はてなキーワード: あさまとは
直近こじらせたきっかけは多分2つ。
2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまったこと。
それぞれのきっかけと自分の精神状態、思考方法、思想、そういったものを絡めながら言語化していく。
大学来の親友が結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。
洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。
そいつに彼女がいるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。
だから聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。
先週あたりにその連絡がきた。普通に嬉しかったし、本当にめでたいことだと思った。
ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。
匿名で書き込んでいるから説明しておくと、私は一昨年末に離婚している。当時27歳だった。
1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。
そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。
ただ自分があさましいというか、自分が叶えられなかった幸せを他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。
どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情がコンタミする。それに端を発し、また自己否定のフェーズに入る。
我々はそれなりにいい大学を卒業した。もっとも自分は留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。
学歴至上主義を否定できない現代日本で、母校の新卒カードは結構な効力を持っていることを、今なら知っている。
ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社の雰囲気が良い小企業に入社した。
社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。
ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる。
経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。
ただ、自分の生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。
社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。
昔からそうだ。
第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。
弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモアで大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。
幸い、頭だけは良かった。特に、物事の法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。
だから勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校や大学に進学した。
そこで出会う友人たちは、どことなく自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。
ただ、社会進出は孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚。
特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。
俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。
頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。
自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。
まあ、優秀な同級生と自分の対比はよくやってる内省のテーマだから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。
続けて、先日の飲み会の話。
その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。
自分も飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。
案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。
それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。
どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。
もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。
自分よりイケてない(と自分が勝手に思ってる)やつが、その子とイチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。
たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人は日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。
この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論)
自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的で昭和チックな価値観を持っていると自覚している。
だからこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾も気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい。
うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。
他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。
なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。
最近は金の事ばかり考えている。なぜか。
ならば自分はモテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。
離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックスが普通に好きなので。
自分のセックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。
恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。
死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。
「同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、
「結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、
頭おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって。
男子中学生も男子高校生も、ここまで人生観やライフステージや愛についての解像度は高くないと思う。
だからこの拗らせ方は、セックスにコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。
「風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。
だからこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。
…言語化しなくても気が付いている自分の本心を直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。
色々努力したつもりなんだ。
元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。
そのへんの1000円カットから、カット&パーマで15000円する美容院に鞍替えした。
眉毛の処理は欠かさずするようになった。
爪磨きを買って爪を磨くようになった。
こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。
ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。
マッチングアプリでモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。
女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。
ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。
…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。
正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバい奴しかいない思っている。
からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。
そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性の修正の仕様がない。
もしくは高望みしすぎか。
学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。
ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか????
というか、自分のモテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。
なんのために「努力」してきたのかももう分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せまである。
弱者男性の言動や思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバーを引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。
自分の性欲が本当にノイズでしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。
去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。
なんかもう詰んでね?
書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。
ブクマコメントや言及の中で、特に結婚・離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分のコンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。
ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。
だから離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。
勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。
それから、一部「本心が全然書かれていない」的な意見が散見された。
これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。
自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?
そもそも人間は少なからず他人からの評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html)
いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫びを評価してくれた人には改めて感謝を。
みんなの言語能力が高くてちょっとビビる。読書量の差を感じた。
裕福ではないが、食うのにはあまり困っていない。自分で言うのもなんだが、俺はなかなかの「インターネット絵師様」なのだろう。フォロワー5桁だし。
オリジナルも描くが、二次創作もたくさん描く。その中には当然、版権元から許可が出ていないものも沢山混ざっている。
そして、そんな自分のことが嫌いであり、二次創作の収益化など今すぐやめたいと思っている。
分かっている。俺の言っていることは既に支離滅裂で、こんなことをインターネットで口にしようものなら炎上して総叩きに遭うだろう。
だが、まずは知って欲しい。こんな人間がどうして生まれてしまったのかを。
そもそも、そんな奴がなぜ二次創作での稼ぎなどしているのだろう。
話が逸れるのであまり細かくは書かないが、数年前の俺はとにかく生活に困っていた。社会に適合できず、頼れる親もおらず、このままでは生活保護か死しかないなあと思っていた時期がある。
まあ言ってしまうと、「金に困って版権エロに手を出した」ということになるだろうか。
もともと絵だけはそこそこ得意だったので、ためしにエロ絵を描いてみた。そしたら、子供の小遣い程度だが、金になった。
とても嬉しく、「もしかしたら俺はこの道で食っていけるかもしれない」と思った。この頃はまだオリジナルばかり描いていたはずだ。お題箱にはたくさん版権のリクエストが来ていたので、応える形で二次創作も描いていたと思う。
すると二次創作のリクエストが来た。俺に断る選択肢はなかった。生まれて初めて、「お金を払うからあなたに絵を描いて欲しい」という人が現れたのだ。当時の俺の喜びようたるや、凄まじいものだったろう。そのときは、エロ二次創作への罪悪感なんて一切感じていなかった。
なぜなら、周りの絵師が全員やっているからだ。クライアントも当然のように二次創作のリクエストを送ってくるからだ。なんなら、有名な版権の公式イラストを手がけているような人間もどしどしfanboxに二次創作を上げている。世の中は狂っている。
そうして俺は、二次創作で稼ぐインターネットエロ絵師になった。skebで描いた作品の差分をfanboxで限定公開した。さすがにこれはいくらか抵抗があったが、周りが全員やっていたので、そうした。また金になった。
「今の俺、かつての俺がめちゃくちゃ嫌いだったタイプの絵師様じゃないか?」
skebもfanboxも二次創作まみれ。ポ〇モンとか、かなりモラル的に怪しい作品もある。
生活に余裕のないときは、「余裕が出てから一次創作に以降すればいいや」と思っていた。だがskebの過去作品は消えない。fanboxの今までの記事も、今更非公開にするわけにはいかない。そこまで余裕はない。金に執着するあさましい自分が醜い。
一次創作だけで食っていく自信は全然ある。でもそれは、「周りの人間が全員ズルして二次創作で食ってても俺だけは一次創作で食っていく自信」じゃない。生活が苦しくても守れるような誇りじゃない。
いっそ二次創作なんて全部禁止になってしまえばいい。そうしたら俺は一次創作だけで他の奴らと渡り合える。
俺の言ってることは滅茶苦茶か?
滅茶苦茶だろうな。
もう二次創作で稼ぎたくない。
古のコピペにもあるように権利ばかり主張するフェミニストばかりではフェミニズムが普及するはずがない
なぜ日本にはレディファーストが根付かないかについてゼミで討論した事がある。
例によって女子学生たちは日本男性批判と想像上の外国人紳士崇拝の言辞を並べていたが、
30分ほどで教授(女性)が静かに、だが力強い声で言い放った。
「レディーが絶滅しつつある日本ではレディーファーストを普及させようがありません」
教授は海外で教鞭を執っていた時期が長いが、茶道華道ともに師範の免許を持つ人。
その教授曰く「与えられる平等や優遇をあさましく求めるのは日本女性特有の醜態」
自らレディとならずして、レディ扱いを求めるのは常軌を逸していますと。
女子学生達はその後、ひとことも喋りませんでした。
何度もあちこちで書いてるけど大箱埋めるアイドルのライブ行って思ったことと似てる
増田と似た(似てはないかも)思考で、人気アイドル推すより、同程度に好きな人気微妙アイドル推すほうを選んでた
選択権があるという驕りやら、コスパ(席の近さ、覚えてもらいやすさ)が良い、単純に小さな現場の雰囲気のほうが好き
など理由は他にもさまざま
で、たまに大人気アイドルの数万人埋めたり埋まらなかったりするライブにも誘われたり暇だったりしていったのだけど、
凄い区切りのライブの時に、いろんな理由つけていかないオタクの割合が増えればこの景色が見れなかったんだと思って
それ以来、区切りにライブには行くようにしてる。単純に久しぶりだと楽しいのと、昔のオタクに偶然会えたりするのと、後々マウント取るためと
という話はあんまり繋がってなく、それでも寄付とかもそうで、と続けるんだけど、
Aがβだけ支援するのはαに悪い(とか何とか理由つけて)と支援せず
2対2ではなくABCD……Z と αβγ……ω で考えると、どこかで取りこぼしや重複が起き、救われないものも出てくるだろうが
それでもなにもしないよりはいい
今目につくことに支援するという流れが出来ていないと、自分が目についても支援されないという風潮になる
なので、自然災害のピンポイントでもいいし、難病で海外で手術の子供でも犬猫でもなんでもよいので個々が目について救いたいところに寄付したらよいなどと
そのために節約とかまでする必要はないが、節約したとしてその帳尻は内部留保溜めてる企業とかぜいたく品扱ってるまあ経営に問題の無い企業やお店に行くだけだろう
電気代とか節約したり、酒や馬鹿カロリー飯を控えると節約行為自体がプラスにもなるし
もちろん、寄付とか嫌いなおっさんが、地元の飲み屋で飲み歩き、スナックやらラウンジのねーちゃんに金払うのもそれはそれでよい
で、どうしても救えないところが出てくるので、そこは(ある程度)お国でなんとかしましょうと
残酷なことだけど、国の制度では救いきれず(そこを拾いだすと莫大なコストがかかってしまう)、さらに募金も集まらない、みたいなケースも残って当然
寄付募って生きながらえるなんてあさましいと考える人間、そういう親元に生まれてある意味であがいてもらえずに見捨てられた形になる難病の子供も居ても仕方ない
株式会社Wacomは、高品質なペンタブレット類を筆頭に、クリエイター向けのデジタル製品を展開する埼玉県の企業だ。
超有名ペイントソフト『CLIP STUDIO』のセルシスと提携してイラスト情報サイトを運営したり、YouTubeにて著名作家による液晶ペンタブレットでのメイキング動画を配信するなど、顧客だけではなく、クリエイティブの世界全体に寄り添ってきた印象の強い企業だった。
そんなWacomが、言うまでもなく数多のクリエイターから侮蔑され、今に至るまで常に批判を浴び続けているAI生成画像を広告に使用した。
当然、界隈には激震が走り、すぐさまWacomは非難と誹謗中傷の雨あられにさらされることとなった。
全ての発端となったその画像は、Wacom米国支社が新春セールの告知バナーとして掲載した画像に使用されている龍のイラストだ。
それは昨今の精緻化しつつあるAI画像事情を考えればまったく稚拙と言っていいAI丸出しっぷりのカスみてえなクオリティのポンチ絵であり、切り抜きすらガバガバで、目にしたユーザーが正気を失うのも無理はない瘴気を放っている。
Wacomの弁明によればストックフォトサイトから購入した画像であり、説明には手描きですって書いてたらしい。信じるなよ。
ゆえに、
①ペンタブという、血と汗と涙を流してがんばるクリエイターの相棒となる機器を売っている会社が、クリエイターの成果物を無遠慮に搾取して作られたAI画像なんぞを広告に使いやがったことへの怒り
②たとえ本件が広告代理店単独のやらかしであってWacomは悪くないのだとしても、創作の現場と密接に関わってきたはずのトップ企業があんな分かりやすいAI画像を見抜けなかった、あるいはチェックさえせず素通りさせた可能性があることへの懐疑
③そもそもWacomとかいう超有名かつクリエイターと親密なはずの企業が、自社の広告に使うイラストを新たに発注せず、ストックサイトから拾って済ませたことへの落胆
④ユーザーの告発がバズったさいに、迅速な対応を見せることなく火元の投稿を無言で削除してしばらくだんまりだったうえ、ようやく出た謝罪文がどうも歯切れの悪い内容であることへの🤔
⑤Wacom製品の宿痾であるタブレット用ドライバの虚弱体質への不満が炎上ついでに大噴出
上記を主な理由として燃えに燃え、もはや消し炭すら残さないフェーズに入っている。
自分は生成AIをゴミだと思っている人間であり、Wacomのbambooに導かれて絵を描くようになったおえかきオタクであり、同じくWacomが展開する液晶ペンタブレットのフラグシップである"Cintiq pro"に憧れてきた一介のユーザーであるため、Wacomが燃えているのは我が事のように苦しく、歯痒い。
はじめはWacomに対する困惑と、とにかくは炎上を追わねばという気持ちだけがあり、なぜAI画像を使う羽目になってしまったのかさえ知れればよいと思っていた。
だが、炎上が際限なく広がり、どこまでも飛び火しまくっている現状を見るほどに、自分でもよく分からない様々なお気持ちや悪態が自分の内で噴き出しまくってないまぜになり、どう整理すればいいかさえ分からなくなってしまった。
非難にあわせて拡まった不買運動や、やおら他社製品の液晶ペンタブレットを持ち上げ始めるインフルエンサーの挙動にイラつく自分も情けない。
その代替として挙げられた製品だって過去にAIで広告作って燃えてるし、そもそもそいつらがCintiqに敵うものかよ。
一方で、そんな悪口が出てきてしまうのは、私が持ち合わせているある種の国粋主義的な、権威主義的な部分が強く認知を歪ませているせいであるという点を否定できない。私はWacom信者だ。恥ずかしながらこの目は曇っている。
なんにせよ、よく分からないお気持ちを抑え込むことさえできない自分があまりに馬鹿みたいでつらいのだ。
AI慎重派の筆頭論客でもある某イラストレーターが「XP-PEN(Wacom以外であれば真っ先に候補に上がる中国の優秀なメーカー)の液タブ買ったよ」というツイートをしただけで「Wacomへの当てつけかよ!!!?!!!!!!!?!」となってしまう自分の単細胞が恨めしい。
だから、彼がとてもとても理性的な筆致で書いてくださっていたnoteを読み、示されていたフラストレーションの殺し方のすすめに従って、こうして文章の形で消化しようとしている。私は絵でしめすより文章をしたためるほうが相対的に得意だから。うまくいくかな。
思いついた順に書く。くどいので今後は液晶ペンタブレットを「液タブ」と表記する。
本件を概観するうえで見落としてはいけない気がするファクトとして"Wacomの液タブ"という存在・概念が、デジ絵に親しむ者にとっては単なるハイエンド製品に留まらない、絵描きとしてのステータスシンボルでさえあった実情がある。
「Cintiq」という名は単なる製品の名前ではなく、それこそCHANELの「N°5」のような、ある種の象徴を背負ってきた。なぜなら長い長いあいだ、Cintiqこそが唯一の“本物の液タブ“だったからだ。
どういうことかといえば、Wacomの特許でもある電磁誘導方式(EMR)という動作形式で作動するの液タブは、長らく新生Cintiqシリーズしか存在していなかったのである。
EMR方式は、グラフィック用タブレットの動作方式として最も優れていると言っていい代物だ。飛び抜けて高度な筆圧感知と動作検知能力を持つため、まるで紙に線を引くかのように繊細な描画が可能であり、ペンの充電に煩わされることもない。
かつては板タブの専売特許であった強力な描画能力を、液タブだてらに誇示してみせたことでCintiqは伝説となった。
EMRの特許が切れた現在となっては、他社も盛んにEMR方式の液タブを発表しはじめているものの、依然としてそのクオリティの高さは変わらず、Wacomの歴史に根ざした信頼もあって、“Cintiqという名前“は永遠に“すんげーつよつよ液タブ“の比喩であり続けている。
趣味であれ生業であれ、デジタル創作に親しむ人々はみな、ショーウィンドウ越しのトランペットを見つめる黒人少年のごとく、Cintiq proに憧れながら絵を描いているのである(主語デカ案件)。
だからこそ、"あの"Wacomが!!?という衝撃は大きかった。よその企業がAIを使いやがったときのそれとは、話が違うのだ。
むろん、いくら創作にまつわる機器を扱う会社だからといって、告知に使う全てのイラストにコンペを設けたりできないことは、さすがに分かる。
それでも、だとしても、誰しもが「なんで社内イラストレーター使わねえんだよ」と失望するほどには、Wacomの名前は重かったのだ。
当のWacomにさえ抱え切れないほどに。
また、消費者による企業への信頼とはすなわち資本への信頼でもある。
ただ、ただ単純に「高え金払ってんだからしっかりしてくれよ頼むよ」という話だ。
「Cintiq pro27」とかでググっていただければ分かるとおり、Wacomのフラグシップ製品は、おしなべてアホみたいに高い。Apple製品とタメを張るくらい高い。ちなみに企業姿勢もどとこなく似ているところがある。
Wacomがどんだけ儲かってるかは知らんけど、あんな高いもの売ってるなら相応にお行儀よくあってくれたまえよという話なのだ。
これはカスタマーが企業に怒りを覚えるポイントとしてあまりに分かりやすく、またその気持ちを分からない消費者はいないだろう。
ちなみに、米WacomがAI画像をうっかり購入したフォトストックサイトが、よりにもよってAdobe Stockであるのも見逃せない点だ。
かのAdobeもまた、AI魑魅魍魎に占拠され AI汚染の震源地とすら揶揄されるようになったAdobe Stockの有様をユーザーに咎められ、「高えAdobe税払ってんのに自社のフォトストックすら守れねえのかよ」という失望を集めて絶賛失速中の身である。どうも示唆的なものを感じずにはいられない。
ただまぁ、個人的に上記の諸々は単なる背景情報であって私には正直どうでもよかったりする。ここまでクソ長々と書き綴ってきたうえでこんなことを言うと正気を疑われるかもしれないが。
私はただ、頭が固くて権威主義で旧弊なオタクであり、Wacomを埼玉の誇りだと思ってる埼玉県民ゆえ、ただただ、たった1回の過ちでWacom製品を投げ捨て、""有象無象"“の""中華""製品に手を伸ばせるみんなのフットワークが信じられないのだ。
そして今回の傷が重篤な致命傷なのは否定できないとはいえ、なにもWacomが主体的にAIを推進したわけでもないのにここまで炎上が広がっていることに引いているのだ。
なんかこう…例えばCintiqの次世代モデルにAI積みますとか言い出したわけでもなく、ただAI画像をなんとなく手にとってしまっただけなのに、叩かれすぎじゃないかと思うのだ。確かに迂闊で許される範囲じゃないとは思うけどさ。
とくに、まるでWacomが生成AIを大歓迎し、諸手を挙げてユーザーに押し付けようとしている企業であるかのように罵っている一部のAI慎重派の言動はあさましく思えて仕方がない。
むしろWacomは絵柄を署名のように扱える技術を研究し、「AIでAIをぶちのめす」道を探ろうとしている途上にあるというのに、というかその話題が出た当時はみんなしてさすワコしていたというのに……。
……長い長い冬を抜けて、ようやく著名なイラストレーターの方たちでさえ腹を括ってAIの被害を訴えてくださるようになり、ここ最近にきて生成AIに関する議論が持ち直したように感じられる場面が増えたように思う。
一方で、その暗い冬のあいだに摩耗した精神を顧みぬまま、あれもAIこれもAIAIAIと呪詛の言葉を撒き散らすようになってしまったインフルエンサーの方が何人か思い浮かぶ。
特に、最近になって「2023年8〜10月以降にいきなり生えてきためちゃうま絵師は基本AIだと思え」というド失礼な認識が自然発生し、ぽつぽつと苦言が出ることがあっても、とくに大きな反発もないままその認識が界隈に定着したのを見たとき、私は「底が抜けてしまった」と思った。
そこに畳み掛けるようにして、絵描きの最良の友であったWacomへの過剰な警戒がドバドバドバドバ噴出しているのだ。しっちゃかめっちゃかだよもう。
AIbroが吐き捨てていった「AI規制派はフェミ!」というお里が知れる鳴き声を、彼の意図した形ではないとはいえ、私は捨て置くことができない。
今の「AIカスどもVS絵師とかの連合」の泥沼バトルは、慄然とするほど「"フェミニズム"VS表現の自由」の界隈が辿った道筋に似すぎているのだ。
あの人たちはどうなった?
ギャグみてえな炎上の渦中にあっても気高く振る舞ってきた、"フェミ"と蔑称されるいわれなき本物のフェミニストたる女性達は、数回の炎上ですぐさまインターネッツ・レスバの無意味さを悟り、彼女らがまだ"まなざし村"という懐かしい名で呼ばれていた時代の終わりと共に雲隠れしてしまった。
こうして萌えコンテンツをひたすら理不尽に憎み、ダブルスタンダードな思想を振り回しながらLGBTに迷惑をかけまくる、だいぶ苛烈な女性だけが鼻息荒くリングに残ることとなった。
一方の"オタク"の側も、愛するコンテンツを守りたい一心で不器用にも声を張り上げていた層が、本当はそんなふうに怯えなくてもいいことを知り、安心して去った。オタクコンテンツを傷付けやがる連中の正体見たり枯れ尾花。好きなものを愛でる時間のほうがよほど大切なことに気づいたのだ。
そうして気持ち悪くて不謹慎な処女厨の童貞が一番カッコいいという化石じみた価値観のまま、アニメやゲームに言うほど思い入れがないにも関わらず、現実の女性を逆恨みする原動力として自分をオタクだと思い込まねばならない可哀想な男性だけがオタクのバトンを勝手に引き継いだ。
そんなこんなで、かの界隈は"炎上のための炎上"の火の手が毎日どこかしらで上がり続ける、オタク嫌いとミソジニストがこの世の終わりみたいなナワバリバトルをやるだけの地獄と化してしまった。
他人事とは思えない。
「絵が描けるだけで好きなだけイキれてvtuberにフォローしてもらえるキモオタどもが羨ましい」という凄惨な嫉妬が胸の内で渦巻いていることにさえ気づけないまま、自分は最先端技術を理解しているすてきなテックギークだと心から信じて、満たされることなく価値のない画像を貪り続ける“彼ら“の壮絶さを思えば、相対する我々はたしかに、さすがに、今のところは同じ場所まで堕ちてはいないと言っていいだろう。
今のところは。
だが、その尊い正気が首の皮一枚でつながっているに過ぎないことを、前線にいる多くのひとが忘れてしまっているように思う。
自分がすぐにでも怪物に成り果ててしまうほど疲れ切っていることに気づかず、このまま怒りと悲しみを免罪符にして諍うだけの日々を送っていれば、すぐにでも炎上の熱狂と、レスバのライブ感に飲まれてしまうことだろう。
これは自戒でもある。
この戦いはコップの中の嵐ではない。
議論の場としては最悪なインターネットが唯一のフィールドというのも逆風だが、それでも。
非常に緩慢なテンポで、ときに腹立たしい揺り戻しに見舞われながらも、世界は確実に、ゆっくりとまともな方向に舵を切ろうとしている。
それもこれも、生成AIという忌子の産声に迅速に反応し、大衆がことの重大さに気づく前から、狼少年のような扱いを受けながらも折れることなく声を上げ続けてくれた人々がいたおかげである。
あなたたちが戦ってくれたからこそ、ようやくたくさんの人々が目を覚ましはじめている。
だから、我々はその目を裏切ることなく戦い続けなければならない。
だから、少しでいいから、休んでほしいのだ。ふと立ち止まるだけでもいいから。
この局面にあって、些細なことから「やっぱ反AIって頭おかしいわ」と思われるような事態があってはならないのだ。
私は恥ずかしながら、かつて表現の自由戦士と揶揄される感じのあのへんの活動に片足を突っ込んでいた。
そしてその日々の中で、素晴らしく聡明で、洞察力があって、敵を糾弾する時も優しさを忘れない、人間としても尊敬を集めていたオピニオンリーダーがある日突然ぶっ壊れてよくわからないことを言い出し、クソほど炎上するのを何度か目にしてきた。敵にも味方にもそんな人が出ていた。彼らはそのまま、“炎上のための炎上”をやるためのゾンビと化していった。
思い返せば彼らはいつも最前線に立って、独りで戦っていた。“界隈の人間ではない“人間がそばにいて、エコーチェンバーの反響を適度に遠ざけることさえできていれば、ガス抜きさえできていれば、何かが変わっていたかもしれない。
怪物と戦うものが怪物にならない方法は、ひとつだけ。連帯することだけだ。
あなたたちの仕事は言うまでもなく私が、そしてなによりあなたたちが呼び覚ました無数のビジランテが引き継いでいく。
だから、少しでいいから息をついて、AIbroどもにもみくちゃにされる中で削ぎ落とされてしまった何かを取り戻してほしい。我々にとってあなたたちが必要だからこそ、壊れないでほしいからこそ、私はこんなことを言っているのだ。
Wacomを許せるなら我々はまだ引き返せるはずだ。
このエントリがあなたたちの目に入ったら、お前は手ぬるいだの悲惨な現実を理解できてないだのの有難いお言葉が飛び出してくることだろう。
確かに前半のWacom擁護は、贔屓にしている会社かわいさゆえの妄言ではあると思う。正直。
でも、後半で言っていることを取り下げるつもりは絶対にない。
現実がまじくそだとしても、だからこそ、意地汚くAIを押し付けてくる連中とこれからも戦っていくためにもここで少し立ち止まり、あたりを見回して我が身を振り返らねばならない時期にきていると私は強弁する。
少し前に、GACKTが忘年会での酒豪エピソードをXでシェアしたというネットニュースに多数の批判的なコメントが付いていたのを覚えているだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1dfe3707804a61a686408af753ac213a1c689d53
「酒が強いのは自慢するようなかっこいいことではない」「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカを助長するな」「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」といった具合である。
こう批判する人たちは、井上尚弥の闘う姿を見ても何も感じないし、「馬鹿らしい」と一蹴するのだろうか。無茶な理論に見えると思うので以下に補足する。
酒が強いことが男らしい(ジェンダー分けしたいわけではないが、特に男性にこの傾向が顕著に思えるためこう描写することとする)とみなされる背景には、格闘技と通ずるものがある。
相手からのパンチをもらわない、もらっても平然としている格闘家の姿を見て人は容易に「男らしい」「強い」「かっこいい」というイメージを抱くものだ。アスリートとしての動きや能力の高さに加え、怪我や命の危機への耐性の強さという、ヒトという生物としての生命力の高さに対する根源的な憧れが私たちの無意識に刻まれているためだ。
酒が強いことが未だに称賛される理由にも同様のものがある。アルコールという人体に有害で言動を狂わせる毒を大量に摂取してなお、顔色も変えず平然とし、嬉々としてさらに酒を飲み続ける姿に、私たちはヒトとしての生命力の高さを見ているのだ。この根源的で無意識な憧れは、文化や科学が進歩してなおヒトがヒトである限り続いていくことだろう。
「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカを助長するな」これはもっともであるが主旨を少々はき違えているように思われる。多量の酒に酔って人に迷惑を掛けるレベルの人間は本当の酒豪からすればそもそも称賛される対象ではない。プライベートで人に拳を向ける格闘家、あるいはパンチを放つは良いが相手からもパンチを容易に喰らってすぐダウンする陳腐な格闘家のようなものだ。そうした人種は酒を多量に飲むべきではない。
「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」これももっともである。しかし酒自慢をする漢はこれを承知で酒席というリングに上がっている。格闘家が、後年脳や身体へのダメージに苦しむかもしれないにも拘らず競技を続けるのと似ている。
酒豪とは格闘家である。将来迎えるかもしれない心身の崩壊に目をつぶり、酒席に上がって己の生命力の高さを見せつける事にこそ彼らの刹那的な悦びがある。
さて、大抵の格闘家は30代半ばには引退する。心身の衰えを自覚したり、将来へのリスクを鑑みることが多くの場合その理由である。同様にまともな酒豪家も、いい大人になるころには大抵その競技から身を引くものである。
何が言いたいか。50歳にして酒豪の第一線に身を置いている(つもりである)GACKTが笑われる根源的な理由はここにある。53歳にしてなお格闘技の一線に身を置く辰吉を見て人が苦笑いするのと似ている。
マチアプ経由でしりあって、付き合うことになった彼女と旅行にいってた。
旅行するくらいの仲にはなれた、とはいえまだお互いなぜか敬語が抜けきれず、会話もなんとなく途切れたりして、距離感もめちゃくちゃ親密とまではいってない。
実際のところ、本当に好きなのかもお互いさぐりさぐりのような感じだった。
妥協と思ってないか自分を疑ったり、相手がそう思ってないか疑ったりしているようなところがある。
旅先でもお互い無言で歩いている瞬間があって、ちょっときまずいなと思いながら信号待ちしていたら、幼稚園か保育園のが送迎バスが停まっていて、車体に「はちす会」とだけ書かれていた。
自分は普通にその言葉の意味がわからず、特に深く考えもせず、「はちすってなんですかね」みたいなことを言った。ハチ巣?みたいなイメージ。
そしたら彼女がふつうに「ハスですね」と言い、加えて「もしかしたらお寺さんが運営してる幼稚園とか保育園かもしれないですね」ともいった。
バスの車体に書いてるくらいの一般的な言葉を知らなかった恥ずかしさとかもあったけど、それより、同じ文字列を見ても得られる情報が人によって全然違うことのほうがショックな感じだった。
一瞬でここまで差がある。
その場でそう思ったことと、普段から彼女のほうが自分より言葉やものを知ってるなと思うことも多いので(疑心暗鬼になる理由なのかもなと思う)それも言ったら、彼女は、そんなことないですよーといった後「私は数字ほんとによわいし、分数の計算とかもうできないので…数字に強いほうがすごいと思います」みたいなことを言っていた。
自分の仕事はどっちかといったら理系分野だが、なぜ分数の計算がたとえで出てきたのかはよくわからない。
正直に彼女に対するコンプレックスみたいなものをそのとき打ち明けて、でも流れで彼女の苦手なこともきけて、それは自分にはできることだったから少し気が楽になってしまった。
皮肉というか、あさましいような気もするけど、正直ほっとしてしまった。
この件に限らず、さも「自分は相手の気持ちに寄り添える人間です」というツラをして実のところ相手の立場になって考えることがまったくできていない、自分のことで頭がいっぱいの奴が多すぎるんだよな
まじで自他の区別がついてない
ゲテモノ料理を食べさせられる、バンジージャンプを飛ぶ、お化け屋敷を歩かされる、泥のプールに突き落とされる、電流の流れる椅子に座る、まあバラエティには色々あるわな
2.嫌だけどそれが仕事だしお金がもらえるから我慢してやります
3.本当はお金をもらっても無理だけど断り切れずにやってしまうかも
とまあさまざまなわけで
「俺(私)だったら金もらっても絶対に嫌だわwww」って「もし自分だったらどうするか」と想像してみるところまでは分かるよ
でもそこで芸能人がヤダ~なんて言いながら渋々ゲテモノ料理を食べた瞬間、
自分の身に置き換えてのめりこんで視聴するあまり「俺は嫌だって言ってたのに無理やり食べさせられた!!」「私は一般人だからギャラも出ないのにプライベートで無償でやらされた!!」っていう認識に脳みそが支配されて烈火のようにブチ切れてクレームを入れる
いやオマエがやらされたわけじゃないんだしあっちはそういう仕事で合意の上でやったことでそれで金もらってるんだから別にいいだろ
自分が嫌なことはみんなも嫌に違いない、私がやりたくないことは誰もやりたくないことじゃないといけないしやってはいけないとかあまりにも自己中心的すぎる
フェミニズムに染まってそうな女とかマッドマックスのフュリオサを持ち上げてたくせに女芸人が合意の上で丸坊主にしたことにすさまじい嫌悪感を示してるのって偏見にまみれてるのはどちらなんだ
丸坊主にされた女を守りたいんじゃなくて自分が思いやりがない差別主義者だから丸坊主の女の存在を許せなくてスタッフに八つ当たりしてるんだろ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4738272289266135205/comment/carat1182
志位和夫68歳は岸田文雄65歳と比べて3歳も年寄りのジジイだろう、というのは無理があるか。
どちらかといえばウラジミール・プーチン70歳や習近平70歳の方に近い、というのも印象操作の度合がすぎる。
ジョー・バイデン80歳がG7首脳の中では高齢で、対する共和党ドナルド・トランプも77歳だしアメリカさんは
もうちょっと若返ってもろて。
閑話休題。
ポイントは、実年齢ではなくトップとしての在任期間の異様な長さ。
https://anond.hatelabo.jp/20230614203718
第5代 日本共産党委員長 在任期間 2000年11月24日 - 現職
日本共産党書記長 在任期間 1958年8月1日 - 1970年7月7日
初代日本共産党幹部会委員長 在任期間 1970年7月7日 - 1982年7月31日
単期の在任期間では日本共産党史上最長で、来年には書記長と委員長合算した宮本顕治24年を抜き去る長さ。
すでにプーチンの大統領在任期間より長く、金日成・金正日よりも長い。
党大会で中央委員を選び、中央委員が委員長を選ぶという間接選挙で長く選ばれ続けてきているということである。
しかも委員長だからといって絶対的権限を持って独裁体制を敷けるわけではない。
「幹部会委員長は党の決定、党員の総意から離れて、勝手な言動を行うことは許されない。」(Wikipedia)
とのことで非常に民主的な組織の、民主的なリーダーが高い指導力で党を率いて党員から熱烈な支持を受けているということである。
指導者が備えるべき風貌を完全に持つ親愛なる指導者、嚮導の日ざし、不世出の指導者、革命的同士愛の最高化身である
「こいつらオタクのふりしてるけどオタクじゃないだろ!」と言っている人間がいるが。
アニメ・ゲームだけでなく、小説・ミリタリー・鉄道・電子技術に至るまで、様々なコンテンツを自らの糧とするべく耽溺し深く深く味わい尽くす、研究し尽くす。
ただ単にストーリーを楽しむだけでなく、作品に真摯に向き合い、時に作者からの苛烈な問いに打ちひしがれながらも、社会との関係性、社会への影響を細かく分析し、洞察・考察・論証・論評を行う。
それを同士たる「オタク」と持ち合い、侃々諤々と激しい議論をぶつけ合う。
「モルカーは『クルマは男のモノ』というステレオタイプ的ジェンダー観から脱してつくられた」などと考えたことがあるか?
「鬼滅の刃の大正初期という設定に必然性はあるのか?鬼滅に『大正要素』はあるのか?」と議論したことはあるか?
「コナンの安室、スパイファミリーのユリ・ブライヤーのアニメに出てくる公安警察から考える、国民を弾圧する公安が良いものとしてみられる可能性」に危機感を抱いたことはあるか?
萌え絵・グラビア・AVなどのゴリゴリに抜かせにいくエロなどちゃんちゃらおかしい。
漫画でもキャラの見た目で抜けるか抜けないかだけを売りにして、肝心の中身は見ないんだろう?
恐ろしいことに週刊誌でも、漫画家が粉骨砕身で作り上げた渾身の一作なども見向きもせず、あさましく未成年のグラビアで抜くのだろう。
エロに対しても「エロスとはなんぞや」「エロスの歴史」「ポルノの変遷」と深く深く洞察していくのが、オタクである。
キャラ萌えなども甘い。ガチャで推し(噴飯もの)を引いて欣喜雀躍しているうちは甘い人間だ。
エセオタクどもが増え、本邦の未来に暗澹たる思いに駆られてしまう。
…というわけで、本日をもって、私は「オタク」をやめさせていただきまーす。