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はてなキーワード: 海域とは

2021-04-10

anond:20210410114121

人心を鎮撫して安寧秩序回復住民生命財産保障するの義務がある。嘗て日清戦役の際は戦局の進展に伴ひ、第一軍は先づ安東縣に民政廳を置き、次いで海域海域善後公署を置き、又營口民政署を置いて軍政を司らしめ。第二軍は金州城を陥るゝと同時に金州城行政廳を置き、次いで旅順行政署を置き、更に蓋平、復州、貔子窩に各行政署を起き金州城行政長官の式に属せしめた。日露戦役の際には樞要の地に軍政署を置き、軍政委員を任命した。後遼東守備軍の編成により遼東守備行政規則を發布して軍政委員統轄せしめ、租借地内にては殆んど全部の行政を擔當せしめ、租借地意外にては普通民政は清國官憲に擔當せしめ、軍政委員軍隊の便益を図り、傍ら地方官憲監督の任に當らしめた。後遼東守備復員により租借地には民政署を置き民政長官を任命した。

 戦闘部隊前進に随ひ占領地域は益々擴大さるゝが故に機關を設け軍政を司らしむる必要あるは明かなるも、前述の如く領土性質曖昧なるにより、其の権力行使必要以内に止め成るべく其の地方法規慣習を尊重して事に當り、又地方住民をして自治的の行動を採らしむるを要す。而して第三國人の關係に就き特に細心の注意を拂ひ、無益の國際問題惹起せざるべく努むべきである。(八月二十八日稿)

五六

北支事變と陸戦法規

外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56

北支事變と陸戦法規

篠田治策

 明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府公文にも新聞紙報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵上海出兵満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである

 此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより

<四七>

宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である二十三日は我が陸軍部隊上海附近上陸を開始した日である。即ちハル長官現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府最初宣言したる事件不拡大の方針余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである

 我が國の國内法に於いては事變と戦争区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。

 即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人

<四八>

対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場於いて事變と戦争区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反問題を生ずることは殆んど無いのである

 従来我が陸軍戦場於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者従軍せしめたのである日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。

東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法理想於いて欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般利益として祝す可き所なり。

又仏國の國際法学者ポールフォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。

此の戦役に於いて日本は敵の万國公法無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま

<四九>

ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用苦痛を醸すべき兵器使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。

日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別任務を以て米國派遣せられた法学博士男爵金子太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。

米國人は事實の真相調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用参謀部に於いて國際法専攻の学士協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法提唱日本政府の決心は露國は大國なり腕力於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す

<五〇>

る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争日本が國際法を破りしことあらば世界歴史汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エールハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。

 世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつ組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面事務従事したるも、亦國際公法適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)

 過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである

 唯だ、陸戦法規適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土性質である。假りに之れを中華民國

<五一>

領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力行使すべきか、又南京政府官吏は既に逃亡し、地方民衆自ら自治政権樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である

 宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合於いて北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政施行治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府領土となりし場合には、其の地域行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである

 日露戦役の際は戦闘地域性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍権力行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域活動したるも、其の権力講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。

 今回の北支事變に於いても、其の交戦地域領土性質曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参

<五二>

考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。

 従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後政治工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官禁止事項の外は自由裁量余地あるかは明かである

 陸戦法規の條項を北支事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである

 凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊安全作戦動作の便益を図るが為めに、無限権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊安全作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の

<五三>

軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限権力を以て此等の犯罪者厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部特に詳細なる規定を發布し、旅順海軍鎮守府別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。

 軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるもの死刑に處すると原則とすべきである

一、間諜を為し及び之れを幇助したる者

二、通信交通機關を破壊したる者

三、兵器弾薬其他の軍需物件を掠奪破壊したる者

四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者

<五四>

五、我が軍軍人故意に迷導したる者

六、一定軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)

七、軍隊飲料水を汚毒し、又軍用井戸水道破壊したる者

八、我が軍軍馬殺傷したる者

九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者

十、職場於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者

十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器弾薬其他の軍需品を破壊し又横領したる者

 而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである

 帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支侵略して我が領土なすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民自治政権樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方一時的にもせよ事實上我軍の占領である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり永久に之れを占領するの意思無きが故に此

<五五>

占領は九國條約に牴觸するものに非ずと信ずる。

 我軍が一時的なりとも北支地方占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41

2021-03-30

最近スエズ座礁話題で嬉しかたこ

「現地では」あるいは「現場海域では」28前後大潮の時期であり...

みたいなことを書いてるメディアが沢山あって、

こ〜のクソバカマスゴミどもがーww って優越感に浸れたこと。

大潮とか小潮とかで海面の高さ変化が変わるのは、月(と太陽)の引力のせいなので、海に接する国や地域であれば万国共通なんだよw そんな地学の基礎知識も無いクソバカが記事書いてら。お笑い草だなww

2021-02-16

anond:20210216153753

なるほど、色々問題があっての判断なんだなあ

そういえば千葉南側海域豊富レアアースが、なんて話もあった気がする、うろ覚えだけど

本当にそうなら過疎ってる館山とか賑わったりしてなwと思ったりもしたんだが、

その後の話を聞かないんだよなあ

千葉田舎新興住宅地はもうゴーストタウン化してる

バブルの頃は賑わってたのに

2021-01-13

艦これサ終してくれ

私は艦これが好きだ。

好きだからこそ、はやくサービス終了してほしい。

今まで私が艦これをする中で感じた事とか、運営の態度とか、色々もやもやしているから思った事を書いた。

艦これはDMMGAMESのブラウザゲームで、

簡単にいえば美少女擬人化された軍艦を集めて育てて闘うゲームだ。

2015年夏イベが開催されている時に、仲の良い友人がやっていたので始めた。

当初は何もわからず、イベントも後半になった頃にようやくイベント存在を知った。

その時持てるだけの戦力を全力投入してE-1に出撃し、なんとボスにたどり着いた。

ドロップした霧島は今でも主戦力として頑張ってくれている。

イベントレアものが出るんだなあ、次はちゃんとやってみよう」

私は秋イベに備えて育成をした。

2015秋イベ。

この時にはすでに難易度が設定されていたので、

完走を目指すために最低難易度の丙(丁はこの頃はない)に設定し挑戦した。

結果完走もでき、新規実装されたGraf Zeppelinの掘りも出来た。

深海棲艦も新規に描き下ろされ、先行組の情報自分の戦力を照らし合わせながら攻略していくのは、とても楽しかった。

順調に育成もでき、装備も揃って来ていたので次のイベントで甲勲章を目指した。

2016冬イベ。

小規模イベント海域数は3つ。

札もないので十分な戦力を投入し、全て最高難易度の甲作戦選択

E-3ラスダンまでは順調だった。

ラスダンで何回出撃してもボスを落とすことができず、泣く泣く難易度を乙に下げクリアした。乙にしたらすぐ終わった。

とても悔しかった。

戦力が足りていないのか、それとも装備が足りていないのか。

次こそは、と思い備蓄も育成も頑張った。

2016年春イベ、新しいシステム実装され、新艦娘もとても楽しみだった。

この頃からおかしいなとは思っていたが、難易度が爆上がりしたイベントだったと思う。

基地航空隊は強いが資源を大量に持っていかれる、空襲でも持っていかれる。

ボスも道中も強かった気がする(正直あまり覚えていない)

E7だったかE6だったか基地航空隊ボスで4桁ダメージ出したのは覚えている。

私が育成した艦娘よりも、ぽっと出の基地航空隊の方が強かった。

バグやら不具合やらもたくさんあり、イベント期間が1ヶ月くらい伸びた。

Iowaはもらえたが甲勲章はもらえなかった。

思えばイベント開始のメンテナンスはいつも予定終了時刻より遅れていた。

最初は「夜中まで頑張ってて偉いな、無理しないでほしいな。」

運営に対してそう思っていた。

その後から現在に至るまでの記憶はあまりないが、

勲章を狙っては、最終海域地獄難易度で諦める事を繰り返し(完走最優先)、

艦これガチでやることもなくなっていった。

2020年梅雨イベ後。

時間があったので備蓄もし、戦力も固めて、装備も任務をこなして取りに行った。

いつも通り、運営小出しにしてくるぼやけた情報を頼りに、特攻がつくであろう艦娘を育てた。

今までで一番良いコンディションで秋イベに挑むことができた。

2020年秋イベ。

運営はいつも通り、いつ、何時にイベントが開催されるのかを出し渋り

ギリギリまで粘り、公表した。

同じ情報を何回もツイートし、イベント1,2日前くらいにようやく海域数の情報

イベントメンテナンスは遅れに遅れ深夜の解放

これもいつものこと。

色々省くが結果は乙乙丙乙で完走できた。

最後は友軍の竹が来て、ボスを刺す事を祈るお祈りゲーだった。

イベント攻略情報は先行組が時間資源を費やしてまとめてくれる。

(艦これは、運営から攻略情報基本的にない)

RTA勢、攻略勢の提督

攻略に欠かせない索敵値計算や制空値計算ツール制作運営している提督達には頭が上がらない。

彼らのおかげで今までのイベントも完走できている。本当にありがとう

そんな提督達が引退していった。

今回のイベント引退する提督は多かったように思う。

特にラムダさんが引退したのは界隈でも話題になった。

艦これ日和管理人さんも、いつからか丙丁のみの攻略になっていたが、引退したんじゃないかという噂も見た。

引退するのも、ゲームを続けるのも自由だ。

甲で攻略するのも、丁で攻略するのも自由だ。

ただ、引退していく提督に、

「甲が難しかたか引退するの?」

難易度下げればいいじゃん」

引退するとかいって界隈を盛り下げるな」とかは言うな。

勝手自分のTLでつぶやいてろ、引用リツイートは本人に通知が行くからするな。

引退する提督だって自由引退宣言していいんだから、本人に文句言うなよ。

私は低難易度提督から、甲提督の苦労はわからない。

からないが想像はできるし、彼らのおかげでこのゲームを楽しめていた。

全ての低難易度提督が、「難易度下げろ」なんて思ってない事はわかってると思うが、

それでもここにいることは言いたかった。

引退する提督も、甲提督もみんな艦これが好きだから勲章持ってるんだよな。

好きだから引退していくのもわかる、私も艦これが好きだから



今、艦これ界隈では引退やらサービス終了やら話題になっている。

今回引退が続出した原因は主に運営(C2機関)の態度、行動、言動だと思う。

直接の問い合わせフォームはない、twitterで直接意見(誹謗中傷ではない)を言おうものならブロックされる。

バグ解析班(解析は犯罪だが)が指摘するまで放置

バグ取りはしないのに謎のミニゲーム実装する。

このコロナ禍でのリアイベ開催、その内容もいい評判は聞かない。

艦これに全く関係ないボクカワウソキリン改二とかいう身内ノリの謎グッズやキャラクター艦これ側に持ってくる。

イベント開催も1週間前に詳細を出せばいい方で、メンテナンス時間通りに終わらない。終わらないなら、完了時間未定でいいのに、頑なに22:30とかいってる。

パッと思いつく限りでもこれだけ不満が出る。

ゲーム作る気も運営する気もないなら早くサービス終了してくれ。

お願いだから早く艦これを手放してくれ。

これ以上艦これを貶めないでくれ。艦これのことを嫌いにさせないでくれ。

どうせこれも通報されて、適切な処置とかされるんだろうな。

2021-01-12

日本政府もっとしっかりしてくれよ

日本政府頼むぜ

まりにもダメすぎじゃないか

もっと厳しく

日本排他的経済水域内での海洋調査韓国海警察庁所属船が接近し「ここは韓国海域だ」として、調査の中止を繰り返し要求した。

2021-01-01

anond:20210101194228

それは東南アジア海域への不当な進出を抑え込むためでしょ?

うまくいったとして、できることはせいぜいそれくらいでは?

2020-12-29

艦これをやめた日

文字通り艦これから身を引いた。2014年5月31日に着任してから約6年半。旅行中などやむを得ない場合を除いてほぼ毎日欠かさずプレイしていたゲームだったはずなのに、特に深い感慨も何も無かった。

すでに大分からモチベーションは無くなっていた。音声も出力せずただ淡々とながらで日々の任務や演習を行うだけ。最低でも午前と午後の3時に更新される演習だけは行う。もはやこのゲームは娯楽ではなく単なる習慣になっていた。

現在開催中の期間限定イベントもそうで、手を付けたのは開始から1週間以上経過してからでそれまでより明らかにやる気は起きなかった。

それでもやめるという考えには至らなかった。1年前も、つい1ヶ月前も同じだった。

元々期間限定イベントに関しては特に甲での攻略に頓着はなく(一応甲勲章は5個保有しているもののこれらは難易度設定が導入された当初でまだ現実的だった頃に獲得したもの)、よほど有用報酬でもなければ無理はせず最低限新規艦娘の確保さえできればいいという緩いスタンス

資源備蓄艦娘たちのレベルが上がり戦力が充実していくさまを眺め自己満足に浸る。このゲーム盆栽を育てるようなものという喩えを見てその通りだと思った。

それがふと、もうやらなくていいんじゃないかという考えが頭の片隅に浮かんだ。

試しに1日ログインせずに過ごした。

最終海域であるE4-3のゲージがまだ残っているのに。竹をまだ迎えていないのに。演習も遠征もしていないのに。

一切何の焦りも惜しい気持ちも起きなかった。

1週間が過ぎた。艦隊分析という自らの保有する艦娘や装備をリストグラフにしてくれるサイト存在を思い出し、最後の記録のためログインした。

クリスマスプレゼントを貰い、開封したがそれ以上何をするでもなく無事状況を反映させ記録したあと画面を閉じた。

編成し、任務を受諾し、出撃しようという気は微塵も起こらなかった。

引退者の中にはもう二度と戻るまいという強い決意のために手塩にかけて育てた艦娘らを解体してしまうという人もいるというが、そこまでする気にはならなかった。

しろそんな手間をかけることすら億劫に感じたのだった。

生活の一部と化し、空気のようになっていたゲームの呆気ない幕切れ。

自分一人がやめたところでこのゲームのあり方に何か変化が起こるわけでもない。積もり積もった不平不満の爆発した今回のイベントも終了後火種はくすぶったままながらもトーンダウンしてまた日常に戻っていくことだろう。

知識としての偏りや錯誤は置いておいて、艦これに触れなければ旧海軍艦艇航空機に興味を持つことはまず無かっただろうし、一人で勝手旅行しただけとはいえ軍港の街佐世保や呉を訪れることも無かった。

いくつかのリアルイベントでも後になってみるとなぜこんなことに熱中したのかというものも種々あるが、概ね良い思い出となった。ただもうそれらに参加するつもりは一切無い。

とはいえ艦これを完全に嫌いになったかというとそう言う訳でもなく、ゲームでの姿を見ることはなくなったが未だに艦娘に対し愛着はある。

ただ保有と育成という部分が消えただけにすぎない。

からさようならとは言わない。ただ感謝だけは伝えたい。ありがとうございました。

2020-11-08

米国中国が仲良くなると

バイデン大統領中国と仲良くなって寛大になると多少の人権侵害国境侵害あっても中国大事ビジネスパートナーからと黙認しそうだ

日本海域絡みで中国から牽制されているのでここで不都合を受ける可能性がある

海域不都合を受けると石油輸送など輸送ルートに影響が出ることが懸念される

迂回ルートを選ぶとその分経費が上がる

2020-09-11

アズールレーンゲームのあるべき姿を示す

基本は、可愛い艦船を集めてレベル上げして、海域攻略してゆくゲームなのだが、

徐々にイベント過去に開催したことのある復刻イベントばかりになり、

新しい艦船が追加される頻度もぐっと少なくなっている。

十分な数の艦船を集めてレベル最大まで育て上げた最古参ユーザにとっては、

今はもう、あまり新規にやることが少なくなってゆき、ほかのゲームへと移ってゆく。

新規ユーザは、復刻イベントがあるお陰で、いつから始めても、それなりに楽しめる。

1つのゲームだけで際限なく稼ごうとすると、飽きさせないように終わりのないインフレゲーム設計になってしまうが、

アズールレーンは逆に、そこそこやりこんで満足したら、他のゲームに移りやすいように終われることを

意識して設計されている。気がする。

艦船ガチャ排出率も良心的で、1隻だけそろえるなら無課金でも十分に揃うし、

そもそも450回周期でそのガチャ対象艦船はすべてそろってしまう。

その優しさに惚れた。

2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-08-11

[][]作戦46日目

セミも鳴かない暑さ。でも、ちょっと身体が慣れてきたかしら。

先週土曜日日報アタイが立てた作戦日程案でE7-3甲突破の挑戦期限を8/19としたのは、なかなか悪くない読みだったわね。そこから攻略を諦めて丁でクリアなら、お釣りが帰ってくるくらいの時間の余裕がありそう。

本日の主な戦果

アタイ艦隊の主な戦果は、こんな感じ。

2020年梅雨夏イベ
《E7-2甲削り》

ラスダンに入ったら、さすがにレベリング中のサウスダコタちゃんout比叡(二軍)inかな。

2020-08-07

[][]作戦42日目

夏真っ盛りの友軍が来た!水着も着た!!予想より早い時間に。何時ものように、日付をまたぐと思ったのだけれど。

でもここは焦らず、予定通り明後日までは作戦海域への出撃を控え、粛々と資源情報収集に努めるのよ、アタイ明後日の暁の水平線勝利をッ!!

2020-08-06

[][]作戦41日目

友軍は明日の夜。イベントは残り約2週間。

残された時間は長くない。その上、残された燃料も多くない。アタイ艦隊は、このイベント今日まで約20万もの燃料を費やしちゃった。残りは約10万ぽっち。

友軍到着後、友軍の編成情報などを収集し、それからE6-2甲の攻略を再開したい。とりあえず、3日後の日曜日を侵攻再開日としようかしら。

それまでは、燃料を中心とした資源回復に努めなきゃ。昼間は1-3D三重クルを回したり、1-6を割ったり、遠征海上護衛と東急を回して、あとこの際に月次遠征のミ船団護衛を出したり。

正直、友軍到着前にE6-2甲を突破出来なかったのは悔しい。明日一日ぎりぎりまで粘りたい気持ちもある。でも、限られた時間資源有効に使わなきゃ、よね。

2020-08-05

[][]作戦40日目

本日の主な戦果

アタイのE6-2調査兵団は、今回の出撃で…何の成果も得られませんでしたァァ!!アタイ無能なばかりに徒に基地航空隊熟練度を剥がされ、奴らのボスを倒すことが出来ませんでしたァァ!!



もう、友軍の到着を待ってもイイわよね?

2020-08-04

[][]作戦39日目

E6-2甲のラスダン。これが手強くてなかなか越えられないのよね。でも友軍が来れば…

今週末に来るという友軍「本隊」。先遣隊すら来ていないE6-2にも友軍は来てくれるのかしら?

そして、友軍「本隊」が来るということは、そろそろイベントの終わりも近づいて来ているということでもあるのよね。いよいよ、お尻に火が…

本日の主な戦果

アタイ艦隊の主な戦果は、こんな感じ。

2020年梅雨イベ】
《E6-2甲 ラスダン

2020-07-29

[][]作戦33日目

本日の主な戦果

アタイ艦隊の主な戦果は…

2020年梅雨イベ】
《E5-2甲》

この海域に思い残すものは無い。たぶん、アタイがE5海域に戻る事はないだろう。さらばじゃ!

《E6-1甲》

永らく東京急行遠征旗艦を務めてきたが先日ついにLv.99へ達したために異動となった天龍龍田。この地味に鎮守府の縁の下を支えてきた貢献を讃え、彼女らにイベントでの活躍の機会を与えてあげたいので、E6攻略メンバー「第二艦隊」に加えようと思う。加えてもしイベント海域で大破すれば、アタイ鎮守府の慣例n…(ry

めざせ三群ランカ

昨日から戦果+50で、順位はー30。

明日明後日は、E6を攻略しつつ、7-1での主力駆逐艦キラ付け周回や3-4や4-4周回でウィークリー任務消化やレベリングを兼ねた戦果稼ぎを行いたい。

イベント海域攻略ランカー。これってアタシ、二正面作戦の愚に堕してるのかしら?

初めて艦娘轟沈させてしまった

2014年から提督になってはじめて艦娘轟沈させてしまった。

別の鎮守府でもしかたしたらその子相棒やお嫁さんにしている人がいるかもしれないので名前は避ける。

彼女はいくつか前の期間限定海域から一緒にいてくれた子だった。

いつも攻略優先なので「もし会えたら嬉しいなぁ」などとぼんやりしていたらコロッと現れてくれた。全部の艦娘が等しくかわいいと思っているけれど、そういう予期せぬ出会いの子は少しだけ特別感があったりする提督もいるんじゃないだろうか。その子はそんな子だった。

さっそく演習に組み込んで実践レベルまで鍛錬する。出撃する時の声MVPをとって高揚している声も何もかもが可愛かった。姉妹艦について話す姿なんかは親になった気分でほこほこしながら見たりもした。

艦娘お約束でさっそく期間限定で着替えた姿も見せてくれた。あのオフの日ような振る舞いがいつもの「戦う女の子から普通女の子」になったみたいでギャップにやられたりもした。とにかく可愛かった。艦娘は全てがかわいいと思う。


自分がちょうど着任した頃は、一番艦これが盛り上がっていた時だったんじゃないだろうか。自分サーバーの空き待ちをして、二度目の抽選で初めて新米提督になった。

事前に噂は聞いていたし、ゲームといえど操作ミスが無い限りお別れなんてことはないだろうと、例え一時のバイト艦娘であろうと誰も沈ませないできた。

一時攻略ダメコンを使っていたが、戻ってくるとわかっていてもあの演出にはドキドキするし、連合艦隊の第二艦隊旗艦は沈まないとわかっていても大破になる度に心臓がぎゅっと掴まれているようだった。あの感覚を味わってからより一層轟沈は出さないと固く誓ったはずだった。はずだったのに。

流行り物だし、と軽い気持ちで初めて早6年。就活の時も転職した時もほぼ毎日ゲームに触っていた。最初就職した会社はとにかく毎日が辛くて、朝起きてすぐと夜寝る前少し艦これを触るのが癒やしだった。その後それさえ辛くなるかもしれないと思った所で転職した。たまに審神者オヤカタなんかに浮気したこともあったけど、気がつけばいつも母港画面を眺めていた気がする。


数日前、期間限定海域で初めて艦娘轟沈させてしまった。

完全なミスだった。ちょうど眼鏡を外してすぐで、ぼやけた目が中破と大破を見間違えてしまったのが原因だと思う。

気が付いた頃にはもう遅かった。ボスマスで大破艦がいると気が付いたと同時に、なんで、中破だったのに、と脳が事を認識しようとすると同時に一巡目の攻撃でその子が沈んでしまった。

わずリロードを押してしまった。押してもどうにもならないことはわかっていたが、押してしまった。

それからなんとか母港に戻っても編成確認するのが怖くて、初めて艦これをしない数日を過ごした。二期移行を除けば初めてだったかもしれない。

それでも習性というのは怖いもので、数日後、朝アラームを止めた後すぐPCを開くクセがついていた自分は寝起きに一人足りない編成画面とご対面してしまった。

から崩れ落ちた。忘れていたわけでは無かったが、いざ直面するとキツイ

それから一日なんとか仕事をこなした。普通仕事できてしまうのがまた悲しい。お手洗いやコピー待ちなんかの本当に何も無い瞬間がいちばん辛かった。


正直、艦娘かわいいと思っていても、いくら生活の一部に組み込まれているとしても、所詮ゲームだと思っていた。

レアな子が轟沈したり、もう入手チャンスがない装備なんかが一緒に持っていかれたらそら辛いわな…程度にしか考えていなかった。

SNS轟沈を嘆く声を聞いても「まぁそうは言ってもゲームだし」と心の中で思っていたし、アンチによる故意轟沈動画を見かけても全く同じことを思っていた。

二次元から後腐れなく、ゆるゆるまったり遊べる。実際、艦娘が一人沈んだところで私の生活になんら影響は無かった。仕事もできた。


けど今猛烈に胸がモヤモヤとしている。正直しんどい習性のように母港画面には行くけどそこから何も触れない。

食欲はある。夜も眠れる。けどスキマ時間に沈んだ子がふと浮かんできて頭が痛い。

の子期間限定海域しか会えなかったといえど、そこまで入手困難な子ではない。装備も頑張って改修したものがあったが失って嘆くほどのものではなかった。

そこまで落ち込むほどのことではなかったはずだった。


今もう一度艦これをしたい気持ちと、もうしたくない気持ちがせめぎ合っている。

なので言葉にして書いてみたが、こうして見てもよくわからない。

ずっとモヤモヤしている。

別のゲームも少しだけ平行しているので、そっちに集中してみた。

集中している間はいい。終わった瞬間からまた次の集中までがとてつもなく辛い。

艦娘のことはとてもかわいいと思っているし、大事だけど、やっぱりゲーム世界には変わりない。

自分三次元に生きていて、息抜き二次元世界を覗いていたはずだから、多少それが変わっても何ともなかったはずなのに。

こういうのは時が解決してくれるものなんだろうか。

いつかどういう方向であれ解決した時に、またこ文章を読み返したいと思う。


もし同じく提督の人や、違うゲームだけど似たような経験があるという人がいれば、よければ軽い気持ちで良いから何か一言くれると嬉しいと思っています

どうか参考にさせてください。

2020-07-26

[][]作戦30日目

本日の主な戦果

アタイ艦隊の主な戦果は…

2020年梅雨イベ】
《E5甲第一ボスマス出現ギミック
《E5-1甲》

明日の予定

週明け月曜日明日は、イベント海域攻略を一旦休止。

2020-07-25

[][]作戦29日目

そろそろ攻略前進を最優先で。E4は、家具を捨て、難易度を甲から乙に落とした。

本日の主な戦果

アタイ艦隊の主な戦果は…

2020年梅雨イベ】
《E4-3甲》
《E4-3甲→乙》
《E5甲》
E5攻略メンバー

神通さんともがみん以外は、記念出場枠舐めプ

本日の戦訓

戦は装備だよ、兄貴

E4-3で地味に活躍した旗風。第四陣形でも確実に先制爆雷潜水艦を葬る。これは、優秀な対潜装備群を載せてるからこそ。

イイ装備をその海域の特効持ち艦に載せればなんとかなるっぽい。E-1の潮、然り。そう考えると、レア艦も大事だけど、レア装備も大事E-5、E-6のクリア報酬の装備は欲しい。先を急がねば。

2020-07-24

[][]作戦28日目

本日の主な戦果

アタイ艦隊の主な戦果は…

2020年梅雨イベ】
《E4-2甲》
《E4-第三ボスマス出現ギミック
《E4-3甲》

2020-07-23

[][]作戦27日目

久々にイベント海域攻略を再開。

本日の主な戦果

アタイ艦隊の主な戦果は…

2020年梅雨イベ】
《E4-2甲》
《E1-2甲》タシュケント掘り(2人目)&サブ鳥海摩耶レベリング
《E3-2甲》掘り周回&海防艦レベリング


想定の範囲内

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200723/k10012529731000.html

一部の人たちにとっては、予想通りって感じ?



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