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2024-11-20

「縦の旅行」してないのは本当にごく一部のエリート

日本社会で縦の旅行してないエリートなんて0.01%もいない

大手企業エリート社員なんて普通に地方支店アルバイトパートと関わるし

公務員エリート集団金持ちってわけじゃないか普通に同窓会が縦の旅行になる

中学校私立だとしても大して階層化されてるわけじゃないし

習い事とかしてたらいくらでも底辺・上位層と関わることがある

高校になるとある程度は階層化されるけれど進学校とそれ以外ぐらいの階層

しかもそれは大昔からそんなもの

大手企業創業者富裕層貴族エリートグループにもなると縦の旅行はしないだろうが

そういうグループは昔から縦の旅行なんてしてないしする必要もない

シーザーを知るためにシーザーになる必要はない」

言葉そのまんまで底辺社会体験しなくても数字理解できればそれでいい

じゃぁなぜエリート集団リベラルに傾向するのかっていうと

彼らは知的活動に専念する余り知的行動こそが美しく正義であるという宗教に取り憑かれているか

から感情的本能的な行動をする集団に対して知的であるように呼びかけるし、そうであってもらわないとリベラルのものが成立しない

彼らリベラルいくら「縦の旅行」をしたところで「底辺社会こそ教育を!」とか言い出すだけで何にも分かってない

頭が良さそうな雰囲気だけを出しているが、実際のところは知的活動こそが正義だと信じ込んでる狂信者

2024-11-16

人生に完全に失敗しました。

中学時代の成績はオール5、高校地域進学校大学早慶入社した会社東証一部上場大企業

人口5万人にも満たない田舎で、中卒の父からまれた身としては頑張ってきたつもりでした。

でも、入社2年目からうつ病発症し、抗うつ剤発達障害の薬を飲みながら仕事をし続ける日々を送るのが辛くて休職すればよかったのに、転職活動をして、転職エージェントに乗せられるがままにコンサル転職して更にメンタル悪化して短期離職となり無職になりました。

この間実家では、兄がずっとニートをしていて、母親振り込め詐欺で1000万騙しとられてからずっとメンタルを壊していたのに、自分は何もしてあげなかった。あげく自分転職に失敗したことによって、将来に絶望した父は自ら命を絶ちました。

そこからもうすぐ5年。小さな団体職員就職するも3か月も続かず、そこからずっと無職。布団に引きこもり続ける日々が悔しくてFXに手を出し、自死した父の遺産をすべて溶かして、更に700万の借金を作り、それを親戚と祖父に肩代わりさせたクズに私は成り果ててしまいました。

自分はもう今年で33。職歴も経歴もボロボロ、何のスキルも身についてない、おまけにうつ病持ち。

この人生に完全に失敗しました。

2024-11-12

公立至上主義呪いがようやく解けた

地方自称進学校に進学し、国公立大学が1番だと教えられてきた。

でも受験は前期後期ともに失敗し、唯一合格していた都内私立大学へと進学した。(親の意向浪人はナシ)

受験に失敗した時の先生方の落胆した表情と、私立大学への進学を決めた時の冷たい態度は心が大きく抉られた。

先生が欲しいのは「国公立大学学者」であり、私立大学学者存在価値がないことを思い知らされた。

自分の進路は「その他の大学」扱いだった。

自分の3年間は無駄になったと毎日泣いていた。


上京して都内私立大学に進学したが、今まで公立学校しか通っていなかったし、地元友達国公立大学に進学しているのに自分私立大学で恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

でも大学での友達はそんなこと誰も気にしていなかった。国公立が〜とか誰も話していなかった。私立中高一貫校出身が多かったからかもしれない。他にも社会人入学の方や海外出身の方もいて沢山の人と交流したことで様々な道があることを知ることができた。

通っていた大学教授指導が手厚く資料も沢山あり、勉強研究にしっかり取り組めたと思う。国公立大学じゃないと就活に苦しむと高校先生には言われていたが、第一希望企業に無事内定をいただけた。

国公立大学でなければ人に非ず」と信じていたけど東京ではそんなこと言っている人は誰もいなかった。

4年間過ごして自分も生きていいんだって気持ちになれた。呪いが解けていく音がした。

教職の授業を取っていたため、卒業校で教育実習を行ったが先生の扱いは「国公立大学実習生私立大学実習生」で私は空気だった。元同級生東北大学実習生がいたが神のような扱いだった。何も変わっていなくて悲しかったが、逆に地元に対する諦めがついた。

ずっと地元にいたら、自分も国公立呪いに囚われていたのかと思う。大学生活は楽しかったし、国公立私立が、とかどうでもよくなった。大学がどうのこうのより勉強して自分のため人のためになれればそれが1番だ。

でも、地元国公立大学呪いで溢れている限り、地域復興とか地元貢献とかUターン就職をすることは今後ないと思う。

高校卒業まで地元税金を沢山使ってきたけど、東京幸せに生きて納税して地元還元しないのが私の呪われた地元に対する復讐

2024-11-08

anond:20241107215040

増田男性嫌悪をこじらせてなかったら、あんなこともこんなこともできたのにな〜と言っていて、まあ機会損失が多かったというのは事実だなとは思うけど、やりたかたこととして挙げられていることは、男性嫌悪をこじらせてなくても、カースト上位の女子じゃなかったら出来ないことなのであんまり関係ないと思う。まあ地域差とかどんな高校かとかにもよるから一概には言えないけど、少なくとも私の地方都市進学校ではそうだった。

というか、私は増田の思い描くキラキラ青春とは違う高校生活だったけど、部活したり勉強したりしてた日常で十分普通に青春してたと思う。単純に高校生活に悔いがあるってだけではないかな。

あと、増田社会に出てリアル男性と向き合って認識を正したと書いているけれど、単に社会に出て比較良識あるコミュニティに入れて、その恩恵を受けているのだと思うよ。

コミュニティによっては、ネットで見たままのミソジニストがいることもあるので、今の平和コミュニティを大切にして欲しい。

あと、コミュニティ内でも普段リベラルな考えをしてるように見える男の人もふとした瞬間に(酒に酔うとか)女性蔑視発言したりはある。大人なのでわざわざ大っぴらにしなかったり、表面的な会話の中で浮き彫りにならないだけってこともある。

私は増田とは逆で、社会に出てうっすら男性嫌悪になったし、ネットで言われるところの「フェミニスト」になった。けど、職場の人にわざわざそんな話はしない。なんなら旦那にもしないかな。

まあ何はともあれ、こじらせ脱出と素敵な彼氏できておめでとう!

2024-11-06

anond:20241105233317

女子枠と言いつつ進学校出身者を囲いたいだけの推薦入試の拡充だから上級国民救済制度ですね^^;としか言えない

2024-11-04

県内模試一位で進学校に入ったのにラインで流れてくるごはんに具をつめる求人の詳細をクリックする人生なっちゃった

2024-11-03

ふつう軽音部の舞台

ふつう軽音部」の高校モデルはどこなのだろうか。ルーキー版とジャンプラ版で設定が異なることもあり、明確な答えは出ないことはわかっているけれど、ちょっと考えてみようと思う。以下、とくに明示しなければジャンプラ版の話です。

まず、谷九高校という架空高校舞台になっているけれど、地理的な面から考えると候補に挙がるのは高津(こうづ)高校だ。谷九交差点から徒歩16分とやや距離はあるが、それでも府立高としては最短距離にある。私服校なのでその点はややイメージが違うが、校則なし、軽音部が人気で部員100人を超えるといった点は雰囲気に合う。ただ、問題はまあまあな進学校であるという点で、毎年京大10名、阪大神大30名ずつという進学成績、入学時点では基本国公立をめざすというレベルなのである。彩目が進学を考えていなかったり、ヨンスが国公立狙うという理由部活をやめるというエピソードちょっと合致しない。バイトをする生徒がほとんどいないのも、イメージとずれる。

谷九からもうすこし範囲を広げて、夕陽丘高校はどうだろうか。進学レベル学生雰囲気はなんとなく合うところもあるが、普通科だけでなく音楽科がある高校という特徴がじゃまをする。北方向に範囲を広げて清水高校というのも「ふつう」っぽさではありだが、これはもう谷九じゃなくて谷六高校だろう。これまでのストーリーで大きな役割を果たした長居公園から離れていくのもマイナス要素である

そう、ストーリー展開から考えると、長居公園から離れすぎてはいけないのだ。そちら方面候補を考えると、住吉、東住吉阿倍野今宮あたりが浮かんでくる(天王寺高津の上を行く進学校なので除外)。東住吉普通科以外の存在感が大きすぎ、阿倍野は国公立進学に現実味がないのでちょっと違うだろう。

そうなると住吉今宮に絞り込まれるわけだが、ここでルーキー版の最初の方、新歓ライブの場面が生きてくる。軽音部員が着ているTシャツに描かれているのはTEN-CHA K-ON CLUB、つまりもともと地理的には天下茶屋周辺の高校モデルにしていたと思われる。なぜジャンプラ版で谷九にしたのかはわからないが。

今宮住吉のどちらかというと、やや住吉の目が強い気がする。今宮は昔はともかく現在では国公立を狙える高校ではなくなりつつあるし、なにしろ町田町蔵出身校、ふつう軽音部というにはストーリーを背負いすぎている。住吉なら、上位は国公立を狙い、ボリュームゾーン関大近大、進学しない子も少数いて、バイトやってる子も珍しくないという「ふつう」っぽさがあるのだ。

ちなみにレイハさんの通う七道高校は見当がつかない。天王寺三国丘かと思うけど、どちらも七道からは遠いし、鳩っちと水尾が住吉であるなら中学大阪市内想像され、すると天王寺の線が強いと思うけど、わざわざ七道なんてマイナー実在地名を付けた意図はよくわからない。

ここまで考えてきて、大阪で「ふつう」の府立高を探すことは今やわりと難しいのだなと思った。文理学科をもつ進学校10校とそれ以外の距離ありすぎて、大阪の「ふつう」の高校生は無償化以降、私立の方に多いのかもしれない。

2024-10-27

anond:20241026193946

当事者(今50前)だけど、地方民だからか、進学校だったからか、ITバブルの残りに乗ったからか、ほんとに氷河期って実感がない

めっちゃ楽だった世代(そんなのあるのか知らんけど)に比べたら大変だったんだろうけど、

世間が大変な世代って煽るから愚痴やすくなったりとかあったんかも

割合が低いだろうが同じような境遇の人はずっと居たけど他の世代だと本人の責任になってしまう)

あと、ちょうどフリーターとか仮面浪人とか盛り上がってた時期なので(年齢的にたまたま知っただけでもっとからあったのかもだが)、

適当でも暮らしていけるし先送り、ただし、夢追うとかそんなんじゃない みたいな思考には陥りがちの時代だったか

これも他の世代を知らないので、ここだけ特殊ってわけでもないのかも

ブコメもとげも読んでない)

2024-10-23

勉強したい人は国公立大学に行く事を勧める

受験生増田なんて居ないだろうけど誰かの参考に成れば…

俺はマーチと呼ばれる大学文系学部に1年通って合わなくて辞めて、いわゆる駅弁と呼ばれる国立大に入り直して楽しく卒業できた。

メディアの言説だと卒業生の数やマーケティングの影響で都市部私大が素晴らしいとなっているが俺にとってはそんな事は無かった。

俺は今で言う陰キャでウェーイ系のノリが苦手だった。大人しめのサークルに入ったが、都内の上流家庭か毎月家賃10万+仕送り10万もらってる地方豪族末裔みたいな子が多くて、金銭感覚が合わなくて無理だった。

大学学問する所と勘違いしていたが、都内私大文系勉強してるのは士業と官僚目指してる人だけ。ガリ勉ダサいみたいな風潮も有った。

それが国立大では逆で金銭感覚バグってる人も少ないし真面目に勉強してる人が多くて多浪だったけど溶け込めた。

性格大人しめで周りに勉強してる人が多い環境(県立の進学校のような空気)が好きな人には国公立おすすめ

2024-10-21

アカ女子の胸の内。

アカなんかでは到底つぶやけないか愚痴らせてくれ。

アカやってるからといって、四六時中ムラムラしてるわけじゃあない。

私はただ弱い乳首をみられて興奮したいだけなのだ。私をオカズにしてほしいのだ。

DMで07指示されても、別にイけない。人によると思うが、私はAV見ながらいじらないとイけない。DMで0721するキッカケを与えてくれるのはありがたい。「乳首えろい、○○してあげたい」みたいなこと言われると興奮するが、そのまま話し続けてイくのは無理だ。したがって、「イった?」「イくなよ」とか言われたら「そんなわけないやろ」と冷静になってしま萎える。やめていただきたい。

これはあまりにも自分勝手だが、「声送って」「07してる動画送って」「顔写真送って」と言ってこられるとブロックしてやろうかと思う。私は家が厳しく、1人で外出することが許されないし、自称進学校に通っているため校内恋愛規制されている。(ここで気づいたかもしれないが、私はjkだ。)声なんて録る場所はない。0721動画も然り。第一自由の身なら裏アカなんてやらずに誰かと会ってヤっている。また、裏アカをしている理由をいろいろと考えてみてほしい。私の場合、女として男子と接することで女子から冷たい目で見られるのを極度に怖がっている為、ネットしかメスでいられない。そんな私の声や見た目は、ほぼ男だ。背は小さいが、顔写真単体でみたら小学生男子だろう。したがって顔写真も送らない。

アカを始めて1ヶ月ほどでフォロワー100人を超えた。DM毎日のように届く。こっちにその気がないときは返信しなくても許してほしい。自分写真見て気持ち悪くなるからだ。

以上、愚痴でした。閲覧ありがとうございました。

2024-10-17

anond:20241016220602

なんか視野いね 授業に自信あるなら私立進学校にでも行けばいいのに

2024-10-11

anond:20241011192837

途中まで読んで休憩中

広島県民だが作中の舞台想像してみる。

できる範囲だが。

作者が働いてた学校…盈進高校中高一貫私立高)の可能性がある

同じ市内の強豪高…近畿大学付属福山高校(県東部にあって柔道が強い。正しいと仮定して福山市が舞台

作中で出てくる強豪校…少なくとも1校は広島学院(偏差値65以上の超進学校)しかない

作者の出身高校崇徳高校男子校伝統校)たぶん

作者の先輩が通ってた高校広島皆実ひろしまみなみと読む。公立柔道強いのここしかない。ついでにサッカーも強い)

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム、まだ持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

2024-10-09

県NO1の進学校の生徒の職業適性判定AIを作りなさい

半分くらいは建設業に適性があるでしょう

浪人考えてる現役生へ

こんにちは、私は24年卒現在1浪中の人間です。

これはしょうもない1人の浪人生反省文です

長文駄文失礼

高校受験ときから遡って話そうかな、私は受験に失敗して自称進学校入学したんだけど、行きたくない学校だったし周りともテンションが合わず当然やる気ゼロ 

学校にも精神からくる体調不良で週に3日しか行かないとかも余裕であった

勉強テスト3日前に詰め込みまくるスタイル、2年の途中から赤点補修の常連

本格的にまずいなと思い始めたのは3年生の夏頃、全ての教科の基礎が破綻してた。

模試では毎回平均以下、どの教科でも50点以下しか取れない

でも私は心に余裕があった、なぜなら私の家は「良い大学に入れるならば浪人しても良い」という方針だったからだ

私は「浪人なってから勉強すりゃいいか〜」という感じでそのまま受験本番を迎えた

結果、全落ち。(北海道めっちゃ不便なところにある意味わからん学校は受かってたけど)

 

4月浪人生活がスタートした、私は予備校に通わせてもらうことになって朝から晩まで日曜日以外勉強詰めの毎日を送ることになった

最初は良かった、授業で習うことは知らない知識ばかりで(私が高校で聞いてなかっただけなのかも)楽しかったしもともと高校受験とき結構厳しい塾に通っていたので長時間自習にも耐えられた

しかし、テストの点数は上がらない。塾内のまとめテストも点数が低い、全く身についていないのだ

自分でもパニックになった、勉強はしているしサボってもいないなぜ…

おそらく高校生のうちに「努力する」という経験をしていなかったからだ。

うまく言えないがいきなり勉強を頑張ろうとしても今まで積み上げてきたものがないまっさら状態からいくらやっても周りのコツコツ頑張ってきた人には追いつけないのだ。3年間やってこなかったことを1年でやろうだなんて無理に決まっている。

このことに気がついたのは9月偏差値テストの点数も低いまま(むしろ下がってる)このままだとニッコマも厳しいレベル、もう終わりだ、ひとまず塾を変えた

環境を変えて再スタート、だが、色々と考えてしまう、どうしようもなく不安で仕方がない指示されたことも終わらせきれていないし基礎もしっかりしていない受験目前だと言うのにこの有り様

最近就職するしかないのかと諦めモードになってしまときもある

先ほども書いたが私は「良い大学偏差値が高い有名な大学)にはいる」という条件で浪人許可されている、偏差値の低い大学受験すらできない

浪人するからいか」「今はサボりいか勉強しなくていいか」と思ってる現役生、これが現実です

就職するにも新卒じゃないから厳しい。3年間でついた怠惰グセややってこなかったことを1年で直して積み上げ直すのはほぼ不可能です。

勉強を頑張るというよりも毎日少しでいいか努力することを怠らないことと持続させる力をつけることがこの先の人生でも大切になってくるんだと思います









今私は本当に本当に地の底というものを味わっています苦痛で仕方がないですが全て私のせいです

自習戻ります

2024-10-04

貧困でも大学に行けるなら進学塾私立進学校悪徳商法だし通わせてる親は情弱ということにならんか

2024-10-02

メンヘラ女が理解のある彼くんを作り夫くんにするまで

エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます

スマホから書いてるから読みにくかったら読まなくていいよ

振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります

あと私はADHDではない。アスペぎみだけど。

あとODしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。私は生きてる実感なんて欲しくなかった。

生い立ちとか:

母親高卒結婚信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ち無視、脅す事で言うことを聞かせる

父親は進学のお金は出してくれるけど無関心

言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ

私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科いか聞いてこい」と言い放った。

???

私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる

幼稚園小学生

ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる

10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)

深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証

高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。

同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚から心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。

大学進学、上京

他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。

母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかい無理ゲー押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。

が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。

実家帰省したくない気持ちが強くなる。

年末が近づくと動悸が強くなる。

電車でどでかい発作を起こし倒れて救急車

そこから精神科巡りとお薬ガチャ

大学も休学、半年休めたので復帰、なんとか卒業

抗うつ剤抗不安剤飲みながら就活希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職

その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。

給料環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。

でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to B電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントかいた。

生理休暇を使った結果激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社反省しろ。という気分だった。

相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲーム漫画面白かったけど記憶はあまりないです。メガテンポケモン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。

その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。

全然頭働かなかったけど、技術理解するたびに面白いと思えるようになった。

一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。

一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社退職転職でまた事務職に就いた。

新しい会社微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。

もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味ネット友達作業しながら会話するのが私の楽しみになった。

ネット技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来彼氏(夫)くんだった。

ネットはいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。

やってたゲーム面白そうと言われたので一緒にやってみませんか?と誘ったら遊んでくれた。

何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。

ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。

彼くんは私より若かったけど話は合った。というか勉強して合わせてくれてたらしい。

で、デート繰り返して告白されて同棲を二年してプロポーズされて結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いか婚約とかで普通すぎて)

多分夫くんの結婚の決め手は

・私が好物の料理作ってくれる

ネイルかばっちりメイクしてる女の子が好き

・私が掃除好き(元潔癖症なので)

からへんだと思う。

特にご飯が8割だと思う

夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常になるように

彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ち暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良迷惑かけるから

極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。

まぁそれでも、迷惑はかけてる。

同棲してたら尚更。担当分の家事が出来ないとか。

今聞いたら同棲したてのころ、体調やメンタルがやばくて泣いてたらしい。

ただ、

理解ある夫くんは自分疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。

それを見てたらこれでいいんだ…!?と思った。

辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!

ので、私も休むようになった。

夫くんは私が休むと褒めてくれるし代わりに家事してくれたりマッサージしてくれる。

理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。

メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性趣味が合うから彼女に選んでるんではないか

と言う身も蓋もない話になってしまった。

メンヘラ女が理解のある彼くんを作り夫くんにするまで

エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます

スマホから書いてるから読みにくかったら読まなくていいよ

振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります

あと私はADHDではない。アスペぎみだけど。

あとODしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。私は生きてる実感なんて欲しくなかった。

生い立ちとか:

母親高卒結婚信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ち無視、脅す事で言うことを聞かせる

父親は進学のお金は出してくれるけど無関心

言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ

私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科いか聞いてこい」と言い放った。

???

私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる

幼稚園小学生

ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる

10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)

深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証

高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。

同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚から心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。

大学進学、上京

他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。

母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかい無理ゲー押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。

が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。

実家帰省したくない気持ちが強くなる。

年末が近づくと動悸が強くなる。

電車でどでかい発作を起こし倒れて救急車

そこから精神科巡りとお薬ガチャ

大学も休学、半年休めたので復帰、なんとか卒業

抗うつ剤抗不安剤飲みながら就活希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職

その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。

給料環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。

でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to B電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントかいた。

生理休暇を使った結果激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社反省しろ。という気分だった。

相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲーム漫画面白かったけど記憶はあまりないです。メガテンポケモン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。

その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。

全然頭働かなかったけど、技術理解するたびに面白いと思えるようになった。

一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。

一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社退職転職でまた事務職に就いた。

新しい会社微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。

もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味ネット友達作業しながら会話するのが私の楽しみになった。

ネット技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来彼氏(夫)くんだった。

ネットはいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。

やってたゲーム面白そうと言われたので一緒にやってみませんか?と誘ったら遊んでくれた。

何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。

ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。

彼くんは私より若かったけど話は合った。というか勉強して合わせてくれてたらしい。

で、デート繰り返して告白されて同棲を二年してプロポーズされて結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いか婚約とかで普通すぎて)

多分夫くんの結婚の決め手は

・私が好物の料理作ってくれる

ネイルかばっちりメイクしてる女の子が好き

・私が掃除好き(元潔癖症なので)

からへんだと思う。

特にご飯が8割だと思う

夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常になるように

彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ち暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良迷惑かけるから

極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。

まぁそれでも、迷惑はかけてる。

同棲してたら尚更。担当分の家事が出来ないとか。

今聞いたら同棲したてのころ、体調やメンタルがやばくて泣いてたらしい。

ただ、

理解ある夫くんは自分疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。

それを見てたらこれでいいんだ…!?と思った。

辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!

ので、私も休むようになった。

夫くんは私が休むと褒めてくれるし代わりに家事してくれたりマッサージしてくれる。

理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。

メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性趣味が合うから彼女に選んでるんではないか

と言う身も蓋もない話になってしまった。

2024-10-01

・私の年齢、学歴については君こそろくな根拠も無く主張しているだけ。論理性のかけらもない。

・"元増田は「進学校出身者は医者海外」と言い切ってた"証明可能証拠を示してください。それがあるならば、私の記憶違いでしたということになるから。その場合でも記憶違いなだけで、ホラだの嘘だの罵倒されるいわれは無いけどね。

・"高偏差値高の生徒が高偏差値しか進学先として考えないのも当たり前すぎるのにそれを論点にすることで"と君は言うけど、

そもそも、"都内進学校早慶以上の大学に進みほとんどが医者になるか海外に出るーーーこの設定は大学受験しなかった者の発想。"とどなたか(おそらく君だろうけど)が藁人形論法しかけてきたので、いえいえ、「都内の有力進学校」と言いましたよね、と突き返しただけ。

・一連のやり取りで、"自らの高等教育機関についての無知さ"や文章の読めなさが露呈しているのはむしろ君(ら)のほう。高等教育機関つーか、正確には高レベルお受験事情についての無知さね。

じいじ、嘘がバレた時は恥を上塗りするんじゃなくて

素直に打ち明けた方がメリット大きいんだよ

あなた大学に行けなかったのはあなたのせいではないのだから

  

元増田は「進学校出身者は医者海外」と言い切ってた

東京進学校出身者は東京医者海外」なんて当たり前すぎる話を後から付け足すことは

ますます信憑性を失くすことなんだよ

沖縄高校出身者は県内か県外か海外に行った」なんて誰も言わないからね

 

偏差値高の生徒が高偏差値しか進学先として考えないのも当たり前すぎるのにそれを論点にすることで

自らの高等教育機関についての無知さをどんどん打ち明けてしま

 

論理的に考えて文章構成する能力・知能の発達は養育環境に大きく左右されるのだし

F欄の学費さえ出してもらえなかったあなた境遇が不幸だったことをあなたは主張するべきなんだよ

どちらも不遇であることは同じなのに、嘲笑されたホラッチョ川上や佐村高知、支持された山上徹也の人生分水嶺をよく考えてください。

anond:20241001121924

都内の「有力」進学校な。具体的には筑駒開成etc

元増田進学校同級生の主な進学先は、東京/海外/医学部だった、とかそんな書き方だった気がする。一晩経ったか記憶あいまいだが。

進学校ピンキリだが、上に挙げたようなピンの進学校の連中は、頭の出来が一般人とは違い過ぎる。

これは筑駒大学進学実績。"やつらは早慶以上の難度しか進学先として認めていない節がある。"の意味理解できるだろう。

https://www.komaba-s.tsukuba.ac.jp/about/after_graduation/

ほかも調べてみりゃ判るよ。

都内進学校早慶以上の大学に進みほとんどが医者になるか海外に出るーーーこの設定は大学受験しなかった者の発想。

こんな雑な世界観マウント取ってしまうのはもう明らかに知的ハンディキャップだろ。

知的障害者でもF欄の学費を出してくれる親を持ってたら

こういうダイアリーを書かずに済む

俺はこのオジサン境遇に同情するし

この格差社会は燃やされるに値すると思う

自認強者としてネットでイキって見せる弱者の姿を見るのは辛い。

弱者なら山上徹也や青葉真司を見習えよって思ってるけど

犯罪ダメ絶対だぞ。

anond:20241001005345

2024-09-30

anond:20240930234026

都内の有力進学校とかなら有り得る。

やつらは早慶以上の難度しか進学先として認めていない節がある。

anond:20240930160910

進学校にも一定ヤンキーとかギャルみたいな人はい

けどファッションそっち系統ってだけでマジで素行が悪い人はほとんどいないから単に見た目とノリがヤンキーっぽいだけの勉強が出来る人だと思う

実際素行悪い人はだいたい成績も落ちこぼれてるので偏差値高い大学にはあんまいないと思う

学部卒は理系ではなく文系です

理系って大学院卒業して研究開発の職に就いている人でしょ

中学で点数取れるけど進学校いかないって高専工業高校に行ったひとを理系って言わないだろ?

普通に中退とかしとるしな

2024-09-28

anond:20240925162116

今思えばそれはそう

自称進学校の類だったので、怪我人なんてまともに出てこなかったんかもね

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