はてなキーワード: 造作とは
私は普通より美人だけど、さりとて極上というわけではないから、彼との子供はブサイクになりそう
愛せないとか、かわいいと思えないとはまったく思わないけど
私は恋愛や貢がれること、着飾ることなどに興味が持てなかったから、美人で得したとは思ってないけど、
だけど、損はしていない
男との距離感を知らなくて怖い思いをしたことはあるけど、それは顔の造作がもっと悪くても多分変わらなかったはず
私は今までの人生で、ブサイクな男女がどんな扱いを受けるのかを見てきた
こと、女は一芸や二芸以上に秀でていても、「人間として無い」カテゴリに放り込まれるのを見てきた
男子ならまだましだと思う
でも男か女かは選べないから、怖いなあって思ってる
-追記
読み直して気が付いたけど、「不細工な女の子を産んでしまうのが怖い」だなあ
友達が「ずっと自分の顔のことで悩んでたから、子供が男の子で良かったって思った」って言うのを聞いて、女子って辛いよねって思った
自信を持たせればって言っても生来の性格もあるから、私がどんなに愛しても、正しい言葉がけをしても、難しい子には難しいと思う
数学における超難問の解き方はどのような精神活動によってなされるか 斎藤秀司
数学における最高の解き方として凡俗な平成の労働者はしばしば三平方の定理をあげるが、あれは、シンメトリーテクニックという技術が幾何学に存在することと、直角三角形の
90度以外の角度をα、βとすると、その間にうまく90度が作れるので、かなり知能の高い人だと思いつかない技ではない。また傍接円が題材にされた幾何の問題では、
傍接円について昔から知られているトリリウムの定理を知っていればそれに注意して、中点をdefineし、そこから所要の定理を作成し、それがすべての中点で成立するということを
思いつくのはそれほど難解ではない。話はそれるが補題というのは結果自体が甚だ美しいのに対して証明に造作がないのが特徴である。
海外では3Dプリンター建築の事例が増えていますが、日本では実現性が低いです。
3Dプリンターはコンクリートをメインとしていますが、鉄筋が入っていないと建築基準法をクリアできません。
コンクリートは、地震の「ひっぱる力」に弱いため、鉄筋が入っていないと地震に耐えられないリスクがあるんです。
事実、日本では3Dプリンター建築で、確認申請に通った建物はまだありません。
大手ゼネコンを中心に、3Dプリンター建築の開発が進んでいます。
※ただし、このベンチは大林組の敷地内に造られたものなので、公共の場所の建築物ではありません。
今後の技術革新によっては、躯体にも使えるかもしれませんね。
目立つぬめった白目、広がった鼻翼、捲れ上がった唇。
白人が備えやすい条件を美の条件とするならば、黒人の顔の大半はこの条件に合致しない。つまり美しくないのだ。美の条件は多数にあるにしても、外れ値すぎる。肌の色というものは究極そこまで問題ではない。骨格、パーツ配置、その造作の問題なのだ。
それを言ったら黄色人種だって…と続くが、黄色人種は日本人なら見慣れているだろうし、そもそも顔で芸能人になるようなのはそんなにパーツデカくねえだろ…。
俳優は美形が多い職業で(もちろん例外に上手い人はいる、でも結局例外だよね。色々なベクトルでカッコよかったりかわいかったりする)、客は美形が一般的な世界で展開されるしょうもないブスなんて出てこない面白い話が見たいわけよ。
勘弁してくれよ本当
親ガチャ失敗や毒親というのは問題であることは当然ではあるが、そうまで謗りを受けてまで親になりたがるのだろうか私にはわからない。
まあ、よく働き詰めだった老人はもっと子育てに参加すればよかったと後悔を語ることが多いのだから、
事実として子供は作り育てるというのは素朴に強い欲望なのだと思う。それはわかる。当然だろう。
ただし、山上を見ても子供は一生親に従って生きるものだ。たとえ、それがカルト信者の悪魔であろうと。
子供は人形ではない。魂を抱いた人間であるのだが、ただ生殖本能に突き動かされ産み落とされている。
そして後はどうとでもなれとまでは言わないが、最低限、生殖さえ達成できてしまえばそれで良いという思想が透けてみえる時が
十中八九といったところだ。
また、日本では自己責任だといえば責任放棄しても罰せられたりはしないのだから、家庭内ハラスメントは法的にも看過されてしまっている。
こんな状況では人間の尊厳は守られ得ないであろう。そして、尊厳を傷つけられた人が、他者をも傷つけることは造作も無いことである。
Humanity humanity humanity...
あなたの為を思ってとか、そういうのはもう要らない。
これでデスクワーク、たまに在宅勤務するって言うからマジでたまげるよなぁ・・・
お金を稼ぐのに勉強、少なくとも座学やPC叩いたりする習慣・必要性は微塵もねーっつーことだな
勉強ガーとかキリキリしているこの世のすべてのお子さんに伝えたい事実ってヤツっすわ
IT系ならイキリデザイナーでもなかなかチョイスしないようなおしゃれ最優先、人間工学も自分の身長体重筋力もガン無視した机と椅子のチョイス
もしくはデスク以外の空間を最優先にした、省スペースおしゃれ造作
(なお、間接照明やおしゃれ小物やデスク周りの配色・配線はこだわっている模様)
たぶんこういう人らは当然のように大学行ってというレールの上を歩いてきてるんでしょうけど、
ご自宅で勉強しづらくなかったんでしょうか?それともやっぱり自宅で勉強したこと皆無ですか?
家が集中しづらい予備校で勉強する😡以前にそりゃその椅子と机じゃあダメでしょうよ
というか今時の会社の椅子って選べますし、選べない場合も、まぁまぁなものが置かれていると思います
どう考えても悪夢なデスク周りは飾りとして放置して、ソファーでチルしながら AirMac でも叩きますか?そうですか
個人的にはキリキリ休みもなく自宅でも勉強しないとついていけない職業は本人に向いてないのでやめといた方がいいとは思うけど、
勉強以前に在宅で仕事しにくくないですか?カメラ常時ONにしないでいいからソファーでチルしてる?そうですか
既に勝ち抜けたので、カネであらゆることを他人に任せられる or 全力でテキトーリーマンしててOK、そんなファッキンエグゼクティブ以外は、
クソダサくてもいいのでクッション性があるかつ座面高が自分の身長にあっているワークチェアを買った方がいいです
クソダサだけどゲーミングチェアはだいたいそれ満たしてます。クソダサ耐えられないならファブリック素材のゲーミングチェア買うか、
好きなだけぶっ込んでハーマンでもなんでも買ってください
あと会社の机って奥行き70cm横幅120cmはだいたいあるんですけど自宅でもそのくらいはあった方がいいです
それから机の高さが自分に合っていないとめっちゃ疲れるのでスタンディングしなくても昇降デスク(出来たら電動、手動だと上げるの面倒)の方がいいです
以上です
2年半ぶりにライブに参戦した。
今まで泣く泣く現地を諦めていたのだが、比較的近い会場でのライブとあって何とかならないかと先行を申し込み、チケットを手に入れた。
発券してみれば、何度座席表を確認しても、座席番号の位置はセンターステージの真横。今までに見たことのない神席に、どうにかして行きたいと、できる限りの対策をして当日を迎えた。
ライブ当日、物販での買い物を終えて、開場まで、色とりどりの服に身を包んだ人たちの推しを予想しながら時間を潰した。
自分の席に座れば、座席表で見ていたにも関わらず想像以上にステージが近く、興奮と緊張で時間の感覚が曖昧なまま、知らないうちに開演時間になっていた。
ペンライトは物販で買った1本、うちわは悩みに悩んで結局作らなかった。
開演中はずっと、ペンライトを振りながら目の前で推し達が、歌い踊る姿を目に焼き付けようと必死だった。
そんな時、とある曲で、推しがセンターステージの、ちょうど自分の目の前で踊ることがあった。自然と目線は推しの姿を焼き付けようと一点に集中する。曲が、配信でカメラがひとりを抜く象徴的なフレーズに差し掛かる。
瞬間、推しと目が合った。
実際視線を合わされたのかどうなのか、しばらく経ってこれを書いている今でも確信が持てず、「誰かへ向けたものの流れ弾では」「たまたま視線を向ける先にいただけでは」「自意識過剰なのでは」という気持ちが拭えない。だからこそファンサ? なんて弱気な話になった。ただ、その時の自分はあまりの衝撃に、以降の記憶が曖昧になった。
終演後、タクシーに乗ってホテルに戻り、部屋でお酒を飲みつつ、優しい友人に通話を繋げてもらい、勘違いかもしれないけどと何度も何度も言いつつ推しのファンサ? の話をした。
翌日、昨日が夢だったのではと思いつつ、電車に揺られながら、スマホで「(推しの名前) ファンサ」と延々と検索した。
ライブ後2日目、普通に出勤日だったので、余韻を引きずりつつ仕事に出たとき、ふと、「推しに自分が見えてる」ということを急に自覚した。
今までどこか、透明で、見えていない感覚でいた舞台を見ている自分自身が、急に実体を持った。その時「綺麗になりたいな」と、今まで思ったことのなかった気持ちが小さく芽生えて、翌日から、30秒でもいいから体を動かそうと、プランクをはじめた。
自分自身が着飾ることが気持ち悪いと感じて、どうにか人並みに見える服を探して着ていた。コロナ禍に入ってからは、どこにも行けないストレスを食べることで発散し続けて、職場環境に問題があるのではと心配されるほど急激に太り、自分自身どうにかしなければと思いつつ、休日はベッドの上から一歩も動けず、運動なんてもってのほかだった。
そんな自分が、自分を着飾ろうと思えたこと、運動しようと思えたことが自分自身驚きだった。
他の人から見れば、造作もなくできることで一念発起なんて大げさだと思われても仕方ない話だし、ファンサと言いつつファンサなのかいまだにわかっていない話ですが。そしてもうちょっと成果が出てから書きたかった話ですが、何となく、明るい話が欲しくなったのでここに置いておく。
去年は大変でした。今年も大変になっていますが、マスコミが客寄せに使う分かりやすい「ショック」とは言えない、構造転換といえる変化が起きています。
昨年は、施主が得られるはずだった、住宅ローン減税での還付分を木材を筆頭に値上(2.5倍程度)したコストで吹き飛ばされた方を複数見てきました。
相場を舐めていた建設会社と設計事務所が、適切な積算ができない、材料の調達が間に合わない。その失敗を費用増や工期延長という結果から、施主から時間と資金を奪っていく様を見てきました。
施主はローン上限一杯借りるのに、「住宅価格の中で木材価格は1割内だからそこが上がっても問題ない」みたいな報道が昨年あって、実際にそう話すメーカーがいたのであっけに取られたのを覚えています。
「2つの」とタイトルにあるように、注目を浴びている北洋材(ロシア)より先に、北米にて2021年晩秋に一つの法案が通りました。この法案は150年生以上の立木伐採を規制するものです。日本国内で建てられる住宅、特に注文住宅では、窓枠やドア枠に良質な無垢材を使用します。この部分に使用される無垢材は、米栂、スプルース、米松、米ヒバ、Wオーク等、北米原産材を使用しますが、昨今の居室空間の大型化、サッシの大型化から要求される木材に、150年生以上の天然木(オールドグロス材)を使ってきました。しかし2021年の規制により、現地大手製材会社Mが法案に合わせ生産を停止し、日本の輸入量が昨年対比50~80%減になりました。そして底が抜けた円安。
この法案、SDG'sによる持続可能な森林資源を保護していく理念で制定されました。が、ソロバン勘定をする先進国なので、良質天然木の売却益<CO2排出権の売買益、になったと思います。この状況は、カナダ政府が政策転換しない限り持続していく状況です。
2021年の材料争奪戦は、無尽蔵の購買力がある北米が北米産材だけでなく、欧州材にも手を出し、各国のロックダウンにより輸出入港が制限され、検疫により迅速な荷役が出来ずコンテナ船の渋滞が混乱に拍車をかけました。翌年(2022)の材料調達計画は各社、それぞれの考え方で、西欧の既存仕入先との関係強化をした所、内地材の調達を強化した所、ロシアに多額の投資を行った所がありました。昨年の記事では、末尾で素敵なパートナーと茶化しましたが、契約主義と民主主義の西欧文化圏から外れた、力を信奉する権威主義の国との貿易がいかに難しいか、通商の途絶という最悪の形で現れました。主な貿易樹種は、赤松、カラ松、タモ、ナラ、カバ、既にカラ松を使用した合板(ラーチ合板)が国内需要に対して供給が足りず国内産丸太価格が上昇。仕上材であるタモは夏以降欠品や高騰による仕様変更を迫られると思います。今秋のプレカット市況は昨年と同じ状態になるかもしれません。
64年の木材自由化以降、石炭と同じように良質な海外産材が出材コストの安さと共に日本に普及していきました。より「適材適所」になった材料選択の自由さに、日本の杉と桧は平成不況の中で製造コストも押さえつけられ、信じられないかもしれませんが、直近まで構造用木材価格は60年代の相場より10%程度高い程度の金額で取引されていました。この環境が不自由な貿易環境の中で改善されるかもしれません。カラ松や杉の丸太価格が上がっており、より適切な利益が国内の森林組合や製材会社に回る形になりなりそうです。2021年は無くなった海外産材の需要を何とかカバーしようと増産を行っています。まだ「ショック」と形容される内容でしたので、設備投資に踏み切れる訳もなく、需要家から色々言われながら各設備が残業をしたと考えると、黙々と増産に励んでいた方々には頭が下がります。2010年代、各地域に50億前後の中規模製材工場が建設され、改善された生産設備が上手く稼働できたのがショックで済んだ一翼を担っていますが、自給率30~40%の現状で仮に30%の増産をしたとしても、50%台にしか届かないので、足りない海外材の代替には設備投資が必要な状況です。また、杉は加工性が高く構造材から仕上材に幅広く使える利点があり、昔から建築用材として使われた歴史がありました。杉の学名は「日本の隠された宝」という名前もついていますが、昔の長屋のような間取や平屋建てならともかく、洋化された生活空間による住宅においては、広い空間を保つ梁の強度が足りず、仕上材も柔軟な加工性が仇となり、非常に傷つきやすく正確に内部造作に加工するのが難しい、水に弱い、和風内装の不人気という側面もあります。世界中の木材から、使用用途に応じた強度や耐久性、質感の選択をしている適材適所かつ現代のノックダウン方式住宅製造では、杉単体で立ち向かうには難しく、集成材でのコスト革新が待たれるところです。
どうせたわわ叩いてるフェミはBL好きなんだろうから、お前らの好きな作品が叩かれたらどう思う?っていう問題提起としてはまあいいんじゃないの
いや造作もないよね?誰だって何かを叩くことくらい造作もないことだし、実際にフェミはたわわを造作もなく叩いてるよね?当たり前の事すぎて上から目線との指摘には当たらないですね
ミラーリングを試みていることに気付いてなさそう
「幼女の無敵戦士はリアルからかけ離れた存在。子供を守る義務を逃れたいとか、大人の女は認めたくないとか、女性は男性を楽しませてくれとか、ある種の男性特有の意識を取り込んでできた造作物に思える。全くけしからん!」
しかし一方でそうした傾向には歴史がある。トウェインのトム・ソーヤー少年は、当時最新鋭の蒸気船を紹介しつつ、海難事故の際に行われる保険裁判のような大人の世界で活躍する。トウェインの筆名もまた海上産業する由来である。次いで英国スティーブンソン『宝島』は父を失った少年が、最新鋭のマスケット銃(舞台背景当時)を使う貴族たちと共に戦う。さらに次のトウェインのハックルベリー少年は、利子という概念を語り、また奴隷の人間化を行う。もちろん大量生産時代の初期には金融街は、奴隷を消費者に変える必要があった。
日本においては「少年探偵団」や「冒険ダン吉」などが代表的であるが漫画の普及により次第に視覚的部分が強調された。そこでショタだ、フェミの敵だといった議論がなされているわけであるが、少年少女作品は、そもそも主題は主人公の属性ではなく、舞台背景であろう。主人公は読者が受け入れ易い、無垢で毒のないお菓子のような存在として置かれることは常である。そして彼らが読者を戦争、金融、貿易、教育産業、サービス、スポーツ産業といった、いわば腹黒な社会システムに誘なうが、読者は主人公の体験を自分の疑似体験としがちなので、その社会システムを否定し難くなるのである。したがって主人公の属性とは、ある種のプロパガンダ進行役に過ぎないと言えよう。
既婚。子持ち。30代。
別にすごい美人じゃないけどまあまぁ可愛いと思う。自己肯定感が高いだけかも。顔面偏差値60ぐらいの気分で生きてるけど、実際は53ぐらいだと思われる。
平たい顔族。地味系雰囲気美人。最近、鞘師里保に似てると言われた。
片方平行二重、片方奥二重に近い二重で、二重埋没の整形するか迷ってる。
毎日、とも限らないが、朝起きたときにアイテープ貼るのめんどくさくなってきた。
朝起きたときに平行二重になってるときもあるし、日によって何もしなくても二重になる時期もあるし、まつエクしたら液が合わなくて?微妙に腫れて二重になったりもするし、筋トレやマッサージで二重になりうるレベルだと思うが、めんどくさがりな上、美意識が低い三日坊主なので続かない。
普段は日焼け止めと眉毛書くぐらいしかしてない。仕事もすっぴんで良いような仕事。職場は男ばっかりでおじさんどころかおじいさんが多くてどうせ細かいところなんて見てないだろと思うので、女相手ならバレバレだろうアイテープをつけたまま出勤している。もし女の職場やキラキラした職場ならTPOを考えて絶対そんなことしないが。
自分の顔は割と気に入ってるし、髪の毛はサラサラ、スタイルも良く、外見コンプレックスもあまりない方だと思う。特別美人ではないが恵まれた外見だ。別に今のままでも十分可愛いが、平行二重の時の自分の方が気に入ってるのは事実だ。一方で、多様な美を大切にするムーヴも素晴らしいと思うし、バチェロレッテ萌子の「生まれ持った自分の顔を変えたいとは思いません」というセリフにも痺れる。(それ貴女が美人だから思えるんですよね?)とは思うが。世界(日本か?)が画一的な美に収斂していくのもどうかと思う気持ちがある。そう、私は薄顔で日本的な和風美人の代表者という気持ちが仄かにある。日本ではハーフ顔系の流行と離れた顔というのもあって言うほど可愛くないが、サラサラのストレートヘア、透き通るような白い肌で、顔の造作はそうでもないが海外ウケする顔である。
こんな私が整形してQOL上がるのか?と思う。
ダウンタイムも嫌だし、今の顔がそこそこ気に入ってるから、歴史ある技術だといえ(新しい技術は怖い)、失敗のリスクもある。
整形は肯定派で、他人に対してはそれでコンプレックスが解消されたり便利になるなら整形依存にならない程度にどんどんやったらいいと思うのだが、自分のことになると、果たしてやるべきなのかどうか、正常に判断しかねる。結局のところ、自分がどう思うかなんだろうが。
うちも一戸建てをフルリノベーションして1年住んで感じる、付けてよかった設備を
これは本当に賛否両論あると思うけど、付けてよかったと感じる。
オール電化でエコキュートを使っているので、普通に風呂に湯をはるとエコキュートの残り湯量が目に見えて減っていくのがなんだか心に悪い。
しかし、子供が小学生で毎日風呂に入る習慣があるので、心置きなく湯をつかえるのはありがたい。
いまのところ電気代月額平均9000円くらいなのはこれのおかげだと思っている。
ただしめんどくささもあり、熱すぎる時は水を足し(浴槽を守るため先に水をためる)、ぬるいときは追い焚きをかけて使う必要がある。
設置費用をペイするにはおそらく10年以上かかると思うが、毎日風呂に入るたびに電気を使わずに沸かした湯は良いと思える。
リノベで出た無垢の廃材を燃やしている。釘がついてても問題なし。
3年分くらい薪ストーブでつかえる廃材があるため、それを保管しておくスペースが大変。
造作で玄関扉を作ってもらったので、普通のサムターンに後付けスマートロック。
鍵かけたっけ?がなくなるのは非常に大きい。
なんかもう絵に描いたようなフルボッコですよね、ラーメン評論家。
そして、いわゆるラヲタと呼ばれる人々もキモいウザいと散々な叩かれようですけど、ラーメン業界に少々関わっていて一般人が知らないような話も多少は耳にしている私のような人間からすると、今のラーメン評論家やラヲタの叩かれ方や、梅澤愛優香という人物の言動や擁護のされ方が、どうもしっくりいかないところがあってこの文章を書いています。
私は批評されるのが嫌なのではなく
皮肉、嫌味、難癖、茶化しなどのパワハラとなるマウンティングや言葉や行動を含むセクハラが嫌なので壁を作りたかったんです。
確かに、一部ラーメン評論家・ラヲタの彼女に対する態度・言動は、はたから見ると彼女が主張するとおりに見られても仕方ないところはあったんだとは思うんですけど、それは彼女が若い女だからとか、アイドルがラーメンを作ってるとか、そういうところからくる分かりやすいマウンティングをしたわけじゃないんですよ。
まず事の発端というのは、梅澤氏自身が自分の経営するラーメン店について、「誰の力も借りずに一人で起ち上げた」と吹聴したところにあるんです。
もちろん彼女がラーメン店開店にあたって相当の苦労や努力をしたであろうことを否定するつもりはありません。
でも、それまでこれといった飲食業経験を積んでいなかった人が、ごくごく短期間に、誰の力も借りずにあのレベルの味を作り出して、あのレベルの造作の店舗を次々と開店させるというのは、普通に考えてありえないんですよ。
梅澤氏には技術的なサポート、金銭的なサポートをしている人間が裏に存在する。
このことは、ちょっと飲食系の食べ歩きをしている者ならばすぐに分かる話でした。
実際、あそこが関わっていそうだという話も耳にするようになる。
でも梅澤氏は、そのことを認めない。
認めないもなにも、そういった意見はまるで存在しないかのように無視する。
親切心から、そんなつまらない嘘はつかないほうがいいと忠告しても、無視する。
そしてまた、偽りの成功譚を吹聴する。
さて、ここでラーメン評論家にご登場願いましょう。
今回の騒動で、ラーメン評論家不要論が沸き上がっていますが、本当に不要なんでしょうか?
ラーメン評論家の最も大事な役目は、ラーメンに関する情報の確かさを担保すること、かもしれません。
テレビや新聞雑誌でラーメン特集を組む場合、実際に画面や紙面に出ていなくても、そこには必ずといっていいほどラーメン評論家が介在しています。
なぜなら、メディアが情報を発信するにあたっては、その情報の正確さに責任を負う必要があるからです。
ラーメン評論家が自らの膨大な知識を用いて発信すべき情報を吟味し、その確かさを担保することによって、メディアは責任をもってその情報を発信できるのです。
もちろん、ネット上に溢れるラーメンの情報は、そんな責任など負ってはいないですし、そこにラーメン評論家など介在していないものがほとんどですが、それらの情報にどれだけの品質と信ぴょう性があるか。
それはそれとして、情報の確かさを担保する立場のラーメン評論家にとって、ラーメン店主が発するいい加減な発言というのは、なかなかに面倒くさいものだったりします。
年配の店主が昔のことをけむに巻く、なんていうのは冗談としてありでしょうが、いかにも真実のような顔をして大マジで嘘つかれたら、本当に困りますよ。
間違いなく裏に援助者がいる店なのに、店主がそう言っているからと「店主の梅澤愛優香さんは、この店を自分だけの力で起ち上げた。本当に凄いですね!」なんて、言えないじゃないですか。
なので手を変え品を変え、梅澤氏に確認すると、無視されたり次第に嫌がられたり。
つまり彼女は、ラヲタや評論家連中にとって「自分を現実よりも大きく見せようとして、つかなくてもいい嘘をつき、不確かな情報を流布させている、かなり面倒くさくて残念な人」だったわけです。
彼女がツイートで「皮肉、嫌味、難癖、茶化しなど」と言っているものも、実際は彼女のそういった姿勢に対するリアクションなのです。
ただし、彼女にそういう残念なところがあったからといって、何を言っても、どんな態度をとってもいいというわけではないし、人として問題のある言動・行動をとった人も少なからずいるのは確かでしょう。
そういう人は正しく糾弾されるべきだと思いますが、ただ、このような経緯があった上での梅澤氏とラヲタ・評論家との関係性を知らないまま、この後の騒動について「ラヲタも評論家も最低、まゆかちゃんかわいそう」と憤るのは、ちょっと安直すぎるのではないかと思うわけです。
そんなこんなでラヲタ界隈が梅澤氏に辟易している状況下に、ついにあのバカラヲタが登場します。
なにをとち狂ったか、梅澤氏が反社と関わっていると言い出し、営業を妨害。
彼女が関わっているラーメン関係の業者の中には、多少ガラの悪い人もいるでしょう。
そんな人のことを冗談半分に反社などと言っていたのを真に受けたんでしょうかねえ。
この件については、バカラヲタに100%非があり、別に擁護する気もありません。
ただ、この騒動によって梅澤氏が自分の嘘をうやむやにする絶好のチャンスを得たのは間違いのないところです。
バカラヲタの100%アウトな行動をあげつらいながら、これまでもラヲタ連中にはひどい目に遭わされてきたきたと訴えれば、何も知らない人はころりと騙されますよ。
そうやって自分に都合の良い空気を作り上げたところで、ラーメン評論家出入り禁止を発表。
もちろんセクハラもアウトですよ。
でもこの一連の動きによって、ラヲタやラーメン評論家が梅澤氏に向かって、彼女に都合の悪い話を振ることは、ほぼ不可能になってしまいました。
梅澤氏が一人で店を起ち上げた疑惑は、こうして闇に葬られたのです。
私は別に、ラヲタやラーメン評論家は悪くないなんて思ってないです。
これまで関わってきた人の中には、人間的に残念な人もかなり多いです。
でも、今回の件について、ラヲタやラーメン評論家がここまで一方的にボッコボコにされるような話ではないと思っているし、梅澤氏にもそれなりに非があるとは思っているので、拙い文章をまとめてみました。
先日、うつ病と診断された。
会社に行こうと思うと、なぜだか体が動かなかった。
それに、私服で外に出るのもなんだか気が進まない。
そういえば心療内科に行ったときも、ずいぶん迷ったあと会社に行く服を着て行ってしまった。
もう自分はこれを着なければ外に出られない、と思っているのかもしれない。
それに万が一、路上で誰か知り合いにでも遭遇したらと思うと、それだけで息が詰まる。
そんな事を考えているうちに、いつのまにか25時になっていた。
今なら、会社のポストに書類ひとつ投げ込むくらい大丈夫だろう。家を出る。
2日ぶりに接した盛岡市の空気は、思っていたほど寒くはなかった。
バス停のベンチで、カップルがなにか瓶の飲み物をあおっているのを横目に見る。
どうか自分の知らない人であってほしいと思うが、それを確認する勇気はなかった。
間違えようもなかったが、通用口を去る前にもう一度ポストを覗き込み、
それはどこか儀式のように思えた。
すべてがそこそこおいしそうで、それゆえにすべてがそこそこどうでもよかったため、
毎日ここで昼食を買っていたにもかかわらず、なんの印象もないファミリーマートだった。
ある時、コンビニに入った客が予め決まっている欲しいもののジャンルからひとつひとつを選び、
会計を済ませて出ていくその一連の動作が、まともにできなくなっていたのに気づいていた。
欲しいものがわからなくなり、自分が何をしているのかわからなくなり、
周りの客が造作なくできている「流れ」からはぐれて、何分も経っている。
あのとき全く買うつもりのないお菓子の棚を何分も見つめていた自分は、
缶コーヒーを買って、帰る。
店内放送は、今しがた流れていた曲のタイトルを告げる。「LIFE IS GOODでした。」
帰ったら日記を書こう、と思った。
今日やったことや、今日見たもの、その答え合わせをしたいと思った。
ひと気のなくなったその場所は、真っすぐ見ることができた。