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はてなキーワード: 武道館とは

2016-10-08

ミスチルライブで横のBBAがクソだった

昨日、Mr.children武道館ライブに行った。

タイトルには関係ないが、この最近ものすごく仕事が忙しくて報われなくて毎日終電帰りのなかで

開演の18:30に武道館に行くことは容易なことではなかった。

しかファン12年。今回のホールツアー「虹」はずっとチケットが当たらなくて、

やっといけることになった武道館。相当楽しみにしていた。

7日(金)のライブを楽しみに働いていたといっても過言ではない。

座席は1階東スタンドだった。左側が私、右側が母。

スタンドだがかなりステージが近く感じるいわゆる「良席」。

スタジアムツアーとは違う、バラード多めのセットリスト。控えめに言って最高である

だが、コトはライブ中盤に差し掛かった頃に起きた。

私の左側に立っていた女性に、腕をトントンとされた。

トイレに行きたいのか?とおもって体をずらすとそうでもないらしい。

どうやら私の袖が当たるようである

私もはしゃいでいたので、少し母側にずれ、身のフリも小さくした。

武道館に行ったことがある方なら分かると思うのだが、スタンドのイスは固定である

そのイスの幅を越えていたわけではない・・

すると3分後くらいに(曲の途中ですよ!)に、女性に声をかけられた。

女「狭いんですけど!」

私「すみません

母が気にしたので「横の人が文句言ってくる・・」と伝えた。

体を母側に(ステージ側)に斜めにして手拍子をしていると女性にキレられた。

女「当たってるのよ!!こんなにぶつかってくる人初めて!」(ぶつかっていない)

私「これ以上右にいけません・・」

女「やめてよ!」(この時点で変な人だわ、とやっと気づく)

私「そうですか、席変わりますか?」(半ギレ)

女「・・・・・。邪魔を、、するな!!」

ここで母親が見かねて席をかわった。

まあ・・

ただ「変な女に楽しいライブ中にいちゃもんつけられてものすごく腹が立った」

それだけの話なのだが。

Mr.Childrenという比較ファン層がおとなしいアーティストであっても、いろいろあるわけで。

もっと元気なアーティストライブではきっといろいろあるんだろうなと思う。

音楽に体をゆだねて、熱を送る音楽ライブなんて

近くの人と体が触れ合ってしまうのは不可避。

両端の人よりも肩を前に入れたがる人、

1ミリでもステージに近づきたがる人、

手を大きく左右に振る人、みなさんいいと思う。

でも周囲の人のことも考えていただきたい。。

楽しい思い出だけでライブ終わりたい。

くそ~運が悪かったんだな~へんな人の隣になってしまって。

怒りのあまり途中の曲、まったく頭に入ってこなかった!

めっちゃ腹立つ。更年期障害かよ!!

てか「席かわりますか?」で黙った時点で私の勝ちでは?(鼻息

曲の途中じゃ他の人に助けも求められないし。

最悪だわ。宝くじでも買おう

2016-10-02

全日本吹奏楽コンクールチケット転売問題を考える

今年も全日本吹奏楽コンクールチケットネットオークションに出回り始めました。

Twitterをみていると、次々に怒りのコメント投稿されています

感情的にも、倫理的にも転売行為容認できないことはよく分かります

でも、「転売行為は許せない!取り締まれ!」って言ってる人は、思考停止しているのではないでしょうか?

取り締まりを強化することが転売行為を無くすベスト方法なのでしょうか?

もう少し深く考えてみることにしました。

そもそも問題なんだろうか?

法的、倫理的問題があるかはここでは考えません。あくまでも経済的な側面から考えます

オークション高額取引される、ということは、全日本吹奏楽コンクール興業としての経済的価値相対的に高くなっているということだと思います

これ自体は素晴らしいことだと思います。全てのチケットオークションで5倍の値段で取引されたとすれば、興業としての経済的価値も5倍ということになります

まり消費者側は全日本吹奏楽コンクールに対して数倍のお金を払うだけの価値を認めているにも関わらず、そのお金の向き先を上手くコントロールできていないために、不正業者にその大半のお金が渡ってしまっているのです。

私は、これだけのお金が、きちんと吹奏楽界に還元されるようになってほしいと思っています

取り締まれば良いのか?

取り締まりを強化すると、不正業者が淘汰され、より洗練された不正業者けが生き残り、手口が高度化されるだけです。

言葉を選ばなければ、ゴキブリのようですね。

本人確認の徹底や、スマートフォンなどを使った認証なんかを導入したとしても、吹奏楽連盟不正業者の高度化に投資しているようなもので、全く意味は無いと思います

大事なのは需要供給バランス

当たり前の話ですが、そもそもなぜ転売行為が成り立つのかと言うと、需要に対して供給が少な過ぎるという構図になっているからです。

需要は「全国大会見に行きたい!」というもので、供給は「全国大会チケット枚数」です。

この需要供給バランスを調整することが、チケット転売問題解決する方法なのではないかと思います

供給を増やせるか?

簡単に思いつくのは、「需要がたくさんあるんだから供給を増やせばいい」という策です。

しかしこれは現実的ではありません。

もっとデカいハコでやろうにも、既に全国大会が開かれるホールはどれも、音楽ホールとしては日本国内最大規模のホールです。まさか東京ドームや、武道館でやったら審査なんてできません。

また、全国大会複数日程にすることも、出演する学生負担を考えると現実的には不可能です。

あくまでも興業ではなく、コンクールであることを考えれば、やはり供給を増やすことは難しいと思います

需要を減らせるか?

私が有効だと思うのはこちらです。

需要を減らす?吹奏楽の発展と真逆じゃないかけしからん!」という声が聞こえてきそうですね。まあ、思考停止せず最後まで読んでください。

チケットを買って生の音楽を聴きに行く、これは音楽を楽しむとても良い方法だと思います

しか21世紀の今、これが唯一の方法かと言うと、決してそんなことはないと思います

要は、全日本吹奏楽コンクールを楽しむ方法の中で、「チケットを買って会場に聴きに行く」という体験価値が、相対的に高すぎる状態になっているんだと思います

例えば、仮にDVDで鑑賞するという体験もっともっと楽しければ、2万円払ってチケット買うより、7000円でDVD買った方がお得だな、と考える人もでてきます。(残念ながらDVDではそこまで楽しい体験提供できていないので、この例ではあまり説得力がありませんね。)

そこで、どんな体験であれば、2万円払ってチケット買うよりこっちの方がいいかも、と思えるか考えてみました。

全日本吹奏楽コンクール

近年NHK紅白歌合戦で同時に開催されている、裏紅白というコーナーがあります。これは、ステージ紅白歌合戦が行われている間、お笑い芸人バナナマンホール一角で、ひたすらトークをしているというものです。最近はこれが見たくて紅白を見ている人もいるようです。

吹奏楽コンクールでもこんなコンテンツリアルタイムに有料で配信したら面白いと思います。親子室の一室に作曲家演奏家を招いて、演奏についての感想や、演奏されている楽曲について喋っている様子が、演奏とともにリアルタイムで楽しめるのです。裏紅白と同じ要領で、演奏が終わった団体指揮者ゲストとして出てきてもらうのも良いかもしれません。

楽器店同時中継イベント

感想を語り合うことも吹奏楽ファンにとっては重要な楽しみの一つです。

そこで、楽器店などで全日本吹奏楽コンクール同時中継イベントを行うというアイデアがあります

吹奏楽に関して、集まった人同士で自由感想を語り合い、盛り上がれる環境ほとんどないと思います

地元楽器店に行けば全日本吹奏楽コンクールの同時中継が見れて、同じ趣味地元の人たちと繋がれる、というのはなかなか面白いかもしれません。

映画館での同時中継

テレビPCで中継を見たのでは、臨場感が足りない!という人もいるでしょう。

そこで、映画館での同時中継をしてはどうでしょうか?

最近ではお笑いライブの同時中継など、映画館リアルタイムコンテンツを楽しむという事例もあります

近所の映画館吹奏楽コンクールの同時中継を見れたら、近隣の学校吹奏楽部の生徒さん、ものすごく喜ぶと思います

ただ、丸一日映画館の中に座ってるのも辛いですし、最近シネコンは入れ替え制がほとんどなので、仕組みとしてそれなりに工夫が必要だと思います。(例えば、小規模なシアターを1日貸し切るなど)

イノベーションファーストで考える

いずれのアイデア完璧とは程遠いと思いますし、これですべての人の需要に応えられるとも思いません。「それでも会場に行って聴きたい」という人の需要供給を上回ると思います

それでも多様な楽しみ方ができるようになることで、少しはコンクールチケットへの過剰なお金の流れを分散することはできると思います

「言ってることはわかるけど、吹奏楽でそんなことできるわけない」そんな風に感じている人も沢山いると思います

日本吹奏楽には歴史があり、吹奏楽コンクール運営する吹奏楽連盟にも歴史があります歴史があることで新しいことにチャレンジしにくいのかもしれません。

それでも、「イノベーションを起こせない業界は必ず衰退する」のが21世紀だと思います

私は吹奏楽界が健全に発展してほしいと心から願っています

今回テーマとして取り上げたチケット転売問題は、もしかしたら取るに足らない問題なのかもしれません。

しかし、その問題本質とイノベーティブな解決策を考えて真剣に取り組めば、吹奏楽界はお金以上に得られるものがあると思っています

私のような一ファンができることはそんなに多くはありません。それでもファンがみんなで真剣に考えて、インターネットというオープンな場で建設的な議論を重ねることで、吹奏楽界に少しは良い影響を与えられると思い、この投稿を書きました。

匿名ブログ投稿した理由は、今現在私が自分の好きなことを書くためのブログを持っていなかったためです。

筆者はこの↓podcastで喋っているアマチュアの方の人間です。

カイセのセカイ – 吹奏楽・クラシック音楽談義 配信中!

意見お待ちしております

2016-07-07

ちゃんと願え

スーパー短冊が飾ってあってふと見ると、

彼女が出来たら毎日会えるようにしたい!

元かのに会いたい!

って書いてあった。

彼女はいないのか?

出来る前に出来た先の願いとか、今年こそバンド組んで武道館ライブやりたいって言ってる感じだな。

もっとちゃんと願えよ。

適当すぎるよ。

2016-05-06

イノベーションは秀逸な情報商材である

政府からの「起業支援」に対する投資過熱している。

この本質は次の通り

経済成長しない

・打破するには生産性の向上しかない

生産性の向上はイノベーション

イノベーションベンチャーから

・じゃあベンチャーをどんどん出そう(イマココ

もちろん政策としては金のバラマキ。

別にバラマキが悪いわけじゃない。

というか本質的にはバラマキ以外に方法はない。

政府、つまり金を動かせる偉い人たちが集まって議論すると、必然的

「国としてはベンチャー支援している人を支援しよう」という話になる。

直接事業をするよりも、プロに任せましょう、という話だ。

で、じゃあ誰に金を渡すか?、という話になる。

ほどなく、不思議と、「ベンチャー支援できますよ」、

という人が世の中に増え始める。

密室から漏れ出したカネの匂いが、頭の良い人達のハナでくんくんと探知される。

政府に対して「こんな成功事例がでました」という話を見せるためには、

いろいろな創意工夫がなされる。

まず金が余ってるか業界疲弊にあえぐスキの多い業界企業の動向に目をつける。

もっといえばスキのあるいい担当者を見つけることだ。

いいベンチャーがあったら買いますよという立場の人が、必ずいる。

次に、その分野で元気のいい学生を見つけ、金を渡して株を買い、プロダクトを支援する。

頓挫する可能性が高いので複数同時並行で投じる。

次に、いい具合にプロトタイプができたら、メディアコネお祭り騒ぎにさせる。

雑誌に載せ、新聞やらテレビに出す。雪だるま式メディアに取り上げられる。

メディア慢性的ネタ不足なので、とびつくネタには多数のメディアが飛びつく。

その他色々な方法で、これがイノベーションである、という絵を作り上げる。

例えばクラウドファンディングで何百万の金を集めた、という事実を作り上げる。

そして頃合を見て、出口にもっていく。

用意しておいた出口、つまりベンチャーを買いそうな人たちに

「こんなベンチャーあるんですけどねー」をチラチラさせ、

バクっと食べてもらう。

このときキャピタルゲインチャリンと入る。

それだけでそれなりに美味しいけれど、同時にベンチャー支援成功事例が手に入る。

私達に任せればイノベーションはokです、という形さえ手に入れば

あとは雪だるま式にカネは集まる。

雪だるまになる理由は、前述のメディア取材構造と同じだ。

ちなみに食わせるためには、色々な方法がある。

買収する側の企業担当者にカネが流れる構造をうまく作るとか。

まり柏駅貧乏で夢を追うシンガーソングライター

音楽やら化粧の仕方やらを叩き込み、客がつくかどうかは関係なく、

武道館に立たせて歌わせる。必要に応じてサクラを動かす。

武道館に立って歌ったという写真」がすべての目的からだ。

この絵は普遍的で、世の中そこらじゅうにあふれている。

ラーメン屋流行らせるために行列をわざと作らせるのも同じ話だ。

あの株価が吹き上がったという話を聞いた有象無象個人投資家

乗り遅れるな、と買いつけると、ほどなく暴落する。

すべてが飽食の時代だ。

うまい食い物も、快適な衣食住も、付加価値も、すべて行き届いた。

民は何も欲しない。

不動産やら外国通貨やら株やら事業に投じても伸びない。

信用収縮でどんな財も消えそうで怖い。

世界は深刻なカネ余りだ。

みんなが求めている「イノベーション

その本質情報商材であり、

イノベーション一種フィクションであり、

まれては消える人の夢そのものだ。

2016-03-25

不倫のなぜなに

今年のニュース限定して言いますが、

ゲスの極みとベッキー不倫

ベッキー自粛、すべて降板

ゲスは何食わぬ顔で活動継続武道館ソールドアウト、追加公演

これおかしくない?ゲス自粛してほしい。ゲスチケット買う奴等の気が知れない。

乙武さん不倫

乙武さんの妻も一緒に謝罪

これもおかしくない?悪いのは乙武さん「だけ」でしょ?なんで妻も謝るの?金ぶんどって別れてやればいいのに。

桂文枝不倫

新婚さんいらっしゃい継続

これもおかしくない?自粛してほしい。今田でも東野でも代わりに使っとけばいいのに。

フェミニストみたいなことを言うようであれなんだけどさ

不倫にかかわった「男」の側は活動継続できるのって、なんで?

しか乙武さんの件では不倫「された」側が謝ってるのおかしくない?

もし逆だったら乙武さん別に謝らないよね。むしろ同情されて立候補じゃない?

なんか男女の力関係を感じて嫌な感じするわ。

2016-03-01

シンフォギアライブ2016感想

とりあえず勢いに任せて書いてみたら、twitterに投げるには長すぎ、そもそも俺きめぇってなったので。

誰か一人でも、共有できる想いがあれば嬉しいので、こっちに投げ込みます

感想の内容は両日ぶんが混じっています

キャストさんは敬称略

影ナレ

土曜日曜で内容が違う、無駄に豪華仕様

ライブ2013の例からいって、円盤収録もない可能性が高いので、両方を聞き比べられた人はきっと幸せ

というかむしろ、日曜の内容は土曜を聞いてること前提だったような。

『後は昨日のテープ流しといて』とか、『強制退場ってことは、チューするのか?』からの『昨日と言ってることが違うゾ』とか。

しないフォギアといい、やっぱスタッフ側もガリミカ好きなんだなと理解した次第。

Exterminate

オープニングはRADANT FORCEかギャラクシィクロスか、という大方の予想を覆しての、まさかオープニング曲。いや、アニメ本編のオープニングだから使い道としてはあってるんだけど。

後のMCでも言ってたけど、これまでにも各媒体で『終わりの曲』『Glorious Breakを受けてのアンサーソング』って言われてたから、てっきり終盤で演るもんだと。

そしてそれが予想外だったことに加えて、ついに始まったってことで感情が昂ぶって、覚えてたコールが飛んでしまったりも。ラスサビ前の『Exterminate』は叫べてよかった。

星天ギャラクシィクロス

Exterminateから息つく間もなく、初手から全開のシンフォギアライブ

ふたりそろって、口からCD音源クラスの声量。

MC

日笠陽子は『マリアカデンツァヴナ・イヴ役の』と噛まずに言うだけで笑いが起こる女性になってしまったなあ。

不死鳥フラン

序盤からまさかの予想外曲。リハの音漏れから、前期曲も演るんじゃないかと思われていたけど、このメロディアスで印象的なイントロが流れたときの適合者のヒートアップっぷりはもう。おう、叫んだとも。

そしてこの予想外に難なく適応して完璧コールを飛ばす適合者たち。このライブ成功約束された瞬間といってもいいかもしれない。

SENSE OF DISTANCE

トーン低めのキャラ声で、この熱狂のただ中にいきなり入っていくとか、冷静に考えたらわりと超難易度っぽい気もするけど、さすが装者の中でもライブの場数はトップクラスと言っていいだけある。

Just Loving X-Edge

予想はできていたとはいっても、実際にディストーションばりばりのギターイントロが流れると、どうしたって盛り上がる。南條愛乃の高音と茅野愛衣の低音とのハーモニーは、もうねえ。

Edge Works of Goddess ZABABA (Short ver.)

イントロがかかったとき、きっとほとんどの適合者が、『このセトリ、俺たちを殺す気だ』と思ったにちがいない。

MC

今回も、南條愛乃デザインで揃いの衣装ギアのヘッドパーツを模した、というかそのままヘッドパーツの萌えポイントが高すぎて。あと、茅野愛衣は、なにげに前回のシンフォギアライブ以来のライブとのこと。あんな強くてまっすぐな低音を出せる女性声優って珍しい気がするのに、もったいない

あと、このふたりが回るのは恒例行事になってしまったような。

ORBITAL BEAT(Ver.ZABABA)

MCからの流れとはいえ、これも嬉しい予想外。

いやほんと、茅野愛衣の低音は素敵。オリジナルバージョンの、近い声質のハーモニーもいいけど、ZABABAの個性のあるバージョンもいいものだ。

おきてがみ

\デデース!/\デデース!/

(顔をしてぷるぷる)のところはコールしないのね。

陽だまりメモリア

これ、イントロだけで、即座にライトを紫に変えられたひとってどのくらいの割合だろう。というレベルの予想外。ライブ2012以来だし、そういえばそのときも初披露なのにこういうコールをしていた記憶が蘇ってきた。

MC

井口裕香はほんと、サービス精神旺盛だ。

歪鏡・シェンショウジン

響へのラヴソング井口曰く)。

ステージから客席に放たれるレーザーは、シェンショウジンの光そのもの

銀腕・アガートラーム

身体を削って喉を振り絞るようなパフォーマンスには、ただただかっこいいという言葉しか出ない。

MC

話を総合すると、奈々さんが好きだから触りたいけど、触られたらぽよぽよだぞ、と。

いやでも実際問題、あの声量をあれだけ身体を動かして安定して出せるなんて、鍛えてることに異論はないやね。

あと、『たやマ?』はしばらく笑い転げてしまった。

純白イノセント

染みる歌詞染みるメロディ。「歌が好きだ」とハジけた感情の上昇は、日笠自身を現していた。

泣き声で『みんなに力、もらったよ!』とか泣くでしょ。

Rebirth-day

シングルカットバージョンではなく、アニメ本編で使われていたイントロのロングバージョン。次第に加速していく4つ打ちの重いビートにあわせて、会場を埋め尽くした赤いライト上下に揺れ続ける一体感は静かに熱気が高まっていくのをしっかりと感じた。

そしてキレッキレの振りがまたすばらしい。

TRUST HEART

『盛り上がってるか! 群雀ども!!』ってアオリで一気にクリスへと切り替わる瞬間。

MC

高垣彩陽爆笑MC』って、どこぞのアドリブアニメ声優じゃないんだからさぁ。

衣装がほんとクリスのもの。靴のリボンの可愛さたるや。

そして、もらったブドウ缶で、クリスうさぎキーホルダークリスソーサーを入手するとか、ほんと役に愛されている。

あと、Re焼肉-Dayに触れてあげるあたり、彼女はいい子。

繋いだ手だけが紡ぐもの

から1期の回想とか泣くってば。……いやごめん、ネフシュタンクリスは久しぶりすぎて正直笑った。

放課後キーホルダー

ほんと、この曲の揺れ幅がクリスだよなぁ。前回の教室モノクロームもよかったけど、こちらも圧巻の歌唱力で歌い上げられたら、そりゃもう幸せですわ。

BAYONET CHARGE

来るとわかってようが、このイントロで高まらないなんて嘘だ。

きりしらとはまた違った形で、特徴的な声と声とのぶつかりあいは、緊張感であり安心感でもあり。

Beyond the BLADE

あんなヒラヒラの衣装舞台を右に左に走り回るなんて、水樹奈々ライブ特性はほんとどうなってるんだ。

MC

『話はベッドで聞かせてもらおう!』の正しい使い方講座。

それはそれとして、ダジャレで自らを窮地に追い込んだSAKIMORIの照れ顔最高。

あと、『翼はこういうキャラじゃない』って言ってたけど、しないフォギアを見る限りはわりとそういうキャラっぽいよ?

空へ…

から1期の奏回想とか泣くってば。泣くってば。

客席の青いライトにまじってちらほら見えるオレンジと赤の光に、やっぱりみんな奏のことが好きなんだなって。1期から追いかけている適合者も、まだこんなにいるんだなって。

Glorious Break

空へ…でしんみりしすぎて、存在が頭から消えてたよ!

Grorious Breakはなにげに、久々のコール

殲琴・ダウルダブラ

水瀬いのりのあの小さい身体のどこからこんなドスの効いた声がでてくるんだって思いが、生歌を聴いてさら不思議になった。

MC

シンフォギア現場にずっといたとはいえ、ついにこのメンツに混じってライブ参戦とか、そりゃ怖いだろうって話で。

tomorrow

歌い上げる系の唄を、生でこれだけ表現できる子だったのかー、と。黄色ライト意味が、さっきとはぜんぜん違って見えた。

リトルミラクル -Grip it tight-

スポットが当たって姿が見えたときディスプレイに響そのものの姿が映し出されたとき、そして歌い始めと、わずかな時間に3回。

コールがしょっぱなから高潮

限界突破 G-beat

限界突破とは何か。この曲だ。

ただただ叫んだことと、それをさらに自らが煽っていく悠木碧と、それだけしか頭に残っていない。

MC

響を連れてくることだけを考えました。そしたらみんなが『座長』って呼んでくれました。

ライブ2012、2013と見てきた適合者は、そのトークに込められた想いがどれだけ重かったのか、自分のことのように感じていたはず。

2012のカーテンコール。締めの挨拶をしたのは、奈々さんだった。もともとそういう予定だったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。

2013のカーテンコールでも、このメンバー自分座長なんてありえない、そう言っていた。

やっと、本当の意味で、自分がいられる場所を見つけた。そういえる彼女は、間違いなく強くなった。

撃槍・ガングニール

高まってるところにこれはいけない。

というか適合者は何故サビ合唱を当たり前のように!

いつかの虹、花の想い出

手を繋いで左右に揺れながら楽しげに歌うふたりが、ほんとうに幸せそうだったあったかい曲。

MC

日笠を、泣いたことで弄る悠木碧の頭上に、ぴこんとフラグが立ったのを見たのは、自分ひとりではないだろう。

まりの歌

勇ましくて、でも優しくて暖かい曲。

横一列に並んだ装者たちが、思い思いに身体を揺らして歌ってるのが、ほんとうに楽しそう。

特報

長い暗転時間が終わり、流れてくるあのイントロ

これまでの歴史が語られ、そして。さすがシンフォギア、予想を裏切ることにかけてはその方向性に間違いはなかった。

RADIANT FORCE

 絆、心、一つに束ね 響き鳴り渡れ 希望の音

 願い、祈り、全てを背負い 本気を超えた 本気の唄

このフレーズを1万人で絶唱した、その事実

twitter検索しても、興奮により上気した満面の笑顔とぐしゃぐしゃになった泣き顔が同居していた適合者は決して少ないものではないようで。

シンフォギア世界は、唄を奇跡に変えられる世界は、あのとき、たしか存在した。

「ありがとう」を唄いながら

RADIANT FORCEがくるなら、当然こちらも。

どうして、さっきまでわけのわからいくらいに絶唱していたのに、この曲ではコールどころかかけ声も上がらないことが統一できてしまうのか。

FIRST LOVE SONG

そして最後まで予想外の1期曲。まさか、また、この唄を聴けるなんて。あのときには今にも折れてしまいそうだった悠木碧が、中央で笑いながら、ほかのふたりを導いている。

ラストの、3人で手を繋ぐ演出には、惜しみない拍手を。

MC

見事なフラグ回収でした。

虹色フリューゲル

シンフォギア世界を閉じるのは、やっぱりこの曲。

と・き・は・な・て!!

いつか、『逆光のフリューゲル』を聴きたいと、想いながら。

カーテンコール

狼狽えるな!」と言いつつ自分いちばん狼狽えていたことを暴露される日笠。

武士ノイズを2日ともネタにされる水樹奈々

ライブ2012のゲームコーナーの話もすこし。四字熟語といえば、やぱり翼さんの『風林火山』。

誰が言ったか『次はアイドル活動とか?』の直後、おそらく客席のほとんどの目は、ピンクい人に注がれていたのだろう。

キャストがそれぞれ、殴っただの殴られただの敵対していただの嫌いだっただの言い合っていて、こういう関係性の変化を積み重ねて楽しめる、長いコンテンツになったんだなと感慨も。

「やっぱり、愛ですよね」のフリに乗り損ねた日笠はおいしすぎてもう。

BDが発売されたときに、しっかり編集点で切られていたらそれはそれでほんとおいしいよなぁ、とよこしまな考えも。

シンフォギアはほんとうに、長く続くコンテンツになった。まだ終わらない。キャストの愛が、スタッフの愛が、適合者の愛が、武道館を満たしていたのを、みんなが感じていた。だから、そこにあるのは笑顔だけで。

また会えるからさよならなんていらない。

G・X!!!

2015-12-23

高校東京大学を退学した話

これは 退学 Advent Calendar 2015 12/18 の記事です。

勢いで登録したものの1週間近く過ぎてしまったこと自体が、2回も退学するような人間であることをよく表しています

てきとうなブログスペースがないのでここに書き殴ります。なるだけ時系列順で。

高校入学以前

物心ついたときからなぜか勉強ができたというか、テストの点数だけは良かった。

小学生時代は(客観的に本当にそうだったのかわからないが)イジメられるような人間で、

それがイヤになって公立中学を避けて、中学受験をして私立学校に進学した。

ここがいわゆる進学校的なところで、中高一貫校の利点を活かして中学のうちから高校の授業をするようなところだった。

模試なんかも1学年上の模試を受けさせられたりしていて、自分にはそのような先取りの学習スタイルが合っており、

中学卒業する頃には高校理科系の科目については教科書の内容を終えていた。

はいガリ勉だったわけではない。

中1からギターを始め、まわりの友達楽器を教えてバンドを組んで、

自分たち企画してライブハウスを借りて同級生を集めてライブイベントを開いたりしていた。

高校入学

音楽にドップリはまって、東京に行ってミュージシャンになりたいと思い始めた。

また、当時流行していたモーニング娘。にも衝撃を受けて、後藤真希に激ハマリ

自分上京して音楽家として売れて後藤真希結婚するのだ」と強く思い込むようになった。

すでに高校学習内容を終えていた自分にとって、学校はひどくつまらなかった。

拘束のキツい進学校で、朝課外・夜課外というもの必須で組み込まれており、

7:30-18:00 という長時間、わかりきった授業を受けるのが耐えられなくなった。

こうなることはだいたい予想できていたので、別の高校受験検討していたが、

その学校には「他の高校受験してはいけない」という規則があったため叶わなかった。

(これがどの程度の強制力があるものなのかわからないが。)

そのうち学校に行かなくなって、自宅で将来を空想して過ごすことが多くなった。

この頃インターネットにハマって、アイドルのファンページや 2ch を見始めた。

スムーズ上京してミュージシャンになるにはどうしたらいいか」を考えた結果、

こんな無駄学校生活を送ってもしょうがない、

アルバイトをして音楽機材を買い、東京大学合格して上京しようと思い始めた。

親や学校に退学の相談をしたが、当然のように引きとめられた。

しかしながら、いくら試験の点数が良くても授業に出なければ卒業はできない。

とにかくアルバイトがしたかったのでそこを押して交渉したら、

本来禁止だが新聞配達なら許可してもらえることになった。

(が、もともと通学できてないのだ。新聞配達をして寝るようになった。)

学校に行かないまま時間けが過ぎ、高2の夏ごろになり、

正攻法では無理だと考えた自分家出奇行に走るようになり、

周囲の大人にだいぶ迷惑をかけた。

「今辞めたら大検を2回受けられる」というのを切り札にして退学した。

(が、大検会場が田舎でめちゃめちゃ遠かったので、結局1日目しか行かなかった)

高校中退 - バイト漬けの日々

17才高校中退した自分大学入学までのミッションは、

音楽機材を買い集めること」と「東京大学合格すること」だった。

とりあえず年齢を偽って深夜のコンビニアルバイトを始めた。

平日深夜はコンビニ、土日昼は結婚式アルバイトという具合で、

週5-6日バイトをしてフリーター程度に稼いでいた。

昼夜も逆転しているため勉強どころではなかった。

(これがのちに自律神経を壊して大学を辞める布石になる)

高3の8月までコンビニ12月まで結婚式バイトを続けた。

当時一番つらかったことは、「実は高校中退していない」という悪夢を繰り返し見続けることだった。

この時点で自分はただの中卒のフリーター大学合格しなければただのドロップアウト未来はないだろう。

それが自分には受け入れられなかった。もともと「高校を辞めたい」と思って辞めたわけじゃない。

「つまらない教育制度が悪い」と思って辞めた。より高等な学問勉強たかった。

自分勉強すればいい」には「つまらない授業のために教室にいられない」と答えるし(学費私立なので高い)、

海外飛び級すればいい」には「そこまでの度胸はない」と答えていた。

アイドルにハマっていたというのも大きいが)

このように、「本来自分(と思っているもの)」と「現実自分」とのギャップの大きさに耐え切れず、

「本当は高校中退してないよ、お前はマトモだよ」という甘い夢を見続けることになる。

現実は甘くない。そしてこの夢は大学に入ってからも数年続いた)

バイトに通う道すがら、制服を着た学生を見かけると思わず身を隠すぐらいこわかった。

大学受験

高校1年生の頃「東大、イケるな」と感じて退学を決意したが、

ろくに1、2年勉強しなかったのでさすがにハードルを上げすぎたなと後悔した。

しかし、努力が長続きするタイプでもないし、勉強机に何時間も向き合える性格でもない。

当時は枕元にバイトで買った Macディスプレイを置いて大学受験板、大学生活板、モー娘。板などを見ながら

寝そべった体勢で受験勉強していた。

直前の模試では良い結果は出なかった。

「これはヤバイ」「人生終わったか?」と不安になったが、実際にはなんとか現役で合格できた。

合格発表現場に行く勇気はなかったため、インターネットで番号を見つけて喜んだ)


このとき一番うれしかったのは何といっても「憧れの東京一人暮らしできる」ということだった。

とにかく何でもできる気がしていた。今まで辛い思いをした分、ここからはバラ色の人生をつかむのだ。

大学なんてどうとでもなるだろう、問題はどうやって人気者になって成功するかだ。本気でそう考えていた。

大学入学


今思うとまったく甘い考えであるが、結果、大きな挫折にぶちあたることになった。

まず、朝起きれない。武道館で行われる大学入学式遅刻した。(入場できたかどうか覚えてない)

入学を記念するアルバム?のための写真撮影遅刻した。

親が記念に購入したアルバム自分が写っておらず、ひどくガッカリさせてしまった。

(また、自分が在学していた証拠が残らないという結果にもなった)

とにかく学校に行けない。友達ができない。

どこに行けば授業が受けられるのかすらわからない。

つのまにか試験の時期が来たが、試験の受け方もやはりわからない。

大学とは、こんなに不案内なのだ驚愕した。

結局何もわからないまま、2年が経過した。

単位は1つも取れず、それどころか1点も取ったことはない。

僕は鬱病になった。薬漬けになり、体重は 20kg 増えた。

(この頃も「高校辞めてないよ、大学行けてるよ」という悪夢を見続けて辛かった)

大学を退学


入学させてくれた親との折り合いも付かず、往生際も悪く、結局5年も在籍して、1度も進級できなかった。

まりタイムアップである。(8年在籍できるが、もう卒業の見込みがない)

通常であればここで実家へ戻るのであろうが、

上京からインターネットの知り合いから仕事を紹介してもらって、

なんとか東京に残りたいと説得した。

(当時22才くらい?タイムリミットを設けたか覚えてない)

しかし、それも束の間。

アルバイトのような仕事転々とした後、家賃を滞納して強制退去。親に泣きつくことになる。

いよいよ田舎に帰るしかないか?となったとき

本当に運良く奇跡的に、正社員になることができた。

ルームシェアしていた友人の家に転がり込んだ。

いろいろあって25才くらいだったと思うが、当時は自分正社員になることなんて絶対に無理だと思っていたので、

人生は本当にわからないものだと思った。

今でも、どうにかこうにか東京にいることができている。

後藤真希さんは娘を出産された。

10代のあの頃、自分がこんな人生を送るとはまったく想像していなかった。

ひとえに、まわりの大人・先輩方のおかげとしかいいようがない。

(ちなみに大学の友人は一人もいない)

まとめ

うっかり長文になってしまった。

振り返って思うのは、(よく誤解されるのだけど)僕は退学したいと思って退学したわけではない。

退学したことそれ自体を、自分の特徴・ネタにしたことで、

なんとかまわりの人に助けていただいたということが大きい。

はいえ、もう1度人生をやり直せたとしても、自分は退学することしかできなかっただろうなと思う。

今は、N高等学校 のような取り組みもあるし、

今後も、自分のような平均的でない人間であっても苦しまなくていいような柔軟な教育体制になっていってほしいと心から思っている。

当時の僕にN高等学校選択肢があれば、まちがいなく選択していただろうと思うから特にである

チケットキャンプのことが嫌いな話

吐き出しておきたいことがある。


チケットキャンプというサイトのことだ。


チケットフリマ」と名乗り、Twitterや各種広告テレビCMも打って、ビジネス的には順調に成長しているみたい。


だけど、どうしてもこのサイトは好きになれない。


だって、ただのダフ屋支援サイトでしょう。

それが大手を振って、さも見事なサービスをしております、という風にしているのが嫌いだ。


…なら見なければいいという話なんだけど。


自分は、月に何度かライブハウスに足を運ぶくらいのライブ好きだ。

mixiTwitterチケットのやりとりをすることもある。

「譲ります」「譲ってください」で検索をする。


そうしていると、どうしても目に入ってくるのがチケットキャンプ広告Tweetだったりする。

というか、最近ほとんどチケットキャンプばかり。


今まで通りの自分の行動をすると、チケットキャンプが目に入る。

見えなくするためには自分努力を払わなければいけないというのが、とても不愉快だ。


なんで不愉快なんだろうと考えたとき


そもそもで、チケット転売禁止は、ほとんど名目上とはいえ各チケット記載されている。

アーティストによっては転売禁止のための施策を導入しているところもある。

そういうルールを土足で踏みにじって、ビジネスチャンスだドヤァ…ってしてるのがチケットキャンプ


サイト自体は、ビジネス的に大丈夫ライン運営しているんだろう。

あくまで売買の場と仕組みを提供しているだけで、最終的な責任は、売る人・買う人にあるっていうことなんだろう。


きたないな。


武道館やらの前にいる昔ながらのダフ屋なら、まだ見ないこともできた。

苦笑いしながら通り過ぎることができた。

でも、昔ながらのダフ屋もここを使うようになってるだろうし、素人も気楽にダフ屋紛いのことをできるようになってる。

これからますます増えるんだろう。


ヤだなあ。


興行ってのはこんなもんなんだろうな。

クリーンであることを求めるのが間違ってるのかもしれない。


ただできることは、チケットキャンプサイトを使わないようにすることくらい。

こうして嫌いな理由を整理して増田で吐き出すことくらい。


上手な付き合い方があれば知りたいところです。

ポップス名盤Blue Avenue / 花澤香菜」について(長々と)語りたい

このアルバムはすごい名盤だってものすごく語りたいです。音楽にうるさい方々にも積極的に聴いていただきたいなと思う次第です。

でも、こういうのをあまりべた褒めするのって結構怖いですね。音楽の好みは人それぞれですし。

自分が最高!って思ってても世間的には全くそんなことないなんてことは本当によくあります。妙に褒めると反発をくらいかねないです。

実際、音楽雑誌とかの「2015年ベストアルバム特集」をぱらぱら読んでみても全然話題に出てなかったので。まあそんなもんです。自分視野が狭いだけです。

はいえ、それなりに注目されて評価されてるのかなってのはなんとなく勝手に思っていたので、年間ベストに入ってなくてちょっとがっかりしました。

から自分で語ろうかな、と思い至るわけですが、やっぱり、ハマってしまったあまりに冷静さを失った文章になる気がするので、書いて叩かれるのが少し怖いところはあります

からここに書きます

声優花澤香菜

アルバムについて語る前に花澤香菜という人について少し。

花澤香菜とは、声優です。人気若手女性声優です。名前くらいは聞いたことがある人が多いと思いますし、検索したほうが理解は早いです。

声優の中ではアニメの出演数がトップクラスに多いです。1年間に何十本も出ていたりします。最近は少し落ち着いてきましたけどね。

特徴は、ウィスパーボイスというか、天使のようにかわいらしい声ですね。ヒロインボイスです。個人的には少し荒げた演技も好きですが。

声に含まれ倍音成分がものすごく豊富らしいです。科学的に実証されてるらしいです。

声優なので、当然ソロ歌手デビューする前からキャラソンとか歌っていました。化物語の「恋愛サーキュレーション」という曲がレジェンド級に有名です。

あと、セキレイという作品ライブで歌った時の歌い方がネタにされてて、わりと音痴っぽい扱いを受けてました。

ソロ歌手デビュー

そして、2012年に満を持してソロ歌手デビューをするわけですが、みんな歌の方は割と心配してました。

私も深夜アニメはよく見ていて花澤香菜さんのことは当然知っていましたが、当時は特別好きというわけでもありませんでした。

しかし、プロデュースするのがROUND TABLE北川勝利だというニュースを聞いてにわかに興味が湧いたのを覚えています

ROUND TABLE、及びfeaturing Ninoは好きで聴いていましたし、声質との相性も良さそうだということで、けっこう期待していました。

その後2013年に1stアルバムclaire」がリリースされたのですが、確かに名盤でした。

北川さんをはじめ、中塚武神前暁カジヒデキ宮川弾矢野博康沖井礼二などなど、渋谷系の流れを汲むポップス好きにとってはたまらない作家陣で、花澤さんにぴったりの歌を作ってくれました。

花澤さんも声優らしく表現力豊かに歌いこなしていて素晴らしかった。「マダダーレモー」とはなんだったのか。たぶん自分の歌い方ってのを少しずつわかっていったんでしょうね。

1年後の2014年には25歳の誕生日を迎えることにちなんで25曲入りのアルバム「25」をリリースしました。ものすごいハイペースです。

この2ndアルバムでは岩里祐穂さんを作詞に迎え、花澤さんと意見を交わしつつパーソナルな部分を反映させた曲作りをしています

そのうえで、25曲という多さを生かして幅広いジャンルの曲に挑戦していきました。

そんなこんなで、アニメやらレコーディングやらライブやらで多忙を極めた後に迎えたソロ活動3rdシーズン集大成が「Blue avenue」になるわけです。

ここでようやっとBlue Avenueの話

Blue Avenueリリースされるまでに、3つの先行シングルが発売されました。

『ほほ笑みモード』

『こきゅうとす』

『君がいなくちゃだめなんだ』

しかし、この3曲を聴いて「このアルバムってこんな感じか」と思ってはいけません。

しろ、この3曲がアルバムの中で最もコンセプトから外れている曲といっても過言ではないでしょう。

Blue Avenueってこんなアルバム

では、このアルバムはどんなコンセプトで制作されたのでしょうか?

Blue Avenue」のコンセプトは一言でいえば「ニューヨーク」です。

テーマニューヨークになった経緯はインタビューで話されています

──今作のテーマは「ニューヨーク」とのことですが、なぜこのテーマを?

ニューヨークはわりと後付けなんです。アコースティックライブの「かなまつり」みたいな少人数でのライブを何度か経験して、少ない音と声で作り上げる空気感っていいなと思っていて。

3rdアルバム方向性を考えているときに、「あの自由音楽を楽しむ感じを生かすなら、ジャズをやってみるのもいいんじゃない?」って意見が上がったんです。

その中でニューヨークというキーワードが浮かび上がって。ジャズの街でもあるし、ほかの新しい音楽に挑戦するのにも「ニューヨーク」をテーマにすれば統一感のある作品になるんじゃない?って。

花澤香菜「Blue Avenue」インタビュー (1/3) - 音楽ナタリー Power Push

ジャズAORフュージョンレゲエなど、これまでのアルバムと比べると「大人」な雰囲気を持った曲が多めのアルバムになっています

そして、ニューヨークといっても70~80年代くらいのニューヨークイメージという感じがします。

それはSwing Out Sisterが参加してるのもあるかもしれませんね。

詳しい方ならば、楽曲クレジットを見ればこのアルバムがどういったアルバムなのかがわかるかもしれませんね。

ということで曲目・スタッフリストを載せたいのですが、長いので記事の末尾に載せました。

曲目リストへジャンプ

Blue Avenueのすごいなと思うところ

こういうのをあまり主張するのもどうかと思うんですが、参加しているミュージシャンが豪華です。

クレジットを見ていただければわかるように、今までのアルバムでおなじみの作家陣に加え、シングル曲ではSTUDIO APARTMENTやくしまるえつこがサウンドプロデュースをしたり、2つのニューヨークレコーディング曲においてウィルリーやスティーヴ・ジョーダンなどの海外スタジオミュージシャンの参加、80年代から活躍するイギリスユニットスウィングアウトシスター提供曲など、一流の人たちがたくさん参加しています

まあ、極端な話、名前は知らなくてもいいと思うんですけどね。聴けばわかりますから。「I ♥ NEY DAY!」「Nobody Knows」での軽快なドラム気持ち良いなあとか、「Dream A Dream」の洋楽っぽい感じがすごい良いとか。ここでいう洋楽っぽいってのは英語圏の歌っぽいなあっていう意味ですね。洋楽日本語カバーみたいな雰囲気がありますね。それもまた味。そして、セリフパートがあって、もしかして本業声優であることを意識して作ってくれたのかなとか想像してみたり。

おなじみの作家陣もすごい良い仕事をしてくれています。というかキレキレです。特に矢野博康作曲「We Are So in Love」が光ってますね。4つ打ちフュージョンで、イントロからもうたまらないです。シンバルズの頃から思っていたんですが、矢野さんは王道のポップソングもいいんですけど少し趣味に走った感じの曲を書くと時々とんでもない名曲を生み出しますね。

一つだけ主張しておきたいのは、みんな決して無駄遣いではないということですね。すべてが良い方向に結びついています

ニューヨーク」というコンセプトがあって非常に統一感があるのが素晴らしいです。

最初に「シングル曲がコンセプトから外れている=ニューヨークっぽくない」と言っておいてなんなんだ、と思われるかもしれませんが、このアルバム面白いところは3つのシングル曲が違和感なく自然に収まっているところなんですね。

バラードの「君がいなくちゃだめなんだ」が終盤に入ることでアルバムがよりドラマチックになっています。そこから最後の曲「Blue Avenueを探して」に続くのがもう最高ですね。西寺郷太さんの歌詞がいいんですよ。

クラブミュージックの「ほほ笑みモード」ややくしまるえつこさんの個性が色濃く出ている「こきゅうとす」も、意外なくらい自然に入ってるんですよね。それは曲順が考えられているのもあるんですが、「ほほ笑みモード」がアルバムミックスになっていたりなど、音づくりにこだわっているからというのもあるのでしょう。後述しますが、このアルバムは音が良いです。

アルバムとして非常によくまとまっていて、通して聴いた後の余韻が良い感じです。

  • 音質の良さ

NYで録音した2曲は際立って音が良いんですけど、それに劣らず全体的に非常に高いクオリティの音づくりがされています。花澤さんのアルバムは1stの頃から一貫してソニーの茅根裕司氏がマスタリングエンジニアを務めていて、常にクオリティが高かったんですが、今回は最高の出来栄えなのではないでしょうか。オーディオに詳しいわけではないので断言はできないですけど。

シングル曲が違和感なく収まっているのもマスタリングによるところが大きいのでしょうか。詳しくはわかりませんが、ぜひ良いヘッドホンでじっくり聴いてほしいと思えるくらい良い音です。

ニューヨークっぽいということでAORとかフュージョンを取り入れた、と聞いても正直ピンとこない人が多いんじゃないかと思いますAORってどんな音楽かを説明できる人って実はそんなに多くないのではないかと。結構マニアックなところを突いてきてると思います(そんなことないよ、常識だよとお思いの方もいるでしょうが)。

でも、そういうジャンルとか全く分からなくても「良いな」と思えるようなアルバムになっているのではないかと思うのです。それは曲自体がそう作られているというのもあるかもしれないんですけど、やはり花澤香菜が歌うということでポップスとして完成されるというか、そこに花澤さんの歌のすごさがあるのではないかと思っています

3rdアルバムを出すまでの3年間で60曲以上のオリジナル楽曲を歌い、ライブも精力的にこなしてきたからこそその次元に達しているというか、こういう曲を楽しみながらポップスとして歌える筋力がついたのではないかなと思うのです。それこそ「25」あたりの頃の怒涛のスケジュール千本ノックのように効いてるのかもしれないですね。

1stの頃は作家の作る曲を最大限に活かすために歌うという感じ、それこそ声優としてディレクションに応えるような感じで歌っていたように思うのですが、「Blue Avenue」ではコンセプトの発端が花澤さんの意見であることからも、ちゃん歌手になってきてるのだなと感じます

当然ですが、豪華なメンツに霞むこともなく、曲に負けているだとか歌わされてるだとかいう印象を全く受けません。むしろ北川さんも他の作家さんも花澤さんをプロデュースすることで新しい扉を開けているような感じさえします。インスピレーションを与える「ミューズ」なのかもしれませんね。

私が花澤さんのアルバムの中で際立ってこれを好きなのは、花澤さんと作家陣が一緒になって制作している感じを受けるからなのかもしれません。化学反応が起きているのをひしひしと感じます

また、花澤さんは1stの頃から自作詞曲を歌っているのですが、今回も2曲作詞していて、ちょっともこなれてきたというか、アーティストとしての一面が出てきたような感じがします。

タップダンスの音が聴こえてきたら」では音楽に身を委ねることの喜びをシンプルに書いていて、歌を楽しめている感じが伝わってきます

タップダンスの音が 聴こえてきたら

軽やかなそのリズムに 身をまかせて踊るの


寄りかかる小説も どんな優しい言葉

はいらない ふみならそう 夢中になるだけさ

一方、「プール」では暗い部分を歌っている感じで、こういうのがあるとなんというか、深みが増しますよね。

花澤さんは詞を書くと少し重たい感じになってしまうみたいで、それもまた個性というか、人気声優としてバリバリ活躍している彼女の影の部分が垣間見れるようで、イイですよね。

どうやって喋ってたか

ねえ どうやって眠ってたか

どうやって歩いてたか

ねえ どうやって 笑ってたのかな

からない 思い出せないの


空っぽプール 泳ぎ続けるの

空っぽプール 泳ぎ続けてる

ライブがすごい

しかたらここまで惚れ込んでいる理由ライブを見たからなのかもしれません。花澤香菜の歌の魅力の真骨頂ライブにあるのかもしれません。

武道館公演の映像を収録した「Live Avenue Kana Hanazawa in Budokan」というBDが発売されているのですが、アコースティックライブ映像も収録されていまして、他にも素晴らしい映像特典もありまして、とても素晴らしい商品です。

花澤さんの歌って生演奏にすごく合うんですよね。地上波で「こきゅうとす」を披露したこともあるんですけど、それとは全然違いますね。ライブの「こきゅうとす」すごく良いです。

武道館ライブではバックバンド通称「ディスティネーションズ」にホーンも加わって、とても豪華なものになっています

一番の見どころはジェームス・ブラウンの「Get Up (Sex Machine)」(ゲロッパ)に合わせて花澤さんが好きなパン名前を叫ぶというパフォーマンスメロンパンメロメロ!)。冷静に考えるとすごくくだらないシャレなんですが、演奏ガチであることと、みんなすごく楽しげな様子が印象的で、とても幸せ空間が出来上がってるなあと感じました。

あと、花澤さんのパフォーマンスがいちいちかわいらしいんですよね。「Merry Go Round」の振り付けとか。

そして、アコースティックライブが素晴らしいんです。花澤さんの生歌ってこんなに良いものなのか、とため息が出ますよ。本当に、歌がヘタであるような扱いをされていたのが嘘みたいです。声量は確かにそんなにないのですが、歌の細かい表情付けがまらなく上手いです。ピアノギターだけの少ない音だと余計に際立ちますね。

こんな人に薦めたい

誰にと言われれば万人に、と言いたくもなるんですけども。

最近星野源やらceroやらで、ブラックミュージックとかシティポップとかそういう言葉がよく聞かれるようになったんですけど、このアルバムもそれと同じ文脈で語ることができるのではと思います

シティポップ」ってもはや言葉が独り歩きしだしてよく分からない感じなんですけど、街のことを歌うのがシティポップだとするなら「Blue Avenue」も十分当てはまりますよね。

また、北川勝利さんをはじめとした作家陣は、最近評価の流れがある気がする「渋谷系」や、最近流行り気味の新しい「シティポップ」の世代狭間にいる人たちなんですよね。どちらも独り歩きしてあやふや状態にある言葉ですけど。

良質な音楽を作ってきながらも長らく日の目を見なかった人たちがこうやって素晴らしいものを作り上げてくれている、というのも感慨深いものはありますね。

そして、70~80年代ニューヨークイメージってことで、けっこうオッサン向けなのかもしれません。……年間ベストに入らなかったのは革新性がないと思われたからなのかも。私は花澤香菜さんが歌うだけで十分新しいと思うんですけど。


というわけで、以上、Blue Avenueについてでした。

参考

花澤香菜Blue Avenueインタビュー - 音楽ナタリー Power Push

http://natalie.mu/music/news/111594

花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生音楽がより密接になってきた」|Real Sound|リアルサウンド

http://realsound.jp/2015/04/post-3000.html

曲目、スタッフリスト

01.I ♥ NEY DAY!

作詞岩里祐穂 作曲編曲北川勝利 ホーンアレンジ村田陽一
BassWill Lee
Drums : Steve Jordan
Electric GuitarDavid Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Electric Guitar : 山之内俊夫(流線形
Wind Chime, Chorus北川勝利ROUND TABLE
Chorus : acane_madder

02.ほほ笑みモードアルバムミックス

作詞岩里祐穂 作曲編曲STUDIO APARTMENT
Guitar堀越雄輔
Vocal Direction : 北川勝利ROUND TABLE
Sound produced by STUDIO APARTMENT

03.Nobody Knows

作詞岩里祐穂 作曲北川勝利 編曲北園みなみ北川勝利
BassWill Lee
Drums : Steve Jordan
Electric GuitarDavid Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Wuritzer, Claviniet, Analog Synthesizer北園みなみ
appears courtesy of Polystar Co.,Ltd.)
Wind Chime, Shaker : 北川勝利ROUND TABLE
Chorus : acane_madder

04.ブルーベリーナイト

作詞作曲編曲宮川弾
Programming, Clarinet, Saxophone, Chorus宮川弾
Guitar後藤秀人
Chorus : acane_madder

05.Trace

作詞岩里祐穂 作曲編曲 : mito
Drums千住宗臣
GuitarSaigenji Permalink | 記事への反応(0) | 15:20

2015-07-28

首都圏まれ首都圏育ちなのに行ったことがない場所

都民じゃないけど、都心まで1時間以内の隣接県に生まれそだったもうすぐ34歳。

以下、人に言えないが行ったことがない場所

別に行きたいと思わなかったのと、たまたま行く用事がなかったからってだけなんだけど。

各所とも、30歳までに行きたいと思ったが、冷静に考えると別に行きたいというわけでもなく、今になるまで行けてない。

遊ぶ金が金が全くないというほど貧乏なわけでもなく、むしろ裕福な家に生まれたし、自分自身も平均よりちょい上の給料だと思う。

ディスニーランド

いや、ホントたまたま行く機会に恵まれなかったというだけで、行きたくないとか、嫌いとかじゃないんだけどね。

確かに、この暑い中並ぶとかどうかしてるだろって思う。

行ったことなからわかんないけど。

竹下通り

原宿で降りたことはある。竹下通りというところに入ったことがない。

これについては、本当に興味と用事がなかったからだと思う。

六本木ヒルズ

普通に暮らしてて行く用事ないだろと。

お台場

豊洲なら行ったことがある。

ゆりかもめは乗ったことがない。

モノレールということなら、多摩モノレールなら乗ったことがあるが。

国技館

格闘技イベントなのに18時には全試合終了って普通に暮らしてたら無理だわ。

あと、席がすげー高い。

定価はたいしたことないのに、なんでああなるんだろう?

ビリヤード

東京関係ないけど、行ってみたいなと思いつつ、この歳になった。

カラオケとかボーリングくらいはあるけど、ビリヤードはない。

逆に、行ったことがある場所

スカイツリー

展望台には登ってないけど。

国立博物館

年に数回行く。

武道館

ライブを見た

高尾山

3回ほどハイキングした

星付きレストラン

5箇所くらい行った

2015-05-11

ジャニヲタだった私が女性アイドルに「認知」を求めるまでの話

一年少し前、とある女性アイドルを好きになった。

一応ぼかしておくと、AKBでも、ももクロでもなく、地下アイドルから人気が出て武道館をやれるステージグループだ。

過去はよくあった接触イベントも、人気の高まりからか減りつつある。

(というと、おおよそ絞れると思うが)

ふとネットでその女性アイドル名をググり、気がついたらYoutube公式非公式わずライブ動画を繰り返し見まくっていた。

すぐにアルバムを買って、何度も何度も聞いた。

やがて女性アイドルには「接触」イベントがあり、相手から認知」されることもあると知った。

もちろんその前からAKB握手会なるものがあるのは知っていたけれど、それで「認知」なんて馬鹿じゃないのと思っていた。

私は10年ぐらいジャニヲタをやっている。

ジャニーズからしたら認知なんてもの基本的にありえない。(いや、追っかけとかオリキとかっていうのは置いといて)

ついでに言うと目が合ったっていうのもありえないと思っている。

けれどコンサートに行って自分担当であるメンバーに手を振ってもらえたらとても嬉しい。

だけどそれは「ファンサービスなのだ

規定に反しない、Twitterで叩かれないようにと考え、それでもどうにか目立つように作ったうちわを振り、タイミング見計らって、名前コールして手を振る。

そこで向こうが手を振ってくれる。

私にだけではなく、私の周辺のファンに向かって、あくまでもサービスの一環として。

それで「今日ファンサもらえたラッキー!」て喜ぶのだ。

ところが女性アイドル現場では、この現象を「レス」と呼んでいた。

衝撃だった。自分がしたことに対する返事なのだという。

いやいやただのファンサービスだろ、と思っていた。その当時は。

だが女性アイドル現場に行ってみたら、状況は違った。

もちろんCDチケット代というお金が発生しているものに対するサービスのはずなのに、それを超えての「レス」と感じられる反応が返ってくるのだ。

しかもその先にあるのは認知だ。

驚くことにメンバーTwitterでリプをくれるファンを認知していた。

初めて接触イベントに参加した時、当日の朝にメンバーに「こんな服装で行くよ!」とリプを送った。推しの色を身につけたのだ。

私としては、「あなたの事がこんなに好きです」という気持ちを表すための行動だった。

ジャニヲタの時には手作りうちわを作ったりメンバーカラーのものを身につけたりするのと一緒だった。

ところが、いざ接触の時、メンバーは「ツイッターでリプくれたね!」と言ってくれたのだ。

しかった。

と同時に、「ファンである自分アイドル本人に認識された」という、信じられない出来事に震えるしかなかった。

しか結構しゃべれる。ドルヲタさんからしたら短いかもしれないけれど、ジャニヲタ接触イベント流しそうめんかってぐらいに高速はがしされたことがあるので、あんなにちゃんとまともな会話ができるなんて信じられない。

その後も2回ほど接触イベントに行ったが、ツイッター認知というか、私のリプで覚えてくれたという感じだった。

だがもはや私は、それだけで満足する体ではなくなってしまった。

次の目標は、私が名乗らずとも推しの方から私の名前を呼んでもらって、認知されることだ。

認知」された後、次は何を目指すのだろう。

認知」されても、それは覚えてもらっただけだ。

ツイッターは他のファンの動向も丸わかりだから、私の推しにめちゃくちゃレスもらった会話のレポがいくつも読めたり、認知もらってる人たちがすぐ見える。

それに対して、どうして私はああなれないのだろう、と悲しくなる。

現場を増やして、接触に参加して、「認知」されても、次はこの嫉妬ループが続くんじゃないだろうか。

最初は、ただ好きなだけのはずだった。

なのにどうして彼女に「認知」を求めるようになったんだろう。

私だけの「レス」が欲しいって思うようになったんだろう。

これが沼なのか。闇なのか。もう既に病みなのか。

それでも私は、彼女に「認知」されたい。

こちらから名乗るよりも早く、満面の笑みで「●●ちゃん」と私の名前を呼んでほしい。

2015-04-06

アイドル増田ー 死んでれらガールズ

第一話

シロクマP「アイドルになってみませんか」

増田17) 「なんで私なんかを選んだんですか…‥?」

シロクマP「ブコメ……」

増田17)「え?」

シロクマP「ブコメがよかったからですかね」

増田の飼犬(ヨークシャテリア)「ヒーッヒッヒッヒッヒッヒ」



第二話

増田17)「わーたーしはッ まーすだ♪

         鬱って   漏らす♪

       15行だけで  死んでれら♪」

シロクマP「いける」



第三話

増田17)「わたしもうアイドル無理です辞めます

シロクマP 「いい精神科医を紹介させてください」

Xevra先生「なんとかPのPはプリントアウトのP」

増田17)「これからも頑張っていけるような気がした」



第四話

増田17)「ここがはてなブックマーク武道館か」

シロクマP 「思う存分楽しんできてください」

ブクマカA「あはははははは」

ブクマカB「あはははははは」

ブクマカC「人がッ、人がッ」

ブクマカA「死んでる死んでる超うける」

ブクマカたち「あはははははははははは」

増田17)「こわい」

シロクマP「だれでも最初は怖いものです」

増田17)「そう思ったら気が楽になった」



第五話

増田17)「ホッテントリ入りした」

シロクマP 「よくやった」

増田17)「今まで言えなかったけどずっとPのことが好きでした」

シロクマP 「でも俺クマじゃん」

増田17)「愛があればいい」

シロクマP「あ、ホッテントリブクマカたちが文体解析しはじめた」

シロクマP「正体がバレた…‥」

増田17)改めコンビニ店長魔法がとけたので本業に戻ります

シロクマP「離れ離れになっても僕たちの愛は永遠だよ」

コンビニ「この犬をわたしと思って大事にしてください」

ヨークシャーテリア「ウッシッシッシッシッシ」


第六話

シロクマP「あれから三十二年……彼女は今どこで何をしているんだろうか……今も元気にFC本部から搾取されているんだろうか……」

ヨークシャーテリアアイドルの輝き……それは青春の輝きである。儚く、短く、だからこそ美しい。僕たちはなぜ増田をやるのだろう、なぜブコメを打つのだろう、なぜブログを書き、twitterつぶやきFBでイイねを稼ぐのだろう。それは僕たちが永遠ではないからだ。永遠ではないからこそ、美しく生きられる。そう、僕たちはひとりひとりがシンデレラ。僕たちはひとりひとりがプリンセスなんだ。それを忘れないでいてくれ」

2014-09-24

[]霊は宗教的ではない

野田哲君 よろしいです。

 厚生省、八月十五日が迫っているわけですが、毎年武道館で式典が行われている。昨年突如として、あの式典の正面に、どう言うのですか、掲げられているあれですね、いままではずっと長年「戦没者之標」という表示で行われていた。これが昨年突如として「戦没者之霊」というふうに変わった。この理由は何ですか。

○説明員(柴義康君) 八月十五日の全国戦没者追悼式政府主催でございまして、厚生省といたしましては、政府の御指示により実施担当いたしておるわけでございますが、昨年標柱の表示を「全国戦没者追悼之標」から「全国戦没者之霊」に改めるようにと御指示がございまして改めたわけでございますが、私ども伺っているところによりますと、三十八年から過去十二回実施してまいったわけでございますが、会場におきまして戦没者黙祷をささげ、あるいは献花をいたしま場合に「追悼之標」という表示では何かしっくりしないという戦没者の遺族の方々の意見がございまして、「霊」に改めたというふうに聞いております

野田哲君 厚生省あなた方の方へ「標」というのを「霊」に改めるように指示があったのはどこから指示があったのですか。

○説明員(柴義康君) 厚生省実施の方を担当いたしておるわけでございますので、内閣の方から指示があったというふうに伺っております

野田哲君 この式典の出発のときに、どういうあそこに表示をするかということでいろいろ国会の中でも議論が行われた。「霊」という表示の仕方、この「霊」というのは、これはある思想宗教団体が使うものであって、宗教団体によっては「霊」というのは使わない、こういう団体もある。したがって、政府主催場合には宗教色抜きで、憲法のたてまえによって無宗教という立場国民合意を得てやらなければならないということであの表示は「標」という形で行うと、こういうことで出発をした。そういう経過、あなた御存じですか。

○説明員(柴義康君) 追悼式をどのような形で実施するかということは、当初から慎重に検討されまして、宗教色を全く抜きにして実施しなければならないということであのような形で行われ始めたというふうに伺っております

野田哲君 ことしはどういう内容になっておりますか、その点は。

○説明員(柴義康君) 昨年と同様に実施することになっております

野田哲君 昨年ああいう形で実施をした、恐らくことしもああいう形になるんだろうということで、厚生省の方へ宗教団体からいろいろあのことに対する抗議あるいは変更を求められるような要請等が行っていると思うんですが、いかがですか。

○説明員(柴義康君) 宗教団体の方々から、そのような要望があったことは存じております

野田哲君 いままで「標」という表示でやっておられた期間はその問題については特に問題は起こらなかった。それがああいう形に去年変更されたことによって、国民の間にあれでは困るということの声が上がり、変更を求める要請なり抗議が行っているということは、つまり、ああいう形に変更したことによって、これは国民の間にコンセンサスが得られなくなってきておる、宗教的な色彩を持ってきておる、こういうことでいろいろ宗教団体の方からそのことに対する抗議や要請が行っていると思うんです。だから、ことしあえてそれを去年どおりやるということになれば、政府のやり方は特定宗教の色彩を帯びたやり方、こういうことになって、つまり、これは憲法に反するやり方ということになっているんじゃないかと思うんですが、この点は官房長官に後でやりたいと思っておるんですが、厚生省としてはその点はどういうふうに考えておられますか。

○説明員(柴義康君) 日本人の中で、「霊」という言葉はいろいろな意味合いで使われておると思うのでございますが、一般的に霊枢車とか、あるいは霊安所といったように死者にかわる言葉、死者を尊称する言葉として一般的国民の中で用いられているわけでございまして、きわめて素朴な意味で死亡者を「霊」というふうに表現していると思うわけでございます。したがいまして、「霊」という表現のもの宗教的言葉であるというふうにはわれわれは考えていないわけでございます

第077回国会 内閣委員会 第2号

昭和五十一年八月十二日(木曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/077/1020/07708121020002c.html

2014-09-22

[]天皇葬儀から宗教色を排する取り組み

吉川春子君 官房長官にお伺いいたします。

 葬場殿の儀というのは、どうも皇室の私的な行事ではなくて、国として見ても公的な行事のようですね。国事行為である大喪の礼、そして皇室行事である葬場殿の儀、これを一連の行為として時間的にも連続性を持たせて場所も同じところで行うというのは、テレビに映し出されるのを見ている国民からもあるいは諸外国代表からも当然一つのものとして映るわけです。かつて吉田総理葬儀国葬として行われた際に、カトリック教会で個人の宗教によって私的に葬儀を行って、そして一週間後に東京武道館宗教色を排除して国葬が行われています

 今度、こういう天皇葬儀についても、憲法政教分離を厳密に貫くべきでありますから、そういうような配慮をどうしてなさらなかったんですか。

国務大臣小渕恵三君) 吉田元首相の例をお挙げになられましたが、立派な方だと尊敬はいたしておりますが、天皇陛下におかれては憲法一条規定をされた我が国の象徴国民統合象徴でございますので、同じような考え方に存するものではない、このように考えております

吉川春子君 そうしますと、宗教色を排してやるというようなことではなくて全部一つとして、それは天皇葬儀として連続して行われて、宗教色の盛り込まれているものも交互にあるわけですけれどもそういうものでやっても天皇場合差し支えないんだ、これが政府のお考えですか。

国務大臣小渕恵三君) 国民の間にいろんな御意見のあることも政府としては承知をしなければならない立場でございますので、種々検討いたしました結果、大喪の礼の御式は国の儀式として行われ、葬場殿の儀は皇室行事として行われるもので、両儀は法的に明確に区別されるのみならず、実際上も大喪の礼御式においては開式を告げること、祭官は退席すること、鳥居撤去すること、大真榊撤去すること等とされており、両儀ははっきり区別をされた形で行われるということで大喪の礼委員会で決定いたした次第でございます

吉川春子君 大喪の礼もそれから葬場殿の儀も儀式の内容というのは旧皇室喪儀令で定められているものほとんど違わないわけですね。こういうもの部分的に取り出してここだけは国事行為だといっても、憲法政教分離規定クリアできないと思うんです。憲法十条というのはまさにそういう儀式を行うこと自体を禁止しているわけです。

 政府は、大喪の礼のみではなくて葬場殿の儀にも出席を要請して、節目節目には一同に起立を求める方針だと、こういうふうに言われています。これは宗教行事への参加ではないですか。

 そこには、先ほども話がありましたけれども、神道象徴である鳥居が建てられている。大真榊が置かれる。

 広辞苑によると、鳥居というのは神域、神の領域を示すものであると言われています。これをくぐることは神社への崇敬の念を示すことになるわけです。榊は神のよりしろとして枝に白幣をつけて神霊象徴として祭礼が行われるわけですね。

 こういうような宗教儀式総理が出席されるというのは、これはまさに憲法違反じゃないですか。

政府委員(味村治君) 国事行為として行われます大喪の礼は、ただいま官房長官が申されましたとおり、皇室行事であります葬場殿の儀とははっきり区別をされているわけでございます

 国事行為たる大喪の礼は、祭官は退席し、鳥居撤去し、大真榊撤去されておりまして宗教色はないわけでございまして、国事行為たる大喪の礼が宗教儀式に該当ししたがって憲法十条第三項によって国またはその機関が行うことを禁止されている宗教的活動に該当するという疑いは全くございません。まずそのことを申し上げておきます

 その前に葬場殿の儀が行われるわけでございまして、これは皇室行事として行われるわけでございます。これにつきましてはいろいろ宗教的な色彩があるということは否定ができないわけでございますしかしながら、そこに総理総理たる資格で御出席になりましても、それは先ほど飯田委員との論議の中で申し上げたのと似たようなことになるわけでございますが、日本国象徴であり日本国民統合象徴あられます亡き昭和天皇に対する哀悼の意を表し、また、御遺族と申し上げるのは失礼かと思うんですが、御遺族であられます天皇に対してお悔やみの意をあらわす、こういう意味でそういういろんな儀礼を尽くすというような意味で出席されるわけでございまして、特定宗教助長するとか援助するとかそういうようなことで出席されるわけでないということは、これは明らかなわけでございますから、したがって、内閣総理大臣総理大臣としての資格皇室行事たる葬場殿の儀に御出席になってもそれは憲法十条三項の禁止する宗教的活動には該当しない、このように理解をしているわけでございます

第114回国会 内閣委員会 第3号

平成元年二月十四日(火曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/114/1020/11402141020003c.html

2014-06-29

どこまで人をコケにすれば気が済むんだこのクソバンドは

2008年3月1日日本武道館で解散したsyrup16gが6年の時を経てまた動き出します。

武道館でのラストライブ五十嵐隆はこう思ったそうです。

明日は来ないね明日はない。終わってしまうね。」

そして、やって来ました。syrup16gの3人と、syrup16gファンにとっての明日が。

2007年12月9日syrup16gNHKホールで解散を発表した。

”一旦終了”という五十嵐隆MC、無言のキタダマキ中畑大樹。何を言っているんだ、という困惑ホールを包み、

公式ホームページに記載された”syrup16gは解散します。"の一行。

新曲はあるもの音源リリースもなく、活動は年に数度のライブのみ。

"DEAD CAN DANCE"、"END ROLL"など、終わりを冠した公演タイトルを繰り返し、確かにその解散を予見していなかったわけではない。

それでも「終わってしまうんだ」という漠然とした思いが形として発表され、帰り道は落胆と悲しみの声に包まれた。

そして2008年3月1日syrup16g日本武道館満員のオーディエンスの中、解散した。

代表曲最近ライブでは聞けなかった曲、この日のための新曲ライブは続き、五十嵐は”1曲1曲を葬っているような気がした”と語った。

"明日はない、終わってしまうけど、明日が見える曲を書いてきました。"の言葉から続く、客電を全開にした"Reborn"が終わり、

ライブ前の客席から叫ばれ続けていた「やめないでくれ、終わらないでくれ」の言葉は、

鳴り止まない拍手ありがとうの声援に変わっていた。

syrup16gは完結した。

同年秋、「犬が吠える」と称した五十嵐隆ソロプロジェクトが開始された。解散したバンドフロントマンがソロ活動を始めるのは珍しいことではない。

リキッドルームライブツアー、冬フェス参加。再活動予定調和的なものを覚えさせながらも、五十嵐隆の声とメロディ

ポストロックバンドメンバーを引き入れたこれまでに無い楽曲の形は、syrup16gファンに新たな門出を思わせるのに充分だった。

一枚のリリースの無いにもかかわらず音楽雑誌MUSICAの表紙を飾り、歌詞デモCDレコーディング風景が掲載され、

そこに新しい五十嵐の出発、syrup16g解散の理由、新しい決意を見ることができた。

"犬が吠えるは解散しました。"

雑誌掲載の2ヶ月後、公式ホームページが突然更新された。

解散理由等も一切不明。リリースどころかデモCDの完成・未完成すら不明のままバンドは解散。

五十嵐隆ダメ人間自称し、楽曲の中ですらそれを隠そうともしなかった。

ファンは再びの活動終了に放り出されながらも、「五十嵐から仕方がない」と呆れながらも笑っていた部分も多かったように思う。

そしてここから約4年間、五十嵐隆は完全な沈黙に入る。

2013年5月8日、「五十嵐隆 生還」と銘打たれた公演が行われた。

再びのソロ名義活動一曲目、syrup16g・解散ライブラスト演奏された"Reborn"が終わり、暗幕の向こうに浮かぶシルエット。

幕が上がるとそこに居たのはキタダマキ中畑大樹。元・syrup16gメンバー2人だった。NHKホールオーディエンスは万感の歓声に包まれた。

披露された楽曲は半分近くがsyrup16g楽曲であったものの、音源にならなかった犬が吠える時代の曲、また書き下ろし新曲も多数演奏され、

一夜限りの復活、五十嵐隆・再びの「再出発」に「昔のメンバーが集ってくれた」という物語は胸を打つものがあった。

新たな活動形態についての告知はなかったものの、夢の様な一夜を過ごし、

更にこれからおそらくゆっくりではあろうものの、再び彼の声の楽曲が聞けるのだと期待に胸を膨らませていた。

そして先日、syrup16g再結成が発表された。

はあああああああああああああああああああ???????ふざけんじゃねえよてめえお前あれだけあれで終わりです終わりです言ってたじゃねえかよ俺がどんな思いでNHKホールチケットとって無数の女連れのクソガキ共とメンヘラポージング女とそのナンパ野郎の列掻き分けて耐えに耐えてボロボロ泣きながら一旦終了のMC前後記憶がなくて会場出てから何やったのかも覚えてなくてなんかアウトロで終わってしまうを連発してた翌日思い出してまた泣いて3月1日武道館の告知読んで膝ガクガク震えさせながらなんとか家について2ch邦楽グループ板で頭のおかしい長文だらだら書いては消して書いては消してリロードのたび湧いてくる阿鼻叫喚に酒ダラダラこぼしてうんうん唸ってどうしようどうしようとりあえずチケット取らなきゃ看取らないと絶対後悔するって先行申し込んで落ちて二次先行申し込んで落ちて一般でなんとか取って全然見えねえ席からありがとうありがとうってドラムのお兄さ~ん叫んでるババアの2つ隣でこの女次叫んだらマジで殺してやるって睨みつけても止まらねえから鞄でぶっ叩いて頼むから黙ってくれと涙と鼻水でぐしょぐしょになっていただろう30過ぎのオッサンの剣幕にようやくわかってくれた間にも次の曲が始まっていてああ新曲でも拍n数間違えて五十嵐はやっぱりダメだなあ次はああ次はって次はねえんだよちくしょうって考え始めたらまた胸がこみ上げてきてしゃくりあげると曲が聞けないから息をできるだけ止めて涙がたまる舞台が見えないから下瞼ひっぱってボロボロこぼれるようにして明日は来ませんねって五十嵐中畑キタダがSonic Disorderのイントロで見合ってるところとか神のカルマリズムが早くてキタダがなんか言ってるだろうこととかああこういうのももう見れねえんだ終わっちゃうんだ終わっちゃうんだって一曲一曲すぎるたびに拍手もできなくなって座り込んでしまってでも座り込むと見えないからすぐ立ってバカの一つ覚えみたいに拍手していままでのライブは観客が壁みたいで怖かったっていうから最後は本当に盛りあがろうって盛り上がろうって思って他の観客たちも絶対それがわかっててバラードなのに腕上げちゃったりちょっと早い曲だからオールパイプ椅子だってのにアリーナモッシュっぽい変な動きしててああ本当になんで終わっちゃうんだってもっとこういうふうにすればよかったのにってそうしてればもっと聞けたのにもっとライブ行けたのにって楽しいはずなのいどんどん悲しくなって客電がついてRebornが終わって三人出てきて手繋いで五十嵐が真ん中はいやいやってお前そりゃねえだろ俺はお前たちを見に来ていてsyrup16gはやっぱりお前のバンドなんだからってサポートメンバーだったはずのキタダマキラストアルバムでメイン2人との空白がなくなってるなんてそんなどうでもいいことで嬉しくなって手繋いでお辞儀してああこの光景が見れてよかったなって絶対忘れないようにしようありがとう五十嵐隆ありがとう中畑大樹ありがとうキタダマキありがとうって片っ端から電話して酒のんでいいライブだったいいバンドだったいい最後だったねってなんだよ完全に葬式じゃねえか心の準備ついたじゃねえかって明日が見える曲を書いたからってそこまで思い入れなかった翌日とかループで延々聞いちゃってああ本当にいい時間だったよさよならシロップありがとうって2chに書きこんで思い出すたびにやっぱり泣けてきて今更復活します♪テヘ♪だの元サポートメンバーとか対バン経験アレたちの超嬉しい!待ってた♪だの解散後にファンになったので嬉しいです♪のガキも業界人ものずっとお伝えしたかったです~♪もねェェェェェェェェェェェェェェェェだろお前ほんとふざけんなよどこまで人をコケにすれば気がすむんだよこのクソバンドは!!!!!!!!!!!!!!!

2014-05-06

田村ゆかりラジオを投げつけた動機

http://sankei.jp.msn.com/smp/west/west_affairs/news/140505/waf14050518000001-s.htm

頭の悪い大学生が暇な時間に書いたとしてももう少しまともな内容になりそうな駄文に言及するのも癪だが、思いの外はてブが伸びていてあまり野放しにもしたくないので事件動機を少し考えてみる。しかし今さらこんな新しい事実もなくネット情報ほとんどな内容のものを出すとは、産経の質の低さを世にしらしめているわけだが大丈夫なのだろうかw

さて。事件概要を知らない人はリンク先をまず見て下さい。

それを踏まえて実年齢をカミングアウトしたということについて。

これは彼女の発言を拾えばすぐにわかることだが、数年前から何度も言及している。6年前の武道館公演の時点で実年齢を言ってた気もするし、彼女ラジオを聞けばそれをネタにして「あれ?おかしいな?17歳のはずなのに」なんて言うのはよくある。だから曲がりなりにもファンであると言うならば彼女の年齢を知らないのはおかしい。ファンでありながら彼女の年齢を知らないというならば逆に問いたい。あなた彼女の何を知っているのですか、と。いや正確な年齢は知らないにしても大体どのくらいの世代かくらいはわかってるでしょ。

一応例外として考えられるのはちょっとアレな人たちのことだ。数年前にネットサーフィンしてたときたまたま見かけたのだが、ブログおっさん(自撮多々有り)が延々と彼女について書いていた。内容としては女性と接したことがほぼ無いようなことを所々言及しながらも彼女のファンらしい微笑ましいものが中心だったが、一つ目についた点があった。彼女飲酒したことをTwitterなりに書くと激怒しているのだ。正直何度読んでも何に怒っているのかもよくわからなかったが、とりあえずこれはあかんやつやと思った。(年齢について怒ってるわけではなかった)

どんなタレントのファンの中にもこういう思い込みが激しい人は一定数いるだろうし、彼女でなくても十分に有りうる話だ。だからこういう人たちが事件を起こしうる可能性があると考えるのは普通すぎるし、たまたま彼女ときに起こっただけのことだ。(もちろん皆さんが起こすというわけではなく、起こすのもまあわかるなという意味合い

もう少し違った線を考えてみる。

彼女を知る手段としてはアニメラジオ、歌、ライブ日記Twitter雑誌インタビュー等がある。この中でアニメや歌で彼女のことを初めて知った人が多いと思うが、これらは彼女の人となりを知る上ではあまり適当ではなくて、それを除くと一番とっつきやすいのはTwitterラジオだと思う。だから彼女のファンならばおそらくほとんどの人がTwitterを見たりラジオを聞いたりしたことがあるはずだ。個人的な考えとしてはここらへんが動機としてあるのではないかと思う。聞いたこと見たことある人はわかると思うが彼女の発言は結構に毒が強い。可愛らしい発言はむしろたまにあればいい方で、ファンに向けてつれないことを言うのはいものことだ。

客「ゆかりん大好きだよー!」

ゆ「ふーん、私は別にそうでもないけど」

ゆ「みんな今日で今回のツアー何回目?」

客「全部来てるー!」

ゆ「ヒマだねぇ笑」

かなりネガティブなことも言う。実年齢をカミングアウトなんて正直軽い方で「友だちいないから一人でご飯食べた」はいものことだし、「しにたい」「つらい」なんてことも言う。ただそれも昔からよく言っていたし、それに対してファンが「そんなことないよ!」なんて言うのもいつものことだ。

そんな彼女を見てメンヘラなんて言う人もいる。メンヘラという言葉カジュアル化してるし、あまり気にしてはいないが、確かにこの頃そういった発言が目に付くような気もする。でも前からこんな感じな気もする。彼女の心の内は残念ながらわからないし、仕事上の見え方をあれこれ考えてもどうしようもないと思ってるので、事実としてそういう一面もあるということだけ知らせておく。個人的には彼女を見て「これは更年期特有の症状だ」とか言いながら現れる謎の素人専門家たちには辟易するが。そんな彼女の現状を見てなんかちょっと嫌だなと思う人がいてもおかしくはないと思う。少なくともネットでは、昔はファンだったけど今は嫌いという人を見かけたことはある。

あの年であのパフォーマンスをすることについて、本人なりに思うことがあるのは当然だろうし、その中でネガティブになるのも仕方はないのかなと思う。

「いつまでやるんだろう」

「まあ好きでやってるからいいんだけど」

「だけど、ねぇ笑」

本人も言ってたけどこれが彼女の状態を端的に表してると思う。

ただ一つ言いたいのは彼女気遣いの人だということだ。共演者あるいはバンドメンバーも事あるごとに言及している。彼女はその場を見てどう振る舞うべきか変えているし、少しまずく取られそうなことを言った後はすかさずフォローをする。素に近いように見えるラジオはもちろん、Twitter彼女なりのポーズがかなり含まれてると思う。少なくとも彼女彼女が嫌われるようなことは言うが、自分の周りにそういう気持ちがいかないようには努めてるようには見える。ただその辺の振る舞いはとにかくわかりにくい。彼女も察せられないように振る舞いたがりそうだし。たぶん今気遣ってやったんだろうなーというレベルだ。

そんなわけで彼女の状態は端的に言えるほど単純ではない。彼女解釈十人十色だ。そんな中に迷い込んだ一人のキモオタ彼女ネガティブさにあてられてまずい選択をしたというところではないだろうか。

彼女ネガティブさが目について嫌いだ。決別したい。でもかわいい。どうすればいいんだ」

その結果の選択ならばなんとなくわからないでもない。(もちろん俺の隣でそんなことするなら飛びかかって止めるけど)

それでも「いつもはすぐふざけて本当のことを言えないけど」と言う彼女を俺は大好きだし、せめて敵意を向けるのではなく静かに去って行ってほしいなと思う。

補足

いつもは彼女のことは姫と呼んでいます。あと、この時のライブツアーでは都合3回初参加の人と連番でしたが、みんな口々に「楽しかった!また来たい!」と言っていました。

興味があるけど敷居が高そう、と思ってる方々。ぜひ来てみて下さい。

初めてでも曲を全然知らなくても、きっと私たち自慢の姫と楽しい時間が過ごせると思います

2014-01-11

Wake Up, Girls!が糞つまらなかったけど「成長」がちょっとだけ楽しみというお話

Wake Up, Girls!観た。映画地上波アニメも。

色々思うところがあったのでネタバレ気にせずぶちまけたくなって増田投稿しようと思いました。

ぶちまけるので構成とかも誤字チェックも何もしないので色々見苦しいかったらすみません


まず映画

公開初日都内映画館で、平日とはいえ終業明けの時間であるにもかかわらず客は多く見ても50人程度。

そんな状況だから観る前から「ヤバくね?」って思ったけど金払って映画館入っているわけだし観たわけですよ。


紛れも無い糞映画でした。


新年一発目の映画でこんなものを1200円払って観てしまった俺。自分自分に同情します。

唯一の救いは上映時間が1時間弱だったこと。90分とか120分とか、とてもじゃないけど耐えられる気がしない。

映画はとにかく酷かったので長くなるけど許して欲しい。


誰でも余裕で分かるレベルで棒演技のオンパレード

「こんなに終始荒れてるアニメも珍しいだろ…」というレベル作画

社長外道すぎる

主人公?のセンターキャラ島田さん)を中心に話が進むけど肝心の過去トラウマが一切明かされず、感情移入できる余地無し。

これはテレビアニメへの伏線とも取れるが、映画単体としてみた場合、完全に意味不明ストーリーになってしまっている。

謎が明かされないまま他のキャラも何やら納得していきますお話が進みます。どんどん取り残されていきます


そして肝心のライブパート

正確にはライブパート直前からだけど、荒れていた作画が突然安定する。

7000枚描いたらしく、確かに結構頑張っている。

でも分かる。

明らかにライブパートリソースをぶっ込みまくったのが分かる。

リソースの95%程度をライブパート含むラスト5分程度につぎ込んだんじゃないだろうか。

でも別にライブ凄かったね」と褒めているわけじゃない。

リソース殆どを注ぎ込んでここまでなんだな、と。

限界がなんとなく見えてしまった残念感。


次にテレビアニメ

個人的には映画ほど酷いとは思わなかった(映画は金払ってるのにな)。

作画も演技も映画よりは良くなってた。でも平均レベルよりはどうなんですかね…。

肝心のライブパート映画と全く同じです。使い回しです。パンチラも修正ありません。

映画観てない人はセンター島田さんだとわかった人は居るんでしょうか。


とかなんとか映画テレビも他にも一杯言いたいことありすぎるんだけど、とにかく酷かったです。

面白くなかったです。本当に。


でもね、ライブあるなら行ってみようかなとは思った。


映画を観た時、声優中村繪里子さんの「大腸ジェラシー」って動画を思い出したんですよ(ニコ動に今もあるんじゃないかな)。

アイドルマスターヒロインの声を当てている人ですが、言っちゃ悪いけど本当に歌も踊りも下手くそ動画です。

イベントで歌って踊ってる様子なんだけど、音は合ってないわリズム取れてないわ、マイクに音乗ってないわ…。

イベント自体も客席はパイプ椅子っぽくて、カメラも明らかに安物で、そういうショボさも拍車かかって酷いわけです。

底辺さ満点の動画です。


でもこの動画が終わると他の動画ジャンプされるようになっていて、次の動画ではそんな中村さんがなんと武道館で歌っているわけです。

しかソロパートである

歌も踊りもしっかりしてて、堂々としてて、完全にアイドルなんですよ。

例のイベントの7年後の様子だけど、7年でこれだけ成長したんだなと凄く感動したわけです。


Wake Up, Girls!ではド新人を敢えて起用していることからも、「成長」を見せたいと思っているはずです。

で、実際、映画アニメ第一話では既にその成長が俺でも分かるわけですよ。

演技だけ見ても映画よりテレビの方が明らかに「成長」しているんですよ、ハッキリと。

そういう成長をずっとそれを見守って行けたら中村さんの動画のような感動が得られるのかな…ってね。

先のことはわかんないけど、そんな可能性を垣間見たような気がする。


とは言え、映画テレビアニメも「面白くなかった」という事実に変わりはなく、

今後の展開が面白くないと今ちょっとだけ芽生えているこの期待感もいつかは消えるでしょう。

消える時は消えるし、消えなかったら……その時はライブとかイベントとか行くかもね。


以上、Wake Up, Girls!は糞つまらなかったけど「成長」がちょっとだけ楽しみというお話

2013-08-23

テレビ好きが「24時間テレビ」について書く

幼少期からテレビで育った私の意見として、

24時間テレビ」のギャラ問題はけっこうどうでも良かったりする。

なぜなら私はテレビエンターテインメントと考えているので、

チャリティだろうがなんだろうが、「24時間テレビ」はエンターテインメントである

から別に他のテレビ同様、出演者にギャラを支払ってもいいじゃんと思ってる。

かつ毎年10億円以上の募金を集め、実際に震災復興支援福祉車両などに使われてるわけで、

このあたりについてはさすがにアンチも文句は言えないだろう。

  

じゃあ「24時間テレビ」の何が不満かというなら、やはりコンテンツが完全にマンネリしてることを挙げる。

マラソン過去TOKIO山口くんがあっさりゴールしてしまった教訓があるのか、

ここ数年は中年・老人が起用される傾向にある。確かにハードルを上げないと番組にならないからな。

もうこうなったら来年デヴィ夫人でも起用しますか。

  

ドラマはもうここ数年完全にジャニーズ枠、これももうマンネリです。

何年か前に阿部寛が主演した回があったと思うけど、ああいうのお願いします。

深夜のバラエティは、フジ27時間テレビと比べると弱い。ダチョウ倶楽部熱湯風呂率高し。

なぜかここ数年定番になったダンス甲子園ギネスに挑戦系、ハンディを背負った方の挑戦(遠泳や登山率高し)。

20:50頃「負けないで」の熱唱とゴール。最後は「サライ」と「本当の主役はあなたです」のテロップ

偽善っぽいとかそういうのではない、ワンパターンすぎるのが問題なのだ

チャリティ自体は賛成だし、出演者にギャラを払ってもいい、だがそろそろ新しいフォーマットに挑戦してくれ。

  

ただここ数年は震災関連のドキュメンタリーが多いので、そのあたりは観る価値はある。

あと、武道館募金を持って来た芸能人スポットを当てたミニ再現ドラマ(病気を抱えていたり、亡くなってしまった身内がいる芸能人に絞られる)は意外とみれる。

ダーツの旅面白い

でも現状テレビ向けコンテンツとして価値があるのはこれくらいしかいかなと思う。

  

最後にこれは個人的な意見

これは「24時間テレビ」に限ったことではないが、安易に批判に乗っかるのは一番ダサいこと。

批判するのは簡単だが、せめてある程度は観てからにしてほしい。

まあワンパターンゆえに観る必要もないという意見もあるだろうが。

2013-01-26

テニプリフェスタ問題点要望

テニプリフェスタ2013の告知があった。

より良くなって欲しいという強く純粋な思いがあるので、ファンの目線から考えてみる。

勝手ながら厳しい意見記述しているが、自分は間違ってもアンチではないと断っておく。

※「女性向けジャンル」の中の一作品という観点で書いているので違和感がある人にはお薦めしません。

 長文ですみません

まず自分立ち位置について書く。

現在は熱狂的であった頃より落ち着いて応援している

100曲マラソン有明武道館、全て参加

・贔屓の学校キャラキャスト等は特に無く、全体のファン

ラジプリリスナーのため、付随してキャラソンもほぼ把握

・他作品も好きで声ヲタ声優イベントもたまに参加。個人ライブに行くほどではない

・ミュは行ける時に行く。ミュヲタと言えるほど詳しくない

Ⅰ.「テニプリ」ファンの多様性

テニスの王子様という作品については、その概要について語るまでもないだろう。

今更「本来は少年誌スポーツ漫画で~」なんて野暮過ぎるので、ここでは女性向け巨大ジャンルとして扱う。

参考:Wikipediaテニスの王子様

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%AD%90%E6%A7%98#.E6.A6.82.E8.A6.81

自分がファンの現場において実際に交流していて思うのは、メディアミックス二次創作ブームにより同じ「テニプリ」ファンでもその実態があまりに異なることである

(もちろんそれは人の数だけ存在するわけだが)原作を読むだけのファン、声優から入るファン、ドキサバ等乙女ゲームから入るファン、友達に誘われミュージカルに行くだけのファン、ニコ動等でネタから入ったもののうっかり萌えしまったファン…など、その裾野は驚くほど広い。

ただ共通点は皆「キャラクターのファン」であることだ。

誰のファンであるか尋ねると、数や深度はそれぞれだが大体は明確な返答がある。

それに付随して好きな「学校」も明確であることが多い。

まさにアイドルのチームや組分け、推しメン担当イメージカラー等と同じ仕掛けになっている。昨今の女性向け作品のそれらのように最初から意図されていたかは解らないが、キャラクターの単純数や魅力に加え、設定に十分な糊代があることや入りやすさ等、多くのファンが形成される理由には事欠かない。


Ⅱ.アニメでのキャスティングキャラクターソング展開

キャスティングについて

ご存知の通り、テニプリキャスティングネルケプランニングに一任している。

よく知らないという人は、ネルケプランニングについての記事について一度、目を通すことを勧めたい。

参考:Wikipediaネルケプランニング

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

業界関係者ではないのでこの記事の真意は解りかねるが、「ネルケ声優」と聞いて思い浮ぶ名前がこの作品には揃っているため、当時何も事情を知り得なかった自分でさえ「変わった声優キャスティングしている」ことは感じていた。

これについてはやはり賛否両論である。これは自分見解だが、役に合っていて芝居が上手ければ何も問題は無いと思っている。ギャラや組合のことは外側の人間には解らない事なので想像の域を超えないが、これだけ大人数の登場キャラクターが居るのであれば、当然予算の問題もあるだろう。

しかしその結果、他人気作品ではあまり見かけない顔ぶれが揃うこととなる。(もちろんこれをきっかけにブレイクしていったキャストも多いのだが)それはファンにとっては良い点も悪い点もある。

例えば良い点について。キャストの一体感である

その理由を考察すると―結果論に過ぎないのだが、キャストの「作品への思い入れ」が大きいかであるように思う。

異業種からキャスティングされた者は「アニメ声優」としての参加作品が少ないため、その一作品(一キャラ)あたりの思い入れが大きくなる。

この一体感はその「思い入れ」による熱量に由来しているように見えるのだ。

そして元々は異業種であった面々が集まったことで化学反応を起こし独特の交友関係を築き上げている。

プロとしてどの作品に対しても平等に取り組むようにすべきであろうが、作品ファンとしては嬉しいものなのでここでは良いこととして進める。)

一番の例は河村隆役の川本成さんだろう。

彼のテニプリキャスト)愛は様々な場面で表現されている。

参考:「川本成blog'n坊や」(旧ブログ

http://blog.excite.co.jp/naru-kawamoto/14801511

彼は一般的にはお笑い芸人として有名だが、その活動は多岐に渡っている。舞台俳優パーソナリティ音楽活動、そして声優など。

彼が立ち上げた「時速246億」の舞台にはテニプリ関連キャストゲスト出演することが多い。

タレント声優をやる」ことについて負のイメージを持つ者も多いと思うが彼の活動を見ていると双方の活動に良い出力が出来ているのではないかと考えさせられる。

現在声優」という職業仕事の幅は広く、役者的側面だけでなくナレーション音楽活動なども含めるため一概に括れず、本人たちも「声のお仕事」と表記することが多い。線引き自体が不毛である

川本さんはそういった区別や括りに良い意味でこだわらなかったため、現在の活動はテニプリ関連の交友関係による影響が大きいように見える。「タレント声優をやる」という枠組みでは語れないほどの様々な表現活動を行っているのである

これはほんの一例で、他にもテニプリきっかけとして舞台イベントなどでキャスト同士が共演しあっているシーンも多く見られる。

(余談になるがネルケプランニング野上祥子さんという方がその関係作りに大きく影響を与えているように思う。「のがしょの結婚式青学全員揃った」と以前語られていて、その深い交友関係が伺える。イベント舞台裏映像などで学校ごとに点呼とってるのが本人かと思われる。)

しかし、この「作品への思い入れ」については問題点もある。それは後述するとして、このキャスティングがもたらした状況をCD展開と合わせて考察する。


キャラクターソング展開について

参考:Wikipedia「ティー ワイ エンタテインメント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC_%E3%83%AF%E3%82%A4_%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

こちらもご存知の通りだが、テニプリではアニメキャストミュージカルキャストキャラクターとして歌う、所謂キャラソンが大量にリリースされている。

その数驚くことに300タイトルを超えているのである

この展開については、明確な仕掛け人がいる。「松井P」と呼ばれる「松井伸太郎」氏である

イベントMCをつとめたり顔出しを含め表に出ることが多いため、ファンの間では有名な存在だ。

最近ではどの作品でもアニメゲームに合わせてキャラソンを出すことはもはや定番の流れであるが、松井氏の手がける作品の印象は、有名アーティスト楽曲を依頼したり、キャラクターキャストの人気を判断してから出すのではなく、とにかく「面白そうな企画であれば気軽にリリースする」という感じだ。

もちろん素人目に見てだが、テニプリについては正直「これ採算がとれるのだろうか」と心配してしまうような企画のCDでも次々にリリースしている。

松井氏はキャスト自身に作詞をするよう提案する。中の人ファンはもちろん喜ぶし、確かに全く作品に関わっていない第三者に依頼するよりは、そのキャラクターを自ら演じたことのあるキャストに依頼した方がキャラクターソングとしての深みが増すということだろう。もしかしたらコスト面でも有利なのかもしれない。

しかしその「やってみないか」は作詞のみならず作曲コント台本等にまで及ぶこととなった。

キャストに意欲と時間があればリリースする。その結果、出来上がったものを見ると明らかな偏りが出来てしまった。

事情を知らない者からすると「何故このキャラでこんなにたくさんCD出てるの?」といった具合である

内容も原作からは少しずつ遠ざかり、ほとんど二次創作のような…俗に言う「キャラ崩壊」の状態のものリリースされることとなる。

極端な言い方になってしまうが「テニプリ」という作品を一つのきっかけにして役者クリエーターの発表の場にもしているように感じる。

これは「キャラ私物化」とも言えるのではないだろうか。

これ自体が悪いことであると伝えたい訳ではない。

通常の漫画原作アニメ作品だと、アニメ原作の終了とともにその人気は落ち着いていくものだが、テニプリミュージカルを始めラジオゲーム・グッズ・CDリリースなどメディアミックスが根気よく盛り上げ続けていたおかげで現在の人気に繋がっているとも言えるからだ。


自分ラジプリリスナーということもあり、テニプリ新譜は全体的に把握しているのだがそういうファンは稀であり、ほとんどは好きなキャラの曲や気になった作品のみを購入して聴いている。

製作側もそのつもりで、気になったものだけ買ってくれということだろう。商業であることについて嫌悪感がある者は買わなければ良いという話なのだ

繰り返すが、これ自体が問題点ではない。

この「キャラ私物化」がイベントに反映されることに問題を感じているのである



Ⅲ.テニプリフェスタ問題点要望

長々と書いてきたが、改めてここで言いたいことはタイトル通り「テニプリフェスタ問題点」と「要望である

ここで言うテニプリフェスタとは、「アニメテニスの王子様が開催・DVD化している一連のライブイベント総称として扱う。

http://www.tenipuri.jp/festa2011/archive/archive.html

これまでに以下3回行われており、すべて映像化されているものだ。

2008年パシフィコ横浜100曲マラソン

2009年有明コロシアムテニプリフェスタ2009」

2010年日本武道館テニプリフェスタ2011」

すべて2回以上の公演があり、規模は年ごとに拡大している。

アニメが盛り上がっている時期または開始前にキャストのトークや歌のライブを行う作品も今では珍しくないが、テニプリアニメ放映期間が2001年2005年ということを考えると開催のタイミングとしては遅すぎるように感じる。

なぜ人気絶頂の時期に開催しなかったのかは解りかねるが、現在でも毎回チケット完売・満員となる人気公演である

初回の100曲マラソンは、その名の通り多くのキャストマラソンのように次々と交代しながら100曲歌い切るという公演であった。

キャラソンが大量に出ており人気作品であったにも関わらず、全体のライブイベントが開催されていなかったので、まさに満を持してという言葉が相応しい熱いライブであった。

選曲もファンの間では有名な全盛期の楽曲を中心に、楽曲人気投票の結果を反映させたセットリストとなっていた。

しかしⅡで述べた通り、アニメテニスの王子様楽曲は偏りがある。

当然ファーストライブと全く同じセットリストで進めるわけにはいかないため、2回目以降はキャラクターの2枚目以降の曲やアルバム曲・最新曲など、言うなれば「しっかりとキャラソン情報を追っているようなファン」でないと聴きなじみの無い楽曲も見られるようになる。

それでもキャラクター色の強い楽曲であればテニプリファンとして盛り上がることが出来るが、先述の通り事情を知らないと解らないような内輪ノリの楽曲も多いのでここでどうしても盛り上がりに欠けてしまう。

そしてⅠに述べた「テニプリファンの多様性」が問題となるのだ。

毎日テニプリ」や「テニプリキャラ」のことを考えている「テニプリファン」は、「テニプリフェスタ」と聞けば当然の感覚として参加を希望する。

しかし実際に歌われるのは、ほとんど「キャラソン」というものから遠ざかっている楽曲ばかりである

期待していたイメージとは少し違うということも多々あるだろう。

(ここからは大変失礼な自分見解であるが)更にその出演者は他人気作品ではあまり見かけないキャストも多く、また10年以上続く作品とあって出演者の年齢層も高めになっている。またこれはテニプリに限ったことではないが、キャスト全ての歌唱力がその会場の規模に見合っているとも限らない。

テニプリファンの層は10代~30代女性が圧倒的に多く、その多くが「アイドル的に」キャラクターはまっていることを考えると、そのギャップは何とも言いがたい「違和感」として残る。

この感覚こそが今回記事を書かせてもらう一番の動機となった部分である

実際、原作アニメも初期から好きで、歴代のテニプリフェスタにも参加してきた友人ですら「テニフェスは今後も行くかどうかは解らない…」というような発言をしている。既に付いていけなくなっているのだ。


さて、文句ばかり述べているのではただのアンチと変わらない。

これを踏まえて「要望」を書いていきたい。

ただ、もちろんイベントの企画やプロデュースなど全く携わったことの無い素人なのであくまで「ファンとして」「こうだったら楽しめるのではないか」と思えるものを考えてみた。

①作品共通のテーマソングを作る

アニメテニプリではしばしば記念となるCDリリースしている。

その中でも特に作者の許斐先生作詞をしているものについては、ライブのオープニングやアンコールなど、そのイベントの最大の見せ場に歌われる。

Dear Princeテニスの王子様達へ~」「テニプリっていいな」「Love Festival」などがそうであり、どれも名曲ばかりである

(余談になるが、原作者作詞作曲から歌唱まで参加することについて賛否両論ある。自分ステージで歌われると流石にちょっと笑ってしまう一人なのだ(笑)先生歌詞は一貫して「テニスの王子様」のストーリーの軸や「ファンに楽しんでもらいたい」という姿勢を崩していない点においてもとても評価できる。

先生のこの姿勢ライブDVDの特典映像舞台裏などで見ることが出来る。

ライブ直後にキャストにかけた言葉が「(ファンの)みんなも楽しんでくれたと思います」であった。キャストを労うよりも先にまずそちらを意識するところが原作者でありリーダーらしいと思う。)

しかし実際こういった曲でさえ、やはり「しっかりとキャラソン情報を追っているようなファン」でないと知らないことが多い。

そこで、こういった作品全体がテーマとなっている曲を、ミュージカルゲームなどと共通して使用してみることは出来ないだろうか。

ファンの現場からすると、例えばテニミュファンとカラオケに行った時にお互いの曲を知らないということが多々あり、もどかしい思いをするのである

もっとキャラクターを前面に押し出す

ライブに参加し実感したのは、「キャラクター映像として映し出された瞬間」に会場が一番沸くということである

あくまでここに来ているファンの多くは「キャラクターのファン」であってキャスト声優ミュージカルキャスト)のファンではない。(もちろん付随してそちらのファンになるわけだが。)

アフレコや思い出のシーン紹介などはとても良い企画だと思う。ライブ部分にもう少し「キャラクターのもの」を登場させて欲しいのだ。

映像だけでなく台詞などでももう少し「キャラクターのもの」が登場する割合は増やせるのではないか

あくまでキャストキャラクターなのだ

王道の曲をやる

なかなか全ての楽曲を把握している者は少ないと思うが、それでも多くのファンが知っている有名な曲というのは存在する。

例え既に披露されていたり10年前の曲だったとしても、年に1回(か、それ以下)しか行われないライブであるので、やはりファンは「待ってました」と思い喜ぶのではないだろうか。

また、キャラクターソングということを抜きにしてもこの作品には隠れた名曲が多い。

完全にランキングリクエストセットリスト作成するなど、ファンの希望に沿ったライブもアリなのではないか

ライブという形態を変えてみる

ちょっと離れ業のような意見だが、例えば「ジャンプフェスタ」のように、展示と物販・フードなども交えたキャラクターイベントにしてしまうのはどうだろうか。

流石にブースごとのステージは難しいと思うが、そこは別ホールへ入替制にし、内容もライブパートとトークパートに分けても良いかもしれない。

展示やフードは学校ごとのブースを作ったり、ナンジャタウンのようなゲームコーナーを設けるのも良さそうである

ライトファンを含めれば、テニプリは単独でこれくらいのイベントを開いても問題がないくらい関心のあるファンが多いと思っている。

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【まとめ】

気づいたら異様な長文になっていた。ここまで目を通してくれている人がいたら本当に感謝したい。

述べたいことをまとめると

Ⅰ「テニプリ」ファンは想像以上に裾野が広く、そのはまり方は実に多様である

Ⅱそれに対してキャラクターソング展開は偏りがあり、全体的に内輪ノリである

Ⅲその状態でテニプリフェスタを開催するとギャップが生じ、せっかくのファンが遠のいてしまう。

 それぞれのメディア展開同士で歩み寄りを見せてはどうだろうか。

ということである


最後に、個人的にはテニプリ自体は言うまでもなく、キャストの一体感とそのテニプリ愛が大好きである

武道館での涙は本当に感動した。思わず自然と一緒に泣いてしまっていた。

少しでも長く、彼らの活動を見ていたい。だからこそ、やはり二次元原作である「作品」に立ち返って欲しいのである

これを機会にこのライブについて皆で一緒に考えて欲しいというのが、今回の期待であり自分の願いである。


長々とお邪魔してすみませんでした。

以上です。

2012-10-29

5大天才漫画家

五大天才漫画家手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html


天才定義曖昧だけど、

1.質が高い作品を複数、残している。

2.商業的に成功している。

3.エピゴーネンを多数派生させている。

4.表現技法上の革新を成している。

5.ジャンルフォーマット上の革新を成している。

を条件とした場合

手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。

尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。

鳥山天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本漫画原稿和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。

水木しげる天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。

そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーロー群像劇、そのキャラクター性格づけはもとより、マーチャンダイジング手法おいてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析マンガに持ち込んだのも石ノ森である

漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組竹宮恵子萩尾望都大島弓子山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現いかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面セリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法確立萩尾望都代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるか凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。

手塚治虫

鳥山明

石ノ森章太郎

萩尾望都

と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、

藤子・F・不二雄を挙げる。

[補足]

まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。

「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズ武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス

レスが挙げているような御大たち、高橋留美子大友克洋白土三平水木しげる赤塚不二夫永井豪いしいひさいちつげ義春大島弓子大和和紀三原順梶原一騎吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。

あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。

[補足の補足]

ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思いますありがとうね。

ONE PIECE, 私も好きだけど、正直、尾田先生をもし入れるぐらいなら富樫先生を推したいの。

枠が5つしかないんだから、候補で名前が挙がるってだけでそれだけでもう本当は天才なんだけどね。

2012-08-28

24時間テレビの出演者のギャランティーについて

テレビを見なくなって久しい。今ではいつどんな番組をやっているのかさえよく知らない。だから今年の24時間テレビがもう終わってたことも知らなかった。2ちゃんねるまとめブログで「出演者にギャラはらってチャリティーって言いながらクズばっか」みたいなエントリーがアップされるのを見て、あぁこんな季節にやってたっけなと思い出したくらいだ。昔は僕自身も「へっ偽善者番組がっ!!」などと思っていたがテレビを見なくなってテレビ文化から離れてしまった今となってはそんな怒りはわかなくなった。距離を置いたことで冷静に見られるようになったのかもしれない。

さて、出演者のギャラについてだが結論から言えばこれは悪いことだとは僕は思わない。むしろタレントへのギャラがよくないという意見に若干の違和感を感じる。

番組制作の枠組みとか流れを考えてみよう。ネットで見た意見の中には「募金タレントのギャラに使ってる」などというのもあったがこういったのは誤解であると思われるし。まず24時間テレビに限ったことではなく日本テレビというのは広告主(スポンサー)、放送局視聴者という三つの要素から成り立っている。

広告主】 →資金→ 【放送局

  ↑ 日本テレビ構造 ↓

  購買←【視聴者】←コマーシャル

これに電通博報堂などの広告代理店とか番組制作会社とかあといろいろが絡んでくるわけだけどそれは一旦置いとく。このように日本テレビというのは広告媒体として発展してきたわけだ。ただCMとか流しても見てもらえるわけないか面白い番組を放送してその合間にCMを流すことでコマーシャルの質を高めてる。

さて広告から資金を得て効率よくコマーシャルを流すのが放送局の役目。得た資金を元に「番組」というコンテンツを作らなければならない。コンテンツ面白視聴率がよくないと広告主は資金を出す意味がないからね。コンテンツを作るために放送局製作会社に依頼する。制作会社コンテンツを作るための場所と物と人と企画を用意する。たとえば武道館という場所を借りるにはお金がかかる。タレントという出演者をに出てもらうにもお金がかかる。もちろんこれにかかる費用広告から出された資金を元にしている。こうして番組が作られている。そして番組とともにコマーシャルを流す。24時間テレビであっても変わらないはずだ。24時間テレビでもコマーシャルは流れるよね?(もし流れないんだったらこのエントリー自体の意味がなくなるが笑)

番組制作費は広告から出ている。これ重要。けして視聴者から集めた募金から番組制作しているのではない。

一応24時間テレビサイトから

http://www.ntv.co.jp/24h/contents/how2012.html

募金は全額福祉環境災害活動に使うという方針らしい。(収支報告を出しているかどうかまではわからなかった。)つまりコンテンツ制作にかかる費用は全くの別会計、別の流れがあるということだ。で、問題になっているタレントギャランティーだがこれはコンテンツ製作費に含まれるということになる。「タレントにギャラを払うのはおかしい」というのは何となくわかる気がしながらも違和感を感じていたのはここにポイントがある。コンテンツ制作の流れを見てわかる様に24時間テレビにおける「タレントのギャラ」は「武道館レンタル料」と同じことだ。調べた限り証拠はなかったがたぶん武道館にはレンタル料払っているのだろう。これは人を用意するのと場所を用意するのの違いだけで基本的には同じ費用の類だ。でも今まで見た批判の中に「武道館へのレンタル料を払っているのはおかしい」という意見は見たことがない。あったら教えて欲しい。タレントチャリティーで儲けるなと批判するなら武道館チャリティーで儲けるなという批判もあるべきだ。結局はタレントへのギャランティーの問題は視聴者の「タレントテレビの人」というイメージの問題に収斂するのではないだろうか。タレントコンテンツソフトとして”使われている”だけで本来は放送局と同じカテゴリーのものではない。もちろんそういった「テレビの人」というパブリックイメージを用いて経済活動をしている限りチャリティーのギャラには節度必要という意見はあってしかるべきだとは思う。

たとえば平々凡々な一般人たる僕がチャリティーをしようと思う。そうだ、Tシャツを作って売ってその収益寄付しよう。拙いながらデザインを起こしてTシャツを買い、印刷会社プリント発注する。かかった経費の3掛けで売ろう。なんとか作った分完売交通費や販売に関しての諸経費は考えないことにして収益は全額赤十字寄付した。領収書スキャンしてブログで公開。

さて、批判されるところはあるだろうか?偽善と言われるのはしかたない。だって偽善もの。でもTシャツメーカー印刷会社を批判する人はいないと思う。24時間テレビにおける出演者はまぁこ印刷会社と一緒だ。Tシャツ売るってチャリティーで儲けてるやつらがいるぜ、糞と味噌の区別もできずに批判しているのと同じだ。ギャランティーを支払われるのは批判されることではない。と思う。

最後にはなるが「チャリティー」と銘打ってる限りイメージや収支に関する説明責任とかは大事だ。それは番組の内容にも係わってくるがそれはこの日記テーマの出演者のギャラとは別の問題だ。そしてそれに関しては僕は語る言葉を持たない。

だって24時間テレビ、1分も観てないからねっ。

2012-08-22

結局「白金ディスコも無ェ」見るのは諦めた

違法視聴になりそうなので結局「白金ディスコも無ェ」見るのは諦めた。

白金ディスコ」とIKZOの曲ダブルで買ったら視聴するの合法になればいいのになと思いつつ

代わりに今日発売の三浦大知武道館ライブDVDDVDブルーレイで見るか迷った挙句

DVDamazonで注文した。

今月後買いそうなCDDVD

白金ディスコ

AAAセブンイレブンで売ってる1500円のDVD

松下優也の今月29日発売のニューシングル see you

松下優也三浦大知は毎回予約購入しているから当然として

AAAはまだ見たことが無いけど人気があるから見てみたいし

白金ディスコ」も評判いいかCD買ってみたい

音楽関連今月8000円ぐらい使うはず、CD自体はあまり聞かない。DVD付きのCD買ってDVD見るのが普通になっている。

中学生の頃は一月にシングルCD一枚買うのがやっとだった。今は一曲ずつMP3などでDL販売されていていいね

初回限定特典やDVDメイキングまで見たいかDL販売では購入しないけど。

2012-06-04

恋愛オワコン!!!

ココロ社モテない人も、恋愛プロジェクトとして考えればうまくいく

http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20120531/p1

金融日記レストラン戦場

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51899611.html

上二つのエントリ違和感ありまくりです。どこから書いたもんだかわからないのだけど、もう恋愛とか異性との交際って、オワコンだと思うのですよ。

まず第一に、好きな人がいて、気持ちを伝える場合、これ承認されるかされないか、たいてい結果がはっきりでます承認されなかった場合、人は傷つきます。気持ちを切り替えてすぐ次の人を探そうなんて思えるでしょうか。就活だって、断られれば嫌な気持ちになり落ち込みます。ましてやって話です。

第二に、仮に交際を承認された場合、その相手のことを独占できますが、これって普通のことでしょうか? 相手のことをステキだなあと思うまでは良いとして、自分が相手を独占することまでをひとは望むのでしょうか。その相手を好きな人が他にもたくさんいた場合に、ひとりが独占するのは本当にベストな状況なのでしょうか。

第三に、デート等、具体的な交際の問題があります。食事ひとつとっても、今の日本にはさまざまな価値観があります菓子パンカップ麺が一回の食事で何の不満のない人から食べログミシュランなどで見た店を食べ歩きたい人まで、幅広いグラデーション存在しています。そしてそれは、必ずしも収入階級と相関せず、むしろその人なりのポリシーの問題になっているはずです。これはなかなか交際相手と一致することが難しいのではないでしょうか。

食事だけとってもそうなのですから休日何をするか、どこかに旅行にいく、何か映画を見る、誰かのライブにいく等々のケースで、話をまとめようと思ったら、気が遠くなりそうです。交際している人といつも一緒に過ごすのではなく、それぞれ場面に合わせて気のあった友人と、あるいは一人で行動するほうが楽しいかもしれません。

第四に、特定の交際相手が、所謂恋人がいなければ、ひとは寂しいものでしょうか? 一昔前であれば、多くの人は寂しかったでしょう。しかし各種SNSサービススマートフォンが普及した現在、むしろふだん友人関係を維持するだけでも時間が足りないくらいの人が、多いのではないでしょうか? さびしさを感じるヒマは、あまり無いのでは。

第五に、当然交際を解消する場合に、多大なエネルギー必要します。言うまでもありません。

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ここで視点を変えて、前掲問題のひとつの解として、好意を寄せられた側が不特定多数のひとの好意をすべて承認してしまえばどうなるかということを考えたいと思います

一昔前であれば、というか現在もですが、キャバクラホストクラブはそういう場所です。お金を払ってマナーを守れば、そこで働く人に好意を伝えて、承認されないことはないはずです。必ず喜ばれるでしょう。しかしそれは、「ただし一定お金を払えば」という条件がついてまわりますコンビニ給料よりキャバクラホストクラブ給料の方が高いはずで、そこには「たくさんのお金と引き替えでなければ、不特定多数の好意は受けられない」という常識があるように思います

しかし、ここにきて、AKBに代表される「会いに行けるアイドル」という新しいジャンルというかなんというか、そういうものがとにかく出てきていますアイドルに対しても、マナーを守っている限り、ファンですと言えば必ず喜ばれることでしょう。ある程度のお金がかかるとはいえ、足繁くライブ握手会に通えば、(AKBのようなブレイクしすぎた一部グループを除き)顔や名前を覚えてもらうことも、そんなに難しくないでしょう。Twitterレスをもらうことだって、手渡した手紙の返事をもらうことだって無理ではないでしょう。

AKBCMにも出たりしているので別かもしれませんが、現代の多くのアイドルたちは、決してたくさんの、キャバクラホストクラブ並の給料をもらっているわけではないでしょう。ではなぜアイドルをやっているのか? 成功して有名になれば、TVタレントになれるから? CMに出られるから? 武道館東京ドームライブをやりたいから? それはそうかもしれませんが、そういう夢を達成できるのはごく一部だということは、アイドルたちもわかっているはずです。とにかく歌ったり踊ったりするのが好きだから、というのはもっともありそうな答えですが、多くの人の好意を受けるのが楽しいから、という可能性も捨てきれません。そのほとんどが、所謂「オタ」と呼ばれる人種であってもです。

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さら視点を変えて、これから一般人であっても、みんなアイドルのように振る舞えば良いのではないか、という提案をここでしてみたいと思います。具体的にはなんのことはない、特定の恋人を作らずに、ブログTwitterでのフォローに対して、いちいち喜びを表明するだけで良いのです。きょうび若者であれば、アメブロはてなではなく)とTwitterくらいやってるでしょう。そして複数の好意を集めることは、存外恋人を作るよりずっっと楽しいかもしれません。高度に空気を読むスキルがあるなら、握手と引き替えに少しのお金をもらってしまっても、平気かもしれません。まあ、学費援助とかデリケートな方面の名目を避けることは必須でしょうけれど。

2012-05-17

風営法に踊らされて

昨今騒がしい風営法である。昨日は大友良英さんが話題にして http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20120516ちょっとした議論になっている。

ただし、すでに高橋健太郎さんが指摘しているけど、大友さんが言うように「単に古い法律が今でも自分たちを縛っている」というのはちょっと素朴すぎる議論だ。趣旨新聞の記事そのもので、この点では大友さんが踊らされていると言っても良い。

実際、今までクラブの周辺で悪いことは行われてきた。既に指摘のあるディスコ殺人事件 http://www2.atwiki.jp/onthecorner/pages/183.html もそうだし、たとえば悪名高きスーパーフリーダンスイベントを開催して悪事を行った口だ。自分クラブにそこそこ行ったことある(渋谷オルガン・バー、Womb代官山Air六本木の小さいヤツ、新宿にあった頃のリッキッドルームなど)し、たいていは悪事なんかやる場所もないくらいのところだけど、数回黒いスーツの兄ちゃんの集団を見たこともある。売春麻薬だって取引されてきただろう。だから、「クラブは悪いところではない」というのは「道路は悪いところではない」くらいのものだと理解している。じゃあ、これが、「野球場で人が死んだ」とか「テニスコート殺人事件があった」のと何が違うのか。

ここで箱としてのクラブの特徴を考えてみる。

要するに、一般の店舗の営業形態と違うことが多く、理解を得にくいのだ。

一方で、 http://1st.geocities.jp/metelgiar/dance_law.html のページにあるように、本来対象だったはずの社交ダンスが「理解を得て」対象外になったことがある。だから、今クラブを支えるには、「どうしたら一般に理解を得られるか」に尽きる。

そこで思うことが、パフュームであるパフュームは今や武道館が瞬殺と言われるほどの人気グループである。そしてその音楽を支える中田ヤスタカも、プロデューサーとしては非常に高い知名度を誇る。ところが、その中田がどこでDJしているかといえば代官山渋谷の小さなクラブだ。多くても1000人も入らないような場所だ。あれだけ有名ながら、知名度と動員が連動していないのだ(中田にとってはそっちの方が良いだろうけど)。そうでなくても、一般にクラブっぽい音楽はあふれているのに、いまだにその演奏場所が理解を得られてないというのは、不思議なことだ。

さすがにAKB商法が参考になるとは思わないけど、音楽の販売とクラブの動員はもっと積極的に結びつけられていい。なんのお咎めもないもの違法にするのは簡単だけど、一度違法になったものを合法にするのは大変だ。上に挙げた社交ダンスの例だって90年代まで風営法適用内だったことが、今となっては笑い話のようだが、事実でもあるのだ。

まあ、なんで警察がこんなに躍起になってクラブを叩いているのか、そっちの追求も必要だけど、やっぱり点数稼ぎかなぁ?

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