これは 退学 Advent Calendar 2015 12/18 の記事です。
勢いで登録したものの1週間近く過ぎてしまったこと自体が、2回も退学するような人間であることをよく表しています。
てきとうなブログスペースがないのでここに書き殴ります。なるだけ時系列順で。
物心ついたときからなぜか勉強ができたというか、テストの点数だけは良かった。
小学生時代は(客観的に本当にそうだったのかわからないが)イジメられるような人間で、
それがイヤになって公立の中学を避けて、中学受験をして私立の学校に進学した。
ここがいわゆる進学校的なところで、中高一貫校の利点を活かして中学のうちから高校の授業をするようなところだった。
模試なんかも1学年上の模試を受けさせられたりしていて、自分にはそのような先取りの学習スタイルが合っており、
中学を卒業する頃には高校の理科系の科目については教科書の内容を終えていた。
中1からギターを始め、まわりの友達に楽器を教えてバンドを組んで、
自分たちで企画してライブハウスを借りて同級生を集めてライブイベントを開いたりしていた。
音楽にドップリはまって、東京に行ってミュージシャンになりたいと思い始めた。
また、当時流行していたモーニング娘。にも衝撃を受けて、後藤真希に激ハマリ。
「自分は上京して音楽家として売れて後藤真希と結婚するのだ」と強く思い込むようになった。
すでに高校の学習内容を終えていた自分にとって、学校はひどくつまらなかった。
拘束のキツい進学校で、朝課外・夜課外というものが必須で組み込まれており、
7:30-18:00 という長時間、わかりきった授業を受けるのが耐えられなくなった。
こうなることはだいたい予想できていたので、別の高校の受験も検討していたが、
その学校には「他の高校を受験してはいけない」という規則があったため叶わなかった。
そのうち学校に行かなくなって、自宅で将来を空想して過ごすことが多くなった。
この頃インターネットにハマって、アイドルのファンページや 2ch を見始めた。
「スムーズに上京してミュージシャンになるにはどうしたらいいか」を考えた結果、
アルバイトをして音楽機材を買い、東京大学に合格して上京しようと思い始めた。
しかしながら、いくら試験の点数が良くても授業に出なければ卒業はできない。
(が、もともと通学できてないのだ。新聞配達をして寝るようになった。)
周囲の大人にだいぶ迷惑をかけた。
「今辞めたら大検を2回受けられる」というのを切り札にして退学した。
(が、大検会場が田舎でめちゃめちゃ遠かったので、結局1日目しか行かなかった)
「音楽機材を買い集めること」と「東京大学に合格すること」だった。
平日深夜はコンビニ、土日昼は結婚式のアルバイトという具合で、
昼夜も逆転しているため勉強どころではなかった。
当時一番つらかったことは、「実は高校を中退していない」という悪夢を繰り返し見続けることだった。
この時点で自分はただの中卒のフリーター。大学に合格しなければただのドロップアウト。未来はないだろう。
それが自分には受け入れられなかった。もともと「高校を辞めたい」と思って辞めたわけじゃない。
「つまらない教育制度が悪い」と思って辞めた。より高等な学問を勉強したかった。
「自分で勉強すればいい」には「つまらない授業のために教室にいられない」と答えるし(学費も私立なので高い)、
「海外で飛び級すればいい」には「そこまでの度胸はない」と答えていた。
(アイドルにハマっていたというのも大きいが)
このように、「本来の自分(と思っているもの)」と「現実の自分」とのギャップの大きさに耐え切れず、
「本当は高校中退してないよ、お前はマトモだよ」という甘い夢を見続けることになる。
(現実は甘くない。そしてこの夢は大学に入ってからも数年続いた)
バイトに通う道すがら、制服を着た学生を見かけると思わず身を隠すぐらいこわかった。
ろくに1、2年勉強しなかったのでさすがにハードルを上げすぎたなと後悔した。
しかし、努力が長続きするタイプでもないし、勉強机に何時間も向き合える性格でもない。
当時は枕元にバイトで買った Mac のディスプレイを置いて大学受験板、大学生活板、モー娘。板などを見ながら
寝そべった体勢で受験勉強していた。
直前の模試では良い結果は出なかった。
「これはヤバイ」「人生終わったか?」と不安になったが、実際にはなんとか現役で合格できた。
(合格発表の現場に行く勇気はなかったため、インターネットで番号を見つけて喜んだ)
このとき一番うれしかったのは何といっても「憧れの東京で一人暮らしできる」ということだった。
とにかく何でもできる気がしていた。今まで辛い思いをした分、ここからはバラ色の人生をつかむのだ。
大学なんてどうとでもなるだろう、問題はどうやって人気者になって成功するかだ。本気でそう考えていた。
今思うとまったく甘い考えであるが、結果、大きな挫折にぶちあたることになった。
まず、朝起きれない。武道館で行われる大学の入学式に遅刻した。(入場できたかどうか覚えてない)
親が記念に購入したアルバムに自分が写っておらず、ひどくガッカリさせてしまった。
(また、自分が在学していた証拠が残らないという結果にもなった)
どこに行けば授業が受けられるのかすらわからない。
いつのまにか試験の時期が来たが、試験の受け方もやはりわからない。
結局何もわからないまま、2年が経過した。
単位は1つも取れず、それどころか1点も取ったことはない。
(この頃も「高校辞めてないよ、大学行けてるよ」という悪夢を見続けて辛かった)
入学させてくれた親との折り合いも付かず、往生際も悪く、結局5年も在籍して、1度も進級できなかった。
つまり、タイムアップである。(8年在籍できるが、もう卒業の見込みがない)
通常であればここで実家へ戻るのであろうが、
上京前からのインターネットの知り合いから仕事を紹介してもらって、
なんとか東京に残りたいと説得した。
しかし、それも束の間。
アルバイトのような仕事を転々とした後、家賃を滞納して強制退去。親に泣きつくことになる。
ルームシェアしていた友人の家に転がり込んだ。
いろいろあって25才くらいだったと思うが、当時は自分が正社員になることなんて絶対に無理だと思っていたので、
今でも、どうにかこうにか東京にいることができている。
10代のあの頃、自分がこんな人生を送るとはまったく想像していなかった。
ひとえに、まわりの大人・先輩方のおかげとしかいいようがない。
(ちなみに大学の友人は一人もいない)
うっかり長文になってしまった。
振り返って思うのは、(よく誤解されるのだけど)僕は退学したいと思って退学したわけではない。
なんとかまわりの人に助けていただいたということが大きい。
とはいえ、もう1度人生をやり直せたとしても、自分は退学することしかできなかっただろうなと思う。
今は、N高等学校 のような取り組みもあるし、
今後も、自分のような平均的でない人間であっても苦しまなくていいような柔軟な教育体制になっていってほしいと心から思っている。