はてなキーワード: 沿岸部とは
こないだの知床の事故のときのように無線もネェ、駐屯地もネェ、というような事態が
と、同意を求められて、そうかもねえと首肯してしまう時局ではあるクライナ。それはヨシとしよう。
で、ジャップは銃社会ではないし、火器を取扱うなら花卉を育てますという平和な国民性であるらしいし、
神社や寺に人を集めて竹槍持ったりバケツリレーしたりする訓練がアホのやることと教え込まれているわけだし、
有事があったらもう何もできずに自衛隊頼んます、という現状であること、ここまではファクトでよろしいでしょう。
そこで自衛隊の地位ガーで改憲議論になだれ込むのはここではほっとくが、専守防衛ならいろいろ案があるでしょう。
そんなにニュースを追ってないが、軍事費増やすという議論の割には、
絶対はんたぁーい!vsイージスみたいな飛車角の話で対立してて、
頭の良い人が割り込んでくるスキがないように思えるんです。
世界最大の植物、豪シャーク湾で発見 4500年かけ180キロにわたり拡大か
Shark Bay seagrass
世界最大の海草の面積はサッカー場2万個分に相当するという(豪シャーク湾)
オーストラリア西岸のシャーク湾でこのほど、米マンハッタン島の約3倍の広さにわたって広がっている海草が見つかった。地球上で最も大きな植物だという。この研究は学術誌「Proceedings of the Royal Society B」に1日に掲載された。
西オーストラリア州には海中に大きな海草藻場があるが、今回遺伝子検査を行ったところ、これが1つの海草からなるものだと判明した。
通常は1年に最大35センチ程度成長するといい、少なくとも4500年もの時間をかけて1つの種子から広がったと考えられる。
西オーストラリア大学の研究者たちによると、この海草は約200平方キロメートルもの範囲を覆っている。
研究者も仰天
研究チームは、オーストラリアの沿岸部でよくみられる種の遺伝的多様性について調べていた際、パースの北約800キロにあるシャーク湾で偶然、この事実を発見した。
研究者たちは湾内から採取した1万8000個の遺伝子マーカーを調べ、それぞれのサンプルから「指紋」を作成した。この海草藻場を構成する植物の数を調べるのが目的だったという。
「その答えに私たちは仰天しました。たった1種だったなんて!」と、研究の主執筆者であるジェーン・エッジロー氏は述べた。
「たった1つの植物がシャーク湾で180キロ以上に広がり、地球上で最大の植物になっていました」
A birds eye image of a massive seagrass plant off the coast of Western Australia
世界最大のこの植物は、状況が荒々しく変化する湾内で成長しており、そのたくましさも注目すべき点と言える。
「ほとんどの植物にとっては通常大きなストレスとなるような、温度の大きな変化や塩分、極端に強い日差しが降り注ぐ環境で育っており、回復能力が非常に高いようだ」と、研究チームのメンバー、エリザベス・シンクレア博士は述べた。
ウクライナで弾道ミサイルが少ししか使われてないのは理由が分かりませんが,普通は開戦と同時に主要な軍事施設を無力化するのに使います
同様に北海道を攻略に使うなら,道南で鉄道を破壊して本州と切断,室蘭を攻撃して港湾を破壊,内陸の道路を破壊して交通を遮断,航空基地を無力化ってところですか
ロシアか経済的に何発撃てるのかは最近ハテナと思わなくもないですが,このくらいはできるんじゃないですか
道東から陸路石狩方面に来るには沿岸部を通るしかないという状況ならば,哨戒機で進軍の状況を監視して迎撃するのは簡単になります.
いや道東から石狩方面に行く道なんかなんぼでもあるべと思うかも知れませんが,何年か前に大雨でJR止まってかつ橋が1個流された時,マジで通れる道があと一カ所しかないという状況がありました.戦車が通れる道が内陸に少ないので,何カ所か攻撃すれば助けに来るのが難しくなります.面制圧と言うほどのことをしなくてもいいわけです.
いいですか!日琉語族が弥生時代に朝鮮半島から伝来したのはもはや定説なんですよ!
仮に文字として記録に残っていない縄文時代の言語が日本語の起源であるならば、縄文人の遺伝子を最も強く受け継ぐアイヌの言語が日本語と全くの別系統である説明がつかないわけですよ。
アイヌ語族は鎌倉時代に現ロシア沿岸部、サハリンから流入した言語?何を馬鹿なこと言ってるんですか!
そしたら東北地方に残るアイヌ語族の地名が説明つかないし、大陸にアイヌ語族の痕跡がないのもおかしいじゃないですか!
そもそもですよ!日琉語族の痕跡が残っているのは唯一朝鮮半島だけなのです!
朝鮮半島の歴史書である三国史記に地名としての日琉語族の痕跡が残っている!
それ以前は各地の豪族の集合体、大王の連合が倭国だったのです。
そしてAD663年の白村江の戦いで大王たちのルーツであった伽耶任那、百済が滅亡したことをきっかけに「日本」を名乗るようになるのです。
水産業はなんとかしないと生けないにしても、沿岸部の更地再開発は、今後も同様の災害が起きるかもと思えば、どうかなあ、と。
あの震災で地下のプレートの噛み合わせがおかしくなってしまったんよ。以前は太平洋側のプレートの上に端を軽く巻き込まれる形で陸側のプレートが載ってたんだけど、今は巻き込み部分が外れて平たく載ってるんだって。だから大きな地震が起きると陸側のプレートが太平洋の方に滑っていってしまい、大きな横揺れが起きるんだよ。そのためにちょくちょく大きな余震が起きてるんで、沿岸部にまた家を建てるとかは、仮に津波の心配がなくとも止めとこうかなってなるんでないの。
震災から10年ということで感傷的な文章をつらつら書こうと思う。
私は大のNHK好きで受信料もお布施のような気持ちで支払っているが、あの曲が真っ向から受け止められなかった。
「花は咲く」ってそんなふわっとしたきれいごとを、、、くらいに思っていた。
けれど最近この時期に合わせて放送しているのを聞いてみて、印象が変わった。
「誰かの」、「いつか生まれる君」の幸せや未来を歌っている、それに気づいたときに何故かこの曲を素直に受け止められるようになった。
震災当時大学生だった私は、住んでいた自治体が受け入れた被災者のための避難所でボランティアをしていた。
発災から数日は、自身も電気・水道等のインフラ停止の影響を受けたが、時間と体力が有り余る大学生こそなにかをしなければと、避難所にほぼ常駐で、炊き出しの調整、物資の差配、避難所の環境整備等をしていた。
無邪気に遊ぶ子供たちもいれば、情緒不安定で泣き出す子供もいる。
大人も避難の疲れとストレスがたまっており、被災の度合いによって避難のスタンスも違うので、被災者同士が喧嘩になることも多々あった。
自宅と息子夫婦、孫が津波で流されて行方不明の老人、自宅は全壊したがなんとか全員無事で避難してきた一家、放射能影響を考慮して自宅を離れた若い夫婦、、、状況は本当に様々だったので仕方ないのかもしれない。
避難所でボランティアしている際、自分の中で決めていたことがある、
私は感動映画を見ればすぐ泣く質で、もらい泣きすることがしょっちゅうある。
話を聞くと共感して辛い気持ちになるが、決して泣かないようと頑張った。
彼らからその話を聞いたとしても、その悲しみは私のものにはならない。
彼らの悲しみは、彼らだけのものだ、私が聞いて泣いたらそれは勝手に悲しんでいるだけだ、自分が可哀そうで泣いているだけだ、と。
そんな風に思わなくても良いのかな、と思ったのは最近だ。
震災のことを思い出すと、自分の関わった被災者のことが思い出されて辛い気持ちになる。
でもその悲しみは、私が自分が可哀そうだと思って感じる悲しみなのか?
確かに彼らの悲しみは彼らのもので、誰も「理解した」なんて言えないと思う、
けれど彼らの悲しみに寄り添って一緒に悲しむことは、必ずしも自分勝手なことではない。
過去の自分を擁護するなら、震災直後、壊滅した沿岸部の映像を見ながら被災者のことを思って本当に胸が苦しかったし、
だからこそ少しでも助けになりたいと思っていた。
そしてそれは私以外も一緒だと思う、悲しみに寄り添う人を認めていきたい。
当時大学生だった私が、なんとかかんとか働きながら、
私にとっての「誰かの」、「いつか生まれる君」は、
ベッドの隣で眠る息子や、これから生まれてくるかもしれないわが子だ。
自分のために何か努力したり、我慢するのは容易ではないと思う。
大人なので一通りのことはできるようになったが、自分のためにという思いは続かない。
だが家族や、わが子のためなら違う。