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はてなキーワード: 物心とは

2018-05-20

anond:20180520215121

物心ついた時から結婚すると仲違いばかりで不幸になる・・・そういう話を山ほど聞かされてきて、幸せな家庭なんか何処にも存在しない気がするんだよな

まあ結婚しないわな

2018-05-18

卑屈を直したい

虐待などされていないのに、物心ついた時には愛着ミスった虐待された子供のような人だった。

長じて距離を置いてから両親と向き合っても、幼い頃の思い出や周囲との関わりを思い出しても(アルバムをめくっても)、私の両親は、そりゃあ完璧理想の親ではなく人並みに失敗や未熟さはあれど、普通か、優しく暖かい両親だ。

でも5歳の時には既に私は、母が私を叱ろうとすると、母が語気を強める前に、ごめんなさいごめんなさい怒らないで怒らないでと、勝手に盛り上がって勝手にどんどん大泣きする子供だった。泣き虫だったか母親は大いに困ったし、今思えば、だいぶ母を傷つけていた。

ちょっと空気を読むのが苦手な方だったり、自意識過剰だったりで、私は浮いた子供だった。今では少し浮いた大人くらいにまで落ち着いて普通フルタイム正規雇用社会人普通にやれている。

けれど、どうやら、心根がめちゃくちゃに卑屈だ。自意識過剰情緒不安定なところがある私だけれど、元を辿ると、とにかく物凄く、異常なまでに、自分存在を後ろめたく思っているところがスタート地点なので、色々ゆがんでいる気がしてきた。

まるで親から幼少期に十分な愛情を注いでもらえず心に穴の空いている人間のようだ。

いや、そんなこと、全然ないんだけど。

だいぶ普段は、一般人のふりも板についているけれど、メンヘラというほどメンヘラではないけれど、心を許した親友に「卑屈すぎて疲れる」と距離を取られたこともある。

仕事をしていないとき原罪に押しつぶされそうになる。呼吸をして二酸化炭素を増やし、営みで電力と自然環境を消費し、化石資源を食いつぶし、食料品排泄物に変換する自分が後ろめたい。

仕事は、まぁ上手くモチベーションを持って積極的にこなしていると思う。失敗しなくもないけど、よくやってると思う。周囲とも、飲み会愚痴を言ったり言われたりくらいで、そこそこだ。それなりに疲れるけど。

繰り返すが虐待とかトラウマとか、本当に無い。だからこう、過去に向き合って昇華するとかそういう解決策は無い。

原罪から救済されたいし、人生謳歌したい。うまく言えないけど。趣味はある。友達もいる。助けてほしい。

anond:20100125174245

なんか全然数字脈絡がないけど、時給3000円で365日で1000万なら1日あたり9時間働かせられる計算になるよね。1日中世話の必要幼児がいるなら別だけど、子供がいなかったり物心ついて手間がかからなかったりすると9時間家事育児しないよね?

自分家事育児全般やってるけど、まぁせいぜい従事してるのは1日5〜6時間がいいとこ。育児がなければ2時間くらいで十分。

となると200〜650万円だけど、文句も言わず服飾費もかからないプロを雇ってこれならすごい効率的じゃない?

ちなみに風呂掃除1万円はエプロン外して大掃除するやつだから半年に一度やれば十分。後、最近マッチングサイトがあるので3000円も払う必要もない。ベビーシッター時給1700円でお願いしたわ。男性だけdisってるのもようわからん。一日2時間程度のまともな家事のできない男性女性なんて山ほどいるよね。

2018-05-17

姉妹の姉の話

となりのトトロは私が物心付く前からあるジブリ作品だ。

細かな日常風景描写から、ふとした時に素敵な未知の世界へ連れ出してもらえるような気がして大好きだ。

幼い頃の私は毎日テレビに張り付いて、VHSに録画された金曜ロードショー放送されたとなりのトトロを飽きることなく見ていたそうだ。

母が「あなたはお母さん、お父さんという言葉トトロを見て覚えたのよ」と話す程だ。

しかし私は歳を重ねるにつれ、となりのトトロを見るのが面白くなくなった。

もちろん、知らない世界へ案内してくれる色鮮やかさは少しも褪せていない。

なぜか

私自身が姉だったからだ。

私には3つ離れた妹が一人いる。

他に兄弟はいない。

二人姉妹である

私は見る回数を重ねる度、姉妹の妹メイの行動を不愉快に思うようになったのだ。

自身子供ながら己の感情を抑え、冷静に取るべき行動を取るサツキ

己の感情的に素直に行動するメイ。

トトロを観ている時、私はサツキだった。

不安感情を押し殺し、状況を確認する。

妹にもわかってもらい、情報を待ってもらおうとする。

しかしここで黙っていられないのが妹だ。

姉の冷静な行動を無に帰すかのごとく感情のままに行動する。

私には耐えられなかった。

不安なのは自分も同じであること、それを堪えて行動をしていること、何故理解してくれないのだろう。何度も思った。

途中サツキは声を上げて泣くシーンがある。堰き止めていたものを止めきれなくなってしまうあのシーンで、私は一緒に泣いた。そして、身勝手な行動を取るメイに腹が立った。

何故、冷静に行動できないのか。

何故、安全な行動を取れないのか。

何故、我儘に動くのか。

何故、大人しく待っていてくれないのか。

何故、今自分が置かれている状況と取るべき行動を照らし合わせてくれないのか。

これは私がメイに思ったことであり、実の妹へ抱いた思いだった。

そうして私はトトロを見る度メイの行動への不快感を募らせた。


いつだかトトロ金曜ロードショー放送された時、妹も口を揃えて「トトロ面白くない」と言った。

何故

サツキの行動に納得がいかない」

妹は言った。

なるほど

私は今までサツキカンタ大人目線しかトトロを観ていなかったんだと気付いた。メイは?

なんでメイはあの時勝手に行動した?

いつも大人ぶった行動を取るから

私だけが状況に置き去りにされるから

私だけが子供扱いされるから

から納得がいかない

妹は言った。

知らずのうちに妹を子供扱いしてしまっていたのかもしれない。

だけどやっぱり感情的に動くことには納得できなかった。

やっぱり私は姉だった。

もしメイの視点から見た話があれば、お互い感情的にならずに聞いてみたい。

そして私はとなりのトトロが大好きであり、決して作品否定したい訳ではないと明記する。

2018-05-16

俺は女性の耳たぶが好きなんだけど、この前まだ物心付いてない頃の話を母親からされてゾッとした。

保育園に通っていた時、妹もいた事もあり下のクラスによく通ってたという。

そこで妹のクラスメイトの女の子の耳たぶをひたすら触って遊んでいたらしい。

全く自覚してなかったけど、性癖ってこんな昔からまれものなの?

ゆりしぃ引退感情の一部を見つけたオタクの話

よぉオタク、よく来たな。

え?何で読み手オタク呼ばわりするのかって?

そりゃタイトルオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは

いかなる理由があってもオタクだろうさ。

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さて、attention!

そう、pixivlogかによくあるあれだ。オタクよろしく頼む

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・このエントリにはガルライブ5thの両日ネタバレが含まれます

オタク独りよがり解釈が含まれます

オタク独白がメインです

・例え話がアニメネタで、ネタバレを食らうかもしれません

・流れでラブライブの話もしま

・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)

・なんでも大丈夫な方のみどうぞ

・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。




さて、それでは話を始めます

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私は昔から感情の薄い人間でした。

はいっても感情が無かったわけではありません。

悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。

ただ、小学校低学年を過ぎてから、泣かなくなりました。

CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。

ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。

オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で

定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています

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さて、そんな私の過去ですが、物心いたこから捻たタイプ百合厨でした。

わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、

それ以前の私は女子プロレスキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、

嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。

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一方で成績も悪くなく、本が好きデブとしてオタクの例に漏れインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます

バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、

演奏技術として課されるノルマ相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。

感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく

――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツレベル推し測ることができるものです――

ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。

まぁそれは今も変わってないのですが。

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そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――

大学受験に失敗し、ラブライブ出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタク大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。

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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれオタクは、project DIVAにのめり込みます

extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易スクフェスに手を出します。

浪人期の私にとって、スクフェス勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ二次創作無限供給される百合

オタクオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステサービス開始一年前とかの話です。

オタクラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。

曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。

アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望共感することができたのです。

このときオタクは思い出していました。

自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。

理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズNG披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。

そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。

ストーリー死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、

どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんオタクになります

普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。

そして何気なく見てたyoutubeで、オタクラブライブライブ映像を目にします。

始めは何気なしにアニメライブか、程度で見ていたのですが、オタク気づきます中の人マジでパフォーマンスしていることに。

ラブライブアニソンの例に漏れ歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンス再現しています

このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブオタクになりました。

しかし時は5thライブ直前、ラブライブオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。

アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます

結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、

それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります

そうして、初めてコンテンツ興隆寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。

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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。

あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。

プリパラ3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。

とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。

二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、

他人からホントヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。

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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります

大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、

奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。

オタク音楽趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、

大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推し奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaめっちゃ好きです。

Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話から再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります

dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメ最終話主人公覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。

とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。

ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。

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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス

片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、

この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます

それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈リサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoselia精神的支柱だという気付きを得ます

そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。

引退。よくあることですね。ラブライブオタクとしてμ'sの実質的引退経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、

Roseliaメンバー中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタクFGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。

このオタクホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。

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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きますガルライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?

ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。

もともと田舎出身貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtube公式が上げている

映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。

ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVRoselia」くらいの認識だったと思います

許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。

その週、気の利くラッキーボーイGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属Roselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。

これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。

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GiGSに載ってたのはRoselia中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります

全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年

かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります

Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。

そして見せてもらった1stライブ中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。

そしてゆりしぃリサでした。まごうことな今井リサでした。ツッコムトークを回すわリサゆきだわでオタクRoselia中の人たちにもメロメロでした。

キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaメロメロオタクにはあまり関係ありません。

というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。

こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。

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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライト演出とかほんま神だったしポピパの中の人新曲への熱意が凄かったしでオタク普通に楽しんでいました。

ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。

ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。

そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンスライブとしてのラブライブちゃんと終わらせてなかった、

ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、

幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、

それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。

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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。

何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています

Bメロでもうダメでした。

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声となって

表情となって

導いてくれる

やさしい人よ

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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。

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二番に入り、

.

離れていても 帰る場所がある

どんな時でも 傍にいてくれた

.

Aメロリサであるゆりしぃことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。

たとえRoseliaパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、

Roseliaメンバーにとって、ゆりしぃリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。

.

太陽となって

月となって

照らしてく

つよい人よ

.

陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。

Roseliaベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、

これからRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。

.

この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます

.

ます魔法のように 囁いたの

あなたがいれば、怖くないよ」

.

.

名前を呼ぶ声

こんなにも特別な事だと

想い あふれてゆく

.

です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。

これからいなくなってしまゆりしぃが呼んでいた誰かの名前Roseliaメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別ものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。

.

最後は、全てのファンメンバーからリサへの、ゆりしぃへの「感謝を…」

カーマインの海の波間で、たくさんの感情や思いが奔流となって

2018-05-15

読み手意識して文章を書くことの悲しさ

読み手意識して文章を書くことは大切なことだが、悲しいことでもある。

ある程度までは良かった。こう書いたら反応があるだろうとか、笑えるだろうとか、そういったことを考えて書くと、確かに読み手の反応は良かった(半分くらいは良くなかったが)。

しか読み手のことを考えて書いているうちに、段々と訳が分からなくなった。ウケを狙ったつもりがただの頭のおかしい人が書いたみたいな文になり、物悲しさを醸し出したつもりがただの中学生ポエムのようになった。

ということで2年前に書くことをやめた。

2年ぶりに書いたら初々しさを取り戻せるかと思ったがそんなことはなく、一度文章を書くことについて物心がついてしまったら二度とそれは消えないんだと思った。

2018-05-09

俺のガンダムへの愛と哀をきいてくれ。

注意

たぶんものすごく長文になるとおもうから暇すぎてどうしようもないひとだけ読んでください。

語彙力文章力なんてないです。深夜のテンションで書いてます。ご了承を。

この前NHKで全ガンダム投票ってのが行われたわけだ。

そのせいか最近俺のTwitterタイムラインしょっちゅうガンダム話題が出てくる。それは嬉しい。やっぱガンダム愛されてるんだなぁとか思う訳だけど、いるんだ。一定数。火種を撒き散らすやつが。

偏見もあるかもしれないけど、だいたい発端は(ガンダム以外の)アニメアイコンのやつ。そのひとの投稿を遡ってみるとまぁわかる。アナザー系のSEED、00、鉄血あたりから入った若い世代だなって。

ガンダムを勧めるときファーストを出すやつはダメだ~とか

新作発表されるたびに批判するやついるけどそういうやつらがガンダムの発展を妨害してる的なこと言ったり

挙げ句ファーストGジェネで十分とか言っちゃったり。

最後のやつは流石にキレそうだった。いや、こんなことでキレるガノタキッモwと思うなら思っとけ。俺はそんくらい愛してるんだよ。

かくいうワタクシは新作ガンダムウェルカムではない派です。理由についてはのちほど…

話を戻して、アナザー特に平成ガンダムから入った世代がよく喧嘩の原因になってるんだよ。

んで、最近思ったのが、ファースト世代平成世代ガンダムに対する思い入れが圧倒的に違うんじゃないかと。

もちろん平成世代にもファースト世代に劣らず大好きって人も少なくないだろうね。俺もまだ二十代だし。

俺は親の影響で物心ついたときからずーっとマジンガーZとかザンボットとか80年代前後スーパーロボットものしかみてなかったんだ。リアルタイムアニメは一切見てなかった。今思うとすごい生活してたんだなって笑

んで、5歳くらいだったと思う、ガンダム初めてみたのは。もう衝撃だったよ。

今までのロボットとは違ったんだよ。

ガンダム兵器だった。ヒーローじゃなくて、兵器

当時どのくらい話を理解してたかは覚えてないけど、もうその時からガンダムの虜だった。俺にとってガンダム特別だったんだよ。それからもうガンダムしか目に写らなかったね。

日流れて中学ガンダムの話をやっと理解できるようになってきた。理解したら理解したでまた衝撃。ガンダムには善悪がなかったんだよ。正義正義の戦いだったんだよ。はぁ~すごい。これを勧善懲悪がメインでアニメましてやロボット物なんて子供むけと言われてた時代にここまで大人向けに作られたガンダムはすごいってまた虜になるわけですよ。

ここまで取り付かれると壁が出てくるんだ。ガンダムファンなら気づくと思うけど、そう。Gガン

ガンダム…なのかぁ?ガンダムゥ?って当時は思ってたけど話自体はよかったし今は割りきってガンダムかどうかは疑問だけど、スパロボとしては大好きってことにしてる。

……ここが平成から入った世代との違いだと思う。

俺みたいに最初大人向けアニメガンダムだったらまぁ同じような反応になって特別視されると思う。

ずっと米をあたりまえのものだと思って食べてたところに突然パン差し出された明治時代の人みたいな気持ち

ただ、平成世代ガンダムの影響かヤマトエヴァかは知らないけど、大人向けディープアニメは珍しくなくなったわけで。普段からその類いのアニメを見ていた世代には目新しくもなんともないただのかっこいいロボットなわけだ。だからFGOコラボしてほしいなんてワケわからんこと言えるんだ。

普段からパン食べてる人に新種のパンを持っていっても美味しいけどパンだねって流されるような感じ。

彼らにとっても特別ものになるにはなるんだろうけど、所詮かっこいいロボットからリアリティに欠けていても、かっこいいロボットであればそれがガンダムとして受け入れられ、新作が発表されるとふつうに喜ぶ。

ただ一方我々ガンダム特別世代

ガンダム一世を風靡したリアルロボットアニメという称号特別視しているので、リアリティに欠けた作品や、ほぼスーパーロボットのような作品が受け入れられない。

長かったけど、この意識の差で対立してしまうんじゃないかと。

前にも書いたけど俺が新作好まない理由ひとつとして、書いた通りの平成世代が増えるのが嫌というのがある。

もちろん、そこからガンダムに興味をもって熱狂的なファンになってくれればそんなに嬉しいことはないけど、そうじゃない人が極端に多いと思うんだ。

最近で言うと鉄血のオルフェンズ。鉄血と全く関係ないyoutubeガンダム動画を見に行くと高確率コメント欄に鉄血の話をしてるひとがいる。何事も鉄血基準三日月だったら~とかバルバトスのほうがかっこいいとか。

Twitterでも出てくる。鉄血を基準にして他の作品を貶すやつ。

そういうやつらが変なこと言ってまた論争がはじまる。

それが嫌なんだ。

新作を好まないもう一つの理由ガンダムブランドを汚してほしくないから。

これまた平成世代老害だ癌だなんだって攻撃くらいそうなんだけど。

まず、アナザーガンダムって兵器だったはずなのにいつのまにか一機二機で軍隊と戦えるスーパーロボットになってません?SEED、00、鉄血。AGEなんてもろ英雄言ってますし。

スーパーロボットとは違うぞってところが評価されたのに、いつのまにかスーパーロボットに逆戻りしてる。アナザーが発表される度にがっかりするんだ。あぁまたガンダムブランドが堕ちるって。

次に宇宙世紀

せっかく逆シャアで人の可能性を示して綺麗に終わったのにユニコーンでまた懲りずに戦争して、っていうところが逆シャアラスト意味を問いたくなる。

まぁ人間はどんな状況でも戦争するって最大限のリアルなのかもしれないけど笑

新作発表の度に拒絶反応起こす人の気持ちはたぶんだいたい一緒です。


長くなったけど、俺はガンダムを愛してる。キモいかめんどくさいとか言われても気にしないレベルで愛してる。

新作の件もなんとかじぶんに言い聞かせてちゃんと見てます

なんだかんだでガンダムだいすきなんです。

ここまで読んでくれた人、ありがとう

2018-05-08

30代で年収千万達成して10年経った

結婚して子供は二人。妻は専業主婦都内の持ち家に住んでます

旅行は年に平均3回。国内2回、海外1回。

いかにしてそこに至ったかの話に興味はありますか?

よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。

3人兄弟末っ子

少し年の離れた兄が2人。

父親高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたし物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。

兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。

すぐ上の兄から5つ離れた自分はその頃はまだ中学生

学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日

日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻常習犯。授業中も居眠りが基本。

ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥

それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。

エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退

ところが世はまさにバブル崩壊直後。

手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。

兄たちの飲食店も当然のように廃業兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。

自分は親戚の工務店職人として就職

修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。

朝5時に迎えが来て、夜20時に帰宅する毎日

免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。

ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散

退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。

財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。

その時、退職金で当時まだ高価だったパソコンを一式購入。

ダイヤルアップテレホーダイインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。

引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったとき貯金が底をついてしまったために日中就職を考える。

まだ個人パソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社入社

アルバイトとは言えはじめてのまともな就職だった。

プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。

しかし務めていくうちに社長キャッチセールスソフトウェア抱合せ販売就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産

22歳にて再び露頭に迷う。

その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいとき眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。

その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からちんこ事務を頼まれる。

急遽事務員が長期間入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。

当時、ぱちんこのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。

一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもり自分正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。

入社して早々にわかたことは、会社全体としてかなり管理杜撰ということ。

オーナーものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。

一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。

効率化されると働いてないのがばれるからだ。

人は人、自分は自分精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。

当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。

入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。

それと同時に働いているふりをしていただけの人間勝手に居場所を失いいなくなった。

その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。

20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店リニューアルがあるということだった。

いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。

ちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。

はいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。

リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。

オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。

リニューアルはなんとかうまく行ったものオープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。

そんな時、突然古参数名が一度に退職を申し出る。

当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。

ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。

当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。

ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。

毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールシフトに組み込まれしまうため、事務作業は公休日に行った。

(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホール義務といえるからだ。)

広告の手配から店舗販促、部備品発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。

休み無し、一日の労働17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。

その頃には店舗ナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。

その後は一ヶ月間自宅療養になった。

絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務ほとんどは滞りなく行われていた。

それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。

そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。

準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。

営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のとき本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメント担当することになった。

そこで私生活を見直す時間が出来、その2年後33歳で結婚

家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。

ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。

自分上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位本部長を務めている。

ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。





ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたし人生から学べることなんてものはない。

学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。

成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。

今の生活なんて、結局は運の結果でしかないということだ。

あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分絶対存在していないだろう。

こんな人生でも羨ましいと思うなら、それはもう個人勝手だ。

ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。

それが自分生き方他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。

言いたいことは一つ。

どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。

なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。

どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。

そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてもの簡単に変わってしまものなのだ

努力はその運をすこしだけ左右してくれるものしかない。

努力無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。

ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。

その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。

自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟台無しにされたことが今でもくやしくてならない。

あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。

なぜあの時にもっと兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。

他人関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。

2018-05-02

anond:20180502083748

赤ちゃんの頃は誰でも漏らしてんだろ。

物心ついた時からもらしてないぞ。

2018-05-01

もういちど、妊婦様になりたい

母親典型的毒親だった。今も毒しか吐き出さない。しかし、最近ようやく理由がわかった。第2子が産めなかった苛立ちと劣等感子どもに向かっていただけだった。いつも両親は口論していた。基本的に父の言い分が正しかったけれど、母の女性特有感情の揺れを少しでも理解していればもっとマシだったはず。

大学進学、結婚出産……18歳を過ぎた人生は人それぞれ。経験として子どもを産んでみたかった。実際、ほぼ予定通りの時期に子どもが生まれ妊婦向けビジネスの大きさや新生児の子育ての大変さ、仕事育児の両立の厳しさを知り、視野は広がった。同時に、家事子育て自体は好きにはなれず、向いていないとわかった。母も不向きだから、半ば放棄していたわけだ。3歳の子どもは「ママだいすき」と寄ってくることもあれば、「ママ嫌い」と逃げ出すこともある。自分母親になど、物心ついてから抱っこなどせがんだ記憶はない。改めて歪んだ生育環境だったと知った。

毒親の不幸の連鎖は断ち切らなくてはならない、と思いつつ、<一人出産した女性は2人以上の子どもを産まなければならない>とDNAが指示を出すとは知らなかった。そして、なぜか、子どもが欲しいと思うと巣となる家(新しい住まい)を求める。しかし、夫は子どもは一人で十分、引っ越しが面倒だから住み替えたくないといい、時間概念なく子どもと遊び続け、夫婦2人目の時間は一切なく、このままだとできるはずがない。ますます母と同じように苛立つ。

結婚出産できなかった女性は既婚女性を妬み、一人しか産めなかった女性は2人以上産んだママを妬み、2人以上産んだ女性の多くはお金がない、自分時間がないと嘆く。一人ひとり違って当たり前なのに、モデル例と比較し続けてしまジレンマ。それでもストレス度は後者のほうが少ないと気づいた。

今の日本は不幸だ。出産子ども経済的合理性判断し、授かりものではなく、自ら授かるために動くものになっている。調べたところ、今や20人に1人が不妊治療の結果、生まれ子どもという。体外受精でもいいか出産して、再び妊婦としてせめて婦人科受診時だけでも褒めてもらわないと承認欲求が満たされない。欲しいものは、モノではなく、達成感と承認欲求だ。

日本は、日々満たされ楽しく過ごす人と、劣等感と未達成感ばかり感じ、他人を羨み続ける人に二極化が進むだろう。本気で少子化傾向を解消したかったら、出産コントロール権は女性にあるべきだ。医療の発展で長寿100年が当たり前になるかと思うと、ぞっとする。あと60年、2人目が産めなかったことを後悔し、行き場のない怒りを抱き続けるくらいなら、もう十分に生きたのかな、と思う。理想人生は短く、自由に。

2018-04-24

anond:20180424202617

若者といえばテレビ離れだというのに。大手メディアの影響がそんなに大きいとは思えないけどw

テレビ持ってない新聞取ってない子たちのほうが多数派だし。

20~30代前半ぐらいの若い子と接してると、選択傾向が内向き、保守的冒険したくない、上を見るよりもここより下に落ちたくない方が優先、みたいなメンタリティが強いかなとは、思う。

海外旅行とか海外留学とかもその上の世代よりもかなり消極的(まぁ金もないんだろうが)とか、そういう結果が出ていた記憶

アラサーぐらいだと、親世代バブル崩壊で大変だった世代物心ついたときからデフレ、あらかじめ貧乏が身についてるし社会階層も分離がすすんでいる世代

小学生中学生ぐらいの多感な時期に、同級生のお父さんが不況の影響で失業した、みたいな経験をしてる子たち。

2018-04-23

書きたかっただけ

自分も含めて酷い家族だな

DVがあるわけでも、とても悲しい事件があったとかではないんだけど、人として駄目な家族

私も全然大人になれない。

小さい頃から家族容姿や頭の悪さを馬鹿にされてきたから、未だに自分に自信が持てない。

兄が出来る子だから比較されてきた。

可愛がられてきた記憶もあるけど、物心つく前から両親はギャンブルに出掛けて、その間はフラストレーションの溜まった兄から軽度だけど暴力振るわれる毎日

母に言えども子供解決しろと言われ続けた。

小学校中学年辺りから晩御飯も用意されなくなって、両親が深夜に帰宅してからのご飯が殆ど我慢出来ない場合カップ麺を食べろと言われていた。

母は共働きをし始めてから殆ど家事と片付けをしなくなった。

働き始めてからは半ゴミ屋敷みたいな家で暮らしてた。

そんな状況の中育った私はとても捻くれた。心もいつだってスギスしてる。

生きていく内に多少成長は出来た。昔は誰かと一緒じゃないと行動出来なかったけど、今は一人で外食出来るまでになった。

常に誰かに馬鹿にされてるんじゃないか気持ち悪いんじゃないかと思って、人の目線を気にしていたけど、今は人の目線を余り気にしなくなった。

外見も髪を伸ばし続けて顔を見られない様にしてたけど、前髪も短くしてオシャレもする様になった。

友達も沢山ではないけど、両手以上には出来た。

それでも肝心の精神面が全然成長しない。

心を広く持てない。短期癇癪持ち

自己顕示欲の塊。すぐに怠ける。

人前では出さない様にしてるけど、心の中でイライラしてる。

こんな自分が本当に嫌。

なんでイライラするんだろう。なんで嫌な気持ちになるんだろう。なんで広い心を持てないんだろう。

それを全部家の所為にして逃げ続けてる。

全部じゃない。全部じゃないし、自分が成長する努力を怠っているからだというのもわかってる。

でも今から性格ってどう変えればいいの?どうやったらイライラしなくなるの?常識モラル理解して自分価値観は変えられても、心を明るくする方法がわからないよ。

知り合いに裕福な家庭でずっと褒めらて育った子がいるけど、とてもポジティブで心が健やかなんだなって感じる。性格もさっぱりしてるし、人生楽しそう。

対する私。今更嫉妬はしないけど、良いな。って思ってしまう。

褒められる事って良いな。自分肯定してもらえるのって羨ましい。

全部じゃないかもしれない、でも、本当に、親からの影響って多少はあるんだよ。

同じ状況の中でも私と違ってしっかり前向いて進んでる人もいると思う。

それでも、少なからず傷付いてるよ。

こんな自分からこそ、子供に同じ様な事をするのが怖いから。一生子供を産む気にはなれない。

母親を出来る気がしない。

ずっと、ずっと思ってるけど早く死にたい

社会ゴミみたいな自分が年老いても幸せになれる気がしないから早く死にたい

今がね、一番幸せなんだよ。幸せピークって言っても良いかもしれない。

からその間に死にたいね。

自ら死ぬ勇気も無い臆病者だから、早く死ねる事をずっと祈ってるよ。

どこかにずっと吐露たかった。

全然成長してないけど、それでも死ぬ迄に内面は難しくても、社会的な成長出来るように頑張ろう。

文書力無いから全く纏まらなかった。

2018-04-21

心の両輪が逆向きに回転してもいいのだ。

前向きと後ろ向き、未来へ向かう意識過去へ向かう意識、2つの異なる渦が心の中に生まれしまうことを恐れていた。

心の中にあるエネルギーの向きを完全に一つの方向に合わせなければその場でグルグルと超信地旋回をするだけなのだと怯えていた。

違うのだ。

心の両輪は、逆向きに回転して良いのだ。

ポジティブ直感ネガティブ理論が互いを補い合いながら突き進めば良いのだ。

そのとき、心は二重反転プロペラのように働き、結果としてハンドリングした方向へと自分人生を進ませることが出来るのだよ。

エウレカ

こんな簡単なことに気づくのに私は7年かかった!

物心がついたのが2歳とするなら5年だ!

とにかくこれで、私の小学生時代は今から始まるのだ!

小学校入学には間に合わなかったが、卒業には間に合った!

それで十分だ!

2018-04-18

一流の卓球選手になるには

本人が努力意識するずっと前、物心付くよりもずっと前から

熱心な両親とコーチがいるような恵まれ環境に生まれないといけない。

赤ちゃん言葉を覚えていく過程と同じレベル卓球技術が体に染み付いていかないといけない。

牛乳お腹を壊す人はアレルギー体質じゃないのか?

まれ物心ついた頃から牛乳瓶の時から20余年飲み続けてるけど、俺一回もお腹壊した事ないよ。

単にアレルギー体質だから牛乳飲むと体が拒否って腹を下すんじゃないか?そうとしか思えん

2018-04-17

anond:20180417193543

さとり世代はまんまデジタルネイティブに言い換え可能言葉じゃないの?

物心ついたときからネットやり放題だった世代

e-Japan戦略策定され、日本に出回る携帯端末のほぼ全てがiモード対応した2001年に未就学児だった者からさとり世代に当てはまると思ってる。

まり1995年〜今ぐらいなんじゃないか

1980年代後半から90年代前半生まれはまんまデジモン世代で、まだまだパソコンとかインターネットが憧れの対象だった。

都市部はいざ知らず地方は「島根パソコンなんてあるわけないじゃん」を地で行くようなところはあった。

みんながみんな日常的にパソコンに触れられるわけじゃなかったように思う。

anond:20180105170201

自殺に失敗した

衝動的にカルモチンと同じ成分の入った薬を200錠くらい飲んで自殺を図ったけど普通に失敗した。

もっと計画的にやればよかった。

っていうかそもそも手段が悪すぎる。何故寄りにもよってカルモチン…

そもそも実家ぐらしで自殺しようとしたのが間違いだった。

普通にみつかって救急車呼ばれるに決まってる。

薬の空箱は飲んですぐゴミ収集所に持っていったのにな。

3日間意識不明入院4日目に意識がもどったらしいが

記憶があるのは入院して1週間くらい経ってからしかない。

しかもその記憶が正しい記憶かどうかもわからない。

何故か物心ついた(?)とき

自分放浪の旅に出た途中で宿代わりに入院した」と思い込んでいた。

家族が見舞いに来たときも「どうやって入院先を連絡したんだっけ?」とか聞いてしまった。

目の前の父が救急車呼んだんだよ…

その後転院したりとかいろいろしながら2ヶ月くらい病院暮らし

去年母も自殺した(母は成功した。マザコンなので凄く泣いたし羨ましいと思った)せいか

父は自殺にひどく敏感になってしまった。

都合が合えば精神科の通院にも付いてくるようになった…というか

ほぼ毎回、無理やりにでも時間を作って付いてくる。

突発自殺だったので身辺整理を何もしなかった。

フリーランス仕事をしていたので、突然の音信不通で信用ガタ落ち

自殺前とくらべて貰える仕事が格段に減ってしまった。年収二桁万台になった

自殺に失敗して生き残った結果、物凄く辛いので次は失敗したくない

しかし父の監視により前より自殺企図ハード

監視カメラを設置するレベルで警戒されてる

2018-04-16

今日明日も、毎日生き辛い

物心ついた頃からなんとなく、生きるのが辛い。

生きたくても生きられない人に私の命をあげられたらと思う。

不慮の事故で亡くなった方と代われたらと思う。

そうできたらどんなに良いだろう。

生きたくない自分が生きているなんて。

なんで必要とされている人が死んで

私が生きているのだろう。

生きていたくないのに。でも死ぬ勇気もないに。

勉強はそれなりにできた。

人間関係もまあ大きな問題なくやってきた、と思う。自分が思うだけかもしれないが。

仕事はできない。

何かしら発達障害があるのだろうな、と思う。もしくは鬱か。

死なないから生きている。

死なないから働いている。

どうしたらもっと楽しく生きられるのだろうか。

2018-04-15

昔の記憶を禊たい

増田書き込みがこんな内容というのもアレですが、読まれる前提ではなく吐き出すことに重きを置いているため読みづらいと思います。以下の内容は昔父親に性暴行未満?の行為を受けていたことを今日急に思い出したかもしれないということを長々と書いているだけです。

最近実家の浴室に椅子が再度設置された。それ以降何故か不安気持ちにさいなまれる事がたまにあり本日たまたま観ていたバラエティでその原因らしき記憶をふと思い出したがあまり曖昧であり果たして現実で起きた事なのか自信がない。

昔私は激務の父親がお風呂くらいの時間帰宅することができた場合は必ず一緒にお風呂に入っていた。弟がたまに一緒にいたりいなかったりしたが主に私が一緒にお風呂に入っていた。父親は弟の頭を流す際絶対そんなことをしなかったが、物心ついた時から私の髪の毛を洗うときは何故か浴槽用の椅子に腰をかけて太ももの上に頭を乗せさせた。その時彼は私の後頭部〜首筋に股間のそれを押し付ける。グリグリっと当時は長かった髪の毛を押し分けるような挙動をしてほっぺたに赤くなるほどの吸引力のキスをしたりヒゲをジョリジョリとお風呂から全裸の体全体に擦り付けるようなことをしていた。それを何故か母親にずっと言えなかった。今も言えない。それは緑色の浴室用の椅子の上でのことだった。小学校4年生になって引っ越すことになり浴室用の椅子が浴室から無くなると同時に父親風呂に入ることもなくなった。それ以降ずっと忘れていたというか思い出さないようにしていた事がバラエティ父親との近親相姦という文字列観測してしまい急にフラッシュバックした。相談窓口よく分からないしなんなら、自分の知ってる人にポロっと零して知られたくなさすぎるからここにそっと放流します。

何故か結婚式が将来あったなら絶対呼びたくないと思ったり、母親父親に優しくしなさいとよく言われるがどうしてもできないこれらの原因はあの浴室用椅子での出来事無意識でもトラウマになっていたからなんだろうか。生活費をだいぶ稼いでくれているのも事実から父親への親孝行老人ホーム代全額出すだけで許してほしいな。

でもあまりにも昔のことだから記憶が正しいかどうかわかりません。涙が止まらない。バイトに行けないヤバい。どうしよう困った。

ここまで読んでくださりありがとうございます

2018-04-10

私の物心いたこから母親の口癖は「この子馬鹿から」だった。

馬鹿だけど、ずっと母親に喜んでもらいたくて、立派な(=母親が自慢できる)学歴と職を得るためにがんばってきた。

少し前に、親しい友人が結婚した時、母から、私ももっと立派な職の男性結婚して孫を産んでくれる娘が欲しかったと言われた。この時、私が本当に欲しいものはどんなに頑張っても一生手に入らないのだと思い知らされた。

今は心療内科にかかっていて、意識的母親から距離を置くようにしている。

すると、それまで私にとっては絶対的な神さまみたいな人だったのに、よく見たら見栄っ張りで嘘つきで、自己主張は激しすぎる頭のおかしい人だった。

今は、こんな人に自分人生を捧げてきたことへの怒りと、この先、どうやって生きていったら分からない戸惑いとでぐちゃぐちゃになっている。

普通はみんな、どうやって生きているの?何を基準として選択をして、何を目的に日々がんばっているの?

2018-04-09

anond:20180409123805

おそくね?ふつう未就学児の物心いたころ見放題だろ

そんでもって小学生低学年でも結構みる

中学年だとさすがに減ってきて高学年だとかなりレアになる

中学高校生はかなりレアだけどたまにみえときが格別

大学はひきこもってたから知らない

2018-04-07

anond:20180407231000

親がいなくて親戚に育ててもらった。

もちろんその親戚にはとても感謝してるし、できるだけのことはしてもらったと思うのだが。

物心ついてからずっと寂しい寂しいって思いながら生きてる。

満たされた気持ちになったことがない。

小さい時から友達と遊んでいても、彼は自分にとっては2番目くらいに大事友達だけど、相手からしたら20番目くらいだなあとか、そんなことばかり思ってた。

どうやったらこのないものねだりをやめられるのかなあ。

2018-04-06

「なんで俺が怒ってるのかわかる?」

私の母は異常だった。

物心ついたときには背中タバコ押し付けられ、水風呂に無理やり入らされ、裸でベランダ放置された。 

父はそれを見てみぬふりをした。思えば、彼に名前を呼んでもらった記憶がない。父は仕事が娘だった。

小学生ときに私に暴力的だった母は、私が中学生の年になると暴力を振るわなくなった。

良くはわからないが病院に通院し改善されたらしい。

だが私に対する暴言はやめなかった。

死ね。消えろ。ブス。お前なんて産まなきゃよかった」

別に何も響かなかったけど、毎日いわれれば覚えるよ。

私が中学生になると、当時父の浮気相手をしていた母方の叔母が私を哀れに思ったのか、よく一万円をくれた。

月に数回貰える一万円を母にバレない場所に隠して貯めた。

別に何をしようってわけでもなかった。この家を出ていこうとか、そんなことは頭になかった。

痛いのも汚いのも嫌いだし、これ以上辛かったらどうするのか。そういった考えが頭にこびりついて離れなかった。

高校に入った。

母はもはや何も言わなくなっていた。年単位で見て、家にいる日数よりも病院にいる日数のほうが遥かに多かった。

父はそれでも離婚せず、仕事を気遣った。

私は現実から逃れるように本にのめり込んだ。高校から文芸部に入り熱中した。

父が私の口座に振り込む朝昼夜食代をすべて本の購入に当てたりして参ったりもした。

恥ずかしい話だけど、私は高校生にして初めて恋を知った。

バイト先の数十歳歳上の先輩だった。

彼に告白しようか、迷って迷って告白できなかった。

好意を見抜かれたのか、デートに誘われ流れで付き合ってもいないのに関係を持った。

ズルズルとその関係が続いたが私は満足だった。

「なんで俺が怒ってるのかわかる?」

妊娠を伝えたときの彼のLINEだった。結局わからなかった。

彼は親の同意不要中絶手術ができる病院URLを貼って、それからは何も言わなかった。

翌日も同じ職場バイトするが何もなかったかのように振る舞った。

叔母に貰って貯めていたお金をすべて使って中絶手術をした。

向日葵の顔がポトリと地面に落ちるかのように、恋愛感情は消えた。

それからも、大学入学地方に行くまでその関係は続いた。

引っ越し地方大学に行くと連絡は通じなくなった。

その後私は普通に大学生活を過ごし、今年の春にやっと就職した。

一人暮らしを初めてやっと私の家庭が異常だったんだな、と気づいた。

いつか全部話せる異性と出会えたら素敵だな

anond:20180406152511

物心がついた頃

まり世の中を認識できた頃でしょ

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