ふとしたときに思い出し, ずっと忘れることができないので, ここに吐き出す.
彼女と一乗寺にある自分の下宿に帰ろうとしていたとき, 目の前で小学生とヤクザのケンカが始まった.
小学生5, 6人が道の真ん中を歩いていて, 自転車に乗っていたヤクザ (と若めのお付きのヤクザ, こっちは徒歩) の進路を邪魔して怒鳴られてた.
そこで頭下げて避けとけばいいのに, 正義感が強いのかプライドが高いのか, 女の子が1人反論してた.
当然, そんなとこで折れるヤクザではないので後はグダグダな言い合いが続いていった.
周囲の家から大人達が顔を出したけど, 特に関わるわけではなく引っ込んでいった.
自分も何か義務感とか正義感みたいなものが動いたのかもしれない.
彼女を先に下宿に入っているように言って, そのケンカの仲裁することを決めた.
とは言っても自分が真っ向から向かっていってどうこうできる相手ではない.
まず警察を電話で呼ぶ, 小学生グループにいた男の子2人が背伸びした決意で
ヤクザの近くに歩いていこうとするのを止める (これはちょっと記憶があいまい),
気の強い女の子がヤクザと2人だけになりそうなところに顔を出して変なことされてないか確認する,
そんな対処を内心ビビりながらもしているうちに警察が来て, ヤクザを収めてくれた.
ヤクザも無駄に警察と争うつもりはないだろし, ヤクザの相手は警察は慣れてるだろし,
その目論見が当たって無事解決して良かった.
心残りなのは, 男の子2人に「蛮勇はダメ」という話をできなかったこと,
怒りと悔しさで最後半泣きになりながらわめいていた女の子にきちんと声を掛けてやれなかったこと,
女の子は口論の途中で父親のことを侮辱されたらしく, かなり怒り狂っていた.
正義感と高いプライドを撒き散らしていて, 本人は自分は正しいと思っているようだったが, 傍目にはすごく危うい性格だと感じた.
自分自身を危ない状況へ送り込むだけじゃなく, すごく強い正義感で誰かを傷付けてしまうのではないか. そう感じた.
そんな彼女を見守っていって欲しい, というのをそのグループにお願いしなかったのも心残り.
連絡先くらい教えれば良かった.
どんな人になっているのだろう.
あのときのことは覚えているのだろうか.
あの時どんなことを思って, あの後どんな風に事件のことを受け止めたのだろう.
もう今の自分からは遥か遠いところのことで, 知る由も無いのだけれど, 何故だか時折ふと頭に浮かんでくる.
【追記・2015/08/03】
確かに仲裁ではないので「ケンカの仲裁をした」→「ケンカに遭遇した」にしとく.
「ちくわ大明神」とは?
嘆くでもなく、嗤うでもなく。
先日ニュースになった若いボカロPは本当に天才だと思っていた。いや、思っている。
なんせ死んだというニュースを知った時もその人の動画がランキングに上がっているタイミングで目に入ったからだった。
「あぁーこの絵ならこの人また絵も描いたな、マジすげぇなぁ若ぇのに」なんて思いながら動画を再生したら「ご冥福をお祈りします」の文字が何列も何列も並んでいた。
正直、今でも動揺している。動揺していても平然を装うとしている。だから的確な言葉が出ない。あぁ言葉が出ないのは元からか。
まぁ、残されたやつらは彼の音楽、映像、それら全て相まって作られた表現をもう一度見つめねばなるまいか。
でも老いてわかってきたことがある。断たれても進まなければならない。少なくとも自分だけは。見つめてきたものたちは。
大人でも子供でもクソッタレはクソッタレなんだ。生きても死んでもクソッタレ。
だから、意地でも生きるべきなんだ。どうせクソッタレなんだから。
そして、どうにも理解できてないクソガキに告げてやる。
大人は大きくなった子供でしかないんだよ。だから、魅力がなくなったんじゃなくて、お前の感性が違う方向に向いただけなんだよ。それだけをお前が理解すべきなんだ。他人に着せられる服じゃないよその言葉は。
ともあれ天才は死んだ。本当に死んだらしい。俺の中ではピカソに近いかも知れん。それぐらい天才だと思っていた。もっと恐ろしいものを作るとも思っていた。
この終わり方は余りにもつらい。この未来はあまりにも暗い。そんなことはない。むしろ眩しいくらい。見えないくらい。
でも君のいる暗がりはきっと安らかに君を包み込んでくれるだろう。でもこのまぶしい世界はくれてやらない。ずっとそこで眠っているがいい。おやすみなさい。お疲れ様でした。ありがとうございました。そしてネットに作品を遺してしまったアンタが悪いんだからな。これからもよろしく。
http://tm2501.hatenablog.com/entry/20121123/1353602504
青二才の記事のコメント欄にあるドリーさんって村上春樹のAmazon書評で単著出した人?
ドリー
ドリーと申すものです。
TM2501さんは若いのにとてもクオリティの高い記事を書いていられるのでいつも感心しております。
ちょっと気になったことがあるので、2点質問してもいいでしょうか?
記事の内容に関することで興味を持ったのですが、「同人誌」というのはTM2501さんいとってどういうものなのでしょうか。
感想なんかいらないと書いていますが、いらないのならどうして売っているのか少し気になりました。自己満足なら他人に売る必要はないのでは・・・?
それともう一点。
水準の高いブログにもかかわらず、コメントが少ないのは意外でした。僕は趣味でブロガーをたくさん観察していて、
記事のクオリティとコメントが比例するのか、ということを今、検証しているのですが、TM2501さんのブログはアクセス数が多い割にコメントが比較的少ないように思われます。記事の反応をどこらへんで掴むのか。そこらへんのことも教えていただけたら幸いです。
それでは。
俺の年収1千万以上だけど、1千万未満の底辺って年収2、300万の差とか俺からしたらカスみたいな違いで王族か奴隷かを分けてんのねww超うけるww
潔く全部はてなブックマーク非表示にするちきりんもどうかと思うが
さすがに自分に都合の悪い記事や自分のtiwtterについたはてなブックマークコメントだけ非表示にするやつよりはマシだよなぁ?
今ではすっかりダサいやつになってしまったけどはてなアイドルとか言われてたころが懐かしい。
ちきりんはブログのブックマーク非表示にしてるんですよひどいと思いませんか僕ならそんなことは絶対しないってブログで喚いてた頃が懐かしい。
今じゃちきりんのPVやフォロワー数よりはるかに少ないのにブロック神拳を使い始めはてなブックマークも非表示、やツイ消しの回数も増えてきた。
しかも中途半端にアクセス欲しいから普段ははてなブックマーク残してるくせに、ツイッターでは僕はアクセスをはてなブックマークにはもう依存してないんですよといいはり、それでいてはてなブックマークを3つゲットしたのにホッテントリのらないだけで大騒ぎし、ミニマリストは優遇されててずるいとケチを付ける。嗚呼。
いちいち人間としての器が小さすぎて逆に小物会の大物って言われるのもよくわかる。
発端の「帰れよ」ツイートから、「そばアレルギーの人が蕎麦屋に行くな」という反応ばかりが数多く取り上げられまとめられている(実際、そう考える人の方が多いのかもしれない)。まとめやコメントの中には、この客の精神の異常や詐病までを疑っている人がいる。これだけ多くの人が、どうして平気でそういうことを言えてしまうのだろうと思う。
私は甲殻類アレルギーなのだが、症状はさして重くはなくて、誤ってひとくち食べてしまっても、せいぜい喉の内部のかゆみが数時間ほど続くぐらいだ(命に別状がないからといって、もちろんアレルギー反応がつらくないわけではない。喉の粘膜にごわごわとした毛がウジョウジョ生えてくるようなあの気持ち悪い感触を、どうしたら他人に伝えられるか、私には分からない)。でも「少しぐらい平気でしょ」と言って食べさせようとしてくる人には、「死ぬ人もいるんですよ」と説明するようにしている。飲食店に限らず、食べさせる側に立つ人には「死ぬ人もいる」ぐらいの認識をできれば持ってもらいたいと考えている。
でも、食べる側の権利についてはどうなのか。リスクがあっても選択がしたいと考える人はいるだろう。少なくとも私にはこうした考え全般が「何しに来たんだよ。帰れよ」で一蹴できるほど簡単な問題とは思えない。私は自分からシーフード専門の店に行くことはほとんど無いけれど、魚料理は基本的にだいたい好きだし、旅行なんかで周りの人に合わせて行くことはある。たまに、隠し味にエビが入っていたり、同じ鍋で調理していたりだかして、アレルギー反応が出るときもある。それでも私は、アレルギーが重くならない限りは、リスクのある側を取ることも数多くあるだろうし、それをあまり邪魔されたくないと考えるだろう。たとえば居酒屋でメニューをぱらぱらめくっているとき、シーフードの欄を丸ごとあきらめるか、食べられるものがあるか探すのでは、世界がまるで違って見えるのである。
「詐病だろう」「釣りだろう」派のコメントの中には、より重い症状の例を挙げて、そんなのは本当の蕎麦アレルギーではないと言う人がいる。本当のアレルギーとはなんだろう。いろいろ調べてみた挙句、そのままのエビはどうしても喉がやられるのだが、かっぱえびせんなら食べられることが判明した私は、本当の甲殻類アレルギーではないのだろうか。未だにカニカマからの類推で蟹の味を想像しているこの私が? あるいは彼らにとっては「本当に」そうなのかもしれない。務めている企業の不満を漏らしたら「そんなのは『本当の』ブラック企業ではない」と言ってくるような、不幸のトップランカーでなければ発言権を認めてくれない謎の審査員のような方々は、インターネットにいくらでもいらっしゃる。中途半端な不幸ほど認められにくいものはない。
アレルギー反応には個人差がある。私のようにごく軽い人もいれば、命に関わる人だっている。冒頭のまとめの人がどうだったのかは分からない。私は蕎麦アレルギーの個人差について何の知識もない。ツイートでは読み取れない部分で明らかに問題のある対応をしていたのかもしれない。蕎麦屋で「そばの入ってないものってありますか?」という質問をするのは、確かに店側の人にとっては迷惑だろうが(白杖を持った視覚障害者にも「迷惑だから外を出歩くな」と言えるのなら確かに主張は一貫しているが、私はそう言う人を軽蔑するだろう)、注文できる物の範囲が分からなければ選ぶこともできない。
「リスクがあっても選択がしたい」人の権利を、そもそもそんな権利を認めない人はいくらでもいるだろうが、上のtogetterまとめに発言を残している多くの人たちがどのような理屈で否定しているのか、私には今のところよく分かっていない。「迷惑だから見えないところにいてほしい」というだけの話かもしれない。しかし、口論の前後の文脈もよく分からないのに、「帰れよ」「おかしいのはお前の頭だ」と言い放つツイートが10,000近くRTされて、どうやらそれが笑い話として浸透しているらしいというのは、やはり不気味なことじゃないだろうか?
いくつかは納得のいく反応もあったことをつけ加えておく。
〈個々人のアレルギーの程度とか考慮しないで「死ぬ人もいる」なんて無意味なこと書いてる連中もなんだかな…。…無意味なだけならともかく、詐病の疑いかけ出すからね。この手合い。〉
http://b.hatena.ne.jp/entry/260771349/comment/yas-mal
〈私もそばアレルギーだけど蕎麦屋によってはうどんとかカツ丼とかそばが入ってないメニューもあるし、私のは比較的軽度なので「そばと同じ湯でゆでたうどん」は大丈夫(ダメな人もいる)なんで、蕎麦屋さんが「ない」って言うならしょうがないけど、あるんなら特段問題ない質問だと思うけどなー。 〉
金曜ロードショー、三週連続細田守作品放映を録画していたものをやっと見終わった。
そして何回観ても思う。
特におおかみこどもに関してはもう本当に価値観の合わなさに始終私は怒っていた。(でも観てたので結局嫌いではないのよ)
ま、これに関しては自分が姉で弟がいてという環境が大きく作用しているので本当に私的な怒りです。
結局母親は息子に、父親の姿(というより恋人としての彼)を重ねていたし、そういう点において多分娘よりも存在として重きをおいていたんだろうな。
でも息子(男)は、人間(日常)を去ることを選び、母(恋人、女性)はおおかみ(非日常)を選ばなかった。
この男は家庭や日常を顧みず出て行き、女は日常を選び家庭を守っていく。
ではどうあれば私が納得したのだろうと考えて、ラピュタだ。ジブリだ。
いつだって世界を守るために男たちの母親となり恋人となったことに多分細田守と変わりはないけれど、
だから雪も戦うべきだったのだ。
おおかみとなろうとする雨にか、自然にか、なんかよくわからん敵でもいい。
ドンペリ飲めない高級車買えない時計はロレックス以上は無理豪邸なんて一生不可能、買ったとしても35年ローン、頭が悪いから投資もビジネスもできない
そのくせ自分は社会の王侯貴族だと思い込んでフリーターや年収500万未満や、自分より学歴の高い自分より収入の低い人間を全員屑馬鹿と365日間罵ってる
生きてる価値なくね?こういう層 ただうるさいだけの屑