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はてなキーワード: 進学校とは

2019-03-16

公立不登校落ちこぼれだった妹が東京大学合格した

先日、妹が大学合格した。

印象的な出来事だったので、ネットの海のどこかに残してみたいと思った。この場のことは代名詞増田さんなことくらいしか知らないが、唐突自分語りをしても許されそうなのでここに書くことにする。

妹と私は年が離れており、私は妹の生まれた時から姉と母親中間みたいな立場で妹の成長を見守ってきた。

幼い頃の妹は、子供らしくて可愛い子だったけれど、あまり要領の良い方ではなく、優等生タイプだった私としてはヒヤヒヤすることが多かった。たとえば、自分から率先してクラスの中心にいる意地悪な女の子取り巻きになって、何でも借りパクされてしまうような子だった。

この頃から成績は良くなく、田舎公立小学校テストでも平気でひどい点をとっていた。妹曰く「提出さえすれば自由時間になるから半分は解かずに出してた」とのことだったが、それを差し引いても何をどこまで理解していたのかはわからない。たぶん人間関係的に、良い点を取らない方が便利だったのだろうと思う。

そんな妹は、地元中学校に入ってから、当然のように性格の悪い女の子取り巻きになって媚びへつらうようになってしまった。成績は5教科で280点くらい。そして、案の定といっては可哀想だが、ひどいいじめに巻き込まれ不登校になってしまった。

このとき私はちょうど東京国立大学合格一人暮らしを始めたところだったのだが、電話で親と話しながら妹の気持ちと将来を思うと、心がヒリヒリした。妹の体験と比べたら大したものではないが、自分にも荒んだ公立中学校独特の空気の中で、自己肯定感を失っていく気持ちには身に覚えがあった。

妹が幸運だったのは、両親が進歩的な考えの持ち主だったことだろう。

保健室登校で今の学校に通ったらどうかと言う私や学校教師意見無視し、両親は妹を不登校児の集まる遠方の私立中学にさっさと転校させてしまった。とにかく制服が可愛く、規則が緩い学校だった。集合写真を見ると、男子生徒の地味さと女子生徒の派手さがアンバランスな程際立っていて、私は「こんなのいかにもじゃないか」と心配した。

しかし、妹は、この特殊学校への転校という大きな賭けに勝ったようだった。半ばカウンセラーのような先生方と一緒に時間をかけて精神回復させ、1年ほどすると転校前の同級生がいない遠方の遊び場になら外出出来るようにもなった。

また、この頃から、いつかは昔の同級生を見返してやりたいと思うようになったようで、美容勉強を頑張るようになった。特に勉強に関しては、多くの同級生通信制定時制高校に進学する中、普通科高校に行きたいと強く希望した。当初の妹は不登校時代ブランクのため中3頭になってもbe動詞活用だとかx^2-4=0の因数分解だとかが分かっていなかったのだが、元が低いだけにやる気になってからはぐんぐん伸びた。そして、進学校ではないものの、偏差値60弱くらいの私立高校の進学系のコースに最低点で滑り込んだ。なぜ最下位なのを知っているかと言うと、入学後に先生から異例の二者面談を組まれ、激励されたからだ。

そこからの妹は一層、人が変わったようだった。「JKっぽい遊びは中学でもうこりごり」とばかりに、不登校時代にやっていた痛いSNSネット上の囲いも捨て、半ば遊びだった彼氏もいなくなり、字が綺麗になり、プリクラが減り、電車内で英単語帳を読むような高校生になった。高校レベルクラスも、半年で1番下から1番上まで上がり、これには両親と私も驚いた。

特にビリギャルに倣ったのだろうが高1高2では英語ばかりを熱心に勉強していた。英語系の塾にも通い出し、1年ほどで当時TOEIC800点の大学院生だった私をゆうに追い越してしまった。中学まで不勉強だった名残で、英単語帳に出てくる日本語単語の方を知らない、漢字が読めないということが多発し、英語の語彙が増えるに連れて日常会話がルー大柴化した。その後、次第に英語以外も徐々に勉強するようになり、成績はうなぎのぼりだった。もちろん本人の中では、伸び悩んだり、不安になったりすることもたくさんあったそうだが、側から見ていると面白いほどに成長していた。志望大学もどんどん上がっていった。

そしてこの春、妹は通常より1年余分にかかったものの、早慶MARCHの滑り止め受験校3校をすべて合格したのち、晴れて第一志望の大学に進学する。妹は「これでようやくお姉ちゃんと肩を並べられるわ~。姉が○大生とか、これまでは人に言えなかったんだからね」と言った。

からすると、どん底から這い上がってきた妹の方が、とっくに自分よりすごいと思っていたので、妹がまだそんなことを思っていたことに驚いた。でも、自分プレッシャーになっていたと同時に、ひとつの道しるべにもなっていたようでそれは嬉しい。

もともと地頭が良かったんだろうとか、親に金があったからできたことだとか思う人もいるかもしれない。また、大学合格なんてまだ単にスタートラインに立っただけじゃないか、まだ何も終わってないぞという指摘があるかもしれない。ごもっともだ。それでも、私はここまで来た妹の努力がすごく誇らしいのだ。

この先の人生私たち出身地田舎じゃできないことをたくさんしていってね。姉はあなたのことを応援しています

増田より

2019-03-11

息子が京都大学合格した

親のひいき目で見ても勉強していない

赤本は買ったけどほとんど手を付けていない

センター試験数学時間が足りずに全部できなかったと悔しがっていたので「勉強してないからだ」と言っていたら自己採点の結果書けなかった一問以外は全部正解で197点だった

数学は六問解くつもりが五問しかできなかったと言っていた

そもそも地域のいわゆる進学校に行ってるのに模試を受けたら周りの塾や予備校に通って勉強してる友達差し置いて大抵学年上位に入っていた

なんだか釈然としない

その一方で大学へ行ってどっかでつまづいて苦労するのではないかという気もする

anond:20190311123830

つか、学校の評判を上げるのに役に立たない。

「3年間eSports部で頑張っていました!」とアピールすることで試験が有利になる大学企業なんかほぼない。

就職者はまずおらず、大学受験も推薦ではなく一般入試を利用する生徒が殆ど進学校なら部活関係ないだろうが、

それはそれでそういう学校に子を入れる親が良い顔をしない。

それにそういう学校だと受験勉強がメインで部活は遊び程度しかやらないから、本当にただゲームで遊んでるだけ、にしかならないだろうし。

2019-03-05

娘が寝てるとうれしい

うつ病ひどかった話は前に書いた、あとでここにトラバするかも

人力にまた子のうつ対応できない親が来たか最近日記つけてないと思い出しメモ

とりあえず学校企業も切り離しつつアッシーしてあげたり友達とはなるべくつないだりした

娘は寝られなかった、ずっと溺れるひとがわらを掴むようにスマホにしがみついて腹ばいでベッドにいた

朝方ようやく疲れ果ててねるので午後起きで1日ベッドにいる、シーツが二枚擦り切れた、なお風呂は疲れ果てるからなかなか入らない

よるひとりになると寂しさ、というよりイライラに耐えかねスナック食べ血糖値ごまかす。ひるも食べる、のむ。太って肝臓黄色信号甲状腺ホルモン疑いで二回検査、二回とも正常値、ただ経過観察とはいわれた。気持ちの安定のためスナックは以前より多めに買っている

たまにカラオケなどでかけると低血糖なのか自室まであるいてあがれず四つん這いで階段にいて泣いていたことがある、尻を押した。

低血糖発達障害の本よんだのがだるさの理解に役立った

とにかく寝られないのだ、寝ようとする努力などしたくもないくらイライラしていたのだ、最初常識判断して逆だと思ってしまっていた

転機というか、向上への気づきはたくさんあった、とにかくむりじいはしない、とは言え、でかけたがる(認めてヘルプしないと医者必要場所にも行かない)のでアッシー補助する、お金を財布から抜かれても気づかないでいてあげるなど。家計簿が合わない額は年間30万くらいだから小遣いが月3万弱足りなかったのだろう。最近現金をあまり降ろさないのと、抜いてもいいけどメモ残してといって知っていることをしらせている、うつ病介護がなくなったら30万どころか100万くらいはパートでかせげるので安いものだが、どうしてもがなりつけたいしだめならチクチクくらいはいいたいだんなの説得に手間取った

で、睡眠の転機のひとつはかゆみが出たこと。貧血治療のため鉄剤を飲ませたら鉄剤の飲み過ぎか体が夕方かゆくなった。毎晩9時になると出て痒すぎて寝られない。風呂に入ってる最中にもかいみみずばれがふえる。寝ると治る。毎晩違うところに出る。アトピーなどの普通の湿疹は固定されたところに出るのでこれとは違う。調べたところ精神安定剤有効だということだ。そこでSSRIと一緒にもらってあったが過眠になるとおもってたため使わなかった睡眠精神薬を飲ませてみたら楽になったと言うので毎晩、かゆみが出るすこしまえの時間帯に継続して飲ませることにした。その後医者相談して飲ませていいと言質をもらって追加処方された。

まあ、お金のほうが効いてるのかもなあ。まじめな親って経済DVなのかもなとおもう。うちもダンナテストの成績で決めるとかいって進学校なのに無理言うからだんだんさがって私がいさめなければ月3000円のまま高校卒業するところだった。もちろん服やスマホは買って与えてるけど、曲などに課金できるお金がないのがつらかったようだ、夏は一日一本アクエリ買ったらなくなる額だし、月末に通学定期を盗癖ある同級生に盗まれたら一巻の終わり。

小さい頃からお金頂戴なんてずうずうしいことをいったことがない。高校になってもお年玉もらえるから帰省したがったけど実の娘でもがなりつけたくなるような失礼すぎる祖母相手に頑張り過ぎたことで心の折れが始まってたんだろう。

折れてからニートにはしたくないって頑張っても意味ない。けっきょく正社員なんて多分なれなそうだけど、勉強できないってバカにしてた幼馴染にも学歴では抜かれたけど、なんとks大学に通ってるし、そういうしあわせな家庭もいっぱいある。うつ病は図々しくなれずに幸せ自分で遠ざけてしまう。いちどそうなるとじゃぶじゃぶうえから幸せをかけないとなおらない。というよりかこころ幸せ受け入れ窓口が年間360日くらい閉じてるので毎日薬飲ませて確率上げながら朝今日は窓口開いてる?と確認し、空いてたら質のいいのをねじ込むって感じ。

ようやく治っても再発するっていうけどね。

みんなは子供幸せにしてね。

2019-02-26

大きな唐揚げを見る度に思い出す

高校のころ、友達と話している最中に「十把一絡げ」と言ったら「何それー?ww」と言われた。

「色々なものをひとまとめに、みたいな意味」と説明したが、「そんな言葉いたことなーいww」と「嘘乙ww」的な反応。

国語辞典を引いて、現国先生にも「十把一絡げって言いますよね」と確認して、やっと納得した様子。

友達曰く、「十羽分の鶏肉ひとつ唐揚げにしたもの」が浮かんでいたのだそうだ。

どんなんだそれwww

田舎とは言え、そこそこの進学校だったんだがなあ。

2019-02-22

初めての挫折

人生で初めて挫折した。

就職活動がうまくいかなかった。

から勉強だけは出来ていた。

高校もそれなりの進学校に行き、大学にもストレート合格した。私立文系では一番いいところに行けた。

でも、その先が僕には見えてなかった。

僕には試験偏差値が全てで、それ以外は何もなかった。

大学バイトサークルもそれなりにはしていたはずだったが、思い返してみると思い出などほとんどなかった。

そして、いよいよ就活解禁まで1週間になった。

何がやりたいのかわからなくなってしまい迷走した挙句公務員試験を目指してはいる。

しかし、全く集中できず、勉強が手につかない。説明会の申込みも忘れてしまっていた。

なぜ、こんなにもうまくいかないんだろう。大学受験までは全てうまくいっていたはずだった。

どこで失敗したんだろう。どこで歯車が狂ったんだろう。戻れるなら高校1年生の春に戻りたい。そして、勉強けが全てじゃなかったと自分に伝えたい。

乱文失礼しました。

2019-02-14

anond:20190214174540

学区によるだろ。

でなければ高校受験して入る高校進学校存在しない事になってしまう。

転勤族なんかで中学受験できない子もいるし。

anond:20190206125826

高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レア存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.

お前誰

中堅高専→Bラン大卒リーマン

15年前に卒業化学学科情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.

メリット

①進学が容易

 後述する.

②早期から専門教育を受けられる

 高校1年次から専門教育を受けられる.全過程専門教育ではなく,高校大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養比率が高く,年次が上がるにつれ逆転する.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.

デメリット

①進路が固定されやす

 大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の9割はメーカにいる.世界技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやす視野を広く持つことも難しい.教員普通研究員なので,理系アカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろコースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.

ドロップアウトやす

 専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.

恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的重要だろう.女性が少ないので競争は激しい.勿論立地や当人キャラ次第でもある.化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.

教育課程

授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間レポートだけで費やしていた.科学文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.

また,数学が難しかった.入学後すぐに三角関数確率,2年次に上がる前に微積線形代数.2-3年次で重積分偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論ラプラス変換ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気化学,熱力,固体物理・・・気分が悪くなってきた.

進路

就職

就職率100%.求人倍率10~20倍.県内の有力企業大手現業職現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業業態研究をせずに適当就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生技術バカが多く,経済的リテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネット情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.

②進学

大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.

専攻科:

自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか卒業後は旧帝や技術大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレア存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.

進学(3年次編入):

ここが最大のうまみであろう.

①いくつも受験可能大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.

受験科目が少ない.例えば東大数学英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題奇天烈ものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である

高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学提携私立大学関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではない下位層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験研究発表においては経験の差が歴然学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけなくてすぐ辞めたというオチ

レベル

ピンキリトップレベル明石高専豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料土木環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.

寮生活

全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地から学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.

さすがに今はもうないだろう.今の価値観だとありえない.しかし,中学校を出たばかりの小僧大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭負担をかけられないため多数は我慢選択する,という構図だった.私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力揶揄した称号があり,1年次から奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止テレビ閲覧禁止風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,異常に陰湿日本文化如実に体現しており,乾いた笑いが出る.私は上級生になった際このシステム廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.

今私は何をしてるか

メーカを何社か転職し,現在ITデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてから収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.

所管

総合すると高専おすすめ.ついていければ就職には楽にありつける.ただし癖が強いので人を選ぶ.

2019-02-11

anond:20190211011036

うちの地元がまさにそんな感じだから、そのまま地元の街や知り合いを思い浮かべながら理解できたよ

どことは言わないが、本当に同じ市、または近隣の市だったりしてね

自称進学校が多かったり、ヤンキー優等生公立中に同居してたり、色々共通の条件があるんだろうな

2019-02-10

anond:20190210024429

てかまさにこういうトラバのような反応をされたり、苦労人みたいに思われたり、何か決まったストーリーに当てはめられて驚くことが増えたんだよな。

進学校はいっても公立高校から親が中卒は珍しいにせよ大学学費で苦慮したりする子も少なくなくて、別に自分特別苦労してるとか思ったことなかったんだけど、

思ってたより格差って明確にあるし、高学歴家庭には高学歴家庭の優位性があったのだと社会に出てから感じるようになりました。

大学進学のレア度が今とはちがう世代の人と関わるようになったからってのも大きいけど。

両親が中卒

2016年度卒で就職して働いてるんだが、大学時代よりも周囲の家庭環境とのギャップを強く感じるようになった。

進学校に入ってそこそこ名の知れた大学に行って、新卒で小さめの企業就職して、友達職場の人もみんな似たような学歴の人ばかり。

大学のころは一人暮らし貧乏してるやつとかもいたし好きなときに会って好きなことだけ喋ってればよかったからそこまで気にならなかったんだが、

会社に入って毎日時間同じ人といて、結婚なんかのライフイベントも身近になってくると育ちの違いが明確に感じられるようになった。

折節にうちはやっぱちょっと貧困寄りだったんかなって思う。裕福な家の人ってなんか親類が急に失踪したりとかしないよね(笑)

あと、簡単に親の支援を受けて、それを当たり前のことに思ってるのがすごいなと思う。嫌味ではなく。

とはいえ、うちの親も助けてって言ったら助けてくれると思うし、父がすんごいマジメだったので貯えもあるし、

自分の生育環境にはまったく不満はなく、両親のことは好きだし感謝してますし、

こういうちょっとした生育環境の特異性も自分パーソナリティの一部として愛着を持っているのだが、

でも親と話してて文化レベルが違いすぎる、話が合わないと思うことが多く、親と趣味が共有できる人がものすごく羨ましくなったりする。

2019-02-09

宇野常寛善良な市民)さんの歴史(1/5)

今私が非常に面白がっている人物宇野常寛さんという人がいます

この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在SFマガジンという雑誌評論ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人東浩紀敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています

要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。

その主張は苛烈で痛快です。「評論世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業自分仕事だと宣言しています。上の世代評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます

この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。

北海道にて全寮制の男子校に入る。ここでの経験がその後の宇野さんの方向性を決定付けます。元々オタク率が高い田舎進学校、加えて異性がまったくいない寮生活という住環境……。それは寮生の九割がキモオタという地獄絵図。ここで宇野さんは大嫌いなファンタジー小説新刊が出るたびにむりやり読ませられて感想を聞かれる、などの地獄のような責め苦を受け続けます富野信者サブカル系宇野さんには美少女ビキニアーマーを着て大冒険をするような話は耐えられなかったのです。

なぜ宇野常寛があれほどまでに萌えオタを敵視するのか? それはこの寮生活でのトラウマがすべての原因なんです。宇野さんが萌えオタを攻撃するのはこの頃の復讐なのです。

寮生の半分は卒業後に「引きこもりギャルゲーマー」になったそうですから相当屈折した人たちが集まっていたことが覗えしれます。そして、「恋愛したくてもできないかギャルゲーに逃げるオタク」をいっぱい見た宇野さんは「性愛コンプレックス」にこだわるようになります

同じ嗜好性を持つ人間がまったくおらず、一人で古本屋に行き「アニメック」のバックナンバーを買い集めていた宇野さん……。この時に趣味を共有できる仲間に出会えていればその後の人生は大きく変わったでしょう……。

この辺の話は旧惑星開発委員会コンテンツ「善良な市民のオタク黒歴史」というエッセイに詳しいです。

高校卒業し、宇野さんは寮生活から解放されて浪人生活に入ります。ここでどんな風に過ごしてたのかはあまり語られませんがPLANETS第四号によると「楽しすぎてさら浪人した」と書いてありますので、キモオタ軍団から解き放たれたのがよっぽど嬉しかったのか勉強せずに遊んでいたようです。

しかし、そこはやはり浪人生。二年間もの浪人生活でキャンパスライフへの憧れはどんどん膨れ上がっていきます。未だに「大学生活」や「サークル」に拘るのはここに起因があるとみて間違いないでしょう。

ところで思春期男子校で過ごし、その後二年間浪人……ってことは宇野さん、ヤラハタですか?

そして、立命館大学入学関西移住大学に入った宇野さんはサークル自己紹介名簿を見るのが趣味となり、サークル内での「立ち位置」や「キャラ設定」について考察するようになります。おそらくは自慢のコミュニケーションスキルを生かしてサークル貴族となり、カーストの下位にいる人間宇野さんによると「毎日辛いけどサークル抜けると友達がいなくなるから抜けられない人間」)を苛め抜いていたんじゃないでしょうか。

そして在学中、おそらく三年生か四年生の頃に「善良な市民」というハンドルネーム2002年1月に「惑星開発委員会」というウェブサイトを開設します。それまでのテキストサイト(単なる日常を痛々しいほどの過剰な修飾で必死面白話に仕立て上げようとするサイト)に違和感を持っていた宇野さんは一人ではなく友人を誘って複数人運営

主なコンテンツアニメ漫画作品複数人レビューする「クロスレビュー」、90年代サブカル文化人事件考察を加えて紹介する「惑星開発大辞典」、宇野さんが出会った痛いオタク面白おかしく描くエッセイ善良な市民オタク黒歴史」などです。

複数人運営していること、宇野さんの広範なサブカルチャーへの知識、ひたすら萌えオタを攻撃する芸風、まったく洗練されてないごちゃごちゃしたサイトデザインなどで話題になります

特に萌えオタへの強烈な煽りは当時のオタクたちを刺激し、某掲示板スレッドが立ち「萌えオタは現実逃避してるのか?」と論争が巻き起こるほどでした(当の宇野さんは萌えオタ批判は「過剰な方が面白いかエンターテイメントでやってる」と掲示板ネタバラシしていました)。

しかし、おそらくは就職メンバープライベートが忙しくなり、クロスレビュー更新することが難しくなります。また、萌えオタ批判マンネリ化し、一本調子になってしまい、読者にも飽きられ始めてしまいました。そうして宇野さんは更新への意欲を失っていき、更新を止めてしまます活動停止、実質の閉鎖です。最終更新2003年4月になっています

続き

https://anond.hatelabo.jp/20190205070002

2019-02-05

たくさんのものがあってそして何もない自分

自分九州のど田舎で、貧乏な家庭の3人姉妹の真ん中として育った。親は亭主関白な父と専業主婦の母。どちらも高卒

父は癇癪がひどく、酒を飲むと寝てる自分を叩き起こして往復ビンタした。貧しい中、両親共に家におらずご飯が与えられなかったこともある。いつもお腹が空いていて、友人が多かった自分は友人宅でおやつをたくさん食べさせてもらっていた。そのおかげでしっかり成長できたと言っても過言ではない。病院にも行かせてもらえず、ネットが家にひかれているはずもなく子供部屋は6畳で3人一部屋だ。

父に溺愛されている妹、普通の姉、嫌われている自分というあからますぎて認識できるレベル差別はあったが姉妹の仲はよかった。

から嫌われていた理由自分で考えるに下記2点。自分は父であろうと間違えていると思うことに同意しなかった。また、勉強がよくできたところも嫌味にうつったのかもしれない。

父は自分に過大な要求と思われるものを突きつけ、自分が達成できると、ふーん、で?といった態度をとり、達成できないと喜んだ。要求内容は中学の頃は常に5教科のテストで490点取れだとか、高校数学テストで常に満点取れだとか。

また、父は異様に自分を縛った。溺愛されている妹はそんなことはなかったが自分の門限は高校生になっても17時半だった。

貧乏なので部活お金がかかると禁止され、読書勉強だけしていた。私立高校受験料が高いため受験できず、あわや中学卒業と共に浪人生か、という危機と隣り合わせだったものの、なんとか高校は県一の進学校入学できた。県立高校である授業料が払えず奨学金を借りた。大学もなんとか都内の有名大学に進学できた。もちろん奨学金授業料生活費を賄った。

大学に入ってから周りの家庭環境レベルの高さを知りしんどかった。社会福祉の授業中、貧困層の話になり、自分のこれまでの生活よりはい生活をしてる例が出てきて苦笑。教授が、ここにいる君たちには想像がつかない生活かもしれないが君たちがこういう日本の現状を変えるんだ、なんて言い出してさらに苦笑。児童虐待の話では、親に叩かれたことはあるか?という話になり、ある子が「一度だけ本当に私が悪いことをして叩かれました。その時は叩いた親も泣いていて、今でもその時のことはちゃんと親も自分も覚えてます」なんて言ってて、ああ、本当に素敵な家庭で育ったんだな、と。

格差はどこまでもあった。格差というのは金銭的な話だけでは終わらないものだ。金銭的な問題だけなら何とか乗り越えられるけれど、教養の壁、人脈の壁、知識の壁が非常に厚かった。パソコン人差し指入力する自分と当然ブラインドタッチ同級生論文の調べ方もわからず、図書館に籠る日々。1年間留学に行く同級生、親のコネ就職先を決める同級生、たくさんのお店を知ってる同級生、たくさんの遊び方を知っている同級生、たくさんの将来の選択肢を知っている同級生。たびたびお嬢様でしょと同級生からからかわれたが、ガチガチに縛られていたか世間に疎いだけで、ただの貧乏である。心が折れそうな日々を過ごした。

社会人になり、自分自分人生を取り戻そうと努力した。自費で歯の矯正をして、運転免許もとり、箸の持ち方も矯正し、家に仕送りをし、奨学金を返済し、働きながら専門職資格を取得し、給料の高い職に転職し、同じ大学卒業した同級生結婚し、都内に家を購入した。結婚後は仕送りを辞め親とは2年に一度しか会っていない。

社会人以降トントン拍子で人生が進んでいったように自分でも思えるが、ひと段落ついた今、自分が何をしたいのか見失っている。

自分は得られなかったものを得ようと抗った結果ここにいるが、それが自分が本当に欲しいものだったのかよくわからないことに気づいてしまった。

今の自分に対し「よっしゃー!私はあの生活からしちゃ、大出世だぞー!!!」なんて充実感はなく、当然あるべきだったもの自分にはなかったから装備した、ような気持ちしかないのだ。

では、装備が整ったからといって自分が向かう先はどこだろうか。

自分はこれが好きだ、とか、こうしたい、とかは特にないまま、得られなかったものを得たいというだけでここまできてしまった。

もし、なんて話は嫌いだ。けど、もし、小さな頃に父親が正常な精神を持っていて自分のことも好きになってくれていたら、何か違っていたのかな、もしお金持ちで教養のある親に育てられてたら、何かちがっていたのかな、なんて。

自分には今たくさんのものがあって、そして何もない、この新しい温かな部屋で突然気づいて悲しくなった。

2019-02-04

anond:20190204152921

そりゃ、九大でいいなら遊んで入れるやつはゴロゴロいるだろうさ。地方旧帝大あたりで適当妥協したくないか進学校の生徒たちの多くは受験勉強に勤しむわけで.....

まあ、東大京大を引き合いに出すならともかく.....

2019-02-01

医学部に入ってしまった承認欲求リブ真面目系クズの末路

試験前、提出しなければならないレポート前になると、自分はどうしてこんなことをしているのか、別にこれが好きなわけでもないしこの道に憧れて選んだわけでもないのに、どうして自分はここにいるのだろうと、不安になって胸が締め付けられたかのように苦しくなる。

私は地方大学医学部に通っている。親戚に医者がいたというのもあって、周りから医者になることを期待されて育ってきた。私自身、生まれてこの方勉強するという行為嫌悪感はなかった。小学校の頃からそれなりに計算もできたし本も好きだったか文字を書く、漢字を読むことは苦ではなかった。学校には毎日通うものであり、授業は座って先生の話を聞いてノートを取るものだと思っていたし、ADHDありがちなその場の空気に合わせてじっとしていることができないといったこともなかった。周囲と比べてちょっと変だったところといえば、なんとなく特別学級や不登校いじめに興味があったことくらいだ。小学校中学校でのスクールカーストはやや低く、いわゆる足の速いサッカー部のいじりの標的にされることがあったが、学校に行けなくなるほど心身を病んだわけでもなかった。むしろ私は自分のことを""あっち側""の人間ではないと思っていた。私が通っていた学校には溜まり場が、今流行りの言葉で言えばコミュニティスペースが、比較的多くあり、ヤンキーの生息地、ガリ勉の生息地、オタクの生息地が距離感を保った状態存在していた。そして、""あっち側""の人間の居場所もあった。私には友達がいなかったが、校内で一番勉強ができるやつだと思われていたので、特定グループに恒常的に入っていなくても、どこの輪でもなんとなく話ができたし、あちこちに顔を出しては適当に楽しく遊んでいたように思う。

私が中学の頃に友人の一人に誘われて入った近所の公文塾は、学生の実力に合わせて進度を調整できるという触れ込みの塾だった。公文には他の学校の生徒が多くいて、プラスマイナス5〜6歳の生徒とも同じ場所勉強していた。曜日によって顔を合わせる面子が違えば雑談する内容も毎回違っていて、ある程度敬意を払いながら丁寧に接していれば年の差なんてほとんどないような関係でその輪に入ることができた。たまたま公文式の教材が自分の性分にあっていたのか、数学英語に関してかなり成績が伸び、中学の時点で高校センター試験レベルを楽々解けるくらいまで教材を進めて、県の進度上位者として表彰されるまでに至った。自分勉強ができるんだ、これが自分長所なんだと思い込んだ私は、学校だけでなく公文でも""勉強ができるヤツ""としてのポジションを獲得したことますます自分は""勉強ができるヤツ""として振る舞おうとしていた。

家でも、試験の成績が良ければ父母に褒められたし、親戚に会えば「お前は勉強ができるのか!じゃあ将来は医学部東大だな!」と言われていた。以前は漫画三昧ゲーム三昧だった子が公文に入るなりメキメキ勉強するようになったのだから、親としても嬉しかったのだろうし、私も自分にとっては苦でなくできることで褒められるというのはとても嬉しかったのも事実だ。

よくよく思い返してみれば、この頃から自分の行動は歪んできていたように感じる。数学英語も好きだったが、勉強したことで褒められるのはもっと好きだったのではないかと思う。

高校は自宅から通学1時間くらいのところにある普通科高校に通った。進学校といえば進学校なのだが、まぁ地方自称進学校なぞ大学受験レベルで言えばたかがしれている。開成とか灘とかと比べれば全然しょぼい。偏差値10〜20くらい違うんじゃないか高校理系クラスに進学すると、自分の好きな数学英語勉強の話やアニメ漫画の話ができる友達がわりかしできた。公文での積み重ねがあったかドロップアウトしがちな中学から高校への学習密度の変化にもついていけた。どうやら自分高校でも成績は一番ではないにしてもトップクラスだと感づくのに時間はかからなかった。当時好きだった人が生徒会に入ろうとしていると聞いて自分生徒会に入ってみたが、環境の変化からか全体的な体調が悪くなったのもあって一月かそこらですぐに辞めてしまった。通学で消耗してしまっていたので部活動をやる気にもなれず、事実上の帰宅部として放課後カラオケに行ったり理科室に入り浸ったり青チャートを解いたりシス単を周回するなどしてふわふわ過ごしていた。結局、自分の""勉強ができる""というアイデンティティを確保したいがために、勉強を最優先においていたのだと思う。学校先生勉強ができれば褒めるし親も勉強ができれば褒めてくれた。だけれど、本当に大事なのは自分が好きなこと、やりたいこと、魂をかけてでもそこに食い込みたいという世界を追求することだったのに。とりあえず勉強してれば褒められるという目先の報酬を獲得することに囚われていた。進路選択志望校選びも、親戚の「お前は医者になるんだよね?それが一番いいことなんだ」という圧を内面化していた節があって、近くの国立大学でいいかとろくに考えもせず、周りに流される形で今の大学医学部にした。いや、正確に言えば、東大京大を目指して勉強するのが面倒だったしわざわざ失敗する=浪人する可能性のあることをするのが怖かった。自分に向いている業種が見つからないのが怖かった。自分になんの才能もないことを突きつけられるのが怖かった。自分責任で何かを決めるのが怖かった。このまま担任の勧めや親の勧めに従っておけば、""失敗""することはないだろうと思っていたから、これが最善の賢い選択なのだと思い込んでいた。馬鹿らしい。一日や一週間やそこら勉強しなくたってどうってことないのに、受験勉強というフィールドしか見えてなかったし見ようとしてなかった。少しでも興味のある業界があるのならそっちに向かう努力をするなり調べればよかったのに、当時の私には褒められたいという気持ちを抑えることができなかった、だから現状の自分にできることで褒められる、受験勉強しかしようとしなかったのだと思う。人間というのは、できないことをやって失敗しながらちょっとずつ適応していくことでできることの範囲が拡大していくものだ。そもそもできることしかしない人間に成長はありえない。当時の賢こぶっていた私を殴り倒して張り倒してでも伝えたい。勉強以外のことで自我確立するべきだった。一般的に良いとされていることに身を投じてコミットしても、結局のところ消去法の選択自分が納得しないままではいずれ無理が来るのだ。そして今まさしく、易きに流された自分のツケを払わされているのだけれど。

程なくして現役で某大都会国公立大学合格した。大学に入れば私もここでいわゆる""青春""を送ることができるだろうと信じて軽音楽系のサークルに入ってみたが、持ち前の拗らせて肥大したプライドを守るのに必死体育会系人間関係適応できずに辞めてしまった。未成年飲酒なんてどこもやっていることだからアルハラ正当化され、先輩が飲めといえばありがとうございます感謝して飲まなければならなかった。音楽は好きだったけれど、サークルでの苦痛と引き換えに得られる人間的魅力、音楽活動での満足感があまりにも見合わないと感じた。音楽に熱中できていればもう少し違っていたのかもしれないが。文化系のゆるゆるサークルに入ってみたが、そこは自発的にモノを作り出して自分を充足させられる人間の集まりであって、他人から承認ベースで行動してきた私のような人間が突然生産性を高められるようになるわけではなかった。上の人間に面倒をみてもらうには人権邪魔をし、一人で生きていくには人間強度が足りなかった。現実での人間関係を構築できない者が流れ着く場所といえば古来よりインターネット相場が決まっている。必然的に私もインターネットに漂着した。twitterからまり様々なSNSを通じて学生学生以外の人間と多く出会った。オタクオフ会にも参加したし、""あっち側""の人間との交流会に出向いては世の中にレールから外れた人が想像以上に多くいることを強く実感し自分の見識の狭さを恥じた。コミュニティ転々とする上で国公立医学部生というソーシャルグッド切符は様々なコミュニティに出入りするのに大変便利で、どこに行っても可愛がられた。自分自身が何かを生み出せるわけではないのに、人間の世話をすることができるわけではないのに、ポテンシャル世間一般評価基準に褒められていた。働かなければ能力はつかないし、働いていない学生は虚無である。そんなこともわからずに(あるいはわかっていたがあえて意識せずに)流浪しているうちに、実力以上の評価自分に与えてしまっていた。俺はまだ本気出してないだけ、というフレーズを繰り返し自分に刷り込んでいた。私は何も価値を生み出していないし、ただただ親の仕送りで生かしていただいているだけなのに、どうして私はなんでもできると思い込んでしまったのだろう。自分意思努力して掴み取ってきたものなど何もないのに。私は医学に興味があるわけではない。医者になるといえば褒めてもらえた。勉強さえしていれば褒めてもらえた。今は褒めてくれる人がいない。だから勉強も何もする気が起きない。ただそれだけ。来週には授業でプレゼンしなきゃいけないし二週間後には試験も控えているが、どうすれば鬱屈した自分人生を変えられるのかばかり考えている。承認を求めること以外に熱中できることがなかった自分人生を変えられるわけなんてないのにね。目の前のやるべきことをやるのは、問題の先送りにすぎない。なぜならやるべきという判断根拠に逃げと諦めが生じているから。医学に身を捧げることへのインセンティブモチベーションもないのに、どうしてやるべきだと思っているのだろう。何もわからない、わからないんだ。どうしてこんな進むことも戻ることもできないところまでズルズル引きずって生きてしまったのだろう。今更医学部を辞めたところで解決する問題とも思えない。このまま医学部に在籍し続けて解決するとも思えない。なまじっか真面目であろうとしているから、授業やレポートサボることさえできない。解剖実習を抜け出して映画を観に行っただとかバーで酒を飲んできたと豪語する友人が羨ましいくらいだ。目の前の快楽を優先して楽しめるような人間でありたかった。勉強に対して全精力を費やして学ぶことで己を充たせる人間でありたかった。私はそのどちらでもなかった。そうだよ、私は誰が作ったのかわからないような真面目さの枠にアイデンティティを依っているだけのどこからどうみても無個性普通のありきたりな何もできない奴なんだよ。受験に身も心も滅ぼされてしまったのだと乾いた笑いで感情を誤魔化し責任自分の外に擦り続けて一生何もできないまま死んでいくのだろうな。そうやってこれからもずっと本当の過ちから目を背けて表面的な言い訳をつらつら述べて同じ苦しみを繰り返していくんだ。永久に同じ場所をあっち行ってこっち行って往復してるお前の人生振り子みたいでチョーうけるんですけど。

死にたいと思ったことは何度でもあった。しかし死んだ方がマシほどの苦しみを抱えているわけではなかった。死ぬ覚悟があったらこんなしょうもない悩み抱えてねーわ。

私ってどうしたらいいんですか?あなたのワンクリックで救ってくれませんか?輪廻転生してやりなおすことってできませんか?目の前の勉強淡々とやった先に程よい未来が待っているんですか?医者になったら幸せになれるんですか?今すぐ私の気持ちを楽にしてくれませんか?私の何が悪かったんですか?私ってやっぱりつまらないんですか?私に友達ができないのは私のせいですか?こんな真面目系(笑)クズを産んで育てた母親が悪いんですか?いっそ私に病名をつけてくれませんか?此の期に及んで私は自分が悪かった愚かだった間抜けだったと認めたくないんですか?これまで私のことを評価してくれた大人の皆さんに申し訳がないと思わないんですか?何事かを成す為に今すぐ地道に努力するしかない草むしりをするしかないのなら私は何をやればいいんですか?あれ、私の好きなことって一体何だったのですか?私について誰か知りませんか?

誰か...。

2019-01-31

事件のあった茨城県神栖市というところ

痛ましい事件舞台となってしまった茨城県神栖市がどのようなところか説明したい。

第一に、この国の最果てであり、陸の孤島である

茨城県神栖市茨城県の南東の端、利根川の河口、千葉県銚子市利根川を挟んだ対岸にある。

関東平野の端に位置し、山が全くない。

見渡す限りの地平線である。潮風が強く、冬場などは寒風が吹き荒び、一面枯れ野原が広がり、寂しい景色が広がる。

1人で浜辺を見つめていると、ここがこの国の果てなのだということを強く思わせる。

交通手段は車のみで公共交通機関は全くないと言ってよく、もちろん電車の駅などない。

観光地もなく、ここをふらっと目的もなく訪れる人はまずいない。

第二に、裕福な市である

鹿島アントラーズ鹿島神宮で有名な鹿嶋市に隣接し、世界最大級の掘り込み港をもつ鹿島臨海工業地帯形成する市の一つである

ただし、実は鹿島臨海工業地帯の大半は神栖市にあり、そこからまれる莫大な税収により、全国でも有数の裕福な自治体である

その税収は市民還元され、福祉は非常に厚いことで有名である

生活保護だろうが母子家庭だろうが、貧しい家庭への支援は手厚く、ランドセルは全員に革製の同じものを配り、給食たっぷり地元産の食材を使い、質も量も都会とは比べ物にならない。修学旅行遠足費用は全て自治体持ち。

また関東有数の農業地帯であり、海もあり、自然災害が少なく温暖なせいか物価が異様に安い。

この為に何もない地方には珍しく、未だに人口が増え続けている。

最近特に外国人が増え、技能実習生中国人ベトナム人が増えている。

夜のお店ではたらくフィリピン人タイ人などは古株で、地元学校にはハーフの子も多い。

第三に、治安が悪い。

からヤンキーが多い土地柄ではあるが、新しい住民が増えるに連れて治安ますます悪化している。交通マナーも悪い。

広く平らな空き地が多く、暗い夜道も沢山あり、夜中は危険

ヤンキーに絡まれる、変質者に出くわすなどは日常茶飯事。

また反社会的勢力も多く、銃撃事件により、小中学校では突然集団下校となることも度々である

さら工場地帯にはありがちだが、パチンコ屋、風俗店が多い。

座間バラバラ殺人事件犯人スカウトマン時代神栖市違法風俗店への斡旋逮捕されている。

このような状況にもかかわらず、警察署がないことが長年の問題であったが、最近大きな警察署ができ、犯罪の減少が期待されている。

第四に、教育レベルが極端に低い。

これはこの地域一帯に言えるが、進学校私立一校のみ、他はどれも偏差値で言えば50を下回るヤンキーである

中学生時点で決して全国では高くない茨城県平均を大きく下回る成績を叩き出す。

こんな神栖市。ぜひ一度訪れてみてください。

2019-01-30

自分は親の奴隷なのかもしれない

東進林先生が「進学校男子なんてみんなマザコンだが、いいマザコンであり、本当に尽くして貰ったからみんな自然ママのことが好き」みたいに言っていたけど、進学校男子と付き合ったことのある私からすると「きしょい」だけ

みたいなツイートを前に見かけた。

親のいいなりになって10代を過ごしたら何もできない人間になった

みたいなツイート最近見かけた。

 要は進学校男子の大半は親と仲いいけど、親の言いなりで自立心がない。はたからみたらいいように見えるかもしれないが、きしょい、と言いたいのだと思う。

 皆さんは反抗期はあっただろうか。最近反抗期がない子供が増えているという記事もあるが、どうだろうか。私はなかった。理由は「喧嘩しても意味がない」「いろいろ弁当作ってくれた義理がある」とありきたりなものだ。後者反論余地がない…と信じたい。そもそも高校以降は自力で行くのは困難であり、親はスポンサーみたいなものである。そんな親に反発するのは理不尽ではないかと思うのだ。しかし、前者に関しては違う、私は喧嘩をしても疲れるだけだと今まで考えていたが、それは単に無条件に親に降伏しただけに過ぎないのではないかと思うのだ。

 皆さんは親と話すのは緊張するのだろうか。私は親と極力会話したくない。例えると、小学のころに職員室に行く感じである。家ではおとなしいが、外では饒舌というのは男子あるあるな気もするが、これはなぜなのだろうか。

 皆さんは夕食は楽しいだろうか。家族団らんで囲む夕食は楽しいものなのだと思う。しかし、いつからか、家族がいるときの夕食は目の前のメニューを「食べなければならない」という苦行のように感じるようになったのだ。早く終わらないだろうか、さっさと食べて早くここから去りたい、と思うのだ。料理がまずいわけではない、多分旨い方だと思う。でも、苦痛なのだ部活用事などで遅く帰ってきた時の一人で食べる夕食はどんなに気が楽か。

 皆さんは「親に殺される」と1度でも思ったことはあるだろうか。私は私の内面しかからないため、これが異常なのか正常なのかはわからない。親の名誉のために言っておくが私と親の仲は決して悪いわけではない。家族旅行もいったことがあるし、むしろ仲は良いほうだと思う。もちろん、殺人を含めて一切の前科はない。児童相談所案件になるような暴力を振るわれたこともない。あくまでこの思い込み杞憂しかない、と思う。

 親が怒った時にそう思ってしまうだけである夫婦私たちのことで喧嘩をしている時に、えも言われぬような恐怖心が襲われ、自分は今夜殺されるのではないか、とそう考えるだけのことである小学からそんな考えが自分支配する時がたまにあった。このとき、怒られている対象自分ではない。大体は夫婦喧嘩である。そんな考えをしている私から喧嘩火種を起こすなんてとんでもないことだ。

 小学生の時、私は寝ている間にナイフで刺されるのではないかと思い、腹に雑誌を装備して眠ったことがある。これはくだらない子供自衛策程度でしかないと思うかもしれない。でも、高校になってもその考えは抜けず、殺されると思って、部屋のドアにバリケードを築いたこともある。自衛レベルが上がっただけで本質的には何一つ変わってはいない。

 改めて言うが、私自身にも、身の回りにもそうした物騒な出来事が起きたわけでは断じてない。しかし何かしらのトラウマのようなものがあるのは事実であろう。

 中学校とき友達と遊ぶことに罪悪感があった。夕方まで遊んでいると親が怒るのではないかと怯えながら遊んでいた。そんな心境でろくに遊べるわけもなく、中学ではあまり遊ばなかった気がする。高校になって、その夜遅くまで遊ぶのには相変わらず罪悪感はあったがさすがに恐怖はある程度は克服した。

 最近海外旅行いかいかと誘われた。何故か私は海外にいくことが怖い、と感じていた。しかし、実は私は海外旅行にいくことを親に伝えるのが怖いのだ。そう気づいてしまった。結局根本にある恐怖はぬぐい切れていなかった。

 あれらのツイートに強い衝撃は受けたが、私はマザコンなのかといわれるとそうではないように思われる。ただ、親の都合のいいように生きて、親におびえながら生きる。それならさっさと家を出ればいいじゃないか、と思うだろうが、それをする勇気もなかった。まるで奴隷のようなのであるしかし、この奴隷論は私の心の中のものに過ぎない。勝手に設けた精神的な束縛に勝手にもがいているような、そういうところがあのツイートした彼女にとってはきしょいんだろうなぁ。

2019-01-29

小学生の頃に恋した女の子にずっと囚われてる

彼女との出会い小学2年生の時。僕の立場転校生だった。彼女への好意自覚したのは小4くらいからか。あんまり細かく書くと僕の来歴が一般的な人と比べてちょっとだけ特殊なので万が一の身バレの恐れがあって書けないのだけど。

彼女は僕からしたら抜群に利口な少女小学生の時に実施された学力テストの結果が全国1位タイで、同じく中学生の時に実施された学力テストの結果も全国1位タイだった。

僕と彼女関係性は出会いから中学卒業に伴う別れの際まで一貫して「たまに話す同級生」の域を出なかったと思う。

僕と彼女には家庭環境共通性があったり同一の放課後児童クラブに通っていたりする共通点こそあったが、特別それ故に親密だったりすることはなかった、と思う。

彼女を好きになった理由は僕と比較して圧倒的な彼女の知性にあった、と今では思う。僕の親族にはあまり知的人物存在しなかったので余計に彼女に惹かれたのだと思う。

放課後児童クラブでは僕はボール遊びをしたり漫画を読んだりすることが多かったけど、彼女課題を片付けたりクロスワードを解いたりしていて、当時の僕にとっては彼女のそういう静謐な佇まいも気を引かれる原因になったのだと思う。

中学に進学すると彼女と僕の学外の接点は皆無になり、学内でもクラス部活動も違う彼女とは次第に疎遠になった。

中学2年の時だったかPCルームで他クラス彼女クラスメイトの女子生徒と談笑しているのをたまたま見かけた。

彼女容姿は僕のよく知る小学生の頃よりずっと成長して大人びていた。成熟した女性ライン形成しつつある彼女を見て気圧された様な複雑な気持ちになったのを強く覚えている。

中学卒業した後、彼女都内でも指折りの進学校に進学し、僕は僕で凡人らしく凡百の都立校へ進学した。

僕は中学同級生包括的コミュニティには接続しておらず親しい数人の友達だけとその後の付き合いを続けていたので高校進学後の彼女の動向は全く分からない。

物質的な彼女痕跡として小中学校の卒業アルバムがあったが、彼女の姿を確かめる為にアルバムのページを捲る行為に後ろ暗さを感じたので大学進学と殆ど同時期に処分してしまった。些かの後悔はあるけど人生は不可逆なので仕方ないと諦めはついてる。

以降今日に至るまで僕と彼女の間には何らの接点も生じないまま時間けが過ぎ去った。

これまで僕は彼女以外の女性に恋したことは一度もなく、眠れない夜などに稀に彼女のことを思い出し思わず強く寝返りを打ったりしている。

今も新聞を読んでたら急に彼女のことを思い出してしまい、深夜テンションと思い付きでこの文章を書いてる。

一つ気がかりなのは僕の記憶の中の彼女中学生の姿のまま歳をとらないのでその彼女に恋心を抱いている僕は俗に言うロリコンということになるのか、ということだ。

現在彼女を知ることができれば僕の心象の彼女アップデートされるとは思うけど、なんだかこのままずっと記憶の中の彼女に恋したままでいたい様な気もしている。

まあ僕はだいぶ気持ち悪い人間だと思う。

2019-01-28

人を見下してた

僕は博士前期課程1年生。

自分エリートだと思ってたけど、そうでなかったよって話。

高校は有名な進学校宮廷に進学して首席卒業授業料は成績で免除

自分のことをエリートだと思って自尊心高めで生きてきたけど、研究で躓いてぼろぼろになってる。


世界中の先行研究の人たち、頭良すぎでしょw。

俺がやってる研究を一気に発表するのはずるいよ。泣いちゃう


もう自分がやってる研究にやる気出ないし、教授自分のこと過大評価してるから当たりが辛いし、しんどい

そんなに頭良くないし、進捗出せんて。

首席だろw真面目にやれwとかいうけど、授業出席してレポート出しただけやぞ。

既存のものをただ吐き出しただけだから、頭も使ってないし何も生み出してない。そのへんのプリンタのほうが正確だしすごいと思うよ。


周りの知り合いがガンガン進捗出して、学会出てるのを見るのも辛い。

最近精神狂いまくって辛くて大学には2-3ヶ月くらい行ってないし、

変なプライドけが先行して、山月記の李徴みたいになってる。

家で虎になってるから、袁傪に合うこともないんだろうなぁ、ウケるw。

鬱々としてる間に時間ガンガン進むし、どうしたら良いんだろうなぁ……。

知的労働以外の道を選ぶことも考えてるけど、肥大化した自尊心邪魔して出来ないんだろうなぁ。

その道選ぶなら、自殺したほうがマシかもシレンとも思ってる(もちろん自殺も辛くて苦しいから出来ない。今日もおくすり飲んで寝る。)。


こんなふうになるとは思ってなかったなぁ。みんなも気をつけてね。

どんなにお金名誉地位を渡されても、ゴールはないし、人生は辛く厳しく悲しい。

2019-01-24

anond:20190124121955

流石に開成筑駒みたいなのは無いけど

地方の本当のトップ公立に通ってて地元国立で「御の字」って学校内で良くない方ってイメージが。

実際地方にいてそういう高校通ってたような人からの話を聞く限りは。

トップに行ってたけど地元国立が御の字だったよ」みたいな話は、いわゆる「自称進学校」に実際には行ってたみたいなのじゃないかなあと

それでもなんだかんだ多少はできるやつがいて、非トップからでも地底ぐらいなら結構出たりしたけど。

そういう意味東京にいることのメリットを最大に活かそうとおもったら、

開成筑駒はいって東大目指すぐらいじゃないと地方でもいいじゃんになりかねないわけで、

それでも関西なら灘があるわけで……

anond:20190123214918

子供教育を忘れてる。

地方じゃ良い教育を受けられないんだよ。

と言うとリモート教育とか言い出すんだろうが、授業とか参考書の話じゃなくて環境の話な。

東大国立医学部を目指せるレベルの子が多数集まるような学校地方には殆どない。

地元トップ進学校」ったって、実際に進学する先は精々地元国立、って所が大半だ。

周りの友達皆が東大目指している環境と、地元国立入れたら御の字と思ってる友達しかいない環境とでは子供意識も変わって来る。

或いは留学するのが当たり前だろと言い出すだろうか。

それにしたって「実際に留学する子が周りに多数いる環境」と「そんな子は殆どいない環境」じゃ子供意識が変わるだろうし

前者の環境東京でなければ得られにくいだろう。

となると、若いうちは良くても子供を持つと「子供により良い教育を受けさせたいか東京に住みたい」となる。

優秀な層ほど教育熱心な傾向も強いから尚更だ。

そこが変わらない限り、東京優位は変わらんよ。

2019-01-21

anond:20190118195915

天才であることを本人も周りにも知られないように育てるべきである

別の人が書いているように、「よくがんばるね」「知りたがりだね」

「よく考えるね」「本が好きだね」「すごく工夫するなぁ」などプロセス姿勢、態度を褒めて、伸ばす。

非才」という本が大変に参考になる。

我が家の息子もIQ170近い高い知能を持っていた。

絶対に本人にIQが高いとか、天才、頭がいいとか言わなかったし、

頭が悪そうな親戚にもIQが高いとかは黙っていた(つまんないことを言いそうだから)。

真面目で本が好き程度にしておく。

無事、県下一の進学校に進み、T大を卒業奨学金を得て大学院海外留学である

2019-01-19

何がしたいのか分からないまま人生が終わった

小さい頃から逃げてばかりいた。

近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。

家の中でばかり遊んでいた。本もゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビアニメ特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマ歌番組には興味がわかなかった。

幼稚園小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。

教室にいると何が飛んでくるかわからいから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからいから、まばたきするのも怖かった。

このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないという親の判断進学校を目指すことになった。進学校が何なのかもよく分からなかったが、言われるままに頑張った結果まあまあそこそこの私立に引っかかった。

公立を知らないので私立がマシだったのかどうかは分からない。同級生は相変わらず猛獣の群れだったが、目立った不良グループとかはいなかった。大きな図書室があったので、空いた時間に通いつめた。帰り道にあった古本屋お気に入り場所だった。家からバスで一時間くらいかかったが、本を読むには丁度よくて時々乗り過ごした。

せっかく入った進学校だが、勉強を頑張った記憶は無い。授業中は教科書落書きばかりして、溜まった妄想秘密ノートに描き連ねた。入学後に部活を選ぶ機会があったが、入ろうとした部の先輩に初回で約束をすっぽかされてそのまま無かったことになった。中高一貫だったので何の区切りもなくただ学年の数字だけ増えていった。

高校を出たら大学へ行くものらしいとは聞いていたが、受験の仕組みとかはまるで理解しておらず模試センター試験区別もついてなかった。どの大学に行きたいのかと言われても特に思いつかなかったので、自分の成績で向いていそうな学部適当に受けた。

一浪して隣県の国立に入り、仕送りもらってアパート一人暮らしを始めた。山と田んぼばかりの実家と比べるとずいぶん都会だったが、主に利用したのはスーパー百均古本屋古ゲーム屋くらいだった。アルバイトはせず、与えられた金額範囲いか生活するかばかり考えていた。

講義はどれも興味深かったし、図書館も大きかった。パソコンインターネットにも初めて触れた。けれど溜まっていくのは雑学ばかりで、何を目指して進めばよいのかが分からないままだった。

この頃には周りの人間猛獣ではなくなったが、自分から近づく気にはなれなかった。声をかけてくれる人もいてサークル活動などもやってみたが、結局はどの付き合いも長続きしなかった。人と関わって舞い上がる自分への嫌悪感と、夢や目標をもって進む人への劣等感で押しつぶされそうだった。

ノート落書きは続いていたが、書けば書くほど自分空っぽさを見せつけられた。オリジナルだと思っていた設定もデザインも誰かの真似でしかなかった。愛も理想言葉だけで、何一つ信じてなんかいなかった。

つまづきながら単位は取っていったが、論文が書けなかった。研究したいテーマなんて何一つ思いつかない。自分がやりたいことも、やるべきことも、できることも何も見えなかった。院に行けるような頭が無いのは分かっていたし、学んだことを社会で役だてるイメージもまるで出来なかった。

あてがわれた研究室で無意味に悩んでくすぶって、二回留年してから卒業した。教授に与えられたテーマそのままに本とネットでかき集めた文章をつぎはぎしただけの卒論を提出して、実家へ逃げ帰った。

家でただ寝ているわけにもいかないので就職活動をはじめたが、大卒肩書きしかない、やりたい仕事もできそうな仕事も分からない人間を雇ってくれる会社など見つかる訳がない。取りあえずどこでも良いので働いてみてから考えればという助言に従って、隣町の食品倉庫で時給労働をすることにした。取りあえずのはずだったが、そのまま十数年たった。

肉体労働苦痛だったが何年かすると慣れた。基本的には書かれた数字にあわせて箱を動かすだけなので頭を使う必要は無い。周囲に人はいるが朝の挨拶トラブルの報告以外で話すことは無い。毎日たくさんの箱が出荷されていくが、買い手のことはラベルに書かれた名前しかからない。ただただ箱を運び続けている。

学生アルバイトでも務まるような仕事から給料もその程度だ。実家住まいのおかげで多少の貯金はできたが、病気などで大きな出費があれば簡単に消し飛ぶだろう。別の仕事を探すべきだったが、こんな簡単仕事ですら苦労する自分に他の仕事などできるだろうかと思うと身動きが取れなくなった。

日々の暮らしのものには不満は無い。食べるには困らないし、仕事上のストレスくらいなら家でお菓子を食べてゲームしていれば解消できる。会社以外で人に会うことがないので服にも身だしなみにもこだわる理由が無い。特に行きたい場所もないし会いたい人もいない。飲まないし打たないし買わない。

このあいだ四十歳になった。独りのまま四十を過ぎると妖精になるなんて言ったもんだが、実際に妖精郷というのはこんなふうかも知れない。苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間

今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。そうする内にいずれ親が倒れる。そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。

すでに自分人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。小さな目標はいくらでも立てられるけど、それが他の何かにつながっていくことが無い。

自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。空っぽのまま生まれ空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。

2019-01-11

自分の中での復讐完了した

小さい頃、虐められていた。

最初発言が気に食わない、とか調子に乗ってる、とか

そんな感じで、からかい程度やいたずら電話みたいな軽いものから

金を取られる、暴力をふるわれる、家の車や窓ガラスを壊されるといった

明確に犯罪ものまで、今でも大きな傷になっている。

そのせいで人間不信になり、

何度も死んで遺書に全部書きなぐってやろうか、

それくらいじゃあいつらは何も思わないから殺して死んでやろうか、

そうしたら残った親兄弟がまた標的になる、

ということをループしているような毎日だった。

幸いにして成績だけは良かったので、

地元公立中学を出た後は進学校に進み、国立大学へ進学した。

高校以降は(地元では相変わらず嫌がらせみたいなことはあったが)

そういうものとは無縁で、友人にも恵まれ楽しい生活をしていたが、

ふとした瞬間に過去を思い出して、ふさぎ込むこともあった。

今が楽しくても、思春期にずっと暗い影を落としていた。

就職地元を離れて、新人の頃はサービス残業や土日出社もして、

何とかそれなりの稼ぎをもらえるようになった。

去年結婚して、子供ができて、昨日子供をお風呂に入れてた時に、

ふと幸せだなーって感じて、涙が止まらなくなった。

自分の、過去や当時の相手に対する憎しみとかに使っていた時間を、

妻や子供に向けることができているとわかって、嬉しかった。

自分が人並みの幸せをつかめていることに安堵した。

今でもその時携わったやつらのことは許してないし、これからもそれは変わらないけど、

うそんなものに捕らわれなくてもいいんだって思ったので記念カキコ

2019-01-10

真面目に通学し始めるまでの話

うっかり進学校的なアレに入学してしまったのがすべての間違いだった。弟が壊滅的に勉強が苦手なのでまだマシと思えていたのもある。

高1の1学期末、数学試験で3点を取った。勉強へのやる気が消えた。

それからというもの全く勉強せず、高校2年に上がってから半年ほどは、オトナに話すとそれはまあ叱られそうな生活を送ってきた。




1学期は、これでもかと言うほど学校をサボった。3日行って1日サボる。そんな生活を3週間続けると、担任に呼び出され進級に響くから体調不良その他の理由がない限りはなるべく来なさいとお達しがあった。

その時1年間で何日休むと進級できないのか、と行った旨の数字を聞き、私は即座に脳内でそれを3で割った。

月に3回は休んでも進級に響かないという結果だったため、5月中旬からはしばらく毎月3回休むことにした。



親には学校を休むことを言っていなかった。

部屋の窓の鍵を開け、わざと遅刻する時間に家を出、親に遅刻連絡を入れてもらう。こうなると私の勝ちだ。

学校遅刻連絡を入れた生徒が欠席しても電話を掛けてこないことは、数年前酷い生理痛遅刻連絡を入れ、結局体調が優れず休んだ経験からすでにわかっていた。

両親が仕事に行って家を出たであろう時間帰宅し、自転車を親戚が住んでいる近所のアパート駐輪場にこっそり置く。

部屋の窓から家に入って靴箱に靴をしまい、哲学書を読み、父親本棚から経営指南書を拝借して読み、日本史教科書を開いては眺め、日本史問題集を解いては資料集を開く。

数学の成績は中学一年のころから壊滅的だったので、時折チャート式問題集を開いて何問か解いて、分からないのでうんざりして本棚泉鏡花全集に手を伸ばしたりしていた。

夕方普通に学校に行って帰っても親が帰るのは私の帰宅後だったこともあり、アパート駐輪場から自転車を回収し何事もなかったかのように帰宅する。

完璧計画であった。

自転車で通っていても、ふと、学校ではないどこかに行きたくなることがあった。

駅の公衆電話から腹痛が酷く自転車を押して向かっている、遅刻するかもしれないという旨の電話を入れる。

事務員さんが頷き、電話を切ると、制服ジャケットの裏ポケットに入れたスマートフォンを取り出してマップアプリを開いてはあれこれ考える。

空港に行って飛び立ってゆく飛行機を見て、展望所のすぐ近くのテーブル数学問題集を開いて空を眺めつつ問題と格闘した日もあった。

海に行って、靴下を鞄にしまい、ひとしきり波と戯れたあと小さなハンカチ必死に足を拭いた日もあった。

小学生の頃親しかった友人と秘密基地を作って遊んだ山に登ると、ため池が作られていて秘密基地があった場所には行けず、立入禁止看板の前で住んでいる市内を一望しながら体操座りで弁当を食べた日もあった。

毎日が最高に楽しかった。学校の友人らとカラオケに行ったり自撮りをしたり、恋の話をしたりアイドルの話をしたりなんて小指の先にも満たないしょうもないものに思えた。

それこそ高1の夏休み、ふと思い立って某中国四国連絡橋を単身歩いて渡り海を挟んだ隣県に行った時と同じくらい楽しかった(ちなみに高1夏、私は自県まで残り3kmを残してポカリスエット4本が底をつき海の上で死にかけた)。

月に3回のこの楽しみが、わたしを生かしてくれているように思えた。それこそ「行きたくなくなったら学校休もう」って決めた日以前の検索履歴には「首 吊り方 苦しくない」だとか「飛び降り 何階以上」とかい言葉散見されていたので。


しかし、この自分的にはなんとも素敵で素晴らしい日々のことを友人に話すと、それはもう極度の批判を浴びた。こんなに楽しいのに。

友人は勉強ばかりして、親の期待に応えることばかり考えてコドモゴコロだとか冒険心だとかを忘れてしまったのではないかと訝しんだ。

じぶんの楽しい思い出が否定されるのは嫌だったので、それ以降だれにもこの日々のことは言わなかった。



夏休みになると、大学受験を見据えて塾に入ることを親に勧められた。

県下ではまあそこそこの、毎年何名か東大合格者も輩出しているような学校に通っているからか、周囲がわたしを置いて受験モードに入るのがやたらと早かった。

大学受験と言われても、それまで進路なんて考えたこともなかった。彼氏いないし。コイビトと同じところに行きたいとかいあるある進路選択方法も、選択肢が存在しないのだから選びようがなかったのだ。

最終的に塾には通うことにした。初回体験授業の講師イケメンで、軽い気持ちで授業後アンケートにまた受けたいと書いてしまったのがいけなかった。布団の中で後悔して、今年の夏は一人でどこまで行こうかと考え気をそらしていた。

しかし、何回か通ううちに気が変わった。友人皆が大手塾に通う中、私はマンツーマン型の小ぢんまりとした場所だったので、周りに私を知る者はほとんどいなかったのが救いだった。

塾で分からないところは基礎の基礎だと薄々感づいていようが分からないとごね、分かったらこれでもかと喜ぶ(時々声がでかくてブースの外に聞こえると窘められた)。


夏も過ぎ二学期中間試験も終えた10月ごろ、仲良くなった塾講師に、件の日々の話をしてみることにした。この人はやたらと毒舌だが顔はいいので、何を言われても許せる自信があった。顔はいいので。

講義講義の間の休み時間の間に雑談のノリで喋った。学校サボって空港とか海とか行ったことあるんよね、マジでしかった。ホンマはアカンけど。

塾講師の反応は予想と違っていた。返ってきた言葉は「絶対勉強ばっかしとったよりええと思うで〜」「アホやなとは思うけどええとも思う なんも考えてなさそうで」という完全に私をアホとみなした上での肯定だった。


よく分からないがムチャクチャに嬉しかった。それはもうムチャクチャに嬉しかった。この人にはアホな所を堂々と、それこそ正弦定理余弦定理から2次方程式の解の公式までこれでもかと意味わからん何これと聞きまくっていたので、アホ呼ばわりされることがなぜか誇らしかった。

小学校中学校の頃は何もせずとも常に成績はトップだった。高校でも文系科目がまあそこそこできたおかげで順位は真ん中より少し下、成績を上げなさいとは言われるが面と向かってお前アホやなと言われる機会はこれまでの人生一度もなかった。いや影では言われてたかもしれないが。


「やろ〜!? いや自分でもやばいなとは思うけどなんか楽しかったんよね…冒険しとるみたいで…」と返すと、授業開始のチャイムが鳴った。


私は学校を休むのをやめた。

受験勉強、がんばります

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