はてなキーワード: 日本中とは
これは弥助問題の元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文をちゃんと読んでください。
っていうか,こういったテーマについては,藤田みどり『アフリカ「発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店,2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本史研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?
はい,問題ありません。なぜならこれは,タイトル「アジア人と黒人のあいだでの人種と人種観の利用――日系・アフリカ系アメリカ人の場合」からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカ系アメリカ人を主題にした論文だからです。
これはどう読んでも,アメリカの黒人の日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりはアメリカ黒人の歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!
こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか? っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人が日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めます(https://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料や英語で書かれた論文を典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。
仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまでアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説そのものについて研究するなら,古い時代の英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。
なので,ふつうの日本中世史研究者が,この論文を典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います? そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文を引用してるとか)を持ってきてもらわないと……
(もちろん,最近は中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象の研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)
この論文,表象の研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文のタイトルから「アジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくまで黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人の歴史は黒人史の添え物とちゃうねんで。
ちゃんと読むっていうのは,この論文のテーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文が日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。
俺は何か騒いでるなあと外野から見てたんだけど途中から関心持つようになった
何か今ではウヨサヨ対立みたいになってるけど最初からそうだったのだろうか?
ネトウヨ参戦してネトウヨ嫌いのサヨがネトウヨ叩きのために参戦して
結果ネトウヨがサヨ叩きを…ってウヨサヨ双方が相手を叩くための材料と化したような
だが俺が関心を持つようになったのはそこではない
彼らが騒ぎ始めたから関心を持ったのだ
最初から関わってた歴クラもいたかもしれないが、一気に広がったのは先週末くらいからか
きっかけは何だったかといえば、岡美穂子という学者がこの騒動に介入したからだと思われる
岡氏に対する批判が始まった。これが歴クラの癇に障った
歴クラはそういう人達ばかりではないが、こういったことが気にくわない人達がかなりいる
有名なのは「呉座勇一vs井沢元彦」あるいは「呉座勇一vs八幡和郎」などだ
一般には井沢・八幡氏は右派にカテゴライズされる。当時の呉座氏は現在のイメージを一般には持たれてなかった。
トンデモ素人と戦う「人斬り呉座抜刀斎」などと称賛されていた。
ただし呉座氏の鍵垢に集う「御伽衆」とも呼ばれる人達は呉座氏の政治的立ち位置を知ってたかもしれない
とにかく一部の歴クラにとっては、相手が右だろうが左だろうが専門家に盾突く素人は敵である
そして先週末に呉座氏と同じ日本中世史の研究者である平山優氏が参戦した
平山優氏は去年の大河ドラマ『どうする家康』の時代考証を担当したのだが、
時代考証が甘い、おかしいといった批判を素人から浴びることになった
平山優氏は言われたら百倍返しくらい言い返す人で、それが一部歴クラから絶賛された(批判する人もいたが)
そういう経緯があったので、今回も素人一般人が批判するといつものバトルが始まった
御伽衆は当然、平山氏が「弥助は侍」というのだから侍なんだ、素人は黙ってろと主張。素人のくせにといういつもの見下し。
全然わかってない素人ももちろんいたが、かなりの知識を持っている素人もいた。
実際のところ侍の定義はそれほど明確なものではない。素人一般人もそれで黙っちゃいない。
一方、その頃岡美穂子氏の発言がいかにも「サヨク(リベラル)」だったので、当然ネトウヨが食いつく
さらに平山優氏も元共産党員の過去からサヨクとしてネトウヨに叩かれることに
歴クラは学者がサヨクだろうがウヨクだろうが、そんなことは気にしない(平山氏と呉座氏を同時に崇められる)ので
だがウヨサヨの対立構図になったことで、数の上では少ない歴クラの声は埋没
今に至っているように俺には見える
※なお岡美穂子氏に関しては歴クラもあまり馴染みが無いので最初はともかくあまり言及なし。さすがにあのグダグダでは擁護も難しいのかもしれない。素人批判者の誤読があればそれを叩く方針で「日本が黒人奴隷を生んだ」など数点に的を絞って「素人批判者全体」を馬鹿にする方向で。
もうこの流れは止められないね
後は配送日がドライバーの数に応じて現実的な日時まで遅くなるだけ
日本中相当ど田舎にもあったコンビニもどんどん閉店していくだろうしね
一時は日本中に隙間なく整備されるかと思われたお買い物インフラも、人手不足で市街地ぐらいしか維持できなくなるだろう
これをなんとかしようと思ったら移民労働者を受け入れるしかないしね
『魏志』倭人伝によると、邪馬台国の女王・卑弥呼が亡くなった際に100人以上の奴婢をいっしょに葬ったとされる。
卑弥呼以て死す。大いに冢〈ちょう〉を作る。径百余歩。徇葬〈じゅんそう〉する者、奴婢百余人
https://museum.bunmori.tokushima.jp/museum_documents/museumnews/mnews014/014_2-3_cc.html
飛鳥時代においては中国を範とした律令国家が形成され、その中で奴婢制度が定められた。(大宝律令 701年)
これは延喜格(907年)まで続いた。
https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111E0000017-14-3.pdf
公的な身分としての奴婢制度は廃止されても、飢饉や借金を苦にした人減らしのための人売りは長く横行した。
鎌倉時代の『吾妻鏡』延応元(1239)では、人身売買の禁止の原則と、飢饉におけるその緩和特例が見られる。
A 寛喜三年餓死のころ、飢人として出来の輩は、養育の功労につきて、主人御計らいたるべきの由、定め置かれおわんぬ。
B およそ人倫売買の事、禁制ことに重し。
D しかるにその時減直の法につきて、糺し返さるべきの旨、沙汰出来の条、はなはだその謂れなきか。
E ただし両方和与せしめ、当時の直法を以て糺し返すに至っては、沙汰の限りにあらざるか。
延応元年四月十七日 平
散位(太田康連)
前山城守
沙弥(二階堂行盛)
https://wallerstein.hatenadiary.org/entry/20081121/1227250694
人買船は沖を漕ぐ、とても売らるる身ぢやほどに、静かに漕げよ船頭どの
この状況は豊臣秀吉が人身売買禁止令を出すまで続き、以降は年季奉公制が主流となる
ただし、性奴隷については以降も活発に人売り人買いが横行したらしい
給料安い
職場環境最悪
研究費もどんどん削られる
潰しが効かない
常勤職になれないと薄給非常勤で重労働なのに最低限の生活すらままならない
職があれば日本中、場合によっては世界中どこにでもいかなければならない
アカハラパワハラ研究不正認定されるハードルがどんどん下がってる
Xで叩かれまくる
Xで炎上する
他には?
仲介を使って次の仕事を探すと、決まって大手企業の無理難題案件が振られる
そういう案件は、要は売れ残りで、条件が悪いか該当者がそもそもいないんだが
色んなルートからおすすめされてくるのでだんだんイライラしてくる
例えば、Webができて、アプリができて、ハイブリットアプリについても詳しくて
リーダーができて、最新の技術にも明るくて、要件定義もできて、メンバー管理もできて
みたいなやつ
まあ日本中探せばできそうな人は数十人位はいるかも知れないけど
その人がたまたまフリーランスで、仕事があいていて、何よりその案件に参画する理由がない
例えるなら高身長高学歴イケメンの若い男を希望してるブスな婚活女子みたいな、いや男女逆でもいいんだけど
今なんて、1領域をまともにできる時点で十分すごい方なんだ、1個追いつくだけでエネルギーや経験値(つまり時間)が必要なんだけど
それを複数求めるやつって何なんだろうね?
「医者と弁護士の資格持ってる20代」みたいなこと言ってるよ?
あと、リーダーを求めるのって最高に恥ずかしいってことに気づいてほしい
・もはや死ぬか、加害者の息の根を止めるしか、被害者が楽になれる方法が見当たりません。
・もはや命で償って欲しいレベルです。画像や映像を見るたびに希死念慮を抱いたし、正体を突き止めたら「滅多■■」にしてやりたいくらいです。
・このまま誹謗中傷やプライバシー侵害を受け続けるより、刑務所で■■犯として生きる方が楽に思えてきました。
・これからも日本中の人たちに後ろ指を差されながら生きるくらいなら、もはや刑務所で生きるのが遙かにマシです。
・人生が滅茶苦茶に壊されて、どうにもならなくなったので、これらからの人生は刑務所と大差ありませんね。ああ、死刑囚なら拘置所ですね。
・もはや滅多■■にでもしないと気が済みません。■■犯になっても構いません。
・■■■の画像や映像を見て、何度も希死念慮を抱きました。もし■■犯になってでも相手を止めないと、怒りが収まりません。
・無理やり「泣き寝入り」させられるくらいなら、いっそ加害者の■■■を止めてから自分も命を絶ちます。
・加害者が生きている限り、このまま延々と誹謗中傷やプライバシー侵害が続くのでしょうか。
・私はちっとも悪くない。だから謝らない。
・誰か■■■の息の根を止めてください。さもないと毎日が不安で仕方ありません。
・やっぱり自分で仕留めるしかないのでしょうか。■■■号室のセキュリティを自分で開けるとは思えないので、レンタカーでも借りて待ち伏せするしかないような気がします。
・それとも、重武装して管理人室ごと強襲すれば押し入れますかね?
・あることないこと書き立てられるのには、もう疲れました。
本当は主犯格の「■■■」こと■■■を滅多刺しにして、■してやりたいくらいです。
・まあ、■■■の個人情報を売るよりも、■■■と■■■の始末ですね。
・もうすぐ■■■の息の根が止まりますよ。いまから楽しみですね。毎日ワクワクです。
なお、5chのスレに「堀口さんの秘書」として多数の脅迫(相手の家族に対してのものも含む)、■■予告、個人情報晒しを行っている模様。
本家が40巻かけても描ききれなかった「憧れと現実、師弟愛と守破離、変わる決意と変わらぬ決意」の要素を半分以下の15巻で綺麗に描ききってしまった。
本家が下地を整えてくれた上にジャンプ+という打ち切りプレッシャーの少ない場所でのびのびとやれたおかげもあるのでしょうが、それにしたって物凄いことです。
日本中を飛び回るスーパーヒーローとしての決め台詞「私が来た」に対しての、地域密着型ヒーローとしての決め台詞「俺がいる」。この2つのヒーロー像が一人の少年の中で渦巻くことにより、世界を救う戦いと最愛を守る戦いに同時に挑ませることになっているのも面白いですね。
憧れの人に近づきたいというキラキラした雲を掴むような願いではなく、すぐ側にいる誰かを助けたいという気持ちの小さな積み重ねが光り輝く未来へつながるというストーリーも実に少年漫画として気持ちが良かった。
なにより私が評価しているのは、「俺がいる」がただの狂人の言葉で終わらないことです。
最初こそ迷惑なオッサンの決め台詞だった「俺がいる」は、次第に頼もしいヒーローの言葉となり、素朴なる祈りともなり、そして何よりも熱い誓いともなっていく、この過程の中で航一と読者の中でヒーローのあり方に対するステレオタイプな憧れが姿を変え、「何を守りたくて力を振るうのか」というかより本質的な問へと変わっていく構成が本当に巧みだ。
ヒーローとはなにか、どういったヒーローになりたいのか、なぜヒーローになりたいのか、なぜヒーローが必要なのか、ヒーロー社会の根源に流れる問が一人の少年の背中越しに一つの道として描かれる。
「個性社会におけるヒーローのあり方とはなにか」という難問に、ヴィジランテ(非合法ヒーロー)というタイトルを冠するにふさわしいだけの完璧な解答をしてみせたとても素晴らしい作品でした。
物凄い売れている。
そもそもヒロアカが売れていたからヴィジランテが生まれたわけですから。
ですが、一つの漫画として、少なくとも「ヒーローとはなにかへの回答」としては、ヴィジランテの方が一枚上手だったと私は思います。
だが、そうであっても後進が羽ばたく機会を摘み取らぬためにそっと身を引く態度を取ってほしい。
これが誰かと競うスポーツなら、その時代の頂点が手を抜くべきではない。
羽生善治や渡辺明が手を抜いて藤井聡太を勝たせてやっても意味がない。
そういったものでありながら、あえて賞を競うということは、名を知らしめる好機を作り出そうという業界の意識あってのものだろう。
だが、まだ無名な新人が描いた傑作がその名を広めるには実に長い時間がかかる。
突拍子もないような作品、たとえばドカ食い望月のようなセンセーショナル性に特化した作品であれば一晩で名が広まることもある。
そうでない作品、少しずつ積み上げていく作品は、こういった賞を通してでなければ得られるべき称賛を失ってしまうリスクさえ抱えている。