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はてなキーワード: 天国と地獄とは

2021-05-12

BLEACH』の最終回に納得できない一部がどうしても無理

BLEACH

ジャンプで15年に渡って連載された漫画だ。

私の世代オタクなら男女問わず影響を受けた人が多いと思う。

私はすごく『BLEACH』が大好きで、人生の半分くらいは『BLEACH』とともに過ごしてきた。



もう4年以上前のことになるが、『BLEACH』は最終回を迎えた。

最終回では主人公一護ヒロイン織姫ルキア恋次がそれぞれ結婚している。



結婚作品区切りがつくのかという驚きとともに、終わってしまうこと自体の寂しさを感じて、

それまでソシャゲはやったことがないのに、『BLEACH』のソシャゲである通称ブレソルを始めた。

いたことがないくらいの喪失感だったと思う。

あんなに頑張った部活引退したときよりも、心に孔が開いたような気がする。




他の人はどうだったのだろう?

私は他の人の感想を読むのが好きだ。



Twitterを見てみる。

ひとことで言うと天国と地獄だ。



これを言うと「ジェンダーが~」「多様な価値が~」などと怒られるかもしれないが、

結婚幸せもの」と考えられることが多い。

からこそ、結婚式にはご「祝」儀を送る。

結婚には辛く苦しいこともあるが、それでも喜ばしくめでたいものだ。


台詞という一番明確な描写から分かるように、織姫はずっと一護のことが好きだ。

BLEACH』をあまり知らない人でも、5回生まれ変わったら「5回とも同じ人を好きになる」と織姫一護にいうシーンは知っているくらい有名だと思う。

それくらい想いを寄せていて、最終回ではそれが報われたということもあり、祝福ムードに包まれていた。



一方で、阿鼻叫喚の大地獄人生が開幕した人もいる。

……既に知っている人がいるかもしれないが、一護ルキアが出来ていると考えるファンもそれなりにいた。

まり地獄を見たのは彼らである

Twitterでは作者に対して罵詈雑言の限りを尽くしたり、「精神に不調をきたしたから集〇社に連絡を」などと言ったり、

正直、恐怖だった。



彼らの一部が『BLEACH』の単行本を燃やしてもいた。


え……?こわ……。近寄らんとこ……。



自分の好きなカップルが結ばれないのはショックなのは分かる。

私もデジモンヤマトとソラが結婚するとは思わなかったから。


けれど、受け入れられる範疇を越していた。



一護から織姫への矢印なんてない」

ルキア死神の力を譲渡した罪で尸魂界に強制帰還させられていたときにはなかったけれど、

織姫が虚圏に連れ去られたときには、一護の目元にクマが出来ていたよね?

ウルキオラ戦でほぼ死にかけの状態だったのに、織姫の助けを求める声に呼応していたよね?


明確な台詞はなくとも、一護織姫特別に思うような分かるような描写があるのに分かろうともしない。



「みんな、一護×ルキア結婚した方が良かったと思っている」

いや~、思っていませんけど。

自分が」が主語なのに勝手に、味方を付けようとして怖い。



その他、織姫に対する中傷的なコメントもあった。

特に推しているキャラではなくても、中々に目を疑いたくなるようなものも多い。

全員が全員そうではないんだろうけど、

最終回に納得が出来ない多くの人がきっと織姫が嫌いだから一護ルキア結婚すべきと思っているのかもしれない。



連載終了して4年以上経つ。

けれども久保先生ファンクラブがあったり、最終章アニメが決定されていたり、今でも人気は色あせていない。



Twitterでもトレンド1位になる。

その度に「最終回は受け入れられない」「久保先生自体地雷

そのくせに『BLEACHコラボやグッズの発売を喜ぶ。



気に食わないならもう『BLEACH』に関わらないで欲しい。

こういう人にはファンになって欲しくない。

わがまま丸出しで本当に恥ずかしいし申し訳ないが言わせてくれ。



本当は作品名を出したくなかった。自分の大好きな作品が汚れてしまうから

でも、もう限界……。





特定カップリングに対する誹謗中傷意図はありません。

結婚自体に対して悪い、望ましくないと思っている人を否定する意図はありません。

2021-04-06

anond:20210406154303

いつからプロテスタント懺悔システムが導入されたんだ?死んで裁かれるまで、あるいは審判の日が来るまで、自分天国と地獄のどちらに行くかは分からないってのがプロテスタント立場だと思ったけど。あと、日本無宗教ではないなんてのは、いまさら何を言ってんだ的な当たり前の話ですわ。お墓や地蔵が倒れてたらまた立てた方がいいかなと思ったり、おむすびを踏んづけるはよくないことだと感じたり、多くの人の中にあるそういう感覚ってのは、紛れもなく宗教的な心情の現れだ。

2021-03-20

風立ちぬ』はシンエヴァアナザーストーリー

風立ちぬ』はシン・エヴァンゲリオンアナザーストーリーだと気づいた。

以下、エヴァネタバレは無いが風立ちぬネタバレはあるので注意。

.

風立ちぬ』には4つの元ネタがある。

1つめは飛行機技術者堀越二郎人生。彼は零戦を作ったが、別に妻は結核になってないし、子供も6人いる。

2つめは小説風立ちぬ』。妻が結核になる話。ただしアニメと違って夫は妻に寄り添ってる。

3つめは宮崎駿人生飛行機作り=アニメ作り。妻をほっぽって飛行機作りに熱中する堀越二郎=家庭を顧みない宮崎駿。膨大な予算国民を飢えさせながら飛行機作りする堀越二郎ジブリアニメーターの創造性を犠牲にして自分作品作りの為に才能を搾り取る宮崎駿人殺しの道具を作る堀越二郎アニメに熱中する人間を生み出した宮崎駿

そして4つめは、ゲーテの『ファウスト』。

戯曲ファウスト』の主人公は、大学博士号を取ったファウスト博士で、ファウストはあらゆる学問を学んで知識をつけるが「知識だけあっても、あらゆる人生経験を積んだ訳じゃない」と思い悩む。

そこに悪魔メフィストがやってきて「お前にこの世のありとあらゆる経験を積ませてやる。その代わり死んだら魂を貰うよ」と持ちかけてくる。

メフィスト契約したファウストはさっそくグレートヒェンという少女に恋をして、彼女と付き合う。その後いろいろあって彼女のお母さんを毒殺し、お兄さんを刺殺し、妊娠した彼女を捨てて、その結果彼女発狂して自分赤ん坊を殺してしま死刑になる。

その後ファウストは違う美女を探しに異世界に行って大活躍し、現実世界に戻ってきても大活躍し、散々好き放題やった末に一生を終える。

ファウストは死後、天国と地獄中間地点『煉獄』につき、メフィストに「約束通り魂貰うよ」と言われるが、そこにファウストによって散々な目にあった少女グレートヒェンがやってきて、彼女祈りファウストは救済される。

ファウスト』を要約すると、悪魔に魂を売った男が好き放題して最後地獄に落ちそうになるが、理解ある彼女さんのお陰で天国行けましたという話。

風立ちぬ』のラストシーンでは、地獄のような光景が向こう側に見える綺麗な丘で、堀越二郎カプローニさん(堀越二郎たぶらかした男)、そして美穂子(堀越二郎人生を振り回された少女)と対話する。

魂を取りにきた悪魔と、そこから救いに来てくれた聖女。これは『ファウスト』のラストシーンと重なっている。

しか宮崎駿が当初考えていた風立ちぬラストは、より踏み込んだものだったらしい。

ファウスト』ではグレートヒェンの祈りファウストが救われるが、風立ちぬの真ラストでは、菜穂子が「来て」と言った後にカプローニさんが「その前にちょっと話でもしていかいか。美味いワインがあるんだ」と言って堀越二郎地獄が広がる丘の向こうに連れて行く。これが当初の案で、ギリギリになって修正されたと語られている。

要するに「は?お前何救われようとしてんの?お前も地獄に落ちるんだよ」エンドだ。

この非情な展開を庵野秀明演じる堀越二郎に味合わせるストーリーを考えたのが、庵野秀明師匠である宮崎駿だ。

まり宮崎駿カプローニ

庵野秀明創作に魂を捧げた代償として、地獄に落ちるはずだった。

「どこにいても必ず迎えに行く」と約束されても、宮崎駿ガッチリ肩を組まれて「違う違う、お前が行くのはこっちだぞ?」と地獄に引きずり下ろされるはずだった。

2021-02-28

anond:20210228164911

僕の場合成功するか、どこかで海外含めて逃げるか、最底辺暮らしかのまさに天国と地獄だな。

守備以前に、完全に弱い立場でたちの悪い人間が絡みついてきたら逃げるしかねぇと思ってる。少々恵まれ立場にあったが、完全な下級国民だ。

無気力だろうが、安定して、趣味は楽しめて、同じ趣味の異性と仲良く暮らせる人生を歩みたかったなとは思うな。

ホントアホクセェ。

2021-02-10

クラシックガイド増田) を見やすくしたよ。

 anond:20210210062305 (クラシックガイド) を見やすくしたよ。

 はてな記法で、分類表示した。テキストは変えていません。

 

   §1600年代前半

イタリア

ドイツ

 

   §1600年代後半

イタリア

おフランス

ドイツ

イギリス

 

   §1700年代前半

イタリア

フランス

ドイツ

イギリス

以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代

 

   §1700年代後半

古典派音楽」の時代

イタリア

フランス

  • ゴセック  (日本では「ガヴォット」だけが有名)

ドイツ

オーストリア

 

   §1800年代前半  (晩期古典から初期ロマン派

イタリア

オーストリア

ドイツ

 

   §1800年代中盤  (盛期ロマン派

ドイツ

イタリア

フランス

ポーランドフランス

ハンガリー

ロシア

 

   §1800年代後半

イタリア

オーストリア

ドイツ

フランス

チェコ

ロシア

北欧

 

   §1800年代終盤から1900年代初頭  (後期ロマン派印象派音楽

イタリア

オーストリア

ドイツ

フランス

チェコ

ポーランド

ロシア

イギリス

北欧

 

   §1900年代中盤以降  (第一次大戦終了によってロマン主義印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)

ドイツ

オーストリア

フランス

いわゆる「6人組」の時代現在でも有名なのは

現代音楽私的により重要なのは

ハンガリー

チェコ

イギリス

ソ連

間違いだらけのクラシック音楽史の表を修正してみた

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833

↑このブコメ賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。

とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲムマショーパレストリーナジョスカン・デ・プレがないぞ」とかい意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。

作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。

「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内情報だけで書いております

1600年代前半

イタリア

モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのはアマリッリ」)

ドイツ

シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャインシャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)

1600年代後半

イタリア

コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)

おフランス

リュリバロックフランスオペラ第一人者

ドイツ

パッヘルバル(「カノン」だけが有名)

イギリス

パーセルオペラ「ディドーとエネアス」が有名)

1700年代前半

イタリア

ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)

フランス

クープランチェンバロ曲で有名)、ラモー音楽理論とオペラ

ドイツ

バッハ名曲多数)、ヘンデル日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓音楽」で有名)

イギリス

ヘンデル帰化

以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります

1700年代後半

古典派音楽」の時代啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。

イタリア

チマローザオペラ秘密結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリオペラ巨匠

フランス

ゴセック(日本では「ガヴォット」だけが有名)

ドイツ

グルックオペラオルフェオとエウリディーチェ」)

オーストリア

モーツァルトハイドン兄弟

1800年代序盤(晩期古典から初期ロマン派

音楽における「ロマン主義」は文学絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。

イタリア

ロッシーニオペラウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニオペラノルマ」など)、ドニゼッティオペラ愛の妙薬」など)

ドイツ

ベートーヴェンヴェーバーオペラ魔弾の射手」など)

オーストリア

シューベルト未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)

1800年代中盤(盛期ロマン派

音楽におけるロマン主義成熟し花開いた時代

ドイツ

メンデルスゾーンシューマン世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)

イタリア

ヴェルディ前期(オペラマクベス」「リゴレット」)

フランス

ベルリオーズ幻想交響曲

ポーランドフランス

ショパン

ハンガリー

リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツオーストリア人で本来ハンガリー民族要素は無いのでドイツオーストリア音楽として捉えるのが正しい)

ロシア

グリンカオペラルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキーオペラ「石の客」)

1800年代後半

1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽雰囲気も暗くなって参ります

イタリア

ヴェルディ後期(オペラ椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)

オーストリア

ブルックナー交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)

ドイツ

ブラームスブルッフヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)

フランス

オッフェンバックオペレッタ天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラファウスト」)マスネ(オペラタイス」など。「タイス瞑想曲」)、サン=サーンス長生きしたので今年没後100年)、フランクバッハ対位法ベートーヴェンの劇的構成ワーグナー和声を融合した究極の交響曲作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想水平線」)

チェコ

スメタナ連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)

ロシア

ボロディンオペライーゴリ公」、交響詩中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキーオペラボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキーバレエ白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)

北欧

グリーグピアノ協奏曲、劇判音楽ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲最後の春」など)

1800年代終盤から1900年代初頭(後期ロマン派印象派音楽

イタリア

プッチーニオペラトスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラカヴァレリア・ルスティカーナ」映画ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ交響詩ローマの松」などローマ三部作

オーストリア

マーラー11曲の交響曲歌曲)、ヴォルフドイツ歌曲の頂点として非常に有名)

ドイツ

リヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトストラはかく語りき」〈映画2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラサロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)

フランス

ダンディ(「フランス山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシーオペラペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェルバレエ音楽「ダフニスクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)

チェコ

フェルステル、ヤナーチェクオペラ利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)

ポーランド

シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)

ロシア

グラズノフロシア浪漫交響曲集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)

イギリス

エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)

北欧

シベリウスニールセン交響曲第4番「不滅」が有名)

1900年代中盤以降(第一次大戦終了によってロマン主義印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)

ドイツ

ヒンデミットオペラ画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)

オーストリア

シェーンベルク(無調音楽12音楽創始者。彼が最初12音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク12音楽100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽12音楽調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン12音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。

フランス

いわゆる「6人組」の時代現在でも有名なのはプーランクミヨーオネゲル交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光オペラアッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。

ハンガリー

バルトーク、コダーイ

チェコ

マルチヌーなど

イギリス

ブリテン(とりあえず「戦争レクイエム」は聴いておくべき)

ソ連

プロコフィエフ大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラ弦楽四重奏曲です)

20世紀後半以降は省略。

2021-02-04

彼氏が欲しいのかわからない

彼氏が欲しい時期と一人で生きていきたい時期が交互にやってきて自分気持ちがわからなくなるんだけど、いつの自分を信じれば良いんだろう。

自問自答しすぎて頭が混乱するとアイドルとかドラマのことに逃げちゃうからいつも結論がでない。とりあえず今はシン・ウルトラマンが楽しみなのと、天国と地獄っていうドラマ面白そうだからTVerで見ないといけないなって感じ。

2020-11-10

フレンチ・カンカンの穴あき見せパントップレスのショー

カンカンとの出会い

フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それからドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtube検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画確認できる。

カンカン歴史、当時の見せパン

本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレス基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまりレオタード姿のソネットCMフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。

衣装ではなく、カンカンダンスのものについては、日本語版ウィキペディア英語版ウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。

両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパン起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサー娼婦セミプロ役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパン確認できる。これらのスター生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌財産を失い、寂しく亡くなっている。

さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からロッチ部分が開いていたからである。要するに性器丸出しになるわけであるもっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディア普段自然科学記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。

ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代アメリカで人気が出たスタイル逆輸入したものでそうである

実際、19世紀から20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキング対照エロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。

結論から言うと、当時のフランスに見せパンのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現自由でなかった当時のこと、そんなことを文学絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界起源」が1868年ヌードスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である

著名なキャバレーについて

パリはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代芸術芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュ活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方広告が載っていたと記憶しているものピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレス女性旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。

学生時代パリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である

ムーラン・ルージュ

赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズロートレック作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。

ところで、ウィキペディアだけからヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年舞踏会に裸の女性いたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国劇場のように活人画、すなわち生きた人間絵画再現する目的としてならヌード猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場ヌードが現れたとき当局1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップ記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。

これまたよくわからないのがゾラ1880年小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事カンカンについてなので劇場ヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。

1889年開業1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。

フォリー・ベルジェール

モネ絵画「フォリー・ベルジェールのバー」舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Baker活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズム流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女黒人人権活動家としても知られている。最近グーグル彼女の生涯を記念するドゥードゥルトップにした。

1869年開業1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌード披露されることで知られる。

リド

映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。

ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうであるヌードトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術ヌードならOKなのか。フランス映画年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。

1946年開業1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。

クレイジーホース

ストリップティーズ」の項目によれば1960年代全裸のショーが行われた、とある

現に、創業者であるアランベルナルダン芸術性を伴った女性ヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である

とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業

余談

天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂CMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者CG黎明期であったせいかサイケデリック表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。

ところで、この曲は地獄オルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話オルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話パロディ的なオペレッタからだそうだ。なるほど。

まとめ

今後の展望

こうしたレオタード姿のラインダンスカンカンではないと述べたが、それではこれはいからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版ウィキペディアバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである

また、劇場において全裸が許容されたのはいからか、それも調べねばならない。

だが、まずはラインダンス調査に移りたく思う。

2020-07-26

そもそも天国と地獄ってなんだよ

極楽浄土地獄じゃねーのかよ

ほとんどの人がお坊さん呼んで葬式すんだから

2020-05-03

小学校感染対策について考えてみた

当方、未就学児を持つ札幌在住の医療職。

このブログを読んだ。内容に同感である

どのような形で「感染拡大下の教育」が可能になるのか - 極論としての試案/天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

http://mazmot.hatenablog.com/entry/2020/05/01/163839

子供安全(ひいては子供きっかけとしたクラスター回避)は大切だが、

現在の長期休校状態は、感染リスク教育機会の損失のバランスを欠いていると思っている。

感染収束を待ち続けるプランは、

収束しなかった場合の損失が大きすぎることが一番の問題だが

収束するかどうかは予測困難なためその是非を問う議論は決着しない。

現在感染は収まっていないのだから感染がある中での教育を最優先に、一刻も早い登園再開を願う。

感染が収まった場合感染が再開した場合についてはプランBとして並行すればよい。

上記ブログでも言及されているが

自学能力が高い高校生以上は、そもそも登校しない選択もありうる。

感染対策としては最善である

"密集を避けるべき感染拡大状況と真っ向から対立する集団化がどうしても要求されるのが小学校なのだ"

という記載を受けて、「感染拡大下の教育」の課題である小学校感染対策について考えてみた。

自学能力がまだ備わっておらず登校が不可欠かつ

自律した衛生管理ができず感染リスクが高くなる年代

だいたい10歳未満の児童ケア感染症と共存する教育の肝になるだろうと思う。

感染しない、させない行動については実行可能技術だ。

校内でウィルスに触れないこと、触れたら落とすこと、これだけだ。

知識技術もいらない。気を付けられるかどうかである

ちなみにウィルスに触れる機会、つまり接触については以下が簡易。

「人との接触」ってどうやって数えればいいの?/コロナ専門家有志の会

https://note.stopcovid19.jp/n/n1d0745601527

"「一人の人が相手と1m以内の距離で2〜3往復の会話をしたら、1接触と数える」"

"「一人の人が相手握手をしたら、1接触と数える」"

また濃厚接触となる会話の目安は、マスクなしで15分以上となっている。

互いに距離をあけ、15分以上発話し合わず、何かに触れたら手を洗う。

大人には簡単配慮だが、小学校低学年では対応可能だろうか?

いくつか考えてみた

◆密集についての対策

・一クラス10から15名での分散登校を行う

・短時間解散する(35分授業×3程度)

◆会話についての対策

・授業の合間の休憩を10分以内にする

・最もリスク高まるのは下校時。

なかなか帰らないで友達と固まっておしゃべりしたくなる時間

親が迎えに来るか、教員が速やかな帰宅を促す必要がある。

◆手で触れる接触についての対策

自律して手洗いを行えない児童に対しては、登校後、下校前に手洗い指示を行う。

(登校後は授業を受けているだけのはずなので、自分の席、自分の筆記用具にしか触れていなければ手洗いを強制しなくてもリスクは高くない。

休み時間ごとに手洗い場に並ばせる手間のほうがデメリットが大きい。自分でこまめに洗える子は各自で。)

・体育や合唱、道具を共有する授業(理科実験?)は避ける

トイレ使用しなくてもよいくらい校内滞在時間を短くする。

◆誰もが保菌者である仮定したうえでの感染対策

・子⇔子感染に関しては会話の機会=休み時間を濃厚接触条件より短時間に区切る

教師⇔子に関しては教師の側から感染リスクを避ける行動をとる

クラスの人数を二分して登校させる場合メンバーは固定する

(日によってメンバーの組み合わせがランダムにならないようにする。誕生月や出席番号で分ける。)

◆その他

一時的に数分密集するだけなら低リスク(トイレ、玄9)ただしトイレでは手を洗う

・校内での食事は避けたほうがよい(給食の救済難しい。パン牛乳の持ち帰りなら可能では)

特殊システムを導入せずとも、大人側の配慮次第で小学校登校は可能ではないだろうか?

いやいや現場はとか、様々個別の事例生じうるのは承知のうえで、感染対策しつつ登校する方策否定しないでほしいと思う。

3月北海道では全国に先駆けて緊急事態宣言を出す状況となったが、保育園学童保育は通常通り運営された。

保育園コロナ禍の中で多数の子供たちを一日8時間預かりながら

集団感染に繋がっていない事実もっと評価してよいのではないか

2020-03-29

18卒のアベノミクス世代だったのにニートやってたかコロナ世代なっちまったよ.......

来月から就活しなきゃいけないのにさぁ.......

思えばニート生活も悪くはなかった。いい歳して親からお小遣い貰う劣等感こそ付き纏うけど時間的制約から解き放たれた圧倒的可処分時間を用いてレトロギャルゲーヒロイン達を攻略しまくった記録はきっと就活でも役に立つだろう。

アメリカ好景気アベノミクスによる堅調な株価に支えられ企業業績も好調就職市場人手不足の絶賛売り手市場

昨年の年末まではこんな現状認識だったのにものの数ヵ月で天国と地獄だよなぁ.......

まぁ俺は元々底辺からいいけど来年以降の新卒は可哀そうだな。でもそれも天運か。人間万事塞翁が馬メモオフ人生

2020-02-25

京都大丸チーズ専門店

友人の結婚式のために京都に行った時のことだ。京都大丸地下フロアトイレを出てすぐのところに、チーズ屋があった。俺は普段チーズなんか全く食わないんだけど、なぜかその時は吸い込まれるように店に近寄って、日本酒に合うチーズありますかと聞いていた。後日、親父からいい日本酒を貰える予定があったのだ。店員は、それがねお客さん、チーズ日本酒に…………と答えた。ああ、合わないのか。とちょっと残念に思ったら、合うんですよ!とキラキラした瞳で答えた。お婆ちゃん店員だった。俺は直感的に、この店員は信用できると思った。オタクの目をしていたからだ。

お婆ちゃん店員はいろいろなチーズ試食させてくれた。どれもこれも濃厚で複雑な味わいがあり、それだけで完成された食べ物だった。しかし、中でも俺に衝撃を与えたチーズがあった。コンテチーズである。美味しいナッツのようなコクと程よい塩気、ミルクの芳醇でクリーミーな味わいがあり、マジで無限に食べられるほど美味かった。人生、このチーズ知っているのと知らないのでは、天国と地獄ほどの差がある。もはや義務教育で教えて良いレベルで、QOLに大きな影響を与える。俺はすぐにコンテを買って、意気揚々大丸を出た。

あれから数年、俺は東京地元近郊のデパ地下専門店を中心にコンテチーズを買っているのだが、あのとき食べたほどのコクやクリーミさ、芳醇さが全然ない。京都大丸でないと駄目なのか?そんなことあるのか?天下の東京で駄目なのに?チーズを買いに京都まで……行くべきなんだろうか。まだあのお婆ちゃん店員はいるだろうか

2020-02-13

どうしようもない僕に天使が降りてきた

SECRET HEAVEN

どんなときも。

天国と地獄へのエレベーター

さらばだ

もう恋なんてしない

君の声を待つ夜

明けない夜が来ることはない

僕が一番欲しかったもの

ほんの少しだけ

冬がはじまるよ

anond:20200213172623

天国と地獄エレベーター、だなぁ。過渡期にもいい曲いっぱい書いてきたのに、やるせなくなって来るね。

2019-11-07

お前らぶっちゃけ死後の世界を心から否定できないだろ?

俺はゆるふわっとした自殺願望があるんだけど自殺した奴は霊魂となり永遠に現世に留まって延々と自殺を繰り返す説に恐れをなしてるんだよな

だって絶対やだもん

何が楽しくて延々自殺せなあかんねん

あと死後に閻魔とかジーザスかによって生前の行いで天国と地獄に振り分けられる説もやだわ

俺は死んだら無になりたいの

感覚的絶無、意識的皆無、完全なる無そのものになりたい

恐らく既存自然科学で明らかになってる限りの世界の全貌から導出される答えは死後の世界などありま天使👼だと思うんだけど、でも「もしマジだったら?」っていう疑念がね…… どうしても消せないのよね……

あと仮に俺たちが天国と称す死後の世界があったとしてもさ、人間生前自我を保ったまま召されるならそこは絶対天国ではありえないよな

だって人間生前自我を保ったままなら現世の苦しみが天国でも再生産されるに決まってるじゃん

天国行ってもあいつウゼーとかあいキモいとかやっちゃうだろ人間

無限資源があって望む資源全てが手には入ってもあいつウゼーとかあいキモいだけは絶対やらかすわ人間

から仮に天国があったとしても、そこはたぶん神的な存在によって自我に改造を施され完全に浄化された「かつて人間だった何か」が無数に蠢く世界なんだろうな

2019-10-18

心のうんこは拾うな、流せ、相手すんな…の続き

心のうんこは拾うな、流せ、相手すんな

「生きてりゃ嫌なことあるわけだよ、誰でも。だから、おれにもあるわけね。そういうのは誰かに聞いてもらいたい」

「そうだよね」

「で、おれがそう思うんだから、たぶん『みんなも誰かに聞いてもらいたい』と推測できるよな」

「うん、まあ」

「ところでね、天国と地獄お話があるんだ」

「ん?うん」

天国でも地獄でもご飯食べるときに長~い箸を使うのね。テーブルの反対側に届くくらいの」

「うん」

「そんで地獄では箸が長すぎて自分の口に入れられないの。だから誰も食べられない。でも天国では長い箸を使って向かい側の人に食べてもらうの。だからみんな食べられるってお話

「ほう」

「でさ、みんなが自分の話してたら、誰も他人の話を聞かないし、聞いてもらえない世界になるじゃん。地獄とおんなじ」

「うん」

「逆に、聞いてあげようって人ばかりの世界だったら?」

「そりゃあその方がいいけど、実際にはそうじゃないじゃん」

「そうでもない」

「えー、そうかなあ」

「そうでもないって言ったのは、全世界じゃなくておれの周り」

「じゃあ参考にならないじゃん」

「なんでだよwww

だってそんな人ばっかりいないよ」

「そりゃそうだ」

「じゃあ無理じゃん」

「いやいや、方法はあるよ。即効性はないけどね」

「ふーん…、どんな方法?」

「んーとね…、確認なんだけど、お前はおれの愚痴を聞いてくれる気あったりする?」

「え、そりゃあるよ、わたしも聞いてもらってるし、むしろ聞いてあげたいくらい」

「そういうこと」

「え?」

「聞いてくれる人ばっかりはいない、でもおれの周りには今いた、だろ?」

「ああ…そうか」

「わかってきた?」

「うん、なんとなく。でもわたし、お母さんが話を聞いてくれても聞いてあげたいとは思えない」

「そりゃ、いつもうんこぶつけられてるしな」

「どういうこと?」

「お前のお母さんな、いつもお前の都合とか意見とか聞いてくれる?」

「ううん、一緒にいたらお母さんがずっと話す」

「それ、うれしい?」

「ううん、しんどい

「だよな」

「うん」

「それが『ぶつける』ってこと。片方は言い続けて、もう片方は黙って聞くの。しんどいだろ?」

「なるほど」

「お前さっき『むしろ聞いてあげたいくらい』って言ったじゃん」

「うん」

「だからって愚痴を聞くのが好きなわけじゃないだろ?」

「そりゃそうでしょ」

「じゃ、おれの話をガマンして聞くよってことかな?」

「いや、役に立ちたいって思う」

「じゃ、お母さんの役に立ちたいとは?」

「思わない」

「なんで?」

「きっとわたしじゃなくてもいいし、会話したいわけじゃないって感じるし」

「なるほど、何かにぶつけたいだけってことね」

「うん。前は楽にさせてあげたいって思ってたけど、もう疲れちゃった」

「でもおれには楽になって欲しいの?」

「うん」

「なんで?」

「うーん…いつも気持ちを聞いてくれるじゃん?」

「うん、まあね」

「話すと楽になるのね。わたしもそうしてあげたいって感じかな」

「ありがとう」

「うん」

「さっき天国と地獄の長い箸の話したじゃん?」

「うん…あ!そうか」

「わかる?」

「うん、まだなんとなくだけど」

「さっき『実際にはそうじゃない』って言ってたけど、今もそう思う?」

「いや…うーん…、でもやっぱりお母さんには思えない」

「そりゃそうだろ」

「え、なんで?わかんない」

「おれとお前って何?どんな関係?」

「ん?友達でしょ?」

「そう。で、おれ、友達は大切にするの」

「うん」

「逆を言うと、大切にするのは友達だけ」

「う、うん」

「大切は、特別扱いって言い換えてもいいかな。友達じゃない人は特別扱いしない」

「うん」

「つまり相手かまわずうんこを拾わないんだよ。おれが仮設トイレになるのは、お前がおれの友達からだ。友達じゃないやつのために、仮設トイレ役を引き受けたりしないわけよ」

「うん」

「人を大切にするってさ、簡単にできたらいいけど難しいんだわ。全員を大切にするなんてほとんど無理なの」

「うん」

「できることには限界あるんだから

「うん」

「おれの場合、その基準って友達かどうかなのよ」

「なるほど」

友達に限らずみんなを大切にできる方がいいことのように思うだろ?違うんだよ」

「え、そうなの?」

「うん、違う。何かを大切にするってのは、他の何かを大切にしないこととセットなんだ」

「えー、納得しにくい」

「そうだろうな。でも、無理は続かないじゃん。大切にできたはずの人まで大切にできなくなるよ」

そうかもしれないけど…」

「お前さ、音楽聞きながら本読める?」

「うん」

「そのとき音楽も大切に聞いて、本も大切に読めてるって思う?」

「…」

「大切にしようと思ったらどっちかしかできなくない?」

「…うん」

「大切にしないって言ってもひどく扱うってことじゃないよ。特別扱いしないだけ」

「…」

「本当に大切にしたい人のために、あっちにもこっちにもいい顔しないってことだ」

「うん」

友達じゃないやつを特別扱いしない分だけ、友達特別扱いする余裕があるんだよ」

「なんかわかってきた気がする」

「お前、あっちにもこっちにもいい顔しようとしてるもんな」

「うん」

「それうんこ拾ってんだって。だからうんこぶつけたくなるんだよ」

「ああ、そっか」

「こういうのを哲学的にはうんこ環論という」

「まじで?」

「疑えってwww

www

「でも、大切にしたい友達がいると、すこし余裕が持てるんだ。それはお前もそうだろ」

「え、そうかな」

「あれ?お前、おれのこと大切にしたくないの?」

「大切にしたいって思う。大切にできてるかはわからないけど、いなくなったら困る」

「だろ?大切に思える友達がいるってちょっとうれしくない?」

「うん、うれしい」

「おれは友達じゃない人のうんこは受け取らない。その分それなりに耐えられるし、おれの話を聞いてくれる友達もいる。『おれは処理できる』ってそういうこと」

「そっか…うらやましいな」

「お前もそうなれるよ」

「え、それは無理だと思う」

「いやいや、おれが特別まれてるんじゃないよ。友達になるって決めたら大切にするだけだよ」

「そうなの?」

うんこにたとえてるけど、要するにストレスなの。独りで発散する方法があっても、誰かに聞いて欲しいときあるじゃん。そういうとき友達を頼っていいの」

「うん」

「誰だって愚痴なんか聞きたくないよ。でも大切な人は癒やしたい、役に立ちたいって思うじゃん。でも常設トイレってわけでもない。あくまで仮設トイレなの。いつでもうんこウェルカムってわけじゃないの。だからぶつけちゃだめで、相手の気分とか都合とかも気にして聞いてもらったらありがとうとかね。トイレキレイに使わないと。そういうのが大切にするってことだ」

「うん」

「余裕がないとぶつけたくなっちゃうから友達じゃない人を特別扱いしない。仮設トイレ役にもならない」

「うん」

「だから、お母さんもうんこぶつけてくるだけなら特別扱いしない」

絶対、嫌味言われる」

「それでもいい顔しちゃだめなんだ。そんなの、うんこウェルカムって言ってるようなもんだ。拾わず、流して、相手しない」

「そういうことか」

「そう。だから自分が大切にしたいと思う人に集中する。そうしたら自分が大切にしたものけが残っていくよ、当たり前だろ?」

「ああ、なんかわかった気がする」

「間違ってうんこを大切にするとうんこだけ残っていく」

絶対やだ」

2019-10-17

こんなことも考えた

私は通り魔に殺された。

まりにも突然で、驚く間も無く、精神が肉体から離れた。

突っ伏した私の肉体の傍にはあどけない少年おもちゃのような拳銃を手に持って立っていた。彼と出会った時、少し危ない気配を感じないではなかったが、まさかこんな子供にいきなり後ろから撃たれるとは予想だにしなかった。

妻と2人の子供を残して旅立つのはなんとも心残りだが、そうなるべくしてなったのなら致し方ない。不思議と怒りも恐れもない。

見上げると、夜空は魂で満たされていた。肉体の目では決して見ることのできなかった大きな流れと波が光り輝いて世界を満たしていた。輝きを目にした私は、突然殺されたばかりだと言うのに大きな安らぎを覚えた。妻に「悲しむ事はない」と、子供たちに「恐れる事は無い」と、今すぐ伝えたいが、時が来れば彼らにもわかることでもある。

私の精神はまだ肉体を持っていたときの形を保とうとしていたが、手のひらからとても小さな光の粒が漂い出て、大きな魂の流れに飲まれていった。なるほどこうして私はそのうち小さなバラバラの光の粒になって、流れとともにこの星で、この美しい世界でまた、生きること、愛すること、死ぬことを繰り返すのだ。

なんという安らぎだろう。目立った不幸のない、どちらかと言えば幸せ人生だったが、この安らぎを知らずに肉体に繋がれて生きる事は、大きな苦しみと悲しみを伴っていたと言わざるを得ない。私が生前に考えていた「人生」とは、その半分でしかなかった。こうして肉体の寿命が終わり、精神だけの存在になって初めてそのことがわかった。まだ肉体を持って生きている家族、友人に、この世界の真の豊かさを伝えるすべはないだろうか?

と、突然頭が痛み出した。そんな馬鹿な。私は光の粒になって大いなる流れに還るのだ。なぜ肉体を持っているかのように痛みを感じなくてはならないのだろう。

私の頭の中で小さな金属の欠片が脈打っていた。あの少年に打ち込まれ銃弾の破片だ。精神だけの存在である私がなぜそんなものに影響を受けるのだ。

ふと気がつくと閉ざされた扉の前に私のような何かが立っていた。少年に命を奪われた時にすら感じなかった猛烈な嫌悪と恐怖が、全身を駆け巡った。今すぐここから離れなくては。しかし、その思いとは裏腹に私はその薄気味の悪い私のような何かにどんどん引き寄せられていった。頭の中の銃弾の破片が強く輝き脈打ちながら、じりじりと私を引っ張っていくのだ。見ると、まがい者の私の頭部にも2つ、鈍くしかし強く輝く何かが見えた。やはり銃弾の破片だ。頭の中の銃弾同士が強く引き合っているのだ。全力で抵抗したが、どうやらその力に逆らえそうにない。

私はじりじりと引き寄せられながら、私のまがい物を観察した。

光の粒で満たされた精神だけの私とは正反対に、どす黒いぬめりが渦巻いてできているようだ 。

粘り気のある真っ黒いうねりの渦の中からかすかな悲鳴が時折聞こえてくる。

「許してくれ…」「来ないでくれ」「…助けて…」「もう来ないで…」

あの少年の声だった。

なるほど、人を殺すと眠れなくなると言うのはこれだったのか。

殺した相手が夢枕に立つの

罪の意識が、慙愧の念が、自分が手にかけた被害者の姿で昼夜を問わず本人を責めさいなむのだ。

少年の黒い悲鳴は強烈だった。どうやらやはり彼は人を殺して何も感じないような根っから狂った人間ではなく、むしろ本来殺人などと言う極端な行為からは程遠い、周囲から押さえつけられ続けた人物のようだ。そのことを実感した途端光の粒である精神だけの私は、私の形をした少年の真っ黒な妄念に完全に飲み込まれた。

私のまがいものを形作っている少年の思いは、「私を殺したこと」の周りをぐるぐると回っていた。

ざまぁみろ…」「お前があそこにいたのがいけないんだ、お前が僕の言うことを…僕の話を聞かないからだ」「偉そうにしやがってふざけるな…..」「僕を大切にして僕を大切にして」「僕の意思尊重しないのならお前を殺して僕も死ぬ」「ごめんなさいごめんなさい許して……」

なんと身勝手な、そしてなんと汚らわしい。

苦しいのはわかるがこれぞ自業自得だ。しかしその苦しみも肉体の命が尽きるまでのほんのひとときのこと。せいぜい悩み悶え給え。同情はするが、私の肉体の命を奪った者のために、なにができるわけでもないし、こんなところに閉じ込められる謂れもない。

私は目の前の黒い波を両手でぐっと押し広げて出口を開こうとした。少年悲鳴がひときわ大きくなった「助けて………!!」

申し訳ないが、私には関係のないことだ。少年よ、君も肉体を失えば今の私のように光になってより大きな光になるのだ。それまでの我慢だ。

しかし私の頭部の痛みはますます激しくなり、力が入らない。なんとも暗黒のうねりが分厚くて、それお押し広げて外に出ることができない。恐怖を感じた。このままなのか?自分を殺した相手の妄念に、時の終わりまで囚われなくてはならないのか?

ひょっとして、この少年が、真っ黒に汚れた自分想念に苦しめられたまま肉体の命が尽きると、精神だけになっても黒い渦に飲み込まれ永遠に苦しみ続けてしまうのではないだろうか。

私が閉じ込められている私のまがい物の遥か下方に、膨大な闇がうごめいているのがその証拠だ。少年の肉体と精神からめ取ろうと手を伸ばしてきているではないか

閉ざされた扉の中には少年がいて、膝を抱えて泣いていた。その少年の肉体の周囲を、おぞましい鎖のような黒い渦が取り巻いていた。

少年精神が肉体から離れたら取り込むつもりなのだ

少年自分行為をひどく悔いていた。「殺したひとが毎晩訪ねてくるなんて知らなかった……..」「助けて……助けて…..いやだ…..見たくない」「怖い怖い怖い」「あの人達と別な形で出会たかったのに……」「もう一度、僕のファンとして僕の目の前に現れてくればいいのに……….」


私に肉体が有った頃、酒に酔って妻子に暴力を振るい続け、当然のように妻子に逃げられたがしかし、復縁を熱望している同僚がいた。私は不思議仕様がなかった。絶縁の原因は自分なのに、なぜそれを忘れたかのような態度で復縁を熱望するのか。

しかし、そうなのだ

自分のしでかした事は無かった事にしてやりなおしたい。それが、肉体に繋がれた魂の弱さなのだ。


私がそう思った途端に、わたしを拘束している黒い渦の力が弱まった。私に触れている部分が、光になったのだ。


ふむ。

少年の妄念に、勝手言い草に、寄り添えというのか?


理解し、許すことで、黒い呪いは即座に光に変わるのか?


ならば、是非もない。私がこの場所に呼ばれ、私の形をした妄念に閉じ込められた理由がようやくわかった。

少年は私の頭に銃弾を打ち込むことで私に助けを求めていたのだ。

彼が身勝手な妄念に苛まれたまま死ねば、その魂はどす黒く汚れた渦になりこの美しい星を汚す。そんなことはさせない。私の妻と子どもたちが、まだ長い年月ここで生きるのだ。
精神だけの存在になっても、私は夫であり父親である

さらなる少年悲鳴が、漆黒の鎖となって、私をぎりぎりと締め付けてくる。

「僕を褒めて…….僕を認めて……」「生まれ変わるために勉強したんだ……僕が歪んだのは資本主義学校教育がいけないんだ……..」「…….僕が人殺しになったのは、僕を三回捨てた母ちゃんのせいだ…..」「僕が殺した人たちは、僕のファンなんだ……支持者なんだ…….毎晩ここに来るのは、僕をちやほやしに来るんだ……..」

私に肉体があったら、馬鹿なことを云うな、と叱り飛ばしているところだろう。しかし今の私は、少年悲鳴と嗚咽でできた黒い妄念に囚われの身。私の形をしたまがい物に、私自身が閉じ込められていて、どうにも抜け出せない。

少年が作ったわたしのまがい物は「なぜ私を殺した?」「私がいったい君に何をした?」「罪を償え」「死を持って贖え」「肉体の寿命ギリギリまで苦しみ続けろ」と、少年を毎晩責め苛んでいた。少年自身の罪の意識がそうさせるのだ。

その苦しみに耐えきれず、私が彼のファンになる、などいった荒唐無稽な逃げ道をも見つけてしまった。

では、戯言にこそ寄り添おう。

実際の私は、通り魔である少年に殺された犯罪被害者だが、彼の希望通りに、彼のファンとして彼の前に現れよう。


以前は、天国と地獄、という考え方が全くピンとこなかった。今はよく分かる。肉体がなくなった時、光として大いなる流れに還ることが天国、死してなお自意識という牢獄につながれたまま生を呪い続けるのが地獄。肉体につながれたまま地上を生きるのは、さながら煉獄の日々だ。

ならばわたしは、少年にとっての、煉獄の炎となろう。私という光で、彼の妄念を内側から焼き尽くし、肉体の寿命が尽きたときに、私と同じような光であるように、少年をきちんと導こう。

たとえどんなに酷いことでも、起きたことは全て最善なのだということを伝えなければ。

私のまがい物と、そこに囚われた私は、依然、閉ざされた扉の前に立っている。扉の向こうの部屋では、少年が膝を抱えてすすり泣いている。

待っていろ、今助けてやる。どんなに時間がかかっても。

私は、私を包むまがい物を動かし、扉を開けてこう言った。

「こんばんは エヌケーエスビーの集会があるのは こちらの部屋でしょうか」

https://www.amazon.co.jp/dp/494405551X

2019-08-11

英語圏での読みはチンポ。

カトリックにおいて天国と地獄の間に存在するとされ、洗礼を受けなかった者がたどり着くと言われている。

2019-07-22

anond:20190722220625

これから天国と地獄が待ってるよ。

自分の子どもじゃない分、妹さんよりは気が楽だろうけどね。

半年間、嵐が通り過ぎるのを待つと良いよ。

それはそれで楽しいと思うけど。

2019-06-26

右側通行

天国行きの道は右側通行です。

三途の川の渡し守はそう言った。

守れなかったらどうなるんですか?

私がそう尋ねると、彼は笑いながら、さぁ、私の仕事はこの川の岸までなんで。と答えた。

小舟を降り。

この先には天国と地獄があるはずなのに、道は一本しか見えない。

私は先へと歩き出す。右側を通りながら。

でも、おかしな話じゃないか

死者の国へは一方通行だ。誰も彼の国からは帰ってこない。なのに右側通行なの?

私は、すれ違う人がいないか確認したくて顔を上げた。

遠くに人影が見える。背の高い、黒い影。そしてそれは近づいてくる。

通るべきは右なのか、左なのか。

私は意を決し、右側を歩き続ける。

黒い影は間近にきて、こんばんは、と声をかけてきた。

でも、道の反対側だったから、無視し続けることができた。

しかった。私は正しかった。

アレは駄目だ。見ても返事をしても駄目だ。

私はもう死んでいるけれど、きっと今より恐ろしい目にあうところだったのだ。

あの影は、渡し守のところまで行くのだろうか?行くのだろう。

から彼は右側が正しいと知っていた。

けれども、彼が知っているのは多分それだけ。

右側を歩き続けて、まだ先は見えない。

2019-04-06

天国と地獄

この映画誘拐事件刑罰の軽さへの怒りから製作されたそうだが

映画をみた模倣犯被害者が出てることを知ると複雑な気分になるな

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