贔屓目を発動させても、このレースに関してはビクターよりガイアフォースの力が上だろう、ということになります
では、その力関係が菊花賞でもそのまま変わらないのか?が最大の問題点となります
結論からいうと、みんなが初めて3000mを走るレースなので、確たることは言えません
長距離適正もわかりません
全馬、適性はあると思うしかないし、逆に現代では全馬に適性はないとも言えるかもしれません
ただ、コントレイルのように適性はなくとも、2200-2400m前後で強い競馬ができる能力の高い子を、3000m持たせるようにして勝たせるのが現代の長距離レースなので、2400で弱いのに3000mだけ強い、のような馬は、よほどの長距離の申し子みたいな馬を見落としてない限り、ほぼいないと思っていいです
なので、これまでのレース結果は、十分参考になるはずです
で、その持っている絶対的な力で言えばガイアフォースとアスクビクターモアの2頭が抜けてます
よほど長距離が嫌いで途中でやる気無くしたり、調整過程で疲れやダメージが出てない限りはこの2頭はまず馬券内に来ることでしょう
そして有力馬の状況については話は出てきています
現状の様子を見ていると、伝え聞くところによるとどうやらガイアフォースはセントライト記念の反動が出ている様子です
よくてセントライト記念の状態を維持していて、悪ければそれよりパフォーマンスが落ちます
が、それでも持っている絶対的な能力が高いので、馬がやる気を失いさえしなければ、掲示板は外さないのではないかと思っています
それに対してビクターのほうは、ダービーのころ並みに絶好調か?と言われると疑問符が付くようです
しかし、休み明けで調子も上げていない中、セントライト記念では3着を突き放してのガイアフォースに頭差2着でしたし、やはり調子に関わらず能力が突出していることは疑いようもありません
そして狙い通り、セントライ記念から調子を上げており、ちゃんとステップアップして菊花賞に迎える様子です
持っている力は出せることでしょう
しかし、それを踏まえても、確実にビクターがガイアを上回れる、とは言い切れないです
ガイアフォースは、少なくともセントライト記念では田村先生、田辺騎手の想定を大きく上回るだけ強かったのは間違いないです
今回、前回並みの強さをガイアフォースが発揮した場合、それを上回るための作戦は当然ビクター陣営は用意してくることと思いますが、距離も変わるしそれでも足りないという可能性もあります
2500m以上の成績(2600-2900のデータが見れなくて、2500、3000、3200-3600の成績ですが)は、
田辺騎手が7-9-14-112なのに対して、松山騎手は1-2-3-30です
さらに、田辺騎手は長距離重賞は2500mと3600mで1勝ずつしています
松山騎手は、重賞勝利の最長距離は2400mで、2勝していますが、2500m以上の重賞で勝利はありません
G1での実績は?関西での成績は?と言われると松山騎手が優勢ですが、少なくとも長距離の田辺騎手はそんなに悪いわけではない、というのは知っておいてください
過去にG1の1番人気で結果が出なかったことが何度かあるので、「田辺は不安」のように言う人がいるのはわかります
が、今回は田村先生がみっちりと作戦を考えて、「細かいんで…」と田辺騎手が会見で苦笑いするほど綿密な打ち合わせがあるはずなので、「無策でやらかす」可能性は今回ほぼないと思います
田辺騎手も別に阪神で勝ってないわけではないので、そこはまあ、信じましょう
ビクター君の今までの戦いを見ていくと、「負けた相手には必ずやり返す」という、リベンジ力の高さがあるかと思います
新馬で負けたジオグリフにはダービーで、アサヒには次の未勝利で先着しています
アイビーステークスで負けたドウデュースには弥生賞で勝っています
皐月賞で叩きあって負けたダノンベルーガにはダービーでも同じく叩きあって雪辱しました
ビクターに一度も先着されてない馬は、アイビーステークスで2着だったグランシエロと、皐月賞ダービーで負けたイクイノックスだけです
今回も、セントライト記念で叩きあって競り負けたガイアフォースには、今回で必ずリベンジすると信じています
というか、菊花賞を仮に勝てなかったとしても、ガイアフォースにだけは先着してこいと思っています
菊花賞編を盛り上げるために新ライバルのガイアフォースの登場は歓迎です
枠は、京都と阪神では違うし、阪神大賞典と比べてもフルゲートにならないから、何とも言えないのだけど、今回は最初の直線が長いし、14番は過去20年の菊花賞でも2勝しています
枠が不利ということはないでしょう
ガイアフォースも1枠の怖さはなくはないですが、有利と不利を比べればそれは有利です
輸送に関してはわかりません
当日パドックを見ましょう
中継見れる人は細江さんがなんていうか聞いておいてください
しかしですよ
菊花賞は2人で走るわけではないので、伏兵に持っていかれる可能性もあります
前哨戦でよかったジャスティンパレス、ヤマニンゼストをはじめ、プラダリアやセレシオンも不気味
そして何といっても、ボルドグフーシュの評価が非常に高いみたいです
強敵は多いです
それは誰にもわからないけど、ビクターくんがG1馬になるところを見たいので、はるばる阪神競馬場まで行くことにしました
勝てば、グッズもたくさん発売されて、来年の菊花賞のポスターにもなるので、絶対に勝ってほしいところですね
また気が向いたら書き足します
お笑いオタクとそれ以外でけっこう感想の分かれる大会かもしれない今年。
ネタは言うまでもなくどれも素晴らしかったので、ネタ以外の感想を書きます。
時間も20分程度だしほとんどボケしろもなく淡々とした抽選会だった。グダることなく短尺で華麗なモノボケを繰り出したヨネダ2000が抽選会のMVP。
去年の反省を踏まえて夕焼け小焼けタイムを設けた今年。爆発した組も多く、見応えある戦いだった。中でもM-1の歴史に残るであろう狂気の捨てネタことからあげ4を繰り出したさや香は平場も100点の出来だったと思う。ということでさや香二人にMVP。
トップにモグライダー、二番手にランジャタイと地下の風変わり初決勝組が早々に消化されてしまい、彼らのインパクトが薄まったのが残念だった今年のM-1。8組目からは錦鯉→インディ→もも→インディ→錦鯉とお祭り騒ぎのバカたちが初決勝の20代を取り囲む地獄の出順で、ももがインパクト残すのも不可能になってしまった。笑神籤って恐ろしい。
とは言え客はしっかり暖かく、平場でも何度も拍手笑いが起きていた。中でもランジャタイの暴れっぷりを会場全体が今か今かと待ちわびている空気は画面越しにも伝わるほどで、映っていない時でも彼らの名前が上がるたびに確実に笑いが起きていた。M-1の熱血ショー化を全力で拒否し、あらゆるボケしろでボケまくり、名誉の最下位を獲得して存在することそのもので大会を盛り上げたランジャタイが文句なしのMVP。
今年は大反省会と打ち上げは省略。これを書き始めた2018年は直後に暴言騒動があり、王者の霜降りはおろか敗者復活戦や本線の平場で爪痕を残した芸人たちがまったく顧みられないことに不満があった。順位が振るわなかった芸人たちが反省会や打ち上げで必死で取り返そうとする姿を自分なりに記録したかった。なので売れっ子や高位者よりもまだ知名度が低かったり、目立たなかった組を重点的に取り上げたつもり。
しかし反省会も打ち上げも当時のようなカオスさはなくなり、きちんとした「番組」になった。もう福徳が5位なのに準優勝ばりの号泣する姿も、滑り倒した川瀬が死にそうになる姿も見られない。なのでわざわざ記録する必要性を感じなくなった。
2018年の平場で金属が注目されてライブやテレビの出番が増え、翌年は錦鯉、去年はランジャタイとキュウがその枠になった。敗者戦まで来なかった組も予選で注目されればどんどん売れるようになってきている。書き始めた頃はM-1に出ていない中堅芸人がラジオで感想を話す程度だったのが、今は出場者本人がYouTubeで「平場で誰々が面白かった」と話すようになっている。ネタの順位だけが重要じゃないと多くの人が理解している今が本当に嬉しい。そういうわけで、これを書くのは多分今回が最後になると思う。来年書きたいことが出たらわからないが、とりあえず。もし読んでくれた人がいたらありがとう。これからもM-1とお笑いを楽しんでいこうな。MVPとか偉そうでごめんね。
錦鯉、本当におめでとう!
スターホースが時代を超越して、同じレースで激突するー。競馬ファンなら誰もが一度は夢想することを、JRAが本気でCM化したものだ。
何が「本気」か。CMに登場する18頭を集結させるために、過去のレースの馬番をもチェックしているのだ。
例えばウオッカは日本ダービーのときの3番、ディープインパクトは皐月賞の14番が使われている。実際のそのゼッケンを付けていたのだから映像に全く違和感がない。一方で、同じ馬番の被りは避けねばならず、丁寧な調査が必要だったと思う。
グイチャルディきましたか。1802年にピアノソナタ14番《月光》を献呈された女性。ベートーヴェン死後遺言書に書かれた有価証券と共に見つかったミニチュアの細密画に描かれていた人物。1803年に結婚してベートーヴェンとの関係は切れたと思うけど、ここも少しずらしたか。
ふむ話の流れからしてやはり初演だったっぽいけど、初演時点ではもうナポレオンへの献呈はやめてたはず。これは、ベートーヴェン→ナポレオン終始尊敬説を取ってるのか、時間軸を変えてるのか。
そしてウィーンの王侯貴族との会話の中でナポレオンを礼讃するアグレッシブな自由主義者ベートーヴェン(第3番はナポレオンへの献呈をやめるまえの題名は『ボナパルト』だったけどこれは『英雄』になってる。ボナパルトは英雄だよ、という表現か)。
ナポレオンて、いい人?ナポレオン掘り下げの予習はやや足りなかったか。
かつらをかぶらない"芸術家"爆誕。宮廷や教会に雇われずに自立して生きた最初の作曲家ベートーヴェン。
難聴。クララ・シューマンの映画『愛の調べ』(『翼ある人びと』きっかけで鑑賞)でのシューマンの病気の表現もこんな感じだった。実際にベートーヴェンの難聴が始まったのは1796年ごろ、かな。
きましたな。
ゲーテ 「不幸な人間たちが、重荷を背負って喘ぎ喘ぎ世間を渡っていき、それでも例外なく、この世の太陽の光を1分でも長く見たいと願っている」
ああ!月光がウェルテルにつけた音楽になっとる。ピアノソナタ8番《悲愴》は出てこないんか、望海氏2楽章練習してたし弾くと思ってたんだけども。
きた、なんか美しい、構図、なんたってBGMが美しいのもある。
!うつく、し、おんがく。幻想的シーン。でもこれむつかしそうだ。ごめんウェルテルたち全然見てなかった。
シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)。感情の自由と人間性の解放。ロマン主義の先触れ。小説の出版は1774年(ベートーヴェン4歳)。フランス革命より前。
謎の女=死
第2楽章もきたー、はぁ、好き。美しすぎる。
ロールヘン「美しい曲、月の光みたい」
月光ソナタの呼称はベートーヴェンの死後、ドイツの評論家、詩人のコメントに由来。
実際は先に触れたとおりちゃんと献呈している。
映画『不滅の恋/ベートーヴェン』には、難聴のベートーヴェンがピアノに耳をつけて《月光》を弾く非常に美しいシーンがある。グイチャルディとその父親がその姿を覗き見て、その後グイチャルディはベートーヴェンに近づき肩に手を置く。気が付いたベートーヴェンは怒り狂って飛び出す。ベートーヴェンの耳が聞こえていないことがわかったグイチャルディは、翌日ガレンベルク家に嫁ぐ(実際は本作で描かれた通り身分違いのためとされている)。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』は、グイチャルディに捧げるために月光ソナタを作曲しているところで、手塚氏が絶筆(実際は曲は先にあり、献呈は後付けだったとのこと)。
ふむ。ハイリゲンシュタットの遺書(1802)くるか。でももう《英雄》の初演終わってるけど。
ハイリゲンシュタットの遺書は難聴とグイチャルディとの恋愛の破綻に苦しんでる時期に書かれたらしいけど、青木やよひ氏の著書では、失恋しても特にそんなに凹んでなかったとも書かれていた。
王侯貴族の使用人にはならない、と言いつつ貴族の娘ばかり好きになるベートーヴェンね。出会いがないのか、ジュリアン・ソレル的な感じなのか、障害があると燃えるタイプなのか、潜在的に結婚すると創作の妨げになると思っていたのか。
耳が聞こえないって、この静寂か、恐ろしい、と思ったのはここだったかなあ。
【回想】
ベートーヴェンがウィーンへ出るのは1792年。ヴェーゲラーとロールヘンが結婚するのは1802年、ロールヘン30歳のころ。この時代にしては晩婚のロールヘン、実はベートーヴェンが帰ってくるのを待っていたのではないかと青木やよひ氏は推測しているらしい。
ああー、ウェルテルがピックアップされてたのは、、自殺もキーワードだったか…。
ウェルテルと同じ。
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
2月27日:13番目の死者
25日に確定判定、症状がないので待機状態だったが容態が急変した。
3月1日:21番目の死者・22番目の死者
このあたりは経緯がわからんが自宅待機中に亡くなったことは確定。
3月3日:32番目の死者
この時点で「武漢コロナ確定判定を受けても病床を割り当てられないまま死亡した6番目の事例」と報道。
3月7日:45番目の死者
2/25
コロナ19確診者のうち、9人目の死者が発生した。去る24日漆谷慶北大病院で死亡した患者1人が死後にコロナ19陽性判定を受けた。この患者は、23日腹部膨満症状などを訴えて来院した音圧病室で治療を受けていたの急性呼吸不全で死亡した。
17:00確定者84人増え、合計977人... 10人目の死者が発生
コロナ19の中央防疫対策本部が25日午後4時の基準国内10人目の死者が発生したと発表した。確定患者は、午前60人、午後84人が追加され、合計977名である。一日に確定者144人に増えた。現在の検査を進行中の人は1万3888人である。
18:00 11人目の死者、35歳、モンゴル人の男性···外国人初の事例
新型コロナウイルス感染症」(コロナ19)確定判定を受け、京畿道高揚ミョンジ病院で隔離治療中だったモンゴル人男性(35)が25日、死亡した。国内11人目の死者で、外国人初の事例だ。保健当局によると、この男性は慢性肝疾患と末期腎不全を患っ南楊州市別耐凍家で療養していたし、24日午前6時病状が悪化し、病院に運ばれた。ミョンジ病院の関係者は「この男性の死亡原因がコロナ19と関連しているか調査中」としながらも「(サインは)持病のためだと見ることが合理的だ」と明らかにした。
2/26
国内コロナ19確定者のうち、12人目の死者が発生した。大邱で3番目確定判定を受けた患者で新天地信徒に伝えられた。糖尿病と高血圧を患っていたが、男性は20日、大邱医療院選別診療所を介して入院した後、啓明大学東山病院に移送され、呼吸器治療を受けてきた。 24日連鎖球菌ショックが発生して集中治療を受けて26日午前1時ごろ死亡した。
2/27
27日、国内の新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者のうち13番目の死者が発生した。死亡者は74歳の男性で、新天地信徒全数調査の過程で確定判定を受けた。腎臓移植に基礎疾患を患っており、この日の呼吸困難の症状で救急搬送中に心停止が発生して死亡した。大邱地域でコロナ19死者は計4人に増えた。
2/28
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)検査後が隔離中の患者が死亡した。国内14人目の死者に自己隔離の死亡2番目の犠牲者だ。死亡者A(69・女)氏は、この日の午前5時39分ごろ、呼吸困難を訴えて救急室で緊急搬送した。彼は心肺蘇生法(CPR)を受けたが、病院に到着して1時間後に死亡した。大邱市は、彼の死に関連ブリーフィングを29日午前にする予定である。
大邱英病院で女性A(63)氏が死亡した後、コロナ19確定を受けた。続いて、大邱医療院で23日確定を受けた女性B(94)さんが死亡した。これ国内コロナ19死亡者数は、合計16名である。
2/29
12:05大邱でコロナ19確定77歳の男性死亡... 17番目
大邱地域でコロナ19の17人目の死者が出た。大邱市によると、29日午前7時20分ごろ、漆谷慶北大病院音圧病床で治療中の77歳の男性確定者が死亡した。この感染者は普段糖尿パーキンソン病を患った。
3/1
14:24コロナ19国内18人目の死者が発生... 82歳の男性
国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者のうち、18人目の死者が発生した。疾病管理本部の中央防疫対策本部は1日午後行われたブリーフィングで大邱で18人目の死者が出たと述べた。ジルボンは「18人目の死者は82歳の男性で基礎疾患に脳梗塞、高血圧、糖尿病などを患っていた」と語った。
大邱でコロナ19確定者のうち2人が死亡した。この日一日の間に3人が相次いで死亡し、死者は20人に増えた。大邱市によると、同日午後2時25分漆谷慶北大病院に入院していた80歳の男性と午後4時18分大邱カトリック大学病院に移送された86歳の女性が死亡した。 80歳の男性は、28日コロナ19確定判定を受け、高血圧を患っていた。 86歳の女性は、去る28日コロナ19確定的にあることが判明され、この日の午後、呼吸困難で病院に搬送されたが死亡した。
大邱で1日コロナ21度、22人目の死者が発生した。この日の午後6時30分頃、大邱寿城区した家庭で確定判定を受けて自宅で入院を待っていたA(77)氏が亡くなったことを警察が確認水性保健所に通報した。これ進ん1日午前1時40分頃には、前日ファティマ病院に入院した77歳の女性Bさんが死亡した事実が一歩遅れて確認された。これにより、大邱では、この日だけ5人コロナ19に命を失った。
3/2
大邱確定者のうち、追加死亡者4人が発生した。 2日、保健当局によると、ファティマ病院の緊急治療室で冷えなどの症状に移送された80歳の男性、慶北大学病院で隔離治療中だった71歳の男性、嶺南大病院で入院中だった64歳の男性、啓明大学東山病院音圧室から分離されていた86歳女性が死亡した。死者のほとんどは、糖尿病・高血圧などの持病を患っていた。これ国内の死者は26人に増えた。
大邱でコロナ19確定者のうち死亡者2人が追加で発生した。これコロナ19国内の死者は28人に増えた。大邱市によると、この日の午後1時13分ごろ、79歳の女性が肺炎症状で啓明東山病院に運ばれたが、心停止がと死亡した。この女性は、事後検査でコロナ19確定者が明らかになった。また、この日の0時46分ごろ、大邱カトリック病院で入院治療中の78歳の女性が死亡した。この女性は、高血圧などの基礎疾患があり、死亡後陽性判定を受けた。
大邱確定者のうち死亡者1人追加された。 3日、保健当局によると、同日午前3時ごろ啓明東山病院で確定者A(78)氏が死亡した。 Aさんは、先月29日の緊急治療室を介して、この病院に入院して内科集中治療室で隔離治療を受けていた。コロナ19確定判定は入院した日の午後8時40分頃出てきた。 Aさんは、基礎疾患に糖尿病と肺炎を患っていた。これ国内の死者は29人に増えた。
17:16 43日で5000人を超えた。確定者5186人・死者31人
中央防疫対策本部は3日午後4時の基準国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者の合計5186人と発表した。この日0時と比較して374人増え最初確定者発生後の43日目に5000人を超えた。死者は大邱で3人追加で発生して31人に増加した。保健当局によると、同日午前11時47分ごろ、啓明大学東山病院で呼吸困難の症状に見えたA(83)氏が死亡し、同日午後2時37分ごろ、慶北大病院で確定者B(75)さんが死亡した。
大邱でコロナ19死者が1人追加で発生した。まだ確定番号が付与されなかったが、大邱では22回目だ。大邱市などによると、この日に死亡した78歳の男性は、2日コロナ19陽性判定を受けて自己隔離中倒れた。 119救急隊が到着し、当時心停止状態だったが、患者はファティマ病院に移送された後、死亡した。高脂血症と高血圧、前立腺肥大症、心筋梗塞などの基礎疾患があった。これ国内コロナ19死者は32人に増えた。
3/4
10:30基礎疾患のない大邱60代の女性が死亡...死者33人
大邱で基礎疾患のないコロナ19確定者が死亡した。 4日大邱市によると、死者は67歳の女性で、先月25日に大邱カトリック大学選別診療所で検査を受けてコロナ19確定判定を受けた。特別な基礎疾患はなかった。以後着実に人工呼吸療法を受けたが、この日の午前1時50分に死亡した。これ国内の死者は計33人である。
大邱でコロナ19死者1人追加で発生した。これ国内の死者は34人に増えた。大邱市によると、同日午後4時23分ごろ、大邱医療院で隔離治療を受けていた87歳の女性が死亡した。この女性は、先月24日、南区保健所でコロナ19検査の後、確定判定を受けた。この女性は、心臓肥大と高血圧、認知症、不安障害などの基礎疾患を患っていた。
22:51大邱でコロナ25人目の死者が発生...国内総35人
大邱でコロナ19死者が追加で発生した。大邱市はこの日午後5時25分ごろ、啓明大学東山病院音圧病床で治療を受けていた72歳の男性が死亡したと発表した。この男性は先月22日、大邱(テグ)医療院でコロナ19の検査を受けた後、24日確定判定を受けて大邱東山病院を訪れた。当日呼吸困難の症状を示してい啓明東山病院に電源た。糖尿病、高血圧などの基礎疾患があったと伝えられた。国内累積死亡者は合計35人になった。
3/5
08:51慶60歳の男性1人が死亡... 36番目
慶尚北道でコロナ19確定者1人が死亡し、国内の死者数が36人に増えた。慶尚北道によると、4日午後3時16分頃、順天郷大欧米の病院で60歳の男性Aさんが死亡した。 Aさんは1日、脳梗塞の症状に欧米の病院に移送されCT撮影検査をした。この検査で肺炎の症状が現れコロナ19の検査をし、3日陽性判定を受けた。保健当局によると、Aさんは、高血圧・糖尿病・高脂血症などの持病を患っており、肺炎の症状が悪化して死亡したとみている。
コロナ19による死者が慶北2人・タラ1人が追加され、死亡者数が39人に増えた。慶尚北道によると、青島に住むA(84・女)氏と城主に住むB(81)さんが5日午前、安東医療院で死亡した。 Aさんは、心不全・脳梗塞など基礎疾患を患っていたが、Bさんは何基礎疾患がなかったことが分かった。この日の午前7時34分頃には、大邱ファティマ病院でC(77)さんが死亡した。 3日発熱と呼吸困難の症状を見せたC氏は4日、ファティマ病院に移送され、コロナ19確定判定を受けた。保健当局は、Cさんが普段糖尿病を患ったことが確認された。
5日大邱でコロナ19確定者60代男性が死亡した。保健当局によると、この日の午後1時24分頃、慶北大学病院では、A(67)氏が死亡した。先月27日、確定判定を受けたAさんは、糖尿病などの持病を患っていたことが分かった。これ国内死亡者は40人に増えた。
17:12確定者322人を追加されて6088人...死者は41人
新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者が5日午前0時以降322人追加された。これにより、累積感染者は6088人になった。慶尚北道では、患者1人より息ながら死亡者も41人まで増えた。慶尚北道は4日午前10時頃、清道郡立老人療養病院で認知症を患っていた86歳の女性が死亡したと発表した。この患者は3日検体検査を依頼して死亡した後の5日コロナ19確定判定を受けた。
19:40今日だけ死者7人増え42人...メールス記録破られた
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)死者1人追加で発生して、5日午後7時50分あたりの国内死亡者数が42人に増えた。この日一日だけ大邱・慶北で7人の死者が出ており、全体の死亡者はメールス死者39人を超えた。メールス感染者2015年5月20日、初めて発生した後、同年12月23日終息まで総186人出た。
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大邱でコロナ19確定者1人が追加で死亡した。大邱では29番目、国内全体では43人目の死者である。大邱市保健当局によると、6日午前2時35分、大邱漆谷慶北大病院音圧病室で80歳の男性患者が呼吸困難に死亡した。この患者は、先月28日コロナ19の検査で確定判定を受けて入院した状態であった。基礎疾患として高血圧と糖尿病があったことが確認された。
19:30奉化て性病願書亡くなった90代の事後」コロナ確定」...国内44番目
慶北奉化分解病院に入院中死亡した90代の胃がん患者が死後検査でコロナ19確定判定を受けた。保健当局によると、4日に亡くなった患者の死後コロナ19検査結果陽性判定が出た。正確な死亡原因は調査している。これにより、国内コロナ19による死者は44人に増えた。
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11:20永川で70代のコロナ19に死亡...国内死亡45人
慶尚北道永川でコロナ19確定者1人が死亡した。これにより、国内の死者は45人、慶北死者は14人に増えた。 7日慶尚北道は永川に居住する78歳の男性が、この日の午前、自宅で119救急車で病院に運ばれ中に死亡したと発表した。去る5日、発熱、悪寒などの症状を示してい病院で検体を採取した後、帰宅したが、男性は6日、確定判定を受けた。男性は心臓病や脳卒中などの基礎疾患を持っていた。
11:55基礎疾患のない確定者大邱でまた死亡...国内死亡合計46人
コロナ19確診者のうち、基礎疾患のない患者が、また死亡した。国内46人目の死者に大邱で発生した。 7日、保健当局は前日の午前10時36分ごろ、大邱の漆谷慶北大病院で78歳の男性が死亡したと発表した。この患者は、死亡後、コロナ19確定判定を受けた。保健当局は「この患者は基礎疾患がないことがわかった」と述べた。先に4日と5日にも基礎疾患を持っていなかった確定者2人が死亡した。
12:30喘息患っ大邱80代の女性が死亡...国内死亡47人
大邱でコロナ19追加死亡者が発生した。国内の死者は47人に増えた。 7日、保健当局によると、同日午前11時22分ごろ、大邱慶北大学病院で83歳の女性が死亡した。先月22日に確定判定を受けた患者は、同月26日、大邱(テグ)医療院に入院したが状態が悪化して1日慶北大学病院に運ばれた。この患者は、基礎疾患として、喘息を患ったことが分かった。
大邱でコロナ19(新型コロナウイルス感染症)を追加死亡者が発生して、合計33人に増えた。大邱で33番目に死亡した91歳の男性Aさんは、この日の午前9時18分、大邱医療院で死亡した。Aさんは、先月29日、パーキンソン病に文星病院入院中の病院苦労コロナ19の患者発生的に検査を受け、1日確定判定を受けた。以後2日大邱医療院に移送されたが死亡した。Aは、パーキンソン病のほか、高血圧を患っていたことが確認された。
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09:38奉化青い特別養護老人ホームの最初の死亡...死者50人
慶北奉化青い特別養護老人ホームでコロナ19確定判定を受けた70代の女性が死亡した。 8日慶尚北道によると、死者は大邱居住者である78歳の女性である。コロナ19が集団発症した青い特別養護老人ホームで確定判定を受けて金泉医療院に移送され、治療を受けて昨日の午後2時5分ごろ、死亡した。この女性は、心臓病や認知症、痛風などに苦しむことが分かった。これ国内の死者は計50人に増えた。
まだ私がうんと若かった頃、上野駅の14番線ホームが恋しくて仕方がなかったのです。年末年始の間に帰省していた彼が帰ってくるのを待ち遠しく思って、ずっとホームの前で掌に白い息を吹きかけながら待っていたくらいに。当時は夜行列車がよく走っていたもので、東北から彼を乗せてやってくる夜行列車をいつもより早起きして待っていました。夜行列車が出発していく夜はとても寂しいのに、やってくる朝はどうしてこんなにも眩しいのでしょうか。もう目はあまり冴えてはいませんが、その時の朝日のことは未だに鮮明に覚えています。
毎年1月4日に彼は上野駅の14番線ホームに降りてくる。それを今か今かと待つ私。そんなことを数回繰り返したのち、いつしか私は彼と夜行列車に乗るようになりました。がたんごとん、と列車が大きな音をたてる度に「あぁ、彼はこの音を聞きながら一人で夜行列車にのっていたのかしら」と思って、寝そべった彼の横顔を眺めていました。それも数回繰り返したのちに、今度は三人で夜行列車に乗るようになりました。彼とよく似た瞳をしたやんちゃ坊主が静かに寝てくれないものですから、何度も周りのお客さんに謝ったのも今ではいい思い出かもしれません。
それから長い長い時間が経った後、彼も、夜行列車もいなくなってしまいました。そして今では当時のやんちゃ坊主が私を飛行機に乗せてそこへ連れていってくれます。がたんごとん、はもう聞けないのだけれど彼が眠っている場所に近づけば私の胸もがたんごとん、と少し変な音で高鳴ってゆく。もう私もこの胸の鼓動がいつまで続くのか分からない歳になってしまいましたが、どうか彼のもとへは夜行列車で行きたいと夢見ています。