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はてなキーワード: 水平線とは

2021-07-12

また海にいきたいな。憎しみとか恨みの感情も忘れられる。田舎の海がいい。松林の向こう側に見える海岸線みたいな風景に弱い。くり返す波の音。誰もいない浜辺で寝そべってぼーっとしたい。今の季節だったら水平線も滲んでるのかな。

2021-06-29

anond:20210629181355

なるほどー水平線ってのは作家名なのね、関谷あさみが書いた短編タイトルかと思ったわ

ちょっと読んでみます

anond:20210629175314

your dogは作者の萌え(不憫萌え依存)に共感出来るタイプならハマるがそうでなければトラウマになると思う

水平線は『させ男の瀬尾くん』『ご奉仕執事吉野くん』とか描いてる作家

作者女だと思ってるし男だったらビビるけど小梅センセーも男だからな。わからん

anond:20210629174020

小梅けいとはなぜか最初から男という感覚がある

俺はyour dogは当時絵柄が好みじゃなかったからまともに読まなかったな

そんなトラウマになるレベルなんか

一般紙うさぎドロップっぽさあるって「千と万」のこと?

あれ実親子だからまったくそんなんないし子供リアルなうざいガキっぽさ出してて変に萌え萌えのかわいさじゃなくてすげーよかったよ俺の心の本棚に入ってる

水平線ってのがわからん

単行本未収録?同人誌

anond:20210629173009

すごくかわいいロリを描くけどワイは your dog がトラウマ過ぎて記憶から消した

百合ものも描くけどたしかに女の感性だなって思うけど求めてない負方向だったので記憶から消した

一般誌で描いてるのはうさぎドロップ系が地雷なので未読

水平線みたいなのはいいな 小梅けいとみたいに男だったらビビる

2021-06-19

七里ヶ浜高校に通いたかった マジで

ミーハーというか、俗な欲だとはわかってんだけど、俺は七里ヶ浜高校に通いたかったんだ

校舎から海が見えるようなところに通って、でもその景色の美しさをちゃんアプリシエイトすることはせず、「こんな景色のどこがいいんだか!」みたいなナメた口をききながら灰色青春を送ってさ

でもその後の人生高校時代を思い出すとき、そこには必ず青い海があるんですよ 懐かしいものとして、海と青春が結びついている

そういう人間になりたかったんだ

実際に俺の行ってた高校のヘボさといったらないですよ

ビジュアル的な思い出、マジでなんもねー 台風の日に、教室から見えるところに植えられたヤシの木がすっげえしなってて、アレ折れるんじゃねえか?と思って注視していた その程度の思い出しか出てこないんだ

からは遠く離れていたが、かといって山奥にあったわけでもなく、じゃあ都市部で便利かというとそんなことは全然ない 地方都市とすら呼べない規模の、「街」と「町」の間みたいな、なんとも言えない、イメージカラーとしては灰色みたいな、地味〜なところにあったんだ 俺の高校

灰色場所灰色高校生活、ということになってくると、本当に全部灰色で、ダメなんすよ

というか、"灰色"って表現はカッコ良すぎるな

そんなにいい色じゃないんだ本当は 茶色 厚揚げみたいな茶色ですよ

厚揚げみたいな色なんだ 俺の青春はよ 目に楽しい要素が一切ねえの だから、具体的に思い出すことが何もねえ

ネットでちょいちょい盛り上がってる、いわゆる「感傷マゾ」 あんなのも全然響かねー

足掛かりになるものが何もなく、ほんの少しの共感すらできないってワケです 入道雲すらパッとしない、本当につまらない街だった 町というべきか?

そういえば、くるりの『街』って歌を高校生のとき初めて聴いて、"この街は僕のもの"っていう感情入りまくった歌い出しに感銘を受けたことがあったな

その次の日の朝、登校するときに、駅の歩道橋から"街"を見渡してみたんだけど、見えたものはといえば、どこからどこが街なのかわかんねえ感じの、ただ道路沿いに民家がへばりついてるだけで、まとまりもなにもない、惨めな場所だけだった

街、ないやんけ〜ッ!と思いながら歩道橋を降りた思い出がありますね これはもしかすると比較的思い出らしい思い出かもしれない

とにかく、とにかく俺は七里ヶ浜高校に通いたかった

七里ヶ浜高校存在を知ったのが遅かったし、そもそも神奈川とは死ぬほど離れてて、どう考えても下宿なんかをしてまで七里ヶ浜まで行く理由はなかった

俺が七里ヶ浜高校に通えないことはなかば宿命だった 

でも悔しい!悔しくないですか?

なぜ俺は、高校時代の思い出の景色として「踏切の向こうの海」とか「窓から見える水平線」、あるいは「冬のしけた海」みたいなのを持ってられないんだ

思い出の持ち駒がマジでなにもない 帰り道、通学路にあったGEOに入っては、「○○さん(好きだった人)が入ってきて、一緒にCD選ぶみたいな展開にならねえかな!」と思ってた というような、カスの思い出はある でも違うんだ

もうちょっとこう、ローカルで、固有な感じのある、原風景的なものが欲しいんだよなあ

何もねえ 何もねえよ

あいいのかそれで いいのかもしれないが

2021-06-18

anond:20210618040258

徹夜して鳥が鳴きはじめると、なんか嬉しい。

太陽の上辺が地平線(または水平線)に一致する時刻」を、日の出というらしいので、「そろそろ明るいなー」ってのはもっと前なのでは

2021-06-10

海に奪われたもの

まれ育った場所は常に横に海がいました。

海は静かで良いものです。それに、眺めているとまるで自分を受け入れてくれるような懐の大きさまで見せてくれます

背の高いビルや人通りの多い歓楽街などとは縁遠い所ではありましたが、幼い頃、私とよく遊んでくれました。

祖父母の家の近くに海がありました。

親に連れられ挨拶を交わした後、家の裏側にある海へ行く事が多く、大人たちが話しているのを後目に、海と遊んでいました。

石を遠くまで投げたり、海と陸のすれすれを歩いたり、何処までも続く水平線をあてもなくただ眺めていたり。

ただ、海の中に入る事だけは許されていませんでした。

海は色んな顔を見せてくれました。

穏やかで波一つ見せないときもあれば、気性荒く暴れるように陸へ波を打ちつける日もありました。

こんな海の様子を、よく「時化ている」と言っていたのを覚えています

「時化ている」時は海が暴れているため、船を出すことはしません。

海が船を飲み込んでしまうからです。

祖父は漁をしていました。

船に乗って、少し遠くまで行って、戻ってくる。大量の時もあれば、「ダメだ」と言って戻ってくる時もありました。

祖父は決まって、笑っていました。

祖父は私を可愛がってくれました。

優しく、時に厳しく。よく遊んでくれとせがんだ事を覚えています。その心は、まるで海のようでした。

海と長く一緒にいた祖父は、海が好きだったと思います

海のことを教えてくれたのも、祖父でした。

ある日、海が祖父を奪いました。

海は穏やかでした。天気は晴れ。波一つない、絶好の漁日和でした。

私は初めて、暗く淀んで底の見えないところも、穏やかに見えていつでも私たちの命を奪えるところも、全て引っ括めて「海」だということを知りました。

私は、海の良い側面しか見えていなかった。

祖父の命を沈めた海は、陽の光を反射して、キラキラ輝いていました。

あの日を境に、海へと近付くことは少なくなりました。

私は今、故郷を離れた別の海に近い町に住んでいます

少し遠くから眺める海は、太陽の光を一身に受けて、より一層眩く感じられます

やっぱり、私は海から離れる事は出来ませんでした。それは常に横にいたからなんて理由で片付けられるものでは無いことを知っています

忌々しいはずなのに、どうしても綺麗で、肌を撫でる潮風が心地よくて、それを認める自分が居て、悔しくて仕方がありません。

私は海が嫌いです。

2021-06-02

anond:20210601142224

これは典型的ミクロ経済マクロ経済の違いですね。元増田はそのあたりを把握したほうがよいです。

ミクロ経済的に最低賃金が上がった場合は、要は労働価格市場価格より高止まりする、つまり需要供給を下回り

労働力が市場にだぶつく、つまり人は雇わなくなるだの最賃より高い人の給与があがるだのといった現象が導けるという感じです。

ただこれはあくまでも個別経済主体、つまり一人の経営者目線にすぎず全体の経済事象が見えていない状態です。

マクロ経済的にはそもそも労働供給最低賃金を上げたからといって物量が急に増えるなんてことはなく、基本的には安定しています

そのため供給曲線はある意味水平線みたいな形になるため、ミクロ経済視点よりも最低賃金の上昇が与える労働需要

現象はかなり緩やかなものになるのです。つまり労働力がある程度だぶつくという事象は発生するが、それは経営者が考えている

ほどではないということです。

また一般的労働が生み出す価値というのは、労働者本人の能力に加え、会社提供する資本ビジネスモデル割合が大きいです。

そのため労働者の能力以上に単に生産性の低い企業労働需要を満たせなくなり、生産性の高い企業労働力が移動する

という事象が発生します。これが要は日本必要と言われていた構造改革であり、今薦めるべき政策の一つというわけですね。

しかし、これには昔から1点反論がありました。外国人労働者存在です。今までの話は労働供給価格(=賃金)によって

左右されにくいというマクロ経済の前提をベースにおいたものですが、実は日本グローバル化しているのに伴い外国人労働者

存在によってこの前提は崩れつつあったのです。つまり労働価格が高いため海外から労働者が来るようになり

スーパーとかを見てもわかると思います日本国がマクロ経済で語れる存在からミクロ経済個別経済主体に

過ぎないものになってきたということです。

ところがここ2年は更にその前提が崩れています。皆さんご存知のコロナです。コロナのため国内最低賃金ベースで働くような外国人

は急に減少している状態であり、おそらくあと2年程度はまともに入ってこないと思われます

まり最低賃金を増やして構造改革を薦めるタイミングは実は今しかないのです。

2021-05-30

空と水平線の青、夕焼けの赤、生い茂る緑、今年も濃い季節がやってきますね。

2021-03-22

菰田

以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見たかという点に、お話を進めることに致しましょう。

 三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智交際を結んだ時分から一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。

 そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。

 彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井蜘蛛もの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。

 そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分探偵小説中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから自分自身の部屋を、泥棒他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物煙草をプカリカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。

 ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。

 はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。

「ナアンダ、つまらない」

 ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこからねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。

 それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。

 彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。

 先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます

「これは素敵だ」

 一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。

 その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。

 東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきまりというものがありません。彼の部屋の天井から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています

 下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。

 それから又、ここでは、他人秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根からますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。

 この、屋根裏という屈指の舞台発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。

 彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。

 夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。

 こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。

 天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。

 何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激反資本主義議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給辞令を、折鞄おりかばから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景ゾロリとしたお召めし着物不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種クリーニングをやっている光景、何々大学野球選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。

 三郎は又、止宿人と止宿人との、感情葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。

 若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。

 さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。

 これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきかいていることでした。

 三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。

 三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。

 そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。

 併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤殺害するという考えだったのです。

 彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手人物にあるのではなくて、ただ殺人行為のものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。

 ところが、今遠藤場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。

 東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェ遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら

シグナ

「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、

  さそりの赤眼あかめが 見えたころ、

  四時から今朝けさも やって来た。

  遠野とおのの盆地ぼんちは まっくらで、

  つめたい水の 声ばかり。

 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、

  凍こごえた砂利じゃりに 湯ゆげを吐はき、

  火花を闇やみに まきながら、

  蛇紋岩サアペンテインの 崖がけに来て、

  やっと東が 燃もえだした。

 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、

  鳥がなきだし 木は光り、

  青々川は ながれたが、

  丘おかもはざまも いちめんに、

  まぶしい霜しもを 載のせていた。

 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、

  やっぱりかけると あったかだ、

  僕ぼくはほうほう 汗あせが出る。

  もう七、八里り はせたいな、

  今日も一日 霜ぐもり。

 ガタンタン、ギー、シュウシュウ

 軽便鉄道けいべんてつどうの東からの一番列車れっしゃが少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車きかんしゃの下からは、力のない湯ゆげが逃にげ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突えんとつからは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。

 そこで軽便鉄道づきの電信柱でんしんばしらどもは、やっと安心あんしんしたように、ぶんぶんとうなり、シグナルの柱はかたんと白い腕木うできを上げました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。

 シグナレスはほっと小さなため息いきをついて空を見上げました。空にはうすい雲が縞しまになっていっぱいに充みち、それはつめたい白光しろびかりを凍こおった地面じめんに降ふらせながら、しずかに東に流ながれていたのです。

 シグナレスはじっとその雲の行ゆく方えをながめました。それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へ延のばしながら、ほんのかすかにひとりごとを言いいました。

「今朝けさは伯母おばさんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ」

 シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気をとられておりました。

カタン

 うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたのでシグナレスは急いそいでそっちをふり向むきました。ずうっと積つまれた黒い枕木まくらぎの向こうに、あの立派りっぱな本線ほんせんのシグナル柱ばしらが、今はるかの南から、かがやく白けむりをあげてやって来る列車れっしゃを迎むかえるために、その上の硬かたい腕うでを下げたところでした。

お早う今朝は暖あたたかですね」本線のシグナル柱は、キチンと兵隊へいたいのように立ちながら、いやにまじめくさってあいさつしました。

お早うございますシグナレスはふし目になって、声を落おとして答こたえました。

「若わかさま、いけません。これからあんものにやたらに声を、おかけなさらないようにねがいます」本線のシグナルに夜電気を送おくる太ふとい電信柱でんしんばしらがさももったいぶって申もうしました。

 本線のシグナルはきまり悪わるそうに、もじもじしてだまってしまいました。気の弱いシグナレスはまるでもう消きえてしまうか飛とんでしまうかしたいと思いました。けれどもどうにもしかたがありませんでしたから、やっぱりじっと立っていたのです。

 雲の縞しまは薄うすい琥珀こはくの板いたのようにうるみ、かすかなかすかな日光が降ふって来ましたので、本線シグナルつきの電信柱はうれしがって、向こうの野原のはらを行く小さな荷馬車にばしゃを見ながら低ひくい調子ちょうしはずれの歌をやりました。

「ゴゴン、ゴーゴー、

 うすいから

 酒さけが降ふりだす、

 酒の中から

 霜しもがながれる。

 ゴゴン、ゴーゴー、

 ゴゴン、ゴーゴー、

 霜がとければ、

 つちはまっくろ。

 馬はふんごみ

 人もぺちゃぺちゃ。

 ゴゴン、ゴーゴー」

 それからもっともっとつづけざまに、わけのわからないことを歌いました。

 その間に本線ほんせんのシグナル柱ばしらが、そっと西風にたのんでこう言いいました。

「どうか気にかけないでください。こいつはもうまるで野蛮やばんなんです。礼式れいしきも何も知らないのです。実際じっさい私はいつでも困こまってるんですよ」

 軽便鉄道けいべんてつどうのシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低ひくく、

「あら、そんなことございませんわ」と言いいましたがなにぶん風下かざしもでしたから本線ほんせんのシグナルまで聞こえませんでした。

「許ゆるしてくださるんですか。本当を言ったら、僕ぼくなんかあなたに怒おこられたら生きているかいもないんですからね」

あらあら、そんなこと」軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困こまったというように肩かたをすぼめましたが、実じつはその少しうつむいた顔は、うれしさにぽっと白光しろびかりを出していました。

シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕あなたのためなら、次つぎの十時の汽車が来る時腕うでを下げないで、じっとがんばり通してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウ言いっていた風が、この時ぴたりとやみました。

「あら、そんな事こといけませんわ」

「もちろんいけないですよ。汽車が来る時、腕を下げないでがんばるなんて、そんなことあなたのためにも僕のためにもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと言いうんです。僕あなたくらい大事だいじなもの世界中かいじゅうないんです。どうか僕を愛あいしてください」

 シグナレスは、じっと下の方を見て黙だまって立っていました。本線シグナルつきのせいの低ひくい電信柱でんしんばしらは、まだでたらめの歌をやっています

「ゴゴンゴーゴー、

 やまのいわやで、

 熊くまが火をたき、

 あまりけむくて、

 ほらを逃にげ出す。ゴゴンゴー、

 田螺にしはのろのろ。

 うう、田螺はのろのろ。

 田螺のしゃっぽは、

 羅紗ラシャの上等じょうとう、ゴゴンゴーゴー」

 本線ほんせんのシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事へんじのないのに、まるであわててしまいました。

シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんですか。ああ僕ぼくはもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵ふちのようだ。ああ雷かみなりが落おちて来て、一ぺんに僕のからだをくだけ。足もとから噴火ふんかが起おこって、僕を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかもみんなおしまいだ。雷が落ちて来て一ぺんに僕のからだを砕くだけ。足もと……」

「いや若様わかさま、雷が参まいりました節せつは手前てまえ一身いっしんにおんわざわいをちょうだいいたします。どうかご安心あんしんをねがいとう存ぞんじます

 シグナルつきの電信柱でんしんばしらが、いつかでたらめの歌をやめて、頭の上のはりがねの槍やりをぴんと立てながら眼めをパチパチさせていました。

「えい。お前なんか何を言いうんだ。僕ぼくはそれどこじゃないんだ」

「それはまたどうしたことでござりまする。ちょっとやつがれまでお申もうし聞きけになりとう存ぞんじます

「いいよ、お前はだまっておいで」

 シグナルは高く叫さけびました。しかシグナルも、もうだまってしまいました。雲がだんだん薄うすくなって柔やわらかな陽ひが射さして参まいりました。

 五日の月が、西の山脈さんみゃくの上の黒い横雲よこぐもから、もう一ぺん顔を出して、山に沈しずむ前のほんのしばらくを、鈍にぶい鉛なまりのような光で、そこらをいっぱいにしました。冬がれの木や、つみ重かさねられた黒い枕木まくらぎはもちろんのこと、電信柱でんしんばしらまでみんな眠ねむってしまいました。遠くの遠くの風の音か水の音がごうと鳴るだけです。

「ああ、僕ぼくはもう生きてるかいもないんだ。汽車が来るたびに腕うでを下げたり、青い眼鏡めがねをかけたりいったいなんのためにこんなことをするんだ。もうなんにもおもしろくない。ああ死しのう。けれどもどうして死ぬ。やっぱり雷かみなり噴火ふんかだ」

 本線ほんせんのシグナルは、今夜も眠ねむられませんでした。非常ひじょうなはんもんでした。けれどもそれはシグナルばかりではありません。枕木の向こうに青白くしょんぼり立って、赤い火をかかげている軽便鉄道けいべんてつどうのシグナル、すなわちシグナレスとても全まったくそのとおりでした。

「ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが言いえないでお返事へんじもできないのを、すぐあんなに怒おこっておしまいになるなんて。あたしもう何もかもみんなおしまいだわ。おお神様かみさまシグナルさんに雷かみなりを落おとす時、いっしょに私にもお落としくださいませ」

 こう言いって、しきりに星空に祈いのっているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳にはいりました。シグナルはぎょっとしたように胸むねを張はって、しばらく考えていましたが、やがてガタガタふるえだしました。

 ふるえながら言いました。

シグナレスさん。あなたは何なにを祈っておられますか」

「あたし存ぞんじませんわ」シグナレスは声を落として答えました。

シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉ことばでしょう。僕ぼくはもう今すぐでもお雷らいさんにつぶされて、または噴火ふんかを足もとから引っぱり出して、またはいさぎよく風に倒たおされて、またはノア洪水こうずいをひっかぶって、死しんでしまおうと言うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情どうじょうしてくださらないんですか」

「あら、その噴火洪水こうずいを。あたしのお祈りはそれよ」シグナレスは思い切って言いました。シグナルはもううれしくて、うれしくて、なおさらガタガタガタガタふるえました。

 その赤い眼鏡めがねもゆれたのです。

シグナレスさん、なぜあなたは死ななけぁならないんですか。ね。僕ぼくへお話しください。ね。僕へお話しください。きっと、僕はそのいけないやつを追おっぱらってしまますから、いったいどうしたんですね」

だってあなたあんなにお怒おこりなさるんですもの

「ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。そのことならばご心配しんぱいありません。大丈夫だいじょうぶです。僕ちっとも怒ってなんかいしませんからね。僕、もうあなたのためなら、眼鏡めがねをみんな取とられて、腕うでをみんなひっぱなされて、それから沼ぬまの底そこへたたき込こまれたって、あなたをうらみはしませんよ」

「あら、ほんとう。うれしいわ」

「だから僕を愛あいしてください。さあ僕を愛するって言いってください」

 五日のお月さまは、この時雲と山の端はとのちょうどまん中にいました。シグナルはもうまるで顔色を変かえて灰色はいいろの幽霊ゆうれいみたいになって言いました。

「またあなたはだまってしまったんですね。やっぱり僕がきらいなんでしょう。もういいや、どうせ僕なんか噴火ふんかか洪水こうずいかかにやられるにきまってるんだ」

「あら、ちがいますわ」

「そんならどうですどうです、どうです」

「あたし、もう大昔おおむかしかあなたのことばかり考えていましたわ」

「本当ですか、本当ですか、本当ですか」

「ええ」

「そんならいいでしょう。結婚けっこんの約束くそくをしてください」

「でも」

「でもなんですか、僕ぼくたちは春になったらつばめにたのんで、みんなにも知らせて結婚けっこんの式しきをあげましょう。どうか約束くそくしてください」

だってあたしはこんなつまらないんですわ」

「わかってますよ。僕にはそのつまらないところが尊とうといんです」

 すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気ゆうきを出して言いい出しました。

「でもあなたは金でできてるでしょう。新式でしょう。赤青眼鏡あかあおめがねを二組みも持もっていらっしゃるわ、夜も電燈でんとうでしょう。あたしは夜だってランプですわ、眼鏡もただ一つきり、それに木ですわ」

「わかってますよ。だから僕はすきなんです」

「あら、ほんとう。うれしいわ。あたしお約束くそくするわ」

「え、ありがとう、うれしいなあ、僕もお約束しますよ。あなたはきっと、私の未来みらいの妻つまだ」

「ええ、そうよ、あたし決けっして変かわらないわ」

結婚指環エンゲージリングをあげますよ、そら、ね、あすこの四つならんだ青い星ね」

「ええ」

「あのいちばん下の脚あしもとに小さな環わが見えるでしょう、環状星雲フィッシュマウスネビュラですよ。あの光の環ね、あれを受うけ取とってください。僕のまごころです」

「ええ。ありがとういただきますわ」

「ワッハッハ。大笑おおわらいだ。うまくやってやがるぜ」

 突然とつぜん向むこうのまっ黒な倉庫そうこが、空にもはばかるような声でどなりました。二人はまるでしんとなってしまいました。

 ところが倉庫がまた言いいました。

「いや心配しんぱいしなさんな。この事ことは決けっしてほかへはもらしませんぞ。わしがしっかりのみ込こみました」

 その時です、お月さまがカブンと山へおはいりになって、あたりがポカッと、うすぐらくなったのは。

 今は風があんまり強いので電信柱でんしんばしらどもは、本線ほんせんの方も、軽便鉄道けいべんてつどうの方もまるで気が気でなく、ぐうん ぐうん ひゅうひゅう と独楽こまのようにうなっておりました。それでも空はまっ青さおに晴れていました。

 本線シグナルつきの太ふとっちょの電信柱も、もうでたらめの歌をやるどころの話ではありません。できるだけからだをちぢめて眼めを細ほそくして、ひとなみに、ブウウ、ブウウとうなってごまかしておりました。

 シグナレスはこの時、東のぐらぐらするくらい強い青びかりの中を、びっこをひくようにして走って行く雲を見ておりましたが、それからチラッとシグナルの方を見ました。シグナルは、今日巡査じゅんさのようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太っちょの電柱でんちゅうに聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話しかけました。

「どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛いたみはしませんか。どうも僕ぼくは少しくらくらしますね。いろいろお話しまからあなたただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせお返事へんじをしたって僕ぼくのところへ届とどきはしませんからそれから僕の話でおもしろくないことがあったら横よこの方に頭を振ふってください。これは、本当は、ヨーロッパの方のやり方なんですよ。向むこうでは、僕たちのように仲なかのいいものがほかの人に知れないようにお話をする時は、みんなこうするんですよ。僕それを向こうの雑誌ざっしで見たんです。ね、あの倉庫そうこのやつめ、おかしなやつですね、いきなり僕たちの話してるところへ口を出して、引き受うけたのなんのって言いうんですものあいつはずいぶん太ふとってますね、今日も眼めをパチパチやらかしますよ、僕のあなたに物を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風でいっこう聞こえないんですよ、けれども全体ぜんたい、あなたに聞こえてるんですか、聞こえてるなら頭を振ってください、ええそう、聞こえるでしょうね。僕たち早く結婚けっこんしたいもんですね、早く春になれぁいいんですね、僕のところのぶっきりこに少しも知らせないでおきましょう。そしておいて、いきなり、ウヘン! ああ風でのどがぜいぜいする。ああひどい。ちょっとお話をやめますよ。僕のどが痛いたくなったんです。わかりましたか、じゃちょっとさようなら

 それからシグナルは、ううううと言いながら眼をぱちぱちさせて、しばらくの間だまっていました。

 シグナレスもおとなしく、シグナルののどのなおるのを待まっていました。電信柱でんしんばしらどもはブンブンゴンゴンと鳴り、風はひゅうひゅうとやりました。

 シグナルはつばをのみこんだり、ええ、ええとせきばらいをしたりしていましたが、やっとのどの痛いたいのがなおったらしく、もう一ぺんシグナレスに話しかけました。けれどもこの時は、風がまるで熊くまのように吼ほえ、まわりの電信柱でんしんばしらどもは、山いっぱいの蜂はちの巣すをいっぺんにこわしでもしたように、ぐゎんぐゎんとうなっていましたので、せっかくのその声も、半分ばかりしかシグナレスに届とどきませんでした。

「ね、僕ぼくはもうあなたのためなら、次つぎの汽車の来る時、がんばって腕うでを下げないことでも、なんでもするんですからね、わかったでしょう。あなたもそのくらいの決心けっしんはあるでしょうね。あなたはほんとうに美うつくしいんです、ね、世界かいの中うちにだっておれたちの仲間なかまはいくらもあるんでしょう。その半分はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたはいちばん美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね、きっとそうだと思うんですよ、どうです聞こえますか。僕たちのまわりにいるやつはみんなばかですね、のろまですね、僕のとこのぶっきりこが僕が何をあなたに言ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生けん命めい、目をパチパチやってますよ、こいつときたら全まったくチョークよりも形がわるいんですからね、そら、こんどはあんなに口を曲まげていますよ。あきれたばかですねえ、僕の話聞こえますか、僕の……」

「若わかさま、さっきから何をべちゃべちゃ言いっていらっしゃるのです。しかシグナレス風情ふぜいと、いったい何をにやけていらっしゃるんです」

 いきなり本線ほんせんシグナルつきの電信柱でんしんばしらが、むしゃくしゃまぎれに、ごうごうの音の中を途方とほうもない声でどなったもんですからシグナルはもちろんシグナレスも、まっ青さおになってぴたっとこっちへ曲げていたからだを、まっすぐに直なおしました。

「若わかさま、さあおっしゃい。役目やくめとして承うけたまわらなければなりません」

 シグナルは、やっと元気を取り直なおしました。そしてどうせ風のために何を言いっても同じことなのをいいことにして、

「ばか、僕ぼくはシグナレスさんと結婚けっこんして幸福こうふくになって、それからお前にチョークのお嫁よめさんをくれてやるよ」と、こうまじめな顔で言ったのでした。その声は風下かざしものシグナレスにはすぐ聞こえましたので、シグナレスはこわいながら思わず笑わらってしまいました。さあそれを見た本線ほんせんシグナルつきの電信柱の怒おこりようと言ったらありません。さっそくブルブルッとふるえあがり、青白く逆上のぼせてしまい唇くちびるをきっとかみながらすぐひどく手をまわして、すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下かざしもにいる軽便鉄道けいべんてつどうの電信柱に、シグナルとシグナレス対話たいわがいったいなんだったか、今シグナレスが笑ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。

 ああ、シグナルは一生の失策しっさくをしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信柱がいて、知らん顔をしてすまして空の方を見ながらさっきからの話をみんな聞いていたのです。そこでさっそく、それを東京を経へて本線シグナルつきの電信柱に返事へんじをしてやりました。本線ほんせんシグナルつきの電信柱でんしんばしらはキリキリ歯はがみをしながら聞いていましたが、すっかり聞いてしまうと、さあ、まるでばかのようになってどなりました。

くそっ、えいっ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生いぬちくしょうあんまりだ。犬畜生、ええ、若わかさま、わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまっているとお考えですか。結婚けっこんだなんてやれるならやってごらんなさい。電信柱の仲間なかまはもうみんな反対はんたいです。シグナル柱の人たちだって鉄道長てつどうちょうの命令めいれいにそむけるもんですか。そして鉄道長はわたし叔父おじですぜ。結婚なりなんなりやってごらんなさい。えい、犬畜生いぬちくしょうめ、えい」

 本線シグナルつきの電信柱は、すぐ四方電報でんぽうをかけました。それからしばらく顔色を変かえて、みんなの返事へんじをきいていました。確たしかにみんなから反対はんたいの約束くそくをもらったらしいのでした。それからきっと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼たのんだにちがいありません。シグナルもシグナレスも、あまりのことに今さらカンとしてあきれていました。本線シグナルつきの電信柱は、すっかり反対の準備じゅんびができると、こんどは急きゅうに泣なき声で言いいました。

「あああ、八年の間、夜ひる寝ねないでめんどうを見てやってそのお礼れいがこれか。ああ情なさけない、もう世の中はみだれてしまった。ああもうおしまいだ。なさけない、メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界かいをお見すてなされたか。オンオンオンオン、ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー」

 風はますます吹ふきつのり、西の空が変へんに白くぼんやりなって、どうもあやしいと思っているうちに、チラチラチラチラとうとう雪がやって参まいりました。

 シグナルは力を落おとして青白く立ち、そっとよこ眼めでやさしいシグナレスの方を見ました。シグナレスはしくしく泣なきながら、ちょうどやって来る二時の汽車を迎むかえるためにしょんぼりと腕うでをさげ、そのいじらしいなで肩がたはかすかにかすかにふるえておりました。空では風がフイウ、涙なみだを知らない電信柱どもはゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー。

 さあ今度こんどは夜ですよ。Permalink | 記事への反応(0) | 22:29

2021-03-15

夏の太陽の下の女子高生の柔肌

昔はもっと直接的に股間に来たもんだったが、

今はなんか水平線の海のきらめきを眺めるのに近い感覚。ただのきれいな景色

 

悲しい

2021-03-09

ママ活の心理

アプリで知り合ってかれこれ一年やり取りしている二十代男子が週末遊びに行っていいかと言ってきた。

宿はと聞くと泊めてもらえたら助かるという。

 

ファミリー向けの物件に一人で暮らしているのでいいよと答えたが飛行機距離を本当に来るのか半信半疑だった。

本当に来た。

出会った頃からわたしは君の親くらいの年だよ、大丈夫?」と伝えていたけど、親くらいの年齢だからまりでも大丈夫だと思ったのかも。

でもときどき電話をするだけの相手と二泊三日間が持つのか、逆に緊張して辛くならないのか、なったらどうするか、あれこれ考える。

自宅ではなく別に借りている仕事部屋に泊めた方がこちらに気兼ねせず観光できるかも、とか。

結果的には駅に迎えにいった瞬間から空港のゲートをくぐるところを見届けるまでずっと一緒にいた。楽しかった。

 

最近まで声しか知らなかった彼女いない歴年齢の二十代非童貞社会人男子はめちゃめちゃ感じがよくて、清潔感にあふれ、面白くて可愛くて、年相応にちゃんと男の人でもあってカッコよかった。

世代ウケはどうなのかわからないけど、とにかくかわいい。こんな子が降ってわいてくるってなんのボーナスなのと人生ゲームの仕組みを疑うレベル

 

せっかくなのでこれまで行ったことのないところへ行って、やったことのないことをしようと思った。

 

行きたかったケーキ屋さんでケーキを買ってもらって、行きたかったレストランに予約してディナーをご馳走して、帰ってパジャママンロリアンを見ながら二人で食べた。

翌日は行ったことのない街までドライブして、名前だけ知っていた有名な神社に寄って、近くの海が見える寿司屋水平線を見ながら並んで握りを食べて、砂浜で遊んだ

 

免許を持ってきたというので一日保険に入ってもらって運転もしてもらった。助手席から春の山々と運転用に眼鏡をかけた二十代の横顔を眺めた。「この車、癖ない?!」としきりに言っていたけれど運転は上手でなんの不安もなかった。

 

そうはいっても初対面だし時間が経つにつれ距離感はかりかねてキツくなるのでは、という予想に反して二十代はうちにもうちの猫たちにも馴染みまくっていた。

うちに人がいてこんなにくつろげるのは一人暮らしになってから初めて。

 

翌日わたし仕事書斎に籠もっていたのだけれど、二十代は猫シッターをしながら男手があると助かる雑用をこなしてくれて、なんだかんだで空港まで送ることになった。

 

楽しすぎるし助かりすぎる二泊三日だった。美味しいものはそれなりにご馳走したけど、それとは別にいくらか包んで渡したいくらい。

ママ活する人の気持ちがわかる。

お金でこんなにかわいい男の子楽しい時間が過ごせるなら頑張って稼ぐし喜んで払う。

ていうか、これはもはやママ活なのでは?

 

と、思って調べてみたらママ活界隈ではお泊りありの場合一泊3万から5万が相場だそうで二泊三日に別途飛行機代がつくとかなりいいお値段になることがわかった。

すごい。買ってもない宝くじが当たったようなもんじゃん。

 

ということで、ママ活で浮いたお金コロナ禍で失業余儀なくされ、子供を連れて故郷の島に帰るフィリピン人の友人に送った。

驚いた友人から "I can not stop crying😭"と船の中からメッセージが来た。

「新しい仕事をはじめる準備をしていたところで、どんなに助かるか言葉では言い尽くせない」と書いてあった。

 

ママ活で浮いたお金だよ!

ちょうどピッタリぐらいだよ!

 

かに言いたいけど誰にも言えないので増田に書いた。

2021-02-10

クラシックガイド増田) を見やすくしたよ。

 anond:20210210062305 (クラシックガイド) を見やすくしたよ。

 はてな記法で、分類表示した。テキストは変えていません。

 

   §1600年代前半

イタリア

ドイツ

 

   §1600年代後半

イタリア

おフランス

ドイツ

イギリス

 

   §1700年代前半

イタリア

フランス

ドイツ

イギリス

以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代

 

   §1700年代後半

古典派音楽」の時代

イタリア

フランス

  • ゴセック  (日本では「ガヴォット」だけが有名)

ドイツ

オーストリア

 

   §1800年代前半  (晩期古典から初期ロマン派

イタリア

オーストリア

ドイツ

 

   §1800年代中盤  (盛期ロマン派

ドイツ

イタリア

フランス

ポーランドフランス

ハンガリー

ロシア

 

   §1800年代後半

イタリア

オーストリア

ドイツ

フランス

チェコ

ロシア

北欧

 

   §1800年代終盤から1900年代初頭  (後期ロマン派印象派音楽

イタリア

オーストリア

ドイツ

フランス

チェコ

ポーランド

ロシア

イギリス

北欧

 

   §1900年代中盤以降  (第一次大戦終了によってロマン主義印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)

ドイツ

オーストリア

フランス

いわゆる「6人組」の時代現在でも有名なのは

現代音楽私的により重要なのは

ハンガリー

チェコ

イギリス

ソ連

間違いだらけのクラシック音楽史の表を修正してみた

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833

↑このブコメ賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。

とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲムマショーパレストリーナジョスカン・デ・プレがないぞ」とかい意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。

作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。

「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内情報だけで書いております

1600年代前半

イタリア

モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのはアマリッリ」)

ドイツ

シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャインシャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)

1600年代後半

イタリア

コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)

おフランス

リュリバロックフランスオペラ第一人者

ドイツ

パッヘルバル(「カノン」だけが有名)

イギリス

パーセルオペラ「ディドーとエネアス」が有名)

1700年代前半

イタリア

ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)

フランス

クープランチェンバロ曲で有名)、ラモー音楽理論とオペラ

ドイツ

バッハ名曲多数)、ヘンデル日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓音楽」で有名)

イギリス

ヘンデル帰化

以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります

1700年代後半

古典派音楽」の時代啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。

イタリア

チマローザオペラ秘密結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリオペラ巨匠

フランス

ゴセック(日本では「ガヴォット」だけが有名)

ドイツ

グルックオペラオルフェオとエウリディーチェ」)

オーストリア

モーツァルトハイドン兄弟

1800年代序盤(晩期古典から初期ロマン派

音楽における「ロマン主義」は文学絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。

イタリア

ロッシーニオペラウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニオペラノルマ」など)、ドニゼッティオペラ愛の妙薬」など)

ドイツ

ベートーヴェンヴェーバーオペラ魔弾の射手」など)

オーストリア

シューベルト未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)

1800年代中盤(盛期ロマン派

音楽におけるロマン主義成熟し花開いた時代

ドイツ

メンデルスゾーンシューマン世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)

イタリア

ヴェルディ前期(オペラマクベス」「リゴレット」)

フランス

ベルリオーズ幻想交響曲

ポーランドフランス

ショパン

ハンガリー

リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツオーストリア人で本来ハンガリー民族要素は無いのでドイツオーストリア音楽として捉えるのが正しい)

ロシア

グリンカオペラルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキーオペラ「石の客」)

1800年代後半

1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽雰囲気も暗くなって参ります

イタリア

ヴェルディ後期(オペラ椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)

オーストリア

ブルックナー交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)

ドイツ

ブラームスブルッフヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)

フランス

オッフェンバックオペレッタ天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラファウスト」)マスネ(オペラタイス」など。「タイス瞑想曲」)、サン=サーンス長生きしたので今年没後100年)、フランクバッハ対位法ベートーヴェンの劇的構成ワーグナー和声を融合した究極の交響曲作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想水平線」)

チェコ

スメタナ連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)

ロシア

ボロディンオペライーゴリ公」、交響詩中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキーオペラボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキーバレエ白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)

北欧

グリーグピアノ協奏曲、劇判音楽ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲最後の春」など)

1800年代終盤から1900年代初頭(後期ロマン派印象派音楽

イタリア

プッチーニオペラトスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラカヴァレリア・ルスティカーナ」映画ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ交響詩ローマの松」などローマ三部作

オーストリア

マーラー11曲の交響曲歌曲)、ヴォルフドイツ歌曲の頂点として非常に有名)

ドイツ

リヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトストラはかく語りき」〈映画2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラサロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)

フランス

ダンディ(「フランス山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシーオペラペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェルバレエ音楽「ダフニスクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)

チェコ

フェルステル、ヤナーチェクオペラ利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)

ポーランド

シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)

ロシア

グラズノフロシア浪漫交響曲集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)

イギリス

エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)

北欧

シベリウスニールセン交響曲第4番「不滅」が有名)

1900年代中盤以降(第一次大戦終了によってロマン主義印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)

ドイツ

ヒンデミットオペラ画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)

オーストリア

シェーンベルク(無調音楽12音楽創始者。彼が最初12音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク12音楽100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽12音楽調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン12音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。

フランス

いわゆる「6人組」の時代現在でも有名なのはプーランクミヨーオネゲル交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光オペラアッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。

ハンガリー

バルトーク、コダーイ

チェコ

マルチヌーなど

イギリス

ブリテン(とりあえず「戦争レクイエム」は聴いておくべき)

ソ連

プロコフィエフ大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラ弦楽四重奏曲です)

20世紀後半以降は省略。

2021-01-01

水平線から初日の出で思い出す記憶

初日の出画像を見ると、学生時代の友人が「二十歳の誕生日特別な日にしたい」って

自分の二十歳の誕生日日の出を見るために日本海側の海岸で暗い日の出からタンバってたって話してくれたことを思い出してほんのり愉快な気持ちになる

 

日の出が思ってた真逆から出てきてしまったが気を取り直して日没前にもスタンバって綺麗な夕焼けがみれたのでオッケーとのことだった

ずいぶん会ってないが元気でやってるといいな

2020-12-17

水平線が丸みを帯びた空撮写真情報のみで「この大地は球状である」というのと「この大地は円盤である」というのは区別できるものなのだろうか

2020-12-13

地方都市はいいぞ(茨城県日立市編)

就職でなんとなく日立市に流れ着いて永住することになりそうな身として、淡々生活感想を書いてみる。

中核市でも農村でもない、日本中に沢山ある人口20万人弱の地方都市の一生活者の記録です。

環境

3年ほど前に建売4LDKを購入。

働き方改革が始まる数年前までは残業して帰る時間に空いている店も少なく、娯楽が少ない環境で、他に使い道もなかったので、20代で新築する夫婦は同期の中で珍しいほうはなかった。

田舎人間は、家を転売可能資産などとは思っていない。

掛け捨てのアパート代よりマシぐらいの気持ちで35年ローンを組む。

マンション…はJR駅の近くに新築分譲マンションが1棟ぐらい出ていたが、駅の近くに何もない街並みなので、価格ほどの魅力は感じなかった。

でも某H社の関係転勤族単身赴任の人も多いので、マンションは主にそういう方に需要があるのだと思う。

客間が在宅勤務の仕事部屋になり、将来の子ども部屋は物置部屋になっている。

もともと私は物を増やす性質で、夫は物持ちが良くあまりものを増やさないので、ほとんど私の荷物占領しているのはいちおう申し訳なく思っている。

アパート暮らしとき電子書籍一択だったのが、紙の本を買えるようになって嬉しい(ほとんど漫画だが)

徒歩5分圏内には、コンビニ24時間営業のチェーン系飲食店が1件。

決して充実はしていないが、孤独を感じるほど何もないわけではないのが良いなあと思っている。

10分歩くと砂浜。

まれ育ったところは海まで2~3時間盆地だったので、移住したての頃はどこまでも続く水平線結構感動した。

今ではすっかり見慣れてしまい、インドア人間なので夏でもいちいち海に行ったりはしないが、それでも晴れの日は通勤中に海が見えるとちょっと爽快な気持ちになる。

オーシャンビューな感じのカフェにもたまに行く。

国道沿いにはスーパーとかホームセンターとかニトリとかチェーン系のファミレスが一通り揃っているので、日常的な買い出しはそこに車で行く。

しかに車がないとかなり不便。

うちは夫婦ともバス通勤なので、車は1台で充分なんだけど、うちも含めて周辺の物件には3~4台の駐車スペースが確保されている。

そのくらい車社会なのだ

私は元々かなり運転に苦手意識があったのだけれど、前職を辞めて1年ほど在宅パート生活をしていた期間があり、時間に余裕があって必要にも迫られていたので、生活に困らない程度には運転できるようになった。

慣れると運転楽しい

あと、夜でも気兼ねなく出かけられるのは、特に女性にとってはかなり大きなメリットなんじゃないかと思っている。

娯楽

市内に娯楽施設らしいものはないが、最近話題公立動物園はなかなか立派なものがあり、子どもが出来たら連れて行ってあげたいと思う。

今にも逃げだしそうなゆるい囲いのカピバラと近距離で触れ合えるのと、珍しいヘビとトカゲがいっぱいいる。

週末何してるかというと、夫はゲームラズパイ開発か資格勉強してるし、私はネット漫画か知り合いのサイト開発などしていて、自宅を謳歌している。

たまには30分ほど海沿いを運転して隣の市のショッピングモール(withシネコン)に行く。

あと、土曜の夜は隔週で、やっぱり30分ほど運転して絵画教室に通っている。

先生が昼は喫茶店マスターをしている気軽な教室で、デッサン楽しいが、半分くらいは先生高校生たちの明るい雑談を聞きに行っている気分。

数年前、インドア人間のくせに、思い立ってSUP(スタンドアップパドルボード)に行ったことがあった。

独身時代に住んでいたアパートの近くに、体験プランをやっているショップがあったのだ

ちょうど今くらいの季節で、めちゃくちゃ寒かった。

そのときは海じゃなく流れが穏やかな川で、インストラクターに促されてボードの上に仰向けに寝そべってみると、川の上に寝ている感じが心地よかった。

川で獲れた(?)という鮭のイクラ載せ放題の昼食と、1日SUP体験合わせて5千円。

かなり満足度の高い体験だったが、当時は趣味に投入する色々な(主に精神的な)リソースが足りていなくて、続けるには至らなかった。

でもまあ、その気になればそういうウォータースポーツができる環境もあるし、釣り好きな人には最高の環境だと思われる。

車に乗れない人や学生は遊ぶところがなくて寂しさを感じるかもしれない。

私はこの町で青春を過ごしておらず、余計なお世話ではあるのだが、そのあたりの寂寥感日立市出身の人気ラノベ作家ヤマグチノボル氏(ゼロの使い魔で有名)の著作からも伺えた。

若くして亡くなった氏の作品には衰退しつつある故郷への愛が込められていて、よそ者の私が後から読んでも、何というか非常にしんみりしてしまものであった。

これも隣のひたちなか市だけど、邦楽好きとしてROCK IN JAPANに気軽に行けるのは最高。

今年はコロナでなくなっちゃったけど。

ネモフィラコキアも良いのだけど、最近は人気で人が多すぎてあまり行っていない。

仕事

ぽんこつプログラマとしてまあまあ楽しく働いている。

某H社様のおかげで市内の同業種求人はいつも需要供給を上回っている印象。

1回辞めた既婚アラサー女の私でも再就職できたし。

通勤バス使ってドアtoドア30分弱。

バス乗車が10分で、公園のカモを数えながら15分ほど歩く。

全部歩いても45分くらいなので、気が向いたら音楽を聴きながら歩いて帰る。

バスは、2005年に廃線になった日立電鉄線路跡をバス専用道路にしたBRTというものが開通して、かなり便利になった。渋滞に巻き込まれないバスは良いものだ。

(ローカル線好きとしては、電鉄に残ってて欲しかった気もするが)

BRTは自動運転試験運行も始まったりしていて、ちょっとクワクしている。

雇用がある町は強いなと思う。私は地元がかなり好きだけど、就きたい仕事の枠が無くて地元を出たので。

正直最初に越してきた頃は、工業都市特有の無機質な景観沿岸部らしい雨風の強さに冷たい印象も受けたのだけど、ここは働くための町なんだと思う。おかげで図書館とか病院とかも新しくて綺麗。

教育

まだ子ももいないので何とも言えないが。

子どもの興味と合致したら将来は茨城大か茨城高専か筑波大に行ってくれたら経済的には嬉しいかな、ぐらいには思っている。

東京に出たとしても、週末気軽に行き来できる距離なのは良い。特急で片道1時間半、高速バスで片道2時間半。

東京(というか上京)に対して北東北民ほどの執着が無さそうだもの

需要全然ないと思うけど、生まれ育った岩手県盛岡市についてもそのうち書きたいと思います

2020-12-09

beforeとafterの本気度が違う、とか言ってる奴は努力したことがない

ぜったいに。

練習内容公開】イラストを100日練習しました

https://note.com/enzen3852/n/na1fecd0ac10b

↑このブログについて。

beforeのイラストざっと荒い線だけで描かれたものなのに対して、

afterのイラストはきっちりと色を塗って背景も描いた本気のものじゃないか

まるでダイエット広告ライティング変更のようなインチキ

と、書いてる連中がいるが、

ダイエット広告は知らんが絵についてはこれは明らかに間違い。

というか、

絵でも手芸でも工作でも音楽でも動画でもなにかを作る作業ならなんでもいいし、

ひいてはスポーツでも勉強でも仕事でもなんでもいい、

なにかを成し遂げるために努力した人なら絶対に言わない間違い。

ゆえに前述のようなコメントをしたやつらは全員怠け者。以上。


というのも不親切なので丁寧に書くと、

まず単純に、色を塗るためのソフトの購入、使い方の習得、そういった「道具を得る過程」もこの人の100日間には含まれている。

色を塗れるようになったのも努力の結果。

そして、「持てる技術で精一杯全力でかく」というのはいうほど容易いことではなく、それ自体努力必要とする。

嘘だと思うならやってみればいい。

どんなに下手くそでも全力で、一枚をきっちり仕上げるつもりで描いてみればいい。

断言するが、まず9割の人間は途中で手を抜くし投げ出す※。

時間問題ではなく集中力問題で。

だって下手だもん。

どんなに頑張ったって思う線を描けないし、想像通りのかたちにならないし、

手なんかわからいからとりあえず後ろに組ませるしかないし、そんなの逃げだ全力でやれと言われたって途方にくれるだけだろう。別に手とか描きたくないし。

背景まで描くなんて途方もないことだ。そもそも頭の中にそんな解像度の高いイメージもないし、よくわからんけどてきとうに雲と水平線を描くのでせいぜいだ。

かいところまで気を配るなんてのはもっと無理。そもそも、細かいところなんて意識に上らない。線の美しさだとか、丁寧に色塗りだとか、たぶんそんなの絶対に無理。

なぜなら、「全力を出す」ためには持てる力をどこかに注ぐ必要があり、

そのためにはどこにどう力を注ぐか考える必要があり、

そのためには己の理想と現状の乖離点はどこか理解している必要があるから

なにもやってない人は、自分に何ができないかそもそもからない。

正確には、できないことしかなさすぎて、上手な人との間に何段くらいの階段があるかわからない。

ただ断崖絶壁があるようにかんじるだけだ。

はじめの一歩は人によって様々で、簡単なのは本や先生について与えられた課題をこなすことだろうが、

件のブログの人のすごいところは、デッサンなど知識面で補える部分からはじめて、

構図、質感、ニュアンス効果ひとつひとつ理想」に至るための階段自分ですごい早さで見つけていったところだ。

はじめは断崖絶壁だっただろううまい人との差異は、当人努力と賢さによって、一歩一歩上れる階段になった。

「持てる力で精一杯」ができるようになるのはようやくここだ。

断崖絶壁の前で全力なんか出しようがない。

次の課題が見えて、それを克服するための方策を考えて、それでようやく「自分なりに精一杯描く」ができる。

これは絵だけに限った話ではなくて、はじめにかいたように、なにかを成し遂げるために努力したことがあれば共通なのではないかと思う。

仕事が出来る同僚と自分の違いはなにか。

受験に受かるために自分に足りていない力はなにか。

九九をすらすら言えないのはなぜか。

そういう、自分目標と現状を埋めるための一歩目の難しさを、努力してきた人間は知っているはずなのだ

からもっかいいうけど、冒頭にしたようなブコメをした連中は例外なく努力経験がない人たちです。

以上。


※残りの1割も確かに存在する。たとえば小さな子供が、拙い技術ながら好きな生き物や乗り物なんかを大人も驚くような細かさで描き表すような場合がそれだ。

好きなものを紙に表現したいという飽くなき欲求と渇望、力量不足を厭わず精一杯まで白紙にしがみつき続ける集中力

断崖絶壁に穴を穿つようにやり続ける力。

これは誰にでもあるものではない。

それこそを「才能」と呼ぶと、私は思う。

2020-10-03

anond:20200926032122

自分人生イージーモードだったように感じている。

子供時代勉強簡単だったし、運動も得意だった。田舎学校だったが、小学中学と学年上位の成績を取れた。ただ、努力しなければ結果が出ない子供だった。何もしないでいるととんでもない点数になる。努力必須なのが自分なのだ子供心に思った。

運動は大抵の場合、見ればできた。人がやっているのを見ていれば、コツのようなものがなんとなく把握できた。細かなところはスポーツの教本を読めばやり方は理解できて体も動かせた。突出したアスリートにはなれなかったが、自分でも器用なものだと思った。先生方にもかわいがってもらえたように思う。

大学受験は、それなりに努力はしたが、旧帝大と呼ばれるところに入って大学生活を満喫することができた。

本質的集団生活が苦手な自分であることがわかっていたので、独立してやっていける職業を、と思い公認会計士試験を受けた。これもけっこうな努力必要だったのだが、かろうじて1回で通ることができた。

当時は就職難の時代だったが、監査法人への就職はすぐに決まった。2つの法人から内定をもらえる状態だった(内定が欲しいのなら他法人内定を断れと言われたのでその法人は辞退した)。

ただ、社会人になってから人間関係に苦労した。私自身の幼さに起因したものだったと思うが、今にして思えば貴重な経験ができたと思っている。

仕事つながりで知り合った女性と数年間付き合ってのち、結婚した。監査法人は数年間務めてのち退社、独立した。

独立した当時、奨学金債務を考えれば債務超過の状態だったが、人に恵まれ仕事に困ることはなかった。

40代も半ばになった今、保有する資産総額は1億を超えた。借金はない。

苦労したといえば人間関係だった。小中学校と友達はいなかった。努力はしたのだが報われなかった。そもそも周囲の子たちと話が合わなかった。変わった子供だったのかもしれない。この領域ちょっとばかしハードモードだったかなと思わないでもないが、自分に至らぬ点があったのかもしれない。友人ができたのは高校に入って以降のことだった。自分にはそういうところがあるのだと自覚して人との距離感に注意しながら生きている。

追記

そういえば自分場合も親がそろって穏やかだった。夫婦喧嘩は見たことがないし、父親が声を荒げたところも見たことがない。母親にはよく叱られたが、自分が悪かったのだし、叱られている間も愛情を感じられるような叱り方だったような気がする。

父母ともに世渡り上手ではなかった。要領は悪いように子供の目にも見えた。裕福ではなかった。贅沢なことはできなかったが、いろんなところに車で連れて行ってもらえた。小学生の頃、海を見に連れて行ってもらって、旅館の窓から見ていた水平線に沈む夕日の風景は今も鮮やかに思い出せる。

このスレッド(と言っていいのか?)の増田主もご両親が穏やかな方々であったようで、もしかしてその辺りが重要なところなのかもしれないと思ったので筆を加えた。

2020-08-07

[][]作戦42日目

夏真っ盛りの友軍が来た!水着も着た!!予想より早い時間に。何時ものように、日付をまたぐと思ったのだけれど。

でもここは焦らず、予定通り明後日までは作戦海域への出撃を控え、粛々と資源情報収集に努めるのよ、アタイ明後日の暁の水平線勝利をッ!!

2020-08-05

[][]作戦40日目

本日の主な戦果

アタイのE6-2調査兵団は、今回の出撃で…何の成果も得られませんでしたァァ!!アタイ無能なばかりに徒に基地航空隊熟練度を剥がされ、奴らのボスを倒すことが出来ませんでしたァァ!!



もう、友軍の到着を待ってもイイわよね?

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