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はてなキーワード: 効能とは

2018-05-16

anond:20180516212400

似非科学とまでは言えないけど、彼らが謳ってる効能を信じるのは難しいね

物理的に刺激を与えているから何らかの影響はあるだろうけどそれが良い方かどうかはわからない。

2018-05-14

anond:20180514162643

はいまた低能晒したw

「異常視している」の否定は「異常視していない」ではないぞ低能

水素水効能は無いって言っちゃうタイプ低能だwww

2018-05-13

ナットウキナーゼ

ナットウキナーゼ酵素タンパク質なので、経口摂取した場合には、アミノ酸やジペプチド、トリペプチドにまで分解され、ナットウキナーゼとしての活性を失う。(当然だが、人体にナットウキナーゼを再構築する機能はないし、血中に血栓溶解効果が出現することもない)つまりナットウキナーゼや、そのサプリメントを経口摂取しても、血栓溶解効果は無いと考えられる。


納豆効能は主に、ビタミンKによるものらすぃ。

2018-04-28

anond:20180428002359

ビジネスマンミッションマネタイズであって顧客幸せにすることではないと思う。

そもそも顧客幸せではなく快楽を買いに来ているわけだし。

幸せになるには顧客自分思考パターンと行動パターンを変えなければいけない。

変わることは苦痛を伴う。耐えられん奴は耐えられない。

で、秋元康存在しようがしまいが、耐えられん奴は何かに逃げる。

アルコールかもしれない。ギャンブルかもしれない。夢と快楽が得られる何かに逃げる。

そうした快楽の逃げ道を全部ふさぐことは現実的じゃない。

秋元康が消えることの効能はあまりにも小さい。問題は、幸福より快楽を求める本人の感覚にある。

2018-04-21

読書効能

同じ程度の知能の奴が二人いるとする

Aくんは毎日はてなを見てくだらない話題煽り合ったりスター付けたりしてる

Bくんは毎日近くの図書館大型書店に行って本を読んでいる

一年後どれぐらいの差が付いてるかって話よ

2018-04-16

FOOTBATH

家庭でできる『足湯』が案外良くて思いのほか長く続けられたため、話を聞いて興味が湧く人がいれば試してほしい。普段から湯船に浸かる習慣がある人には正直効果がないと思う。毎日シャワーばかりの人向けです。特に女性は化粧や生理関係でいつでも銭湯温泉に行けるわけではないから、行きたい行きたいと思いながらタイミングを逃し続けることがありませんか?足を熱いお湯に浸けるだけでも結構気持ちよくなります

必要な物


やり方

  1. 床に濡れ・滑り防止の布をしく。
  2. 桶に入浴剤を投下して熱いお湯を張る。足首までの浅い桶はすぐ冷めるので温度は高く50度か60度で出して、熱すぎた時だけ水でうめる。
  3. お湯が冷めるまで、もしくは飽きるまで足を浸ける。同時に読書スマホセルフマッサージができる。
  4. 足を片足ずつ上げて丁寧に拭く。冷めないようにすぐ靴下を履く。寝室など水場以外でやった時は壁や家具がいたむかもしれないから換気する。
  5. 桶のお湯を浴室に捨てて、さっきのタオルで縁や中を簡単に拭いて終了。

効能個人の感想です):めちゃくちゃ眠くなる。だから、その日の仕事を残して足湯をやってはダメ集中力がなくなって危険理想タイミングは就寝直前だが、少なくとも大事な用は終わらせてからやる。


以上です。私はマッサージ屋さんで、肩が凝ったから肩を揉んでもらうという単純なオーダーばかりしていましたが、気まぐれでリフレクソロジーという足裏マッサージを頼んだ時、最初フットバスが出てきました。お客の足の汚れを落とす実用的な意図のものだったので足湯パートはすぐ終わってしまい、熱いお湯に足を浸けるのがシャワー生活の私には新鮮で「もっと入っていたかった」と思ったあまり、「足湯だけでも家でできないか?」と桶を買ってきて実行したという経緯です。足にある古い怪我への効能は全くないですが、睡眠改善には役立ちました。このために特別に購入したのは桶(捨てる時は明らかに粗大ゴミになる大きさ)と入浴剤のみで、合わせて5千円もかからず、費用対効果効果圧勝でした。

2018-04-01

anond:20180401174609

風呂に入れば解決しない?

糖質制限食を厳密にやっていませんか?糖質を抜いてしまうと、体臭口臭が酷くなると聞いています

医師監修】糖質制限ダイエット口臭体臭がきつくなるって本当?

http://www.skincare-univ.com/article/011872/

一方で、ケトン体酸性物質です。そのため、アルカリ性食品を食べることにより、体を弱アルカリ性に傾けると体臭改善する可能性が示唆されています

アルカリ性食品としては、野菜バナナなどの果物ワカメなどの海藻類、大豆製品などがあげられます



★おまけ

アルカリ性飲み物って?効能と注意点について説明します。

https://media.carecle.com/articles/xde4E

2018-03-29

人それぞれですが

世の中の多くの人は大好きだけど、個人的に好きではない物事が沢山あるので、あえて列挙してみたいと思う。

1.温泉

ちょっとした効能のある大自然の中の風呂だが、所詮風呂風呂である。そんなに風呂に入りたいか?と思う。自宅の風呂で十分である

2.焼肉

店に行って金払ってるのに、自分で焼かなくてはいけないのが納得いかない。自分で焼く分安くしてほしいが、何故かそんなに安くない。肉ばっかり食べても飽きる。同じ理由お好み焼き等も好きではない。

3.バーベキュー

野外でメシを食いたいという神経が理解できない。野外で食べると美味くなるのだろうか。不衛生という言葉しか頭に浮かばない。家の中で食べれば良い。同じ理由花見も好きではない。

4.飲み会

年齢を重ねるにつれて、酒を飲んだ状態電車に乗って家に帰る、という行動がダルくてしょうがなくなった。自宅から徒歩圏内居酒屋ならギリギリOK。家呑みであれば尚可。

5.お宅訪問

行くのも来られるのも両方NG他人の家に行ってリラックスできる訳がない。お土産を持っていかなくてはいけなかったり、とにかく気を遣う。人それぞれのルールがあるし。来られる場合は、準備も後片付けも大変。なぜやたらとプライベート空間侵入したがるのか。

6.音楽フェス

PA面で、野外で音響が良いという事は基本的にあり得ないと思う。ライブハウスでさえ音のバランスとか難しいのに、野外で良いわけがない。完全に雰囲気もの大勢の友人たちとフェスに参加している自分に酔っているんだと思う。

7.映画

見たら見たで面白いのは分かるんだけど、二時間程度身体を拘束される、じっとして画面を見ていなくてはいけないという状況が我慢できない。DVD化されてから家で見ればよい。

8.ゲーム

子供の時にファミコンスーパーファミコンプレステなどはやってたけど、大人になってから殆どやらなくなった。スマホでもやらない。何がそんなに面白いのか、よくわからない。単純に興味が無いだけとも言える。

9.スポーツ観戦

野球は好きだけど、見に行きたいと思うほどではない。他人応援をして何が面白いのだろうか。そのスポーツが好きなら自分でやればいいのに、と思う。他人が勝ったら喜び、負けたら悲しくなるという発想が理解できない。

10ギャンブル

勝ってお金がいっぱいもらえたら、そりゃ嬉しいんだろうけど、タバコくさいパチンコ屋に行ったり、馬の研究をしたり、宝くじを買ったり、というプロセスそもそも面倒くさい。

2018-03-26

anond:20180326101428

嘘の効能を謳って物を売りつけるのは詐欺だよ。

2018-03-22

anond:20180322114509

いねぇ~、温泉かぁ。

効能とかも気にしないとかな。

2018-03-13

anond:20180313075549

心と体は連動しています

高速音読有酸素運動が良さそうなんだけどこういうポテンシャル底上げしてくれる方法って他にないのかな?

体の動作を通して心を操作する身体技法なら、「易筋経」とか練習してみたら良いかもしれませんね?

 

易筋経(えききんきょう)は、達磨によってインドからもたらされたと伝えられる健康法ゆっくりとした腹式呼吸による深呼吸と、それに合わせて行う発声簡単運動によって、内臓を鍛え、体調をより良く作り上げる効能があると主張されている。

後に、少林寺僧侶が健身のために武術を修練して質を高め、最終的に武術の鍛錬方法として到達

 

2018-03-06

そもそも漢文教育に反発してるのって意識低い系庶民なんじゃ。

エリート教養主義庶民を巻き込むなというのが根本であって、漢文エリートに対する効能を謳ったところで意味がない。

教養主義エリートの条件としながら、庶民から教養を取り上げるのはエリート庶民の分断!ってのはマッチポンプ的に見える。

2018-02-06

10年来の鬱とADHD傾向が改善した

 今年で28フリーター


 幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。

 また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。


 ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。

 バイトシフトにはちゃん遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。


 現役で地方駅弁大学入学して、卒業が近くなってから資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。

 一応何とか大学卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。


 自分は、根本的に人生ディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分学力ピークになっていたと思う。

 確か当時の全国模試総合偏差値は70を超えていたはずである

 でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。

 何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。

 その頃から学力の減退も生じていて、自分自分コントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校ランクを一つ落として、何とか国立大学合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分人生の最盛期だったのではないかと思う。


 大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数語学習得を目指し大学ゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分コントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。

 俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活大学卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。


 何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐牛乳納豆青魚、葉野菜。こういうものバランスよく摂るようにしていた。でも、自分自分コントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神バイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。


 いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。


 さて。

 結論から言えば、この生活は現時点でかなり改善している。

 いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しか実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己コントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。


 原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である身体におけるありとあらゆる不調や、自身コントロールを掌握できていない感覚殆ど場合、血流の低下に基づいているのであるADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効もののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。


 シンプルながら散歩ADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である普段自転車原付で移動する距離を、例えば自転車原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。


 腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレ実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。


 ドストエフスキー夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHD改善法となると俺は思っている。大抵の場合活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書カテゴリーに加えておく。


  • 絵を描くこと(普段行わない趣味を行うこと)

 基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。

 同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである

 すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画イラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間生活の中に設けるようにしている。ファミレスハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。

 ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHD改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなである。なので俺は最近文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。

 鬱持ち・ADHD持ちにありがちな思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。


 上で書いた通り、卵や牛乳青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。

 つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなである。つまりそれは、そう、料理煩雑さや億劫である

 基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。

 また、週末になれば殆ど外食で済ます

 脳に一定以上の煩雑さや負担押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。


 追記。瞑想効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブ効果が起こっていると思われる。

 読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアル瞑想を行うことがある。これもまたオススメ


 など


 こんなところだろうか。

 思い出し次第追記を行いたいと思う。


 今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である

 上では書かなかったが、俺は重篤インターネット依存症持ちでもある。

 しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである

 是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。

 自身病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生なのだ


 それでは。

2018-02-01

ジェネリックは効き目に違いがあるは嘘

例の増田で効き目に違いがあるってブクマスター集めててワロタ

効き目に差はない

差があるとすれば効き方

ようは飲んですぐ効くか

じっくり効いてくるかとかそういう違い

薬理的な効果効能には差がない

どうして普段科学的な態度を求める側のはてな

生活保護話題になると理性を失って、非科学的な私見に共感を示すのか分からない

2018-01-31

生保の人はやっぱり原則ジェネリックでいいと思う

こんにちは。現役で薬剤師です。

先週末に以下のような記事が出てたよね。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180127-00000066-jij-pol

で、まあ案の定ブコメでは

生保受給者二級市民!?」とか、「生保さらにひどい目にあって日本マジでクソだな」

みたいなコメントで溢れかえってたんだけど、

現場薬剤師からしたら本当にこの方針はとても良いってみんな思ってると思う。

なぜかというと、体感だけど生保の人の8割が先発品を希望するから

普通保険の人で5割くらいなので、そっからすると

生保の人らは本当に先発品にしてください!って人が多いんだよ。

ちなみに先発品が良い理由を聞いても、ちゃんと答える患者さんはいないよ。

なんとなくで、みんな先発品にして欲しいって言ってる。

まあこうなっちゃう原因はわかりやすくて、生保の人の薬代って無料なんだよ。

同じただなら「効きが悪いと言われてるジェネリックより、効きの良い先発品」ってなるのは当たり前だよね。

個人的には生保の人がジェネリックを先発品に変更したいなら、

そこは他の保険料払ってる人と同じに3割負担してもらったほうが良いと思う。

リアル生保の人たちと会う機会が多いとわかるけど、

「善良な良い人」より「権利主張が強くて、ずるくて、付き合いたく無いようなタイプの人」が多いんだよ。

社会保障はそういう人も含めて枠組みでカバーしなきゃっていう理念はわかるけど、

付き合わされる側は正直キツいものがある。

そういう意味でも生保の人との調整が減る

原則ジェネリック」は本当現場としてありがたいんだわ。


<追記>

ははは。レイシストって書かれたわ。

別に生保をもらうこと自体に何の偏見も無いし、良い人もいることもよくわかってる。

でも、本当辛いし面倒な事が多いんだよ。わかってくれとは言わ無いけど。

あと、比率あくま個人的現場感覚なのでデータとかでは、

そうなのかもねえとしか言え無いんよね。

いくつか語弊あるコメントももらったから、ちょっとだけフォローしておくよ。

ジェネリック正規品って差があるの?

これは薬効に差があるものもある。完全に同じものでは無いからね。

しろ後発薬のほうが良いものもあるんだよ。

ただ「ほぼ変わら無い」ってのもたくさんある。

そういうのは、後発薬で良いと思ってるよ。

処方箋で先発品指定が入ってるもの薬局ジェネリックに変えるのは法律違反ね。


ジェネリック正規品は医者指定すればいいやん。

実際に、昔はそうだったんだよ。

薬品名の指定きたらそれ出さなきゃならんかった。

今は国がジェネリック推し進めたいから、

先発品に必須マークが付いて無い薬については

同じ効能後発薬で「薬価が安ければ」薬局が変えていい仕組みになってる。

薬価が安ければってのがポイントな!)

ジェネリック出すと薬局が儲けるんやろ?

まあ、確かにジェネリックにすると正規品より点数高いのは事実

ただその前にありとあらゆる点数が削られて、

ジェネリック出さ無いと薬局が潰れるレベルまで絞られてるってのは言いたい。

数年前と比べてどんどん人も減ってて現場疲弊してます

役人医療費削減すればするほど出世するんだろうね。きっと。

無料モラルハザードはなんとかしてほしい。

いや、本当一番言いたい事はこれなのよ。

生保もそうだけど、

老人はタダだから湿布を山のようにもらってって近所に配る爺さんとか、

子供保険つかってヒルドイドの軟膏(それも先発品な!)を

ハンドクリーム代わりにどっさりもっていく母親とか、

そういう人らのせいで、ちゃんとした人に届けなきゃならないものまでどんどん禁止になっていくのよ。

やっぱ、タダってのはよく無いよ。

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-06

香害とアロマ…そしてネコちゃん

今朝、こんな記事を目にした。

 

香り」が苦手ならアロマで取り入れて “引き算”で考える香り哲学

https://wotopi.jp/archives/66495

 

記事を読んで、いろいろと残念だった。

まず、香害についての知識が乏しかった。

現在ちまたで起きている香害は「柔軟剤等に含まれ有害物質による健康被害」。

単純に香りの濃さで起きているわけじゃない。

そして、被害者アレルギー喘息化学物質過敏症ならアロマでも起こりうるわけで。

最近の流れは「香害がだめなら自然派のアロマで!」なんだけど、

ロマ安全というわけじゃないから。

立派なアレルギーの素にもなりうるから。(アロマによるアレルギー発症データ複数ありました)

そもそも、アロマ効果ってどのくらい信憑性があるんだろう?

きちんとした医学データがあるの?(ほとんどデータが見つかりませんでした…私の探し方が悪いのかな?)

風邪に効く」「殺菌作用がある」とか、効能が書いてあるけど、

風邪に効くなら医薬品になるんじゃないの?

殺菌作用があるなら、そういうデータがあるんじゃないの?

たいてい書かれているのは「~と言われています」の伝聞の形。

こんなあやふやな物をホイホイと家に取り込んでいいのかと思う。

私も昔はアロマをかじってみたけど、学べば学ぶほど、いろいろ疑問が湧いてきて

結局離れてしまった。

「良い匂いを嗅いで気分が良くなる」程度の話なら、殺菌作用とか言わなきゃいいのにと思う。

あと、やるなら自室でだけやって欲しい。

病院医療施設で香らせるなんてことは決してしないで欲しい。

万人にとって良い香りというのはないし、体調悪い人にとっては

悪化する可能性が高いのだから

吐き気があるのに目のまでアロマスプレーなんか散布されたら地獄だよね。

 

そして、あまり着目されていないけど、

ペットを飼っている人はアロマはやめて下さい。

特にネコちゃん飼っている人は大切なネコちゃんの命削るようなもんです。

ネコ アロマ」で検索するとわかると思うけど、

下手すると死んじゃうから…。

同じ意味柔軟剤ネコちゃんにとっては大問題からね!

2018-01-05

anond:20180105124304

そこややこしいか飛ばしたんだ。雰囲気で読んでくれ。すまんな。

ちゃんと書くと長いんだが

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

古典Aや古典B(もしくは「国語」)は、○○という効能があるから学ぶべし」と言わなければいけなくて、

さらにそれは勝手に言ってるわけじゃなくて、ちゃんと方針に書いてある、と説得しなければいけない。

古文漢文は、○○という効能がある」と、方針としてどこにも書いていないの言ってはイカン

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

とかだな。真ん中なげーんで抜いたんだ。名残ね。すまんな。

から、は普通はBecauseって意味で使うだろうし、誤用だな。誤字誤字。

  1. 大学受験学力試験で求められるのは、基本的には高校で学んだこと
  2. 高校で学ぶことは、学習指導要領に定められている
  3. 学習指導要領に書かれていないオレオレ定義を話しても、高校生全般適用できない
  4. 学習指導要領漢文についての効能は書かれていない
  5. 学習指導要領に書かれている効能目標)は、科目についてになる
  6. 漢文が含まれる科目は、(主に)国語古典Aや古典B
  7. よって漢文についての意義・学習効能学習した結果の目標)は、古典Aや古典Bの学習効能説明する必要がある

から漢文には○○という効能があるという説明ダメ古典Aや古典Bの目標は○○だから、意義がある、と説明する必要がある。

ってことだな。

後半でダラダラ書いてる内容をまとめて前半に書いたら判り難くなったんでその辺カットしたんだ。

編集の名残だと思ってくれ。すまんな。

https://anond.hatelabo.jp/20180105123031

なんか良さそうなこと言ってるんだけど、

そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。

・・・

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

ってどういうこと?「古典Aと古典Bだよな。」と「だから」以下のつながりがよく分かんない。

まあ、古文漢文は要らないよね。ブコメスプラトゥーン差し替えると良く分かる。

古文漢文って、基本的には要らないよね。

昔オレがやらされたんだから、オマエもやれよ。

努力が足りないっていう精神論の土台になってる意味現代では「積極的廃止すべき」だとも思う。

ただ、オレの「要らない」ってのは、元増田の主張とは立ち位置が違う。

元増田の「人生を左右する受験必須とするな」という主張には反論できるんだよね。聞いて欲しい。

そもそも立脚点スプラトゥーンとの違い)

高等学校学習指導要領スタートにするのは同意してもらえると思う。

そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

だってスプラトゥーン短期間でPDCAサイクルを学べ、さらに非言語コミュニケーションを通じて素早くチームでの立ち位置を明確にして、彼我の戦力差からどのように地形を利用するまでを、なんとゲームとして楽しく学ぶことが出来て現代社会を生き抜く必須技法が学べる、とも言えるわけであって。

オレが思うに、元増田は、「スプラトゥーン受験科目に入っている世界で、それの意義に反発している」と同じなんだよね。

スプラトゥーンに意義があるのは判る。効能も確かにあるだろう、だがそれは受験科目に必須とすべきなのか?と言う。

なぜ漢文効能を謳うだけではダメなのか

とは言え、ゼロベースで積み上げ式で受験科目を考え直そう!という提言でも無かったわけだし、判り難いとも思う。

から、何故に「漢文には○○という効能がある」というのがダメなのかを説明する必要がある。

古典Aと古典Bの効能ではないから、なんだよね。

高等学校学習指導要領における、国語の中の古典で謳われている効能で説得する必要がある。

そこを無視すると「歴史イケメン口説くのに必須」とかと同じになっちゃうんだもの

そんなん教師は知ったこっちゃないし、オマエだけだろソレ、みたいなね。

その観点学習指導要領を読むと、もうブコメ効能とか的外れも良いトコだよね。

古典Aは古典に親しむ態度さえ育てば、一部法律古文っぽいのを読めるようになれなくても問題ないし、

古典Bは人生を豊かにする態度さえ育てば、読解能力が全くつかなかろうが関係ないんだよね。

本来問題にすべき古文漢文の話は、この学習指導要領における目標の部分であって

「態度育てるだけじゃダメじゃね」とか「態度こそが重要だ」みたいにならんとイカンわけよ。

そして、「古典に親しむ態度を育てるとか人生を豊かにする態度を、現代日本人生を左右しかねない受験科目に加える意義とは?」みたいな話になって無きゃ全く話しにならんワケですよ。

その上で、元増田意見には反論できてしま

オレは要らないと思ってるからそれは後述する。

ただなあ、元増田の「古文漢文人生を左右しかねない学力試験必須か?」には、オレは反論できる。

高校学習指導要領に定まっているから。

元増田も言っちゃってるじゃん。「"機会を与える場"としての中学高校否定するつもりはない」って。

じゃあさ、そもそも入試って何よって話ね。

大学受験における入学試験学力試験な。アレは何を計測しているの?

基本的には「高校卒業程度の学力があり、さらに追加で一定学力があり、出来の良い方から入れたい」ってことだろ。

要は「高校で学んだはずのことを、より多く吸収できてれば良い」ってことだな。

大学本来学力試験の意義から考えれば、高校でキチンと学んで基礎を身につけてきたかね?

知識人として育てる/育つに値する人物かね?って問われているわけだ。

「機会を与えられたら、余さず吸収できる人間か?」と問う学力試験において、高校で学んだはずの漢文が身について無きゃ、ほかも推して知るべし、と言われても仕方がない。

から高校学習指導要領に定めがあり、高等学校卒業程度認定試験でも問われる学力を、大学学力試験確認するのは、合理性がある。

元増田意見とは異なるが、オレは古文漢文はもう要らないと思う。

さて、高等学校学習指導要領に定まっている科目の全てが大学入試に要るわけじゃない。

保健体育、芸術、家庭とかね。チョロっと書いたけど、高等学校卒業程度認定試験ベースに軽重付けてるのが現状ってところだろう。

正直に言えば、ワリと古文漢文って入試では軽視されてるから、まあ比率としては現代では既にして小さくなってるとも言える。

古典に親しむとか人生を豊かにとか、いわゆる武家公家伝統から来た明治文化人みたいな教養を求めるのは、ちっと早いんじゃないかな、と。

帝国大学国家ノ須要ニ応スル学術技芸教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」の頃から残滓に見える、とも言える。

高い学識と深い教養を持った官僚学者を生み出すために、高等教育を施す場所という意義は、既に失われてはいいか、と。

から高等学校卒業程度認定試験から外すべきだと、オレは思う。

高等学校卒業認定試験学習指導要領に定めのある全科目を試験していない以上、試験している科目は学力として重視していると考えるのが自然だ。

大学入学資格検定の時にはあった家庭科廃止されたのも、趣旨としては同じだろうし)

高校では親しみ、それは高校で学ぶ学力とは別だ、と明確にすべきだろう。

まとめ

元増田の主張は、「古典(古文漢文)を受験科目に加えるな」だった。

それは大学側への要請だ。

増田への反論は、『大学として「高校で学んだ学力試験する」のであれば、国語から古典を除くのは不合理だ』になる。

オレの主張は、「古典学力の一部と看做すのは現代ではそぐわないので、まずは高等学校卒業程度認定試験から外すべき」だ。

学習指導要領古典目標をみても(保健体育や芸術目標意味合いとして近いのに)学力に含めるのは、現代高等教育の意義からするとズレがあると思う。

最終的には、芸術地理歴史の科目として古典を分類し直すのが、筋論としては適切なように思う。

論語を読むのは芸術だろう。漢文(訓読)を使ってきた長い歴史理解するなら地理歴史だろう)

法律文を読み下すため」とか「読解能力を上げるため」とか言うなら、まずは学習指導要領改定するところからだろうと。

そうじゃない実務的な面でだ!現実を見ろ!というのであれば、

入試程度の古典知識でその判定してるってマジで主張するつもりなの?とは思うなあ。

漢文問題法律文を読む適性を試験してますって真顔で言われたらその大学はお取り潰しで良いのではないでしょうか。

もちろん、古典に親しみ、人生を豊かにする態度すら持てないもの高等教育を受ける資格はない、という反論はありうる。

現代日本におけるトップクラスの実務家たる弁護士が、現代語の基礎たる古典程度追加で勉強して試験突破できないのであれば、その学力には疑問符がつくので日本しか通用しない教養であっても歴史的な意義から残すべきである、という主張もありうる。(科挙末期みたいになりそうだけど)

ただなあ、「漢文には○○っていう効能があるよ無知乙」みたいな主張は「スプラトゥーンには○○という効能があるので受験科目にすべき」ってのと同じだと思うよ?

anond:20180104132743

2017-12-22

anond:20171222134623

「地面を叩く」って説明されるから勘違いされてるけど、あれは体が転がるのを防ぐためにやってるだけで、ショックを吸収するとかそういう効能はない。

受け身自体は、首を曲げて頭を地面に打たないようにするだけのこと。

でもネットでは「バイク事故ったとき柔道をやってたお陰でとっさに受け身ができて助かった。柔道をやってなかったら死んでた」みたいな体験談をよく見るな。

言ってるのは未経験者のワナビーだと思う。

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