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はてなキーワード: 進学校とは

2017-06-23

進学校に入ったのに落ちこぼれて滑り止め高校の奴よりもクソな進路にならないようにしようね

2017-06-22

大学辞めたい

大学辞めたいと思うようになった。今は大学2年生で最近大学が辛くなってきた。大学にいる意味がわからなくなってきた。大学でやりたいことがない。

高校は一応進学校だったので当然大学に行くものだと思っていたがいざどの大学のどんな学部に行くかを決めるとなると何も浮かばなかった。自分のやりたいことがわからない。自分の将来の夢がない。勉強ができるわけでもなかったしやる気があるわけでもなかった。結局適当に決めた県内理系私立大学に行くことになった。

大学生活はつまらなくはなかったが勉強に力が入らない講義はよくサボってたし、でてもスマホを触ったり寝てるだけ。1年次の成績は当然最悪で進級ギリギリだったがどうにかなるだろうと思いあまり危機感はなかった。

2年生になり研究室就職の話をされるようになった。自分のことを考えてみた。最悪だった。自分にはなにもない。夢も目標もない。なにもできない。ここで初めて大学にいる意味を考えた。「このまま大学にいるぐらいなら辞めたほうがいいんじゃないか」そう思った。しかしここで大学を辞めたところでどうすればいいかからない。

先日ゼミ配属の面接があった。やりたいことがないのでどのゼミにも行きたくなかったがとりあえず1つ決めて面接に行った。しかし何も話せなかった。当然である。やりたいことがないしなにもやってこなかったから。

自分が悪いのはわかっている。でも自分自分を変えられない。どうすればいいかからない。このまま大学にいてもいいのかもわからないし辞めてどうすればいいかもわからない。

2017-06-14

第一志望の企業の最終面接で落ちた

今までの人生挫折経験したことがなかった。

自慢のようにしか聞こえないとは思うが、超進学校と呼ばれる高校から現役でSラン大に合格、そのまま行きたい学部に進学し、望む研究室卒論を書き、大学院へと進学をした。

考えうる最高の学歴を準備し、課外活動も万全、昔から憧れていた企業ESを提出し、最終面接まで順調に進んだため、今回も望む結果が得られると思っていた。

しかし、最終面接では緊張のあまり一人称すら定まらず、言いたいことも言い切れないまま、予定の時間より早く面接は終了した。

他社の最終面接では一切緊張しなかったが、第一志望への憧れはそれほどに強かったらしい。

嫌な予感を根拠のない自信で押さえ込んで必死電話を待ち続けた。

そんな中でお祈りのメールが届いた。

人生で初めて経験する挫折に頭が真っ白になった。学歴コンプを抱えて生きている人の気持ちが初めてわかった。

他社の内定は頂いているが、自分は一生このコンプレックスを抱えたまま生きていくのかと思うと不安で仕方がない。友人と内定先の話をする度に辛い気持ちになる。

頭では内定先も十分に良い会社だとわかっているはずなのに涙が止まらない。

就職浪人をしたところで今度は合格できるという確証もないため、そのような行為には踏み切れない。

内定先でスキルアップをしつつ第二新卒として転職活動を始める自分の姿が目に見えるようで非常に辛い。

第一志望への憧れは今、呪縛へと変わって自分を苦しめている。

世の人はこんなコンプレックスとどう付き合っているのだろうか。

2017-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20170606005748

自分はまわりと違う、まわりより顔がいい、優れている。

心の表面でも奥のほうでも、もしもそんなふうに感じているなら、それは尊いことだ。

それは若い人間に不可欠な、大切な、大切なもの

自尊心の一部だ。

人は自尊心でよりよく生きて、より高く到達する。

それが若い力なんだ。

恥ずかしいかもしれない。

でも、ぜんぜん恥ずかしくない。

ちなみに、おれの大学時代をいうならば、まわりには「文化」の「ぶ」の字も知らないようなヤツらばかり。

そいつらみんな超有名進学校出身なんだから、あきれた状況だった。

ある意味あなたの状況と正反対かもね。

周囲とおれは違うぞ、と思い続けてきたから、いま、おれの人生は充実している。

困難も悩みも楽しみも、そしてやりがいもある人生だ。

社会でうまくやっていけるかどうかは単なるスキル問題だ。

それが分かれば、難しいことではない。

けれど、うまくやっていけていないと感じて悩むのは、尊いエネルギーのおかげだ。

それが存在することは、ミミズカエルよりも恵まれ人間ゆえなんだ。

2017-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20170612123938

いいじゃねえか。学級委員女子

中学生のころだ。時は世紀末。俺は田舎学校に通っていた。

学級委員女子は昔から可愛いというか、美人系の顔立ちで、色も白くてきれいだった。建設会社の娘だった。

社長令嬢といえば聞こえはいいが、田舎からなそこまででもない。

でもやっぱり庶民の家庭よりは断然裕福で、家は大きな二世住宅で庭が有ってテラスが有って。

彼女ピアノ英会話なんかやってて。

彼女の属するグループ女子グループで言うと2軍だった。1軍の女子は不良が多かったてのもある。

1軍女子リーダーが同じように建設業の家の娘で、この辺りは女子の間でどのようなグループ認識があったのか、詳しく知らない。

学級委員女子はそれなりに勉強も出来たし、結局高校は遠くの進学校に行った。

彼女の靴に限らないのだけれど、一時期、男子の間で、下駄箱の女子の靴(上履き)の匂いを嗅ぐのが流行った。時は世紀末だった。綺麗な彼女のは格好の的だった。

先生の間にも知れ渡り、ぎりぎり問題として顕在化するかしないか流行はおさまったんだけど。

俺はこの時期、なんだったか広報委員会? みたいなのの委員長をやっていて、学級委員彼女と二人で夕方から夜にかけて何か作業をしていた。

この時彼女ハイソックスが汚れたんだか濡れたんだかしたんだった。彼女靴下を脱いだ。詳しくは忘れた。単純に暑かったから脱いだのだったかもしれない。

いきなり彼女は「男子って女子の靴とか靴下匂い好きなの?」と言って、靴下作業している机にぽんと投げ出した。そして上履きを足で引っ掛けて「靴投げ」する様な感じで俺にぶつけてきた。

適当一般的男子の嗜好の話をしながらも思わず彼女の素足を見てしまう。色が白くて細くてきれいで、足の形や指の形なんかも良くて、お嬢さんってのはこういう足をしているのか、と心の中で唸ってしまった。

彼女は膝を立てるような感じで座るので、「刺激が強いからやめて」って言って作業に戻った。彼女とは、女子男子の手とか首筋を見るのだとか話をした。

まり頻繁に話す仲ではなかったし、委員会も終わった? 引退した? からその後どうなったわけでもないんだけれどさ。

要するに俺は一発で脚フェチになってしまったんだよ。

いやもともと脚フェチの潜在性はあったと思うんだ。だけどあの世紀末、中学生の俺には、学級委員のあの振る舞いは刺激が強すぎた。DNAをかき乱されてしまった。

彼女が天然でああしたのか、あるいはちょっと狙ってアトラクティブに振る舞ったのか。それは解らないし、どちらでも何かそそるものがあると思う。

それで、俺はこの後、脚フェチをめぐる長い旅路を経ることになる。それはまた語るとして、あの、世紀末のあの出来事が、思えば旅の出発点になっているんだとふと振り返ることがある。

からさ、学級委員女子、良いじゃねーかと思う。

2017-06-10

一生許さないけど感謝はしている

母と話していて思った。私は高校在学中が一番辛かったんじゃないかと。それは勿論自分責任が無かったわけではない。

私は電車も通っていない田舎で育った。そんな地域から学校自体が一つずつしかない。高校ともなれば殆どが隣町にある高校入学するのだが、それ以前に幼稚園小学校中学校と周りにいる人間は同じであり高校に入ろうと顔を会わせるのが当たり前だった。つまりスクールカーストなるものも引き継いでいく。しかしながら中学校ではそういったものはあまり関係無かったように思っていた。派手目な子は確かにいたしグループもハッキリしていたけれどそれが虐めに直結することがなかった。虐めまで行かない対人関係トラブルはあったけど。とりあえず、「みんな仲良くやりましょう」が出来ていたように思う。平和だった。が、しかし悲しいことにそういった意見を持った生徒たちはみな頭が良く偏差値が高めな進学校へと入学していった。

高校に入るとまず驚いたのが隣町中学校性格の悪さだった。そして自分卒業した中学校とはうってかわってスクールカーストがハッキリしており、下と見なされた人達は明らかに虐げられていた。それは私の周りにいた同級生たちへも浸透していった。

テスト自分よりいい点をとられると機嫌が悪くなる同級生。幼馴染みが目の前で私を除け者にしたこと。手袋が落ちたので拾って声を掛けたらあからさまに嫌な顔をして私の手から奪い取っていった隣クラス女子。言い返さないと思った人間理不尽馬鹿にして優越感に浸っていたあの男子放課後に私や友人たちが教室に残って話していると「この教室カオスじゃん」とわざと聞こえるように廊下から叫ぶ男子。そういった男子女子のようにグループを組み、気に入らない人間悪口他人の失敗を見てよく盛り上がっていた。

高校卒業後に入学した専門学校ではとても人に恵まれた。恵まれたというより、自分の中の「いい人」へのハードルというものが下がった。みんないい人に思える現象高校3年間は本当に辛かったけど、あの3年間のおかげで私は考え方や感じ方が変わったんだろうな、と思った。友達もたくさん出来たし、随分生きやすくなったし。

ただ偶然、嫌いだった男子同姓同名の人から職場FAXが来た。そこに記されていた生まれ年も学年でいえば同学年。誕生日までは知らないから断定は出来ないけどもしかしたら、と思うと忘れかけてきた怒りがふつふつと腹の底から沸きだしてきて考えが止まらなくなった。

私は結局卒業した四年前からずっとずっと、その男子や女子たちを許すことが出来ないでいるのだ。

根に持ちすぎだと失笑されるかもしれない。だからと言って復讐したいとか不幸を喜ぶわけではない。

許せはしないけれど、感謝している。

感じかたを変えるキッカケをくれてありがとう、と思っているしあの3年間は無意味では無かったと今は思える。

今が幸せかと聞かれるとお金は無いし彼氏はいないし将来への不安もあるけど、好きなことも大好きな友人たちもいる。理不尽に虐げられてきたあの頃よりまだ生きていきやすい。

そんなつもりはなかった、とかそんなのは被害妄想だ、と本人たちは言うかもしれない。それは君たちの勝手なのだけれど、言ったところで「私や友人たちがされたこと」に変わりはないんだよ。嫌な思いをしたことに変わりは無い。怒りが消えることもない。だけどそうだな、同窓会では笑って挨拶くらいはできると思う。参加するつもりは今のところ無いのだけど。

でも、まあ、存在自体馬鹿にされていたからなにを変わればよかったのかなあ・・・在学中に変われなかった私にも非はあるのかもしれないね。閉鎖的なあの空間にも問題はあったのかもしれない。

しかし私はお前らが許せないよ。許す気もないから、いつか苦しんで消えてね。

2017-06-09

まれている人間はどうしたらいいのか

世に言われる、特にはてな於いてはよく見る気がする、親に金出してもらって進学校に入って大学まで行って資格も取れて就職した、恵まれ人間です。こんばんは。

こんな自己紹介あるかよって感じですが、表題の通りこれが今回の増田主題なので、僭越をお許しください。

こんな人生を送っていると、学生時代までは周囲の人間も似たような立場の者が多く、自分が恵まれていることに気付いたのは社会人になってからでした。

言葉の上ではもっとから大人に同様のことを言われていたとも思うのですが、その意味するところを理解できたのがその年になってから、と言うべきでしょうか。

社会人になってからできた友人も、幸いにして何人か居ります。彼らの話を聞いていると、やはり自分は恵まれているなと感じます

もちろん、進学校ならではの辛さや家庭事情問題なども無いわけではありません。自分が楽ばかりして生きてきたとも思いません。

ですが、それを語ったところで「恵まれている」という一般的評価が覆ることは無いでしょうし、自分環境の違う人の苦労が分からないのは変わりません。

さて、このような前提を踏まえて、増田という匿名の場でお聞きしたいことがあります

自分はあまりまれていない方だ」と認識されていて、周囲の「恵まれた人」を見て辛くなってしまうような方に、特にお聞きしたく思います

 

私のような人間は、あなたに対してどのような立場や態度を取ったら、あなたを傷つけずにいられますか?

 

いつからこのような疑問を抱いていたかは思い出せませんが、かなり長いことこれを考えていますしかし、これという答えに辿り着けていません。

私が恵まれているのは偶然の産物しか過ぎませんから、それを理由あなたを傷つけていいとは全く思いません。

そもそも、周囲の人を傷つけたり嫌な気持ちにさせたりするのは、極力避けるべきことと考えています

ですから私にできることはしようと思います

ただし、恵まれものを手放して不幸になれというご意見については、理解いたしますしいずれそうなることもあるかもしれませんが、積極的に従うことはできません。

やはり自分自身かわいいということもありますし、恵まれた要素の一環である家族に対しても、これらを捨てることについての弁明ができませんから

2017-06-07

高学歴なのが苦痛

 バブル期大学院進学をするような両親の第一子として生まれた。高校進学校大学は国公立に行って当たり前だし、文理選択は当然のように両親と同じ理系しか認められなかった。親からプレッシャーが激しくて、自分医学部進学を当然のように希望されたが医者にだけはなりたくなかった。だからわざと勉強をせず医学部以外の医療学部に進学して、現在卒業後の進路が決まり国試を控えている。

 家庭が異常だと気付いたのは大学に入ってからだった。

 大学に入れば遊べると思っていたが、とにもかくにも勉強漬けだし自由に受ける講義選択することすら叶わない。必修科目の講義は何を言っているか理解できず、高校と同じ勉強方法通用せずあっという間に落ち零れた。講義や実習のせいでプライベート時間が余り取れず、バイト先にシフトを提出するたびに肩身の狭い思いをした。部活同級生に比べて出席率が悪く、いてもいなくても同じ人扱い。それで勉強もできないのだから場所がどこにもない。

 勉強は嫌いじゃないけれど、物覚えが悪く応用も利かず、考える力にも乏しい。就活時に履歴書の経歴欄だけ立派なことに気付いてから、激しい劣等感に苛まれている。幸いにもすぐ就職先が決まった(売り手市場だし、受かりそうなところしか受けなかった)けれど、大学卒業国家試験合格できる気がしない。

 勉強ができる以外にこれといった強みを持たぬまま成人して、勉強ができなくなってしまってさあどうしようといったところだ。

 勉強はそこそこで、部活にしっかり取り組んでいたら自信を持って話せる特技や思い出があったのではないか? 国公立大学には行けなくても、そこそこの私大で充実した生活も送れたのではないか? 人生分岐点を振り返れば振り返るほど、高学歴人生を進むことが自分には合っていなかったように思う。嘗ての同級生で、私と違う道に行った人がみんな幸せそうに見える。うらやましい。私もそうしていれば違ったんじゃないか

 あと半年死ぬもの狂いで勉強すれば、残りの人生は送れてやってきた幸せを手にすることができるのだろうか?

 就職先だけは自分のやりたいことや住みたい場所第一に考えて選んだから就職先について後悔し始めたら自殺しようと思う。就職までの間違いだらけの選択肢は親に強制されたものから自殺する必要はないかなと思っている。

 部活毎日顔を出したかった。バイト扶養がはずれるギリギリまでやってみたかった。次の人生あんまり勉強に縁がないものだといいな。

2017-06-06

普通の人は死にたいって思わないの?

6歳くらいか死にたいと思いつづけている

もちろん死んでないし、積極的死ぬ気もないから生きているんだけど(一回自宅の二階から飛び降りたことはある。かすり傷だった)

通勤電車を見るたびに、「自殺志願者絶対に殺してくれるマンだかっのいい」と思うし、飛び込んだらどうなるのか想像する

何だっけ、アドラー心理学王座の陥落?で、弟妹に親の愛情が移って、第一子は親の愛情を取り戻そうとするって奴

私もそうだった

父親がまったく子供にかまわないひとだったから、余計に母親依存していたからか、弟妹の面倒を見て母に楽をさせてあげることだけを考えていた

でも私は母親愛情を取り戻せなかった

差をつけるようなことはされなかったけど、親だって人間から、3人も子供がいれば人間的な相性みたいなもの絶対にあって、多分私は母と相性が悪かった

私はお母さんの一番にはなれないんだ

そう思ったら何もかもどうでもよくなった

とあるごとに死にたいと思うようになったのはそれから

母を諦めた私は父の一番になろうと思った

父は進学校落ちこぼれで(それでも国立は出てる)学歴コンプが端々に見えた

幸い頭は悪くなかったし、勉強も嫌いじゃなかったから、父が喜ぶ学校には普通に入れた

でも行くことが目的だったから入ってからはもうどうでもよくなっちゃったし、父の一番になったからって、母が私だけを見てくれた幼少時には戻れないわけで

死にたいって思わない人の方が多数派なのは何となくわかるんだけど、みんながみんな幸せ環境にいるわけじゃないのに何でそんなに平気なのかなって、豆腐メンタルは思います

発達障害」と同級生のUさん

中学の頃の同級生問題行動が多い女の子、Uさんが居た。

「死んでやる!」と窓に足を掛けて3階から飛び降りようとしたり、

気に食わない男子椅子で殴りかかろうとしたこともあった。

授業中に叫びながら教室を飛び出して、何故か服を脱ぎ始める、なんて珍事もあった。

そんなUさんだが勉強はできた。それもかなり。

新聞にも目を通しているらしく、「なんとか還元水」など時事ネタを口にすることもあった。

そんな落差のあるUさんは「変わった子」として学年の誰もが知る存在だった。

小学校が同じだった子達は「あの子はいつもああだから。」と呆れ顔。

中学校で初めて彼女を目撃した俺たちは驚きつつも、その奇行に次第に慣れていった。

幾多の問題行動はあくまで威嚇のようで、本当に窓から飛び降りたり、

相手を殴りつけたりすることは、俺の記憶が確かなら、一度もなかった。

実際に攻撃してこない、ということが分かった一部の男子は満を持してUさんの事をバカにし始めた。

彼女奇行を起こす度に「ありゃキチガイの顔ですわ」とか言ってゲラゲラ笑った。

奇行は収まる気配もなく、そうこうしてる間に卒業シーズン。俺たちは中学卒業した。

自身中学卒業後に色々あったこともあり、卒業後は中学時代メンツの大半と疎遠になった。

Uさんは市内上位の進学校に進んだらしい、という噂を聞いた。

それから10年。

ここ最近になってSNS界隈で「発達障害」という単語を頻繁に目にするようになった。

最近では雑誌やらテレビでも特集が組まれたりして、徐々に大衆認知度も上がってきている。

TLに流れる「発達障害の特徴」といった類のガイドラインを読んで、ふとUさんの事を思い出した。

彼女もいわゆる「ADHD」だったのではないだろうか?

理解してくれる人が必然的に少なくなる高校大学では上手くやれてたのか。

気付けば俺たちも既に20代半ば。就職は無事にできたんだろうか。

賢い子だったから、大学院とかで専門的な研究でもしてるのだろうか。

それとも人生がうまくいかず、もがき苦しんでいたりするのだろうか。

疎遠といえど、中学時代の人脈が完全に途切れたわけでもない。

何人かのLINEは知っているし、その気になれば彼女の近況は分かるだろう。

でもなんとなく、知らないままでいたいのだ。モヤモヤとした気持ちけが残った。

2017-06-03

偏差値30の高校は、間違いなくジャパリパークだった

ジャパリパーク個性を認め合う社会だ。人間と違って野生動物はできることよりもできないことのほうが多い。大抵の動物は泳げないし空も飛べないし足も大して早くない。だからこそ、擬態うまいとかジャンプ力が高いとかとか、できることが光る。できないことはできなくてあたりまえ。でも、できることはすっごーいと褒め合う。この多様性を認め合う姿勢こそがジャパリパークの素晴らしさだ。

中学生の時、勉強の大変さからやる気を無くして不登校になった俺は、そこしか行けるところがなかったか偏差値30の高校に通った。今思うと、偏差値30の高校は、間違いなくジャパリパークだった。周りは不良や元不登校ばかりだった。俺も含めて皆親が貧乏だったし、勉強進学校と比べるとおままごとのようなレベルだった。でも、だからこそできることが光った。皆個性が強かった。

アルファベット26文字すべて書ける人はすごい、分数の割り算ができる人はすごい、アルバイトで月15万稼ぐ人はすごい、学校の近所の卵が安いスーパーを知っている人はすごい、いけすかない先生をぶん殴って退学になった人はすごい、休まないで学校に来る人はすごい、宝石職人の息子で文化祭の時ものすごい精巧お化け屋敷を作った人はすごい、現在形の英文過去形に直せる人はすごい、二次関数の頂点の位置がわかる人はすごい、大学に受かった人はすごい、就職できた人はすごい、ちゃんと卒業した人はすごい。偏差値30の3年間は、肯定言葉にあふれていた。アルファベット26文字を書くなんて下手したら小学生でもできることだ。でもそれができることは、傷の舐め合いでもなんでもなく、心からすごかった。できないからって馬鹿にするやつなんて居なかった。

現在、俺は偏差値高校の倍くらいある大学工学を学んでいる。高校科学面白さを知って大学科学勉強がしたいと思ったからだ。教育環境は間違いなく向上した。ちゃんと大学レベル講義を聞けるし、私語をする人はいないし、講義中に紙飛行機を飛ばす人も居ない。でも時々、大学の「できて当たり前」という環境が少し嫌になる。お前はテイラー展開が出来ない。お前はTOEICで500点すら取れない。お前はルジャンドル変換が出来ない。お前はシュレディンガー方程式が解けない。多少のできることよりも、できないことで評価される。それがダメだとは言わない。競争する環境では当然のことだ。競争が悪いことだとは決して思わない。仮に今中学3年生に戻れるとして、俺はきちんと勉強をして進学校受験し、競争する道を選ぶだろう。減点方式評価は悪いことではない。でも、なんだか時々、ジャパリパークのようだった偏差値30の母校がどうしようもなく懐かしくなる。

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527011529

きっとすごくきみはいましんどくてたまらないのだろう。

のしんどさが少しでもやわらぐといいなと思って書きます

カリキュラムの件は残念だったね、としか言いようがない。

選んでしまったことは受け入れるか、やめるしかない。

きみが指定校推薦公募制推薦を受けることを希望しないなら、授業はてきとーにやっつければいい。

受験科目について、別にから変えてもいいんじゃないかな、とおもう。

受験する学校だって、無理に外国語学部にこだわる必要はないんじゃないかな。

とにかく、何とかして大学に行くことだけ考えてみるのもいいかもしれない。

私の妹は私から見れば、「要領悪いし勉強できないやつ」だった。

美大に進学して、ある日図書館で借りてきた本を読んで、「世界史面白い勉強面白い!」となって、それ以来よく本を読み、作品を作り、卒業していった。

(しきりにゴンブリッヂ先生がーと言っていた。元増田もよかったら読んでほしい。私は読んだことはない。)

知識を得るだけでなく、組み合わせること、表現すること。それを妹はよく実践していた。

今は販売仕事をしているが、「お客さんにどうしたら興味を持ってもらえるか?」 情報仕入れたり、実践したり楽しそうだ。

妹は大学で、まさしく学びのあり方を学び、卒業した今も実践しているのだと、誇らしく思う。人間として尊敬している。

高校は通過点だ。いまこのとき人生の長い長い時間の一瞬だ。

いつだって、学びなおせる。それをいかして生きていける。

世界について学ぼうと思ったとき、回りと自分を比べる必要はない。自分の力で学んでいけばいい。



ぶっちゃけいくら進学校だったって入学時にそんな進路に関わる無茶苦茶選択させるんじゃねえよとか、分割履修やめろ転入とき面倒なんだよとかそんな気持ちです。

以上現場よりお伝えしました。

2017-05-26

会話の話題になる趣味ってなんですか

大学受験に失敗して、一度も見に行った事の無い滑り止めに通って2カ月。

どうやら自分は対人恐怖症もアダルトチルドレンも克服しつつあるらしい。

受験に失敗したら家族の中での人権が無くなるんじゃないかと思っていたが、案外そんなことは無かった。モラハラ気味でいつも何もかもを否定する母親価値観も相対化出来るようになり、あしらい方も分かってきた。落ち零れだと思っていた頭脳は案外場所が変わるとそんなことはなく、周りを率いてフォローする立場になった。自信もついて更に論理的に考えられるようになった。ストラテラもよく効いていて、忘れ物遅刻殆ど無くなった。人とも緊張せず、堂々喋れるようになった。

そんな状況になってから、今までって異常だったなと改めて思えるようになった。

今までは進学校で出来る奴に囲まれて年がら年中周りに迷惑をかけ、常に申し訳なさを感じていた。ADHDで働かない頭はストレスで更に馬鹿になっていってニヤニヤしながら部屋をグルグル走り回る事が増えた。躁鬱みたいに陽気になったり大泣きして癇癪おこしたりしていた。校名で頭脳を褒められる度に実際の自分の現状と違うことに罪悪感を感じ死にたくなった。どこにいても消えてしまたかったし、どこに居ても誰かに迷惑を掛けていると思っていた。誰も彼もが怖く思え、どう喋ったらいいのか分からなかった。初めは私に良い印象を持つ人も、自分ケアレスミスや人との距離感が取れない所で苛立って顔を歪めたりするのを見るのは辛かった。最低の場合だと村八分になるもあったし、対人恐怖症になってからその状況はドンドン悪化した。でももっと最低な事は、私は嫌われても何にも思ってない振りをして彼らに無理矢理にでも頼らないと何にも出来ない事だった。永遠に誰にも追いつかないレースを一生走らされているみたいだった。みんなは真っ直ぐ水平な地面をゴールに向かって楽々と走っているのに、自分だけ重力波の影響を受けてグニャグニャの地面で立つのも前を向くのもままならないみたいだった。時間は私の中では等速には流れず、いつ寝てしまうのか自分でも分からなかった。

休みはなかった。親は十分に一度は勉強しろと言い、何か勉強以外の事をしていると二階に上がってきて嫌みを言った。お小遣い祖母がくれる僅かな額で、自分一人で休日遊びに行くなんて殆ど出来なかった。学校に行く以外の時間自己研鑽勉強に費やすのが当然で、私が何か趣味を始めようとすると母親はいつも嫌みを言って否定するので嫌になってしまっていた。

大学落ちたけど、こんな状況から抜け出せたかあんまり後悔なかったりする。

でも困ってることがあるから相談に乗って欲しい。趣味話題もないって事だ。

今まで時間は全て勉強に費やしてきたから、自分の好きなことに時間を使うって事が出来ない。物事にあまり興味が持てなくて、何か好きになっても途中で何かけちを付けて自己防衛の為に嫌いになってしまうことが多い。ドラマアニメも見ない。人との話題が無い。趣味も無い。結局空き時間ネットサーフィン勉強に使ってしまう。コミュ力も低いから最低でも人と喋れる話題位ほしいんだよね

お勧め趣味ある?

2017-05-25

椎名林檎が好きって言ってる奴の星野源も好き率異様に高いと思って

ラーメンズ椎名林檎星野源古屋兎丸写真映画舞台漫画文学美術館巡り、丸フレーム眼鏡短い髪、あとヴィレヴァン

世間ではこういうのを好む女をサブカルクソ女と呼ぶ。そうとも私はサブカルクソ女。上にあげたやつ全部好きだ。今月なんて稼いだバイト代ほとんど全部小林賢太郎ペトロールズにドバドバ注いだせいでおやつを買うお金がなくて今は小麦粉砂糖牛乳でといて焼いた何かにマーガリン塗って食べている。美味しい。

スイーツ()もキモヲタもひどい呼び方だ。なぜ西野カナが好きなだけで()なんてつけられてバカにされねばならぬのだ。なぜ推しへの情熱キモいなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。

なぜだ。なぜ好きなものを好きだと言っているだけで私たちはクソなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。何が好きなら文句がないんだ。

置いとこう。きっと何を好きでも文句いう奴はいなくならないんだろう。

しかし、サブカルクソ女などという不名誉呼称が広く使用されている以上、呼ぶに値するような、何か共通項を複数備えたクラスタ存在するのは事実なんだろうとも思う。

一体何が原因なんだろう。共通項の根幹はどこにあるんだろう。私は私のことを知りたい。

親の年収

うちはトータル1000万くらい。親が若い頃はもっと少なかったかな。

学歴

私は普通の共学の進学校からそんなでもない国立大に進んで理科学んでる程度。

幼少期にどれだけ文化的経験を積んだか?

クラシックコンサート博物館科学館にはよく連れてってもらったけど、演劇美術館には自分で目覚めたかなあ。

というかサブカルクソ女のみんな、絵でも小説でもダンスでもなんかしら恒常的に作品作ってない?あるいは作りたい欲求ない?私映像作ってる。あんまり人に見せないけど。

役者とかやってみたいと思ったことない?私はブスで勇気が出ず結局できなかったけど、文化祭演劇打つ時なんか側で関われるだけでとても楽しかった。

ラインの返信マメにできる?めんどくさくて私はできない。

単独行動できる?私は吉野家に一人で入れる。

人と目を合わせられる?劣等感多くない?自信がないのを奇抜な服装カバーしようとする気持ちない?

こんな風に色々聞いてみたいことがある。あーあ、もっと拡散力あるツイッターアカウントとか持ってたらアンケート取ってみたいんだけどな。

高校生の時は先生が好きだった。

会社の同僚が、友達高校の時の先生結婚した、という話をしていた。

そういえば自分高校生の時は先生が好きだったなあって思い出した。

先生とは担任でもなければ教科も受け持ってもらってない。接点がほぼ無い。

先生サッカー部顧問だった。

割と進学校高校だったから、土日も教室解放されていて、自主勉しに通っていて(そんな生徒もほぼいなかったけど。真面目だったなあ。)、部活で来ていた先生とはよくすれ違っていて。

なんとなく話すきっかけがあって、それから勉強質問したり、たわいのない話をしたり。

好きだと伝えたことはないし、先生と生徒以外の何ものでもなかった。

ある日先生が、「あ〜いたいた。」って言いながら、突然チョコレートをくれた。「ホワイトデーから。」って。

いや、バレンタインデーに何にもしてないけど?

その時は本当に嬉しくて、空き箱を大事にとっておいてた。今になって振り返ると気にはかけてくれてたんだなあ。

それから想いを伝えることなく、卒業して約15年がたった。

思い立ってFacebook名前検索してみた。

検索結果の最初の2件、知らない人が出て来て、やっぱ先生ってFacebookやらないのかな、ってあきらめかけてよく見たら、苗字名前が逆になっている人がそうだった。

変わってない。

子供との写真が写っていて、幸せ暮らしてるんだなあって嬉しかった。

そういう私も子どもが2人いるから、時はたったんだなあって感慨深かった。

知らなかったんだけど、先生は花が好きなようで、見つけた花を写真に撮って記事にしていた。

その中に、彼岸花写真があった。

花言葉は『独立』『再会』。『また会う日を楽しみに』。皆さんの人生に幸あれ」と。

久しぶりに会って、エールを贈られたような気分になった。嬉しかった。泣いた。きっと自分に充てられた言葉ではないんだけど。そういえばそんな先生が好きだった。

今はもう地元とは遠く離れた県の学校で働いているらしく、もう二度と会うことはないけど、思い出すとじんわり心が温かくなる記憶自分にもあったんだって、ここに書いておく。

2017-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20170515165611

小学生のころは学校勉強苦痛だったけど中学入試は充分に難しいと感じたし、

中高生の頃は進学校だったから授業は進むのが早かったし、

数学物理が得意だったので数学オリンピック物理オリンピック日本予選に参加してみたけれど充分難しくて予選落ちだったし、

大学受験東大レベルだと充分難しかったし、

適切なコミュニティにいこうと思えばそれなりに用意されてる気はする

中学入試簡単に感じる小学生東大入試簡単に感じる高校生規格外から難しいけど

あと天才小学生東大生を悩ませるこの話はおしろかった。

こんな機会が増えるといいと思う

http://nanaio.hatenablog.com/entry/2016/03/24/110406

2017-05-13

小学校先生プログラマー年収400万くらいで低いからやめておけ」

これは、「プログラマーになりたい」と発表した娘が小学生の時に、担任に言われた言葉だ。

先生IT土方を想定しているのかもしれない。

念のため、他の子どもは何を発表していたのか聞いてみた。

いずれも、給料が低いからなるなという指摘は無かったらしい。

私は娘にGoogleFacebook創業者など、プログラマーあがりの資産家のことを教えて、先生の指摘は気にするなとアドバイスした。

後日、学校で「自分の夢新聞を作る」という宿題があり、娘は「世界お金持ちにはプログラマー出身者が多い」というテーマ記事を書いていた。

それを先生に提出した際の反応を聞いてみた。

「ふーん。OK。」

という程度の、そっけない態度で、先生自身がした娘への指摘のことは忘れている様子だったとのこと。

いろんな先生がいることは承知しているが、収入が低いからやめておけなんていう先生がいるとは驚きだった。

なお、娘は工学系に進んで、舞空術を実現したいらしい。

最近は「Why!?プログラミング」の影響で、スクラッチを使ってドラゴンボールゲーム勝手に作っている。

例え年収400万でも特段低いとは思わないし、ぜひ頑張って欲しい。

# 2017/5/14 15:00 追記

非実在だとか妄想とか思っている人がちらほらいるようだけど、私も最初、娘にこの話を聞いたとき

「いやいや、先生がそんなこと言うわけないだろう」

と思って、他の子どもは何を発表していたのか、それぞれに対してどんなコメントをされていたのかを聞いてみたという流れなのだ

中学受験の塾の先生比較して、学校先生の言うことは納得できない根性論が多いとは前から言われていた。

公立はこんなもんだと割り切って、今娘は私学の中学校(進学校)に通っている。

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170510154858

進学校と呼ばれてる学校高専より偏差値高い学校いくらでもあるし

そこらへんの高校より偏差値低い高専存在するだろ

主語かいって言ってるお前も全く具体性がない煽りしてるじゃん

そもそも「偏差値高い高専だってあるんです。」という内容のトラバつけるところが

からすると些細なところをあげつらってんなと思うね

お前にトラバつけようとしたらそこにフォーカス当てなきゃいけないからああいうのになったんだよ

2017-05-07

ワガママ独り言

つい数時間前にこの匿名はてなダイアリーというサービスを見つけ、

ブログも初めてで日本語力もないし

自分が今から書くことはワガママだと分かっていながら書くから

イラっとしたらすぐ引き返してほしい。

私は北陸の某県に住む高3女子だ。

県内ではトップ10くらいに入る謂わば進学校に通っている。つまり受験生だ。関東大学第一志望で、滑り止めも関東大学にする予定だ。

家族構成は父、母、兄、私の4人家族だ。

兄は東京専門学校に通っていて、某大手企業内定が決まっている。長期休暇には必ずうちに帰ってくる。

我が家は私が幼い頃から仲が悪かった。

私が小2か小3の時は離婚しかけた。

父と母は見合い結婚で、周りの友達の両親の様に恋愛結婚じゃないから、元から愛なんてものはなかった(と思っている)。見合い結婚全てが愛がないと思ってるのではない。

離婚しかけた時はまだ私にとっては家族は大切な存在で、離婚してほしくなかった。兄と私がいるからということで離婚はせずに済んだ。

小6くらいから少しずつ嫌な場所になりつつあったけど、中2くらいまでは家は好きな場所だった。中3からは完全に嫌な場所になった。

兄が高校入学した小6の時から、母が兄を甘やかす様になった。周りの大人にそれを言うと、そんな事ないと言うが、今でもそう思っている。

小6の最後の方〜中2の間に、父もよく分からないことで機嫌が悪くなるようになり、私や母の悪口を大声で、目の前ではないけど聞こえる様に言うことが目立ってきて、父も母もだんだん嫌いになり、中3で完全に家が嫌いになった。

えこひいきや怒られることだけで家族が嫌になったのではない。

私はライブ参戦、観劇イベント参加が趣味で、アニメ女性アイドルグループ舞台俳優も好きなオタクである

両親が典型的昭和人間なので、オタクは歩く公害ライブ舞台等の形の残らないものお金無駄アニメマンガ子供の見るもの という考えだから、私とは本当に考え方が合わない。

ライブ観劇イベントも何回か行ったけど全然回数的に満足していない。

こんな田舎に住んでるから私自身が田舎者からライブ等に満足に行けなかった。

からえこひいきする母を、怒って一人で騒ぐ父を、自由にさせてくれないしこんな場所に生んだ両親を、自分の生まれ場所を、憎んでいる。

中3の高校受験の時、今通っている高校に入りたかったので、それを両親に言うと、父は好きにしろと言ったが、母は距離問題や私が合格しないだろうと思って、兄が通った高校を勧めた。

兄の母校は、正直に言うと私が通っている高校よりレベルが一つ下で、センター試験は学年の半分くらいしか受けないし、専門学校に行く人もそれなりにいる。そういう高校やそういう進路が悪いのではない。けれど私は可能性があるのに安全からと一つ下のレベル高校に行くのは嫌だった。厳しい世界だけど頑張っていこうと思って今通っている高校受験した。

成績が芳しくなくても、私は中3の時の決断は間違ってないと思っている。楽しい仲間、憧れの先輩、課題の量は鬼だけど親身になってくれる先生…どれを取っても私は私の意志を貫いて良かったと確信している。

今に至る経緯がとても長くなってしまったが、ここからが本題だ。

GW中に母は実家(県内)に帰り、父は稼ぎどき、兄は帰省してきてうちにいる。

GW前に母からスタバを奢ってもらい、父から直接「稼ぎどきだから協力してくれ」と言われていて、家事を頑張るつもりだった。勉強もそれなりに頑張るつもりだった。

五月病もあって、こころが少ししんどかった。

そんな時に不慣れな家事。でも一つ疑問があった。

なぜ帰省してきている兄は家事をしなくて良いのか?

これを父に尋ねたら、女だからと言われた。戦前かよ。男尊女卑かよ。

確かに不慣れだからやる必要はあるのだけれど、それなりに出来るし、兄がやらなくていい理論は成り立たない。私だって受験生だし勉強したい。成績悪いからそれなりに焦りだってある。

時間ないのに家事やって、でも文句言われて…少ししんどかったこころがどんどんボロボロになって…家事やらないと誰もやらないからやるしかないし…

こんなことを考えて、少し家事ストライキしたら兄から「おい、家事やれ」と言われた。私はおいなんていう名前じゃないし、兄がやればいい。そう思ったが口にしなかった。

家事ボロボロになった私のこころ勉強する元気はなかった。この気持ち家族全員に理解してもらえないのだが、家事がいい気分でできていたなら勉強もいい気分で始められた。確かに私は段取りが悪くて、家事時間かかるし勉強家事の前に済ませておけば良いのに、昼間はゆっくり寝てダラダラしていた。でも、メンタルボロボロの時に早く起きて勉強しようという気分になれない。新しい一日が始まってしまった、また連休無駄にしてしまった、また家事をしなければいけない…こう考えたら現実逃避としてまだ寝ていたくなる。だから昼頃まで寝た。昼からでも勉強すれば良かったのだが、憂鬱すぎてそんな気分ではなかった。そしてまた家事を嫌々やり、また一日を無駄にした。

やっと母が家に戻ってきた。私は全てに投げやりになって、居間で寝ていた。昨晩の洗濯物が洗濯機の中に入ったまま、干していなかった。母が兄にそれを言うと、「いや、妹がやらなかったし…」と言った。私は昨晩、兄に洗濯機を回す様に頼んだ。心の中で、兄が干してくれるか試していた。干してくれなかったし、私のせいにした。どうして全て私がやらなければいけないのだろう。ここで私は怒りを我慢できなくなり、掃除中の母に当たってしまった。

受験生の娘を置いて実家に帰るなんてひどい。なぜ兄は好きな時に出ていって好きな時間に帰ってきて、家事もやらなくて良くて、どうして周りもそういう空気を作るのか。どうして私のことは誰も考えてくれないのか。私だって忙しい。家事していた時間を返してほしい。

こう母に言った。

母は、何が受験生だ。自立するのに家事必要だ。お前の学力で受かる大学なんてない。もう遅い。私のありがたみを感じろ。お前は段取りが悪い。

と言った。

母にはありがたいと思っている。だが、大学受験経験したことのない人にもう遅いなんて言われたくなかった。まだまだ伸び代はある。これから頑張れば絶対第一志望は受かる。私はこう信じて勉強している。

やはり母も兄が家事をしなくて良いと言い、受験についても口を突っ込まれて、私は爆発した。勢いで食器棚ガラスを割った。私はもう家事なんて一切しねえよ!飯もいらねえ!と言い捨てて自分の部屋に行った。

からこの時から家事を一切していないし、ご飯も食べていない。あほらしいのは分かっているけど、食べたら負けだと思っている。私は絶対に負けない。どうなるか知らないけど絶対に食べない。

兄が私の部屋に勝手に入ってきて、勝手にべらべら何かを喋っていった。その中で私は不幸せだと言った。私は自分意思で不幸せになっているのではない。家族全員が私を不幸せにしている。そう言ったら、いつか俺の言った事が分かる日が来るよと言って私の部屋を出て行った。いつまでも勝手な人で本当に腹が立つ。

父は何も言わなかった。居間では何か言っていたのだが、聞きたくなかったから聞かなかった。私のことは本当に呆れたのだと思う。

母も何も言わなくなった。

すごくワガママだと思うが、これからどうしたら良いのだろう。

何も食べていないから頭が痛くて、文章書くのもやっとだ。だからご飯を食べたら絶対楽になれる。

でもあんなことをして、あんなことを言ったのだから食べる資格なんてないと思っている。

本当にどうすればいいかからない。

これ以上のことばが思い浮かばない。どうすればいいのだろう。

乱文失礼しました。

どんな批判のことばでもいいので、何かコメントもらえたら幸いです。

2017-05-06

私は朝から晩まで授業で怒鳴りつけられ

校則は頭髪検査までガチガチ放課後暴力教師が納得いくまでずっと掃除させられる

自称進学校奴隷養成所に放り込まれしま統合失調症になってしまったので無理でしたね

といっても幻覚幻聴はない陰性なのでストレス負荷が低度とき普通な感じです

2017-05-04

という感じのやり取りをリアル職場でやられた被害者体験談近畿進学校生徒を国公立大に走らせるのでしたっと

進学校生徒「(うわぁこんなキモイ地方から早く出ないとなぁ)」

センター5割以下で狂って陰湿ダメ職場を作ってる人が地元に多いか大阪進学校から鹿児島大とか信州大とか行かざるを得ない

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