はてなキーワード: 六角とは
【anond:20230208195420 の続き】
仕事帰り、烏丸六角のファミマで買い物をしている最中に、この3年近く恒常的にセックスをしている男性から、「健一が亡くなったそうです」というLINEが入った。
この男性はどうにもこういうところがある。
母は「幸子」、母方の祖母は「ひさ江」、父方の祖父は「トメ吉」という具合に。ちなみに「トメ吉」については、まったく止まってはおらず、その下に「スエ」という妹がいる。
昔の人は、ある種なんとも露骨だ。
「子どもはもうこれ以上いらない」という気持ちを、今生まれてきた当の子どもの名前に込めてやるなよと私なんかは思ってしまうが、当人たちは一度避妊に失敗し、念押しのようにさらにその下に込めたりしているのだ。
そういうふうにして、彼・彼女たちがそれぞれ男性にとって誰なのかについては知っていたが、「健一」についてはさっぱり心当たりがない。
「亡くなったそうです」という伝聞形も、得意の呼び捨てにしている割に、どことなく距離を感じさせる。
「誰だかわからないけどご愁傷さまです」とも言いづらく、LINEの返事に詰まってしまった。ファミマを出てから、同じビルのスタバの前あたりに立ち止まり、LINEを閉じたり開いたり。
ふと顔を上げると、よく茂った松の枝を一本、片手に握りしめたビジネススーツ姿の中年男性が目に入った。四条方向に足ばやに歩いていく。
ただのちょっと変わった人なのか、はたまた池坊関係者なのか、この烏丸六角という場所においてのみ、ものすごく迷うところだ。
スマホの中のメッセージと、よくわからない通行人。二重に困惑してしまったが、とりあえず「健一」とは誰なのかときけば、男性の義理の父親だという。
男性はその昔、一族の都合で健一の養子に入りはしたが、そのころから今に至るまでほぼ没交渉であったので、なんだかそんなに悲しそうでもなく、その後のLINEも淡々としたものだった。
だけれども数日後、男性の家にいったら、ワーキングデスクの上に知らないおじさんの遺影が立てかけてあった。
アイパッドやノートパソコン、積読と同じノリで遺影が並べておいてあり、それはちょっと異様な光景だった。遺影はそれらのものより一回り大きいので、あまりに存在感がありすぎる。
「あーこれが健一」
と、思わずつられて呼び捨ててから、「なんで遺影、こんなとこおいてんの?」ときいた。
妙に若くて、ちょっとつぶらな瞳で、その目線が斜めにいっていて、ぎこちない笑顔。むりやり引き延ばした昔の写真独特の、ざらざらと色の薄いテクスチャ。
「いや、向こうの家に置いとくとこもないし、とりあえず持って帰ってきた」
男性の答えは妙にずれている。
「机においてんのは?」
異様ではあるが、別になにもおもしろくはない。この人がおもしろさを感じるツボは、たまによくわからない。
それで「ああ、そう」とだけ返すと、男性は
「親戚みんなで家探ししたけど全然いい写真なかってん。中途半端に若いときの写真しかなかったわ」といった。
「どうりで目線もさだまってないっていうか、カメラのレンズみてないね」
健一の目線は、健一からは右方向、相対する私たちからは左方向にずれている。そっちの方向にはベッドがあった。この時点で正直なんだかかなりいやだな…と思ったが、ひとまず一般的な配慮として、それを口には出さなかった。
そのまま、自分たちに戒名をつけるならどんなものがいいかという話でひとしきり盛り上がり、お互いに将来の戒名もきまってきりがよかったので、我々はセックスをすることにした。
そこで私は「健一の視線がベッドのほうにきてるのなんか嫌だ」と、一度は飲み込んだことを吐き出してしまった。
相手の義理の父親の遺影の前でセックスするのは、明確にその理由を語れずとも、なんだかとにかくすごく嫌だと思った。
遺影がそこに鎮座している「なんかおもろい」という理由は、私にとって共感しがたい。私がその「なんか」の機微を正確に理解できないように、男性もまた、このわたしの「なんだかとにかくすごく」という心の機微が正確に理解できたとは思いづらい。
けれども男性は、「わかったー」と間延びした返事をして、遺影をおもむろに裏返して立てかけなおした。
いやそうじゃなくてしっかりどこかにしまってくれ、と思ったが、それを言うのももう面倒だし、やるとなったらさっさとセックスしたかったし、もちろん乳首もさわりたかったので、私はそこで妥協した。結局は、花より団子で機微よりセックスだ。たいがい適当な人間ではある。
そうやってセックスして、寝て、起きたら健一は寝起きの私を見ていた。
私より先に起きた男性が、律義に遺影を表に戻していたのだった。
私の機微は相手の義理の父親に、遺影であっても義理の息子の乳首を吸っている様などを見られたくないことだが、男性の機微は、遺影をいつまでも裏返したまま視覚を奪うのは気の毒だ、というところにあるのだな、と、寝ぼけた頭で考えた。
それは少し理解できなくもない。
結局のところ、ただの紙に載ったインクでしかないはずの遺影に、生きた人間めいたなにかを感じていることは通底しており、その表出のアプローチが異なっているだけの話なのだろう。
机上に健一が出現してから、何度か男性の家にお邪魔してはセックスをし、わたしはそのたびに「健一裏返して」とリクエストしていた。
そしてその日はやってきた。
健一が机上に出現して何日目のことだったのか、私はちょっと覚えていない。
夜も更けてきてそろそろ寝るか、という雰囲気になったとき、男性がおもむろに立ち上がり、私の指図なしに、ふいと健一の遺影を裏返した。
その、遺影を裏返す行為こそが、紛れもなく「さ、セックスしますか」の意思表示となっていることに、私はそのときはじめて気がついた。
みずから「裏返して」とお願いしてそうしてもらっていたときには考えつかなかったことだった。
私も男性に続いて立ち上がりながら、「つまり今からセックスするってことか」というと、男性は「あれやな…なんか…イエス・ノー枕みたいやな」と答えた。
そうだ。
これはまさしく、イエス・ノー枕だ。
物体の表と裏を巧みに使い、その夜について性行為のありやなしやの意思表示と予告をする、その原理はまったく同じだ。
【今夜セックス】の露骨かつ言外の通告。あれを我々は今、気がつけば、男性の義理の父親・健一の遺影でやっているのだ。
不謹慎が過ぎる。さすがに戦慄が走ったところで、男性がぽつりと「イエス・ノー健一やな」と言った。
その日から私は、「イエス・ノー遺影」「イエス・ノー健一」という、この、罰当たりで不謹慎で、あまりに強烈な言葉が頭からこびりついて離れない。
忘れようにも忘れられない。だからここに書いた。
それはとても寂しいことではあろうけれど、いつかこの男性と会わなくなる日が来たとして、その先に男性の名前を忘れる日が来たとして、イエス・ノー遺影という言葉と、健一の名前だけは、それでも生涯忘れないだろうと思う。
(※登場人物に配慮して、文中に出てきた名前はすべて本当の名前とは変えてあります)
【追記】
・烏丸御池~四条烏丸あたりに、冬の間、ビニール袋を巧みかつ何百枚も使用して衣服と靴にしたて、万全の防寒している人がうろついているのだけど、この間その人がビニール袋十枚がさねくらいの軽装になっていて、桜の開花よりも断然春のおとないを感じた。だからそのこともついでに書いてもっと季節感あふれる増田にしようとしていたのにうっかり入れ忘れた。
・(ブコメの方へ)小学生だったころは…あります…!(男性はたまにおぼかたさんの真似をします。全然おもしろくない)
あのころ思っていたことでいまだに覚えていること、いつか書きたいです。もしそのとき、たまたまみつけたらぜひ読んでほしいです。
・(ブコメの方へ)もしそこにおばあちゃんの写真があったらセックスできなかったと思うんですが、おばあちゃんのことをしゃべりながらは全然大丈夫です。
こういう「あれはだめだけどこれはセーフ」って感覚はいつどこで身につくのだろうかと思ったりしました。笑ってくれてうれしいです。
たまたまおすすめに出てきた1年以上前の動画なんだけどさすがにひどいと思った
https://www.youtube.com/shorts/zUjQYm4va3k
以下書き起こし(言ってることと字幕が対応してないからややこしい)
円周率ってみんななんぼで使った?
小学生がやっとって
これがもし3やとしたらアカンよっていうのを
っていうのを使って証明しててんけど
例えばもし3やとして
半径1の円を考えてそれに内接する正六角形を考えんねんな
2×3×1で求まって6になんねんな
これを次正六角形の周の長さを求めてほしいんやけど
これこういう風に割ったら正三角形が6つあって
ここの長さっていうのは6
ってことは円周と正六角形の周の長さが同じになって
ばいばい
第一に
近似値であることに変わりはないんだよ
正6角形が正100角形や正1000角形になるだけで
本当のπの値になるわけじゃないから
本質的な違いはないんだよ
まあこれはコメント欄でも書かれてる
こいつはこれを「証明」って言ってるんだよね
それを「背理法」とか言って数学的な証明と同一視してるこいつがマジでヤバイと思う
関 盛信(せき もりのぶ)は、戦国から安土桃山時代にかけての武将。関一政・関盛吉・関盛忠・関一利・関氏俊の父。妻は蒲生定秀の娘。官は中務大輔。安芸守。諱は盛宣とも。
略歴
伊勢国の有力な国人領主で伊勢亀山城を本拠地としていた。盛信は日野城主・蒲生定秀の娘を娶り、六角氏に属していた。
織田信長が伊勢に侵攻してくると、神戸氏等一族が次々と降る中で唯一独立を保っていたが、抗しきれず信長に降伏した。神戸信孝に属したが不和であったため信長の怒りを買い、元亀4年(1573年)春に信長から勘当を申し伝えられ、神戸具盛と同様に蒲生賢秀に身柄を預けられ、近江国日野城に幽閉された。
だが行動が束縛されていた訳ではなく、天正2年(1574年)8月、越前から逃亡して甲賀郡に入ろうとした樋口直房を討ち取り、その功を信長から褒められている(関文書)。しかしこの功績だけでは許されず、天正10年(1582年)に信孝が四国征伐の総大将として大坂へ出征すると、盛信もようやく許されて亀山城に戻った。
信長死後は信孝を離れ、羽柴秀吉の家臣となる。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの際は居城、亀山城を滝川一益に落とされたが後に奪還し、亀山城主として蒲生氏郷の与力大名となった。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いなどにも参戦した。晩年は万鉄と号し、家督を関一政に譲っていた。文禄2年(1593年)に奥州白河で死去。
桶狭間度:★★★★★
海道一の弓取りと謳われた今川義元の大軍を、小勢の織田信長が打ち破った戦い。「桶狭間は谷だった」「いや山だった」「奇襲だった」「いや正面攻撃だった」など、その実態については今なお盛んに議論される。また、勝利した織田信長がこれをきっかけに勢力を拡大し、のちには天下人となっていったことから、「小大名が敵の大軍を破り、その後の飛躍に繋げた戦い」のことを「〇〇の桶狭間」と言うようになった。
桶狭間度:★☆☆☆☆
父親を殺された伊達政宗が、その弔い合戦として畠山氏の二本松城を攻めたところ、相手方の救援として駆けつけた佐竹氏・蘆名氏などの連合軍と戦いになった。兵力差四倍以上の相手に正面決戦を強いられることとなった伊達方はほぼ敗勢だったが、勝利目前の佐竹軍が急に撤退したため尻すぼみに合戦は終結した。壊滅必至だった伊達軍がそれを免れたという点では「勝ちに等しい引き分け」と見ることもできる。その後、巻き返した伊達政宗は二本松城を落とし、蘆名氏を滅ぼして南奥州に覇を唱えることとなる。
桶狭間度:★★★★☆
泥沼の争いを繰り広げていた古河公方・山内上杉・扇谷上杉らの関東勢が、勢力を急伸させた北条氏を恐れて連合し、北条方の要所・河越城を大軍で包囲した。それに呼応した今川義元も西から挙兵して挟撃の形となり、家督を継いだばかりの北条氏康は早くも絶体絶命の危機を迎えた。しかし手早く今川と和睦した氏康は、大軍に驕った連合軍に夜襲を仕掛けて撃破した。この戦いで古河公方・山内上杉・扇谷上杉はいずれも滅亡・没落し、関東は北条氏を中心として動くようになった。
桶狭間度:★★☆☆☆
甲斐に侵攻した今川の大軍を、武田信玄の父・武田信虎が迎え撃った戦い。荒川沿いの飯田河原を戦場に選んだ信虎は、数で上回る今川軍を地の利を活かして撃退、ひと月後に上条河原で再戦したがそれも打ち破り、敵の大将を討ち取った。一連の戦いにより武威を示した武田信虎は、敵対していた穴山氏などを服属させ、甲斐の統一を成し遂げた。
桶狭間度:★★☆☆☆
北近江の浅井氏は、越前・朝倉氏と南近江・六角氏という大勢力に挟まれ、当時は六角氏に従属する立場だった。父親を隠居させて浅井家の若き当主となった浅井長政は、すぐさま六角氏からの離反を表明した。それに対し、六角氏は当主・六角承禎自らが大軍を率いて攻め寄せたが、浅井長政は半数以下の兵力で迎え撃って勝利した。弱い立場だった浅井氏はこの勝利により戦国大名としての地位を固め、敗れた六角氏はお家騒動などもあり衰退していくことになる。
桶狭間度:★☆☆☆☆
備前の大名・浦上氏の家臣として頭角を現しつつあった宇喜多直家は、毛利氏に従属しながら備前へ進出しようとした備中三村氏の当主・三村家親を、日本史上初となる火縄銃の狙撃により暗殺した。怒れる三村氏は、弔い合戦とばかりに宇喜多方の明善寺城を攻め取ったが、宇喜多直家は素早く奪回し、逆にその救援にやってきた三村氏の大軍を待ち構えて打ち破った。この戦いにより影響力を増した宇喜多直家は、のちに主君に反旗を翻し、戦国大名として独立することになる。
桶狭間度:★★★☆☆
かの毛利元就の初陣。源氏の名門・武田氏の一族で猛将と謳われた武田元繁と、味方の城の救援に向かった毛利・吉川連合軍の戦い。寡兵の連合軍は劣勢を強いられたが、初戦で運良く敵方の武将を討ち取り、それに激怒して自ら前線へ打って出た武田元繁をも討ち死にさせた。この戦いにより、大内氏から独立して勢力を拡大していた武田氏は一転して衰退し、代わって毛利元就が歴史の表舞台に躍り出ることとなった。
桶狭間度:★★★★☆
毛利元就の戦いとしてはこちらのほうが有名だろう。主君・大内義隆に謀反し、大内家内を牛耳った陶晴賢だったが、その隙に離反した毛利元就によって安芸を奪われてしまう。大軍を率いる陶晴賢は要衝・厳島を拠点に安芸奪回を狙うが、毛利元就は嵐に乗じた奇襲でそれを打ち破り、陶晴賢を自害に追い込んだ。この勝利により、毛利元就は逆に大内氏を滅ぼしてその領土を併呑し、中国地方の覇者となっていくのである。
桶狭間度:★★★☆☆
肥前で勢力を拡大していた龍造寺隆信に対し、脅威を覚えた北九州の覇者・大友宗麟は大軍を率いて侵攻、数ヶ月に渡って佐賀城を包囲した。援軍の見込みもないなかで龍造寺軍はよく持ちこたえたものの、ついに大友宗麟は弟の大友親貞に総攻撃を命じる。大友親貞は総攻撃前夜に士気を高めるため酒宴を開いたが、それを見た龍造寺家臣の鍋島直茂はわずかな手勢を率いて夜襲を仕掛けた。油断していた大友軍は総崩れとなり、大友親貞も討ち取られてしまった。その後、和睦に持ちこんだ龍造寺隆信は、大友氏に従属しながら勢力を拡大し、のちに九州三強の一角に名を連ねることになる。
桶狭間度:★★★★☆
島津の当主・島津貴久が亡くなった直後、その隙を突いて隣国の伊東氏が島津領に侵攻した。伊東方が数千の軍であったのに対し、島津の軍勢はその十分の一ほどしかなかったという。だがそれを率いていたのは名将・島津義弘だった。島津軍の頑強な抵抗により、伊東軍はいったん退却して陣を立て直すことになった。しかし、島津義弘から指示を受けていた農民たちが太鼓を鳴らして伏兵を装うと、伊東軍は慌てて陣から飛び出し、そこで待ち伏せていた島津軍に四方から攻められて壊滅、総大将も討ち取られてしまった。窮地を脱した島津氏は、島津四兄弟のもと勢力を拡大し、九州を制覇していくのである。
俺と同じような人がもう一人いてお互いに完全に偏在しているとき、そいつは地球の裏側にいることになる。
じゃあ俺含めて三人だったら?と考えると、直観的にはちょうど同一円周上で区間が三等分される点で俺などがそれぞれいる状態を指してるのだとは思うのだが。
しかしいまいち腑に落ちない。球面をある平面で切断したときのその平面上に俺らが固まって存在してるってことだろ。
それで密度一定と言っていいのか。引っかかる。でもこれいがい、お互いが等距離離れてるかつ密度一定を満たす条件はなさそうに思える。
4点なら簡単で、地球に内接する正四面体をはめ込んで、その面の重心を地球表面に射影したのが答えだと直観的にわかるし納得できる。
これ以降点が増えても、たとえばある面数以上の正多面体が存在しなかろうが、対称性が高くて、注目する面数が点の数と一致する多面体が見つけられれば同じように考えられる。
たとえばサッカーボール型の多面体が六角形と五角形それぞれいくつで構成されてんのか俺は知らないが、とにかく六角形か五角形のいずれかに注目してその面数と同じ点の数については球面上に偏在する条件は容易に考えられる。
三点以下だと多面体を構成できないってのが一つの肝なんだろうな。
てか、正八面体の場合、重心すべてが互いに等距離にはならないな。でも密度一定は自明っぽい。つまり等距離は条件じゃないのか。
オタク仲間数人のグループがあるんだが、その中の一人が子供が生まれた友人に「俺の名前をつけろ」と言っているらしくて相談されている。
陰キャ大学生がTwitterでつながってオフ会が集まってたできたような感じで、グループの付き合いは始まったんだが、そこに一人だけ30代後半のそいつ(以下、Mさんと呼ぶ)は混じってた。
幸いオタクにありがちな年齢不詳さが全員にあったのもあいまって、Mさんが明らかに浮いている感じではなかった(ように当時は見えた)し、社会人というのもあって飲み会も多めに出してくれて「あいつが来るとありがたい」というノリだったと思う。
本人も気がよく穏やかな印象で、オタ語り以外の説教とかをするわけでもないから特に年上・先輩という意識では接してなかった。ただ仲間内で時折ある童貞いじりのノリで「Mさんって・・・」と聞きかけたらブチギレられたという噂があった。あと、仕事は高校受験の塾講師らしく、大学生特有の学歴ネタにもよく付いてきてたが、当人は実はMARCHだったらしくメンバーの一人が東大生だったことがわかったときに若干顔が凍り付いていた。
そんなグループもリアルでちばチャンに行ったり、コロナでTwitterで騒ぐだけになったりしていたが、30近くなり、そろそろ結婚・出産報告をするやつも出てきた。
そこで、出産報告をしたやつにMさんから「生まれた子供に俺の名前をつけてもいいぞ。俺の本名は〜」というものだったらしい。冗談だとおもって軽くいなしていたら「お前にとって俺は兄貴も同然だろ?」「Mじゃなくても(仮に「六角『精』『児』」だとしたら)『精』太郎とか『児』美でもいいから」と言われたそうだ。
出産したやつ(複数)に似たようなDMを送ってるが、子どもの性別も不問(特に聞いてこない)らしい。「学生時代は世話してやったんだから」「お前の人生の中で俺が一番すごいやつだっただろ?」というメッセージもあったようだ。
はっきり言って俺だって気持ち悪いので相談されても困るのだが、同じ独身ということで(嫁子供抱えて危険なことはできない)俺の代わりに言ってくれないか、というようなトーンで俺から話してくれないか、と言われて困っている。
Steamで配信中の『ヘクスシード』は端的に言えば六角形のマインスイーパ。
盤面の数字をヒントに「危険」が埋まっているマスをマークしながら安全なマスを開けていく。
マインスイーパと違うのは、「一方向にある危険の数」や壁などのギミックがあるところ。
指示されたスタート地点から始めることで必ず論理的に解けるようになっている。
マインスイーパにしばしば発生した「最後の2択で運でしか解けない」という状況が、
本作では発生しないところは素晴らしい。
一方で、マインスイーパと比較して操作性が違うことでストレスになる点が大きかった。
1点目は、「危険」のフラグを間違って置いた瞬間にお手付きになる点。
マインスイーパでは「ここが仮に地雷だとすると」という仮定を思考している段階で仮置きしていたのだが、本作では仮置きができず、正解か間違いかを瞬時に判定されてしまう。
2点目は、0マスの周囲が自動で開かない点。
マインスイーパでは0のマスを開いたら、自動で何かしらの数字のマスが出るまで開いてくれるのだが、本作では手動で開かないといけない。
「周りを開くコマンド」があって多少は面倒さは緩和されるが、それでも一部ステージでは、延々と0のマスに対して「周りを開くコマンド」を実行することになりこれもストレス。
マインスイーパでは例えば2のマスの周りにフラグが1個しかない状態で「周りを開くコマンド」を実行しても何も起こらない。
なぜならプレイヤーがあともう1個の地雷の位置を指示してないからだ。
ところが本作では2のマスの周りにフラグが1個しかない状態で「周りを開くコマンド」を実行したら、明らかに「危険」の数が足りないのに
周りをすべて開こうとして、結果お手付きになる。
30歳まで童貞だと魔法使いになれる こと「チェリまほ」が好きだ。
もともとTwitterで読んでいた漫画がドラマになり、軽い気持ちで1話を見たら一気にハマってしまった。
人を好きになる過程や恋の進み方がじっくりゆっくり丁寧で、原作もドラマも大好きになった。
ドラマ公式Twitterが動き、明日何かの情報解禁があるようなので
今のうちに吐き出したいことを書いてしまおうと思う。
↓インタビューやドラマ11話・12話は一度しか見ていないのでうろ覚え
【ここが納得できないよ】
安達の性格が原作とドラマで違うのは、飲み会の屋上のシーンで「それどういう意味か分かってる?」の反応で
原作では頷くが、ドラマでは戸惑い「全然分かっていなかった」と吐露していることからも分かる。
しかしエレベーター内でコンペ担当者の心の声を聞いたからとはいえ、『安達』は黒沢と練習していたことがあんなに一気に吹っ飛ぶか?
自分を信じてくれた黒沢と自分の関係を自暴自棄になって蔑ろにしたくなるか?
自己嫌悪からこれからの関係に不安になって、黒沢も安達を泣いている姿を見て別れようってなるか?
事前に柘植から釘を刺されているのが何の役にも立ってなくて謎だらけだった。
そして最終話。
自分で考えて湊に土下座した柘植の方がよっぽど覚悟があって真正面から向き合っているように感じてしまう。
柘植は助言をしてくれるけれど、自ら気付いて行動する力を安達は持っているのではと思っていたぶん拍子抜けした。
安達が今まで少しずつ他人とか関わっていくなかで、表情や行動が自信を持ったものへって表現されていたのにそれは何だったんだろう。
安達という人間像がブレてるというか原作と違いすぎるように感じた。
(もともとドラマは安達の成長物語にしたかったらしいのを原作側がチェリまほはラブコメだから…となった名残もある?)
あとどうしてあんな場所で六角と藤崎さんが花火してるのか。不必要シーンNo.1。
藤崎さんについての考えは後述。
脚本家がインタビューで「BLじゃなくて人間ドラマ」のようなことを言っていたが、安達と黒沢・柘植と湊の関係の進み方が明らかにBL。
付き合った日に肉体関係を持つ柘植と湊、復縁して朝チュンする安達と黒沢。
丁寧に書きたいと話していた関係は精神面だけで肉体面は疎かなのはどうしてだろう。
ちなみにエレベーターキスが物議を醸した(ような気がする)のは「キスをしたところを映していない」からではなくて
「キスまで進んでいない二人」を見てきた視聴者が「ベッドイン・魔法を失った安達・エレベーター内で慣れたキスをする二人」に置いてきぼりになったからではないだろうか。
実際にキスをしているところを見せろと言っているのではなくて、キスさえしていなかった二人がいきなりそうなっている雑さだと私は思う。
分かるけれど、不必要な場所やシーンでの登場回数が多すぎる。最終話でそんなに藤崎さんのシーンいる?いらん。
「恋愛は別にいらないけれど、同僚男性達の恋を見守ってて相談もされちゃう!自己実現のための勉強も頑張ってる私☆」じゃん。
安達と黒沢の関係に気付いているのはまだしも、それ以降の恋愛相談役としては適任ではないし何でそこで花火してんの?????
スピンオフでは何でチョコ配っているシーンが必要なの?しかも恋愛対象いないですよアピール(キャラ付け)しながら。
脚本家がインタビューで「現実だと同僚でBLを考えているのは気持ち悪いと思われるかもしれないので藤崎さんを腐女子ではなくした(うろ覚え)」という話しており、
納得したが同時に「他のドラマで『恋愛がいらない女性』を描きたいと言ったら「その役いる?」と言われて出せなかったから今回出した」と話しており
「いや、あなたが出したい役を出す場じゃないんで」って突っ込みたくなった。
総じて脚本家の自己顕示欲にまみれたキャラ付けにしか思えない。
ちなみに六角がポッキーゲームで「そんな時代錯誤なことやってる~」みたいなことを言ったのも意図的らしく脚本家の思想丸出しだった。
柘植と湊
ドラマで柘植と湊の関係が先に進むのは展開的に仕方がないとは思うけど、スピンオフの差には愕然とした。
つげみなは原作の関係性があまり進んでおらず、(原作要素を取り入れた)ドラマオリジナルなのは分かる。
しかしくろあだは二本立てで、しっかりとしたストーリーではなく短編二本。
六角編は第三者目線で面白かったが、正直バレンタインはがっかりした。がっかりした!!余りのことなので二回言う。
原作の1話以前の内容でそれをスピンオフに持ってくるには内容が薄味すぎる。
これだったら二人ががっつり一緒にいるエピソードが見たかったし、何でチョコを会社で渡そうとするの…?浮かれまくってるの…?
黒沢の「甘いものが苦手」という嘘を原作安達は見抜いてたけど、ドラマは信じてたので性格の違いがよく分かるような気がした。
原作安達が嘘を見抜いていたのはドラマより後出しだったので、あまり関係はないかもしれないけれど。
明日何かしらの情報が解禁されると思い、今のうちに苦い思いを弔おうとしたが思い出してしまっただけだった。
ロゴだけのグッズとか微妙な映像特典とかファンミで一話のオーディオコメンタリー今更いる?とか。
もちろんドラマは大好きである。だからこそという気持ちが多いのかもしれない。
棋戦:ぴよ将棋
戦型:▲相掛かり △相掛かり ▲相掛かり棒銀 △いちご囲い ▲いちご囲い ▲金矢倉
手合割:平手
先手:プレイヤー
後手:プレイヤー
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △2三歩打 ▲2八飛 △8六歩
▲同歩 △同飛 ▲8七歩打 △8四飛 ▲3八銀 △3四歩
▲2七銀 △3三角 ▲3六銀 △6二銀 ▲6八玉 △4二玉
▲5八金 △5二金 ▲7六歩 △2二銀 ▲6六角 △同角
▲同歩 △3三銀 ▲8八銀 △9四歩 ▲9六歩 △3一玉
▲7七銀 △4二金右 ▲6七金右 △2二玉 ▲7九玉 △7四歩
▲8八玉 △7三銀 ▲1六歩 △6四銀 ▲6二角打 △8三飛
▲7一角成 △7三桂 ▲7二馬 △8四飛 ▲6三馬 △7五歩
▲同歩 △8五桂 ▲8六銀 △7七歩打 ▲6八金寄 △5五銀
▲8五銀 △8三飛 ▲7四馬 △8一飛 ▲7六銀 △6一飛
▲7七金上 △4四角打 ▲5六桂打 △6六銀 ▲4四桂 △7七銀成
▲同玉 △4四歩 ▲6二歩打 △7一飛 ▲8三馬 △6四桂打
▲6五銀 △7六歩打 ▲7八玉 △7五飛 ▲6四銀 △8五飛
▲7四馬 △8二飛 ▲7六金 △7九金打 ▲同玉 △8七飛成
▲7七金 △7八歩打 ▲同金 △5七龍 ▲6八銀打 △6六龍
▲7七金打 △7三歩打 ▲同銀 △5五龍 ▲5六歩打 △5四龍
▲6四銀成 △4三龍 ▲6一角打 △1四歩 ▲5五桂打 △5四龍
▲同成銀 △同歩 ▲6三桂成 △9五歩 ▲同歩 △同香
▲同香 △9八歩打 ▲5二成桂 △4三金直 ▲8八玉 △8七歩打
▲9八玉 △6九銀打 ▲7九金 △8八歩成 ▲同玉 △1五歩
▲同歩 △5五歩 ▲同歩 △3五歩 ▲同銀 △3四銀
▲同銀 △同金 ▲4二成桂 △同金 ▲3四角成 △3一桂打
▲2四歩打 △3二銀打 ▲2七香打 △3三金 ▲2三歩成 △同金
▲同香成 △同桂 ▲3一銀打 △同玉 ▲4二金打 △同玉
▲5二飛打 △3一玉 ▲4二金打 △2二玉 ▲3二金 △1二玉
▲2三飛成 △詰み
サラダにちょっと入っている豆でタンパク質が足りているわけがない。
一日にボウル山盛り食う必要があるが、そんなことしているやつはいない。
そもそも肉に入っているのはタンパク室だけではない。自分が何が不足しているか計算しているヴィーガンなんているか? ほぼいない。
やつらはただただ、偏食をするだけだ。
バランスの悪い食事だ。家庭課で習った六角形を全力で蹴とばしている。赤と黄色の食品を食べないで生きていこうとしている。
ましてやヴィーガニズムは許してはならない。緩慢な自殺を広めようとする文化ミームだからだ。
ヴィーガニズムを馬鹿にすることは、喫煙者を社会全員で排斥するのと同様、善に属する。