はてなキーワード: 悪循環とは
実際「共感してくれない」と直接言われて夫婦生活が破綻したのだが、共感ってそんな大事なのだろうか。
それとも、世の既婚者男性諸君は共感できないことも共感してるように見せてやるのがうまいのだろうか?
元妻は何かと体調不良を訴えるタイプで、週に5日は頭痛・腹痛・腰痛・だるさなどを訴えていた。
基本健康でたまに不調なら心配もするのだが、不調が常態化していてははっきり言って訴えられても何も感じなくなっていた。
そもそも、不調を訴える→自分が家事を代わるから寝てたら、と言ってもそういうことじゃないと言われる。
そういうことじゃないなら俺は医者じゃないので病院行ってくれとか薬飲んでくれとしか言えない。
俺にあなたは救えない。と言うと、共感してくれるだけでいいのに、と言われる。
共感って何? 他人の病気の辛さなんて分かるわけないし、分かったような口聞かれたら自分ならむしろ腹が立つんだが。
「辛いよね、しんどいよね」と言ってもらいたいのか? 本気でわからない。そんな風に言われても自分ならバカにされているようにしか感じない。
ある日、妻がイライラを爆発させ、家事や育児、仕事との両立の不満について俺にぶつけてきた。
仕事が上手くいかないこと、子供が言うことをきかなくてイライラしてしまうこと、
家事に手が回らなくて睡眠も十分にとれず、余計イライラするという悪循環に陥ってしまうと、
理路整然とではないが要約すると以上のようなことを泣き喚きながら訴えてきた。
ここで、聡明なる増田の皆様ならどのように対応すべきかお分かりのことと思う。
おそらく、答えは共感力を発揮させての「ヨシヨシ、大変だったね、辛かったね、ヨシヨシ」だ。
まぁ、俺もそれが最適解なのだろうと頭では分かっていても、どうしてもそれが一人前の大人に対する対応として抵抗があって、
つい「では家事・育児の分担について再考しよう。睡眠不足については、夜のタスクを私に委託することで解決しよう」という、
自分にとってはこれがベストとしか思えない提案をしてしまった。
その結果は、案の定「そう言うことじゃない、辛さを分かってくれない。あなたは共感してくれない。」という答えである。
まず、正直に言って妻の処理能力不足もあると感じたため、状況を理解はできても共感はできなかった。
仮に、「私はお茶碗1杯のご飯でお腹いっぱいになっちゃうんです」と言われても、
「ああ、この人は少食なんだな」と理解はするけど、「俺はお茶碗3杯は食べられるけどな」と思ってしまうので、共感はできないのと同じだ。
さらに、「なぜ苦しい苦しいと言いながら、もう1杯食べようとしているのか? なぜ俺が代わりに食べると言ってるのに、そうしたがらないのか?」
と思ってしまって、ますます共感できない。この辺は、妻の完璧主義者体質と、母親としてのプライドが邪魔しているのかもしれないが。
いずれにしても、俺が共感しようがしまいが、タスクの整理をするか妻の処理能力が向上しない限り、辛い状況は改善されないはずだ。
日々溝が深まる状況、喧嘩が絶えない環境が子供ためにも良くないと思い、離婚する運びになった。
子供と離れるのは辛く、このような結果になったことは慚愧に堪えないが、俺は最初から結婚すべきではなかったのだろうか。
ゲイはセックス時のポジションでタチ(挿れる方)、ウケ(挿れられる方)の2種類に分かれる。
どちらのポジションもできることをリバ、挿入行為をしないことをバニラと呼んだりもする。
ほぼウケしかしてこなかった自分が、ここ1年くらいでタチができるようになって世界が広がったのでその感想を残しておこうと思う。
初めてセックスしたのは19か20の時で、それ以来、人並みにセックスをしてきた。
20代半ばになってウケの気持ちよさを覚えて、それ以来もっぱらウケだった。
たまにタチをしてもイマイチうまくいかない(中折してしまう)ことが多かった。
ちなみに自分の中でのタチが成功することの定義は「手を使うことなく挿入したまま射精までできるようになる」ということである。(もちろんゴム着けた状態でね!)
前者についてはそのままで、自分がウケとして相手をしているタチの姿や、エッチなビデオの中で見るタチの姿を見るにつけ、「そんなに気持ちよさそうなら自分もタチができるようになりたい」という気持ちが日に日に強まっていた。
後者については「性自認」に関係した問題である。自分の性自認は「男性」である。
男性として男性が好きな、シスジェンダーのゲイ男性ということになる。
「挿れられる」という男女間においては女性側が担う行為を行うことは、なんとなく自分の性自認およびそれに基づく性表現にそぐわない感覚があった。
そんな自分だったが、ここ1年くらいでタチができるようになった。
タチができるようになる過程を振り返ってみて、習得のコツ的なものが2つあった。
逆説的なんだけど、タチができるようになるためには、とりあえず1回タチを成功させることが重要だと思う。
自転車に乗るのと一緒で、1回成功するとタチとしての身体的感覚をつかむことができる。
そして何より「自分はタチが全くできないわけじゃないんだ」という安心感を得ることができる。
自分自身1回成功するまでは「今回も中折しちゃうんじゃないか」というプレッシャーがあり、プレッシャーでますますスムーズにことが進まなくなるという悪循環だった。
1回成功して以来は「少なくとも自分はタチのポテンシャルはあるんだ」という自信につながり、仮に一度中折してしまったとしても余裕を持って挽回できるようになった。
これは1回成功した後に始めた習慣なのだけれど、マスタベーションのときに手ではなくTENGA*を使うようになった。
男女のセックスにおいて男性が女性の膣内で射精まで至らない、いわゆる「膣内射精障害」の原因の1つに「強グリップ」マスタベーションがある**。
ゲイなので膣内ではないのだが、多分同じことは言えるだろうと思い、手からTENGAに切り替えた。
そうすることで、これまでグリップ力で快感を得ていたのが、TENGAのヌルヌルした摩擦によって快感を感じられるようになった。
手でやるときよりもタチをしている最中に感じる刺激と近いものを疑似体験でき、本番に備えられている感覚がある。
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*自分が使っているのは洗って繰り返し使えるTENGA SPINNER(https://store.tenga.co.jp/product/EC-SPN-001)という商品。タチ云々より、単純に手より遥かに気持ちいいからおすすめ
**膣内射精障害の原因となるマスタベーションは他にも「足ピン」「床・壁」があるらしい。タチができるようになりたいならそれらも避けた方がいいはず
当たり前なのだけど、ウケしかできなかったときはタチを探すほかなかったのが、ウケも相手ができるようになり、乱暴に言えば楽しめる相手が2倍に増えた。
また、長らくウケをやってきたからこそ感じるタチにやってほしいこと・やってほしくないことをタチ側として実践できるようになった。
具体的には、一度挿入したらいきなり腰を振らずにウケが慣れるまでじっとしている*とか、ウケが射精した後は相手が望まない限りは挿入はしない**とか。
ゲイ向けのデートアプリではプロフィール内にタチ・リバ・ウケを記載している場合が多い。
しかしながら自分がタチをやるようになってから会ったプロフィール上でリバの人の半数以上が実際はウケであった。
「タチもやったことはあるけどほぼウケしかやらない」みたいな。
理由をくわしく聞いたことはないんだけど、なんとなくウケって後ろめたさがあるのかなと思った。
先述の男性性の話にも通じるんだけど、ウケってやっちゃいけないことをやってる感というか、ちょっとヘンタイっぽい印象がある気がする。
実際のところはわかんないし、そんなスティグマがあるならばなくなってしまえばいいと思うけど、自分自身、ウケしかやらない時期も「タチ願望」から来るささやかな抵抗としてプロフィールではリバにしていて、各人フクザツな心理が働いているのかなと推測している。
自分はウケからリバになり、最近のセックスのポジションを振り返るとなんならタチが多いくらいだけれど、タチ・ウケどちらが好きかと聞かれると答えに窮する。気持ちよさの質が異なる。
例えば「醤油ラーメンととんこつラーメンどっちが好き?」と聞かれたら「醤油ラーメン」と答えられるけれど、「ラーメンとスパゲッティどっちが好き?」と聞かれると「その日の気分による」としか答えられない感じ。
自分の中でタチ・ウケは完全なアップルトゥアップルな比較になっていない。
ただ確実に言えるのは、タチの方が楽である。
ウケをするときは事前の準備もさることながら、やはり挿れられることによる身体的負担が大きい。
タチも腰を振るという運動量はあるが、そのエネルギーを受け止めるウケの方がどっと体力を使う感覚がある。
自分の場合「タチをやりたい」ではなく「ウケをやるのがめんどうだから」というモチベーションでその日はタチをやったりすることもある。
---
バブル世代は1965年からなので日本においての少子化というのは給料の問題で始まった訳ではないようだ(現代の少子化は給料の問題は絡んでいる)
であれば、生涯未婚率に注目した方がいいだろうと調べた
生涯未婚率と少子化の動きは始まりが連動していることが分かった
1960年に女性の生涯未婚率が上昇し始めている(生涯未婚率の定義で1960年段階で50歳時に未婚かどうかの指標だ)
派遣法が改悪された90年あたりから再び女性の生涯未婚率が悪化していく
男が結婚できなくなってきたのはバブル崩壊とのタイミングと一致しており、給料の問題とリンクしていると考えられる
したがって
・時期的には1940年生まれの大人たちが子どもをそんなに産まなくなった(この世代の生涯未婚率は悪化していない平和な世代)
・バブル崩壊や派遣法の改悪で給料の問題が起きるようになってから、生涯未婚率も少子化も急激に悪化している
・現代の日本の少子化は、収入が低い人が増え結婚できる人が減り、結婚してもそこから子どもを持てる人はさらに減ったという悪循環がもたらしている
タイトルから何を言ってるのか?って感じなんだけど、これ現在進行系の実話でありひたすら書き散らした絶望感の記録です。
私は処女である。しかしまあ、処女であることは別に恥じることではないと思う。
しかしこの度ずっと未使用のままであった膣が可哀想ではないか?と唐突に思い立ち、このままではいけないと一念発起した私は、数ヶ月程前に思い切って人生初の膣オナニーに挑戦してみることにした。
まあそんなこと言ってるけど、私は幼児の頃からクリオナニーしまくって親に見つかりクソほど怒られてもやめなかった筋金入りのエロ猿だ。
オナニーを覚えてから毎日のようにクリトリスをシコってきた。性欲はかなり強い方だと思う。
でも今まで何となく抵抗感があり、膣オナニーには踏み出せずにいたのだが、ついに決心がついたのだ。
クリトリスにばっかり構ってたら、まんこの真髄たる膣さんが可哀想でしょうよと。
しかしだ。
膣オナニー……いや、膣への挿入作業を始めた今、私は絶望している。
とにかく私は色んな物でシコってきたわけだが、全部の夢が打ち砕かれた気持ちでいる。
正直舐めてたわ。そりゃね、私だって耳年増なりに処女でも挿れてすぐアハァン気持ちいい!なんてのが夢幻だってことくらい知ってますよ。
だけどさ、クリトリス触っただけであんなにも気持ちよかったじゃねえか!?と。
そりゃあそりゃあ膣は訓練が必要だ何だと言ってても、なんだかんだ言って気持ちいいはずじゃんって思ってたよ。
そこにあるのはひたすらに「無」。何ならケツの穴の方がまだ気持ちいいまである。
Gスポットってのがあるらしいじゃないですか。
どうやらネットの記事によると、そこを押すとなんかおしっこが出そうなムズムズ感があるらしい。私はそれを期待していたんです。
特に気持ちよくはないけど尿意を感じてオッこれが始まりか、みたいな。そんな感覚を期待していたんですよ。
なのにさぁ…… 何も感じない。
え?Gスポットってそもそも存在しないんじゃない?本気で思った。
神様が私の身体に何か搭載し忘れてるんじゃないかと思った。それくらい何も感じない。本当にただの穴だった。耳かきしてるほうが気持ちいい。
いやいや指じゃ初心者には難しすぎるのかもしれんと最初は思ったね。
ローション使って痛くないようにした。膣イキ用のバイブまで買った。
その上で何ヶ月間も毎日何かあれと挿入し続けた日々。
もうね、「無」なんですよ。
オナニーにそんな情熱注ぐ?セックスしたほうがいいよ〜みたいな事思う人いるかもしれないけど、オナニーとセックスって別腹じゃないですか。いやわからんけど。処女なので。
でもとにかく私は女の快楽を得られるならそれを得てみたいぞ!だから諦めないぞ!という気概があった。
体験談としてはセックス中の中イキよりもオナニー中の中イキの方が確率高いらしい。そういうデータもあった。
あとね、穴がバカ狭い。この穴を使って男根を受け入れるとか無理過ぎて泣けてくる。
でもね、ここまではまあ、いいんですわ。予想の範囲内。
たった数ヶ月で、セックスをしまくってる人ですらイけてないという膣イキをキめられるなんて私も思っちゃいなかった。
本当に訪れた絶望はまあなんていうか、今まで使ってきたオカズが全然楽しめなくなったこと。
私ねぇ、本当に上の方でも書いたけど官能小説だとか抜きゲーだとかエロいものとにかく全般、マジで18禁解禁で咽び泣くほど好きだったんですよ。
それがもうね、今や全く興奮しない。
何回か試してみてわかったんだけど、そういうシーンを見てると段々頭が冷静になってきて、これはダメだなあってなるのよ。
これ別に挿入すぐアンアン言うのはファンタジー!とか主張したいわけじゃなくて、楽しめてたはずの作品群が楽しくなくなってしまったことに絶望してるんです。
私別に女の子に共感してオカズにしてるつもり無かったんだけど、なんか、なんかね。自分の中で欠けてしまったんです。何かが。
自分の膣への希望を失ったら、エロに没頭することすらできなくなっちゃった。
膣イキしてる女が羨ましい。私も女体でしか経験できない快楽を感じたかった。
膣イキできないならクリイキしとけばいいじゃんって思う人もいるかもしれないけど、クリオナニーも前より全然快感が得られなくなってる。
私の最大のシコりどころは何だかんだ言って膣に何かする場面だったんです。
最初クリに手を出しても膣のほうがもっとすっごいぞ、ヤバイパターンだと理性飛んで獣のように狂えるぜってのが定番の流れだし。
今までは膣をパコパコしてるシーンに思いを馳せながら「ああ、私もいつか膣イキしてみたいな」なんて思いながらクリでフィニッシュしていた。
だって自分のまんこは何も感じないんですよ。それ思い出すんですよ。虚無の感覚を。
何ならAVとかでズポズポしてるシーン、あまりにも太い、いや一般男性サイズでも今の私には太く見えるだけなんですが、あんな物を受け入れて気持ち良さそうに喘いでみせるあの姿、演技かかそうでないかよりもずっと前の感覚で、別の生き物を見てるような畏敬の念まで湧くんですよ。
今まではちんぽは太ければ太いほど興奮するたちだった。でも、今はもはや一種のホラー映像に映るんですよ。
なぜならどんなに絶望してもオナニーすれば快楽を得られたから。これ冗談抜きです。本当の話。
クリ責め作品は前から好きだったのでそっちで何とか気持ちよくなろうと思ったんだけど、やっぱりダメでした。
今まで散々気持ちいいと思ってたのに、今となっては全く気持ちよくない自分に気付いてしまいました。
後はもうおっぱいしかない。乳首オナニーもしました。まあ当然のように感じません。
そりゃそうだよ。クリトリスですら今や機能が失われてんだから。もうね、嘘でしょ?
ていうか女体ってね、妄想力だとか雰囲気だとかに凄い左右されるらしいじゃないですか。膣なんてとくに。
なんで膣内を擦っただけですぐ気持ちよくなるような機能を搭載しなかった?私に絶望を与えたいのか?
それはともかくオナニーが気持ち良くならないってもう、今まで毎日のように楽しんできたオナニーライフ、オナニーとのライフが一気に地獄になるんだよ!!!
オナニーしたいけど気持ちよくなれないとか、どんな拷問だよ!!
嫌だ……
私は絶頂するのが大好きなんだ……
オナニーで絶頂を迎えることこそ最高の娯楽でリフレッシュだと思っていたんだよ……
膣イキできるようにならないと今まで楽しんでいた作品達がクリイキですら楽しめないままになってしまう。
エロ猿として生きてきたこの私が。人一倍性欲に溢れていたこの私が……
でもシコれない。本当にシコれない。
膣に手を出してしまったばっかりに、最低の悪循環に陥ってしまった。
膣トレするにはまずクリイキしてから!妄想力を高めてから!ってお前、こちとら膣の虚無感のせいでクリイキも妄想力も失われとるんですわ。
どうすればいいの?
クリトリスの刺激だけで満足できていたあの頃に戻りたい。
膣。マジで何もない。
クリトリスの脚が伸びてるから膣は気持ちいい、みたいな記事とかも読んだけど理論はともかく実践で何も感じなさすぎて怖い。
すればいいのか?セックスを?この虚無膣を抱えて?
もう本当に助けてくれ。
私はただ、クリよりもゴージャスなオナニーをしてみたかっただけなのに
☝️
タイトルから何を言ってるのか?って感じなんだけど、これ現在進行系の実話でありひたすら書き散らした絶望感の記録です。
私は処女である。しかしまあ、処女であることは別に恥じることではないと思う。
しかしこの度ずっと未使用のままであった膣が可哀想ではないか?と唐突に思い立ち、このままではいけないと一念発起した私は、数ヶ月程前に思い切って人生初の膣オナニーに挑戦してみることにした。
まあそんなこと言ってるけど、私は幼児の頃からクリオナニーしまくって親に見つかりクソほど怒られてもやめなかった筋金入りのエロ猿だ。
オナニーを覚えてから毎日のようにクリトリスをシコってきた。性欲はかなり強い方だと思う。
でも今まで何となく抵抗感があり、膣オナニーには踏み出せずにいたのだが、ついに決心がついたのだ。
クリトリスにばっかり構ってたら、まんこの真髄たる膣さんが可哀想でしょうよと。
しかしだ。
膣オナニー……いや、膣への挿入作業を始めた今、私は絶望している。
とにかく私は色んな物でシコってきたわけだが、全部の夢が打ち砕かれた気持ちでいる。
正直舐めてたわ。そりゃね、私だって耳年増なりに処女でも挿れてすぐアハァン気持ちいい!なんてのが夢幻だってことくらい知ってますよ。
だけどさ、クリトリス触っただけであんなにも気持ちよかったじゃねえか!?と。
そりゃあそりゃあ膣は訓練が必要だ何だと言ってても、なんだかんだ言って気持ちいいはずじゃんって思ってたよ。
そこにあるのはひたすらに「無」。何ならケツの穴の方がまだ気持ちいいまである。
Gスポットってのがあるらしいじゃないですか。
どうやらネットの記事によると、そこを押すとなんかおしっこが出そうなムズムズ感があるらしい。私はそれを期待していたんです。
特に気持ちよくはないけど尿意を感じてオッこれが始まりか、みたいな。そんな感覚を期待していたんですよ。
なのにさぁ…… 何も感じない。
え?Gスポットってそもそも存在しないんじゃない?本気で思った。
神様が私の身体に何か搭載し忘れてるんじゃないかと思った。それくらい何も感じない。本当にただの穴だった。耳かきしてるほうが気持ちいい。
いやいや指じゃ初心者には難しすぎるのかもしれんと最初は思ったね。
ローション使って痛くないようにした。膣イキ用のバイブまで買った。
その上で何ヶ月間も毎日何かあれと挿入し続けた日々。
もうね、「無」なんですよ。
オナニーにそんな情熱注ぐ?セックスしたほうがいいよ〜みたいな事思う人いるかもしれないけど、オナニーとセックスって別腹じゃないですか。いやわからんけど。処女なので。
でもとにかく私は女の快楽を得られるならそれを得てみたいぞ!だから諦めないぞ!という気概があった。
体験談としてはセックス中の中イキよりもオナニー中の中イキの方が確率高いらしい。そういうデータもあった。
あとね、穴がバカ狭い。この穴を使って男根を受け入れるとか無理過ぎて泣けてくる。
でもね、ここまではまあ、いいんですわ。予想の範囲内。
たった数ヶ月で、セックスをしまくってる人ですらイけてないという膣イキをキめられるなんて私も思っちゃいなかった。
本当に訪れた絶望はまあなんていうか、今まで使ってきたオカズが全然楽しめなくなったこと。
私ねぇ、本当に上の方でも書いたけど官能小説だとか抜きゲーだとかエロいものとにかく全般、マジで18禁解禁で咽び泣くほど好きだったんですよ。
それがもうね、今や全く興奮しない。
何回か試してみてわかったんだけど、そういうシーンを見てると段々頭が冷静になってきて、これはダメだなあってなるのよ。
これ別に挿入すぐアンアン言うのはファンタジー!とか主張したいわけじゃなくて、楽しめてたはずの作品群が楽しくなくなってしまったことに絶望してるんです。
私別に女の子に共感してオカズにしてるつもり無かったんだけど、なんか、なんかね。自分の中で欠けてしまったんです。何かが。
自分の膣への希望を失ったら、エロに没頭することすらできなくなっちゃった。
膣イキしてる女が羨ましい。私も女体でしか経験できない快楽を感じたかった。
膣イキできないならクリイキしとけばいいじゃんって思う人もいるかもしれないけど、クリオナニーも前より全然快感が得られなくなってる。
私の最大のシコりどころは何だかんだ言って膣に何かする場面だったんです。
最初クリに手を出しても膣のほうがもっとすっごいぞ、ヤバイパターンだと理性飛んで獣のように狂えるぜってのが定番の流れだし。
今までは膣をパコパコしてるシーンに思いを馳せながら「ああ、私もいつか膣イキしてみたいな」なんて思いながらクリでフィニッシュしていた。
だって自分のまんこは何も感じないんですよ。それ思い出すんですよ。虚無の感覚を。
何ならAVとかでズポズポしてるシーン、あまりにも太い、いや一般男性サイズでも今の私には太く見えるだけなんですが、あんな物を受け入れて気持ち良さそうに喘いでみせるあの姿、演技かかそうでないかよりもずっと前の感覚で、別の生き物を見てるような畏敬の念まで湧くんですよ。
今まではちんぽは太ければ太いほど興奮するたちだった。でも、今はもはや一種のホラー映像に映るんですよ。
なぜならどんなに絶望してもオナニーすれば快楽を得られたから。これ冗談抜きです。本当の話。
クリ責め作品は前から好きだったのでそっちで何とか気持ちよくなろうと思ったんだけど、やっぱりダメでした。
今まで散々気持ちいいと思ってたのに、今となっては全く気持ちよくない自分に気付いてしまいました。
後はもうおっぱいしかない。乳首オナニーもしました。まあ当然のように感じません。
そりゃそうだよ。クリトリスですら今や機能が失われてんだから。もうね、嘘でしょ?
ていうか女体ってね、妄想力だとか雰囲気だとかに凄い左右されるらしいじゃないですか。膣なんてとくに。
なんで膣内を擦っただけですぐ気持ちよくなるような機能を搭載しなかった?私に絶望を与えたいのか?
それはともかくオナニーが気持ち良くならないってもう、今まで毎日のように楽しんできたオナニーライフ、オナニーとのライフが一気に地獄になるんだよ!!!
オナニーしたいけど気持ちよくなれないとか、どんな拷問だよ!!
嫌だ……
私は絶頂するのが大好きなんだ……
オナニーで絶頂を迎えることこそ最高の娯楽でリフレッシュだと思っていたんだよ……
膣イキできるようにならないと今まで楽しんでいた作品達がクリイキですら楽しめないままになってしまう。
エロ猿として生きてきたこの私が。人一倍性欲に溢れていたこの私が……
でもシコれない。本当にシコれない。
膣に手を出してしまったばっかりに、最低の悪循環に陥ってしまった。
膣トレするにはまずクリイキしてから!妄想力を高めてから!ってお前、こちとら膣の虚無感のせいでクリイキも妄想力も失われとるんですわ。
どうすればいいの?
クリトリスの刺激だけで満足できていたあの頃に戻りたい。
膣。マジで何もない。
クリトリスの脚が伸びてるから膣は気持ちいい、みたいな記事とかも読んだけど理論はともかく実践で何も感じなさすぎて怖い。
すればいいのか?セックスを?この虚無膣を抱えて?
もう本当に助けてくれ。
転職して1ヶ月目
明日は何をするんだろう。しっかり仕事できるだろうか…って不安がある
こんな簡単な仕事をするために転職したんだろうか…と無気力になる
もちろん、まだ触りの部分で大変になるのはこれからなんだろうなとは思うが
食べてる時は食べることに集中できるし、満たされている気がする
食べる事が楽しみであり、苦痛でもある
「女だけの国が本当にあれば良いのに」的な事を言っていた人がプチバズっていたんだけど
その後にツイート主が「男達に集団で寄ってたかって反発された~」といった事を言っており
正直自分が見た範囲だと「そんなに酷い糞リプあった?」って感じだったんだけど
ふと、ひょっとして「○○はどうするの?」という『質問』とか、
「やってみたら良いんじゃないんですか?」という意見(嫌味半分かも)まで
全部を批判や中傷、嫌味全部と、自分への攻撃だと思ってしまってない?って思って、
あ~仕事でもそういうタイプの人いてすごく厄介だわ~~ってなったw
例えば仕事のミーティングとかレビューで、厄介さんの案に対して
「Aのパターンについては分かったけど、Bのパターンや、A・Bを組み合わせたCのパターンが来たらどうします?」
という質問を私がして、自分としては単純に別パターンが来たらどうするの?って知りたいし、
更に言えばBパターンがNGならお客さんに提案する時にA以外は難しいですよって説明しなきゃだから
NGならNGで知っておきたい、という意図もあるから聞いているんだけど(勿論嫌味っぽく聞いてる訳でも無い)
厄介さんって、それを『自分の意見の否定』とか『難癖』みたいに思うみたいで、
「それどういう意味?どういう意図で聞いてるの?」とか反論してきたり、会議中にこっち睨んできたり
その後も刺々しく接してきたりするんだよね……
面倒だから他の人が「じゃあAパターンでやってみたらいかがですか?」って助け舟だしても
それはそれで「納得してないのか、嫌々ならやるな!」みたいな感じでヘソ曲げる所も似てる。
何だろうねあの手の人って、被害者意識が強いというか、
ちょっとでも自分の意見が否定された様に感じたら(実際は否定でも無いんだけど)
それを攻撃と受け取って、(こっちからしたら)勝手に気分を害されたり、敵認定されてヘイトされる。
何だろう、厄介さんからしたら自分の意見は全肯定したり褒め称えるのだけが『正解』で、
それ以外の反応はNGだししてくる人たちは皆、『意地悪を言ってくる人』にでもなっちゃうんだろうか?
敵認定される方としてはたまったモンじゃ無いけど、確かにそういう人からしたら
周囲は自分を理解しない、意地悪な事ばっかり言ってくる敵ばかりだし、
実際はそうじゃなくてもそんな態度だと周りから愛想尽かされてそっぽ向かれて
本当に「敵ばかり」になるから、ますます本人は意固地になるという悪循環だよねーって思った。
周りも本人も疲弊するだけだし、誰も得しないよね……
30歳くらいのときに全くの別畑からITの仕事に転職して10年くらいやってきましたが、当時からずっと、上司や同僚との意思疎通・調整・ホウレンソウが大の苦手。
前職はわりと個人の裁量でやれたのと、そこまでスケジュールや期限に厳しくなかったこともあってつまづかなかったのだけど、
IT業界入ってからは技術力のなさとコミュニケーション能力の低くくて仕事がまったく上手く回せない。
技術力の方は10年頑張ってきた中でなんとかなることも多くなってきたのだけど、
コミュニケーション能力の低さに起因したホウレンソウのできなさがまったく改善できず、
年も年なのでいよいよ辛い。
コミュニケーション上手な上長やリーダーが上にいるときは、それなりに活躍できる場合もあるのだが、
お客さんと話をしたり、スケジュール調整、他部署とのネゴ取りなどを自分でしなくてはならなくなると途端にダメダメになる。
報告ひとつとっても内容を簡潔にまとめるのにものすごく時間使うし、その割に、何を言っているのかわからないとよく言われる。
で、萎縮して余計に報告が過不足だらけになったりで悪循環。
リモートワークになって、いちいちテキストに起こすのがまた辛く、ホウレンソウ下手にさらに拍車がかかっている。
長くない現場経験の中で、今の自分と同じような感じの方々、いわゆる「使えないオジサン」たちを沢山見てきたが、自分がすでにその人たちの仲間入りしていることがわかる。
ああいう使えないオジサンたち、しかも改善見込めなさそうなオジサンたちは、どの現場でも長くいることはなかったが、最終的にどうなっているのだろう?
40,50歳超えて転職したりするのだろうか?
それとも定年までのあと残り10年20年を、年下に見下され同僚に煙たがられながらもふてぶてしく生きていくのだろうか?
10年治らなかった自分のコミュニケーション下手が今後改善するとは思えず、40歳を前にして今更SEを続けていく自信がなくなってきてる。
勤務時間が始まると、PCの向こうから自分に迷惑した同僚たちの声が聞こえてくるような気がして、
ちな、既婚・子持ち、家持ちです。
自分を立て直そうという気持ちと、死にたい気持ちが交互にやってくるのです。
つらい。
Twitterのリプ欄で行われている無言画像リプは誰が得をするんだ?
私は純粋に様々な感想を読みたいのに、知らないキャラに一言が添えられたガビガビの画像を見なければいけないんだ。お前の意思はそこにあるのか?
私が創作の感想をもらえる機会があるのならば、無言で画像を投げられるよりも「良かったです」の一言のほうが嬉しい。
あと「その画像、保存したぞ❤」系の画像を返信する奴。キシェ〜〜〜〜〜〜。保存するのは良しとしても、どうせお前はまたその画像を無言で送り付けるんだろう。クソリプ悪循環じゃないか。
この件とは関係ないが、「○○知ってる人RT」とかゲロみたいに低いハードルで承認欲求を満たすやつ(異常なアニメアイコン率の高さ)と、パクツイで承認欲求を満たすbotもどき(笑)も本当に心から嫌いである。
やることあるはずだけど、現実逃避に家から出ないで楽しくなりたい
でもコロナでずーっと在宅してるから家から出ないで楽しめるアレコレがマジで尽きてきた
ゲームの類は子供の頃に触れずに過ごしたから、あんまり興味もわかず、いくつか遊んだけど全然楽しいと思えなかったから多分ゲームは向いてない
(FFとDQとポケモンとバイオと無双とモンハンとマイクラとあつ森しかやったことないけど全部すぐ飽きてクリアできてない)
ゲームできない人種の時点でお金かけずに家でやれることあんまりない
ネット小説は小説家になろうとかカクヨムとかのランキンを一通り徘徊して好みの作者のは読み尽くしたし
ネットははてぶとtogetter流し読みするくらいで満足だし
ネトフリ、アマプラもあるけど、家で見てると雑念が多すぎて集中できないせいか大体途中でダレて飽きてネタバレサイト見て満足しちゃう
料理に凝ったことも一瞬あったけど、手間とか金とか考え出すと、納豆ご飯に味噌汁とかでよくない?とかまで来ちゃって、最近はレトルトご飯と冷凍ブロッコリーと液みそのお湯割り以上のものを作る気がしない
運動がわりにYouTubeでストレッチとかヨガとかの動画見ても部屋が狭くてあちこちぶつかるし、じゃあ散歩でもと思ってポケモンGOなんかもスマホに入れてみたけど結構頻繁に立ち止まらないといけなくてなんか違うな…という感じ
外の景色とかに感動するタイプでもないしそもそも運動とかダルくね?布団の中で丸まってるのが腹も減らないしコスパ良いんだけど?
とはいえ、現実がのしかかってきて鬱々としながら何もせずに布団にこもってるとますます鬱々とする悪循環だしそのうち本当になんか病みそう
コロナ前も大概布団でゴロゴロしてたけど、したくてゴロゴロしてるのと、ほかにやることなくてゴロゴロしてるんだとやっぱ気持ち的に違うな…
個人の意見、考えを伝えるならお気持ちとしか言いようがないのに、何故か「お気持ち」と言ってバカにしようとする一派がいる。この人らは自分から意見を言わないのだろうか。
個人の経験を元に考えを述べると、すぐに「n=1」だと反論してくる人がいる。個人の経験ベースの考えなんだから、「n=1」になるのは当たり前だろう。なぜか奴らは「n=1」だと言えば論破した気になってる。反例を出さないと、その反論は「n=0」でしかないのにそれに気が付いていないようだ。
つまりあれだ、どんな意見、考えも「お気持ち」「n=1」「なんかデータあるんですか」辺りで反論すれば、論破可能なわけだ。そりゃあ、ネット上で論議が成立しないわけよ。
普通、リアルで話すとこっちの「お気持ち」に対して、相手も「お気持ち」を表明することで、会話や議論が成立する。「お気持ち」だと揶揄してくる人は話したくないけど、相手を黙らせたいという欲望しか持ってないのがよくわかる。そんな思考だと対話ができないんだから孤独になる。そしてもっと攻撃的になる。悪循環の始まりだな。
この日記の書き始めは、2022年の3月23日。私の増田歴は2年ほどになる。基本はROM専だ。
週末にはてなブログランキングを見る派なのだが、その一番下に増田部門があるだろう。
『弱者男性』というのは要するに、男としての権利や義務や果たすとか、オスとしての欲求を満たせずに苦しんでいる男性のことらしい。特に、お金とモテの問題が多いようだ。
どれだけお金がある人でも、どれだけモテる人でも悩みはある。自分の思いを果たせずに苦しむことには変わりない。自由は、苦しいのだ。
私は、30代後半になる男だ。これまでずっと、道路や、公園や、箸などの大型建築物を創る仕事に打ち込んできた。あなたが都内暮らしであれば、私が設計した橋梁を使ったことがあるかもしれない。
年に数えるほどしか増田には投稿しないが、退屈にならないように綴ってみる。
以下、当時の日記を加筆修正したものになる。逆時系列にしている。
2022/3/18
職場の窓口にお客さんが来た。女の人だ。見た目は25,6才ほどか。
カウンターに座るように案内をして、その子の説明を聞いていた。
五分も経つと、向こうの説明が粗方終わった。話の最後で、こちらの資料をサービスで何点か手渡した。
別れ際、その子が割と遠方から来ているのを知った。職務経験が浅い印象があったので、「質問はありますか?また来ることがあっても困るでしょう」と話を振った。
その子が顔を上げた。すると、次の瞬間だった。コロナウイルス対策のプラ製の衝立越しに、その子と目が合った。瞼の上の、ふわりとした茶色いパーマが特徴的だった。
「しまった」と感じた。
話の最中、その子の姿を見ないようにしていた。私はずっと、カウンターにある資料に目線をやっていたのだ。
・・・私と目が合った途端に、その子の瞳が大きくなった。茶色い瞳孔をふわっと見開いて、両手の掌をテーブルの端にちょこんと乗せて、こちらに身を乗り出してくる。目を逸らすのも失礼なので、ちょっとの間だけその子の瞳を見ていた。
その後、私は少しばかり視線を落としたはずだ。
「確認ですが、このフェンスのところには町内会の倉庫が置かれるんでしたっけ」
「はい、そうです!」
マスク越しでもわかる、その子の綻んだ顔に目を背けるようにして私は、カウンターの端にあるスタンプ台に視線を移した。
帰り際、その子が名刺を置いていった。会社名と、その子の氏名と、会社の電話番号と、メールアドレスと、上から鉛筆書きで携帯電話の番号が書いてあった。「会社にいない時はこちらに」とのことだ。
接客が終わって私は、名刺ホルダーの一番目立たないところにそれを突っ込んだ。
2021/12/21
給湯室までコーヒーのお湯を汲みに行こうと席を立ち、廊下に出たところで、細身で背が高い子が正面から歩いてきた。いつも髪をお団子みたいにまとめている。
今年入ってきた新人の子で、私と同じ高専の出だった。片手に厚生地のハンカチのようなもの(あれはなんて言うんだろう。ハンカチとタオルの中間みたいなやつだ)を持っていた。
その子は、私とすれ違おうとする時に、「ばぁっ!」と言いながら両手を広げ、私の方に躍り出てきた。私がのけ反るのと同じタイミングで、小走りで後ろ壁まで下がって、にやにやしながらその子の職場の方へと早歩きしていった。
「しまった、対応を間違えた」と思ったのは、その年の6月頃だ。
その子は私の部署で余った事務用品をもらいに来ていた。あの時私は、縦横5000×5000ほどの段ボール(中に大量の事務用品あり)を抱えて、その子に渡そうとしていた。
「○○さん。開いてるよ」
小さい声で、その子のスカートのファスナーが開いて、横から灰色の下着が見えているのを指摘した。
その子は、「あ……」とだけ呟いて、カチンコチンコチンに固まった。私がそそくさと自席の方に戻って座りかけたところで、その子が段ボールを床にガタンと落としたのを聞いた。
どうやら、片方の手だけでファスナーを元に戻すことには成功していた。その子のところまで行って、段ボールを持ち上げて、「ゆっくり運ぼうね」と声をかけた。
今思えば失敗だった。その子は、あれから廊下で私とすれ違う時、たまに凄く嫌そうな表情になる。廊下の端の方に寄って、小走りで駆け抜けるのだ。その度に、申し訳ない、ごめんなさいという気持ちになる。
2021/9/30
よく行く近所のコンビニに、高校生~大学生ほどの女子店員がいる。ハキハキした明るい接客をするし、どんなお客にも物怖じしないし、チャッチャとした勢いで在庫ケースを開けてアイスや冷凍食品を突っ込んでいく。将来有望な子だと感じていた。
ある夜だった。コンビニによっては、お客さんがレジの画面で決済手段を選んだり、現金をキャッシャーに入れたりするだろう。
私の目の前に並んでいたお爺さんだったが、どうやら初めてのようで画面操作に苦戦していた。その子はカウンター越しに指で指示をするのだが、なかなか難しい様子だった。その子の身長は低い。レジから身を乗り出すも、うまくお爺さんに指示ができていない。
でもなんとか、最後の画面までは行っている。私は近づいて、「ここを押すんですよ」とお爺さんにジェスチャーで示した。無事に決済処理が終わった。
私の番がくると、「ありがとうございました」とその子が言った。「○△さんは優しいんだね」と声をかけた。「そんなことないです!」と全力で謙遜をする。
その際、彼女の変化に気が付いたのと、心の中で「やめておけ!」という声がしたのは同時だった。喉の方が早かった。
「今日は、なにか顔が違う?」
家に帰って、ようやくコトバが浮かんできた。あれはチークだ。女性の瞳の下がうっすらと赤くなっているやつだ。
いつだったか、直属の上司が女性社員に対して、「その赤いのは何だ?」と声をかけると、その人が、「これチークです」と返して、さらに上司が「チンコ?」と問い返し、微妙な雰囲気になったのを思い出した。
その子は、私の問いかけにレジの前で飛び上がって、「えー、どこが違いますかっ?」と元気いっぱいに質問を返してきた。物凄い勢いで身を乗り出している。「わからないけど、なにか違う気がする」と答えたはずだ。
以後、その子にレジを受けてもらう時、話しかけてくるようになった。二週間に一度くらいか。
「昨日の朝、自転車で走ってましたね」
「すっかり寒くなりましたね」
「私、来月から薬学部の研修に行くんです。しばらく会えません」
去年のクリスマスを過ぎた頃だったか。その子と話をしなくなったのは。
急に暗い表情になって、私と世間話をすることはなくなった。
できるだけそのレジを避けるようにしたのだが、たまにどうしようもない時があって、その度にまた暗い面持ちを見ることになる。
こういうことがある度に、「間違えた」と感じる。
上に述べた内容は、人によっては嫌味に聞こえると思う。もし、あなたが異性にモテたい人間で、かつモテないのだとしたら、イライラとする内容であるに違いない。
私と目が合った異性愛者の女性は、私に異性としてのアプローチを求めるようになる。目が合わない場合ですらそうだ。
昨年の6月。他組織から依頼があって、コロナワクチンの接種協力の仕事をした時だった。文化ホールの2階席が待機場所だったのだが、覇権会社から来ている女の人は、周りが空いている状態でも私の隣付近に座ろうとした。
○ 私
△ それ以外の主に男性
△ ●●● △
● ○●△
△ ● ● △
オセロだったらと思うと恐ろしくなる。黒が集まっているし、左右には正体不明の駒がある。△がみんなルークで、かつ私の味方であることを祈りたい。
派遣会社の女の人は、昼食を食べている時、チラチラと私の胸板を見ていた。上着を着替える時は特にそうだ。
「お前、さっき俺が着替えてる時チラチラ見てただろ」と言いたくなった。
それで、相手の方に視線を向けると、メジロのようにサッと首を回して向こうを見る。これに限らず、何もしておらずとも人からの視線を感じることが頻繁にある。
2017/9/上旬(〃)
この時までは、「できれば女性の目を見ない方がいい」が方針だった。この体験の後は、「絶対に見ない」と自らに誓った。
あれはまだ、前の会社にいた時だ。地元密着型の企業で、年に一度、会社敷地でお祭りをやるところだった。一般の人を100人ほど招いてワイワイと楽しんでもらうのだが、私は輪投げゲームの担当になった。
昼下がり、1階の広い室内のひと区画で長机に座って店番をしていると、6才くらいの女の子が前を通った。同じ部署の女上司の子どもだった。
その子は輪投げスペースを通り抜けて、私のいる机の前まで来た。それで、微笑みながらその子の顔を見たところ、きょとんとした顔になって、トコトコと母親のところに歩いて行った……数分後、その子は母親の手を引いて、またこっちに来た。輪投げゲームをやりたいという。
その時は普通にプレイしてもらった。帰り際に何かの景品、水鉄砲だったかを渡してあげた記憶がある。
その一ヵ月後だった。私と同僚が、女上司(母親)の会社の忘れ物を家に届けた時のことだ。
呼び鈴を鳴らして玄関口に入ると、女上司が出てきた。忘れ物を渡して、「ありがとうね」と言われたところで、例のあの子が奥の方から玄関に出てきて、私の方を見た。
すると、口をちょっと開けて、後ずさったかと思うと、一目散に後ろに駆けて行った。柱の後ろに隠れると、「いやだ、わたし、あの人に会いたくない!」と叫んだ。
一言一句、誤ってはいない。確かにその子は、慌てた声で、亀のような姿勢になって、そう叫んだのだ。「あんた!この子になにしたの!」と言われた私は、何もできなかった。
次の日から職場に居ることが苦痛になった。とにかく仕事がやりづらい。女上司との仲が悪循環的に悪くなっていった。
この日から半年後、私は転職を決意した。それから約三ヶ月間、耐えに耐え、今の会社に入ってからは、ずっと今の職場で技術関係の仕事をしている。
上のような諸々の現象に出会うことは正直よくある。年に十回以上は固いだろう。
その度に、過去にあった嫌なことを思い出して、「馬鹿なことをしてはいけない」「自分も他人も傷つけてはいけない」と自らを律する。
過去にあった非常に嫌だったこと。思い出したくはないが、この機会だから思い出してみよう。
・集団によるシカト。地元の高専にいた時、アルバイト先のマクドナルドで、ある女の子と彼氏彼女的な雰囲気になったことがあった。が、今の私も、当時の私も奥手で、仲が進展することはなかった。雪が降る中、飲み会の帰りにその子を家まで送って行って、アパートのドアが開いたところで「今日はありがとう。じゃあね」と言うと、その子は私の顔を見上げて、多分十秒くらい経ったろうか。視線を部屋の中へと送ってその子は、またしばらく黙っていた。すると、突然早歩きで部屋に入って、ガチャンと扉と鍵を閉めた。しばらく立ち竦んでいると、その子の部屋の中で、また何か音がした気がした。私は振り返って、自宅に帰った。その後、皆の目が冷たくなった。特に女性の。労働時間中も、それ以外でも、私が声をかけてもロクに反応はなかった。店に居づらくなった私は、店長に一言だけ「辞める」と告げて、逃げるように事務所を出た。マクドナルドでも、ローソンでも、サイゼリヤでも同じだった。実家の近くにある中華料理店は、店主とそのお母さんが2人で切り盛りしていた。私以外に若い人間はいなかったので、編入先の大学を出るまでそこで働いていた。
・近所の小売店を出入り禁止になったこと。これまでの人生で3回ある。いずれも身に覚えがない。気が付いたら、その店の人間関係が悪くなっていて、店舗責任者と思しき人が私のところに説明に来て、いわれのない罪状を告げる。あれは、今年の2月だった。ローソンで立ち読みをしていると、警察官に声をかけられた。店舗責任者が私を通報したようだ。私は、パトカーの中で10分以上にわたって職務質問を受け、最後に「コンビニで若い女の子に声をかけない方がいいよ」と諭された。私がコンビニで誰かに声をかけたことはない。大学生と思しき女子店員に声をかけられたことは何度かある。
・電車で移動する時。愛車(自転車)の修理が必要な時や、会社に遅れるリスクがある時は山手線で通勤する。席を確保してゆっくりしていると、いわゆるトナラーというのか、見知らぬ女の人が隣席に腰をかけることがある。40もつれの女性であることが多い。やがて、その女性がウトウトしたかと思うと、私の肩に顔を傾けてくる。逃げるのも申し訳ないので、大抵は我慢している。
・後ひとつだけ加える。電車通勤時に会社近くの駅で降りるとき、「すいません……」と斜め後ろからオドオドとした、だが妙に勇気を振り絞った声がすることが稀にある。そこには大抵、中学生や高校生がいて、顔を伏せがちにして私の方に歩いてくる。それで、カバンから可愛らしい封筒を取り出して、「読んでください」と手紙を差し出す。『ごめんね。申し訳ない』。そう思いながら、「勇気がいったよね。ありがとう。読ませてもらう」と返す。手紙を受け取ると、手提げかばんに仕舞って、会社が終わって家に帰ると衣装ケースの奥に入れる。時間がある時に恐る恐る読んでいる。
私は幸せではない。普通の人が望む恋愛で幸せを感じられないからだ。
先日の、ある洋風居酒屋を貸し切っての飲み会の席だった。何十人もの社員が参加する、それなりの規模の酒席だ。幹事集団が、開催前の挨拶で「ソーシャルディスタンス」を連呼していたのを覚えている。
若い子が多かった。30代は私と男の後輩の2人だけだった。飲み会の開始直後を除いては、ずっと1人でメシを食べていた。二十分が経ったところで、後輩の男が、「増田さん。今いいですか」と満面の笑みで声をかけてきた。かつては同じ部署で、手取り足取り何年も仕事を教えてきた後輩だ。
要約すると、「あっちに先輩の席用意してますよ」とのこと。
彼の身長は170あるかないかで、体格は太い。着古した作業着で居酒屋に来ていたが、ちょっと汚れのある様がパリピ向けの店の雰囲気にそぐうと感じた。
笑顔はきれいだった。店内の薄暗いLEDに照らされて。少年的な感じのするスマイル。顔は色黒いのだけど、爽やかな感じが伝わってくる。
彼はいいやつだ。数年後には、いいお嫁さんをもらっているのだろう。
「女の子が2人待ってますよ。増田さんのために揃えたんです、褒めてください! △△さん(4階の職場で一番綺麗とされる女性社員)が来てますよ」
後輩はそんなことを言った。私は特別席へと案内を受けるようだ。
後輩は、うす暗い居酒屋のとある一区画の前まで来ると、「俺は男同士で飲みますわ。先輩は楽しんでください」と向こうのスペースに行った。目の前には後輩が説明したとおり、女性が2人、灰色調のソファに並んで座っていた。それともう1人(「ばぁっ!」の子)が2つ隣のソファでまごまごしている。私は対面に座せばいいようだ。
それで、女の子達(同じ階の後輩3人だった)を見た。一人はショートカットで、一人はセミロング?をポニーテールみたいにしていた。もう1人は、肩甲骨の下までの長い髪だった気がする。
雑談を小一時間した。私目線だとそれなりに盛り上がった。みんな大体同じだけ会話ができていたはずだ。退屈そうな素振りをしたこともあったが、気付かれていないと信じる。
この時も、やはり後悔がある。トイレで席を立った時、あの男の後輩を見つけた。少し酔っていたのもあり、声をかけみてた。
「女の子はいいや。後輩君と2人で話したいんだけど。どうかな」
と彼に告げたのだが、鎧袖一触とばかり、「ふざけないでくださいよ~!」と、私の背中を押して、あの子たちのいる席へと連れて行かれた……。
それからずっと、あの子達とお喋りをしていた。やがて、飲み会の締めの挨拶が始まったのに合わせて、私は特別席を立って遠くのスペースに移動した。挨拶が終わる頃、幹事達に1万円を渡して、誰にも声をかけずに帰った。
色々と勉強になる飲み会だった。またいつか、機会があれば行ってみたい、かもしれない。
自分という存在が嫌になる。私にも心があり、胸にときめきを感じる瞬間があり、その存在がほしい、手にしたい、一緒になりたいと願うことがある。
でも、手に入ることはない。手に入れようとする行為自体が罪になる。挑むこと、それ自体が罪なのだ。私にできるはずがない。できない。できないよ。私には。
増田につらつらと想いを書き綴ってはみたけれど、どうやら少しだけ気分が楽になった。つまらない日記になっていたら申し訳ないけど、できればそうでないことを祈っている。
>結局のところ枕営業の問題って、「女性の自己決定権(←自分で損得判断して応じると決定してる)」や「性的加害(←両者同意のうえで行為に及んでる)」ではなく、「実力や知名度以外のところ(=監督個人の性的快楽)で出演者が決まってしまう」ことによる映画出資者に与える損害で、背任や収賄と同じだと思うんだよね。
ほんとにこれは本質なんだけど、かなりいいところをついてるんだけど
お金って「代替」を目的とした本質的に「取り返しのつくもの」だし、その扱いに尊厳が絡まないのよ。
だから増田のいう「その場・直後にいわないのずるくない?」の原因もそのあたりにある。
不特定多数に性的な色眼鏡で一斉に見られる恐怖っていうのは、「欲しい物があったのでお金払っちゃいました」と同列じゃない。
金銭被害にセカンドレイプはないし、取り返せないし(記憶がそのまま負債として一生消えないこともしばしば)
同意のない性行為と、同意のないお金の搾取では、心理的外傷になる可能性が桁違い
あと、決断の迫り方とかもね。
断ったら後悔しますよ?ちなみにチャンスは一回きりです(断ったら他の子行くね)なやりかたは、冷静な判断をその場で奪うことができて
己の夢がかかった状態でそんな究極の二択、死ぬまで後悔しない方を選べというのは、アンフェアじゃない?
明らかに卑劣な意図をもっている相手に対して、そんな、究極に清廉な態度を、本当に被害者たちは、そこまで要求されなきゃいけなかった?と思うと
「両者同意」「損得勘定」は、個人的には成り立ってないように思う……
枕営業をしたくないけれど選択した人はあなたの身近に、現実に、存在してるだろうか。
私は二人ほどいたけれど、結局心を病んで地元に帰ってしまった。
想像で、机上で語るのはもちろんできるんだけど、あなたが必要なのはまず実際の被害者と会話をしてみることかなと思う。
そう、思いつく理屈で処理しきれない葛藤や悪循環が、もう少し鮮明になって
多分考えが変わると思う。
私は言語化できないものに触れた上でそう思う側になってしまった人間なので
「うまくいえないけど、とにかく、これはだめだ」という感覚を、得てみてほしいよ。