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はてなキーワード: 女中とは

2020-07-10

家事労働をする専業主婦じゃなくてそんなせせこましいことはやらねえ女中つきの奥方様になりてえよな〜〜

なりたくない?

2020-06-22

anond:20200622092018

な、技術開示請求企業から食らうとか 本当にあるんだ とか おもうだろ

どうやったらNHKがみられなくなるんですか? いざとなったらテレビ自治体が 無償配布します。

どうやったら、その事態が起きるのかGoogleじゃないけど 懸賞金書けるから 教えてくれ となったばあい

技術開示請求が くるだろ びびるだろ

盟約に基づき 秘密を 後悔してくれ アスモ・・・げふげふ

そんなめいやくあったんだ・・・とか 今の世代がおどろいちゃうでしょ。

 

歴史を ひもといていくて 古くは 秋葉原AKBができるちょいまえに 人形遣いローゼンメイデンというのがあってな

世代も まえの 盟約なんだけど っていう

 

メイド成る 西洋女中が 喫茶などを提供することで有名になった ハイカラな街

びっくりするでしょ?

 

確認してるんだけど とりあえず 何を言えばいいですか? 僕ごとき秘密なんて 簡単に開示させていただきます パンツの色は無理かな (柏木さんがまずいいといわないと ふりにげ)

2020-06-20

anond:20200620080747

昭和通りに面した、メイドなる、西洋喫茶につとめる西洋女中話題になっている西洋喫茶で有名になった街があるの。

2020-03-27

中絶して1週間後に中出しされた

先週、中絶した。

妊娠8週だった。どうしても産むことができなかった。子どもは、まだ子どもともわからないものだったけど、心拍がはじまっているところだったという。

中絶手術は、全身麻酔から痛くないと聞いていたけど、麻酔が覚めてから今まで体験したことのない激痛に2時間ほど悶絶した(子宮が急激に収縮したせいらしい)

手術から1週間は性行為しないでください、という医師言葉をきっちり守り、彼は1週間後に誘ってきた。

わたしは彼を喜ばせたいから、いいよとすぐに言ってしまう。

まだ血が出てるけど、まぁできなくはないかなって言ったら喜んでいて、そんなに嬉しいならよかった、と思った。

行為はやっぱりまだ痛くて、ヒリヒリとか鈍痛とかしたけど、耐えられないほどじゃなかったから、気持ちいいふりをしてあげた。

そうしたら、そうしたらですよ。まさかの中で出しやがったんですよ。

「え、だめなの。血が出ているって言うから大丈夫だと思って」って。

いや、血が出ているのは手術してまだ出血しているからで、え、聞いてたよね?隣で聞いてたよね?

生理なんてくるわけないじゃん。

6日前に子宮から胎児を掻き出したんだぞ、胎盤ごと。

見ただろ。人になりかけた赤い塊も。

なんかもう信じられなくてとっさに責めることもできず、ばかだねえ私たちって笑ってしまった。

馬鹿なのは確か。女中絶させてすぐさま中出しする馬鹿と、人ひとり殺してすぐ、そんな男を許してしま馬鹿

ふたりとも死ねばいいのに


で、今日アフターピルをもらいにいくとき

さすがに情けない。またお金もかかってしまうってこぼしたら、割り勘だからいいじゃんって、言われ。ついでにピルもらってきなよって、言われ。

は?

は?

はあああああああああああ??

うそでしょ?? そんなこと、マジで思って言ってんの???

ピルはいいこともたくさんあるけど、副作用もある。

毎日決まった時間に欠かさず飲んで、太ったりむくんだり吐き気したりして、それでこいつは、そんな苦労も知らないまま、気持ちよく中出しを楽しむんだなって思ったら、

ぜったい、ぜったいに飲めないと思った。

自分の身の安全のためだとわかってる。

もう人殺しをしないためだとわかってる。

人間関係すべてがフェアであるべきなんて思わないよ。

男女関係なんてだいたい、非対称性を孕んで維持することくらい、わかってる。

でもこれはもう、耐えられない。

正しいとか正しくないとか、知らん。平等とか不平等とか、知らん。

でもとにかく、もうこれ以上は、一歩たりとも耐えられない。耐えられなくなってしまった。


またひとりぼっちになるのだろうか。

それがやっぱり人ひとり殺した罰なんだろうか。

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-13

anond:20200213130049

非オタクにとっては「メイド」という属性萌える感覚がわかりやすかった、だからオタク文化シンボルになった、ということなんだと思う。女中さんを手篭めにするみたいなもんか、的な。

「妹」「戦闘ヒロイン」「ツンデレ」あたりは非オタクには理解しづらかったのかなと。

2020-01-28

ロッテンマイヤーさんはメイドさんです!!

(家事)使用人が英語で(Domestic)servant

メイドはmaidservant(女性使用人)の略

使用人と一言で言っても仕事内容で職種がわかれてて

大きく分けて上級使用人と下級使用人がある

上級使用人として家令や執事ハウスキーパー(家政婦長etc.がいて

これ(ハウスキーパー(or執事))がロッテンマイヤーさんの役職

女性上級使用人だからメイドさん

下級使用人としては

フットマン(従僕)、パーラーメイド(給仕)、スカラリーメイド(皿洗い女中etc.がいてるけれど

ブコメメイドを指してるのは

ハウスメイドオールワークのごく狭い範囲じゃなかろうか

日本語の家政婦は業務てきにはオールワークあたり。

2019-12-30

anond:20191230071902

ヒント

1 昭和どおり面している(ちかい

2 洋風女中なるハイカラ中居が、熟した緑茶をくばる茶などで有名になった店がある

2019-12-18

anond:20191218121746

志村けんバカ殿とかで、

女中さんに ちょんまげのかつらを被せて 武士ごっこさせているシーンがあるやん?

武士立場でみたら、おめーら、ちょんまげのかつらさえ被れば誰でも武士になれるとでもおもてんのか?われぇ。

ってなっちゃうじゃん。

2019-10-22

anond:20191022013208

現代の話をしているんだが

というか、そういう状況があったからこそ昔は小金持ち程度でも「女中」を雇えたわけだが今は違うだろ

2019-10-05

anond:20191005175705

件の増田の話は、恐らくそのおばさんに対価が払われていたんだろうとは思うけど

増田んちが金持ちでない限り)現代感覚で十分な額ではないだろうし、

その条件でそのおばさんが働かなければならない理由は他に良い仕事がないから、ってだけだろう

要はシンガポールとかで移民育児奴隷にしてるのと同じ構図

日本も昔は小金持ち程度でも「女中」を雇えた、ってのも同じ

でも今日本で常勤家政婦雇えるのは相当の金持ちだけで、

それはそれだけ貧富の差が縮んだし、奴隷同然の状態に置かれるくらいなら都会でもっと良い仕事探すという選択肢も取れるようになったか

奴隷同然の待遇で働く人などいなくなったというだけだ

2019-08-08

里帰り出産で実父がストレス

元々父親が大嫌いだったけどもう顔を会わせたくないレベル。実父の存在不愉快過ぎる。

ネットで里帰り出産してる人で、実父にストレスを感じている人を探してみたら同じような境遇の人が見つかって嬉しい!

イエーイ!

しかし、実家は父の家だし、私はお世話になってる立場人間から我慢しなきゃなあ。

母に「よくあんなのと結婚したね。私なら即離婚だわ」とか愚痴を言いまくってますww

父親、全く家事できない人間なの。私が赤ちゃん産んで、母親赤ちゃんと私のサポートに回るようになったら父親が、母親父親女中として動けないことにキレそうで怖いwwww

母親父親女中奴隷です。父親稼ぎ少なくて母親フルタイムで働いてるけど父親家事しないww

父親は私の里帰り出産を拒んでいたわけじゃなくて、里帰り出産歓迎モードで私が妊娠発覚したときすごく喜んでくれたんだけどね。

まあ、父親赤ちゃんまれても抱っこくらいしかしないでしょうねえ。うんこオムツ換えてくれたりとかしてくれたら嬉しいけど。

里帰り出産とは言え、育児についてはなるべく私自身がやりますよ。自分の子だもん。

とにかく父親ストレス過ぎて、存在のもの嫌悪感を抱いてしまうよ。もう、私がだい嫌いな人種なの!自分が何もしなくても誰かがなんとかしてくれると思ってる奴大嫌いだよ!

父親仕事休みの日に顔を合わせるのが嫌でもう父親がやることなすこと全部気持ち悪く感じて本当にヤバいw

もう別室に引きこもっていようかな。

とりあえず、こういう状況が私だけじゃないことが本当に救い。何も解決してないけど。私だけじゃなく他のママもこういう状況を乗り越えてきたんだなぁと。

里帰りヤッフーー!!と思ってたら、まさか実父がこんなにストレスに感じるとは思わなかったし同居していることによって実父の最低なところをどうしても見せられてしまうのでますます嫌いになっていくw

ここで自分の家に帰ってしまったらなんのために飛行機帰省して実家近くの病院出産の予約入れたのかわからんww

今度のお盆休み、妹が帰ってくるから母親、私、妹で実父がいか底辺の男か愚痴りたい気分だがね。まあ、私が父親クソクソ言いまくることで母親も傷つくし妹も「わざわざ実家に帰ってきて何で父親悪口聞かされるの」と不愉快になるから我慢しようww

実父の愚痴自分旦那さんに言いまくってる奥様もいるようだれけども、私が旦那に実父の愚痴を言ったところで旦那不安にさせるだけだしな。「そんなに嫌なら帰っておいで」とか言われても困るしな。母親赤ちゃんと過ごす時間を楽しみにしてるし。

あーもう、とりあえず掃除とか趣味のことでもやってストレス発散しよ。

2019-08-07

リベラル卒業しま

大学生卒業してからずっとリベラル立場を貫いてきた

リベラル社会を目指しリベラル発言をし安倍ネトウヨと徹底的に戦ってきた

それこそ1日に何時間人生かけてやってきたんだよ

けど得られたものは何もなかった

何もだ

今までリベラルとして使ってきた時間自分の成長に使ってたら俺は間違いなくベンチャー社長とか天才プログラマーかになれてた

億ションの奥女中住まいだった

それがどうだ?

リベラル活動に当てたせいで単なるニートにまでなりさがった

ふざけんな

時間返せよ

2019-07-09

俺もフェミニストに守られてえ

吉田沙保里ブラジャー広告に「抜けないw」とリプした男がいて、とあるフェミが「お前がそんなこと言っても吉田沙保里高潔な魂を傷つけることはできない」って言っててさ。フェミとか女中心にリツイートされてんのな。

俺は正直、羨ましかった。俺だってそれなりに理不尽経験するが、こんなことを言って守ってくれる属性人間なんていない。フェミたちの持つ規格外情熱で守られる、女という存在が羨ましい。

2019-07-06

anond:20190706131130

母は専業主婦だったよ。将来、母親に頼り切っていて、今はいいかもしれないけれど、

家事が何もできないのはしんどいのでは?

いいおうちの子家事をしないというなら、

増田さんのご家庭は、女中さんや、家政婦さんがいらっしゃるのかしら。

うち、曽祖父時代使用人さん雇ってたよ。

2019-04-24

anond:20190424001837

こういう考えが「田舎の女」って馬鹿にされた理由だよな。

元増田は何故か旦那馬鹿にされたと思い込んでるけど馬鹿にされてるのはお前自身だろと。

つうか今どき田舎にもそんな女中々居ねえわ。

2019-02-15

anond:20190215115817

『田丸先生追憶寺田寅彦

1948(昭和23)年5月15日第1刷発行

https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2473_9316.html

いちばん最初試験をしたとき問題が、別にむつかしいはずはなかったのであるが、中学校三角問題のような、公式へはめればすぐできる種類のものでなくて、「吟味」といったような少しねつい種類の問題であったので、みんなすっかり面食らって、きれいに失敗してしまって、ほとんどだれも満足にできたものはなかった。その次の時間先生が教壇に現われて、この悲しむべき事実を報告されたのであったが、その時の先生は実にがっかりしたような困り切ったような悲痛な顔をしておられた。あんなやさしい問題ができないのは実に不思議だと言われるのであった。

試験ができなかった生徒に「がっかりした」先生

民主主義織田作之助

1976(昭和51)年4月25日発行

板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。宿につき女中にきくと、

「誰方とでもお会いになります。いえ、誰方にも名刺を下さいます。私もいただきました」

見せて貰うと、洗濯屋の名刺のように大きな名刺で「伯爵勲一等板垣退助五女……」という肩書れいれいしくはいっていた。

彼はがっかりしてわずに帰った。

板垣退助の娘に「がっかりして」帰った彼。

別に自責他責もなく「何かに対して自分失望する」という言葉だが。

その「何か」には自分欠点もあれば他人行為もあるというだけ。

2019-01-23

anond:20190123104005

5月15日当日は日曜日で、銃殺された犬養首相は終日官邸にいた。

第一組9人は、三上海軍中尉黒岩海軍予備少尉陸軍士官学校本科生の後藤映範、八木春雄、石関栄の5人を表門組、山岸海軍中尉村山格之海軍少尉陸軍士官学校本科生の篠原市之助、野村三郎の4人を裏門組として2台の車に分乗して首相官邸に向かい、午後5時27分ごろ官邸侵入。表門組の三上官邸日本館の洋式客間で、警備の田中五郎巡査を銃撃し重傷を負わせた(田中五郎巡査5月26日に死亡する[1])。

表門組と裏門組は日本館内で合流。三上日本館の食堂で犬養首相発見すると、直ちに拳銃首相に向け引き金を引いたが[注釈 1]たまたま弾丸が装填されていなかったため発射されなかった。三上首相誘導で15畳敷の和室の客間に移動する途中に大声で全員に首相発見を知らせた[2]。客間に入ると首相は床の間を背にしてテーブルに向って座り、そこで首相の考えやこれから日本の在り方などを聞かされようとしていた。

しかし一同起立のまま客間で首相を取り囲み、三上首相といくつかの問答をしている時、山岸宏が突然「問答無用、射て、射て」と大声で叫んだ。ちょうどその瞬間に遅れて客間に入って来た黒岩勇が山岸の声に応じて[3]犬養首相の頭部左側を銃撃、次いで三上も頭部右側を銃撃し、犬養首相に重傷を負わせた。すぐに山岸の引き揚げの指示で9人は日本館の玄関から外庭に出たが、そこに平山八十松巡査木刀で立ち向かおうとしたため、黒岩村山が一発ずつ平山巡査を銃撃して負傷させ、官邸裏門から立ち去った[4][注釈 2]。

それでも犬養首相はしばらく息があり、すぐに駆け付けた女中のテルに「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と強い口調で語ったと言うが、次第に衰弱し、深夜になって死亡した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%BA%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6#%E9%A6%96%E7%9B%B8%E5%AE%98%E9%82%B8

2019-01-21

魔法現実になった世界

約700年前に書かれた玉水物語

その内容は、美しい姫君を目にして心奪われた狐が、そばにいたいと願うあまりきれいな娘に化け女中として仕えるというもの

室町御伽草子、異類恋物語に分類される中世小説である

Twitterトレンドにも乗ったように、この物語百合判断する人は多くいて、市民権を得はじめた百合という概念によかったねと微笑ましい思いがする。

男女の間では成立し得ない、女の子どうしだから成り立つ特別関係を求めるのに、時代関係ないのだということを、どっかの大学教授センター試験に取り上げることで、すっかり忘れていた日本人に思い出させてくれたのだ。

ところで狐の性別は明示されてないが、姫に一目惚れしてまず男性に化けようとするあたり、おそらく男なのだろう。このことについての会話を探すと、この玉水(狐が化けた女の子)はTS娘だ、いやそうではなく男の娘だ、という二つの派閥に大きく分かれているように見える。

だが我々はもはや一昨年までの我々ではなく、我々の手元にはもう一つの概念があってしかるべきはずだ。

玉水物語とは、美少女受肉物語ではないのか。

かわいい美少女といちゃいちゃしたい。その思いが彼(狐)を美少女へと変えた。たしかに、性別も年齢も違う少女になれるなんてことは現実にありはしないと思うだろう。むろん室町においてさえも、物語の中で、しかも狐が妖術を使うという手段をもってしか想定し得なかった。

可能なんだ。

技術進歩は、数百年前のSFとすら捉えられていなかった魔法現実のものとなした。我々は、美少女受肉することができる。

この狐のように。バーチャルだけど。

機械学習の爆進による画像認識音声認識の高速、安定、低価格化。からのfacerigやリップシンク一般化。またMMD界隈を中心に連綿と蓄積されてきた、高品質モデル制作ノウハウMMOSNSで受け継がれてきたアバター文化。もはや当たり前のように感じるマシンの処理速度の継続的な向上。そして、全てを飲み込み軋轢を生みつつ成長する中心にあるVRChat。セカンドライフの頃とは時代が一つ違う。なんと素晴らしい世界ではないか

まだ、インターネットを見渡してもバ美肉について触れている人は多くはない。そもそもバ美肉呼称すること自体が最善かも分からない。しかし確実に技術進歩していて、ちょっといいマシンが手元にあるならば、美少女になるのに必要環境はすでに整っていると言えてしまう。モデリングアシストソフトも充実してきて、極め付けでVRMというデータ形式も作られた。処理能力限界により今はセルルックが主だけれど、そのうちSaya並みのモデルにさえリアルタイムで反映できると信じている。

誰でも受肉できる時は近づいた。

バーチャルYouTuberは確実に認知度を上げてきていて、リアルタイムで動く3Dモデル世間は慣れてきている。そして既存の生身ユーチューバーパイを奪い合いながら、その一部は広義のアイドルとして活動していくのだろう。アイドルがいれば、人が集まる。近づくために受肉する人もきっと多く出てくる。

どうせそのうちみんな受肉するのですよ。そう、みんな美少女になればいい。いんや、なってください、なりましょう。私はそんな世界が見たい。さあさあなたもいざ受肉

700年を経てやっと現実のものとなった、美少女になれる世界の前途を祝って。

2018-12-21

anond:20181221094728

ハク

パヤオ自体小学生女の子が喜びそうなものを作ったって言ってる

ハウルはバアさんだったか非オタクにはダメなんじゃないの?あと話が途中で飛ぶし

オタク女中小学生はむしろハウルかもな

2018-11-21

anond:20181121095522

普段は裏で悪口三昧のサンドバッグ

他所では愛妻家のふり。あなたの周囲には奥さん悪者にされてる。

あなた浮気してるし金遣いも荒い。体調によっては態度が全然違う。

嫁の悪口で、浮気相手と楽しく付き合ってる。その背徳感に嵌ってる。

みじめな人。わがことのように周囲の人を愛せないなら手放しなさい。

強欲すぎる。

あなたと似た、強欲で、キツくて、表面だけは取り繕ってるような似た性格女性がいいよね。

本当の心がない人にどんだけ尽くしても、

灰になるまできれいごとだけ並べて「綺麗でしょ」って言うだけ。

幹を観ないで、枝葉ばっかり切って、周囲に飾りつけしてるけど。

あなたが本当に好きな、欲望対象になる相手に振り向いてもらえないか

帰る場所として、ぞんざいに扱える人、それが今の嫁でしょ。

あなた女中が欲しいだけ。

お母さんが欲しいだけ。いつまでミルク飲んでるのかな。

そんな精神子供あなたに、子供がいるのかしら?信じられない。

2018-11-03

anond:20181103224145

元増田は「フェミニストは着飾らなくても良い社会を作ろうとしている」と言ってるのではなく「フェミニストは着飾ってはならない社会を作ろうとしている」と言ってるんだよ

まり、今のフェミニスト江戸時代の「女中衣類直段之定」を現代でやろうとしているように見えると元増田に言われてるんだよ

2018-10-12

日本版文化の盗用」議論

アメリカでは文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館キモ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。

(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)

だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東言語話者による恣意的方言使用である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉標準語で訳されるが、農夫の言葉東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方舞台にしたドラマ登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアル使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。

たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHK朝ドラ関西指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である

そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎細雪戦前作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブ結婚して緻密にその文化所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHK朝ドラ等の会話が、いか醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。

NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西配慮しているつもりなのか。関西東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あん関西人おらへんねん。ほんまに。

関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョーク構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分意志相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブ一見感情かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレート物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。

真顔で、正論を、熱弁するヒロイン これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出朝ドラスタンダード」という歪んだ認知もつことでスルーしていることを、NHK関係者理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨結論を生んでしまうのだ。

いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である

国内メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化カジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパンの現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たち自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。


文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たち自分たちのオリジナル文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアル感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流スムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクション制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ

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