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はてなキーワード: 大和和紀とは

2017-09-07

白泉社前史

 白泉社創立の由来は、当時集英社織田信長みたいな、能力と才能を持ち容赦なかった若菜正の、ライバル・梅村義直追い出し策にある。その頃の集英社派閥は大きなものが二つあり、少年ジャンプを中心とする長野規一派(少年漫画派)と、ノンノマーガレットを中心とする若菜正一派(少女漫画広告取り雑誌派)がいた。両派閥の内部での結束と団結は強く、必然的派閥外の者(特に二人より年長の者)は追い出されることになった。

 梅村義直はかつてりぼん編集長であり、それより出世して当時、りぼん内での独立系派閥を持っていた。梅村義直の忠実な家臣の小森正義は、りぼんから別冊マーガレットに移り、さら白泉社移籍した。山岸凉子三原順などのコネクションは小森に由来する。

 小長井信昌は少年漫画部門にいた関係長野規の盃を受けた身であり、少年漫画編集の野望を抱きながら(それは後年、白泉社少年漫画雑誌創立につながることになる)、その手法少女漫画に生かし、別冊マーガレット美内すずえ和田慎二などを育てた。編集者の腕と頭の切れは抜群であるが、ワンマンで旗幟不鮮明な小長井は若菜正に警戒された。

花とゆめ」創刊時は、付録つき月刊誌ということで、りぼん意識しながらより低年齢の読者を対象にし、花とゆめコミックス装丁りぼんマスコットコミックスを模したものだった。

 しかし、とある年に、週刊マーガレットライバル雑誌だった講談社少女フレンドが月2回の刊行になるという事態が生じ、売れ行きがさほど悪くなかった週刊マーガレットをそうするわけにもいかず、白泉社花とゆめを月2回刊行ライバル誌にするという策を集英社は打った(余談だが、これは講談社のぼくらマガジンに対して小学館集英社グループ少年ジャンプを作った策と同じである)。

 当時の少女フレンド大和和紀庄司陽子里中満智子その他強力連載・読み切り陣を揃え、花とゆめは苦戦したが、美内すずえガラスの仮面」、和田慎二スケバン刑事」という大和武蔵級の作家によって巻き返しをはかった。

(多分続かない。これは伝聞を元に整理したもので、キャラ設定その他脚色が入っており、史実とは異なります

2016-11-14

男だけど少女漫画ヒロインが好きで好きでたまらない

俺は男だけど少女漫画ヒロインが好きで好きでたまらない。

例えば、ラストゲーム桜蘭高校ホスト部会長はメイド様!となりの怪物くんちはやふる俺様ティーチャーたいようのいえ放浪息子青い花、などの作品に出てくるヒロイン女性主人公に、いつもときめいている。

もちろん少女漫画ファン母親の影響で萩尾望都竹宮恵子大島弓子山岸凉子吉田秋生三原順大和和紀庄司陽子川原泉漫画子供の頃から読んできた。

もちろん流行している萌えアニメも観てるけど、何かしっくりこない方が多い。どちらかというと男性クリエイターの描く女性キャラが肌に合わない。でもガルパンまどマギ、咲、アイマスラブライブ俺ガイルのんのんびより、この美術部には問題がある、はハマった。

好きなキャラの特徴としては 1ボーイッシュ 2クール 3気が強い のうちのどれかが大抵あてはまっている。体型はモデル体型が理想。あまり性を感じさせない中性的キャラタイプ少女漫画ヒロイン主人公って、だいたいこの手の類型が多いから、自分の好みと一致するのだと思う。

自分の中に「性=セックス」への嫌悪感があるのかもしれない。そういえば花の24年組以来、少女漫画重要テーマに「性からの逃避や超越」ってのがあった。そういう少女漫画の傾向と自分メンタリティが一致しているのかも。合ってるかどうかはわからないけど。

誰か同じ趣味の人がいないかどうか探したけど、どうも女性を含めてもそういう人と出会うことはなかった。

前に合コン少女漫画好きだと打ち明けたら、思いっきドン引きされた。傷ついた。少女漫画好きなら女子ウケいいと思った俺が馬鹿だった。

それ以来誰にもこの趣味告白していない。ネットでも少女漫画男子ほとんど見かけなくて辛い。

俺みたいな趣味嗜好の男性って他にいないの?下のブログ管理人さんぐらいしか見たことがない。

http://oto-yome.blue/

こんな愚痴最後まで読んでくれてありがとう少女漫画男子に幸あれ。

2015-07-05

最近読んだマンガ

・星河万山霊草紙(1) 鈴木有布子

タダだったから。2話ぐらいだけなのね。


・起きて最初にすることは 志村貴子

キモイ。お兄ちゃんキモイよ。でもマンガ面白いよ。

お兄ちゃんの、ひどい仕打ちを愛によって受け止めているそのメンタリティキモカワイイっていうのかな。ひどい仕打ち快感を感じるMとは違う。

おれはBL読まないので、BL文脈はよくわからない。なので、ラブコメとして読んだんだけど、恋愛限界事例って感じ。

不憫系ってジャンルがあるみたいだけど(おれは良く知らない)、この作品はひどい状況を悲しく表現してはいないし、笑いをとる方向にももって行っていない。それによって、(人の心理を中心にしているにもかかわらず、)誰かへの移入に頼らず、ニュートラルな納得感を読者に与えているように見える。

暗くも明るくもしない作者のバランスガッツリはまった良作ではないかと。


港町猫町  奈々巻かなこ

個人的にはあんまりだけど、好きな人は好きだろうと思う。


うどんの女 えすとえむ

恋愛プロセスにおける、"おかしみ"がうまく出ている感じ。独特のクドさのある人の画も良い具合にはまってるのでは。



淡島百景 1 志村貴子

いつもの志村貴子


げんしけん(18) 木尾士目

画も内容も昔より暑苦しさが増してる気が。

閉鎖された仲良し空間の暑苦しさを楽しみたい人には最高。個人的にはちょっとおなか一杯。


・恋は雨上がりのように(2) 眉月じゅん

1巻を買って、迷ったけど2も購入。

純愛ものをひねりの無い展開でシリアスにやってて、でも古臭くならないように注意している感じかな。


彼女世界 袴田めら

百合面白いと思ったことがないにもかかわらず、たまに、なんとなく、買ってしまう。

これもそのうちの一つだったけど、おもいがけず面白かった。初めて百合面白いと思ったかも。

この手の逆転系はよくあるけど、無理のない展開って結構難しいと思う。にもかかわらず本作は納得感ありつつ進行していて良い。

そういった意味では、百合じゃなくても面白かったんだろうなとは思う(百合環境の上で成立しているので、実際は必須なんだけど、比喩として)。

画はうまくはないけれど、人のたたずまいや、内面が表出する部分を丁寧に表現していて魅力がある。

結局、内容が良ければ、百合BL面白いってことなんだなー。などという当たり前のことを、「彼女世界」と「起きて最初にすることは」に教わった。


実在ゲキウマ地酒日記(1) 須賀原洋行

クッキングパパ(100) うえやまとち

夏子の酒(1) 尾瀬あきら

タダだったから。


ヨコハマ買い出し紀行(1-12芦奈野ひとし

過去に紙で読んだ作品。その時もドはまりした記憶があるが、改めてハマった。

kindle で1巻が無料だったので、「なつかしーなー」と思って1巻を読んだら面白くて結局2-14巻も買ってしまった。

人類の来し方と、残る世界の行く方が交差する大きな転換点をユルい日常連続と個人の視点で(いまなら許されないだろうと思うほど)暗示的に表現しており、今読んでもユニーク(のんびりした終末感は"渚にて"が思いつくけど)。

テーマ基本的作品の背後にあるが、ポツポツと表出されるところの表現が秀逸。アルファさんの「知ってるよー」は何度読んでも泣く。

日常のユルい表現も、言語化されない人(じゃなくてロボットか)の心理が多分に含まれていて、その密度感が作品の足元を支えている印象。

芦奈野ひとしが画が上手いのは今更としても、この作品が一番ハマってるなあと改めて思った。光/影/空気/地表/大気/水面/空/雲/晴れ/雨/土/砂/コンクリ/鉄/木材/植物/朝/昼/夕方/夜.....作品環境に関するあらゆる表現が驚くほど高度でビビる


ストレッチ(3) アキリ

だいたい web で読んでだけど、また読んでも面白い。5回ぐらい読んだけどまだ面白い

2人のトゲとボケを含む愛のあるイジリあいはいつまででも見ていたい。画もうまい

どうでも良いけど、ワンレンOLって。作者は幾つぐらいの人なんだろ。


マホロミ(4) 冬目景

完結してた。

このくらい恋愛要素が奥まってるほうがイイと思う。

建築については、その魅力がなかなか伝わってこなかった。人的なドラマ要素を持ち込んでいるので退屈はしないけど。

作画はマユリの頭がコーンヘッド気味に見える絵が多くてちょっと気になった。後頭部が上にトンがってるように見えると言うか。(追記:観察してみたら、こういう風に見える人いるね。特に女性。なのでこの評価は不当だと思う。よく見てから言えって話だ。)

女性かわいいとされてる作家だけど、個人的には男性のほうがバランスよくて上手いような気がする。


・となりのロボット 西UKO

ロボットというと産業ロボットなんかも含むので、どちらかというとヒューマノイドとかアンドロイドって言う方がしっくりくるんだけど、あえてロボットって言い方をチョイスしてるんかな。ロボット存在の仕方について、突っ込んで考慮されてて面白かった。作画はあんまり


・春山町サーバンツ 4巻 朝倉 世界一

完結してた。ダラダラ続けるのに良いフォーマットだったと思うけど。

もうちっとぶっ飛んだ感があったほうがこの作家に向いてるかな。とは思った。

作画はいもの通り、デフォルメして特定のパタンに落とし込む方向。顔はうまいだけじゃなく、場面ごとに表情が丁寧に考慮されていて、見ていて楽しい

街の作画もかなり丁寧(重要な要素だしね)で、都心近くのちょっと古い商店街/住宅地の感じが良く出てると思う。


・おうちでごはん (8)スズキユカ

スズナ公園で遊んでる回の作画は全身で動きがある画が多くて良かった。

この作品では初めて見る構図やポーズ自然で良い感じにこなしており、上手いと思った。

普段ほとんど室内で顔ばっかだしね。男女ともにみんなカワイイので良いけど。

黒目が大きいのが個人的にはあんまりなので、スズナとウリサワが好き。


・うきわ(3) 野村宗弘

終わってた。着地点は、まあ妥当というか、これ以外の着地は難しいだろうなあというところ。

エンドロールもそうだったけど、ミニマル内向的作品が続いていて、その辺のニーズが強いんですかね。

鉄工所みたいに、にぎやかな作品もそろそろ読んでみたい気も。

作画はいつも通りで個人的には好み。


・ちろり(7) 小山愛子

概ねいつも通り。ちろりは話の流れ的に表情が増えてきた気が。


岡崎に捧ぐ(1)山本さほ

ややエグみのあるエピソードを笑いやノスタルジーに落とし込んでいて、好き嫌いの分かれる作品だと思う。

個人的には、つまんなくはないけど、好きではない。って感じかな。。


ふだつきのキョーコちゃん(4) 山本崇一朗

何を楽しめば良いのかがよくわからないというのが正直なところ。つまんなくはないけど。

キョーコの体質を基にしたドタバタなのか、兄妹のイチャイチャなのか、ラブコメなのか。そのほかの何かなのか。

雑多なネタを扱う作品結構あるけど、その路線成功してる作品メタレイヤーでの一貫性があるように思う。

本作は現時点ではちょっと微妙なところ。


34歳無職さん 6  いけだたかし

いつも通り。前巻で娘が出てきて波風あったので、今回やや退屈な気もするが、そもそもそういう作品なので文句はないです。


イシュタルの娘~小野於通伝~(11) 大和和紀

大河系というか、こういう系は完結してからまとめて一気に読んだほうが面白いね。

1-10を続けて読んでるとき面白かったのに、間があい11 を読んだら、ちょっと没入できなかった。

作品としてはもちろん面白い作品


コンプレックス・エイジ(4)佐久間結衣

キャラ投入でやや波風ありつつも、面々が相変わらずまじめに楽しくやってる感じ。


かくかくしかじか 5 東村アキコ

人の死をネタにした自意識エンタテイメント

とある漫画家の昔語りとしてそれなりに面白かったので、死をあんなに盛り上げなくても、もちっとサラっといっといても良かったんじゃないの?って気が。

まあ、この作者なら盛り上げていくんだろうなあとは思ってたけど。あまりにまんまで笑った。

2013-09-12

マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論


南野陽子と言えば、『はいからさんが通る』です。『はいからさんが通る』は少女漫画代表的作品を挙げる時には必ず名前が挙がる作品ですが、70年代中頃の作品です。

薬師丸ひろ子論の中で、70年代にはマルキシズムの影響で、「女性男性のようにリーダーシップを執らなければならない」という思想が、少なくとも先進的な意識を持つ若い女性学校にはあった時代だったと言いました。その「あるがままの私」が80年代おい現実との軋轢の中で鍛え上げられていきました。70年代の「あるがままの私」が実は女性に無理を強いているのではないか、それは本当に「あるがままの私」ではないのではないかという問題意識体現し、生き方としてロールモデルを提示したのが松田聖子です。

しか70年代以前は、松田聖子はまだ存在せず、女性は無理を承知で男の真似事をしなければならなかったのですが、その時代ロールモデルフィクションの中にありました。

はいからさんが通る』もそのひとつです。この流れから80年代少女小説家たち、氷室冴子らが出てくるのですが、氷室冴子理想としてのフィクションいかに守ろうとしたかいか現実との狭間で苦闘を強いられたか彼女の作品と同時に、諸々の葛藤を描いたエッセイをお読みになればあの時代少女意識彼女たちが直面した現実が分かるのではないかと思います

アイドル論を無理やりフェミニズムで語るつもりはないのですが、結果的にそれに近い感じになっていますね。それはアイドルたちが、時代ロールモデル少女たちの在り方を反映しているからです。

薬師丸ひろ子には王道的な、「党中央本部の作成したスローガン」のような無菌的な匂いを感じますが、南野陽子もっと現実寄りの人です。しか評論家的ではありません。南野陽子には確かにフェミニズム寄りの感性があるように見えますが、フェミニズムがその成り立ちから逃れがたい、アンチとしての批判性を濃厚に持っているとしたら、南野陽子にはそれはありません。

フェミニズムの到達地点が南野陽子にとっては当たり前の状況、出発点であるような、そういう印象があります

70年代にはフィクションで切り取られるしかなかった『はいからさんが通る』的な在り方が、現実に当たり前のように南野陽子の中には存在しています南野陽子は『はいからさんが通る』の作者の他の作品である菩提樹』にも映画主演していますが(『菩提樹』はおそらく大和和紀最高傑作です)、自分の足で立つヒロイン南野自身のキャラクター投影して演じています

 

南野陽子女子校出身ですが、プロフィールを見る前から私はおそらくそうなんだろうと思っていました。女子校出身者はしばしば、男性がいない状況で、ジェンダーとしての女性を内在化させないことがあって、すべての女子校出身者がそうではありませんが、自然独立心を持っている女性のかなりが女子校出身者です。

そうした女性社会への眼差しアンチでもなければ評論家的でもありません。あくまで自分もその一員であると言う、責任感を持っている、部外者性をあらかじめ排除しています

たびたび引用している松任谷由実の評ですが、彼女南野陽子について、

彼女自分を持っているから好き」

と言っています自分を持っていない人なんているんでしょうか。誰しも逃れがたく自分を持っています。けれどもその自分は幾層にも思惑や配慮や自分がこうなりたいというロールモデルによって塗り固められていて、剥き身の自分自分でさえ分からなくなっている、特に女性はそういう人がほとんどです。

この場合南野自分を持っているというのは、剥き身の自分を隠すことさえ考慮にない、そのある種の無鉄砲さ、清々しさを指しています。それは絶対的に、かつ盲目的に自分を肯定する、傲慢さとは似て非なるものです。その種の傲慢さは実は絶対ではないからです。

例えば自分が美しいということについて、南野はもちろんそれを自覚しているでしょう。多くの場合、それは自意識リンクして、自分をも値ぶんだうえで、他人を侮蔑することに直結します。それは多くの女性が、自分の武装と自意識を切り離して捉えることが出来ないからです。そうすることが出来ない、ということがジェンダーなのかも知れません。

南野場合は、要素として自分が美しいことは承知している、だからそれを活用しようとする、しか自意識はその要素とは別のところにあるのです。自意識は要素とはまったく無関係に絶対的に肯定されるものです。なぜならば自分自分であるのですから

比喩的に言うならば、南野自己に対する捉え方は企業家的です。アイドル南野陽子は商品であるので、南野陽子当人とは別のものです。これはアイドルを演じている、別人格というのではなく、南野陽子の商品性客観視しているということです。

表層に現れるアイドル南野陽子が、アイドルとして非常に典型的であるだけに分かりにくいかも知れませんが、南野陽子当人は理性的な、理が勝った女性です。そしてテレビアイドル南野陽子を見つめる南野陽子をも映し出すのです。

商品としての自分自分当人を分けて考える、このことを自分についても他人についても理解できない人がたくさんいます

今年の初めに亡くなった十二代目市川団十郎の父の、十一代目市川団十郎は腰が低い人でしたが、団十郎襲名してからは打って変わって尊大になりました。多くの人は彼当人が尊大になったと見たのですが、そうではなく、彼は団十郎と言う暖簾に対して敬意を要求したのです。歌舞伎役者ならば団十郎に最大の敬意を示すのが筋、悪評がたつことで彼個人には不利益になっても、団十郎の暖簾を守ろうとしたのです。

南野陽子も、尊大だと悪評が立つことが多い人でしたが、南野陽子と言う暖簾を大事にしろスタッフに言ったのだとしたら理解しやすい話です。非常に友人が多い人で、素が出やすい場面では気さくな人ですが、素のキャラクターアイドル南野陽子アイドル南野陽子経営者としての南野乖離があるのだとしたら、それは自分を見つめる目が極端に理性的からです。

 

素材として南野アイドルとして最高のものを持っています美人ではあるけれども、親しみやすキュートな顔立ちで、声も鈴が鳴るように可愛らしい。アイドルとして最高なので、それ以外では大成しにくいという弱点もあります

松田聖子中森明菜歌唱力で、小泉今日子は斬新なパフォーマンスで、薬師丸ひろ子は演技で大成したように、実は彼女ら、スーパーアイドルであっても純粋アイドルとしての性格を維持した期間はそう長くはありません。例えば中森明菜は、デビュー直後は肉感的な身体を水着を着て晒すなど、いかにもアイドル的なことをしていましたが、シングル3作目くらいからもう、歌唱をメインにした、アーティストとしての性格を強めています。『TANGO NOIR』の頃は皇后エリザベートもびっくりするくらいウェストが細くて折れそうなほどですが、デビュー直後はむしろやや太めなくらい、それくらいの方が男子には人気なのですが、性的アイコンとしての価値を斬り捨てて、表現を高めていった、そういう路線に入ったから「単なるアイドル」を越えた時代アイコンになったのです。南野にはそういう「先」はありませんでした。それはアイドルとして完成されていたからです。

何万人にひとりの逸材で、顔と名が知られるや否やあっという間にトップアイドル上り詰めたのは不思議ではありません。不思議なのはこれほどの逸材が長らく飼い殺しにされていたことです。意外とプロフェッショナルスタッフも分かっているようで分かっていない、そう思うことが時々あります南野が「下積み」を強いられたというのにもそういう感想を持ちます

角川三人娘のひとり渡辺典子美人系の女性アイドルとして人気が出るタイプではないのですが、オーディションでは彼女グランプリ原田知世が特別賞でした。むろん、人気も実績も原田知世の方がはるかに上の結果を残しました。

南野陽子大手所属すれば事情は違ったのかも知れませんが、彼女所属したのは、エスワンカンパニーという弱小事務所でした。この会社ピンクレディー楽曲で知られる作曲家都倉俊一氏が立ち上げた芸能プロダクションで、売り込みのノウハウがありませんでした。

堀越学園での彼女同級生本田美奈子岡田有希子高部知子石野陽子らがいましたが、彼女たちが仕事に忙しく早退してゆく中で、南野は焦らざるを得ませんでした。事務所があてにならない中、南野は一人で売り込みを開始し、自分プロフィール名刺作成して、テレビ局出版社を回りました。彼女にとって最初のチャンスになった週刊少年マガジングラビア仕事は、そうやって彼女自分で営業を行って獲得したものです。

このグラビア仕事から、『スケバン刑事Ⅱ』の仕事が決まり、一躍彼女トップアイドルになってゆくのですから、売れるうえで事務所には何の世話にもなっていないと彼女が思ったとしても当然でしょう。

エスワンカンパニー作曲家の個人事務所のようなもので、音楽業界はともかく演技に関しては指導育成のノウハウがありませんでした。器楽的な意味おいて、南野アーティストとして魅力に欠けるため、売出しに熱意が無かったのかも知れません。

横道の話になりますが、エスワンカンパニーには他に太田貴子所属しています彼女アニメ魔法の天使クリィミーマミ』に声優として主演したため(救いようがないくらい下手でした)、オタク層に支持されるアイドルになりました。しかし、自らの支持層であるオタク層を「気持ち悪い」と評したため、急速に勢いを失くします。アイドル親衛隊と言えば、ヤンキーが多かったのですが、80年代後半からオタク層が目立つようになり、以後、アイドルオタクのものになってゆくのです。

太田貴子南野はその端境にいたアイドルです。

女優業についてはエスワンカンパニーではマネージメントが出来なかったので、青年座マネージメント外注する形になりました。この結果、南野エスワンカンパニー青年座に両属するような形になってしまい、急速に売れっ子になると、彼女スケジュールを巡って両事務所が争い、頻繁にダブルブッキングが発生しています

南野スタッフに対して当たりが厳しい、厳しく叱責しているという噂はずっと以前からあったのですが、それを公に最初に示したのは浅香唯です。浅香唯芸能界裏話のような話で、

自分スタッフに大声で怒っていて、テレビ全然印象が違った。芸能界は怖いところだと思った」

みたいなことを言っています。一応名前は伏せてありましたが、誰がどう見ても南野とすぐに分かるように作ってありました。

後に南野週刊文春インタビューにてそれが事実であることを認めています。その理由として、クライアント迷惑をかけるダブルブッキングが頻発していたことを述べています

また、そのインタビューの中で、当初はまともにマネージメントを受けられなかったこと、転機になった仕事自分で営業活動を行ったこと、事務所独立時の確執についても述べています南野陽子独立を契機としてエスワンカンパニー負債を背負って倒産しているのですが、その負債南野が知らないうちに南野名義になっていて、数億円と言うそ負債南野が背負ったそうです。それが事実ならば刑事事件にもなるような話で、裁判に訴えれば南野負債を免れたはずですが、アイドル南野陽子がそんなお金にまつわる醜い振舞をしては、ファンを傷つける、だから裁判には訴えなかったと述べていました。

これは南野陽子側の言い分ですが都倉氏から反論がなされていないため、大枠では事実と考えていいでしょう。

その後数年、テレビから干された、と南野は言っていますが、プロフィール年表を見る限り映画の活動は活発でしたから、余り干されていたという印象はありませんが、90年代特にテレビドラマの影響力が強い時代でしたから、彼女ほどのコンテンツテレビドラマでは活用されていなかったのは事実です。

この時期、南野は状況を打開するために、単身、ハリウッド渡りユニバーサルスタジオの門の脇に立って、プロフィール写真関係者に配っています。誰にも知らせずに自分一人で行ったことですが、もちろんカリフォルニアにも日本人大勢いるわけですから、すぐにあの南野陽子がと噂になりました。とにかくものすごい行動力です。実際、オファーもいくつかあったらしいのですが、ちょうど日本での映画仕事がたてつづけに入ったため、その仕事は友人知人に回したそうです。彼女プロデューサーになっても大成したでしょう。

 

自分を持っている南野ですが、それが如実に表れたのは主演映画『私を抱いてそしてキスして』の完成記者会見での発言です。この映画は当時、日本でも広がりつつあったエイズ、その患者患者に対する偏見を描いた作品で、啓蒙映画的な意味合いがありました。日本でのエイズ患者の大半は実は薬害エイズによって感染していたのですが、当時、厚生省によって患者第一号に認定されマスコミにも登場したのは同性愛者の患者でした。これは、エイズ同性愛者の病気であり、薬害エイズを覆い隠そうとした当時の厚生省の思惑があったと見られています

橋本内閣厚生大臣を務めた菅直人によって薬害エイズ被害が厚生省ぐるみでの怠慢によって引き起こされたと明らかになったのが1995年、この映画はその3年前の制作ですから厚生省がまだ性病としてのエイズに焦点を合わせていた頃の映画です。

この映画ではヒロインが前の恋人によってエイズうつされ、エイズであることにショックを受けるけれども、新しい恋人にはそのことを言えずに性交渉を持ってしまう。その結果、妊娠して出産するけれども、その恋人の愛に包まれながら死んでゆくという内容です。

あり得ないと言うかほとんど犯罪なのはエイズと知りながら他人と性交渉を持つ」ことを「あなたを失いたくなかったの、許して」みたいに処理している点です。この「愛がすべてを癒す」みたいなご都合主義的な展開についてはこの映画社会問題を取り扱っているだけに記者から厳しい批判がなされました。

それに対して南野は、

「私もそう思います映画の内容はご都合主義です」

と言うような内容の発言を行い、映画のコンセプト自体を批判する形になり、同席していた映画プロモーターは狼狽し激怒していました。ことここに至るまでに、内部で南野は批判を口にしていたのでしょう。

 


続き

http://anond.hatelabo.jp/20130912100847

2012-10-29

5大天才漫画家

五大天才漫画家手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html


天才定義曖昧だけど、

1.質が高い作品を複数、残している。

2.商業的に成功している。

3.エピゴーネンを多数派生させている。

4.表現技法上の革新を成している。

5.ジャンルフォーマット上の革新を成している。

を条件とした場合

手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。

尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。

鳥山天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本漫画原稿和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。

水木しげる天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。

そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーロー群像劇、そのキャラクター性格づけはもとより、マーチャンダイジング手法おいてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析マンガに持ち込んだのも石ノ森である

漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組竹宮恵子萩尾望都大島弓子山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現いかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面セリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法確立萩尾望都代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるか凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。

手塚治虫

鳥山明

石ノ森章太郎

萩尾望都

と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、

藤子・F・不二雄を挙げる。

[補足]

まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。

「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズ武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス

レスが挙げているような御大たち、高橋留美子大友克洋白土三平水木しげる赤塚不二夫永井豪いしいひさいちつげ義春大島弓子大和和紀三原順梶原一騎吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。

あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。

[補足の補足]

ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思いますありがとうね。

ONE PIECE, 私も好きだけど、正直、尾田先生をもし入れるぐらいなら富樫先生を推したいの。

枠が5つしかないんだから、候補で名前が挙がるってだけでそれだけでもう本当は天才なんだけどね。

 
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