はてなキーワード: 謳歌とは
家庭に問題があった。
父に問題があった。
母は私に言った。
「他人を変えることはできないのだから、自分が変わりなさい」と。
私は自分を殺した。
父の顔色を窺った。
祖父母に都合の良い振舞いをした。
進学をした。就職をした。
私は自分を殺し続けた。
それ以外の処世術を知らなかった。
という意味ではなかった。
という意味だった。
そのことに気付くまでに、三十数年が経った。
父も祖父母も死んだ。
母はこれからの限られた時間の中、自由な生活を謳歌するのだろう。
私の時は戻らない。
歪んで育った私の心も戻らない。
辺りを見渡せば、多くのものを手にしている友人たち。
彼らにも苦労があったのだろう。努力をしてきたのだろう。
それは解るけれど、何も無い私の手には、あまりにも眩しい。
何も無い私は、これからどうして生きていけばいいのだろう。
何を糧に過ごしていけばいいのだろう。
若い頃の豊かな感性を、不要な情報を詰め込む灰色のマシーンになってドブに捨てるより、感情をフルに使えて心から楽しいと思える遊びを全力でして、恋愛もして、青春を謳歌した方が、ずっといいさ。
いや、確かに、テスト勉強は、理解度検査の意義をブチ壊すチートだけどさ、受験勉強は日本だけじゃなく韓国でもされてるし、本来あるべき姿じゃないにしても、回避できないし仕方ないんじゃない??
受験勉強は時間のゴミ箱だよ。一切覚えてない、って誰に聞いてもそう返ってくるから。
大学受験のために必死で詰め込んだ内容は、今では全く覚えてません。
受験勉強って、入社試験が大学のネームバリューに頼りきりになってる現状の歪みをついたハックでしかない。SEO(検索エンジン最適化)みたいなもんよ。
能力を測るんじゃなく代わりに肩書きを競わせるゲームのようなこと繰り返してたら、いつか破綻するぜ。今の壊れた Google 検索みたいにさ。
こういう話すると怒る人もいるとおもうけどね、だけど考えてもみてくれよ。
テスト前に一時的に詰め込んで回避するって……、それじゃテストの意味がない。不正じゃん。
若い頃の豊かな感性を、不要な情報を詰め込む灰色のマシーンになってドブに捨てるより、感情をフルに使えて心から楽しいと思える遊びを全力でして、恋愛もして、青春を謳歌した方が、ずっといいさ。
本当に何でもない日常の一瞬に、ふと聞いてみた。
その日、私が馴染みの美容院で「もう何年も同じオーダーしかしてないけど、あなたにすべてお任せするならどんな髪型がいいかな?」という話題を美容師さんに持ちかけて、「でも、そこまで変えるなら結婚式の写真とか撮った後がいいんじゃないか?」という流れになった。確かに、そういう記念的な写真を撮るなら私も一日でも若い方がいい。そう思ったら、何か「どうせいつか結婚するなら早いほうがいいかも!」となったのだ。
あと、以前、芸能人が事実婚をしているという報道をふたりで目にしたとき、彼が「オレたちはタイミング見てそのうちちゃんと入籍しようね」と言っていたので「そのうちっていつだろう」とその頃から何となく思っていたのもある。
交際期間は約3年。一緒に暮らし始めて約2年。独身を謳歌している人が比較的多いはずの私のコミュニティも、結婚して子どもがいる人がずいぶん増えた。学生時代からの親友は二人目の子どもを妊娠中だ。彼女だって、決して結婚が早かったわけじゃない。もう、結婚なんて相手さえいれば当たり前に選べる年齢なのだ。
ツヤツヤの髪になって帰宅して、遅くなったのでキッチンで晩ご飯をチンしながら唐突に「私たちって結婚するの?」聞いたら、彼は非常にプンスカしていた。「オレがずっと聞かれても交わしていたのにそんなにドストレートに聞いてくるなんて!!」「カップルと結婚の間に100mぐらい距離があったら、今のセリフで80mぐらい一気に踏み込んできたんだからな!!」めっちゃプンプンするやん。
「オレたちはそのうち入籍しようね」というセリフがまさかの交わしだとは思わなかったので、私もビックリだ。
なんか、彼の態度から察するに、多分だけどこの人プロポーズとか考えてたっぽい!!!!!「だ、だいなしにしちゃった!?」って聞いたら「そうだね!!!」とプンプンしていた。怒ってたっていうか、動揺しすぎて声が大きかったって感じかな。結婚の話を持ち出して、まさかこんな風になると思っていなかったので彼の前でシクシクと泣いた。
しかし、そんな散々な状況だったのに、その日から彼の態度が妙なのだ。
ものすごく、ハグの数とチューの数が増えた。ニコニコしながら近づいて、「ダイスキ!」という回数も増えた。
普段からハグもチューもダイスキの回数も多い方だと思うけど、満開になった感じ。彼の中にあった「この人オレと結婚するつもりあるのかな?」という疑問が完全に晴れて「この人オレと結婚するつもりなんだ!」に変わったのかもしれない。ニッコニコや。
そこからはちょいちょい「もう、市役所行っちゃう!?」「もう、(私の)実家行っちゃおう!?」「名字どっちがいい?そっちにする?どっちでもいいけど?」とか言ってる。完璧にソワソワしている。かわいい。ちょいちょいあまり名字のこだわりなさげな会話はあったけど、本当に名字私のになる選択肢あるんだ。ありがたき。
一度も顔を見せずに親族になるのもあれかなと思うので、次の長期休みで私の実家に来てもらうように話を進めている。
私は実家の家系の末代なのだけど、ご先祖様に「え、ワンチャン末代じゃないかも」と知れ渡ったら、彼らの魂が本気出して子宝を授けてくれるかもしれないね。
正直、結婚はしてもしなくてもどっち派だったんだけど、入籍するということが、この人とより長く仲良く過ごせる選択になればいいなあ。
クリスチャン・ホーナーのセクハラ騒動から端を発したレッドブルチームのゴタゴタが沈静化しない。
当初はあり得るわけがないと受け止められていたフェルスタッペンのメルセデスへの移籍も絶対にありえないわけではないと真実味を帯びつつある。
とはいえ、果たして現在最強のマシンをフェルスタッペンが本当に捨てることなんてありえるのか?
筆者はありえると考える。
といっても、
レースで勝つためにはレッドブル以外のチームへと移籍しなくてはならない。
そのためには現在長期契約を結んでしまっているレッドブルと何らかの方法で契約を解除しなければならない。
そのための方便としてレッドブルチームのお家騒動を利用しようとしているのではないか?
御存知のとおりF1は2026年から大幅にレギュレーションが変わる。
そのときに果たしてレッドブルは勝つためのPUを用意できるのか?
そのことをフェルスタッペンは疑問視しているのではないだろうか?
2026年には現在レッドブルにPUを供給しているホンダとは袂を分かち、
レッドブルは自社製のエンジンとフォードが開発した電動モーター部分で戦うことになる。
そのことを不安視しているのではないだろうか。
以前は、その非常に優れたドライビングテクニックをもってしても
優勝どころかトップ争いに絡むこと無く終わるレースのほうが多かった。
その主な要因は競争力のないルノーのパワーユニットに起因するものだった。
シャーシー自体は優れていた。
それは史上、最も優秀なF1カーデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイの設計によるものだからだ。
それでもPUが駄目ならば勝てないのだ。
2026年からのPUは当初それほど難しいものではないと目されていた。
現在のターボエンジンから排出した熱エネルギーを電気へと変換しそれでモーターを回すなどという目もくらむような複雑さを捨てて
単純にエンジンとモータを組み合わせるだけのシンプルなものになるはずだった。
しかし、フタを開けてみるとそれほど簡単なものではないことが理解されるようになった。
ICEの信頼性が非常に重要なシステムであることが判明したのだ。
エンジンをできるだけ全開にして発電をしたい。
コーナーの立ち上がり部分やストレート部分以外でもICEを全開にして発電をしなければ、
サーキットの途中でバッテリーのエネルギーが枯渇して失速してしまう。
これまで数十年もの歳月をエンジンと向き合ってきた企業が作り出す
ICEと互角に戦うことが出来るのだろうか?
そのように考えたときに他のチームへと移籍する可能性を考慮しないわけにはいかないのではないか。
とくにフェルスタッペンのようにルノーパワーユニットに幾度となく苦虫を噛み潰すほかなかった経験を持つドライバーなら。
もちろん、フェルスタッペンが来年他チームに移籍したなら来年度のチャンピオンシップは捨てることになる可能性が高い
俺は、爺さんと親父と2人の車いすを押してきた人間として、映画館の対応で炎上している今の騒動を複雑な気持ちで見ている。
単純な話として、もし自分の働いているところにああいう車いすユーザーが来たら、表面的な対応は別としても内心では腹が立つ。これはもうしょうがない。
クソみたいなクレーマーは多いし、ちょっとこっちが仏心を出すとそこにつけこむクソ客も多い。
とりあえず言ってみて通ればめっけもん、一度通ればそっからはソコを最低ラインとしてさらに言う、対応できなきゃ文句を言う。対応する側としてはクソ客以外の何物でもない。
ただ、そういう対応する側からすると速やかにおかえり願えないかなと思うようなゴリゴリ押してくる車いすユーザーが先陣を切ってくれなければ、変わらなかっただろうな、とも思う自分が居る。
爺さんの時は、俺も車いすを押したが、主に調べたのは親父やおふくろだった。
何を調べたか?外出する際のすべてだ。
移動手段から、途中の休憩所、行く店や行きたがりそうな店、レストランや喫茶店、経路上にある公園のトイレに至るまで全部だ。
そんなん普通にしてれば良いじゃんって思うかもしれないけどそうじゃない。
車いすを押す側としては、車いすユーザーって言うのは、おおむね3つのパターンがある。
爺さんは、2番目の支えられながらなら乗り換えできる、だった。いわゆる介助が入ればベットから車いすへ、車いすから椅子へ行けるってやつだ。
それでも、爺さんのころは相当面倒だった。
今回の件で多少は周知されたようで何よりだが、車いすにとって段差は割と致命的だ。
出張で使うようなキャリーケース、無理したら行けるような段差があると思う。アレが致命的なレベル。
想像してほしいのは、女性だと両手で押して限界って感じの巨大なスーツケースだ。アレに近い。段差即詰んだって感じ。
それでも、先人のおかげで都内ならかなり自由がきいた。事前に連絡しておけばバスもJRも問題ないし、問題がある場合(エレベーターが無いとか乗り換えが面倒とか)でも教えてもらえた。
店もまあまああったし、爺さんが好きな美術品なんかも、まあ結構柔軟に対応してもらえるところは多かった。やはり大手に限られるけど、飛行機もなんとかなった。
とはいえ、気苦労は多かった。昔の人に比べたら事前準備さえすればできることは格段に多いとはいえ、家族としてはやはり一大イベントにならざるを得なかった。
これが、まあ平成後期や令和になってからの親父の時は、相当に楽になった。
例えば行きたい美術館が車いすOKって書いてあったら、特に調べず一発行ってみっかで行って詰むことはほぼ無くなった。
流石にバスやタクシーの時は事前に確認の連絡を入れたが、親父の時は車のトランクに入る折り畳みの車いすを使っていたこともあり、何だったら普通のタクシーでも捕まえれば乗れたりした。
JRなんか事前連絡なしで行っても対応してくれることが多かったように思う。爺さんの時には考えられないスムーズさで対応してもらえた。
チェーン店のレストランなんかだと、よっぽどのことが無い限り車いすでも特に問題無く食事できるようになった。ホテルのレストランだと親父の時に断られた記憶は一度もない。
店からすりゃ面倒が増えたんだろうけど、こっちが事前連絡なしでいきなりいっても対応してくれる場所や店は相当多かった。
親父は最終的には3番の、車いすからはプロに頼まないと(家族であっても)乗り換えできないようになった。
なんかゲーミングチェアーに自転車の小径車タイヤが付いた装甲車みたいなゴツイ車いすに、酸素ボンベと薬を積んで、きつかったらボタン押して薬が自動で入る、みたいな状態でも出かけた。
これは、相当に制限がかかる。移動はほぼ専門の介護タクシーを呼んでなんか自動エレベーターで後ろに積み込まれるみたいな状態でないと難しかった。
それでも、だ。
そんな折り畳み車いすの何倍もでかい状態であっても、結構な場所には行けたし、なんだったらレストランで食事もできた。
まあ流石に予約するときに車いすで結構デカめなんすけど、みたいな話はするが、サイズを伝えて問題になることはほぼなかった。
驚くなかれ、博物館や美術館だと、事前に確認さえとっときゃ普通に行けることもあった(さすがに特別展とかにはいかなかったが、常設展だと普通に行けることが多い。ただ流石にこれは個別調べてくれ)
で、こっからが本題だが。
くだんの映画館の件は、まああり得ないだろう。善意にフル乗っかりした上で、責任取れないんでムリっすって言われて逆ギレしてるようにしか見えない。
ただ、だ。
ああいう、もークソ客きたよめんどくせぇなーと俺が思うようなユーザーがいないと、商業施設なんか一ミリたりともお金出して改善する気が無いのも確かだ。
いま、都内の大手の映画館で、車いす席がないシアターは無いと思う。これは俺からすれば画期的だ。正直な話親父とも何度か映画は観に行った。普通に行けたし苦労もなかった。
(まあ、さすがに初回は調べて問い合わせは入れるし、パンフを買う時に親父にはちょっと待っててもらって俺が並んで買ってくる、みたいなのはあったけど)
そしてたぶんだけど、ああいう(もし俺が対応するとしたら内心思う)しちめんどくさい客がいないと、車いすの客が使えるようなプレミアムシートとかアップグレードシートっては、未来永劫設置されない。
ギリギリまで車いすで移動して、あとは家族が介助してなんとか歩けて椅子に座れるって状態なら、飛行機のビジネスにだって乗れるこのご時世に、映画館のプレミアムシートはやたら階段を昇った先にしかない、とかは普通にある。
(ちなみに、探すと車いすでギリギリまで移動して家族が介助すると座れるプレミアムなシートがある映画館も存在はする。主にゆったりできるって理由で階段で移動しなくて良い場所にたまたま設置されているからだが)
この辺は、車いすユーザーを通常より優遇すると悪さする奴も出てくるんで、多少難しいところはあると思う。
海外なんかだと、車いすユーザー+介助者1名だけは別ルートで入れてくれるけど、それ以外の家族は別に並べ、みたいなところは結構あった。まあこの経験は爺さんの時なんで今は違うかもしれんが。
そういう意味で、爺さんは海外では車いす特権じゃないがプレミアムな体験を親父としてたりした(なんなら家族の俺もその恩恵にあずかることもあった)が、国内では優遇されてやっと普通と同じ、という感じではある。
複雑な気持ちなんでまとめようもないんだが、まあそういうことだ。
労働者としての俺は、ああいう客が来たらほんっと勘弁してほしいと思うし、心底はよ帰ってくれんかなーと思う。
また、将来的に車いすユーザーになる可能性が高いだろう俺は、車いすに余計なヘイトをかってくれるなよ、とも思う。
ただ、わがまま放題で主張しまくりで、いわゆる健常者が出来てるプレミアムな体験を俺にも寄越せ!と叫ぶ先駆者がいてくれないと、変わんねえだろうな、とも思ってる。
まあそういう意味ではね、プレミアムな車いす置き場と介助者シートを作って、倍の値段で予約してくれれば良い体験で映画見れまっせってのは、都内ならたぶん予約途切れないと思うんスよ、どうスか?
くらいが関の山ではあるんだよね。実際、マジでめんどい客がいてくんないと世の中変わんないからなー
俺が今回の件で、自分の目の前に来たら正直クソ客帰れよと思ってしまうのと同じ心が、あんまり叩いてくれるなと強く思うのは、これって尊厳死が消極的安楽死から一歩踏み出す時にすごく怖いからなんだよな。
いるじゃん。医療の補助なしで命が繋がらないならそりゃもう寿命なんだって言うヤツ。アレ嫌いなんだよね。爺さんも親父も医療の補助無しならもっと早くに何もできずに死んでた。
間違いなく爺さんも親父も、五体満足で生きてる人に比べれば、社会のリソースに余分な負荷をかけていってみりゃ娯楽だの余生の楽しみだの、別に本人が望みさえしなきゃかけなくて良い負担を社会に強いてたわけだよ。
でもよ、いやじゃん車いすになったとたんに、趣味だった美術館巡りがさ、常設展のこの区画ならお楽しみいただけますが、車いすの方はこちらの別館はちょっと……みたいな状態はさ。
そういう時にさ、なんだよ健常者様ならプレミアムなシートで映画見られんのに我々車いすのユーザーは端っこで見ろってのか!って激昂する人が一定数いてくれるとさ、声上げてくれる人がいるとさ、助かるわけよ。
繰り返しになるけど、俺ですら目の前に来られたら嫌だよそんな客。でもさ、そういう人がいてくれるからこその、今、とも思うんだよね。複雑な気持ちよ。
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X(旧Twitter)上で、車いすユーザーの問題じゃない、いや障害者問題ですらない、彼女自身の問題だ、みたいなポストを見ちゃって流石にちょっとそれはと思ったんで記録がてら追記しに来た。
まず想像してほしいんだけど、彼女が五体満足で「プレミアムなシートで映画見まーす。イエーイ」みたいな投稿するクソ陽キャだった場合なんだけど、炎上はしないと思うんだよね。
毎回プレミアムで映画鑑賞かよクソが、と、俺は思うかもしれないけど、それぐらいなんだよね。
だからこれはまごうことなき車いすユーザーの問題なわけよ。車いすのクソビッチはプレミアムなシートで映画を見ることが出来ないという問題。車いす専用スペースはあるけどプレミアムじゃない。
ほんで、あんま主張するのが得意じゃない車いすユーザーだった俺の親父とかは、映画がスムーズに見られるだけで感動して、席次(?)に文句を言うようなことは無かったわけよ。実際ありがたかったし。
でもさあ、もしプレミアムなシートでも映画観られますよっていわれたら、そっち選んでたと思うわけよ。やっぱいい席で見て欲しいじゃん。
まあわかるのよ、まったく同じにはならんだろうってことは。俺だって普段は労働者側じゃん。身内にいて苦労した経験があったとしても俺が対応するとしたらゲェって思うわけよ。
でもこれもさ、過去「映画観るのは遊興なんだから、車いすユーザーはそこまで求めるの贅沢じゃね?」みたいなのを乗り越えてきてくれた人がいたからこそ、スムーズに親父は映画を観られたわけよ。
だってさ、不要不急かつ生存に必要なわけじゃないじゃん。代替手段として例えばいまならストリーミングサービスとかもあるわけだし。
でも、車いすユーザーが映画館で映画が見られる。どっかで引かれてたラインが、良い方に移動したわけよ。
で、こっからが重要なんだけどさ、わかるよ、正しいルートで正しい手順を踏んで、ちゃんと段階を踏んで法律とか条令とか、企業の努力に訴えかけたりメリットを訴えるって方法があるのは。
でもさ、ほんとは高校デビューしてアタシもビッチとして青春を謳歌してみたかったなみたいな、世間一般で言うところの常識的な車いすユーザーとかさ、その後ろにけっこうな数いるわけよ。いやすんごい良くなってるのよ世の中。
でも、車いすだっていうだけで、できないことがあるのは事実なのよ。正規の手順で正規のルートで訴えていくことが出来る中学生がいたとして、彼ら彼女らの青春が終わる前にプレミアムなシートで映画を体験できるようになりますか?という。
だから、俺個人としては止めて欲しい、もし自分が同じ立場だったら申し訳ないんですが車いす専用スペースで見てくださいプレミアムなシートは席のご用意が無いんですスミマセンスミマセン上に要望は上げるんで、という感じになると思うのよ。
それをぶっ飛ばして、いやプレミアムシートの下の段に自力でスロープで上がるんで、介助者連れてくるんでええやん、みたいな人が居てくれるとさ、いやーそれはどうなんだろちょっと上のものと相談しますね、みたいになると思うのよ。
それがさ、もしかすると、今回の件で、介助者がいて避難誘導時に介助者が誘導補助をするなら、通路に面したシートに普通に座っても良いですよ、となる可能性だってあるわけじゃん。
その結果、車いすユーザーを含む高校生活を楽しむグループが、横一列で映画館で映画を観ることが出来るかもしれない。そういうのがあると良いな、と思うわけよ。
あと見かけたのでは、リソースが有限だからっていう理屈。俺は嫌いだ。
健常者が普通に出来ることが、障碍者なんだから制限受けてん当然、みたいなの、俺は嫌なのよ。
災害時にリソースが足りないのはわかる。避難所では人工透析が出来ないです、インスリン注射も補給できないです、車いすユーザーは車いすを館内に入れないでください。ある程度制限がかかるのはしょうがない。
でもよう、労働者としての俺がさ、いやだってキミ英語も中国語も喋れないじゃん、リソース有限なのよわかる?英語も喋れないようじゃ家は買えないよ常識的に考えてとか不動産屋から急に言われるのとか嫌だよ。
外部環境に左右されるリソースって単語で、日常生活に制限かけられるのは、やっぱ嫌だよ。
車いすユーザーはあんまありがとうとか言わないよな、ありがとうっていうだけでそんな大変?ってのはなー
生まれ育ちや頻度にもよるから何とも言えないんだけど、五体満足である俺ら側が許容してあげる度量は持ちたい。
俺は一回爺さんに言われてやってみたことがあるんだけど、右足と左足を動かすたびに、心の中でいいから右足と左足にありがとう、助かったよみたいに声をかけてあげるの一週間やってみてくれよ。
あ、いま右足で体重支えてくれてありがとう。階段上ってくれてありがとう。止まれて助かったよ。ドア閉めてくれてありがとう、踏ん張ってくれて助かった、立ち上がってくれてありがとう、靴下はくとき位置移動してくれてありがとう、寝返り打てたよありがとう。
俺は3日でギブアップ。確かにこの頻度や感覚でありがとうを言わないといけないんだぜって言われると、それはしんどい。だからしてもらって当然と無感覚になっちゃう人がいてもしょうがないと思う。
あ、見てて気の毒なくらいありがとう、ごめんなさいねっていう人もいるよ。それはいるって。
あと、俺の書き方に配慮が無かったって話(大意)。それは申し訳ないことをしたと思う。
例えば、そもそも配給会社に言うしかないタイプの障害を持ってる人がいるのも知ってはいたけど書かなかった。
その結果、心無い言葉に触れてしまった人がいたのはほんと申し訳なかった。
視覚に障害がある人が映画を観るときに使う音声ガイドがある映画とか、
聴覚に障害がある人が映画を観るときに使う字幕メガネ貸し出しの映画館とか、
そういうのがある。
映画は何も晴眼者で健聴者であるものだけが楽しむ娯楽じゃない。でもそこが十分にフォローされてるかっていうと、たぶんされてない。
そういう意味で、車いすユーザーはある程度わがままを言っても身の危険を感じることが少ないっていうのは、確かにそうかもしれない。
最後になんだけど、俺はそういうクソ客はクソがと思うし、めんどいと思うし、俺の目の前に来たらやっぱ嫌だと思う。
あと、法律はそうなってないとか、車いすの作りがそうなってないとか、そういう対応にコストがかかるとかも、わかる。
ハイ今はそういう意味じゃないしそうなってないでーす、バーカバーカじゃなくてさ、
じゃあそれは良い方に変わったら良いね、という風に思ってはくれないだろうか。
車いすユーザーもプレミアムシートで楽しめると良いね、ただクソビッチはむかつく、という風に分けて考えてくれないだろうか。
でもたぶん分けて考えるの難しいよなあとも思って、複雑な気持ちは今も変わらない。
田舎に引っ越して籠城するという話をしたが、 どんなに生活レベルを落としたとしても兵糧はせいぜい3年か4年ほどしかなく、 それが尽きた時には自殺するしかない。
このブログで一番見られているのは 自殺法に関する記事なのだが、 おれが考えるに、最強の自殺法は拳銃自殺だ。 拳銃自殺はもっともカジュアルで、もっとも安全で、もっともクリーンな自殺だと思う。
日本で合法な自殺方法としてもっとも有力なのは首吊りだが、 首吊りにも失敗リスクがあり、失敗した時には確実に障害者となる。 そのため、ある哲学者は自殺する際に、わざわざ頸動脈を切ってから首を吊っている。 確実に死ぬためだ。 途中で折れない良い枝を見つけるのも簡単ではない。 だって、実験が出来ないんだから。
おれは、痛いことはしたくないし、リスクも負いたくない。 もう投了しますと言ってるのに、どうして痛めつけられなければいけないんだ? 社会に散々痛めつけられたから自殺すると言ってるんだ。 楽に逝かせてほしい。
目を瞑って、自分の人生で最高だった時のことを思い出しながら、 ゆっくりトリガーを引いて、自分の特A脳を撃ち抜きたい。 おそらく痛みもなく、一瞬で意識がなくなるだろう。
で書いたが、積極的安楽死は合法にすべきであり、 そうすることで人間は、失敗を恐れずにチャレンジ出来るようになると思う。 「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」などという言葉が生まれてしまうということは、 やらないで後悔している人が多いことの証左であり、 日本人は特にそうであろうと思われる。 戦いの中で散っていった武士の人気があるのも、 自分が出来ないことをやっていることへの憧れだろう。
チャレンジして失敗しても日本には生活保護があるという人がいるが、 それは受給出来るか不確実だし、人によっては生きるより辛いということにもなる。
勝負して、死んだら諦めてさくっと死ねばいい。 もしそう割り切れるならば、みなさんは何がしたいだろうか。
このように、死ぬことが簡単でないことがチャレンジを阻害し、 おれはそれが日本経済の低迷に繋がっていると考えている。
理工学系の優秀層が起業しないことが新しい産業を生み出すことに失敗している要因であることは間違いない。 もちろん、日本の風土として、失敗に対して寛容でないというのはあり、 それが影響していることも間違いないが、 最悪ケースでも拳銃を引いて死ねるのであれば、 もっとチャレンジする人間が現れるのではないかと思う。
実際、銃の所持が許可されているアメリカでの銃の用途はダントツで「自殺」なのだ。 自殺が容易に出来ることも、アメリカ人が人生に対して楽観的で、 チャレンジ精神が旺盛な理由の一つに間違いない。 ⇛ アメリカでの銃の用途、1位はダントツで「自殺」
最悪こいつを殴ればいいと思ったらクソ上司に腹が立たなくなったというのと同様に、 アメリカ人は自分の人生の終わりをいつでも決められるから人生を謳歌出来るのだ。
もちろんおれの籠城計画は全く無計画なものではなく、 かなりの確信と、大量のプランBも持った上で行う予定だ。 しかし、完全に運に見放された本当の最悪ケースになり、自殺するしかないとなったらどうしようか。
今現在、地球上におれのような健康な人間を安楽死してくれる国はない。 だから拳銃自殺するとすれば、海外に行って違法に銃を入手した上で自殺するか、 あるいは自作するかだろう。 おれの能力があれば、銃の自作もおそらく出来る。 今は3Dプリンタなどもあるから、頭を撃ち抜くための銃であれば きっとそこまで苦労せず作れるはずだ。
遺伝子レベルで劣っている自分がこの世に生まれてきたこと自体、大きな間違いです。
私の祖母や伯父も生活保護受給者であり、一族には複数の精神障害者と自殺者がいます。
詳細は割愛いたしますが、私は遺伝子レベルの先天的欠陥を複数抱えております。
私のような多重障害者が生まれる確率を試算してみると、一つの都道府県に一人いるかいないかの頻度のようです。
人並みに恋に憧れたこともありますが、私のような欠陥人間は人を幸せにする能力がなく、愛する異性に全く相応しくないため、これまで全ての恋を断念してきました。今後もそうです。
遠くない将来、孤独に死んでいく予定です。
このような暮らしは私としても荷が重いので、家電製品の電源をオフにするように人生を静かに強制終了させたいと昔から考えています。
しかし、その方法が見つからないので困っています。バルビツール酸系睡眠薬を使った自殺には既に失敗済みです。
自治体で致死量のペントバルビタールを用意していただければ、積極的安楽死することに何ら吝かではありません。
オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、コロンビア、スペインなどのように日本でも積極的安楽死が合法化されることを切望してやみません。
そのためにはどこに陳情すればいいのでしょうか? よろしければご教示いただけると幸いです。
それにしても、中学受験で第一志望校に合格した数十年前は、自分の人生がここまで暗いものになるとは全く予想していませんでした。
入学した中学でのいじめが原因で私の人生はすっかり狂ってしまいました。
大手企業の企画系に居るような中途半端な中流エリートの話を聞くと
起業ごっこしたり投資ごっこしたりして小遣い稼ぎしてたって話をめちゃくちゃよく聞く
しかも決まって「肉体労働なんてしたことないよー」という武勇伝を語りたがる
こういう奴らは親が強いわけでもないし貧乏でもなくてやっぱり中流
上流階級の金持ちはそもそもお金に困ってなくて留学したり海外修行という名の長期旅行したりしてるが
そういう人は意外と親の仕事を手伝うっていう名目で時給で働いたり
なぜか普通のアルバイトをしたり引っ越しアルバイトしたりしてる(興味本位らしい)
一方で国立大からの成り上がり系エリートは学生時代にアホみたいにいろんなバイトしてて
危うく反社系のバイトをさせられるとこだった、みたいな武勇伝もよく聞く
いろんな経験してる人が仕事では重宝されるし実際にも優秀で出世していくので
中流エリートはうざがられて成り上がり系エリートが成功していく
大企業に残らなくても転職したり新規事業したりして成功しているし人生を謳歌している人が多い
肉体労働せずにごっこ遊びしてた奴らは中流エリートで留まってそれより上に行った人はいないし
うちの高校は私立の偏差値60~位でどちらかといえばこの高校に来たくて来た人よりかはちょっといいとこの高校に落ちて来た奴が多い所だった
その中でも自分達のクラスはちょっと特殊で3年間クラス替えがない所だった
その中で1人恐らく境界知能だな、って感じの奴が居たんだけど本人も凄かったし周りも凄くて嫌で自分は高校辞めてしまった 適当に吐き出す
言い方悪いかもしれんけどそいつ(以下A)は顔付き見たらそっち系の人だなって察しはつくような感じだったし自分は最初にこいつを見た時あーやってしまった、と思ったのを覚えてる
暴力を振るだとかTheいじめみたいなやつは無くてちょっと頭良い子特有のいじり(いじめ)が酷かった
Aは女への執着が凄くて、1年の最初からインスタの女を片っ端からフォロー、勝手にストーリーで宣伝したりDM送って速攻会おうとしたり、自撮り送ってきたり附属の中学校の女子生徒に告白したりと最初からめちゃくちゃ暴れてた
そんな好き勝手やってたからたちまちそいつは有名人になって、同学年、先輩、そのうち後輩も全員知ってるような学校の有名人になってた。
休み時間は毎度ドア前に先輩達がニヤニヤしながら集まってくるし、いじる為にわざわざ釣り垢を作って適当な所に呼び出したり、そいつの問題行動を面白おかしく喧伝するインスタアカウントが出来たりしてた クラスの9割くらいはそんな感じだったので私はほぼほぼ友達は出来なかった
生徒側もまあヤバかったけどAもAでまあヤバくて釣り垢でイケメンだとか囃し立てたせいで行動はエスカレートしていくし、文化祭のクラスTシャツを作る時に自分の案が採用されなかったからとクラスラインで長文ブチ切れお気持ち表明、授業中に何故かブチ切れて先生に暴言を吐き出して教室から締め出すだとか、情報の時間で何故か1人で勝手にサ終してるエクスプローラーを使って先生に苦言を呈されたところでブチ切れて授業を飛び出して戻ってこなくなったりと酷かった 周りの生徒は全員ニヤニヤしてるしなんかもう全部気持ち悪かった
で自分は2年の時に高校辞めた 元々クラスが嫌すぎてそんなに授業出てなかったし成績だけはそこそこ良かったしさっさとあそこから逃げたかった 絶賛今ニートを謳歌してる(勉強はしてるよ)
ここまでで自分は何にも悪いこと加担してません、みたいに書いてるけど実はそんなことなくて1回だけ興味が湧いて釣り垢作ってAのことフォローしたんだ
けどなんか罪悪感と他生徒達と同じことしてるっていう嫌悪感と、何よりこいつがもし性犯罪とか犯したら助長させた私達にも責任があるんだって思うと怖くなって会話を3ラリーくらいして投げ出してアカウント消してしまった
Aのインスタはいつも食ってる飯とかも投稿してたんだけど毎食全部フードコートのうどんとかで多分親もそっち系なんだろうなって察して益々罪悪感で吐き気がした
Aの勉強態度は極めて勤勉ではあったけどトンチンカンな質問をして先生を困らせたり、classroomで長文質問攻め、ノートはびっしり取るけど典型的な勉強が出来ない奴のノートって感じだったし実際チラッと見た定期テストの結果は全部平均より十数点低いような点数ばっかだった
本人はめちゃくちゃ努力してこの高校に来て勉強してるんだろうと思うとなんとも言われぬ気持ちになった
けど私はずっと周りの行動を嫌だとは思いつつも結局Aを矯正させようと行動はしなかったし結局責任逃れをしてしまった Twitterでサワムロゲンキが話題になってたけどあれのユズちゃんのようになってしまうのが怖かった
あの時私はどういう行動を取るのが正解だったんだろう