はてなキーワード: 水平線とは
近頃平野君と神宮寺君の、というか脱退ジャニーズ関連のニュースが世間を騒がせている。
ジャニーズが卒業・脱退・解散する、というニュースを聞くたびに、私は手越のことを思い出して苦しくなる。
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なんでこのタイミングで書き起こそうと思ったかというと、前述のキンプリの騒動をはたから見る中で、そろそろ一度振り返ってみてみてもいいんじゃないかと思ったからだ。
というか、オルタネートを書いた加藤さんではないけれど、あの出来事から3年という長い月日がたって感情的ならずに思出せるようになって、でもこれ以上離れてしまったらきっと気持ちも記憶も色あせてしまうから、「今」が最初で最後のタイミングなんじゃないかと思った。
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何を話すかといわれると難しいが、結局のところ手越のことをどう思っているかというお気持ちと思い出をたどるための文章である。
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どこから話そうか迷ったが、時系列順で話すのが一番いいのかもしれない。
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なんか女子が騒いでるなあという感じで、当時の関心ごとといえばサッカー観戦、ポケモン、イナズマイレブン、受験勉強、ライトノベル、あとはおままごととかだろうか。
でもVS嵐も、イッテQも、地獄先生ぬ~べ~も、鉄腕ダッシュも見ていたし、キスマイの光のシグナル(ドラえもんの主題歌だった)も大好きだった。
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彼女は歌がうまくて、カラオケが好きで、そして増田担だった。彼女とカラオケに行くと、親友は必ずNEWSの歌を入れる。
当時4+FANの合いの手のリズムがわからなくて苦戦したのをいまだに覚えている。
友達が歌う曲をどうせなら一緒に歌えるようになりたいと思うのがカラオケ好きの性である。
親友に頼んでNEWSのCDを貸してもらい、聞いてみたのが多分2017年。
まずNEWSの歌にはまった。
アルバムを4つくらい借りたのでそりゃ一曲くらい好きな曲もできるし、テゴマスは当時から歌がうまかった。
歌番組の時に親友からアナウンスがあったので、時間が合えば見ていた。
当時日テレっ子だった私は、イッテQで手越を、everyで小山さんを知っていた。
気づけば親友からはテレビドラマやバラエティの番組情報のアナウンスも入るようになり、私はNEWSをしっかり好きになっていた。
親が厳しかったためにファンクラブは入れず、ライブも行けなかったが、私は私なりの最大風速でNEWSのことが好きだった。
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それから2020年まで、のんびりと、自分なりの距離感ではあったが「好き」を貫いていた。
2020年2月、NEWS LIVE TOUR 2020 STORYの当落発表があった。
2017年のNEVERLAND、2018年EPCOTIA、2019年のWORLDISTA、最後に2020年STORY。
4つのライブの頭文字をつなげると「NEWS」になるこの4作品は、通称「4部作」と言われるもので、NEWSにとっても、ファンにとっても思い入れの深い、大事な大事なライブだった。
「STORY(アルバム)」にはファンの将来の夢が収録された楽曲や、メンバーからファンに向けてつづられた思いのこもった楽曲、9人時代からの気持ちに言及するような楽曲、インタビューなどがふんだんに盛り込まれていた。
チームNEWS全員にとって本当に大切なアルバムで、私たちはSTORYのライブの成功を心から願っていたし、心から信じていた。
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様々なイベントの中止が決まっていった。
「来月にはこのパンデミックが収まる」と信じて駆けずり回ってくれた方がどれだけいたのだろう。
大きな会場を抑えてファンのために準備してくれていた。
ライブ直前のラジオ内で行われたマジカルバナナ的なゲームでは、「準備万端といえば?」「「「「STORY!!!」」」」と4人で口をそろえて言ってくれていた。
河川敷をランニング中、桜の舞う中で聞いたその言葉を今でも覚えている。
しかし準備万端だったはずのライブは一公演一公演丁寧に中止を重ねていき、結局全公演中止になってしまった。
実はあの当時、ファンの間でうっすら「STORYが終わったらNEWSは解散or 何かしら節目を迎えるのでは?」という空気があった。
実際どうだったのかは本人たちに聞かないとわからない。
それでも、STORYに込められた気持ちはそれだけ大きかったのだ。
「この作品が最後なのかもしれない。そんなことはあってほしくないけれど、もしそうであれば、悲しいけれどきっとどうにか受け入れることができると思う。」
時が来れば必ず報われると思っていた努力が、世界規模の不幸によってぶち壊されてしまう気持ちは痛いほどわかる。
この辺は一回全員back number 『水平線』と 「入学から、この世界だった僕たちへ。」を聞いてきてほしい。
当時高校生だった私も何度も泣いた。
当時仲の悪かった母親に背中をさすられながら、夜中に号泣したこともある。
高校生活の中で最も大事な思い出になるはずだった最後の合宿が、文化祭が、体育祭が、すべてがなくなってしまうやるせなさに、どれだけ頑張っても結局行われなかったそれらにたいして、声をあげて泣くことしかできなかった。
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彼らは底抜けに明るかった。
少なくとも明るくあろうとしてくれた。
まあ彼らに救われたことに関して詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、ジャニーズWESTと出会ったことで私のジャニーズの世界は大きく広がっていた。
NEWSはびっくりするぐらいジャニーズ内での縦のつながりがない。
気がする。
あったらごめん。
小山さんと手越からちらほら後輩の名前が挙がっていたくらいで、残りの二人に関しては正直ほとんど思い出せない。
加藤さんは正門君と如恵留くんがまあ居るか?と思ったが、名前が出始めたのはコロナ後かもしれない。
少なくともグループ全体でかかわりの深い後輩グループみたいなのはなかったと思う。
NEWSしか見ていなかった時代、全員顔と名前が一致していたのは正直NEWSと嵐とTOKIOだけだった。
ジャニーズWESTはそこが大きく違った。
関西での縦の結びつきは、とんでもなく強かった。
WESTと仲のいいだれだれが出ているなら、時間もあるし見てみよう、という感覚で、芋づる式に「顔と名前とざっくり性格くらいまでなら把握している」程度のジャニーズが増えていった。
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とまあそんな時期、手越が飲んでた。
外で、女の子呼びつけて。
「ねーわ」って思った。
でもまあ手越だし。
そういうやつだし。
そりゃ謹慎くらいするべきやろうけど。
文春では退所報道とかもあった。
正直なところ不安も大きかった。
Johnny’s world HAPPY LIVE with YOUが発表され、NEWSが3人で出演すると知ったときは動揺した。
見るのが怖かった。
それでもNEWSが好きだったから、あとこれは余談だけど、同じ日の出演者がジャニーズWEST(推し)とHey! Say! JUMP(当時好きだった女の子の推し)だったのでその日の配信チケットを買わない選択肢はどちらにしろ無かった。
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泣いた。
それはもうボロボロ泣いた。
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「クローバー」:NEWSからファンへのメッセージソング、4人それぞれが自分のパートの歌詞を書いた。手越のソロパート前半は歌わず、後半は3人で向かい合って歌った。
「weeeek」:6人時代からずっと歌っているライブの定番曲であり、代表曲。
「UR not alone」:4人の代表曲。ライブの最後やアンコールで必ずうたわれる名曲。ラスラビの手越のソロパートはこちらも歌唱ナシ
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手越のソロパート部分を歌わないという選択をした三人を見て、三人は手越の帰る場所を守ってくれているのだと思った。
ほかの2グループがアイドルらしいきらびやかな衣装で華やかな曲を歌っていて、言い方を変えれば自分たちのファン以外の子たちにも楽しんでもらえるような、それでいて自分たちのファンにも愛を届けられるような、そんなバランスの取れたセトリを組んできたのに対して、NEWSははなからNEWSのファンと、それから手越のことしか見ていなかった。
状況が複雑な中、語ることを選ばなかったのかもしれない。
当然だろう。
でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う。
私は手越の部分の空席をあえて作るその演出を「3人は手越が返ってくると考えている、これはその表明である。何も案ずることはない。もう少ししたらまた4人のNEWSになる」と受け取った。
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違った。ダメだった。彼は帰ってこなかった。
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3人での配信ライブが行われた次の日、「18時半に手越に関する重大ニュースがある。おそらく退所報道である」という情報がリークされた。
昨日の配信ライブで得た確信なんてものはいつの間にか崩れ去っていた。
どうしてもその事実を受け入れたくなくて、夕方17時に布団に入った。
ただの現実逃避だ。
知るタイミングを遅らせたからと言って事実が変わるわけではないのに。
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朝起きて、ニュースを見た。
不思議とこの日の朝からの記憶はあいまいで、もしかしたら無意識で封じ込めてしまっているのかもしれない。
泣いた気がする。
気がするだけだ。
3人の側があれだけお前の居場所を作って待っていてくれたのに、なんて不義理なんだ。
あれだけ一生懸命準備してきたものを放りだして「今」退所しなきゃいけない理由があるのか。
事務所じゃできないことって何なんだ。
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でも結局彼がわからない。
今書いている恨みつらみが、どの時点で私の中に生まれた感情なのかも正直わからない。
「やめたくなかった」「まだ続けたかった」という発言も散見されていた時、「じゃあやめなきゃよかったじゃん」「今ならまだ間に合うから、戻らせてくださいって頭下げて戻ってきてよ」と思っていた。
それと同時に、私たちを、四部作を、3人を、すべてを放りだして知らない人たちと知らないところへ行ってしまったことに激しく怒っていた。
暴露にもならないような浅い内容の暴露本を出したことにはぶちぎれていた。
それでも、彼が好きな気持ちもまだあった。
心のどこかで彼を信じていた。
彼を嫌いになることで、彼がいた時代の楽しかった思い出たちまで嫌いになるのは嫌だった。
気持ちの整理がつかなくても手越は勝手にズンドコ進んでいっちゃうし、NEWSの3人も少しずつ動き始めていた。
少しずつ「3人のNEWS」が当たり前になっていって、人数が少なくなっていった自虐もたまに挟まるようになっていって。
あといつの間にかNEWSがKinKi Kidsに次いで上から二番目になっていたことにびっくりした。
ずっと中堅くらいの意識だった。
そういえばもう嵐もTOKIOもV6もSMAPもタキツバもいねえや。
あとたまに忘れちゃうけど、エイトのほうが一年デビュー遅いですよ、これは増田さんへ。
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脱退後のインタビューで、「多くの人は、アイドルや事務所という“魔法”にかかっている」と手越が話していた。
違う。
多分違うと思う。
“ただの手越祐也”ではなく、“ジャニーズ事務所のNEWSのアイドル手越祐也”だったから、私たちはあなたの素行を、すべてひっくるめて、「アイドルの個性」と思って愛することができた。
むろん愛すべきところがたくさんある人だ。
花が開いたようにパッと明るく咲く笑顔が大好きだった。
周りを巻き込んで笑わせてしまうような、自分の信じているものに対する絶対の自信からくるあの笑顔が大好きだった。
人の心に直接刺さるような、それでいて華やかで、のびやかで、何にも縛られないような歌声も好きだった。
いつだかジャニーズみんなでTOKIOの『宙船』を歌ったとき、一人きりで上ハモを担当していた。
あの時の誇り高さは、あれだけの大人数でも埋もれない美しい歌声は、きっと一生忘れない。
運動能力の高さと、周りの空気を作り上げてどんな難題だってこなしてしまうところは、天性のアイドルだと思っていた。
彼以上に「アイドル」という言葉が似合う人間はいないんじゃないかとすら思っていた。
どこにも行かないとは思っていなかった。
それでも、あなたの安住の地が、優しいあなたの探してた場所が、僕らの愛したここであればいいと思っていた。
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今でも正解がわからない。
「NEWSにいたころの手越が大好きだ」「2020年以降のことに関しては絶対に許せない、許さない」という、相容れない感情がいつまでもぐるぐる渦巻いている。
カラオケでSUMMER TIMEのMVなんか見ちゃうとやばい。
あのMV全員ビジュ良いけどその中でも手越さん可愛すぎないか?
気づいた人がいるかどうかはわからないけれど、私いままでこの文章の中で二回だけ「手越さん」呼びをした。
この段落での一回と、3人での配信ライブの内容に言及したときの「でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う」という文章の中。
この三年間、私は手越を恨み続けてきた。
コロナ前までは「手越さん」と呼ぶことも少なくなかったが、退所後はかたくなに「手越」と呼び続けてきた。
ちなみに残りのメンバーはずっと「小山さん」「増田さん」「加藤さん」「山P」「錦戸君」呼びだし、ほかのグループの人のことも呼び捨てをすることはめったにない。
これはささやかな反抗だった。
私は、「私はあなたを許さない」という気持ちを込めて「手越」と呼んできた。それでも、彼のことを愛おしいと思うときには思わず「手越さん」と呼んでしまうのだ。
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結局私は彼に対するこの矛盾した気持ちを抱えたまま生きていくしかないのだ。
退所前後の一連の行動は許していない。
きっと一生許せないけれど、彼が健康で、幸せでいてくれるといいなと思う。
今の彼のことを応援しているファンのことを盲目だとも思わない。
彼にはそれだけの魅力もある、訴求力がある。
あの奔放さを、考えなしな一面を、どうしようもない自我の強さを、許すことができるのであれば私だって今の彼の活動を応援したい。
もう一度あの伸びあがる歌声を聞きに行きたいし、はちゃめちゃさで成り立ってしまう天才的なバラエティ感覚を享受したい。
でもだめだ。
許せないのだ。
何一つ。
愛していたからこそ。
信じていたからこそ許せないのだ。
それでも愛しているのだ。
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結局この話に結論なんてない。
せっかくなのではてなに挙げてみるが、誰かに届くかどうかなんて考えてない。
ただ、こういう折り合いのつけ方をした人間もいる。
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すすきのは飯屋や大人のお店が多い。新宿みたいだ。新宿を半分くらいの大きさにした感じ。
アイドルとかが売り子したりしてて、都会なんだな〜と思った。
札幌は、いろいろな企業が、新商品を全国に出す前に、札幌で出してみて反応を見たりするらしく、やはりいろんな新商品が置かれていた。
コンカフェで楽しめたが、コンカフェは東京よりレギュレーションが激しいというか、変なサービスは一切なかった。ちなみに、日本一すごいという噂のダークマターというコンカフェも札幌で、そっちはリスカで作ったドリンク提供で一時閉店などで話題になっていたところで、逆にすごいらしい。
札幌は、レベル高いところと新しい突飛なものが交錯するカオスでいい感じだなあって思った。
ホテルは高くて予約も一杯でなかなか泊まれないが、ニコーリフレってカプセルサウナは安くていつ行っても泊まれたので、ニコーリフレに宿泊がおすすめか。
二乗市場ってのが海鮮で有名らしいが、夏は時期じゃないのか、そこまで海鮮がうまいと思わなかった。昔、春先に函館で食べた海鮮は美味しかったのになあ。
東室蘭は、札幌(北海道の真ん中らへん)と函館(北海道の下の方)の中間地点くらいにある。
札幌と函館の中間地点は結構寂れたエリアなんだけど、登別や洞爺湖やニセコなどの温泉やキャンプやスキーで有名な場所がある。
その辺りの地域には、東室蘭という、埼玉の田舎くらいの栄え具合の街がある。東室蘭からなら、登別や洞爺湖にはバスで比較的簡単にアクセスできる。
ちなみに、東室蘭は本当に泊まるだけだったが、住むだけならギリギリ行けるかなくらいの坂ええ具合がある程度なので、東室蘭を目的に観光は微妙。
今回は登別へ。
温泉は改装中とかで入れない温泉が多かった。夏の時期はそんなもんなのかな。
入れるところもあったので、入ってみた。登別温泉は確かに一流温泉だなあとは思った。
ただ、バスでの移動に数時間とかかかるエリアなので、東室蘭以外からだときついかも。
東京理科大の基礎工学部という学部の生徒は、東京で入学式の途中に、長万部に連れていかれるという謎の制度がある。
1年間、長万部の校舎で寮生活をするらしい。ちなみに現在では基礎工学部ではなく国際デザインという学部が長万部流しにあうらしい。
そういう、変な制度があると聞いてから、一度は見てみたかった東京理科大長万部校舎。
結構小さい建物で過ごしてるんだなという感じ。東大とかの建物1つ分くらいの中で、講義があって、食事があって、体育館があって、寮があってって感じ。
駅前で有名だというカニめしを買って食べたが、う〜ん、普通の駅弁のカニめしって感じ。
ニセコはスキーで世界的に有名で、英語バリバリ通じる地方とのことだが、マジで普通の田舎だった。
外国人が土地を買いまくって、億ション立ちまくりだ!みたいな話を聞いてワクワクしていたが、景気の良さは一切ない。単なる本当の田舎。
夏はキャンプ場が有名らしい。
小樽は飯を食うだけで寄った。
飯は美味かったけど、飯屋の女主人の絡みがうざかった。
小樽の印象はこの飯屋の女主人一発で最悪になった。
富良野のラベンダー畑はyoutubeで見れるような感じまんまが広がっている。
観光客は無茶苦茶多く、噂では1日数千万円の売り上げとかってタクシーの運転手が言っていた。
まあでも、田舎は田舎って感じではある。一面ラベンダーというより、一面田んぼと水平線の向こうまで続く山々って感じ。その中にラベンダー畑がある。
旭川は、東京でいえば駒込くらいの栄え具合だった。ホテルはどこも高くて予約でいっぱいだった。星野リゾートがあるからかな?
旭山動物園は、展示頑張ってるなあと思ったが、小さめだから時間的にはすぐ終わってしまう。
夜のニュークラ(キャバクラ)では、苦学生が多くて、ビビった。旭川には塾講とかで稼げるところはないのかなあ。
旭川に、銀座があるとは、、、銀座って感じはないが、なんか、こち亀で出てくる昔の浅草みたいな素朴な通りが銀座って呼ばれてる。
男子生徒の猿のような声が聞こえてきて、微笑ましい。
こじんまりした感じ大好きだ。
女の子たちは、就職終わったばっかりらしく、弛緩した雰囲気の子たちが多かったね。
これマジ??
ニセコって駅に行って、心配になる程駅がど田舎駅そのもので、わけわからん鐘が置いてあるところが寂れた村感マシマシで。
「村役場があるじゃん、ここにいけば、流石にニセコの中心でしょ」ってニセコ村役場まで歩いて。
マジで単なる田舎で、「ニセコの億ションどこよ?」で帰ってきてしまった。
まさか、ニセコ駅ではなく、全然ニセコ駅から遠い倶知安町駅にニセコがあるってそんなあ。。。
そんなあ。。。
これトラップすぎない?すすきの駅降りたら、二条市場が呼びまくってる感じマシマシの看板群なんだけどお。
なんだよあの「海鮮ならここ!!」!みたいな案内。
トラップすぎるじゃん。
しかも、「千歳空港の佐藤水産でもなんとかなる」ってなにそれえ。空港で食べれるんなら、北海道旅行の意味ないじゃないですか、地元で最高の海鮮出してくださいよ!
>元旭川民から ラーメンで辛いってどこで食べたんだろ 濃いはあっても辛いラーメンがよくわらん
新子っていう、鳥の丸焼きに照り焼きソースかかったやつがラーメンと一緒に出てきて。
ホルモンが塩辛くって、新子も塩辛くて、ラーメンの味がしないくらい塩辛かったです。
でも、たくさんラーメン店があったから、あれは旭川ラーメンじゃなかったのかも。
旭山動物園の旭山ラーメンの方は、普通に美味しい味噌ラーメンでした。
>「北の国から」の舞台の辺りは富良野の市街地から山の中に大分入らないと行けない。
https://www.clubdam.com/ranking/
可愛くてごめん
酔いどれ知らず
JOTSOUND月間ランキング
https://www.joysound.com/web/karaoke/ranking/all/monthly
ドライフラワー/優里
シンデレラボーイ/Saucy Dog
酔いどれ知らず/Kanaria
新時代 ( ウタ from ONE PIECE FILM RED)/Ado
可愛くてごめん (feat.かぴ)/HoneyWorks
SOMPO美術館のブルターニュ光と風という展覧会に、鯖漁と題された絵が出ていた。中央に漁をする5人乗り程度の小舟。遥かに見える水平線は朱に染まり太陽が見える。それを解説では夕日だと断定していたのだけど、なぜそう言えるのか? むしろ漁は未明から行って昼には終えるもんなんじゃないのと思わないでもない。
こういうふうに、絵を見てると朝焼けか夕焼けか迷うことがある。方角とか題材とかで特定できることもあるけど、分からないことも多い。なにかいい判別法はないだろうか。
ちなみに、この展覧会はカンペール美術館所蔵のブルターニュ地方を題材とした19世紀から20世紀を中心とした絵画の展示で、思いのほか見ごたえがあった。おすすめはセリュジエの数点。フライヤーなどで使われてる難破した2人の印象的な絵は、意外に半裸の方も男だという。父と息子の最後のキスなんだと。同階にあった聖母子は顔はめパネルみたいな感じてなかなかおもしろいので、一見の価値あり。
大学時代、ゼミの飲み会で、助教授を含めた6〜7人くらいで、広い部屋に住んでいたやつの部屋に集まった
そのなかで、何が怖いかって話が出た
出たっつうか、出したのは俺だったと思う たしか
俺はまあ月並みというか、よくある感じで、海が怖い小学2年生くらいのとき、海に行って浮き輪で浮かんでいたら、離岸流に捕まったのかなんなのか、気がついたらどんどん沖に流されていて、戻ろうと思ってもどうしようもなく、足元を見たら黒々とした水の中になにか赤いものがチラッと見えて、強い恐怖を覚えた
結局父が回収に来てくれて全然大丈夫だったんだけど、まあ、海が怖い
現実での海との関わりって、岸から水平線を眺める程度がメインで、踏み込んでもせいぜい浅瀬で泳ぐくらいだ
ゲームだと違う ガッツリ潜る なんなら深海みたいなとこまで行ったりする
暗くて辺りがどうなってるのかまったく見えないし、水中で動きも悪いなか、もしかしたらすぐ近くにいるかもしれない巨大な生物に怯える 超怖い
こっちはちっぽけで、水中がホームグラウンドじゃないから動きも悪い
勝負にならへんよ 帰らせてください そういうことだ
というわけで、俺が怖いのは海
他の人が怖がってたのは、たしか虫とか大型犬とか、そういうものだったんだけど、その場で最年長の助教授の怖いものが印象的で、他の人のは忘れてしまったというのが正直なところだ
助教授は、死が怖いと言っていた
死ぬことに伴う苦痛が怖いというより、死ぬことそのものが怖い、意識が消失して、そのあとどうなるかがわからないというか、多分どうにもならないんだけど、とにかく消滅してそれっきりというよるべ無さが怖いと、そういう話だった
高校のときのクラスメイト、バスケ部のイケメンもたしかそういう話をしていた
増田くん、死ぬのって怖くない?俺はときどき、死ぬことを考えて眠れなくなるよ、と
俺は結構そうでもない
生きてるのがかったるくて苦痛だから、消滅できるならありがたいという感じだ
昔、首を吊ろうとしたとき、えっ俺ここで力抜いて首吊りが上手くいったら、2分後くらいには完全に意識なくて、ここまで生きてきた20数年も一瞬で無になるのか、と思ったら、そのあまりのアッサリ加減にビビった、というのはある
でも、それはジェットコースターに乗る前にビビるとかその程度のやつで、別に考えたら眠れなくなるって類のものではない
なので、普段わりとひょうきんな助教が、飲み会の雰囲気を引きずって弛緩した表情で、でも目はちょっと遠くを見て、「怖いもので言うと〜…僕は死ぬのが怖い」つってたのは、かなり印象的だった
そうなんだなあ、と思った
それだけなんすけどね
第一線の数学者は他のどの科学者よりも難しい問題を達成していると思うのだが、特に現代数学において誰でも知っているというような人が全然いない事実にひっかかるものがある。
マルクスみたいな経済学者とか、ファーブルみたいな生物学者など、他の学問には数学者よりは高度なことはしてないというのに一般の人でも知っているという人がいるのに、これはどういうことなのか。
数学者で有名といったら、せいぜいピラゴラスといったような古代人、現代数学でいえばリーマンとかラプラスとかだ。
これらの人物に共通するのは小学校から大学までのカリキュラムで扱う理論や公式の発見者かどうかということに過ぎない。
特に古代人が考えたことは現代から見れば易しいものなので義務教育の内容に採用されやすい。だからあのへんの時代の人物は数学者でも知名度が高い人がいることになる。
ようするに言いたいのは数学者の有名無名はただ単に教育制度次第になっているということだ。
高度な現代数学でも岡潔や望月新一と有名な人はいるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、あれらが有名なのも、実績の価値が正しく一般の人にも伝わって認知度が高まってきたというものではない。
岡潔なら統合失調症だったなかで戦時下を生き抜いたこと、望月新一なら自分のコネを使って論文を掲載させたこと。
そういう生き様のセンセーショナルなところがもっぱら庶民の関心を呼び起こしているに過ぎないのだ。
ポアンカレみたいな「未解決問題を解いた人」というわかりやすいラベリングを持った人間が有名なのも本質的には上述したのと同じところにあるのだろう。認知している人の多くが業績の概要と価値だけでも正しく理解してるか疑わしい。実績の内容に関する関心ではなく、未解決問題を解いたという一点で共通認識化されているように思われる。
ちょっと単純化が過ぎるかもしれないが、数学以外の科学者の土俵はもっぱら実験や実証のなかにあると思う。
実験により、何かをしたらこういう結果が出た、という目に見える因果関係を把握する力さえあれば誰でもその分野の大学者になれる素質はあるとさえ言える。
もちろん実際に誰もが知ってる大学者になれるかどうかはもちろん有用な結果をはじき出す実験にこぎつけられたらという話になるが、どちらにせよ彼らは比較的易しい具象の中で研究対象と戦っているということには違いない。
一方で数学ときたら現時点で新規性のある高度な数学論文をしたためるには何万ページという論文が語る知見に対する確かな理解の積み上げが無いと無理だろう。
理解する過程においても数千ページ目にあたるある論文が理解できないとなったときどこに理解の欠落があるか今まで読んだ論文から探しなおさなければならないわけである。
理論の構造自体も目に見えるようなわかりやすい因果関係から成っているのではなく、抽象的なわけだから、知識の欠落がなかったとしてもその理解は純粋に難しい。
しかし高度な論文の作成はその先にあるのだからこの数学の研究というものは果てのない作業なのである。
望月もそのような作業を経てついにはIUTの創出という高みに至ったはずである。
そして望月以外にも当然少なくとも月ごとには相当数、同程度の高みから発した高度な内容の論文が公開されているはずだが彼らの中から一般人にも有名という人は現れて来ない。
ようするに現代数学者は天才である。あの手の分野の数学者は受験勉強を全くせず東大に悠々と合格するような人間がざらであるらしい。もっとも現代数学者の絶対数が少ないのだから「ざら」というのは数ではなく割合の問題なのであろうけど。
そんな数学よりは高度な理解力を要しない学問では誰からも知っている人が出てきているのに、現代数学ではせいぜい専門家の間で有名という程度にしかなれないというのは理不尽なことだと思う。
私にはそれほどの数学の才能はないので数学ができる人間に対して劣等感がある。
だから劣等感の元凶である彼らにはせめてとことん栄誉ある立場にあってほしいのだ。
彼らすら大して評価されないのでは彼らと違って能力のない私には何も救いがないではないか。
あるいはこういうことなのかもしれない。既存の知識を理解するという力と新しい見識を発見する力というのは異なるものなのではないかと。
つまり数学の功績は高度な理解力の上に成り立っているものだけども、高度な理解力をもった彼らがもし別分野を志していたとしたら果たして一般の人の記憶にも残る大学者になれていたのかどうか。
現代数学者にチョムスキーの生成文法もその理論を考え出した背景にある理論も含めてその気にさせれば簡単に理解してしまうだろうが、かといってもし彼らがチョムスキーと同時代に生まれて言語学を志していたらチョムスキーを出し抜いてあのような文法理論を創造できたのだろうか。漢字の世界で白川静みたいな業績を打ち立てることができただろうか。丸山真男のような戦後思想史の巨人になれただろうか。
理解力は結局脳の処理能力という量的な要素に還元されるものに思われるが、理論の創造というものはどのような分野にしても大胆なひらめきがものを言い、これなるものは量化などもちろんできない、一種の特殊能力なのではなかろうか。
数学はむしろ知見が論理的に緻密な状態でに充実に蓄積されているのに比べ、他学問の知見は相対的には雑駁というかなんというか、とにかくそういったところから新しい理論を考え出すのには数学以上に何かアクロバティックな部分が必要にも思える。
コペルニクスだったかは海上の水平線で帆船が見えなくなる事実から地球が丸いということを歴史上最初に悟った人物らしいが、彼のような発見は彼より多くの知識を持った、つまりは理解している天文学者には出来ないはずだと朝日新聞の轡田だかいう論説委員の本に書いてあったと思う。
本当だろうか。現代数学者がその時代に生まれても無理だったのだろうか。でももしそういう発見という意味での知性が特殊な力なのなら、ここは素直に認めておくべきことなのかもしれない。数学者こそ昔の偉人が発見した事実をベースに論文をしたためることができているだけで、彼らがいなかったらならば今のような仕事はまるでおぼつかないものになっていたかもしれない。
ただしコペルニクスやデカルトみたいなあの手の啓蒙思想の潮流で偉人扱いされている人がもしも今生まれたら、史実でその発見をしたときのインパクトと同じぐらいのインパクトを持った発見ができるのだろうかという疑問はある。
しかしできないのだとしてもそれは役割の問題なのだということになるんだろう。コペルニクスにはその特殊能力をもって彼にしかできない発見をしたのだし、現代数学者も彼らの理解力をもって高度な論文を発表している。それでよしとするべきことなのだろうか。19世紀から20世紀のイギリスでは優秀な人間は天文物理学に行くものだという常識・慣習があったのも引っかかる。
学者としての優秀さというのは最終的には理解力のような計り知れるものではない、ひらめく力・直感のセンスで決まると認識があった証左なのだろうか。
そうであるなら私についてもまだまだ人生これからで、数学以外の学問でひらめきを発揮する道はあるのかもしれない。
そうだとすれば劣等感を抱く前提条件も崩れ、数学者が一般に知られていようといまいが気にする問題ではなくなってしまうはずであるけれど、ここまで掘り下げて考えてしまったので、まあそれはそれとしてこの疑問は解消されるまでことあるごとに私を悶々と悩ませるには違いない。
まあそれでも既存の知識を理解することにおいては絶大な才能があること、つまり学者がどんな難解な理論を提唱しようがたちまち理解してしまうという意味で、あらゆる人に対してタイムラグはあるにしてもそれを無視した見かけ上はどちらの方が物事をよく理解してるかということについては遅れを取ることがないという点にはやっぱり羨やむものがあるかな、ノー勉で東大に受かる素質というのも素直に?率直に?畏敬の念に駆られてしまう。
dorawiiより
もう全く本筋と関係ない(と思うんだ)けど
昔バンプのスノースマイルが街で流れまくってたとき、みんなが「これはラブソングだ間違いない」って思って聴いてたのに、メンバーの誰もラブソングとは言ってないんだよね
バンプはそういうの多い
まあベースの直井が不倫認めてたりするからそういうの気にするとちょっとってなるけども
逆に言えば、巷で「男女のラブソング」って認知されてるものでも歌詞とかちゃんと読むと違った見方できるかもしれない
なお責任は持たない
俺はくるりの「その線は水平線」なんかいいんじゃないかと勝手にオススメする
気の抜けたエモさというか
欲しいけど手の届かない新しい愛みたいなものには地に足つけてゆっくりたどり着けばいい
みたいな感じがよく出てる
人間が夜空を最も美しく感じるのは10歳のときで、それより歳を重ねると霞んでいく一方だという言説をどこかで読んだことがある。ふと思い出していくつかの言葉の配列を用いて検索してみたが、原文は見つからない。私の願望なのかもしれなかった。
高校に入学して初めての夏休み。昼下がりの会食を済ませたあと、中学時代の友人と共に町を歩いていた。田舎の道路は全ての人にとって旅路の通過点に過ぎない。当然私たちにとってもそれは同じだったが、朧げにしか意識しなかったし、その必要さえもなかった。畑に埋め尽くされた景色の中で、過剰に舗装されたアスファルトの黒さが不釣り合いに見えた。
会話の間隙にそれとなく見上げた夕焼けの赤に瞼の裏がぬるく解けて、いやに清々しくなって、言葉を失った。そんな気持ちになるのは生まれて初めてのことだったから、これが青春とかいうやつなのかなとか、半ば冷笑的に黙考した。その場には笑い声だけが響いていた。気づけば私も笑っていた。
ある状況の渦中にあることを認識するためには、そうではない状態を知覚する経験が不可欠だ。だから、ある幸せが存在することに気づくのは、消失へと向かうスペクトラムの萌芽に足を踏み出すのと同義なのである。
歳を重ねると空や海に涙が零れるようになることだけは知っていたけれど、あの冷えた幸せに終点があることを想像するには私たちは若過ぎた。
17歳の秋に、初めて翡翠の水平線を見た。修学旅行の2日目、沖縄の海だった。バナナボートに乗る同級生を尻目に、アトピー性皮膚炎のある私は象牙色の大粒な砂浜をひとり散策していた。平坦な床を歩くことに慣れた私には、踏み込むたびに不規則に崩れる足場が新鮮でたまらなかった。仄かな潮風が体を包むと、澄んだ笑いが漏れる。聞こえる笑い声はあの日よりもずっと多かったけれど遠く離れていて、波音が容易くそれをかき消した。自由になれたような気がした。今だけは隣で笑う人なんていなくてもいいと思えた。
太陽の眩しさすら爽やかだった。あの頃はそれほど偏頭痛が酷くなかったから、眼窩を抉る痛みを知らずに心を真白に染められた。
ずっと、海を見ていたいと思った。交じり合う碧色のゆらめきと地球の呼吸に身を委ねている時間は、何よりも心地よかったから。その日から私は、沖縄の海を憧憬している。
物体が永遠の美しさを持ち得ることがないように、我々の審美眼も恒久ではない。その瞬間の網膜を最も鮮明に彩るものは何なのか、私たちの瞳には何が残されているのか、詮索せねばならないと思う。瞬きを注視しなければ、一縷の光はすぐさま通り去ってしまうのだから。
ぶっちゃけ社内が全然DXしてないし社員のITスキルも超絶低くて、CM見る度に恥ずかしくなる
社内で要望を聞く会、みたいなのがあったので
みたいなことを提案したら、割とみんな「ほんまそれな」って感じで乗ってくれた
なので実際にプレゼンする感じになったんだけど
「グループ全体の目標」→「会社の目標」→「目標達成への課題」→「課題解決の方法」
っていうテンプレ通りにプレゼンしないとダメで、パワポもそれが準備されていた
全社的に簡単に手を付けられるDXの部分があるからまずはそれからやりましょう!っていう感じで最後の課題解決は決まってたんだけど
グループ全体の目標とか会社の目標とかは10個ぐらいあってそのうちの1つがDXみたいな感じになってる
なので資料だけを素直に読むと「なぜそこを選んだのか」が説明しづらい
トップダウンな課題解決しか許容されていなくて現場の課題が解決されない理由がよく分かった
まぁそれでもなんとか頑張って資料付くってプレゼンしたんだけど、それを見た幹部は
「視座が低くてダメだ。もっと大きな視点で持続的な発展ができるような取り組みをやろう」
「こんな小さな課題を解決しても楽しくないよね?もっと楽しいことをやろう」
「DXの課題解決には他にもいろいろ取り組んでいる。もっとやっていることを調査してからプレゼンしてほしい」
駐妻。子なし。ビザの関係で就労できなかったのでボランティアしたりゲームしたりYouTubeしたり趣味の創作物で確定申告しなくてすむ程度の小金を稼いだりしてた。
最初の1,2年は仕事してないことへの罪悪感とか夫のお金だけを使うことへの罪悪感がすごくて鬱っぽくなったけど、鬱っぽくなったところで誰にもケアしてもらえないのでもうええわいな! って感じで生活以外のことに夫の金を使うことに躊躇がなくなり、趣味に打ち込んだりサボったり家事をまめにやったりサボったりして今に至る。家事が適当になってもならなくても金遣いが荒くなったりなくなったりしてもそんなに頓着のない夫でそこは助かった。
ほんとは夫の退職までいまの国に済む予定だったんだけど、いろんな事情があって3年以内日本に帰らないといけなくなった。本帰国がいつになるのかはまだわからない。1%くらいの確率で本帰国がなくなる可能性もある。が、一応来年帰国するつもりで行動しようと夫と話し合った。
でも帰りたくないよおおおおおおおおお!!!!
子なし専業主婦なんて人によると思うけど私にとっては慣れたら快適でさ、好きなだけ寝られるし、コロナ禍までは夫の出張多かったから友達呼んだりとか、ゲームとか漫画とかアニメとかでひねもすよもすがら過ごしてもよかったし、働いてなくても「ビザ降りないんだから仕方ないよね」って許されたし、駐在妻仲間もいい人ばっかりで趣味の話できる人もいて、趣味繋がりで現地の友達もできて、本は電子書籍になっちゃうけど夫の稼ぎのおかげであんまり躊躇せずに買えた。生活には一切困らなくて本当に快適だった。趣味や家事を極めるもよし消費に身をやつしてもよし(家計を圧迫しない程度に)、飼い猫と一日中遊ぶもよし、たまの一時帰国にはちょっといいホテル泊まって茶会や観劇もよし、のんびり過ごすもよし……。
今の時期なら某エアラインのビジネスクラス用ラウンジ開いてないからファーストクラスラウンジに案内してもらえてシャワーも待たずに使えるし(ビジネスクラスラウンジのシャワーは時間帯にもよるがだいたい混んでた)、寿司職人の握った寿司が食べ放題だったりして超快適なんだよ。ビジネスクラスラウンジと違ってセルフサービスじゃなくてちゃんと係員の人が持ってきてくれるの。某ミシュランのラーメンも食べられたんだけど、上品で滋養に満ちた味がしてあんまりにも美味しかったから感激しちゃって「とっても美味しかったです!」って係員の人に言っちゃった。化粧品とかアクセサリーとか、ちょっとしたプレゼントなんかを年に一度の帰省の折に空港の免税店や機内販売で買うの楽しみだったんだけど、日本帰ったらコロナ禍落ち着くまでは国際線には乗らないだろうな。
親兄弟だって仲は普通くらいなので年に一度会うくらいでちょうどよかったし向こうも「◯◯国に姉/娘が住んでる」みたいなのけっこう話のネタにしてたみたいだからめっちゃガッカリするだろうな。仕事が忙しくて、引退したらこっちの国に旅行したいと行っていたけどコロナ禍でダメになっちゃったし。まあ日本に帰ったら、万が一親が危篤になったらすぐ帰れる、というのは救いだけど。
日本帰ったら東京に住むことになりそうで、夫の海外赴任手当がなくなる分給料がかなり目減りするしそのくせ家賃高いし家は狭いし人は多いし通勤時間長そうだし生活音に気を使いそうだし相互監視社会みたいで嫌だし私ができる仕事だってきっとなさそう。40歳目前の10年ダラついた専業主婦やってた奴なんか誰が雇うんだよっていうかパートやバイトもできる気がしないし今さら働くための資格勉強とかできる気がしないよ! フォークリフトの免許はちょっとほしいけど。夫にも「働くとこなんてないでしょ」みたいに言われるんですけど! 支出減らせばなんとか専業主婦でいけるかな? YouTubeのよめ子(夫の手取り15万円でも専業主婦したいというコンセプトで食事作りから始まって今では家をリノベまでしてるスーパーサイヤ人系主婦)女史みたいなガッツとセンスがあればいいんだけどそんなのない! 趣味で稼ごうにも、YouTubeチャンネルはあるんだけどセンスなくて5年やってるくせに登録者500人くらいしかいない。歌ってみた系統なので収益化なんて夢のまた夢(※動画を上げると権利持ってる会社からコピーライトクレームがつき、たとえ登録者1000人超えていても動画に広告を入れられない)。
いま住んでる国、国自体は豊かだけどかなり田舎のほうだから娯楽は少なかったけど、めちゃくちゃでかいピックアップトラックで大平原みたいなところをひたすら走ってだーーれも来ないだだっ広いビーチパークで水平線をボケーと眺めながらドライブスルーで買ったスタバのピスタチオフラペチーノベンティーをすするとか、もう二度とできないんだろうな。
あと飼い猫が外飼いなんだけど、東京に連れて行くつもりだからそうなると室内飼いになるので、ちょっとかわいそうかな……と思う。そういえばウクライナからペット連れて来た人がニュースになってたね。海外から日本に犬猫連れて帰るのは書類やら手続きやらが面倒だしチップ埋めたりワクチン二回打たないといけなかったりするから準備日数もかなり必要なんだよね。一緒に帰れるようがんばらないと。
ほんまか?
歌手 | 曲名 | 翼 | あの頃の俺たち | 言えなかった |
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菅田将暉 | ラストシーン | なし | なし | なし |
Ado | 阿修羅ちゃん | なし | なし | なし |
AI | アルデバラン | なし | なし | なし |
あいみょん | ハート | なし | なし | なし |
NiziU | チョップスティック | 「Like a wing to fly」 | なし | 「うまく言えない」 |
JUJU | こたえあわせ | なし | なし | なし |
桑田佳祐 | SMILE〜晴れ渡る空のように〜 | なし | なし | なし |
Official髭男dism | Cry Baby | なし | なし | なし |
倖田來未 | 4 MORE | なし | なし | なし |
back number | 水平線 | なし | なし | なし |
YOASOBI | 群青 | なし | 「あの日の透明な僕」 | なし |
King Gnu | Boy | 「翼を広げて」 | なし | なし |
Da-iCE | CITRUS | なし | 「あの日の僕ら」 | なし |
菅田将暉 | 虹 | なし | (あの頃を思い出して) | なし |
MISIA | Higher Love | なし | なし | なし |
YOASOBI | 怪物 | なし | なし | なし |
BE-FIRST | Gifted. | なし | なし | なし |
YOASOBI | 夜に駆ける | なし | なし | なし |