はてなキーワード: 肋骨とは
(追記:説明がわかりにくかったようなので最後に簡単な図を載せました。)
ワコールは罠
https://togetter.com/li/1727005
いくらフィッティングして高いの買っても合わない人がいるのはブラジャー業界の怠慢のせいです。
おっぱいの形には個人差があるのにアンダーとカップサイズしか表記しないのは時代遅れなので猛省してください。
バージスラインの長さ(肋骨の横幅と縦幅の比には個人差があります。 服飾関係は人体の周長しか測らないことが多く、たいていのものはそれで間に合うけどブラジャーはそうはいきませんhttps://twitter.com/ho_yuuri/status/1613140466543001600 )については最近ちょこっと知られてきましたがもう一つ重要なことがあります。
左胸と右胸のあいだのスキマの有無です。
どちらも同じ形のブラですがこれほどの違いが出ます。
画面の前のあなたも手で寄せてみてください。バストが小さくておっぱいの輪郭がわかりにくい方でもぎゅっと寄せればわかります。谷間がV字形になればスキマなし、谷間がコの字形になればスキマありです。バストサイズや離れ胸とはあまり関係ありません。
今皆さんがご覧になったブラジャーはL字型ブラジャーと呼ばれます。https://cdn.shopify.com/s/files/1/0634/0070/6270/files/L_U_480x480.jpg?v=1675084811
さて、スキマがある人のほうはその分胸が揺れ動いてしまいそうで心配、と感じた方もいるかもしれません。
これを安定させるのがU字型ブラジャーです。
胸の輪郭にワイヤーのU字の曲線がぴったりと沿っていて、うまく支えられていそうです。
しかし、スキマがない人がこれをつけるとどうなるでしょうか。
中心部がうまく胸の形にはまらず、ずれているように見えませんか?
これは実際ずれてます。なんで胸の形があからさまに合ってないモデル使うかなあ。
こうなると全体的に歪みが波及してブラジャーがまともに機能しないので、胸と胸の間にスキマがない人はU字型ブラを買ってはいけません。
そしてこれが罠なのですが、ワコールには基本的にU字型ブラしかありません。
「いいブラといえばワコール」と合ってない高いブラを買ったり、「ノンワイヤーなら痛くないはず」とU字ノンワイヤー買ったりして理由もわからず苦しんでるスキマなし民がけっこういます。
罪深いのはワコールのサイズオーダー(アンダー、カップサイズ、バージスラインの長さを指定できる)にはU字タイプしかないことです。
なんだかどのブラも合わないな、と思っている方はL字ブラの極北、ピーチジョンの自由のブラを一度試してみてください。
追記:スキマありタイプかスキマなしタイプかを自分でチェックする方法を図解しました。
https://i.imgur.com/TNoryRx.png
ブラトップだとズレまくる人より、愛を込めて
ボーナス出そうだしさすがにいい歳だし今まで放置してきたブラの採寸してきた。
サイズアップとかしねーかなあと期待してたがそんなことはなく貧乳で確定した。
自分は下半身は普通に肉ついとるが上半身はマジでガリガリで、背骨肋骨鎖骨肩甲骨常に皮膚の下に浮き出とる。下着屋の店員お姉さんに採寸して貰うため広めのフィッティングルームに案内されたが、全身鏡が2個も着いてて自分を正面と側面から見ることが出来たんやが、自分ガリガリすぎて前後の厚みがなさすぎてペラッペラでホネホネでまじできしょかった。
そんで自分のアンダーの展開無いので類似サイズを1番きつく閉めてもらうことで……ということで出てきたオススメブラがシンプルオバベージュかファッキンパステルゴテゴテレースリボンの2択だったので良いものがあれば買って帰るつもりだったがやめた。
「アタシ胸大きくて可愛いブラないんだよねw」みたいな巨乳女、程度にもよるがたぶん自分のようなガリガリ貧乳女よりは選択肢あると思う。しらんけど。
結局その近辺の下着屋いくつか冷やかしたけどアンダー合うものなかったし類似サイズで好みのデザインもなかったから、ユニクロでブラトップ買って帰ってきた。ブラトップ最高!!!!!!!!
マジで助けてほしい。
わたしは30歳未婚。
同棲中。
始まりは、ルールがあったほうが便利なことについては約束しようねという話だった。
たとえば、
「飲み会がある日は連絡してね」
守らなくても人命に関わるようなリスクが有るルールではない。が、ふたりの約束としておこうねって話。
ところがちょいちょい破る。
ところが何度指摘しても破る。
「わかったよ」と言っていた。
「約束は守ってって何度も言ったよね。今日は君が連絡をしないためにとんかつを3枚もあげてしまった。一人分の食事しか要らないならそもそも揚げ物なんかしなかったのに。油も、冷えたとんかつももったいない。」
ここ、「ごめん。今度こそ気をつけるね」でよくない?
彼は逆ギレした。
「気に入らないなら出ていけよ」
「お前みたいなブスと一緒に居てやるだけ有り難く思えよ」
え、こんなにキレるところ?
わたしは、「謝ったら許すから。ちゃんと約束を破ったことを謝って。それから酷いことを言ったことも謝って。」
と言った。
すると彼は、今度は暴力を振るい始めた。
「うるさい!うるさい!謝る必要がない!!」
と暴れて、わたしの顔を殴り、突き飛ばし、腕を掴んで引き倒す。あげく首に腕を当てて体重をかけ、絞め落とそうとしてきた。
昨日から右耳が聞こえないし、顎関節にダメージが有るようで口を開けると痛いし、腕は青あざでグロテスクだし。
腕を当てられて胸の上部も青あざ。肋骨はヒビが入っているのか、呼吸すると痛い。
首も痛い。
え、一言「ごめんなさい」を言うのが嫌でこんなに暴れる?
この人、なにかの障害持ちなんだろうか。
世の中には自殺、つまり自分の意志によって自分を殺すこと、なんて有り得なくて、そう思われているのは「社会による殺人」つまり他殺なんじゃないだろうか。
自殺するような状態に追い込まれている人なんて、精神的にしろ肉体的にしろ健康的な環境に居るわけないんだから、少なくとも意志って意味では通常の状態ではないし、尊重っていうか、そのままにしておいていいもんじゃないと思う。
尊重されるべき意志って、完全にそれが独立していて、十分な情報とか栄養素が与えられている環境にあって初めて成立を認めていいものだろ。尊重なんて立派そうに言うけど、要するに遠くにおいて見守って手出ししないってことで、そうされても大丈夫な環境に居るやつにしかやっちゃいけないことじゃん。
そんな恵まれた環境に置かれていない、傷だらけでそこらにボロくずみたいに転がって朽ちかけている人の意志を、『個人の自由だから』って言って、尊重って名目で元気な人の精神と同列に置いてほっぽっておくのは、それはもはや殺人だろ、文字通りただの見殺しじゃん。だからその人は自分の意思で死んだんじゃなくて、社会に殺されてる。
自己責任論は「厳しい、しかし受け入れなければいけない現実」かのように語られるが、現実に起きていることを精緻に、細かく追って見れば見るほど、自己責任論は欺瞞で、単に現実の複雑さを考えるのが面倒で力の足りていない存在が、単純化された(そして誤った)図式で納得しているだけということが分かる。モデルをモデルとして理解して使いこなす分には有用だが、それを真理だと思うことは害悪しかもたらさない。
悲しいのは、それは自殺じゃなくて他殺なのに、自殺だと勘違いしてあたかも自分の意志で死んだと勘違いしたまま死んでいった人たちが居ることだ。
彼らは被害者なのに、時折「愚かな選択をした加害者」のようにピックアップされる。それは彼らが選択肢の余地がなかった存在であるにも関わらず、あたかもそれを主体的に選択した人のように見做されているからだ。
彼らがどこまで「もう耐えかねたので自分の意志で世界から去ることを決めた」「肉体は支配されても精神は支配されない」と訴えていたとしても、彼らの意志を尊重という名のもとに放ってほくことを良しとはしたくない。
もしかすると彼らは「助けてほしいとなど言っていない」と言うかもしれない。助けることで彼らの精神が傷つくかもしれない。でも助けたい。心肺蘇生のためには、肋骨を折れてしまうことを恐れてはいけない。
加害者が居て被害者がいる、という旧来の責任所在のわかりやすい殺人事件の関係性が変化して、加害者の責任が分散され希薄化され社会にまぶされ均された、「なめらかな殺人」が横行するようになっているだけなんじゃないか。技術者や思想家が必死こいて社会に実装しようとしている社会の形が、殺人の形式でこれ以上ないというほど完璧に実現されている。そんなの悲しすぎる。
一方で自殺が存在しないというのは、つまり、自分の意志でコントロールして回避するなんてことができないということだ。それは突然降りかかる通り魔のようなものなのだろう。
自殺しようと悩んでいても結局死を選ばなかった人たちというのは、偶然その人の経験が、自分を死に追いやるような本当に破滅的な悲劇の閾値を超えなかっただけで、「選ばなかった自分」がいる、というのは単なる生存バイアスに過ぎないんじゃないか。
車に轢かれ掛けたけど死ななかったのは、その人の意思が強かったからではない。ただ物理運動の連鎖が幸運に働いたからにすぎない。するとやはり我々は社会として殺されることを自分ごととして怯え、備え、防がなくてはならない。
我々は安全運転に努めるのと同じように、殺されないように世界に気を配り、殺されかけている人たちを助けなくてはならない。車を運転する人が事故りたいと思わないのと同じように、やはり生きている人は殺されたいとは思わないのだ。
人と家畜のように非対称性を作って殺されない方の立場にいくことを目指すのではなく、人同士が殺し合わない世界を、共犯者にならない世界を、一体人類史で何万回目の試みになるかわからないが、それでも目指す必要があるのだ。そしてそれは、自殺は自殺ではないというように捉え直すところから始められるのではないかと思っている。
自殺が殺人であるとすれば、世界には老衰にしろ事故死にしろ病死にしろ殺人にしろ、自分の意に反した死しかない、ということになる。自殺はある意味、現代の倫理における特異点だ。それをどのように考え、善悪を判断するか社会は悩み続けている。
(もし自殺の意志が尊重されるべきだとして、全ての準備を整えて「自分の意志」で飛び降りて、地面にあと10センチまで迫った時にその人の胸中に切実に去来する「死にたくない! 生きたい!」という願いを、一体誰が尊重してくれるのか? という問いは長年個人的な関心だった。この問いがあるため、俺は「自殺は死の自己決定権の問題である」という議論に全く乗れなかった)
しかし自殺は存在せず他殺の特殊な形態の一つであると考えれば、特異点の発生を回避することができ、他の死の征圧の過程と同じような手続きでそれを回避していくことができるようになるのではないか、そんな期待もある。
人は自分がいつか死ぬと知っている、ほぼ唯一の動物だという。何もせずとも人は死ぬ。しかもこの世界の物理的な規定に殺される。それだけは宿命で、今のところ回避の手立てはない。しかし、同胞を殺したくはない。
動物を殺し植物を食らい、資源を食い荒らしてきたこの世界で、それでも同胞を殺すことだけナイーブに人は避けてきた。そして人の倫理の歴史は、同胞の範囲を家、村、町、国、人種、人類全体、さらにその先へと、広げていく過程であった。
今、殺人の概念を拡張し自殺を包含することで、新たな倫理とそれに基づく制度を作れるのではないか。何も思いついていないけれど、そう思っている。
http://blog-imgs-87.fc2.com/t/o/m/tom356/blog_import_57a96b06244fc.jpg
肋骨の下のほう=締め付けることでの可動域が大きい部分に収まってる
バレエ/新体操/ダンス/マリンスポーツを浅くやってたエンジョイ勢です。実は陸上は範疇外です。釣りました。
腹だし&ブルマの何が良いのか伝えたいと思います。これは足の可動域の問題です。
「前後に足を振り上げる」動作をするときに使う「腸腰筋」の動きをなるべく妨げないようになっているのがあの服装です。
この筋肉は肋骨のすぐ下の背骨から腹、骨盤を通り、太ももの付け根に繋がっています。
「足を付け根から動かす」必要がある場合、この筋肉を使わなければなりません。足の付け根は骨盤ではなく、肋骨すぐ下なのです。
ここを伸縮性のある素材で覆ってしまうという案があります。が、その伸縮性のある素材の裾を骨盤で止めようとする場合、強く締め付ければそれだけ腸腰筋の動きを阻害します。
弱く止めればまくれ上がります。留め具無しのセパレート式のフィットネス水着で泳いだ経験のある方なら分かるはずです。
ではなるべく動きを阻害しないで体の動きに沿って足の付け根まで覆うとします。そうするとレオタードになります。
あれは正直ものすごく面倒です。着替えとかトイレとか。(水着で大体の人は経験があるはずなんですが)
着なきゃいけない伝統(バレエや新体操)でもなければ避けたいのではないでしょうか。
そもそもレオタードと腹だしなら腹だしのほうが恥ずかしくない気がします。個人的には。
ブルマも同じように足の動きをなるべく邪魔しないための服装です。
筋肉はわりと繊細で、少しでも引っ張られると力が分散します。なので可能な限り太ももを覆わないのが一番パフォーマンスが出ます。
(一時期流行ったスポーツタイツも正しく装着しなければ意味が無いとだいぶ浸透したと思います)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846814?page=2
運動やってる時はちょっとでも結果が上がるならやりたいんですよ。
あんま関係ないけどこの話をうけて、やっぱり俺は女性にAEDや心臓マッサージはできないなと改めて思った。
大多数の女性は大多数の男性のことをGと思ってるというのはなんとなくわかった。
だからそんな存在に胸を触られたり服を脱がされるのはどんな理由があろうと許せないだろうなと思う。
実際、その場面でAEDや心臓マッサージというのは本当に必要か?というのはかなり難しい。
俺は大学生のころからトライアスロンをやってきてて、競技上必要があるので救命救急講習会に定期的に出てる。
一度、駅で倒れた女性に心臓マッサージをやったことがある。そのときは駅の職員の指示があってサポートに回った。
ほかに二度、試合中に女の子が倒れて動かないときに救命救急をしたことがあった。
心臓マッサージというのは体重をかけて肋骨を折る勢いでするので、完全に意識不明になっていないと「痛い」と目を覚ますことになる。
二度ともにそういう場面だったが、トライアスロンの試合中だということで何も言われずに終わった。
もしも駅とか街なかで倒れてる女性がいて胸を押してしまったらどうなるか?目が覚めて悲鳴を上げられたら俺は捕まるだろう。
女性の言い分とGの言い分どちらを信じるかなんて女性のほうに決まってる。
だから今後は女性が倒れていても俺は見殺しにするしかない。少なくともAED・心臓マッサージはできないだろう。
やって捕まる可能性はあっても、やらないで捕まることは絶対にないのでこっちの身の安全をかんがえると女性にはゆっくり死んでもらうしかない。
こういう場面で何もできないのは非常に残念だけど、世の中がそんなふうになってるので仕方ない。
ちゃんと返してくれてありがとう、ただ誤解があるので返答しますね
→ かなり間が開いちゃったけど、元は「姉のブラジャー盗んで会社につけてったぜ」って話なので…男性用の女性用ブラ(?)なら問題ないというか、ストレス溜まればそういう奇行もあるだろうなって流してました
・身長170cmくらいの非マッチョ非デブ、標準体型の男性であればアンダー80のブラが普通に付けられます
→ 女でアンダー80はかなり珍しいと思います、肥満か遺伝的にかなり肋骨が開いたタイプです
・価格は確かにブランド品は高いのですが、ドンキの安物だと上下セットで1000円くらい
ただしドンキ品はパッドがしっかり入ってるので、ニッセンや中華系ネットショップで買うのがおススメ、1000円前後で普通に買えます
→ 女はあまり安いものだと収まりが悪かったり見えちゃったりワイヤー痛かったりペラペラすぎたりするので、実家暮らしの姉=未婚の2-30代かな?って感じで、ある程度お金払ってる想定でした
腕立て伏せ70回達成できる程度の筋肉はついてきたので胸板っぽいのは浮き上がらせられるようになった。
だけど大胸筋は上部だけしか鍛えられておらず、腕を水平にして気張る分には格好がつくが、腕を上に上げた途端にその下になにもないことが判明する。
鏡の前でショルダープレスをしてみるとそれがハッキリ露わになる。
腕が下にあるときはそこそこの形を保っていた胸筋は両腕を上げた途端肌に張り付くように消え去り、その下には無惨にも浮き上がった肋骨達が並ぶのである。
上腕二頭筋の上っ面だけを鍛えたガリガリのオッサンが、自分では細マッチョのつもりで調子に乗っていただけだったのだ……。
筋肉のアーマーをまとっていたつもりが、それは単なるビキニアーマーだった。
ビキニをひょいっと持ち上げればその下には骨と皮しかなかった。
よくよく見ると腹筋も腹直筋だけを必死に鍛えているだけで横はスカスカ、逃げ場を失った皮下脂肪がそこに集中したことでダルダルさに磨きがかかっている。
実に見事に「学校で教わる筋トレだけをひたすらやったような体」なのだ。
育ちやすい筋肉だけが育ち、そうでない筋肉は完全に蔑ろになっている。
柔軟性もなく見た目だけだから実用的な面での体力も出力も大したことはない。
強いて言うならカロリーはそれなりに燃やしてくれているだろうから肥満防止ぐらいにはなっているはずだ。
なんだか虚しいな。
鍛えやすい筋肉をひとまず鍛えようと聞きかじってまずは必死にそれを鍛えたが、結果としてはそれ以外の筋肉の貧弱さがより明確な身体が誕生したよ。
こっからどうしたらいんだろう。