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はてなキーワード: ベートーヴェンとは

2023-08-23

人間性を欠く”

意見を異にしたり、理解できなかったりする人々にむけてあなた提供できる、最もおしつけがましいことはなんですか?」

「さあ。なんですか?」

「その人々を治療すること。それが最初のHワードです。health」

医療テクノロジースーパーノヴァ化直前です。さて、それほどの力はなんのために使われることになるでしょう?〝健康〟の維持、あるいは創出のためです。それでは〝健康〟とはなんでしょうか?最後ウイルス寄生虫や癌遺伝子が跡形もなく完全に根絶されてしまったとき、そのとき治療〟の究極目的はなんになるでしょう?わたしたちがみな《エデン主義》的な〝自然律〟に運命づけられたなんらかの役割を演じ_「本来わたしたち生物として最適化されている状態_狩猟採取で糧を得て、三十歳か四十歳で死ぬこと_に回帰することでしょうか?それが究極目的なのでしょうか?それとも…技術的に可能なありとあらゆる存在モードを切りひらくこと?その場合自分健康と疾患の境界定義する専門家だと主張した人が…すべてを決める事になります。」

僕が言葉を返す。「そのとおりですね、健康という言葉欺瞞はらみ、意味あいまいだ_そしてつねに議論の的になる」

「それで、もうひとつのHワードはなんなんですか?大きい方は?」

「ほんとうにおわかりになりませんか?ではヒントを。論争に勝とうと思ったら、考えうる最も知的怠惰方法とはなんでしょう?」

「答えをいってほしいんですが。なぞなぞは苦手なので。」

「論争相手が“人間性(humanity)”を欠いている、と主張することです。」

「これは最古の意味論的な武器です。さまざまな時代の、さまざまな文化において、“非人間的(non human)”というレッテルを貼られた多くの分野や人々のことを考えてみて下さい。よその部族から来た人々。肌の色が異なる人々。奴隷女性精神病者聴覚障害者同性愛者。ユダヤ人ボスニア人クロアチア人セルビア人アルメニア人クルド族_」

ぼくは弁護するように、「人をガス室に送りこむことと、そのいいまわしをレトリックとして使うことは、多少は違うと思いませんか?」

「もちろんです。しかし、仮にあなたわたしを、“人間性を欠く”といって非難したとしましょう。それがじっさいに意味するところとは?いったいなにをしたら、そんなふうにいわれるのか?平然と人を殺したとき子犬溺死させたとき?肉を食べたから?ベートーヴェンの第五番に感動しなかったから?それとも単に、人生のあらゆる局面あなたと寸分違わぬ感情をもてない_あるいは、もとうとしない_からですか?あなた価値観目標のすべてを共有できないから?」

グレッグ・イーガン万物理論

2023-05-28

VTuber数字を伸ばすのは本当に難しそう

推しているVが伸びねえなあ、でも数字関係なく継続可能な限りは活動を楽しんでほしいし、推したいという話。

「良いものはほっといても売れる」なんて夢物語であることは、多くの人が同意するだろう。

というか、商売では売り込みとか、そっち系戦略だって立派な実力の一つとも言える。

少なくともそれは、VTuber世界にもしっかり当てはまると思う。

一口VTuberと言っても色々いて、その中には楽器演奏を売りにするVもたくさんいる。

その殆どピアノギターだが、中にはフルートサックスクラリネットといった管楽器、中には津軽三味線とかもいたり。

そんな楽器演奏Vでも、自分イチオシヴァイオリンを弾くV。

ロックギタリストベーシストリーダーに、アコギ弾き語りシンガープロヴァイオリニストという、なんとも異色の3人組のユニットとしてデビューしたメンバーの1人で、
クラシックの上質な音をベースにしつつも、ポピュラー系の曲調にマッチするカジュアル表現志向したスタイル

これが、以下の演奏の通り聴きやすい上に非常に気持ちいい音なのだ


ちなみにクラシックを弾くとこんな感じ。

(ポピュラー曲の演奏の合間に即興で弾いたものも含む)


おわかりいただけただろうか?

クラシックポピュラーで、ベースになる音の質が殆ど変わっていない。

ここから、この人はどんな曲でもクラシックの奏法の応用として、リズム感を変えたり装飾を適度に加えた音作りをすることで、
あらゆるジャンルヴァイオリンの魅力が一番引き立つ表現を目指していることが見て取れる。

まさに正統派ヴァイオリニストとして、楽器の持ち味を十分に活かし、ジャンルに囚われない表現を追求していると。

他にヴィオラも弾けばギター弾き語りもするし、最近オタマトーンお気に入りと、なんでも楽しもう!という柔軟でサービス精神あふれる姿勢にも好感が持てる。

好きなアーティストYUI坂本真綾ということで趣味もいい。

とはいえソロチャンネルを開設して1年ちょいであることを踏まえても、数字については…という感じ。

これだけ実力があっても数字にならないのがVTuber世界というか、楽器の実力が必ずしも数字に結びつかないのはまあ知ってたというか。

でも音楽家としては間違いなく真っ当な活動なので、数字関係なくこれから推したいし、何かの拍子で有名になればいいし、ならなくてもいいし…と思っていたり。

まあ、ヤマハクロサワサラサーテ(弦楽器雑誌)辺りから案件が来たら万々歳みたいな。

2023-05-11

好きなクラシックタイトルベスト10邦題

・15のハンガリー農民の歌 (バルトーク)

・犬のためのぶよぶよとした前奏曲 (サティ)

・いやいやながらの王様 (シャブリエ)

・失われた小銭への怒り (ベートーヴェン)

・お休み、お前はほんとのお馬鹿さん (モーツァルト)

・快活の人、沈思の人、温和の人 (ヘンデル)

・片手ずつと両手のための3つの練習曲 (アルカン)

・消えた男の日記 (ヤナーチェク)

浄められた夜 (シェーンベルク)

・荒城の月 (滝廉太郎)

最初最後 (ヨーゼフ・シュトラウス)

・酒、女、歌 (ヨハン・シュトラウス2世)

ジョニー演奏する (クルシェネク)

速達郵便で (エドアルトシュトラウス1世)

誰も寝てはならぬ(プッチーニ)

神聖舞曲世俗的な舞曲 (ドビュッシー)

・進むべき道はない、だが進まなければならない…アンドレイ・タルコフスキー (ノーノ)

中国の不思議な役人 (バルトーク)

超絶技巧練習曲 (リスト)

超絶技巧百番練習曲 (ソラブジ)

典型的動物 (プーランク)

・亡き王女のためのパヴァーヌ (ラヴェル)

・早わかり (グレイジャー)

魔弾の射手 (ウェーバー)

目覚めよと呼ぶ声が聞こえ(バッハ

・もはや私の心には感じない (パイジエッロ)

・夜鳴きうぐいす (ストラヴィンスキー)

悪口学校 (バーバー)

2023-04-13

anond:20230413112042

貴様」を「貴族」に空目して納得してたら「貴様」だった。

まぁ意味は同じだけども。脳内ベートーヴェンのかつらみたいなの被ったおっさんが出てきてふふふってなった。

増田相手がいい歳こいた「貴様」だからイラッ💢とするわけで、脳内ショタだと思い込んでみてはどうか。

2023-03-26

気がつけば10年、でも後悔はしていない

anond:20160102191839

↑の近況報告を書いてから相当に間が空いてしまったが、実はレッスンは続けていたという。

それでいま再び筆を執ったのは、レッスン再開からちょうど10年の節目ということだけではない。

来月のレッスンから、ようやくメンコン(メンデルスゾーン協奏曲)に取り掛かれるようになったことが、一番の報告だ。

これについては前のエントリ

全てが順調に行けば、年内にも念願のメンコンに取り掛かれる

と書いたけど、その意味では全く順調ではなかったのだ。

そこら辺の話を、例によって長くなるけど書いていこうと思う。

ちなみにメンコンの前準備としてモーツァルト協奏曲に取り掛かったのは本当。

全5曲ある協奏曲の中でもかなり難しい第5番を、結局全楽章さらう結果になった。

楽章の合間にいくつか他の曲を挟んだ(ベートーヴェンロマンスとか、クライスラーのロスマリンとか)ものの、モーツァルトに取り掛かってから現在までの7年の多くの時間は、モーツァルトに費やしたと言っていい。

こう書くと、曲のボリュームから言えば「時間かかりすぎやろ」と思うのが普通だろう。

かに今思えば自分が先を急ぐあまり、少なからず荷が勝ちすぎる曲だったのは否定できないが、それでもここまで時間がかかった理由としては十分な説明ではない。

荷が勝ちすぎた曲だったことは前提として

  1. 曲の解釈から自力で成し遂げることを要求された
  2. 自身能力の優劣に相当のばらつきがあり、このうちもっとも苦手なことが執拗に足を引っ張った

という2点が大きいので、それぞれ説明しようと思う。

まず最初の「曲の解釈から~」という話。

幼少からヴァイオリンを習っていた、いわゆる「アーリー組」の読者諸兄ならほぼ全員通ってきた道だと思うが、ヴァイオリンのレッスンというのは基本的

ことで、「曲を弾ける」ようにしていく。

でもこれ、言葉を選ばずに言えば「先生劣化コピー」を作っているに過ぎないわけだ。

もちろんそうやって一曲仕上げる際に得たノウハウを、他の似たような楽曲に応用できればいいが、学習者にそこまで耳やセンスが育っている保証はどこにもない。

実際、「よくわからないけど先生の言う通りに弾けるようになったからいいや」で済まし、結果「お前先生がいないと何も出来ないのか」みたいに、解釈力が全く育たないまま放置されている人は非常に多い。

何よりこうしたお仕着せまがいの教え方は、学習者が難しいことを前向きな気持で克服するのに必要な「憧れ」をしばしば忘れさせ、嫌々お稽古ごとコースに陥らせるわけで。

そしてモーツァルトのような、奏者への要求レベルが相当に高い曲をやる頃になるとそのレクチャーというか諸注意は微細を極める(それこそ音符単位)ため、

「もういいです勘弁してください!」

という具合に卒業というか、嫌気が差して辞める人も出てくる。

(それを踏まえると辞めることを許されない、プロを目指す子達がどんな気持ちヴァイオリンさらっているかは、想像を絶するものがある)

かくいう自分高校まで習っていたときはそんな感じだった。

しかし、今習っている先生は違った。

自分が弾きたい音で弾く=弾けるようになるまで絶対妥協しないことを基本にしなさい」と。

そのうえで

増田さん、その解釈に基づく演奏ステージに上がったら恥かくよ(変人ショーになってしまう)、なぜなら(以下説明)」

「その部分が無味乾燥に聞こえる時点で解釈が足りてないと思う」

「それだと増田さんの弾きたい音は出ないから、これをこうする練習しましょう」

という、クラシック=最上のもの定義される音の有り様を、懇切丁寧に教えてくれた。

お陰様で、モーツァルト協奏曲5番は「本当に難しい」と思ってはいてもモーツァルトを嫌いにはならなかった。

気がつけば音楽に対する集中力解像度は飛躍的に上がったし、なんなら

アニソンボカロみたいなポピュラー楽曲カバーありがちなポルタメントや過剰なトリル/アクセント/ビブラートに頼らない、あくまで上質なクラシックの弾き方で弾いて喝采を浴びてみたい」

みたいな新しい夢も出来た。

時間はかかったけど、その分より大きな高みに登っていける基礎体力は間違いなくついたと思う。

次に自分能力問題について。

結局、能力に大きなばらつきがあることが先生はもちろん自分自身も、諸々の見通しを大いに誤らせる結果になった。

何に苦しんだかというと

  • 演奏中は左手の親指が反ったまま、全く力が抜けない

という、極めて不自然な力み方の修正

これだと親指以外の4指を自由に動かせないのを無理やりコントロールする=コントロールできるまで途方もない練習量が要求される。

なのでこれ以上難しい曲に取り組むのであれば先がない(最悪弾けないまま体を壊しリタイヤ)という、致命的な問題だったのだ。

これについてはヴァイオリン以外の、逆上がりや二重跳びができないのはもちろん、ボール投げもバレーサーブもヘボかったりとかも踏まえると、もう間違いなく自身の神経発達に問題があると確信させられた。

結局、なんとか「左指がデフォで緩んでいて、他の4指の力の入り具合に連動して自然に屈曲するように力が入る」動きを無意識にできるようになったが、もしこれが体得できなかったらと思うと、今でも怖くなる。

他に楽器を常に鎖骨の上に置く、右肘が後ろに逃げないよう腕を重力に任せて落とすといった基礎もツッコまれたが、どちらも10日程度頑張ったら治ったので軽症で済んだ。

なお、今もメンコン最初の方だけしかさらえていない。納得できる音が出ないので先に行けないし、先を見ても意味がないからだ。

こうやって一歩ずつクリアしていけばいいと思えるくらいには落ち着いた。

正直とても難しいけど楽しい

というか、今まで生きてきてここまで真剣勝負楽しいと感じたことはないかもしれないので、いっぱい楽しもうと思う。

2023-03-11

クラシック楽曲引用したHR/HM楽曲(その2番外編あり)

anond:20230311134801

の続き

Savatage & Apocalyptica

曲名: Prelude to Madness(Savatage)

引用: グリーグ「山の魔王宮殿にて」

https://www.youtube.com/watch?v=DyBCSJQH2zE

曲名: In The Hall Of The Mountain King(Apocalyptica)

引用: グリーグ「山の魔王宮殿にて」

https://www.youtube.com/watch?v=VNE7Mt63t2E

Rainbowのことを考えたときグリーグの 「山の魔王宮殿にて」を思い出した。

せっかくなので別のバンドを記すことにした。他にもSavatageを中心にして生まれたTrans Siberian Orchestraなども演奏している。

Wolf Hoffmann

曲名: Night On Bald Mountain

引用: ムソルグスキー禿山の一夜

https://www.youtube.com/watch?v=F-WazDQZu0I

Acceptギタリストヘヴィに仕上げており、聞いていて気持ちいい。彼はクラシックを取り上げたアルバムを2枚出している。

Dark Moore

曲名: Dies Irae (Amadeus)

引用: モーツァルトレクイエム 怒りの日」

https://www.youtube.com/watch?v=W8bbodUFUUU

いたことがある人も多いだろう「怒りの日」を引用。長尺の曲だが、いかにもな展開でニヤニヤしてしまう。

私はこれ(https://www.nicovideo.jp/watch/so17472785)を思い出してしまう。

Rhapsody of Fire

曲名: The Wizard's Last Rhymes

引用:ドヴォルザーク新世界より

https://www.youtube.com/watch?v=rJeBuEjQeoI

聞けばわかるとあのフレーズ以外にもいいアレンジがされていて好き。Fabio Lioneの声も好きだ。

リンク先の楽曲は違うと思うが、Rhapsody of Fireの別の楽曲では、Christopher Leeゲスト参加していて渋い声を聞かせてくれている。

その他


番外編

Jason Beckerの1stソロアルバム「Perpetual Burn」に収録された「Air」がアレンジされ、オーケストラ演奏された動画を紹介したい。

原曲が本当に素晴らしいので聞いてほしいが公式動画はない模様。

曲名: Jason Becker's Air Covered By Konstantin Kokourov

引用: AirJason Beckerの1stアルバム「Perpetural Burn」収録)

https://www.youtube.com/watch?v=Vt4YHlSbuk0

さて、Jason Beckerをご存知だろうか。10代でCacophonyというバンドデビューを果たしたギタリストだ。

ツインリードギターが売りのバンドで、もうひとりのギタリストは、先日Megadeth武道館公演にゲスト参加したMarty Friedmanだ。

JasonソロアルバムとCacophonyの2ndアルバムを出したあと、Van Halenから抜けたDavid Lee Rothバンドに参加。

しかし、スーパースターバンドでこれからというときに、ALS筋萎縮性側索硬化症)を発症してしまう。

バンドアルバムと2ndソロアルバムを完成させたものの、目を動かす以外の体の自由がなくなった。

それでも作曲活動を続け、2018年にはアルバム「Triumphant Hearts」をリリース。Martyをはじめ錚々たるプレイヤーが参加している。

難病発症して30年以上だ。私もしっかりせねばと思う。

記事の主旨からは外れるが番外編ということで、その2018年アルバムから「Valley Of Fire」を。

https://www.youtube.com/watch?v=1gS5ibUPUvg

これでも削ったほうですが、語りたくなってしまった。

長文・駄文失礼しました。

クラシック楽曲引用したHR/HM楽曲(その1)

クラシック音楽で最もメタルな瞬間 10選」という記事がかなりブックマークされていたので、

クラシック楽曲引用したHR/HM関連楽曲個人的に好きなものを少し書いてみようと思う。なお、リンク先は公式動画限定している。

Yngwie Malmsteen

曲名: No Mercy(よくネタにされる例のアルバムジャケットが見れます

引用: バッハBWV1067 バディネリ

https://www.youtube.com/watch?v=Gdl8r2i5FwU

2:20付近から始まるパート引用部分で、Yngwieはこのパートのみの動画も上げている。

https://www.youtube.com/watch?v=QyvRkBkm_3w

彼のスタイル個人的大好物だ。

Yngwieは協奏組曲作曲新日本フィルコンサートも行っている。

Rainbow

曲名: Difficult to Cure武道館ライブバージョン

引用: ベートーヴェン交響曲第9番

https://www.youtube.com/watch?v=jp48fMchnuc

なぜこのバージョンなのか。その答えは4:00あたりからの歓声と音を聞けばわかると思う。公式映像動画はなかった。

なお、RainbowではCozy Powellドラムソロチャイコフスキーの「序曲1812」を使用していた。

DVDはあるが公式動画は見つからず。シンバルの叩き方がとんでもなくカッコいい。

Paul Gilbert

曲名: Haydn Symphony No. 88 Finale

引用: ハイドン交響曲第88番」

https://www.youtube.com/watch?v=qyZACyXFIVI

引用というよりはカバーに近い。小気味好い演奏でニッコリしてしまう。

余談だが、同パートLeonard Bernsteinが指揮している動画がある(公式は見つからず)。

Bernsteinは出だしだけ指揮棒を振るが、それ以降は顔や体の向き、表情や目線で指揮をする。とても幸せそうだ。

「Haydn Symphony No 88 Bernstein」などで検索するとすぐ見つかると思う。

曲名Bach Partita In Dm

引用: バッハ無伴奏パルティータ BWV 1004: IV. Gigue」

https://www.youtube.com/watch?v=V6rF_c_UkoA

こちらも同様にカバーに近い。検索すると引用元をHilary Hahnが演奏しているのがでてくる(https://www.youtube.com/watch?v=YE5IkQP5xA4)。

2023年春アニメの「青のオーケストラ」では彼女演奏を聞くことができる(https://aooke-anime.com/news/05.html)。

2023-02-18

音楽の編成について

クラシックジャズに興味がないという人も少なくはないでしょう。かなり初歩的な内容になりますが、編成について少しだけでも知れば解像度が上がるかもしれません。音楽調和芸術ですが、個々の音に分解して耳を傾けてみるのも楽しいのではないかと思います

オーケストラ

バッハベートーヴェンなど、いわゆるクラシック音楽などの編成。映画音楽もこれが多いですね。弦、金管木管打楽器が編成の基本。

弦は小さい方からバイオリンヴィオラチェロコントラバス

金管トランペットトロンボーンホルンチューバ

木管フルートオーボエクラリネットファゴット

打楽器は……まあ、色々です。スネアティンパニシロフォン(木琴1)、マリンバ(木琴2)、グロッケン(鉄琴1)、ビブラフォン(鉄琴2)、…etc

ここぞという時に使う持ち替えの楽器というものもありますフルートの人がピッコロトランペットの人がピッコロトランペットオーボエの人がイングリッシュホルン、他にも色々。

小さい楽器ほど高い音が鳴り主旋律担当し、大きくなるほど低い音になりリズム隊担当になります中間楽器はそれぞれの橋渡しと言った所でしょう。

弦楽器和音も出せますが、基本的オーケストラで使う楽器は単音しか出せません。調和音楽たる所以でしょう。

楽曲によってはハープピアノ、その他おもしろ楽器打楽器による担当が多い気がする)が入ったりもします。サックスは基本入らないのですが、新しめの曲だと使われる事もあります

楽器ごとに1st、2st、3rd(、4th…)と担当が分かれます部活などでは、基本上の学年(か実力者)ほど若い数字パート担当ソロは基本1st、曲により2ndが担当

数字若いほど高い音を担当し、パート全体で和音構成します。

ソロパートなど目立てる箇所もありますが、個は埋もれがちかもしれませんね。指揮者に束ねられ、各々が細かく決められた役割のもと調和を目指す編成なのでしょう。

余談ですが、指揮者ってただ棒を振り回しているだけではなくて、コンサート本番に向けて楽団練習を仕上げる監督役割も大きいんですよ。

室内楽

クラシック」で一括りにされがちですが、オーケストラ以外にも少人数の編成がありますオーケストラ大衆向けの音楽だとしたら、室内楽音楽貴族のものだった頃の編成と言えるでしょう。音楽家に演奏させたり、自分らで演奏したり。バッハモーツァルトが得意とする所ですね。

二人ならデュオ、三人ならトリオ、四人ならカルテット、五人ならクインテット……

ゆうがたクインテットクインテットはこれですね。

弦楽三重奏ピアノ四重奏金管五重奏……

編成は色々です。

弦楽四重奏パッヘルベルカノンなんかは極めて有名ですね。エヴァの旧劇場版エンディングで流れた時、感動しました。木管五重奏では、なぜか金管ホルンが入ったりもます

少人数で個が立つ編成の分、ジャズにも近い側面があるかもしれませんね。

ジャズ

現代ポップスロックの原点である、偉大なブラックミュージック

ルーツについては色々言われているようです。その一つに、スコット・ジョプリン代表されるラグタイムというピアノの曲のジャンルがあります。彼の"The Entertainer"は誰しも一度は聴いたことがあるでしょう。"Bethena"もベンジャミンバトン重要テーマ曲になっていました。

彼の曲を「クラシック」ではなく「ラグタイム」と言えると、ちょっとかっこいいかもしれませんね。

さて、ジャズの編成について。

トリオカルテットなど、少人数でのセッションビッグバンドに大別されます

ドラムスウッドベースオーケストラで使うコントラバスと同じものです。弓は使わずピッチカートだけで弾く場合が多いですね)、エレキベースなどのリズム楽器トランペットトロンボーンアルトサックステナーサックスなどのメロディー楽器。あるいはボーカルも。ピアノエレキギターは万能です。

それぞれから一つずつ以上選ぶのが基本です。ベーシックな編成としては、ドラムスベースピアノ/管楽器/ボーカルトリオでしょうか。

しかジャズ自由音楽です。リズム隊ベースドラムにもよくソロが与えられますし、何ならメロディを丸ごと担当する事だってあります

変わり種でフルートバスクラリネットという楽器なんかも使われたりします。

大きなクラリネットサックスみたいなウツボカズラがついててかっこいいんですよこの楽器ジャズの奏者ではエリック・ドルフィーが有名です。

色々な編成を聴いてジャズという音楽の懐の深さを感じるのもまた一興でしょう。

そして、ビッグバンドについて。ビッグバンドといえばグレン・ミラーyoutubeで色々聴けると思います。どれか一つくらいは耳に覚えがあるでしょう。『茶色の小瓶』や『アメリカンパトロール』なんかが特に有名ですね。

編成としては、ブラスバンドに近いかもしれません。金管トランペットトロンボーン木管クラリネットバリトンアルトサックスリズム隊ピアノベースドラムスオーケストラ同様に、1st、2ndが割り振られます

少人数でのセッションライブ感に対して、比較的まとまりのあるサウンドと言いましょうか。予定調和的ではあるかもしれませんが、足並み揃った音の厚みや迫力はまた魅力的なものです。

偏見ですが、中高の吹奏楽部員上がりはビッグバンドオーケストラに入りがちな気がします。

ジャズの魅力の一つに、キンキンと鳴り響く金管ハイトーンがあります。メイナードファーガソンや、エリック宮城なんかが有名どころでしょうか。「すごい!かっこいいなあ…」となるものですが、こればっかりは実際に自分楽器をやってみないと凄さが中々分からないものでしょう。

余談ですが、ビッグバンドトランペットは2ndがソロを吹く事も少なくありません。1stもハイノートで疲れているんでしょうかね。

ジャズにはフュージョンというジャンルもあり、T-SQUAREウェザー・リポートなどが代表的でしょうか。今はあまり流行りではありませんでしたが、EWIリリコンという電子管楽器が使われていました。ジャズスノッブで肩肘張った音楽ジャンルに思われるかもしれませんが、案外ミーハーな所もあるかもしれませんよ。

吹奏楽

日本部活ではこれ。たまに間違えられますが、「ブラスバンド」はサックス+金管楽器(+パーカッション)の編成なので、実は異なるものです。サックス金管楽器なんじゃないか?と思われるかもしれませんが、楽器の素材ではなく音の出し方による分類のため、木管楽器になります

ブラスバンドにはスーザフォンコルネット(ほぼトランペットです)、バリトンアルトホルンなどマイナー楽器が使われたりもます

さて、本題の吹奏楽

基本的にはオーケストラから弦楽器が丸ごと抜け落ち、管楽器ユーフォニアムサックスが入ります。「吹奏」楽たる所以ですね。

管弦楽曲吹奏楽編曲では、弦楽器が担っていた主旋律クラリネットが代わりに担当している印象がありますしかし、弦と管ではやはり表現が異なります特にピッチカートという弦を弾く演奏法は、管楽器いくらスタッカートを強調した所で別なものです。にもかかわらず、指揮者に「ピッチカートっぽく弾いて」なんて無茶振りをされる光景はままあるような気がします。

中高生部活弦楽器を扱うのが難しい(幼い頃からやっていないと人前で演奏するレベルになるのは難しいという風潮?傾向?があります)という事情のもと、部活では管弦楽ではなく吹奏楽が多く採用されているのではないかと思います

しかし、吹奏楽独自の編成を活かした曲があまり書かれておらず、オーケストラジャズポップス吹奏楽編曲が多く演奏されがちな気がします。それって別に吹奏楽編成でやる必要なくない?となってしまうので、吹奏楽らしさを活かした快活で明るいサウンドにしようとの苦心が見られますが、どうにもダサい方に転んでしまう印象を受けます

悪口のようになってしまいましたが、吹奏楽にも独自の良さはあるはずです。コンクールでもよく使われる曲を作っている樽屋雅徳という方は、吹奏楽編成のための曲を書いているので、興味があればぜひ。

2023-02-05

ベートーヴェンの第九の歓喜の歌部分はむしろバラ売り可能な代物だよ

元増田氏( anond:20230203192604 )の対応は大変誠実だと思うので、特に言及する事はないのだが、

表題のようなことを思ったのでつらつらと書く。 anond:20230205085517 みたいなこと言う人もいるし。

ベートーヴェン交響曲だとバラ売り不可なのはどう考えても第5番だ(いわゆる「運命」運命と呼ぶのが正しいのかについては深入りしない)。
まりに有名な冒頭の「ジャジャジャジャーン」を楽曲全体でいろんな風に使いまわす形で曲が構成されており、最終楽章だけ聞いてもあんまりピンとこないのだ。あんまりメロディックでもないし。
しろ第1楽章だけ、の方がまだ演奏機会があると思う。

このへんのバラ売り可能不可能交響曲というジャンルの中でも色々で、それこそゆるいセットリスト的な感じで楽章楽章の関連性は希薄ものも少なくない。
そーゆーのは結構バラ売りされる。なにしろ曲の構成とか主題の変容とか抜きにして「それ単体で聴いてもカッコイイ」というプリミティブな良さってのは大きな武器なので、
作曲者意図がどうあれ、バラ売りはされる。そういうものだ。ベートーヴェン交響曲第7番のノリノリでダンサブルな終楽章( https://www.youtube.com/watch?v=uPRpUXlBel4 )とか。

で、ベートーヴェンの第9に戻るわけだけど、

第9はそれまでの交響曲に対してパンクというかメタ構成の曲だ。
第5みたいな緻密な主題の展開とかは3楽章まででやり尽くしてしまう。
そのうえで、終楽章で突如ソロボーカルたちと大編成の合唱がぶち込まれ
「こんな曲じゃなくてもっといい曲やっちまおうぜ!」(乱暴に言うとそういう歌詞だ)つって歓喜の歌が始まるのである
極論、第9を続けて聴く意味というのはその「今までの交響曲のありようを覆すメタパンク仕種」を味わうことにあるので、
直接それまでと歓喜の歌に繋がりがあるわけではない。
んで、歓喜の歌は単体でアガる曲(そーゆー魅力があるから後の世に残っている)なんで、そこだけ聞くのはむしろ全然アリだし、
なんなら3楽章までは手の込んだ退屈な導入にすぎない(暴論)。

ブコメの人、なんで第9を引き合いに出したのか、正直謎。

単体で楽しめるカッコいい部分がある長い曲は、全曲を聞く楽しみもあるけど、そこだけ聴いて楽しんだって全然問題ない。誰だってそーする。おれもそーする。

anond:20230203192604

ベートーヴェン歓喜の歌

単品で聞いちゃ駄目なのか?

フルトヴェングラーの録音を聴けば、単品じゃ駄目なことがわかる

最近指揮者カラヤンとかじゃなくて

2023-02-03

アルバム無理解人間の帰還

前回のあらすじアルバムで音楽を聴くというのがやはり理解できない

とにかくお前らの言い分を把握するために一通り聞いてみることにした。

どうせ家では一日中パソコンの前にいるかゲームしたりSNS見ながら聞いてりゃいつの間にか大体消費しきれたぞ。

最初に言っておくが12勝8敗であったとこっちは思ってる。

こっちの勝利条件は「これは単なる詰合せであり単品で買えば良いものがお得に集まってるだけだ」とこっちが思ったかどうか。

逆を言えば「このアルバムの曲はこの曲順と組み合わせじゃないと駄目っぽいな」と感じたらそっちの勝ちだ。

そもそもなんで勝ち負けなんか決めなきゃあかんのかは知らんが、お前があんまり反論してくるせいでこんな感じになっちまった

こっちの勝利(お前らの敗北リスト


ビートルズ「サージェント・ペパーズ」

これがコンセプトアルバムだ!みたいに言う割には似たような曲を揃えて最初最後にそういう設定を入れただけじゃんっていう。

これこそまさに「詰め合わせセット」だ。

あくまでそこに「こういう設定がありますよ」としているだけ。

なんだろうな……まさしくアルバム単位で売る以外のやり方が存在しなかった時代遺物って感じ。

交響曲というシステムをパクってみせることで抱き合わせセットを売りつける」というアイディアを持ち込んだのは凄いと思う。

だが今の時代にこれを聞かされても「その市場他所アイディアを持ち込んだ事が凄いだけ」としか思えんね。

しろ「コンセプトアルバムスタート地点はこの程度だった」という意味で、音楽業界が歩んできた距離の長さを感じた。

まあ「参考」にはなったよ。

「100年前、100m走の世界記録は10秒6だった。この100年で人類はそれを1秒丸ごと縮めたのだ」みたいな「感動」もね。

プライマル・スクリームスクリーマデリカ

これも普通に詰め合わせパック。

ある程度時代が固まっているけどその中でも方向性がいくつかあるんだなーって感じで終わってる。

まあ「一時期を切り取っている」というコンセプトの公式プレイリストとしては成立してるんでファンCDラックに並べてニンマリして時折聞くためのファングッズとしてありなんかもだが、それシングルでもよくねっていう。

ベートーヴェン歓喜の歌

izumiya1948 例えばベートーヴェンの第九を第4楽章から聴く(第4楽章しか聴かない)、なんなら「歓喜の歌」だけでいい、ようなやつなんだな。

単品で聞いちゃ駄目なのか?

それなら駄目な奴ばっかだぜ日本人は。

だって音楽の授業からしてそんな感じなんだもんな。

音楽オタク様にゃそういう粗雑なイエロモンキーと同じ血が流れていることがずいぶんと恥ずかしいらしいねえ?

めっちゃいかリアルじゃ言わないほうが良いぞそういうの

m-floEXPO EXPO

進歩はしているがサージェント・ペパーズの域を出てない印象だ。

ある種の時代を切り取っている感はいいが、その背景にある時代物語を描ききれているかという微妙

未来趣向をテーマにした結果として発売当時の時代感の再現が弱まっている気がする。

BUMP OF CHICKENユグドラシル

うーん……シングルで聞いた場合との違いがあんまりからない。

異世界冒険譚とか人生の底でファイティングポーズみたいなコンセプトの曲だけで固めていれば……と言う気もしなくはないがそれでも単なる詰合せになりそう。

一個一個が強すぎると逆にベストアルバムっぽくなってしまう。

まあお得ではあるとは思う。

プリンス「lovesexy」

mamemaki こういう人がいるかプリンスのlovesexyは曲送り出来ない形でリリースされたんだよね。「黒人の命のようにアルバム大事」とはプリンス言葉

うーんそこまで自信満々になれた理由分からん

飽きさせないぐらいの意味しか曲順に感じられなかった。

ユニゾンスクエアガーデン「Patrick Vegee」

売れ線を繋ぎサンドしたみたいな感じのアルバム

この曲は売れてるんだろうなあってのがあるのはいいんだけど、そこまでの流れにきちんと相乗効果があるかって言われると微妙な気がする。

当たりと微妙が入り混じった福袋をそれっぽく並べ直しただけというか。

ランダム再生よりはちょっと上なんだろうけど、アナリーゼ100%の作者本人が並べ直した割にはって感じ。

これなら当たりの曲だけで聞く側が自分プレイリスト作ればよくねって気がする。

ただ詰めているだけじゃない気はするけど、この順番で聞かせることを推奨するだけの何かがあるのかという疑問が。

タイトル名で言葉遊び

anepan 椎名林檎アルバムの曲構成が線対象になってる話とか曲名頭文字を拾うとアルバム名になってるプロトタイプナナクジャクの話する?

から何?って感じが凄い。


お前らの勝利(こっちの敗北リスト



ミスチル深海

単にパッキングされた曲を聞いてるだけなのにLIVEにおける曲感のMCちょっとした特殊な入り、繋ぎに似た感覚が得られる。

ライブ・ビューイング缶詰を開けたような体験だ。

組曲的なアルバムとはつまりこういうことか。

なるほどこれはアルバムじゃなきゃ無理だな。

だが逆を言えば、この感覚がない大部分のアルバムシングルユーザープレイリストにしたものと大差はない「詰め合わせパック」でしかないということなのでは?

TMネットワークCAROL

映画のようなある種の段取りに合わせて何か長い物語イメージが共有されていくような錯覚がある。

音楽によって表現したい世界観をいくつもの曲を組み合わせることで多角的に伝える感じか。

相互作用し合うことで一つ一つの曲の解像度が単品よりも上がっているな。

単品で聞くと「あの映画の曲だ」にしかならなかったモノが、その奥にあるTM世界観意識を向けられるようになる。

なるほど、ドラクエ1~3を詰め合わせて一気に遊べば世界観解像度が上がるに決まってるだろという話か。

トム・ウェイツレインドッグ

単品で聞いても意味わかんねになるような曲をいくつも聞くことでいつの間にかノリが見えてくるこの感じはアルバムじゃねーと無理だわ。

強烈なクセや世界観があるアーティストにとっては束ねることによって理解度を深める機会を得られるアルバム追い風になるか。

ビヨンセ「RENAISSANCE」

レインドッグと比べると単品でも成立しやすい曲は多いがシナジーの効かせ方はそれ以上にさえ感じる。

単純に「セトリが上手い」ってパターンだな。

この辺は公式推奨プレイリストとしてしっかり仕事してるのでアリだと思う

ユニコーン「風」「風Ⅱ」

narukami ユニコーンの風を聞いた後忘れた頃に風IIがかかるからいいのであって風IIが先に来たり連続してたりするとあまり笑えないので

はい

実物聞いたらまさにその通りでした。

ACIDMANequal

初めて聞いたがいいバンドだな。

表題曲を聞かせるための下準備に1/3を使って、その後もマイルストーンになる曲によってアルバム内でサビの曲みたいなのを作っていってる。

捨て曲があるという程ではないけど盛り上がる曲とそれ以外にやはり別れるんだが、その中でいい感じにカタルシスを得られる。

単に好きなものを詰めただけの個人制作プレイリストではやりにくい、「公式から押し付けられたプレイリストから貯めを委ねられる」みたいなノリだなあ。

Pat Metheny 「the way up」

三部作のセットは、ただの詰め合わせではない」とでも言いただけだな?

どうやらそうらしいな。

なんだったんだこの戦いは……

砂原良徳TAKE OFF AND LANDING」

ここまでやられると「コンセプト」を認めるしか無い。

「コンセプトアルバムっていうけど似たような曲詰めてるだけだよね~~~」ぐらいの奴多すぎるから油断してたわ。

本当にコンセプト突き詰めるとここまで尖るのね。

味が定期的に変わるすげー長い千歳飴食ってるような気分だ。

Ado「ウタの歌」

いやいやこれは映画ストーリー通りに音楽が流れてくるだけでしょ。

……いや……それでいいのか……。

物語にそって流れるサントラはそれ自体が巨大な物語表現した一幕のオペラか。

いやいや……それは反則だろ。

あーでもアルバム定義次第だからサントラが無しとは言えないんだよな。

じゃあとりあえず負けでいいや。

結束バンド「結束バンド

あちこちで言われているだけはあるな。

噂の「猫背の虎」とやらを一番最初にやることで「どういうコンセプトのバンドであるのか」を紹介してくるのか。

最初の数曲は全体的に基礎コンセプト紹介しつつ万人受けしそうな感じの曲が並んでいて、「まずは名刺配りますんでよろしくお願いします」みたいな礼儀正しさがある。

そういう態度を取られるとこっちもまあ残りも聞いてやろうかなってなるな。

いきなり「忘れてやんない」とか言われたら「は?お前がそもそも誰?」にしかならんかったと思うし。

X JAPANDAHLIA

ベストアルバムっぽい感じだけど構成もしっかり取られている。

アルバムという形に込めた一つのライブという感じだが、押し付けがましいようなコンセプトもなくただ満足した気持ちで聞き終わった。

単純に出来がいいアルバムは単純に出来がいいので単純に評価が高くなる。

JAM Project「THE JUDGEMENT」

オタク君に人気のスパロボ歌手だと思ってたけど、オタクくんもライブ行ったら最後の曲で肩組んで「ララ~~ラ~~ララ~~~ラ~~~」って脂ぎった体でやるの?

というイメージが浮かんできた時点で今回のルール的には完全にこっちの負け。

曲順によってこういう曲単品で聞いただけでは存在してなかったであろうビジョン見せられるアルバムの例として良かったぞオタク君。

引き分け



サンホラアルバム全部聞かないと成立しないやつ

この話題でそれ出されても「そりゃそうだろ」にしかならんと思う。

あいうのは一つのミュージカルを章ごとに分けてるだけだからアルバムって名前だけど実際には「長大シングルに近い」と思うぜ?

こっちは別にスターウォーズなんて三部作最後の3と6だけ見ればいいじゃん。どうせ途中の話は前回までのあらすじって感じで分かるだろ」みたいなことは言ってないぜ?

ジェネシスの「幻惑のブロードウェイ

同上。

ピンク・フロイド「The Dark Side of the Moon

音と向き合える素晴らしい名盤だとは思うが、「この組み合わせ、この曲順でなければいけない」と言えるかというと微妙に思う。

まさに「お中元用の定番セット」のような……最高が揃っているが、最大公約数的な組み合わせには凡庸さがあるという印象だ。

まあ期せずしてベストアルバムみたいになってしまった物の一種として考えれば最高にお得だし、これを買った当時の人達は盛り上がったんだろうなと思う。

今の時代になってから戻ってきて「こんなの自分プレイリスト作れば~~」と言っているこっちがおかしいのは分かるが、「アルバムってのはよ~~単なる詰め合わせじゃなくてよ~~~」で上げてくるのもなんか違うと思う。

対戦ありがとうございました。

さてまあ今回色々と紹介してもらったわけですが、アルバムごとに個性ってやっぱあるもんですね。

そもそも個性のあるアルバムみたいな題で聞いてるんだからそうなんですけど、どういう形を目指すかっていうのが色々あったと思います

アルバムってシングルと違って「始まり」と「終わり」があるわけで、そうすると勝手に他のも「始まりからいくつ」とか「ちょうど真ん中ぐらい」とかになるわけで、するとそこに何らかの意図絶対まれるんですよ。

シングルだと結局はメインとサブっていう真っ二つの役割だけになりがちで、何故この流れでこの曲を流すのかの意味が単品で感じさせにくくなる。

もちろんアーティスト歴史の中で曲を出した順番やタイアップ、近況とかも把握して追っているファンであればそれぞれの中に意味を見いだせるんでしょうけど、そういった意味キャッチアップするのは音楽日常的に聞くほどではない人間には厳しいです。

アルバムはその点において構成によって意味を補ってくれるというか、「曲を単品ではなく何らかの奥行きを持って味わいたいけど、そのために調べるほどの気力はない」って人間マッチする部分があると感じます。改めて感じました。

「お得な詰め合わせ」というのも単に悪い意味だけでなく「シングルにあの値段を出すほどの熱意は音楽に持てない」という人間でも新しい体験ドンドン踏み込んでいける緩さがあると感じます

ただ、そうして手に取ったアルバムがただ「とにかく最近のを入れました」だと、ずっと追ってきた人なら「最近はこういうのが増えたんだね」と感じ取れたとしても、そうじゃない人間は順番に曲を聞くだけ、それもシングルほどには気合の入ってない、時には捨て曲のようなものが混じった体験をすることになるわけで。

この辺がちょっと悔しいと素人は思ってしまうんですが、音楽好きな人はそういった「シングルなら世に出られなかったような曲」も味わせることにも価値を感じたり出来るのかなと羨ましくもあります

今回漠然と「勝ち」「負け」なんて決めたわけですけど、実際にはそれぞれの価値観において音楽との向き合い方があり、そこに他人をいちいち踏み込ませたくないようなパーソナルスペースのようなものもあると思うと、ちょっと言い過ぎたのかなと思いますので最後一言誤ります。ごめんね。m(_ _)m

2022-10-06

例えばヘレン・ケラーとか乙武さんとか

ベートーヴェンとか野口英世とか

身体障害を抱えながらも成功した人ってのはよく語られるけれど

それらの事例は一般的に言って「障害がありながらも努力した」「障害に負けずに頑張った」という、当人努力称揚する方向だよね

なのにこと『発達障害』になると何故か、特定有名人の偉業を褒め称えただけで

その人個人称揚しているのではなく発達障害全般天才だと認定しているかのように決め付けられて

わざわざ「殆ど発達障害者は特別な才能なんてないただの無能だ」と言いたがるのはどうしてなんだろう

2022-09-29

anond:20170305165609

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

2022-09-13

anond:20220913130212

トラバでも言及あるけど、でもマジで娯楽が溢れてることが原因だから、この方向で進化していくしかないと思う。

新海誠の新作を前に、ジェネリック新海誠がたくさん控えてるとかい話題もあったように、代わりはいくらでもあるからなあ。

そもそも新海誠こそがジェネリック○○の極北、をあえてやった作家やんけという)

大衆消費者」を相手にする以上、わかりやすさを重視するしかないんよ。

例えばJpopに文句言ってるけどさ、日本人ならほぼ全員サビを知ってるベートーヴェンの第9という名曲があるけど、

あれ、有名なあのサビに行くまでに「10分も退屈な地獄」が続くからね。

普通のJpop2曲分よ。

流石にもし現代新曲で第9が出てきたら、今みたいな知名度にはならないんじゃないか

2022-07-04

誕生日前世がわかるわけないだろ

ベートーヴェン何人いるんだよ

2022-05-16

演奏不可能作品

演奏不可能作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏不可能、あるいは困難な音楽作品のことである

概説

クラシック音楽世界では、演奏不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易無視できない存在となっている。巨大編成の作品演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。

現代ポピュラー音楽場合には、作曲家作詞家編曲家といった独立した職能存在するものの、作品演奏との一体性が強く、コンサートライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品コンサートライブにおいて生演奏する際には、自動演奏テープなどを用いてレコーディングされた作品再現するか、生演奏可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。

歴史

バロックから古典

歴史は長く、J.S.バッハの諸作品モーツァルトオペラフィガロの結婚魔笛ベートーヴェンピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。

ロマン派

ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルト魔王交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏不可能と宣告されたブルックナー交響曲第2番、ブラームスピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品マーラー交響曲ラフマニノフピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。

近代

近代ではストラヴィンスキー春の祭典シェーンベルクピアノ協奏曲ヴァイオリン協奏曲モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的作曲された例としてアイヴズの歌曲義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオ演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオ演奏する者もいる。ラフマニノフピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージ身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストテクニック不自由したピアニスト左手の音をずらして演奏することが慣例化している。

現代音楽

演奏不可能作品という概念現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能概念は、今日例えばパソコンシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から人間演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食強要していると言う点で事実上演奏不可能作品である

今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモスアルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例であるクセナキス自身テレビインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。

しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単作品人間演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である

ポピュラー音楽

前述の通りポピュラー音楽クラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。

特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞作曲 桑田佳祐アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏事実上不可能となっている。ソフトウェアマスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である

演奏史上で演奏困難とみなされた曲

作曲家演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさら作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのもの今日では演奏レコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。

ベートーヴェンピアノソナタ第29番(ハンマークラヴィアのための大ソナタ)

指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽大家作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストベートーヴェン交響曲ピアノの為に編曲したもの存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタ比較的易しい。

パガニーニ24の奇想曲

超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニ作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。

リスト超絶技巧練習曲第2版

タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲であるピアノパガニーニを目指したリスト代表曲である一般演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リスト超絶技巧極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーレスリーハワードが録音を残している。

チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲

演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品しか現在では、早熟ヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。

ドヴォルザークチェロ協奏曲

第一楽章オクターヴの速い動きで事実上演奏不可能作品である解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。

プロコフィエフピアノ協奏曲第4番(左手のための)

パウルヴィトゲンシュタイン委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフ最高傑作だ」と称え、ピアノ吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。

シェーンベルクヴァイオリン協奏曲 Op.36

十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイスクラスナー独奏ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲自身生演奏を聴いていないとされる。

フォルカー・ハインの「フェッロ・カント

1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエ作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会一般公開され、色々な同僚作曲家意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。

ケージフリーマンエチュード

チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキー意見対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。

関連項目

2022-01-02

新年早々吐いた

正確には、2021年最後の数秒で吐いて、そのまま年越しをし、2022年最初数分は一人粗相を拭き取る作業をした。

これまで生きてきた二十数年中で一番最悪な年越しだった。本当に反省をせねばならない。

原因は、紅白を観ながら酒をあおりつつ、紅白から年越し瞬間までの時間帯で急いで風呂に入ろうと焦ってアツアツの湯に浸かったことだ。上がって水分を拭き取る途中、だんだんと頭がボーッとしてきた瞬間に急激に視界が白ばみながら暗くなり、吐き気を催す。じきに立っていられなくなり、しゃがみこむ。この辺りで聴覚が狭まりつのしか聞こえなくなる。東急ジルベスターコンサートベートーヴェンの『エグモント』序曲が微かに聴こえた。ここまで来て吐くと、不思議と一気に視界が鮮やかに晴れていくのだ。

私はこれを知っている。5年前に、甲府駅ワイナリーで試飲をした後、周辺の温泉施設サウナに入った時。また、4年前に、山の上の旅館に行く過程で車酔いをし、旅館到着後すぐ温泉に入った時。これらの反省をまったく生かせていない。

Twitterで『吐いた』で検索し、Twitter上にも数人新年早々吐いている人を確認し、非常に安堵した。

2020-2021間で嘔吐絶望に浸る人間は、日本に、地球に、何人いただろう。その人たちと嘔吐の原因を共有し、二度とこのような年越しをしないよう事例を収集したく思う。

私の今後の人生において、今回以上に最悪な年越しを経験するまで、ベートーヴェンの『エグモント』序曲を聴くと最悪な2021-2022を思い出すでしょう。

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