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はてなキーワード: 沿岸部とは

2024-04-09

anond:20240409131834

中国史書には「倭」倭人」がかなり古い時代から出てくるが、あきらかに日本列島のことではなさそう

倭という集団大陸沿岸部にいて、漢民族に押されて渤海周辺に移住し、

さら朝鮮半島の土着民を蹂躙しつつ、百済の源流と同化しながら南下していったように見える

北の穢族も近縁であろう

2024-04-05

anond:20240405165657

中世近世沿岸部はともかく内陸部で魚類を食していたのかなあ、あっ、

ウナギ煮凝り…😩

2024-03-23

anond:20240322205327

いちばん自分の強みがある勝負

殺人者死体をどこに隠すかという話がある。沿岸部出身の者は山に捨て、山育ちの者は海に捨てる。詳しい分だけ「できない」ことが分かってしまって詳しくない領域に頼るという喩え。(実際のデータがどうだかは知らん。)

野球に詳しい分だけ予想できないものであるという意識がはたらいてもおかしくはないと思う。

2024-02-28

anond:20240228150901

2024-01-24

anond:20240123214345

カテゴリCの中央にない国家は「かつて中央であった場所」が首都になってることがほとんど

アメリカ・・・ワシントン植民地13州の中央沿岸部位置

韓国・・・北朝鮮含めた朝鮮半島全体の真ん中

キャンベラ・・・先住民居住地の中心

モスクワ・・・キエフルーシの中心付近

イギリス・・・イングランドの中心付近

ベルリン・・・プロイセン地方まで入れると中心

ちなみに日本首都京都江戸(東京)となっているが畿内を都として設置したとき日本統治範囲はせいぜい東海道山陽道まで、この中心は畿内であり、その後東北他方まで支配範囲が拡大すると日本中央はより東より、東京位置するようになった

まり歴史的過程を考えると国家はほぼ例外なく国土中央首都を設置している

2024-01-10

大地震大津波国生み神話と関連がある可能性は低い、という意見がこの論文では書かれているようだ

加藤茂弘「淡路島の地形と地質 砂嘴・砂州の形成と神話との関わりの背景「鳴門の渦潮」と淡路島の文化遺産

神話の成立時期が1~2世紀編纂されたのが7世紀

淡路島周辺で地震による陸地の隆起は最近2000年では発生していないらしい

しろ大津波砂州などが消失することの方が多いだろうから国土の増大を語る神話にそぐわない現象の方が多く発生しているという見方

とはいえ

大地震に伴う地殻変動大津波によって、沿岸部の隆起・沈降や砂嘴砂州消失が生じる例も知られている。これらのことからすると、砂嘴砂州を含む海岸地形の急速な変化が古代人の思考に少なからず影響した可能性を、完全には否定できないだろう

とも冒頭に書かれている

日記

2024-01-08

言われてるような一度できた事例があるからできるだろみたいな無茶振りはThe 日本って感じある

クソ納期に間に合わせたら次からそれがデフォなるみたいな

自分がやられたらブラック企業とか文句いうくせにな

2024-01-03

もしかして沿岸部に住んでる人達って津波避難訓練してないの?

津波警報が出た瞬間に例えセックス最中であっても

秒で高台に駆け上るようマインドセットされてないの?

anond:20240102124821

正直南海トラフ巨大地震が来るまで東日本大震災クラス津波を見られる気がしない

と言っても珠洲市津波被害現場空撮映像見てると

NHKアナウンサーの逃げろという呼びかけも決して大げさではないと感じた

沿岸部に立ってたら普通に死ぬでしょあの被害状況なら

東日本大震災津波原発事故で言うチェルノブイリ並みにケタ違いなだけなんだよな

2024-01-02

大地震一覧

自習としてまとめる

死者多数のものだけ

 

2024/1/1 能登半島地震 Mj7.6

2018/9/6 北海道胆振東部地震  Mj6.7 土砂崩れ

2016/5/16 熊本地震 Mj7.3 災害関連死

2015/5/30 小笠原諸島西方沖で地震 Mj8.1 史上最深

2011/3/11 東日本大震災 Mj8.4 大津波 日本史上最大

2007/7/16 新潟県中越沖地震 Mj6.8

2004/10/23 新潟県中越地震 Mj6.8

1995/1/17 阪神淡路大震災 Mj7.3 耐震強度問題

1993/7/12 北海道南西沖地震 Mj7.8 大津波30m 死者・行方不明230人

1984/9/14 長野県西部地震 Mj6.8

1983/5/26 日本海中部地震 Mj7.7 大津波 死者104人

1978/6/12 宮城県沖地震 Mj7.4

1974/5/9 伊豆半島地震 Mj6.9

1964/6/16 新潟地震 Mj7.5

1960/5/23 チリ地震 Mj9.5 世界史上最大

1952/3/4 十勝地震 Mj8.2

1948/6/28 福井地震 Mj7.1 死者・行方不明者数3769人 震度7が制定 複合災害

1946/12/21 南海地震 Mj8.0 死者・行方不明者1443人

1945/1/13 三河地震 Mj6.8 死者・行方不明2306人

1944/12/7 東南海地震 Mj7.9 大津波 死者・行方不明1223

1943/9/10 鳥取地震 Mj7.2 死者1083人

1939/5/1 男鹿地震 Mj6.8

1933/3/3 昭和三陸地震 Mj8.1 大津波 死者・行方不明者3064人

1930/11/26 北伊豆地震 Mj7.3

1927/3/7 北丹後地震 Mj7.3 死者2925人

1923/9/1 関東大震災 Mj7.9 死者・行方不明105385人 日本史上最悪

1922/12/8 島原地震 Mj6.5

 

所感

 

死者数が増えるのは

津波

火災(近年は少ない)

土砂崩れ

・倒壊、圧死(特に都市部

避難

 

21世紀の方がむしろ被害が大きいことが意外だった

戦後、大きな被災があったのはご時世もあったのだろうと考えると、東日本大震災阪神淡路大震災が異常

津波」と「直下型」の2パターンが主

 

地震が頻発している危ない地域

三陸沿岸部津波)★

青森秋田西沿岸部津波)★

津軽直下?)

北海道南部西部東部沿岸地域津波)★

新潟直下)★

静岡伊豆駿河湾

千葉茨城沿岸部津波

愛知直下

長野直下)★

大阪兵庫直下

瀬戸内

和歌山南部

福井能登半島

九州南部直下)★

 

★は100年内に確実に一回はでかい被害が起きてる

 

日本には逃げ場がないとはよく言うが

現代においてそれでも大惨事になる場所というのは限られているとは思う

大地震であっても被害が少ない地域もあるのが意外だった

地域次第で脆弱性が違うんだろう

 

比較安全そう(大きな被害になっていない)なのが

関東北部東北の内陸部、近畿中国四国の内陸部、九州北東部など

直下地震が頻発している地域でなく、かつ沿岸部でなければ被災確率は低そう

沿岸部チリ地震みたいな例があるのでどうしようもない、逃げ場はない

特にリアス式海岸がよくない

 

南海トラフは有名だけど個人的にはやっぱり伊勢愛知大人しいのが気になる

でも地震ってむしろ連鎖するから、無いなら無いで数百年行きそうでもあるよね

 

昭和三陸地震(1933)、明治三陸地震(1896)があったし、三陸沖は地震頻発地域なのに

何で東日本大震災であれだけ被害が出てしまったんだろうというのは結構解せない

80年も経つと忘れるというのがよくわかる

2100年まで果たして持つだろうか?正直またやらかす気がする

ストレスとかそっち系詳しい人〜

自分宮城沿岸部で生まれ育った元被災者なんだけど、今回みたいなどのチャンネル回してもニュースやってるみたいな時に夜眠れなくなるんだよ。

すごく不安気持ちになるとかでは全くなくて、当事者の人大変だなぁくらいで、特段悲しくなったり落ち込んだりとかそういうニュースとかサイレンの音とかに敏感に反応してるとか、メンタル的に不安定な感じになってる自覚とかも全くない。

ただ、SNSかにあげられてる地震とか津波とかの動画だったり、ディズニーやら商業施設系の災害発生時にスタッフ対応してる動画だったりをずっと見続けて、結局目が冴えて眠れない、みたいな。

何で自分がそういうことしてるのかよく分からなくてそっちの方がストレスになりそうなんだけど、そういうのなんかあったりする?

ストレス耐性は普通くらい、今までメンタル系の疾患とかはかかった事ないと思う。東日本とき中高生

なんかこれじゃね?みたいなの知ってる人いたら教えて〜

2023-12-30

anond:20231230230245

そうやな

先富論沿岸部を富ませたんやな

内陸部にはいきわたっていない

時期に解消されるかと思ったんやがな

地方政府負債が増えるばかりや

2023-11-13

anond:20231113125016

中華の辛いのって四川料理だけやろ。あれ内陸の料理やで。

日本中国沿岸部東南アジアあたりは米・麺・魚・スープ文化圏って感じやん。

ついでに食器も似通ってるわけやしさ。

日本には古くからうどんとか饅頭とか豆腐とか中華由来の料理があるし、

韓国チヂミお好み焼きとかキンパ=海苔巻きとか似た料理があるやろ。

2023-09-26

anond:20230926195113

🐈️「ニャーニャー鳴いていませんでしたか?それは山陰沿岸部に生息するウミネコです」

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続き

農業の到来

平等から階層へ、男女平等から著しい男女不平等への転換は、一般農業と関連しており、このことはグレーバーとウェングローにかなりの問題を突きつけている。彼らは選択に関心があるため、唯物論的な議論を避けたり、環境が人々の選択を条件づけ、制限する方法について考察したりすることに固執しているようだ。

農業は、約1万2千年前から世界の多くの場所独自発明された。狩猟採集民は食料を共有し、持てる以上のものを所有することはできなかった。しか農民たちは定住し、畑や作物に投資するようになった。そのため、一部の人々が自分の取り分以上の食料を手にする可能性が生まれた。

やがて、凶悪犯やいじめっ子集団が集まって領主になることもあった。窃盗や略奪、家賃小作料、労働力雇用税金、貢納、什分の一など、さまざまな方法でこれを行った。どのような形であれ、このような階級的不平等は常に組織的暴力依存していた。そしてこれこそが、ごく最近まで階級闘争が対象としてきたものなのだ

農民狩猟民族にはない弱者だった。彼らは自分土地、畑を開墾し灌漑するために費やした労働、そして作物の貯蔵に縛られていた。狩猟採集民は離れることができた。農民はそうではなかった。

しかし、グレイバーとウェングローは、農民が余剰を生産し、蓄えることができたからこそ、階級社会搾取国家、そして偶然にもジェンダーによる不平等可能になったのだという、この物語に立ち向かった。

フラナリーとマーカス

2012年考古学者のケント・フラナリージョイス・マーカスは『不平等創造』という素晴らしい本を出版した。彼らは、世界のさまざまな地域農業がどのように不平等をもたらしたかをたどっている。

しかし彼らは、その関連性は自動的に生じたものではないと主張する。農業階級可能にしたが、多くの農民平等主義の社会暮らしていた。農業発明階級発明の間のギャップは、数世紀単位で測られる場所もあれば、数千年単位で測られる場所もある。

フラナリーとマーカスはまた、地元凶悪犯や領主権力を掌握しても、後に打倒されることが多いことを、注意深い実例を通して示している。多くの町や都市では、エリート考古学的記録に現れ、その後何十年も姿を消し、また現れる。事実上階級闘争は決して止まらないのである[5]。

ジェームズ・C・スコットフラナリーとマーカスの壮大な比較研究は、人類学根本的に変えた1954年エドモンド・リーチの著書『ビルマ高地政治制度』や、アナーキスト政治学者であり人類学者でもあるジェームズ・C・スコットの研究において先取りされていた。[2009年、スコットは『統治されない技術』(An Anarchist History of Upland Southeast Asia)を出版した。同書は数世紀にわたる東南アジア全域を対象としている。

スコットは、平原王国の稲作農民の多くが丘陵地帯に逃亡したことに関心を寄せている。彼らはそこで、「焼畑」移動耕作者の新たな民族集団として再出発した。彼らの中には、より小さな階級社会を作り上げた者もいれば、階級を持たずに生活した者もいた。そのすべてが、下の王国国家からの絶え間ない奴隷化軍事的襲撃に抵抗しなければならなかった。

技術

ある意味では、グレイバーとウェングローはリーチ、スコット、フラナリー、マーカス仕事を土台にしている。ウェングローは結局のところ、フラナリーとマーカスが要約している考古学の変化の一端を担っている。そして『万物黎明』には、スコットの影響が随所に見られる。

しかし、グレイバーとウェングローは、一方では技術環境と、他方では経済的政治的変化との間にある、他の著者たちの結びつきを好まない。

フラナリー、マーカス、スコットの3人は、テクノロジー環境が変化を決定するのではない、と注意深く述べている。それらは変化を可能にする。同様に、穀物農業発明自動的階級格差国家をもたらしたわけではない。しかし、それがそうした変化を可能にしたのである

階級関係階級闘争技術環境の変化は、階級闘争の舞台を設定した。そして、その階級闘争の結果が、平等と不平等のどちらが勝利するかを決定した。グレーバーとウェングローはこの重要な点を無視している。その代わりに、彼らは常に、そのような変化を即座に必然的ものとする段階論の粗雑な形式問題にしている。

この生態学思考に対するアレルギーが、彼らが人類進化に関する新しい文献を扱おうとしない背景の一つであろう。

これらの文献はすべて、人類となった動物たちが、自分たちの住む環境自分たちの身体、競合する捕食者、自分たちが発明できる技術生計を立てる方法に対して、どのように社会適応を築いたか理解しようとするものである。偶然にも、彼らはその生態系と状況に対処するために平等主義的な社会を築いた。それは必然的な結果ではなかった。しかし、それは適応だったのだ。

一方、グレーバーとウェングローは唯物論者ではない。彼らにとって、生態系技術について考えることは、彼らが望む選択革命不可能にする恐れがある。例えば、古代メソポタミアに関するスコットの本が、特に穀物農業が不平等をもたらした物質的な理由を強調しているため、彼らが満足していないのはこのためである

これは些細な問題ではない。私たちが今直面している気候危機は、人類が新しい技術と新しい環境適応するために、社会をどのように変えていくかという問題を浮き彫りにしている。平等人類存続のための政治は、今や深遠なまでに唯物論的でなければならない。

ジェンダーの不在

グレーバーとウェングローが環境人間存在物質的基盤にほとんど関心がないことは、これまで見てきたとおりである

同じように、彼らは階級という概念や、階級関係階級闘争についての議論ほとんど宗教的に避けている。グレーバーは確かに、そしておそらくウェングローも、階級関係階級闘争について理解している。彼らは、階級が何をするのか、そして実際、自分がどの階級人間なのかを知っているが、階級関係社会変革の原動力として扱うことはできないし、また扱おうともしない。

これと同様に目を引くのは、グレーバーとウェングローがジェンダー社会的構築に対して関心を示さないことである。彼らはミノア・クレタ島における母系制のほぼバコフェンを再現する一方で、女性は養育者であり、男性はいじめっ子であるという家父長制的なステレオタイプ散見する。

平等は常に私たちとともにあったというのが彼らの主張であるため、グレーバーとウェングローは、人類性別による不平等起源についてほとんど何も語っていない。

男女関係進化については、基本的に3つの学派がある。まず、進化心理学者たちであるが、彼らの主張は非常に保守的であるジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーは、不平等暴力競争人間の本性の基本であると主張する。彼らは、男性進化によって他の男性競争するようにプログラムされているため、強い者が女性支配し、より多くの子どもをもうけることができるからだと言う。これは残念なことであり、幸いにも西洋文明はそのような原始的感情部分的に手なずけてきたとピンカーは言う。

偉大な生物学者であり、トランス活動家であるジョーン・ラフガーデンは、こうした考えを『薄く偽装されたレイプ物語』と正しく表現している。このような議論は実に忌まわしいものであり、そのためだけにグレーバーやウェングローが否定したのは間違いない。

非常に長い間、フェミニスト人類学者の間では、第二の学派の考え方が支配的であった。この学派もまた、女性男性の間の差異本質化し、女性男性の間に何らかの不平等があることをあらゆる社会で当然のこととして受け入れていた。

私たちが支持するのは第3の選択である歴史学人類学考古学の記録に顕著な特徴がある。人々が経済的政治的に平等社会暮らしていたほとんどの場合女性男性平等であった。また、経済的に不平等階級社会存在したところでは、そこでも男性女性支配していた。

私たちにつきまとう疑問はこうだ:なぜなのか?

グレーバーとウェングローはこの問いに取り組んでいない。彼らは性差別について何の説明もしないし、男女関係がどのように、あるいはなぜ変化するのかにも関心がない。しかし、彼らは性差別主義者ではない。彼らは何度も女性抑圧の事例に触れているが、それは一過性のものである。彼らの関心事の中心にはないのだ。だから私たちには印象的な一致に見えるが、彼らにとっては蜃気楼なのだ

複雑な採集

グレイバーとウェングローの説明重要な部分は、農耕と階級的不平等、そして国家の出現との関連を軽視しようとする決意のもと、階級的不平等戦争さらには奴隷制さえも存在した狩猟採集民のグループに焦点を当てている。考古学者は彼らを「複合狩猟採集民」あるいは「複合採集民」と呼んでいる。

レバーとウェングローは、先史時代の人々が無国籍平等主義的であったか暴力的で不平等であったかのどちらかであったという証拠として、これらの人々を取り上げている。それは証拠が示すところとは違う。[7]

典型的な例は、フランツボースによって研究されたクワキウトル族と、カナダ西海岸コロンビア川フレイザー川の近隣の人々である。この川と海岸では、莫大な数のサケ遡上していた。限られた数の隘路や漁場を支配する者は、莫大な余剰を蓄えることができた。コロンビア川のギャレスがその一例だ。少人数で10ポンドサケを獲ることができた日もあった。

それは例外的なことだった。場所によって差はあった。しかし、沿岸部河川全域にわたって、サケ資源豊富であればあるほど、考古学や文献記録には階級間の不平等が表れている。富の不平等はしばしば極端であった。また、これらの人々は複雑な軍事技術を持っており、大勢戦士を乗せ、数人で何カ月もかけて作るような大きなカヌーを使っていた。

事実上農民田畑に囚われていたように、これらの人々は漁場に囚われていた。そして農民と同じように、サケ漁師たちにとって貯蔵は不可欠だった。考古学上の記録を遥かに遡ると、彼らの骨や歯を調べると、年間の食生活の40%から60%がサケからもたらされていたことがわかる。サケは数週間しか獲れないので、その食生活の大半は乾燥サケによるものだったに違いない。

農民と同じように、環境的制約と新技術階級社会可能性を開いていたのだ。こうした過程は、『万物黎明』にはまったく見られない。そのかわりに、50年前の学部生がクワキウトル族について語った、浪費的で貪欲ポトラッチ饗宴の民という、お決まり説明がなされている。この説明は、その後の膨大な研究成果を無視している。

天然痘梅毒人口の6分の5を失い、金鉱探鉱者によって征服され、そして蹂躙され、最終的にはカナダ政府によってポトラッチの宴が禁止された人々の中で、あの無秩序な宴は、権力にしがみつこうと必死だった支配階級によって管理された伝統的な生活の祭典であったことが、今ではわかっている。深い物質的な悲劇が、非合理的茶番劇として語られている[8]。

西海岸漁民けが「複雑な採集者」だったわけではない。世界中には他にも例がある。しかし、それがいかに少ないかは注目に値する。さら考古学者たちは、現在より7,000年前より古いものひとつも見つかっておらず、14,000年前より前に戦争があった証拠もない。

複雑な採集民の数が少なく、その起源が新しいのは、技術問題かもしれない。確かにカリフォルニア沿岸のチュマシュ族が不平等戦争を発展させたのは、紀元600年以前に大型の外洋用板カヌーの建造を習得してからである

彼らは「複合型採集民」の第三の例として、フロリダ南部カルーサ族を選んでいる。ある意味では、これらもまた、支配的な首長戦士階級格差奴隷制度、高価な戦争カヌー、海の哺乳類、ワニ、大型魚の漁業依存する漁民であった。

グレーバーとウェングローは、カルサ人を「非農耕民族」と表現している。しかし、彼らが認めているように、カルサの漁民もっと大きな政治の中で支配的なグループであった。他のすべての集団は農耕民であり、カルサ人の支配者に大量の食料、金、奴隷にされたヨーロッパ人アフリカ人捕虜を貢納していた。その食料によって、カルサ族のエリートたち、そして300人のフルタイム戦士たちは働かずに生活することができた[10]。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143955

2023-09-05

anond:20230905032653

では首都圏沿岸部液状化リスクの少ない広大な空き地福島第一原発敷地面積は約 350 万 ㎡)を用意してください

2023-08-06

anond:20230806144317

いや、なんにでも出汁の味を求めるとこだとおもう

広島の山奥出身民だけど、沿岸部以外の「お好み焼き」への理解度なんか、「ドロドロに溶いた小麦粉キャベツにまぶして焼いてソースかけて喰うんじゃろ?」くらいなもので、大阪に来てタコ焼の生地出汁を入れる、しかもそれが大前提というのが意味不明だった

2023-08-04

香川文化

anond:20230731103637

ネイティブ香川民じゃなくて転勤で来た関東地方から移住者だけど、香川享受してる文化を挙げておく。

文化

割と多い。もちろん京都奈良の比じゃないけど、狭い県の割にはあちらこちらに文化財がある。やっぱりなんだかんだで讃岐国中央に近かったからかな。四国遍路もあるし。

国宝も、建物だけで2件ある。増田故郷の県は香川県よりずっと広くて人口も多いけど、建造物国宝がないので、正直羨ましい。近所にある国宝も見に行った。京都奈良で感じるような、荘厳! という感じではなく、地味な佇まいだったけど、ここで千年近くもの時を閲してきたんだと思うと自然と厳かな気持ちになる。

追記丹下健三香川県庁東館忘れてたわ! 何も知らずに県庁に行ったときに「やたらと作りがオシャレだな???」と思って調べたら重要文化財にもなってる丹下健三作品ビックリした。初めて行ったときには渇水注意喚起をする垂れ幕がかかっていてそこにインパクトを感じたんだけど、もっと建物自体を堪能すべきだった。

寺社仏閣神社仏閣

香川で外せないのはやはり金毘羅さん。参詣道にずらっと土産物屋が軒を連ね、色んな年代奉納記録に出迎えられ、途中に戦後掃海殉職した人たちの顕彰碑があったりする。そっか、金毘羅さんって海の守り神だもんな。参道の途中にある表書院には円山応挙作品もある! 応挙をじっくり見られるのは非常に嬉しい。そして奥社まで歩くとなかなかの運動になるし、何より奥社でしか売ってない限定お守りなんかもあるんで、ぜひチャレンジしてみてほしい。

屋島寺もいいよ。建物がすごい立派なのでそれだけでももう見る価値があるんだけど、宝物殿が地味に充実してて、立派な展示品に目を奪われてしまう。それに屋嶋城っていう、天智天皇時代に作られた山城も残ってて、地味に観光地としてのポテンシャルが高いんだよな(屋島といえば那須与一、と思うかもしれないけど、古戦場がまったく古戦場感しないので……)。

あと、津嶋神社レア度が高くてよい。沖に浮かぶさな島に作られた神社で、年に1度の夏季大祭(ちょうど今日だった! 忘れてたわ!)の日にだけ橋を渡って行くことができる。年に1度しか買えないお守りなので非常にレアだし、何よりその日だけは予讃線臨時駅津島ノ宮駅」が設置され、小さいお子さんを連れた親御さんと鉄道が大好きな大きいお友達がパシャパシャ写真撮影しまくっている。もちろん増田撮影したよ! ミーハーからね! 子供健康と成長の守り神だから子供たちがいっぱいお参りに来ていてほっこりした気分になるし、海の上に架けられた橋を渡って参拝するという体験がもうたまらないよね。

追記お遍路さんもいいよね。白い衣装着てお経唱えてる姿を見ると、信仰が生きてるなぁって思って感動する。増田信仰心薄いからお参りできれば満足なので……

大名遺産

香川県は、江戸時代高松丸亀にそれぞれ大名が封じられていた。なので高松丸亀のそれぞれに当時の藩主遺産がある。江戸まわりは天領のほかは小さい旗本領とかそういうのばっかりだったから、こういう「数万~十数万石の地方領主のお膝元」は逆に味わえないんよね。

高松名物はなんといっても栗林公園松平家のお殿様(水戸徳川家の親戚)が作らせた壮大な和風庭園で、「ザ・和風庭園!」って感じの景色が素晴らしい。秋ごろに行われる夜間ライトアップ絶景と言うしかない。園内にある掬月亭っていう茶屋には抹茶代を払えば入れるんだけど、ゆったりした畳の間で抹茶を飲んで菓子をかじりながら庭園を眺める時間幸せ。あと、予約すれば手こぎの舟で園内の池を巡れるらしいので、優雅な殿様気分にひたりたい人はぜひやってみよう。園内の土産物屋が充実してるのもいい。「どうだ明るくなつたろう」グッズも置いてあるよ!(あれを描いた絵師香川出身らしい。知らなかった)

丸亀城は……うん、遠くから見るとすごい立派だね! 松山城とか、他の天守閣と比べて明らかにサイズが小さいというか「大きめの納屋か?」という感じ。でも、よくよく考えたら香川西部っていう狭い地域統治してた藩の拠点なんだからこのくらいが適正サイズなんだろうな。全国各地にあったはずの小藩のリアルを今に残す貴重な建築だと思う。あとマジで実際のサイズと遠くから見たとき雄大さのギャップがすごいのでああいトリックアートじみた建築を作れた江戸時代職人さんすごい。登城しなけりゃ立派な城に見えるもんなマジで

離島

気軽に行ける離島が多い。そして離島にはそれぞれ独自文化や趣がある。八十八ヶ所巡礼の島ver.ってのがあって、小さな島でもいくつもの寺が残ってたりする。これまで行った島で良かったのは以下。

次は小豆島に行ってみようと思ってる。地味に『からかい上手の高木さん』の聖地でもあるんだよね。楽しみ。あと離島が点在する瀬戸内海景色美しすぎる。日本アドリア海だろマジで

博物館美術館

意外と充実してる。香川県立ミュージアムは香川史に関する展示をわかりやすく纏めてくれてて満足度が割と高い。廃藩置県の時期に一時期愛媛県併合されてたけど独立運動を繰り広げて置県を勝ち取ったあたりは溢れんばかりのパトスを感じられる。県庁松山だったのか……そりゃ独立したいよな、四国の反対側だもん。高松美術館はなぜか上田薫に力を入れていてよく展示している。デュシャンやらポロックやらはちっとも良さがわからん、という増田みたいな層にも魅力が伝わる絶妙なチョイスで良い。観音寺道の駅には「世界コイン館」という展示と大平正芳香川選出なんだね。知らなかった)に関する展示が両方あって、世界各地のコイン日本貨幣史を堪能したあと戦後自民党史が学べるという構成になっている。カネの意味が違ってくるでしょうが

そして「四国村」は絶対に外せない。屋島にあるんだけど、四国各地から伝統的な民家とか農業用の小屋とかを移築してきてて、ぐるりと巡ることで四国地の文化を体感することができる。一口四国といっても、山岳部から沿岸部まで色々あって、それぞれの風土生業に適した家屋の形があるんだな、という当たり前の学びをほんの数時間で得ることができるので、民俗文化とかが好きなら絶対に行くべき。

追記四国水族館のこと忘れてた。やっぱり地方水族館はその土地の魚を展示してなんぼなところがあるけど、四国水族館地元の魚の展示&解説が充実してるから好き。具体的には滋賀県立琵琶湖博物館の次くらいに好き。アカメ水槽インパクトあるよね。こんなでかい魚が日本河川に棲んでるのか……。あと琴平にある「金陵の郷」もいい。金陵っていう香川では有名な酒蔵が運営してるんだけど、日本酒の製造工程を原寸大の人形再現してあって実質的日本博物館金毘羅参詣の帰りにふらっと寄って日本酒の歴史製法について勉強したうえで美味い酒を直営価格で買ったり日本酒グッズを物色したりするの、最高ですよ。日本酒をあしらったマスキングテープ買っちった。

現代文

やっぱり何といっても瀬戸内国際芸術祭だろう。去年が開催年だったので増田も行ってみたけど、こんな小さな島にこんなに人が??? って感じになる。残念ながら増田にはあんまり魅力のわからない芸術作品もそれなりにあるんだけど、少なくともそれらが地元に根づいているのは感じ取れるし、国外からアーティスト呼んできてるのは率直にすごいと思うんだ。外人さんもそれなりに見るしな……

オタク文化でいうと、上で書いたように小豆島が『からかい上手の高木さん』の聖地になってるほか、観音寺が『結城友奈は勇者である』の聖地なので、観音寺観光案内所に行くとゆゆゆのパンフがもらえるしゆゆゆの絵が描かれた自販機もある。え? TVアニメは見れるのかって? 聞かないでください……(『プリキュア』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『水星魔女』は見れたよ!)。アニメ映画もなかなかやってないことがあるし、『プリンセス・プリンシパル』はわざわざ岡山まで見に行ったからね俺。あとやっぱり「仕事帰りにあの映画見てみるか」みたいなのは難しい。どうしても「今度の休日イオンモール映画見よう」になっちゃって、「空いた時間で試しに見てみる」的行動が取れなくなったから鑑賞本数は減った。

書店

まあ……これは東京大阪並を求めるのは無理ですわ。岡山と比べても明らかに書店の規模がショボい。書店めぐりはできるけど、池袋ジュンク堂みたいな大型書店めぐり不可能東京大阪なら確実に置いてあって岡山でもたまに置いてあるあのシリーズが置いてないのか~! みたいなのがあるからマイナーな本は諦めるしかない。もちろん売れ筋の本とか有名どころのシリーズを読む分にはなんも不自由はないわけだけど。

でもジュンク堂みたいな東京のチェーンよりも宮脇書店っていう地元チェーンの方が強いのは文化を感じる。ブックカバーデザインと紙質はすごい好みだけど、文庫新書ブックカバー上下が固定されてない形式のやつだからハードカバー選書を買うとき宮脇書店に行って文庫新書が欲しいときジュンク堂とか他の店に行ってる。宮脇書店は車がないと厳しい総本店高松市街地のド真ん中にある本店(いちおうビルがまるごと書店になってる)があるけど、総本店はまだ行ったことないんだよな。やっぱり総本店だと大都市顔負けの品揃えだったりするのかしらん。

あと、高松アニメイト、ラノベシュリンクが全ての本にかかってるわけじゃなくてすげえ牧歌的まさかアニメイトでラノベ立ち読みして買うかどうか判断できるとは思ってなかった。東京だとそんな性善説運用は無理でギッチギチにシュリンクかけちゃうからなぁ。

追記)ルヌガンガ、知らなかった! ありがとう! あと宮脇書店について書き忘れてたけど、地元チェーンだけあって香川四国岡山に関する書籍ものすごい豊富だし、県内のたいていの街に支店があるのもありがたい。香川文化を支えてる企業だと思う。品揃えについて補足すると、本当に普通読書ライフを送る上ではまったく支障はないよ! Y出版社から出てる◯◯学のガチ学術書シリーズが置いてない、とか、F社から出てる△△学のブックレットが見当たらない、とか、ぎゃああああ国内の××方言に関する本が2冊しかないじゃんジュンク堂書店池袋本店ならダース単位で置いてあるのに! とか、T大学出版会やH大学出版局最新刊をちっとも見ないな……とか、そういう話だから

飲食店

ご飯はやっぱり、うどん! あちこちにお店があって楽しいし、セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。あと釜揚げ専門店以外では釜揚げうどんを頼むべきではないという暗黙の掟もある(調理時間がかかって他の客を待たせるので)。ただし基本的地元民向けのファーストフードなのでまったく旅行者には向いてない。

旅行者向けなのは、むしろアレだろ、骨付鳥とかそういうのだろ。骨付鳥はやっぱり丸亀本店がある「一鶴」。もちろん丸亀以外にも支店はあるけど、まあ一度は丸亀本店に行っておきたいよね。鶏は雛が柔らかくてオススメビール飲みながら骨付鳥食って、シメに鶏めしを食うのが最高。一鶴の鶏めしマジで美味いか香川に行ったら絶対食ってくれレベル一鶴以外にも骨付鳥の店は色々あるので、好きな店を開拓してみるのも楽しいぞ!

他にも、高松駅にある地元民向けの立ち食い寿司屋とか、三豊のラビオリ餃子屋とか(モチモチで超美味い。冷凍のやつを通販もしてるらしいよ)、香川産の食材を使った定食をお手頃価格で食べられるまいしょく家っていうローカルチェーンとか、色々美味しいお店があるので、ぜひ香川ごはんを味わってほしい。

そしてカフェ香川県でカフェめぐりをしたらもう東京カフェになんて入る気が起きなくなる。広々とした店内で好きに席を選べるスタバなんて初めて入ったわ……(丸亀スタバ市民交流センターも兼ねてるから店内に本棚があって自由に本を取って読めるんだよな。最高かよ)。店主にとっては嬉しくないかもしれないけど、香川県の人口が「カフェ複数ある」「混んでない」を両立できる最適の人口規模なんじゃねーの感もあるな。あちこちに落ち着いて座れるオシャレな喫茶店がいくつもあって嬉しい。あと高松商店街には和菓子屋さんが何軒もあって、そこの喫茶コーナーは和な甘味を堪能できてとてもよい。

イチオシ高松片原町商店街にある「了見」。センスの良い家具が飾られた落ち着いた雰囲気の店内で窓際から商店街の行き来を見下ろしながらお茶が楽しめる。お茶も、ポットで出てくる紅茶以外に、県内産の緑茶を冷やしたガラス製の急須に入れて出してくれたり、県内産の緑茶を使ったソーダがあったり、と、独自メニューが色々あって飽きないし、スイーツも美味しい。そして特に混んでないので長居しても怒られない! 東京とか札幌だったらこんな店並ばないと座れず時間制限とかかかるだろ絶対。こんな良い店でのんびりできるんだから、やっぱ地方都市は住みやすいわ~。東京は人多すぎやきん、落ち着いて座れないんよ~。

まとめ

とりあえず、東京暮らしが長い関東出身者だけど、香川文化を堪能してるよ、というお話でした。やっぱり東京メリットは集積にあるからマニアックな本がいっぱい並んでる大型書店に毎週通いたい! とか、東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館を全部めぐりたい! とか、マイナー映画劇場で見たい! とかの逸般的な文化ニーズに応えるのは東京の方が上。仕事帰りにちょっと立ち寄る、みたいな気軽な消費もしやすいし。でも、忙しなかったり混雑してるのは嫌だ、ほどほどにのんびり文化享受したい、というなら、香川くらいの地方がちょうどいいんじゃないかなぁ、と思うのですよ、はい

追記)住み心地でいうなら、「雨が少ない」。これ。マジで水害がほぼ絶無。去年関東台風で大騒ぎになってたとき特に被害はなく「あ、なんか大雨降って早明浦ダム埋まったわw」くらいの感じだった(被災地の人には申し訳ないが)。もちろん雨が少ないから常に渇水危機はあって、一昔前は一般人取水制限とか受けてたらしいんだけど、少なくとも増田は住んでて水に困ったことはない。「水を節約してください!」っていう行政からのお知らせは色々来るけどね。雪も降らないから滑って転んでタブレット台無しにしたりしないので、気候で言うなら多分岡山の次くらいに住みやすいのが香川なんじゃなかろうか(岡山は水あるからね……)。

2023-06-13

3大○○の象徴と思われているがそうじゃないもの 1/2

ファミマ入店

ファミリーマートに入った時になるメロディファミマ特製のものではなくて、パナソニック/ナショナル1982年から作っている赤外線入店センサーメロディサインシリーズ

EC5117/EC5227/EC5347型。一番安いのは4000円。

 

JR東日本の駅時計

東京などJR東日本の駅には緑の文字盤の時計が吊るされていて、JR東のコーポレートカラーの緑の特注品に見える。

しかしこれはSEIKOの親子時計(駅や工場など時間狂いが許されない箇所に使われるシステムで、正確な親時計が30秒or1分毎に指令を出して子時計が運針する)のうち、バックライトがなくても視認できる蛍光塗料を使った商品で特注ではない。つまり目覚まし時計が緑なのと同じ。

 

無印良品の駅の時計

無印の横長で四角い「駅の時計」は国鉄ものと誤認されがち。だが国鉄は秒が刻まれ時計採用していたので間違い。

目盛りが分刻みのあのデザインを使っていたのは地下鉄交通営団天井の低い銀座線丸の内線で使っていた。

 

名古屋ういろう

名古屋でもういろうは売られていたが、ういろう名産地と言ったら小田原だった。

だが東海道新幹線開業すると、ういろう販売店の内、名古屋青柳本店けが車内販売権を獲得。当社は電車名古屋を出ると「名古屋名物ういろう」と売りまくったためにういろう名古屋利用者に刷り込まれた。

 

日本四季の国

漢の時代中国四季に合わせて漢詩を詠む事が教養となり、それを日本も倣った。漢詩和歌俳句→散文と受け継がれ、風流教養から手紙の頭などに必ず季節を入れるのが常識となった。

この為に日本の特徴的な季節である梅雨などは無視されるか夏に入れられている。

梅雨前線が停滞することで起きるので青森台湾中国沿岸部しか梅雨にならず、中国沿岸部梅雨は軽度でしかなかったため。

 

○○銀座

商店街銀座を名乗るのは賑やか、高級のイメージと思われているが、最初銀座を名乗った戸越銀座がそう名乗ったのは本物の銀座で使われていた煉瓦舗装に使ったため。

関東大震災の復旧で銀座舗装をやり直す事になり、それまで使われていた煉瓦の敷石が戸越譲渡された。戸越煉瓦舗装で雨の日でも泥まみれにならなくなったので「戸越銀座」を名乗った。つまり銀座根拠煉瓦舗装

 

黒船

ペリー黒船蒸気機関車混同されて鉄製+石炭蒸気船イメージがあるが、木造帆船

木に腐食防止のコールタールを塗っていたので黒く、普段は帆走していて港での移動にの蒸気機関による外輪を補助的に使っていた。

 

ヨコハマタイヤの顔

昔のヨコハマタイヤ看板広告に使っていた、タイヤの中に濃い顔があるデザインは頭おかしい系怖いデザインとして有名だが、実はヨコハマタイヤ意匠ではない。

アメリカBFグッドリッチ社がディーラーサイン(取扱店)として配布していたもの。(The Smileage!)。だからヨコハマタイヤのも取扱店の目印で、大村崑オロナミンCホーロー看板と同じ。

BFグッドリッチが使っていたのは戦前戦後初期と古く、また白黒イラストに赤文字だったのだが、戦後下ってから何故かヨコハマタイヤが色付けして復刻。その姿で多くの幼子を泣かせた。

錆びると紫外線遮蔽力が弱い白目部分と赤い唇の塗料が先行して剥げ易く、目と口から赤い錆汁を垂らすようになる。サイレントヒル

ヨコハマタイヤ古河財閥BFグッドリッチの合弁。戦争関係が切れていたが戦後関係が復活したのでキャンペーンデザイン統一した意味があったのかもしれない。

BFグッドリッチ社はオーチスエレベータ等も擁するユナイテッド・テクノロジーズ社に吸収されて消滅タイヤBFグッドリッチブランドミシュランが持っている。

google:image:BF GOODRICH TIRES SMILEAGE

新幹線

新幹線固有名詞になっているが、元は単に幹線鉄道に平行する新しい幹線、って意味

 

金沢八景

京急線も通る金沢八景はそういう土地があったわけではない。

元は瀟湘八景で、中国湖南省水郷地帯を季節を違えて八か所描いた山水画

四季」と同じくこれが日本教養化されたもの。元が侘び寂び的であるので日本で更に洗練された。

山水画だけでなく連句を詠む/選ぶ、散文に登場させる、浮世絵写真、単に選ぶなどのスタイル流行した。

晴嵐、晩鐘、夜雨、夕照、帰帆、秋月落雁、暮雪のテーマをなるべく入れる事が求められ、何も入っておらず単に綺麗な景色8選だと無教養と評される。

金沢八景は全八テーマ網羅された景色であり、多くの漢詩俳句浮世絵が作られた。

当地は沈降海岸リアス海岸)で入り江と小さい島が多く松島のような絶景富士山詣での返りにわざわざ訪れたりするほどの景勝地だった。

後に埋め立て等で景色は全て失われて八景の由来も判らなくなったが、「眺めが素晴らしい金沢」みたいな駅名である

だがその駅により周囲の埋め立てが進んで八景が無くなったのだから皮肉である

 

鬼怒川

数年前の鬼怒川決壊氾濫で、過去にも「鬼が怒った」ような暴れ川だったと考える人が居るが、単に鬼怒川の源流付近を昔「けぬ」と言っていたかである

前橋から日光群馬から栃木西側に掛けてけぬ(毛野)と呼ばれていた。後に上野国(こうづけのくに)下野国しもつけのくに)となるが、読みの「こうづけ」の「け」は「けぬ」の「け」であって、漢字の方で脱落してしまったもの

上毛と言った時の「毛」もけぬの「け」である

 

アルファロメオエンブレム人を食う大蛇

ビショーネという。google:image:biscione

安倍晋三総理若い時に乗っていたというアルファロメオエンブレムには十字架とビショーネが描かれているが、これはアルファ象徴という訳ではなく、都市国家ミラノ支配していたヴィスコンティ家の紋章である

ミラノ市ではヴィスコンティ家に因み市章としている。

ミラノ商人貴族ビスコンティ家より紋章が描かれた皿を下賜され、忠誠の証しとして家に飾っていた。

十字軍の武勲に因むので喰われているのはイスラムの民である

余談だが安倍総理が乗っていたアルファ年代的にアルフェッタという車種と思われる。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/1978_Alfa_Romeo_Alfetta_GTV_%287254572400%29.jpg

実はこの年代アルファソ連製鋼板の品質に由来する品質問題を抱えていて評判を低下させた時期である自動車鉄板は防錆の為に亜鉛メッキされているのだが共産国ソ連生産管理ダメさによって亜鉛メッキちゃんとされておらず錆だらけになってしまう。

なぜソ連鉄板など使っていたかというとデタントソ連との交易を増やそうというイタリア国策である。だがこれはイタリアが東寄りだったいう訳ではなく旧枢軸国独裁国でフランスなどに経済制裁されていたスペインにも工場進出しており単に節操がない。

当時日本の鉄鋼が米国を打ち負かす程の伸長をしており、日本製鋼板を使っていればこんな事にならなかった。アルファに乗っていた安倍氏卒業後に日本の鉄鋼会社に勤めていたというのが皮肉である

 

あと一つ入らないから続く→https://anond.hatelabo.jp/20230613182714

2023-06-12

anond:20230612105404

から中国比較して日本はーって言ってる人はいたけどだいたい上海とかの沿岸部前提だったりするんだよね

あの海外の一部分だけを比較して日本は云々言い出すのってやめたほうがいいと思ってるけど

2023-06-08

anond:20230608150449

ちょっと思い出した話。

以前(或る時期)は塩を日本生産できない?と言われていた。

どうなったんだろうと思ったら、色々な変遷の後生産・販売ができるようになってたんだね。

https://corezoprize.com/salt-history

塩業近代化臨時措置

1971(昭和46)年「塩業近代化臨時措置法」が成立し、約20年続いた流下式塩田による塩の製造廃止され、日本では「イオン交換膜製塩」以外の方法海水から直接「塩」を採ることが出来なくなり、また、一般企業日本で塩の製造を行ったり、自由に輸入することも禁止された。


これは、塩の安価で安定した供給だけではなく、沿岸部にあった塩田工業港湾用地として再活用することも望んだ産業界要請に応えたものでもあったと云われている。


イオン交換膜法にて製塩された塩が「食塩」として食用にも販売されることとなった。

塩の専売制廃止(塩事業法に移行)

その後、ミネラル重要性を訴えた廃業事業者を中心として「日本自然塩普及会」や「日本食用研究会」といった組織が発足し、流下式塩田による製塩の復活を求める活動等が行われ、輸入天日塩ににがり成分を混ぜた塩や流下式塩田を応用化した製法の塩の製造などについて一定の制約のもと認められることとなり、その流通量も徐々に増えていった。


1985(昭和60)年には、日本専売公社が民営化日本たばこ産業に移行)され、塩の販売専売制から徐々に自由販売できるようになってきた。1997(平成9)年4月には塩の専売制廃止(塩事業法に移行)され、日本たばこ産業の塩事業財団法人塩事業センター移管された。


事業法の経過措置が終了した2002年(平成14)年4月、塩の製造販売等を行う場合財務省への届出等が必要であるが、完全に自由化された。自由化に伴い、沖縄九州四国大島など、日本各地で少数ながら流下式を基本とした製法で海塩が作られ、日本人の健康志向の高まりあいまっていわゆる「自然ブーム」が起きた。

2023-06-05

ウ戦におけるサヨクダブスタウケる

サヨクの主張だと、日中戦争時(真珠湾前)に沿岸部占領してた日本と、連合国から兵器供与受けてた中国を見て、「平和のために即時停戦すべきだった。中国兵器供与した連合国側が悪い」と言わなきゃならんのに、そんなこと絶対に言わないよな。思考バグっててウケる

2023-06-03

巨大な宇宙人よ、地球にしょんべんは勘弁してくれ

海面上昇で沿岸部特に困る

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