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はてなキーワード: オペラとは

2018-04-15

anond:20180415014648

オペラに行こうかとか高い料理でも行こうかなら、誰でもわかりやすくて納得できるんだろうけど

漫画だと曖昧なっちゃうんだろうね。年齢層も低いだろうし

2018-04-12

anond:20180412015533

普段から鼻歌を歌うような人はミュージカル親和性が高いとどこかで見た

まあ自分日本語ミュージカルあんまりきじゃないのと、全編歌で進行するレ・ミゼラブル映画は辛かった(あれはオペラ分類?)

2018-03-23

anond:20180323013003

一応、仮定の下での言及になると但し書きする。

池永、野口を買わないのは何故か? に対する俺の美人画云々~への言及だとして、だ。(そう考えないと話が噛み合わない)


その上で、

>高尚とか低俗なんて言ってない、単純に永く続くものリスペクトしなくて、すぐに廃れるものオタクは消費するのに違和感がある、その理由を教えて欲しい。

 でいいんだな?

他の言及と、それに納得している意見もあるが俺の意見は違う。少し長いけどじっくり読んでくれ。

まず一言でいえば「そういう風に報道されてるのを信じてる奴が多いから」だ。

 反論ではなく、違和感説明の為に必要なんだが、どうして骨董品収集家骨董品オタクと言わないんだ? そう言っちゃいけない決まりがあるのか?

報道されてないだけで昭和30年、40年代アニメ特撮好きな人はたくさんいるし、そういうのが好きだからって美術品をDisるオタクは非常に少ない。

 寧ろ、絵師に至っては尊敬する画家や好きな絵画が少ない人間の方が少ないかもしれない。

ゲーム制作では今は関わる人間がとても多くなったせいもあるだろうけど、オペラ美術古典音楽芸能に通じてる人も大勢いて、よく見ればそういう影響は至る所にある。

 あまり語らないし、語られないのは単純に言うと反発が大きくて面倒だからだ。

「そんなゲーム古典を比べるな」

 って言う人が多いからね。

にも関わらず、どうして豚のように与えられた消費コンテンツだけを食い漁って古い物を尊敬しないように感じるか、ってのは"感じ方が間違ってる"んだよ。

 だってオタクが古い物を馬鹿にしてるの見た事ないだろう? 尊敬してないんじゃなくて、馬鹿にされるから語る奴が少ないだけなんだ。

それに加えてネットでは流行の新しいもの話題にした方が人気が出るから、新しいコンテンツを語る若い人の方が多いし、目立つんだ。ステマもあるかもしれないけどね。

 そして更に、テレビ新聞では権威を保つためにそう新しいものには触れ辛い。

ここでは省くけどオタク軽蔑した書き方にならざるを得ない理由があって、「馬鹿バカものばっかり追ってる」*ように報道するんだ。

 そうするとどうなるか?

今のところ、過半数かそれに近い人の目にしている新聞テレビでは古典リスペクトされているのが目につき、そういう場所Disられてるオタクネット発言する事が増え、更に話題になって欲しいから新しいものは語るけど、バカにされるから古典には触れない、って事になるだろう? すごく分かりやすいじゃないか


 まだまだ他の要因はあるし語りたい部分もあるけどやめとくよ。

音楽で例えるとこんな感じだな。

HipHopのMCってなんでクソ左翼反体制のヤク中ばっかなの?」

みてーなw

流行りのlyricばっか消費してんのにballadeとかvillanelleやらねーし、John DonneもAndrew Marvellも語らないとか違和感あんだけど?」

ってな。

 俺が書いてる時点でのもう一つの言及も、真理ではあるんだぜ?

要は「オタク以外の奴の承認欲求オタクがうるせぇから満たされない」*って言ってるっぽいけどな。

 もし仮に詩をやるんだったら、自分の感じ方もたまには疑ってみるのも大切だぜ? …よけいなお世話かもしれないけどな。


 * *

2018-02-06

オペラバレエNetflixが欲しい

先日「サッカーNetflixが欲しい」という増田を見たので

オペラバレエDVDってTAUTAYAにもなかなかなくて困るんだよなあ

かい方法知らない?

2018-02-01

オペラはもうちょっとなんとかならなかったのかという怒り

http://www.opera-net.jp/5543/

Q.バレンタイン限定色の再販はしないの?

A.リップティント生産には原料手配を含め数か月を要すること、また全体の生産数量キャパティ課題解決しなくてはならないことから、この冬季中の再販につきましては、実現が難しい状況にございます。将来的には復刻の可能性もございますが、確定はしておりません。

Q.限定色の発売日前日に販売していたお店があったのはどうして?

A.当社は、発売日(1/26)の前日(1/25)までに販売店様に届くよう製品を発送しており、届いた製品店頭に陳列するタイミング販売店様に委ねられておりますブランド直営店での販売とは異なり、徹底が困難なことではございますが、この度お寄せいただいたお客様からのお声を販売店様にもお伝えし、今後は発売日の遵守により一層のご協力をお願いする所存です。

Q.発売日にお店に行ったのに限定色がまだ販売されていませんでしたが?

A.大雪の影響により、一部販売店様には発売日までに製品をお届けすることが叶いませんでした。天候によるアクシデントによるものであることをご理解いただけますと幸いです。

Q.イミュWEB通販での取り扱いがないのはなぜ?限定色の転売対策はしないの?

A.限定色のWEB通販につきましては、現時点では生産数量に限りがあるためお応えすることが出来ず、申し訳ありません。

将来的にはWEB通販でも十分な数量を販売できるよう、増産体制の強化に尽力いたします。

転売につきましては、当社も非常に心を痛めております。直接的な規制の手立てがございませんが、こちらにつきましても増産体制を整えることで解決に努めます

(引用ここまで)

どうせ匿名なんだから店名晒して書くわ。

オペラリップが発売される話は知ってた。もちろんあったら買おうと思ってた。

でも、私はそれより前に発売されてたリンメルのアイカラー(http://www.rimmellondon.jp/product/eyes/eyes_50.html)の3番の限定ブラシ付きが欲しくて、出足遅かったもんだからもうあっちこっちロフトとかバラエティショップうろうろしてたんだけど、3番だけどこにも売ってなくて、立川グランデュオのハンズビーならあるかもな、って思って見に行ったのが25日の19時ごろ。そうしたらもう出てる。

ここでテスターやって、ここ数日バタバタしててたから、色味だけタッチアップして落ち着いてからもっとポイントがつくロフトとかで買おうとした私が馬鹿だった。

次にコスメ見にいけたのは土曜日午後、武蔵境ロフトティントリップのバーガンディキス(8番)だけ完売してて「まじか……」って思う。

その後もしや……と思って、焦りながら立川ロフト2軒、プラザ立川ハンズビー回る。シアーリップカラーや7番はあったりしたところもあるけど、リップの8番は当然ない。ハンズビーはご丁寧に「完売しました」とのポップ。販売日前日に出してたのにこういうところだけご丁寧な対応するんだね。

普段全然降りない国分寺ロフトにも行く。ここはシアーリップカラーは両方あった。ちょうど探してたリンメルのアイカラー3番見つかって、それとこれとは別なんだけどな……と思いながら、シアーリップの色の薄い方だけとりあえず一緒に確保。そりゃあるなら全部1本ずつは買っておきたかったけど、8番完売してるから正直揃える気は失せた。

やっぱり探してる子達がいて、その子たちの話題に上がってた吉祥寺ロフトにも行ってみる。ほとんどもうなにもなかった。

ちなみに近くの子在庫聞いてたけど、土曜時点で再入荷すら未定、メーカー在庫不明だそうです。

一足遅れると、都会でも6軒回ってもなにも買えなかった。本当に残念。

木曜の夜、立川ハンズビーで色味見た時に買っておけばよかったのもあって、余計に悔しい。

販売日前日に出すような店もある一方で、大雪で発売日に届かないところもあるとかさ、明らか経済不均衡じゃん。ほんとどうなってんの。

あとこれ読む限り、いまのところ転売対策仕様がない、ってことは、実質転売し放題、ってことじゃん。ふざけんなよ。デパコスクリスマスコフレじゃないんだから

あと原料手配に時間がかかるってことは、多分3月限定色でも今回と同じような事態が起きるんでしょ…… 今から想像して、ただただ萎えるわ。

3月本数限定してweb完全予約注文制にすればいいのに、この文面見る限りそんなことも考えないってことでしょ。

たか限定なんだけど、ここまで踊らされる私も馬鹿みたい。

2018-01-30

「新しさはいつも否定と拒絶を生む」2.5次元作品について思うこと

2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。

そのことについて思うところがある。

誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。

私は、ペンライトうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイル作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである

作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。

ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。

ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台ミュージカルではないとも思わない。

うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。

客席に降りてきたキャストファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトカラーはすぐに揺らいで、軽率ブロマイドを買ってしまう。

界隈にはよくいるオタクだ。

ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。

あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解共感ができてしまうのである

例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。

なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。


先ほど、この応援スタイル作品は苦手だが、舞台ミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイル出会っていたのが根源にあるのではと思う。

舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感あるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。

例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。

1部と2部で分けられた構成で、似たようなもの存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。

それから四季マンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。

カーテンコール熱狂ぶりは、一度体感して欲しい。

2.5次元作品名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。

劇作家であるピーター・キルター作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。

これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。

ペンライトを持ってくることについて公式からアナウンスがあった)

少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。

歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。

例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。

こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。

ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルコンサートと一体化しているようなものが乱立している。

からとても目立つのだ。

2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。

おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台コンサートイベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るものなのだ

ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。

から舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出ひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。

少々暴力的言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。

要は、酢豚パイナップルなのである

あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。

けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっと要求までされているのものから困惑するのだろう。

どうして、と思う。

そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。

パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店パイナップル入りばかりを提供しているのだ。

こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである

私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。

2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。

パイナップル酢豚しか見つからないなら仕方ない。

回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。

けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画アニメ作品が、うちわを持って応援するスタイル舞台になってしまったら。

楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。

きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。


とにもかくにも、最近このドルステタイプ作品が多いのは紛れもない事実だ。

少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルストレートかといった分類だったように思う。

それを証拠に、ある作品舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。

最近では、うちわは有りなの?なんて言葉をよく見る。

新たなジャンルが生まれているのだなあ、と感じる一端だ。

この新たなジャンルは、確かに舞台作品範疇ではあるが、独特な応援スタイル存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。

2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。

テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?

はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。

そんな始まりだったが、千秋楽の頃には満員御礼

けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。

決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることな3rdシーズン

その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。

今この時代チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。


先日放送されていた情熱大陸松田さんが仰っていた。

映画などとは違い、舞台初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。

当たり前だが、その通りだ。

先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。

実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。

私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。

公演前の宣伝番組で、内容が示唆されていたのかもしれない。

だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。

出演者ではなく作品ファンというなら尚更だ。

少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。

そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。

苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラキャスト応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。

知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元アイドル応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作プロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイル舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま

舞台を観たことがない人を、いか劇場に来させるか。そんなことを、制作から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。

きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである

からそろそろ、この新しいスタイル演劇名前つけませんか。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。

これを当たり前にするために。

オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式市民権を得たミュージカルのように、いつかこスタイル演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。

2.5次元も嗜むしがない舞台ファンからの、ただひとつの願いである。

2018-01-24

大学卒業できなくなった

卒業論文を提出したら「これでは単位を認められない」と指導教官教授)に言われた。

認められないと必須単位がもらえず、留年または中退となる。

わたし哲学を専攻していたが、学ぶうちに「おもしろいけど意味あるんかなー」みたいな疑問が湧いてきた。

そのうち2年になり3年からゼミ研究テーマも決める必要がでてきた。

わたしは少し考えて一番世の中に役立っていないと思われる研究をしている先生指導教官に選んだ。

特定されそうだが、その先生中世イタリアオペラ美学みたいな、

「それ日本人研究する必要ある?」みたいな誰もが疑問に思うテーマ研究していた。

3年生の間は原著論文にもあたり、まじめにやっていた。

4年生になり、自分卒論テーマを「日本にやってきたオペラ大衆芸能との関連性」とし、

相互に与えた影響などを調べて、そこそこの評価を得た。

あとは推敲校正して出すだけでよい段になり、ふとこんな無意味なことをやってていいのかな

という当初の疑問をもっていたことを思い出した。

そこで、いままでやっていたことは無視をし、

年末年始の間に、「いか日本人イタリア文化研究することに無駄が多いか

というテーマリライトした。

そこで1行目にもどることになる。

話し合っても、認めない教授には、

「ここでわたし卒論を認めないと、2年間のあなた指導が役に立たなかった証明になりますよ」

と言ってやった。無言だった。

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

モルモット このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-12-26

2017-11-28

◯ルトンのすべて

アルトン…銀座にあるギャラリー

イルトン…PCの自動ログインログオフを実現する技術

ウルトン…韓国俳優

エルトン…ジョン

オルトン…羽生にあるカフェ

 

カルトンレジの受け皿

キルトン…ゼルダ登場人物

クルトンサイコロ状のサクサクしたパン

ケルトン…スピーカー形式

コルトン…千葉にあるショッピングセンターブルゴーニュ地方にある特級ブドウ畑ブコメより)

 

サルトン…南アフリカワイナリー

シルトン…イングランドの元サッカー選手

スルトン…ヒドロキシスルホン酸の環状スルホン酸エステル

セルトン…発泡剤の分解を促進する尿素系助剤、作曲家、雨が極端に降らない地域、など該当多数

ソルトン…カリフォルニアにある湖の名前

 

タルトン…名古屋にあるパティスリー

チルトン…イギリスレーシングドライバー羊たちの沈黙登場人物ブコメより)

ツルトン…鶴橋で売られているルイ・ヴィトンの偽物

テルトン…埋蔵宝典発掘者

トルトン…山善から発売されているハンドフリーマッサージャー

 

ナルトン…焼津ゆるキャラ

ニルトン…柔術家

ヌルトン…該当なし(ハンドルネームとして稀に散見される)

ネルトンパーティー、紅鯨団(ブコメより)

ノルトン…電気回路に関する定理

 

ハルトン…厨房機器メーカー

ヒルトンセレブ

フルトン…傘メーカー目標気球をつけて航空機で回収するシステムブコメより)、蒸気船フラーモント号の発明者(ブコメより)

ヘルトン…元メジャーリーグ選手

ホルトン…フレンチホルンメーカー

 

マルトン…腕時計ブランド

ミルトン失楽園、消毒液(ブコメより)、カルピスみたいなやつ(ブコメより)、バナナボサノヴァドラマーブコメより)

ムルトン…韓国語水筒の意

メルトン…被服生地の種類、FF6の攻撃魔法ブコメより)

モルトン…ブラウン

 

ヤルトン…ネパールの祭り

ユルトン…南アメリカ大陸にある湖

ヨルトン…ポケモン(の登場人物ブコメより)

 

ワルトン…胃腸や鼻、目の表面といった粘膜などを覆っているどろっとした物質

ンルトン…該当なし

 

ガルトン…名古屋にあるレストラン

ギルトン…韓国英雄視されている人物

グルトン…レストラン屋号として各地に点在

ゲルトン…日の丸無線が製造したゲルラジオ

ゴルトン…イギリス遺伝学者

 

ザルトン…FF13LRに出てくる人物

ジルトン…豚汁

ズルトン…スキー用語

ゼルトン…釣具の一種

ゾルトン…ワージ

 

ダルトンインテリアメーカークロノトリガー登場人物ブコメより)、銀座の老舗バー(ブコメより)、イギリス俳優ブコメより)、分子量の単位、(ブコメより)実験機器メーカーブコメより)

ヂルトン…人名として稀に見られる

ヅルトン…該当なし

デルトン…ベーキングパウダーの種類、アメリカにある湖の名前ホテル名前、など

ドルトン…イギリス科学者

 

バルトン…名古屋にあるグリルバー

ビルトン…南部アフリカ発祥干し肉

ブルトンシュールレアリスム宣言四次元怪獣ブコメより)

ベルトン…日東工器から発売されている研磨機

ボルトンイギリス地名

 

――追記――

パルトン…パルロン!フランス語フランス一周

ピルトン…韓国語で筆箱の意

プルトン…ワンピースに出てくる古代兵器

ペルトン…衝動水車一種

ポルトン…ダンボール戦機ウォーズに出てくる仮想国家

 

――追記2――

ラルトン…バウンサー登場人物

リルトン…ペンシルバニア州都市

ルルトン…スペインにあるワイナリー

レルトン…イギリス都市

ロルトン…ロシアカップ麺ブランド

 

――追記3――

ヴァルトン…オペラ清教徒に出てくる登場人物

ヴィルトン…ベルギーにある都市

ヴルトン…ブルターニュソーセージの煮込み(ブコメより)

ヴェルトン…フランス都市

ヴォルトン…フランス社会学者

 

イェルトン…IKEA商品

イャルトン…該当なし

イュルトン…該当なし

イョルトン…該当なし

 

ウァルトン…水路測量書

ウォルトンイギリス作曲家

 

キェルトン…正真正銘の該当なし

キャルトン…金台紙

キュルトン…フランスにある城

キョルトン…相槌の向こう側へ

 

クァルトン…アヴィニョンピエタでお馴染みの画家

クォルトン…韓国地名

 

シェルトン…長尺マットレス工法一種

シャルトン…イギリス都市

シュルトン…アメリカ化粧品会社

ショルトン…AVのブランド18禁

 

スァルトン…該当なし

スォルトン…該当なし

 

チェルトン…アニモ

チャルトン…コロンビアホテル

チュルトン…マヤ文明における貯水池

チョルトン…韓国語で頑固の意

 

ツァルトン…ブラチスラヴァ-セレジ市街馬車鉄道の起点

ツォルトン…Your search - "ツォルトン" - did not match any documents.

 

ニェルトン…セラ寺の第8代座主

ニャルトン…ハンドルネーム散見される

ニュルトン…架空探偵

ニョルトン…該当なし

 

ヌァルトン…該当なし

ヌォルトン…該当なし

 

ヒェルトン…該当なし

ヒャルトン…ポケモンに出てくる伯爵

ヒュルトン…リモンスター

ヒョルトン…該当な(ry

 

ファルトン…スペインの甘い菓子パン

フィルトン…流出油処理剤

フェルトン…マルフォイ

フォルトン…大阪にあるケーキ

 

ミェルトン…シンガーズ・アンリミテッドメンバー

ミャルトン…該当(ry

ミュルトン…フランスレジスタンス運動活動家

ミョルトン…該(ry

 

ムァルトン…(ry

ムォルトン…(r

 

リェルトン…(

リャルトン……

リュルトン…フランスワイナリー

リョルトン………

 

ルァルトン…Your search - "ルァルトン" - did not match any documents.

ルォルトン…No results found for "ルォルトン"

 

ーー追記3.5ーー

クィルトン…サッカー選手

クェルトン…材木の種類

 

スィルトン…決定的なものなし

スェルトン…格闘家

 

ツィルトン…Your search - "ツィルトン" - did not match any documents.

ツェルトン…熊本にあるガソリンスタンド

 

ヌィルトン…該当なし

ヌェルトン…該当なし

 

ムィルトン…該当なし

ムェルトン…該当なし

 

リィルトン…該当なし

リェルトン…該当なし

 

――追記4――

ギャルトン…ロス・マクドナルド小説

ギュルトン…ギリシャ地名

ギョルトン…ホン・ギョルトン?

 

グァルトン…該当なし

グィルトン…織物・織り方の名前か?

グェルトン…該当なし

グォルトン…該当なし

 

ジャルトン…ハーバード大教授

ジェルトン…東南アジア産出の木材の種類

ジョルトン…メキシコ都市

 

ズァルトン…該当なし

ズィルトン…ウーって口を尖らせてズィルトン↑ って語尾を上げるとパリジャンっぽく発音できる

ズェルトン…該当なし

ズォルトン…該当なし

 

ーー追記5ーー

ヰルトン…自由劇場登場人物

ヱルトン…倫理学概論

 

ーー追記6ーー

ピェルトン…該当なし

ピャルトン…該当なし

ピュルトン…該当なし

ピョルトン…該当なし

 

プァルトン…該当なし

プィルトン…該当なし

プェルトン…ワイン生産者

プォルトン…該当なし

2017-10-19

2017-10-12

作中に印象的な曲が出てくる小説アニメゲーム

ブギーポップ

ニュルンベルクのマイスタージンガー

15年前に読んだときyoutubeとかなかったしわざわざきくまでもないとおもって きいたことなかった

youtubeできいたけどそこまで印象に残るもんでもなかった

字面けがかなり印象的

悪の教典

三文オペラモリタート

きいたけど特に何も思わず

ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり

ワルキューレの騎行

タイトルはかっこいい

なんかトムクルーズ映画youtube出てきた気がする

印象的ではあるけど好きになるほどではなかった

らくえんあいかわらずなぼく。の場合

ムーンリバー

最高

単体でも好き

作中で使われたときも、夜道を妹と歩きながら何気なく歌うか口笛吹くかする、っていうシーンも相まって、

マジで最高だった

こんなくだらないエロゲ―で何気ないセンスのよさを見せつけられた感じがして嫉妬した

リズム外して歌ったりしてるからちょっとカラオケとかで歌いにくいのが玉にきずだけど

マジで好き

デジモンウォーゲーム/銀英伝

ボレロ

前者はよくこんなん子供向けの映画に入れたなって思った

ボレロ自体は知ってたけど、そのむずかしさとか奥深さの一端に、昴っていうバレエ漫画で触れて、単純に見えるけどなんかすごいんだなと思った

後者はこないだNHKであった1,2話みて、なんかすげー、まさにスペース「オペラ」って感じしたなあ

エヴァ

第九

忘れてた

かにあれは印象的だった

2017-06-16

アニソンについて

ヒャダイン系というか

でんぱ組inc系というか

声優アイドル複数人いて

明るくかけあいながらすごく細かい譜割りを怒涛のスピードで歌い上げていくタイプの曲

名曲を知りたいのです

ヒャダイン「日常」OP

ちょっと古くて求めているのとちがうけど「ぱにぽに」の各曲

最近だとだんぜん「ひなこのーと」。OPEDもいいな

ガヴリールドロップアウト」「つぐもも」も好き

おそ松さん」もいいかちょっとちがうけど

こういうのでほかに名曲あったら教えてください

探しようがなくて困ってます

【追記】

皆さん有り難うございます。たくさん知ることができました。

聞くことができるものは聞いてみてます

三者三葉OP機巧少女は傷つかないedうらら迷路帖OP涼宮ハルヒちゃんの憂鬱OPちくわパフェだよ☆CKP、ホーンテッドメイドランチ

みつどもえ1,2期のOP繰繰れ!コックリさん OPWWW.WORKING!! OPじょしらくOPEDゆるゆりOPけものフレンズOP

これらがそうかなと

掛け合いやテンポチェンジなどのオペラというかミュージカルというかそういう要素が入ってるのが望みだったのがわかりました

現時点で書かれてないので発見したのだと、あんハピ♪opとか、キルミーベイベーとかあと、上記のだと、やっぱり前山田健一強いなあと認識を新たにしました

アニュータちょっと考えてみます

2017-06-13

と思って100年前の流行語をググってみた。

http://www.c20.jp/20c/1917.html

ペラゴロ」はオペラ+ゴロツキで浅草オペラファンのことらしいが、

「しばし浮き寝の旅枕」はどういう文脈なのかさっぱり分からんな。

2017-06-09

アニメに国が金を出すべきか

アニメーター生活が苦しいって話が出てるところで、昔の雑誌にこんな記事を見つけた。

しろ日本という文化国を表看板にしている国の主脳階級は、未だにオペラなどに金をかけるより、芸者の「○○おどり」を助ける方がよつぽど良いと思っているばかりでなく、美術文学関係に比べてずつと苦しい生活をしているオペラ関係者のほうに、ずつと高率の税金を取立りて平気なんだからお話にならない。だからでもなかろうが、音楽界に生きている人でさえ、「オペラをやる連中は道楽でやつてるんだから――」などと、とんでもない冷水を浴びせるようなことを言うのも出て来る仕末なんだ。

昭和32年音楽の友」10月オペラを鑑賞する人へ/柴田睦陸

つの時代もどの業界も同じやね。

でも一つの芸術に金出したら他の芸術にも出せやって話になるし、いくら金があっても足りないよなあ。

2017-06-04

くりえいたー純血学

個人的に0から1を生み出す「くりえいたー」になりたい。憧れてる。

そういう人結構多いと思う。

でも多いからか、何か「くりえいたー」じゃないのに「くりえいたー」的な事言いはる偽物も多い。

純血を貶める、なんちゃって「くりえいたー」ども。

純血の「くりえいたー」と一緒にしてはいけない。

ミュージシャン

作詞作曲歌唱、全て行っているものが純血。

路上で一人取り残されても武器を失わないものが純血。

歌うだけのヤツは偽物。純血ではない。作詞だけ、作曲だけも同じ。

最終アウトプットが歌である以上、一人でそれを構成しなくてはいけない。

作詞家が純血気取りしたいなら、ポエムで客を取れ。

曲も歌にするなインストで売れ、歌うだけの奴はオペラとか古典歌って歌声だけで戦え。

それができない格下だから徒党を組んでいるのに純血ヅラするな。

漫画家

原作作画全て行っているものが純血。

原作家、作画家は純血ではない。

こちらも同じく最終アウトプット漫画なので、一人でそれを構成してこそ純血。

原作が純血ヅラしたければ小説家になれ。作画家絵描きになれ。

一人で漫画家になれないか徒党を組んでるくせに純血ヅラしてはいけない。

また、一人で書いていたとしても企画先行モノは論外。

受注制作しているものは純血ではない。ビジネスに飼われた負け犬

絵描き

己の書きたいものを書き、デザインオリジナルであれば純血。

最近数多いる有象無象商業イラストレーターの多くは純血ではない。

受注制作デザインの主導権がないもの負け犬

二次創作は純血どころか、かなりの劣等種。なぜかそのくせ声はでかい

アスリート

その多くが純血。

0から自分の体だけで感動を生み出しているので「くりえいたー」と言っていい。

己の体をくりえいとしている。

圧倒的な実力主義である点も非常に素晴らしい。

写真家

ほぼほぼ偽物。純血がほとんど見当たらない。

理由そもそも被写体が己の創作物ではないから。

どちらかと言えば「くりえいたー」の成果を掠め取る、「ぷろでゅーさー」に近い。

美しい被写体は、その被写体を創った者こそがえらい。

写真はあまりにお手軽に「くりえいたー」気取りになれるので

なんちゃってが数多蠢く地獄世界

シャッター押して出来合いのフィルタかけるだけで作った気になれちゃうインスタグラムがいい例。

金出せば手に入るくせに意識だけは高い一眼レフ信者も同じく。

映画

アニメ

ゲーム

勘違いされがちだがこいつらも偽物。

なぜならば、これら全て産業が巨大で一人で作り上げるのが不可能から

商業に染まり、多人数で創るものはどうあがいても純血ではない。

ましてや月給制の「くりえーたー」など基本的存在しない。

ただ、産業が巨大なので中にいる人間プライドは高く純血ヅラするものが多い。

でもたまに一人で作っている人も少なからずいる。

それはビジネスという汚泥に真っ向から立ち向かう本物の純血。



純血の定義は一つ。

「最終成果物を、誰から求められるでもなく一人で創っている」

それ以外は すべて偽物。まがいもの

純血ヅラしている人間は、今一度胸に手を当てて考えてもらいたい。

そして、

純血は純血のみとしか通じ合えない。

己を賭して、己の力だけで生きているスーパーサバイバー

己のエゴに日々命をかけている。だからかっこいい。

中途半端雑種が、同等に口を交わすことなどできない事を

尊敬と畏怖と共に、肝に銘じなければいけない。

2017-05-24

日本音楽ってボーカル入れないと絶対死ぬ病気なのか

ユーセンとかで流れてくる日本語のしゃべりがうるさ過ぎる

ゴチャゴチャうるさいんだわマジで

いっぱいしゃべらないと死ぬんかっての

オペラ歌手みたいな歌声のもの楽器レベルでもない人間編集してマシにした声を聞かされる方にもなれや

音楽性にしたってバンド90年代から完全に止まってる

ゴミすぎ

2017-05-15

[]5月14日

○朝食:なし

○昼食:味噌ラーメン

○夕食:ポップコーン

調子

はややー。

今日おやすみでした。

今日は色々なことをしよう、と思っていろんなことをした。

ゲームじゃないのも含めて次から○で区切って紹介。

○SCOOP

昨日借りたレンタルDVD

「悪いやつ」の映画って苦手なんだけど、これは面白かった。

ただちょっと、ふわーっとした部分が多くって、のめり込めない部分もあった。

特に中盤からヒロインがどんどん仕事が楽しくなっていくところが、のめり込めなかったかな。

だけど、終盤の急降下は抜群だった、すごかった、めっちゃ印象に残った。

○麺場田所商店

ラーメン屋さん。

味噌ラーメン専門店らしくて、味噌ラーメンだけで10種類ぐらいあった。

今日北海道味噌らーめん味噌ラーメン美味しいなー、味噌ラーメンすきー、また行こう。

○散髪

近所の散髪屋さんはシャンプーときにブラシでゴシゴシしてくれるんだけど、それがすごい気持ちいい。

今日気持ち良かった、髪の毛切るとさっぱりするし良いね

○SING

映画館行ってきた。

映画館久々だったから楽しかった。

音楽」「群集劇」って要素だけでもう、面白そう! とテンションあがっちゃったので、

なるほどこういう映画ね! と理解した瞬間から一気にのめり込んだ。

こう、ちょっと表現が難しいんだけど、

「あーはいはい、こういう映画ね、ってことはつーまーり?」って感じの期待感が一切裏切られない良い映画だったと思う。

ただ、これは不満というよりは、僕が方向性勘違いしてたってだけなんだけど、

最後合唱じゃないの!? とはなった。

いやうん、これはしょうがないんだよね、別に「チーム」のお話ではないもんな。

そこを微妙に読み違えてたのが、痛かった。

もちろん、映画としてはちゃんと落ちてると思う。

あの壁が崩れて最初オペラと同じ満月が見える、って落ちはもう完璧だと思う。

主人公三日月によく乗ってるのが前振りなんだよね)

思うんだけど、あれちょっとだけ違ったや、とはなったかな。

言い方が難しいんだけど、キャラクタ相互作用的な面じゃない感というか、個々のスペックが優れているというストーリー

個々のスペックの掛け算のストーリーではなかったのかなあ?

という、僕の読み違いはあったものの、とにかく見てて気持ちよくて楽しい作品だったから、DVD買いたくなるや。

続編も作ってるらしいので、楽しみにしてよう。

3DS

ポケとる

ドンカラス解放、そして捕獲

これにて、全悪ポケ捕獲への道は完了です!

長かった、長かったけど、次は未解禁の

ベトベトン(A)、ニャース(A)、ペルシアン(A)、アクジキングの四匹のために、ログインは続けよう。

いやー、長かった、めちゃくちゃ長いことプレイしてたね。

バッジとれ〜るも終わったし、愛するメガヘルガーが本編で解禁されたことだし、

そろそろ、第7世代の対戦をやり始めようかな?

iPhone

コマスター

ログボのみ。

コマスターも良い加減ケリをつけないとなあ。

2017-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20170423115210

予算作品なのにとにかくスケールの大きな話にしようとしてて

そのために観客の想像力に頼った余韻や余白が多い映画なんだよな

オ倦怠感とも緊張感ともとれるオーソン・ウェルズ特有長回し活用したカメラワーク

書割を駆使して表現された無駄にだだっ広い豪邸のシーンが好き

面白くて印象に残る映画にはオペラのシーンがあるよねフィツカラルドとか

2017-04-22

20170422_群馬県つつじが岡公園

有料区画のつつじ園のつつじの咲き具合は、入り口から見たところでは5分咲き程度。

それ以外の園内のつつじもそこそこに鮮やかな色の花を付けていた。

藤棚の藤も花を付け始めていた。

秋山元別邸の近くで、年齢そこそこのおっさんオペラ歌手ばりの大きくはりのある美声を響かせていた。

さらに少し行ったところの弁財天近くの広場で、じいさんが7~8人ばかりブルーシートを広げて酒盛りをしていた。

城沼では白鳥が泳ぎ、この時期限定渡船がつつじ園とその間を往復していた。

この時期は周辺住民だけでなく県外から観光客も来ていて、平素の休日よりも若干人が多いように見えたが、

まだ連休の時期ほどではない。

2017-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20170329121734

ライトモチーフは短い動機でどっちかつーとメロディ擬人化つーか。

古典的交響曲というかソナタ形式再現部を持つので、最初メロディが帰ってきて終るのは寧ろ普通

元増田の言うのはむしろオペラとかで大体全部出来てるけど、最初の序曲が出来てなーいみたいなときに、

そや、各名場面の音楽つなげて序曲いっちょうあがり。それがメインテーマになるし、全体の統一感も生まれるし一石何鳥になるわ!

みたいなやつでは。ロッシーニとかかな

2017-03-13

長生きしとったら歴史を変えたかもしれない人

長生きしていたらその後の歴史が変わっていたか

しれない人

代表例 ビゼーだよな

フランスオペラ歴史にとどまらフランス音楽歴史

ガラリ一変しとったやろな。

今やとイタリア歌劇ドイツ系オペラから有名どころをリストアップ

するだけやけど、フランスオペライタリア歌劇

って感じになっとったんやろうな

ドイツはおまけ。ワーグナーみたいな難解な誇大妄想協ちっくな

のもそういえばあったよね?で

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