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2020-07-04

七瀬サイドの人間はなぜ対価システムに至るのか(おけけパワー中島)

■おけけパワー中島人間関係に対価システムを持ち込むオタク

https://anond.hatelabo.jp/20200703193938

 先日こちらのお気持ち文を投下したところ、想像以上の反響があった。私も主にツイッター感想などを眺めていたのだが、感想をつぶやいてくれた人のうち7割ほどが七瀬サイド、2割ほどがおパ島綾城サイド、残り一割はどちらにも属さないという比率であった。

 追記や補足で、七瀬サイドが対価システムに走る理由や、それらが巻き起こす事故についてざっくりと説明をしたが、やや説明不足なところがあったため、あらためて対価システムの成り立ちと、巻き起こった事故などについて書かせていただく。

 なお、今回の文章漫画への関連性が薄く、私の実体験や周囲で観測した事故の話を多分に含んでいるため、人によってはトラウマの想起を招いたり、公平性に欠けるところも多々見受けられると思う。不快に思われたら、体調を崩す前にブラウザバックしていただきたい。

有能アピールはなぜ始まるのか

 心理学に、マズロー欲求5段解説というものがある。下から順に、生理的欲求安全欲求社会的(愛の)欲求承認欲求自己実現欲求ヒエラルキー型に並び、一つの欲求が満たされると、もう一つ上にある欲求を満たしたいという気持ちが湧いてくるようになる、というものだ(詳しくはググってほしい)。

 対価システムにとらわれるコミュ障は、多くがこの社会的(愛の)欲求か、承認欲求に大きくかかわる、ネガティブ経験(いじめ孤立暴言虐待など)がある。要因はコミュ力の低さや容姿機能不全家庭(いわゆる毒親)や身体的欠落によるハンデなどさまざまだが、とにかく、これらが幼少期に満たされていないと、自己肯定感を持てなかったり、不安障害発症したりと、成長後人格成型に大きな傷跡を残すこととなる。

 自己肯定感のなさやコミュニケーション能力の欠落はストレスを加速させ、やがて他者言葉行為意味を悪意的にとらえたり、常に攻撃的な態度をとるなどして”周囲に期待をしない”ことで、自分を守ろうとする。これは努力性格問題というよりは、本能的な防衛反応である

 ストレスに晒され続けると人間の脳は委縮し、判断力選択肢を失い、やがて自傷他傷の二択に追い込まれしまう。自分含め、人を傷つけるのは世間一般的に望ましい行いではないが、酷寒の雪山で身震いを止めることが不可能であるように、”いま”そうでない人であっても、追い詰められればこうなる可能性があるということは、どうかご理解いただきたい。

 無条件に愛されるという経験が少ない人間は、「何かメリット相手に感じさせないと見捨てられる」という不安に取りつかれがちで、かつ自分をとことん下げているので相対的相手は雲上人となり、相手の”貴重な”時間無駄にしないため、関心を引くために、有能アピールを始めるようになる。自己顕示欲というよりは、お友達料金に近い。

 親切心で行うというよりは、存在しているだけで周囲に迷惑を与えていると考え、その損失を埋めるべく”他の分野で”役に立つことで相殺しようというシステムだ。

 しかし埋め合わせが毎回成功するなどは到底あり得ない上に、対価システムを持つようになる人間社会的能力が低めなため、昼食に誘ってもらえた際に、誘ってくれた相手に報いようと必死で話しすぎて空気を凍らせてしまったり、面倒ごとを引き受けることでいい顔をしようとして、身の丈に合わぬことを一人で背負いこみ、結果周囲に尻拭いをさせてしまったりと、心臓が痛くなるような失敗をしてしまいがちだ。

 埋め合わせに失敗したら、さら必死に償わなければならない気持ちになる。そしてそういう時に限ってますますやらかし雪だるま式焦燥感無力感と、ストレスが膨らんでいく。とてもつらい。


対価システム押し売り

 不平等相手に飲ませていることに抵抗を覚え、距離を取るようになるのは一般的な考えだと思うが、対価システム保持者はニュートラル自分という存在に、強力なデバフをかけている。生きているだけで常時-10点といった状態だ。向こうからすれば存在しないその10点分を穴埋めしようと、できれば次にミスった時のための貯蓄をしようとやっきになって空回りし、無駄疲弊して疎遠になるケースもある。

 これを相手視点で見ると、やたら労力の成果を見せてきたり、マウントを取ってあわあわした挙句、急に疲れ果てた様子になり、そのうち連絡もしなくなるという、まったく謎の状態である相手の期待を裏切りたくないという気持ちや、一緒にいるだけで迷惑から……という卑屈さは、相手には関係ないのだ。

 まだそれだけならただの変な人で終われるが、もっと悲惨なケースだと、最初は完全に捧げる気持ちで書いていたのだが、もらってばかりでは悪いからと返礼があり、やがて絵を描く目的が返礼になって相手疲弊させてしまったり、見返りを求めず書いていたはずが、自分ばかり書いていて不公平だとなぜか不満を抱き、それを相手にぶつけ不快にさせたり……などがある。

 当然のことだが、人はそれぞれ価値観や許容量が異なるし、ルールマナーモラルはそれぞれ別物である。自他の区別境界線あいまいだと、「自分は平気だから○○さんも平気だろう」「自分はこれを守っているのだから、向こうも当然守るだろう」と、無自覚価値観押し売りをはたらいてしま可能性がある。コミュニケーションに自信のない人は、よほど普遍的な事例を除いて、基本的にその都度確認か観察する癖をつけたほうがいい。


対価システムの行く末

 七瀬の目的は、一貫して「綾城に認められる」であった。話が進むにつれいろいろと拗らせ、ついには諦めてしまうも、最後までそのスタンスぶれることはなかった。

 気さくなリプライを送り、ジャンル外の話題なども提供してくれ、通話して楽しいおパ島と、まったく交流を持ち掛けてこず、静かに有能アピールをしてくるだけの七瀬。楽しい相手交流したい綾城が後者を選ぶ可能性は、限りなく低い。

 「何かしら対価を支払えば、正当な結果が返ってくるものだ」と思い込んでしま認知バイアスのことを世界公平仮説と言うが、対価システムはこれに限りなく近い。

 しかし、実際は努力が必ず報われるという保証はない。どんなに頑張っても認めてもらえない、ありのままではなお肯定されない状況が続けば、世界を恨むか、オカルトに走るか、すべてを諦めるようになってしまう。頼むから、こうなる前に七瀬はカウンセリングに行ってほしい。

最期

 私は心理学権威でもカウンセラーでもないのだが、私の言葉が、少しでも自己分析の助けになり、気持ちを整理するきっかけになれたなら、この上ない喜びだ。

 それと、自己肯定感が著しく低い人には、どうか自分を、ほんの少しでいいので肯定してほしい。全肯定ではなくていい。なにかひとつだけ、人より優れてなくていいから、好きになれる個性を見つけてほしい。箸の持ち方でもお礼をちゃんということでも、声でも足でも字でも、なんでもいい。ひとつあるだけで、少しずつでも自己肯定感をはぐくんでいけるから

追記

■対価システム人間の面倒くささと負の公平仮説(おけけパワー中島)

https://anond.hatelabo.jp/20200705112649

公平仮説についての補足と、個人的にとった解決手段他山の石にしてもらうべくしたためた。今回と同様に、科学的な根拠などはほぼないことをご容赦願いたい。

2020-06-10

anond:20200610193025

その時は、第2、第3の横領が発生して、雪だるま式に原資が膨れてですね。

2020-05-16

慰安婦問題

【社説】慰安婦団体正義連「モラルハザード会計」疑惑、ごまかして覆うべきことではない

与党系「共に市民党比例代表当選した尹美香ユン・ミヒャン)氏と彼女理事長を務めていた日本軍性奴隷問題解決のための正義記憶連帯正義連、韓国挺身隊問題対策協議会挺対協)の後身〕の後援金関連の疑惑雪だるま式に大きくなっている。それでもはっきりとした説明ではなく、政治攻勢や陰謀説に引っ張り込んで苦しい弁解だけを並べている。

後援金をめぐる疑惑は水曜集会が開かれた昨日も続いた。尹美香氏は挺対協時代から慰安婦被害者おばあさんのための寄付金を受け取る過程で、正義連など法人名義の口座8つの他に尹氏名義の個人口座も使ってきた状況が明るみになった。

挺対協継承した正義連が2016年の発足後後、SNS募金した形跡が残っている尹氏名義の寄付金口座は少なくとも3つあることが確認された。昨年1月の金福童(キム・ボクドン)さん死去当時、葬儀費を募金するときに使った個人口座もこのうちの一つだった。寄付金使用先とは関係なく、公益法人個人口座使用行為のものだけでも横領とみなすことができるという。

会計処理疑惑はこれだけではない。法人解散をしなかった挺対協名義で2018年慰安婦女性1人に4億7000万ウォン(現レートで約4100万円)を支給したと正義連が公示したが、この金額はその年の支出総額4億6908万ウォンよりも多い。常識的に納得し難い。

また正義連は被害女性葬式を引き受けてきた相助会社葬儀会社に相当)に1170万ウォンを支払ったと説明したが、同社は無料で行い費用を受け取っていないと明らかにした。月の活動費を300万ウォンしか受け取っていないという尹氏比例代表候補登録をする際に財産が8億ウォン以上あると申告した。

尹氏正義連に関連し、政府部署機関管理監督が不十分だったという指摘も出る。金福童さんの葬儀当時、尹氏個人通帳を使って募金して以来、設立された民間団体「金福童希望」は行政安全部に寄付金品の募集登録もしていないことが明らかになった。行政安全部は疑惑が提起されると一歩遅れて寄付金品の募金および使用内容を22日までに提出するよう公文書正義連側に発送した。

国税庁は一歩遅れて正義連側の会計不備を確認して修正公示命令した。これに先立ち、国家人権委員会は2018年に正義連を監査した際には会計不備を発見できなかったこから監査のものが不十分だったのではないかとの批判を受けている。

今回の疑惑挺対協時期から尹氏を近くで見守っていた李容洙(イ・ヨンス)さんが今月7日に初めて公開的に提起した。このため「親日勢力の謀略」「反人権・反平和勢力最後の攻勢」という反論本質を見えなくするだけだ。堂々とするというなら、第三者会計監査と検警の捜査を受ければよい。

尹氏は「今回の事態慰安婦被害者人権運動道徳性破壊している」と主張した。開き直りだ。日本右翼歴史歪曲と戦う慰安婦関連団体は、他のどのような市民団体よりも透明性と道徳性を自ら備えなければならない。

【独自】正義記憶連帯、4年間13億ウォンの国庫補助金のうち8億ウォンが消えた

月の国会議総選挙与党共に民主党」の比例政党「共に市民党比例代表候補として出馬当選した尹美香ユン・ミヒャン)氏が理事長を務めていた慰安婦被害者支援市民団体日本軍性奴隷問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)と「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)は、2016年から昨年まで国庫補助金13億ウォン(約1億1400万円)余りを受け取ったが、国税庁登録した公示では補助金が5億3800万ウォン(約4700万円)とだけなっていることが14日、確認された。

 野党未来統合党の郭尚道(クァク・サンド議員政府から提出を受けた資料によると、正義連と挺対協女性家族部、教育部ソウル市より2016年から昨年まで国庫補助金13億4308万ウォン(約1億1700万円)を受け取った。2016年に1600万ウォン(約140万円)、2017年に1億5000万ウォン(約1300万円)、2018年に4億3000万ウォン(約3760万円)、昨年7億4708万ウォン(約6500万円)を受け取り、今年は6億2200万ウォン(約5400万円)=来年公示対象=だった。

 ところが、正義連が2017年から2019年まで国税庁公示した資料には、補助金収益が3年間0ウォン記載されている。公示資料は直前の年の会計資料を翌年公示する。つまり2016年から2018年まで補助金がなかったと記載したものだ。今年の公示には、国庫補助金を昨年5億3796万ウォン(約4700万円)受け取ったと記載した。これは、実際の受領額より2億ウォン(約1750万円)少ない額だ。尹氏代表として登録されていた挺対協2017年から今年まで補助金収益をすべて0ウォン記載していた。

 正義連と挺対協義務公示公益法人だ。公益法人会計基準によると、国庫補助金はすべて「補助金収益」として正確に記載しなければならない。高麗大学経営学部のイ・ハンサン教授は「国庫補助金を数年間受領していたのにもかかわらず、0ウォン記載した正義連の公示おかしい」と語った。正義連側は本紙の問い合わせに「国税庁公示は我々が入力する過程で一部ミスがあったようだ」と釈明した。

2020-05-03

憲法記念日改憲問題安倍総理は自滅していると思う

首相 緊急事態対応 憲法にどう位置づけるか 国会議論

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200503/k10012416421000.html

<新型コロナ>便乗の改憲論議与野党から批判 憲法審、今国会未開催 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202005/CK2020050302100018.html

草。

そりゃこのコロナ禍と言うどう考えても下手な有事よりもヤバい事態なのにそのコロナ禍を悪用し、ある意味火事場泥棒的にこの様な発言をすれば非難が出ない訳がないよな。

緊急事態宣言を出して延長した当人が一番理解していないのだからマジでやばいと思う。

本当の意味で今は平時ではないのだから与野党共に批判意見が出るのは当たり前だし、そのコロナ対策すら、安倍総理政府決断能力の無さや判断の遅さ、そして対応の悪さを見せつけたのだから改憲派ですら、この政権の下ではやらせはいけないと言う人がいるのも当たり前だよ。

普通に今はコロナ対策以外全ての政策法案を凍結すべき時なのにこんなの平時にやるべき事だからね。

そこで空気の読めない発言をしたらこうなるのは当たり前。

ただでさえ、政府対応の悪さや何もしなささのせいでコロナ禍に付随した問題経済面医療面学業面等々、雪だるま式で増え続けてしまっているからね。

それにその当人政府自体国内企業補償国民の補助と言った本来すべき資金的援助を蔑ろにして、IMFを通じて海外支援をしでかしたり、アベノマスクの配布と言ったもの勝手に決めたりしたからな。

その上、一律支給の面でも自党の若手の意見無視して、公明党に連立解消を材料にされて、判断したと言う体たらくぶり。

有事であればそれこそその決断能力の無さや判断の遅さは破滅自体しか招かないし、今回に関しても余りにも破滅的な事をやらかしているので、もはや憲法とか関係なく、当人政府資質問題却下される段階だよ。

そしてその憲法改正の緊急事態についての条項の話自体、どう見ても個人自由制限と言った内容から政府批判封じに使いたいと言う思惑まで丸見えだからね。

そもそもこの様な発言を今する時点で、総理自体危機感が皆無であり、平和ボケしている証明にもなってしまたからね。

場合によってはこれ以降憲法改正の熱自体低下して、低迷する可能性も十分あるだろうよ。

その程度にはこのコロナ禍においてやってはいけない事をやってしまったし、その議論自体に大きく今回水をぶっかける事になったのは事実

恐らく真面目に改憲問題を考え進めようとしていた人ほど今回の安倍総理の行動に対しては頭を抱えているんじゃないかな?

何せやる事をせずにこんなこと言っても全く説得力がないからね。

安倍総理自身失策憲法のせいにするな

案の定この様な事も言われていたから草。

平時なら改憲だとか言ってもあーはいはいで済むけど、今はそれこそコロナ禍における緊急事態からね。

皆ただでさえ、外出や営業自粛要請イライラしているのに政府決断能力の無さや対応の遅さや不味さや先行きの不透明さの中でこの様な空気を読めない発言をしたらこうなるのも当たり前としか言えないよね。

何より本来はそれこそ自民安倍総理には即決の企業支援の為の粗利補償消費税ゼロ、そして給付金の一律配布などを求められていたのに必要な事は何一つせず、必要のないアベノマスク配布や日本コロナ対策をおなざりにした上のIMFを通じた途上国支援等は即決で決められたのだから批判が出ない訳がない。

給付金にしても自民の若手の意見無視し続けたのに公明党に連立解消をチラつかされた途端、態度を変えたと言う始末だからね。

あらゆる面で求心力が落ちるのも当たり前だし、このコロナ禍においてはガチで右も左も関係なく、批判していたからね。

その上で憲法改正などと言うそれこそ今コロナ対策必要ない事を言われれば切れる人が多いのも当たり前だし、そのコロナ禍にこじつけ緊急事態条項とか言い出して個人権利自由制限しようとしているのだから、どう見ても政権批判潰しに使おうとしていると批判されるのも当然だとしか言えないよね。

そもそも今回のコロナ禍においては安倍総理等の政府決断能力の無さや判断の遅さ、対応の不味さ等が一番の問題点であるし、幾らこの人達が思い描く様な改憲をした所で、有事が起きた際、この人達がまともな対応ができる訳がないのはこのコロナ禍と言う緊急事態を見れば判る事だからね。

はっきり言って今回すらまともに対応の出来ていない時点で有事だともっと悲惨事態しか招かないと言う事がこのコロナ禍において証明されたと言う事だからね。

ようは決断能力の無さや判断の遅さや対応の不味さと言う問題点から憲法とは関係ない問題であり、人間性問題と言う訳。

その点が問題なのに憲法云々言われたらそりゃ憲法責任転嫁するなと言われるのも当たり前だよ。

しかしこの人達いつも有事有事だとか今回も緊急事態宣言を出しておきながら、暢気に今の段階でこのコロナ禍を利用して憲法改正を言い出している辺り、一番平和ボケをしているのは安倍総理周辺の人間だなと言う事を実感させられるよね。

この危機感の無さだからこそ空気が読めないのだろうけどね。

平時ならともかく今はそれこそコロナ禍の緊急事態の真っただ中なのだからこの様な事は口にすべきではないし、それこそコロナ禍に対する対策に集中すべきだとしか言えん。

本来ならばコロナ禍に対する法案など以外全て凍結すべき事態であるし、今本来は一刻を争う時期であるのにも関わらず、そのコロナ禍に対する対策のしなささから、次々と雪だるま式問題が膨れ上がってきている中で、当事者がこの様な空気を読めない発言をしているのだから本当の意味で呆れ果てるよ。

このコロナ禍の対策の不味さや決断能力の無さから改憲に賛成の人であっても安倍総理の元では反対と言う人も増えてきているだろうよ。

昨今の余りにも酷すぎる体たらくっぷりは見ていて痛いとしか思えないからな。

2020-05-01

anond:20200501182712

日本政府が大量に保有する米国債の状況をドラえもんに例えると、

のび太お小遣いからコツコツためた800万円をジャイアンが貸してくれというから仕方なく貸したけど、ジャイアンはその800万円のほとんどをパチンコで負けてサラ金に手を出して借金雪だるま式に増えて、一方またのび太はコツコツ貯金続けてようやく200万円まで貯まってきたけどまたそれもジャイアンに「貸」さなければならなくなりそうって感じ?

2020-04-25

あたまわるいけど、やっぱり医者になりたいよ

苦しいので書く。

私はどうしようもなく頭が悪い

それに気づき始めたのは小学生の頃だった。まず九九が覚えられなかった。

数日で同級生たちが余裕綽綽で九九を唱えれるようになる中、私だけは数年単位時間を要した。

それはどの分野でもそうだった。理科でも体育でも、それこそ暗記というものが関わると全くダメだった。満足にできることといったら、国語朗読ぐらいだった。

努力しなかったわけじゃない。むしろ努力人一倍した。同級生たちが数時間で覚えるものを私は数日かけて覚えた。

そうやって同級生たちに追いつかないと、私は自分頭が悪いことを自覚してしまう。それだけは嫌だった。とにかく嫌だった。

なぜなら私は医者になりたかったのだ。今となればなぜそう思ったのかはわからないが、女医だった母親に影響されていることは間違いない。

父親のことは何も話さなかったが、女手一つで私を育ててくれた。その背中に憧れた。そして(最近の話だが)早いうちに亡くなってしまった。

そうした生活を続けていくうちに高校進学では中々上位の進学校入学することができた。しか問題はそこから始まった。 

全く授業が理解できなかったのだ。

中学生ときは一日の全てを注ぎ込めばなんとか授業についていけたし、高校でもそのままで大丈夫だと思っていたのだが、それは完全に見当違いだった。

必要とされる前提知識の量と進行の速さについていこうと必死になったが、起きている時間だけでは足りないほどに暗記の必要量が増え、それは雪だるま式に膨れ上がっていった。

2年生になる頃には完全に置き去りになった。先生などにも積極的に教えを乞うた。しか最初は親切に教えてくれるのだが、何度も何度も同じことを聞いてきたり、全く要領を得ない私の姿を見て誰もが呆れた。

ここらでやっと私は気づいた。わたし根本的に頭が悪いらしいと。

その後も頑張って食らいついてみたものの、諸事情(母の死、親戚の不幸)などから私は卒業を待たずに働く選択肢を与えれた。

助成金などでそのまま高校に通うことは可能だったが、現在単位状況や成績から見て医学部進学はおろか大学進学すら怪しいという事実をみて私は高校を辞めた。

その後は2年ほど職を転々としたが当時の人手不足の波の中でも私の物覚えの悪さは抜群に発揮され、ろくに稼ぐことなどできなかった。

たどり着いた先は性風俗だった。

こう書くと頭の悪い=性風俗だと思われるが、そんなことはないと釘を刺しておきたい。(私がいうのもアレだが)

性風俗でも物覚えの良さは必要だし、細かいことを要求されることも多い。最初は全くの失敗続きで店を転々としたりもしたが努力と暗記でなんとかし、また優しい友人などにも支えられてやっと安定した。

しかし、それでも私は医者を諦めきれなかった。

中退しておいて何をいうのかと思う方もいるだろうし私もそう思うのだが、やっぱり諦め切れないのだ。

からはいまでも本気で勉強をしている。側から見たらなんて低レベル勉強法なんだ、と思うだろう。しかし私にはこれしかない。これしかできない。

やっぱり私は頭がとことん悪いのだと思う。

この先がんばっても医者になれる確率は少ないと思うし、努力無駄に終わる可能性が高い。

それにいちばん問題は、いったい何処の誰が金をもらってちんこをしゃぶっていた女に診てもらいたいと思うのだろうか。医者になってもらいたいと思うわけがない。

ある日私の客の中に医者がいて、私はつい嬉しくなってこのコンプレックスを打ち明けた。医者はうんうんと話を聞いていたが、言いにくそうに「努力は認めるが」という前置きをした上で

医療資源を育てるのにも効率性が重要からね……」

と言った。

要はお前のようなやつを育てるぐらいならそこらへんのもっと頭のいいやつを育てたほうが効率がいいということだ。まさにその通りだと思う。本当にぐうの音までないほどの正論だ。

でも私は諦められない。

から私は頭が悪い。全てにおいて頭が悪い。だからこそ医者になることを諦められないのだと思う。

2020-04-24

文科省学生支援すらまともにしてなかったのか…

食費200円の生活 コロナ学生困窮、消えたバイト代

https://www.asahi.com/articles/ASN4R6G7KN4PUTIL05J.html

新型コロナ受け大学生ら13人に1人が退学検討学生団体調査

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3963060.html

うわぁ…。

コロナ禍で幾ら学校休校していても学生なんてモロに資金面で直撃する事が判り切っていたのに文科省何も支援してなかったのね…。

こんなもの言われるまでもなく当然しているものだと思うので逆に驚きだよ。

特に私学は高校でも大学でも学費が高いからね。

そもそも麻生大臣が今だ企業粗利補償等の必要支援すらせず、やっと賃料の話し合いをする段階に入った程度なので当然と言えば当然かもしれないけどさ。

当たり前だけどコロナ禍で収入が無くなれば当然子供にも影響が出るよ。

オンライン授業と言い、世間から騒がれないとあの人達本当に何もしないのね…。

文科省文化庁著作権やら知財やらこのコロナ禍に関係ない事を言っているくらいなら、まずは学生支援等このコロナ禍で必要対策に注力すべきだし、その他の事は本気で凍結して取り組むべきだよ。

ただでさえ、このコロナ禍で問題が山積みだし、今まで殆ど対策らしい対策をまともにしていないせいで、更に問題雪だるま式に膨れ上がっているのだから

しかしこう言うのをみても緊急事態宣言を出した方である政府やら行政やらが一番危機感がないのだなと実感させられるね。

2020-04-04

失ったものの大きさに気づく

今日も何もできなかった。昨日も、一昨日も、先週も、先々週も。

部屋は乱雑に散らかり、湿った匂いを振りまく。堆積する洗濯物と本。傍らにあるピアノは、厚い埃に覆われている。

風呂に入るのが途方もなく億劫に感じる。食後の歯磨きをする腰が重い。それだけじゃない。出歩かない日に着替えをしないのはもともとだけど、爪も伸びるままだし、日課の朝洗顔おざなりになったし、ある日目についた眉毛は気づいてから2週間そのままだ。

やらなきゃいけないことはたくさんあるし、やりたいことはそれに輪をかけてたくさんある。先方へのメールアポ取り、日課ピアノ練習、チームの作業TOEIC勉強、部屋の掃除勉強ならプログラミングもやらなきゃいけないし、他に溜めている仕事もある。全て進行していない。現状を鑑みてできないはずがなく、単純にサボっているだけとしか言いようがない。毎日惰眠を貪り、空いた時間起きることもなくゴロゴロし、ギリギリ体が動くとき思い出したように少しゲームをして、ただ夜が更けるのを待ち、空が白み始めた頃になって、今日も何もできなかったという後悔・自己嫌悪とともに眠りにつく。そんな毎日を過ごしている。どう考えてもサボっている。

そう。できないのではない。やる気になれない。もはや自分が頑張ることに意義を感じない。今の頑張りが明日につながるようには、到底思えない。今頑張ることは、明日含み損を減らしこそすれ、すでに抱え込んだ大赤字を解消してくれるわけではない。雪だるま式に増える借金の、無限に膨らみ続ける利息に押し潰される人生しか思えない。

誰も助けてくれない。おそらく、自分明日を気にしてくれる酔狂はどこにもいないのだろう。自分過去に目をかけてくれた人もほとんどいないから。私はこの数年間、日々硬直と停滞が進む体と神経に抗いながら、ボロボロになっていく心を誤魔化しながら、それでもできる範囲で実績を積み上げてきた。だとしてもそういうことなら、その実績はハリボテだし、ひいては自らの人生も廃棄寸前の見切り品しかなかったということだろう。そうではないと言える証拠は乏しいが、そうであると言える状況はいくらでもある。

どうしてこうなってしまったんだろう。どこかで道を間違えたことは分かっているが、どこかを修正してもこうなる未来から逃れられない気がする。

こんな状況だから……というわけでもないが、『恋する小惑星』というアニメを観た。『恋する小惑星』に登場するキャラクターたちは、与えられた問題に対して先送り的な解決法を見出しているシーンがいくつかあったように見受けられた。

正直、はっとさせられた。誰に限った話でもない、みんな明日に対する無力感は持っているし、それを根本的に解決する力を持っていない人だっている。でも、自分の周りにいる誰かが受け入れてくれるなら、明日意味生まれる。明日に何かあるなら、今日頑張れる。関係によって、問題をうやむやにしてしまうことで、多くの人は救われる。私にも、そのような光景があったならば。

いや、違う。私にも確かにあったのだ。単に選ばなかっただけで。選ばぬことを選んでいるうちに、一向に姿を見せぬ青い鳥を探し求めているうちに、褒め言葉や励ましは全ておべんちゃらに聞こえるようになり、損得勘定によって物事判断するようになり、快晴の空に思いを馳せる心の余裕が追いやられ、やがて慈しみの関係絶滅したのだ。それからのことは、語るに及ばず。私は、自分の逃した魚がどれほど大物だったかを、この段になって初めて悟った。

しかし。だからといって、だからといってどうすればいいのだ。もはや人と話していても言葉が通じている感触がない。失われた関係も、捨て去った機微も、粉々に崩れたパーソナリティも、もう戻っては来ない。軌道修正するにも、燃料の残量は少ない。気づいたところで、目の前にそびえる借金が消えてなくなるわけではない。

価値のない人間の行動に、価値は見出されない。価値のない人間言葉は、空虚のものだ。価値のない人間との関係は、価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない

詰んだ。来ないかもしれないかもしれない明日に、望みをかけて耐え続けることに何の意味があろうか。どうして誰かの代わりにもなれない欠陥品なのに生きていかなきゃいけないのだろう。これから何年、督促状でできた蟻地獄に耐え続けることになるのだろう。

存在しないと分かってもなお、私は銀の弾丸を探し続ける。生きている感覚がない。きっと4割位死んでいる。

2020-02-13

ひろゆきvsツイフェミ所感

結局、理性と感情のぶつかり合いだね。

もちろん、理性:ひろゆき感情:ツイフェミ

役所病院、店や駅なんかでたまに見るでしょ?

ジジイが大声でキレ散らかしてて、担当者

規則ですから対応できません。」って

冷徹対応してるシーンを。

ま、ジジイの言い分も分かるっちゃ分かるけどさ、

ってことも往々にしてあるんだけど、

そのアプローチじゃ誰も従わねえだろ、

っていうね。

後者感情任せに論理展開してくわけ。

からどんどんエスカレートして極論になる。

そして雪だるま式矛盾が膨らんでいく。

で、最後最後には怒り始めた要因なんか

忘れちまって、ただ怒りたいだけになる。

いくら主張に筋が通ってても外野には、

「あぁ、変なのが騒いでる。担当者可哀想。」

ってな感じで映ってるのよね。

この時点でジジイの主張がいくらしかろうが終了。

ツイフェミは主張を的確に言語化できる知能と

すぐに癇癪を起こさない最低限度の冷静さを

兼ね備えた奴を旗降り役に据えた方がええぞ。

でも、それぐらい賢い女はツイフェミなんぞに

傾倒しないんだよなぁ。難しいね

2020-01-28

弊社の御局様

ヘイトが溜まりすぎたので吐き出す。

弊社には御局様がいる。それも複数だ。

ハンドクリーム匂いが気に食わないだの、メール文章が気に食わないだのと文句をつける御局様達。

その中の一人と1日やり取りをしたら「あ、俺ってこんなに人のことを嫌いになれるんだ」と思うくらいヘイトが溜まった。

この御局様、自分が把握していないことは「知らない!なんで勝手にやるの!?」。からまり、「こういうやり方じゃないと変だよ!」「なんでそんなにに時間がかかるの!?」「なんで言った通りにやってくれないの!?」とところ構わず噛み付いてくる。

当たり前だけど、依頼された案件証拠が残るようにメールに残してるんだけど、メールで1通返信すると3通返ってくる。そして当初の依頼から雪だるま式に依頼が増え、変化していく。情報を整理して確認を取ると理解できないらしく席に来て説明を求められる(弊社は基本的に依頼内容の確認などを口頭で行う場合さきにアジェンダを書いたミーティングコールを入れるのが慣例となっている)。

俺もこの人の依頼だけが仕事じゃない。朝のうちにチケット確認して予定表に大まかなスケジュールを入れて管理している。

だというのに彼女は俺の席に来るなり喧嘩腰で不満をぶちまける。

それが正当な内容だったら俺も場を設けて謝罪するとかするけど、その内容は「私聞いてないんだけど!!」。いやそれはお前の上司から情報共有の問題だろ?

更に「なんで増田くんのところで今回依頼の案件の全容を理解してないの!?」とキレられたんだが、この御局様、もともと俺のいるチームに在籍してて、まさに俺がやってるような仕事をしてたんだよ。俺は彼女よりも社歴は短いし、そもそもこの業務について何も資料が残っていないところから、体系建てて整理している最中。今回御局がキレてんのも「そもそもお前が管理してなかったからだろ?」としか言いようがない。

さらに言えば御局様は別チームに追いやられたあと、エスカレーションルールを守らないまま新しいものを作っていたので、勿論俺含め、うちのチームは御局依頼の案件の全容理解は難しい。

だというのにこのキレ方。もう「すげー」しか言葉が出ない。

とにかく噛み付いてくるので近寄りたくない、というのが仕事で関わってる人達の総意だと思う。少なくともうちのチームメンバーは誰も関わりたくないと思ってる。御局様の名前を出すとミーティングで溜息が漏れる。

仕事に対する熱意は尊敬するけど、自分で調べ事もできない、学ぶこともできないこの人が、一体どれくらいの等級で働いているのか。

面倒だからメールの返信をやめた。

明日朝イチで文句言いに来るんだろうな。

2020-01-08

Youtuberになって1ヵ月がたった

1ヵ月で増えたチャンネル登録者数は約100人前後

雪だるま式に増えていくとネットには書かれているが、その気配はあまりない。

いつになれば1000人に届くのやら…。

やったことと言えば実況用のマイク買ったことと、

サムネイルに凝るようになったくらい。

1000人目指している人、もう1000人到達した人、

何か他にやった方が良い工夫点とかあったら教えてほしい。

2019-10-25

なろうで書いてて思ったこ

ここんとこなろうでちょっとプチバズってて、で、自分ブログやってた経験もあるので、両者の違いがかなりおもしろい。データは持ってないので、印象だけの話です。

自分ブログやってたころは、SNSから流入がまだそれほどでもない時代で、要はバズるにしても炎上するにしても、瞬発力みたいなのはさほどなかった。最大の新規流入窓口はホッテントリ。あと、当時はまだまなめさんとことか、カトゆーさんのとこが健在だったけど、ニュースサイトから流入は、新規流入というよりは「それぞれのニュースサイトが抱えてる母数のアクセスのうちの一部が来る」という感じだった。

ホッテントリにしても、たぶん現在よりもはてなのものが抱えてるアクセスの母数ってのが小さかったはずで、トップ画面に居座っても日で2万くらいだった気がする。このへんちょっと記憶曖昧

で、なろうなんだが、とにかくなろう本体の母数がバカでけえ印象がある。日間ランキングの上位に入ると、数千のアクセスが来る(たぶんこのへんは話数の多さと、ブックマークの数によってかなり変化が大きいはず)んだが、おもしろいのは、数日ランキングに居座ると、そのぶんだけ雪だるま式アクセスが増えていくことだ。

これがなにを意味するかというと、固定のアクセスを抱えたままで、連日新規の人が流入しているということだと思う。なろうでは話数別のアクセスが見れる。推測になるけど、大雑把にいうと、最新話のアクセスが、新規流入+固定客、1話のアクセスが「読んでやろう」という気になった新規の人の数、そんで中間の話のアクセス数が「新しく入ってきて全部読んだ人の数」ということになると思う。で、その中間の話のアクセスが連日徐々に増えていく。次から次へと新規流入の人が増え続けているということだ。こういう現象は、ブログではまず見られない。

理由としては、なろうというサイトが抱えてるアクセスの母数が膨大で、それらの人々が常に新しいものを探して動き回っている、ということしか考えられない。

もちろん、ブログ小説という性質の違いはある。

ブログは、なんらかのジャンルに特化したものでない限り、原則的にバズった記事とそのほかの記事の関連性が薄い。極端にいえば「書いた人が同じ」という以上の関連性はない。小説は、連載の場合、気になった人はとうぜんほかの話も読む。

しかしあのなろうってサイトおもしろい。なんていうのか、運営仕事してる感じがすごく強い。

正直にいって、サイト設計やら使い勝手という点でいえば、ものすごい癖が強い。自分は基本ずっとはてな活動していてそれで慣れている。で、ほかのブログサービスを利用しても、そのノウハウというのは原則として流用できる。

なろうではその経験がまったく通用しない。なろうを利用する前、カクヨムちょっと使ってみたんだけど、そっちは抵抗なく使えた。しかしなろうは厳しい。最初はわけがからなかった。

しかし、慣れてくると使い勝手がいい。「ここでこういう機能が欲しい」と思うと、たいていある。どこにあるんだかよくわからなかったりするが、ある。そしてわかりづらいところは、その場所からそんなにクリック数の離れていない場所ヘルプを見れる。

これなにかっていうと「要望に応じてやれることはひととおりやってきた」ということなんだと思う。

あと最後に。

なろうってサイトがほんとにやばいのって、更新するだけで確実に30とか40のアクセス保証されてるってことだと思う。自分はあらすじ大量に書いたり、タグたくさんつけたりっていうのが苦手っていうか面倒なタイプで、そのへん雑極まりない自覚があるんだけど、それでも、更新すればだれかはかならず来る。ブログゼロから始めた人が、不特定の数十のアクセスを得るのってほんとうに大変なこと。それがナチュラルに実現できてる環境ってのは、凄まじい。

とにかく、ここでは常に人が動いている。

数は力なり、ですなあ……。

2019-08-30

anond:20190830105127

2019-08-27

■”聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された自分も同

2019-08-27

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

2019-04-07

42歳ロスジェネ。3度目のメンタル休職借金600万。安楽死したい。

・1回目

新卒ブラック企業入社パワハラうつ病に。休職退職

・2回目

最初会社うつ病治療で服用していた新薬副作用で体調悪化精神科病院入院

休職退職

・3回目

1年は問題無く勤務できていたが、異動人事で繁忙部署へ。過労でダウン。休職に。

転職引越を繰り返し、現在借金在600万。

転職すると基本初年度は賞与ゼロになるから年収が大幅に下がり、借金雪だるま式に膨れ上がっていった。

医療費もずっと俺の財政を圧迫してきた。

本当は自己破産民事再生したいけど、近い将来復活するだろう破産者マップが俺を邪魔する。

復職しても転職しても破産者マップが再開したら、俺は解雇されるだろう。

誰かが言ってた。

氷河期世代には経済的安楽死を認めさせれば、日本の抱える問題解決する。」と。

現時点でも破綻してるし、仮に破産しても将来年金が無くなる訳だし、

一刻も早く安楽死を認めて欲しい。

2019-04-05

OKRの奴隷

あのGoogle採用したとかいうOKRとかい目標設定フレームワーク仕事してんだけどおそろしくつまらなくて面倒くさい。

というかやりたいことが全く出来なくていらいらするだけ。

現場で困っていたり苦しんでいたりする、ツールの改修とか開発環境改善とかは、「それOKRに関係あるの?」って自問自答するとアッハイみたいな感じですすっと消えるんよね。(こじつけ関係あると言えなくもないけどそんなの欺瞞だよって思う)

それによって非効率ストレスフルな環境我慢して使い続けることになる。正直くそだるい

OKRの目標値って結局売り上げだから、それに沿った改善ってやつを目指すと結局お客様第一、というより売り上げに直接関係ないもの我慢しろみたいな感じにしかならなくて日々の業務がつらい。

自主的お客様忖度しているウォーターフォールみたいだ。いっそウォーターフォールで指示出せよ。

思うに、OKRとは全く関係がなくても、現場目線で困っていることを改善したりとか、現場目線でやりたいことをやる裁量みたいなもの現場にないと、やらされている感じだけしかしないんじゃないだろうか。

本来基本的な足回りを改善していくことは地道にパフォーマンスがあがって、結果的にはお客さんに届けられる価値雪だるま式に増えていくと思うのだけど、ひとつひとつ改善案を「それOKRに関係あるの?」って言われるとなんかもうバタフライエフェクトなみに説明がめんどくさくなってアッハイカンケイナイデスヤメテオキマスっていうほうが楽になるの。メモリ4GBじゃ駄目な理由説明するようなものに近い。

やはりウォーターフォールが良い。あれの欠点最初皮算用説得力ありすぎて期日が延びないことだけだ。そこさえ調整が利けば明瞭で良い。

2019-01-07

大手メーカー退職した

先日、院卒で新卒入社した会社退職した。

10年くらい勤めたメーカーだが、最近2年くらいはずっと転職が頭に浮かぶような状況で過ごしていた。

理由複数あるが、主に長時間労働待遇への不満。

管理職でもないし当然管理権限もないのに裁量労働制というただ待遇が悪くなっただけの制度同意しないといけない。

しかしいつまで経っても周囲含めて80h超/月の残業続き、深夜の呼び出し、休日出勤は当然。

上司からは散々怒鳴られて業績も待遇も上がらない。

業務は増えるのに人は増えない。

異動・転勤の頻度も高く家庭環境にとって辛いことばかり。

そして最近は業績が悪化

これはもう無理と思い転職活動を始め他メーカーから内定をもらった。

またメーカーかよ!って思うかもしれないが、ジャンルは違うしメーカー技術やってるとメーカー以外では年収も上がらないものだ。

大学院の専攻から専門分野はまあまあ合致していたものの、

元々内定時点でいまいちピンと来ない会社だなと思っていたし

研修は頭おかしくなるようなブラック企業的内容で

会社員ってこんな酷い生活するんだなと思ってた。

とはいえ、私の配属先では予想外に雰囲気はよく技術的にもおもしろい内容もあって

怒られても進歩の実感もありそれなりに生きていけそうだなと感じた。

ただ、入社同期の話はなかなか酷い話が増えてきた。

ブラック企業を絵に描いたような話が社内で多発していることを知った。

残業代は月20時間までとか工場を見る人たちは揃って長時間労働・深夜呼び出し・休日出勤の話。

そしてちょくちょく精神が病む人、辞めていく人が出てきた。

そして私も例に漏れず、配属先の日々も呆気なく終わりあっさり転勤。

そこから私も工場側へと変わった。そこからは同期の話が自分に降りかかることになった。

工場現場技術的な仕事をしたが、工場24時間稼働なので当然トラブルはいつ発生するかわからない。

なので何時だろうが現場で何かあると電話が来る。

現場人間責任持てないから、とすぐ大卒以上の人たちへ電話をかける。

電話だけで済むこともあるがそうなるわけもなく結局出社がザラ。

家にいる子どもが小さいのにこんな労働環境でやっていけるわけがないと思い心が折れた。

しろ続けている人がおかしいのでは?とまで思った。

家と会社が少し離れており電車通勤をしていたが

そういった労働環境を想定せず家を選んでいた。

そのせいで上司から

「お前工場近くに引っ越せよ。自腹で」

と脅しのようなことを言われた。結局引っ越さなかったけど。

やれる範囲でやっていこうと思うこともあったが仕事以外何もできないような状況になり始め

私があまりにいないぶん妻へ育児の辛さが集中するなど自分以外への影響が大きくなった。

私も私で子どもの見れるときはだいたい寝顔と夜泣き身体おかしくなるかと思った。

でも上司含めた会社側は各家庭は無視し続けるように仕事しろというスタンス

理由は「今までみんなそうやってきたから」ということで、法律無視

家庭を捨ててまで労働に勤しめってそんな人生大丈夫か?

と思い、退職以外ないと決意した。

一応最近働き方改革の名の下、本社通達改善しようと展開が始まったが

実際は単に声掛けしているだけであとは勤務時間管理(PCの電源ON時間)の入力で過小申請してその場凌ぎの途中。

その流れに逆らう話で、世間検査不正の影響を受け不正がないよう各部署のチェック項目や管理フロー雪だるま式に増えていき実態としては労働時間が増えるというおかしな状況に。

今まで適当だった(不正とまではいえないが正確な検査になってないとか管理体制がザルだったりとか)ツケが今の現場に回ってきているのだが、上司らはお前ら頑張れみたいな態度。いやいや君たち偉そうなこと言えないでしょって話。

あとは、意識高い系の言い方をするとキャリアパスとして成長を感じられない。

全然技術的な業務でもないし、あまり頭使わないような業務が多く自分進歩が何も感じられなかった。

工場でやることも限られているし、外との接触もあまりなく閉鎖的。会社最適化された人間しかなれないと思った。

当然、「この会社がなくなったときどうするの?」と不安にもなる。

加えて、周囲の管理職の人たちを見ててもああなりたいとか尊敬できる人が本当に一人もいない。

もう少しまともな人がいないの?って思う。最初の配属時はもう少しマシな人がいたはずだが、そういう人に限って辞めていく。

ここまで書いてアレだが。

この会社知名度もそこそこある大規模なメーカーのはずなのだがなぜだか社会から労働に関して御咎めがないのが不思議

一方、若手の退職は増えるばかりで同期に限らず自分より若い人が続々と辞めている。

ついでに中途で入社した人も1年足らずで辞めたりする。

社内でも

「どこのメーカーも似たようなもの

と言われたりもするが、そうだとしても今の業務は二度とやりたくないのは変わらないしそれは結局自分で確かめたい。

しかしまあ同じなのが本当だとしたらメーカー含め日本で働くことすらダメなのかもしれない。

ダメなら英語もそれなりにやれるので、最後海外に出ることも考える。

イマイチ何を伝えるべきかわからない文章になったが、院卒メーカー就職ってこんなんばっかなの?と思い吐露してしまった。

2018-12-19

ブラック精神医療といって、精神科を叩く奴らへ

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58808

(亡くなられた方へのご冥福をお祈りします

そもそも精神科医療と言えよ)

なんていうかさ、親が体調を崩したら、面倒を看ることが難しいレベルの方がいてさ。

たとえば60床あって、夜勤スタッフは2人。

そういう中で「自分のペースでやらないとイライラして怒鳴る患者が2人いる」とするじゃん?

そうなるとさ、今の精神科医療の体制では無理なんだよ。

個別対応なんかできないよ。

今の精神科医療の現状だと、家族が身を犠牲にして近所に迷惑をかけないようにするか、集団の中でなんとかやれるように鎮静をかけるという、二択を迫られることが多いんだよ。

こういう現状なんだよ。

知的施設とかびっくりするくらいの入所者待ちなんだよ。

悔しいよ。

だって、俺も身内に障害者がいるんだ。

本当は、彼をなんとかしようと思って医療に携わったんだ。

でも、今のままだと、どうしょうもないんだ。

地域でも大声を出して暴れる人は受け入れられない。

お前らだって、隣で騒いでる人が住んでたら通報するだろ?

俺はされたよ。

「弟さんといつも仲良くていいね大事にするんだよ」とか無責任にニヤニヤしながら俺に言っていた近所のおばさんにね。

もちろん、薬は鎮静だけでなく副作用も出る。

病院ではかえって状況は悪化する。

集団の中では行動制限せざるを得ない。

鎮静も強くなる。というか、そもそも薬物療法解決する話じゃない。

でも、家族だって、面倒みれない。

というか、これまでの日本社会家族責任押し付けすぎたんだよ。

精神障害を持つ人の家族研究だって、ここ数年でようやく手がついたくらい。

精神障害発達障害を持つ子ども介護をしている親がいなくなって、あるいはどちらかが体調を崩して、本人も具合が悪くなるなんてのは、本当によくあるんだ。

ウチもそうだった。

親が具合悪くなって、問題雪だるま式に大きくなったよ。

きっと、これからもっと増えるよ。

それに今は認知症も増えてて、他害がある場合には現状の枠組みだと精神科病院が受け皿にならざるを得ないことも多い。

精神科救急だって地域によっては高齢者ばかりだよ?

この記事だけをみて、一方的病院を叩いている人は精神科特例って知ってる?

精神科は他科と比べて、人員が少なくてもいいよ、って、決まってんの。

病院への悪意満載のこの記事だけをみて、

病院はクソ!」

「薬は金儲け!鎮静はかけるな!」

患者の大切なものは常に肌身離さずもたせろ!」

絶対に施錠はするな!」

それは、単なる思考停止じゃない?

じゃあ、人員を、増やすために今の何倍も医療費を出せるの?無理でしょ?

こういうことを書くと「精神病院がなくなった国もある」と反論されたりもするけど、イタリアだって、北と南で全然違うし、精神科慢性期病棟にあたるようなナーシングホームもいっぱいあるよ。

このケースはさ、IC手続き目標設定、情報共有に問題があったんでしょ?

面会禁止とか、隔離とかどういう手続きで行われてたのか、そこがないと何も分かんなくない?

そこは履き違えちゃダメじゃね?

得意げに「だろう」と憶測で書いてあることもいっぱいあるのは、みなさんもわかると思うんですが…

こういう記事は、あるいは、ますます現実から目を背けることにならないだろうか。

センセーショナル表現に引っ張られてはいけないと思う。

あとさ、それでも、俺は日本精神科医療を諦めてはいないよ。

病院はクソだ」とか言わずに、1つ1つのケースに俺が出来る範囲で取り組みながら論文を書くよ。

患者と一緒にリカバリーフォーラムにいくよ。

病院だけを悪者にしても、何も変わらないよ。

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

2018-10-29

anond:20181029192322

それが手ぬるいって言ってんの。もう版権元を巻き込んでもっと雪だるま式にジャブジャブに儲けるべきなんだよ。作品当たりアンソロ本三冊出してお茶濁してるのやめろって。

2018-06-24

[] 某宗教団体元幹部が3億円稼いだ話

宗教問題について調査してたら、興味深いことが書いてあったのでメモ

 

宗教団体・元幹部の本

 

購入方法について、著者のブログで案内があった。

◆Amazonで購入される場合中古を買ってください、新品と同じものです

アマゾン価格を値上げしてます。新品で出品するのに、アマゾンからは1冊ずつしか発送依頼がないのですが、その発送方法指定他で、発送費が1000円近くかかります馬鹿らしいので、新品は売れなくてもいいと判断しました。アマゾン中古で、新品同様の商品を出品できるように依頼していますので、そちらは旧価格のままです。

要するに、アマゾンに一冊ずつ新品を納品したくないための価格改定です。中古でも同じものを出してますので、アマゾン経由で購入希望の方は、中古を買って下さい。

Amazonのボッタクリが暴露されてた。

 

不動産投資で3億円の資産形成

何気なく、他のブログ記事も見てみたら…

小生「自営で最強なのは不動産業やで、大家業。ワシ資産3億あるんやで、毎月家賃500万入ってくるんやで。」

 

高卒から不動産投資を始めれば、小生の年齢までに3億貯まることになる。

家賃を貰ってそのまま再投資する不動産投資では、このように雪だるま式資産が増えていく。

10年前にオウムを辞めた小生は、女房虎の子1000万を元にこのようなやり方で資産を増やして来た。

世間一般エリートコースを離れ、尚且つ元オウムというマイナスの経歴を背負った小生でも、不動産投資という手法では金銭面では十二分にリカバリーできたということになる。

エリートコースに乗れなかったあなたも、真面目に不動産投資を頑張れば、今からでも遅くないと思われ。

リースバック事業資金について、お金の出どころを問題視される方がいらっしゃるようなのでコメント

 

まず私には、オウムアレフ時代から親しい関係にある女性がいます。その女性は元出家者ですが、アレフ時代には、類まれなことに一部上場企業就職して年収500万程得ていました。それ以前にも彼女は教団関連事業に携わり、個人給与として累積で1000万近く給与を得ていました。

私はアレフ以前から資金管理者の立場でもありましたので、彼女の金をリースバック事業等に使いました。それがみどりの家族計画にある原資です。それを原資として、例えば200万で物件を買い、利回り66%で回し、その収益物件を600万で売り抜けるという感じで資産を増やしています

上記内容については、滝本弁護士他、オウム真理教犯罪被害者支援機構側の弁護士にも説明しております

 

結論

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ようこそ ゲスト さん