「効能」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 効能とは

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-07

anond:20180107220234

おっ、「低能」の部分しか読めない低能だwww

・「差別」の意味を間違っている

・「わからない」を「無い」と解釈

 水素水効能が「現時点ではあるのかわからない」のを「無い」とするのと同パターン

フクシマ福島かどうかは言葉を濁して逃亡


こういう箇所は目に入らないのが低能をこじらせた低能の特徴だよなあw

こじらせると怖いね

今日低能まとめ

・「差別」の意味を間違っている

・「わからない」を「無い」と解釈

 水素水効能が「現時点ではあるのかわからない」のを「無い」とするのと同パターン

フクシマ福島かどうかは言葉を濁して逃亡

最初の二つは以前から何度も指摘されていることで、要するに今日低能は成長していませんでしたw

2018-01-06

香害とアロマ…そしてネコちゃん

今朝、こんな記事を目にした。

 

香り」が苦手ならアロマで取り入れて “引き算”で考える香り哲学

https://wotopi.jp/archives/66495

 

記事を読んで、いろいろと残念だった。

まず、香害についての知識が乏しかった。

現在ちまたで起きている香害は「柔軟剤等に含まれ有害物質による健康被害」。

単純に香りの濃さで起きているわけじゃない。

そして、被害者アレルギー喘息化学物質過敏症ならアロマでも起こりうるわけで。

最近の流れは「香害がだめなら自然派のアロマで!」なんだけど、

ロマ安全というわけじゃないから。

立派なアレルギーの素にもなりうるから。(アロマによるアレルギー発症データ複数ありました)

そもそも、アロマ効果ってどのくらい信憑性があるんだろう?

きちんとした医学データがあるの?(ほとんどデータが見つかりませんでした…私の探し方が悪いのかな?)

風邪に効く」「殺菌作用がある」とか、効能が書いてあるけど、

風邪に効くなら医薬品になるんじゃないの?

殺菌作用があるなら、そういうデータがあるんじゃないの?

たいてい書かれているのは「~と言われています」の伝聞の形。

こんなあやふやな物をホイホイと家に取り込んでいいのかと思う。

私も昔はアロマをかじってみたけど、学べば学ぶほど、いろいろ疑問が湧いてきて

結局離れてしまった。

「良い匂いを嗅いで気分が良くなる」程度の話なら、殺菌作用とか言わなきゃいいのにと思う。

あと、やるなら自室でだけやって欲しい。

病院医療施設で香らせるなんてことは決してしないで欲しい。

万人にとって良い香りというのはないし、体調悪い人にとっては

悪化する可能性が高いのだから

吐き気があるのに目のまでアロマスプレーなんか散布されたら地獄だよね。

 

そして、あまり着目されていないけど、

ペットを飼っている人はアロマはやめて下さい。

特にネコちゃん飼っている人は大切なネコちゃんの命削るようなもんです。

ネコ アロマ」で検索するとわかると思うけど、

下手すると死んじゃうから…。

同じ意味柔軟剤ネコちゃんにとっては大問題からね!

2018-01-05

anond:20180105124304

そこややこしいか飛ばしたんだ。雰囲気で読んでくれ。すまんな。

ちゃんと書くと長いんだが

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

古典Aや古典B(もしくは「国語」)は、○○という効能があるから学ぶべし」と言わなければいけなくて、

さらにそれは勝手に言ってるわけじゃなくて、ちゃんと方針に書いてある、と説得しなければいけない。

古文漢文は、○○という効能がある」と、方針としてどこにも書いていないの言ってはイカン

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

とかだな。真ん中なげーんで抜いたんだ。名残ね。すまんな。

から、は普通はBecauseって意味で使うだろうし、誤用だな。誤字誤字。

  1. 大学受験学力試験で求められるのは、基本的には高校で学んだこと
  2. 高校で学ぶことは、学習指導要領に定められている
  3. 学習指導要領に書かれていないオレオレ定義を話しても、高校生全般適用できない
  4. 学習指導要領漢文についての効能は書かれていない
  5. 学習指導要領に書かれている効能目標)は、科目についてになる
  6. 漢文が含まれる科目は、(主に)国語古典Aや古典B
  7. よって漢文についての意義・学習効能学習した結果の目標)は、古典Aや古典Bの学習効能説明する必要がある

から漢文には○○という効能があるという説明ダメ古典Aや古典Bの目標は○○だから、意義がある、と説明する必要がある。

ってことだな。

後半でダラダラ書いてる内容をまとめて前半に書いたら判り難くなったんでその辺カットしたんだ。

編集の名残だと思ってくれ。すまんな。

https://anond.hatelabo.jp/20180105123031

なんか良さそうなこと言ってるんだけど、

そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。

・・・

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

ってどういうこと?「古典Aと古典Bだよな。」と「だから」以下のつながりがよく分かんない。

まあ、古文漢文は要らないよね。ブコメスプラトゥーン差し替えると良く分かる。

古文漢文って、基本的には要らないよね。

昔オレがやらされたんだから、オマエもやれよ。

努力が足りないっていう精神論の土台になってる意味現代では「積極的廃止すべき」だとも思う。

ただ、オレの「要らない」ってのは、元増田の主張とは立ち位置が違う。

元増田の「人生を左右する受験必須とするな」という主張には反論できるんだよね。聞いて欲しい。

そもそも立脚点スプラトゥーンとの違い)

高等学校学習指導要領スタートにするのは同意してもらえると思う。

そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

だってスプラトゥーン短期間でPDCAサイクルを学べ、さらに非言語コミュニケーションを通じて素早くチームでの立ち位置を明確にして、彼我の戦力差からどのように地形を利用するまでを、なんとゲームとして楽しく学ぶことが出来て現代社会を生き抜く必須技法が学べる、とも言えるわけであって。

オレが思うに、元増田は、「スプラトゥーン受験科目に入っている世界で、それの意義に反発している」と同じなんだよね。

スプラトゥーンに意義があるのは判る。効能も確かにあるだろう、だがそれは受験科目に必須とすべきなのか?と言う。

なぜ漢文効能を謳うだけではダメなのか

とは言え、ゼロベースで積み上げ式で受験科目を考え直そう!という提言でも無かったわけだし、判り難いとも思う。

から、何故に「漢文には○○という効能がある」というのがダメなのかを説明する必要がある。

古典Aと古典Bの効能ではないから、なんだよね。

高等学校学習指導要領における、国語の中の古典で謳われている効能で説得する必要がある。

そこを無視すると「歴史イケメン口説くのに必須」とかと同じになっちゃうんだもの

そんなん教師は知ったこっちゃないし、オマエだけだろソレ、みたいなね。

その観点学習指導要領を読むと、もうブコメ効能とか的外れも良いトコだよね。

古典Aは古典に親しむ態度さえ育てば、一部法律古文っぽいのを読めるようになれなくても問題ないし、

古典Bは人生を豊かにする態度さえ育てば、読解能力が全くつかなかろうが関係ないんだよね。

本来問題にすべき古文漢文の話は、この学習指導要領における目標の部分であって

「態度育てるだけじゃダメじゃね」とか「態度こそが重要だ」みたいにならんとイカンわけよ。

そして、「古典に親しむ態度を育てるとか人生を豊かにする態度を、現代日本人生を左右しかねない受験科目に加える意義とは?」みたいな話になって無きゃ全く話しにならんワケですよ。

その上で、元増田意見には反論できてしま

オレは要らないと思ってるからそれは後述する。

ただなあ、元増田の「古文漢文人生を左右しかねない学力試験必須か?」には、オレは反論できる。

高校学習指導要領に定まっているから。

元増田も言っちゃってるじゃん。「"機会を与える場"としての中学高校否定するつもりはない」って。

じゃあさ、そもそも入試って何よって話ね。

大学受験における入学試験学力試験な。アレは何を計測しているの?

基本的には「高校卒業程度の学力があり、さらに追加で一定学力があり、出来の良い方から入れたい」ってことだろ。

要は「高校で学んだはずのことを、より多く吸収できてれば良い」ってことだな。

大学本来学力試験の意義から考えれば、高校でキチンと学んで基礎を身につけてきたかね?

知識人として育てる/育つに値する人物かね?って問われているわけだ。

「機会を与えられたら、余さず吸収できる人間か?」と問う学力試験において、高校で学んだはずの漢文が身について無きゃ、ほかも推して知るべし、と言われても仕方がない。

から高校学習指導要領に定めがあり、高等学校卒業程度認定試験でも問われる学力を、大学学力試験確認するのは、合理性がある。

元増田意見とは異なるが、オレは古文漢文はもう要らないと思う。

さて、高等学校学習指導要領に定まっている科目の全てが大学入試に要るわけじゃない。

保健体育、芸術、家庭とかね。チョロっと書いたけど、高等学校卒業程度認定試験ベースに軽重付けてるのが現状ってところだろう。

正直に言えば、ワリと古文漢文って入試では軽視されてるから、まあ比率としては現代では既にして小さくなってるとも言える。

古典に親しむとか人生を豊かにとか、いわゆる武家公家伝統から来た明治文化人みたいな教養を求めるのは、ちっと早いんじゃないかな、と。

帝国大学国家ノ須要ニ応スル学術技芸教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」の頃から残滓に見える、とも言える。

高い学識と深い教養を持った官僚学者を生み出すために、高等教育を施す場所という意義は、既に失われてはいいか、と。

から高等学校卒業程度認定試験から外すべきだと、オレは思う。

高等学校卒業認定試験学習指導要領に定めのある全科目を試験していない以上、試験している科目は学力として重視していると考えるのが自然だ。

大学入学資格検定の時にはあった家庭科廃止されたのも、趣旨としては同じだろうし)

高校では親しみ、それは高校で学ぶ学力とは別だ、と明確にすべきだろう。

まとめ

元増田の主張は、「古典(古文漢文)を受験科目に加えるな」だった。

それは大学側への要請だ。

増田への反論は、『大学として「高校で学んだ学力試験する」のであれば、国語から古典を除くのは不合理だ』になる。

オレの主張は、「古典学力の一部と看做すのは現代ではそぐわないので、まずは高等学校卒業程度認定試験から外すべき」だ。

学習指導要領古典目標をみても(保健体育や芸術目標意味合いとして近いのに)学力に含めるのは、現代高等教育の意義からするとズレがあると思う。

最終的には、芸術地理歴史の科目として古典を分類し直すのが、筋論としては適切なように思う。

論語を読むのは芸術だろう。漢文(訓読)を使ってきた長い歴史理解するなら地理歴史だろう)

法律文を読み下すため」とか「読解能力を上げるため」とか言うなら、まずは学習指導要領改定するところからだろうと。

そうじゃない実務的な面でだ!現実を見ろ!というのであれば、

入試程度の古典知識でその判定してるってマジで主張するつもりなの?とは思うなあ。

漢文問題法律文を読む適性を試験してますって真顔で言われたらその大学はお取り潰しで良いのではないでしょうか。

もちろん、古典に親しみ、人生を豊かにする態度すら持てないもの高等教育を受ける資格はない、という反論はありうる。

現代日本におけるトップクラスの実務家たる弁護士が、現代語の基礎たる古典程度追加で勉強して試験突破できないのであれば、その学力には疑問符がつくので日本しか通用しない教養であっても歴史的な意義から残すべきである、という主張もありうる。(科挙末期みたいになりそうだけど)

ただなあ、「漢文には○○っていう効能があるよ無知乙」みたいな主張は「スプラトゥーンには○○という効能があるので受験科目にすべき」ってのと同じだと思うよ?

anond:20180104132743

2017-12-22

anond:20171222134623

「地面を叩く」って説明されるから勘違いされてるけど、あれは体が転がるのを防ぐためにやってるだけで、ショックを吸収するとかそういう効能はない。

受け身自体は、首を曲げて頭を地面に打たないようにするだけのこと。

でもネットでは「バイク事故ったとき柔道をやってたお陰でとっさに受け身ができて助かった。柔道をやってなかったら死んでた」みたいな体験談をよく見るな。

言ってるのは未経験者のワナビーだと思う。

2017-12-06

びわの種は有毒

【みんなが作ってる】 びわの種のレシピクックパッド簡単おいしいみんなのレシピ ...

https://cookpad.com › search › びわの種

びわの種の簡単おいしいレシピ(作り方)が74品! 「びわの種で杏仁豆腐」「ビワの種で杏仁豆腐」「 ビワの種で粉。杏仁豆腐に♪」「びわの種と片栗粉杏仁豆腐」など.

【びわの種】効能効果は!アミグダリンは癌に効果的? - びわの葉健康法

びわの葉.xyz › ...

2015/06/20 · 古くから日本人に食されてきた【びわ】。その一方で、食べる時に大きめの種が邪魔であると感じた人も少なくないはず。しかしびわの中でも特に栄養素が豊富に含まれている ...

2017-11-30

anond:20171130072211

トイレ音姫に対する考察

音姫必要なのは排泄物の着水音を消すため。

昔は、和式水洗トイレが多かったか音姫が是非とも必要だった。

今では、洋式水洗トイレが普及してきたか音姫必要性は薄れている。

こんなこと書くと、TOTOに怒られそうだから反論を認める。

 

ちなみに、音姫は今からほぼ30年前の1988年に発売され、TOTO登録商標である

 

ただし、排泄をするときに同時に大きく放屁する癖がある人には

音姫効能を認めざるを得ないことを付言しておく。

2017-11-24

コショウって健康にいいの?あんまなんも言われないよね

ここまで家庭に浸透して、香辛料としてのポジションを崩さないのはコショウぐらいじゃないのか。

砂糖・塩は1日に何グラムまで〜みたいなのあるけど、コショウは聞かないし逆にこれこれこういうのにいいですよ、という効能も聞かない。

ほとんど注目されてないようにみえる。

コショウ毎日大量摂取して、健康を害することはあるのだろうか。むしろめちゃくちゃ健康になるとか?

コショウ摂取のしすぎで成人病とかそういうのはなさそうだしすごく気になってる。

昔は金と同じ価値だったというところにヒントがあるのかも。

そういえば忍たまのきり丸はコショウ価値がわからず池に捨ててたな。

私の息子が産まれときの話~嫁side

※元の日記では「胎児」「赤ちゃん」はすべて名前です

09:30

今朝起きたらまた鮮血のおしるしが出ていた。

前駆陣痛も続いていたから、「がんばっていたんだね。残りはお母さんやみんなでサポートするからね」という気持ちで家を出発。

快晴でとてもいい日。

10:00

到着後の内診でかなり子宮口を強くかき回して刺激され、その刺激で破水

周りのスタッフさんが若干わたわたする中当人は「ああ、これが破水なんだ……」と思っていた。

そこから、部屋に移動して促進剤投与を始めた。

促進剤は、それによって産まれる、という効能ではなく、子宮を柔らかくして子宮口を緩めてそこから陣痛を呼び込むためのものだそうで、20からstart、120まで上げても進まない人もいるよー、と。

とにかく無事に産まれられれば、と、「何でもいいからお産に繋がりますように」という気持ちでどんどん追加されていく促進剤の値を見ながら過ごしていた。

11:00

胎児心拍が落ちることが何度かあり、酸素マスクをつけて深呼吸をする時はさすがに緊張した。

でもまた数値が戻ったのを見て安心して「私がリラックスしなきゃ子宮も柔らかくならない」と過ごしていた。

15:00

100あたりまでは前駆陣痛の痛みとあまり変わらなかったけど、そこからは前駆陣痛は越えた痛みが始まった。

でも120まで投与しても本陣痛は来ず。

17:00

看護師さんに「今日は一旦終わりにして様子を見て明日またやって、経過によっては帝王切開で産んであげることになるかもね」と言われて投与は一旦stopした。

投与してもあまり変わらず、「私が堅いことで子宮口が開かないんだ」「私がリラックスできないか入院の日が増えてお金をかけさせてしまうんだ」と「私のせいだ」の思考が一時止まらなくなって涙が出た。

胎児心拍が落ちること、胎便が羊水にかなり混じっていること、心拍が急に上がること、陣痛がこないこと、いろんな焦りや不安に対して「母の私が◯◯しないからだ」という思考が出てしまったけど、そんな中でも夫が一緒にいて笑ってくれていることに本当に救われて、いろんな不安もあったけれど1日過ごすことができた。

20:00

母が夫を迎えにきて帰宅。体勢変えたりしながら、落ち着いてから21時過ぎに寝る体勢に。

21:08

寝につこうといい姿勢を探して動いていた時に胎児心拍低下。

何人も看護師さんが入ってきて再度酸素マスクをつけ、内診をしてもらい、「もう赤ちゃん負担が大きい」ということで、クリニックの先生にも診てもらった上で、緊急帝王切開をして胎児を出してあげることに。

21:32

酸素マスクをつけて深呼吸をして「帝王切開になります、急いでパパを呼んで」と言われ、さすがに焦りすぐさま夫に電話をして来てもらい。

色々なリスク説明も受けたが、もう皆どうでもよくて、ただただ「無事に産まれられればそれ以外は私の子宮やら体やら命やらどうなってもいいから」という気持ちで、早く外に出してあげてほしくて、急ぎ足でope室に入って横になった。

22:00

何かの数値に対して先生スタッフの方々が緊張した面持ちで観察して指示を出したり動いたりしていたが、あれはなんだったんだろう。

から考えると胎児心拍だろうか。

バタバタが続いてすぐには開始しないことに不安を感じつつ、その間に落ち着いて来て「もうすぐ会えるんだ」「やっと会える、がんばろうね、大丈夫だよ」と幸せ気持ちが高まり、ope開始後も私はずっと笑顔で耳を澄ませ。

麻酔が効いてくると血圧の変化によるのか、頭もぼーっとしてきた。目を瞑ることに吸い込まれるような。

コッヘル、クーパー、などの機械出しの指示でなんとなく何を切開しているのか把握しつつ、足から胸にかけての感覚はもうないのに何か自分の中を弄られているような感触に奇怪な感じを抱きつつ。

22:57

胎児を取り出す時になると胴体を中から大きく揺さぶられ(感覚はないけど子宮を直接揺らされているのはすごくわかった)、少し泣き声が聞こえたのと同時に「おめでとうございます〜!男の子ですよ!」と。

その瞬間ザーッと涙が出そうになったものの、最初の一瞬の後に全く泣き声が続かないので瞬時に不安感に襲われ、産まれた喜びを味わいつつもそれだけの気持ちは束の間、取り上げられてもしばらく泣かない赤ちゃん心配で気が気でなくなった。

自分からは布で隠れて見えないけど、向こう側で明らかにスタッフさんたちが焦って赤ちゃん背中を叩いて刺激していたり懸命に気管内の吸引をしていたりしている。

先生も、取り上げた後はすぐに私の縫合に取り掛かりつつも、赤ちゃんを見て緊迫した声色と口調で指示を続ける。

「サチュレーション反応しません」「小さい方に切り替えて」「小さい方反応ありました」「こっちはどう!?」「◯◯じゃないよ、そっちを◯◯して」「◯◯さんこっちきて!」と何人ものスタッフさんが赤ちゃんの方から私の頭上まで動き回る。その間も赤ちゃんは泣き声ほとんどなく、たまに「ふぇっ」と聞こえるか聞こえないかくらい。

赤ちゃんが泣かない。泣かない=呼吸ができない。呼吸ができない=酸素いかない。酸素いかない=死んでしまう。

一瞬でそんな考えが脳内を駆け巡り、「私はお腹開いた母でも放っておいていいからみんな赤ちゃんを早く助けて下さい!」と叫びたい気持ちを抑えながらこわくて仕方がなくて、「赤ちゃん大丈夫ですか」と何度か聞いた以外ただただその場を見守っていた。

そのうちになんだか意識が遠のいていくような感覚から強い吐き気が出て何度か嘔吐し、そこからは遠目に赤ちゃんの様子を見つつぼーっと手術の終わりを待つしかなかった。

私の腹部縫合中、赤ちゃんの泣き声が聞こえない時間。きっと数十分あったかなかったかくらいだったろうけれど、この時間がこの1日の中で一番長く感じられた。私には何時間も縫合されているように感じられた。

23:10

私の腹部縫合が全て終わり、ope室を出る時にスタッフさんがぱっと赤ちゃんのお顔を私の方に向けて見せてくれた。

むちむちでまあるくて髪がフサフサでかわいい。濃い顔じゃなくて私似?なんて思いながらope室を離れる。

23:20

外では夫と母が待っていたけど、熱発もあったからかとにかく頭がぼーっとして「目を閉じたい、でも赤ちゃんが気がかりだ、でも目を開けていられない」というぼやけた意識で過ごしていた。

時系列はきちんと記憶できてないが、部屋に戻ってから夫と母が荷物を運びつつ座っていてくれて、赤ちゃんの顔の話などをした気がする。

自分で何を話したかよくて思い出せないけど、夫が深く呼吸して緊張していたことはすごく覚えている。

今思うと、私は赤ちゃんのことも考えつつ意識がぼやけていたので、その場を冷静に見れていた夫は本当に不安だっただろう。

24:10

術後は姿勢不快さが強く、度々左右に体位交換をしてもらった。

赤ちゃん救急搬送することに決まったと先生から話を受け、夫たちは救急車より早く出て向かってあちらで対応すると。

お腹を切った身と言えど、この状況で動けず何もできずに横になっているのが悔しかった。

無駄だとは分かりながらも、麻酔で動かない・司令の伝わらない脚先を動かそうと何度もやってみたけど全く足は動かなかった。私の分まで夫に託して手を握ってお願いした。

夫と母を見送ったら一気に意識が遠のいて来て、そのあとまた夫が来たような来なかったような……

そんな中、救急車赤ちゃんを乗せる直前に助産師さん(看護師さん?)が赤ちゃんを抱っこして私に会わせに来てくれた。

移動前に目の前で会えるなんて思ってもいなかったか歓喜して一瞬で意識が戻り、赤ちゃんをぎゅっとしてちゅーして「がんばろうね!」とほっぺを撫でて送り出した。

涙が止まらなかった。

24:30

救急車が中々出発しないこと、その後の救急車サイレン音。

サイレンの音の位置赤ちゃんと私の距離を表しているから、サイレンが遠のいていくと赤ちゃんとの距離を感じて、ただただ「がんばれ!お父さんもお母さんもいるからね」と祈ることしかできなかった。

25:00

その後また意識がぼーっとして、何度か看護師さんが巡回に来てくれたのもあまり覚えていない……

2時台にiPhoneが遠くに移されたのでLINE確認できずそわそわ。

体位交換をお願いしたりしながらいつの間にか寝ていた。2時間ほど寝ただろうか。

28:20

起きてからからLINE気づき赤ちゃんが無事なことを確認して本当にほっとした。

こんなに遅くまで夫と母が対応してくれているとは。本当におつかれさま、ありがとう、それしか出て来なかった。

から送られて来た赤ちゃん写真がかわいすぎて、うるうるしながらしばらくずっと見ていた。

かわいすぎていくら見ても見飽きない。早速待ち受け画面に設定した。

夫がもう帰路にあると分かって安心して私もまた休憩。

でも頭が冴えてしまってもう眠れず……

29:00

巡回夜勤看護師さん&助産師さん達が検温や創部の観察をしに来つつ何度も話しかけてくれて、明るく笑わせてくれて元気付けてくれた。

看護師さんたちと笑えたのがこの時本当にありがたかった。

もう麻酔は切れていたので、「どんどん回復して赤ちゃん会いに行こう!」と勝手にベッド上でリハビリ開始。足の指先から体幹から、痛み・貧血血圧を観察しながら進めた。

外が明るくなって落ち着いて来ると、赤ちゃんが無事に産まれてきたことの安堵感、今生きているのかどうかという不安感が一気に現実味を帯びて心に流れて来て、赤ちゃん写真を見ながら唇を噛み締めて泣いていた。

それに気づいた看護師さんが私のそばに寄り添ってくれ、スタッフのみなさんが赤ちゃんをその後も気にかけてくれていたこと、その方もお子さんが苦しい状態で産まれて来たこと、昨夜赤ちゃんの直後にもう一人赤ちゃん病院で産まれて、そのあと陣痛の人が来て不思議とお産が重なったことなどを明るく優しく温かく話してくれた。

「泣きたい時は泣いていいんだから心配だよね、泣いていいんだよ。」と言ってくれて一気に号泣して、話をして落ち着いた。

日勤に交代する時間帯、夜勤助産師さんが何人か来てくれて赤ちゃん写真を見て「母そっくりよね!」「かわいい〜❤️」「がんばるしかいね赤ちゃんくん!」と声をかけてくれた。それと一緒に絶対安心する温かい言葉もかけてくれる。その度にうるんでしまった。

私は術後あまり痛みを感じず動くのが得意なようで、夜中に自分でクッションを動かして体位交換したり足を動かす練習を始めたりしているのを褒められた。

どんどん動いて行くぞ。

赤ちゃんもがんばっているんだ。私も明るくがんばるしかない。


https://anond.hatelabo.jp/20171121162134増田です。

嫁も出産当日(大半は思い起こしながら翌日)に日記を残していたとのことで。

本人の希望もあってここに記そうと思います

ちなみに嫁は上の2日後にリハビリ急ピッチで終え、大型病院への通院/息子との対面を果たしました。

NICUでの初対面の光景は今でも忘れません。

2017-11-22

anond:20171122141826

まり、女である時点でそれはエロ喚起する効能があるわけですな。

イスラムのように女は家の部屋に閉じ込めて一歩も出させないようにするのは、ある意味ただしい扱いなのかもしれない。

2017-11-17

*[サバゲー]【S&T三八式歩兵銃記念】旧日本陸軍下士官兵軍装に関する備忘録サバゲーでの運用考察

長らく日本人サバゲーマーでは羨望のアイテムだった?三八式歩兵銃のエアガン海外メーカーの雄、S&Tから比較的手ごろな価格

発売され大いに盛り上がっていますが、その一方で旧日本軍についてあまり詳しくない人からは「『輜重部隊兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち』 などと言って補給を軽視していた」だとか

日本刀を振るっている精神主義固執した軍隊だった」「巻脚絆がダサい」等々誤解が未だに蔓延っているのも事実なのでそうした誤解を解消する一助になれば……と思いこうして

筆を起こしてみました。

※調べていない点もあるので下士官兵に限定した内容です。将校准士官は除外されるものと思ってください。

※古い時期では下士官兵を「下士卒」と呼称しますが「下士官兵」に統一します。

徒歩本分者と乗馬本分者

当時の旧日本軍(恐らく同時期の各国軍も)歩兵代表される徒歩移動が主の「徒歩本分者」と騎兵等の「乗馬本分者」に分かれており

下士官兵はそれぞれ適した被服が与えられました。

すなわち

・徒歩本分者→「銃剣」「長袴」(九八式では短袴に統一)「巻脚絆」「編上靴

乗馬本分者→「軍刀」「短袴」「長靴」または「官給型革脚絆と編上靴

となります

また、騎兵であれば二等兵でも三十二年式軍刀(甲)を、それ以外の兵科では刀身の短い三十二年式軍刀(乙)後年では九五式軍刀を装備します。

……あれ?同じ日本軍の同じ兵隊でも乗馬本分者の方が軍刀を帯びてブーツを履くのでとても「カッコいい」スタイルですね(偏見

※いや巻脚絆の効能は知っていますが……

本部下士官では例外なく乗馬本分者扱いのようで将校准士官と同じ革脚絆を巻き、軍刀を帯びるようです。

平時は上記のような塩梅でしたが戦争の推移で末期戦の悲哀からか、小銃不足で軍刀配備率が上がって末期では伍長でも軍刀を携えていたみたいです。

また、大雑把に区分すると

歩兵……徒歩本分者

騎兵……乗馬本分者

砲兵……徒歩本分者、乗馬本分者(※徒歩移動と乗馬移動双方がある為、但し一定の者(本部下士官?)以外は乗馬本分者でも軍刀に変えて銃剣を携行する模様)

工兵……徒歩本分者

輜重兵……乗馬本分者

憲兵……乗馬本分者(※徒歩移動がある場合は徒歩本分者と同じく巻脚絆と編上靴を用いる模様)

……という風になります

……あれ、輜重兵の方がかっこよくない?(偏見

昭和期になると機械化、自動車化による改変で装備が変わった可能性(馬に乗らなくなくなる)があるのであくまで目安。

※徒歩本分者/乗馬本分者以外にも帯剣本分者とか執銃本分者とか帯刀本分者とか色々用語があるらしいけど、流石にネットだけじゃ調べ上げるのは無理だった……

輜重兵と輜重輸卒

冒頭に上げた『輜重部隊兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち』は正しく言うと「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」で

実は輜重兵と輜重輸卒は別物だったのです!

具体的に言うと

輜重輸卒→専ら荷役や輸送作業等に従事(当時は人力が主)銃は持たず銃剣のみ装備。

輜重兵→輜重輸卒を統率し管理する。(なので二等兵でも乗馬しながら輸卒に指示を出したりする必要があった)騎銃と軍刀を装備。

……なので「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」は正しく解釈すると「銃も持ってない奴が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」ということになります

そして輜重兵は歩兵と違って騎兵とほぼ同一のカッコいいスタイルなんだ!?偏見

こうして俯瞰すると旧日本軍における軍刀ポジションが見えて来ましたね。

まり乗馬戦闘で用いる役割と指揮棒的な役割と見栄えを整える役割が有ったんだけど、

丁度過渡期な戦争日中戦争太平洋戦争で「前時代的な刀を振り回す日本軍」と後世に脚色されて伝わったんでしょうかね~?

※ただ、かつての武士を重ねていたという要素はあるかと思います

本題の三八式歩兵銃を用いる装備

さて、(サバゲー的な見地による)三八式歩兵銃を用いる兵科となると以外に少なく

歩兵工兵(一部)しか該当しないようです。

騎兵は四四式騎銃、その他の兵科は三八式騎銃を主に用います

(※九九式小銃、短小銃登場後は九九式短小銃事実上統一されました)

また弾薬盒はレプリカでお馴染みの前盒二つと後盒一つのもの使用しますが、

工兵場合前盒一つだけの模様。また任務の状況などで弾薬盒を減らしたりして臨機に対応するようです。

※一時期後盒が廃止され前盒だけの時期もあった模様。

騎銃は弾薬盒は専用のもの一つを使用します。

余談ですが騎銃用の弾薬盒は乗馬本分者用と徒歩本分者用で別れていて乗馬本分者用は専用の負い革ベルトが付属するようです。

サバゲー日本軍恰好をするには?

三八式歩兵銃を基幹にするとして

ヘッドギア→軍帽(四五式軍帽)または略帽と鉄帽

軍服上下→四五式、昭五式、九八式……と様々あるので徽章類の組み合わせに注意しつつ好みをチョイス

※個々の解説については膨大なので省略

※とりあえず歩兵無難そう

・腰回り→革帯、弾薬盒、剣差、銃剣サバゲー主体ならば危ないので銃剣は無くてもよい)

・靴→編上靴茶色で踝に膨らみが無いスエード調の物、なるべく鳩目が五つのものを探す)巻脚絆(カーキ、国防色

・その他→雑嚢(なるべく軍服年代を合わせる事)、水筒(昭五式とか九四式と言われるタイプ明治三十年採用の徳利水筒

……ここまで揃えれば『うるさ型』な軍装マニアもニッコリ???(逆に今度は「背嚢も買おうよ~」とか勧誘が激しくなりそう)

サバゲーで勝つにはどうしよう……?

どう足掻いても電動ガンには勝てないので頭を使うこと。

いくらなんでもバンザイ突撃ごっこばかりじゃツマラナイ

一、味方チームと連携を保ちつつ前進すること。

二、軽機班(フルオートができれば89式でもM4でもなんでもいい)を編成して共闘できれば当時の雰囲気が出て盛り上がりそう。

三、侵攻予想地点に待ち伏せして影から狙撃する戦法に徹する。

2017-11-08

カバーソング効能

先程昼食を食べたお店でJ-POPBGMが流れていた。私はあまり音楽に興味がないのだが、何曲か目で「この歌知ってるけど歌ってるのは本人じゃねーな?…本人じゃねー!本人のが圧倒的に聞きてー!!!」と思って。でも曲は知ってるけどタイトル歌手も分からいか歌詞検索すると速攻で判明してほんと便利な世の中ですわ。

“新しい朝 これからの僕”で検索したら山崎まさよしの「One more time,One more chance」だった。

山崎まさよし、超歌上手いと思い知った。

2017-11-07

電位治療器の無料体験会場 フィットット

知人に誘われて行ってきた。事前に何をするところなのか聞いたがよく分からなかった。

  • 電子を流す椅子に座って話を聞くだけ。痛くもなんともない
  • 健康不安があれば親身に相談に乗ってくれる
  • たくさんの人を連れて行かないと体験会場が閉鎖されてしま
  • まだ無料でかかりたいから協力して

だいたいこんな感じのことを言われた。その知人のことは信頼していたので詳細まで聞かずに同行。

会場はプレハブでご年配の方々で満員御礼状態。会場に入り待機用の椅子健康アドバイザーを名乗る人の話を聞く。

などなど、違和感を上げれば枚挙にいとまがない状態。あまり気持ち悪さに一刻も早く帰りたくなった。知人の顔を立てて我慢したが、今思い出しても胃が痛くなる。だいたい、そんなに効果があるものなら医療機関に完備されているはずだし、下手をすれば各家庭に1台普及していてもおかしくない。

どう考えても業者は騙す気満々だし、それを分かっていて「騙されないで健康器具恩恵だけ受けるぞ」と思っている参加者が半分、本気で信じている参加者が半分といったところか。双方からの悪意が充満している一方で奇妙な一体感のある異様な空間。怖くて仕方なかった。

そもそもの話、電位治療器が全く効果がないとは言わないが、体験者談の効能が「ガンが治った」「難聴が治った」とか眉唾すぎる。そして器具の値段が高すぎる(200万円超)。それでも会場閉鎖間際になると買いたいと申し出る人がそこそこいるらしい。

知人は無料健康器具を使いたいと思っている派。業者が怪しいのは分かった上で器具効能は信じている様子。自分は騙さされていないと思っているらしいが、器具効能を信じて人集めに協力している時点で業者に加担しているし十分騙されていることには気付いていない。本人が幸せならそれでいいやと思っているが、知人の人間関係が壊れてしまうのだけは避けてほしいなと願っている。

2017-11-05

ディヴィッド・チャーマーズの「情報の二相理論」

友人と話がかみ合わなかった原因も、「議論領域」の分割・設定がうまくなかったからかも?

もっと素朴なレベル物心二元論だよ。

 

「仮説」と「事実」の峻別

ディヴィッド・チャーマーズ意見はご存知なんですね?

彼の著作難解なところもあるので、文系の方は準備段階として「様相論理学」という数学を学び論理構築や証明練習を行うか、村上陽一郎あたりの科学入門書を読むと参考になると思います

「死後の世界がある」という仮説(命題)に対して、その証明方法がなければ「事実」として人々が共有できないので、「あるともないとも言えない、分からない」(不可知論)という段階で留まるのが論理的には正解だと思います。(死んだことのない人には「死んだら何も無い」と「証明する方法」がない。自分経験していないこと=存在しない、という論理は成立しない)

ポイントは、証明方法が(1)他人と共有できるものか、(2)個人的経験他人とは共有できない)に留まっているか、の違いです。

で、それを突破ちゃうのが宗教東洋宗教道教仏教など)は「個人的経験証明)する」という論法を使ってます

 

三昧

仏教ヒンドゥー教における瞑想で、精神集中が深まりきった状態のことをいう。

長期の訓練を積めば薬物等を使わず呼吸法等で肉体をコントロールできます

リラックスした状態で、呼吸と心拍の停止を数時間から数日に渡り経験することによって、彼らは「肉体が停止しても意識活動できる」と言ってます。(医学的には「呼吸停止」と「心拍停止」と「瞳孔散大」の3条件が揃うと死と判定)

三昧のやり方は「ヨーガスートラ」という本で紹介されています

インスタントに慣れた現代人は、わざわざ長期のトレーニングに取り組み三昧の練習をする人は少ないです。

もしも三昧の練習をするなら危険も伴うので、大学等で医学を学んでおく必要があるでしょう。(自分の肉体に起こる変化を自分理解できる必要があるため)

インドでは三昧の実験を公開して、三昧に入れない人と間接的に共有する方法採用しています

そこまではOKなんだけど、問題他人いくら経験してもそれは自分経験ではないという事実。(経験をそのまま他人転送コピーする方法がない以上は、最終的には自分経験する以外に方法がない)

生きている間に三昧に入るのはハードルが高いけど、いずれ死ねば分かることなので、無闇に焦る必要もないでしょうか?

 

神の存在証明

「神は存在する」という「仮説」も同様の論理構造はらんでいます

誰かが「神は存在する」と言ったら、その証明として「神がいるなら目の前に連れて来て」と言えばOK

他人には見えない神が存在している」という人がいたら、それは個人的体験証明方法で留まっており、他人と共有できない証明方法だと明言しておきましょう。

神学では亜種として「理神論」という屁理屈も用意されましたが、これも他人と共有できる証明方法ではありません。

 

人間の死後も魂は残る(幽霊になる)」という話に対して、

  1. 「仮説」と「事実」の峻別
  2. 個人的証明」(個人的体験)と「共有できる証明」(再現方法があり共有できる)の峻別
  3. 三昧(一時的な死の状態)に入れるなら、肉体の状態第三者医学的に測定可能
  4. 他人が三昧に入っても、それは自分経験ではない(三昧の状態を外から見てるだけ)

という点を確認すれば、齟齬が減るでしょう。

 

こういう話題って、日本人同士だと話しづらいデリケート話題かも?

ちなみに私はデイヴィッド・チャーマーズが列挙してる各論は援用するけど、彼の見解(汎心論など)には同意してません。また、一神教ユダヤキリストイスラム等)も間違っている部分があると思っています

科学でも宗教でも、「仮説」を「事実」としてゴリ押ししてくる人は結構多いので、論理破綻していないか証明方法は何か?常にチェックする必要がありますね。

2017-10-16

もし自分が「無能」だと気づいたらどうすればいいのか

無能の働き者が職場にいたとき対処法」みたいな記事はあるけど「自分無能だった時の対処法」って全くないよね。

ゼブラの「運動瞑想野菜」ってネタ扱いされてるけどそういう悩みに一番寄り添った解決方法提示な気がする。

ゼブラのそれが唯一の解決手段というネット情報の乏しさに悲しみを感じるのと同時に、ゼブラがいなければそんな情報すら手に入らなかったというありがたさを感じる無能であった。

自分無能さの解決が出来ればうつ病だって少し減少すると思うんだよね。仕事がもたらす自己効能感って仕事へのやりがいもつながるわけじゃん。

でもその解決法が提示できる人って有能な人であって、無能な人の無能な悩みって有能な人にはわからいから結局無能世界もだえ苦しむしかないのかな。

・人の話が理解できてない、頭に入らない。

・要点が理解できない、それにともない説明ができない。

メモが取れない。忘れないようにメモとるはずが取るまでの過程で忘れる。

職場にいるだけで過緊張する。

ミスが酷く多い。

頭が悪いだけって言われればそれまでなんだけど、あきらめるしかないんだろうか。

2017-10-13

anond:20171013013346

俺はそもそも一票の価値なんて自分らが思っているより遥かに軽いんだから棄権しようが入れようが大した問題じゃないよ、という立場

(もちろん棄権というポリティクス否定すべきでないというのもあるが)

投票行動に過大な「責任」を求めるのは投票効能の小ささから否定される。特に都市部有権者は顕著だ。

そもそも憲法15条4項は公的私的わず投票に対して責任は発生しないことを規定しているという。

から投票しなかったもの政治文句言うなとか、○○党に入れた奴は責任取れ、というのは憲法違反

2017-10-09

化粧というものオタクにもってこいの趣味

人目を気にして化粧をしていたのだが、ネットコスメの評判がまわってくるので色々と試したくなり

自分の肌の色や質を考えながら、年齢も気になりだした年頃なので色々と物色をした。

まぁ、楽しい。質、色、効能。すべてが違う。パケ買いしても損は無い。

「きゃんめいくとーきょー!」の河北麻友子が言う「女の子って楽しい!」は真理だと思う。キャンメイクは安いのになんでもあって良い。

はてさてでも、この男女平等時代女の子けが楽しんで良いものだろうか?とふと思った。

男性もこの何年かで一気にどーんと増えた化粧品(輸入とかプチプラブランド流行とかで)を楽しむべきではないだろうか。

最近ナチュラルメイク流行っているので、男性が使える化粧品も多い。

たとえば毛穴ゼロとまではいわないが、毛穴が気になる男性は多いだろう。ファンデーションはつけたくないが、隠したい気持ちもあるかもしれない。

そういう人に、肌を均一に見せ素肌と見分けがつかなくなるCCクリームを薦めたいのだ。

肌は肌なのでオフィス乾燥する女性と同じく男性だって乾燥している。保湿下地ミストなどを吹きかけてあげたいのだ。

リップクリーム最近は色つきリップが大量に販売されている。

色つきリップの発展により、口紅を塗る女性は少し前と比べて相当減ったのではないか

おすすめ自分の肌によって顔色の良い色に変化するタイプだ。きっとそこまで口紅感は出ないが顔色は良くなるだろう。商談に出向く男性に塗ってほしい。顔色がとてもよく元気に見える。

自分は男では無いので分からないが、男の遺伝子に、化粧品をうけつけない感覚が組み込まれているのだろうか。

少なくとも女の遺伝子には、化粧品を好きになりたい感覚は組み込まれていないと思う。

そりゃあ大人の女への憧れや見た目の可愛さで好きになる人もいると思うが、基本は人にどうみられる必要があるか?で化粧を始めるのだ。

(そこに男の目がある場合は少なく、例えば流行に乗れるかとかで、友人やグループ付き合いも変わってしまうのが女という生き物だ)

男子たるもの、人の目を気にするべからず。

そういう考えを持つ人は多いし、押し付ける人も多いだろう。しかし、これもジェンダーフリー化に向けて無くすべき感覚の一つではないだろうか。

いろいろ語ってみたが、化粧の奥の深さは凄い。なんてったって埴輪が化粧をしているのだから歴史があるのだ。調べだすと凄い分野である

オタクにもってこいの趣味と言える。

男の化粧、応援します。

2017-09-27

さよならジャパリパーク

色々なことを思うけど、大きくはただただ悲しい。当然たつき監督降板それ自体も悲しいけども。それと同じくらいに、もう二度とまっさら気持ちあの世界に浸る事が出来なくなるんだな。って。そう感じてしまう事が悲しくてしようがない。そりゃあ自分も良い歳こいたオッサンからあの世界が作り話であって、それを作る周辺には、そうじゃない世界が広がっている事ぐらいは知ってるけれども。でも、それでも、あの世界の物語りに入り込んでいる間だけは、ほんの一瞬だけでも、世界を疑わず、怯えず、憎まず、微笑んでいる事が出来たのになあ。と。それこそが「物語りという嘘」の本当の効能であって、けものフレンズは、擦れっ枯らしになった自分の様なオジサンにも、一瞬だけでもそうした時間を与えてくれる、本当に得難い奇跡的なレベルで構築された「虚構」だったのになあ。現時点の情報だけだと、はっきり言って誰がどういう具合に物事台無しにしたのやら、さっぱり分からないし、ひょっとしたら、今後も本当の所は永久に分からないままなのかもしれないけれども。なんにしても「あのひととき」が失われてしまった事だけは確かな事実である訳で。ただただ本当に悲しいなあ。ああ。悲しいな。さようなら

2017-09-18

anond:20170918063830

効能以前の問題、お風呂に入るという行為効能がおまけで付いてくるから温泉はセーフ。

あいうのって効能の為に余分な何かをプラスさせられるからめんどくせーんだよ。しか副作用である水素水は単なる水だから副作用もクソも水自体が常時服用者の何人かは殺人鬼になっているからな。水怖いわ。

からキレるっていうより頼らない方がいいよって感じだし、それと比べて温泉が齎すリラクゼーション効果経済効果観光地活性化も相まって最適というワケ。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん