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はてなキーワード: 物心とは

2017-09-18

文化的盗用っていいたいだけちゃうんか

流行言葉使ってれば頭悪いこと言ってもいいって風潮なんなん?

anond:20170917102216

これって普通感覚なんかね?

なんかこういうの見ると、日本国籍血統主義なのって、ちゃんと国民の総意に基づいてるのかなーなんて思うね。どっちにしろ頭悪そうだけど。

法律で定める国籍の話はまあしょうがない。実務上の線引きは今のところ必要だし、何を基準にしたところで恣意的ものであるのは間違いないんだから、逆に何を基準にしても別に間違いじゃない。日本国民の子供は日本国民。それでいい。

  

でも文化っていうのはそうじゃない。そんなこと中学生でも二分間スマホから目ェ離して静かに考えれば分かる。

たとえ日本人の血が一滴もはいってなくても、物心つく頃から二十年、いや十五年でも日本しか暮らしたことがなければ、その人は(文化的に)日本人しかなれない。

日本語しか話せなくて、論理的思考日本語で行っていて、幼少期の体験が全て日本社会に結びついていて、生活必要な全ての知識日本社会用に特化していれば、その人は日本人しかなれない。血統がどうだろうと、別の国の国籍を持っていても、何なら無国籍でも、その人は日本人以外の何者でもない。

その(文化的日本人名前日本風であることのどこに不都合があるのか?(文化的日本人日本名を名乗ることの何が盗用なのか?

いうまでもない(と思いたい)が「名前」っていうのは言葉であり文化であり、また個人アイデンティティーだ。クレリカルな法律の側でなく、文化の側にそして個人に属するものだ。

日本人日本人感覚自分にとって自然名前を使う。日本人認識されるために日本風名前自分に与える。どこにも間違いはない。

改めて言っておくが、法律上国籍とは何の関係もない話だ。

  

からも、なんの文化も盗まれてない。被害がない被害者面はみっともない。日本文化的に。

2017-09-16

嫁を自慢させてくれ

25歳、黒髪ロング(最近切って残念)、顔はダレノガレ似、料理はうまく性格も良い(わがままだけど)、明治大学卒。

本当に毎日しゃぶっていたいほど美しい。「可愛い」という感想はとうに通り過ぎていて、もはや尊敬の念すら湧く。

ちなみに俺 26歳、顔は猫ひろし似(嫁の親公認)、粗チン包茎(真性一歩手前)、年収320万。

こんなクズな俺がなんでこんな引く手あまたの女性結婚できたかって、実は家族ぐるみの付き合いで物心つかない頃から一緒だったからだ。

もし幼馴染だったら本当に手が届かなかった。本当に親に感謝したい。ありがとうございます

そして嫁の完璧遺伝子を汚して本当にごめんなさい。

今も嫁とベットにいながらスマホいじってるけどもうそろそろなのでここらへんで。

2017-09-10

あなたに何かあると私がつらい

物心ついたときから親に言われ続けてきた嫌いな言葉

風邪をひいても、帰りが遅くなっても、どんなときでも「心配」と言うタイミングでいつもこの言葉を聞いた

私を心配してる気持ちよりも、自分がつらいからやめてくれというメッセージを強く感じて本当に嫌い

復興は悪い事なのか

NHKニュース編集が気に入らない。東北震災で「復興が進むとともに震災が風化」とか「震災体験云々に訪れる人が減っている」とか言っている。

復興している事をまず喜べよ。震災なんて無くせないんだから、教訓にする以外は無いと思うんだよね。

大体そんなにずっと引きずらなきゃならないの?第一当時に物心ついていた連中は忘れたくても忘れられないんだよ。

教訓は別として覚えている事がそんなに正しい事で、忘れる事は悪なのか

2017-09-09

人生において生産性だとか淘汰だとか。

中学生の頃、というか、昔から変わったことと言えば外見だけだと思っていて、それでも、周りには中身も変わったなんて言われたりする。

丸くなっただとか、話しやすくなっただとか…。

けれど、自分はそう思ってなんてなくて、これからどこに進むのかわからない、秋の入口。

夜空を見上げると、夏の星座はとっくに姿を消していて、こうやって季節は巡るのかと実感させられていく。

焦りもありつつ、でもどこか変わることを恐れて、踏み出せないままじたばたと足踏みをしている。

私の季節は、まだ夏の中だ。

夜の秋の風は、確かに私を包んでいく。

少し遠くに聞こえる電車の音は季節が変わっても相変わらずで、少しホッとする。あの電車の向かう先は何となく分かっているけれど、私は分からないふりをしている。

ぼうっと、温かなオレンジ色に変えられたデスクライトに照らされる白い壁は時間を忘れさせる雰囲気を持っている。この時間がこのまま続けば、迷うことも悩むことも落ち込むことも、いつまでも立ち止まっていることさえも、罪悪感に苛まれことなんてないのに。

そんな淡い願いを、携帯や録画機の時計表示が消し去っていく。今日ももうこんな時間で、そろそろ大半の人がまた明日のために眠りにつく時間。そんな時間にも関わらず、毎日毎日寝るわけでもなく、私はネットの海を徘徊していく。

別に、こんなこと、心の底から楽しいと思ってやっているわけではない。

真夏に比べて涼しくなった外の空気を開けた窓から吸い込みながら、遠くで聞こえるパトカーサイレンに耳を傾ける。

私がこうやって、なんの生産性もない時間を進めている最中でも、世界では生産的な行動を繰り返す人々で溢れている。この、私がどうしようもない時間を生きている間にも、ああやって仕事をして世界を回す人達がいる。

かつては、私もあちら側の人間だったかのように思う。少なくとも、高校卒業するまでは勉学とアルバイトの両立でまあまあ忙しく、今より人間らしい生活をしていたように思う。

私は、今でも私自身に少しというか、かなり期待をしている。

しかしたら、何かのきっかけがあれば、その過去の私よりも輝けるようになるのではないか…とか。

私はあまり好きなものを作れない。何にもハマれない事が多い。ハマったとしてもまあ、1年、2年くらいですぐに投げ出してしまう。だから何かを好きだと思っても、それは一時の感情にすぎないのだと思う。

でも、そんなことを言うと、私の周りの人は決まって言うことがある。

『でも、絵を描いているじゃない』

…絵なんて、ただ物心付いた頃から知らず知らずに描いていた、ただの習慣に過ぎない。別に暇だったら描くし、やれと言われればやるものだ。

働くことや勉強することと、絵を比べたら、絵のほうが百万倍マシだと私は思っている。

まあ確かに、働くことも勉強することも大切だし、それによって自分視野が広がるなんて、ありきたりだがままあることだ。

からといってそれを進んでやるのかと言われればまたそれは違う。

第一、私は自分が絵が得意だとか思ってもいないし、こうして文章を頭のなかで組み立てるのも人より長けているかと問われればそれはまた違うと思っている。上には上がいるのが世の中だ。

その世の中で戦おうなんて考えるほど、私は野蛮な人間ではない。競争社会なんて、生きづらくて息が詰まる。まるで、水の中というか、宇宙空間に何も装備せずに放り出された気分だ。宇宙なんて行ったことあるわけないけど。

普段の私が、何をして過ごしているかなんて結構たかが知れていて、午前中に起床することは最近はほぼないに等しい。気づいたらもう夕方差し掛かる15時っていうパターンが多い。

起床してからPCに向かうか、スマホを覗き込んでいつも通りソーシャルネットの海に飛び込むか、そんなもんだ。

PCを起動させてからは、当たり前のようにここでもネットを開き、アニメを見るか、ある言語勉強する。それか、絵描きソフトを立ち上げる。そして時々、PCメモ帳を立ち上げて物語文字に起こす。

そんなことをしながら過ごしているとあっという間に夜に差し掛かる。

ほとんど外に出ることのない私は、実は夜や夜中、散歩がてら涼しくなった外を歩くことが好きだ。しかし、最近はそんなことをしていない。心配性の人が心配してしまうから

別に心配されることをウザイだとか、面倒だとかは特に思わない。むしろ母親にそんな感情を向けられたことがないに等しい私はそれが心地よかったりもする。

世界中の人が表面上、幸せ暮らしているように思わせていても、その中には必ず陰があると私は思っている。

道行く、笑いあっている家族や友人同士、夫婦カップルでさえも、自分人生全てを相手に伝えることは困難だろうし、自分がこんなことで辛かったことがあるだとか、今こんなことで少し悩んでるんだ、なんて素直に言えるのはきっとごく僅かだから

陰が強ければ強いほど、光はその分、陰からは眩しく見える。

今、私は、世界が、全てが眩しくて、くらくらする

本当はわかっていることだ。内に篭っているばかりではなく、何らかの形で外に出る勇気を持つことだとか、人と心の底から笑い合うだとか…。

普通はみんな、そんなこととうの昔にやっていて、子供の頃になんの違和感もなくやっていて、私はそれに遅れているだけ。

別に恨んだりはしていない。今は。そりゃ昔は誰に対してかもわからない怒りを持つことは多かったと思う。それでもなかなか表立って何かアクションを起こすこともなかったかのように思う。

世の中には、こんな空っぽの私を素敵だと言ってくれる人もいる。その全てがお世辞だと分かっていながらも、私はちゃんと笑顔ありがとうを伝える。このやり取りに一体どんな生産性があるのだろうとか考えながら。

私は生産性というものにこだわりを持ちすぎているようにも思う。それは多分確信だ。思い過ごしなんかじゃない。

消費するだけの人間はいつか必ず淘汰される。この世から淘汰されることを望みながら、なのにその淘汰を恐れているのが紛れもなく私なのだ

私は決して頭がいい方でもないし、かといってスポーツ万能ってわけでも、芸術に特化しているわけでもない。

平凡から外れた単なる落ちこぼれだと思っている。こんなことを言っていても、周りはやっぱり、そんなことないよ、と笑う。私はまたそれに、そうかな。ありがとう。と笑う。また、これに意味があるのかと考えながら。

ふと、頭のなかで文章が浮かんでくる瞬間がある。なんとなくスマホメモ帳に書き留めて、それをどこに発表するでもなく、結局はメモ帳を埋めていくだけのただの文字列と化す。

勿体無い。

そんな言葉が頭の端っこで揺れながら、同じように何にも代わり栄えしない、消費しかしない日々を過ごす。

いっその事、みんな私のことをこの能無しだとか、ゴミだとか、罵ってくれたら楽なんじゃないかとも考える。それでも、実際にそんな場面になったらと思うと、また怖くなってそういった淘汰を恐れる。

結局のところ、私は何になりたいのかわからずに蹲ったまま、また今日を迎える。

何者にもなれない私は、何者かになれている人々を羨むだけなのだ

2017-09-08

疲れました。

ふとした疑問なのですが普通の家庭ではどんな会話ができるのでしょうか?

私の家は一般的な家庭とは少し違うみたいで、純粋にどんな会話をしているのかが気になりました。

親は子供の好きなものを知っていますか?好きなもの話題になることはありますか?テレビ自由にみれますか?好きなもの否定されていませんか?怒られるならどんなことで怒られますか?

支離滅裂文章だと思います。けど最近毎日死ぬことしか考えられなくなるほどにしんどくなってきたので吐き出させてください。

私の家は、私が物心ついた時にはすでに家で騒がしくしていたら「ニュースが聞こえない。黙っていろ」と注意される家でした。公園などで遊んではしゃいでいてもみっともないと注意されました。小さい頃から友達になった子はいましたが一人一人、あの子の家はこうだからあんまり…と言われたりあの子は頭がいいから仲良く、と言われたこともたくさんありました。

私は小さい頃からペンと紙を持って絵を描くのが大好きでした。そして外で遊ぶよりも中で遊ぶ方が好きで、アニメを見るのも大好きでした。

勉強はそこそこで平均くらいでしたが絵は人並みに描けていたと思います

毎回絵を描くたびに「絵なんか描いて何になる」と言われ続けてきましたがやっぱり絵を描くことが好きだったのでやめられませんでした。

アニメ自分の知らない世界がたくさん広がっていて大好きです。見るたびに「こんなくだらない、つまらものを見て何になる。つまらいかニュースに変えろ」と言われてもそれでも大好きです。

年の近い弟が一人いましたが、弟は外向的でテニスがとても得意です。

弟は小学校からテニスクラブに入っていて、中学高校でもずっとテニス部遠征によく行ったり試合がある日は両親揃って弟の試合を観に行ってました。テニスの道具なども進んで買ってもらっていたと思います

弟の方が手間かかることがあり私のことはほとんど放置で一人でいることが多かったのですが、思春期だったこともあり放っておいてくれて良かったと当時は感じていました。

私も弟がテニスを好きだったのと同じように私も絵を描くことが好きだったのでイラストコンクールなどに参加していました。

その時に、私の作品入賞して主催の方から絵を学ばないか勧誘を受けました。いわゆる通信講座のようなものです。本格的に絵を学びたいと思い親にその旨を伝えてみました。

返ってきたのは「くだらない。そんな口車に乗せられて情けない」でした。挙句には勧誘してくださった方にくだらないことに誘いやがって、詐欺だ!!とクレーム電話を入れられてしまいとても誘っていただいた方に申し訳なくてたまりませんでした。今でもふとした疑問なのですが絵を描くことはそんなにくだらないことなのでしょうか?勉強する価値もないのでしょうか?弟もテニス用具だったりシーズン毎の遠征費はかかっているのですが全て親が払っています。私は水彩絵の具や絵筆、キャンパス学校で使う以外は全て自分お小遣い範囲です。そして弟のテニスについては一言もくだらない、と言われている記憶がありません。それどころかいつも褒められていてどこか他所に行っても毎回弟はテニスが上手で…、と自慢げに他の人に話しています。私は自分の絵をくだらないと言われたことはあっても褒められたことは一度もありません。不公平に感じるのは私の心が狭いからでしょうか?

高校生の時、大学をそろそろ決めないといけない時期にどうしても絵を学びたくて美術学科があるところを視野に入れていました。昔から絵を描くことはくだらないと言われ続けていたので言うに言えずに高校二年生の冬が来ました。頑張って美術学科に行きたいこと、入試デッサンがあるので画塾に通いたいことを打ち明けると渋々了承を得られました。そこから頑張って画塾に通って同じ受験生の子切磋琢磨して厳しくても毎日が楽しかったです。でも、通っていた時にも度々画塾なんてお金無駄、と言われていたので最後までいたやめさせられるかわからないと怯えながら画塾に通っていました。

話は変わりますが親は所謂アルコール依存症のようなもので一日中お酒を飲んでいました。朝や昼、夜も関係なくひたすら飲んで落ち着いたら寝て、目が覚めたらまた飲んでの繰り返しです。なので夕方から夜にかけて寝て、私が寝ようと思った頃(23時くらい)に目が覚めてテレビ大音量で付けて夜中まで騒がれていることがほとんどです。2リットルの紙パックの焼酎?も一晩で全て無くなるくらいにはずっとお酒ばかりでした。

からでしょうか、何か少し自分の気にくわないことがあればどんな理不尽なことでも怖いことや暴言をたくさん吐かれました。

弟と違い、私はずっと否定されてばかりなのでつい気になって私をどうして作ったのだと聞いたことがあります。「間違えだった」と返って来ました。そして私は本来双子で生まれるはずだったのですが生まれる前に一人流れてしまったことも同じ時期くらいに知りました。その時から今もですがずっと間違えて生まれて来た私に生きる意味まあるのだろうか?ずっと疑問でいっぱいです。また、あの子ではなく私が代わりに流れていたら良かったのではないか?むしろその方が良くて、あの子の方が私よりも出来が良くて怒鳴られずに済んだんだろうか?所謂普通の、好きなことを、好きなものを、ありのままでいられる、ビクビクしなくてすむ家族になれたのではないかとずっと思うのです。

そして、間違えて生まれしまった私は間違いだらけでどんなにあがいても普通人間にはなれないなと毎日感じています

せめて普通人間になれるように頑張りたいと思います

書いていて自分でも訳が分からなくなりました。

anond:20170907204816

新人類世代ってあれじゃないっすか

バブル期ガバガバ面接で盆暗でもいい会社入れて

から世の中舐めてて

その癖デフレをうだうだ放置していた人たちじゃないですか

僕らは物心ついたときから「この人たちなんなんだろう」って思ってましたよ

なんか服のセンス言葉センスカリカチュアしすぎでダサい

2017-09-06

父に復讐をした

父に向かって、大学生からずっと、風俗で働いていたことをバラしてやった。

いつも通り、モノに当たって壊して恐怖政治でなあなあに済ませようとする汚い肉塊の動きがピタッと止まったのが面白くて、笑いそうになった。

父は私が生まれる前から風俗通いだの女遊びがひどかった。物に当たる形での暴力が多くて、酒を飲んで暴れるから物心つく前から女と酒の話で家庭内はぴりついていた。

幼稚園も、義務教育中も、すべてにおいての学校行事地域の参画しなきゃいけないイベントだとかに来てもらったことも、お休みに遊びに連れて行ってもらったことも無い。父としてなにをしたかといえば、金だけだと思う。それだって、何度目かの浮気がバレて、厨二病真っ盛りだった私が父の会社に乗り込み受付で父を出さないと自殺すると大騒ぎした際にその場で書かせた誓約書によるものだ。

だいぶ昔に、産まなきゃよかったと言われた。髪を引きちぎられて、湯船に顔を沈められて怖くて、お父さんに殺されると言って警察を呼んだことを覚えている。まずそもそも産んだのはお前じゃねーんだけど。

そこから完全に私の意識はどうにかしてこの男に絶望させてやりたい、の一心だったように思う。

そこそこな高校大学に行って真面目ちゃんのふりをして司書教諭とか教員免許とかもろもろ、色々と資格をとった。こんな人間は人を教える資格がないことは自覚していたので教員にはならなかったけれど、それなりに名が知れている大手就職した。別に自分の育てた子供でもないのに、地元底辺おっさんどもに吹聴して回るこのクソ男が憎くて仕方がなかった。

それでもここ数年は酒の量は増えても女が見当たらなかったから、50手前で離婚のために奔走するのも母が疲れてしまうだろうと思って特にアクションは起こさなかったのに、5年以上前にバレた外人パブの女とまだ繋がっていることが判明した。「◯ちゃん、おやすみ(ハート10個くらい)」のLINE送信せず寝落ちしていたのを見られる、という無様な姿だった。

もう限界だと母が言ったので、それならきちんと腹を割って話しをして終わらせよう。ということになったけれど、あの男は自分存在が上でないと許せない人種で、自分の納得のいかないことはすべて陰謀にする人間であるので、まともに自分の非を認めるはずもない。

逃げに逃げを重ねるのをみかねたので、お前の父親稼業の成れの果ての私はここまで落ちぶれてるんだけど、それでもこんな態度をとるの?と聞いた。

小学生に上がる頃には父に対し憎しみしか抱かなかったこと。友達のお家に土日に遊びに行ってお父さんが普通に在宅している家庭に負い目を感じて引きこもりになったこと。父方の実家に送られた際に祖母や叔母に円満な家庭であると嘘をつくことが辛かったこと。やりたくもない行政書士とのやりとりを代行させられて精神的にストレスであったこと。産まなければよかったと言われた中学生の当時からずっと向精神薬睡眠導入剤が手放せないこと。どのようにして生きれば父に復讐ができるかを考えて、「夜の女にうつつを抜かすなら私もそこで働いてやろうかな、ちょうどお金もないし。」と夜職を選んだこと。

おおかた吐き出してやったのになんにもスッキリしなかった。自分のやって来たことに対しては顧みず、ただ自分の娘が夜をやっていたこにのみショックを受けているようだった。すべてお前がやったことが原因なのに、本当にクソ男だと思う。

うっかり社会人になったので風俗はやめたけど本当はオナクラヘルスソープと在籍を変えて行って円光もしたし今だってソープから引き抜いた毎回8万くらいくれるパパ(笑)がいる。それでも恥が勝ったのか、ただ風俗で働いた、ということしか言えなかったけど。自分がここで働いたことは別にお前のせいだ、と正当化するつもりはない。ただ、精神的にショックを与えられたらいいなとは思った。

離婚をしたら母の戸籍に入り、やがて母の戸籍からも抜ける。子供も産むつもりもない。正しい家庭と正しい父親を知らないからきっとろくな家庭にならないと自覚している。なにより私は一人っ子から、このクソ男の血縁は私の代で終わらせなければいけないと思っている。

まだ序の口だ。自分のしでかしたこと、20年以上ずっと家庭に与えたダメージを気づかせられている気がしないから、これ以上の絶望を与えるにはどうしたらいいのか、ばかりを考えている。

2017-09-05

天然培養デブ処女アラウンドサーティ

 物心いたころにはデブスだった。

 おおよそ30年間の内、痩せていた時期がない。

 自分自身、太っているのはよく分かっているし、それが美しくない、などという曖昧表現に納まらず、ストレートに申し上げれば醜いことも理解している。風呂上りに鏡で見る裸体は掛け値なしに本当に醜いと感じる。美醜という点でも、健康という点でも、「出来るなら痩せていた方が良い」ということは重々承知している。この「出来るならば」が曲者なのだ。私が思う痩せたい/痩せた方がいいという理解判断気持ちは、分かりやす表現すると、宝くじを買っていないのに「あ~3億円の宝くじ当たらないかな~」と夢見るようなものしかない。解決する気、つまりやる気がないのである。ちなみに私は宝くじを買っていないのによく宝くじ当たらないかな~と口にする。

 このやる気がないことはありとあらゆることに繋がっている。デブという体系以外の服飾や美容や化粧というものにもやる気がない。服飾や化粧や手入れでドブスがブス、ブスがまぁちょいブスくらいには変わるものなのかもしれないが、いたずらに耳目を集めるような汚さ/臭さ/奇抜さがなく、最低限の清潔感さえあればいいやと、仕事でもプライベートでも家でも全てユニクロを着ている。

 デブであることも運動食事療法生活習慣などを見直せば当然痩せるだろうが、努力してまで現状を変えようというガッツがない。美味いものを食って美味い酒を呑み、ろくに運動せずだらりと過ごすのが好きだ。

 幼少期から今に至るまで、テロメアに異常でもあるのだろうかと思うほどに運動が苦手であるが、克服しようという気がない。苦手なものは苦手なままでいいや、積極的に関わろうとしなければいいや精神だ。

 学生時代学業はそこまで悪くはなかった、ストレートで中の下といったそこそこの大学へ進学し、ストレート卒業した。努力をすればよりレベルの高い大学に進めたろうし、今だって勉強すれば知識は増えるだろう。でもそこまでやる気がない。

 料理掃除スキルもない。部屋は乱雑でごちゃごちゃしているし、未だに実家暮らしている上、母が料理が得意なので全てまかせている。家事スキルというのは人間として高いに越したことはない。どちらも経験を積めばある程度はレベルがあがるし、努力すれば身につくものだ。でもやらないで過ごしている現状が楽だ。

 人とコミュニケーションを取り交友関係を広げていくことは、トラブルに巻き込まれることもあろうけれども、悪いことではない。でも一人が気楽だ。

 当然、若いころは周囲も若かったのでデブであることを積極的からかわれ、なぜ自分はこうなのかと考えたこともあるが、デブであることは純然なる事実であったし、特に顔を真っ赤にして怒るようなことでもなかった。なによりそのころにそういったストレート事象で人を罵倒するタイプの子供というのは、悲しいことに得てして馬鹿だった。本当にごく一般的で、大した事のない自分よりも学校勉強すら出来ない馬鹿言葉を気にして反応する必要はない。そうしてなぜか無駄なほど高飛車形成されていた心の強さにより、そういった罵倒を全て無視した所、まぁ当然嫌がる反応を見たいからこそ投げられる暴言だ、頻度が酷く減っていき、気付けば自分も周りも大人になって、そういった言葉は投げかけられなくなった。

 本を読むこと、音楽聴くこと、歌うこと、映画を見るもの絵画を見に行くこと、そういったことは昔から今に至るまで好きだ。好きだからこそ努力していない。努力必要ない。それぞれでプロを目指している訳でもなく、自分楽しいと思える範囲しかやっていない。学生時代はかなり厳しい部活動所属して自分を追い込んでいたし、結局やめることなくきちんと務めきったが、その経験から精神を病んだり苦しんだりしながら努力を重ねるほどやりたいことではないなと思った。当然アマチュアレベルだしプロを目指すほど上手くはない。

 人と深く交流することも面倒で、必要最低限で済ませた。一人でも楽しめる趣味世界は溢れていたし、十分楽しいのだ。

 こうやってぐだぐだと思考を重ねていくことも好きで、SNStwitterだけやっている。趣味の話をする友人…と私が思っている対象もそこそこいる。

 そんなやる気もガッツも一切ないデブスなので、当然交際経験もない。処女というと性行為をしたことがない意味になるが、そもそも交際経験がないのだ。異性の友人もいるが、友人として成り立てるということは、価値観が近いということで、そりゃデブスに興味はないのである。見目麗しくなく、得意なスキルもなく、努力を重ねる高い精神性もない人間と、一体誰が好き好んで深い関係になりたがるというのか。自覚があるし理解もある。

 利益があるから好きになるんじゃない、というのが恋とか愛の定説だろう。きっとそうなんだろうなと音には聞く。他人事なのは特別好きになった相手もいないからだ。齢30を手前にして、恋とはどんなものかしら~なんて考えているなんて大笑いである。しかもそれが美しい娘が窓際で歌う小鳥ハーモニーを重ねるのではなく、ユニクロを着たデブスが乱雑な部屋で光る画面を見つめながらだ。

 承認欲求は人と同じほどあるし、彼氏/彼女は正直欲しい。女なのだろう?彼氏じゃないのか?という部分に関しては、正直どちらでもいい、両刀/バイやⅩジェンダーなのか?と聞かれても困る。なにせ交際経験がないからだ。より正直に言えば、男/女/LGBTに関わらず、別に動物でもいい。哺乳類以外も好きだ、爬虫類などね。虫は苦手だが蜘蛛は好きだ。でもまぁ彼氏/彼女と並べるなら変温動物よりは恒温動物がいいな。じゃあペットを飼えと思われるだろう。ペットに憧れはあるが中途半端に繊細なハートの持ち主なので、いわゆるペットロスペットに先立たれることに耐え切れないのが目に見えているし、やる気がないのだ。

 寂しいときに甘えられ、向こうが甘えたいときに甘やかしたい。そんな欲求ゆえに彼氏/彼女/恒温動物が恋しくなる。でもそれはつまり都合の良い相手が欲しいというだけで、苦労し努力してほど捜し求めたくない。ここでもやっぱり結局、やる気がないのだ。

 死にたい訳ではない、楽しいことは沢山ある。まぁ嫌なことも多いけれど。あと、まだ30歳前であるが、今後死に際も一人かと思うと猛烈に怖くなる。私は末っ子だ、不摂生が祟って早死にしなければ、身内と呼べるコミュニティの中では最も遅く死ぬことになる。じゃあ早死にしたいか?というと、絶対嫌だ。出来る限り楽しく生きたいとさえ思っている。じゃあ不安解消の為に努力をするか?といえば、やる気がないのである

 自分別に特別人間じゃない、ということはよくよく分かっている。つまりはこういうやる気のないが人寂しい人間というのは一定数確実にいるのだ。そういう人同士が寂しさを埋めるように体温を分け合えばwin-winじゃないかと思う。需要供給が成り立っている。でも実際そういう人間を探そうというやる気が私にはない。多分まだ見ぬ同じような存在もやる気がないのだ。

 出会えば幸せになれるかもしれないが、出会おうとするやる気がない同士なので出会えない。無気力ジレンマとでも名付けたい。

 私は生まれながらの天然培養デブ処女、年齢はアラウンドサーティン。寂しい、評価されたい、愛されたい、愛したい、頼られたい、良く思われたい、楽に行きたい、尊敬されたい、etcetc…欲望はつきない。でもその欲望をかなえるべく努力はしない。やる気がないからね。

2017-09-03

物心付く前からお前は頭が良いとか要領が良いとか、周りの大人によく言われた。

小学生の時は、他人の3割努力をしていればテストで1番になれた。

3割の努力偏差値60の高校合格した。

3割の努力偏差値50の大学合格した。

他人の3割しか努力出来ない普通或いはそれ以下の大人が出来上がった。

2017-09-02

歴史勉強をしはじめた時、ベルリンの壁崩壊ソ連崩壊自分の生まれる少し前に起こったことだと知った時に不思議気持ちになった。こんなに大事件が最近のことだったのかと衝撃を受けた。第二次世界大戦は遠い昔な気がするけど、第二次世界大戦から続いた冷戦自分が生まれる少し前に終わったんだということが不思議だった。

今の40歳の人たちとかならもう中学生くらいで当時のニュースとか世間雰囲気を覚えてる人も多いのではないだろうか。歴史教科書に載るようなことをテレビニュースで見ていた人たちはどんな気持ちで見ていたかとても気になる。親に聞けと思うかもしれないけど親とは連絡が取れなくなっているので聞くことができない。

しか自分記憶がある2000年代以降に起こった世界史に残りそうなことをWikipediaで見ていだけど特に記憶がない。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2000%E5%B9%B4%E4%BB%A3

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E4%BB%A3

日本で起こった震災記憶はあれど、イラク戦争オバマ大統領誕生した時やアラブの春などのニュース雰囲気とかぜんぜん思い出せない。今振り返れば大きなニュースだったと思うし世界史に残る出来事だと思うけれど、その時はただ日々の生活をしていただけだった気がする。

もしかしてベルリンの壁崩壊ソ連崩壊という大ニュースだったとしてもその時に物心が付いていた人でもあまり覚えていない人もいるのかな。

https://anond.hatelabo.jp/20170901192719

僕も物心ついてからずっと定期的に死にたいなーって思ってたけど,栄養バランスがまともな物食べてるときは死にたさもなくなってたのでまともなもの食べるのが良い。

2017-09-01

23年間感じてきた生き辛さの理由がわかった

メンタルクリニックに行った。

ADHDだと言われた。

私は怠け者でも飽きっぽいのでもなく、病気だった。

私は小さい頃から本が好きで、一度読み出すと止まらず、親が呼ぶ声も聞こえなくなるような子どもだった。

その反面興味のないものに関してはかなり集中力がなく、授業中は先生の話を聞かずに大好きな本の世界空想をしてばかり。通信簿には集中しましょうとよく書かれていた。

先生の話を聞くのは苦手だったけれど、それでもテキストを読めば単元の内容は理解出来たし、高校大学第一希望に受かった。

人付き合いはそれほど得意ではなかったけれど、環境が変わる度に友人が増えていき、恋人も何回か出来た。自分は熱し易く冷め易い、ちょっと片付けが苦手な普通人間だと思っていた。

大学ストレート卒業した後商社入社した。

配属された部署事務仕事も覚える必要があり、スケジュールに気をつけた細かい作業必要とされる場所だった。

入社から4ヶ月経った。

ケアレスミスが減らない。

上司や先輩の指示が頭に入らない。

資料をすぐ失くす。

デスクの上が片付けられない。

自分でもどうしてなおせないのか分からなかった。

周りにどう思われているだろう?

私を採用したのは失敗だったと思われていないか

使えない新人だと皆陰で言っているんじゃないか

学生時代は気にならなかった自分のだらし無さ、集中力の無さが仕事で浮き彫りになり、周りの目が気になって、失敗する度に気分が沈んだ。

ミスをしないように、物を無くさないように、先輩の指示を聞き漏らさないように。

気をつけてもミスは減らないし、散々探した場所から資料は見つかるし、先輩が話している間はずっと先輩のワイシャツレパートリーについて考えていた。

自分でも異常だと思った。ネット検索し、ADHD記事に行き当たった。

片付けられない、忘れっぽい、飽きっぽい。自分にも当てはまるかも?と読み進めていたが、デイドリーマー、頭の多動の項を読んだ瞬間、自分ADHDなのだ確信した。

先生が、上司が、先輩が、人が話している間、人の話が聞けない。体はじっとしているが頭は物凄い勢いで別のことを考えている。物心ついた時からそうだった。皆も多かれ少なかれそうなのだと思っていた。それは普通のことではなかった。

すぐにクリニックを予約し、ADHDの疑いがあると診断を受け、薬を貰った。

ほっとした。自分は怠け者で飽き性な駄目な人間だと思っていたけれど、それは脳みそのせいだった。

薬を飲めば明日からは皆のように普通人間になれるかもしれない。素直に嬉しかった。

診察中ちょっと泣いて、その後は母親に会いに行った。病気のことは言えなかったけど、いつか言えたらいいと思う。

恋人は私の下された診断について懐疑的だけど、いつか向き合ってくれると信じている。

おかしな話だけれど、病気だと分かって前向きな気持ちになれた。

2017-08-31

https://anond.hatelabo.jp/20170831011013

年齢とか性格の違いじゃないか

うちも姉妹だけど年子なので

母曰く姉は「物心ついた頃には妹が当たり前のように存在していた」と言う感じで赤ちゃん返りとかもなかったらしい

これがある程度年が離れていると「下がいなかった時は自分けが王様だったのに!」ってな認識になるのでは

更に上が独占欲が強い性格だと苦労するらしいね、「自分だけの時は親の愛情100%自分けが受けられたのに!」ってなるから

2017-08-19

なぜ自分が生まれてくる世の中の方がよくなると無条件に信じられるのか

重度心臓患者で、幼児期の手術で一命をとりとめた。

せっかく助かった命だが、俺が生まれた時に親はまだ30代前半で、もう一人産もうと思えば産める年齢だったが、俺が病気で生まれたことで、俺は一人っ子になった。

そして、俺には大した才能もないようだ。俺の病気遺伝しない。

計算してみよう。俺が生まれてきた事で、社会は重度心臓患者を一人ゲットした。

しかし、俺が幼児期に死んでいれば、親はもう一人子供を作って、その子は99%以上の確率で健常者であっただろうから社会は健常者を0.99人ゲットできたはずだ。

どう考えても、これは、俺が生まれてこない方が社会プラスになったのではなかろうか。

なぜ、世の中の人は、自分が生まれてくる世の中の方が無条件に良くなると信じられるのか。そうやって無条件に信じるのは、傲慢ではないのか。あなた物心付く前に死んでいた方が、社会は少し良くなったかもしれないのに、なぜ、エビデンス理由付けもなく、自分は生きていて当然みたいな顔をしているのか。それが腹が立つ。

自分が死んでいた方が少しは良い社会になったはずだと確実に信じられる私みたいな事情があれば、生まれた罪を自覚するのではないか。生まれてこない方がよかったのに生まれてきてしまった罪を持っている人は、私だけではないはずなのに、なぜ、正しい罪悪感を持って生きているのが私だけなのか。それが納得がいかない。

健常者の中にも、生まれてこない方が社会が良くなった可能性があるのにもかかわらず、生まれてきてしまった罪人がいるはずだ。なぜ、罪人としての自覚を持って生きる人がこれほど少ないのか。なぜ、自分が罪人である理解している人がこれほど少ないのか。なぜ、社会は私だけを罪人扱いして、健常者を罪人扱いしないのか。健常者の中にも、罪人がいるはずなのに。

私は生まれながらの罪人であることに自覚的に生きてきたし、そのための償いも社会に十分して、働いて還元してきたはずだ。私は生まれた罪を償った。もっと、生まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して、働かせて罪を償わせる仕組みを社会実装していかなければならない。

まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して働かせて社会に貢献させることこそ、正義だ。私が苦しむのは正義。これを読む、生まれながらの罪を持たない無垢な人が私を苦しめるのも正義無垢なのに私を苦しめないのは不正義だし、生まれながらの罪人なのに罪を償わないのも不正義だ。私を苦しめない大多数の人間不正義だ。

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818170631

子供いるんでしょ?親に「性欲が制御できないので、外に情婦がいます」みたいのって子供物心付いたら歪む理由だと思うけどね。

別にそれでも構わないというなら、私は構わないんだけど。

2017-08-17

臆病な祖母

ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。

こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話

祖母沖縄県中部農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。

毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。

だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

突然学校ウチナーグチ沖縄方言)を話すことを全面的禁止されたのだ。ウチナーグチ本土人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、

こんなもの日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。

日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ

ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。

祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)

そんなこわがりな祖母一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。

しかしそんなしみったれ学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍沖縄本島上陸する。

祖母家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。

毎日「悪いようにはしない、県民大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。

米兵捕虜になれば男子死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたかである

現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめ手段いくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。

毎日から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。

ガマ(洞窟)や墓には日本兵も隠れていた。

米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。

しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。

この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。

このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれ死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。

米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。

何日か経ってとうとう米兵が墓の付近うろつきはじめた。

ここから驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである

死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。

もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍バンに乗せられていたらしい。

祖母が声を上げたおかげで結果的家族自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。

このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。

私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。

真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。

祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母勇気を思う。

※補足※

ブコメで以下のようなご指摘を頂戴しました。

>些細なことだし、現代の人にわかやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代義務教育と照らして分かりやすいように祖母説明してくれたのだと思います

紛らわしくて申し訳ございません。ご指摘ありがとうございました。

父と母と継父

最初に断っておくが、この話にはオチはないし、見るべき教訓もない。

それでもただ書きたいだけだ。

実父は経済苦でうつ発症自殺し、継父の元で育てられた。

今みたいにうつ一般的でもなければ理解がある時代じゃなかった頃の話だ。甘え病、怠け病として母ともども辛い目にあったと母に聞いた。

俺が物心つくまえに首をつって死んでしまったのは幸か不幸か、今となってはわからない。

もし実父を父として認識できる年になった後に自殺されていたら、多分俺は今以上に精神不安定だったろう。

実父の父、俺から見れば父方の祖父も詳しくは知らないが両親の結婚時には亡くなってたそうだからやっぱりまともじゃなかったんだろう。

その実父の遺骨だが、実父の実家は受取を拒否し、母方の祖父墓地の隅っこに小さな墓石と供に収めてある。

曰く「一家の恥さらしの遺骨などいらない」、だそうだ。時代差し引いてもまともな家庭ではないだろう。

母方の祖父お酒を飲むと人が変わる人だった。戦争きっかけにお酒に溺れるようになったとも聞く。

祖母に対して暴力を振るうこともあったとか亡かったとか聞くが、俺が祖父なついていた為、あまりその手の話は聞かされなかった。

だが酒を飲むと人が変わるのは子供心に嫌だった記憶はある。

祖母がなくなってから身体も弱って、ふらつきながらも酒と煙草を手放さなかった。

戦争きっかけなのか、元がそうであるのかは分からないが、精神的に弱い人ではあったのだろう。

精神的な病とは無縁な継父の血を引いた妹もうつになり、母親は看病疲れから自分うつになり、

最後ストレスからがんになって2年であっさり死んでしまった。

思うに両親をくっつけたのは、歪んが家庭にうまれた者同士の共感であり、モデルとする父親像、母親像を持たない故にいずれ結婚生活破綻したと思っている。

そして継父の子である妹が精神を病んだことから見て、母親の育て方には子供を歪ませる要素があったのだろう。

精神的に脆弱遺伝子を受け継ぎ、子供を歪ませる母親の強い影響を受けて育った俺は、

30前頃からうつにかかり5~6年かけてずるずると悪化し、ついに最後はまともな時間に起きて会社に務めることすら困難にクビになった。

そして病院役所から労務不能の評価を受けることになり、生活保護を受けることとなった。

生活保護経験談を見ると、両親が生活保護を受けている中で育ち、自立した子供の話がある。

勿論、美談になるくらいだから、それは限られた成功であることはわかっているのだが、それでももしと思う。

実父が生活保護を受けてでも、世間から後ろ指をさされながらでも生きることを選んでくれていたのであれば、俺の生活は全く違っていただろうと。

継父は中卒で工場に勤め始め、そこで定年まで働き続けた人で、年功序列が長い分、稼ぎはいいが頭が悪い言葉は悪いが本当に頭が悪い。頭は中卒のまんまだ。

例えば、ある程度の物事を知っている、あるいは調べられる人間なら連れ子とは言え

親子関係にある人間が「生活保護を受けその過程自己破産」すると言えば、何らかの、通常ネガティブな反応を示すだろう。

中堅企業役職クラスなら「この恥さらし」がの一言でもありそうなものだが、返ってきた反応は「ふーん、よく分からんけど」だった。

実の娘であるところの妹に対しても似たようなものだったので、そう言う人。

彼に自分が抱いている苦しみを理解してもらうのは不可能、そう不可能なのだ

実父だって決して頭が良かったとは言えないだろう。

勉強はできたそうだが、「何を利用しても恥知らずと罵られても生き残る」ずる賢さがなかった。

生活保護は恥ずべき行為だ。自己破産もだ。

だが、もしあの時、あの時代、今のようにセーフティネット情報へのアクセスが容易であれば。

例え後ろ指をさされようと、公的に認められたセーフティネットを使い、卑怯だと罵られても生きていてくれたらな。

両親が離婚し、籍の上では父親でなくなっていたとしても、この苦しさを吐き出し、それに対して何かの助言をくれていたんだろうか。

寝れない頭でそんなことを延々と考えている。

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812104619

捕虜虐殺なんて物心に余裕のない軍隊はどこでもやってるし、全滅するまで戦うのもよくあることだ。ただ程度の差はある。

日本軍では降伏撤退ゲリラ戦とかを選ばずに得るものもなく戦って玉砕するのが常態化した。

どうせ結果は死だからって、すぐに玉砕する必要別にない。玉砕を選んだのは日本軍精神主義だよ。

もちろん撤退支援できないし戻っても食わせる飯がない、ゲリラ戦なんてするノウハウがない、っていう戦略事情もあるけど。

2017-08-11

物心ついてから20年が過ぎた

思い出がアニメゲームしかない。

友達との思い出もアニメゲームの話をしてた思い出しかない。

スマブラカスタムロボで盛り上がった思い出はあるけど、アニメゲーム関係ない思い出がない。

だけどアニメゲームもそんなに好きなわけじゃない。

もっと面白いものが見つからなかったらダラダラ遊んでいただけだ。

人生が薄すぎる。

これをあと3回ほど繰り返して85ぐらいになったら俺は死ぬのか。

4倍に重ねてもペラペラのままの人生だが、それで終わるのか。

俺の人生はこんなにもペラいのか。

子供の頃、偉人自伝を読んで「こんな大きな字で書いて200ページで書ききれちゃうのか。人間人生って案外薄いな」と思ったものだが、俺の人生と比べるとべらぼうに分厚かったんだな。

しろ文字に起こす価値がある基準として偉人自伝レベルの濃度を求められたら「増田満寿夫の人生 特になし」の一行で終わるな俺は。

悲しい。

何だったんだこの人生は。

2017-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20170810001001

ゲイカップルはかなり早いうちに気付くと思うぞ…

物心ついた時点で、周りの友達は皆お母さんとお父さんがいるし絵本アニメも皆そうなのに

何でうちはお父さんが二人なんだろう?になるだろ

片方がMTFで女にしか見えない、ってなら気付かないかもしれないけどさ

2017-08-07

人生長くない?

自分物心ついた時から働いている両親が今も働いていてあともう10数年間(場合によっては20年以上)働かないといけないことを思うとなんか無性に人生が長く感じられてとても無理ってなるんだけど。周りの年長者(40〜50代)を見ても仕事責任だらけ歳相応の要求だらけだし身体は衰えるしお金時間も余裕がないしで全然楽しそうに見えないんだけど。もう若くもないし人生あらかた決まって後は下り坂をどれくらいゆっくり走り切るか、みたいなノリの40歳から寿命まであともう40年生きなきゃいけないとか普通に人生長すぎると思う。生き続けるモチベーションをどう供給したらいいか全く分からなくなってきた。あと3年くらいでみんな一斉に寿命ってことにならないかな。

2017-08-06

https://anond.hatelabo.jp/20170806165315

うちの場合は、母が考えることが嫌いで生活設計が建てられないタイプで、父が超しっかり者タイプだったんですが、私が3歳のとき離婚して、子供2人は母に引き取られて育ちました。

まあ、地獄でしたよね。

環境のせいだったのかは分かりませんが、兄は統合失調症発症し、私は双極性障害発症しました。

診断こそされてませんが、兄も私もどちらも微妙パーソナリティ障害が入ってる感じです。

子供は親を選べないし、物心つかないうちに両親が離婚しても、親権取ったほうに自動的に引き取られる。

両親揃ってても、片親でも、親に問題があれば子供は苦しみますね。

ただ両親揃ってるほうが、経済的な面で安定してる場合は多いのかなとは思います

2017-08-05

物心ついてから20年以上ずっと右の乳首だけ陥没乳首だったんだけど

最近になって何もしてないのになぜか普通になった

けがからない

2017-08-04

クラス友達が死んだ

突然、担任が教壇の前で、授業後大事な話がありますと言った。

英語の答案返しをしていた。夏休みまであと1週間を切り、教室はどこかふわついた雰囲気が漂っている。各々夏にどこに行く、何をするだの小声で話していた。

授業後、担任教室に入ってきた。

担任は、どこかずれている。思ったことを言語化するのが苦手で言い間違えや方言が多々混じる。今回も試験の成績が悪いか夏休みしっかり勉強しろといったニュアンスのことを茶化しながら聞くのだろうなと思った。

「今朝東山君が亡くなりました。」

意味が分からなかった。

亡くなるとは何だろうか。明日明後日永遠に会えないし、話せない、何かを共有できなくなることなのか。

そんなはずはなかった。

昨日、東山国語試験に遅れて0点になったことを冗談めかして嘆いていた。

校内で1番厳しい先生の授業中、ムカデが思わぬところから出てきて一緒に必死になって笑いを堪えていた。

入学当初、人見知りで誰にも話しかけられずどこか距離をおいていた私に声をかけてくれた。

担任交通事故だと言った。葬儀の詳細は分かりしだり連絡すると言った。気分が悪い人は早退していいと言った。

「それとついでに言っとくけど、レポート出してない人多いから早く出してね。」

課題提出の催促で話は終わった。

物心ついてから初めての死だった。

今日というのは昨日の延長線で等しく全てに与えられるものだと思っていた。

あいつの分まで生きようなんて白々しいことはまだ思えない。

心のどこかでは、また教室にひょっこりと現れるんじゃないかと思っている。

駄文失礼しました。他に吐き出すところがないのでここに投稿します。

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