「女中」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 女中とは

2019-08-08

里帰り出産で実父がストレス

元々父親が大嫌いだったけどもう顔を会わせたくないレベル。実父の存在不愉快過ぎる。

ネットで里帰り出産してる人で、実父にストレスを感じている人を探してみたら同じような境遇の人が見つかって嬉しい!

イエーイ!

しかし、実家は父の家だし、私はお世話になってる立場人間から我慢しなきゃなあ。

母に「よくあんなのと結婚したね。私なら即離婚だわ」とか愚痴を言いまくってますww

父親、全く家事できない人間なの。私が赤ちゃん産んで、母親赤ちゃんと私のサポートに回るようになったら父親が、母親父親女中として動けないことにキレそうで怖いwwww

母親父親女中奴隷です。父親稼ぎ少なくて母親フルタイムで働いてるけど父親家事しないww

父親は私の里帰り出産を拒んでいたわけじゃなくて、里帰り出産歓迎モードで私が妊娠発覚したときすごく喜んでくれたんだけどね。

まあ、父親赤ちゃんまれても抱っこくらいしかしないでしょうねえ。うんこオムツ換えてくれたりとかしてくれたら嬉しいけど。

里帰り出産とは言え、育児についてはなるべく私自身がやりますよ。自分の子だもん。

とにかく父親ストレス過ぎて、存在のもの嫌悪感を抱いてしまうよ。もう、私がだい嫌いな人種なの!自分が何もしなくても誰かがなんとかしてくれると思ってる奴大嫌いだよ!

父親仕事休みの日に顔を合わせるのが嫌でもう父親がやることなすこと全部気持ち悪く感じて本当にヤバいw

もう別室に引きこもっていようかな。

とりあえず、こういう状況が私だけじゃないことが本当に救い。何も解決してないけど。私だけじゃなく他のママもこういう状況を乗り越えてきたんだなぁと。

里帰りヤッフーー!!と思ってたら、まさか実父がこんなにストレスに感じるとは思わなかったし同居していることによって実父の最低なところをどうしても見せられてしまうのでますます嫌いになっていくw

ここで自分の家に帰ってしまったらなんのために飛行機帰省して実家近くの病院出産の予約入れたのかわからんww

今度のお盆休み、妹が帰ってくるから母親、私、妹で実父がいか底辺の男か愚痴りたい気分だがね。まあ、私が父親クソクソ言いまくることで母親も傷つくし妹も「わざわざ実家に帰ってきて何で父親悪口聞かされるの」と不愉快になるから我慢しようww

実父の愚痴自分旦那さんに言いまくってる奥様もいるようだれけども、私が旦那に実父の愚痴を言ったところで旦那不安にさせるだけだしな。「そんなに嫌なら帰っておいで」とか言われても困るしな。母親赤ちゃんと過ごす時間を楽しみにしてるし。

あーもう、とりあえず掃除とか趣味のことでもやってストレス発散しよ。

2019-08-07

リベラル卒業しま

大学生卒業してからずっとリベラル立場を貫いてきた

リベラル社会を目指しリベラル発言をし安倍ネトウヨと徹底的に戦ってきた

それこそ1日に何時間人生かけてやってきたんだよ

けど得られたものは何もなかった

何もだ

今までリベラルとして使ってきた時間自分の成長に使ってたら俺は間違いなくベンチャー社長とか天才プログラマーかになれてた

億ションの奥女中住まいだった

それがどうだ?

リベラル活動に当てたせいで単なるニートにまでなりさがった

ふざけんな

時間返せよ

2019-07-09

俺もフェミニストに守られてえ

吉田沙保里ブラジャー広告に「抜けないw」とリプした男がいて、とあるフェミが「お前がそんなこと言っても吉田沙保里高潔な魂を傷つけることはできない」って言っててさ。フェミとか女中心にリツイートされてんのな。

俺は正直、羨ましかった。俺だってそれなりに理不尽経験するが、こんなことを言って守ってくれる属性人間なんていない。フェミたちの持つ規格外情熱で守られる、女という存在が羨ましい。

2019-07-06

anond:20190706131130

母は専業主婦だったよ。将来、母親に頼り切っていて、今はいいかもしれないけれど、

家事が何もできないのはしんどいのでは?

いいおうちの子家事をしないというなら、

増田さんのご家庭は、女中さんや、家政婦さんがいらっしゃるのかしら。

うち、曽祖父時代使用人さん雇ってたよ。

2019-04-24

anond:20190424001837

こういう考えが「田舎の女」って馬鹿にされた理由だよな。

元増田は何故か旦那馬鹿にされたと思い込んでるけど馬鹿にされてるのはお前自身だろと。

つうか今どき田舎にもそんな女中々居ねえわ。

2019-02-15

anond:20190215115817

『田丸先生追憶寺田寅彦

1948(昭和23)年5月15日第1刷発行

https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2473_9316.html

いちばん最初試験をしたとき問題が、別にむつかしいはずはなかったのであるが、中学校三角問題のような、公式へはめればすぐできる種類のものでなくて、「吟味」といったような少しねつい種類の問題であったので、みんなすっかり面食らって、きれいに失敗してしまって、ほとんどだれも満足にできたものはなかった。その次の時間先生が教壇に現われて、この悲しむべき事実を報告されたのであったが、その時の先生は実にがっかりしたような困り切ったような悲痛な顔をしておられた。あんなやさしい問題ができないのは実に不思議だと言われるのであった。

試験ができなかった生徒に「がっかりした」先生

民主主義織田作之助

1976(昭和51)年4月25日発行

板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。宿につき女中にきくと、

「誰方とでもお会いになります。いえ、誰方にも名刺を下さいます。私もいただきました」

見せて貰うと、洗濯屋の名刺のように大きな名刺で「伯爵勲一等板垣退助五女……」という肩書れいれいしくはいっていた。

彼はがっかりしてわずに帰った。

板垣退助の娘に「がっかりして」帰った彼。

別に自責他責もなく「何かに対して自分失望する」という言葉だが。

その「何か」には自分欠点もあれば他人行為もあるというだけ。

2019-01-23

anond:20190123104005

5月15日当日は日曜日で、銃殺された犬養首相は終日官邸にいた。

第一組9人は、三上海軍中尉黒岩海軍予備少尉陸軍士官学校本科生の後藤映範、八木春雄、石関栄の5人を表門組、山岸海軍中尉村山格之海軍少尉陸軍士官学校本科生の篠原市之助、野村三郎の4人を裏門組として2台の車に分乗して首相官邸に向かい、午後5時27分ごろ官邸侵入。表門組の三上官邸日本館の洋式客間で、警備の田中五郎巡査を銃撃し重傷を負わせた(田中五郎巡査5月26日に死亡する[1])。

表門組と裏門組は日本館内で合流。三上日本館の食堂で犬養首相発見すると、直ちに拳銃首相に向け引き金を引いたが[注釈 1]たまたま弾丸が装填されていなかったため発射されなかった。三上首相誘導で15畳敷の和室の客間に移動する途中に大声で全員に首相発見を知らせた[2]。客間に入ると首相は床の間を背にしてテーブルに向って座り、そこで首相の考えやこれから日本の在り方などを聞かされようとしていた。

しかし一同起立のまま客間で首相を取り囲み、三上首相といくつかの問答をしている時、山岸宏が突然「問答無用、射て、射て」と大声で叫んだ。ちょうどその瞬間に遅れて客間に入って来た黒岩勇が山岸の声に応じて[3]犬養首相の頭部左側を銃撃、次いで三上も頭部右側を銃撃し、犬養首相に重傷を負わせた。すぐに山岸の引き揚げの指示で9人は日本館の玄関から外庭に出たが、そこに平山八十松巡査木刀で立ち向かおうとしたため、黒岩村山が一発ずつ平山巡査を銃撃して負傷させ、官邸裏門から立ち去った[4][注釈 2]。

それでも犬養首相はしばらく息があり、すぐに駆け付けた女中のテルに「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と強い口調で語ったと言うが、次第に衰弱し、深夜になって死亡した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%BA%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6#%E9%A6%96%E7%9B%B8%E5%AE%98%E9%82%B8

2019-01-21

魔法現実になった世界

約700年前に書かれた玉水物語

その内容は、美しい姫君を目にして心奪われた狐が、そばにいたいと願うあまりきれいな娘に化け女中として仕えるというもの

室町御伽草子、異類恋物語に分類される中世小説である

Twitterトレンドにも乗ったように、この物語百合判断する人は多くいて、市民権を得はじめた百合という概念によかったねと微笑ましい思いがする。

男女の間では成立し得ない、女の子どうしだから成り立つ特別関係を求めるのに、時代関係ないのだということを、どっかの大学教授センター試験に取り上げることで、すっかり忘れていた日本人に思い出させてくれたのだ。

ところで狐の性別は明示されてないが、姫に一目惚れしてまず男性に化けようとするあたり、おそらく男なのだろう。このことについての会話を探すと、この玉水(狐が化けた女の子)はTS娘だ、いやそうではなく男の娘だ、という二つの派閥に大きく分かれているように見える。

だが我々はもはや一昨年までの我々ではなく、我々の手元にはもう一つの概念があってしかるべきはずだ。

玉水物語とは、美少女受肉物語ではないのか。

かわいい美少女といちゃいちゃしたい。その思いが彼(狐)を美少女へと変えた。たしかに、性別も年齢も違う少女になれるなんてことは現実にありはしないと思うだろう。むろん室町においてさえも、物語の中で、しかも狐が妖術を使うという手段をもってしか想定し得なかった。

可能なんだ。

技術進歩は、数百年前のSFとすら捉えられていなかった魔法現実のものとなした。我々は、美少女受肉することができる。

この狐のように。バーチャルだけど。

機械学習の爆進による画像認識音声認識の高速、安定、低価格化。からのfacerigやリップシンク一般化。またMMD界隈を中心に連綿と蓄積されてきた、高品質モデル制作ノウハウMMOSNSで受け継がれてきたアバター文化。もはや当たり前のように感じるマシンの処理速度の継続的な向上。そして、全てを飲み込み軋轢を生みつつ成長する中心にあるVRChat。セカンドライフの頃とは時代が一つ違う。なんと素晴らしい世界ではないか

まだ、インターネットを見渡してもバ美肉について触れている人は多くはない。そもそもバ美肉呼称すること自体が最善かも分からない。しかし確実に技術進歩していて、ちょっといいマシンが手元にあるならば、美少女になるのに必要環境はすでに整っていると言えてしまう。モデリングアシストソフトも充実してきて、極め付けでVRMというデータ形式も作られた。処理能力限界により今はセルルックが主だけれど、そのうちSaya並みのモデルにさえリアルタイムで反映できると信じている。

誰でも受肉できる時は近づいた。

バーチャルYouTuberは確実に認知度を上げてきていて、リアルタイムで動く3Dモデル世間は慣れてきている。そして既存の生身ユーチューバーパイを奪い合いながら、その一部は広義のアイドルとして活動していくのだろう。アイドルがいれば、人が集まる。近づくために受肉する人もきっと多く出てくる。

どうせそのうちみんな受肉するのですよ。そう、みんな美少女になればいい。いんや、なってください、なりましょう。私はそんな世界が見たい。さあさあなたもいざ受肉

700年を経てやっと現実のものとなった、美少女になれる世界の前途を祝って。

2018-12-21

anond:20181221094728

ハク

パヤオ自体小学生女の子が喜びそうなものを作ったって言ってる

ハウルはバアさんだったか非オタクにはダメなんじゃないの?あと話が途中で飛ぶし

オタク女中小学生はむしろハウルかもな

2018-11-21

anond:20181121095522

普段は裏で悪口三昧のサンドバッグ

他所では愛妻家のふり。あなたの周囲には奥さん悪者にされてる。

あなた浮気してるし金遣いも荒い。体調によっては態度が全然違う。

嫁の悪口で、浮気相手と楽しく付き合ってる。その背徳感に嵌ってる。

みじめな人。わがことのように周囲の人を愛せないなら手放しなさい。

強欲すぎる。

あなたと似た、強欲で、キツくて、表面だけは取り繕ってるような似た性格女性がいいよね。

本当の心がない人にどんだけ尽くしても、

灰になるまできれいごとだけ並べて「綺麗でしょ」って言うだけ。

幹を観ないで、枝葉ばっかり切って、周囲に飾りつけしてるけど。

あなたが本当に好きな、欲望対象になる相手に振り向いてもらえないか

帰る場所として、ぞんざいに扱える人、それが今の嫁でしょ。

あなた女中が欲しいだけ。

お母さんが欲しいだけ。いつまでミルク飲んでるのかな。

そんな精神子供あなたに、子供がいるのかしら?信じられない。

2018-11-03

anond:20181103224145

元増田は「フェミニストは着飾らなくても良い社会を作ろうとしている」と言ってるのではなく「フェミニストは着飾ってはならない社会を作ろうとしている」と言ってるんだよ

まり、今のフェミニスト江戸時代の「女中衣類直段之定」を現代でやろうとしているように見えると元増田に言われてるんだよ

2018-10-12

日本版文化の盗用」議論

アメリカでは文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館キモ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。

(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)

だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東言語話者による恣意的方言使用である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉標準語で訳されるが、農夫の言葉東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方舞台にしたドラマ登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアル使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。

たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHK朝ドラ関西指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である

そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎細雪戦前作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブ結婚して緻密にその文化所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHK朝ドラ等の会話が、いか醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。

NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西配慮しているつもりなのか。関西東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あん関西人おらへんねん。ほんまに。

関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョーク構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分意志相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブ一見感情かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレート物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。

真顔で、正論を、熱弁するヒロイン これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出朝ドラスタンダード」という歪んだ認知もつことでスルーしていることを、NHK関係者理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨結論を生んでしまうのだ。

いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である

国内メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化カジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパンの現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たち自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。


文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たち自分たちのオリジナル文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアル感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流スムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクション制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ

2018-08-09

無職としての学問

 特に文系において、大学研究を取り巻く環境が厳しいので、少し愚痴を書かせていただきたくお邪魔します。

* * *

 研究生活が実生活、ことに家庭生活に対し極度の不安定性を与えることは、今日に始まったことではない。

 例えばかの有名なマックス・ウェーバーによる1919年の講演の中では、「大学に職を奉ずるもの生活はすべて僥倖支配下にある」と語られており、「精神的に打撃を受けることなくこうした境遇に堪ええたためしは極めて少ない」とまで言われている。

 このような状況は、100年の時と洋の東西とを超えた今日日本においても、同様である。むしろ人口減少と学問に対する軽蔑——それはおそらく、ウェーバーが講演の中で強調した、学問がなんの「救い」も「啓示」ももたらさないということを、多くの人々が正しく認識たからに他ならないが——に直面している極東島国の方が、研究生活を取り巻く環境過酷であるといえるだろう。

 博士号を取ったとしても多くの人々には就職先がなく、あっても有期雇用で、しか低賃金であり、長期的な研究生活の途を描くことは全く不可能である

 日本より恵まれ研究環境を有する国、例えば博士課程から給与が出るアメリカや、高等教育がほぼ無償であるフランスの例を持ち出すことは簡単であるしかし、研究生活はその研究者が根ざしている言語文化、あるいは人的ネットワークにある程度は依存せざるをえない。また、他国研究環境は、一部だけを切り出せば外面的には羨望の的になりえるが、実際は、給与と引き換えに研究テーマ選択制限されたり、あるいは無償で得られる研究環境には限りがあったりするのである

 当然のことながら、研究者における研究成果はそれぞれのおかれた研究生活の諸条件に左右されるのであり、それは資本的な制約を大きく受ける理工学系のみならず、人文系についてもそうなのである

 ハンナ・アーレントのように、生地での生活を根こそぎ奪われ、新天地で大きな研究成果を挙げる例もないわけではない。大学官職への道を閉ざされてから活躍したカール・マルクスそもそも学歴のなかったピエールプルードンなども、偉大な思想家としてのちに崇められる存在であるしかしながら、すべての人が偉大な人、指導者のような人、あるいは預言者になることを目指して研究に励んでいるわけではない。実態はむしろ逆であり、陽が当たらない部屋で日がな一日、誰も読まないような古雑誌の1ページをどう解釈するかについて考え、その謎を解けた時に無常の喜びを感じる、そういう人が研究生活に入るのである。そのような、全くつまらないことこそ重要研究成果なのであり、むしろ大きな社会的反響を呼び起こす御宣託が科学的な研究成果とは全く呼べないようなものであることは、ウェーバーの指摘するところであり、歴史が度々証明してくれたところでもある。いずれにせよ、研究生活とは社会的名声や富と全く関係がないどころか、資本主義社会ではしばしばそれらは相反するものとなるのである

 尤も研究者も所詮人間であるからして、研究のものの「客観性」や科学位置付けとは無関係に、それぞれの求める研究生活上のあり方というのは存在する。名声や富を求めて研究に取り組む人もいるのかもしれない。しかしそれは明らかに悪手だ。羽生名人でも挽回できないぐらいの悪手だと思う。

* * *

 さて、反面、家庭生活はまさに「経済」の必要に駆られるところのものであり、十分な収入、定住可能な住居、そして可能な限り多くの家事労働自動化が進んだとはいえなお労働集約的だ)が投入されて、初めて成り立つものである

 収入がないなどもっての外であり、亡命収監失踪放浪なども、家庭生活とは相容れないものである

 歴史を顧みれば、自死発狂、子捨て、虐殺に至るまで研究に身を置いた人々の末路は様々であるが、なんとかしてそのような事態は避けたいと誰しもが願うところであろう。

 できれば平穏無事に、昭和時代理想とされたライフスタイル、すなわち夫婦円満子供と共にマイホームに住み、安定した立場で働き定年後は年金生活という人生を歩みたいところである(これは皮肉である)。

 しか今日の若き研究者は、子供はおろか結婚もままならず、マイホームマイカーも持たず、年金制度破綻を前に怯えながら年老いるのである

 もしあなた結婚したとすれば、それはパートナーの全く寛大な心によるものか、パートナー無知蒙昧で完全に誤った選択をしたかのいずれかであろう。

 さら子供がいるとすれば、当然あなた研究生活放棄するか、あるいはなんらかの安定した不労所得に拠って研究生活と家庭生活の両立を試みねばなるまい。(あるいは、あなたが非常に体制時代に順応的な研究をなしていたとすれば、すでに十分な収入に恵まれいるかもしれない。これこそウェーバーの言った「僥倖である。そういう人には心から祝福を送ろう。願わくば同じような僥倖が数多の迷える研究者たちにあらんことを。)

 多くの研究者たちにとって、結婚出産研究生活首にかけられた縄である

 女性研究者の研究生活性別役割分業的発想や家庭生活に対する支援パートナーから十分に得られないなどの理由によりすぐに縛り首になってしまうが、男性研究者の研究生活も同様に性別役割分業的発想や金銭支援パートナーから十分に得られないことですぐにギロチンにかけられてしまう。

 いずれにしろ他者にとって金にならず有用性のわからない行為としての研究は、家庭生活に直面すると挫折する公算が大きいのである

 だからといって、家庭生活を全く否定してしまうことも困難である穂積陳重来日本の身分法学者は、日本国民の位置付けを次の三つの身分のいずれかあるいは複数に属するもの定義した。すなわち、夫婦、親子、親族である

 しかし、親が死に、結婚もせず、親族との紐帯も弱いとなれば、その人は社会的にも法律的にも、全く孤立した存在となってしまう。

 その人は十分な社会保障の対象にならないことはもちろん、社会生活上の様々な面で制約や不利益を受けることとなる。

 実際上の問題として、社会的要請として家庭生活に入ることを我々は求められており、多くの人はその生活が全く不幸であり耐え難く絶望的なものだと感じていたとしてもなお、家庭生活に甘んじているのである

 当然、研究をしていなければ家庭生活が楽になるとは全く言うことができない。しかし、少なくとも研究生活が家庭生活と激しく対立することであることは自明であることのように思われる。

 あるいは「家庭」という理想像の崩壊高齢者二人世帯や単身世帯シングルマザーの増加、生涯独身者の増加などによって、家庭生活という名付け自体空虚ものになっているという批判があるかもしれない。

 しかし反面で、なお結婚出産経験する人は半数を占めており、「家庭」に代わるほど普遍化された結婚出産を前提とした私的領域生活モデルはいまだに存在しないわけだから、やはり家庭生活という呼称を用い、特に若い研究者たちにとってはそれを重視せざるを得ない現状もあるのだ。

* * *

 収入、定住、家事労働を求める家庭生活は、無収入、度々の転職と転居をもたらし、にもかかわらず時間の余裕を求める研究生活とは、完全かつ深刻に対立する。

 では、この間の解決はどのようにしてもたらされるのか。非研究であるパートナーの忍耐によってであろうか。あるいは研究生活の適度な抑制によってであろうか。

 前者はこれまでの男性研究者がしばしば採用した方法であり、女性人権がない時代であればよかったが、21世紀にもなってこの方法採用しようと思っている人がいるなら、その人は妻を見つけることができないであろう。

 後者方法は、実際には採用し得ないものであり、つまりそれは相撲レスラー炭水化物摂取を控えるとか、プログラマーが1日3時間しかモニターを見ないようにするとかいう話であって、研究生活を「適度に抑制する」などということは単に研究生活否定しかない。

 研究者はその人をして全的に研究に没頭せしめなければ、素晴らしい「霊感」を得られないものである。そうでなければ、特に人文学研究においては、それは単なるジャーナリズムに陥るであろう。

 そして、これもウェーバーと同じく声を大にして言いたいところであるが、そのような素晴らしい「霊感」、今日言葉であれば「イノベーション」などというものは、研究のみならず仕事や様々な形の労働の中でも、それに没頭し専心していなければつかむことの能わざるものであり、行政府が旗をふって労働時間の長短や職業訓練の有無をいくら弁じ扇動しようとも、生まれてこないものなのである

 家事労働ワークライフバランス長時間労働問題は、まさにこの没頭の可能性にあるのであり、特に家事労働時間を細切れにしてしまうために人をして何かに没頭させることを妨げること大であるワークライフバランスも、結局その目的とすることが明らかでないか低賃金かつやることのない中途半端余暇をもたらすだけである長時間労働改善しても、人々が自ら欲するところのものに取り組めるような労働時間の設定でなければ、それが長かろうが短かろうが、人々の不満は変わらない。いくら労働時間が短いとしても過労死は起こりうるし、長く労働していても過労死しない場合があるのは、この理由によるのである

 とにかく、家庭生活の求めるもの根本的に否定しなければ、研究生活は成り立たないのである

* * *

 では、解決方法は何か。家庭生活問題点は、それが夫婦という二者で成立するように想定されていることである。それゆえ、収入と定住を男性が支え、家事労働女性が支えるという構図が出来上がった。

 しかしこの想定は噴飯ものであり、シングルマザーは全て一人でやらざるを得ず、あるいは逆に親族から支援収入不安が軽減されたり、実家を譲り受ければ定住も可能というように、家庭生活の諸条件の実現は夫婦という関係性の外部で決まっていることが多い。

 もし家庭生活に関与してから研究生活継続するためには、家庭生活を成立するためのリソースを外部から調達することが最も望ましい。(逆にいえば、外部からリソース調達できなければ、ついにここで研究生活のお墓を立てるしかない。自分研究というアイデンティティよ、さようなら、と。)

 ただ、ここには二つの問題がある。一つは、リソース調達である大川周明のように徳川家から調達したり、大杉栄のように政治家からぶんどってくることができれば最高だし、あるいは明治時代のように女中を置いたりできれば最高だが、なかなかそういうわけにはいかない。もう一つは、その調達個人能力に帰せられることで、研究能力とは別にそれに取り組む環境規定されてしまうということである

 この二つの問題解決するためには、若い研究者同士で研究生活を支えるための生活ネットワークを構築するしかない。あるところには金がある人もいるだろう、あるところには手が余っている人もいるに違いない。

 どうせ研究生活に勤しんでいる人以外に若い研究者に対して同情を寄せてくれる人はいないのである

 アカデメイアリュケイオンがどうだったかはわからないが、古今東西大学に併設されている寮や大学街(カレッジ)では生活上でも学術上でも研究者のコミュニティ形成されていたはずだ。修道院のようなものである

 いま、若い研究者は官僚主義的な大学制度によって互いに分断され、地方に散住し、有能なもの国外へ出て行ってしまっている。もう最後タイミングである

 いま我々若い研究者が団結して助け合わなければ、この国の研究はすぐになくなる。もし研究のなくなり方が緩やかであれば、日本語で達成された学術的成果を、多少なりとも国際的に、人類のために遺す時間猶予が生まれるかもしれない。あるいは、国外から救いの手が差し伸べられるやもしれぬ。「タコツボ」を脱しなければならない。近くで助け合って生活し、なんなら雑誌なども出して(いまであればブログでいいのかもしれないが)、特に文系では消え掛かっている研究の灯火を、なんとか引き継いでいかねばならぬ。ならぬと思う。

いや、それとももう、研究生活を諦めるべきなのか。

2018-07-31

窪田順生の文章まじやばくね?

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1807/31/news053_2.html

なんというひどい文章だ。

もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。

そう、福沢諭吉である

学校の授業でも必ず習う「学問のすゝめ」のなかで、福沢諭吉人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。これは、他人と比べて自分を不満に思い、自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。要は、「嫉妬である

 そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名御殿女中」をあげた。ドラマ映画になった『大奥』を思い浮かべていただければ分かるが、「御殿」のなかで殿様にかわいがられた女中というのは、周囲からすさまじい「いじめ」に合う。私よりブスのくせになんであの女が。どうせ汚い手をつかって取り入ったのに決まっている。剛力さんが女性たちからボロカスに言われるのとまったく同じ構造だ。

 そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。

 「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)

 なんのこっちゃという人のために要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

もうちょっとわかりやすく抜き出すと。

もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。そう、福沢諭吉である

学問のすゝめ」のなかで福沢諭吉人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。これは、他人と比べて自分を不満に思い、自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。要は、「嫉妬である。そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名御殿女中」をあげた。

そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。

「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)

なんのこっちゃという人のために要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

ちょっとひどすぎませんかね。

なんのこっちゃという人のために要約すると、

日本人嫉妬深い。これは福沢諭吉も言っている。

福沢諭吉はこう書いている。ムニャムニャ。

・これは要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

二行目から説明にまったく意味が無い!

というかこの人全体的に文章無駄が多すぎ!!!!!

しかも何だよこの文章

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。

他にも、筆者の独りよがり記述が多すぎる。文章書き手として余計な記述が多すぎる。

よくわからんクレーマーもどきの読者を想定しているのだろうけれど、そっちばかり向いていて、興味がある人にとって非常に読みにくいし

なによりもそういうこころあたりが無い人間からしたら、厄介者されて不快なのである

「ここまで読んだら不快になった、謝罪しろ!」「そんなに日本が嫌なら今すぐ日本から出ていけ!」といった怒りの声が飛んできそうだが

「そんなの福沢諭吉妄想だろ! 日本人ほど他人に優してく、寛容な心をもつ民族世界を見渡してもそういないぞ!」という怒りの反論が聞こえてきそうだが

理論武装をするのは立派なことだが、その武装をいちいちひけらかすのはチンピラっぽいのである

読者に威圧感を与えながら文章書くなよ。



読者に合わせる努力が無さ過ぎる。

内容についてはあえてスルーするが、まず文章がひどいと読む気なくすから! 読んでも不愉快な気分で読んでるとわけもなく否定したくなるから

頼むからもうちょっとまともな文章書いて!おねがい

2018-07-22

[]

本日は36度で過ごしやすいですわ……と白目のタンパク質を凝固させながら

思っていたら目的地の幸兵衛窯付近では38度になりましたわ

多治見の中心より高地にあって、緑に囲まれていますのに

幸兵衛窯ではラスター彩と三彩の復元をおこなった加藤卓男様の業績を中心に展示が行われています

現役の窯でもあって販売も行われているというか、

展示されている加藤卓男様の作品の一部にまで値札がついていました

先代の五代加藤幸兵衛様の作品は流石に希少らしくて値札はなかったですの

現在生産中というエジプト神様タウレトオーナメントが、

カバの上に子カバが乗った形態で、子カバがまるでムー○ンのようでしたわ

かわいくて心惹かれましたわ

加藤卓男様の展示では文字がびっしり書かれ、スケッチ写真の貼られた日記をかくにんできました

職人というよりも研究者ノートでしたわ

正倉院の鼓胴と呼ばれる陶器復元したときは2年かけて97個目で

満足のいく複製をつくりあげたそうですから、そのこだわりの強さがうかがえます

研究対象とした出土品のラスター彩はわかりにくかったのですけど

七代目加藤幸兵衛(ちなみに加藤卓男様が六代目幸兵衛を名乗らなかったので六代目幸兵衛は欠番ですわ)様の

ラスター彩作品をみると本来の輝きが理解できましたわ

展示が行われている建物構造も興味深いもので、

わたくし、はじめて階段箪笥を登りましたわ

手すりが堕ちる側についていなくてドキドしましたわ!

屋根裏部屋は1メートルくらいの高さにある梁をくぐって移動しました

とても暑かったですわ。昔の女中さんはこういうところで寝起きしてらしたのね

2018-07-18

anond:20180718195013

ぐぐりゃ分かるが、貴族階級だと男性自分で服を着る前提なのに対し

女性は元々女中に着せて貰うのが前提だったか

2018-06-12

anond:20180612183703

メイドではなくて女中

現実にはどっちもいないでしょ。

土木作業員は女はほぼいない。

おひめさまとかで男女論につなげてるやつは、職業差別問題にしていないクズ

男の子だって女中になれる」「女の子だって土工になれる」

こういう幼児向けアニメがあるべきだ。

キラキラしてるものばかりを憧れさせるのは、職業差別助長するだけだから

2018-05-25

会社の女女中と他部署人間が結託してる可能性がある。

今時そんな田舎臭いやり方で若者干すんだねー

自分支配配下に置かないと満足出来ないの?性悪

ほんっと陰湿で嫌になる。吐き気がして倒れたらお前の勝ちなの?何がしてえの?

2018-05-05

anond:20180505020057

そもそも古代に、現代風の「子育て」なんてないだろ

戦前でさえ、幼児死亡率が異常に高くて、多産多死が普通で、小学校を出れば、すぐに、「奉公」に出されたんだぞ

昔は、普通に「女中」がいて、親じゃなくて、そういう人が育てるのが当たり前だった事もあるけど

2018-03-15

anond:20180315212124

考えてみれば女性ってハードモードかもな

女性にだけはなりたくない

結局家では女中みたいな立場じゃん

anond:20180315113100

それは、流石に楽観的すぎるかと。

「女を炊き転び(妾を兼ねた女中)扱いする価値観が広まる」とかいって、同じ様な反応だったと思いますよ。

2018-02-28

anond:20180228195113

たぶん、前の奥さんの家で、女中さんがいたらしいんで、体洗ってもらってたんじゃないかな。

ほっとくと、自分の体でも洗わないような人だと思う。ものさなんですよ、字とか綺麗なんだけどね、そうは見えないんだけど。

2018-01-10

anond:20180110155454

振袖着られるような階級の人は周りに女中がいるだろうから

自分で着る事なんかなかっただろうね。

そもそも現代庶民なら一人でやって当たり前の事でも女中にやって貰ってただろうし。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん