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はてなキーワード: 物心とは

2017-11-19

自撮りSNSにアップする良さを考えてみた

個人的他人自撮りはするのも見るのも好きじゃない。

自撮り棒を持ってる人とかみると

「どんなだけ自分好きやねん」

とちらっと思うし、SNSなどで自撮り写真をアップしている人がいると

「有名でもないお前の顔なんぞみたくない」

ちょっと思ったりする。

そしてそんな自分写真を撮らないわけではなく、むしろ

「俺は自撮りなんてせず、クール写真を撮るぜ」

と言わんばかりにイケてる風景シャレオツな町並みの写真とかだけ撮る。

場合によっては数十万かけたドローンをもって、六時間かけて山を登り、撮影

おっこれはと思えばtwitter的なものやインスタにアップ。

これね。

全く出番のないiPhoneのインカメラをたまに起動させて、

自撮り的なことを試して見ることはあるけれど

「いやっ恥ずかしい!!」

となってSNSにアップするどころかただ「撮影する」ということすらできない。

心の奥底に自分自撮りをしている人に対して「気持ち悪い」と思っていることを

自分も思われるのではないか、という気持ちがそうさせているみたい。

そこでふと思った。

自撮り文化気持ち悪くはないのでは?むしろ自分表現する自由度が増えたんじゃ?

今の50代以上の人たちがやりたくてもやれなかったことを、今の若い世代がやりはじめてるのでは?

ということ。

自分は30代前半だけど、親の教育のおかげか、はたまたそういう時代に生まれたおかげか

そこまで自分意見を外に出す機会にめぐまれなかった。

自分表現しろ、と言われてはいものの、そうする機会はほとんどなく今に至る。

でも周りにそういう人がいても不自然ではない、そんなぐらい。

でも、自分の親の世代はどうだろう、と思うととても自撮りなんかする様には思えない。

そして同じように公の場で自分意見をどんな形であれ表現することもほとんどしない(ように見える)。

世代からの話を聞くに、そういう風に「自分」を出すのは良しとされなかったしそんな機会や場はほとんどなかったに

しかったようだ。出る杭は~を地で行く世代

でも今の10代、20代はどうだろう。

物心いたこからスマホがあり、

twitter、インスタ、Line

色々なツールが用意されて公の場で簡単自分表現できる。

これについて色々と批判もあるようだけど、これを足がかりに今の親の世代ができなかった自分表現を手軽にすることができるようになった

んじゃないだろうか。そしてそれはすごくいいことなんじゃないかとふと思う様になった。

相変わらず自分自撮り他人自撮りも苦手だけど、「自撮り」こそが日本人が苦手とする「自分表現」をしていく第一歩のような気がする。

2017-11-17

anond:20171117145204

既婚で子供いらんなと思ってる(できないわけではない)男だけど、基本的に子あり世帯への補助とそのための子なし徴税はやればいいんじゃねって思ってるよ。実際は社会的には臨んだ方向(子供が増える)と違う結果になるんじゃないかって気がしなくはないけど。

社会を維持していく」とかは、俺は物心ついた頃からずっと社会不適合で社会には色々嫌な目に合わされてきたので、社会を維持していくのは最初から社会に適合してたタイプ人達で上手くやってくれと思っている。

で、答えたついでにいつも疑問に思ってることを聞きたいんだけど、増田のように、子持ちで「子供を産み育てることは社会の維持発展のために必ず必要なのだから社会は我々を支援するべきだ」と主張する人達って、そもそも子供作るときに「本当は子供なんか欲しく無いけど責任ある大人として自分には社会を維持発展させていく義務がある。だから苦しくても子供を作るのだ!」とか思って作ってるの?

そういう人達なんだったら、その立派な自己犠牲精神に敬意を表してどんどん支援しようという気になるんだけど、実際はそんなことは全然なくて、単に欲しいから作ったとか、幸せな家庭に生まれ育ったか自然と家庭なるもの内面化してて作ったとか、そんなもんなんじゃないの?社会の維持発展に必要というは全く事実だけど、お前ら子供まれる前にそんなこと考えてなかったよね?全部後付けに過ぎないよね?だったら支援する側としても、社会を維持発展させる要素の分くらいは支援するけど、お前らの自然欲望を満たした結果でしかない要素についてまで支援する義理はねえよ?って思うんだけど、その辺どうなの?実際。

子無しでいくつもりの人は出産育児補助の増額には反対なのだろうか

タイトルどおりの話。

不倒城

赤ちゃんだけじゃなくて子どもは正直いってめちゃくちゃ可愛い

http://mubou.seesaa.net/article/454914968.html

シロクマの屑籠

子ども権利を守りながら出生率を増やすなら、核家族的な子育てをやめるしかないのでは

http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20171116/1510812000

このへん ↑ の子作り・子育ての話が盛り上がるたびに思うんだけど。

子供を持つ気が無い人の気持ちの話。

 自分子供を育てる気がない人たちはどの程度なら他家の子供の養育費負担する気があるのかな。税金を含めて。戦後日本人口統計を見ると(*1)、社会育児リソース(要は税金)は配分ではなく量そのものが足りないと思っている(*2)。

 で、子育て世帯やこれから子供作るor作りたい世帯育児補助なり出産補助なりの増加に賛成だと思うんですけど、本人の嗜好なり思想なりで子供を持つ気が無い人たちや、子育てたかったけど諦めた人たちはこれ以上の負担をするくらいなら出生率が減り続けてもかまわない(=人口自体は減少速度を増しながら減り続ける)と思ってるのかな。

 じっさい「自分子供を作らないから知ったことではない」と言い切る人はそんなに多数ではないと思うんだよね。長い老後が予想されるのに、ほとんど若者子供がいない社会なんて暮らしにくいでしょ。

 このくらいの負担で、このくらいの次世代人口生産されるのが望ましい、という社会的合意があれば政治行政も動きやすいと思うんだけども。

 子供を持たない・子供を持つのを諦めた皆さんは、子供が今いる、あるいは子供をこれから持ちたいと思ってる世帯に今より多くの資源(=税金)が配分されることに賛成ですか?

 そのための増税は許容できますか?

 子供を持たない・子供を持つのを諦めた皆さんにとって望ましい、あるいは許容可能日本出生率はどの程度でしょうか?(いまのままで問題ない/人口が減少してもどこかで安定するからいい/人口置換水準で安定するのが望ましい) あるいはそんなことはまったく気にならないのでしょうか?

好むと好まざるとを問わず、子無しで行くつもりの人はすでに極少数とは言いがたいのに、出産育児周りの話で部外者あつかいなのは変だなあといつも思う。その人たちがどれほどの負担をする気があり、代わりに社会は何を差し出せるのか、もっと議論されるべきだ。

 最初から子供を持たないと決めている人と、子供を持つのを諦めた人の間には大きな温度差があるはずだから(ここまで一緒にしてるみたいな書き方でごめんなさい)、どっちかわかる形で教えてもらえるとありがたいです。

 まあ上のリンクシロクマ先生が書いてるように、家族と親に集中している子育て責任を、子供に関わりたい子供のいない人も社会的に共有できればいいんだと思うんだけど、これはまた別の話(育児リソースの分配の話になるかと思う)。

 ちなみに増田は男で子供が好きで、むかしから駅で子供を見るとニコニコするほう。

 20代の頃は非正規雇用なので子供は持てないだろうけど出産育児補助の増額には賛成でした。

 30代で幸運にも転職して結婚して子供もできた。子供は思ってたより面倒だけどかわいいです。

1:いうまでもないが出生率戦後ずっと低下傾向で、1974年人口置換水準を割って、まだまだ下がり続けている。つまり5歳以下は物心ついて無かったものと考えれば、戦後を生きている現日本人ほとんど(2016年統計75歳未満は87% http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2016np/pdf/gaiyou2.pdf)は、国外生活経験者を除き、人口を維持できない国の生活しか知らない。増田なら誰も知らないだろう。実感を持って出生が多かった時代を語れる人間はもうほとんどいないはずなんだが、高齢者ふくめこれが意外と共有されてない。

2:配分に問題が無いというつもりはない

2017-11-13

蕎麦

家庭の事情で、物心つく前に親戚のもとへ引き取られた。

生みの親は覚えていないし、私にとっての両親はこちらだろう。

品があり、物静かな、純和風の両親であった。

蕎麦は静かに啜りなさい

外を歩くときは端によりなさい

どんな時も大声をあげてはいけません

些細な事を十重躾けられ、少しは品のある人間になったものだ。

まあまあともあれ、大人になって都会へ出てきた私は驚いた。

蕎麦ラーメンもうるさい程に音を立て

外を歩けば人にぶつかり

どんな時も声を大にして主張する

真反対の人々ばかりではないか

私が異端でありおかしいのか、葛藤しながらも周りの汚さから逃げ回った。

兎に角、ふと気づいた時には1人になっていたのだ。

それまでの正しい事・綺麗な事は嘘だったのか、私の学んだ事は無駄だったのか?

答えはわからないが、静かに蕎麦をすすろう。

幸い、今は二人だ。

2017-11-12

本能的な欲求

男:「ヤれればいい」

女:「(物心両面において)養ってもらえればいい」

本能からしかたないよね。

2017-11-09

anond:20171109111125

子供がもう少し物心ついたら増田旦那の顔色を窺って橋渡しを必死でしようとしたり

旦那の分も増田フォローしようとして増田メイドのようになってしまったりするよ

夫の責任を果たそうとしない男とくっついていたら自然増田もその重荷を子供に背負わせる

増田被害者だけど加害者にもなるんだよ

寂しいってのが何なのかわからない

結婚しないと、子供産まないと将来寂しいよ〜という脅し(?)を受ける年齢になってきたのだが、物心ついてから寂しいという感情を感じたことがないから、ピンと来ない。

別に根暗タイプでもないので、人見知りしないし友達は多い方だし遊ぶときは全力で遊ぶ。でも、1人で時間を過ごすのが大得意だから、絵を描いたり工作してると時間を忘れるし、調べ物や読書はずっとしていたいし、1人の自分の部屋は自由で最高に心地いい。

昔付き合ってた彼氏、かなり好きで入れ込んでたけど、それでも彼氏の部屋に2日泊まるともう息が詰まってとにかく1人で寝たい、1人になりたいモードに入って鬱になるし、ぶっちゃけ連絡も週イチくらいで充分だった。

から寂しいというのがどういう状態を指すのかがわからない。寂しいと人に会いたくなる?というのは聴くんだけど、そういう人は人に会わないとどうなるんだろう。

2017-11-08

安楽死権利がほしいな

別に大きい病気はしてない、自殺願望はない、普通に正社員としてはたらいて、少ないながらも友達もいて、日々ほそぼそと暮らしてる。

趣味もあって、田舎暮らしだけど結構色んな所にも出かけて人生総合的に楽しんでる方だと思う。

ただ、たぶんいわゆるAセクシャルだから好きな人いたことがない。彼氏も作ったことはあるけど、全然好きなれなくて面倒が勝って結局別れた。別にきらいじゃなかったけど、気持ちはいつでもずっとフラットだった。

ちょっとでも好意を持ったり、ああこの人と付き合ってみたいなと思うことがあったらアクションかけようと思ってるけど、たぶん物心ついてから一度もそういうことを思った記憶がない。

から老後は一人世帯なんだろうなと思うし、いまの収入で親を養ったり自分がそういう意味で一人になった時に自分生活を支え切れる自信はない。

田舎土建屋経理職女の給料なんてたかが知れてて、上がる見込みもほぼほぼない。副業をはじめたけど、それだって焼け石に水で、将来の金策のことだけがいまの不安要素だ。

から安楽死、させてくれないかなあ。

自分母親がなくなったあとでいいから、どこか区切りのいいところで、楽に死ぬ制度ができたら、もっと生きるの楽になるのにな。

税金納めてるし、年金も納めてるし、あんまり病気してないか医療費そんなに無駄につかってもないだろうし、仮に60歳とかで人生合法的リタイアさせてくれたら、ほとんどだれにも迷惑かけずにすみそうなのに。

死体処理の前金とかも事前に納めて、なんとか死なせてもらえないもんだろうか。

とりとめもないけど、安楽死制度ほしいな。

2017-11-06

やなことそっとミュートするために

数日前、母の友人が亡くなった。

それからずっと母は落ち込んでいてため息ばかりついているし、友人との思い出を繰り返し繰り返し私に話す。死ぬって突然なんだね、明日は我が身だね、明日生きてる保証なんてないんだねと。

私はずっとそう思ってる。物心ついた時から

人は大きな死の枠の中で生きているんだってずっと思ってる。今さら言われても、と思ってしまう。

その母の友人は私もよく知っている人で、お世話になった人だ。訃報を聞いて驚いた。けれど、母に同情したり元気付けようとか思えない。

暗い雰囲気ガンガンに出す母のいる家に帰りたくないとさえ思ってしまう。家に帰るのがこんなにも憂鬱になるとは思わなかった。落ち込む母を励ませない私って、おかしいのだろうか。例えば自分親友が死んでしまった時は、私も母のようになるのだろうか。まだ遺体を見てないからこう思うのだろうか。最近はそんなことばかり考えている。

それから、母は頭がキャパオーバーになった時にそれを消化する方法を多分知らない。私はこうやって文字にすることで自分を保とうとするのだけれど、どうも母は私に話すことでしか保てないらしい。どうか、一人だけで完結する方法とか、インターネットの波にぶちまける方法とかを知ってほしい。

とにかく、しんどい。母の落ち込みを背負うのはしんどすぎる。明日は家に帰りたくないけど、今の状況で母を一人にするだなんて薄情だなとも思う。けど、一人になった方がいいんじゃないかとも思う。どうすればいいかからない。不謹慎かもしれないけど、私は今無性にパーティーを催したいくらいの気持ちだ。

やなことそっとミュートするために。

2017-11-05

物心ついた時からずっと不景気なんだが

おれはアラサーなんだが不景気不景気言われて育って今もまだ不景気って言ってる

もしかして普通景気なんじゃなかろうか

そう表現した方が前向きで良いと思うんだ

19年ぶりの快挙 11年目の現実 星に願いを

音楽は最高だ、ライブ現実不安を吹き飛ばしてくれる!このバンドを聴き日々暮らすんだ、と胸に刻んだあの日から11

この度 バンギャ 卒業しま

横浜育ち、物心がつき始めた98年あの栄光はいまもここに

 中高生の時は野球にさほど感心がなかった、でも横浜は気になった種田の真似はしたし、TBS買収に驚いたし、WBCテレビ観戦をしていたけれどもあの頃は専らバンドお年玉CDバイト代ライブ遠征費に出演してるラジオ新譜MDに入れ悶えていた、まさに青春

そして中学3年生にして運命的なバンドと出逢いをしたのだ。

裸足で唄う姿や衝撃的な歌詞、一変して何処か懐かしい哀愁を帯びた音

雷に撃たれたのだ、心が震えた15の出来事。音だけでなく奏でる人物像が知りたい、その世界観もっと知りたい‼決してメジャーと言い難い彼らの情報必死に集めた。雑誌の表紙なんて飾らなかったから切り抜きを貰ってファイリングした。ライブ最前列で触れ、握手会番組観覧。増える黒いTシャツタオル。それはそれは痛いくらいに夢中になりました、神のごとし全てでしたか

 好きなメンバーが出来た、カープファンだった。

へぇ、丁度登場曲にこのバンド使ってる選手いるし応援しよ♪原初カープ女子であった、だがいつしかそんな誓いも忘れたのだ。ゴールデンウィークの谷間の日、仕事学校があるのにも関わらずデイゲームを行ったガラガラハマスタサヨナラホームラン

 人生二度目の落雷ヤバい楽しい

日米どちらのポストシーズンが終わった。やはり野球楽しいな。

話題cs制度についてお話ししよう。私が応援しているベイスターズは3位ながらも下剋上という形で日本シリーズ進出した。えっビール掛けもしちゃうの?風邪引かないでね、呪詛っぽい不吉なコメントは止めてね。選手の喜びが眩しかった、19年ぶりの乾杯。本当に嬉しく思ったが同時に驚き戸惑った。これでいいのかな?唯でさえ1位のチームと貯金10以上あるのに、他のチームの方がパ・リーグ相手善戦するのでは...

 そんな素人の余計な心配他所ベイスターズはあのホークス相手に見応えのある試合が出来たのではないかと思う、あのサファテにイニング跨がせたんだぜ! 次はセ・リーグ優勝して堂々と挑みましょう。お疲れ様でした、2月キャンプで会おう!しかし今後はcs制度見直し必要だろう。あとNPBは開催時間デイゲームにしてください、屋外球場は客も選手も辛いでしょうに。

さてシーズンも終わったしTwitterで新しい音楽の発掘するかー

飛び込んだ横浜を下げたツイート、おやどこから?あのバンドマンだった、やはり優勝チームファンはそんな思考になる人も居るよね、好きな人だけに複雑だなぁと思いつつ返信欄を覗いてみた。”○○倒せクソ不愉快““ビール掛けとか球団は敬意がない”  敬意?

いやいやいや~巨大なブーメラン刺さってます目には目を理論ではないですが、カープ球団にそんなのあったの?締め出しとか相手チームに嫌がらせグッズ作るのに?軽率発言は止しなさい、表現者であるなら尚更、失望したよ。それならば勝者にこそ敬意が向けられるべきでは?あなた発言侮辱だ。最近ネタがないからか演奏じゃなくボルダリングとかアイドル的な要素まで入れてきて笑ってたらこんな...炎上かい

恐らくはカープ選手に対する侮辱行為みえる、という事で発言したのだろうか。推測の域で語っても不毛なのでやめにする

カープファン選手は本当に情熱や実力もナンバーワンだと思う。カープファン選手すみません不快発言しょうが球団は無理です、運営が無理。あと○○倒せコールセ・リーグだとヤクルト中日阪神さんはチャンテ内に組み込まれていますし。そんなにカッカするなよおじさん。

そんなわけで11年間続けたバンドファンバンギャ卒業しま

メンバーみんな結婚してもやめなかったのにね

リーダーが一昨年何年経ってもリスナーが戻ってこれるようなバンドでいたいです。と発言していてしみじみ言葉の暖かさを感じていたのですが残念です。戦争の歌やら日常の歌、このバンドは沢山良い歌があります

ですが政治宗教野球は慎重な話題が多いのです。タクシー運転手さんはよく気をつけていると聞いたことがあります

もう私は純真気持ちで彼らの音楽は聞けません、ライブに言ってもどす黒い渦が巻いて楽しめないでしょう。たかだかそんな呟きでそんな失望するなよ、と頭の中ではわかってはいますが行き場のない思いを綴ったまでです。自分の幼稚さも陰湿さも重々承知です。だけどTwitter掲示板もそんな呟き話題にすらなっていないもの!完全に個人的な憤り。

ただのファンなら別に良かった、だが尊敬する大好きなアーティストの声がそれだぜ、笑えるわ


頭が冷えたらまた彼らの音楽聴くかもしれません

いや、ベイスターズが優勝したらかな?頑張れよ‼

長文失礼致しました、昨今のSNS発展によるこのような悲しみにふれる方が少なくありますように。


さよならもう会わない気がするよ グッズどうしようかな

2017-11-03

仕事に穴を空ける奴vsクソ管理職どっちが悪いファイッ!で激しく空中戦してるの見てて思うんだけど

しわ寄せと割りを食う奴を物心両面で十分にケアすれば黒い感情の矛先を決める・決めさせる必要なんて無いんじゃないか

それをサボってんだからサボった分だけ色々しんどくなるのはある意味当たり前というか

2017-11-01

お化粧すごい

物心ついてからこのかた、自分はブスだという認識のもと生きてきた。

実際その通りブスである

地味だと思っていたあの子眼鏡をとったら超美人だったー☆なんてことはない。

地味で主張の少ない顔立ちだったならば幾分マシだったろう。私は地味というよりは、濃くて汚らしい顔をしている。

髪も癖毛の剛毛が凄まじい量あって、縮毛矯正をかけているのだがあまり長持ちしない。女の子って、髪が綺麗なだけで何割り増しか可愛く見えない?さらさらロングの女の子最高に好き。

そんな感じなのでどんなに素敵な服を買っても似合わないのだ。完全に浮く。これならずっとジャージスウェットでいた方が違和感ない。

似合いもしないオシャレにお金をかけるより本やCDを買いたかった。

女子を捨てて数年を過ごしていたが、最近自動車学校に通うようになってから「このままではまずい気がする」と思うようになった。

みんな可愛い格好してる。

可愛い服を着て髪を染めて巻いてメイクもばっちりして。

キラキラ女子大生ってかんじ。すごくまぶしい。

そんな彼女たちを見ているとだんだん焦りが生じてきて、少しずつ見よう見まねで化粧するようになってみたけど、すごいね、これ。

別人とまでは行かずとも、かなり印象が変わる気がする。

BBクリーム塗ってフェイスパウダーして眉かいリップ塗る程度だけど。

肌が明るく綺麗に見えて、印象もはっきりする。

自分には似合わないしと諦めて買わなかった服だって、今なら着られる気がした。

女性メイク強要するような社会はクソだというような話をよく聞くし、私だってそう思う。

でも、お化粧楽しい。すごいよ。

自分コンプレックスが少し隠せるんだもん。

外を歩く時、以前よりも顔を上げられるようになった。

バイト先の人たちにも可愛いねって言ってもらえた(彼氏でもできたの?ってたくさん聞かれるのはちょっと面倒だけど)。

ノーメイクならば朝あと15分はごろごろしてられると思うと少し悩ましい気もするが、するようになってから感覚を覚えてしまってからは、できれば化粧して出かけたいと思うようになってしまった。

前より少し、自分も悪くない気がするようになった。

次は可愛い服が似合うようになるためにダイエット頑張りたい。

なんていうか皆演技してるんだよね。

家族の中では「親父」っていう役、会社の中では「〇年目ぐらいの会社員」って役みたいな感じで

それぞれの人がイメージした役割をそれぞれのコミュニティ空気に沿って演じてるだけみたいな感覚

下の人への説教とかも「親父だから、先輩だから、こういう事を言うものなのだ」みたいな感じで

役割に従ってただ伝えているだけみたいな感じ。

何の気持ちも伝わってこない、ただの事務的交流

物心ついた頃から親に対してすらこんな風に感じてきたのは、たまたま俺の回りに人間味溢れる人がいなかったからなのかな?

それとも俺はサイコパスなのかな?

2017-10-29

anond:20171029110352

物心がつく前の赤ちゃん幼児ならともかく

西原子供思春期になろうがずっと続けていたから酷いと思う

不登校は困ってる親子の助けになるかも知れんしいいんじゃね?

2017-10-25

自分自分だと思えない

物心ついた頃から、いつか自分自分以外の誰かになれると思ってたんだよ。

今の人生罰ゲームみたいなもので、努力次第で別の誰かになれると信じててさ。幼稚園で同じ組の人気者のあの子とか、なにかそういうものに。小学生になると、そんなの無理だって分かってたんだけど。それでも相変わらず、この人生の続きじゃない新しい自分というか、本当の自分?みたいなのがどこかにある気がしてた。それは今でもそんな気がする。

王子様が迎えに来るとか、実はサイヤ人だとか、そういう話じゃなくて。かといって、自分探しの旅にリュックひとつタイに行くとか、そういう話でもなくて。ただ、もうすこし社交的で、もうすこし容姿もまともで、もうすこし要領が良い自分。そんな感じ。いつかは自分欠点を補った状態自分になれるんじゃないかって、ずっとぼんやり思ってる。でも、これってきりがないんだよな。努力して欠点を補ったところで、次の欠点が見えてくるだけで、ずっと自分に満足できなくて、常に自分が仮住まいみたいでさ。

これって自分おかしいの?それともみんな、こんな事考えながら平気な顔で暮らしてるの?

家族確執と巻き込まれ体験

父の実家の話をする。

父は3人兄弟で、父の兄、父、父の妹…という家族構成

この、父の妹(私から見るとオバ)が、本当に何にもしない。

正月集まった時も法事で集まった時も行事の時も、とにかく何もしない。家事もしないし手伝いもしない。何故だか何もしない。

私が物心ついた頃から既にその状態で、男も女も子供もそれぞれが皆交代で働いているのに父の妹だけは一切動かず、幼心にも「何この人!?子供の私ですらお皿洗ってるのに?」と思ったものだった。

大人になった今、家族以外の話によって、父の妹がどんな時も一切何も手伝わない理由が判明した。

「父の母(父の妹にとっても母だが。)が亡くなった時に父の兄も父も全く家事をせず、父の妹が全ての家事をこなしていたから、可哀想から、それ以降の面倒事は免除」になったそうだ。

一瞬納得しそうになったが、それ、何の理由にもなっていない気が。

父の妹の分の仕事を父の兄や父が代わってやってるならともかく、その分の仕事は、父の兄の家族やうちの家族が全てやっていた。

仕事押し付けられた方の人は、父の妹に対して家事の恩は無い。

「皆の分の仕事をやってあげて偉かったから〜」というなら、幼少の頃より父の妹の仕事を肩代わりしていた私だって家の仕事はしなくていい筈だ…

結局、父の兄も父も、面倒臭い事は人に全部やって貰う主義なんだろうなあと思う。昔は妹に、今は嫁や子供に。

罪悪感の償いすら、自分ではなく人の手で行わせる父に、モヤモヤが募る夜である

2017-10-23

若者自民党が人気な理由世代が違うから

https://anond.hatelabo.jp/20171023144455

俺は塾講師から10代の奴らと話して感じるのは、これは世代やね。

何が違うのかって、戦争への時代感覚と、アジア諸国への感覚が違う訳。

から日本的リベラル価値観が刺さらなくなってる。

まず、太平洋戦争への時代感覚

30,40歳以上の世代だと爺ちゃんが戦争行ってたりするから、少しだけあの戦争へのリアリティがまだある。

ましてや50,60歳世代は親が行ってる訳でしょ。

から戦争責任みたいな話に胸がぐっとき左翼になる人たちも当然いる。

日の丸を掲げる群衆に対する嫌悪感教育も浸透してる。日教組が圧倒的な力を持っていた時代

でも、今の10代は爺ちゃんが戦後まれだったりする訳。

爺ちゃんが戦後まれなのに戦争責任がと言われても圧倒的にリアリティがない。

そして、ワールドカップ日本が出場して応援するのが当たり前の世代なので

日の丸を振って一体となって応援するという経験とともに育っている

日の丸への忌避感がゼロなので、日の丸悪者扱いしてくるリベラルな人たちの価値観がうざいだけ。

はてなで「おとな塚本幼稚園」だのなんだのと揶揄してるのがバズってたけど、

日の丸振ってるのを揶揄するのは全然今の10代に刺さらないというのははっきり言える。

あとアジアの国への感覚ね。

日本戦争責任贖罪を訴えるオールリベラルな人たちには

うっすら「貧しいアジアの国」への哀れみの感覚があったんだと思う。本人たちは絶対認めないだろうけど。

侵略をして未だ豊かな我々は、か弱い貧しいアジアの国に謝罪し続けなければならない。

その感覚オールリベラル的な、9条的な価値観を支えてきたのだと思う。

日本の周りの国ではなく、日本こそが侵犯する可能性のある悪を秘めた国だから憲法で軍備を縛るべきだと考えるのも無理はない。

じゃあ、今の10代はどうだろう。

北朝鮮拉致を認めたのが2002年だ、だから彼らは物心ついたときから北朝鮮は悪の国だ。

中国反日デモが起きるたびに日本の店がボコボコにされたのを幼いときから見ている。

何より、中国韓国は「貧しいアジアの国」ではない。

韓国ほぼ日本くらい豊かな国だし、中国日本より経済大国だというのがデフォルト価値観な訳だ。

彼らは哀れみの対象ではなく、むしろ恐怖の対象だ。豊かな彼らは更に豊かになり、拡大を続けている。

貧しいはずの北朝鮮日本列島の上をガンガンミサイル飛ばしてきてる。

から危機に備えて憲法改正すべきだと彼らは思う。だけどクラスにいるネトウヨみたいなのはちょっとやりすぎでダサいし、K-POPは聞くよねという感じ。

それくらいが今の10代のリアリティだと思う。

まぁ、あと今就職率は高いし、失業率自殺率は毎年低くなってるし。だから入れるなら自民じゃね。そんな感じ。

2017-10-21

anond:20171021115042

朝鮮戦争特需が無かったらこんな状態いから、当時の戦後世代物心ついた頃から朝鮮戦争の裏で糸をひいてた事になるな。

そんな超優秀な人間なら敬えって気になるよ、仕方ない

2017-10-18

オッスオラ絵師承認欲求の塊だ!オラを褒めてくれ〜!



褒められたい。

ひたすらに褒められたい。


絵を描き続けて早20年ちょい。

物心ついたときから絵を描いていたと思う。

小学中学校所謂クラスの中に一人はいる絵が上手い奴」枠だった。

遠足やら校内イベントなんかのしおりやの表紙の絵を描いたり、

なんちゃら啓発ポスター、みたいなのにも何度か選ばれた。

高校大学美術系に進んだのもあり、

クラスの中に一人はいる絵が上手い奴」枠が40人くらい集結したということで

個人でめちゃくちゃ注目されることはなくなったが、

在学中に参加したコンクールコンテストはいくつか入賞することもできた。

社会人になった今では、絵からは若干ズレるがグラフィックデザイナーとして仕事をしつつ

絵はもっぱら二次創作だが趣味で続け、その方面お小遣い稼ぎ程度の絵仕事をもらったりもしてる。

と、自己紹介のようなお絵かき遍歴を振り返るタイミングがあり

ふと「なんでこんなに絵を描くのが好きになったんだろうか」と考えて、

「毎回誰かしらが褒めてくれる=自分を認めてくれている(気がする)」からだと気づいた。

小学中学では絵を描くと「上手だね〜!」「すごいね〜!」と親や先生友達が、

高校大学ではコンクールコンテスト入賞して認められた気になり

今はSNSpixivでのRTいいねコメントがそれに当たる。

自慢じゃないが、私は技術を除いた人間としての自分自身に自信を持てるところがかなり少ない。

まぁこれについて語ってもしょうがないので語らないが、とにかく自信がない。

そんな自分が唯一『第三者から自分という存在好意的な目で認めてもらえて、かつ、それによって自分自分を認めてあげられる」のが、絵が多少描ける、ということなのだ。

絵が描けるからいいね!と話しかけてもらえる。

絵が描けるからコミュニケーションきっかけができる。

絵が描けるから、好きなあの絵師も反応を返してくれる。

絵が描けるから自分でもいっちょまえに、少しいい気分にも浸れる


うーん、我ながら寂しい奴だと思う。


たまに、絵が描けなかったとしたら自分には何もないんだろうな、とか

誰にも認知されず、自信の無さからこちからも歩み寄れず、

孤独を感じる今よりもっと孤独を感じてるんだろうと寂しくもなる。

でも「多少なりとも絵が描ける」のは間違いなく自分構成するひとつ

それで少しでも自分存在自分で認めてやれるなら、

まぁ「承認欲求の塊絵師」でもいいかぁ。と思うことにした。

承認されることに味をしめてしまったしな。

結局何が言いたいかというと、

絵をちょっとでも気に入った絵師がいたなら、そのRTいいねボタンを一発ポチッとしてくれ、ブックマークしてくれ。

あわよくば「好き」とコメントを送ってほしい。

RTしてくれた人のホームは必ず見に行くぞ。

「これ好き>RT」なんでツイートがあったらその一瞬であなたへ好感度MAXだ。

そして、私に「自分はちゃんと存在を認められてるんだ。」と思わせてくれ。

束の間の「承認されてる感」をくれ。

オッスオラ絵師承認欲求の塊だ!オラを褒めてくれ〜!

anond:20171018011206

から思ってたのだが、「失われた〇年」なんかもそうだけど、当時の感覚を既知共有されているものとして話すのはそろそろやめよう

あれから何年経ったと思ってるんだ

いまネットでの政治系の議論の中心にいる人間は当時まったく物心ついてないか政治を歪んで観測していた(高校大学の)年齢だぞ

2017-10-17

才能を紐解く

プロ棋士の中には5手先まで読める人がいるらしい。ラマヌジャン数字を見て瞬時に素因数分解出来たという。カレンダー計算が早いサヴァンの人もいる。

これらの能力努力では身につかないような気もする。気もするけど、筋の良い訓練と強い関心、情熱によりある程度は目覚めるものもあるのではないか?と思った。

というのも、自分場合、ふとした瞬間に曲が頭に浮かんで、頭の中で作曲することがある。音楽が好きで、物心つくかつかないぐらいから、クラシックばかり聴いていた。いや、そういう環境から、好きになったのかも知れない。

友人にこのことを話すと、誰しもがそういうことが出来るわけではないと言う。和音を分解したり、対位法的な旋律自然には組み立てられないらしい。何をやっても続かないダメ自分だと思っていたけど、人とは違う能力カケラ客観的に得られて驚いた。

自分から見れば、獲得パスの見えない他人能力にも、こういう感覚が伴っているのではないか、と思った。つまり、彼らは、自然にそれをやっている (好きだから+苦もなくできるから+いつでも頭の中はそのことを考えている)。

ひよこの雌雄選別の能力は、師匠について2, 3年、その作業を見続けることで涵養されるらしい。

一見自分には無理だ、と思われる目標も、リラックスして、うまく取り組み続けることで、道が見えてくるものなのかも知れないという希望を抱いた (例え幻想であったとしても)。

2017-10-16

学生時代かどころか

物心付いた頃から不断努力と言うやつを続けてきた。1秒1秒を無駄にしないように、ありとあらゆる選択肢で最善を選び、世界で一番高密度時間を目指し、寸刻を惜しんで勉強や学識を広めて来た。そうして20年余り、一流の大学卒業して一流の会社起業し、世界偉人に名を連ね。。。られなかった、若い頃の無茶のツケで重度のうつになり思考は散文的で数分考える事すら苦痛努力は全てを可能にするって俺に刷り込んだ祖父は莫大な借金を残して他界した。死ぬ間際まで事業大成功してると家族に嘘をつきつづけていた。全てにおいて成功してると豪語する眩しい祖父が全て悪い気がするが、呪いを残して勝ち逃げされた今はどうにもならない。そろそろ死のうと思うけど自殺方法すらまとまらないこんな腐った頭を切り捨てたい。

2017-10-15

好きが分からない

物心ついた頃から、とにかく親に嫌われていた。

基本的無視、何かのきっかけがあると暴言ごみ、ブス、疫病神、役立たず、生きる価値がない、お前のせいで

みんなが不幸、性格の醜さが顔に表れている、なんだその目つきは、自分特別人間だとでも思っているのか、等)

と、体中痣だらけになるような暴力

好き、可愛い、とは一度も言われたことが無く、抱きしめられた記憶も無い。何かを祝ってもらったことも無い。

経済的には、典型的中流家庭で、少なくとも生活に困ることはなかった。

「この人たちは敵だ。何で機嫌を損ねて暴力が始まるか予測できない。いつ不慮の事故等を装って殺されるか分からない。」

という緊張感のもと、常に他人の顔色を伺い、状況を観察し、慎重に行動するような子供だった。

そのうち、他人の発した何気ない言葉を全て正確に覚えているようになった。

私が育ったのは子供教育に熱心な地域で、先生は熱血タイプが多く、同級生も育ちの良い大人びた子が多かった。

まともに級友と関わることのできない私を、クラス委員長タイプの子が常に気にかけてくれた。

感情表現コントロールも苦手だった私を、担任先生が本気で叱り、時間をかけて教え諭してくれた。

友達はほぼゼロだったが、人の言葉ICレコダーのように覚えているので、テストの成績だけは良かった。

その噂が級友のお母様方に広がり、クラスの半分はお受験するような地域だったので、

「塾に行かせないの?受験は考えないの?」といぶかしがるようになった。

今思うと、皆、私の家庭の状況を薄々感付いていたのかもしれない。

同級生のお母様方と近所の方々のプレッシャーのお陰で、「お前に金をかけるなんで、どぶにすてるようなもの」と

いう親も、私の大学進学は認めざるを得なかった。奨学金は「世間体が悪いから」と申請させてもらえなかった。

幸いなことに、人生を通じて友人と先生には恵まれて、少しずつ人との関わり方を覚えることができた。

表面上は、まったく普通の、むしろ平均よりはちょっと良い人生を送っているのではないかと思う。

それでも、自分には生きる価値がない、誰にも愛されないし理解もされない、という呪いのような確信と、

かに本当に愛されたい、自分存在が意義のあるものだという証拠が欲しい、という欲望に、いつも苛まれていた。

必要以上に他人に媚び、他人評価を気にし、認めてもらうために過剰な、時に見当違いな努力をする。

優しい、親切、仕事熱心と評価されることも多い一方で、相手を警戒させたり、変な期待をさせたり、

利用されてしまうこともあった。

また、極度の人間不信で、他人を敵か味方かで考えているところがあり、相手自分の敵である証拠を常に探している。

そして、一度でも、どんな些細なことでも、一度敵だと判定することがあったら、二度と心を開かない。

見当違いな努力については、環境や周囲の人に合わせて、努力方向性熱量を調整すればいいのだと分かってきた。

敵判定については、普通、人は他人にそんな興味が無く、ちょっとたことで誤解したり軽い気持ち非難したりするし、

よほど親密な関係でなければ、そういったことはお互いに気にしないのだ、と理解できるようになってきた。

一番厄介なのは自分好意を示してくれる人。

好きな人には幸せになってほしい、この関係未来に続くかは別として、

私の存在が、相手人生にとってプラスになってほしい、と願っているはずなのに、

同時に、相手破滅を強く望んでしまう。

私のことが本当に好きなら、その感情に苦しんで自滅していくはずだ、そうでなければ本当の好きじゃない。

私が親の愛情を求めて、顔色を伺い、何をすれば喜ぶのか必死で考え、気を引くためには自分を傷つけることもして、

拒絶され罵られ殴られて、それでも愛情を求め続けているように。

そんなものは執着であって愛情ではないと、頭では分かっているのに、いつも気を付けていないと、

無意識のうちに行動に表れてしまう。

その度に、私はやはり本当の意味で人を愛することも、本当の愛情を受け取ることもできないのだろうか、と絶望する。

体が成長するにつれ、親の暴力は減っていったが、和解は叶わなかった。

2017-10-05

結局、読書なんて暇だから覚えたのだ

最近は娯楽が多い。

テレビ簡単に録画視聴ができる。

思い返せば、幼いころから冗談のように本を読んできたけど、それは時代の影響でもあろう。

今でこそ、読書というのは常習性がついて、一種快楽をもたらす娯楽であるけど、最初は違ったはずだ。

現代に生まれ育ったら、僕はきっと本を読んだりしなかった。

幼稚園の頃から、かぎっ子で、家にいても暇だった。

当時はビデオデッキが家にはなくて、アニメといえば夕方四時から始まるトム・ソーヤーを喜々として見ていたが、二時ごろに帰宅した後は、その時間までとにかく暇だった。

それで家にあった絵本を何度も読み返し、子供向けの図鑑をひたすらめくってトム・ソーヤーの開始を待ちわびていた。

今なら、うちの息子がそうであるように、録画したスポンジボブを何度も見返したり、Amazonビデオを見たり、youtubeを見たりしたのだろう。

結局、読書は暇を埋めるためのものなのだ

逆に、現代っ子読書家は、どうやって育つのだろうか。

物心ついた時には、手元にタブレット端末があれば、読書よりもゲーム動画視聴に使いそうな気がする。

そんな環境で育った読書家に聞いてみたいけど、それにはまだ何年か待たないといけないかね。

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