はてなキーワード: 鬱病とは
GHQは天皇=旧日本軍のトップ(大元帥)を戦後統治で利用価値があると判断して、人間宣言させて死刑にしませんでした。
敗戦後の日本人はアメリカの奴隷であることを忘れさせないための象徴としてご活躍ですね。
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誰かに向けて書くわけじゃないけど、「そんなこともあったな」って昔話にできたらいいなって願いを込めて書く。読んでくれたら嬉しいです
自分はとにかくメンタルが弱い。普通の人はなんとも思わないことでもめちゃめちゃ傷つく。人生の第一目標は「なるべく死にたくならないように生きる」ことだった。側から見れば人生を舐めてると言われるような選択もしてきた。人生舐めて生きれるならそうしたかったよ
それでも回避できず死にたくなるようなことはたくさんあった。死なずにここまで生きられたのは、このまま死ぬのは惨めすぎるって気持ちや、映画とかアニメとか音楽とか好きなコンテンツに触れて、この世にはまだ美しいものがあるって思えたからだ。死ぬのが怖いっていうのも多分にあったろうけど
でも最近、惨めさも、美しいという気持ちも、どうやって感じていたのかわからなくなっちゃった。水の底から空を眺めてる気分
きっかけはたぶん、仕事だと思う。ちょっとしたことで傷つく出来事があって、自分から発言するのが怖くなった
たぶん普通の人ならなんでもないようなことなんだ。そう思うほどに自分が普通じゃないことを思い知らされた気がして、仕事にも集中できなくて、成果は出ずさらに惨めになって。
勉強しよう、頑張ろうって思ってた仕事のことも考えるだけで頭が痛くなって嫌いになって。
その惨めさは私生活にも顔を出して、趣味の創作も一切できなくなって、自分が気持ち悪くて、辛くて。こんな弱い人間、どこの世界でも生きていけないだろうなって、「詰み」ってこういうことなんだなって思った。この辛さを頑張って乗り越えた先にだって楽しいことは何一つ待っていないのなら頑張る意味って、生きる意味ってなんだろう
こういうことは人生で何度かあったけど、本当に詰んだかもってここまで感じるのは初めて。自粛期間で心もやられちゃったのかな
だんだん認知も歪み始めて、世の中の人間はみんな楽しいフリをしてるだけなんじゃないか、みたいな哲学的ゾンビみたいなこと考え始めた。そんなはず絶対ないのにね
この長ったらしい文章を最後まで読んでくれた人がいるなら教えてほしい。みんな何のために生きているのか、楽しいってどんな感情か、楽しいって気持ちは取り戻せるのか
辛いよ
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結局この後半年休職した。一人で生活することもできなくなって、実家で死んだように寝ていた。幸運にも、本当にただの幸運だと思うけど、薬が効いて今は普通に生活できるようになった。復職もした。
本当に死ぬしかないと思っていた人生がいい方に傾く日なんて来ないと思っていた。どうやって死ぬか、そればかり考えていた。
でも、今は生きるのが少し楽しい。自分の生活を少しでも良くしたいと思って家具家電も買い替えた。ドラム式洗濯機は人類最大の発明だ。
人生そんなもんだ。死ぬときは死ぬし、運良く生き延びることもある。
だから、なんていうか、諦めるななんてそんな無責任なことは言えないけれど、何とか生き延びてほしい。死にたくなるほど惨めでも、きっと死ぬよりはマシだから。死んだら何もかも終わりだから。
病院は病気を治すための場所であって人生を楽にするための場所ではない。
考えてみれば当たり前のことだが、わかっていなかった。
一番最初の記憶は、幼稚園の同じお友達が、別の子と仲良くしてるから、その子と同じ習い事をしたいと母親に頼んでいる場面だ。
物心ついたときから、上手に人付き合いをすることができない。相手の領域に入り過ぎたり、入らなさ過ぎたりする。一番の友達、というのが出来たことがない。それがいつもずっと辛い。
環境が変わる度に連絡先をリセットする。昔のことは思い出したくない。恥と自己嫌悪で消えたくなるから。
毎日、眠る前に一日のことを思い出して反省会をする。上司への受け答え、後輩との雑談、一つずつ思い返して駄目出しをする。一日を巻き戻してやり直したくなる。
中学の頃から不登校を繰り返し、大学は2年通って中退した。毎日何かしら不安で、明日が来なければいいのにと毎晩祈った。人並みに生きることができないで、家族に迷惑ばかりかけている。
人並みに生きたい。
職場を三つ変わって、ついに出勤もままならなくなり、これが最後の手段だと覚悟を決めて、精神科を予約した。怒られるかと思っていたら、先生も看護師も優しくて、あっさり鬱病の診断が出た。辛い人生だったけど、でもなにもかもこれで解決だと肩の荷が降りたようでほっとした。
半年休職して、職場に戻った。上司はパワフル系だけど、最近の風潮もあってすごく気を使ってくれている。多分、客観的に見ると私はすごく恵まれている。
最初に薬を処方された時、まずは半年間薬を飲み続けて、症状が落ち着いてきたらだんだん減らしていきましょうね、と言われた。一年半経ったが、まだ薬は飲み続けている。量は増えこそすれ、全く減る気配がない。減らすと明白に症状が悪化するので減らすことができない。
薬を飲んでいるおかげで、仕事を休むことはなくなった。どんなに辛くとも、ひとまず起きて職場に行くことはできる。毎日眠るのが辛くても、睡眠導入剤で眠ることはできる。
通院時に、今月の様子はどうでしたかと聞かれる。いつも通り変わらずと答える。時々、先生の言う通り、隔日で薬の量を減らしてみるが、気分の落ち込みが激しいのですぐに元の量に戻る。先生に呆れられてるんじゃないかと思って病院に行くのが怖い。
毎晩の反省会は相変わらず。私自身の言動が変わっていないのだから当たり前だ。
当たり前のことだが、病院は病気を治す場所であって、人生のお悩みなんでも相談所ではない。一年半前の私は、仕事が辛くて職場に行くこともままならなかった。お陰様で今は職場に行くことはできるようになったが、仕事の辛さの裏側にある人生の辛さは一ミリも変わっていない。
病院に行くのは最後の手段のつもりだったので、これがうまく行かなかったらどうしようか考えていなかった。生きるのがひたすら苦痛なので明日が来るのが怖い。
下記のいずれにならないと無くならない
社会的に成功してる人でも、実家やパートナーや世間に毒(怒り)撒き散らしてる人、ぜんぜん見るぞ
社会活動に重大な影響を与えるレベルの鬱病・強迫観念の寛解だけを意味しており、
経済的に成功しても、パートナーを得ても、子どもを作っても、永遠に穴が空いたバケツのまま
『助けてくれなかった世界への怒り』『無限の試し行動』の問題は消えない
親が愛してくれなかった・まともな養育をしてくれなかった怒りは、なにを得ても永遠に過去のものにならないし、
助けてくれなかった世界のあらゆるものを羨み、バカに出来そうなら攻撃するし、
これが人の親になっちゃうからな、虐待の連鎖ってマジでこういうこと。単純に殴る・蹴る・怒鳴る・ネグレクトするとかそういう話だけではない
大学1年生の夏休みが終わろうとしている。いつものようにベットの上でインターネットをやったり発狂したりしていたら夏休みがだいたい終わっていた。大学生になったら何かが変わるというぼんやりとした希望は完全に消え、そこには諦念と後悔だけが残っている。
"発達障害者"になれなかった。発達障害者は総じて社会適応に困難を持つが、高知能層と他の層では困難のレベルが違う。だから俺は自分を高知能層だと思い込もうとしていたが、結果としては早稲田落ちのMARCHだった。結局俺には凡人に毛が生えたような才能しかなく、コミュ力や二次障害の鬱病のことを考えれば平均以下のゴミクズなのだ。
少なくとも、早稲田じゃなくても大学に行けば何かが変わると思っていた。でも現実はそうじゃなかった。人生にわかりやすい区切りなんてなく、ただ平坦な、それでいて先の見えない道を進み続けるしかないのだろう。
そして、才能は前に進まない理由にはならず、生きるために進まねばならない、戦わなければならない。俺だって理解してるのに体が全く動かない。
苦しい。ただでさえ良くない頭が鬱病に侵されていくのをただ見ている事が。最近は言葉もおぼつかなくなってきた。文字は少し前に書けなくなってしまったし、俺は本当にこれからやっていけるのか?
わからない。今は眠ろう。
しかもフレックスですらないので1分でも遅刻すれば15分の遅刻控除がされる。
隣の部署にいる人は、在宅勤務ができる。
会議に参加してもらう日でも、「体調崩した」とか言って当日の朝連絡一本で在宅勤務できる。
こっちは毎日出勤マンの部署だから体調崩し=休み=欠勤控除されるが
隣の部署にいる人は体調崩し=在宅勤務=欠勤控除されない。
これって不平等じゃない?
ちなみに異動願いはとっくに出してるけど
みんな毎日出勤マンになんてなりたくないから誰も調整しようとしてくれない。 でも攻撃してくる人とかいないし、営業活動やらされたりとかしなくていいから
辞めるに辞められないんだよな。
求人詐欺に2回ほど引っかかって、頑張った、というか無理し続けたら鬱病にまでなったからな。
でも不平等だよな。なんで誰も異を唱えないんだろう。
異を唱えるくらいならやめちゃう人のほうが多いのかな。
鬱で何事にも関心が向かず日々の生きる目的がなかったとき、出会ってはいけないゲームに触れてしまった。
クレーンゲーム。どのゲームセンターにも置いてあるプライズ機だ。
メンタルをやって狂い始めていた人生が、一気に崩れた瞬間だった。
満足に仕事もこなせていないので、もう中途市場で私を拾う会社は存在しないだろう。
2023年3月、心の拠り所だったソシャゲであるアイドルマスターシンデレラガールズが終了した。
それが直接的な原因かどうかは不明だが、その頃から明確に体調が悪化した。
仕事はできない。集中ができない。もちろん資格勉強なんてできない。
余暇を過ごすアテもない。ハマっていたゲームも漫画も、集中が続かない。
何もできない。
起きて、仕事をするフリをして、飯を食って、寝る。
生きている理由がない。
昔から浪費が好きだった。
音楽ゲームを嗜んでおり、「復調したときに腕が動かなかったら嫌だから」という理由でゲームセンターにはちょこちょこ通っていた。
そんな中、ふとクレーンゲームに目が行った。
クレーンゲームには嫌な思い出がある。
モバマスの担当の缶バッチが出たとき、あまりのセンスのなさに店員から3回アシストを受けた。
結果、7000円で缶バッチ1個。
7000円。
もう二度とやらないと誓ったゲームに、気づいたらお金を入れていた。
ゲーセンの収益のほとんどがプライズとメダルであることも知っている。
クレーンにお金を入れるやつのほとんどがカモなことを、知っている。
結果は覚えていない。
取れたことは確かだが、天井を叩いたのかテクでねじ伏せたのかは覚えていない。
でも、取れてしまった。
生きるモチベーションがなかった自分に、2つの快楽が結びついた。
1つは、景品が取れること。
もう1つは、タイパよく金を浪費できること。
100円で10分遊べて、6000回はボタンを叩ける音楽ゲームと比べて、
100円で15秒遊べて、2回ボタンを叩くだけのゲームは、ばかばかしいが、あまりにも甘美だった。
気付けば、クレーンゲームにハマっていた。
財布だけ持ってゲーセンに行き、両手をいっぱいにして帰る日々が続いた。
もちろん、テクニックは持ち合わせていない。
金が飛んでいく。
でもそれが心地よかった。
でも、クレーンゲームをやっている。
気付けばカードローンに手を出していた。
浪費して、金がないことに嘆き、ストレス発散に浪費する。
家から出ることすらせず、金を浪費できることに気付いてしまった。
ローンの上限を叩くのはあっという間だった。
さて、そうなるとさすがに焦りが出てくる。
鬱で馬鹿でも、無い袖は振れないことは知っている。
心療内科の先生は、励ましてくれるだけで特に処方は変わらなかった。
独力でなんとかするしかない。
ギャンブル中毒の人間は一念発起して「はい! ギャンブルやめます!」とはなれない。
・ギャンブル欲を少しずつ小さくしていく
の2点が挙げられる。
一般に無課金ユーザーからすれば課金石を割ってスタミナ回復をすることは効率が悪いといわれがちだが、
私にとっては軽い浪費をしながらギャンブルができ、時間を無為に使える画期的な存在だった。
限定ガチャの開催時以外にガチャをする旨味が少ないタイトルのため、周回にだけ石を使えるのも追い風だった。
これで様子見、と言いたいが、まだスマホでオンクレをしてしまう問題が残っている。
なんならソシャゲなんてほとんどエミュ使ってPCでやってるんだから、周回しながらオンクレができてしまう。
なんとかしてスマホをいじる時間をオンクレ以外のアプリを稼働させる時間にしないとギャンブル中毒のままである。
スマホを拘束してくれるアプリを探して、ようやく原点に立ち返ることができた。
私には心の拠り所があったじゃないか。
『アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ』
U149アニメに絶望し(担当が出てこなかったため)、長らく起動していなかったが、こいつが残っていた。
音楽ゲームだからタイパが悪く、スタミナ回復手段も豊富にある。
デレステには放置編成(「ミスをパーフェクトにする」などのスキルの組み合わせで、プレイせずに曲をクリアできる編成がある)があるので、私のリアルスタミナや集中力は必要としない。
オンクレをしないようにスマホでつけっぱなしにするアプリとして、こんなにも適切なものはなかった。
というわけで、こんな記事を書きながらもNoxではアークナイツの石を割りスマホからは星環世界が流れ続けている。
自分がカスである自覚はもちろんあるが、もがいている日記くらいは残してもいいだろう。
クレーンゲームの欲求もそこそこ小さくできているので、しばらくはこれで様子見。
そいつは今までの人生でちゃんと腰を据えてゲームを楽しんだ経験自体は何度かあると言っていた。
パワポケ、ウイイレ、高校野球のシミュレーションゲーム(フリーソフト)がそうだったと。
YouTubeや2chや映画見てるより圧倒的に面白くて、大学の夏休み期間中、7時間/日を10日間ぶっ通しでやったと言っていた。
7日目くらいからブルーライトとドライアイ由来の体調不良に陥り普段と違う口臭に変わり、「とんでもないことに時間を使ってしまった」と鬱病っぽい精神状態になり2週間もたずに打ち切ったと言っていた。
ゲームにどハマりすると必ずこのパターンで続けられなくなるんだと。
社会人になってからはテレビゲームもパソゲーもスマホゲーも触りすらしていないらしい。
もう少しで夏休みが終わる。
2学期になって学校へ行きたくない子は、逃げ場がないと自殺するだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20230822071720
私は
「死にたくない」
「お国のために死んでくれ」と言われても、絶対に断るし、他人の命令には従わない。
私が中1のとき、クラスで「プロレスごっこ」と称したイジメが流行った。
無口で大人しいO君が標的にされ、毎日のようにプロレス技の練習台にされていた。
小1のとき、クラスのイジメっ子にいつも意地悪をされていた自分は、イジメられっ子の苦しい気持ちが良く分かっていた。
クラブ活動で柔道をやっていた私は、ある日「O君をいじめるのはやめろ!」と言って、プロレスごっこに割って入ってやめさせた。
すると、イジメっ子達は技をかけても無反応なO君よりも徹底抗戦する私の方が反応があって楽しいと思ったのか、O君の代わりに私を標的にした。
柔道を習っていたので相手が一人なら対抗できるが、同時に複数人が襲撃してくると勝てなかった。
O君の代わりに私がボコボコにされる日々が続いたが、心は折れなかったので一度もギブアップはしなかった。
担任の先生はデブの中年女性で、クラス内で起こっている暴力・イジメには無干渉だった。(イジメ解決には全然役に立たなかった)
イジメっ子たちも「これは遊びで喧嘩じゃない」と言い訳をしていた。
ある日、別のクラスのT君が話を聞きつけて、私を空手道場に誘ってくれた。
T君は小学生のとき同じクラスだった元同級生で、中学生になってからは別々のクラスになった友人だ。
T君が通っている空手教室に自分も参加して年上の人とも組手をやって特訓した。
相手は4~5人だったか、その日もイジメっ子たちがプロレスごっこを勝手に始めて、私に暴力を振るってきた。
その日はいつも防御に回っている私と違って、全力で殴る蹴る攻撃で応戦し、全員を血祭にした。
空手道場のルールでは顔面パンチは寸止めだったけど、プロレスルール?で鼻を殴ったら鼻血がパーっと出た。
子どもの頃のイジメを暴力で解決する成功体験を得てしまったので、力に頼る考え方が染みついてしまっている。
大人になった今なら分かるけど、力で解決するのは安直すぎる。本来なら、頭を使って暴力を封じ込めるべきだった、と思う。
今なら使える解決手段は何でも使い、法律(社会のルール)を駆使して、相手を社会的に抹殺するだろう。(中学生のときにはそれが分からなかった)
自分でもこれは生存者バイアスだと思うけど、今でも子どものイジメ対策には格闘技を勧めている。
しかしチビや女が格闘技をやっても複数人を相手に勝てるか?というと正直微妙だと思う。
生存者バイアス(せいぞんしゃバイアス、survivorship bias、survival bias)または生存バイアス(せいぞんバイアス)とは、何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、その結果には該当しない人・物・事が見えなくなることである。選択バイアスの一種である。
生存者バイアスの例として、ある事故の生存者の話を聞いて、「その事故はそれほど危険ではなかった」と判断するという事例がある。
物理的な喧嘩なら格闘技が一つの正解だけど、他のタイプの陰湿なイジメだと暴力では解決できないだろう。(暴力で返しができない場合)
夏休みの間にパワーアップできなかったイジメられっ子が、解決策がないまま新学期を迎えたらどうなるだろうか?
ゆたぼんのように、不登校も1つの正解だと思うけど、理解がある親じゃないと無理矢理登校させるかもしれないね。
通学と休学の中間ぐらいの選択肢があればいいのではないか?と思った。
ぶっちゃけ知識を得るだけなら今のK12教育は時代遅れで、はなはだ効率が悪い。
数学とか、YouTubeの無料講座で独学できるので、オンライン教材を活用した反転学習とか導入すれば、義務教育の数学なら1年程度で習得できるだろう。
日本の学校は、人間を命令に従順な指示待ちロボットに改造する工場なので、校則や教育内容は社畜量産以外の用途には向いてない。
自殺防止のための切り札をもっとたくさん持たないと、的確なアドバイスができないと思った。
そもそも学校自体が犯罪の温床なので、解体しなければならない。
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鬱による過眠はあるから