はてなキーワード: まいったとは
政治家が立法で官僚をコントロールできるなんてピュアすぎるわ。
自分が官僚だったらと想像してみ?自分は所属する組織の評価システムに従って仕事をしていて順調に評価されてる。財務省なら税収増や増税はキラー実績だ。そこに評価システムに反する政策や立法=たとえば減税案が出てきた。このままいったら自分は落ち目一直線。座して待つか。周りにはその政策に反対する政治家もいれば、評価システムをよく理解してる官僚の先輩が政治家に転身してたりもする。寝技に持ち込まない奴なんているか?
第1次安倍が追い込まれたのも第2次安倍が省庁の人事権掌握したのも官僚対策だろ。トランプが最高裁や省庁トップに息のかかったやつをねじ込もうとしてるのも反対派対策だろ。
いまいったこと全部嘘だぞ
駅ゲーム 実際に会場でやりたい
七不思議
喘息 腹の呼吸
脱力 交感神経
尻はかゆくならない
20から60のレンジだからこれワンチャン指標あがるんじゃないかな
58で離隔 60でしょーと 下限の20で離隔
・人生上手くいかない人間の成り上がり自己実現を応援する気持ち
こういうものが好きだったような気がするんだよね
だから既に成功した実績を持っている人間がテレビ的ノリで「プロ並みの歌とダンスとラップを披露します!」って言ってきても
あ、それは俺の求めるものじゃないですね
という気持ちになる
いや今までも歌やダンスを頑張っているVTuberはたくさんいたけど
あくまでVTuberとしてVTuberリスナーに向けて解釈した歌やダンスだったと思うんだよね
今はなんか「これがマジョリティが好むエンターテインメントやぞ!!どうだまいったか!!!」って押しつけられてるような気持ちになる
俺の視界に入らないどこか遠くでやってほしい
「入間市長選挙が過疎りすぎてヤバい件」という増田が16日の深夜に投稿され6ブクマされる
入間市長選にも共産推薦の候補者が出てきたんだけどさ、こいつが初めてSNSでアピール始めたんだわ。
人口14万3千人もいるはずなんだけど、共産候補を応援してる投稿してる奴なんて数人レベル。
https://anond.hatelabo.jp/20241016013400
↓
昼頃になって元増田とそのトラバをブクマしているのが新規垢ばかりという指摘が入る
お前。。。こんなことのためにアカウント作ったの?
b:id:tmdjtw_t 2024/10/16アカウント作成
b:id:twamxoav 2024/10/16アカウント作成
b:id:twdajwdj_jm 2024/10/16アカウント作成
b:id:kawpadg85 2024/10/16アカウント作成
b:id:v82486tmapkun 2024/10/16アカウント作成
b:id:tdwgdaw 2024/10/16アカウント作成
https://anond.hatelabo.jp/20241016113344
↓
指摘が入った後にブクマしていたアカウントが順番に消えていく(404になる)
↓
↓
いくつかのトラバも消える
https://megalodon.jp/2024-1016-1150-28/https://anond.hatelabo.jp:443/20241016013400
その発想は無かったwww
Twitterよりここの方が人集まってね?ww
若い女性に対する蔑みが今よりずっと強く、かつ一般的だった30~20年前に、彼女たちが初めて手にした「有効な言葉」が「キモい」だったんだよな。メディアが面白がって取り上げて、いい年したおっさんたちが「いやぁ~まいったなぁ~、おじさんキモいっていわれちゃうなぁ~^^」とか、効いてないアピールをし始めた。いままで女子供としてさげすまれて一顧だにされなかった人々が初めて手にした小さな言葉のナイフなんだよ。
しかしもう「キモい」の役割は終わってしまったんだよな。告発すべき問題があるなら具体的に主張する。深刻な問題だからこそ罵倒をSNSに書き込むのではなく冷静な口調で告発する。五ノ井さんは公の場で「幕僚長キモい」とか口走らないわけ。でもこれは誰でもできるわけじゃなくて、「キモい」で味わった初めての小さな勝利から一歩も前に進めなかった人たちもいるんだよな。しょうがないじゃん、人間の能力には凹凸があるもん。そういう人は幼稚な人とみなされて重要な地位には就けない、それが良識ある人々の下すべき判断でしょう。
「キモい」と言われていじめられた人の古傷がうずくからやめろなどという意見もあるが、賛同できない。「かっこいい」とか「かわいい」とか言われていじめられた人だっているだろ、言葉全部狩りつくす気か?
外は雨こそ降っていないものの、決して厚くはないが、かといって青空が見えることもない、なんともいえぬ量の雲が空を覆っていた。
夕方、洗濯物を取り込もうとベランダに出ると、沈みかけの夕日が雲の下から光を投げかけており、それを見てなんとなくうれしい気持ちになった。
その後、スーパーへ食料を買いに出かけた。道中、華道か何か、古風な芸事の教室をやっているらしい、大きなお宅の庭の木からニイニイゼミが鳴いているのが聞こえる。
ニイニイゼミはジィーーーというかイ゙ーーーというか、子音は濁音で、母音はIかなぁ、といった具合の高い声で鳴く。夏の一番初め、どのセミよりも早く出てくるセミだ。小さくてかわいいが、その分見つけづらい。
去年の確か6月の終わりごろ、仕事が終わって帰宅途中の夕方、通りがかった公園でその年最初のニイニイゼミの声を聞いて、おお夏が始まった、なんて思ったりした。
今年はというと、その声を聞くより先に暑さのほうがやってきてしまった。少し残念。
しかし7月前半だというのに暑すぎる。このままいったら8月なんかどうなってしまうのか。未だ熱中症というものを経験したことはないが、今年は一層気を付けていきたい。
語源に対して頓着がなさすぎるだろ。
俺としては淫夢由来の言葉を使うこと自体が人としての恥だと思うんだけど、平気で使うよね。
同性愛者差別と著作権違反が混ざりあった文化圏の表現なんて俺は口に出したくないんだけどなあ。
今使われている「ガバ」に当たる表現が他にないならともかく「荒い」「雑」「杜撰」「適当」「緩い」「拙い」「嘘(無自覚の)」といった表現がいくらでもあるなかであえて「ガバガバ」という意味があるのかと。
こういう話をすると「じゃあキリスト教徒は「利益」も「挨拶」も「旦那」も使えなくなりますねw」みたいに揚げ足取ってくるような奴がおるんやけど、そういうレベルの話ではないじゃん淫夢は。
たとえば歴史や文化の教科書に淫夢が載ることが今後あると思う?
25世紀の教科書に「インターネット初期の文化紹介」として「当時、ニコニコ動画では真夏の夜の淫夢シリーズを違法視聴してコメントを書き込むのが流行っていた」みたいに画像付きで紹介される可能性が0.0001%でもあると思うか?
ないだろ流石に?
だからやめろって。
誤読が多く見受けられるのでまずそこについて改めて整理させてもらう。
私は「物理的な緩さに対して使われる「ガバガバ」は淫夢発祥である」と言った覚えは全くない。
タイトルにも「(計画や見積もりの精度が極めて低いという意味で)」と書いているので、タイトルだけでもちゃんと読んでいればそうやって捉えることは全く無いと思うのだが・・・。
改めて言うが私が言及しいるのは「計算や計画における緩さ・杜撰さ」という意味での「ガバガバ」であって、物理的なものに対して「ガバガバ」というオノマトペがどのように使われているのという話はここでは一切していない。
本当に残念なことに、はてなーはついに「タイトルさえまともに読めない集団」に成り下がったと言わざるを得ないだろう。
はてなーのことだからシレっと消して知らんぷりしかねないので、一つだけ魚拓を取っておく。
当選おめでとう
ignio 青空文庫はこういうときに便利。大倉燁子の「恐怖の幻兵団員」(昭和25年)に「孔のまわりの羽目板はがばがばにゆるんでいる」という文がある。
「昔から使ってたぜ~~~ホラホラ~~~」とソースを撒き散らせばいいものを何一つソースを持ってこないで「昔から使ってたけど!」と言い張るだけ。
子どもの「皆持ってるもん!皆RTX4090使って生成AIで画像作りまくってバズってるもん!僕にも買って~~~皆持ってるんだからいいでしょ~~~」と何も変わらねーじゃん。
一人一つずつ他の人と被ってないものを持ってきて欲しいぐらいだけど、我こそはという数人が10個ぐらい持ってきてくれたら俺もアッサリ折れるよ。
ただし、もう一度言うけど「淫夢以前からあったもの」だからね。
たとえば最近出たオタク擁護辞典なんかが「元がホモネタだろうと流行ってるんだから入れちまうぜ!」と突っ込んできたのを「どうだ!辞書にも載ってるぞ!まいったか!」とかは辞めろよな。
それは「一部の恥知らずな辞書が語源関係なく新規用法を載せる乱暴なスタイルを取っている」というだけの話でしかないから。
はぁ・・・昔のインターネットにあったソース至上主義はどこにいったんだろうなあ・・・ノーソースのままで「俺の記憶では確かなんだ!」で主張するやつばっか・・・
何者かになりたい。
「ふうん。何者かになってどうするの?」
わからない。
「ふうん。でも、今の君は、何者かになろうとしている人には見えないけれど」
どうすればいいのかわからないし、いつなれるかどうかもわからない。
「顔に書いてあるよ。『ボクには覚悟がありませぇん』ってね」
馬鹿にしないでほしい。
「事実を言ったまでさ。で、どうするの、その何者かになりたいの?忠告しておくけど、もう猶予はないんだからね」
……。
「まいったな。黙っちゃったよ。じゃあさ、君が思い描く何者かとはいったいどういう存在なの?」
絵が上手くて、みんなにちやほやされて、SNSの通知は常に万越えで、港区のタワーマンションに住んでいて、猫と犬を飼っていて、あとえっと
「なるほどね。多くの人が憧れる生活像かもしれない」
うん。僕もそう思うんだ。
「でも、そのような生活を手に入れることが本当に何者かになることを意味するのか、一度考えてみる価値はあると思うね。ただ、残念ながら時間が残り30秒しかない。どうする?」
えっ、どうしよう、どうしよう
「5・4・3・2・1…」
5000兆円欲しい!
「オーケー!君の銀行口座に振り込んでおくね。もちろん非課税だよ」
(完)
いやーあの頃はホントまいったよねと冗談めいたフラットな視点で話すように自然となっている気がする。
感動話とか?昔は不幸だったとか?聞いている側を感情移入させたいかっていうと全然そうじゃないんだよね。
むしろ自分が嫌な思い出だったものは相手も嫌かもしれないし、それを追体験させるつもりなんてさらさらないし。
あったことはあったことで不幸でも、なんつーか過去は過去の出来事として現在とは切り離して言葉にしたい。
みたいな。
「はあ…俺、疲れちゃったよ…俺なんてダメダメなんだ…やっぱり昔がああだったから…元々ろくでなしだから…鬱だ…」
って語り始めるイケメン貴公子を見て可哀想なんてほとんど思わなくて(うっへえ)と思っちゃうんだね。
悲劇のヒロインを演じるなっていう厳しい言葉があるけどそれは演じているかどうかは本人にしか分からないのだからちげーなと思うんだけど。
でも感動モノって結構そういうやつを真っ向からやる傾向が強い気がするんだよ。泣きながら辛い話をする、それに寄り添う、いい感じになる、ハッピーエンドだね。
よくやれるな~って感心しちゃうよ。
あと怒りながら怒った時の話をする人もやだな。疲れちゃうから。
そんな私はコメディが好きなんだよ。