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はてなキーワード: 守護とは

2017-07-11

オタクフェミニストは誰と戦っているのか。

 このところ永劫回帰のようにエロ表現における争いが繰り返され、オタクフェミニストラグナロク永遠につづくかのようにおもえる。


 これだけやりあっていれば普通はたしょうなりとも相互理解というものが生まれものであるけれども、それはリアルな論戦の話なのであって、不特定多数不特定多数に対してやたらめっぽうに機関銃を撃ちまくるインターネット塹壕戦ではただ人が死ぬだけであり、平和条約は結ばれず、ただ人が死ぬだけであり、憎しみは連鎖し、ただ人が死ぬだけである


 わたしたちは第一次世界大戦を生きている。

 毎日がソンムの戦いだ。



 オタクフェミニストそもそも互いに互いを認識しているのだろうか?

 フェミニストが「えっちなのは子どもによくない」と言い、オタク宮崎勤池田小のやつとエドゲインを足してニで割ったような怪物として罵る。

 オタクは「表現規制をするな」と言い、フェミニスト権力によって表現の自由を、人間尊厳を奪うヒトラーの再来として恐懼する。


 彼らにはそれぞれ「何」が見えているのだろうか。

 彼らがそれぞれ想像する「敵」とは誰なのだろうか。


 オタクにはトラウマがある。

 悪書追放運動である

 1950年代PTAが中心となって展開されたマンガに対するバッシング運動だ。

 暴力的表現子どもの情操に悪そうな表現はこどもに見せるべきでない、というスローガンのもとに当時芽吹きつつあった劇画手塚治虫などを中心として爛熟しつつあったマンガ文化に打撃を与えた。

 これによってオタクたちはDNAレベルで、「(残酷だったり過激だったりする)マンガを『わるいもの』として非難するのは保守派ファシストのおばさんたち」という了解が植え付けられたのだ。


 なぜ戦争を二十年で忘れることのできた民族が六十年前の、教科書にも載っていない出来事記憶しているのかといえば、それは語り部が優秀だったからだ。

 悪書追放やり玉にあがった漫画家たちはのちに大御所となって「漫画文化立役者」として官民両方から賞賛される身分を獲得しても、悲惨迫害を忘れなかった。

 彼らはそのとき体験エッセイ漫画にしたり、ことあるごとにマンガネタに織り込んだ。

 そういうものを読んだ後進の世代は「今は平和マンガ享受できている国なのに、過去にはこんな悲惨なできごとがあったんだ!」とショックを受け、苦難の記憶継承し、そのうち漫画家となった人々は「マンガ表現を悪と呼ぶわからずやな大人」たちを戯画化して描き続けた。先人たちを見舞った悲劇を繰り返してはならない。そう彼らは叫び続けた。

 悪書追放運動記憶継承は、歴史上のあらゆるトラウマ継承運動のなかでも最も成功した部類に入る。それはオタクが長らく被差別民だった(と少なくとも自分たちでは認識していた)せいもあるだろう。

 そういうわけで、マンガ守護者たちの末裔たちは今でも各所に見ることができる。ちょっと前にもあったよね。ほら、『マンホール』描いた人の……なんだっけ、なんとか都市ってやつ。


 さて、戦争から七十年も経てば、各国家における仮想敵も大きく変わるものだ。アメリカWWIIでは影の薄かった中東を主戦場とするようになって久しいし、そのアメリカとかつて世界を二分したソ連は国ごと崩壊してしまった。

 だがオタクたちはずっと敵は「既存道徳にしばりつけられた保守的道徳的なガミガミおばさん」のままだと思い込んでいる。自分たちの敵はヒトラーである叫び続けている。



 フェミニストたちを一言でくくるのは難しい。

 「反表現規制」の旗のもとに団結しているオタクたちに比べて、そもそも男性男性社会のもの憎悪してやまないミサンドリストからオタクとの対話を求める層までほとんど分裂状態様相を呈していて、

 そうなったときクローズアップされがちなのはラディカルな発言だ。


 しかオタク側が言い募るように彼女たちは「こどもたちを歪ませる」表現を憎んでいるのではない。

 「こどもたちを傷つける」表現をこそ問題だと言っている。

 教育ではなく、トラウマの話だ。


 フェミニストたちにもトラウマがある。

 日本にかぎった話でもないかもしれないが、マスメディアサブカルチャーにおける性的エロという意味限定されない)表現や言説は男性中心的な傾向が強い。

 ふた昔前はテレビ女性おっぱいエロティック晒すなんてのはゴールデンタイムにすらみかけられたし、

 そこまで過激ものでなくとも、女性に対するセクハラめいた言動が「ジョーク」として受容される環境があった。

 それはジャンプなどの漫画メディアにあっても同様で、男性読者からは「問題ない」描写ジョークとしてスルーされる描写であっても、そこに女性に対する男性的な欲望、ひいては暴力を読み取る多感な少女は数多い。

 そういうものがある種の社会に対する不信となって根強く彼女たちの底に残る。


 男は言う。いや、あの程度の表現で傷つくのはあまりにか弱すぎるだろう。自意識が過剰すぎるのでは? たんなる一過性メンヘラでは?


 少女たちはテレビマンガを消費するには、あまりにもセンシティブすぎるのだろうか?


 一面にはそれもあるかもしれない。しかし、傷つきやすすぎることとの何が問題なのか?

 刃のついた表現現実存在し、それで傷つけられる肌が現実にある。

 問題とはむしろそこだ。

 何も知らない無垢な肌が刃に触れたときに血が出るのだとして、たしかに近づいてきたのは肌のほうかもしれないが、刃の危険性も知らないものにあらかじめ避けておけばと非難するほうもどうかしている、根本的に事故を防ぐためには刃のほうを鈍らせておけばいいのでは? 自動車会社などはそうやって事故を軽減しようとつとめているだろう?

 私たちは次の世代を「正しく」育てようとは思わない、ただ、不慮の事故から守りたいだけだ。


 傷つきたくないこと。傷つきたくないこと。

 こうしてアイデンティティポリティクス生まれる。

 彼女たちの目的は次の世代トラウマを残さないこと。

 そういう意味では、オタク表現規制運動歴史を語りつぐことと少し似ている。


 そして、オタク同様、「敵」を認識しそこねている。


 フェミニスト場合はあまりに内部で混乱しすぎていて、個別問題の何が問題であるのか、その問題をどう解決していくべきなのかで定義統一がはかれていないことだ。

 これは攻める側の弱さでもある。

 守る方は現状を維持しさえすればよく、つまりは「表現規制反対」に各員の意志を集約させればよい。

 だが、フェミニスト側は具体的に個別問題のどこをどういった理由でどう修正していけばよいのかまでを提示しなければならず、これに関する意見を調整出来ない場合もっとも極端な意見ーーすなわちオタクたちが最も恐れる「全面的表現規制」が対立を煽る人々によってショーアップされてしまう。



 そうなってしまえば、あとは殺し合うだけだ。



 彼らはお互いに敵を「保守派」として捉えている。

 オタクの眼に映るフェミニストは「道徳を重んじて表現を認めないファシストガミガミおばさん」

 フェミニストの眼に映るオタクは「男性社会の無思慮な暴力肯定しつづけるレイピストクソ野郎


 オタクはただ表現進歩性を守りたかっただけなのに。

 フェミニストはただ表現進歩を与えたかっただけなのに。


 ここでは、もはや誰が敵か味方かもわからない。

 もしかしたら、敵も味方もいないのかもしれない。

 自分以外のすべてを虐殺しつづける戦場

 それがインターネットであり、インターネット表現規制論争だ。

2017-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20170609220350

国を守護するためには神道じゃダメだ!って天皇自身が認めちゃった結果天皇仏教徒仏教国教になって日本中寺まみれに坊主まみれになったわけだからね。「我ら天皇家天照大神の子孫であり神の一族である」ってぶち上げたならそれに殉じて欲しいところだけどね。

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線として言っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学歴史学勉強したわけではありません。高校時代文転して受験するかと生半可に考えていて(結局やめたけどね)、興味本位教科書を読んでみただけの素人です。

さいしょの方でも書いたとおり最新版教科書を持ってません。はてブでバズっていてびっくりしましたが、このエントリ専門家レベルのものとして受けとるのは、恥ずかしいのでやめてください。

再追記。id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝。)

  

  

  

(追記2

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかったことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-05-19

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

2017-03-25

爆サイ増田太郎っていうのが晒されてたんだけど

電車の中で脱糞して「守護がでかいー」って叫んでたって。幽霊が見える人なのかな。

でも普段はアベシネっていう念仏唱えてるだけの大人しい人って聞いた。

2017-03-18

愛海「紗南ちゃんご機嫌だね?」

紗南「タルキール龍紀伝が150円だったから買ってきちゃったよー」

愛海「ブードラできる? ブードラしたい! あつみ! ブードラ! すき!」

紗南「お、おう、なんか幼児化してるね。ごめんね、ブードラできるだけは売ってなかったや」

愛海「ならパックウォーズだ!」

紗南「リミテッド好きなの?」

愛海「うん、一期一会感がなんともいえないよね」

紗南「よおし、じゃあ、お互いに基本地形を全種三枚づつ用意して……

ぱっくむきむき!」

愛海「むきむき!」

紗南「デュエル!」

愛海「デュエル!」

紗南「1D20、5!」

愛海「10。じゃあ7枚ひくよ」

紗南「あたしも7枚ひいて、うーむ土地が……」

愛海「むふふー、あたしも土地がだけど、けどこの一期一会感を楽しむのがパックウォーズだよ!

山おいて、エンド。おやまよ、あたしにちからを!」

紗南「じゃあターンもらって、アンタップアップキードロー、メイン入って、森でエンド」

愛海「うおおおお! おやまどろー!

島! えっんどだよー」

紗南「平地、うーん平和マジックだなあ、エンド」

愛海「だねー、ドロー、ありゃ土地が止まっちゃった、なら、山から赤だして

ラガンの嵐唱者をだっしたっいなー!」

紗南「そらまあ通るよ、速攻かあ殴ってもいいよ」

愛海「ふおおお、なんかえっちいね、なら速攻で殴って」

紗南「はいはい、19」

愛海「えっんどだよー」

紗南「ドローして、山置いて、フルタップ変異をだすよ!」

愛海「いくら島が立っててもカウンターはないねー」

紗南「エーンド」

愛海「ターンもらって、森出して。変異かー、2/2なんだよね?」

紗南「うん、裏向きは基本的に2/2だね」

愛海「じゃあ、山と森をタップして、双雷弾、その変異に2点だよー」

紗南「ぐぬぬ、除去られるね、ちなみに砂嵐突撃者だったよ」

愛海「表になるとカウンターのって、4/5かあ、大きいね

まあでも、嵐唱者で殴って、エーンドエーンド」

紗南「18」

紗南「ドロー、できることがないなあ、沼でエンド」

愛海「嵐唱者無双な感じだなあ、ドロー

森だして、島と森と森をタップで、

微風の写字官、ルーターだよ、リミテッドルーターは強い!

しか呪文唱えればアンタップ

嵐唱者で殴っておしまい

紗南「17、確かに手札の質を高められるのはいいよね」

紗南「あたしもなんかこい! ドロー

森だして、うわーん、できることはあるけど、しても意味ないなー、

エンドー」

愛海「紗南ちゃんまず呪文すら唱えれてないもんね

けど、これも勝負だよ! ドロー

タップして、写字官起動!

サルカン凱旋すてて一枚ドロー

紗南「えーと、なになに、捨てたのはドラゴンサーチかあ。いいじゃん、唱えてみれば、写字官のアンタップも誘発するし」

愛海「えーでもさあ、パックウォーズなのにサーチするためにデッキちゃうのもったいなくてさー

山出して、森と山タップして、

林間の見張り! 3/3防衛だよ

嵐唱者で殴って、エンド」

紗南「16」

紗南「げーーーまーーどろーーーー!

ぐぬぬぬ、マナが、マナが!

エンドだよー」

愛海「よおし、かっつぞー

ドロー

タップして、写字官起動! 島捨てて、一枚ドロー

平地だして

嵐唱者で殴って、エンド」

紗南「15、いやあパワー1で助かるね」

紗南「ドロー、きたーーー!

きたよ! きたよ! 島!

島! 平地! 森! 森! の4マナ

卓絶のナーセット! プレインズウォーカーだよ!」

愛海「おおおおおお! すごいね! すごいね!」

紗南「さっそく、忠誠度+1能力をつかうね! ライブラリの一番上を見て

見て、満足! エンド!」

愛海「紗南ちゃんのそういうところかわいいね」

愛海「ドロー、ナーセットさんは、忠誠度7かあ、高いなー

写字官もそろそろ殴った方が良さそうな気もするけど、あたしはカードを引きたい!

島をタップして、写字官起動! 島捨てて、1枚ドロー

沼出して

嵐唱者で殴って、エンド」

紗南「14」

紗南「ここから、あたしのマジックが始まる!

3マナだして、変異

さらに、ナーセットのプラス効果

チラ見して、見るだけエンド!」

愛海「仕事してなくない?」

紗南「いいの!」

愛海「さて、やっとクリーチャーも出てマジックらしくなってきたかな、

ドロー、島タップの写字官起動して、ドローして

タップしいの、よろめくゴブリンだしいの、

エンドしいの」

紗南「なにその、しいの」

紗南「ドロー

島だしてー

ナーセットのプラス能力

よし、手札に衝撃の震えだから、手札に加えるね」

愛海「クリーチャーが場に出るたびに1点かあ、どうなんだろうな」

紗南「どんどんいくよ、島を残して、緑がらみの6マナ

高楼の弓使いを大変異! 4/5だーーー!」

愛海「でかーーーい」

紗南「なぐる!」

愛海「16!」

愛海「ドロー

何気に、次のターンナーセットが奥義かあ

写字官、よろめくゴブリン、嵐唱者でナーセットなぐるね」

紗南「忠誠度は5だね」

愛海「第二メインで、予期!

ううん、これを加えて、残りを下に戻して

あたしも変異!」

紗南「だすねー」

愛海「ドローたくさんしてるからね」

紗南「じゃあ、ドロー

ナーセットのプラス

チラ見して戻して

赤がらみ2マナで、衝撃の震え! これであたしがクリーチャーを出すたびに愛海に1点だよ

さらに! 島残してタップして、青からみの4マナ! 若年の識者! 2/2だけど、死ぬとき2枚もドローできるよ!

衝撃の震えが誘発するね」

愛海「15、あれー、ライフがいつのまにか近づいてるね」

紗南「ナーセットのおかげだね、高楼の弓使いでアタック! 大変異から、4/5だよー」

愛海「防衛の人がいるんでけど、ここはブロックしなくて、11

紗南「よおし、ライフも逆転だ!」

愛海「ドロー

防衛の人以外の全員でナーセットにアタック! 6点だよ」

紗南「ぐぬぬきっかりでナーセットは墓地だね」

愛海「エンド」

紗南「ドローして、山だしてー、王楼の弓使いと識者で殴るよー」

愛海「弓使いは林間の見張りでブロック、見張りちゃんばいばい、残り9」

紗南「識者が死んで欲しかった」

愛海「しょうじきだなあ」

愛海「ドロー

平地!

そして、白絡み3マナダブルシンボルは重い!

アラシンの先頭に立つ者! 二段攻撃の2/2だよ! 二段攻撃付与戦士がいないか意味なし!」

紗南「結構大きいね

愛海「召喚酔いの先頭に立つ者以外の全員でアターーーック!

6点だよ!」

紗南「残り8! 終わりが見えてきたね」

紗南「けど、ナーセットとの絆があたしを強くするよ!

ドロー

2マナで、シルムガルの手の者! 接死の2/1!

衝撃の震えの誘発!」

愛海「残り8!」

紗南「……ここは、なぐるよ! 弓使いと識者でパンチ、6点! エンド!」

愛海「残り2!!!

愛海「ドローして……

あたしも全員でパンチ

全部通れば10点!」

紗南「接死で二段攻撃の人をブロック! これで、ダメージは6点だから、2点あまるよ!」

愛海「ならあたしも大変異!!!

盾を持つ守護者! +1/+1カウンターをばらまくよ! 写字官と守護者において、通るダメージは8点だああああ!!!

紗南「緑がらみ3マナ暴露する風! このターン戦闘ダメージをすべて軽減だよ!」

愛海「えええええええ!!! な、なにそれ!」

紗南「ナーセットがあたしにくれたんだ」

愛海「いや、ナーセットの効果でめくって手札に加えたの衝撃の震えだけじゃ?」

紗南「いいの!」

愛海「もー、なにもできないね、エンドだよ」

紗南「じゃあ、ドローして弓使いでなぐって」

愛海「うわーん、私の負けだねー、ありがとうございましたー」

紗南「ありがとうございました」

愛海「リミテッドはたのしいねー」

紗南「ナーセットちゃんかわいい

愛海「紗南ちゃん、さっきからそれしか言っていないね

紗南「ナーセットちゃんのお山さわりたい」

愛海「あたしのキャラとらないでよ! キャラじゃなくて本心だけども」

紗南「ナーセットちゃんとナヒリさんの間に眠りたい」

愛海「ナヒリが巻き込まれ!?しかに白青赤でジェスカイカラーだけどさあ」

紗南「ゲートウォッチに対抗して、おやまウォッチを結成しようよ」

愛海「だから、それあたしの個性なの!」

紗南「おやまウォッチの誓いは、手のひらを見せるんじゃなくて乳首

愛海「あたしでもそんなこと言ったことも思ったこともないよ」

2017-02-13

FGO(Fate/Grand Order)から見える奈須きのこ作家性の喪失

Fate/hollow ataraxiaという作品をご存知だろうか?


FGOを知っていれば『ああ、Fateのあのスピンオフのアレね』ぐらいの情報は知っているかもしれない。

このhollow、つい最近プレイした人なら最後の方の展開、問答に何らかの引っかかりを覚えた人もいるのではないだろうか。

ネタバレになるから詳しくは避けるが、hollowという作品、なんと消滅したはずのサーヴァント達が全員日常生活を送っていて、愉快にキャッキャウフフとなれ合った日常を送り続ける、という日常ノリ、コメディノリが好きなファンからすると夢の様な作品であった。

が、まあ、シナリオライターはもちろん当時の奈須きのこである

その内容を要約すると『心地よい楽園に停滞するな、辛くても現実へ帰れ』という、ある意味キャラ中心に見るファンの)期待を裏切りある意味キャラと裏腹にシビア作風が好きなファンの)期待を裏切らなかった失楽園物語であった。


しかし、今やネットゲームにどっぷりハマったキャラがメインのネトゲモノや、異世界から帰ってこないなろう系、ラブコメモノもなるべくストレス要素を避けようとライバルなどが排除され、ユーザーにとって心地よい楽園を構築することがコンセプトとなった作品が多いように思える。

FGOもその中の一つだ。

ファンの人たちは『FGOは違うぞ』と言いたいだろう。

だが君のプレイしているFGOも、その一つだ。

カルデアという楽園で、時に厳しく時に優しい美男美女(時々変なのアリ)な偉人に囲まれイベントでは複数キャラから恋愛を匂わせつつチヤホヤされ、新キャラが現れては主人公にデレて、信頼し支えてくれる仲間たちとの世界を救う冒険譚が描かれていく。

これが、楽園を構築することがコンセプトでなくて何だと言うのか。


ソシャゲはそういうもの

ユーザー射幸心を煽るために、集客性のあるキャラや会話を出してガチャを回させることが目的

なるほど。

まり君はこう言いたいんだね。

奈須きのこはそこら辺の会社利益のためにテキストを書くように飼い慣らされたソシャゲライターになったのだ、と。


そのとおりである


奈須きのこから作家性という名の牙は抜け、ただのキャラ萌え文を量産するだけのソシャゲライターになってしまったのだ。

彼にはもう、マシュを本当に殺すことは出来ないし、どうせ死んだと思われているあのキャラも何らかの理由をつけて帰ってくるし、ピンチを煽るためにカルデアぐらいは崩壊するかもしれないが、別の居場所が出来てそこでキャッキャウフフする、そんな嫌な信頼感がつきまとうようになってしまった。

今の奈須きのこユーザー現実を忘れることのできる楽園守護者にして、二次創作の最王手なのだ


奈須きのこよ、お前にもし、作家性がカケラでも残っているというのなら、今すぐユーザーに向けて『現実へ帰れ』と言ってみせろ。

課金なんてするな、こんなもの時間と金無駄だ、現実に帰って素晴らしい日常を送るべきだ、とhollow ataraxiaのようにメタを盛り込んだシナリオでもやってみせろ。


それとも、最後最後まで隠し通して、サービス終了してからユーザー自身に気づかせるつもりなのか?

だとしたら、とんだ策士だな。


その時は、無駄に消えていった時間課金額にむせび泣くユーザーたちを鼻で笑いながら、お前の悪魔的な才能を褒め称えるとしよう。

2017-01-17

Masterになった雑記

ブログに書くことじゃないし、twitterに垂れ流すのもどうかなと思ったのでメモ書き程度に。

1/17に無事ShadowverseのMasterになれました。

772勝なのでそこそこには早い?部類かと思います

使用クラスロイヤルのみで、ROBになってからA2→Masterまで駆け上がりました。

ROB環境ロイヤルはアグロコントロールが主流ですが、僕はコントロール側で使用していました。

コントロールといいながらも疾走が多いので超越やセラフ可能性を出せる点がランクマにいいかなと思いました(こなみ)

ドロシーはコントロールに限らずロイヤル全般が不利なので諦めました。なにあれ。

以下Master昇格時の採用カード

採用枚数はだいたい以下の基準で決めました。

3枚: いつ引いても使えるor序盤に欲しいor引き込みたい

2枚: 特定の条件下で使えるor運用進化権が必要

1枚: 2枚以上手札に来てほしくない

1コス

なし

2コス

歴戦のランサー×3

基本ですね。

メイドリーダー×3

コントロールなら基本です。マリガンで残すかは少し悩みます

天弓の天使リエル×3

2/2/2ならなんでもよかったので、1:2交換が能動的に狙えるこのカード採用

ロイヤルは場を制圧することが重要かな、と考えていたので使ったところ、意外といい働きをします。

渾身の一振り×3

2枚か悩んだのですが、出てきたナイト進化権を振るプレイングなども出来、盤面制圧に優秀と考え3枚に。

3コス

ノーヴィストルーパー×3

ありとあらゆる状況で使えます

ブリッツランサー×2

体力2というのが難点で、ニンジャアーツで良くね感がありますがアグロには場にフォロワーを残せます

ニンジャアーツ×1

2枚でもいいと思います。好みかな

4コス

フローラルフェンサー×2

先攻だとあんまり役に立たないので2枚にしてます。終盤邪魔だし。

白銀騎士エミリア×3

先攻4Tに素出ししても十分に強いですし、後攻の進化使用先としても、6PP使用の展開カードとしても便利です。

いつ引いても使えるので3枚。

5コス

ヴィオセイバー・アルベール×3

このデッキのフィニッシャーです。5コスとして運用することはあまりないです。

引けないと負けるので仕方なく3枚入れてますが、事故要因になることもしばしば。

蒼穹の提督モニカ×2

使ってるのをあまり見ませんが超優秀です。

4/2と2/2が並ぶといった「一方は攻撃が強く体力が低い、おまけにもう一体」というありがちな状況なら1枚で処理できます

相手次第では、進化効果フォロワーを除去し何もしないといった戦略有用です。3枚採用でも全然あり。

ロイヤルセイバー・オーレリア×1

対アグロに強いのですが5T目にこれが単体でいても微妙なんですよね。

あと、これが2枚以上くると非常に邪魔です。なので1枚。僕にはうまく使いこなせません。

旋風刃×1

待望のAoE。でも使い所が難しい。ドロシーにはこれがあっても勝てないので1枚だけ入れました。

6コス

アルビダの号令×3

超越に圧をかけたり、進化権を使わずに手負いのフォロワーを処理したり、進化権をパイレーツに切って2体処理したり。

OTK相手守護を出すのにも便利なので強気の三昧採用

海底都市王・乙姫×1

出す暇が無い。テミスとか黙示録の返し手には有用なのでピン刺ししてます

ツバキ×1

相手によっては全く使えないのが難点。

7コス

フロントガードジェネラル×3

OTK必殺兵器。まあ根源とか妖精のいたずらで処理されるんですけど。

AoE被害を軽減したり、AoEの返し手に出したりと普通に強い。

8コス

ファングスレイヤー×1

セラフメタオーディンを入れてたんですが、ビショップ側がサタンを使い始めてるのでこっちに。

強いです。1枚なのは事故防止です。

9コス

ダークエンジェル・オリヴィエ×1

やってることは普通にインチキレベルですが出す暇がないこともしょっちゅう

2016-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20161202174149

からなぜ守護をでかくしたがるのか。「お前の求める条件」だろうが。

2016-11-18

この世界の片隅での自主規制

原作だと幼女すずとすみの上半身裸のシーンが顔アップになってるので、しずかちゃん全裸入浴シーン守護同盟のかたがたは自主規制に屈した片渕須直監督非難しないのかな?

2016-10-18

日本アフリカ化するか?

長い長い、永遠とも感じる不況により、日本は超少子化・超高齢化からさらなる東京一極集中が進みそうだ。

このままの状況だと、日本は緩やかにアフリカ化していくかもしれないと思っている。

まぁ、多分そうはならないとも思うが。

アフリカ問題点

アフリカ、と一緒くたに語ることはもちろんできないが、大雑把にアフリカ諸国問題を見てみよう。問題は複雑極まるが。なるべく単純化して。

1.アフリカ近代以前にまともな国家がなかった。あるいは植民地化によって政治リセットされた。これにより、国家の基本である、「国民の大多数を占める農民から税を取り、それを基本収入とする」という段階が存在しなかった。大雑把に言えば、「行政が全く行き届いていない状態」だった。

2.独立国家となった後の収入は、地下資源他国からの援助である。これが、「行政国民に行き届ける」必要性を失わせた。つまり、国に遍在する農業生業とする国民たちを無視しても何ら問題ない状態のまま、「国家」が成立してしまった。

3.国民の大部分は、生きようが死のうがどうでもいい存在である。税が取れないから。取ろうとしなかったから。取らなくても別にいから。取る苦労なんてゴメンだ。援助が降ってくるし、黙ってても地下資源が金を稼ぐ。

4.政府国民農業民)を守る意味が完全になくなった。むしろ邪魔存在となった。農業から上がってくる税金や作物は極小。むしろ税や作物を取り立てるコストのほうが馬鹿かい

5.こうして、行政の行き届かない地域軍閥跋扈する。応仁の乱以降の戦国時代と同じ状態地方の顔役、豪族長老行政の代わりに台頭してくる。そして、彼らはもちろん、鉱山などを制圧する。農業民は金を持ってないから。支配する意味がないから。

6.そして、虐殺が始まる。鉱山などを維持できるだけの人数がいれば、あとの人間無駄に飯を食うだけの邪魔者となる。「儲けるために人手が必要」なのでなく、「儲けるためには人間を削減しなければならない」から

7.こうして地方軍閥肥大化し、政府にそれを止めるインセンティブはなく(軍閥から上がりを受け取ればいいだけ)、国民は死に続ける。

これが大雑把なアフリカ問題

改善されてきている国や、最初からうまく行った国ももちろんある。しかし、多くのアフリカの国は、まさに今が戦国時代のどまんなかである。刀や弓でなく、AK47でやる戦国時代だ。

秀吉刀狩りは、軍閥解体しつつ農民必要性を大幅に上げ、「農民国家財政の柱である」と明確に打ち出したものすごく重要政策なのだが、あんまりこういう評価はされてないな。

このまま地方を殺し続けたら

ホットエントリなんかのブコメを見ていると、地方東京対立をよく目にする。まぁ以前からあったんだろうが。

お馴染みの野菜瞑想運動バカなんかは愚かにも「地方は切り捨てないとダメだ」なんて言ってるが、上記のアフリカの状況を見りゃ「地方無意味にすることの恐ろしさ」はわかるよな?こないだの新潟知事選自民党広告がひどい、と話題になったが(政府とのパイプを維持します、みたいな)、あれは一定の真理はあるんだぞ。まぁ俺は自民をことさら支持するわけじゃないし、あの文言ダメだろと思うが。

日本場合地方行政が行き届かなくなると、そこの領主軍閥となる。昔で言えば国司守護だな。現代はもちろん知事だ。まぁ現代日本では私兵は持てんから軍閥とは言わんだろうが。

地方政治の腐り具合」というのはすなわち、「地方軍閥度」だ。

行政地方を切り捨てたら、軍閥は必ずできる。そしてそこにいる人々は軍閥に期待する。せざるを得ない。生きるために。

から何としても政府は、地方行政を行き渡らせなければならない。これは国家義務であり、存在意義であり、生き残るために必要なことだ。

日本地方にまだまだ人が多いからな。

まぁ結論としては、地方を切り捨てると内乱が起き、一度起きたらそうそう止まらないぞということだよ。

当たり障りのない結論になったが。

2016-08-02

[][]Shadowverse

サタンとかどのクラスでも一枚差し込めばある程度勝率上がっちゃうカードとか無いわ。

リアルTCGだと高値で売買されるカードを当てたとしても、

それ専用に構築しなきゃならないから超レア1枚で一気に変わるってことはないんだよね。

Cygamesは有名どころのTCGの奥深さに触れずに、面白い部分だけ抽出して儲ける魂胆が見える崩壊ゲーとしか言いようがない。

ビギナーから抜けたと思ったら5~7戦に一回くらいサタンに当たる。ただ掘るだけの守護ドロー破壊デッキ

この調子だと過去ソシャゲブラウザTCGで、運営アップデートするたびに強いカードで釣る手法になりそう。

今までの小規模ブラウザTCGが衰退したのを知らないのかな。

サービスはすぐ終了しないだろうが、洗練された人間しかマッチングされなくてどのみちコミュニティが終わるんだよね。

そういう状態になると新規入ってこないし、残るのは執着的で同じようなユーザーしか残らないから。

老舗が息絶えず続いてるのはバランスに常に気を使ってるから

逆に気を使いすぎてトゲがない面白みがないもの製造されるパターンはあるが。

数字だけのカードゲーム作ってただけありますわ。

この先が予想できすぎて適当に遊びます



追記

俺はMTGテンペストからミラディンのみしかやってないから現状や他TCGは知らないけどさ、

速攻型、コントロールコンボ系にしろある程度の種類と枚数を揃えないとデッキ発揮できないでしょ。

俺はカスD帯を上昇してる最中から大きな文句言えないし視野狭いよ。

上位ランクで遭遇するならほぼ周りも対抗環境揃ってるからいいんだよ。

けど1枚どのリーダーにも入れれてこちらが圧倒してないとほぼ詰むのは、

シャドウバース環境が速攻 OR 長期即死の二択に尖っていくでしょ。そりゃロイヤル勢力候補で上がってきちゃうよ。

冥府は1ターン痛い目を見るがアミュレット対策とかまだ軽減化できる上、それようにデッキ構築しなきゃならない。

サタン初心者でも偶発1枚でりゃ勝てるってのが問題。上位の洗練されたデッキ云々以前の問題

どちらが先に超劣勢じゃない状態で出すかのカードになってる。

サタン能力自体はいいんだけどコストが安いのよ。ニュートラルコスト10だけとかそりゃ初心者でも差し込めるでしょ。

あるいは対策カードコストは少し普通の戦力より重くなるが、

それ用の軽減できるカードとかありゃいいんだけどサタン場に出たらアウトでしょ。

さっき行ったとおり楽しみより勝ち狙うならほぼ固定されたデッキ相手するしかない。

ハンデス用意しろや。


謝罪

もしかしてレジェンドってよくある1枚制限

今回はランクに縛られず色々楽しみたいからまとめや情報サイト避けてたけれど、

それならほんの微修正で良い程度だわ単体なら。

特化力下がるがメタカード適度に低レア帯に入れりゃなんとかなりそう。

ブコメしていただいた方々はかなり今でも現役だったり様々な種類に手を出してるっぽいので、

それで問題ないっていうんならそれほど大事ではないんだと思います

けどガチじゃなく少し勝率下がるけど、色々なテーマデッキがそれなりに活躍できる環境が欲しい。



追記

自分の楽しんでるものを叩かれると反撃的なコメントになったりするのはわかるけどさ、

追記する前の最初文章運営バランス云々に隠れてわかりづらいが要点言うと、

リーダー関係なく入れれて問題なく使える

コンボ関係なしに単体でとどめを刺せる環境が整う

その二点が言いたいだけ。

もちろんサタン確率で出せて環境が整わせるデッキもあるんだろうけれど、

最初の構築済みリーダーどれに入れてもデメリットコスト10だけだよね。

冥府は謝罪の項目のレジェンド制限があるというのなら枚数制限がないそちら側が多いかもしれない。

でも冥府と墓地を増やすカードなど揃えなきゃならない。

TCGトーナメントによっては、警戒すべきデッキ対策カードを入れたそれ以外の勢力に別れることもあるから

プレイヤーカード枚数が整ってる状態で上位がそうなってるのなら冥府にはあまり言及しないよ。

MTGにも少ない枚数や最少ターンで確定するカード禁止になりやすいけれど、

他のTCGにはMTGでいう色や土地デッキテーマ速度を落とすことなくどのデッキでも入れる余地があり、

かつその単体のカードが出たらその状態から勝てる確率が上がるカードって存在するの?

手札破壊効果打ち消し、デッキ破壊がないこの環境で。

じゃあその前に勝てよって話になるんだが、追記1番目の速攻かコントロールから即死系以外のデッキ排除されるよね。

サタン1枚で。

このShadowverseは確実性はないけどサタンデッキ構築か対戦に暗黙のルール作ってるのよ。

コスト10たまる前に相手瀕死にしておかないと逆転されますよっていうルール

そういう点でサタンのみに絞ってバランスを語ったわけ。


俺は引退したMTGは、ネットやらぎゃざやら読んでトーナメントデッキを見ていたし、

金かけてトーナメントクラスデッキ構築する対戦相手にも恵まれてたんで知識上言いたかったのよ。

海外っぽいと日本受け悪い人もいるから、Shadowverse自体こういうデッキTCGを広く知ってもらう機会として良いと思ってる。

まだそういうのに触れたのが初めての人もいるらしく、

レビューにはデッキ型を運で勝てるとか、最後まで戦わずリタイアで終わる人が許せないとか文化の違いも感じる事はある。

過去ランクマッチゲームにこだわり過ぎて付き合いは程々にしてるけれど、

まりデッキがかぶらないように個人的には楽しんでるのよ。

Cygamesに突っかかったのは対応速度が遅いかなという部分。

Shadowverse自体が踏ん張って日本スマホTCGにのし上がってもいいし他が出てきてもいい。

色々は言いたいんだけど、代表格としてサタンがShadowverseをいきなり台無しにしてて残念で

運営Twitterで告知ばっかしてるからそれが増したっていうこと。

2016-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20160628211031

いやそれもちょっと違う。

アーサー王ローマブリテン島から撤退した後の混迷の時代概念

純粋ケルトでなく、先住ブリトン人(厳密に言えばブリトン人すら先住でなく先住者と外来者の融合だが)と征服者ローマの持ち込んだものが融合した、ローマンブリトン文化守護者的位置

年代順に大雑把に書くと

年代来た民族系統
新石器時代先住民(ストーンヘンジ作った)民族系統不詳
青銅器時代ビーカー人の渡来多分ケルト
鉄器時代ベルガエ族等の渡来大陸ケルト
紀元43年ローマによる征服ラテン
紀元407年(ローマ撤退)--
暗黒時代アーサー王の設定年代ブリテン
中世初期アングロサクソンジュートの侵攻ゲルマン
10世紀デーン人の侵攻ゲルマン
1066年ノルマン・コンクエストゲルマン

それぞれの時代でやってきた民族先住民と混ざり合って混合した文化が生まれる、の繰り返し。

なのでアーサー王の言うブリテンとは控えめに見ても、


以上4者が混ざった存在

ついでに、ローマ時代に一度、ブリテン島キリスト教が入ってきてるのも話をややこしくする。

これをブリテンと呼ばずにケルトと呼ぶのは割と無理があるよ、流石に。


まあ第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも目覚めなかったねぼすけに期待する方がもっと無理だけどな!

(お前それ書きたかっただけだろ)

2016-05-26

守護ヤバイ

ヤバイ守護ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ

守護ヤバイ

まず権限広い。もう広いなんてもんじゃない。超広い。

広いとかっても

日本6ぶんの1個くらい?」

とか、もう、そういうレベルじゃない。

しろ無限。スゲェ!なんか単位とか無いの。何坪とか何㌶とかを超越してる。無限だし超広い。

しかも膨張してるらしい。ヤバイよ、膨張だよ。

だって普通親王任国とか膨張しないじゃん。だって自分の任地の領国がだんだん伸びてったら困るじゃん。国庁とか超遠いとか困るっしょ。

遥任地が伸びて、養老一年とき陸奥一国だったのに、三年のとき陸奥国石城国石背国三カ国とか泣くっしょ。

から国衙領とか膨張しない。話のわかるヤツだ。

けど守護ヤバイ。そんなの気にしない。膨張しまくり。最も遠くに割拠する島津氏とか観測してもよくわかんないくらい遠い。ヤバすぎ。

無限っていたけど、もしかしたら半分かもしんない。でも半済って事にすると

「じゃあ、一円知行の半分ってナニよ?」

って事になるし、それは細川頼之にもわからない。ヤバイ管領にも分からないなんて凄すぎる。

http://anond.hatelabo.jp/20160524182202

2016-05-24

守護がでかい問題

鎌倉時代初期、東国において政権確立した源頼朝によって設けられた守護職は、軍事警察的な権限を持つのみであり、地域統治権限は依然として国司にあった。

後年、鎌倉幕府が滅び室町幕府が成立すると、室町幕府はその守護制度踏襲する。

しか守護は、次第に国司権限をも包摂し、独自の領国支配を固めていくようになる。このようにして広域領主化した守護を「守護大名」といい、守護大名トップとした地域支配体制大名国制と呼ぶ。

広域領主として実権を握った守護に対し、足利将軍家の影響力は薄れ、室町幕府守護大名による連合政権様相を呈していく。

さら肥大化した守護大名たちは互いに自己利益を追求して相争い、応仁の乱代表されるような戦乱を巻き起こすようになった。

これを「守護がでかい問題」と呼ぶ。

そして、守護がでかい問題対処し切れなかった室町幕府は衰退し、日本戦国時代突入していったのである

2016-04-22

しっきーも… フミオも… 否― 北条かやでさえも― 俺が守護らねばならぬ

2016-03-14

厄介ブーメラン芸人腐女子のうた

厄介な腐女子に育ってしまったという自覚がある。

数年前に友達から借りた某家庭教師漫画で新しくペペロファミリー守護者を思い浮かぶままにノートに書き殴り最強主人公を作ってた頃とはもう違う。ニコニコ動画を初めて知り、獄寺隼人アンチコメに顔を真っ赤にしてた中学生の私はもう成長したのだ。

フォレスト中学生の作るホムペだし〜笑ってナノで素材サイトを血眼で探してオシャレなサイトを作ってランキング自クリしまくった数年前。Twitterを知り鍵なしで推しキャラをペロムシャなどの擬音で可愛がったりクロスオーバーゴミカプを生産しまくりながらマイナーと嘆いたり、果てには推しキャラのなりきりとして様々な方々にすり寄っていたアイタタ高校生の頃の私も変わった(本当に当時関わった人たちに申し訳ないと思う)。

数年前とあるゲームにハマった。その中のあるキャラクターを推して数年が経つ。私は過去のアイタタ行動を顧みながら生きる昔よりは成長した人間になったと思う。Twitterで500倍ぐらいに脚色したリアルツイートでウケ狙いもしなくなったしフォロワーと適度にキャラ萌え語りをしながらジャンルに発展があれば静かに喜ぶ、自分の考えた最強の穏健派腐女子を演じるようにTwitterを使う。

ただ数年前までは自己顕示欲大爆発ブス関わりたくない腐女子だった私は成長しても結局はめんどくさい関わりたくない厄介腐女子になっただけだった。

数年前は私もあんなんだったし仕方ないよって笑って厨ちゃんの行動を静観とかできなくない!!??なんで数年前厨ちゃんだった私の相手してくれてた成人済腐女子は私の事殺さなかったの!!!!?ってこの前不思議に思って高校生の頃のアカウントに久しぶりにログインしたらそこは相変わらず面白くない日常グチツイート気持ち悪い推しキャラへの愛の押し付けと、なりきりアカウントに溢れててすごく地獄だった。結局厨ちゃんの相手は厨ちゃんだったってだけだし、成人した時点で厨ちゃんならもう一生厨ちゃんなんだろうな…とそっとアカウントを閉じた。

厄介腐女子の話に戻る。ゲームジャンル性質上仕方ないことだけれど、課金をすれば無課金よりもエピソードを多く入手できる機会が増える。そうするとそのエピソードから得られる情報課金した人間のみが得られるため、無課金課金勢には推しキャラ1人にしろそのキャラクタープロフィールなどの情報格差が生まれしまう。もっとキャラクターとのエピソードが読みたかったりいろんな情報を知りたいなら課金してねという性質なのは仕方ないと思う。だから私は課金強要してる!とほざくクソザコ無課金どもが嫌いだ。

課金できない理由が人それぞれあるのは分かってるけど、その中でも一番許さないのがグッズ無限回収課金同担拒否ドリ豚ども。何がしたいの?グッズ買う金があるなら課金できない?何してんの?なんで無課金でそのキャラについて何も情報知らないのに同担拒否ドリ豚してんの?意味がわからない。

あと顔カプ腐女子。確かにこのゲームってキャラが多いからまあ確かに自分の好きなキャラ同士組み合わせて最強の顔カプ作りたい気持ちもわからなくもない。でも公式でなんでキャラ同士仲良くしてる描写もたくさんあるのにわざわざそっちでくっつけんの?公式言及されてるならまあ許さないけどわかるしそういう腐女子もいるんだねって思うけどお前らそれ僕の考えた最強の受けちゃん可愛い❤️できる攻め様を勝手に見繕ってるだけじゃない?多分完全オリジナルキャラクターとして過去に私が作ったペペロファミリーのほうが許せると思う。

それとクソザコ無課金同担拒否のことわからないってさっき言ったけどまあまあ課金してて私と解釈違う同担もっとからない。なんで!?そいつそんな、そんなあれだった……?あんものすごいあれがあったのになんで!?運営仕事できない後輩にキレる前に自分にキレ狂って死なない?ムカつく

穏健派腐女子からリツイートで回ってきたりたまたま検索で目に入ったクソども全員ブロックなんかせずにミュートしてるけど、最近フォローしてるやつらも全員ミュートしたら世界で一番快適なTwitterライフになることに気付いてしまった。なんかもうTwitter辞めたほうが精神的にはいいんじゃないの?って思う。

でも私こんだけ言ってるけど正直別に絵が神がかり的に上手いわけでもないし文章自分で読み返して死にたくなる(もうこの文章も半分わけがからなくなりながら書いてる)し、やっぱり厄介ジャンルの癌腐女子なのは分かってる。でも客観的に見ても私が推しキャラ、推しキャラの周囲の人間を追って出てきた情報とかから長文考察したり下手ながらに自分萌えを絵に表現する生き様は好きだしものすごく仲良くなりたい腐女子だと思う。

こんだけダラダラ言ってたけど結構何が言いたいかっていうと、私と解釈合わない腐女子全員死なねーかな〜〜〜!!!!!!!!!全員私の持つ何かにひれ伏してチヤホヤされたいし私と解釈違うキャラ推しども自分の過ちに気付いて私を褒め称えてから死んでほしい。厄介腐女子の歌でした。また悲しい推しキャラ解釈違いを踏んだのでムカつきました。それでは聞いてください「そもそも乙女ゲージャンル腐女子してる私が一番の解釈違い」

2016-02-28

死霊術師井上

死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。

大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。

ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。

テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭意志21世紀でも保っている。

死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。

腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。

祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史辞典』にかぶりついた。

その頃の近江一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。

私は大学研究室院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室国文学研究室に行って、室町時代言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母アドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてもの時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母明治4年に死んだ男の死体蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。


春休み近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだオリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。

山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから

ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代言語常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成研究をしに理学部農学部へ行きたかった。

洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚近江出陣の際には公家近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。

これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ

精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。

太平記』の文法で私は語りかける。

「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉あなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ国文学研究室富田先輩ありがとう

…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージ五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家女性が見える。平安時代のオカメ十二単イメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生素体になってくれるよう語りかけよう。

「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しまたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。

「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなた時代言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日あなたお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。

あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなた精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」

「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。

「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルール現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。

「私は京都六角富小路邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから武家奉公人生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」

彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。

「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家生活。今まで見知った知識や噂話全てからひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女21世紀平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。

好奇心イマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽マンションにやってきた。

2016-02-26

知人が東京オリンピックに参加するために今日来日するから空港まで迎えに行くのでこの会議終わったら直帰しますね。

聞けば、嫁さんの義理のお姉さんの旦那さんだという。世界マラソン大会に参加しているそうな。

東京マラソンって世界的に有名だそうですよ。走りやすさとか道中のサポートの厚さとか。

おおー。

そんな会話で、明後日東京マラソンがあることを初めて知った打ち合わせに向かう道中。無駄話は続く。


東京マラソン、どの辺で応援されますか?

東京都庁スタートの近くかなぁ。

確か、東京マラソンコースって十字架なんですよね。

東京マラソンコースって魔法陣描いているみたい。

それじゃ、東京に描かれた十字架は、帝都からナニカを守護するための封印ですね。

帝都w 懐かしい。

(無言の頷き)

厨二病的な。

ですねw

そんな会話を銀座トリリンガルの同僚と束の間にした。

グローバルなんて名前のついてる部署実態はいつもこんな感じ。

から楽しい

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